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初夏に赤ブラシの花が鈴なりに [2019年05月31日(Fri)]

fumihouse-2019-05-31T20_14_16-1-thumbnail2.jpgブラシの木はその名のとおり、ビン洗いのブラシにそっくりだ。瓶を洗うのは気が引けたので、ガラスのコップを洗ってみた(もの好きだこと)。

どれが花弁で、どこに雄しべや雌しべがあるのやら何だかわからないが、ともあれゴシゴシやってみた。本物のブラシのようにゴワゴワしてはおらず、赤い花で頬をなでれば気持ちいい。あれまあ、落ちるは落ちる、汚れではない、黄や赤、花の細片がコップにこびりつく。

去年はすでに梅雨に入っていたが、今年は遅れそう。水不足の兆候の夏ではあるが、ブラシの木の花に初夏の美はある。
つまずいてアレレしまった遅いのだ [2019年05月30日(Thu)]

fumihouse-2019-05-30T18_37_45-1-thumbnail2.jpg私はつまずきやすい。加齢や病気など危険な兆候であるとよく言われるが、心配はしていない。適度な筋トレとストレッチで体のバランスがとれていると思うからだ。

どこでつまずくかというと、何もないカーペットや廊下なのである。ずんずん歩くときは、足指を蹴って大股で足もよく上がっているから、つまずくことはない。ただ、ゆっくり話をしながらとか、何かを眺めながらだと摺り足に近くなり、ほんの少しの傾斜や凹凸が引っ掛かる。つまずいても直ちに反射できるから転ぶことはない。それでも要注意である。転倒や転落による死亡者は交通事故死を上回るというから、油断大敵!

視力の衰えも心配しなくてはならない。小さな段差や凹凸がよく見えてないと危うい。あるいは、注意が散漫になるのも危ない。周りを見物しながら歩くとか、写真を撮りながらうろうろしてはいけない。焦っていたり、何かに心を奪われていても危ないことはある。歩きスマホなど、トンでもない大博打である。

心配などしていないと冒頭に書いたが、やはり年なんだから用心しておかなければならないな。

(心奪われる薔薇の花。ゆっくりじっくり落ち着いて眺めてやりたいな)
夏色の矢車のよう爽やかに [2019年05月29日(Wed)]

fumihouse-2019-05-29T22_17_54-1-thumbnail2.jpg5月10日に日本海に沿って石見・浜田へ行った。初夏の群青色の海を期待していたのだが、夏はまだ来ていなかった。鈍色(にびいろ)に近いくすんだ深緑色。

半月余りを隔てて、今日も特急おき号に乗った。山陰線から見る海は夏の海だった。陽光に照らされてエメラルド色。波しぶきは、白いジェラートの爽やかさ。ヘブンリーブルーの夏の空色に気持ちが高ぶった。

風はきらめき、深緑の山々も横目に移動していくのは心ウキウキする体験だった。夏っていいなあ。でもその前に、まずは梅雨がやってくる。暴れるな!天地よ!

(矢車菊はツタンカーメン王の墓から発見されたという。青い花が魔除けになったのだと。夏色に涼やかだ)
日々新たマンネリしても奇蹟なり [2019年05月28日(Tue)]

fumihouse-2019-05-28T18_43_19-1-thumbnail2.jpg毎日は奇蹟で成り立っている。朝起きていつもの準備をして通勤する。仕事場に着いてルーティン、臨時を問わず業務をこなす。昼休みには弁当を食べたり外食したりする。茶を飲んで休憩し、同僚と世間話などする。少々残業したとしても無事家に帰りつく。食事をして家事をしてあれこれやっているうちに夜は更ける。一日が終わる。

もし、体に突然の異変があったらどうするか。家族が急病で救急搬送されたとしたら、いつものことはなし得ない。通勤列車やバスに大幅な遅れが出たとしたら、職場の誰かが事故に遭って仕事に穴があいたとしたら、大口顧客が逃げていったとしたら、食中毒が起こって入院騒ぎがあったら、妙なスキャンダルを聞き付けてマスコミが押し寄せてきたら・・・・。

マンネリ化してつまらないと思っていたはずなのに、あの日常が遠くなる。組織上のやりくりに苦闘してため息を漏らす。家族の不慮の事態に悲しみが止まらない・・・・。自身の体も、家族も、属する組織も、すべては恒常性を保とうと欲するが、そうは問屋が卸さない。釈尊はそれを諸行無常と言ったのだ。

あらゆることに、全てのものに不変はあり得ない。いつものようにやろうとしても、ほんの少しずつ違うのだ。歳月を経るにつれて善きにつけ悪しきにつけ、変化はつきものである。このままでいてほしいというのは儚い願望でしかない。だから、たとえ退屈に思えたとしても、今日の奇蹟に感謝しよう。

