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天国と地獄を分かつ慎重さ [2018年01月31日(Wed)]

fumihouse-2018-01-31T19_17_40-1-thumbnail2.jpg青野山のふもとを津和野から柿木村(今は合併して吉賀町)に向かって山道を走っていたときのこと。雪道で怖い経験をした。

雪はやんで平地ではだいぶん溶けていた。標高が高い道だから路側帯には残雪がある。わたしは慎重だった。だが見通しも良い、眺めも高台でよろしい。やがて注意深さを失ってスピードを出すようになった。油断大敵。小さな橋にかかると路面には圧雪があった。わたしが乗った公用車は轍にハンドルをとられて、あれよと思う間に道脇の積雪に突っ込んだ。後退もできない窮地に陥ったのである。

不注意の因果応報を呪ったが、あとの祭り。当時は携帯電話などない。途方にくれていると救世主が現れた。目的地の柿木村にある建設会社の車が通りかかったのだ。助けを求めると、そのかたはわざわざ牽引用のロープを取りに会社まで行って戻って来ると。30分ほどして帰ってきた氏は手際よく引っ張ってくださった。名前を教えてくださらなかったので、車に書いてあった会社宛にお礼状を送った。

雪道は思ったほど難儀するものではない。それは余裕をもってゆっくりと進み、急ハンドルや急ブレーキを使わないという条件のもとで成り立つ話であって、大丈夫と思って集中を途切らすと手痛いしっぺ返しを受ける。歩くときも同じこと。上の空になったり、歩きスマホをしたりすると大変な目に遭うだろう。土曜日から来週にかけて再び大寒波が襲来するという。油断召されるな、特に都会の人びとよ。

(野芥子が元気な黄色い花を咲かせる季節に早くなってほしい。いい加減、寒さはこれまでにしてほしい)
忘れ物足下に注意油断せず [2018年01月30日(Tue)]

fumihouse-2018-01-30T20_52_32-1-thumbnail2.jpg私には荷物の3つ原則がある。列車やバスなど公共交通機関を利用するとき、荷物を3つ以上持つと忘れる可能性が高いので注意せよ、という警告である。

通勤では手持ち鞄1つ。問題なさそうだが大有りだ。鞄から新聞を取り出して2つ、スマホを広げると3つになって危険値を越える。雨が降ると傘を持って基礎数が2つとなって危険は高まる。今の時季コートを脱ぎ、マフラーや帽子をとって脇に置くと4つ、5つ、6つとなってますます危険だ。コートやマフラーを脱がなきゃいい、と思うなかれ。列車はスチームが効いて暑いくらいなのだ。それに短い時間でも締め付けるものから体を解放して、心もゆったりしたいじゃないか。

ところが、ギリギリまでブログを書いていて、スマホを慌てて鞄にしまって下車するときなど、気持ちに余裕がなくなって忘れる。だから降りるときは座席を確かめるようにするが、いつもそうとは限らない。かつて出雲市で毛糸の帽子を忘れて米子駅まで取りに行ったことだってある。

列車のアナウンスでは、お手回り品を忘れないよう注意!と促す。でもやっぱり忘れてしまうんだな、これが。

(今夜は出雲工業高校青雲寮の3年生を送る会食会。毎朝毎晩心のこもった美味しい食事を作ってくださった炊事員さん3名に、巣立つ3年生が贈った花束。幸せは足下にあり、と思える素敵な会だった)
温暖化疑いもってウソかいな? [2018年01月29日(Mon)]

fumihouse-2018-01-29T18_08_40-1-thumbnail2.jpgこの1週間、積雪と低温の話題でもちきりだった。特に最低気温に関しては、東京都心で−4℃、さいたま市で−9.8℃を記録するなど異常低温だったことから、地球温暖化など嘘っぱちだと、ツイートするのを散見する。大雪と記録的冷えを経験すれば無理もないが、『チーム森田の“天気で斬る”』で気象予報士の河津氏が述べている(1月28日)。

≪気候変動の話題でよく勘違いされていますが、天気と気候変動はイコールではありません。「天気」はある時刻又は時間帯の気象のことを指し、時間帯としては数分から長くてもせいぜい2〜3日程度の事を言います。対して「気候」は、通常は数十年間という大気の総合した状態の移り変わりのことを表します。(中略)

こうした状況で散見されるのが温暖化に対する懐疑論なのですが、これは空間的にも時間的にもスケールを逸脱していて、議論に値しないのではと考えています≫

100m走とマラソンを同じ土俵で比べるようなものだとも氏は言っている。冬がこれだから、夏は今までよりもっと苛烈になる可能性だってある。トランプ大統領よ、温暖化をなめたらいかんぞ!

2月の予報では平年に比べ積雪が多い、気温もかなり低いところが多いとのこと。恐ろしや! 局地的な寒冷化は、これからも頻発するだろう。わたしとしては、せめて明後日31日は皆既月食を見て気を休めたいと思うのだが、無理かなぁ。

(正月三が日のこんな青空を早いとこ見たいものだ)
目標と目的見据えすすみたし [2018年01月28日(Sun)]

fumihouse-2018-01-28T22_22_53-1-thumbnail2.jpg目標には達成目標と実行目標がある。達成目標とは、メダル圏内に入り表彰台に上がる、試験に合格するといった一定の成果をつかみとる目標である。実行目標は、1日一万歩歩く、一定のウエイトトレーニングを◯◯セット行うといった行為として実際に行うことを数値に置き換えた目標である。金メダルをとることが目的という場合もあろうが、その先にはもっと大きな目的があるはずである。何のために死物狂いでやり続けるのか、何のための努力なのか。それが目的である。

