はい。巡礼道引観世音に一時間ほどいた。
ここから先もマップとルート合わせずらく、ちょっと歩き回ってしまった。
こんなでかい当時の道標もあったが、なんだかルートから外れた場所にあるような気がした。
文化(1804〜1817)十三年とあるから、この道標は前川善太郎には会っていないと言う事になる。
さらに進むと、玉城町から多気町に入った事がマップからわかった。
マップがあるからわかる事だったが、現代の歩く旅人には町の境目には興味はない。
そう、この感覚は私どもの地域としても肝に命じておきたいと思った。
猿田彦ゆかりの地の碑の石碑は小さくて見落とすところだった。
またお料理はるやに期待したのだが、私には見つけられなかった。
昼食にちょうどよいな〜と思っていたのだったが。
かなりの歴史とたたずまいが素晴らしい永昌寺に到着した。
またも、ちゃあマップにクレーム入れてる私だった。
4永昌寺の案内位置が外れてるのでマップからは、こんなスケールのある永昌寺の影が薄くなってるように思うのだ。
わざわざスケッチ図も描いてあると言うのに。
ともかく、良くできてるマップで伊勢路を歩くならこのマップやり〜と言うマップなのだが、何も知らない歩く人には景色のどこを基準に見ているかをもっと考えてほしいかと。
ともかく、現時点でお茶少々しか持ってない事をすでに忘れていた私。
by 理事長