(変哲もない温州みかんの花が甘酸っぱく咲いて、実をつけることも奇蹟なり。ありがとう(^.^)(-.-)(__)
仕事して楽しむときに皮めくれ [2019年05月27日(Mon)]

fumihouse-2019-05-27T22_52_34-1-thumbnail2.jpg仕事とは何でしょうか。サラリーマンの仕事はたいていはチームで行います。チームの一員として、励まし讃え、ときに罵倒して怒り、いや悪かった、気を取り直してまた一緒に頑張ろうと。疑似家族のようなものです。むしろ本物の家族よりも家族らしいのが仕事仲間だと、かつては言われていました。今はと言えば、ハラスメント禁止、働き方改革の時代ですから、滅法仕事の世界も変わったものです。

論語の一節が思い浮かびます。
 知之者不如好之者、好之者不如楽之者
 (これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

 知る < 好む < 楽しむ

図式にするとこうなります。単に義務的にこなすのは「知る」レベルでしょうか。「好む」ようになると面白くなって、技能が高まります。飽きがきて伸び悩みの時期が来たり、障害に苦しめられたりするのですが、乗り越えるとひと皮めくれます。苦楽共に思い併せてやり甲斐を感じるようになった時、「楽しむ」に達したと言えるのでしょう。

(私設薔薇園にあった仄かな香りのもの。名付けてオープンガーデン。どなたでもご覧くださいと、素敵にしてあったバラ園だ)
ゴルフから相撲観戦物見かな [2019年05月26日(Sun)]

fumihouse-2019-05-26T18_30_08-1-thumbnail2.jpgトランプ大統領、夫人と共に史上まれに見る来日物見遊山。令和初の国賓として昨日から3泊4日で滞在している。

その間、プロも交えたゴルフラウンド、大相撲千秋楽観戦と大統領杯授与、六本木で炉端焼き夕食会、天皇・皇后両陛下との会見、宮中晩餐会、海上自衛隊の護衛艦への乗艦、迎賓館で日米首脳会談と休む余地なくもてなしを受ける。もちろん安倍首相がつきっきりである。

緊密な日米関係を中国や北朝鮮、韓国、ロシアに見せつける効果を期待できるとはいえ、大変な大盤振る舞いに驚いた。

(大金鶏菊は北米原産の特定外来種。河原など荒れ地に繁茂している。花は美しいが、在来種に悪影響を与える。トランプ大統領も北米産)
太くても信じていても危ういぞ [2019年05月25日(Sat)]

fumihouse-2019-05-25T11_45_44-1-thumbnail2.jpg太いようで細い、細いようで太い。強いようで弱い、弱いようで強い。長いようで短い、短いようで長い。浅いようで深い、深いようで浅い・・・・・人と人との絆とはそんなものだ。

絆とは一本の紐ではない。細い糸を一回一回渡し合うものだと思う。一つの言葉を交わして意志を確認しあう。一回の行為をともにし喜びあう。そのたびに絆が束になっていく。強固になる。

絆は強い、しっかり結びついていると信じていても、意外と脆いもの。不信がつのる裏切りがあれば、束は一度に消え去る。誤解で崩れる場合もあろう。音信不通となれば、去る者は日々に疎しである。

絆とは日々に、いや一瞬一瞬に揺れ動く心の束だ。しかも目に見えない。互いに気の持ちようも違う。それでも、ひとは一人では生きていけないとおり、絆は欠くべからざるものなのだ。

(花の淡い位置関係、スモークツリーが咲いた。淡い臙脂色が青空に映えるのは、空と花との絆かも)
注意報発令されて夏近し [2019年05月24日(Fri)]

fumihouse-2019-05-24T22_05_43-1-thumbnail2.jpgまだ春だったんだ。5月は五月晴れ、風薫る季節のはずだった。ところがどうだ。島根に光化学オキシダント注意報が発令された。要するに光化学スモッグってやつだ。屋外の活動に十分注意とのこと。

晴れて日射が強い。最高気温が30℃を超える地域も多かったようだ。松江は何度だったのだろうか。体は暑さに慣れていないだけに、熱中症のおそれがある。

明日も明後日も暑くなるのかなあ。要注意状態は数日は続く予報になっている。体調をこわすことなく、この夏を乗り越えましょうぞ(まだ5月なんだけどねー)。

(カルミアを何年かぶりで見た。出雲の住宅ではじめて見たカルミアだったが、松江にも咲いていた)
解釈し自分の心を介錯す [2019年05月23日(Thu)]

fumihouse-2019-05-23T18_31_50-1-thumbnail2.jpg人間関係は解釈で成り立っている。人生が解釈でできていると言ってもいい。家族だろうが、恋人も友人も同僚も、通りすがりの他人まで、表情や仕草、態度から相手の気持ちを推し量って、すり合わせていく。言葉を交わせば真意はわかると思いきや、言葉の裏にある感情を量りかねて疑心暗鬼が渦巻くこともある。

幾通りもの場合分けをして考える。あれかこれか、あーでもないこーでもない。そうなったらどうしよう、こうしたい。でもそうしたら、あー出てくるに違いない、そうなったら困るなあ・・・・。想像が駆けめぐり心身ともに疲れる。本音をさらけ出して語り合えばいいではないか。これがなかなかうまくいかぬもの。

