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電撃で訪中の人潜行す [2018年03月31日(Sat)]

fumihouse-2018-03-31T23_26_56-1-thumbnail2.jpg電撃とは、電流が体を通ったときに感じる衝撃。そんなショックは静電気に当てられた時ぐらいしか、ふつうは経験しない。直前まで隠され誰にも知らされないうちに進む極秘事項、大きな衝撃をもって世間に受け取られる事柄を形容する言い方が、電撃○○、電撃的□□である。

芸能人の衝撃結婚、電撃入籍、電撃的破局はしょっちゅうあることだし、米大統領側近電撃解任は先日、電撃的に発表されたばかりだ(もう慣れっこだ)。

そして、電撃訪中。26日に金正恩が北京を電撃訪問した。北朝鮮の最大、唯一の後援者である中国は近頃機嫌が悪かった。米国を下手に刺激するな!と。そこで中国と関係を正常にした上で、米朝の交渉を有利に持っていくことが目的となる。4月は南北首脳会談、5月には米朝首脳会談へと、まさに階段を上るかのように状況が刻々と変わっていく。

(李(すもも)は薔薇科サクラ属。李下に冠を正さず、で知られる。李の木の下で冠をいじっていると実を盗もうとしているように見える。疑われやすい行動はするなと警告する中国故事)
サクラ咲き吹雪が舞って日本の春 [2018年03月30日(Fri)]

fumihouse-2018-03-30T23_02_11-1-thumbnail2.jpgホトケノザが小さな赤紫色の花を咲かせている。道端や田んぼ、空き地では当たり前の春の風景だ。花びらを引っぱると、つるんと抜ける。円筒形でスポイト状の花びらは赤紫からグラデーションを帯びて透明になる。透明な先っぽを口に含んで吸う。甘い春の味。夏に咲くサルビアに比べると小さすぎて甘味は弱い。けれど春の香りが口に広がる。花びらは6本。すべて取り去ると残るのは濃い赤紫の膨らんだつぶつぶ。妙な昆虫に見える。

春の花の最盛期。ホトケノザやぺんぺん草、コブシにモクレン、桃、李、ペチコート水仙、ムスカリ(グレープヒアシンス)、タンポポ、雪柳、木瓜、レンギョウ、菜の花、椿、馬酔木、沈丁花・・・・。

その頂上に位置するのがサクラだ(もちろん日本人にとってという意味であるが)。出雲でのソメイヨシノの開花が27日。わずかに3日で六分から七分咲き。明日明後日には八分を超えて、気象台が言うところの満開となるだろう。来週も好天が続く。花吹雪の舞い散る日本の風情を楽しもう。
サヨナラをしても忘れることはない [2018年03月29日(Thu)]

fumihouse-2018-03-29T21_28_03-1-thumbnail2.jpgピクサー・アニメーションの『リメンバー・ミー』では、先祖への鎮魂というよりは、生きる者と死んだ者が交歓するカーニバルのような趣が感じられた。もちろん生者には死者が見えない。年に一度の「死者の日」に、少年ミゲルは死者の世界へ入り込んだ。そして不可思議な体験をした結果、何世代にもわたる一族の和を取り戻す。

 わたしを忘れないで
 あなたとはサヨナラするけれど
 覚えていてね
 遠くへ旅立つわたしのことを

バラードでミゲルとヘクターが歌う「リメンバー・ミー」がしみてくる。ロック調の編曲も元気が湧いてくる。音楽という自分の夢を追いかけたヘクターと、曾孫のミゲル。二人は時間と生死を超えて自分自身を獲得し、家族の紐帯を取り戻した。しかも音楽という共通の手段でもって。

亡くなった家族や先祖、そして知人友人などを追善供養していくことは大切だ。亡くなってもつながりは残る。見守ってサポートしてくれているに違いない、と映画を見ながら思った。

(杏の満開は過ぎた。桜より少し濃い花びらをハラハラと散らしている。これもまたサクラの引き立て役だ)
いいね!とはどんな意味だと野党問う [2018年03月28日(Wed)]

fumihouse-2018-03-28T21_33_57-1.jpgフェイスブックのリアクションには、2年あまり前まで『いいね!』しかなかった。ボキャブラリーが少ないという意見を受けてだと思う、『超いいね!』『うけるね』『すごいね』『悲しいね』『ひどいね』が加えられた。

読み手の気持ちを表現しやすくなったと言えるが、記載内容そのものがいいのか、それを書いたあなたに拍手を送るのか、わからないのである。「病気になりました、でも闘病生活に頑張ってます」という投稿に対して、病気の発症に対しては『悲しいね』となるが、本人の意欲をよしとするならば『いいね!』だろう。病気の人に『いいね!』とは何ごとだ!と非難されても困るのである。『いいね!』だけで十分だと思うし、微妙なニュアンスを表したければコメントすればよろしい。

