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あるものとないもの比べてごらんなさい [2018年02月28日(Wed)]

fumihouse-2018-02-28T18_30_44-1-thumbnail2.jpgあるものは見える。ないものは見えない。行った物事は見えるけれども、誰にも見えているわけではない。ひとは誰もが認めてほしい。

形あるものは変わる。なくなっていく。新しいものにとって変わられる。形のないものだが、思い出は変わらない。ずっと残っていく。ひとは誰もが残したい。

いやっ?そうか? きっと変わる。温かい気持ちが上塗りされて、さらに忘れがたい思い出になる。記憶から消えたように見えても、ひと同士のつながりがあれば、会えば再びよみがえる。ひとは誰もが甦る。
回想の記憶の糸をたぐり寄せ [2018年02月27日(Tue)]

fumihouse-2018-02-27T19_51_11-1-thumbnail2.jpgドラマに回想シーンがある。登場人物が体験を語りだす。画面は移り代わり、観客は見える化された物語に引き込まれていく。わたしはハリー・ポッターでダンブルドア校長が使った憂いの篩(ふるい)を思い出すのだ。ハリーが校長に導かれて銀色の液体が入った石の盆に引き込まれて魔法の映像世界に体ごと吸い込まれていく。この篩はすごい。記憶を完璧に再現できる。自分が見て頭に残る記憶だけではない。周りの環境すべてが当時のままに再現される。ドラマの回想シーンも同じようなものだ。

うらやましく思う。わたしもあんなふうに記憶の糸をたぐり寄せて、相手方を納得させてあげたい。無理だ。描写力がない。頭にある映像を順序だてて明快に説明する力はない。そもそも記憶が不明瞭だ。相手の言ったこと、誰かが呟いたこと、服の色、天気や風、木々の様子、部屋に置かれた調度品など、時間の経過につれ記憶は混沌としていく。悪意はなくとも、記憶をすり替えてしまうことだってある。記憶はあやふやで心もとない。

(石見銀山・大森にある群言堂本店のショップ・ギャラリーにあったステンドグラス)
勝つためにどんな順序を踏むべきか [2018年02月26日(Mon)]

fumihouse-2018-02-26T20_47_16-1-thumbnail2.jpg友添秀則氏(早稲田大学スポーツ科学学術院教授)は、スポーツの現場で事故や暴力行為が起こる図式は同様で、原因は次の3点だと述べる(「問われる指導者の資質〜対人関係のなかで〜」Sports Japan 2018/01-02)。

@追いつき追い越せ主義が過ぎて指導者が焦ること
A勝つためには手段を選ばないメンタリティとなること
B閉鎖環境において命令と服従の関係、序列化が生じること

このオリンピックでもそうであるが、活躍する選手の中で、学校スポーツ、すなわち部活動を母体とする者は少ない。地域や企業のクラブスポーツ出身者が大半である。前者は氏の述べるところの悪い図式に当てはまりがちなのかもしれない。学校スポーツには指導者や環境面で制約が多いから無理もない。もちろん後者であっても指導者が良くなくて、指示されるままの動くロボットになってしまえば、どんなに素質があっても早晩崩れる。

≪スポーツとは人生を楽しくさせるもの、その目的が失われてしまうような指導にどんな意味があるのでしょうか。(中略)選手がパフォーマンスを高めるには、自主性、主体性をふだんの練習から養っていくことが何よりも重要で、それは命令・服従の環境からは決して生まれてこない≫(友添氏)

スポーツに賭ける、苦しい練習に耐える、怪我から回復して再び戦う……それらは楽しくなりたいという大きな欲望を達成するためには不可欠の陶冶なのである。決して刹那的な楽しみではなくて、高次元の楽しみであることは言うまでもない。日本のスポーツ界が励ましという人情を基調とし、かつ先端の科学に裏付けられた態勢になってくれると嬉しい。
認めますそーだねあなたはすばらしい [2018年02月25日(Sun)]

fumihouse-2018-02-25T22_49_32-1-thumbnail2.jpg同意するとき同格か目下ならば「そーだね」と言う。その際、語尾のアクセントや強さによってニュアンスは微妙に異なる。強めだと、念を押したりわずかばかりの疑念を感じるだろう。頭から疑ってかかったとすれば、「そう?」とキツめになって、同意してくれたとは思えない。不安が生まれてくる。

カーリング女子チームは、「そだねージャパン」と言われている。少し甲高く、北海道の訛りで柔らかに響く。「だ」は前後に比べて弱くて音階も低い。「ねー」は長く伸ばす。誰もが「そだねー」と了解し判り合う。「そーだね」と比べると、相手方を肯定する度合いが大きい。頷きあい認めあって、気持ちを高めあう。メンタルヘルスとしても最適な態度であると思う。