コミュニケーションは難しい。人間同士は分かりあえないものなのだ。そもそも自分の感情だって正確に切り取って説明しようと思っても、不可能な場合は多いに違いない。

名探偵コナンの名セリフ、「真実は一つ」。これも確かに事実ではあるが、殺人を犯したとか、ひき逃げをしたとか、客観的な行動や不作為の事実は一つだが、そのことの持つ意味合いは人それぞれに解釈が違う。額面どおりにはいかないものなのだ。

私たちは毎日毎日、解釈して生きている。下手な考え休むに似たり、と言われてもやっぱり考えてしまうものなのだよ。

来るはずの連絡が来ないけど、無事でいるんだろうか、体調が悪いのかな、それとも嫌われたんだろうか? いつもと違って影があるようだけど、何か不幸に見舞われたのではないか、私に悪感情をもっているのではないか?・・・・心は千々に乱れてまとまらない。解釈し過ぎて疲れてしまうのが人生なんだろうね。

(卯の花が盛りを過ぎて街路に朽ちた花びらを散らす。少し甘い匂いがする)
クリアにはアイディア出ない疲れた日 [2019年05月22日(Wed)]

fumihouse-2019-05-22T19_28_52-1-thumbnail2.jpgクリアファイルが広く使われるようになった。便利で偉大な発明である。中身が見える、分類しやすいなど利点がたくさんだ。表に印刷してある企業の販促や行政のキャンペーンとしてもらうことも多い。やめてもらいたいのは両面印刷。「クリア」ではないからね。頭の体操として、使い途を考えてみたい(荒唐無稽含む)。

千切ったメモを保存する/仮の写真立て/10枚重ねて日食の観察用/透明メンディングテープで隙間を閉じてラミネート代わり/コップ代わりに水をすくう/急な雨降りに帽子代わり/引きちぎって平面にし頭にきつく巻いて覆面代わり/色つきファイルをスタンド照明に乗せて色つきに/壊れた雨樋の応急処置/濡れタオルの保管用/丸めて紙ボールを打つバットに/タオルとセットで汚物処理・・・・あまりにバカらしくて飽きてしまった。いいアイディアはクリアには浮かんでこない。

(生け垣に白丁花 (はくちょうげ)あり。地味ではあるが清々しいクリアな白に、ほんの少し桃色がにじむ)
幸せに乗り越え楽しみ家族あり [2019年05月21日(Tue)]

fumihouse-2019-05-21T19_13_44-1-thumbnail2.jpg夕暮れ時のマジックアワー。駅のコンコース、ショッピング通りに見えた家族。幸せそうである(知り合いの親父さんに声をかけてはじめて、家族であることがわかった)。列車の時間が迫っていたのでほんの二言三言を交わしただけだが、学生の息子さんは誠実そうで、奥さんは笑顔がステキだった(その横は娘さんだろうが確かめ損ねた)。これから外食で夕飯を共にすると見えた。

家族の肖像がここにある。どの家族だって順風満帆というわけにはいかない。悪戦苦闘の毎日だ。艱難辛苦とまではいかないだろうが、思うにまかせぬ軋轢もあろう。しかしあの家族は苦難も楽しみに替えて、共同生活を乗り越えてきたに違いない。そんな横顔に見えた。さあ、わたしも家族のもとに帰るぞ。

(昼咲月見草が盛りを迎えた。別名は昼咲桃色月見草。淡い桃色の筋と黄色のグラデーションが何ともよろしい)
朗らかに良天喜び雲雀鳴く [2019年05月20日(Mon)]

fumihouse-2019-05-20T18_30_40-1-thumbnail2.jpg雲雀(ひばり)は空を高く舞い上がる。太めの翼で羽ばたいて、草地の上をゆっくり飛びながらさえずる。ピーチク、ピーチュク、チルチルル・・・。長く長く複雑な節回しで鳴く。舌を転がすようにして軽やかに歌う。

声に目を凝らしても、どこにいるのやら見当たらない。見つけたと思っても、目をそらすと見失う。宙に静止しているように見えるのだが、少しずつ移動するからだ。

観察して気がついたことがある。大きく螺旋を描いて天に上っていく。その直径は30mから40mといったところだろうか。50m辺りまで上がると、さえずり声が変わって滑るようにして降りていく。草むらにある巣?に着陸していち工程が終了する。縄張りを主張しているのだろうな。

雲雀の別名は、告天子。何を天子に告げて知らせたもう? 春を告げるのかもしれない。近所の田んぼで鳴き始めたのが、3月の第三週だった。その春もすでに夏に転じた。梅雨入りもじきに発表されるだろう。

