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電気とは電球のこと今昔 [2019年09月23日(Mon)]

IMG_20170924_161607.jpg【電気】とは言うまでもなく、電力として張り巡らされた電線によって配られる電気エネルギーのことである。しかし、日常で「電気」と言ったときには電気の照明器具のことを指す。電球に始まり、蛍光灯やLED照明も含めて全国的に電燈のことを電気と呼び習わしている。

日本の隅々まで電気が行き渡り、どの家でも電気製品を使えるようになってから、100年くらいだろうか。最初の製品が電燈としての電球である。当時の人はさぞや眩しく感じたにちがいない。

日が落ちて暗くなり家々に明かりが灯る。電気釜や冷蔵庫、洗濯機が出てくるのはずっとあとのこと。当時は電気=電球の明かりだったのだ。その名残が今も残っている。懐中電灯をかつては「電池」と言っていたのも同様に、電池を使う代表格が乾電池だったからだと思う。

やがて松下幸之助のナショナルが二股ソケットを発売して、電灯の横に付いているコンセントにコードを差してラジオやアイロンを同時に使うようになった。そして今やすべてを電器でまかなうオール電化システムも当たり前のことである。

蝋燭や松明,菜種油で照らす灯火から電燈へ。闇を蹴散らし昼が戻ってきたかのような(最初はそう感じたことだろう)電球の明かり。家事ができる、夜なべ仕事ができる。本も読める。夜の時間を使えるようになった当時の人々の喜びが、「電気」の呼び方に今も残っている。

(実りの秋がやって来た。灯火親しむ読書の秋も)
停電時懐中電灯ランタンに [2019年09月22日(Sun)]

DSC_1527~3.JPG台風17号が近づいています。宮崎の延岡では竜巻の被害が出ています。今のところ雨は止み、風も小康状態ですが、明日の朝あたりから強風が吹き荒れるようです。

仮に停電になったときに必要なのは懐中電灯。蝋燭もありますが、安全の面で不安があります。懐中電灯が安全ですが、辺り一帯を照らすには方向性があってランプ代わりにはなりにくいのです。いいやり方を知りました。

懐中電灯を上に向け、ティッシュペーパーに乗せたり、レジ袋をかぶせるといいのだそうです。試してみると確かに、ほんわかと周囲に光が広がります。

さらに簡易ランタンができる方法があります。上に向けた懐中電灯に水を入れたペットボトルを乗せます。簡易ランタンになります。キャップ一杯の牛乳を水に混ぜると明るくなるようです。

停電は嫌ですが、そのリスクはあります。ダメージは思った以上に大きい。備えておきたいものですね。暴風て被害が出ませんように・・。

(困ったときに、アンパンマンもメロンパンナちゃんも助けてはくれない)
セミ消えて秋始まりて福祉大会 [2019年09月21日(Sat)]

DSC_0028~2.JPG死の季節が来た。どこかの国が核のボタンを押してしまって、核の冬がやってくるわけではない。蝉の歌声が聞こえなくなったのだ。夏が終わり、蝉にとっての死の季節。

昨日は台風17号の影響から冷たい雨が降った高知で蝉は鳴かなかった。今日の出雲も冷たい雨で鳴いていない。台風が過ぎてもツクツクボウシやミンミンゼミが鳴くことはないだろう。代わりにコオロギやスズムシといった地上の虫が鳴くようになったが、7月初旬から聞いてきたセミの歌声がなくなるのは寂しい。

わたしは今、防寒のため上着ばかりかネクタイまで絞めている。どこへ行くかというと島根県民会館のしまね県民福祉大会に参加する。県民を挙げて協働して福祉社会をつくる目的で毎年開かれる。多年の功績により表彰される方々の顔ぶれにも興味がある。記念講演は堀尾正明氏。NHK「難問解決!ご近所の底力」の取材経験に基づき地域活性化のヒントを様々いただけるはずだ。あいにくの冷たい雨だが有益な時間となるよう願っている。
台風に向かって進む土佐の旅 [2019年09月20日(Fri)]

