vol.3 竹井善昭氏 [2011年04月02日(土)]
このインタビューは2011年3月3日に行われました。
Gakuvo De Column第3弾は社会貢献活動情報の発信を広く行っており、
かつボランティア団体とつながりのある竹井善昭氏です。
学生時代は学生企画屋。
ボランティアなんて興味なかった。
-竹井さんの学生時代を教えて下さい。
「僕らの時代はキャンパスブームだった。大学はレジャーランド。僕自身は学生企画屋をやっていました。具体的にはキャンパスイベントやキャンパスペーパーなど広告代理店のようなことです。
もともとは音楽をやりたかったんだけど、周りのレベルが高過ぎて(笑)それで僕は裏方の仕事をしていました。ボランティアや社会貢献なんてまったく流行ってなくて、僕自身も関心がなかった」
-では社会貢献を始めたきっかけは?
「3〜4年ぐらい前から『社会貢献くるんじゃないか?』って思い始めたんです。僕自身はマーケティングのプランナーやメディアのプロデュースなどをやっていたけど、社会起業家たちののことを読んで、負けたと。
僕にはない発想力ばかりで思いつかなかったから。『こいつらすごい』って、マネし始めた(笑)それで『企業の力が社会を変えるのでは?』って思ったんです。
そのへんが社会貢献を始めたきっかけですね」
今なら世界を変えられる
-竹井さんを駆り立てるのものとは?
「世界を変えられる確信。小学生のときに『革命家になりたい』って思って、今も『世界を変える』という志は持っています。今なんですよ。多くの若い人たちがボランティアや社会貢献に取り組んでいる今現在なら世界を変えられると思いますね」
大事なのはマーケティングとイノベーション
-社会貢献に興味がない人たちを振り向かせる方法は?
「社会貢献に興味がない人たちはどういう人たちなのか。なにに興味があるのか。どこが入り口なのか。まぁマーケティングですね。大事なのはマーケティングとイノベーション。
日本ではマーケティングというと販売促進のイメージが強いですが、本来は言葉通り、新しいマーケット(市場)をつくること。そして、どのようにして物事・商品・サービスは世の中に広がっていくのかというイノベーション。突き詰めればこの2つなんです。
まぁマーケティングなんて1日で学べますけど、ものにするのには一生かかる。でも実践は大変だけど、基礎は一生使える技ですから」
国を愛すること
覚悟を決めること
根性をもつこと
-ご自身の本に書かれている、おじいさまの教えというものは?
「思いは叶うということですね。あとは祖国を愛すること。
母から聞いていた、宗教家の祖父の話は僕自身の社会貢献にもつながっていると思いますね」
-では竹井さんご自身が若者たちに伝えたい教えはありますか。
「祖父から教わったことですかね。国を愛しなさい。なにかするなら覚悟を決めなさい。
あとは小さなことだけど、40度の熱があっても這ってでも仕事に行きなさい。根性ってことです。プロ意識ですね。
あとは武器を取れということ。今の若者にはソーシャルビジネス・社会貢献という武器があるのだから」
インタビューを終えて・・・
今回の竹井さんのお話と、第一回目に登場された笹川会長と共通する所があって驚きました。
竹井 善昭(たけい よしあき)プロフィール
株式会社ソーシャルプランニング代表。
1957年生まれ。20代の頃から、マーケティング・プランナーとしてファッションから飲食、インターネット、番組制作といった時代の流行を追う仕事に幅広く従事。50歳を迎えたあるとき、社会貢献活動に目覚め、本業もCSR、コーズ・マーケティング、ソーシャルビジネスに特化する。東日本大震災発生の翌日に、東北復興支援プロジェクト「Tohoku Rising」を立ち上げ活動中。教育支援NGO『Room to Read』開発委員会共同リーダーも務める。
【著書】「社会貢献でメシを食う。」ダイヤモンド社
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at 14:56
vol.2 原田燎太郎氏 [2010年12月25日(土)]
Gakuvo De Colum第2弾は中国のハンセン病回復者村(かつてハンセン病を患い今は治癒している人々が暮らす村)で
中国人学生を巻き込んだワークキャンプ(労働奉仕ボランティア)をコーディネートする
中国NGO「家―JIA」事務局長の原田燎太郎氏です。
あんまりボランティアって好きじゃなくて、
活動を通して色々な人が繋がっていくっていうのがいいと思うから。
まずは、中国で精力的に活動されている原田さんですが、原田さんの「ボランティア」観ってどんなものですか?
あんまりボランティアっていう言葉は好きじゃなくて、そんな事より活動を通して色々な人が繋がっていくことが面白い。
その中でお互いが助け助けられ、支え合う事で繋がって、そこから色々なエネルギーが生まれてくる。それが段々いろいろな人に伝わってさらに大勢の人と繋がっていく。だからボランティアというよりそういう「繋がりを作る活動」をしているって考えているかな。
ハンセン病に取組んでいる理由もそれがそういったテイム(tame)が作りやすいから。
* テイム・・・絆を結ぶ。自然に仲良くなるのではなく、仲の良い関係を意志をもってつくっていこうとすること
ハンセン病に対して始めて触れた時の感想は
「おっかなかった」
ハンセン病を知ったきっかけは?