そもそも『いいね!』にも、いろいろなレベルがある。感服しました、素晴らしいという意図もあろうし、いいかどうかは何とも言えないけれど、とりあえず既読したという意味合いで『いいね!』する人もいる。

安倍首相夫人のフェイスブック投稿に対して、「野党のバカげた質問ばかりで、旦那さんは毎日大変ですね」との一般のユーザーからコメントがあり、夫人がそれに『いいね!』したことに対して野党が先週集中砲火を浴びせかけた。

問題の書き込みがあったのは3月11日。東日本大震災の大津波で児童の多くが亡くなった石巻の大川小学校に関して、夫人は「今後どんな自然災害が起ころうとも、学校で多くの子どもたちが亡くなるようなことがありませんように」と投稿した。

それに対して一般ユーザーは、首相と夫人をねぎらった上で国は本質を見据えた政策を実現するよう努力すべきだとコメントした。そこに夫人は『いいね!』したのだ。決して「野党のバカげた質問」云々に反応したのではない。野党の非難は、切り文(一部分だけを引用して文章全体をねじ曲げる)の典型であろうかと思う。

(ムスカリが満開だ。桜が咲く前の露払いとしてたくさんの花が咲いていく。すべてはサクラの引き立て役となる)
鼻むけて春の灯火よかれしと [2018年03月27日(Tue)]

fumihouse-2018-03-27T07_20_18-1-thumbnail2.jpg春休みに入って列車内は高校生の姿が少ない。座席はゆったりして、わたしまでお休み気分になる。始業式、入学式までの二週間を楽しもう。

3月から4月へ。年度末から平成30年度への橋渡し。別れと出会いの季節でもある。特に別れに際しては、「はなむけ」という言葉がある。花束を贈って門出を祝すというイメージから、「花向け」だと思っていたのだが違う。

≪遠くへ旅立つ際に道中の安全を祈って、馬の鼻を行く先に向けた慣習に由来する≫のだそうだ(聖教新聞3月26日付け「心をつなぐ手紙の魅力」むらかみかずこ)

さあ、励ましの力で快く、旅立つ人びとに鼻向けの言葉を贈ろう。

(辛夷(こぶし)の花も満開で、さんざめく桜花爛漫の前触れを飾る。松江地方気象台は昨日ソメイヨシノの開花を宣言した)
爛漫のツバキ糜爛し春を呼ぶ [2018年03月26日(Mon)]

fumihouse-2018-03-26T21_51_41-1-thumbnail2.jpgツバキは木偏に春。早春から初夏にかけて咲く椿には一重もあれば、糜爛(びらん)して乱れるような派手な八重咲きもある。改良された園芸種が多い。一つの花全体がポテッと落ちるさまは、なんとも爛熟した春を思わせる。

出雲村田製作所では地域貢献の一環として、椿と桜を一般公開している。昨日25日は椿が公開され、丹念に手入れされた椿を見ることができた。1000種類が植栽してあるとか。見事なものである。

4月15日の日曜日は八重桜の一般公開だ。正門から続く桜並木が300本以上。ここでしか見たことのない珍しい品種がいくつもある。これも楽しみにしておこう。ソメイヨシノが終わったら、出雲村田の八重桜にゴーだ。
改竄かそれとも大きな道なるか [2018年03月25日(Sun)]

fumihouse-2018-03-25T21_45_45-1-thumbnail2.jpg改竄、いやいや、単なる書き換えだ。より良く文書を整合させて筋を通すのが正しいやり方だ。
改竄、いやいや、単なる変更だ。本来あるべき姿に戻すだけのものなのだ。
改竄、いやいや、単なる修正だ。不要な文を削除して、必要な箇所を追加するだけのもの。
改竄、いやいや、単なる操作だ。上司の指示に従うのは宮仕えの身にはやむを得ぬこと。
改竄、いやいや、ちょっとした細工だよ。偽造とは紙一重だが、政道とはこんなものなのさ。

森友学園への国有地売却に関する決裁文書を財務省理財局が書き換えた問題については、よく知らないし興味がないので、報道を十分見聞きしていないのだが、「改竄」という単語は聞き捨てならない。改竄には悪意の響きがある。辞書には故意もしくは過失、悪意の有無を問わないと書いてあるが、竄の字に邪悪な印象をもつのは私だけではあるまい。

文書を書き改めるのは、かつては難しいことだった。筆耕者に同じ作業をやり直してもらわなければならなかった。タイピストにも同様に打ち直してもらう必要があった。ところが、今は違う。パソコンのデータをキーボードで変換して、紙に印刷し、紙を交換するだけでできてしまうのだ。世の中進化したものだが、それを正当なことに用いたいものである。

