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信じてる信じていいのか信じよと [2018年04月30日(Mon)]

fumihouse-2018-04-30T22_14_07-1-thumbnail2.jpg信じるに値する誰か他人の言葉にしたがって行動してみることもいい。懸命に脇目もふらずに邁進することが大切な時期が誰にもある。

東野圭吾の小説が原作となった映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』では、未来と過去、そして現在が異次元のレベルで融合する。30年以上の時間が一晩に集約され、雑貨店の郵便物入れで合わさった。

若い女性が見も知らぬナミヤ雑貨店から発せられる手紙の言葉を信じた。昼は事務員、夜はホステスとして働くが、いろんな事情も相まって貧しさから抜け出せない。しかし、手紙の主を信じて以降トントン拍子に若い女性は金を儲けた。なんせ相談の相手方は、バブル経済やリーマンショックが起こることを先刻承知なわけだから。1980年代の女性と2010年代の主が時間を超えて交流し、目的とする経済活動を果たし、両者に共通する児童福祉施設の経営を軌道に乗せる。信じることの大切さをわからせてくれる映画であった。

信じることが現代ほど難しい時代はないだろう。振り込め詐欺やセクハラ、性犯罪。下手に信じてしまうと痛い目に遭う。今の時代、誰を信じていいのやら、リサーチが必要ってもんなのだ。相手を信じること、相手から信じられることって素晴らしいことなのだ。

(奥大山・擬宝珠山の登山道に生えているスミレの花。可憐に紫色)
大山のブナの森にて旨い水 [2018年04月29日(Sun)]

fumihouse-2018-04-29T20_26_27-1-thumbnail2.jpgサントリーは、ブナの森が広がる伯耆大山の山麓にて「奥大山の天然水」を生産している。サントリー天然水奥大山ブナの森工場を興味深く見学してきた。

大山に降った雨や雪は、ブナの腐葉土で覆われた土壌に浸透し磨かれて、20年以上の年月をかけて天然水となる。適度なミネラルが含まれた良い天然水(硬度13の超軟水)だそうだ。

ペットボトルの製造、殺菌、洗浄(もちろん天然水で洗う)も自工場で行い、汲み出された天然水はボトルに詰められ、ラベルを貼って梱包される。その一連のラインが90人ほどの従業員によって保持されている。訓練された感応検査員によって品質も万全である。日々の見学会を案内する職員も含めて、さすがサントリーと思わせてくれた。

かくて私たち家族は、奥大山の天然水、奥大山のブルーベリーヨーグリーナ、南アルプス無糖スパークリング(これは山梨産)のプレゼントをもらって、ホクホク顔で引き上げたのであった。

(擬宝珠山の頂上から連なる尾根には、カタクリの花が咲く。新緑の中でひときわ品のいい紫色だ)
満面の笑みを浮かべて青年よ [2018年04月28日(Sat)]

fumihouse-2018-04-28T15_18_09-1-thumbnail2.jpg満面の笑み。青年らしい真っ直ぐで涼やかな笑顔、時おり浮かべる照れた表情には誠実さをうかがわせる。かつて誰も見たことがない映像であった。世界中が驚いた。

外面だけのパフォーマンスだと非難する向きもあるが、悲しいから泣くのではなく泣くから悲しい道理を考えれば、まずは笑顔と抱擁で互いの心を通わすことは大切だ。今回の話し合いは大前進であることは間違いない。休戦状態から恒久和平へ、非核化の道へ。南北首脳会談でもって潮流が動き始めた。

拉致被害者家族にとってみれば何も言及がなく、不満だけの結末であろう。しかし、会ってまずは融和することが目的の場で、70年前に祖父がやった南への軍事侵攻の罪、同じく非人道の極みである日本人拉致、そうした大罪を積極的に謝罪することはあるまい。そんなことをすれば、自国内での権威が失墜するばかりか、命さえ危ないかもしれない。

米朝首脳会談を前にしてトランプさんもそれなりに評価しているとおり、ここは素直に喜んでおくことにしよう。

(涼やかで真っ直ぐで満面の笑みを浮かべたような花ニラ)
東京に帳尻あわせ破廉恥に [2018年04月27日(Fri)]

fumihouse-2018-04-27T20_12_33-1-thumbnail2.jpgTOKIO山口達也の事件。情報番組やバラエティでもって、爽やかで誠実な青年ぶりを披露していただけに、女子高生への性犯罪に手を染めたことの罪は大きい。刑事訴訟法上は起訴猶予となるかもしれないが、アイドルへの復帰は望めない。

わたしが気になるのは、メディアのすべてが山口の存在そのものを、まるで無かったかのようにすることだ。テレビのレギュラーから下ろすのは当然としても、収録番組を差し替え、広告やイメージキャラクターとしての肖像も人目から押しやる。