2001年9月にハンセン病回復者の講演会のお手伝いしたんだけど、その時はハンセンに全然興味はなかった。
話聞いて「おっかねーなー。こんなのあるんだ」って思っただけだった。
その後何することもなく就職活動を始めた。
就職活動の時に、昔いじめられたから「差別をなくす様な記者になりたい」とエントリーシートに書いたんだけど、なんか嘘くさいなって思った。
自分の中に差別があったら、自分の思ってる記者にはなれないと思ってた。
あと、学生時代ドイツ行ったりフィリピン行ったり、意味わからないことしてたから面接で話せる事が一個もなかったのよ。(笑)
だから、ひとつは差別があるかないか自分自身を試すため。ふたつめは就職活動のネタ作り。その目的で中国広東省のハンセン病回復村でのワークキャンプに参加した。
ハンセン病に対して始めて触れた時はどうでした?
おっかなかった。
俺らがハンセン回復村に着いたら、村の人たちがバーッと車を囲んだんだ。それ見てすぐには車を降りられなかった。降りられなかった時間が1秒なのか数秒なのかわからないけど凄く躊躇して。ニーハオって挨拶したけど、握手したら偽善ぽいから握手はしなかった。
そのようなファーストインパクトで、その後一緒に生活するのは大変じゃなかったですか?
帰りたかったけど、帰るわけにはいかないし。(笑)だって隔離村だからね(笑)
夜、村の人が来て一緒に飲みましょうってことになって、筆談したんだ。けど彼が握ったペンを握る事にもためらった。
筆談で色々話してたら村人に、「うち来い」って言われて。なんかいつの間にか家に行ってた。
そこまでの抵抗感があるのは何故だったんでしょうか?
今思うと、あれは差別とか偏見じゃなくて、ある意味「異常」に奇麗な環境で過ごしていた学生だったから、ハンセン病回復村は不衛生だと言えば不衛生だったし、自分の地元で白人の人がいたらびっくりするじゃん? 自分と違う環境の人を見るとびっくりするという感覚とあんまりかわないのかもしれない。
そこで、突き放して排除するか、もしくは排除しないないで仲良くなるか。
そこで排除したら差別なんじゃないかなって今は考えてる。
その家に招いてくれた村人とも最終的には、その人の家にある写真見ながら理解できない広東語でずっと話してて(笑)。その時に、フィリピンのワークキャンプで出会った時に大好きだったおじいちゃんと何も変わらないなーって段々思えてきて、最後は普通に握手して帰ってきた。
若いうちの多感な時期を
社会色に染められてしまうのは勿体ない
「必ず就職をしないといけない」と考える今の大学生についてどう考えますか?
すぐ就職しないで、もうちょっと視野を広げたら? 若いんだし。
若い時期を会社に捧げてしまうのはもったいない。
バックパックでもいいし、なんかやりたいことがあるなら、それを存分にやるのもいい。
そのためにお金とか社会経験が必要だと思うけど、若いうちの多感な時期を社会色に染められてしまうのはもったいない。
今の社会貢献している大学生に対してメッセージを
なんかわかんないこと、不安なことをXで置いといて、とりあえずやってみる。
やっていくなかでなんか見えることがあるんじゃないかな。
今の学生は凄く不安そうに見える。その不安ともっとうまくやっていくこともできるんじゃないかと思う。
*現在ハンセン病は世界保健機関(WHO)の推奨する多剤併用療法により半年から1年の治療で治癒します。
原田 燎太郎(はらだ りょうたろう)プロフィール
大学卒業後、ボランティアとして中国広東省潮州市リンホウ村(ハンセン病快復村)に住み込み、潮州、広州、広西、雲南の大学にてワークキャンプへの参加を呼びかける。ワークキャンプ数の増加に伴い2004年8月、広州にてNGO JIAを設立。現在、同団体事務局長。2009年6月には、インドネシアのASEAN事務局にて活動を報告。
【賞罰】すぐれたボランティア活動を行う団体、個人に広州ボランティア協会(共産党青年団広州委員会所属協会)が授与する「十大傑出志願者」に、2009年外国籍の人物としては初めて選出される。
【著書】「中国・華南地方のワークキャンプ発展の前夜−「燎原之火」・ハンセン病快復者村ワークキャンプの軌跡」阿木幸男編著『ボランティアの原点』はる書房、「落葉帰根-中国の学生による中国のハンセン病快復者の里帰り」『ワークキャンプ-ボランティアの源流』早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター。
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at 19:41
vol.1 笹川陽平氏 [2010年05月20日(木)]
第1弾は、日本財団会長笹川陽平氏。
私たちGakuvoにとって身近な存在。笹川会長は、発展途上国など計109ヶ国の現場訪問で、ハンセン病をなくすための活動に取り組んでいる。同時に笹川会長は、若者におおいに期待しているという。その真意を知るため、インタビューしました。
