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呼び捨てて責任感を呼び覚まし [2018年05月31日(Thu)]

fumihouse-2018-05-31T07_18_22-1-thumbnail2.jpg部長や課長、校長といった役職者を呼ぶときに、役職名自体に尊称の意味あいがあるので、私も多くの人も役職名を呼び捨てにする。学校文化では常識となっている「校長先生」「教頭先生」といういい方は、行き過ぎの感があって私にはいまだに馴染めない。

会社によっては役職に一律「さん」を付けて呼ぶところがある。私はフランクな感じで好ましいと思っていたのだが、どうもそうではないようなのだ。『役職者を「さん付け」する会社が崩壊するワケ』(5月30日付け東洋経済ONLINE)で、江口克彦氏はこう述べる。

≪「部長」「課長」と呼ぶ際には「あなたは部長としての自覚がありますか」「責任感がありますか」という意識をこめて呼≫ぶべきであり、
≪「さん付け」をしてしまえば、「責任感なき部長」「自覚なき課長」を生み出します。当然、会社全体、組織全体が「無責任集団」になります。会社が「無責任集団」になれば、やがて衰退、はては倒産、あるいは現状のままで発展成長しないのは当然≫だと説く。上役からその部下に対するときも、役職名・呼び捨ては、自覚を促すという大切な意味があるとのこと。

氏は、≪会社組織というものは「理の世界」です。そこに「情の世界」である家庭や友人関係の感情を持ち込んでしまっては、会社は成長しない≫と結論づける。

今日はやたらと引用が多い点で著作権法上問題があるけれども、お許しいただこう。それだけ私にとって目から鱗が落ちる読み物だったということだ。

さらに氏は、風通しの良い職場は上司の姿勢次第だと。方針を示して部下をその道に赴かせる。感謝の気持ちをもって社員と接し、耳を傾け、励ましつつ自分も率先して遂行上の障壁を取り除く。事の手柄は部下におき、失敗の責任は自分がとって詫びる。頭の痛い話だが至言である。

(爽やかで凛とした、そしてブレのないビオラの群れ。こんな上司にわたしはなりたい)
耐えてまで服従すること不要なり [2018年05月30日(Wed)]

fumihouse-2018-05-30T18_26_22-1-thumbnail2.jpg大学だけでない。学校で行うスポーツ全般が問われている。勝利至上主義の軍隊調、指導者盲従の姿勢、そうした前近代的な指導法がいまだに大手を振ってまかり通っていることが、日大アメフト問題で明らかになった。

ひたすら練習、練習、長時間・・・。オレの言うことを聞け! 文句をたれずに愚直にやれ! それが勝利への道だ、と。学校における主従関係はいずれ終わる。学生が依存的な姿勢を身につけてしまえば、同じことが進学先、就職先でも繰り返される。同じ種目をやる場合でも、ほかのスポーツをやり始めた場合でも、同じメンタリティが働く。そこには自分で考えて工夫して心技体の向上をはかり、先達のアドバイスも取り入れて前進を続けるという屹立(きつりつ)したスポーツ精神は育たない。服従させる指導は間違っている。

日大アメフト部の選手一同が声明文を出した。

≪これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その支持に盲目的に従ってきてしまいました。チームの勝利のため必要なことと深く考えることもなく信じきっていました≫

そのとおりだ。一から十まで指導者が学生の面倒をみるというのは、一見うるわしい師弟愛と映るが、指導者と学生は共依存関係を生み出す。超一流の進歩にはつながらない。≪今回の件の深い反省のもと≫日大アメフト部員は再生を期するというが、これは日大に限ったことではない。日本のスポーツ全体に突きつけられた課題なのだと思う。

(ドクダミの花盛り。10種の効能があるから十薬とも。ただし日大の指導者には効かない)
温かに言葉書き添え満たされて [2018年05月29日(Tue)]

fumihouse-2018-05-29T17_43_38-1-thumbnail2.jpg≪温かな言葉を書き添えるだけで、送り手の心も、受け取った相手の心も、優しい気持ちで満たされることでしょう≫

『心をつなぐ手紙の魅力』(聖教新聞5月21日付け最終回)で、むらかみかずこ氏(手紙文化振興協会代表理事)は手紙の魅力を列挙している。

文字を綴ることで気持ちが落ち着き、思考力が高まる。表現力が磨かれ、季節に関する感覚が鋭くなる。相手の気持ちを温かにするなどいいことばかりだと。さらに、次のフレーズを常用しようと提案する。

  いつもありがとう
  あなたのおかげです
  心からの感謝を込めて
  愛を込めて
  またお会いできますように

うーん、弱った。「心からの」はなかなか使えない。そして「愛を込めて」! 使うべき相手は限定されるが、照れずに使うときには使わなければなるまい。手紙だけではない。口に出して言わないと、思っているだけでは伝わらないからね。

(愛を込めて! あなたに松葉菊の写真を贈ります。おや、なんか不自然?)
仮名ふって漢字と平仮名へだてなく [2018年05月28日(Mon)]

fumihouse-2018-05-28T22_21_25-1-thumbnail2.jpg「暗たん」と書くより「暗澹」のほうが、暗さとともに悲観的になって沈んだ様子が表現できる。「私はは握する」は変だ。「私は把握する」と書けばよい。領海を侵犯する漁船は「だ捕」されるのではなく、「拿捕」するのだ。「改ざんする」より「改竄する」ほうが悪質な印象をもつ。「ねつ造」はやっぱり「捏造」がいい。

