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ハマっ子先生気まぐれ綴り

無理難題、魑魅魍魎、言った者勝ちがまかり通る現場・・・そんな中、ひと時の安らぎを得るために、気がむいた時、思いついた時、かなり気まぐれに綴っていきたいと思っています。今後とも、よろしくお願いいたします。


2007年08月
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スポーツ 平和 鎮魂  [2007年08月15日(水)]
 今日8月15日は、62回目の終戦の日です。
その記事について一面で取り扱っている新聞は少なく、8月6日及び9日原爆投下の日も、マスコミで取り上げられることが、昔より少なくなったような気がします。

 いろんな事件やニュースがあるからでしょうか…
日本人の大半が戦争を知らない世代になった今、あえて、平和について考えなければならない時期にきています。

 イデオロギーに関して論じるつもりは毛頭ありませんが、絶対に風化させてはならないものとして、日本の戦争体験や世界唯一の被爆国であるという過去について、大人にはそれを正しく子どもたちに語り継いでいかなければならない責任があります。
 
 過日、TVで太平洋戦争について取り上げている番組を見ましたが、戦友のことを思い出しては涙する老人の姿がそこにあり、まさに狂気の世界の、今では考えられないほどの悲惨な出来事が語られていました。

 もちろん、私自身も戦争のことは知りませんが、これから未来を担っていく子どもたちには、平和についての正しい認識が必要不可欠です。
おそらく、日にちはもちろんのこと、日本のどこに原爆が投下されたか、知らない若者が多いのではないでしょうか? 

 先日、北京オリンピックまであと1年という話題が、マスコミで取り上げられていましたが、今、2016年のオリンピックを東京に招致しようということで、計画が進んでいます。
もし、招致が成功したら、どんなオリンピックを創り上げるのでしょうか?
楽しみでもあり、テロ対策等での危機管理面では不安もあります。

 1964年10月10日、東京に於いて、アジアで初めてオリンピックが開催されました。 
そのとき、真っ青な空に高々と聖火を灯した聖火最終ランナー
坂井 義則氏 (当時早大競走部 )は、1945年8月6日、広島に生まれました。・・・そうです・・・世界で初めて原子爆弾が投下されたその日、その地に生を受けた人が、戦後19年を経た後、恒久の世界平和の願いを込めて、最終ランナーとしての大役を務めたのです。

 そんな話をしてあげれば、1時間の授業なんて、きっとあっという間に終わってしまいますね・・

 ちなみに今朝のスポーツ新聞では、愚直なばかりに押して押して押しまくる相撲で人気を博し「猛牛」と呼ばれて親しまれた 元横綱 琴桜 が亡くなったという記事が出ていました。
つい最近、琴光喜の大関昇進の席に姿があり、元気そうに見えたのですが・・・
怪我に悩まされた努力の人で、「土俵の怪我は土俵で治せ」という信念のもと、元大関 琴風、元関脇 琴錦などの名力士を育てました。
 今、大騒ぎになっている「朝青龍の事件」など、今の相撲界を憂いて、さぞ心残りだったことでしょう・・・

 また、夏の甲子園大会が行なわれていますが、春の大会準決勝であの怪物 江川 卓と投げ勝ち、そして夏は優勝した広島商業のピッチャー、佃 正樹氏が亡くなりました。
その時、バッテリーを組んでいたのが、元広島カープ監督の達川 光男氏です。まだ52才という若さでした。

 毎年8月15日正午、夏の甲子園大会は一時中断し、選手・観客ともに黙祷を捧げます。
形ばかりでなく、なんのための黙祷か、しっかり教えなければなりません。
 
 戦争は、自分や家族の命、財産ばかりでなく、夢も希望も人間らしい心もなにかもすべて奪ってしまいます。

二度と同じ過ちを繰り返してはいけません。

  ・・・黙祷・・・
 
 

Posted by bravebees at 13:55 | 教育 | この記事のURL
CANPAN・・・って? [2007年08月14日(火)]
 全国的に、8/13.14.15はお盆休みのところが多く、いつもは足の踏み場もないほど混んでいる田園都市線もかなり空いており、昨日今日と二日続けて途中から座ることができました。 
 