激しく声を出したり、苛立ちを見せることはない。「こっちいってみよっか?」「そだねー」「まずやってみよー」「ナイスー」と、穏やかな口調が温かくてよろしい。ハーフタイムには、おやつを美味しそうに食べていた。糖分をとるのも頭脳戦には不可欠だが、その姿はほほえましい。堂々の銅メダル、おめでとう。素晴らしい、素敵な、そして可愛らしい戦いぶりだった。
卒業生ヤマの明るさ真史あり [2018年02月24日(Sat)]

fumihouse-2018-02-24T20_45_23-1-thumbnail2.jpg出雲高校「山高」のこと。思いのほか反響があったので続編を。

山高の由来は、小高い丘にある校舎で、ひ弱な連中が偉ぶって見えるのを蔑んだところからきたと説明した。

言葉とは面白いものだ。差別的な意味はなくても軽蔑の気持ちで使ううちに、言葉に怨念が乗り移るようにして差別が塗り込められていく。それが言霊というものだ。人権を犯すほどの差別語となってしまうと、言葉は糾弾され、忌避され、捨てられる。マスコミがクレームを恐れて自主規制する用語もたくさんある。不自由な言葉はどんどん増えていく。負のスパイラルに陥った言葉に浮かぶ瀬はない。

ところが「ヤマコー」は異なった。蔑視の意味で周囲が使い在校生を不快にさせた歴史が忘れられて、いつの間にか母校愛でもって使う言葉に変ったのだ。大げさに言えば、「ヤマコー」は侮蔑語から昇華して尊称となった。

学校の価値は卒業生に負うところが大きい。てるみくらぶ元社長のように、詐欺まがいの倒産劇を演じる者は願い下げにしたいが、多くの卒業生たちが懸命にかつ賢明に、地域に根を張り世界に雄飛したことによって、出雲高校は大きく価値を上げた。「ヤマコー」を侮蔑の意味で使う人がいなくなったことが何よりの証明だと思う。

韻律の明るさも相まって、これからも在校生たちは誇り高く「ヤマコー」と呼ぶことだろう(私は使わないが)。この考えはいかに? カーリング日本代表の女子のように「そだねー」と同意してくれる人がどれだけいるかな?
宴席に気を失って横になる [2018年02月23日(Fri)]

fumihouse-2018-02-23T23_57_54-1-thumbnail2.jpgひとは人前で人事不省におちいってのち、少し回復して半覚醒状態でいるとき何を思うのであろうか。私は、意識不明ほどのことはなくても、飲み過ぎて酔って、ふらふらですぐにも突っ伏して眠ってしまいたいときにも、無理して平気をよそおうことがある。「あぁ大丈夫」と。自分の異変を認めたくなくて、見栄の要素もあるかもしれない。周囲に心配をかけまいとする気遣いでもある。

宴席で倒れた人がいた。意識が不明となって、しばし昏睡状態であった。床に伸べてネクタイを外す。ボタンも外した。足を伸ばしてから、肩を叩いて呼びかけるが反応はない。息を不規則に深く吸い込んだ。死線期呼吸かもしれない。眼は白目をむいている。さっきまで元気だった彼の面影すらない。

AEDお願いします! 救急車も呼んでください! 大声で周囲に叫んで、心臓マッサージのために両膝をついた。顔を見た。変化があった。目を開けた。我に返って起き上がろうとしている。「大丈夫ですから」と言う彼をみんなで制して、横たわったままにした。

やがて救急隊が到着した。本人に名前や生年月日、気分を確認する。大丈夫そうだ。近くにいた者が一部始終を話して聞かせる。本人は気詰まりな感じだったが、支えられて救急車へと連れられて行った。一人が付き添いで同乗した。

失神事件のあとしばらく飲み会は続け、時間どおりに会は終わった。幸いに彼はその後も無事で、ご家族も駆けつけられたと聞いた。今夜は上弦の月。月明かりが松江大橋にかかり、ぼんやりと冬の星座が輝いている。よかった、安心した。今後も彼が健やかであることを祈る。

(紅梅が鮮やかだ。春の足音は聞こえてきた)
島根には竹島という島あった [2018年02月22日(Thu)]

fumihouse-2018-02-22T23_10_29-1-thumbnail2.jpg今日は島根県が定めた「竹島の日」。島根県ホームページの『かえれ 島と海』Web竹島問題研究所には、取り組みのあらすじが掲載されている。竹島問題とは何か。ひと言で言えば、韓国の誇りを賭けたアイデンティティの捏造である。

1910年に日本は韓国を植民地化した。日本が侵略の矛先を向けたのが竹島だったという誤った認識がベースになっている。日本帝国主義の犠牲の象徴とされたことが韓国国民の心をつかみ、捏造が事実として一人歩きした。韓国人はそれが真実だと教育されて、今では多くが毛ほどの疑いも持たないところに深い根がある。

敗戦後GHQは、日本海にマッカーサーラインを引いて、日本漁船は竹島を越えることを禁じたが、それをいいことに、先に独立していた韓国の大統領は強引にそこが国境だとこじつけた(いわゆる李承晩ライン)。好漁場であることもあって、韓国は軍事力でもって日本漁船を排除してきた。

