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買いますか飼い続けますかと覚悟きく [2017年01月31日(Tue)]

fumihouse-2017-01-31T17_47_22-1-thumbnail2.jpgACジャパンの広告。黒地に白抜きの文字が白骨のように見える。

≪死因「大きくなったから」
  「可愛くなくなった。」
  「家族旅行に行けないから。」
  「もう飽きた。」
 そんな理由で飼い主に見捨てられる、犬や猫たちがいます。≫

ペットとなっている犬と猫を合わせると、全国で18歳以下の子供の数より多いという。犬猫だけではない。カッコいいから、誰も飼っていなくて珍しいからという理由でペットショップで買う人たちがいる。大きくなって手に負えなくなると、街中や野山に捨てられて野生化する。生き延びて有害外来種となるものも多い。人間社会にとっても動物にとっても良いことなどありはしない。

そして広告はペットを飼う人たちに訴えかける。わが家ではペットを飼わないが、重い覚悟を求められているのだ。
≪命を飼う覚悟、ありますか。≫

(先日の大雪のとき金木犀の雪山に投げ込んだ雪玉。雪は溶けてなくなるが、生き物はそうはいかない)
サリバンとヘレンの闘い愛のもと [2017年01月30日(Mon)]

fumihouse-2017-01-30T19_58_42-1-thumbnail2.jpgサリバン先生は迷っていました。たった二週間でヘレンを変えられるかどうかを。2歳の時に聴力と視力と言語を失ったヘレンのことを両親は哀れみ、好き放題にさせるのが愛情だと勘違いしてきたものですから、彼女は暴君でした。

7歳のヘレンには妹がいました。この赤ちゃんを家族は天使だと言いました。言葉には出さなくても、ヘレンのことは悪魔だと思っていたことでしょう。野獣のようにふるまい、思うにまかせないと暴れて家中を滅茶苦茶にする悪魔です。そのシーンではバイオリンが甲高く不安に鳴り響き、ヘレンが暴れまわる様は、まるでホラー映画のような趣がありました。家族はヘレンの逆鱗に触れなければ祟られずにすむと諦めていたのです。ヘレンがスプーンを投げ捨てるシーンが何度もありましたが、まさに家族は「匙を投げた」のです。

サリバン先生はヘレンの暴虐に対し、体を張って格闘します。二週間離れの小屋で二人だけの生活。服従という形ですが、ヘレンは食後にナプキンを畳むという信じがたい成果を見せてくれます。父母は十分に満足しましたが、妥協すれば元の木阿弥になることが先生にはわかっています。家族のもとに帰ると案の定そうでした。サリバン先生は決然として行動に出ます。雇い主のケラー家の大人にダイニングから出ていけと命令します。ヘレンとも家族とも戦争を始めたのです。

ケラー家は南部アラバマ州にあり、南北戦争直後の南部にあって北部から来たサリバンはかつての敵の回し者。心情的にも受け入れられません。ただ、ヘレンをコントロールすることはもはや不可能で、施設に預けるにしてもその非人道的な環境に父母としては耐えられない。そこに雇った家庭教師がサリバンなのですが、ヘレン以上に言うことをきかない。鋭く対立します。

一方でサリバンにしても施設で育ったことや大切な弟を亡くしたトラウマをかかえて多くの葛藤も秘めています。それを空気で感じたのでしょうか。もちろんヘレンが思いを言葉に出すことはできません。欲望のままに周りの大人をただ試したかった。ヘレンも自分の生きる意味を考えていたのでしょう。何かを知りたいという欲が噴出していきました。そして、サリバンに外へ連れられて出て彼女は悟ったのです。

水の意味を、自分の目の前で手を濡らしポンプを押して出る冷たい液体の意味を知ったのです。地面の土も風の匂いも、父母も、すべては自分にとって価値のある素晴らしい存在なんだ、そこに住む自分には生きる意味があるのだと身体全体で悟ったんですね。サリバン先生がヘレンを取り巻く世界を認識させようと必死に戦った結末に涙がこぼれます。