 通勤には行き帰りで3時間ほどかかります。
一日24時間のうち、1/8は電車に乗っているわけですから、この時間を無駄にしないために、読書をしたり、英会話(中学生1年レベル)を聞いたりすることを心がけています。
三日坊主で終わらないようにガンバロー
 
 さて、本日は下記のようにシステムメンテナンスがあり、17時以降、CANPANブログを見ることができなくなります。
 特に関係はないのですが、今日はアフリカ報告はお休みです。


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いつも日本財団公益コミュニティサイトCANPANをご利用
いただきありがとうございます。
以下の時間帯で、CANPANシステムメンテナンスを実施
させていただきます。
 ■CANPANシステムメンテナンス時間帯■
   2007年8月14日(火) 17:00-26:00
上記時間帯で、CANPAN・CANPANブログ・CANPAN CSR
プラスの閲覧ができない状態となります。
ユーザの皆さまにはご迷惑をお掛け致しますが、何卒
ご了承くださいますようお願いします。
**************************************************

 さて、このBLOGを読んでいる方は、ページのところどころにCANPAN(カンパン)という文字があるのにお気づきだと思います。
CANPANとは英語で「できる」という意味の“Can”、「万能薬」という意味の“Panacea”から“Pan”を取り、それらを組み合わせて創作した言葉です。

 NPOのウェブサイト、地方自治体の廊下にある掲示板、社会貢献を行なう企業や個人のボランティアなど、日本国内に点在している「公益」に関する膨大な情報を共有し一覧できる場所・・・このようなサイトがあれば日本はもっと元気になるのでは?
そんな思いを実現させるためのサイトがCANPANです。

 実際、ご覧になればわかる通り、ボランティア活動に関する内容やNPOでのイベントのお知らせなど、全国各地で行なわれているさまざまな「公益」に関連する活動を紹介しているBLOGが満載です。

 興味のある方はぜひ、一度のぞいて見てください。
まずは、このBLOGの左下にある “CANPAN BLOG”をクリックしてみると、あなたの世界が広がるかもしれません。

 詳細は、日本財団HPをご覧ください。

 http://www.nippon-foundation.or.jp/ 

Posted by bravebees at 13:31 | 財団 | この記事のURL
4WDの威力! [2007年08月13日(月)]
 マダガスカルは、長い間フランスの植民地としての歴史が続きましたが、1960年に独立を宣言しました。日本の1,6倍の面積があり、民族はアフリカ大陸系とマレー系に分かれます。明らかにマダガスカル島のアフリカ大陸側とインド洋側では人の顔つきが違い、水田も多く、田園風景は古き日本の農村を思わせます。

 マダガスカルのの公用語はマダガスカル語とフランス語です。
(2007年4月、英語も公用語とされました)
日本財団の職員は、皆、英語が堪能で、英語が公用語であるマラウィでは通訳は必要なかったのですが、今回ばかりはさすがに依頼することにしました。


<通訳の二人。左からGersica(ジェシカ)とJino(ジノ)>
 
 Gersica(ジェシカ…女性)とJino(ジノ…男性)です。

 二人とも現地の日本語学校で日本語を学び、荷物を運んだり、チェックインを済ませたり、通訳以外の仕事も手伝ってくれて、たいへん助かりました。

写真を見てもわかるように、二人とも明らかにマレー系の顔立ちをしており、人柄もとてもよい好人物でした。

 6月20日、我々はマダガスカル訪問のクライマックスである
「マリードラパッション小学校」へと向かいました。

 ムルンダヴァから陸路移動で190kmの山奥にある、ベレーブという村が目的地です。
普通ならば2時間ほどで着く距離ですが、何せここはアフリカ大陸。道なき道をひたすら走り、身体は常に前後上下左右に揺れながらの4WDでの旅です。
神父とシスターが乗る1台を加えて、合計9台を連ねての大移動となりました。


<途中の村でひと休み。中央は神父様>


 アフリカに来て4WDの凄さを始めて知りました。
とにかく凄い!  の一言!
時には、川の浅瀬を走ったり…岩場を登ったり…日本で走っている4WDが可哀想になるくらいの八面六臂の大活躍でした。
やっぱり適材適所というか、活躍できる場を作ってあげるということは、車でも人間でも同じですね。4WDが何気に誇らしい顔つきをしているように見えました。