以来半世紀以上。韓国との交渉は暗礁に乗り上げたままである。日本の腰が引けていることもあってか、竹島の日の式典にも中央政府代表は要人は出席しない。韓国側が竹島を聖地化し、実力行使する現状はいつまで続くのだろうか。

(先日の松江の街中。今日は松江も右翼と韓国支援者とのぶつかりで賑やかだっただろう)
山にあり出雲平野を眺めた日 [2018年02月21日(Wed)]

fumihouse-2018-02-21T18_03_54-1-thumbnail2.jpg島根県立出雲高等学校は、通称を出雲高校といい、さらに略すと出雲と呼ばれる。もうひとつ山高(やまこう)という別名があった。蔑称である。

由来は単純だ。山陰線沿いの小高い丘の上にある高校であり、今でこそ出雲工業も出雲商業も山の上にあるのだが、何十年も前は平地にあった。出雲農林や他の私立高校も平坦地にあるから、山の高校は出雲高校だけだった。なのに、なぜ蔑称なのか。

在学中に何度か、「おまえ、山高か?」と中学の先輩に言われた。それは出雲高校を拒絶し蔑むもの言いだった。多少成績がいいからって偉ぶるんじゃないよ、所詮ひ弱な奴らだよ、お前らは、ふんっ! そんな雰囲気だったと思う。

県内随一の進学校であったことは確かだ。当時指標となっていた国公立大学の合格率でもトップを走っていたと思う。あのもの言いには、羨望の入り交じった複雑な感情が隠れていた。そうした背景もあって当時の在学生たちは、自分たちの学校を山高とは決して呼ばなかった。出雲高校、もしくは出雲である。それが時代は変わって、今は在学生も親も先生たちも、誇り高く「ヤマコー」と呼ばわるのを聞くと隔世の感がある。

ヤマコーは母音にするとA-A-O。「ヤ」はやあっ!と明るく呼びかける。「マ」はまーまー落ち着いて!となだめ調和を求める。「コー」は行こう!楽しもう!と積極的に物事を実現させる意志がある。この軽快さは悪くないと思う。

蔑称を転じて、誇り高き愛称にしてしまうなんざ、これこそ出雲高校のエネルギーなのかもしれない。アッパレである。ではあるが、私には母校をヤマコーと呼ぶことはできないのだ。

(宍道湖北方に東西に広がる北山山系。この山々は日本海の荒波と強い冬の風をさえぎってくれる。出雲高校の山である鷹の沢とはつながっていない)
米西部砂漠に生きよ女たち [2018年02月20日(Tue)]

fumihouse-2018-02-20T22_41_27-1-thumbnail2.jpg『バグダッド・ホテル』は地味なドイツ映画であったが、なぜか心に残る。ドイツから来た旅行中の夫婦。中年で二人とも太っている。ラスベガスまで230キロの砂漠で大喧嘩。妻はクルマを決然と降りた。亭主には目もくれない。ハイウェイを重いトランクを引きずって歩く。ヒールが高くて彼女はそんなに歩けそうもない。しかし亭主は行ってしまった。良心の呵責を感じていたものの、もう潮どきだと感じたのだろう。亭主は戻らなかった。

ロードムービー風に始まるが、実はそうではなく、移動はそこまで。カフェとガソリンスタンドを併設したバグダッド・ホテルに投宿したジャスミン。ひどい宿だった。そこの亭主も夫婦喧嘩のあげく家出していた。黒人の女将ブレンダは機嫌が悪い。それでなくても掃除は行き届かず、どこもかしこも埃だらけ屑だらけ。ホスピタリティの欠片もありゃしない。コーヒーだって不味い。

ジャスミンはさぞや心細かっただろうに。しかし彼女は再び決然と動いた。部屋を掃除しだしたのだ。さらに雑然とゴミ溜めになっていた事務所に手を入れた。当然、主のブレンダは怒って対立するが、それがきっかけになって二人は急接近する。娘と息子(母のいない乳飲み子を抱えている)とも家族同然のつきあいが始まった。

ジャスミンは器用だった。別れた亭主からブンどっていたマジックセットを皮切りに、マジックショーでみんなを楽しませた。店は客足の途切れない人気店となった。もともとその一軒しかない、場末の店とすら言えなかったのに大がわりだ。

I am calling you. Can't you hear me?
主題歌は心に響くメロディを奏でる。私の心の声を聞いてよ!と。ブレンダの亭主は帰ってきた。ジャスミンの亭主はそのまま消えた。しかし自身の心の声を聞き、彼女はアメリカ定住への道を歩み始めたのだ。

(砂漠ではない。隠岐の島・島後の奥津戸海岸遊歩道に広がる、荒削りの美。白肌のアルカリ流紋岩)
勝つ優美ゆづる絵馬にはお国柄 [2018年02月19日(Mon)]

fumihouse-2018-02-19T22_24_22-1-thumbnail2.jpg羽生結弦ゆかりの神社があるという。神戸にある弓弦羽神社(ゆづるは じんじゃ)。羽生が参拝したわけではなく、名が似ているだけのことであるが、金メダルを獲れたかどで御礼参りをするファンが引きも切らないという。