(雲雀の目には、紫蘭の薄い赤紫色が映っているだろうか)
キングから皇帝への道長い道 [2019年05月19日(Sun)]

fumihouse-2019-05-19T22_05_37-1-thumbnail2.jpg映画『キングダム』、素晴らしかった。終演時間がくるのが惜しかった。

吉沢亮(秦王・政)の美少年ぶり、かつ凛凛しく逞しい。朝ドラ「あおぞら」の柔らかで凛とした、たたずまいに加えて戦う気性がみなぎっていた。山崎賢人(信)が破天荒に演じて目力でも魅了される。ワイヤーアクションもすごい。大沢たかお(王騎)の戦闘シーンやおネエ言葉もなかなかだ。本郷奏多(成蟜)は怪演である。その横暴さ、嫌らしさに心から憎しみを感じた。

戦争に夢なんてクソくらえ、とどめを差そうとした強敵に対し、夢を持って悪いかと反撃した信。夢に託して戦闘力を蘇らせる信は、生真面目にかつ豪放にロマンを語り行動する。真っ直ぐに突き進む。それがこの物語の骨格の一つである。

この映画には、「ロードオブザリング」における集団戦闘の迫力に似て、強い軍隊がぶつかる時の質感を感じることができる。「るろうに剣心」に似て、個人の戦闘能力が極まった超美技と剣先の重さを感じた。2つを合わせた魅力を感じるのだ。

政が「耐え凌げば俺たちの勝ちだ!」と叫ぶシーンには魂を揺さぶられる。ピンチはある。しかしピンチは敵にとっても苦しいところ。ピンチはチャンス。逆転の形勢は必ずやってくる。敵とは人だけにあらず。自分すら自らの敵になりうる。環境だって時には敵となる。一方で味方となって助けてもくれる。日々は敵と戦い、味方を増やしていく毎日なのだ。

(春秋戦国の頃、中原の沃野にもこんな麦が実って、朝日に照らされていたことだろう)
賭けに出て観光めぐり楽しんで [2019年05月18日(Sat)]

fumihouse-2019-05-18T20_15_54-1-thumbnail2.jpgギャンブルに勝った。かといって、私がギャンブル依存症というわけではない。天気が良かった。友人が出雲観光に訪れており、夕方に出雲縁結び空港をたったのだ。

妻と二人で観光のお手伝いを少ししたのだが、友人の数日間の滞在中に雨が降らなかった(正確に言えば、きょうはにわか雨少々)。きのうは暑くはあったが、晴れ渡る初夏の出雲路を友人は楽しんでくれて幸いだった。

観光は天気に負うところが多い。どんな絶景でも雨や霧にたたられれば、その良さを満喫することはできない。残念な気持ちのまま去るしかないのだ。観光は一種のギャンブルとは言えまいか? もちろん、射幸心をあおるギャンブルとは大違いだ。だが賭けである。いつ行くか? どこに行くか? 誰と行くか? 選択の責任は当人にある。そして運次第である。

(定家葛 (ていかかずら)が咲いている。5つの花びらが均等に捻れたスクリュー型)
気に病むな心開いて穏やかに [2019年05月17日(Fri)]

fumihouse-2019-05-17T19_55_36-1-thumbnail2.jpgジェンダー論を振りかざすつもりは毛頭ないが、傾向として女性は男性より鬱病など心の病にかかることが多い。男性は女性に比べて自死する割合が女性より高い。これは何を意味するのだろう。

女性は友人や家族に対して心情を吐露し、苦しい胸の内を明らかにして、もやもやして整理がつかない状態であっても言葉にできると言えるのではないだろうか。すなわち「助けて!」と表現できるのだ。うまく発散できない場合は、心の病を発するが、命の危険に及ぶことはどちらかといえば少ない。

一方で男性は、感情を表に出して相手にみせることが不得意だ。弱味を出したくないというメンツの強さもあるだろう。自分の中に抱え込んで、ギリギリまで我慢して、結果としてパタッと折れる。それが自死だ。「助けてくれっ!」と言って心を開けないのだ。

そんな感覚が私にはある。あくまで比較的という意味だから、すべての男性は女性は、と限定はしないので念のために、改めて言っておく。

(アザミが健気に咲いている。きょうは金曜日、明日と明後日は休みという人も多かろう。リフレッシュして来週に臨もう)
微睡んで揺れにまかせて気持ちよし [2019年05月16日(Thu)]

fumihouse-2019-05-16T20_07_32-1-thumbnail2.jpg列車の揺れに身をまかせて目を閉じる。まどろむ・・・・・・おやっ、ここはどこだ? いま、何時だ? 朝か、夕方か、平日なのか休日か? どちらとも知れぬ。なぜ今ここにいる?・・・・・・・失見当状態は一瞬のこと(続いたら大変だ)。短くてもしっかり眠った証拠であろう。まどろんだあとは、頭がしゃんとする。

まどろむを漢字では、「微睡む」と書く(初めて知った)。微○○といえば「微笑む」。人間が感じたり、行動するときの形容として、ほかには思い当たらない。逆引き辞書で調べたが、微熱、微酔い(ほろよい/知らなかった)くらいかな。微かに何かやるってのは、周りから見えにくいので表現が生まれてこなかったものとみえる。

