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薄曇り第九を聞いて歳をとる [2018年12月31日(Mon)]

fumihouse-2018-12-31T10_11_19-1-thumbnail2.jpg歳末はベートーベンの第九を聞きながら、掃除をしたり片付けものをすることが多い。きょうは何をしているかというと、年賀状を書いている。遅いけれどもこれもひとつの大晦日なり。外には一昨日降った雪の名残が少々あるが、雲間から時折日も差して穏やかだ。

  星々が駆け巡るように楽しげに
  兄弟よ、自らの道を進め
  英雄が勝利を目指すように喜ばしく
  抱き合おう、諸人よ!
  この口づけを全世界に!

シラーは第九の詩で人間賛歌を奏でている。牧歌的で優美な第三楽章のあとで、こうして歓喜の歌が流れる。歳末にふさわしい。

来る2019年は亥年。十二支では最後の年、時間にすれば亥の刻は夜の10時。猪は勇ましい、けれど制御は難しい。暗さを忍び、耐えるところは我慢して、進む時が来たならば決然と突進する一年でありたい。

読んでくださっている皆さま。この一年ありがとうございました。どうぞ良い歳をお迎えください。幸あれ♪(^o^)v

(わが家のシャコバサボテン。洋名デンマークカクタス。蝦蛄のような花といわれればそう見える)
上品に爽やか朗らかみんな好き [2018年12月30日(Sun)]

fumihouse-2018-12-30T20_55_41-1-thumbnail2.jpg恋愛についてのある調査によれば、男と女がそれぞれ相手に求めるものは違うという。

女が男に求めるのは、1番に爽やかさ、2番目が上品さ、そして決断力だ。うーん、決断力ねえ。好きな人の前でそれでなくても上がった状態なのに、決然と的確な決断を下すことは難しい。昼御飯をどこで食べようか、そんな簡単なことですら不安に襲われてオズオズしてしまうものなのさ。

男が女に求めるものは何か。1番に上品さがきて、次に大胆さ。3番目に合理的であることときた。合理的であることは理知的。大胆であるためには合理的に割りきっていかないといけない。つまり強い女を男は求めている。強い女性はステキなり。

男、女ともに求める上品って何だろう。品位を感じられて、言葉や物腰にどこかしか厳かで洗練された雰囲気を醸す人は好ましい。反対に鼻につくような上品さは願い下げにしてほしい。私は上品でございます、と品をつくるのはかえって卑しい。

(目を見開いて、パートナーとなるかもしれない相手の人柄と相性を見抜いていきたまえ)
戦争の世紀幾度も大悲哀 [2018年12月29日(Sat)]

fumihouse-2018-12-29T15_04_39-1-thumbnail2.jpg『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』は、ハリー・ポッターシリーズのエピソード2で、20世紀初頭の魔法界を描く。ホグワーツでハーマイオニーが熟読した教科書「幻の動物とその生息地」の著者が主人公である。前回の主舞台はニューヨークだったが、今回はパリ。

ニュート・スキャマンダー役のエディ・レッドメインがキュートである。対人関係に臆病でおずおずしているのだが、戦うときは決然と勇敢で頼もしい。ティナ役のキャサリン・ウオーターストーンが、これまたキュートな美貌だ。9等身のプロポーションでありながら、ショートカットのおかげもあって温かさを醸して好ましい。

東洋の美形クローディア・キムが魅力的だが、役はナギニ。後にヴォルデモートの忠実なペットの巨大蛇になるというのが悲しい。偉大な魔法使いではあるが一教師に過ぎない若きアルバス・ダンブルドアは、渋くジュード・ロウが演じている。

最強の悪魔法使いグリンデルバルトは人間(ノーマジ)を配下に収めたい。人間と魔法使いはともに共存してきたのだが、第一次世界大戦の惨禍と痛みが残っていることを利用して、支援者たちが人間どもを憎むよう煽動する。

「人間の傲慢さ、権力への欲、暴力を知るがいい」と嫌悪を向け、集会の場に同じ魔法使いながら人間に味方する闇払いがいる、奴らへの憎しみを募らせよと。魔法界での大戦争が始まった。続編に期待したい。

(魔法で宙に浮かんだかのような灯火。大根島・由志園にて)
染めゆきて雪よ地面を年の瀬に [2018年12月28日(Fri)]

fumihouse-2018-12-28T07_23_20-1-thumbnail2.jpgこの冬、初めての雪景色となった。朝寒さで目が覚めて外は真っ暗、白いものはなかった。出勤までの30分ほどで粒雪が積もり、いつの間にか雪景色。クルマは冠雪して染まり、地面もアスファルト色の足跡を残すほどに白くなっている。

今日から大寒波襲来。天気予報の等圧線は日本列島に8本もかかって冬将軍のお出ましだ。仕事納めのところも多かろう。私も例に漏れず締めの日となる。

今年も残すところあと4日。あれよという間の一年を悔いるべからず。禍福交えて意義ある年が過ぎた、と大晦日の夜を迎えたい。
思と想と分けて合わせて意味違う [2018年12月27日(Thu)]

fumihouse-2018-12-27T18_33_47-1-thumbnail2.jpg【思う】と【想う】。前者が汎用的な「おもう」、後者は恋慕う気持ちのある「おもう」だと、それこそ思っていた。