(白木蓮が満開になった。春はひたひたと押し寄せて、空と地面がつながるかのように。改竄なんてする余地もない)
幻想の妖猫描き玄宗と [2018年03月24日(Sat)]

fumihouse-2018-03-24T21_57_34-1-thumbnail2.jpg楊貴妃は唐の最盛期・玄宗皇帝の寵愛した皇妃であり、中国史上の美人として名高い。寵することが過ぎて、玄宗は後宮に3千人もいる妃には目もくれず、楊貴妃だけを愛したという。楊一族を贔屓して重用し政治的不満を引き起こした。さらに安史の乱も起きて国は乱れた。

映画『空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎』では、そうした傾国の美女ぶりは描かれず、悲劇性が強調された。楊貴妃の死後数十年経って詩人・白楽天(白居易)が長恨歌をつくる過程で、空海とともに巻き込まれた事件をファンタジックに楽しませてくれる。主役は玄宗でも楊貴妃でもない。空海(染谷将太)にしても密教的秘術を使うのでもなく、居るだけなのだ。主役は黒猫。

黒猫といえば、エドガー・アラン・ポーの恐怖小説「黒猫」のイメージだろうか。西洋の中世、魔女狩りの時代に、黒猫は魔女の使いとされていたこともあろう。化け猫が縦横に活躍した。映画は中国との合作で中国題は『妖猫傳』。日本題には無理がある。そして「美しき王妃」にも違和感がある。皇帝の妃だから皇妃なのだ。王妃としてしまったら、中国皇帝に臣下の礼をとる辺境の王に思えてしまう。

(王妃や皇妃ではないが、雛飾りの女雛)
送別の宴に笑い泣きもあり [2018年03月23日(Fri)]

fumihouse-2018-03-23T23_42_11-1-thumbnail2.jpg3学期の終業式、教職員の離任式に続き、学校ではその夜転勤したり退職される方々に対し感謝の念を込めて、送別会が開かれるのが通例だ。わたしは今夜の宴を次のように締めた。

「新たなる世の夢香る♪」と、校歌2番の冒頭をアカペラで一人歌い、転勤し退職される方々は歌のように新たな世に出ていく、夢を忘れず奮闘されるよう、そして明るく元気にたくましくあれと祈念して(明るく、元気に、たくましく。出雲工業高校のモットーである)、万歳を三唱する。ご唱和あれ、という内容である。

皆さんが思いの丈を、ある人はしみじみと、またある人はぶちまけるようにして語っていく。花束のプレゼンターも感謝の旨をつづっていくから、自ずと長くなる。会場を出て帰路につくタクシーが待っている。もう時間はない。考えていた挨拶は割愛して短く万歳した。出雲工業のみんな、今夜欠席の方々も含めて幸あれ、見事なる奮戦を続けよう!

(水仙もまだまだ元気にたくましく、咲いている)
姫のおとなしくして殿ドキリとす [2018年03月22日(Thu)]

fumihouse-2018-03-22T21_00_03-1-thumbnail2.jpg『音姫』
TOTOが発売してからもう三十年になろうとしている。正式な名称はトイレ用擬音装置。浦島太郎を竜宮城へ誘い、恋と宴に明け暮れた若く美しい乙姫。その乙姫が語源なのかどうかは知らないが、乙女は恥じらいに満ちている。だから用をたすときの音に恥じらう。見事なネーミングだ。

近頃は男性用も見かけるが、わたしは使ったことがない。自身が発する音を消す必要、というか羞恥を感じないからである。ともあれ、排泄に伴う音いっさいがっさいを消し、節水に大きく役立つ。偉大な発明である。

当初はトイレの流水音だけだったのが、渓流のせせらぎ音、あるいは小鳥のさえずりまで加えて進化しているという。トイレは居心地のよい空間に変わった。日本女性デリカシーに応えた見事な製品であると思う。

(乙女の奏でる音楽を想像させてくれる純白のシクラメン)
日本人花よ桜と喜んで [2018年03月21日(Wed)]

fumihouse-2018-03-21T22_00_25-1-thumbnail2.jpgサクラは日本の心なのか。季節になると日本人は花に心打たれ、夢中になって姿を追いかける。

花びらの形に個性があるわけではなく、色もごく淡い。香りはない。目立つ花ではない。ところが、一枝、木全体、木の集合体となると様相が変わる。サクラの主張が始まるのだ。一帯が立体的に淡いピンクとなり、春が来たぞ!と人間を鼓舞していく。どこからか香りが漂うような気配さえある。万朶と咲く花の小山が盛り上がり、観て観て!と、私たちをいざなう。