「目的」と「目標」。似てはいても、次元が違う。聖教新聞名字の言(聖教新聞1月9日付け)ではこう述べている。

≪目標の大切さは言うまでもないが、前進の原動力となる目的観の重要性を忘れてはなるまい。“何のため”という目的が明快な人には、張りや歓喜がある。目的を見失えば、行き詰まったときに再起する力が湧かない≫

年頭に定めた今年の目標。1月がまもなく終わるが、あやふやになりがちな状態にある。もう一度再確認して、目的も含めて改めて締めていきたいと思う。
自然減自然増にも物語 [2018年01月27日(Sat)]

fumihouse-2018-01-27T08_50_37-1-thumbnail2.jpg島根県統計調査課が人口移動調査(1月1日現在)を発表した。平成30年1月1日現在の推計人口は、683,770人となり、前月に比べ388人の減少。その内訳は439人の自然減、51人の社会増であると。

「439人の自然減」、すなわち出生者数から死亡者数を差し引いて439人の減少となったわけだ。「51人の社会増」、すなわち県外へ転出した人と転入者との差し引きが51人の増となる。

その数値の裏には、亡くなった方や遺族の悲しみがあり、生まれた赤ちゃんへの祝意が含まれている。望んで外へ出た人もいようし、念願叶ってUターンした人もあるだろう。

それらをひっくるめて、いや、まとめることなどできない。全体総量や傾向を確かめるのに統計数値は便利であるが、そこには取り替えのきかない多くのドラマが隠れていることを忘れてはならない。

(石見・グラントワの内壁を飾っていた、石州瓦をモチーフにした陶器製のタイル。この一つひとつにも製作者の物語がある)
時へだて授業と自由を分けるもの [2018年01月26日(Fri)]

fumihouse-2018-01-26T17_32_52-1-thumbnail2.jpg学校では日課に合わせてチャイムが鳴る。業務開始、ホームルーム、授業の始まり終わり、昼食、掃除、終業などがある。通常は自動で鳴るのだが、特別時間帯が組まれたときは事務室内にある装置を手動で操作する。ふつうは先生たちが行うところを、都合がつかなくて私が一度扱った。

なかなかのプレッシャーである。忘れてしまってはとんでもない。数分前からデジタル時計の前に陣取って文字盤を見つめる。電話がかかるかもしれない、来客だってあるだろう。そんなときは待ってもらうか、後刻対応するよう他の事務職員に伝えて、装置の前から動かない。その数分前というのを、そもそも忘れてはいけないから、紙に書き出してパソコンに貼っておいたが、気もそぞろだった。

装置の前に立つと脳裏に去来するものがいろいろ。失敗したらどうしよう、ボタンをオンするだけじゃないか、しっかり見ておけばいいさ・・・。そうするうちにデジタル時計の秒表示は刻々と進む。短いようで待つ時間は長い。先生たちはよくやってるな、結構な重圧感じゃないか、いつもこれやってたらたまらんなぁ・・・。秒針が57,58,59・・・00で思わず反応しそうになった。まだ9時59分だった。1分早い、あぶない危ない。

少年版のミステリー小説だったと思う。掲示板を前にして男たちがそれぞれ並んで座っている。不定期にランプが点灯する。点いてから数秒以内に反応してボタンを押さないと処刑される。前触れなく点灯する光。冷静ではいられない。ぼっーとして点灯を見逃し、羽交い締めにされて退く者がいる。その強烈なプレッシャーから半狂乱になる者もいた・・・。それを思い出した。チャイムを鳴らすのは受け身ではないが、時間に縛られる。変な気分だ。

もちろんチャイムは無事に鳴らした。わずかなことではあるが重圧から解放された。安心して肩の荷を下ろし、珈琲を美味しく飲んだ。

(授業時間と休み時間を分けるものがチャイム。さてこの分かれ目は何でしょう)
マイナスに零下の冷えで氷点下 [2018年01月25日(Thu)]

fumihouse-2018-01-25T20_32_05-1-thumbnail2.jpg一昨日、北海道の占冠村で氷点下31.7℃を記録した。マイナス4℃程度で根をあげている出雲人(わたしのこと)に比べたら、北海道人はなんて強いことだろう。バナナで釘を打てるような極寒を一度でいいから経験してみたい(一度だけでいい)。食品や大切なものを凍らせないために冷蔵庫を使う様子をのぞいてみたい(少しだけでいい)。

マイナス31℃と言うよりは、零下31℃と表現したほうが、極寒の震える人間を如実に表すような気がする。

レイは、命令の令。寒い空気は命ずるのだ。耐えよ、学べよ、春を待て!と。

レイは、冷却の冷。冷淡にも寒さは容赦ない。気持ちを乱されず、冷静に冷静に。

レイは、返戻の戻。寒さがゆるんで暖かくなっても寒の戻りはあるものだ。

レイは、慣わしとしての例。寒いのは冬の常、普通のことなのだ。震えるのはつらいことであるが、冬は必ず春となる。

レイは、隷属の隷。人間は自然のしもべとなって生きるしかないものか。

レイは、山頂の齢。この大雪は大いに支障があるけれど、銀嶺が日の光に照らされるさまはさぞや美しいかろう。

レイは、しずくの零。露がこぼれ、雨の滴が落ちて平原を豊かにする。零下の言葉には豊潤な響きが感じられる。

(天空にはこんなオロチがいるかもしれないな。グラントワの前庭にある巨大なオブジェ)
大雪と寒波にゆだね君と僕 [2018年01月24日(Wed)]

fumihouse-2018-01-24T20_49_43-1-thumbnail2.jpgこの粉の冷たさはいったい何だ。片栗粉状の白い粉を大量にぶちまけて、凍りつく風が粉を縦横無尽に撒き散らす。ビル風が積もったやつらを吹き上げる。乾いた道路に擦り付けられて動かない粉もある。片隅には5センチほどの吹きだまりがある。粉を踏みしめるとほとんど抵抗はない。サラリサラサラ、粉は散る。この粉の滑ることといったらない。吹きだまりに隠れたマンホールを不用意に踏むと体がぐらっと傾いてヒヤリとする。白いやつらが凶器に早変わりだ。