漢和辞典で調べると、【思】は「子供の脳」と「心臓」の象形から成り立つ。直感的で情緒的な考えや漠然とした推量というものが、ある面幼稚になりがちだから子供なのかもしれない。

【想】のほうは、「大地に生えた木」と「目」の象形に心を加えて、心にものの映像を描く意だ。

だから「想」は恋に患い、家族を深く思いやる文字ではなく、あくまで映像や画像をイメージすることなのだ。「思」は感覚的・感情的におもうわけだ。

フムフム、勉強になった。では2つの漢字を合わせた【思想】とは何だ。だいぶん意味合いが変わってくる。

単純に、心に思い浮かべたり、考えることとする解釈もあるが、一般的に思想というと単なる思いではなくて、意味が重い(とシャレ)。人生や社会についての見解や体系を指すほうが自然だ。哲学的になったり、先鋭的な政治活動綱領になったりして、やけに重いのが思想というものだ。

(灯火は明と暗とを分け隔つ。大根島・由志園の花のLEDイルミネーション)
新春の感じを出して年が暮れ [2018年12月26日(Wed)]

fumihouse-2018-12-26T21_36_34-1-thumbnail2.jpg先週職場の忘年会の締めを任された。始まりの挨拶で災いの話が出ていたので、駄洒落でいこうと決めた。

今年の【漢字】は『災』でした。雪に暑さ、大変な一年でしたが、この会の【幹事】は幸いでした。いい【感じ】に忘年会を仕切っていただきました。ありがとうございます(拍手)。

ここまでは実際で三本締めで終わらせた。あとは今やっている空想。

相変わらず【甘辞】な言葉で人心を惑わす詐欺が横行していますが、日産の【監事】じゃあるまいに、悪者を見逃してはなりません。振り込め詐欺も経済活動には違いないですが、【閑事】です。誰も喜ばない役立たずの行いです。

身にしみる【寒じ】の季節です。持病やらケガの後遺症がある人は【完治】させて、春を迎えたいですね。いろいろありますけど、まっ【莞爾】としてニコッと新年を迎えましょう。

(赤い木瓜(ぼけ)の花も、たまの冬青空の下で微笑んでいるかのようだ)
負けないで希望のひかり一大事 [2018年12月25日(Tue)]

fumihouse-2018-12-25T22_26_56-1-thumbnail2.jpgテレビからはヴィバルディの『四季』が流れてきた。夏、嵐のシーンである。激しく雷雨が地面に打ちつけ、風が木々を荒々しく揺り動かす。生活の全般で一大事だ。

全日本フィギュアのフリーが始まった。ヴィバルディに合わせ演技するのは樋口新葉。出場選手はすべてを賭けてこの場に臨んでいる。来年の世界選手権の出場を目指してスケーターたちは戦う。期待が寄せられプレッシャーに押し潰されそうに、ガチガチの緊張感で硬くなっているであろう。今が人生の一大事。

多くの人が一大事に臨んでいる。フィギュアのように華やかな場ではないかもしれない。四季の嵐は流れてこないかもしれない。それでもプレッシャーは強烈で緊張で手足が震えることはある。

一大事に敗れたとしても、命は取られない(ふつうは)。捲土重来を期して再挑戦ができるというものだ。全ての人が勝つことはできない。しかし、負けてもへこたれない、再起を期すことは可能だ。それはすなわち「負けない」ことなのだ。

(負けるな! 希望の炎を消してはならない)
象徴を形に残す旅なれば [2018年12月24日(Mon)]

fumihouse-2018-12-24T16_24_42-1-thumbnail2.jpg象徴とは「かたち」と「しるし」。天皇が憲法に定められた働きを、一から探ってきたのが今上天皇である。青年期に戦争が終わって以降、悪戦苦闘の日々ではなかったかと思う。

「先の大戦」で亡くなった300万を超える人々の鎮魂と遺族への弔意を示すため、全国のみならず、戦禍の各国を訪れて祈られた。敗戦国の皇太子として世界を行脚された。国内では災禍に遭われた方々を低姿勢で見舞われる姿は敬服に値する。

きのう85歳の誕生日を迎えられた際の一般参賀では、次のように述べられた。

 今年も残念なことに各地で災害が起こり、
 これにより家族や親しい人を失い、
 あるいは被害を受け、
 今も不自由な生活を送っている人々のことを
 思い、深く案じています(中略)
 明けてくる年が皆さんにとり、
 明るい良い年となるよう願っています。
 皆さんの健康と幸せを祈ります。

誠実で深く、飾り気のない言葉に感動した。きょうは月曜日だが、天皇誕生日12月23日の振替休日であり、平成最後の恩恵を受けている。

目に見えない平和をイメージして象(かたど)る。規範として人々のお手本となる。それは世の道理でもあってほしい。平和への兆しを指し示したい・・・・そうした願いに象られた今上天皇の平成の旅路。後世の模範となるだろう。
世は楽し人を考えクリスマス [2018年12月23日(Sun)]

fumihouse-2018-12-23T18_33_22-1-thumbnail2.jpg読み終えたディケンズ著・村岡花子訳『クリスマス・カロル』の感想を書く。