わたしは、漢字と仮名の分ち書きが嫌いだ。常用漢字に指定されない漢字は平仮名に振り替える原則が新聞類にはある。読みづらいし、その漢字がもつ雰囲気が出なくてイヤだ。

「薔薇」はバラより、エロチック。「髑髏」はドクロより、不気味。「躑躅」はつつじより、絢爛豪華。「猖獗を極める」は、しょうけつを極めるより、好ましくないものが盛んになって迷惑な感じが出る。「魑魅魍魎」をちみもうりょうとしたら、化け物の雰囲気が失せる。

パソコンやスマホで変換させれば一発で出てくる。書けない字はたくさんあるが、読めるのならばどんどん使えばよろしい。読めないのを心配するならば、ふりがなを付ければよいと思うのだ。

(通称はビオラ。日本名は三色菫(さんしきすみれ)。このビオラは黄、紫、白、濃茶の四色だ)
伽藍堂武士のささやき聞こえぬか [2018年05月27日(Sun)]

fumihouse-2018-05-27T16_10_54-1-thumbnail2.jpg おぬし、どうだ。帰りに一杯やらぬか?
 すまん。近ごろ母上の調子が悪くてのー。すぐ帰らねばならん。
 嫁どのはどうした?
 野暮用で実家に帰っとるんじゃ。
 そうか、じゃあまたの、母どのへ孝行せいや。
 ところで上役の齋藤殿のことじゃがな。
 ほう?
 当たりがきついんじゃ、ワシには言葉が険しいと思わんか?
 そかのー、傍目にはしかとわからんがぁ。

城清め役の二人の松平家藩士の会話。太平の世に戦闘最前線となる天守に用はないが、荒れるに任せるわけにはいかない。雑巾がけの仕事「城清め役」があったかどうかは知らない。しかし、宮仕えは松江城勤番という藩士がいたはずだ。江戸の昔の松江にも、介護の問題があり、夫婦の仲違いに悩み、パワハラに怯えるサラリーマンたちの悲哀があったことだろう。

荘原コミセンの企画事業の松江城散策に参加した。がらんどうの天守に200年前の侍たちの息づかいが聴こえるような気がする。今月いっぱいは天守にある展示ケースがすべて取り払われている。郷土史教育の第一人者である宍道氏の案内で、城の造りや歴史物語、周囲や城下町の構造に至るまで実地に話を聞ける貴重な機会であった。題して「国宝松江城見参」。これまで展示ケースに遮られて隠されていた「狭間(さま)」や「石落とし」など特徴的な構造物がよく見える。

この夏からは展示を絞りこみ一新して、松江城の魅力が強調されるとか。城好きの友人を松江に誘ってまた見に来ることにしたい。

(1階の大広間はがらんどう。敵を銃撃するための狭間(さま)や石落としの隙間から、江戸・松江の武士たちの声が聴こえる?)
初夏の色白い家にて匂いかぐ [2018年05月26日(Sat)]

fumihouse-2018-05-26T09_52_23-1-thumbnail2.jpgカサブランカのいい匂い
色付きの白い家(カサ・ブランカ)とはこれ如何に?
ベースは純白、淡いピンクが合わさって
大きな花びら反っている
目を引く姿、花言葉は高貴と威厳なり
トントン突起が顔を出す
見よ、堂々たる雄しべの花粉
濃茶の花粉の束を重ねる
花屋で売られた百合類は
花粉を取られてのっぺらぼう

漢字で書くと雄蕊(おしべ)と雌蕊(めしべ)
草冠に心が三つ
わたしの心をさしあげます
心は目には見えないよ
だから三つ重ねてさしあげます
わたしとあなたの心が重なるよ

今朝方は弟宅を訪問し
玄関先の香りに引かれ
初夏の会話を楽しんだ
バランスを保つ仕草でこぼすなよ [2018年05月25日(Fri)]

fumihouse-2018-05-25T06_46_41-1-thumbnail2.jpg炭酸水を飲んでいた。1リットルのペットボトルから直接飲む。面倒なのでコップは使わなかったが、飲み口から離してごくんごくんと飲んでいた。

そこへ娘がコップを目の前に差し出すのが見えた。入れてやらなきゃ、と思ったとたん、水の流れが口をそれ、水はこぼれた。

たかが水飲みにせよ、高度なバランスと集中が必要なのだと思い知った次第。ついでに、めんどくさがらず、コップに注いで飲むようにすれば、こんな事故が防げると思った次第。何ごとにもリスクマネジメントが大切だ。

(ここでも微妙なバランスが保たれる。虫みたいなフレンチラベンダーが咲いている)

追伸 地味だと思って写真を薔薇に差し替えたのに、すっかり忘れてコメントはラベンダーのまま。危機管理がなってないなあ(*_*)
エモいとはエロと気色の合成語 [2018年05月24日(Thu)]

fumihouse-2018-05-24T18_09_23-1-thumbnail2.jpg若者の間では「エモい」という表現が常識化しているそうな。エモーショナルを略して接尾辞の「い」をつけた造語だ。情感が揺さぶられ感傷的になった状態を指すようである。激情にかられて強く身体表現するのも含まれるのだそうだ。

わたしには「エロい」と「キモい」の混じりあいに感じられる。好色だったり、性的魅力にあふれたエロいは、もちろんエロチックから出ている。キモいは気色悪いが元だ。どちらも、わたしには気色悪くて使えない言葉である。

