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何歳になってもやる気があれば学びを追求することはできるのですね[2017年04月24日(Mon)]
 琉球新聞3月30日付け「「学校素晴らしい」83歳前原さん、中学卒業」から、読谷村大湾に住む前原苗子さん(83)が16日、古堅中学校の卒業証書を手にした。前原さんは「中学の卒業証書だけは何とか欲しかった。楽しい時間を過ごせた。やっぱり学校は素晴らしい」と話し、笑顔を見せた。前原さんは1933年に北谷村(現北谷町)下勢頭に生まれた。北谷国民学校初等科6年だった1945年、沖縄戦が始まり艦砲に追われて沖縄市山内の壕に避難し、そのまま米軍に保護された。戦後、両親と姉、妹の5人で沖縄市越来に移り住み越来中に進学した。しかし、戦後の仕事不足に加え、高齢のため働き口が見つからない両親に代わり家計を支えようと、14歳で働くことを決めた。「先生や同級生が、学校に来るよう説得に来た。越来中を造るとき、私も地ならしを手伝ったから思い入れがあったが、働くしかなかった」と振り返る。米軍施設の清掃作業員から始まりウエートレス、レジ係など30年近く米軍基地で働き生計を立てた。やがて、読谷村大湾に家を買って民間会社に移ったが、5人の子どもを育てるため働き続けた。退職後も民泊を営むなど、ずっと働き詰めだったという。中学卒業の夢をかなえることができたのは80歳が目前に迫った2012年、めいの仲栄真恵美子さんの勧めがきっかけだった。仲栄真さんは新聞記事で、県が戦中・戦後の混乱で義務教育が終えられなかった人を対象に実施している「義務教育未修了者支援事業」を知り、県教委に相談。前原さんは79歳で、沖縄市美里の意伸学院美里本校に通うことが決まった。仕事の関係で休学した時期もあったが、5年をかけて念願の卒業証書を手にした。前原さんは今後、漢検4級と英検4級取得を目指し勉強を続けるという。「学院では学生に戻った気分で、同級生同士ライバル心もあった。卒業証書を受け取ったとき、もっと授業があればいいのにと思った」。瞳をキラキラと輝かせながら、向学心は尽きない。084.JPG

 戦争のために中学校に進むことができなかった過去を払しょくしたのでしょうか。戦争ばかりでなく生活のために仕事しなければならず、勉強したいという想いをかなえることができなかった過去を恨むこともなく、やる気があれば何歳になっても学ぶことができることが分かりました。不登校で学校に通うことができない子どもたちにも学びの場が提供されないでしょうか。学校に通うことが難しければ、もう少し自由な雰囲気で制度上も緩いフリースクールを学校と同じ位置づけにできないものでしょうか。すべての人たちの学びを保障する制度があってもいいのではないでしょうか。これから海外から訪れるかもしれない移民にも平等に教育の場を提供して世界中で活躍する人材を輩出することは日本にとってプラスになるでしょう。何歳になってどこでも学ぶことができる社会になればすばらしいのではないでしょうか。079.JPG
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