DSC_1529~2.JPG台風17号の影響で高知は午後から雨となった。幸いに小雨。JR土讃線の朝倉駅から会議場の高知県立療育センターへ向かう。高知県中央児童相談所と併せて新築したばかりの会場は快適で、高知県の皆さんからは短時間ながら温かいもてなしを受けた。

会議終了後、会場近くの高知大学に寄ってみた。妻と共通の友人であるK教授にお会いする。変わらぬ佇まいがうれしい。会うのは十数年ぶりであるが、人なつっこい素敵な笑顔を見ると、こちらも満面の笑みとなる。突然の訪問にもかかわらず温かい歓待を受け、ほんの10分だが会話を楽しんだ。次は泊まりでね!と言葉を背に受けて研究室を辞去。

わたしが思う旅の三要素は、ひと、景色、食べもの。昼御飯に食べた駅前の定食屋の餡かけ唐揚げは素朴な味わいだった。店主とそのお母さんは、この味を貫いてきたのだろう。療育センターから乗ったタクシー運転手も、いごっそう的な雰囲気をたたえていた。日帰り出張ではあるが旅の気分を楽しんでいる(次は大歩危駅、まだ先は長い)。

(土佐が生んだ幕末の英傑三人。手前から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎。高知駅前にそびえ立つ巨大青銅像も旅の景色だ)
鉛筆が柔に馴染んで文字を書く [2019年09月19日(Thu)]

DSC_1522~2.JPG鉛筆を削る。機械ではなくナイフで削る手作業がいい。もっぱら使うのは9Bか10B。画材屋で買う濃くて太いのが好みだ。太いと字に表情が出て楽しい。

太いようでも字がつぶれる心配は無用。書くうちに自ずと微回転させていくので角ばった位置を使える。そのときにタッチが変わるのが気持ちいい。柔らかい黒鉛が紙になじんでかすれた感じ。実に味わい深い。

使ううちに短くなると鉛筆ホルダーが役に立つ。最後の5センチまで使える。鉛筆がまだ長いうちでも便利だ。芯先を差し込んで鉛筆ケースにするのだ。ポケットに入れても汚れない。なもんで、きょうも鉛筆のタッチを楽しんだ。
こめかみをかすめて動く空気の層 [2019年09月18日(Wed)]

DSC_1528~2.JPG風の片鱗がこめかみをかすめたと思う間もなく、正面からヒュッと吹きつけた。風は目に見える。もちろんその正体である空気は見えないが、風の流れが枝や葉を揺らす。思わぬ強風に自分がバランスを崩して風の力を知ることもある。

草原を渡る風を思い浮かべてみよう。草が順に波打ってこちらに向かってくる。そよそよと音もして、風はまさしく見える化されている。「渡る」という表現自体が絵画的で、風という自然現象を鑑賞しているようではないか。

水面を渡る風は快い。一流ピアニストの手指が鍵盤を滑るように、細かくさざ波が起っては消え、発った別の波どうしが合流して水が動く。透明な糸こんにゃくを散りばめて自由に動き回らせているようにも見える。

鳥が空を渡るのを見るがいい。逆V字に隊列を組んで羽ばたくのは憧れだ。雲の薄く渡る夕空ならば、さぞや上空から見る夕焼けが美しかろうよ。今夕の宍道湖の夕焼けは美しい。たくさんの人が待ちわびた秋を楽しんだことだろう。

(渡る風に揺れる瑠璃柳にはピントが合いにくい。それでも夕暮れの光と空にマッチした風情に溢れる)
視線上げ懐中電灯夜の武器 [2019年09月17日(Tue)]

DSC_1521~2.JPG夜ウオーキングするときは懐中電灯を持つ。振る手にまかせてブレブレ状態で歩く。目を凝らして何かを確かめたいときは肘を曲げて腰のあたりで照らす。警察官OBが懐中電灯を持った手を目の高さに差し上げて照らすのを見た。肘を直角に曲げてごっつい姿勢である。