守銭奴スクルージにとって、クリスマスを祝うとは、クリスマスを呪うことに等しい。スクルージの口癖は「ばかばかしい」。一銭(英国では1ペニー)の得にもならなければ無駄、と考える極めつけの冷血漢。

クリスマスイブの夜、かつての共同経営者マーレイの亡霊がいた。彼もスクルージ並みに冷たい人格だった。彼は言う。生前の諸業が自身を頑丈な鎖の環で縛り、永久に苦しむ。無慈悲だったことを懺悔しても、死んではどうにもならない。生きている君には希望があると明かす。一晩のうちに3人の幽霊が現れるから言うことを聞けと。

最後にスクルージは改心した。「私は心からクリスマスを尊び、一年中その気持ちで過ごすようにいたすつもりです。私は過去、現在、未来の教えの中に生きます」と誓う。

スクルージの世界観が変わった。感謝と喜びで境涯が広がると、目の前の全てのものがかけがえのないものになる。いま自分は生きているという喜びで満ちて、嘲笑しか浮かべたことのない顔に笑みが広がった。仏法の宿業論的な思想にも踏み込んで、大団円のハッピーエンドであった・・・。

現代の私たちは幸せである。ディケンズのいた2世紀前からすれば魔法のような科学技術に囲まれて、便利な暮らしを享受している。小説の楽しみもそのひとつ。

クリスマス・カロルの筋立ては予定調和だ。性質上やむを得ないにしても、説明調子が続き、和訳も現在の日本語からすると不自然だ。小説の世界も日進月歩して作品数は無尽蔵。ディケンズのクリスマス・カロルの価値が減じるものではないけれど、私たちは小説だけをとっても、昔に比べれて格段に楽しく生きている。私たちは幸せだ。むろん、古今東西全てに平等な死の問題は残されたままである。

(スクルージがクリスマスを祝えるようになって、愛でたしめでたし。大根島・由志園のイルミネーションでサンタが豊かに奏でる)
働くと心身ともに善しやよし [2018年12月22日(Sat)]

fumihouse-2018-12-22T15_59_21-1-thumbnail2.jpg働くとは、「端(はた)を楽(らく)」にするものだという。端には、同僚がおり、先輩や後輩、上司や部下がいる。取引先があり、上客も招かれざる客もいるだろう。学校にとっての最大のステークホルダーは児童生徒であり、保護者の満足も得ていかなければならない。

多くの端に接しながら私たちは働いている。すべて不満なく対応していくことは不可能だし、必要以上にご機嫌をとることも不毛なことだ。

あるときは金銭や報酬を得て、端楽。またあるときは無報酬の行為で、端楽。それは翻って自分の達成感となり、心身の健康に資することになる。勇んで働こう。謙虚に働こう。楽しみつつ働こう。
進むには3つのションが基本形 [2018年12月21日(Fri)]

fumihouse-2018-12-21T17_35_30-1-thumbnail2.jpg3つのションが必要だ。ションベンではない\(_ _) 人の気を奮いたたせ、進む道筋を見出すもの。ミッション(mission)、パッション(passion)、アクション(action)である。

ミッションは使命だ。与えられたものでも自分で決めたものでも、どちらでもかまわない。行うべき任務を自覚することができれば、全体の枠組みが見え、行くべき道がついてくる。

パッションは情熱。好きこそものの上手なれという。少々の悩みはつきものだ。好きならば工夫して苦労を突破する力が湧く。

アクションは行動力だ。ミッションとパッションを下地にして、困難にひるまず負けない遂行力を持とう。それは楽しむことにつながる。今が楽しめなくては過去は生きない。未来もやはりつまらない。苦闘もまた楽し、である。
瞬間に移動したなら魔法界 [2018年12月20日(Thu)]

fumihouse-2018-12-20T17_15_49-1-thumbnail2.jpg驚いた。瞬間移動が可能なのはハリー・ポッターだけだと思っていた。

魔法使いが姿くらましをする。ギュルンと体が捻れたかと思うと異次元の穴に吸い込まれて、どこか別の空間に間髪をいれず、姿あらわしする。魔法界の成人に達しないと出来ない高度な魔法である。テレポーテーション・・・誰もが憧れる術だ。

東京五輪の聖火リレーでは瞬間移動の技が見られるという。東京都心から千キロ離れた小笠原諸島への聖火の受け渡しに瞬間移動を使う。姿あらわし、いや違う、トーチの聖火を本土側で消すと同時に島側で点火するだけのことだ。テレビの画面を分割して、片や消した、片や点いた、その瞬間を見せてくれるのだろう。

それでも厳密な時間管理が必要だ。電磁波の速度は一秒間に30万キロ。千キロで割ると、300分の1秒の差があるわけで、それも考慮した「瞬間移動」であっていただきたい。