一斉に咲き始めたと思ったら、一斉にばさっと散る。あっけない。潔いともとも思える。これが日本人の集団主義的なあり方に似ているような。日本人とサクラ、特にソメイヨシノは相性が合うのだ。

寒い冬があった。雪に苦しめられた。だからこそ、暖かな春が待ち遠しい。春の喜びを一心に集めてサクラが咲く。日本人はそれが大好きなのだ。

(馬酔木(あせび)は、壷形で半透明の花を今咲かせている。わたしは白色よりは薄紅色のが好きだ)
テトリスと料理は科学の組み合わせ [2018年03月20日(Tue)]

fumihouse-2018-03-20T23_28_14-1-thumbnail2.jpgテトリスはコンピュータゲーム。画面上から落ちてくる正方形4個のブロックを回転させて色を合わせて積み上げて、同色をひっつけて消していく。画面がブロックでいっぱいになったら負け。一敗だ。

テトリスはパーソナルゲーム機の原初からある有名なゲームだが、主婦の頭はテトリスのように複雑な働きをすると思う。例えば料理。冷蔵庫や材料置きにある食材に家族の好みや体調、天気や季節感を組み合わせて最適な調理をおこなう。まさにテトリスだ。ズバリと化学式のように当てはまって、家族が満足する。自分の舌も満ち足りて気分は満開となろう。

(黄色いピースが組み合わさって菊のボールが咲いていく)
雨が降り月水金は期待薄 [2018年03月19日(Mon)]

fumihouse-2018-03-19T17_54_50-1-thumbnail2.jpg今日は雨降り、明日も雨。しかもとても寒い。月水金がそろい踏みする天体ショーは見られそうもない。実につまらん!

昨日、月水金・火木土ならば、日を仲間外れにするなって、声が聞こえてきた。そりゃそうさ。太陽が出ている昼間には星は見えない。月くらいなものだ(金星がよほど明るいときに観測できるらしいが)。その月も太陽の前では輝きが失せてペラペラの紙の月。やはり、月水金に日を加えるわけにはいかないな。

それでもすべての惑星と衛星は太陽の光を反射して輝き、太陽無くしてはそもそも存在しえない。太陽の偉大さは別格ってもんなんだ。

(菜の花があちこちで満開。レモンイエローの純な花びら。風に揺られて、えもいわれぬ春の色)
月水金火木土に何かせむ [2018年03月18日(Sun)]

fumihouse-2018-03-18T14_00_39-1-thumbnail2.jpg月水金、火木土といえば、週に3回、2日おきにする何かが思い浮かぶ。デイサービスの通所や人工透析の通院日をイメージする人もあるであろう。月水金は買い物をし、火木土にはウオーキングする人もいるかもしれない。今は空に月水金と火木土がある。空にということは、月、水星、金星。火星に木星に土星の省略だ。

暗いうちに起きて南天を見よう。射手座に土星と火星が並んで見える。天の川の濃いところにひときわ赤いのが火星。すぐ右のさそり座のアンタレスと赤さを競う。土星はやや黄色でこれも明るい。お隣の天秤座に目を移すと木星がある。【火・木・土】の完成だ。当分はワンセットで見ることができる。

さて【月・水・金】は長くはない組み合わせだ。太陽が沈んで20分ほどすると宵の明星が見える。一番星の金星だ。もう少し暗くなるとお目見えするのが水星。金星のすぐ上に現れる。太陽系で一番内側に回るだけあってさっさと位置を替える。しかも近すぎて見える期間は短い。今回はここに月が加わる。明日が一番いい。月曜日に月水金がそろい踏みということになる。火曜日になると月は少し離れ、水曜にはサヨナラだ。明日は晴れますように!

(まつ毛の長い女子のような唐実桜(カラミザクラ)かな? めしべがとても長いのが印象的。今が盛りのようだ)
大金星決勝待つ身日本人 [2018年03月17日(Sat)]

fumihouse-2018-03-17T22_40_22-1-thumbnail2.jpg大坂なおみがパリバ・オープン準決勝で世界ランク1位のシモナ・ハレプを撃破した。錦織圭が力を落とすなかで、大坂の快挙に期待が高まる。

昨年秋の香港オープンで大坂がビーナス・ウィリアムズを破ったとき、握手をする前に小さく会釈をして元女王に敬意を払った。それから握手をしたことが絶賛されている。

その敬意の表し方に謙遜な日本文化を感じるところではあるが、幼少期まで日本で過ごした経験を持ち、日本人DNAを持つとはいえ、錦織圭も含めて米国拠点の選手であることに違和感がある。大坂のたどたどしい日本語に米国を強く感じるのだ。横綱白鵬が流暢な日本語を話し、相撲という日本文化に敬意をはらうのとは対極に外国人の色彩が強い。ノーベル賞を受けた日本人科学者の多くが、日本の研究環境に飽きたらず、米国に出ていった人たちだ。それと同様の違和感があるのである。