どうやってうまく怠けるかばっかり
考えてきた
「僕は大学時代まったく勉強していません。麻雀屋に行って朝から晩まで麻雀をして家に帰るというのが日課でした」
そんな笹川会長が、今学生時代に戻れるなら一番やりたいこととは何なのだろうか…。
「恋愛だね(笑)。固かったからね、学生時代は。今思うと惜しいな、いくらでもチャンスはあったけどなぁ。あんまり女性に目もくれなかったからね」
笹川会長は大学でワンダーフォーゲル部に所属。だが、団体の幹部などは頼まれても絶対やらなかったという。
「どうやってうまく怠けるかばっかり考えてきたからね」
しかし、そこに笹川会長のリーダー論が潜んでいた。
「“俺が俺が”って言う人は自分が全部抱え込んじゃうから、人が育たない。だから僕みたいに、“私は何にも分かりません。だけど判断と決断だけは致します。判断をして決断の責任は私が持ちます”という姿勢で、あとは他の人にやってもらう。一番楽でいいんだよ。しかし結果的にはそれが指導者なんだ」
(笑いが絶えないインタビュー)
あなた自身のために
やってほしい
社会貢献やボランティアに取り組む学生が共通して抱く疑問。
「この活動は誰のためにやっているのか?」 それについて笹川会長は…。
「あなた自身のためにやってほしいんだ。それが第一番だよ。組織のためだとかそんなこと考えないほうがいいよ。
1回しかない人生だから、充実した人生を歩むために、君たちが今の活動を選んでくれたと思うし。
お金が好きな人もいるけれども、やっぱり精神的な自分自身の達成感や、人に尽くしたという想いは金銭に換えられない。
それは、自分自身の人生に対してプラスになるんじゃないか。結局それが30年、50年経った時にその人の人間の幅を大きくするんだと思う。
だから人間形成の上から考えても、こういう活動はすごく必要なことだと僕は思う。素敵なことだよ。
相手に喜んでもらって、その喜びを通して自分自身の精神を満足させてもらってるわけだから。それを、人様のために助けてあげてるとか考えるのは間違い。堕落の始まり。
だから、極論を言えば自分自身のためにやっている」
しかし、ボランティアから利潤は生まれない。笹川会長にとってお金とは何なのか…。
「そもそも人生にとってお金って何なの?お金っていうのは、自分の人生のある夢を実現するために存在すると思う」
日本人としてのタスキを
次の君たちにバトンタッチ
社会貢献活動に取り組む今の学生に対して、率直な意見を聞いてみた。
「立派ですよ。それこそ僕らの学生時分なんて、安酒飲んで、たばこ吸って、目が真っ赤になるまで徹夜で麻雀して。そんなことばっかりしていたので。
今、少しでも社会の問題に目を向けて“何かやらなきゃいかん”という志をもっている人が出てきているというのは大変立派なこと。
だけど、その人たちを“あぁ、立派だな”と言ってほっといていいかって言うとそれはそうじゃない。
やっぱり我々が次の世代を担う人たちを育てる責任と義務がある。
人生は何かというと箱根駅伝のタスキなんだよ。宇宙的時間から言えば我々の人生80年、90年なんてまばたきするようなもんだろ。我々は、昔から続いてる日本人のDNAを運搬する係なんだ。
我々はもう死亡適齢期だから、日本人としてのタスキを次の君たちにバトンタッチしないといけない。
君らはしっかりタスキを掲げて日本人として次の世代にしっかりと受け継いでいく必要がある。
いつの時代も世の中を変えていくのは若い人たちなんだよ。
老人が革命を起こしたなんて聞いたことないだろ? だから若い人たちには無限の可能性があるんだ」
誰よりも海外を見てきた笹川会長が語る若者への期待。我々学生が社会を変えられるのかもしれない、いや変えていかなければならないと改めて痛感した。
最後に、この場を借りて、快くインタビューに応えてくださった笹川会長に御礼を申し上げます。
(「あふれるような情熱、どんな困難にも耐え忍ぶ忍耐力、そして絶対やり遂げるという継続性、この三つがなかったら何をやってもできません!」と会長。)
学生インタビュアー:(左から)加藤拓馬・山田久二裕・山崎雄太
笹川 陽平 (ささかわ ようへい)プロフィール
1939年1月8生 日本財団 会長、WHOハンセン病制圧特別大使、ハンセン病人権啓発大使(日本・外務省)、その他役職多数
【賞罰】 国際ガンジー賞受賞(2007年)、読売国際協力賞(2004年)、カンボジア王室勲章「コマンドール賞」(2003年)、マダガスカル共和国・国家勲章(2003年)、ハベル大統領記念栄誉賞(2001年)、WHOヘルス・フォア・オール金賞(1998年)、ロシア「友好勲章」(1996年)、その他多数
【主な著書】 「世界のハンセン病がなくなる日」(明石書店)「この国、あの国」(産経新聞社) 「二千年の歴史を鑑として」(日本僑報社)
「外務省の知らない世界の“素顔”」(産経新聞社)「人間として生きてほしいから」(海竜社) など
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at 15:53