(いまにも瞬間移動しそうな女郎蜘蛛、んなわけはないか)
走り込み京に向かうは冬木立 [2018年12月19日(Wed)]

fumihouse-2018-12-19T07_38_21-1-thumbnail2.jpg京の都大路を駆け抜ける全国高校駅伝は12月23日(日)に号砲が鳴る。男子の部には出雲工業高校が島根代表として参加する。先ほどJR特急やくも号にて出発した選手と監督を見送ったところだ。

予選タイムを見るとトップとの差は7分以上はあるが、彼らの走りを貫いて襷をつなぐことを願う。島根県出身者のみで構成されたかわいい生徒たちである。保護者会長とともに求められたので、本番まで事故なく万全の体調で臨めるよう祈る!とスピーチした。

冬の朝は寒い。街路の木立の向こうに明けの明星が光り、くっきりした朝焼けが眩しい。生徒たちを乗せたやくも号からは冠雪した伯耆大山がよく見えることであろう。

彼らは静かに、そして元気そうに旅立って行った。健闘を祈る。スタートは12月23日(日)12時30分。テレビ放映もある。

追伸 大阪府代表は妻の出身校でもある関西創価高校。こちらの走りも見逃せない。
絶世の春を求めて冬過ごす [2018年12月18日(Tue)]

fumihouse-2018-12-18T17_38_13-1-thumbnail2.jpg早くあの美女に逢いたい。心を奪われ、緩やかな風に吹かれて、めくるめく陶酔感にボーっとなりたい。温かい花の波に洗われて、厳しかったあの頃を忘れよう。

≪梅が咲き、山茱萸(サンシュユ)が咲き、辛夷(コブシ)が咲けばじきに、めくるめく桜の洪水が押し寄せる。日ごろ花を賞(め)でる心のない人でも、さすがにこの季節ばかりは気もそぞろになる。桜という絶世の美女に誰もが心奪われる≫
(「花のしたにて」浅田次郎,集英社文庫『まいっか』)

暖冬というが、冬はやっぱり寒い。体は凍え、指はかじかむ。温かい室内から寒風に吹かれれば、気持ちが怯む。夕方の光はいくぶん明るくなったものの、朝はますます遅くなる、寒くなる、起きられない。早く春よ来い。桜というあの季節の絶世の美女よ、咲き誇ってくれたまえ。

(春の雑草も、美女ではないが、それなりに美しい
あきこさんタブー切り込む新表現 [2018年12月17日(Mon)]

fumihouse-2018-12-17T19_11_37-1-thumbnail2.jpg与謝野晶子はうたった。

  明日といふよき日を人は夢に見よ
   今日のあたひはわれのみぞ知る

ひとは明日という日を夢にみて、未来に期待していくんでしょうね。私はどうかって? 今が全てなんだ。今日一日の価値は私だけが知っている。無駄にはしない。是も非もなく、私はわたしなんだから・・・。

強い言葉である。女性は自立せよ、女性は自由であれ・・・情熱をもって歌に詠み続けた歌人・与謝野晶子らしい。

情感を秘めて表に出さないのは当たりまえ、行動も慎ましやかにして当然! これが美徳とされていた時代にあって晶子は心情をありのままに込めて、和歌の世界を変えた。タブーとされてきた身体や出産を斬新に表し、現在の目からみてもエロチックな表現を使っている(発禁処分も受けた)。

晶子が生まれたのは1878年。大阪という風土も彼女の実直さに寄与したことだろう。晶子が1942年に亡くなってから76年。そう大昔のことでもない。今年は生誕140年。

(今夕出雲工業高校から見えた天使の梯子。晶子ならどう表現したろうか)
クリスマスキャロルとストーリー復活に [2018年12月16日(Sun)]

fumihouse-2018-12-16T16_45_58-1-thumbnail2.jpgもうすぐクリスマス。クリスマスメロディをあちこちで耳にし、クリスマスの飾りつけがきらびやかだ。映画『Merry Christmas! ロンドンに奇跡を起こした男』は、チャールズ・ディケンズが19世紀半ばに「クリスマスキャロル」を上梓したときの物語だ。

小説家ディケンズが登場人物と語り合う。筋をすすめ互いに合意したかと思うと、反目して不機嫌になる。現実生活と物語が渾然となって妄想がつのり、家族は小説家の言動に戦々恐々となる。世間は変り者だと陰口をたたく。常に葛藤をかかえ、摩擦の大きさゆえにひどく消耗していく。

葛藤はもっとある。暗闇だった幼少期、父や母との確執、理解しあえない妻・・・。一方で経済的には破産が目の前にある。小説家はやっとこさ、ファンタジー『クリスマス・キャロル』を書き上げた。

スクルージは冷酷な守銭奴。究極のエゴイストで愛には縁がない。だが、彼はクリスマス・イヴに精霊の力によって自分の悲惨な来世を知り改心する。物語を通して人々のキリスト教への信仰を呼び覚ましたわけだ。讃美歌のクリスマスキャロルがハッピーエンドを祝う。