(シラーは微かな花ではない。けっこう派手に道端で咲いている)
シュッシュッと岩を上らせシシュポスよ [2019年05月15日(Wed)]

fumihouse-2019-05-15T21_03_12-1-thumbnail2.jpg「シシュポスの岩」は無益な徒労を意味する。ギリシャ神話で、シシュポスは才に溺れ神々を欺き、ゼウスの怒りをかった。彼には重い刑罰が科された。

≪休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった≫ (アルベルト・カミュ,清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮文庫)

シシュポスは全身全霊を打ち込んで、重さに耐え、山頂を目指す。山頂につくと同時に岩は麓まで転げ落ちる。永久に繰り返す。成果の見えない苦役である。

さて、労働や家事はシシュポスの岩だろうか。大きなこと、小さなこと、すぐに終わること、手順を踏んで段取りが必要なこと・・・私たちの心を悩ませるものは次々と押し寄せてくる。解決したかと思うと、たちまち新課題が出てくる。片付けてもやり終えても、永遠に続くかのように私たちにまとわりつく。

それを苦役と考えるか、工夫のしどころと考えるかで、精神的には相当違う。そもそも人生の多くは雑事に追われるのである。いかに雑事を楽しめるか。そうできれば、人生の苦楽はプラスに梶を切る。

面白くない単純作業に思えても、仕事や家事の土をより深く掘ってみよう。いままで気づかなかった新しい魅力を発見できるにちがいない。

(シシュポスにも美味しいアップルパイを食べさせてあげたい)
視線下げ名札確かめあなただれ [2019年05月14日(Tue)]

fumihouse-2019-05-14T17_51_48-1-thumbnail2.jpgクールビズのいま、紐を首にかける式の名札をつけている。ネクタイを締めないと、体の真ん中にシャキッとしたシンボルがないので気分が締まらない。名札をぶら下げると安定する。ぶらぶらして邪魔になることもあるが、いたしかたない。

問題なのはその位置。紐の長さだ。ベルトより下にあると不細工だ。かといって短くし過ぎて、みぞおち辺りにあるのは変だ。まるで大昔の囚人が札をぶら下げているかのような風情。ベルトから10センチくらいがよろしい。

紐式名札には難点がある。腰かけて机を前にすると見えなくなってしまうのだ。立っているときだって、この人名前なんだったかな?と確かめたいときに、相手の顔から大きく視線を下げなくてはならないのが辛いところ。そんなことないですか?

(ベニウツギが咲いている。視線を下げてちゃんと見てやろうじゃあないか)
恨んでも挙げ句のはてに穴1つ [2019年05月13日(Mon)]

fumihouse-2019-05-13T19_28_37-1-thumbnail2.jpg「人を呪わば穴二つ」という言葉は、まんざら非科学的ではない。

他人を呪い殺そうとすれば、報いを受けて自分をも呪う、自分の墓穴も掘っておけよ、というのだ。ハリー・ポッターの世界は魔法が跳ね返って呪文をかけた当人が傷つくこともあるが、そんなことあり得るの? 平安期に陰陽師が呪い返しに遭うことを覚悟して墓穴を二つ用意させた。ホントに?

人を怨む。とても強い感情だ。あいつはこちらより強い立場にある。いじめられて苦しめられて、泣かされて悲嘆に暮れた、骨の髄から恨んで仕返ししてやりたいと思う。あいつを不幸にしてやりたい、死んでくれたらホントに嬉しい、恨みが晴れる。

呪う際には様々な思いが去来する。あいつの言動が思い出されて悔しくて歯噛みする。あいつのせいで自分や家族が苦しんだ数々の出来事がフラッシュバックして天を仰ぐ。思い出すたびに心はズタズタに張り裂け、想いは泥沼にはまり込む。次にこんなこと言われたら、こう反応してやろう、どんな言葉で返そうか? ありもしない空想をして想いはさらに複雑になる。生命力は地の底に落ちて目は虚ろ。怨みにこの身を捧げても悔いはない。あいつを殺すことが目的なのだ。私の命を差し出してもよい・・・・。

ひたすら思い詰めて数時間。顔面は蒼白に、心臓は高鳴り血圧は上がる。呪い尽くして数日、数週間。食欲など消え失せ、美容に気をつかうこともない。ギランと光る亡者の目付きで周囲はきっと恐ろしがるぞ。やがて憔悴して免疫不全となり、病気となって命の炎を燃やし切る。哀れ悲しや、穴2つ。相手が死ぬかどうかはわからない。たぶん簡単には死なない。すると損して滅するのは、恨んだ私だけのこと。