浮気なマスコミはすぐにターゲットを差し替えて視聴率や閲覧数を競う。山口のことなど世間はたちまち忘れてしまうだろう。それではこの事件の教訓が生きないのだ。

わたしは思う。録画した番組は予定どおり放送しよう。イメージポスターをはがさずに貼り続けよう。テロップや紙面の隅にこう書いて注意を促そう。

★山口達也は好感度の高いアイドルとして活躍していました。教養ある常識人として立派なコメントも残しています。ところが酒と劣情に負けて破廉恥な事件を起こしました。許されることではありません。ただ、考えてみてください。それは山口達也だけのことでしょうか。人間の生命とは千変万化し、一瞬たりとも同じ状態にとどまりません。善にも悪にも振幅します。私たちの中にも山口と同様な醜い生命があることを忘れてはなりません☆

(オヤジは怒っているぞ、山口達也!)
有名人犯罪片棒かつがない [2018年04月26日(Thu)]

fumihouse-2018-04-26T23_12_01-1-thumbnail2.jpg5日ほど前に警視庁であった不祥事。練馬区の路上で男が中学3年女子のスカートをめくり体に触れた事件が起こり、逃げた犯人の特徴を「黒色リュックを背負った、小柄で星野源に似た男」として配信した。警視庁は訂正のメールを送り、星野源に詫びて再発防止を誓ったというが、作成した署員は「有名で売れているので、犯人検挙につながると思った」と話しているという。

そのとおりである。歌手兼俳優として活躍する星野源。「星野源に似た男」という表現がインパクトを与えないはずはない。注目されて手がかりが寄せられる可能性は高い。この表現は、星野源の著作権や肖像権を犯したわけではない。ただ言霊の思想というタブーに触れただけなのだ。

犯罪者に似ていると言われるのは気持ちが悪い。なぜかと言えば、いつの間にか犯罪者になったかのような錯覚を起こさせる。若い女性を襲う=星野源、と断定した思い込みを生む可能性もあることは確かだ。

しかし有名税として折り込み済みだと思うのだ。人気者だから仕方ない。しかも今回の騒ぎでアーティスト星野源がさらに名が売れアルバムも売れる。事務所にとっても本人にとっても、願ったりかなったりなのではあるまいか。

(モッコウバラは言霊の世界にはいない。ただ咲くがままに咲き、愛でる者を喜ばす)
あの時は幾年経てども終わらない [2018年04月25日(Wed)]

fumihouse-2018-04-25T23_20_55-1-thumbnail2.jpgあの時以来、電車に乗って一両目に入ることがない。意識して避けている。脱輪した大型トラックが踏切をふさいでいるかもしれない。倒れた大木が線路に横たわっているかもしれない。もしぶつかれば一両目が大きなダメージを受けるのは間違いない。悲惨な目に遭う確率は低いほうが望ましい。

あの時以来、日本の鉄道すべてが広軌であったらいいのにと願う。結構多くの鉄道が1067ミリの狭軌である。明治にとりあえずということで敷設した線路が経費が少なくてすんだ狭軌。1435ミリの標準軌に交換しないまま今に至っている。広軌だったとしたらあの時の事故はきっと起こっていなかった。山陰新幹線よりは標準軌のほうを優先すべきと私は思うのだ。

あの時。JR福知山線脱線事故から今日で13年。合掌。

(ナガミヒナゲシの鮮やかなオレンジ色も、明らかな春の軌道を進んでいる)
譲られて朝の座席でブログ書く [2018年04月24日(Tue)]

fumihouse-2018-04-24T07_39_39-1-thumbnail2.jpgジジイでもあるまいに、電車で席を譲られた。

朝の山陰線。今朝は通勤快速に乗って松江に行く。向かい合った四人掛けの席はすべてが埋まり、立つしかない。学生の多い出雲市行きと違って、勤め人がほとんどを占める米子行き列車は、みな遠慮なく空いた席は残らない。

鞄を網棚に載せて傘を席横の手すりに掛ける。さて新聞を、と思って広げようとしていると、誰かが腕をとんとんする。何か落としたか?といぶかっていると若者が、こちらへどうぞと指し招く。ジジイでもあるまいに、いやいや結構ですと言うと、知り合いが後ろにいるのでそこへ行く、と若者はさっさと席を立って後方に向かった。

空いた席に座らない法はない。ありがたく座った。ジジイのつもりはないが、これから譲られたら、はいありがとうと応えて、座ることにしようかのぉ。

(一面の芝桜には思わず座って寝っころがりたい衝動にかられる。実際やってみると、濡れるは泥がつくはでなかなかさんざんな目に遭う)
泰然と自若の境涯いつの日か [2018年04月23日(Mon)]

fumihouse-2018-04-23T20_53_58-1-thumbnail2.jpg職場を出た。外はふりしきる雨。今夜は少し風もある。この数日、かかりきりの仕事に区切りがついておらず、心残りのまま帰路についた。出雲市駅に向かうバスはもうない。折り畳み傘を広げて歩くのだが、袈裟がけに降る雨で足が濡れて気分が悪い。足下も暗くて水溜まりがよく見えない。これも自業自得だ。早めに対処しておけばよいものを、ギリギリになって始めるから、齟齬が見つかる。未着手の事務に気がついたりして、気持ちは焦る。前向きにプラス志向は大切なことだが、ノー天気なのは困ったもんだ。トホホ(;つД`)