(夕日を浴びて松葉菊が輝く。これは、エモいのか? いやいや、目映く初夏を彩っている美である)
言葉にはハラスメントの力あり [2018年05月23日(Wed)]

fumihouse-2018-05-23T20_06_14-1-thumbnail2.jpg「パワハラ」という言葉。語感が軽快だ。パワーが満ちあふれ、ハラハラドキドキのスペクタクルが経験できそうな、そんな感覚。日本語にすると「嫌がらせ」。嫌がらせ? ちと違う。相手の嫌がることをわざとやったり言ったりして困らせること、そんな生やさしいものではない。

対象を、疑心暗鬼にさせて激しく揺り動かす。痛めつけイジメる。反語的に使う「可愛がる」に近い。拷問に近い責め苦と言ってよい。「いたぶる」がふさわしい。軽いパワハラは嫌がらせと言えても、服従を伴うと悲劇である。悪い意味での体育会系のしごきはパワハラであり、「絶対服従」となる。指導と称して暴力がまかり通り、対象者をズタズタにする。

日大アメフト部の監督とコーチが選手をパワハラで誘導し、関西学院大のクオーターバックを「つぶせ」と命じた事件。悪質タックルを仕掛けた選手の昨日の会見は印象に強く残る。

記者クラブで行われたこと、日大の関係者は誰もいなかったこと。それから考えると、学生側は大学を全く信頼していない。さらに大学側はぐるになってパワハラを起こし、口をつぐむことによって大学全体がパワハラに荷担したと考えていいだろう。自学の学生を守らず、体面のみを重んじる姿は哀れである。アメフト部の廃部はおろか、大学の存立に影響を与える結果にもなりかねない。

(ミヤコワスレの花は都を忘れない。日大は東京都にある日本最大の大学。日大は学生を忘れるのか)
孫たちに囲まれ皆で健やかに [2018年05月22日(Tue)]

fumihouse-2018-05-22T18_13_46-1-thumbnail2.jpg知らなかった。「孫たちわ優しい」のだそうだ。孫たちは優しい、ではない。毎日食べるといい食品群のことだ。生活習慣病を予防し、免疫力を高め、疲労回復に効果がある。今朝のNHKニュースである小学校で教育していると聞いた。

【ま】豆類
【ご】胡麻
【た】卵
【ち】乳製品
【わ】ワカメなど海藻類
【や】野菜
【さ】魚
【し】しいたけなどキノコ類
【い】芋類

自慢げに妻に話すと、そんなの常識だと。ついでに「おかあさんやすめ」を教えてもらった。毎日食べ続けてはいけないものだそうだ。

【お】オムライス
【か】カレーライス
【あ】アイスクリーム
【さん】サンドイッチ
【や】焼きそば
【す】スパゲティ
【め】目玉焼き、麺類

確かに食べやすい。そして美味しいものばかりだ。柔らかいからよく噛まない。単品だけだと脂質が多く、ビタミン、ミネラル類も少ない。特に体をつくるべき時期には問題だ。そんなことを今朝は知った。

(草苺。爽やかに白い五つの弁がある花が咲き、やがて野苺が実る。食べたことはないが、どんな栄養素があるものやら)
無くしても再び挑めキミとボク [2018年05月21日(Mon)]

fumihouse-2018-05-21T17_59_37-1-thumbnail2.jpgいつの間にか、なくしてしまうものがある。なくしてしまったこと自体を忘れることだってある。何年、何十年か経ってそれが出てきて、こんなところにあったのか、と驚く。もう感慨などない。あの頃はあんなに熱心で執着していたのに、このざまだ。

いつの間にかしなくなったことがある。毎日あるいは毎週欠かさずやっていたことなのに、やっていたことが信じられないくらいに忘れてしまっている。あの頃はあんなに熱心で心の多くを占めていたのに、このざまだ。

継続は難しい。そして再びそのことに思いを馳せて気も手も体も使っていくことには勇気がいる。飽きてしまった? 嫌いになった? そんなんでもなさそうなのに、いつの間にかズルズルと、離れてしまっている。寂しいもんだ。昔と同んなじようには出来ないだろうが、昔とった杵柄という言葉だってあるさ。始めてみよう。さあ出発だ。

(昼咲月見草。昼咲桃色月見草とも。淡い桃色、透けるようなスジ、パラボラアンテナのような曲線。黄のおしべ部分はグラデーションがかかって幻想的だ)
西郷と奄美の出会い歴史変え [2018年05月20日(Sun)]

fumihouse-2018-05-20T21_07_01-1-thumbnail2.jpg菊池源吾と名を変えて奄美大島で流人生活を生きた西郷吉之助。国主・島津斉彬が死に、助けるべき志士・月照和尚を死なせてしまった。絶望して死ぬことばかりを考えていたのだが、シマンチュのとぅまと出会った西郷は生きる気力を取り戻す。西郷の大誠実を目の当たりにしてとぅまも強く惹かれる。「あたしをアンゴ(島の伽役/性生活を含めた慰め役)にして!」ととぅま。西郷は「アンゴは断る。妻にする」と。とぅまを妻にした駄洒落を楽しみながら、ほっこり顔になった今夜の大河ドラマ『西郷どん』であった。

(糸繰草(いとくりそう)。別名苧環(おだまき)。花言葉は、断固として勝つ。とぅまのような激しさをうちに秘めているとは)
親横に介護の社会化余裕もち [2018年05月19日(Sat)]

fumihouse-2018-05-19T15_52_15-1-thumbnail2.jpg介護保険の最大の目的は、介護の社会化です。私的な秘め事として扱われがちだった家庭内介護。家族の世話は家庭内で完結させるべきとの観念を変えました。それでも、介護離職で困窮したり、家庭内虐待の一原因となったりするケースは枚挙にいとまがありません。