でも、まっ、いいか。大坂なおみの決勝戦に期待しよう。
意地を張り電車の旅に困るとき [2018年03月16日(Fri)]

fumihouse-2018-03-16T18_57_17-1-thumbnail2.jpg昨日、「意地で電車通勤を続けていく」と書いた。が、そのわりには意気地がない。朝の駅に着くと定期券を忘れたことに気がついた。定期券を兼ねたICOCAの電子マネーカードである。現金で切符を買うこともできたのだが、ICOCAはスマホと一緒にケースに挟んである。今日はスマホがどうしても必要だったから家に帰った。始業時間に間に合わすためクルマで出勤した。

なんて楽なんだ。通勤にかかる時間は半分以下。歩く距離も短くて労力は少ない。ラジオを聞いて音楽をかけて、自分だけの空間と時間がある。その気になれば行きたいところで道草ができるし、景色のよい場所でのんびりだってできる。いいことずくめではないか。家族はクルマで出勤したら?と水を向ける。

いやイカン。誘惑に負けてはならぬ。今日は特別、また来週から電車の旅を続けるのだ。旅? そう旅だと思う。思うにまかせぬことがある。急な雨降りに困ることもある。変わりばえのしない生活の中にも、列車という受け身の交通機関を利用することに妙味がある。人生そのもの、毎日が旅なのだ。

(鉢に咲いた満開のサイネリアは、絢爛華麗な春の始まりだ)
沈丁花ダイヤ改正春の香よ [2018年03月15日(Thu)]

fumihouse-2018-03-15T19_14_19-1-thumbnail2.jpgJRのダイヤ改正の季節がやってきた。あさって3月17日(土)がその日である。幸いわたしにとってはほんのわずかな影響でしかない。

JR西日本米子支社の謳い文句では、浜田地区の通勤・通学時間帯が便利になるとか、三江線で江津〜三次間直通列車をつくるので全線乗車できるとか言っている。3月31日の最終運転を前に、今さらなに?と思うが、残り二週間に集中する乗客をさばこうというのだろう。悲しいかな三江線、さようなら三江線。

今夕は人事異動の内示があり、わたしには声がかからなかった。かわらずJR通勤を続けることができそうだ。山陰本線を三江線の二の舞にしてはならぬ!という決意で("⌒∇⌒")、これからも意地で電車通勤を続けていく。同好の士が増えないかなあ。

(クルマで通勤すると道端の沈丁花にも気がつけない。上品でさわやかな甘さ。何とも言えない春の香りだ)
アドレスはメールとともに転居かな [2018年03月14日(Wed)]

fumihouse-2018-03-14T23_14_04-1-thumbnail2.jpg同級生からメールアドレスの変更を知らせるメールが届いた。併せて東京に転居するとのこと。室生犀星の詩を思い出したので、こんな返信をした。

********************

メールありがとう。アドレス変更のこと、了解しました。再び東京ですか。寂しくなりますね。

高校のとき室生犀星の詩が出てきました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」ってやつです。

犀星はこう言っています。落ちぶれて乞食になったとしても、故郷には帰るまい。それでも独りぼっちで都会の夕暮れにひたりながら故郷を思って涙ぐむ。その心はそのまま置いて故郷から遠く離れた大都会へ再び帰っていこうと歌っています。

なんたる痩せ我慢! ですが、明治の昔、犀星の故郷の金沢と東京とは今と比べれば百倍も千倍も遠かったことでしょう。成功するまでは故郷の土を踏むまいという決意がなくてはやっていけなかったのでしょうね。

あなたが東京へ行っても、犀星のような気持ちにはならないとは思いますが、飛行機ならばほんの数時間で出雲です。近いものですから、またどうぞ同窓会に参加してくださいね。ではお元気で!
桜まで600段の階のぼる [2018年03月13日(Tue)]

fumihouse-2018-03-13T18_21_25-1-thumbnail2.jpg気象予報士の世界で「桜の開花600度の法則」というのがあるそうだ。2月1日から最高気温を順に足していき、累積が600℃を超えたときにソメイヨシノが開花するというものだ。

さっそく出雲の気温を気象庁のホームページで調べてみた。昨日までの最高気温を足す。さらに気温予想は22日まで出ている。それらをすべて足し上げて、23日以降16℃か17℃でいくとすれば、26日に桜は咲く。ソメイヨシノが万朶と咲き上がるのは4月に入ってからだろう。