<4WDの威力は凄い。川を渡っています。>



<道なき道をひた走る>




 
JICAの活動…マダガスカル [2007年08月10日(金)]
 マラウィ編でも、現地でのJICAの活動を紹介しましたが、マダガスカルでも日本人が活躍しています。
 マラウィでは、1971年からJICAの隊員派遣が始まったのですが、マダガスカルでのJICAの活動はまだ歴史が浅く、国内での政治的混乱もあったことから、2002年末から始まりました。
 しかし、派遣された隊員はマラウィに負けず劣らず、献身的にマダガスカルでの支援活動に苦心しています。
 
 我々がアンツィラベで視察した職業訓練校(ビジットセンター)にも女性のJICA隊員がおり、教科書やノートを買うお金がなく、ストリートチルドレン化しそうな子どもたちにマダガスカル刺繍の技術を指導していました。

<作業中の少女たち>


 施設内では小学生の授業も実施していましたが、なぜか一人ポツンと建物の外にたたずんでいる少年が気になりました。

<ポツンと寂しそうでした>



<変な日本語を教えている訳ではありませんよねっ!>


 また、JICAは、保健衛生面での啓蒙活動も行なっており、“手を洗おう”というポスターやTシャツを作って、子どもたちに実践を促しています。

<教室に掲示してあったポスター>


<食堂の壁>



ランチタイムコンサート [2007年08月08日(水)]
 日本財団では若手演奏家への発表機会提供のため、また近隣にお勤めの方々に対する地域貢献活動として、昼休みの時間帯にランチタイムコンサートを開催しています。
カジュアルな雰囲気のロビーコンサートで、毎回100〜150名ほどのお客様がお集まりくださっています。

 場所は日本財団ビル1Fロビー。ロビーは三角形になっており、普段はお客様との打合せのスペースですが、公益につながるイベントの場にも役立てられています。

 「船の舳先(Bow)」を思わせるこのロビーにおいでいただいたお客様を「笑顔」で迎え、案内し(Bow)、知・芸術・文化の大海原を、同じ船に乗り合わせた皆様と一緒に力をあわせて航海していきたい、という思いを込めて、そこは「バウルーム(Bow Room)」と名付けられています。

 毎月第2,4水曜日。12:10〜12:50までの40分間のコンサートですが、今日も大勢のお客様がおいでになり、用意した椅子が足りずに追加をしました。

 公益ボランティア支援グループが担当しているイベントなので、私も入り口ドアの開け閉めとプログラム配布などのお手伝いをしましたが、昼休みのひと時、美しいピアノの音色を聞きながら穏やかにすごすという、今までの私の人生にないロマンの世界がそこにはありました。


<第87回ランチコンサート 本日の演奏者 酒井有彩さん>

 日本財団ビルは、港区赤坂にあります。すぐ近くには国会議事堂首相官邸アメリカ大使館など警備対象のBigな建築物が存在しており、財団前の外堀通りには機動隊が常駐しています。
(それを見るたびに、学生時代、大学前に機動隊がバスに乗って常駐していたのを思い出します…)
 
 ランチタイムコンサートの合間、バウルームから外で警備中の機動隊の姿を見かけるたびに、「どう見ても自分はあっちの方が雰囲気だよな…」などと不謹慎な想いが頭をよぎりました。

 なお、次回のランチタイムコンサートですが、
8月22日(水) 12:10〜12:50 
 「ピアノデュオ
LIVE
の予定です。
お近くに来る予定のある方はぜひお立ち寄りください。

※同時に、全国各地の福祉施設で作られたステキな商品を取り寄せ、その販売も行なっています。
 ぜひ、ご利用ください。
Posted by bravebees at 17:00 | 財団 | この記事のURL
物乞いとプスプス [2007年08月07日(火)]
 6月17日、シスター遠藤のお墓参りを済ませた我々は、バスでAntsirabe(アンツィラベ)に向かいました。
 マラウィは日本と同じで、車は右ハンドル・左側通行ですが、マダガスカルは逆で、乗っていてなんとなく違和感があります。山道を延々と走り続け、あたりは真っ暗。電力事情が悪いのか、家々が見えてきても街中はかなり暗く、8時過ぎにやっとホテルに到着しました。