川内潤氏(NPO法人となりのかいご代表理事)がこう述べています(聖教新聞5月16日付け)。

≪私たちプロの間でも「自分の親の介護は直接しない方がいい」といわれます。なぜなら元気だった頃の親を知っているから。自分に箸の使い方を教えてくれた親が、今は手づかみでご飯を食べていたら、大抵の子どもは心がかき乱されます≫

わたしも同んなじです。要介護状態になったわけではないですが、あれだけ頼もしかった両親や義父義母に衰えが目立つと悲しくなります。もちろん自分だって衰えの道まっしぐら。思うにまかせない。それでも前に進むしかありません。

≪生活に必要な介護はプロに頼み、家族は愛情を注ぐ ― 親の好きだったことを家族で考えるだけでも、素晴らしいケアにつながるもの。それは介護が同居でも遠距離でも、親を思う"優しさ"に変わりはないと確信しています≫

と、氏は締めています。楽をするのではない。自身が余裕をもつことが愛情なのだと考えましょう。

(秋になると真っ赤な実をつけるピラカンサス。中国名は火棘(かきょく/火のトゲ)。花は可憐で小粒)
クリエイト真逆に生きるあの男 [2018年05月18日(Fri)]

fumihouse-2018-05-18T21_15_16-1-thumbnail2.jpg40年前の映画『オール・ザット・ジャズ』を見た。ジャズが聞けると楽しみにしていたら、さにあらず。jazzには卑猥な語源があるそうな。黒人たちがやる訳のわからない音楽、という差別的な意味を元々持たされていた。All that jazzの意味は、狂騒、興奮、あたりかまわず・・・。何でもあるある!勝手放題、気ままにやろうぜ! そんな意味を題名に表現したのだろう。

ブロードウェイの演出家兼映画監督のギデオン。毎朝カセットデッキから流れるのはバロック音楽。きっと彼は内省的で静かな環境が好きなのだと思う。しかし、鏡に向かって「イッツ・ショータイム」と言って音楽を切ると、彼のスイッチは切り替わる。生活の糧となっているエンターテイメントの世界に入るのだ。ずばり、All that jazz。クスリあり女あり何でもあり。チェーンスモーカー、酒びたり、不摂生の極み。身体はぼろぼろだ。心臓発作で生死の境目にいた。

死を受け入れるまでの5段階。有名なキューブラー・ロスの「怒り→拒否→歩み寄り→絶望→受容」をヒットしなかった自作映画のシーンから引用していたが、彼の行動は真逆で、医者に逆らい入院中の個室から脱走し、仲間を引き入れては好き放題。クリエイティブに生きるって素晴らしいと思うか、そんなの御免だと思うかは、見る人次第。

(白いマーガレットは凛凛しい花だ。ギデオンの生き方とは対極にある)
なみなみと今夜は一人手酌かな [2018年05月17日(Thu)]

fumihouse-2018-05-17T18_07_23-1-thumbnail2.jpg  この杯を受けてくれ
  どうぞなみなみ注がしておくれ
  花に嵐のたとへもあるぞ
  さよならだけが人生だ
    (『勧酒』于武陵/井伏鱒二訳)

桜花があれまと言う間に過ぎ去って一月半。寒の戻りがあった。嵐の夜もあった。そして夏が来た。人事異動でサヨナラだってあった。さよならだけが人生だ、とは思わないが、今日のこの日は帰らない。忘れがたいあの日にも、平凡なあの日にだって帰れない。いまの一瞬を重ねて、現在を経て、未来も手元から過ぎていく。そして再び帰らない。今日も早6時。真夏日にうだった5月17日も夜を迎える。

(シラー・ペルビアナが青紫色の花を八方に広げる。深淵な色、形も円満)
新緑のブナの葉っぱに励まされ [2018年05月16日(Wed)]

fumihouse-2018-05-16T19_11_37-1-thumbnail2.jpgゲーテ曰く。

 生活はすべて次の二つから成立っている。
  したいけれど、できない。
  できるけれど、したくない。
    (ゲーテ格言集/高橋健二訳)

ゲーテの言うとおり。行きたい、会いたい、語りたい、聴きたい、やってみたい・・・。機会がない、時間がない、経済力がない、相手に好かれていないかもしれない・・・。しかし、懸命なるひとはチャンスをつくる。勇気あるひとは工夫して動いてみるものだ。

めんどうくさい、前にやったけど評判が悪かった、好きなことじゃない・・・。しかし、義務的にではなく自分の使命ととらえたら、きっと状況は変わる。工夫して取り組んだら、きっと楽しめる。

ゲーテに加えて曰く。

 生活は次の二つから派生する。
 したいけれどできない、と思っていたけれど
 思い切ってやってみたら
 まんざら出来ないことはなかった。

 できるけれどしたくない、と思っていたけれど
 思いがけなく
 新しい自分の力が飛び出した。

(新緑の季節に思い切って外へ飛び出してみよう。ブナの葉っぱが出迎える)
二次会へ行くか行かぬか悩みなり [2018年05月15日(Tue)]

fumihouse-2018-05-15T18_07_30-1-thumbnail2.jpg二次会は行かない。勢いにまかせて行ってしまうたびに、ほぞを噛むのは何でだろう。