20世紀に多くの歌ができた。「ホワイトクリスマス 」「赤鼻のトナカイ」「ジングル・ベル」などは20世紀版のクリスマス讃美歌と言えるだろう。作中でディケンズはドイツから伝わったクリスマスツリーが英国にも広まると予見する。クリスマスソングとクリスマスツリー、この二つがなかったらクリスマスは味気ない。そもそもこれだけ一大行事にはなっていなかっただろう。

純粋な信仰とは異質だが、一時廃れていたクリスマスはキャロルとストーリーによって、すなわち世俗的な魅力によって復活したと言ってもよい。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」も大いに貢献した。

わたしはディケンズを読んだことがない。さっそく図書館に走った。村岡花子訳『クリスマス・カロル』、感想はいずれ後日。
足を組む左右の違いあるものさ [2018年12月15日(Sat)]

fumihouse-2018-12-15T15_36_02-1-thumbnail2.jpg足を組む仕草には、心理学的に大きな意味があるそうだ(心理研究家・牧村和幸氏の心理学講座のサイトより受け売り)。

【1】右足を上にして組む
 日本人には多いタイプで消極的で慎重。自分から積極的に意見を言わない。知り合ってもすぐに親しくなれない受け身の性格。
【2】左足を上にして組む
 開放的で楽観的。気さくなので、話しかけやすいし、すぐに友達づきあいができるタイプ。
【3】やたら足を組みかえる
 イライラしている。面白くないとか、他に約束があって時間を気にしている。早めに切り上げてあげたい。
【4】膝から下、足首を交差させて組む
 子供っぽい人。空想の世界に生きている。

わたしは左を上に組む。長年の習慣かもしれないが、右を上にすると体が捻れて気持ちが悪い。どちらにせよバランスが悪いので、わたしは意識して組みかえるが、イラついているわけではない。

では、腕組みはどうか。複数の人がいる場で、警戒したり敵対視する心理である。急所である胸や胴体を本能的に守る。無意識に腕組みしていると相手を疲れさせているかもしれない。注意したい。
人と人伝えて互いにわかりあう [2018年12月14日(Fri)]

fumihouse-2018-12-14T18_02_22-1-thumbnail2.jpg先週末に一泊二日で青少年育成アドバイザー養成研修を主宰したのであるが、NPO法人あしぶえのワーク演習が圧巻だった。楽しい、そして一体感が高まる。でも、思うところを相手方に伝えるのは思いのほか困難だ。題して、「伝える」ことは難しい!。

10センチに切ったガムテープにニックネームを書いて名札にする。だから講師の有田氏も「ありちゃん」と呼んだ。なぜニックネームなのか。普段の自分を解き放つためであると。

【自己紹介ゲーム】がアイスブレイクとなる。円陣で並び、順繰りに自分のニックネームを手で指して自己紹介⇒相手も同じく自己紹介⇒相手のニックネームをアイコンタクトしながら呼ぶ⇒相手から呼ばれる。これを全員とやっていく。幾何級数的に笑顔が広がり、エネルギーの渦が深まっていく。

次は円陣に腰かけて、【わたし・あなたゲーム】。自分を「わたし」と手差し、誰かにアイコンタクトしながら「あなた」と手差しで振る⇒振られたら、ほかの誰かに返すことを順繰りにやる。いつ来るかいつか?とドキドキする。

続いて、【あいうえおサークル】だ。「あ」から始まり、アイコンタクトと手差しで選んだ誰かに五十音順で振っていく。「ん」までいったらアガリ。集中力が途切れると言葉が出てこなくて、おじゃん。「あ」からやり直しである。笑いが絶えなかった。

【電流ゲーム】は観察力と機敏な動きが求められる。発電所から一方向に手を握って電流を送っていく。電流の向きを変えられるのは発電所のみ。鬼が電気のありかを当てたら鬼交代。筋肉の動きを読まなければならないが、フェイントをかけられるとなかなか難しい。手も握りあい親密の度はさらに高くなる。

【ビリビリブー】はよく動く。円陣の中を鬼は回る。誰かの前でアイコンタクトして「ビリビリブー」。言われた人は鬼が言い終わるまでに「ブー」と言えばセーフ、言えなければアウトで鬼交代。鬼が「ブー」と言えば言葉を発してはいけない。

鬼が「バニーちゃん」と言えば、兎の耳ように両手を頭の上に、左右の人は言われた人の腰に腕で輪を作る。鬼が「エレファント」と言えば、伸ばした腕の反対の腕を回して鼻をつまみ、左右の人は両手で輪を作って大耳にする。うまくいかなかった人が鬼交代。誰もが失敗する、これを学んだ。