(牡丹は花の女王。女王や王妃のように泰然自若として優美でありたいものだ)
目を奪う新緑と花きもちよし [2018年04月22日(Sun)]

fumihouse-2018-04-22T19_23_49-1-thumbnail2.jpg街中を歩きながら、バスに乗りながら、クルマを運転しながら、キョロキョロ見回したり、色物に目を凝らしたりするようになってから何年たつだろう。

不埒なことを考えているわけではない。いい被写体がないかと探しているだけなのだ。オヤジにとって「いい被写体」とは、きっと不届き千万じゃないかと疑われても困るので言っておくと、花のある風景を求めている。スマホにはそうした写真があまた入っている。うち一つが、毎日のブログとフェイスブックに掲載されることになる。

特に今の季節は百花繚乱。道端や公園には花が咲き乱れる。よその家では声をかけて庭に入らせてもらうこともある。隣の芝生はきれいに見えるものなのだ。

山を見れば春もみじ。若葉の盛りに山は萌えて筋骨隆々の姿となった。新緑で山は容積を増して隆起して見える。浅黄色、若葉色、若芽色、若竹色、珊瑚色、淡紅色、撫子色など、新緑とりどり色とりどり。楽しい季節だ。

(地味だがグミ(出雲ではゴブという)の花。これも百花繚乱のうちの一つとしておこう)
うずくまり慎み厚いつつじかな [2018年04月21日(Sat)]

fumihouse-2018-04-21T22_04_35-1-thumbnail2.jpg躑躅という、髑髏に似たこの漢字。ツツジの季節がやってきた。公園や庭に植えられているのはもちろん、山野にも自生しているありふれた春の風景だ。

躑躅(てきちょく)と読ませると、ためらっては進まず躊躇することである。毒性のあるつつじを羊が食べたところ、もがいて蹲(うずくま)ったことから中国では躑躅と名付けられたということだ。

群生して小山にうねり、延々と生垣を埋めつくす躑躅は春の代名詞と言える。ソメイヨシノの風景が華やかな春の期待を高めるものとすれば、ツツジの丘の風景は夏を前にした春の盛りを迎えた満足感を象徴すると思う。

ただ個々の花びらを見ても、私は美しいとは感じないのだ。群れてはじめて美を感じさせる花だと思う。そこに個性を強烈に主張せず、空気と和の世界に馴染もうとする日本人一般を想像してしまうのは、私だけだろうか。

躑躅の花言葉は「節度」「慎み」。やはり伝統的日本人を思わせる。写真の赤躑躅は「恋の喜び」。情熱の紅色である。
アメリカの南北つなぐ橋なれば [2018年04月20日(Fri)]

fumihouse-2018-04-20T23_44_27-1-thumbnail2.jpg世界の大運河といえば、言わずと知れたパナマ運河とスエズ運河。南米大陸やアフリカ大陸の南端を回らずに、短時間かつ安全に航行できるという点で、今も多大な貢献をしている。

パナマ運河にはアメリカ橋が架かっているそうだ。「2004年にセンテナリオ橋が造られるまで、南北アメリカ大陸をつなぐ唯一の橋だった」という写真のキャプションを見て(聖教新聞3月30日付け)、はたと気づいた。運河は船にとっては便利でも、陸地の道路は寸断されるということになるのだ。

赤道直下のパナマ運河。全長は80キロで最小でも91mの幅。大型船が出入りできる。3つの閘門(こうもん)があり、水位を上下させて太平洋からカリブ海まで船を通過させる。

海に道がてきれば陸の道は途絶える。この二律背反を解決するのが橋梁。アメリカ橋は4車線で南北アメリカをつないでいるそうな。

(白いハナミズキ。北アメリカの原産である。百年ほど前に東京市長の尾崎行雄がワシントン市へ桜を寄贈した御礼として贈られ全国に普及した。別名アメリカ山法師)
ノベルには悪魔と家族ともにあり [2018年04月19日(Thu)]

fumihouse-2018-04-19T22_52_36-1-thumbnail2.jpgライトノベルである。文章は読みやすいが大味で、プロットも味気ない。川村元気著『世界から猫が消えたなら』には、それでも味わいのある文がある。

≪目の前のことに追われれば追われるほど、本当に大切なことをする時間は失われていく。そして恐ろしいことに、その大切な時間が失われていることにまったく気付かないのだ≫

今日も追われるうちに終わった。時間は過ぎてすでに夜中の11時が近い。大切な時間、大切に使いたい。

≪家族って「ある」ものじゃなかった。家族は「する」ものだったんだ。僕らはただ血がつながっているだけの、ふたりの個人なのだ。それなのに、僕らはお互いに甘えて、甘んじて、気が付いたときにはもうどうしようもないところまで来てしまっていた≫