昨日奉納された150枚の絵馬のうちには、ハングル文字のもあったと聞いて仰天した。韓国から来た羽生の熱狂的ファンが差し出したものだ。

大日本帝国に植民地化された韓国。名を改めさせられ、神社を強制的に拝まさせられた。戦前日本の汚点である。韓国側にも中国文化を淵源とする共通性から宿敵意識も強い。竹島や慰安婦問題でも針小棒大な論理構成で、牽強付会な説を日本にぶつけてくる韓国。特に宗教面、なかでも神道には強い嫌悪感を持つように若い世代は教育されてきたと思うのだが、当の絵馬作者には半日教育は及ばなかった。それだけ羽生の魅力が勝るのだ。
雪山が汚れっちまったよ春よ来い [2018年02月18日(Sun)]

fumihouse-2018-02-18T22_10_43-1-thumbnail2.jpg 汚れつちまつた雪の山
 今日は日ざしの降りかかる
 崩れつちまつた雪の山
 今日は南の風が吹いてる

  汚れつちまつた雪の精
  たとへば梢の排気ガス
  汚れつちまつた冬の日は
  手足が冷えてちぢこまる

もちろん、中原中也の「汚れっちまった悲しみに」のパロディだ。大雪があった。強烈な冷えもあった。今も北国では降りしきる雪に苦しんでおられる。だが春一番は吹いた。寒の戻りがあるにしても、春はそこまで来ている。オリンピックで小平奈緒は500mで金メダルを勝ち取った。「獣のような走り」と口走ったインタビュアーに対して、苦笑して応える様子に笑えた。見事な走り、滑りであった。苦闘する友も、春待つ人も笑顔になったことだろう。
羽生と羽生至宝の存在群を抜く [2018年02月17日(Sat)]

fumihouse-2018-02-17T22_40_44-1-thumbnail2.jpg羽生 と 羽生。

羽生は幼いころから天才と騒がれ、早々に7タイトルを独占した。才能に奢ることなく精進を続け、このたび永世七冠のかどで国民栄誉賞を受けた。今日のオープン戦で藤井五段(優勝して六段昇進)に敗れたものの、これからも努力の天才ぶりを発揮するだろう。

羽生は大震災にめげることなく滑り続け、ソチ五輪で金メダルをとった。氷上の妖精と言われる美少年で爽やかな人柄。抜群の芸術性と強靭な身体。そしてピョンチャン五輪では今日再び涙の金メダルを手にし、銀メダルの宇野昌磨とともに表彰台に上がった。

はぶ と はにゅう。羽生善治と羽生結弦。読み方は違っても漢字は同じ。年代も違えば分野も違う。しかし日本にあって稀有なる至宝の存在だ。
地味ながら規定どおりに円を描く [2018年02月16日(Fri)]

fumihouse-2018-02-16T21_53_32-1-thumbnail2.jpgかつて規定(コンパルソリー)という演技があった。曲線で示された図形(フィギュア)をブレないよう正確になぞる。コスチュームは地味で音楽はない。黙々と滑る基礎練習のように見え、テレビ栄えせず人気はなかった。フィギュアスケートの語源ではあるが、今はもうない。

冬季五輪の華はフィギュアスケートであろう。ジャンプ、スピン、ステップの極限的な技術を披露し、かつ高い芸術性を競う。なかでもジャンプの高難度化はすごい。トップクラスは複数の4回転ジャンプが当たり前。

今日午後のショートプログラムでは、羽生結弦が完璧な4回転サルコーを皮切りに1位。宇野昌磨もすべての4回転を成功させ3位。スペイン人ながら素晴らしい演技で2位のフェルナンデス、4位の中国・金も侮りがたい。明日のフリーでは高いレベルの戦いで熱い一日となるだろう。目が離せない。

(羽生の演技後、くまのプーさんがリンクに多数投げ込まれた。高級チョコも入っていたかもしれないな)
パクチーをパクパク食べて香り立つ [2018年02月15日(Thu)]

fumihouse-2018-02-15T19_28_56-1-thumbnail2.jpgコリアンダー、別名パクチー。セリ科の一年草で、南ヨーロッパ原産の香味料・薬用植物。茎にも葉にも特異な香気がある。葉はパセリに似て細く裂けて重なりあっている。夏に小さな白いぶつぶつの花をつける。東南アジアの料理によく使われる香草で、愛好者も多い。カメムシ草と呼ぶことがある。わたしもそう思う。カメムシを食べたことはないし大嫌いだが、口に含むとパクチーのような香気があるんじゃなかろうか。

夏に苗を買って大きくなったパクチーを鍋にバサッとのせて食べた。実に美味しかったが、その後の長雨で枯れてしまったのは残念だ。パクチー入りの即席麺を売ってはいるものの、今一つパクチー度が足りないような気がする。この夏はうまいこと育てて香りを楽しむことにしたい。