しまね防災情報は、明日の朝にかけて路面凍結や積雪で交通障害を心配する。水道管の凍結などにも警戒せよと伝える。出雲では数センチの積雪だが、先週降った大雪で中国山地沿いの地域では根雪となっているだけに、なだれにも注意を促す。海は大時化だ。隠岐航路は高波により欠航している。何よりもいつもと違うのは気温が低いこと。昼間の一時期、マイナス4℃を下回る時もあっただけに、近頃経験したことがない。雪は全く白い粉。おー、さむさむ。

(先週末に益田に行った時は暖かだった。石州瓦を敷き詰めたグラントワの壁に、石見の青空が映えて美しかった)
明らめて諦めないで前進む [2018年01月23日(Tue)]

fumihouse-2018-01-23T18_34_26-1-thumbnail2.jpgあきらめるには、二種ある。ひとつは使うことの多い【諦める】。望んではいたが、実現できないことがわかって望みを捨てる。思い切って目を転じようとはしても、残念な気持ちが勝って諦めきれない気分が漂ってくる。

もうひとつは【明らめる】。ものごとの事情を解き明かすこと。要は、明らかにすることなのだが、明らめると書くと、文芸的な匂いがしてくるから不思議だ。

さらに、明らめるには、心を明るく晴らすという意味もある。ものごと一般に関しても、明るく照らしてはっきりさせる。明白に明朗にその場の空気を変えていく力がある。そして、道理を明瞭に理解していきたいというプラスの意志を感じることができる。

明らめる と 諦める。音は同んじだが、両極の意味の違いが面白い。

(花にはその場の空気を明らめる力がある。特に黄色い花には明白だ)
帰宅とは命令されてするものか [2018年01月22日(Mon)]

fumihouse-2018-01-22T19_13_25-1-thumbnail2.jpg東京や神奈川方面に大雪が降っている。#帰宅命令 でリンクしたツイートが多数。会社が帰宅命令を出してくれない、帰宅命令が出たので降りしきる雪中を駅に向かう、帰宅命令がでない企業はブラックだ、駅へ行ったはいいけれど入場規制でホームにすら行けない・・・。

客商売なら如何ともしがたいかもしれない。そもそも交通機関関係者は帰宅はせず、泊まり覚悟の夜だろう。やむを得ない勤め人は除いて、どうしてこうも指示を待っているのか不思議だ。一斉に退勤すればラッシュになるのは目に見えている。雪で交通機関は障害がでて、思うに運転はできない。天気予報はあれだけ早くから警戒を呼び掛けていたのだ。午前中にさっさと休みを取って帰る選択も可能だったはず。

そんな勝手はできない!と言ってはいけない。非常時なのだ。顧客だって打ち合わせの日程をずらすことに同意するだろう。店が休みでも客は納得するにちがいない。帰宅命令がでないと帰宅できない会社そのものがブラックと言えるのかもしれない。社員が自主判断がしないことで、自らブラックの度合いを高めることに問題がある。それはブラックか否かということではなくて、働き方の問題だ。家が近くにあって歩いてでも移動できる人は、残って銃後の守りを固めるのもよいだろう。さまざまな判断が適切に分散されることでリスクも分散する。生き物とはそうして進化し、絶滅を免れてきたはずなのだ。

(家々の庭に実って収穫されていないミカン類も、この冬は白い帽子をかぶることが多くなる)
一年は寒さ暑さで暮れていく [2018年01月21日(Sun)]

fumihouse-2018-01-21T22_27_29-1-thumbnail2.jpg早くも1月は第四週。冬であることを忘れるほど穏やかな数日が過ぎたが、明日から寒波がやってくる。節分荒れと言われる寒気団の到来だ。2月にも一,二度は雪が積もるだろう。

黄砂が飛び、春一番が吹く。バレンタインデー狂想曲が終わると、桃の節句のセールがやってくる。世の中は桜に向けて期待の嵐。いつ咲くか、南国のどこそこで咲いたと騒がしい。花吹雪が終わって寂しくなるが、日に日に新緑が濃くなって気持ちはいやが上にも盛り上がる。ゴールデンウィークにワクワクしてあれよという間に楽しい時は過ぎる。

突然の暑さがやってきて、いったり来たりするうちに梅雨になる。長雨か空梅雨か、そのときになってみないとわからないが、灼熱の夏は必ずやってくる。暑い(;´д`)ゞ!を挨拶に毎日をやり過ごし、秋の気配に気持ちが和む。

山の気配、空の色が変化し、街路樹が色づいてくる。錦繍の美に目を奪われているうちに、太陽は低くなり、夜の鼻息が聞こえてくる。北国からは雪の便りがあり、荒々しい冷たさが慣れない体を痛めつける。そうして今年も暮れていくのだ。