挨拶しよう、何か見つけて誉めよう、話に耳を傾けよう・・・それが「家族をする」ことなのだ。明日こそ家族をしよう。

≪悪魔って見たことがありますか? 僕はあります。本物の悪魔は顔も黒くないし、尖ったシッポもない。槍なんて絶対持っていない。悪魔は自分の姿をしているのです≫

悪魔は己心に宿る。己の命を乗っ取って、さりげなくあらぬ方向へ誘う。いつの間にか自分は自分でなくなってしまうのだ。しかし、それもまた自分なり。

(松江・京店通りにあるハナミズキ。薄い赤紫と白のグラデーションが艶かしい。渦を巻くような曲線もまた)
美保関古き縁に船の影 [2018年04月18日(Wed)]

fumihouse-2018-04-18T23_14_19-1-thumbnail2.jpg美保関。古くは海上交通の要衝として栄えた。出雲に住んでいながら行ったことのないこの町。ふらりと行ってみた。

島根半島の突端部に近い港は南方向に大きくえぐられた入り江である。北側にそびえる山肌が北西からくる冬の厳しい風を受けとめて、風待ちの場所として最適な町であったことだろう。環日本海交易の拠点として繁栄し、江戸時代には北前船の寄港地でもあった。関の五本松で知られた巨木を船乗りが目標としていたことは、出入りの船が多かったことの証明でもあろう。五本松に代わる美保関灯台は19世紀末に建造された。

狭い平地をぎっしりと埋めつくして漁家や商店、旧家、土産物屋、旅館、資料館が軒を連ねている。それらを結ぶ石畳の通りには重厚な歴史と華やかな文化を感じる。当時これだけの舗装をできたということは豊かさの証しである。特に美保神社から仏谷寺に至る「青石畳通り」は、海岩を切り出して見事な造形美となっている。

西日本でも有数の歓楽街だったという。遊郭とおぼしき軒先のたたずまいもあり、繁栄を謳歌した全盛期には、狭い通りを人や大八車がひっきりなしに往来していたことであろう。

情緒ある青石畳の空間、曇り空、おぼろげな風情、優しく心洗われる・・・。青石畳通りは、雨に濡れると石が青く光るというが、栄枯盛衰、古い町並みと落ち着いた雰囲気は反面、過去の残映だ。大昔のテーマパークの残骸であるかのように往時の面影が色濃い。空き家と思われる家屋が多いのが印象に残る。

美保関灯台まで足を伸ばした。岬からは大山がよく見える。天気が良ければ隠岐の島を望む絶景となる。島根半島の東端部に昔日の光を見た。
変哲もない天気には八重桜 [2018年04月17日(Tue)]

fumihouse-2018-04-17T20_33_02-1-thumbnail2.jpg変哲もない天気だった。日はさしていない。かといって雨でもなく、風はない。空は雲らしい雲には覆われていないが、一面に靄がかかった感じで山肌はぼやっとしてハッキリと見えない。

その空の向こうには青空があるはずなのだが、見えるわけはない。さらに向こうには宇宙がある。闇と光、粒子と波、すべての巨大なエネルギーが混在した無限の時空間がある。その宇宙があるからこそ、この空がある。そして、この八重桜も咲いているのだ。
3回の命を与え3拍子 [2018年04月16日(Mon)]

fumihouse-2018-04-16T22_40_20-1-thumbnail2.jpg3拍子のドラムの音が幾重に連なり、地底から物の怪が出てきそうな怖さを感じる。20年前の『ジュマンジ』と同じドラム音。こちらまでスクリーンに吸い込まれそうな雰囲気は、サラウンドシステムの効果にもよる。映画『ジュマンジ ウェルカム・トゥ・ジャングル』を楽しんだ。

掃除をサボって90年代のテレビゲームを始め出した高校生4人はゲームの中に吸い込まれ、キャラクターに変身してサバイバルが始まった。これはゲームではあるが、死ねば現実世界に帰ることはできない。ライフこそ3回あっても再生は2回まで。4人が最後のライフだけを残してゲームから帰還したのが象徴的だ。つまり、人生は誰にも一度きり、今を生きよ!と私たちにも訴える映画であろうかと思う。

(仏前に供える樒(しきみ)は葉に芳香がある。枝を切って供えても当分は緑を保ち長寿である。出雲では花の木という)
明るいぞ未来は果たして明るいか [2018年04月15日(Sun)]

fumihouse-2018-04-15T22_10_15-1-thumbnail2.jpg明るいぞ 朝が明るい 明るいぞ 冬最中にはあんなに暗くて困ってた あんなに寒さに震えてた 今は朝日がまぶしいぞ