そのメリットを考えてみた。不意の攻撃に対し、即防御する対応がとれる。高いところから電灯を振りかざせば武器にもなる。光を浴びせて相手の目をくらまし威嚇することもできる。目線から照らすのは、腰で照らすのに比べて影が出来にくくて見えやすいのもメリットだろう。腰に比べると手ぶれも少ないようだ。

昨夜は思いがけない効果を感じた。正面からアップライトで照らしてくるクルマがあった。眩しくてかなわない。足下が見えなくなって危ない。そこで高い位置からに懐中電灯をチラチラさせたら、ダウンライトに切り替えてくれた。腰から光らせていたときにはこんなことはなかったように思う。これからは、拳を挙げてごっつく照らしていこうっと。

(蕎麦畑が陽光に照らされて眩しい。澄んだ秋の光景のひとつである)
依存して高揚感にひたりたし [2019年09月16日(Mon)]

DSC_1502~2.JPGギャンブルやゲームの依存に病む人は述懐する。

パチンコ屋の喧騒が気分を高揚させる・・競馬場の解放感からすべてうまくいくと確信できる・・場外券売場の雰囲気で悦楽の入口に立つ・・ゲームのキャラクターを見たとたんにサイトに接続するよう自然に手が動く・・・。

わくわくしていいことが起こりそうな予感に満ちて、その場に臨む。うまくいって勝ったときは無上の優越感にひたり、全能感に満たされる。反対に大負けしたり、負けが込んでしまうと大変なストレスを抱える。ふつうのギャンブラーやプレイヤーであれば、勝ち続けることなどない。失敗して劣等感にさいなまれることが多いだろう。それでも気を取り直して挑んでいくが、負けて資金がなくなって生活の破綻を来すことも多い。

ゴルフを盛んにやっていたときを思い出す。数日前からワクワクして待ち遠しい。夜は早く布団に入る。アラームが鳴る前に目が覚めるのが不思議だった。ゾーンに入ってベストスコアが出たときなど、最高の気分。そんなことは滅多にない。ほぞを噛むような思いでじっと耐えるときがほとんどだ。でも魅力には抗し難くて、再び予約をしては、誰かを誘ってゴルフ場に向かう。依存症患者の気分は少しはわかる気がする。

(千日紅 (せんにちこう)は鮮烈なピンク色。気分が高揚するように思える)
練習会ギター抱えてお楽しみ [2019年09月15日(Sun)]

DSC_1519~2.JPG3人でギターの練習会。4台のガットギター、それぞれの愛器をとっかえひっかえ、音色やタッチの違いを比べながら、自分の持ち曲を演奏し合う楽しい時間を過ごす。一人で練習するのと違い緊張するが、同好の同士で刺激を与え合う。

自分だけで弾いて楽しむのは単なる自己満足。それで飽き足らないから誰かに聴いてもらう。演奏を聴いてもらうのは上手になる第一歩。下手な演奏で恥をかきたくないから、練習に身が入る。

目の前の人に何を伝えるのか。伝えようなんてことは今まで考えていなかった。せいぜい有名な曲をさらりと弾いて感心されたいとか、緊張の中でもよく弾いたと誉められたいとか、その程度のものだったのかもしれない。

それならそれでよいが、何か物足りない。演奏することで相手に何かを伝えたい、感じてもらいたい、と考えたほうがよいとある人から教わった。確かにそうだ。が、わたしに伝えるべき内面があるのか、と自問自答する。きっとある。愛情、勇気、根気、朗らかさ、理知、いろんなものがあるに違いない。

それを表現するためにも、楽譜を読む、そしてメトロノームで不動のリズムを体得する。しっかりした基礎的練習をしなければ、可哀想な演奏に終わってしまう。思想なり感情が現れる演奏というからには、ちゃんと弾けることが前提なのだ。