(花々が一面に咲く春が早くやってきてほしい)
ゴーリーの不思議なヒミツ楽しんで [2018年01月20日(Sat)]

fumihouse-2018-01-20T22_00_10-1-thumbnail2.jpgシュールだとは思わない。非現実的ではあるけれど、イラストや挿し絵とはそんなもの。ユーモアだとも思わない。ひとをほっこりさせて、いいね!とうなずかせる絵ではないからだ。謎めいて、不思議いっぱいで、陰惨にそこまでなにも描かなくても・・・と思わせるのがゴーリーの世界。益田のグラントワ(石見美術館)で『エドワード・ゴーリーの優雅な世界』に浸ってきた。

極細のペンで緻密なモノクロームの線。幾重にも重ね合わせて重く暗いタッチの絵ができあがっていく。「うろんな客(Doubtful Guest)」が気になった。うろん(胡乱)とは、胡散(うさん)くさくて怪しいこと。そして、不確実で乱雑なさま。白いスニーカーを履き、縞々のマフラーを二重に巻き、鼻と口は尖って恐竜ヴェロキラプトルのようだ。手は長く指先は先細になっている。その客が家に居着いている。

 ふと見れば 壺の上にぞ 何か立つ
  珍奇な姿に 一家仰天(訳:柴田元幸)

韻を踏んだゴーリーの詩を全編にわたって五七五七七の短歌形にした柴田氏の詩心&遊び心が楽しい。

遊び心といえば、キャプションの文字に時折黒地に白抜きにされた文字があった。それをつなげると学芸員の遊び心が見えてきた。

【ゴ】【ー】【リ】【ー】【の】【ユ】【う】【が】【な】【ヒ】【ミ】【ツ】

(ゴーリーがハーバード大在学中に母宛てに送った手紙の封筒。ゴーリーの自筆絵。一番のお気に入りをスケッチしてみた)
時は過ぎ懐かしの街変わりゆく [2018年01月19日(Fri)]

fumihouse-2018-01-19T23_16_55-1-thumbnail2.jpg島根県西部・益田の駅前通りは大きく変わった。道幅が広くなり両サイドとも広い歩道ができた。駅のロータリーも広い。駅南には複合商業施設群、ホテル、立体駐車場が一体的に整備された。益田駅前ビルEAGAである。島根県立の芸術文化センター・グラントワ(美術館と芸術劇場の複合)も近くにできているので、益田の街は見違えるほど変わった。

裏通りをブラブラして飲み屋街や住宅地を歩いてみる。以前と変わらず、実に懐かしい。山側に向かうと、かつてよく行ったゴルフ練習場があったが、すでに廃業して完全に廃墟だ。

打ちっ放しとは言えない狭い練習場だった。その分クラブヘッドの芯を食ったかどうかに集中できた。いいことに小さなアプローチ練習に使えるグリーンがあって(芝は刈ってないのでパットはできなかった)、10ヤードから50ヤードの距離を丹念に繰り返したものだ。おかげでわたしのショートゲームはピカイチだったと自賛しておこう。6年暮らした懐かしい益田に出会うことができた。

(益田に向かう途中、大田・波根の海岸。穏やかではあるが冬の色に染まっている)
15度にならして快適地球かな [2018年01月18日(Thu)]

fumihouse-2018-01-18T21_21_42-1-thumbnail2.jpg出雲市内のただいまの気温が8℃。曇ってはいるが雨が落ちる心配はなく、風もなくて暖かい。もちろん真夏にこの温度となれば、寒くて震えていることと思う。反対に直ちに今30℃になったとしたら、さぞや辛い体験になろうかと思う。冬には冬の体質になり、夏はそれなりに体が慣れる。

太陽光の放射熱によって地上は暖まる。太陽に照らされなければ放射冷却ですぐに元の木阿弥。地表の平均温度はマイナス18℃になる。しかも振幅は大きい。地球の放射平衡温度というそうだ。これでは生きられない。人類は誕生すらできなかったであろう。

地球の平均気温は15℃。そこまで気温が上がってくれるのは、温室効果ガスのおかげ。水蒸気や二酸化炭素、メタンガス、フロンガスさまさまである。もちろん、温室効果ガスが適度に存在してくれるという条件下でのことだ。まさに奇跡。少なければ地球は暖まらず、多ければ灼熱地獄だ。人類の文明が進んでガスが増えたから地球温暖化で地球は危機に瀕する(かの大統領は嘘っぱちだと否定するが)。

地球の奇跡に感謝しつつ、冬の気候も楽しもう。来週半ばには再び寒波が襲来するとか。インフルエンザも怖い。無事に過ごせますように。

(宍道湖の水、湖面に映る空、たなびく雲。これも地球の奇跡にちがいない)
季節分け春へ春へと気がすすむ [2018年01月17日(Wed)]

fumihouse-2018-01-17T17_37_19-1-thumbnail2.jpg炒り豆の季節がやってきた。節分の翌2月4日は立春。世の中は春に向けて展開する。季節の分かれ目には邪気が入るという中国の習俗をとりいれて、室町期以降、節分の豆まきが始まった。

豆は「魔滅」、魔を滅し無病息災を願う。また「魔の目(魔目)」に豆を強く投げて厄災から逃れる。鬼は外と退散させたら、投げた大豆を自分の数え年の数だけ食べる。悪鬼を食べて退治すると「マメ」になると伝えられる。なぜ炒った豆なのか。生の大豆では食べられないから、ではなくて「射る」から。魔目を射るという深い語呂が隠れているのだ。

わたしはこの時季、何百回となく、炒り豆を口に放り込む。節分の福豆は一つ、二つ袋があればふつうは十分だが、わが家では大量に買い込む。節分が終わって恵方巻とともに店頭から消え去ったあとも、サクッポリッと豆を噛み砕いておやつとして楽しむ。