明るいぞ 人柄明るい 明るいぞ ツラい目に遭うひと苦しいぞ それでも笑顔を忘れない 明るい笑顔がまぶしいぞ

明るいぞ 未来が明るい 明るいぞ ホントにそうなら嬉しいが まやかし希望観測ならば そんな明るさいらないよ

明るいぞ シリアに向けて米英仏 攻撃炎が明るいぞ 化学兵器を使ったか ロシアは反発泥沼か 地球の未来明るいか
読み方を教えてほしいさあ君に [2018年04月14日(Sat)]

fumihouse-2018-04-14T10_20_17-1-thumbnail2.jpgハニュウさんは五輪連覇したスケーターで人気も抜群。ハブさんは棋士界の最高峰にいる有名人。言わずと知れた羽生結弦と羽生善治は、姓の読み方が違う。今でこそ常識となったが、ハブとハニュウは読めない漢字のひとつだ。

山崎さんといえば出雲地方ではヤマサキと発音し、その他ではヤマザキと読むことが多い。製パンのヤマザキがその典型。音が澄んでいるのか濁るのか。呼ばれる当人にとっては大問題。

スミタさんの同級生のカドタさんは、ツノダさんとカクタさん知り合って、4人は仲のいい友達になった。みんな角田と書く。並んで何かの申込書に記入したら親族だと間違われてしまいそう。

新谷さんはたいへんだ。シンタニさん? シンヤさん? それともアラヤさんとお読みするのかな? いえいえ、ニイヤでございます。知ってる人にはアラタニやニタニ、ニイヤさんまでいるんです。みんな同んなじ字を書くんだよ。

日本の名字はいろいろだ。高野さんはコウノ? それともタカノ? 河野さんはコウノもいれば、カワノもいるね。炭谷さんはスミヤかスミタニかわからない。古河さんは普通に読んでフルカワだけど、コガワとも読めるしね。戦国の世に戻ってみれば浅井はアザイ、今はたいていアサイさん。

ワタベさんか、ワタナベさんか、迷ってしまう渡部さん。菅野さんだって、カンノなの? スガノかな?

日本は姓のバラエティ大国。30万種と言われる数の多さはかなわない。しかも読み方も多彩過ぎてたいへんだ。日本人泣かせの日本人の苗字だね。

(黄色一色に染まったチューリップの花。苗字は多様でいいんだよ)
諺に学ぶものありこの頃か [2018年04月13日(Fri)]

fumihouse-2018-04-13T22_17_12-1-thumbnail2.jpg昔からよく言う。持たせてはいけないものの例え。「気ちがいに刃物」。いま新しい諺が生まれた。〈キレる未熟警官に拳銃〉。

昔からよく言う。至らないものの例え。「医者の不養生」。こんな酷いことがあろうか。〈薮医者の赤子取り違え〉。

寺田寅彦は言った。災害に備えよと。「天災は忘れた頃にやってくる」。月曜日の地震では世界遺産・石見銀山に一部被害は出たが、日常はすでに戻って観光に支障はない。〈天災は忘れて復興やってくる〉。

昔からよく言う。目的が正しければ嘘も許されることの例え。「嘘も方便」。世の中いろんなものを隠しているぞ。〈隠した日報も方便〉。

昔からよく言う。知らないですませれば越したことはない例え。「知らぬが仏」。大臣は忙しいから読まずに決裁してもいいとさ。〈官僚の文書を知らぬが政治家〉。

(桃栗三年柿八年。この桃は花桃で、白くて清楚だが残念ながら実はならない)
メガネには思いこもっているものさ [2018年04月12日(Thu)]

fumihouse-2018-04-12T18_13_08-1-thumbnail2.jpg眼鏡を片手で外す。表情は渋いしかめ面。肘を張ってメガネを外すのはカッコいい。石原裕次郎や渡哲也がサングラスを外すときの仕草を思い浮かべればわかる。

対局にあるのが、ハリー・ポッター。ヴォルデモートの夢にうなされて寝汗をかいたときも、普段の寝起きも、ベッドサイドに置いてあった黒ぶちメガネを両手でもってきちっと着ける。神経質で少し幼い感じに見える。

2年ほど前まで私は眼鏡を着け外すときは、けっこうな頻度で片手でやっていた。眼鏡屋さんに言われて両手を使うようにしてみたところ、眼鏡のフレームが歪むことがうんと減った。こめかみや鼻に当たって、左右不均衡な力がかからなくなったのだ。

カッコ良くても不快さを我慢するか、カッコ悪くても快適さをとるか。私は後者を選んだ。

(さりげなくカサブランカの横に掛けてある私の眼鏡。さりげなく、なんてことはない)
レッドからブラックなりし美女の修羅 [2018年04月11日(Wed)]

fumihouse-2018-04-11T20_07_52-1-thumbnail2.jpg『レッド・スパロー』の主人公は、数々の修羅場を経て歴戦のスパロー(最前線のロシアスパイ)となった。高い戦闘能力と強靭でしなやかな肉体、機知の働く判断力、スパイとしての超絶技、相手の本質を見抜く心理操作、果敢で勇猛な行動力と気性の激しさ、そして男を虜にする美貌。権謀術数の末に、ドミニカ(ジェニファー・ローレンス)は、スパイ組織のトップに上り詰める。

