CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 月一回の例会開催について。 | Main | 沖縄県民大会に来ています。 »
プロフィール

さんの画像
不登校を考える親と市民の会・沖縄
プロフィール
ブログ
<< 2012年05月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
カテゴリアーカイブ
最新記事
リンク集
http://blog.canpan.info/futoukou-oki/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/futoukou-oki/index2_0.xml
“納得いかないことはしない”[2007年09月28日(Fri)]
明日9月29日は「教科書検定意見撤回を求める県民大会」があります。
沖縄は日本の中で唯一地上戦があった場所であり、軍隊が民間人を守らないことを知っている土地です。

不登校やひきこもりをしている方たちは、自分が納得ができないことに対して意識的・無意識的に拒否をするというすばらしい感性を持っている方たちだと思っています。
それは、非行だと言われている行動をとる子どもたちについても、同様だと思います。ただ、表現の仕方が違うだけ。
不登校を否定的に見る人からは、「何を言っているんだ」と言われそうですが。
2005年8月15日付けFonte(旧不登校新聞)に載った記事を紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         “納得いかないことはしない”

実弾訓練、米軍事故、米兵暴力事件・・・終わらない沖縄の戦後

 戦後60年が過ぎて日本ではすっかり平和だと言われている感じがしますが、沖縄ではまだ戦争は終わっていないと思わざるを得ません。戦後米軍の占領下に置かれ、27年後やっと復帰ができ平和が訪れるはずでした。しかし、米軍基地はそのまま残り、現在日本国内の基地の75%が沖縄に集中しています。今でも不発弾が発見される度に、住民が一時避難して不発弾処理が行われています。

 昨年8月沖縄国際大学本館に普天間基地所属米軍ヘリが墜落しましたが、日米地位協定により沖縄の地元警察は事故現場に一歩も入ることができませんでした。普天間基地を沖縄県名護市辺野古に移転する話が出ていますが、ジュゴンの生息地でもある海域に移転することに地元は反対しています。今年7月、民間地や高速道から200メートルくらいしか離れていないところで米軍の実弾射撃演習が始まり、いつ弾が流れてくるか不安に思いながら住民は過ごしています。

 今年7月3日、小学生の女の子が米兵からわいせつ行為をされるという事件が起きたばかりですが、戦後沖縄では米兵によるレイプなどの暴力事件が頻繁に起こっています。まさに沖縄はまだアメリカの占領下にあるのではないかと錯覚する程です。人を殺す訓練をしている米兵が沖縄の民間地で事件を起こすことがどういうことなのか、県外には伝わりにくいのでしょうか。町村外相は「在日米軍があるからこそ日本の平和と安全が保たれている」と言い、戦争に力を貸す軍事基地を肯定しています。

 7月22日(金)「基地は沖縄のどこにも作らせない!!〜普天間基地閉鎖・辺野古断念を求める女たちの道ジュネー〜(主催:心に届け 女たちの声 ネットワーク)と題して沖縄県那覇市の国際通りを県内各地から集まった約150人が歩きました。私も参加しましたが、たまたま以前お会いしたことがあった知花幸子(67歳)さんも参加していました。幸子さんは「肩書きは全くありません。ただのおばぁです」と語る笑顔が素敵な人です。

 戦争中、国民は皇民化教育を受けており「天皇のため・国のために立派に死んできなさい」と学校の教師たちは生徒に教えていました。「生きて辱めを受けず・・・」という教えのために沖縄戦では多くの人が自ら命を絶ちました。このことを「集団自決」と呼ぶか「集団死」と呼ぶか議論が続いているのですが、どちらにしても日本軍から教えられたことを忠実に守った人たちが命を失ったのです。おかしいと思っていてもそれを口に出して言えない時代でした。戦場に教え子を送った教師たちは戦後「自分が子どもたちに教えていたことは間違っていた。二度と戦争をしてはならない」と思い、沖縄の復帰運動の原動力になりました。

 絶対に生きて帰ってきなさい

 幸子さんの義理の父寺次郎さんは教師をしていて、戦争中教え子を戦地に送るということを経験されました。その寺次郎さんの教え子の一人Sさんが出征する前夜、寺次郎さんの家を訪ねた時に、寺次郎さんは誰にも聞かれないように小さな声で「絶対に死なないで生きて帰ってきなさい」と言ったそうです。あの時代こんなことを言ったらどんな目に会うか、命をかけて伝えた言葉です。この話は生前寺次郎さんが家族に話すことはなく、寺次郎さんの死後Sさんから寺次郎さんのご家族宛に出された手紙の中に書かれていたそうです。Sさんは「先生のこの言葉があったから自分は生きて帰ることができた」と手紙に書いています。実際にその手紙を見せてもらいました。その中にはSさんの寺次郎先生との思い出が60・70年経っていても鮮明にぎっしりと書かれていて、今の学校からはとても想像できないものです。読ませてもらったあと私は言葉が出てきませんでした。

 教育とは恐ろしいもの

 幸子さんは久し振りにSさんの手紙を読んで「教育というものはすごい。そして恐ろしいもの」と思ったそうです。教育次第で良くも悪くもなる。教師や学校の話を鵜呑みにしないで、疑問を持ち、自分の頭で考えることが重要であるということは幸子さんと私に共通した思いです。「おかしいことはおかしい」と言える事、「自分らしく自分が安心できる場所で過ごすこと」が大事である事。

 「不登校」を選択した人、「不登校」にならざるをえなかった人、自分の身を守るために家にいることを選んだ人もみんな意識的・無意識的に納得いかないことはしない=Bその感覚を忘れることなく大切にして欲しい、そして日本がいつか来た道をたどりそうになったらその感覚を充分に生かして欲しいと思っています。(Fonte 2005年8月15日 沖縄/Y)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Posted by 不登校の親の会・沖縄 at 00:02 | 「不登校」の考え方 | この記事のURL
この記事のURL
http://blog.canpan.info/futoukou-oki/archive/27