噛み始めは無味で口中が乾いていくが、噛むうちに大豆の甘みが増していく。唾液も分泌されて、豆は砕かれ小さくなっていく。ペースト状になったら飲み込む。そのときに煎茶やブラック珈琲がよく合う。至福の時間を今日も楽しむのだ。
指差してよしよしよしと安心し [2018年01月16日(Tue)]

fumihouse-2018-01-16T19_02_47-1-thumbnail2.jpg指差し確認が役に立つことがある。昨日仕事の帰りに、事務所を出たあとで不安になった。金庫の鍵を閉めただろうかと。でも、思い出した。人差し指で示して、金庫よしとつぶやいたことを。安心して道を急いだ。

人間誰しも無意識にやってしまう。いつもやることは特に何げなく行動するのが常だ。鍵だけでなく、ガスの火を消すことも、車の安全確認も、重要データをメールで送ることも、何でもそうだ。やったのかどうかが不明になることがあるから、指差し確認は役に立つ。

もともと列車の運転士が始めたものらしい。正式には指差喚呼(しさかんこ)という。運転士が「○○ヨシ!」と大声を出すのを聞いて、わざわざそこまでする必要もないだろうに、と思ってはいけない。五感を使った動作によって安全は保たれる。ケアレスミスの確率は大きく減る。大切なことなのだ。自分はそんな間違いをしないと思ってはいけない。

間違いが起きたときに重大な結果になるものほど怠りなくやりたいものだ。動作に合わせて指を差して声を出す。指差し確認をなめてはいけない。

(花は何げなく咲く? いやいや自然の摂理にしたがって精いっぱい咲く)
三友と四友にぎやか冬本番 [2018年01月15日(Mon)]

fumihouse-2018-01-15T17_41_46-1-thumbnail2.jpg松と竹と梅は寒さに強い。松と竹は寒中にあっても褪せず緑を保つ。梅は極寒のころ、春を先取りして花を咲かせる。「歳寒の三友(さいかんのさんゆう)」という言葉があるそうだ。中国の宋代に文人画の画題として使われた。清廉潔白でありたい、忠義を尽くしたいとの意味があるという。日本ではめでたいものの象徴に変じて、「松竹梅」は図柄や生花に多用されることとなった。今では松は最上級、竹は上級、梅はそこそこというランク付けになった印象も強い。

歳寒三友とくれば、おつぎは「雪中の四友(せっちゅうのしゆう)」だ。山茶花、蝋梅、水仙、そして梅。山茶花は晩秋には咲き始め、今も連綿と咲き続いている。蝋梅は蝋細工のように鈍い光を放っている。水仙は慎ましやかに下向きに少し匂う。あとは梅だ。先週、松江で開花したとの発表を聞いたが、どこだろう。まだ厳冬期は続くが、ひと足でもふた足でもよい。早く春の訪れを感じたいものだ。

(和洋ともにスイセンは、冬を少しは賑やかにしてくれる)
大揺れに未来と向かう階段を [2018年01月14日(Sun)]

fumihouse-2018-01-14T14_28_10-1-thumbnail2.jpg昨日の島根県民会館・名画劇場は午後の部『トンネル』に併せて、午前は避難体験上映会と称してアニメ『東京マグニチュード8.0』が上映された。来月の予告編の最中に仮想地震が起きて(音だけ)、安全な場所に誘導され、中ホールに帰って避難設備の説明を受け、上映が再開された。

小野沢未来は反抗期真っ盛り。お母さんに言われてしぶしぶ世田谷の自宅から弟・悠貴をお台場に連れていった。すべてがめんどうで鬱陶しくてイライラしてばかり。こんな世界などなくなってしまえばいいと、誰かへメールを送った途端、驚天動地の揺れ。全てが一変した。しかも悠貴とはぐれた。未来は言霊の呪縛にも悩む。縁あって若いシングルマザーの真理に助けられ行動をともにした。

頑なだった未来の心はほぐれ、弟や家で待つはず?の父母への思いが深まる。真理の援助も受けて(真理とて無キズではない)、自宅への道をたどる。しかし大きな悲しみが打ち寄せた。それでも前に進もうとする未来を見ていると涙が止まらない。未来は思いやりのある大人の階段を、未来に向けて上っていった。

(この冬一番の寒気に当てられて、寒風と雪に痛めつけられても健気に咲く白い山茶花)
トンネルの地中深くに埋められて [2018年01月13日(Sat)]

fumihouse-2018-01-13T22_59_01-1-thumbnail2.jpg韓国映画の『トンネル』をスリラー的な怪獣映画だと思って見に行ったわたしは馬鹿だった。しかし、人命尊重と唱えることは簡単でも、葛藤を乗り越え実力を伴った実行力がなければ、お題目だけに終わることがよくわかった。そして、タラレバはない、過去を踏まえて今を生きるしかないことを思い知らされた。また、人間とはある面、怪獣以上に恐ろしいものであることを示してくれる。一昨年韓国で大ヒットした映画である。

場面は冒頭から直球だ。ガソリンスタンドで給油したスジョンは、直ちに運悪くトンネル崩落事故に巻き込まれ、生き埋めになる。

もし、ガソリンスタンドのじいさんが耳が遠くなく、指示したとおりに3万ウォン分で終わってくれて満タンにしなかったなら、あと数十秒は早くトンネルを抜け出ていたはずだ。もし、手抜き工事がなければトンネル崩落は起こっていなかったはずだ。