ボリショイバレエのトップバレリーナだったドミニカは仕組まれた事故によってバレエ団を去らねばならなかった。母親の病気にかかる治療費を肩代わりするのに、彼女の美貌がハニートラップの役に立つ程度の認識しか、スパイ組織は持っていなかったが、彼女は化けた。単なるレッド・スパローからブラックなスパローに上り詰めた。

緊張したまま映画館にいた。ひと息つくことができなかった。しかし、ジェニファー・ローレンスの美しさと思いきりのよい演技に救われる。ドミニカの叔父役にプーチン似の俳優を使ったことはどんな意味があるのだろうか。英国はつい先日、スパイ疑惑でロシアの外交官を放逐した。他の国も追随し、ロシアvsヨーロッパの図式が強まりつつある今、冷戦時代を彷彿とさせる攻防が、空想ではないと思わせる内容だった。

(内に口をすぼめて秘めた感じのラナンキュラス。ハニートラップを仕掛けるスパイに相応しい)
外園に広がる長浜絶景や [2018年04月10日(Tue)]

fumihouse-2018-04-10T20_39_26-1-thumbnail2.jpg出雲市駅に停車中のバスは「外国」行きだ。そんなわけはぁない。よく見ると『外園』行きだ。

外園は出雲市街から5、6キロ西にある。日本海に出るとそこは長浜海岸。神迎えの儀式で有名な稲佐の浜から内側にゆるい弧を描いて十数キロ。白砂青松の海岸線が続き、湾岸道路をドライブするのはとても気持ちがよい。昨年この一帯が「日が沈む聖地出雲」として日本遺産に認定された。

太陽が水平線に近づくと、黄金の帯がまっすぐにこちらへ伸びてくる。太陽が海に接する瞬間は張り詰めた水たまりが何かに触れたように、太陽が海に溶け込む。夕日が海面に接するところはボッテリと丸まってメタボの中年男に見える。次々と形を変えて、最後はフライパンに熱せられた水玉のようにジュッと消え失せる。雲に残照がかかって、変化する光が通り抜けて刻々と色を変える。島根半島は切り絵のように神秘的だ。残照の最後は、地球が終わりの一呼吸をしたかのような妖しさがある。この夕日の絶景をぜひ見ていただきたいと思う。

(沈む太陽ではないが、花芽が大きくなってきた葉牡丹もなかなかのもの)
太平の眠りを覚ます地震かな [2018年04月09日(Mon)]

fumihouse-2018-04-09T22_10_21-1-thumbnail2.jpg草木も眠る丑三つ時、よりは1時間ばかり早い時間だったが、昨夜1時32分に県中部の大田市(おおだし)を震源として地震があった。最も眠りが深い時間帯だったにもかかわらず目が覚めた。

大田で震度5強、出雲でも震度5弱というが、私のところでは感覚的に震度4といったところで、幸いに被害はなかった。しかしケガをした人は10人近くおり、住宅や店舗の窓ガラスが割れたり、土砂崩れ、道路の陥没、断水や停電もあったりして、ニュースを見ると想像した以上に被害は大きい。

気象庁は同程度の大きさの地震が繰り返す可能性があると、注意を促している。災害は忘れた頃にやってくる。心していきたい。そして今回被害に遭われた方々の早い復旧を願っている。

(川沿いに自生しているツルニチニチソウ。紫色が鮮やかで左巻きのスクリューになった自然の妙味。自然は美しい、しかし自然は残酷だ)
♂と♀人類すべて平等さ [2018年04月08日(Sun)]

fumihouse-2018-04-08T23_24_29-1-thumbnail2.jpg奇しくも、オス・プレイとメス・イカンが、同じ6日の新聞紙面を賑わした(メスなんて言って、女性の皆さんごめんなさい)。

舞鶴での大相撲春巡業でのこと。土俵に倒れた市長に救命処置する女性に対して、「土俵から降りてください」とアナウンスした。八角理事長は不適切だと謝罪したが、あくまで緊急事態限定で、女性の土俵入りを通常から許すつもりはなさそうだ。宝塚での巡業では女性市長が土俵上での挨拶を拒否され、「女性であるという理由でできないのは悔しく、つらいです」と土俵外でマイクを握った。

伝統を守るのか人命救助かというが、果たして正当な伝統なのだろうか。弥生人の系譜をつぐ平安貴族は穢れを嫌った。穢れの最たるものは死である。死と血は結びつき、血を流す武人は穢れ多く、月のものがある女性も穢れだと考えた。そこに差別が生じたのである。非科学的なしきたりに過ぎないものを有り難がって、伝統と言い切ってしまう鈍感さと無思慮は嘆かわしい。

横田基地にオスプレイが配備された。事故への不安から反対運動が盛り上がる。ヘリコプターのように垂直に離着陸し空中で停止できる。飛行機のように高速で長く飛行できる。まさに夢の航空機だ。事故の確率という点ではヘリコプターより低いという。対中国、対北朝鮮への抑止力として重要な装備であり、自衛隊にも海上保安庁にもその代わりはない。

