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174和歌山県・町石道・・・・・・・町石と語らいながら参詣道 [2008年11月07日(金)]

「八町坂」を登り切ると、石造りの鳥居が2基、並んで建っていて、周囲が小さなテラス状の展望スペースになっていた。「町石道」をたどって高野詣に向かう人々が、高野山奥の院・丹生都比売神社をここから遥拝するのだといい、それにふさわしい晴れ晴れとした眺望である。神社はどこにあるのかよくわからないけれど、盆地全体が神域であると考えれば、手のひらでそっと掬い取ることができるような、何やらありがたく見える眺めである。
展望テラスの裏を、八町坂とは別に登って来る山路がある。高野山への表参道「町石(ちょういし)道」だ。熊野古道とともに世界遺産に登録されている信仰の道である。1町(109メートル)ごとに道しるべ(町石)が建てられていて、麓の慈尊院から高野山まで180基あるというから、ざっと20キロの道のりということになる。その道を若者が一人、息を切らせて登って来た。

「大門までいくのですか」「ええ」「ここまでの道はきつかったですか」「結構、大変でした」「僕は丹生都比売神社から来たのですが、やはり急でしたね」「そっちの道も険しいと書いてありましたね」「では気をつけて、がんばってね」「ありがとうございます」

ということで彼は高野山を、私は麓を目指して歩き始めた。あまり手入れの行き届いていない杉林の中を、よく整備された道が続いている。そして思い出したように、細い石柱が現れる。深閑とした山中だけに、人の匂いに出逢ったような安堵を覚える。石柱はおおむね似た形をしているが、時代や寄進者によって、デザインはいくらか異なっているようだ。

私には信仰心というものがないから、高野山を信仰の対象として考えたことはない。しかし昔から多くの人々が、ここを聖地とあがめ、吸い寄せられるように山道を登って行ったということには強く惹かれるものがある。人はなぜ、神や仏に心を寄せ、すがり、安堵を得ようとするのだろうか。「信じる」ということのできない私にとって、そのことが興趣の尽きない謎なのである。

宗教は、しょせんは人が考え出した「教え」に過ぎない。そこに身も心も委ねてしまうなどシャクではないかと、不遜な考えから私は解脱できないでいるのである。しかし多くの、あまりに多くの人々が信仰心を持ち、宗教によって社会は動き、時代は推移して来たことは歴史の事実だ。このことをどう理解したらいいのか。

ずいぶん多くの寺社を訪ね、聖地といわれる地も歩いて来たつもりだが、いまだに結論は出ない。町石道はそうしたことを考えて歩くには格好の雰囲気ではあったけれど、フィトンチッドを思うがままに吸って、ルンルンとした気分で山を下った私は、まだまだ未熟なのである。

それにしても急坂である。私は下りだからいいようなものの、途中ですれ違った老夫婦に「大門はまだ遠いでしょうか」と尋ねられたときには絶句した。あのお二人は、無事に高野山までたどり着けただろうか。

丹生官省符神社を経て慈尊院にたどり着き、私は念願の行程を歩き終えた。慈尊院は弘法大師の母が晩年を暮らした女人高野で、高野山の下界事務所のような役割を果たしていたようだ。「プロデューサー空海」の偉大さを体感した一日だった。
(2008.9.3)
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