でも、じいさんがガソリンを満タンにして詫びのつもりで、ペットボトルの1本サービスにさらに1本を追加してくれたからこそ、生き延びる水ができた。事故直前に電話していたからこそ、手元にスマホが無事に残った。

タラレバは想像するのはたやすいが、その後に派生する千万の可能性の前には意味をなさない。ひたすら与えられた条件の中で必死にやりくりするしかないし、そこにこそ創意工夫の活路が開ける。

セウォール号の沈没事件で示された韓国で頻発する職のモラル問題、コンプライアンスに欠ける政府の対応、マスコミの利己的な卑劣さなど思い当たる節が多い。明らかに自国の有り様を風刺した内容である。

なんといっても世間のありようがズバッと刺さる。救出に何日も費やすほどに、最初はあれほど救出劇に沸騰していた世論がやがて無関心となり、救出現場で死亡事故が起こると、一人の命のために他の命を犠牲にするな!、第二トンネルの工事を延期して経済的な損失を生むなかれ!と変節する様子を笑っている(自虐の)。パニック映画としてだけでなく、人間を学ぶ機会を与えてくれる映画である。

(地底には花ひとつ咲いていない。救出された主人公はさぞや花に癒されたことであろう)
雪国で電車不安に立ち往生 [2018年01月12日(Fri)]

fumihouse-2018-01-12T23_16_53-1-thumbnail2.jpg新潟・三条でJR信越線の普通電車が動けなくなり、今日昼まで混乱が続いた。昨日の夕方から15時間も列車内に取り残された客たちは大変な目に遭ったようだ。わずか数時間で50センチもの積雪で、いくら豪雪を伴う雪国とはいえ、運行するJRも相当なご苦労だったと思う。

430人の客のうちが5人が体調不良で救助された。残りの客も早く脱出したいのは山々だったと思うが、最寄りの無人駅まで数百メートル。線路を歩くのは危険過ぎるし、バスやタクシーも動かない。幸いに電気は通じ暖房も十分で、水や非常食も配布した。JRが安全第一を貫き通したのは評価する。人命第一は当然の判断だ。

雪国・新潟での異常な大雪。高速道路でも700台の車が立ち往生したというから、列車の異常もやむを得ない。ただ、思うのである。そうした事態に直面した被害者が欲しいのは情報だ。車内放送は十分だったのだろうか。今何を手配していて、見込みはどうなのか。見通しが客に伝われば少しは安心できる。そうした危機管理を、その場の乗員はきっちりやってほしいと思う。

(今朝の出雲市駅前から見た東の空。天国があるのでは、と思えそうなヘブンリー・ブルーが見えた)
おいしくて煎茶に抹茶飲む毎日 [2018年01月11日(Thu)]

fumihouse-2018-01-11T19_28_07-1-thumbnail2.jpg職場で煎茶を飲む。茶葉の適量を計って少し冷ました急須の湯に入れると美味しいのだが、めんどうなので、100円ショップで買った茶こしをカップにのせて、茶葉を適当に振り入れて熱湯を注ぐ。縮まっていた葉が湯の中で伸び伸びするのを楽しんだら、茶こしを取って飲む。

職場で抹茶も飲む。お点前などしない。薄茶茶碗などトンでもない。同じカップを使う。茶杓で計ることもなく、適当に袋から落とし入れる。茶筅は使うだろうって? 使わない。きっと黴を生やしてしまうから。どうするか。これも100円ショップで買ってきた小さな泡立て器を使う。玉が残らないように何度も激しく撹拌する。泡も立って、それなりに飲める茶になる。

風流からほど遠い、わたしの茶席である。茶以外にも飲む。コーヒーメーカーで煎れた珈琲。インスタントコーヒーやハーブティー、ポットから白湯を入れて飲むのもなかなか乙なものだ。
降っている雪がずんずん積もってる [2018年01月10日(Wed)]

fumihouse-2018-01-10T18_43_08-1-thumbnail2.jpg降ってる 降ってる 雪が降る
裏窓のぞくと 積もってる
屋根にうっすら 白いうね
今夜はどうだろ 大雪警報
雪降り続いたら どんなだろ
犬は喜び 子供も嬉し
顔をしかめて大人かな
この冬初の積雪か 厳しい寒い年中行事
ボタン雪降る ボタッボタ
地面に触れて あっという間に 水となる
辛抱強く 雪残り
やがて一面 銀世界
考えて有言と無口如何せむ [2018年01月09日(Tue)]

fumihouse-2018-01-09T21_41_11-1-thumbnail2.jpg寡黙だからといって頭の中も口重だとは限らない。持ち駒の万の言葉から慎重に適語を選び出し、寡言を貫くひともある。冗舌だからといって心は豊潤な言葉に満たされているとは限らない。口だけが無意味に運動し、軽々しくしゃべるひとだって多い。口数と思考は比例しないのだ。

上のようなパラドックスがある一方で、外見と内面が一致する場合もある。無口なひとが語るべき何ものも持ち得ていないケース。雄弁なひとには深い哲学と清水が湧き出るかのように連想が広がっていくケース。さて、どれを望んだらいいのかな?