【人間ファクス】は一人が見てきた簡単な絵を、相棒に言葉だけで伝えて書いてもらうもの。伝わらないもどかしさを感じつつ、大笑いしあった二人組であった。

備忘録として内容を記したが、声の強弱、間の取り方・・・進行上のファシリテートが絶妙で、ゲームを重ねるごとに満足度が増していく。本旨である伝えることの難しさもよーくわかって、納得のいく内容であった。さすが、ありちゃん。ありがとうございました!
少ないが良い年の瀬過ごされたし [2018年12月13日(Thu)]

fumihouse-2018-12-13T20_51_08-1-thumbnail2.jpg今夜、馴染みの店員さんと別れ際に、「良いお年を!」のフレーズを使った。今年初めてである。これからは連発することになるだろう。年の瀬が近い。3週間後はもう正月3日だ。年賀状、仕事の締め詰め、身の回りの片付け、やるべきことは多い。本も読みたいし、ギターも練習したい。酒も飲みたいし、ひとと語り合いたい。少々睡眠不足で目がショボショボするんで、体力保持にも気をつけなければなるまい。風邪を引いたら元も子もない。みなさんもどうぞ、お体お大事に!
輝いて青春まっただなか楽し [2018年12月12日(Wed)]

fumihouse-2018-12-12T20_40_01-1-thumbnail2.jpg出工高の吹奏楽部諸君が図書委員会主催のクリスマス会で(ちと早いが)、何曲かのポピュラー曲を演奏してくれた。うちの一つがカーペンターズの『青春の輝き』。サワリの I know I need to be in love しか知らないが、好きなメロディで、気持ちよく彼らのハーモニーに耳を傾けた。甘酸っぱい感情が押しよせてくる。サワリの歌詞はこうなっている。

 わかってるの、私っていつも恋してなくちゃいけないって( I know I need to be in love )

 十分わかってる、あまりに時間をムダにしてきたことを( I know I've wasted too much time )

 自分は欠点だらけなのに、完璧な相手を望んでいたなんて、もちろん今はわかるよ( I know I ask perfection of a quite imperfect world )

 そしていつか理想の相手に巡りあえると思っていたなんて、おバカさんだよね( And fool enough to think that's what I'll find )

なんと題名は『 I know I need to be in love 』ではないか。意訳して『青春の輝き』と邦題をつけるとは恐れ入った。

近頃の青年は恋をしなくなったというが、恋はアドレナリンでやる気がみなぎる。何げない風物に心が動く。一方で恋は盲目。つんのめり過ぎると重傷になることに、よくよく注意。でもそれこそ青春の輝きなり!

(恋すれば薔薇の一輪だって極上の美と喜びになる)
剛毛をいずこに置くや先細り [2018年12月11日(Tue)]

fumihouse-2018-12-11T17_13_43-1-thumbnail2.jpg尾籠だが書く。
男性用トイレの小便器。毛が付着している。髪の毛もあるけれど、気になるのは縮れた剛毛だ。小型で的を外しそうな便器は低い位置にあるから、ヤツが付いていても不自然ではない。

ところが縦に長くて大きい便器にも付いていることがあって、不思議に思うことがある。流面に付いたヤツは洗浄水に流される。上の平たいところに乗ったヤツは落ちずに鎮座し続ける。細いヤツだが存在感は抜群だ。

便器は高さにして1m20cmはあろうか。身長2mを超える主であればあり得るが、そうざらにそんなデカイ人はいない。なぜ高い場所に居座るのか、可能性を考えてみたい。

1 風で吹き上がる(ふつう風はないはずだが)
2 上着に付着していたヤツが剥がれ落ちる(可能性は高い)
3 ゴキブリがくわえて登る(そんな利益のないことはしない)
4 実は髪の毛(剛毛縮れの先細り?)
5 主が自ら抜いて置き去る(まさか!)
6 便器ブラシに付いていたのが洗った時に付く(なんたる酷い掃除か)

真相は闇の中、いや便所の中に付着している。
幾度も機会逃さず今度こそ [2018年12月10日(Mon)]

fumihouse-2018-12-10T17_58_50-1-thumbnail2.jpgかつて年配の方がパリッとした白のTシャツを着ておられた。胸のプリントはこうなっている。

 "A new time is here"

新しい時はここにある。過去は過ぎた、今は今。未来に向かって今の時を大切にする。そうすれば、後悔していたつもりの過去は今によみがえり、将来に役だっていく。そんなふうに思ったことを説明してあげた。

しかも不定冠詞の「a」付きだ。新しい時はひとつではない。次々と生まれてくる。チャンスは幾度もある。勇気を与えてくれる名言だと思う。
哲学に対話すすめて新機軸 [2018年12月09日(Sun)]

fumihouse-2018-12-09T22_21_48-1-thumbnail2.jpg東大大学院教授の梶谷真司氏は、「哲学対話」をすすめておられる。哲学対話とは、子どもの思考力を養うために70年代にアメリカで始まったのだそうだ。対話する際に次の七つが原則だ。

1 何を言ってもいい
2 人を否定したり茶化したりしない
3 発言せず、ただ聞いているだけでもいい
4 おたがいに問いかけるよう心がける
5 知識ではなく、自分の経験にそくして話す
6 話がまとまらなくても、意見が変わってもいい
7 分からなくなってもいい

これを見ると思う。対話したり集団の意見をまとめようとした際に、心理的制御が働く。自分が言ったことを批判されるのではないか、誰かに質問でもしようものなら不快に思われるのではないか、そもそもそんなの面倒くさい・・・