惰性になるからだ。一次会で食べる、飲む、話す、聞く・・・十分にやってしまうと2時間以上が経過する。集中して楽しめば疲れもする。二次会では話はそれほど盛り上がらない。弛緩し疲れた空気が漂う。カラオケで補うのは難しい。一次会では遠慮していたタバコ吸いがスパスパ吸いだすのはここだ。席によっては顔をしかめることになる。不快だが、当人に説教するのはきまりが悪い。

さらに、食べ過ぎ飲み過ぎになる。もう十分飲んだ、食べたあとには美味しく食べられるものではないが、出されれば食べてしまって始末が悪い。おのずとコストパフォーマンスも悪い。時間だってずんずん過ぎていく。終電の時間が迫るし、深夜のタクシー運賃は割増だ。大していいことはない。

かといって、かたくなに拒否するものではなく、要はその場の流れと気分だね。

(モッコウバラは先週まではノリノリで咲いていた。ピークは過ぎて今は息も絶え絶え)
紫蘭には白い紫あるねんな [2018年05月14日(Mon)]

fumihouse-2018-05-14T18_16_22-1-thumbnail2.jpgこの花なに?

シラン!

シランって、去年教えてもろたのは、紫色やったで? そやから紫蘭やろ? でもこれ白やん? 紫ちゃうやん。

でも、これはシラン!

なんでや? 何で白いねん。教えてーな。

そんなん、知らん!
テロを追う公安ゼロの対決で [2018年05月13日(Sun)]

fumihouse-2018-05-13T16_33_29-1-thumbnail2.jpg『名探偵コナン ゼロの執行人』では、テンポよく物語は進む。今回はコナンと公安との対決が描かれた。警視庁、警察庁(県警も)のほかに検察庁まで公安部を持つとは知らなかった。

公開名簿はなく、人事異動表にも載らない公安警察。憲法でいう公共の秩序を保ち、公共の安寧あるいは公衆の安全を略して「公安」。どうにでも解釈できる幅広の概念である。公安警察は、秩序維持と安全のために反体制的運動や組織を監視する。

戦前の特別高等警察(略して特高)の流れをくむことから嫌われる。嫌悪感が高じてしまったがために、日本人拉致事件を日本国内からサポートした集団の監視を十分できなかったことも悔やまれるところだ。反面、セリフにあったのだが、自分たちは正義、という価値観が前面に出たときに組織は暴発する。これにも要注意!

映画ではケタケタ笑ってしまった。安室が運転するクルマ(コナンは助手席)が、渋滞の車の列を横に車体を斜めに傾けて驀進するシーン。あるいは、地球に帰還する無人探査機が巨大タワーめがけて激突する直前に、コナンのボールキックが炸裂し軌道を変えるシーン。ありえねー。まっ、だからコナンなんだけどね。

いずれにせよ、回を追うごとにコナンの偉大な力量を知る輩が増えていく。コナン(工藤進一)をつけ狙う黒い闇組織にも感づかれているに違いない。危ういか、コナン。

(先週まで青々していたのに、もう麦秋がきた。季節は進むが、コナンのスジ書きは進まない)
迷惑な便りに返信もう、来るな [2018年05月12日(Sat)]

fumihouse-2018-05-12T18_07_44-1-thumbnail2.jpgここ2週間、迷惑メールが頻繁にくるようになった。2年ほど前に毎日40から50件きたころに比べれば大したことはないが、5件くらいはある。ドコモに迷惑メール報告をして、せっせと削除している。

大丸2️あゆみ様より新着です♪
大丸2️今度 いい?
大丸2️恥ずかしいけど、オ○ン○コに指を2本入れた写真撮ったよ。見て?

こうした劣情を誘うフレーズで男のスケベ心を揺るがそうと企てる。ポイントの購入はコチラ、と念を入れてURLを表示してはクリックさせようとする。

〜今日の名言〜と称して、感心させつつクリックを促すものもあった。

大丸2️人は全て自主独立すべきものである。
 自立の精神は人への思いやりと共に
 人生の根本を成すものである。

そう言うなら、他人に思いやりをもってメールを送ってもらいたいものだね、詐欺師諸君よ。

思わず誘われそうになった文面がこれだ。
【表題】受信ボックスの容量が規定値を超えました
【本文】受信ボックスが容量不足のため、メールを受信する事が出来ませんでした。こちらのサーバーで未受信のメールをお預かりしております。
 そして、未受信メールの確認として、URLをクリックさせる仕組みだった。

また、私の信用調査をしていると勘違いさせるのが、これだ。

 このたびは、お申込みいただきまして
 誠にありがとうございます。
 ただいま、あなた様の情報を
 調査させていただいております。

深刻な状況下で苦しんでいる人たちを救済するために設立された云々、あるいは配信停止をご希望の方は云々と、これでもかとクリックさせるまで諦めない。おぞましい敵ながら、アッパレと言ってやろうか。
救急車遅れて命は失われ [2018年05月11日(Fri)]

fumihouse-2018-05-11T20_49_49-1-thumbnail2.jpg自宅から救急搬送されたものの消防職員が住所を誤ったために病院への到着が遅れた。死亡したのはそのせいだ、として遺族が消防組合を訴えた。

60代男性が胸の痛みを訴え妻は119番通報した。消防本部が住所検索システムの入力情報を誤って救急車の出動を要請したために到着が10分遅れた。夫は心肺停止状態となり、低酸素性脳症で死亡したという。広域消防組合は謝罪したものの、死亡した男性の長男は納得していない。搬送の遅れと死亡には明快な因果関係が有りや無しや。男性は心臓を患っていたようだ。

