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NPO法人ふたば理事長、中本正さんの戦争体験(つづき) [2012年11月08日(Thu)]
中本さんは昭和3年(1928年)に駒ヶ林で生まれ、
現在も駒ヶ林に住んでいます。

中本さんのお父さんは徴兵で支那事変(日中戦争)に
軍曹として参加していたそうですが、
中本さん自身は昭和18年10月、
15歳のとき、少年飛行兵になることを目指して
岐阜陸軍航空整備学校に15期生として入校しました。

お父さんと一緒に須磨から汽車に乗って
岐阜へ学科試験と体力試験を受けに向かう途中、
すすが目に入って一時的に片目が見えなくなってしまい、
試験では集中力に欠き不合格だと思ったそうですが、
結果は無事合格でした。

中本さんは、戦時期の国威発揚の雰囲気の中で、
国を守るために兵隊になるという意識は自然なことだったけれど、
今ではそのように意識させる教育のおそろしさを実感するそうです。

中本さんが入学して驚いたことは、
同期生全員が軍人勅諭を暗誦できたことでした
(「我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある。
昔、神武天皇躬[み]つから大伴、物部の兵どもを率ゐ、
中國[なかつくに]のまつろはぬものどもを討ち平げ給ひ・・・」
というふうに)。
あわてた中本さんは、消灯後に厠(かわや=便所)に行って、
そこで軍人勅諭を必死で覚えました。

中本さんは昭和20年3月、
少年飛行兵教育の課程修了時に陸軍上等兵、
6月には伍長となりました。
同期生の木村さんが作成したアルバムには、
中本さんの写真と「中本飛行兵」についての佐藤区隊長による
次のようなコメントが載っています。
「木村を努力家と言ふなら彼は生まれつき天才と言へやう」。

岐阜陸軍航空整備学校卒業後の進路は
第一から第三希望をすべて南方の激戦地にしましたが、
部隊の命令でかなえられませんでした。
中本さんは岐阜陸軍航空整備学校の東校の助手に任命されたのです。

国のために戦うという意志が強かったこともあり、
中本さんは進路希望について区隊長の佐藤さんに相談しました。
それでもしかし部隊の命令なのでどうする術もなく、
助手として18期生に教えることになりました。

助手になって中本さんは、
これだけはやめておこうと思ったことがあります。
それは生徒をむやみに殴らないということです。
というのも、中本さんが生徒だったときに
上官から殴られてばかりで疑問をもっていたからです。
たとえば、軍事教練のとき、編上靴(へんじょうか)が
汚れていれば殴られる。あるいは、だれかの銃(九九式短小銃)の
手入れが悪かったりすれば、全体責任で全員が殴られる。
ときには生徒が向かい合わせで互いにびんたをする
「対抗びんた」をさせられたそうです。

中本さんは京都の宿舎で終戦を迎えました。
島津製作所で精密機器を学ぶため京都にいたのです。
結局、実際の戦況はわからないまま戦争は終わりました。
戦争が終わって、新長田にもどってくると、
周りの見る目が「負けやがって」という
感じに変わっていたそうです。

中本さんの兄、一三(かずみ)さんは、
通信兵として戦場に出ていましたが、行方がわからず、
区役所に問い合わせると、後日、戦死公報が届けられました。
昭和19年11月、乗っていた軍用船が
アメリカの潜水艦に撃沈されたのです。
遺骨は杯が一個でした。
同月、中本さんのお母さんは
枕元に一三さんの姿を見たそうです。

以上。

ところで、
上記のようにお話を聞き書きしましたが、
そうしてみようと思ったのは、
六車由実著『驚きの介護民俗学』を読んだ影響もあります。
この本では、高齢者の話は「驚き」に満ちている、
ということが述べられています。
六車さんは(介護職員として利用者である)高齢者の話に
「たまらなく心が躍る」と書いているのですが、
私自身確かにそうだという実感があったので、
とても参考になりました。
その聞き書きのアプローチは、
介護における「回想法」とは異なる
「介護民俗学」というもので、
「こちらが予想もしなかった人生を背負って生きて
こられた方であることを知ったり」する際の
「驚き」がキーワードになっています。
そのとき話し手と聞き手の関係は、
「教える」・「学ぶ」となるようです。
「驚き」がそうした学びの関係を駆動する。
そう考えると、高齢者の方にお話を聞くことが
できるのはありがたいことだと思います。

(やまずみ)