災いを避けよ。ならば安易に他人を恨むのは、よそうじゃあないか。忘れろ、離れろ、良いこと考えて行動しようっと。

(牡丹は花の王。牡丹は悠然として恨むことなどない。ただ自分らしく咲き誇る)
不良なり風邪が入った邪気により [2019年05月12日(Sun)]

fumihouse-2019-05-12T12_49_29-1-thumbnail2.jpg風邪は「引く」ものであるが、出雲では風邪が「入る」と言う。喉がイガイガし、咳が出始め、鼻水もズルズルと、ときに熱っぽくなり寒けや関節痛もある。邪悪なるものが見えない風に紛れて体に「引き入った」と昔の人は考えたのだろう。

中風と表現した脳卒中もそんな語源を持つのかもしれない。なんせ突然ろれつが回らなくなり、半身が動かない、場合によっては死んでしまう、正体不明のものだったから。邪気の風に中(あた)るわけだ。

さて、出雲では近ごろ「認知が入る」という言葉を聞くようになった。言うまでもなく、認知症の症状が出始めて、意志の疎通が困難になりつつある状態だ。省略されてのこともあろうが、「認知症になった」と限定的に言うよりは、マイルドに認知が入ると言ったほうがよいと思った誰かが使い始めたのかもしれない。

痴呆症から認知症へ、病名の言い替えがされてから約15年ほどだろうか。すっかり定着した。それだけこの病気が身近になった証拠である。

(薄紫のシバザクラは爽やかだ。風邪を治して、心穏やかに眺めたい)
危ういか凄いか知れぬヤバいやつ [2019年05月11日(Sat)]

fumihouse-2019-05-11T17_27_07-1-thumbnail2.jpg【ヤバい】は老若ともによく使うようになった。不都合だったり、危険な状況が迫っている、そんな意味である。元は形容動詞【やば】から派生したそうだ。昔は盗っ人などが使った隠語が一般化した。

やがて若者言葉では、カッコ悪いの意味で使われるようになり、20年ほど前からだろうか、凄いの意味も含まれた。若者意味なので、年配者は使わないが、【ヤバい】は肯定、否定の両方に使える言葉に進化?したわけである。

イエスでもノーでも使う言葉は多い。
【結構です】【いいです】【大丈夫です】
いずれも最初は肯定的な意味で始まった言葉だが、やがて否定の意味が加えられた。肯定の意が刻印され強くなったので、婉曲に否定を含ませ始めたと推測している。

ヤバいは上の三者とは反対に、否定→肯定の流れとなる。珍しいかもしれないな。

(太陽光のもと、黄のガザニアは照り輝いてヤバい。勲章菊の別名のごとく崇高な印象)
晴れている西へ西へと初夏の空 [2019年05月10日(Fri)]

fumihouse-2019-05-10T17_46_18-1-thumbnail2.jpg初夏の海、群青色、ところによってはエメラルド色。
初夏の波、白いジェラートのしぶき。
初夏の空、ヘブンリーブルーの色合いに幾筋かの雲。
初夏の風、夏色のきらめき。
初夏の木々、深緑の中にスダジイの花がライムライトの光線。
初夏の田んぼ、鏡の面に天然色の映写。

山陰線を西へ西へ。そんな景色を期待していた。
なのになんだこれは!
晴れてはいるが、木々と田んぼ以外はどよよんと霞む。
まっいいか。それなりに美しい。

(紫陽花の万華鏡。こんな鮮やかな色合いを期待していたのですよ)
爽やかに夏空がきて風邪をひく [2019年05月09日(Thu)]

fumihouse-2019-05-09T20_28_02-1-thumbnail2.jpg眠たさが染みてくる。
朝の空気はそれなりに冷えているだけに、
バスや列車内に乗りこむと暖かさが染みる。
気持ちがよくて、うとうとする。
日ざしを浴びると熱射となって目を細める。
歩く通勤人の足の運びが早い。
十分覚醒しているようだ。
春眠暁を覚えずの季節は終わった。
初夏になれば、夏空に広瀬すずの笑顔あり。
元気いっぱい、国中を爽やかにする。
そういう私はどうかいな。
大連休が過ぎたとき風邪をひいたよ。悲しいよ。
咳が怒涛に喉を苦しめ、鼻水流れてマスクなり。
早く元気になりたいもんだ。

(小手毬 (こでまり)のピークは終わった。一つひとつの花びらは小さくても、形が整って実に気持ちがいい)
懐かしの名前見つけて郷愁よ [2019年05月08日(Wed)]

fumihouse-2019-05-08T19_40_30-1-thumbnail2.jpg島根県職員はネットワークで、給与関係の届出、宿舎・駐車場申込み、交通費・宿泊費の旅行命令などがシステム化されて、電子決裁を受ける仕組みになっている。年度が替わり、人事異動後も決裁者を変更しておかないと、旧年度のまま旧決裁者へ自動申請される(この点出来が悪い)。んなもので、出雲工業高校の先生たちから、来るは来るは・・。

高校生ものづくりコンテストの生徒引率、武道大会の島根県予選抽選会、競技大会の生徒引率、工業教育研究会の出張、今月末から始まる高校総体の島根大会。今日だけでもなんやかんやと決裁申請が来た。もう1ヶ月も経っているんだけどなぁ。