わたしは思う。AEDが普及して心肺停止状態になった場合の処置法が知られるようになった。AEDも万能ではないし、どこにでもあるわけではない。心臓マッサージが蘇生の鍵となる。救急車が着くまで手をこまねいていれば、助かる命も消える。しかも男性には心筋梗塞の既往症があった。家族は何らかの対処をしてしかるべきだったのではないか、と思うのである。プロには大きな責任があることは確かだが、過度の責任の押しつけは、かえって追い詰めて害になると思うのである。

(ウマノアシガタにも命がある。彼らも命がけで生きている)
奪い合う与え合うとき幸せに [2018年05月10日(Thu)]

fumihouse-2018-05-10T21_39_11-1-thumbnail2.jpgひとは皆、他人に承認されることを望む。マズローのいう承認の欲求というやつである。組織に属する人はなおさらだ(もっとも、属する組織のない人は稀だ)。自分がもつ価値を認められれば天にも上る。加えて励まされでもすると、認めてくれた相手のためには何でもしてあげよう、そんな気にもなってくる。

一方で、認めることも、誉めることも、難しい。いろんな仕事があり役割がある。一見すると小さな事柄であっても、仮にその人の働きがなければ、その場もその組織も機能不全に陥る。組織全体を双肩に乗せている。たかがその程度などと侮り、認めることも誉めることもできない者は敗れる。

そうなのだ。与えることは一方通行のように見える。相手から奪われるだけの損な役回りのように思えるが、そうではない。極論を言えば、奪い合うことは与え合うことなのだ。エネルギーを相互に増幅し合い、ともに幸せになるんだよ。

(大山山麓に生える山吹も承認されることを望んでいるに違いない。撮影されてさぞや嬉しかろう)
風呂上がり寒い夜には水浴びて [2018年05月09日(Wed)]

fumihouse-2018-05-09T21_14_19-1-thumbnail2.jpg寒い朝だった。どんより曇っている。昼間の気温は15℃までしか上がらない予報。防寒のためにネクタイをしめた。この3月末から4月初めにかけて過ぎた暖かさだったし、大型連休中もいい天気だったから、感覚としては3月初めに戻ったような気分。しかし、明日から天気は回復し、週末は気温が上がる。その寒暖差に体調を崩すひとが多かろう。わが家にも風邪ひきさんがいる。

陽気に汗ばんでそのまま身体を冷やしたら風邪をひく。寒い朝、前日と同じ服装をしてしまえば風邪をひく。仕事が忙し過ぎて疲れがたまって風邪のウイルスにやられる・・・日本人は平均して年4回風邪をひくそうだ。

わたしも若い頃よくひいた。年に2回くらいは熱を出して寝込んだ。喉に違和感がきて、股関節がだるくなる。やがて頭がぼっーとして悪寒が走る。ゾクゾクしたまま帰宅すると熱が出る。ご飯を食べて布団にバタンキュー。葛根湯を飲んで熱が下がればいいのだが、たいていは起き上がり不能。38℃以上を体温計が指し示し、休むことになる。気持ちが緩むのか、ますます身体は火照って呻くようにして寝る。浅い眠りから覚めて、またひと眠り。薬が効いて泥のように眠ると、押し込めていた疲れの元が解放されたかのように、身体から出ていく気分だ。そしてリセットされて元気を取り戻す。年中行事であったと思う。

ここ十年は寝込まなくなった。せいぜい年1回、身体がだるくて股関節が痛んで咳が止まらなくて・・・その程度の風邪をひく。風呂上がりに水シャワーを全身かぶるようになって十年あまり。自律神経が鍛えられて寒さへの耐性ができてきたものと思う。もちろん誰にも薦めない、真冬など気違いじみた行いだから。

(小手毬が半円球の花を賑わすのも、あとわずかの期間だ)
梅雨寒を思わす空気震えてる [2018年05月08日(Tue)]

fumihouse-2018-05-08T17_57_40-1-thumbnail2.jpg奄美地方は梅雨入りした。昨年より6日早く、沖縄より早かった模様。出雲も梅雨寒を思わせるような一日だった。空はどんより落ちくぼみ、空気は湿って気分が悪い。街中を歩くと手が凍える。クールビズでネクタイを外した身には寒さが堪える。ワイシャツの第1ボタンと薄い上着のボタンを閉めて暖をとる。紫露草が咲き始めた(写真は撮ってない)。高貴な濃い紫色は何度眺めても見飽きない。やがて梅雨時になる。梅雨寒の頃には、出汁のきいた旨い汁(つゆ)を飲む。そして熱燗で語り合いたいものだね。

(ナンジャモンジャの花も終わった模様。ナンジャカンジャと季節は過ぎていく)
母の日は銀河宇宙に青海波 [2018年05月07日(Mon)]

fumihouse-2018-05-07T21_59_50-1-thumbnail2.jpg島根県農業技術センターが開発し普及させた紫陽花の一つが、先日写真を載せた「銀河」。ライトブルーの大きな萼(がく)は夏の一等星だ。白鳥座のデネブ、琴座のベガ、鷲座のアルタイル。夏の大三角が晴れて澄んだ夜空にあっては天の川に浮かぶように見えるのだが、天の川を構成する微細な星々に相当するのがライムグリーンの小さな萼。地味であるからこそブルーの大きな萼を引き立てる。

もう一つ有名な紫陽花、島根の花卉市場を牽引すると言えるのが「万華鏡」。出来のいい万華鏡はえも言えぬバランスで半球型に広がり、萼の一つひとつにある白とブルーのグラデーションが見事だ。中心から4つの萼、それを挟み込むようにして外側の中くらいな4つの萼、さらに外にはもっと大きな4つの萼の並びが見とれるほどに美しい。日本の伝統的紋様である青海波を思い出す。