安保体制下にあって、米軍オスプレイ出ていけ!と叫ぶことは、差別的な感情論としか思えない。憲法に自衛隊を明記することはダメとする反対論も、基本は穢れの発想からはじまっている。

オスプレイとメスイカン(再度失礼します)とは、おかしな具合に共通項があると思うのだ。

(八重山吹が咲き始めた。ふつうの山吹は花弁が5枚だが、これは八重十重に広がる。色はこれこそ山吹色にふさわしい)
究極の生きるべきかと死者は言う [2018年04月07日(Sat)]

fumihouse-2018-04-07T21_59_50-1-thumbnail2.jpgイライザは最高機密研究機関において不規則に働く独身女性。出勤前の風呂に浸かりながらマスをかくのです。彼女の仕事は掃除人。変哲もない日常が続く舞台は冷戦下のアメリカでした。

アカデミー最優秀作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウオーター』は、こう問いかけています。普通とは違う異形の人を愛せるのか。その愛を貫くためには死なねばならないのか、と厳しく問いを投げるのです。

イライザは幼少の頃のケガのせいで声が出ません。彼女の理解者は隣人の画家など数人のみですが、彼女は孤独感にうちひしがれているわけではありません。そして、異種の半魚怪人を愛しました。この怪人には癒しの能力があります。精神的に人を癒すのではなく、キズを跡形もなく治し、ハゲ頭から毛を生えさせるのです。そして究極の癒し、死んだイライザを生き返らせました。

最初の問いかけはイエスです。生い立ちの異なるチグハグな人とも、生涯添い遂げられるのでしょう。異教の信仰者と一緒に暮らしていくことも可能でしょう。二人の愛が強ければ、という条件が必要ですが。

二つ目はたいへんです。死んでしまったら当事者がいなくなるのですから。でも映画では二人は復活してハッピーエンドです。このラストシーンにキリスト教徒は、イエス・キリストの復活を思い浮かべたことでしょう。生きるべきか、死ぬべきか。この普遍性を持たない愛のあり方に無力を感じたのは私だけでしょうか。

(芝桜の花は不死ではないが、次々と咲き連ねて復活するかのようだ)
荒れ狂う雨が混じって春二番 [2018年04月06日(Fri)]

fumihouse-2018-04-06T21_35_21-1-thumbnail2.jpg荒れ狂う風。雨も混じって風に翻弄される朝であった。ちゃんと整えたはずの髪は乱れ、とんでもない姿になった。春一番に匹敵する南風であった。

新年度初の金曜日。私たちの歓迎会は昨夜終わったが、今夜もあちこちでグループが賑やかにやっていることだろう。春には欠かせないシーンである。

歓迎会の帰り、夜中に蛙の初鳴きを聞いた。愛らしくコロコロコと舌を転がすように鳴く。リズミカルに演奏するように鳴くのはシュレーゲルアオガエル。

数日前の朝、家を出ると竹の葉がクルクル回りながら舞い落ちてきた。片手を伸ばしてキャッチ。お見事!と自画自賛。竹の葉が枯れる竹秋はまもなくだ。

先週は思わぬ暑さに大汗をかいたが、今週は平年並みとなった。地球と人間がよりを戻して、季節は確実に進んでいる。

(レンギョウは息が長い、桜のずっと前からずっと後まで。たくさんの花びらで一帯が黄色に染まる)
眼鏡かえ人には二種があるもんだ [2018年04月05日(Thu)]

fumihouse-2018-04-05T17_56_36-1-thumbnail2.jpg眼鏡を新しくしたときに、二種の反応がある。おっ、メガネかわったね?! とすぐさま口に出してくるタイプ。そして無反応な人。こちらとしては気に入って買った眼鏡だから、ひとこと、いいね!なんて言ってもらうと嬉しいものだ。

他人の様子が変わったときに、三種の人がある。服装や髪型、持ち物といった物理的なもののほか、雰囲気や表情といった精神的な変化の場合もある。ストレートに口にされると嬉しい場合もある。眼鏡の例のように。気分が勝れない時に、心優しく穏やかに気遣ってくれる人には、心を開いてみようかという気持ちになる。

感じても口にしない人もいる。遠慮がちに口にしないこともあろうし、嫉妬深く眺めている場合もあるだろう。そして感じない鈍感な人もいる。人間社会に暮らす限りは鈍感であってはならないと心してはいるものの、人は時に鈍感に他人の危機を見逃してしまいがちだ。

(透けている鮮やかな黄色、ペチコート水仙。スカートのシルエットを美しく保つペチコートのように、春を美しく可愛らしく彩る)
春ためす一期一会の味なれば [2018年04月04日(Wed)]

fumihouse-2018-04-04T17_56_53-1-thumbnail2.jpg20年前の名画『フォレスト・ガンプ/一期一会』で主人公の母さんはこう言う。

 人生はチョコレートの箱、
 開けてみるまで中身は分からない。
  Life is like a box of chocolates.
  You never know what you're gonna get.