それでも懐かしい名前がぞくぞくと眺められて郷愁気分にひたってしまう。だが、おセンチなことは言っていられない。こちらも余裕はない。さっさと「差し戻し」のボタンをクリックして返してさしあげる。また会えたらいいなぁ。

(松江・プラバホールの緑地に咲いているナンジャモンジャの花。上の方は夕日に照らされてマジックアワーのいい雰囲気だ)
変換のレイワの世界のぞき見る [2019年05月07日(Tue)]

fumihouse-2019-05-07T19_20_54-1-thumbnail2.jpgレイワで漢字変換してみる。

【例話】例の話はどうなった? 例のことだよ、忘れたのかい? それじゃ教えてあげるよ。先日君と会ったときに話し合っただろ! あれっ? 何だったっけ?

【礼和】礼に始まり礼に終わる。そこにこそ和の精神が宿るもんさ。じゃ礼って何かって? それはね、深過ぎてわれわれ凡人にはわからないってものなのさ。

【霊羽】三国志の豪傑・関羽の霊廟は中国のあちらこちらにあるらしいね。死してなお、主君劉備を守らんとし、誠実な人柄が今もなお、かの国の人々を感動させる。三國志をまた読んでみたくなったよ。

【零輪】ゼロをいくつ輪にして重ねても、足しても引いても掛けても零。零は不思議な数字なり。インドで生れたというのは定説だけと、無いものに名前をつけて利用するなんぞ、賢いもんだねえ。

【齢吾】吾(われ)齢(よわい)を重ねて幾十星霜。迷うことばかり、くじけることばかりさ。それでも生きているかぎりは懸命に生きるってものなんだ。

【嶺倭】中華の世界から見た日本列島の山嶺はどう見えたのだろうか。白銀の峰々、それとも新緑うるわしい山際? 明代の海賊どもを倭寇と呼んだくらいだから(実は中国人が多かったとか)、たぶん辺境の地としか見えなかっただろうね。

そして【令和】。きょうは仕事をする人にとっては、令和元年の仕事始め。平成とキーボードを打ちかけて、はたと思い直す。が、パソコンは「れい」を関知した瞬間に平成と予想変換してしまう。システムの表記を西暦に統一して元号を止めてしまった組織も多いと聞く。伝統と利便性との狭間で【令和】との格闘はしばらく続きそうだ。

(ナガミヒナゲシは格闘しない。風にゆれるまま、雨に打たれるまま、令和の春を楽しむ)
始まって終わりなのかと十日間 [2019年05月06日(Mon)]

fumihouse-2019-05-06T17_31_41-1-thumbnail2.jpg始まりがあれば終わりはくる
いつかはかならず終わる
富める者も追われる者も平等にもつ時間
始めたばかりには永遠に続きそうで嬉しい
半ばになっても壮健に元気いっぱいだ
調子よくトントン拍子に気持ちよい
世は春色のきらめきに満ちている
黄昏時となった今ふと気がつく
ああもう終わりなのか
いったい何をしていたことやら
あれもしてない、これもしたかった
喧騒のなか、心には焦燥の念・・・・
人生哲学の深淵を述べようというわけではない
十日間の休みが終わってしまったのだ
あしたから仕事が再開する
怒濤の勢いでスケジュールが目白押し

(大型連休の終わりとともに躑躅の季節も終わる)
木材と格闘しつつ木を組んで [2019年05月05日(Sun)]

fumihouse-2019-05-05T22_27_09-1-thumbnail2.jpg木材を切った 木屑がでる
木を削った 木の香りが立ち込める
線を入れてノミでホゾを彫る 木が悲鳴をあげる
木は切られて削られて刻まれる
それでも生きて生きて 長く人の役に立ってくれる
木を大切にしよう

(香椿(チャンチン)の若葉は透き通った薄紅色。やがて緑になるが、香木で若葉にも白い花にも香りがある。別名は唐変木(とうへんぼく)。気のきかないヤツのことを罵る言葉と同じとはかわいそう)
練習しギター斜めに傾いて [2019年05月04日(Sat)]

fumihouse-2019-05-04T23_21_41-1-thumbnail2.jpg山陰ギターコンクールの運営を手伝った。きのう3日は出場者を控室から送り出す係、きょうは会場の騒音監視役だ。米子市文化ホールで行われたコンクールでは、ジュニア、シニア、中級、上級、プロフェッショナル部門に分かれて競う。1983年にスタートした伝統ある競技会である。

舞台で演奏者を支えるのは足台だ。15から20センチの伸縮式足台が昔から使われている。左足を足台に上げて高くし、太ももをギターのくびれに乗せて安定させる。

近頃多いのは、ギターサポートやギターレストと呼ばれる吸盤や三角支持具でギターを固定し、左足を上げなくてもすむようにするものだ。確かに足台を長時間使っていると足が疲れる。しびれてしまうこともある。普通にイスに座った状態を保つことによって、骨盤の歪みが減って長時間のギター練習が可能との触れ込みだ。