(花は寡黙だ。しかし何事かを雄弁に物語ってもくれる)
湖畔にて美術の質感楽しんで [2018年01月08日(Mon)]

fumihouse-2018-01-08T21_42_15-1-thumbnail2.jpg 「点」が「線」をつくり
 「線」が「面」をつくり、
 「面」が「量」をつくります。
 (「かたちの冒険」島根県立美術館『みんなの美術室』)

島根県立美術館の所蔵品を中心にコレクション展が開催されている。版画や油彩、彫刻などさまざまな技法で見せる美術の造形を楽しんだ。美術家が形、色、材料、構成といった多くの要素を組み合わせることで千差万別の楽しみが生じる(??という反応もあるが)。

数学的に言えば点には面積がない。面積がないものを長くつなげても線はできないはずなのだが不思議だ。同様に線を重ねていっても面になってしまう。面が三次元の立体(量)になるときもこの不思議は残る。

理論と実際は違うということでよいだろう。点にも線にも面にも立体にも、質感がある。柔らかそう、硬そう、つるつるしている、ごつごつしている、重そう、軽そう、温かそう、冷たそう、遠そう、近そうなど。時間が経てば、周囲の状況が変われば美術品の質感は変化するのも面白い。そんなことを考えながら楽しい展覧会を時間をかけて楽しんだ。

(出雲工業高校の管理・特別教室棟は時折ゆらゆらと妙な質感になっていく)
漆黒が明るくなって鳥を呼ぶ [2018年01月07日(Sun)]

fumihouse-2018-01-07T19_18_25-1-thumbnail2.jpg漆黒の宵闇。午前5時、南の空に明るい星がある。そのすぐ横、淡く赤い星が並ぶ。二重星に見えるが長くは続かない。木星と火星のランデブーを下弦の月1日前の月が祝福しているかのようだ。日の出まで2時間。ほのかな明かりが少しずつ広がっていく。

空に厚くかかっていた雲はなくなった。残った上層雲に日の光が作用して茜色になる。刻一刻とグラデーションの層を広げて明るいオレンジ色に代わる。橙色が薄くなったと思ったが、日の出直前の光彩を浴びるとオレンジは再び濃くなった。

気温は1℃。手袋はしていても手が凍える。靴を通して寒さが染み足先がしびれてくる。歩く歩く。マガンのモーニング・フライトが見られるまでは我慢の子で体を暖めよう。斐伊川河口にはコハクチョウが200羽ほど。明るくなるほどにクークーとかしましくなる。カラスの群れがカアカアと河口を横切って行くが、マガンの姿は見えない。

日の出15分前の7時。とうとう30羽ほどの群れがきた。宍道湖側から赤ちゃんのような、ヒヨコのような声で合図しながらマガンたちは上流に向かって飛ぶ。次は150羽。いずれも河口には降りず、そのまま斐川平野に向かう。餌場に直行するのだろうか。

太陽が顔を出した。冬の光だが十分に眩しい光。今朝はここまでかと思っていたら、日の出後15分して細切れに100羽、30羽、50羽、100羽と次々に幾重にもやってくる。空中で分散と集合を繰り返し、河口の左岸に広がる田んぼ辺りに落ち着いた。

日の出前のオレンジ色は色褪せたが、淡いピンクは北や西空の雲を染めている。ちらりと大山が見える。西には白雪の三瓶山が見えた。日の出前には松江方面から北山山系に沿って出雲大社の辺りまで山裾を霧が連なっていたのだが、帰る頃には白い帯は上空に拡散して低い雲になっていた。この冬もマガンのモーニング・フライトを見ることができて幸せだ。県外車が7,8台。彼らも満足できただろう。
めんどりか男と女意志解離 [2018年01月06日(Sat)]

fumihouse-2018-01-06T13_38_36-1-thumbnail2.jpgウッディ・アレン監督の『アニー・ホール』は、コミュニケーションの国、アメリカらしい内容であった。ひたすらしゃべっている。男と女、女同士、男同士、グループでもひたすらしゃべる。特に男女の関係は意気投合すれば即ベッドへ。そして会話がとりとめなく続く。会話と同様にキスがあり、セックスに進む。さらに同棲へも。時が経って愛情が薄れると会話が乏しくなる。相互に疑念や迷いが生じ、破局へと道をたどる。彼らは沈黙も相互の関係性として楽しむことは出来ないのだろうか、と感じた。

ニューヨークのブルックリン街を舞台に、恋と別れを哀愁と笑いでとらえたラブストーリーという触れ込みである。が、わたしには退屈だった。冒頭でウッディ・アレンが観客に語りかけるシーンやら、主人公アルビー(ウッディ・アレン)が子供時代の教室に出てきたり、アニー(ダイアン・キートン)が幽体離脱して二人を見るシーン、時間軸があっちこっちへ行ったりなど、実験的な映像がたくさんあって面白い。サイモンとガーファンクルのポール・サイモンが出ているなど、1970年代のオーラを感じられる。でも、途中で飽きがきた。

終わりに男女の恋の違いを示す挿話がある。精神科医に対し男が「弟は自分がメスドリだと思い込んでいる」。医者は「入院させなさい」。男は「でも卵は欲しいのです」と。男と女の関係もこの話と似ているのだそうだ。そうかなー、そうかもなーと思いつつ無音のエンドロールをボンヤリ見た。
鴨は葱しょって逃げ出す臆病で [2018年01月05日(Fri)]

fumihouse-2018-01-05T22_41_41-1-thumbnail2.jpg鴨葱(かもねぎ)。「鴨が葱をしょって来る」の略だ。鴨が葱を背負ってノコノコやってきて、さあお好きなように、と横になってさばかれるのを待っている。葱をぶつ切りにして美味しい鴨鍋の出来上がり。

そんな都合の良いことが、ざらにあるとは思えないが(棚からぼた餅の何倍も好都合な感じ)、鴨鍋は大好きだ。鴨肉に白菜やゴボウ、白ねぎに豆腐を煮込んで作る。適度な硬さに加え、噛むほどに味が出て意外とあっさりした油が美味しい。特に鴨肉と白ネギの相性は抜群だ。