聞くところによると、母の日のプレゼントとして今人気なのだそうだ。どちらを取ったらいいかと問われても、どちらともすばらしい。どうぞお求めあれ! きっと喜ばれますよ。
交流し関係してはキミとボク [2018年05月06日(Sun)]

fumihouse-2018-05-06T15_40_29-1-thumbnail2.jpgかつて、交流人口という言葉が使われた(今も生きてはいる)。その地域を訪れ、互いに行き来する人の数を増やすことによって地域の活力を維持しようとする発想である。「その地域」というのは都会ではなく、田舎だ。田舎人は自ずと都会に出る。必要に迫られ、魅力に引き付けられて都会へ。反対に、田舎の良さを感じた一部の都会人が田舎に還流する場合もある。

近頃は、都市部に住みながら田舎と関わろうと意図する『関係人口』という言葉が多く使われるようになった。定住のためにいずれは移住することを望む人、移住までしないが田舎のために活動する人、ほんのひと時移住する人・・・そういうふうにして関わりを持つ人びとを、総称して関係人口と呼ぶ。

「自分には関係ない」と言うときの冷たい響きが感じられる。「男女の関係」となるといぶかしさを連想させる。わたしには関係人口というと、しっくりこない。

相関人口というと統計学のようだし、関心人口だとちと弱い。注目人口とか嘱目人口と言うとわけがわからない。興味人口、感心人口はどうだろうか。そもそも、相互に関連があり互いに影響しあうことを何と表現したらいいのだろう。連絡人口では直截過ぎるだろうか。関わり人口、気にかけ人口、知りたい人口と和語にするのも悪くない。

言葉はともかく、田舎に無関心な人を含まないことは確かだ。日本全体が人口減少時代を迎えたなかではあるが、そうした人を一人でも多く獲得することが、今の田舎の大きな課題のひとつである。

(島根県農業技術センターが開発し普及に成功した紫陽花の「銀河」。ライトブルーの大きな萼(がく)、ライムグリーンの小さな萼の対比がすばらしい。深緑色の葉もいい)
震災の大田に来ては動く朝 [2018年05月05日(Sat)]

fumihouse-2018-05-05T22_34_30-1-thumbnail2.jpg朝からクルマを走らせて大田市民会館へ急いだ。大田市災害ボランティアセンターがあるところだ。

 困りごとはありませんか?
 ボランティアがお手伝いに伺います
 ボランティアは
 ○家の掃除、片づけのお手伝い
 ○荷物、がれきの運び出し
 ○屋根のブルーシート張りなどをお手伝いします
 災害時だからこそみんなで支え合いましょう

チラシがたくさん置いてある。大田市社会福祉協議会が運営主体となっている大田市災害ボランティアセンター。そこには多くの支援団体が名を連ねている。各市町の社協、島根県社協、ふるさと島根定住財団、鳥取県社協、多摩市の社協、その他多くの企業など多くの人や団体に支えられていることがわかる。

受付班がボランティアの窓口となり、わたしは初めてだったので500円のボランティア活動保険料を支払う。胸には姓のみカタカナで名札を貼りつける。ニーズ班は被災者から要望を受け付ける。それをマッチング班が現場調査し、必要な支援を割り当てる。ボランティア支援班として民生児童委員が地域的事情や要援護世帯の固有事情を加味してサポートする。総務・救護班はその名のとおりの役割を果たす。

早く行ったのでスタッフ会議に参加した。みんなでスローガンを発声する。
 感謝 = ありがとうの気持ちで!
 笑顔 = 笑顔を忘れずに!
 寄り添い = 被災者に寄り添う!

誇りまみれになって汗だくになるつもりだったが、4月9日の震災から4週間近く経ち、瓦礫処理のニーズは減ってきている。屋根の一時修理としてブルーシートを張る要望には応えられていないが、ここ数日強風注意報が出ており、作業は全く進まない状況だ。

わたしはニーズ班のスタッフに入るよう指示されたので、午前中は電話応対に徹した。4件ほどであったが、屋根瓦が剥がれ落ちた対応とか、壁の瓦礫処理などの要請を聞き取り、マッチング班に引き継いだ。

午後は3人一組で御用聞きに出向いた。最も被害のひどかった波根や久手地区に隣接する鳥井へ行ったのだが、ブルーシートの張られた家は少ないとはいえ、壁に亀裂が入ったり、道路の割れ目、灯籠の崩壊など地震の爪痕がいまだに生々しい。

落ち着いてきてはいても余震への不安は根強い。一昨日の夜強い風雨が家を揺らしたときに、地震のことを思い出し怖くなったという方もおられたが、話を聴いてさしあげるのが精一杯だった。被災の跡が早く元に戻るよう、被災した方々に安心が戻るよう願いつつ、ブルーシートがたくさん見える国道9号沿線を横目で見ながら家路についた。

(畑の豌豆(えんどう)も花を咲かせる。被災地でも花は咲き、すでに実りを迎えて成長のあとが見られる)
プラバにて小さなオケを楽しみて [2018年05月04日(Fri)]

fumihouse-2018-05-04T17_34_31-1-thumbnail2.jpg松江・プラバホール(松江市総合文化センター)に来ている。500人ほどの小規模ホールで楕円形。前三分の一を広くとってあり、巨大なパイプオルガンが鎮座した本格的な舞台で、音響はすこぶるよろしい。マイクなしでもギターの演奏がよく響く。

