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173和歌山県・天野B・・・・・・窃やかに西行暮すと人の言ふ [2008年11月06日(木)]

和歌山県かつらぎ町天野の丹生都比売神社。私のバスと同時に到着したワゴン車の人たちが、ぞろぞろと参拝に向かっている。幼女もいるから4世代ほどの家族だろうか、腰の深く折れ曲がったおじいさんを労わりながら、楼門で深々とお参りしている。遍路装束の中年男性が菅笠姿でやって来て、足早に参拝を済ませ立ち去って行った。支配しているのは静寂である。私は朱の太鼓橋に登り、写真を撮りまくっている。
こんな鄙びた山里に、驚くばかり豪壮な、そして雅びな社である。秘密は「丹生」であろう。「丹」は「朱」のことであり、古代、朱を採る朱砂の鉱脈のあるところ、丹生の神が祀られて行った。水銀の原料ともなる朱は古代の重要資源であり、それを扱う職能集団は畏敬の対象であっただろう。丹生都比売大神は、そうした丹生一族が祀る女神なのだ。

水の神でもある丹生神社は全国の川筋に88社。さらに丹生都比売を祭神とする神社は180社にのぼるといい、ここはその総本社だから「雅び」であることは当然である。神社の由緒書きによれば創建は1700年前に遡る。とすれば女神の子・高野御子大神が狩人に化身して空海を高野山に導き、真言密教の総本山を開かせたという高野山の開創伝説などは、つい近年の出来事になる。

丹生都比売の神領をいただいた空海。丹生一族とのただごとではない歴史がこの静寂の中に眠っている。生臭さ漂うそうした繋がりも、これだけの時間が経過すれば風化して、あとは歴史という名の枯葉が堆積するのである。そんな思いで鎮座する4座の神々にご挨拶した。

稲穂が揺れる平坦な野に見えた天野だが、やはり山中である。緩い起伏の中に人々の暮らしが続き、窃(ひそ)やかな歴史が埋もれている。「密か」ではなく「窃か」の表現を使いたい気分なのである。例えば西行の妻子がここに隠れ住み、晩年の西行も女人禁制の高野山を下りてともに暮らしたという伝説である。真偽はともかく、そうした窃やかな物語が似合う里なのである。

農家の奥の竹薮の中に、崩れんばかりに建つ「院の墓」もそうした思いを深めてくれる。鳥羽天皇の皇后・待賢門院に仕えた中納言の局の墓と伝えられる。西行と親しかったとされる局である。「親しかった」とはいかなる関係か。気の置けない、ともに歌を楽しむ女友達、といった大らかな間柄であってほしい。

その墓から先、山道に分け入って行く一筋が続いている。間もなく里の気配は途絶え、道は急峻になって行く。「八町坂」というらしい。ひとたび雨が降れば、たちまち沢となるに違いない。登りに弱い私が、懸命に登り続けている。登り切ったところに建っているはずの「二つ鳥居」を目指しているのである。紀ノ川のほとりから町石道を登って高野山を目指す人々が、途中、そこから丹生都比売神社を遥拝したのである。

私は二つ鳥居を本日の最高地点として、あとは町石道を麓まで下る計画なのだ。当初は高野山大門と紀ノ川を結ぶ全行程を踏破しようと意気込んでいたのだが、むしろ「天野」こそが目的地となり、しかも夜には東京に帰り着かなければならない。脚力の限界を知る私は、当初計画を半分に圧縮したのである。
(2008.9.3)
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