サリバン先生もヘレン・ケラーもともに奇跡を起こしました。映画『奇跡の人』はそれを熱く感じる映画です。

(鉄を精錬し工業製品を製造するための溶鉱炉である反射炉の遺構。萩の反射炉は実験にとどまったが、新時代を創造する日本の溶鉱炉、長州の象徴である)
客の前マスクつけるかつけないか [2017年01月29日(Sun)]

fumihouse-2017-01-29T09_57_38-1-thumbnail2.jpg接客する際にマスクをしたままだと失礼にあたるかどうか。意見は分かれるところだが、わたしは好きではない。

鼻から下をほとんどおおうから顔が見えない。目だけだと表情がうかがい知れなくてイヤだ。口元を「壁」でおおって「あんたとの距離を保つ」と言われているような気がするのは、うがち過ぎだろうか。発音のはっきりしない人は声がこもって聞きにくいし、唇の動きから発声を聞き取ることもできない。咳エチケットに配慮しているのかと想像もできるのだが、少々気に障るのも確かである。

業界や事業所ごとに判断は分かれる。風邪の感染を防いだり、花粉症対策の場合もあるだろう。体調が悪ければさっさと休んでほしいとも思うが、人手不足の折なかなか難しいのかもしれない。

インフルエンザが広まっている。ウイルスをもらわないようにするには普通のサージカルマスクでは無力だそうだが、口や喉の乾燥を防ぐ効果はある。この週末、私は人ごみではマスクをしている。寝込むのはゴメンだからね。

(萩・笠山に生える椋の木の大木。椿の群落に頭を高く伸ばす)
パスワード定期に替えるセキュリティ [2017年01月28日(Sat)]

fumihouse-2017-01-28T17_43_29-1-thumbnail2.jpg皆さん、警戒心なくやけに簡単なパスワードを使うもんだな、というのが率直な感想だ。あれほどパスワードは推測されないように、英数字を使うようにと警告されるのにもかかわらず。

Yahooの記事によれば、「1234567」やキーボードの左上からの「qwertyu」が多いという。ユーザーにとっては忘れないパスワードだが、攻撃を仕掛ける悪者にしてみれば見破るのは易しい。不正アクセスで乗っ取り完了だ。

2016年にデータ侵害を受けた1000万個のアカウントに使われていたパスワードのランキング・ベストテンに1234など数列順が6つもある。qwertyとか、passwordというのもある。footballやbaseballがランクインしているところからすれば、アメリカでの調査かもしれない。お粗末きわまりない。

頻繁にパスワードを替えさせられるのも大変だ。島根県職員の場合、パソコンのログインパスワードは3ヵ月に一回。メールソフトは半年に一回、変更を求められる。以前と一緒だったり単純なものは承認されない仕組みとなっている。替えるたびにしばらくはあたふたしてしまうのが難点だ。役所関係は個人情報を多く扱うとはいえ、セキュリティが厳しすぎるのも実に大変!

(先日日露首脳会談のときプーチンさんも飲んだという日本酒「東洋美人」。すっきりした辛口の酒。ロシアは大統領選にからみハッキングを仕掛けたというが本当か)
焼石と大雪に水なにかせむ [2017年01月27日(Fri)]

fumihouse-2017-01-27T22_31_29-1-thumbnail2.jpg昔の人はよく言ったものだ。言い得て妙な表現だ。【焼け石に水】、そして【大雪に立ち小便】。

燃え盛る火中に長らくおかれた焼け石に少々水をかけても簡単には冷えない。それと同じように、準備が万端でなければ、付け焼き刃では効果がない。次から次へと出てくる困難にもうダメだ!

大雪が降る。黒い空から絶え間なく舞い落ちるドカ雪。弾丸のように体を打ち据え、外套に刺さるかのような大粒の霰。ブリザードのように下から吹き上げる吹雪。雪は積もる、ぐんぐん積もって足首を埋め、膝にかかり、やがて歩くことも困難になる。雪よ止めとばかりに、立ち小便を掛け続けても所詮は無力。少しは雪を溶かしても、あれよと言う間に降り積もる。あえなく水源は尽きてシトシトぽっとん。熱を無くしてブールブル。