(オクラは習熟せずとも淡いレモン色の涼やかな花を咲かせる。いや人知れず苦労しているのかも)
停電の満月明るしギター弾く [2019年09月14日(Sat)]

DSC_0059~2.JPG昨夜は中秋の名月、今夜は満月で真ん丸。しかも雲がなくて明るい。消防署と中国電力が20時20分ごろにやって来て、近所の送電装置に故障が起こり緊急点検を行うので9時くらいにも停電になる。長くなるかもしれないしすぐ終わるかもしれない。機械を開けてみないことには状況はわからないと。

千葉で今も解決していない大規模停電の例もある。すぐに全員が風呂に入る態勢になって、洗い物を済ませて、懐中電灯を用意し、蝋燭とマッチも備えた。9時になる5分前に停電はやってきた。

まだ風呂に入っていた者のために懐中電灯で入り口から照らし、わたしは蝋燭をつけた。カーテンと窓を開けると月明かりが頼りになる。電気というものがなかった大昔には、月がどれだけ人々を力づけたことだろう。素晴らしい天然の照明装置だと思う。反対に雨だったり、新月に近いころだと暗い。よほどのことがない限り家でじっとしていたことだろう。

蝋燭を頼りにギターを取り出した。月の元のギターはなかなか乙なものだ。一曲引き終わろうとした時に電灯がついた。テレビも画面と音を取り戻した。日常が戻って嬉しくはあるが、実はわたしは蝋燭の火の揺らぎが大好きだ。

(闇を意識したデザイン。石見グラントワのロビー)
いざいざと取り替えはきく必ずや [2019年09月13日(Fri)]

DSC_1498~2.JPG【取り替えのきかない】と【取り返しのつかない】。言い回しは似ているが、貴重で大切にされている存在が前者だとすると、後者は忘れてしまいたい疎ましい事柄だ。

平穏な毎日が続くと、いつも同じで代わり映えがしない。しかし、その日、その時間は一瞬の積み重ねであり、取り替えはきかない。かけがえのない時なのだ。

大きな失敗をしたとしよう。元に戻すことはもはやできない、今となってはどうにもできない、できるなら過去に戻ってやり直したい・・・それは取り返しのつかないことなのか。

生きている限りは時間はある。取り替えのきかない大切な時を使って、また進むだけなのだ。進めや進め。きっと取り返しがつかないことはない。取り替えはきくに違いない。

(ニラの花は、細くてまっすぐな茎に咲いてどれもが同じように見えるが、それぞれは別のもの。取り替えはきかない)
ギョッとしてトイレに残す空容器 [2019年09月12日(Thu)]

DSC_1518~2.JPGギョッとした。職場の和式トイレに入ると、隅に「アロエのむヨーグルト」の空容器が置いてある。セブンイレブンのブランド名だから、近所のセブンで買って飲んだ不届き者が置き捨てたにちがいない。

さらにギョッとした。便器の溜まり場にはストローを包んでいたプラスチックごみが浮いている。このまま私が流すと、詰まることはないにしても不届きな輩に加担するようで気がすすまない。トイレットペーパーを丸めて手に取り、ごみを取り除いて「アロエのむヨーグルト」空容器の上に置く。用を済ませてから、トイレの外にあるゴミ箱に捨てた(トイレにはゴミ箱がない)。

どんな不届き野郎か、想像してみた。

臭いところが好きなクサイ奴/大汗かいてアロエを飲むただのクサイ奴/人前で飲み食いができない可愛そうな奴/ゴミはいつもは召使いが捨ててくれる無作法な金持ち/トイレで飲んだら腹をこわし酷い下痢状態のまま退散した哀れな奴/飲んだことすら忘れた不注意者/トイレで用を足したら自分の存在証明として何かを残す変な奴/手荷物を持ち過ぎてゴミを持って出るのが嫌になった無調法な奴/常にゴミを処分しないバカ者/誰かの善意を期待するノー天気者・・・・。

あーあ、考えるだけバカらしいけど考えてしまった、私は何もの?