今日は山陰ギターコンクールを聞きにきた。今回で26回目を数えており、米子と松江で毎年交互に開かれている模様。初級から中級、上級、プロフェッショナル部門の他に、55歳以上のシニアもある。

わたしのクラシックギターは、もう30年も弾かないままにしてある。かつてはあんな熱心に練習していたのに今は過去のこと。ソル作曲の魔笛の主題による変奏曲などよく練習した曲も演奏された。少しかじっただけの曲もある。懐かしい。ほとんど白紙状態に戻ってしまったが、「ギターは小さなオーケストラ」。誰か先生に習ってみようかなと思う。

(小さな宇宙を感じる、田植え前の斐川平野の朝)
ドーナツとレモンはドレミ楽しかろ [2018年05月03日(Thu)]

fumihouse-2018-05-03T13_19_12-1-thumbnail2.jpg曲『ドレミの歌』。映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアがトラップ家の子供たちが音楽に親しむきっかけを与える歌である。原曲を元にリズムに合わせて訳してみたらこうなった。

♪ドはメスの鹿/レは陽が満ちる/ミはミーのこと/ファは遠い道/ソは針で縫う/ラはソのあとよ/ティーはジャムパン合う/ドに戻りましょう♪

それがどうだ。ペギー葉山さんにかかるとなんて素晴らしい。歌が生まれ変わってみんなの応援歌になる。あの明るさに励まされたひとは多かろう。

♪ドはドーナツのド  レはレモンのレ
 ミはみんなのミ  ファはファイトのファ
 ソは青い空  ラはラッパのラ
 シは幸せよ  さあ歌いましょう♪

アメリカの家庭で祝祭に合わせて作られる〈ド〉ーナツ。戦後十数年の頃には夢の国アメリカの幸せ家族の象徴だったのかもしれない。〈レ〉モンは不思議な紡錘形。この頃アメリカから輸入が自由化されて、家庭でもお目見えするようになる。高級感があって酸っぱい大人の味。

仕事も学校も忙しいが戦中の苦しさは去り、〈み〉んなは豊かになっていく実感が日々あったにちがいない。日本人が応援する時いつから〈ファ〉イトと言うようになったのだろう。将来のためにガンバロー。

青い〈そ〉らは澄みきって輝かしい。家族や日本の未来をつくるために前進を重ねよう。〈ラ〉ッパは鳴り響く。人生の戦いの場に臨むひとの背中を押す。しかも、空とラッパは、しりとり関係。語呂が良い。

君は〈し〉あわせかい? そうだよ幸せさ。20世紀は我らの世紀だ。さあ、家族で歌おう、みんなで高らかに歌おうよ。

(倉吉・白壁土蔵の街並みの一角に咲くクレマチス。まるで太陽のよう)
復讐し報復のひと石を取る [2018年05月02日(Wed)]

fumihouse-2018-05-02T19_49_01-1-thumbnail2.jpgアベンジャーズのシリーズには石が欠かせない。そもそも西洋の物語には賢者の石をはじめとして石が登場する。パワーストーンが魔の力、癒しの力として重要視されてきたのは何故だろう。

サノスの欲望は全宇宙を支配することにあった。この男、図体がバカでかくて強いだけの平凡な悪役に見えていたのだが、さにあらず。サノスには意外と深みがあった。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』では、6つのインフィニティ・ストーンを集めるサノスと、アベンジャーズが戦う。宇宙を制覇する無限の力をサノスは手に入れるのか、アベンジャーズは滅ぼされるのか?

さて6つの石の力とは、絶大なパワーを持ち、空間を思うがままに瞬間移動し、時間を遡らせ、相手の意識を統御できる。リアリティ・ストーンとソウル・ストーンというのがよくわからないけれど、ともあれ全て揃えば、指をぱちんと鳴らすだけで、命を奪うことができる。物語はサノスの勢力が圧倒的に優勢になった状態で終わる。ファンにとっては次回の公開が待ち遠しいというか、心配で待っていられないという気分にちがいない。

(サノスは指をパチンと鳴らすだけで全宇宙の半分を滅ぼす力を手に入れた。ハマナスの花は儚いが、サノスがどんなに奪っても、力強い生命力で命を繋いでいくにちがいない)
無礼なり昔も今も老若は [2018年05月01日(Tue)]

fumihouse-2018-05-01T17_19_46-1-thumbnail2.jpgジジイがいた。朝の通勤通学列車の4人掛ボックスの通路側に座って足をだらんと伸ばし、ここへ入るなとばかりに独り占めしている。わたしは、ちょっと失礼と言って無礼な足を乗り越えて窓側に座った。ちらりと目が合う。座ってから後悔した。臭い。加齢臭と風呂に入ってないひとが発する臭いをあわせ持っている。髪がボサボサで、ひたすらスマホをいじっているジジイだ。

別のジジイがいた。公衆の温泉につかる前に体を洗うのは常識だが、そのジジイは風呂の縁に座って足を洗う、腹にかける、肩を濡らす。弾け飛んだ湯が湯船に入ってくる。それだけならまだいい。ジジイはすぐさま湯につかったのだ。テメエの汚いケツを洗わずに入った。わたしはすぐに湯船を出た。嫌なジジイだ。

あのジジイたちはかつて、今頃の若い者は・・・と言われてきたのであろう。成長のないまま、あんなジジイになった。そして、今の若いもんはけしからん!と、今はうそぶいているに違いないのである。

(ジジイの話で不快なまま終わらないよう、今日も気品ある紫色の第3段。大山山麓に自生する藤の花)