(^o^;)パクチーではない。菊にも香気がある。あれも好きだな。春菊は大好物\(^o^)
如月のチョコっと冷えた日々のあと [2018年02月14日(Wed)]

1518569284334.jpg出雲の今日の予想最高気温はチョコっと高めの12℃。歩道には踏み固めて夜半の冷えで凍った凸凹の絨毯。チョコっと注意してチョコチョコ歩かなければ怪我をする。チョー弩級の寒波が過ぎ去って、南の風が吹いてくる。春一番になるかどうかは知らないが、春の足音近づくよ。雪に追いまくられて雪疲れのここ数日。腰は痛くてだるい。チョコチョコ動き回って、こんなに雪かきしたのは久しぶり。

今日はバレンタインデー。年間最大のチョコレート商戦。ホワイトデーもあるけれど、ここでチョコ売らなきゃどうしたもんだ。恋人同士か、義理の関係か。夫婦もあれば兄妹も。バレンタインに感謝あり。明日は早くも週末近い。2月の次は3月で、必ずやってくる春よ。

(今日は極めつけの青空。超弩級の雪に埋もれた日々を青空が振り切ってくれたかのよう)
生きる道何を成し遂げ何目指す [2018年02月13日(Tue)]

fumihouse-2018-02-13T18_23_21-1-thumbnail2.jpgラグビー元日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏が、インタビューに応えてこう述べています(聖教新聞1月6日付)。

≪何かを成し遂げるというのは、人生の最終目標としては、そぐわないと思っています。なぜなら、達成した瞬間から後退が始まってしまうからです。日本には“改善”という言葉がありますよね。昨日の自分より今日の自分が、どれだけ成長できたのかを日々問い続ける。その繰り返しそれ自体に意味がある≫

飽くなき探究心と徹底した改革力で組織革命を成し遂げてきたジョーンズ氏にふさわしい言葉です。日々の改善という小目標を達成するために努力する。大きな大会で勝つ、大きな成果を獲得するという大目標を喜びをもって迎え入れる。でもそこで満足してはいけないのです。

何を目的に生きるのか。それを常に考え続けなさい……と氏に言われたような気がしました。
雪を割り春の到来待ちわびて [2018年02月12日(Mon)]

fumihouse-2018-02-12T23_51_42-1-thumbnail2.jpg雪かきは時間の経過とともに様相が変わる。降りたての乾雪や粉雪は軽い。スコップをサクッと差し入れ、持ち上げ、投げ捨てる。ひたすら単純な動きを繰り返す。牡丹雪や綿雪といった水分を多く含んだ雪質ならば、縦にザクッと差し込んで下にスコップを入れたら雪の四面体ができあがる。

何度も踏み固められた雪は違う。いったん溶けて水になり、夜半早朝の寒気に当てられて凍りつく。昼間に再び水気たっぷりになってのちに再び凍る。この状態で雪かきするのは難物だ。雪割りだ。氷を割って砕いて運ぶ。陸上の砕氷船と化してスコップを持って格闘する。硬すぎる氷はハンマーを使って割れ目を入れてからスコップをザクザク差し込んでいく。下に土があれば凍土と化している。なかなかの重労働で、腰がだるい。

(我が家の温州みかんに垂れ下がった鋭い氷柱。昨日は雨だったが、ほんの小雨で雪を溶かすまでに至らず)
乗りこえて雪が溶けたら春になる [2018年02月11日(Sun)]

fumihouse-2018-02-11T09_57_01-1-thumbnail2.jpg飽きもせず、また雪の話題。

雪道の歩き方は心得ているつもりだったが、溶けかけた雪には思わず足を取られてしまう。不安定で疲れる。凍りついたアイスバーンやつるつるの雪面はけっこう単調である。思いがけず滑ったときの心理的衝撃は大きく、ケガをする確率も高いけれども、用心を重ねればなんとかなる。

溶けかけの雪道は違うのだ。人が足を踏み入れていない雪はさくさく歩けるが、今回のように深い雪だと抜き上げるのに余分な力がかかる。人が踏み固めたところはがっちりしているとはいえ、ゴツゴツとして足場が不如意だし、意外にも一角が崩れてズルッといく。固まったところと軟らかいところの境目は、雪質が違って足をくじきそうになる。

除雪車がかいた硬い雪によって歩道が埋まっていることがある。クルマに注意しながら車道を歩く。これまた大変だ。クルマの轍がある。ガチガチのところ、溶けかけのところいろいろだ。歩道よりは雪解けが進むから、水でベチョベチョしているところも多くて不快極まりない。

暖かい室内から眺める雪景色は最高だ。外に出て、白銀の異世界を目にしたときの感動もある。木も草も家もクルマも道も純白の陰影におおわれて、この上なく美しい。しかし、そのあとを考えると雪というやつは、人間にとってままならないものだ。