 バスを降りると、白い大きな布を持った数人が我々を待ち受けています。
「あ〜、歓迎してくれてるんだ…」と一瞬思いましたが、すぐにそれは大きな勘違いだと気づきます。彼らは観光客相手に刺繍を施した布を売りつけようとした商人たちでした
それを歓迎と勘違いするとは…無知というのは恐ろしいものです。

我々の到着時刻がわかるはずもなく、彼らは、外国人が泊まるホテル近辺で、延々と観光客が到着するのを待ち続けているのです。そして、そこまでしなければ彼らには収入の当てがないということにもつながります。

<早朝のホテル前の様子・・左側がホテル>

 翌朝、目が覚めて(最近、結構朝は早いのです)外を見ると、子どもを含む何人もの人たちがホテル前にたたずんでいます。例外なく、ボロ布のような服を纏い、全員裸足です。恐らく弟妹でしょう、小さい赤ちゃんを背負った少年、女性、老人…さまざまな人たちがホテルから人が出てくるのを待ち構えています。

 そのホテルでは、朝食をとるために一度玄関から外へ出て食堂へ入るのですが、彼らはすぐに近づいてきて声を掛けてきます。言葉はわかりませんが、その雰囲気から明らかに物乞いです。
 私にはまず赤ちゃんを背負った少年が近づいてきました。次にその少年より少し幼い男の子、そして、最後に少し離れたところにポツンと立っていた小柄な女性がやってきました。
無碍もなく断り様子を見ていると、驚くなかれその3人はなんと親子だったのです。

 早朝から親子で物乞いです・・・(父親らしき男はいませんでしたが)。
少年たちは窓越しに我々の朝食の様子をのぞき見しながら、しばらくホテル前をウロウロしていましたが、マダガスカルの貧困の一部を見たような気がして、なんともやりきれない気持ちになってしまいました。


<ジッと見つめる少年たち>


 だんだんと道を行き交う人が多くなり、日本でいう人力車がたくさん走っています。
こちらではプスプスというそうで、手軽で比較的安い値段で利用できるようです。

 マダガスカルはインフラ整備が遅れており、幹線道路も穴があちこちに開いており、運転手はそれを見事に避けながら走ります。しかも中心部に近づくと渋滞がひどく、プスプスはバイク感覚で近距離の移動に使われているようです。
 しかし、先ほどの物乞いをしている人々にとっては、到底利用することができない値段なのでしょう…


<街中を走るプスプス>



シスター遠藤 [2007年08月06日(月)]
小説家であり、日本財団前会長の曽野 綾子氏は、海外邦人宣教者活動援助後援会Japan Overseas Missionaries Assistance Society 通称JOMAS)というNGO組織により、海外で働くカトリック系の神父や修道女に対して、資金や物資の援助を行なっています。

 曽野さんとマダガスカルで働く日本人シスターとの関係は、1983年から84年にかけて毎日新聞の朝刊に連載された『時の止まった赤ん坊』『神様、それをお望みですか』に詳細にありますが、簡単に紹介すると次のようになります。
 
 曽野さんは『時の止まった赤ん坊』を執筆するに当たり、マダガスカルに3週間取材で滞在し、その際、取材協力を惜しまなかった日本人シスターの遠藤能子さん(当時、アヴェマリア産院で助産婦兼看護婦として働く)とその病院をモデルとし、一人の日本人修道女の生活を書き上げました。
 
 シスター遠藤として皆に慕われていた遠藤さんは、昨年6月のアフリカ実情調査の折、曽野さんらと再会する予定でしたが、事情によりアフリカ訪問が中止となり、再開は叶わず…。
そして同年12月、体調を崩していたシスター遠藤は、搬送中の救急車の中で天に召され、永遠の眠りについたのです。
 したがって今回のマダガスカル訪問のねらいの一つは、シスター遠藤のお墓参りも含まれていました。

 曽野さんを中心とした支援活動は1972年ごろから始まり、曽野さん個人のお金だけに限らず、全国から寄せられる寄附によってJOMASの支援活動は成り立っています。

 今回のアフリカ訪問での最大の難関であろうと思われる、ムルンダヴァから190kmの陸路移動(道なき道を4WDで移動する。予定行程時間は8時間ほど)の後、ベレーブという僻村にあるマリードラパッション小学校の建設にもJOMASが資金援助しており、その他、アフリカ各国への寄附総額たるや、ものすごい金額となります。