斜面の雪道と思わぬ深雪に【あとのチェーン掛け】をしても、【あとの祭り】だよ。早めの対処で立ち往生を防ごうね。

(高杉晋作の銅像がある公園に咲く紅梅。晋作は27歳で没したが、長州藩を倒幕に方向付け、武士以外の志ある者を奇兵隊員としてまとめた)
湖と海の夕陽を比べたら [2017年01月26日(Thu)]

fumihouse-2017-01-26T23_04_28-1-thumbnail2.jpg去年の12月3日に宍道湖の夕景について書いた。

≪数秒ごとに変化する光のおかげで雲は動く。動かされる。
 摘まんで、引っ張って、押して、引っ込めて、口をすぼめて吹いて、刷毛で払って、色を染み出させて……。空は雲を変化させてやまない。刻々と変化して10秒と同じ景色はない。空はまだ青みを帯びているが、黒みが差してぐんぐん夜が浸食してくる。残照が最後の力を振り絞って光る。高層雲はプラズマの爆発のように八方に雲を散らす。(中略)
 空と水が一体化してきた。三日月が淡い雲に霞んで、高い飛行機雲は青黒の空にまだ白さを保つ。低層の雲は黒い霞となっている。東の空にわずかに残る茜雲。オレンジ色が悪魔の赤に変わり行く。赤と黒のコントラストが大きくなった。白骨のように白い雲の骸がみえる。それとも愛を燃焼させて果てない旅路の恋人たちか。赤黒はますます毒々しい。悪魔の王国にこの景色が吸い込まれていきそうだ。あくまで静かにひっそりと≫

宍道湖は箱庭だ。そんなに小さい湖ではない。しかし、嫁ヶ島が近景にあり、遠景には島根半島や中国山地の山々が屏風になって世界を隔てている。だから箱庭だ。

萩の笠島から沖に点在する萩諸島に沈む太陽を見た。凪いで雄大な日本海に沈む夕陽は雄大である(正確に言えば海岸線の山に日は落ちたが)。雲が橙色に染まり、写真では収めきれない美が現れた。日が完全に落ちると雲の茜色は早々に色褪せた。余韻もなく間を置かずに、雲と空と海と山は平板になった。空気のせいもあるかもしれないが、意外だった。身びいきだが、夕焼けは宍道湖がいい。

(萩の夏みかんが色鮮やか。二世紀近く前にはフルーツは珍しかった。夏みかん3個が米一升に相当したという。明治維新の財政力を長州藩はミカンからももぎ取った)
昨日今日一年経つうち忘れてる [2017年01月25日(Wed)]

fumihouse-2017-01-25T20_35_09-1-thumbnail2.jpg1年前の今日、2年前の今日、3年前の今日は何を考えていたのでしょうか。フェイスブックは「今日」の投稿を示してくれます。年中行事ですから、雪の話題や春一番が吹いたなど同じようなことを意識して書くことはありますが、今回初めて書いたつもりが、実は去年も書いていたとなるとショックです。

今年の1月20日の書き出しはこうでした。

≪クルマに乗って移動する。下駄履きで気軽に自由自在。とても楽ちんだ。≫
続けて、冬の今時分は軽装で出かけてはいけない。いざという時に外へ出なくてはならず、寒さに震えるからコートなど防寒具を忘れてはならないという内容でした。この内容はオリジナルだと思っていたのですが、フェイスブックは翌1月21日に去年2016年の投稿を示してくれたのです。

≪私たちは下駄を突っかけるように気軽にクルマで出かけます(今どき日常で下駄を履く人はいませんが)≫
なんと今年とほとんど同じことを書いていたではないですか。加えて、夜に備えて明かりもあったほうがよいと書いています。すっかり忘れていました。トホホ…。

話はかわりますが、サザエさんの視聴率が低いと聞きます。かつては国民的アニメの位置にあり、日曜日のサザエさんが始まる夕方になると、明日の仕事のことが気になって不安になることを「サザエさん症候群」と呼びました。

なぜ見られなくなってしまったのか。昭和の雰囲気が遠のいたこともあるでしょうが、キャラクターが年を取らず、同じ出来事の繰り返しであるところに意外性がない。面白みを感じないのかもしれません。

ということで、私のブログも年中行事化して、記事がダブったり、主たる写真題材の花に至っては同じような構図ばかりです。読んでくださる方は飽きを感じているかもしませんね。ですが、おつきあいくださいね。