桜花爛漫、春は爛熟。厳しかった寒さから逃れ出て、待ってましたとばかりに花々が咲き乱れている。春は出会いの季節、春は新たなことを始める時季、春は挑戦のとき。チョコの箱を開けてみよう。チョコを食べてみよう、恐れずに。中身はきっと美味しかろう。

(桃には桜梅桃李という喩えがある。桜は桜らしく、梅は春に先駆け、桃は桃のままに、スモモは酸っぱく、それぞれが個性を発揮して使命を果たす)
不安なり美し過ぎて堪らない [2018年04月03日(Tue)]

fumihouse-2018-04-03T20_38_02-1-thumbnail2.jpg『桜の樹の下には』で梶井基次郎はこう書く。

≪この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸たこのように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
 何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。≫

おお、狂気の沙汰! 常軌を逸した桜への偏愛。この乱心ぶりは変態と言ってもよい。それは一部の人ではなく、日本人の多くに通じる。この時季こぞって私たちが発狂するのを、梶井は代弁しているのだ。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」のかもしれない。腐乱した屍体があるかどうかは別にして、なんとも言えない桜の目映さと妖艶さ。「これは信じていいことなんだよ」

(浮かべれば筏にでもなりそうな雪柳。桜に釘付けの目を下に転ずれば、こんなにも美しい)
フレッシュに新たな顔ぶれお楽しみ [2018年04月02日(Mon)]

fumihouse-2018-04-02T07_38_00-1-thumbnail2.jpg新年度が始まった。出雲のサクラは昨日の強めの西風にも散ることなく、今日あたりが満開であろうか。列車にはリクルートスーツを着たフレッシュマンやウーマンの目新しい顔が目立つ。よい季節である。

職場には転入者がやってくる。先週半ばには出雲工業高校では職員会議が催され、転入者がそろい踏みした。それぞれが前任地での仕事を引き継ぎ、今日がスタートの日。

小中学校であったクラス替えの頃を思い出す。新しい学年で知った顔ぶれもあれば、馴染みのない新しいクラスメートもいる。そんな状態で担任も替わって気分一新。フレッシュで意気上がるシーズンだ。

自分が転勤したときには、クラス替えなんて気楽なことは言っていられない。右も左もわからない。不安がいっぱいだ。例えるならば転校生の気分であろうか。今ここでも、不安なメンバーは多いことであろう。大丈夫だよ!サポートするからね。と寄り添うことができたら幸いだ。スタートダッシュの一日が始まる。
半年後出雲の神在月に舞う [2018年04月01日(Sun)]

fumihouse-2018-04-01T06_13_16-1-thumbnail2.jpg旧暦十月・神在月に八百万の神々が集まるというが、出雲に集結できる神の数には定員があるのをご存知だろうか。出雲市内の旧家に伝わる古文書『出雲風記虎馬荒神出牒鱈饌目巻符』が解読され、集まる神は出雲地方の人口(これは人間界の実数)を上限とすることが、このほどわかった。

2018年2月1日現在で出雲部の人口が470,634人(出雲市 松江市 雲南市 安来市 奥出雲町 飯南町の4市2町の計/島根県統計調査課発表)である。もちろん推計でしかなく、実際は神迎えの儀の始まる時点の人口を正確に把握して(方法はわからないが神は万能なのだ)、定員はその時決定される。

すなわち、人間界の人口が減れば出雲の神々の財布に響くことになる。大国主命をトップとする出雲神神連は人間界の人口を増やそうと、島根県当局に働きかけ始めたらしい。

定住人口を増やすのは島根県にとっても最重要課題であるからして、神々の動きは願ったり叶ったり。もちろん神々と人間とは直接話し合いはできない。神々の言葉を人間は理解できないし、彼らの姿をみることもできない。神々は人間の目に見えないところで人口増に貢献するということだ。

島根の人口は一進一退どころか、止めどなく減り続けている。社会減といわれる県外転出はまだしも、自然減が止まらない。亡くなる人が多く、生まれる赤ちゃんが少ない。毎年5千人も減少しているのが現状だ。

出雲大社の祭神・大国主命への冥加金の多寡にもよるが(人間には一切不明)、神々にとっては相当の出費であり、道中の経費もバカにならない。それでも翌年の人間たちの縁を結ぶ会議に列席できるという栄誉は何事にも替えられない。万難を廃して出席するのが本懐というものだ。

では大国主命は巨万の富を手に入れるのか? そうでもないようだ。八百万の神々をもてなすためには莫大な費用と手間がかかる。とても元は取れないだろう。それもみな、有史以来続いてきた世のため人のためのビッグビジネスだと思えば、気も休まるというものさ。今日は4月1日。久しぶりに明るいニュースを聞いた。

(澄んだ出雲の空に雲に混じって神々は舞う)