それでも、ひとはこう言った。「雪が溶けると何になる。雪がとけると春になる」

(芝生のような滑らかな曲面。大雪の上に大ぶりの霜が舞い降りて、手入れのよい芝生に見える)
母さんの名前を聞いたさあ知らぬ [2018年02月10日(Sat)]

fumihouse-2018-02-10T20_40_13-1-thumbnail2.jpg3歳になったばかりの男の子。「おなまえは?」と尋ねると「○○ちゃん」と教えてくれた。お母さんの名前も聞いてみたが、知らなかった。きょとんとして何のことかよくわからない様子で、「おかあさん」。当然のことながらお父さんの名前だって知らない。

彼にきょうだいはいないから、お母さんとは一対一の関係だ。赤ちゃんは一人称の世界で、自分しか存在しない。腹へった、うんちが出て気持ち悪い、寒い……を泣いてあらわす。

やがて気持ちのいいあれこれをやってくれるひと、いつも近くにいてくれて安心感の元。たいていはお母さんだが、そのひとに笑顔を向ける。そこで世界は二人称に広がっていく。

彼が成長するにつれて、第三者をイメージできるようになって三人称で世界をつかむことになる。それでもお母さんと築いた人心地のする安堵感。これが彼が生きていく時の基盤となる。
氷点下五つの輪の元平和たれ [2018年02月09日(Fri)]

fumihouse-2018-02-09T21_43_02-1-thumbnail2.jpg今日は金曜日。2018年2月9日は金曜日。五輪は世界の注目を浴びるため週末の夜を開会式とするようになった。

平和の祭典が始まった。平昌オリンピック。一時しのぎではあろうが、朝鮮半島にいっときの融和をもたらしている。多くの若者たちの栄えある舞台が始まった。世界から集ったアスリート、北朝鮮の選手や役員、韓国の莫大な数のボランティアたちに支えられて二週間のお祭りだ。競い合う一流の技術と精神の対決を期待したい。

そして2年後の2020年7月24日も金曜日。東京オリンピックは2年半ののち。時間は少ない。選手も準備委員会も、多くの方々の奮闘で成功するよう期待している。

(氷点下7℃か8℃か、知らないが今朝はかつて経験したことのないほど寒かった。一昨日降った新雪が昨日の晴れ間でいったん緩み、冷えきった早朝に再び結晶化した)
ややあっていつもの時間有り難し [2018年02月08日(Thu)]

fumihouse-2018-02-08T21_50_02-1-thumbnail2.jpg今朝もいつもの時間に起きた。いつものように駅に向かって歩いた。大雪の圧雪で道は狭くてツルツルである。列車は時間どおりに来なかった。30分遅れで到着したものの、バスは運休した。始業時間に間に合うように行く歩道には、歩行者がつけた足跡が一本の道となってつながっていた。学校は休校で生徒はいなくても、明日に備えて雪かきが必要だ。時間ごとのチャイムはいつものように鳴った。昼休みになると昼御飯を食べる。昨日の白魔がウソのように太陽が燦々と輝いた。氷柱が溶けて滴をたらす。終業の時間が来て駅に向かった。乗るべき列車はホームに来ていた。ダイヤの乱れは回復しておらず、定刻には出発しなかったものの、無事に家に帰り着いた。家の周囲の雪どけはまだまだだが、明日以降の時間が解決してくれるだろう。いつもの時間どおりにいつものことが出来る、それって有り難いことなのだと感じられた一日だった。

小説「オーデュポンの祈り」で著者・伊坂幸太郎は現代にあっての時間をこのように表現した。

≪現代人にとっての羅針盤とはもしかしたら時計なのかもしれない。否が応でも進むエスカレーターに乗りながらも、人はなお時間を気にしている≫

(出雲工業高校にあったささやかな氷柱。太陽の熱でこのあと瞬く間に溶け落ちた)
ああ無常寒帯気団収束帯 [2018年02月07日(Wed)]

fumihouse-2018-02-07T18_38_19-1-thumbnail2.jpg寒いね! いつまで続くのかな?
この冬 あいさつ簡単だ
寒いと言ってりゃ 誰もが同意
ここしばらく北陸地方を悩ませる滅茶苦茶大雪
日本海寒帯気団収束帯(JPCZ)が大暴れ
夏ならば線状降水帯に匹敵するのかな
大雨はイヤなら 大雪もイヤだ
よそ事と思って気の毒がっていたところ
出雲では今朝から雪が降り続け
あれよという間に25センチさ
車道は圧雪テカテカで
歩道はズボズボはまってく
白魔というにふさわしい
ただいま乗ってる特急やくも号
特急券はないけれど ずかずか乗ってる超満員
この大雪よ どこまで続く 大雪よ
白いの見た目はきれいだが
そろそろ空が懐かしい

(昨日の午後に見た青空だが、今やもう懐かしい気分)
ないないと言葉に出して含蓄や [2018年02月06日(Tue)]

fumihouse-2018-02-06T07_46_24-1-thumbnail2.jpgしばらく前に、冷淡なさまを示す【つれない】について書いた(12月21日)。文語の終止形では【つれなし】だ。【なし】を語末に持つ日本語を拾ってみる。含蓄のある言葉ばかりだ。