(アザレアはツツジの仲間。英語でアザレアとはツツジや皐月類全般を言うが、日本では盆栽のように小ぶりな木をアザレアと称している)
なめんなよ誰に向かって言いたいか [2017年01月24日(Tue)]

fumihouse-2017-01-24T12_52_22-1-thumbnail2.jpg生活保護の受給世帯は現在164万世帯で史上最多を更新しています。先日小田原市で事件がありました。生保の担当職員が不適切なジャンパーを着て生保受給世帯を訪問していたというのです。

ジャンパーには黒地に「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」と記されており、漢字の悪にバッテンがついています。「我々は正義。不正を見つけたら追及する。私たちをだまして不正によって利益を得ようとするなら、彼らはクズだ」という意味の英文で不正受給を非難しているそうです。小田原市は使用を禁止し、担当部長らを処分しました。

市長はホームページで次のように詫びています。
≪生活保護を受ける方々のお気持ちを傷つけ、市民の皆さんとの信頼関係を大きく損ねてしまいました。(中略)市民のいのちや暮らしを守るべき市職員として配慮を欠いた不適切な行為であり、許されるものではありません≫

ほんとうに「生活保護を受ける方々のお気持ちを傷つけ」たのでしょうか。不正受給者が市役所でワーカー相手に起こした数年前の暴行事件をきっかけに、課員の気持ちを束ねるため揃えたジャンパーだといいます。

わたしは、生保の不正受給をしたことのある者、現に実行している者、不正をしようとしている者へのメッセージだと思うのです。正当な受給者を非難してはいません。誰に詫びよというのでしょうか。ケースワーカーは生保申請者や受給者に対し生殺与奪の権限を持っています。広い日本ですから中には勘違いしたワーカーもいて、受給者や申請者にたいして威圧的に接する輩もいることでしょうが、不正受給に対して断固とした態度をとることは間違ってはいません。

ただ思うのです。生活保護制度は資産の保有を認めていません。貯金、生命保険、土地、自動車など金目のものは売って生活費にあてなければならない。仕事で得た収入があれば保護基準額から差し引かれる。生活費を支援してくれる親族があれば援助を求めねばならない。生保以外の給付がある場合はそれを優先する。要は大変なんです。自活しようとする意欲や環境をそいでいくのです。

わたしは、ベーシック・インカム制度が有望だと思いますね。国民すべてに対し最低限の現金を支給するのです。赤ちゃんから年寄りまで全て一律で、収入の多寡を問いません。もっと収入が欲しければ懸命に働けばよい。それで十分ならば生活費の安い地方に移住する選択肢もあります。

かつての社会主義のように働く意欲や経済競争力をなくすという非難もありますが、無理な残業などしなくてすみますし、社会貢献活動なども盛んになるでしょう。ブラック企業や非正規雇用からも解放されやすくなります。全国民に無条件らで支給するわけですから、生保をはじめとした社会保障の多くは(年金は別かもしれない)不要となって行政コストは大幅に下がります。

フィンランドでは試験的に導入されるということですし、オランダのユトレヒトではすでに始まっています。日本でもマニフェストに取り入れた政党もありますから、まんざらおかしな話ではないと思うのです。

(久々の豪雪?で山陰線は機能不全。倒木、信号故障、踏切の自動車脱輪で朝からトラブル続き。足止めをくらっている。出雲の積雪は30センチ余り)
白雪のベールに包まれ大混乱 [2017年01月23日(Mon)]

fumihouse-2017-01-23T18_15_47-1-thumbnail2.jpg今朝出勤前に大雪警報が発令された。あれよと言う間に出雲には雪が積もり、列車とバスを乗り継いで職場に着いた頃には4、5センチの積雪。

だから道路は大渋滞、JRは木やら竹の倒れ込みでもって運転と休止を繰り返す。ダイヤはもう形をなさない。学校はそのせいで午後は授業打ち切りとなった。明日は公立高校の推薦入試の日だというのに、天気は悪さをするものだ。仕事を5時に終えて、今わたしも出雲市駅にて運転再開を待っている。早く帰らせてくれよーぉ。

ただし眺める分には白銀の世界というヤツはいいもんだ。白いベールは柔らかで、そこにある物すべてを美しく化かしていく。新雪をサクサク踏みしめて歩くのは楽しい。寒いのは確かだし、溶けた雪は始末が悪いが、冬はこうでなくっちゃいけないね。