鴨葱というからには、鴨は動じないかというとそうでもない。5,6mほどに近づくとそわそわして羽根をばたつかせる。群れに不穏な空気が広がると1羽が飛び立てば一斉に逃げ出す。臆病なのだ。その点、オオバンやオシドリ、キンクロハジロといった面々は泰然自若。私が近寄っても驚きもしない。冬鳥が当分は賑やかしい。
目覚めると白い朝仕事始めよ [2018年01月04日(Thu)]

fumihouse-2018-01-04T17_57_41-1-thumbnail2.jpg朝目覚めると外はうっすらと白い。仕事始めは雪になった。暖かい正月だっただけに、昨日から徐々に寒さがぶり返して少々こたえる(着込めば大したことはない)。幸いに風はないので体感温度は低くない。気持ちの問題だ。道路にクルマは少ない。列車の乗客も少ない。世間はまだ正月気分(もちろん私も)。朝のうちに雪は溶けた。明日は金曜日。正月気分は吹き飛ばし仕事に邁進だ。日の出は朝7時を大きく越える。出かける時に暗いのが調子が出ない原因だ。太陽よ復活せよ。私にエネルギーを与えておくれよ。

(ブロッコリーの花が咲く早春が早くやってきてほしいものだ)
穏やかにまた健やかに嬉しかろ [2018年01月03日(Wed)]

fumihouse-2018-01-03T22_04_25-1-thumbnail2.jpg穏やかに健やかに正月を過ごすことができた。嬉しい2018年の新春である。

  テーブルを囲み雑煮を食べ家族

年賀状をいただいた中に、終活のためこれをもって終わりにする旨の添え書きがあった。

  仕舞います驚きの賀状あり寂し

印刷しただけの年賀状、ひと言書く余白があるのに何もないもの、いろいろあるもんだ。

  賀状にはお元気ですかと書くまいと

昨夜見る夢が初夢。近ごろ夢を見ることがないなあ。覚えていないだけらしいが。

  初夢も見ぬほど眠り深い夜

寒くなく晴れた正月は実に過ごしやすかった。明日は仕事始め。鋭気を養うことができたと思う。

  初空もまた二日目も晴れ嬉し
侵略と交易のコスト考えて [2018年01月02日(Tue)]

fumihouse-2018-01-02T23_19_46-1-thumbnail2.jpg元旦には『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を楽しんだ。年末からの生活リズムの狂いで居眠りしたのは残念だが……。相変わらずの圧倒的な映像美、戦闘シーンの迫力。言うことはない。年老いたルーク・スカイウォーカーが出てきて懐かしい。そして重要な場面で戦った。

レンはダークサイドにいるが、かつてルークからジェダイになるための教えを受けた。ゆえにライトサイドに帰ってくる可能性はあった。最後には権力欲で悪に上り詰めたのだが、ひとは善にも悪にも揺れ動くもの、それを象徴している。

映画が始まるとファンファーレが鳴り響き、お馴染みの主題が流れる。宇宙にはあまねく音楽が満ちているようで気持ちがいい。オーケストラの演奏、なかでも圧倒的な力強さで管楽器、打楽器が主題を奏でると総毛立つ。あわせて感じるのは、宇宙には光と闇、富裕と貧困、善と悪、前進と後退、建設と破壊、暴虐と誠実、勤勉と怠惰、希望と失望など様々に相反するものが並列していることだ。

宇宙を侵略し制圧するのは不可能である。なぜなら、敵方を滅ぼしてしまえば元も子もない。働かせてそれなりの産業を確保させねば収奪すべき富もない。かといって自由にさせたのでは反乱の恐れがある。遠くの星々を侵略し支配を続けていくには膨大なコストがかかって引き合うものではない。

勝ち組が負け組の全てを奪ったとしたら怨恨しか残らず、社会は不安定になる。つまりは独立した集団ごとに周辺と折り合いをつけながら(つまり対話で)、利害を調整しながら交易していくのが一番よろしい。それこそが経済を中心としたグローバリゼーションといえよう。平和への一歩である。
決意あり2018新たに年を [2018年01月01日(Mon)]

fumihouse-2018-01-01T22_45_02-1-thumbnail2.jpg「明けましておめでとう」と新春の挨拶が交わされます。賀状でも「今年も変わりませず宜しく」と。変わらず交誼を願うというのは、並外れて強い決意がこもると思うのです。

それぞれが年齢を重ねる、成長したり老いる、子供が大きくなったり巣だつ、家族の誰かの足腰が立たなくなったり亡くなる、体調が優れないで入院する、勤め先を退職したり転勤する、職場や近所との人間関係にヒビが入る、家を新築する、古くなった家で雨漏りや雪ずりがひどくなる、新しい趣味を始める、収入が減って買い物や外出に支障が出る……。

ともあれ一年のうちに数限りない変化が生じるのです。そんな状況の中で、「変わらず」つきあうためには、実に膨大な努力が必要なのです。実質それは無理だから、変わったなりにやりくりして交誼を続け合うことになります。だから、変わらず交誼を願うことは並外れて強い決意がこもると思うのです。それぞれの変化が縁となって新たな状態が起こる。仏教的な縁起でもって人づきあいを考えてみるのは面白いですね。

この文をご覧いただいている皆さま、今年も刻々変わっていきますが、それなりに無理のない程度で、どうぞよろしくお願いいたします。

(元朝の出雲の空。先週までの予報をくつがえして穏やかな天気となって嬉しい)