確かに疲れにくいかもしれないが、ギターサポートやギターレストはいま一つさまにならないと感じた。なぜだろう。ロダンの名彫刻「考える人」を考えてみよう。

右肘が左足に乗って前傾した体が左側にねじれて、「考える人」の完成だ。哲学する思考者はねじれていなくてはならない。まっ、カッコいいだけではあるが・・・。ギターレストを使って左右の足が均衡に広がっていると、考える人のイメージは湧いてこない。

ギターは小さなオーケストラ、とはベートーベンの言葉らしいが、弦楽器、金管、木管、打楽器もこなせるギターはカッコいい、でも難しい。ならば、せめて美しく見えるように努めたい。

(ギターのようなくびれを持つ赤いハナミズキ)
天皇が徴をかたどり日本国 [2019年05月03日(Fri)]

fumihouse-2019-05-03T20_25_00-1-thumbnail2.jpg象徴とはなんだろう。直接知覚したり表現できない概念や価値を、何らかの事物によって間接的に連想させたり比喩表現することを象徴という。平和の象徴が鳩だと言われるとわかったような気になるが、そもそも何で鳩と平和とがくっつくのだろう。よくわからない。ましてや、日本国や国民の象徴と言われても想像できない。

即位後朝見の儀で新天皇は、≪上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝≫を示し、≪日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします≫と述べられた。

国民がイメージする日本国民統合の象徴はそれぞれ違う。それでもあえて言えば、象徴天皇のあるべき姿とは、旧天皇最後の言葉にあったとおり、≪わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈≫り続けること、最優先課題として全力で祈り行動することに尽きる。継続するその努力によってはじめて、多くの国民は納得し天皇に敬愛の念を抱くのであろう。

(化学肥料を使わなかった昔は、春の田んぼにはレンゲソウがあった。緑肥として空気中の窒素分を取り入れて土を肥やす)
まず会ってコミュニケーション始まるよ [2019年05月02日(Thu)]

fumihouse-2019-05-02T22_25_57-1-thumbnail2.jpgコミュニケーションの語源となるラテン語はコムニカチオ、すなわち共有することだという。分かち合って意思を通じ合わせるわけだ。

コミュニケートの手段が多様化し、直接会わなくてもすむ手法で便利になると遠くにいても通じ合うから、それが主流な感じがするが錯覚だ。コミュニケーションは顔をつきあわせるところから始まる。

コミュニケーションとは、単純に情報の伝達にとどまらない。共感はもちろん、反感や無関心も含めた反応全般を引き起こす。

受け手は適切に受信したかどうか、送り手の意図を正確に解釈したかどうか、そこにコミュニケーションの成否がある。言語として文脈、態度や声音、表情といった非言語の情報も含めて、送り手と受け手は相互にメッセージを解釈しあっていく。解釈不能ならば想像で補うが、たいていは齟齬をきたす。食い違いが少ない人間がコミュニケーション能力が高いと称されるのであろう。

自分の考えを相手に伝えることに加えて、相手の思いを理解すること。この相互理解がコミュニケーションを形づくる。コミュニケーションは難しいが、まず会うことから始まると思う。

(藤の花を見て美しいと思う。それを誰かに伝えよう)
勝ち負けに不条理な生死伴いて [2019年05月01日(Wed)]

fumihouse-2019-05-01T20_56_40-1-thumbnail2.jpg『アベンジャーズ/エンドゲーム』はアメリカンコミックのヒーローがてんこ盛り。ヒーローだけではない。描かれる世界観も同様に派手さ満開であった。アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルク、ナターシャ、スパイダーマン・・・すべてのキャラクターを覚えてはいないが、シリーズ完結というにふさわしい。

前作「インフィニティ・ウォー」では、サノスが全宇宙の生命のうち半分を殺した。ヒーローたちも例外ではなかったが、残りの者が奇想天外な手法で反転攻勢に向かう。

最後のシーンで、キャプテン・アメリカが「自分の人生を歩んでみたかった」と述懐した。ヒーローとしてのものではなく、人として自身の生き方をしたいとの言葉に心が動いた。もし、別の人生を選択することができたらと、たら・ればで考えてみたいことは誰にでもある。激しい戦いを繰り広げるヒーローたちにはもっともな願望であろう。人間も同じだ。しかし、たらればはない。覚悟を決めて今を生きよ!と言われたような気がした。

心ひとつにサノスと戦う絆の強さに胸を打たれる。自己犠牲のもと他のヒーローを救おうとした。皆が同じ気持ちで戦ったからこそ、最強の敵に打ち勝つことができた。

確かに勝った。しかし、どんな勝利にも必ず犠牲者を伴う。不運にも弾丸が体を貫き、爆発に身が裂かれる。そして死んだり重傷を負う。若いスパイダーマンが無邪気にも勝った勝ったと喜ぶ姿にその感を強くした。

(赤系統の色でも噴き出す血の赤はいかん。淡紅色の芝桜は誰をも幸せにする)