写真は出雲工業高校の駐車場から眺めたお昼の北山。積雪は7、8センチ。桜の若木についた蕾は雪帽子をかぶっている。波状的にやってくる晴れ間にはぼたん雪が写りこんでなかなかのものだ。
利己主義や米国第一地球号 [2017年01月22日(Sun)]

fumihouse-2017-01-22T20_48_30-1-thumbnail2.jpg矛盾する言いまわしや空疎な強がりを感じました。世界第一の大国の大統領たる者、風格と寛容を示したいのでしょうが、彼が優先したいのは「米国第一」という排他主義です。一つの国と心をもとに運命を共有しようと訴え、世界各国に友情と親善を求めても言葉が空っぽです。

移民への無慈悲な強権発動、イスラム教徒の排除、オバマケアの廃止など、新たな貧困と差別を生み出すかもしれません。彼が言うところの忘れられた米国民や犠牲になってきた勢力とは何でしょうか。今回勝利し祝われるべき皆さんとは何者でしょうか。全く曖昧です。他国のことは差し置いて、自国でも異分子は排除する利己的意図が見え見えです。

アメリカンドリームとは、人種の堝(るつぼ)でもって多くの価値観と才能が混じり合ってできるものではなかったでしょうか。一部の階級に財物が集まり過ぎているならば、寄付として社会に貢献させる仕組みを作ればいいのです。米国って結構そのやり方の先進国だと思うのですよ。

愛国心をもって誠実に率直に議論すれば団結が生まれると彼は説きますが、ムスリムを名指しで過激テロを根絶すると宣言し、軍事的な覇権も手放さないとも言えば、無体な輩が過剰な反応を起こして社会が混乱するのは目に見えています。そんな米国が「再び強く豊かに誇り高い国」になるでしょうか。「神がアメリカを祝福」してくれるでしょうか。
慎ましい熱烈恋愛父と母 [2017年01月21日(Sat)]

fumihouse-2017-01-21T14_55_56-1-thumbnail2.jpgかけがえのない人が消えた世界からは色がなくなる。喜びも消える。「私」の母の視線から描かれたこの映画は、万人に共通する思いをもとに構成されている。原題は『我的父親母親』(私の父と母)だが、邦題では意訳して『初恋のきた道』。若き母を演じたチャン・ツィ・イーが愛おしく可憐であった。

秋の日で黄に染まる白樺の林が美しい。初恋の人となった父を遠目に追って林を歩き回るまだ18歳の母。舞台は河北省の寒村。主作物は小麦とコウリャン。町からは遠く離れて、うねる高原と山林の中の一本道だけが町とつながる。その道で、母と父は出会い恋愛をし苦楽を分かち合った。

父はこの村初めての学校の先生で20歳。二人は恋に落ちた。そして困難の末結婚したのちも、母が父を思う心は純真なままに40年続いた。母は文盲だった(たぶん)が、朴訥ではあっても端麗な容姿があり性格は慎ましい。料理は上手で貧しくても整理整頓が行き届いていた。

母は学校で父が教える様子を外から毎日欠かさず見守った。門前の小僧習わぬ経を読むというとおり母は知識を身につけただろうし、父は母の家庭教師となってくれたであろう。母と父の日々はつましい中にも豊かであった。私は大学を出て都会で働いておりめったに帰らないが、母にとって父との生活は幸せだった。しかし父の他界で母の世界から色はなくなった(1999年の今は白黒画面で、父母が若かった1959年になるとカラーに転ずる)。

町の病院で死んだ父を連れ帰り葬式を出すにあたり、村長には心配があった。母は伝統にのっとり父の棺を遺族や縁者が担いで帰るように望んだ。今時それをする遺族はほとんどいない。しかも村まではクルマで半日かかるほどの長距離だ。村には年寄りと子供しか残っておらず人手はない。村長はそれが心配だったのだ。

心配をよそに、一声かけると多くの教え子たちが馳せ参じた。先生の棺を担がせてほしいと、しかも無報酬で。母はさぞ幸せだったであろう。しかし色は戻らない。母にとって一生で一人だけのかけがえのない人・父は帰ってこないのだ。