梶谷氏が言うには、日本には考える自由がないのだそうだ。周囲の評判に過剰反応して、自分に思うところがあっても行動できない。そもそも考えることを拒否してしまう。寂しいことだね。哲学を求める時代? いいことだと思うよ。

(早く春紫苑 (はるじおん)が咲く春が来ないかな八分音符この冬初めての寒波が来た。冷たい雨と小雪を繰り返す)
行かこいと何処へ行こうかどちらまで [2018年12月08日(Sat)]

fumihouse-2018-12-08T13_24_17-1-thumbnail2.jpgコンビニの支払いに電子マネーを使った。
レジでわたしはカードをかざした。
「イカコでお願いします」
店の人も「はい、イカコですね」
レジのボタンを探していたが、
見つからず怪訝な顔をしていた。
なんか変だった。
わかった、イコカだ。
なんの頭文字かは知らないが、
ICOCAカードは「さあ、行こうーか、旅に出よう」にひっかけてある(と思う)。
一方で「ほんなら、行かこい」は出雲弁。
わたしは出雲弁の行こうかに絡めて
間の抜けた名前で読んでいたわけだ。
宴会や食べ尽くしては満足の [2018年12月07日(Fri)]

fumihouse-2018-12-07T07_56_48-1-thumbnail2.jpg忘年会の季節が始まっている。30・10(さんまるいちまる)運動をしなければならぬ。宴会でありがちな大量の食べ残しを減らす。

島根流の宴会スタイルとまで言えるかどうかは知らないが、廃棄食品を減らして環境と家計と飲食店の三方一両得になる運動だ。その上で、酒も料理も会話もしっかり楽しもう。

宴会幹事はまず、参加構成を考えて料理の内容や量を注文する(文句が出ても困るので難しい)。宴会のセレモニーが終わったら直ちにアナウンスする。「残さず食べよう さんまるいちまる にご協力を」と。乾杯の後30分間とお開き前の10分間は席にいて料理を楽しみ、もったいないを心がけようと。宴会終了10分前にもアナウンスを忘れない。

わたしはどうか。幹事の時に一回やった。それなりに効果があった。食べるほうはどうか。毎回完食する。残さず食べ尽くして満点だ。
河口にてマガン白鳥冬の朝 [2018年12月06日(Thu)]

fumihouse-2018-12-06T21_36_49-1-thumbnail2.jpg先週日曜日の未明から早朝 初冬の斐伊川河口
下弦を過ぎた三日月がいる 明けの明星もお目見え
暗闇に乳白色の朝が溶かし混まれる
漆黒の空が紺色になった
ぐんぐん見る間に光が増える 晴れた朝が到来した
辺りは暗くてもコハクチョウの白色は浮きたつ
赤ちゃんの鳴らす足笛のような鳴き声 マガンだ
10羽の小さな編隊で宍道湖の向こうからやって来た
白鳥もつられて鳴き出す 群れは150羽ほど
マガンの編隊は多いもので約100羽
次々と河口の上空で大きな丸を描く
合わせればざっと500羽のモーニングフライト
7時10分に山の端から太陽が顔を出した
空のオレンジ色が金色に 光彩が世界を照らす
島根を含め北九州、大阪、鳥取ナンバーが10台
ここは隠れた出雲の新名所

(葦原の向こうの南東から午前7時の太陽がやがて顔を出す)
ボヘミアン私は負けない進み行く [2018年12月05日(Wed)]

fumihouse-2018-12-05T17_29_49-1-thumbnail2.jpg 私はチャンピオン 私たちは王者だ
 困難を数々乗り越えて ここにいる
 悪戦苦闘するのは昔も今も同んなじさ
 それでも俺はチャンピオン
 負けじ魂ここにあり

そんなふうに不屈の魂が、クイーンの音楽から響いてくるように感じた。クイーンのことはあまり知らないが、ボーカルのフレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』に胸が熱くなった。

究極のロックンロール。アップテンポで体制を批判し、情感を歌い上げ、強者より弱者の目で世の中を見ている。言葉はきついが優しさにあふれている。クイーンの音楽、なかでもマーキュリーの熱唱は生半可な情緒や詩的表現など捨てて、熱く篤く気持ちを語る、叫ぶ、訴える。

作中では欲や金に色気が出たり、仲間割れや恋人との別れもあった。バイセクシャルであることを自覚するときは、LGBTがマイノリティだった当時は(今もそうだが少しはまし)、どれだけの苦痛であったことか。ましてやエイズの治療薬がない30年前にはマーキュリーは後悔にもさいなまれ続けたことであろう。

しかし彼は止まらなかった。苦しんでも俺はチャンピオン、負けるものかと。見る人すべてに応援歌となるこの映画はただいま大ヒット中。ゆめタウン出雲の上映館でもこれまた異例の大入り。一見の価値あり、素晴らしい映画だ。

(クイーンとは対極にある落葉の詩的美。出雲高校久徴園下のアスファルト通路に落ちた錦繍の数々)
流行語みんなが使うベストテン [2018年12月04日(Tue)]

fumihouse-2018-12-04T18_32_06-1-thumbnail2.jpg相手を尊重するための第一歩は、相手にポジティブに反応すること。「そだねー」は訛りもあって温かい。反論するとしても、そだねーあなたの言い分は分かったよと受け入れた上で、私はこう思うと切り返せるよ。

