新鹿…砂浜…雨の慕情…。パート1 [2010年03月09日(Tue)]
またもある日の日曜日、息子の中学校の卒業式をすぐに控え、 そろそろ卒業式の挨拶文を考えんなんな〜と思いながらも、まだそんな気分ちゃうな〜と都合の合間を見てそわそわ出掛けた訳でした。 まずはキャンプインへ行き、ある件でスタッフの太田君に相談してみました。 それで決まり〜新鹿(あたしか)と言う熊野の砂浜を目指したのです。 しかしまあこの日は朝から冷たい小雨が降り続いていました。 新鹿海岸とは尾鷲市から海岸沿いにも行けますが、海山区から国道42号線を熊野市に向けてどんどん南下します。 矢ノ川峠を越え飛鳥と言う町から新鹿方面の看板を左折します。 そして八丁峠を越え下って行きますと新鹿海岸です。 海山から一時間の距離でした。 まあ素敵な砂浜ですので、三木里の砂浜同様に夏は海水浴で賑わう場所なのです。 さて峠を下りますと、どんっと魚屋さんに突き当たります。 そこから私は砂浜に行くのに、初めての事なので魚屋さんの左横の道から砂浜を目指す事にしました。 そこがこの場所です。 なんも意識してなかったのですが、なんと石仏らしい物が目に止まりました。 よく見ると江戸時代の熊野古道の道しるべではないですかo(^-^)o。 これが正面の写真です。 「右なちやま・左いせ道」と書いてあります。 こちら右側の写真です。 「すぐなち道」と書いてあります。 こちら左側です。 「すぐいせ道」と書いてあります。 そして裏側には建てた年代や誰が建てたかを書いてあります。天保二年(1831)です。 こんな事は私には読めない部分はたくさんです。 このいわれ看板に書いてあります(笑)。 ここでおもしろいのは、三面に方向を示しているとの事です。 看板には十字路と表現してますが、正面の指示は、私が通って来た飛鳥からの八丁峠から来た場合の指示との事ですので、昔から八丁峠越えがあったと言う事ですね。 十字路とはそのまま海に行く道があったのでしょう。気分を良くした私はその江戸時代の指示のまま海に向かった次第でありました(笑)。 つづく〜(^0^)/。 by 理事長 |