【すげなし】愛想がない。思いやりがない。つれなしにほぼ同じ。
【何げなし】何の気なしに。さりげないようす。
【さりげなし】そのようなさま。取り繕わないこと。
【詮なし】しかたがない。甲斐がない。
【こよなし】この上ない。格段に差がある。
【こともなし】何事もない。わけもない。
【たとえなし】くらべようがない。
【よしなし】いわれのない。少し理不尽だ。
【静心なし】心が落ち着かない。
【つつがなし】異常がない。無事である。

何げない、さりげないは「さりげに」「何げに」にとって代わられた感があるが、言葉の美しさに欠ける。古来の言葉も大切にしたいもの。

(今日も雪、今日も寒すぎる一日。負けずに仕事に飛び出す朝だ)
雪と雪雪雪雪と雪はゆく [2018年02月05日(Mon)]

fumihouse-2018-02-05T21_54_59-1-thumbnail2.jpg雪に攻められどおしである。出雲の平野部ではうっすらと雪化粧程度だったのが、昨夕にどっさりと数センチ(大したことないか)、今日昼には吹雪が何度も押し寄せて、すっかり銀世界になった。雪にやられてばかりだと面白くないので、雪の種類を調べてみた。

【乾雪】かわきゆき 水分が少なく溶けにくい。
【霧雪】きりゆき 霧のように細かい雪だというが見たことはない。
【粉雪】こなゆき 粉のようにさらさらして風に舞う。暴風にあって地吹雪となることがある。
【細雪】ささめゆき 細かい雪だが、谷崎潤一郎のイメージだ。
【粒雪】つぶゆき 粒状の雪。下地にこれがあると積もりやすい。
【霰】あられ 5mm未満の粒。あられ餅とは似ても似つかぬ。
【雹】ひょう あられの大きいやつ。農作物を直撃して被害を出す。
【玉雪】たまゆき 球状の雪は霰や雹ほど重くない。
【泡雪】あわゆき 泡のようにふわふわで柔らかい。濡れないものならベッドにしたい。
【牡丹雪】ぼたんゆき 雪片が大きくてゆっくり落ちてくる。牡丹の花に喩え。
【綿雪】わたゆき 牡丹雪より少し小さくて、綿のようにふわふわ降りてくる。いい雪だるまができる。
【花弁雪】はなびらゆき 桜が散るようにひらひら落ちてくる。
【湿雪】しめりゆき 水分を含んだ湿った雪。
【水雪】みずゆき 水分がかなり多くてコートを濡らす。
【べた雪】べたゆき 水雪にほぼ同じか。

雪が降る様子や積もった状態や気分を示す言葉もいくつかある。

【薄雪】うすゆき 淡く積もった雪はせつない気分。
【風花】かざはな 晴れた日に風に流されてチラチラと降るのは絵になる。
【冠雪】かむりゆき 物の上にかぶさって盛り上がっていると、つい崩してみたくなる。
【銀花】ぎんか 雪を花にたとえているが、冷たさに花を忘れる。
【垂雪】しずりゆき 木枝から落ちる雪は詩的だが、屋根からずり落ちるのは危険極まりない。
【締雪】しまりゆき 降ってから時間がたち、重みで締まった状態になった積雪。
【粒雪】ざらめゆき 積もった雪がいったん溶けてザラザラと氷の粒となったもの。
【終雪】しゅうせつ その冬最後に降った雪。別名で雪の果て、雪の別れ、忘れ雪、涅槃雪とも。雪は大迷惑だと感じながらも日本人は白銀が好きなのだ。
【名残雪】なごりゆき 春近くに冬を名残り惜しんで降る雪。日本人の心証。
【深雪】みゆき 雪が深く積もって美しい様子。女性の名前にもある。甚深に思慮深いイメージが湧く。
戦略を堕落させたは喧嘩殺法 [2018年02月04日(Sun)]

fumihouse-2018-02-04T22_25_57-1-thumbnail2.jpg『戦略』と聞いてあきれてしまう。アメリカの平和戦略は「核兵器なき世界」から「いつでもどこでも核兵器」に転じた。核保有国の脅威に対抗し、自国と同盟国も守るには、威力を抑えてかつ高性能な核兵器を増強するという考え方は戦略に値しない。喧嘩の戦法程度のものでしかない。堕ちたものだ。

その戦法を一度でも発動してしまえば、地球は崩壊へまっしぐら。核の脅威国が核を一発発射したとしたら、直ちに残る全ての核兵器を100%叩くことが必要だ。そうでなければ、生き残った兵器がアメリカに向かう。全ての核兵器を完璧に破壊できるだろうか。潜水艦弾道ミサイルだってあるから、はなはだ疑問だ。

それでもトランプ政権は、抑止力が強化できると本気で考えている。数発の核兵器が炸裂しただけで、核の冬がやってくる。仮に大気圏外で打ち落としたとしても、電磁パルス攻撃となって、通信や電力系統が停止する。地球の環境は格段に悪くなる。限定的核攻撃に抑えたとしても、被害は甚大だ。核軍縮の流れを逆行させるわけにはいかないのだ。