 現在、マダガスカルには2人の日本人シスターが滞在し、アンツィラベのアヴェマリア産院にはシスター牧野が、アンタナナリボの聖フランシスコ病院にはシスター平間が、献身的に働いていらっしゃいます。

<手前より S・牧野 曽野さん S・平間>


 両方の病院を視察させていただきましたが、どちらもたいへん清潔で、医療器具の不足は否めないものの、それを最大限活用しての医療には、国立病院など比較の対象にならないほど人々から信頼されています。また、そこにいるだけで人々が安らぐことのできる空間が存在していました。

 それら二つの病院では、命の尊厳さと生きる希望を感じることができましたが、それ以外に視察したほとんどの病院は、薬がないどころか医師がいないなど、絶望を感じざるを得ないアフリカの医療事情を垣間見ることができました。

 私もシスター遠藤の墓前に花を手向け、今までのシスターのご苦労を労い、これからの旅が無事に進むようお願いしました。

<シスター遠藤の墓前にて>

 
T I A (This is Africa) [2007年08月03日(金)]
 しばらく間が空いてしまいましたが、「アフリカ実情調査」の報告を再開したいと思います。

 6月17日、我々一向は、ヨハネスブルグからマダガスカルの首都、Antananarivo(アンタナナリボ)に向けて出発しました。
 前回、ヨハネスブルグでは「アフリカの洗礼」を浴びてしまいましたので、多少のトラブルは予想していましたが、比較的スムーズに出国手続きが終わり、ホッとして後は飛行機に乗り込むだけとなったのですが、同じゲートの我々の前の便が、時間が過ぎても一向に飛び立ちません。
なにかトラブルでも・・・と思いきや、予定時間を30分ほど過ぎた後、一人の女性がゆうゆうと現れ飛行機に乗り込みました。

 なんと飛行機は時間に遅れたその女性を待っていたのです…。
不思議だったのは、待っている他の客が文句を言うでもなく、さも普通の光景のようにこの状況を受け入れていたこと。
 
 我々はアフリカ滞在中、この件も含め時間にルーズだったり、予約していたことが約束通りに準備されていなかったりすることを “T I A”・・・(This is Africaの略)と半ば自嘲気味に、また合言葉のように何度も口にするようになるのです。

 「T I Aだから・・・仕方ないよ・・・」と口にすると、なんとなく怒りが消え、あきらめのつく魔法のような言葉でした。(かなりネガティブな発想ですが…)

 結局1時間ほど遅れて出発した我々は、午後2時過ぎにマダガスカル共和国に降り立ちました。

 マダガスカルに着いた我々の最初の予定は、「マリアの宣教者フランシスコ会」のシスターであり、昨年12月にお亡くなりになったシスター遠藤(能子)さんのお墓参りでした。

 次回は、日本財団前会長で小説家の曽野綾子さん(今回のアフリカ実情調査に同行)とマダガスカルで活動する日本人シスターとのつながりを紹介したいと思います。
科学体験コーナー [2007年08月02日(木)]
 昨日、日本科学協会がおこなう‘科学体験コーナー’の手伝いに行ってきました。

 この事業は日本財団受託事業であり、、日本財団が競艇場で実施する事業の一環として、子どもたちを対象として科学実験の体験コーナーを出展することにより、科学的素養の育成に努めることを目的としています。
また、日ごろ競艇場に馴染みのない人たちにも気軽に足を運んでもらおうという、もう一つのねらいもあります。

 毎年、日本全国の競艇場の中から4〜5の競艇場を会場としていますが、昨日行なわれたのは埼京線戸田公園駅が最寄駅の戸田競艇場です。
戸田競艇場は、やまと競艇学校の帰りに訪れた芦屋競艇場(福岡県)と同様、たいへんきれいな競艇場で、天気にも恵まれたくさんの子どもたちと保護者の方々が参加してくれました。