送別会、事務のシメツメと引き継ぎ。うららかな春にのんびりウットリしているわけにはいかないが、弾む繁忙の季節がやってきたのだ。

(紅梅はピークを越えたが、白梅は今がもっとも美しい)
星空が冬から春へ巡りゆく [2018年03月12日(Mon)]

fumihouse-2018-03-12T22_03_05-1-thumbnail2.jpg春のいきれすら感じた今日の天気。陽光は優しく風弱く暖かい。山は霞でけぶっている(花粉も相当飛んでるらしい)。太陽が赤銅色の楕円の形をして隠れてから30分ほど経つうちに宵の明星が光を放つ。すぐ上には水星がある。太陽に近すぎて観測の機会に恵まれない水星が金星と今はアベック状態だ。

暗くなるとオリオン座が西に傾いているのがわかる。夜空にも春が来たのだ。冬の大三角も心なしか勢いがない。双子座のカストルとボルックスが天頂にある。南天には獅子座。?を逆向きにして獅子が西に降り行く大犬と小犬を追いかけていく。北の空には大熊座。北斗七星がすくっと立って春の息吹を感じた。去る3月もあと半月。きらびやかな新緑と風はすぐそこにある。
麦秋に麦酒を飲んで日本の家族 [2018年03月11日(Sun)]

fumihouse-2018-03-11T23_30_09-1-thumbnail2.jpg映画『麦秋』は1951年の小津安二郎監督作品である。季節は麦秋の初夏。舞台は鎌倉で、間宮家の日常が延々と描かれる。多少の波風はあるが平穏である。つい安穏すぎて眠りに引き込まれたのはご愛嬌。

突然降ってきた変化。いき遅れと言われていた紀子(原節子)は結婚することを決断した。それも、上司の勧めで周りは乗り気だった結婚話を断って、兄の勤める病院の矢部に嫁ぐと言い切る紀子。矢部は男やもめで幼い娘と母と暮らすが、戦死した次兄の親友だ。

長兄(笠智衆が例のごとく味のある棒読みで)はリアリストであり言葉の上っ面しか見ない。しかも惻隠の情が薄くて何事も論理で決めつけてしまう。その点、次兄は優しかった(死者の美化という要素もあるだろうが)。戦死したその兄と無二の親友だった矢部を重ね合わせたこともあるかもしれない。いずれにせよ、紀子は「この人ならば幸せになれる。きっとなる!」と決断した。

一方で家族はバラバラになる。結婚は嬉しいが、家族への想いが募り紀子は悩む。同じ家でまた一緒に暮らすことはないだろう。紀子が決断する前に父母が、今が一番いい時かもしれないね、とうなずき合っていた姿が印象に残る。いい時はいつまでも続かない。かけがえのないその時間を大切にしたいという気持ち。最後に残した間宮家の家族写真は、まさにその気持ちの表れだった。

あぐらをかいた時の目線。すなわち和室の目線、和の柔らかな視点から日本の家族を描く特徴はそのままに、固定カメラだけでなく、ズームや移動カメラを使っていたのが目新しい。小津監督の優しいカメラワークにも涙を誘われる理由があるのかもしれない。

(茎ごと摘み取った棉。これを紡ぐと綿=コットンになる。麦秋と同様に棉畑が広がる日本の風景もあったことだろう)
長傘に別れ惜しんで遠い旅 [2018年03月10日(Sat)]

fumihouse-2018-03-10T09_30_06-1-thumbnail2.jpg少し光沢のある萌葱色の肌。開くと光る具合が増して柔らかい曲線のなまめかしいこと。弱そうに見えて実は強靭。君は意外と骨太だ。がっちりした肉感的な足は銀色につやつやして僕には好ましい。口元を鋭くすぼめて時には寸鉄人を刺す。ところが、君が肩をすぼめると思わぬ華奢さに僕はドキッとしたものさ。

いっしょにいるときは君がいるのがあたりまえだったのに、離れて遠くに行ってしまうと、愛しい気持ちでいっぱいになる。もう君とはつきあわない。こんなにつらい気持ちになるなんて思わなかった。ポケットに詰めこんでこのまま連れ去りたいと歌ったのはチューリップだが、君の仲間を折り畳んで持ち運ぶことにするよ。使わないときは鞄に入れたら、忘れることはないからね。

もう私の手元にはない、私のだった長傘。電車の座席横の手すりにかかったまま昨日遠くへ運ばれた(たぶん米子だが)。長らくつきあった君だけど、さらりと去っていってしまった君への惜別の歌……。
あの震災この震災とは違うもの [2018年03月09日(Fri)]

fumihouse-2018-03-09T21_36_03-1-thumbnail2.jpg私にとっては「あの震災」となってしまいましたが、被災された方々にとっては「この震災」のままでしょう。平穏であるはずの日常、なんやかんやと面倒はあっても継続することを前提に組み立てられていた日常に、なにくわぬ風情でやってきた非日常の過酷な世界。そのまま続いているのです。7年の歳月が過ぎても、フラッシュバックして多くの被災者を今も苦しめていることと思います。