先制使用はしないだの、低出力に抑えた核弾頭を使うと米国は言っているが、一度引き金を引いたならば世界は奈落の底に落ちる。相手国への疑心が暗鬼を生み、際限ない核競争をやってきた。それを終わらせるために絞る知恵こそ、『戦略』と呼ぶにふさわしい。

(焼きリンゴは美味しい。甘さと酸っぱさがやく馴染む。見た目は爆弾が炸裂した赤土のようではある)
ディカプリオジョニーともに若きころ [2018年02月03日(Sat)]

fumihouse-2018-02-03T21_59_37-1-thumbnail2.jpg少年レオナルド・ディカプリオの無垢な姿を見た。青年ジョニー・デップの純粋なきらめきがある。映画『ギルバート・グレイプ』には、光り輝くエネルギーをうちに秘めた若者への讃歌がある。しかし、重かった。このまま最後までいくのなら辛くて見ていられないと思った。

アメリカ中部の田舎町に住むギルバート(ジョニー・デップ)は食料品店に働き家族全員を支えている。その店はスーパーマーケット進出で青息吐息。自殺で父を亡くした家族。母、姉と妹、弟。母は以来ショックで何もせず、食べてばかりで超肥満のためソファーを動かない。姉は母親代りに家の切り盛りをし、妹は鬱屈しつつも姉を助けている。アーニー(ディカプリオ)は重度の知的障害でギルバートの世話なしには何事もやっていけない。目を離すと高い給水塔の梯子段を登っていってしまい街の人びとに迷惑をかける。ギルバートはこの町を一度も出たことがなく、平気だと言いつつもどうしようもない閉塞感にギリギリ耐えている。腹いせなのか、食料店の常連の主婦と時折情事を楽しむ。悶々としたギルバートの心理やアーニーの突拍子もない徘徊、町が刻々と変化する不安感などがごちゃ混ぜになって観る者を重苦しくさせる。

その夫に危険な遊びがばれそうになったと思いきや夫は急死し、場面は急展開する。ベッキーという旅の娘が現れたことも、アーニーの18歳の誕生パーティーに町の人びとを招いたことも、ギルバートの心理に外からの風を当てる。そしてさらに大きな展開があって、4人の兄弟姉妹は奇想天外な方法でシメツめをする。あれには驚いたが、爽やかな気分になったのは不思議だ。

ギルバートに母が、「お前は光輝く甲冑を着た王子様よ。まぶしく光り輝いている」というシーンがある。母とギルバートの和解するところ、ギルバートが自分の人生を生きようと思うところ。実に印象が深い。
また逢う日君と僕とはつながって [2018年02月02日(Fri)]

fumihouse-2018-02-02T22_21_23-1-thumbnail2.jpg  また逢う日まで 逢える時まで
  別れのそのわけは 話したくない
  (『また逢う日』作詞:阿久悠)

ラジオから流れていた懐メロ。尾崎紀世彦のこの歌は、かつて世間にもてはやされた歌だ。恋の悲しみを素直に歌ったものだと思っていたが、意外に普遍の真実があると思うのだ。

今日はありがとう。次に逢う日を楽しみにしているよ。また逢う日はいつだろう。逢える時まで数日か、それとも何年か。あるいは、もう二度と逢うことはないのかもしれないよ。それでも今夜は君とたくさん語ったね。思いの丈をたくさん聞いてもらったね。ありがとう。なぜ二度と逢うことはないと思うのかって? そりゃそうだろ。僕が不治の病におかされたらそれまでさ。君が不慮の事故で亡き人になったとしたらそれまでさ。一期一会の今夜このとき。かけがえのない時間をありがとう。

そんなふうに聞こえてくる、また逢う日まで、だったのだ。
機種変が招く混乱冬の空 [2018年02月01日(Thu)]

fumihouse-2018-02-01T21_24_45-1-thumbnail2.jpgスマホの機種変更してから2ヶ月ほどたつ。朝起きて手に取ると熱いうえに充電していなかった。その機種を何年も使っていたのだが、頻繁にフリーズしていた。少し長電話などしていると突然通話が途切れることが続き、点検を受けてもどうにもならなかった。CPUやメモリの能力不足が原因であろうと推測された。もう交換するしかないと思いきった。

自分好みに仕様を変えて使いだして、やがて2ヶ月。アンドロイドの機種ではあるが、別のメーカーの機種を選んだので使用方法は大きく違う。便利な機能がたくさん付いていても、どうにも帯に短し襷に長しといった風情で、未だに使いきっているという実感がない。一長一短がある。

古い分の使い方は多くは忘れてしまったが、新しい分を使ううちに、ともすれば古いやり方を何げなくやってしまうことがある。頭と手先が新旧ともに馴染まなくて、多少の混乱状態にある。早いところ思うがままに使いこなしたいと願っている。

(端切れは色とりどりに、見る者を誘う。見る人が見れば、無数の造形が頭に浮かんで嬉しかろう)