(芙蓉の花のように優美に暮らせや、クサイ奴よ)
目まといが顔を周ってウンウンウン [2019年09月11日(Wed)]

DSC_1504~2.JPGコバエがまとわりつく。手で払っても払っても、性懲りもなくついてくる。歩くスピードに合わせて飛ぶ。今朝は結局駅までの5分間、ずっと付いてきた(同じヤツかどうかは知らないが)。

眼は赤くないのでショウジョウバエではない。調べてみるとノミバエというのだろう。整髪料や汗に反応し、アルコールなどの発酵臭や腐敗臭、たんぱく質が分解した時に出る臭いも好きらしい。加齢臭には要注意。黒色も好むようなので、髪の毛の黒さはいかんともしがたい。

「メマトイ」とも言うそうだ。なるほどよくわかる。目や顔のまわりを飛び回ってまとわりつくヤツには困ったもんだ。習性だから仕方がないのだが、この時季にはよくある話さ。

(目の前にあったとしても、決してうっとうしくはないフジバカマ。たいていは紫がかっているが、これは白い)
時を知る時にやがては管理され [2019年09月10日(Tue)]

DSC_1503~2.JPG一分一秒を争うときがある。電車に乗るのだが遅くなって時間がない。お気に入りのテレビ番組が始まるのに帰宅のクルマが渋滞に巻き込まれている。映画のチケットは持っているけれど買い物に夢中になるうちに時間が迫った・・・。ひとと会う約束の場合は2、3分は許容範囲であろうし、一刻も早く救急車の到着を待つ場合はこれにあたらない。

7時30分に発車予定の列車に乗るつもりで、駅への道を急ぐ。デジタル時計や秒針のないアナログ時計で「7:27」と表示された場合、7時27分57秒のときもあれば、7時27分02秒もある。1分近く違いがあれば大変だ。時間に精確なことは便利だが、しんどくもある。

大昔、時計がなかった頃、明るさで「昼夜」を知る。時刻を鐘で知らせる時代になると、辰の刻などだいたいの「とき」知る。家庭に時計がゆき渡り「時間」を管理できるようになる。時報で腕時計を合わせ、電波時計だと一秒の狂いもない。設定しておけばアラームが知らせてくれる。やがてコンピュータが、「時間だ、さあ動け」と指令してくることにもなるだろう。私たちは時間に管理されるようになった。

(日日草のように時間を気にせず?、悠々と咲きたい)
忘れてたいつもルーティン埒外に [2019年09月09日(Mon)]

DSC_1499~2.JPG朝ふと気がついた。忘れていた、昨日はブログを書いてない。『ブログ〜鵜の目鷹の目,旅の目で』を更新すると、ツイッターに表題の書き込みが自動的にされ、手動でフェイスブックを同内容で更新し、写真だけこれも手動でインスタグラムに入れる。この一連の動作をやってなかった。何年も続けてきたルーティンが途絶えた。

命を取られるわけでもなく、誰かから非難されることでもない。ただそれだけのことだ(案外誰か心配していてくれたかも)。きょうもまた、こうして趣味を続けられることに感謝しつつ、書き続けるだけのことである。

(夏の終わりを惜しむのか(なわけはない)、先週雨上がり後の朝顔はやけに美しかった)
人は皆思いを紡いで生きていく [2019年09月07日(Sat)]

DSC_1440~2.JPG『KINGDOM第55巻』で著者は趙国の趙峩龍に言わしめた(王騎との回想シーン)。

≪人は
 思いを紡いでいける生き物だ
 苦しみも
 悲しみも
 喜びも
 俺達はずっと
 つながって生きている
 もう随分と前から
 ずっと
 中華は かの日が来るのを待っていると≫
  (原泰久著『KINGDOM』第55巻第597話)