大震災の記憶を風化させてはいけない、と言われます。人間は誰でも苦しい体験は忘れたいものですし、忘れなければ精神的にまいってしまいます。忘れたいのに被災者自身の苦しみは抜けず、一方でそれ以外の人びとにとっては忘却の彼方の出来事になってしまう。当事者にとっては忘れられて、悲哀を感じるのだと思います。

忘れ去ろうとしても忘れられない。打ち忘れたらいけないことなのに忘れてしまう。相反する感情がせめぎあって哀惜の念を増幅させます。だからこそ、年中行事となっていても報道機関の3.11特集を見なければならないのです。
並行しパラリンピックに駆ける人 [2018年03月08日(Thu)]

fumihouse-2018-03-08T19_26_02-1-thumbnail2.jpg平昌パラリンピックが明日開幕する。20世紀の半ば、英国のグッドマン医師が障害者リハビリテーションの一環として競技会を行ったのがパラリンピックの始まりである。パラプレジア(脊髄損傷による下半身麻痺)とオリンピックの合成語だった。

やがて「パラ」の意味は進化する。パラレル(並行)の意味を持たされたのだ。元祖オリンピックと前後して行われるもう一つのオリンピック。パラリンピックはスポーツの祭典と並び立ったのである。

グッドマン博士は、「失ったものを数えるな、残された機能を最大限に活かせ」とその精神を語ったという。その精神はリハビリテーションという医療福祉の殻を破って、プレイするスポーツへと昇華した。さらに1988年のソウル大会からIOCが関わることとなって、パラリンピックは市民権を得て国際競技会になった。

プロも含めた障害者アスリートが、新たなスポーツ文化の地平を開いていく。SEKAI NO OWARIの『サザンカ』が再び頭を駆けめぐる。3月18日までの10日間、テレビから目が離せない。
声かけて互いに元気だしていこ [2018年03月07日(Wed)]

fumihouse-2018-03-07T18_09_37-1-thumbnail2.jpg声をかけよう。できれば笑顔で、せめて元気よく。
言葉を交わそう。ひと言でいい、天気のことだけでも。
返ってくれば話は続く。ひょっとして弾んで仲良くなるかもしれない。
返ってこなくても、それはそれでよろしかろう。
明日も会うだろうか。会わないかもしれないな。
明日も散歩しているだろか。この時間はどうだろね。
名前も知らない行きずりの関係。浅い付き合いとも言えない関係。
そんなのいくつ積み上げても、豊かな友人にはなれないと言うなかれ。
声をかければ相手は動く、心が動く。
挨拶が返ってきたら、嬉しいねえ。
返ってこなかったとしたら、悲しいかい?
いやいや恐れるには及ばない。
耳が遠くて聞こえなかったかもしれない。
よほど悲しみにうちひしがれていたのかもしれない。
それともよほどの偏屈か、不機嫌の主かもしれないさ。
積極性を発露してわたしの命は躍動感を増す。
声をかけて、返されて、幸せになる。
声をかけて、返ってこなくても、幸せのまま。
声を出す、声をかけたら、毎日はかわっていくだろう。
冬ごもり虫が這い出て風変わる [2018年03月06日(Tue)]

fumihouse-2018-03-06T18_04_56-1-thumbnail2.jpgネクタイをしめたらベストを着る。上着を羽織って首にマフラーを巻く。コートを着たら冬の通勤姿の完成だ。風が冷たい。週末に必要以上の暖かさを経験しただけに身にしみる。それでも北西からの風ではなくて北東から吹く。東風(こち)である。春の気分だ。空も明るい。

今日は啓蟄。土中に隠れ冬ごもりしていた虫(蟄)が活動を始めて出てくる(啓)。春を啓(ひら)くのだ。山は裸木がほわっとして、山笑う状態になった。サンシュユが火星人の頭のような細かな黄花を開かせている。桃の蕾も膨らんだ。山鳩やシジュウカラなど鳥の鳴く声が聞こえる。春は啓かれたのだ。スプリング・ハズ・カム。躍動の春はいまここにある。
週末のあとは週の始めなり [2018年03月05日(Mon)]

fumihouse-2018-03-05T18_12_12-1-thumbnail2.jpgキリスト教やユダヤ教、イスラム教の神は6日間かけてこの世界の森羅万象を創造し尽くし、7日目は祝って休息とした。これが日曜日となったという。だのに、なぜ日曜日を週の始めとするカレンダーが多いのか。

