196滋賀県・安曇川・・・・・・・・・聖人の里に藤の樹陽炎の [2009年03月09日(Mon)]
近江聖人・中江藤樹は慶長13年(1608年)、現在の滋賀県高島市安曇川町上小川の農家に生まれた。勉学に励んで四国の小藩に仕え、帰郷して里人らに儒学を教えて41歳で没した。簡単に書けばこれだけのことであるが、その短命を思うと、死後「聖人」と称えられたことは驚嘆に値する。いかなる人格者であったのか、また聖人を生んだ安曇川(あどかわ)とはどのような風土の地か、やはり出かけて、その空気に触れてみる必要があろう。
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JR湖西線の安曇川駅前には、裃姿の聖人が端然と座っておられる。眼光強く額の大きい丸顔は、私の友人の獣医さんに似ていなくもない。「藤樹道」と彫り込んだ古い道標とともに、イラスト入りの「よえもんさん通り」と書いた看板もある。その道を行くと「五事を正す」「父母の恩徳は天よりもたかく、海よりもふかし」といった藤樹の教えが、解説版となって道案内してくれる。
神社があり記念館があり、墓所がある。すべてに「藤樹」が冠付けされている。そうやって「よえもんさんの里」上小川に導かれた。驚かされたのは、その集落の佇まいである。鎮守様の参道なのだろう、広い通りがまっすぐ貫き、静謐である。家々は豊かに手入れされて気品さえ漂っている。さすがに「聖人の里」というべきか。
通りのなかほどに「藤樹書院」がある。正確には「跡」である。明治期に再建されたからだが、場所は元来の屋敷内から移っていない。四国・大洲藩に仕えていた27歳の藤樹は、郷里で独り暮らす母親を想い脱藩、生家で私塾を開く。死去するまでの10余年、集い来る門人たちに教え、聖人として祀られることになる。
日本陽明学の祖と呼ばれるその学問体系は知らない。「貌・言・視・聴・思」の五事を正せと教え、その到達域である「致良知」を説いたとの記念館などの展示を観ていると、何やら人の道を説く倫理の説教師のようである。自らがそのことを実践した徳の篤い人だったのだろう。
私がなぜこうやって藤樹に執着しているかというと、小学校の、それも低学年のころのことだ。学校の図書館で読んだ「偉人伝」の中に、中江藤樹が含まれていて、それによって「偉人といえば中江藤樹」と刷り込まれたのである。雪景色があった。幼い与右衛門が真摯に学問に取り組む雪景色の挿絵が、今もうっすら蘇って来る。
かといってその事績を理解したとは思えず、教えに従ったことも無い俗人の私ではあるが、その清らかな生き様に感じるところがあるのだろう、今もその名を聞くと、自ずから居住まいを正している。門人たちが敬慕を込めて呼んだ「藤樹」には、私の名と重なる文字が二つ含まれている縁にも、勝手に意味を観ているのかもしれない。
湖東は商人を排出し、湖西は学者を生んだ。比良の山塊が日を陰らせるのか、琵琶湖に注ぐ川を北へ渡るごとに気温が1度ずつ下がって行くという湖西は、なるほど学問を醸すにふさわしい土地柄なのだろう。それは上小川の集落を歩いて納得できたような気がする。書院跡に隣接した「良知館」には、陽明学の本家・中国江南の地から、今も学徒が訪れることがあるという。 信州ではアヅミと読む「安曇」は、古代の種族名なのだという。渥美、安積、熱海など、同根の地名を紡ぐとその痕跡は全国に広がる。どのような集団だったのだろうか、茫漠として捉え様がない。(2009.1.29−30)
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Posted by
街歩人
at 20:05
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近畿
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