<普段は舟権売り場も、子どもたちでいっぱいです>


 実施形態はブース出展による個別体験方式で、昨日は12の出展アイテムがありました。
私が担当したのは“ふしぎなひも”というタイトルで、ひもを紙筒の中で組みあわせ、引っ張ると不思議に動く伝承的なおもちゃを作り楽しむアイテムです。


<4穴と6穴の紙筒 昨日は4穴のみ作成>


 子どもたちは、上の紐を引っ張ると、それに伴い下の紐が動くことが不思議で、「あれっ?」と声を上げ本当に不思議そうな顔をします。
 すぐに作らせたり、種明かしをするのではなく、「紙筒の中には、同じ長さの紐が二本使ってあるんだけど、どうなっていると思う??」と考えさせ、予想したものを紙に書かせます。
多くの子は、中で紐が交差している図を書くのですが、紐が中で交差している紙筒も用意してあり、試してみると違うことに気がつきます。
そこでやっと「じゃあ作ってみようか…」と始まるわけです。

 私はこういうものは子どもの頃から苦手で、多分どんな構造になっているかわからない子どもですし、考えるのが面倒くさくて、すぐにわからないといってしまうタイプです。

 たくさんの子どもたちと一緒に紙筒を作りましたが、いろいろな子どもがいて、すぐにギブアップする子、手伝ってもらうのが嫌いで、最後まで自分でやろうとする子、周りの子の出来が気になって仕方のない子など…
また、親にもいろいろなタイプの親がいて、待ちきれずにすぐ手伝ってしまう親、じっと見守る親、こちらが、そろそろ手伝ったほうがいいんじゃない…と思うほど何にもしない親など、いろいろな人間模様がありました。

 さて、みなさんはどんな構造になっているかおわかりですか…?
正解は最後にお教えしますので考えてみてください。

 昨日は天気もよく絶好のボート日和(?)
普段は競艇が行なわれている戸田競艇場の水面を、救命胴衣をつけ、日頃なかなか乗る機会のないボートに乗艇させてもらい、ご機嫌の子どもたちでした。


<颯爽と! グリーンのTシャツはイベントスタッフです>


 では正解の写真です。(写真は4穴のみですが…)
どうですか…?おわかりになりましたか…? 

Posted by bravebees at 16:04 | 財団 | この記事のURL
教育ソリューションフェア2007(V) [2007年08月01日(水)]
 7月26日(木)・27日(金)の二日間に渡って行われた「教育ソリューションフェア2007」ですが、夏休み中とあって全国からたくさんの先生方が参加していました。

私も教員ですので、会場の秋葉原UDX(JR秋葉原駅電気街口)近辺を歩いていても、人混みの中でもなぜか同業者は同じ匂いがします…。
海外でメガネをかけ、カメラをぶら下げて歩いているのは日本人だ…といった類の話なのですが、でもなぜか不思議と判るんです…

 さて、二日間で八つのセミナーに参加してきましたが、その中で、兵庫教育大学学長であり、中教審教員養成部会長でもある「梶田 叡一」先生の話はとても興味深いものでした。

 中央教育審議会は、内閣が変わろうが文部科学大臣が変わろうが、様々な教育の専門家が関わり、継続して日本の教育について舵取りをしていく場です。

しかしながら、現内閣総理大臣のひと言で、私的諮問機関ということで「教育再生会議」なるものが突如として現れ、そこでの話の内容が、マスコミに大々的に取り上げられ、あたかもそれが国の教育を動かしていくかのようなとんでもない誤解を与えています。

はっきりいって、なんとかしてくださいよ・・・です。

 再生会議のメンバーの一人が参議院選に立候補したということもあり、また、選挙前ということもあり、梶田先生は慎重に言葉を選びながらお話をなさっていましたが、私の受けた印象は、『なにが再生だよ・・・』という雰囲気を感じました。

 講演の内容は大きく分けて、
@予算の問題について
 小泉内閣以降、教育と福祉予算が削減されている。
 削減するにしても、他予算と比較して順番があるだろう…
 国が税金を使って面倒を見るべきものである。
A中教審答申について
 教員政策・教員免許の更新など
B学習指導要領について          でした。

私は今、財団にいますが、教育関係のニュースにアンテナを高くして情報収集しなければならないなと強く感じた二日間でした。

 
 
Posted by bravebees at 22:20 | 教育 | この記事のURL
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