二葉の今・昔 − 後編 [2016年02月08日(Mon)]
私立二葉幼稚園報告は明治33年から毎年作成されていますが、毎回必ず、「保姆」の項目があります。第2回の報告には平野保姆の様子が概略以下の様に記されています。
平野保姆は4月頃(明治34年)より病気がちでしたが、開設後人数が増えて転居したために、更に人数が増えてきたので、助手を探して採用したのでしたが、採用して4,5日後、まだ幼稚園のなんたるかもわからない時、無理を重ねていた平野氏がとうとう倒れてしまいました。急遽子どもは家に帰しましたが、平野氏の熱も下がらず、助手も勝ってもわかりませので、どうすることもできず、とうとう休園することにしました。 急遽適当な人を探しましたが見つからず、休園は3週間になってしまいました。平野氏の回復も進まず、代わりの者も見つからず、苦境にありましたが、この状況を見るに見かねて、四谷頌栄幼稚園の方が2名来てくださり、6月中旬より、7月中旬までご尽力いただき、開園することができました。しかし、子どもにしてみれば慣れ親しんだ平野先生ではなく、見知らない先生で戸惑いもあったようですが、幼稚園に来ることができることはこの上ない喜びのようでした。 各回の報告書には、保育者への様々な模様が報告されています。夏の保育をするようになったので、夏の2か月間は別に人を雇って保育者には休んでもらうようにする、とか、待遇は一人の質素なる衣食にもこと足りぬほどの有様なのに、大変熱心に働いてくださるので、感謝していることなど、書き記されています。 今日も社会福祉の世界では、人手不足は深刻な問題です。二葉の初年度の出来事は共感を持って受け止めることができます。 現在も保育や社会的養護のニーズは高いものがありますが、それらを担う人の質・量ともに不足しているのです。これは単に労働力不足から来る問題ではなく、根底にはこの種の労働に高い評価を与えない社会的背景から来る問題であると思います。 明治期はまだまだ職員養成ができていなかったので、安定的に職員を確保することは大変なことであったと想像しますが、今日のように、潜在的に多くの保育者がおり、社会福祉教育を受けたもの達が多数いるのですから、何らかの方法で解決しなければならないと思うのです。 社会福祉法人二葉保育園は、職員を大切にする集団でありたいと強く思いながら歩んでいます。今日の社会福祉制度の制約の中で、職員は必ずしも十分な労働環境と労働条件ではありませんが、職員の志を涵養し、自立性と自発性を促しながら、専門性の高いサービスを提供できる集団として成長していきたいと願っています。 そうしなければ二葉の歴史の継承者としての役割を果たし得ないと考えるからです。 |
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社会福祉法人二葉保育園
at 12:20