その脇にある石塔には享保五年と刻まれている。
前川善太郎の旅は寛政元年だから享保五年とは前川善太郎より68年程前に作られた物であると言える。
う〜ん。この石塔は間違いなく前川善太郎御一行様と出会っているじゃん〜(急に横浜弁)と私には鳥肌もんの感動があるのである。
もちろん石仏もそうなのであろうが…。
もうこうなったら楽しくて仕方ありゃ〜せん。
リュックをドカッと置き。
まずは線香をあげさせてもらった。
はい。当たり前の事にこれほど感動する私は間違いなくアホタンなんだけど、これを見てほしい。
前川善太郎の母、登勢(とせ)が旅をしながら書いた道中日記を現代版にした資料のコピーである。
中央下に 手引きの観世音へ参詣 とあるのが読み取れるかと。
私にはよくわからない事ばかりだが、さらに凄いのは前川善太郎らが無事に伊万里に帰宅してから、このような意味合いの石仏三十三体を伊万里で設置したのだと言う事。
これを真似たのだろうか…と、さらに興味がさらに沸く。
私は老後の楽しみとして、西国三十三寺巡りをした後、伊万里に行き、前川善太郎の墓前に線香をあげたいと思っている。
そう、前川善太郎にとても会いたいのだ(笑)。
何故、前川善太郎が私をこうも惹き付けるのか?。
二つぐらい理由があるが、この話しには長〜くなるから、またにする。
実は私は以前にバイクでここに来ている。
その時は、おでこが広くて、とても可愛くも不思議な近所の女の子(小学三年生ぐらい)がやって来てここで私を遊んでくれたのだ。
石仏の裏に回ったり、アリ地獄の巣を私に紹介してくれたりと…。
本当に素晴らしい思い出だ。
アーメン…。
by 理事長