キリスト教では、キリストが金曜に磔になり、3日目の日曜に復活したという。復活したその日を週の初めとしたので、日曜が週の始まりだという説明もある。

ウイークエンド、すなわち週末は、金曜土曜、日曜日を指すことを考えれば、週末を終えて週始まりは月曜日。と考えるのが私にとっては自然でよろしかろう。

(クロッカス第2段。紫と黄のコントラストがなんとも春めいていて好きな構図)
窓開けて春のはじめに日が光り [2018年03月04日(Sun)]

fumihouse-2018-03-04T22_14_31-1-thumbnail2.jpg今日はわたしにとっての雲雀初日。朝焼けの田んぼに二羽の鳴き声が高らかに響いていた。震える寒さから弾む暖かさへ。春はそこまでやってきた。日の入りも18時06分まで遅くなってきた。もう2週余りで春分。躍動感あふれる春は始まった。ただ今日の最高気温は22℃。上着を脱いでちょうどいい。クルマに乗ると窓を開けないとやってられない。少し行き過ぎではないか? 少しはバランス考えようよ。また数日たつと寒さはぶり返す。くれぐれも体調崩さずいきたいね。

(ふきのとうはなって大きく春の香りを撒き散らす)
指先を活けて痛いよ花の水 [2018年03月03日(Sat)]

fumihouse-2018-03-03T21_39_33-1-thumbnail2.jpg指先を活けた。剣山に左手の人差し指を活けた。ほんの一瞬だが針を突き刺して血が出た。あれよと言う間に数ヵ所から血が吹き出して手先を染めた。水道水を流して右手で血を絞りバイ菌を押し出す。保健室で消毒薬を振りかけてもらった。血は出続けたがかまわず、カットバンを巻きつけて親指で押しつける。数分間は止血のために押し続けた。カットバンを取り去って新しく貼りなおす。

卒業式に使った花器のうち、いくつかは剣山で花が活けてあった。花は処理して残った水を捨てるときに、剣山がズルッ! 滑り落ちそうな剣山に思わず手が出て、ああ痛い! という顛末なのだ。

風呂に入ったあとでカットバンを取ったら傷は7ヵ所にあった。規則的な赤い点になっている。傷用のクリームを塗って手当てした。指先のわずかな怪我である。大した痛みではない。しかしちょっとした不調であっても、敏感な指先の傷は不快である。

(剣山でなくて、花のおしべの柔らかいところだったらよかったのに)
マフラーが要らぬ季節がやってきた [2018年03月02日(Fri)]

fumihouse-2018-03-02T17_58_10-1-thumbnail2.jpg店に入って食事をするときに、ふつうはコートを脱ぐ。マフラーを外す。店内は十分暖房が効いているし、とったほうがリラックスできるからだ。しかし、そのままの客を時折見かける。ショルダーバッグやバックパックすら下ろさない人だっている。不思議に思う。なぜなんだろう。めんどうなのか、よっぽどの寒がりなのか。それとも、すべての荷物がまとまっていれば、緊急事態にもすぐに動けると考えるからなのか。

列車に乗っているときも同じ。コートを着ているのはともかく、マフラーも何重にも巻いたまま。手袋すらも脱がない人がいる。室内はスチームが効いてときには汗をかくほどに熱く感じるときだってある。不思議だ。わたしは10分やそこらでも、脱ぐものだから理解に苦しむ。よほど寒がりなのか、それとも鈍感なのか。まっ、人それぞれということで。

(暖かい日ざしが嬉しい一日だった。数日前にわが家のクロッカスの一番手が咲いた。夕暮れもずいぶん遅い。今夜は満月が輝くだろう)
卒業のアレンジメントに風強し [2018年03月01日(Thu)]

fumihouse-2018-03-01T21_00_56-1-thumbnail2.jpg今日から3月。春は始まったと言いたいところだが、なわけはない。名前だけは春の、春の嵐が駆け抜けた。昨日から今日にわたって四国・近畿以東でも春一番が吹いた模様。夜半から低気圧が発達し日本海を通り抜け、島根でも未明に暴風警報が出された。

今日は出雲工業高校の卒業式。まだ植樹2年目で小さいが中庭の花が咲いた。ロウバイとサンシュユが黄の花を咲かせ、白梅はまだ蕾だが、紅梅はめでたい色に染まっている。4クラス134名の生徒が祝福されて旅立った。彼ら彼女らの門出が順風であることを願う。

式典終了後、治まっていたようにみえた風は強くなり、ドアの開け閉めや歩くのにも支障があるほどの風が吹き荒れた。禍福はあざなえる縄のごとし、そして艱難辛苦汝を玉にす、と言われるとおり、卒業生たちが見事に労苦を乗り越えてくれるよう祈っている。

(出雲工業卒業式のフラワーアレンジメント。黄色いバラで元気出し、青い蘭で落ち着けよ。卒業生諸君)