大中華はその思いのとおり「かの日」を迎えた。中座はあったが、今も続いている。続いているばかりか、ユーラシア大陸を凌ぎ世界へ覇権を広げる中華人民共和国。かの国の人々は「つながって生きている」。ならば、戦火を交えずに人道の価値を広げる新時代の国家、いや世界の人々を「華」という幸福に「中(あた)る」世界をつくってくれよ。
通勤の新鮮な道楽しんで [2019年09月06日(Fri)]

DSC_1505~2.JPGふだん通過するだけで降りることはないJRの駅。たまたまそこから乗る。2時間に1本程度しかない鈍行列車は出たばかりで、時間はたっぷりある。周辺を含めて散策する。

列車から見えている歩道橋。両サイドの道をつなぐ狭い橋だ。こんにちは!と挨拶。小学生の女の子たちが元気な声で返してくれる。

宍道湖が見える。灰色の湖面に夏の夕陽が反射してまぶしい。朝は刷毛で掃いたような秋の雲が広がっていたが、今は厚い雲と青空が半々といった具合。積乱雲が発生しているのだろう。

変哲もない晩夏の風景だが、十何年ぶりに見る駅の姿はすっかり変わっている。きれいに整備され、名物の勾玉(まがたま)モニュメントが観光客を誘う。鬱蒼とした木立は間引かれて明るくなった。

どことなく、旅をした気分・・・いやいやこんなんで満足してはいかん。旅に出よう、満足の旅をしよう。別世界を楽しみたい!

(花虎ノ尾 (はなとらのお)が淡くて透けた赤紫に咲いている。秋がやって来た、でもやけに暑い)
眠い目をすりすりするよ夜の中学 [2019年09月05日(Thu)]

DSC_1420~2.JPG夜間中学を全国展開していくという。文科省のプレス発表だ。夜間中学とは、市町村立の中学校で夜間授業を行う学校のことで、文科省は空白地となっている43道県・政令市に設立を求める概算要求を行った。

義務教育未修了者は少なくとも約12万人以上。基礎的な学習の場として夜間中学が有効であることに異論はない。外国人や不登校経験者が学ぶ場として貴重な存在だ。

20年以上前、山田洋次監督の映画『学校』にとても感動した。在日の人をはじめとして、貧困を主な理由として学べなかった人たちが社会的差別の狭間で苦しみながらも、力を合わせて向学心を燃やし続ける。

夜間中学がある都府県は次の9都府県。広島(広島)兵庫(神戸/尼崎)京都(京都)大阪(大阪/堺/八尾/東大阪/守口/豊中/岸和田)奈良(奈良/天理/橿原)神奈川(横浜/川崎)東京(足立/葛飾/墨田/世田谷/大田/荒川/江戸川/八王子)千葉(市川/松戸)埼玉(川口)といった具合で33校あるという。

定時制高校をこのままで、学びの場を拡大していくのはどうかとも思うが、学び直しの機会は絶対に必要だ。リカレント教育という言葉も市民権を得てきたとおりである。不登校の生徒を卒業扱いにする中学校が多いと聞く。卒業してしまったら夜間中学には通えない。制度的な改善も含めて、夜間中学から喜びの声が上がるように願っている。

(多くの個性が集まってモザイク模様の社会ができていく。夜間中学生たちよ、がんばれー)
とりあえず宿題すませ心静か [2019年09月04日(Wed)]

DSC_1509~2.JPG「とりあえず」やっておくことって、頻繁にありませんか?

・・・・本格的ではないんだが、とりあえず間に合わせで修理する。満足できるものではないが、ないよりはまし、だと思って処理する。調べものの仕事がきた、手近な資料で間髪を入れずに処理してしまう、チェックはまたあとで。用件の向きはだいたいわかった、ひとまず、さしあたってイエスの返事をしておこう・・・。日常茶飯事です。とりあえず、という言葉を、よく使うような気がします。