独国のブレーメンで活躍する大迫勇也への称号「大迫、半端ないって」。すべてのがんばる人々への誉め言葉。あなたの努力は半端ないって、精進するのを楽しんでね。

からだを動かすのは気持ちがいい。「eスポーツ」はからだを動かさないって? いやいや手指や手首、肘、肩の関節まで駆使してゲームコントローラーを操作する身体活動さ。これも立派なスポーツだよ。

おっさんにはバリエーションがある。同性愛には縁がないけれど、「おっさんずラブ」には参ったね。それなりの視聴率をとったというが、見てないものでよくわからない。「ご飯論法」も同じこと。すぐに忘れられてしまう気がするよ。

奈良県出身の人、全国の奈良さんには迷惑千万だけれど「奈良判定」には開いた口がふさがらない。ボランティアとして誠実真摯に邁進するあの方の爪の垢でも煎じて飲ませたい。あの方は受賞を辞退なさって、これまたスーパーな話題です。

なにかと忙しく、なんだかんだと世知辛い毎日で、ボーッとする時間も必要だよね。でも「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と活を入れられると、目が覚めますね。ふーっ、ちゃんとしよっと。

僕も私も、そうなんだ。付和雷同するよりは、始めから自分は自分と割りきっていったほうがいい、とは知っているけれど、ついつい「#MeToo」ですませちゃうんだよね。

今年の夏は暑かった。これぞ「災害級の暑さ」なり。今年限りにしてほしいと地球に頼んでも、そうは問屋が卸しません。さる大統領が罷免されればいいって? いやいや彼一人が地球温暖化論はまやかしだとほざいているようで、実は地球人一人ひとりにかかっているんだよ。

2018ユーキャン新語・流行語大賞のベストテンより

(地球? いやいや夏の頃、椿の実ですよ)
背が赤く後家になりたしオドオドロ [2018年12月03日(Mon)]

fumihouse-2018-12-03T17_50_59-1-thumbnail2.jpgセアカゴケグモが出雲市内でもみつかった。漢字で書くと、おどろおどろしくて、背赤後家蜘蛛。背に赤色の縦条があり、腹には赤い斑紋がある。雌が毒を持ち、つがいの雄を食ってしまっては毒々しい奸邪(かんじゃ)な後家になるという。

1センチ弱の小さい個体ではあるが、咬まれたら痛い目に遭う。強い痛みや腫れ、頭痛、筋肉痛、重くなると進行性の筋肉麻痺が生ずる。亜熱帯地方の生物が平気の平左で出雲までやってきた。凄まじい共生の時代に突入した。

(赤いホトケノザはセアカと違って平和だ。半円状の葉が茎と花を取り囲むのを釈尊の説法時に見立てた。早春から咲く仏の座がどうして今満開なのか。不思議だ、おかしい)
思い切り秋終わり捨てよテキスト [2018年12月02日(Sun)]

fumihouse-2018-12-02T11_45_00-1-thumbnail2.jpg先月始めに漢検2級受験を終えたとき思った。あえなく撃沈とはいわないが、余裕のよっちゃんとは思いもよらず・・・呻吟し続けた60分であった。

平気をよそおうの「装う」が思い出せなかったし、沃野千里の「沃」が書けなかった。「堆積」も忘れていたし、「斬新」を暫と書いてしまった。ほかにもいくつ不正解やわからないものがあったのだろう。仮名をふることはできても、部首は事前問題にないのばかりで戸惑った。8割以上正答の自信などない。

大学受験生のころから、出来映えが良いときは分からなかったところが記憶に強調されて、結果が悪いときは分かったところだけが印象に残ると聞いていた。その法則から言えば合格!となるのだが、そんな自信はない。もう試験のことは忘れよう!と思いきっていた(でもテキストは捨てなかった)。

先日通知が届いた。なんと合格していた(と、自慢するオヤジ)。ニッコリと笑顔になるというよりは、からだの力が抜けたような気分になった。よし、テキストを捨てようっと。

(美しい落葉の様。これも美的に合格!)
針の山柚子の実酸っぱい曇り空 [2018年12月01日(Sat)]

fumihouse-2018-12-01T20_32_44-1-thumbnail2.jpg柚子は拒む 獣はもちろん鳥も寄せつけない 人すらも嫌う
長いものは5センチはある強靭なトゲ ほとんど針
風が吹くたびに実が傷つくのだろう
自らつけた手負いの傷が痛々しい 
それでいて幹や枝は柔らかい そのおかしな対比
軍手を二重にしても針は指を攻撃する
痛かったけれど余分な枝打ちをして木がスッキリした
柚子たくさん採れた ゆず湯にしよう いい香りが匂い立つ♪
肩こりに効くらしい 風邪もひきにくくなるとか
しかし私はダメだ 痒くなる
ゴツゴツした柚子の実を鍋のスープに添えた