ということで、今夜も取り敢えず、書き終えました。宿題を取り敢えずこなした感じですね。

(宵待草は、とりあえず咲くなんてことはしない。使命として真剣に咲く。たぶん)
夏過ぎて甘い匂いのスイーツか [2019年09月03日(Tue)]

fumihouse-2019-09-03T19_47_45-1-thumbnail2.jpg辺りに甘いほのかな香りが漂っている。小さな川の縁にあるコンクリート壁には、葛の蔓が一面を覆って広がって、スペード状の大きな葉っぱが繁茂している。香りのもとを探してみると花がたくさん咲いている。藤に似たこの花は、ピークを過ぎて花びらにはシワが寄り、赤紫色も艶やかさを失いつつある。

葛の花は夏の終盤に咲く。くず粉にして菓子や料理、葛根湯にするでもない(とんでもなく手間がかかる)。雑草として生活の邪魔をする。葛は森のマントと呼ばれ、暑さ寒さを和らげるというが、この時節たいして役にたちそうもない。

きょうは蒸し暑さがぶり返したが、あの地獄の熱波を思えばなんのことはない。熱帯夜に苦しむこともなく、すやすや眠ることができる。今夜はいつもより遅い時間に帰宅する。本格的な秋は目前。よき夜となりますように(^o^)/
プレゼントたっぷり時間を与えたし [2019年09月02日(Mon)]

fumihouse-2019-09-02T18_27_09-1-thumbnail2.jpgかつて若い頃、朝まで仕事に向かうことがあった。必死になってワープロ(パソコンではなく専用機の頃があった)に向かって資料を作り印刷をし、コピーして切り貼りをして、必要な形にする。

間に合ったはいいけれど、その後は抜け殻のように能率は上がらない。うとうと眠気がとれず、風呂にも入らず髭も剃ってないから気分もすぐれない。効率は上がらず、その日は撃沈。徹夜してもあとがよろしくないのだ。何度かの経験で、朝の一時間は夜中の三時間に匹敵するというのが私の持論となった。

プレゼンティーイズム(Presenteeism)という言葉があるそうだ。アブセンティーイズム(Absenteeism/病気で欠勤する」ほどでもないが、出社していながら体調が悪くて生産性が上がらない状態のことを、プレゼント(Present/出社)と組み合わせた造語である。

形式的には仕事をしているように見えても、実は仕事をしていない。疾病就業とも訳されるが、サボタージュも含めて使用者に労働損失を与える。俗に言う開店休業状態だ。

働き方改革にあたっては日本人特有の生真面目さが壁となる。「自分は休むわけにいかない」意識が元になって、労働時間の削減が進まない。お上が主導すると一気に構造変化を起こすというのは、日本人のお得意だが、今回が最大のチャンス、あるいは最後の機会かもしれない。

(ホテルの天井は円やかで円満そのもの。淡い赤みも放って見る者を穏やかにしてくれる)
集団が大きくなって滅び行く [2019年09月01日(Sun)]

fumihouse-2019-09-01T13_30_15-1-thumbnail2.jpg集団で作業すると能率が落ちる。集団が大きくなるほど一人ひとりが出す力は小さくなっていくという。

かつて中華人民共和国の農村にあった人民公社は、農業を集団化した。ソ連でも国営農場や集団農場が主体だった。各自の労働に応じて利益を分配するという建前はあったが、破綻してしまったのは、効率が悪いばかりか、数百万単位の餓死者が出る結果になったからだ(特に中国)。核心は、サボる者がいたことである。

今朝は共同作業の日だった。取りかかりに時間がかかる人がいる。掛かっても話に夢中で手が進まない人もいる。ある程度目処がたつと、世間話に戻る。いっぽうでひたすら手と足を動かし続ける人がいる。私にはそこまでできないが、次々と仕事を見つけてマメに作業をするえらい人だ。

年一度の朝飯前の作業に目くじらを立てる必要はないが、組織が岐路に差しかかってたような時にサボる者がいる組織に将来はない。

(自治会の集会所のそばにはアメリカ・ノウゼンカズラがあった。長らく咲いてきたが、もう終わりかな)