(知らない草花の黄の色合いも慎ましやかで麗しい)
無事祈る寒さ冷たさ遭わぬよう [2017年01月20日(Fri)]

fumihouse-2017-01-20T20_21_19-1.jpgクルマに乗って移動する。下駄履きで気軽に自由自在。とても楽ちんだ。ただ気をつけるべきことは、手軽だからといって軽装で出かけてはいけないということだ。車外へ出る時に後悔する。備えを怠ってはならない。

特に今時分はコートはもちろんのこと、手袋と傘は必須。マフラーもあったほうがよいだろう。駐車場にとめて目的地まで思いがけなく遠いことがある。運転中には感じなかった強い風が吹くときもある。クルマにトラブルが起こって様子を見に外へ出るとすれば、5分や10分はすぐに過ぎる。肌を刺す風にあれよという間に体温は奪われる。

事故が起きればケガはなくても、関係先への連絡や現場検証に相当の時間がかかることは間違いない。そんなときに暖かいコート、手袋やマフラー、雨雪をさえぎる傘や帽子がなかったらどんなに後悔するか。もちろん不運はないに越したことはないけれども、可能性はゼロにはできない。下駄履きの軽い気分は、一転して重苦しい修羅場に転じる。

いま外は激しい風、時折大粒の霰が降っている。暴風雪の注意報が発令中。こんな時には運転者は慎重に怠りなく運転してほしい。無事を祈っています。

(雲の上のフライトは快適で気楽だ。その陰でどれだけ多くの人びとが安全のために全精力を傾けて努力しているかを忘れてはならない)
感染症侮るなかれと菌ウィルス [2017年01月19日(Thu)]

fumihouse-2017-01-19T18_03_40-1-thumbnail2.jpg出雲工業高校にちらちらとインフルエンザで欠席する生徒がいる。全国的にも流行の兆しがある。感染症恐るべしである。

数年前、豚由来の新型インフルエンザは幸いに不発に終わったが、東南アジアや中国で頻発する鳥インフルエンザが突然変異すると大変だ。ヒトからヒトへ感染するようになると恐ろしい。パンデミックの恐怖が世界を覆う。

世界の総人口が急速に増えたのは、食糧産業が拡大して移送が簡便になったことが大きいが、医療の進歩により感染症を抑えたことも大きい。ウイルスや細菌とて黙っているはずはない。虎視眈々と人類の勢力を奪うべく進化を遂げる。

エボラ出血熱ワクチンも開発されて流行が収束したし、エイズ(HIV)ウイルスも特効的な処方が可能となってきた。かつて恐れられた結核はどうってことはない、などと油断すると大変なことになる。事実、再興感染症として近年増加の傾向にあるのは結核のほかにマラリア、ペスト、ジフテリア、コレラ、狂犬病、デング熱がある。人類の生存を脅かすほどになってないと油断するなかれ。

ノロウイルスへの警戒が続く。わたしも十数年前に苦しんだ経験があるが、下痢と嘔吐、発熱でひどい食中毒になる。この年末の餅つき大会が相次いで中止されたのも、ノロウイルス感染を恐れた主催者が増えたからだ。

ゾンビを生むT-ウイルスを想起させるのが、人食いバクテリアである(劇症型溶血性レンサ球菌)。これは菌ではあるが、手足が腫れ、立てないほどのめまいと痛みを訴えるばかりか、24時間以内に処置しなければ、手足の壊死が進行し致死率は高い。去年日本で500人近くの患者が発生したという。様子を見ている暇はない。速やかに強い抗菌薬を投与しなければならない。

手洗いをしっかりすること、口や鼻の粘膜に触らないこと、どこか痒いからといってボリボリ掻いて傷をつけないことを、特に私は気をつけようと思っている。人類を脅かしてきた感染症。全体としては次のように分類されているので備忘録として記す。

【のどや呼吸器】インフルエンザウィルス、コロナウィルス(風邪症候群)、SARSコロナィルス(重症急性呼吸器症候群)、RSウィルス(風邪症候群)、ライノウィルス(風邪症候群)、アデノウィルス(小児肺炎)、溶血性連鎖球菌、麻疹ウィルス(はしか)、風疹ウィルス、マイコプラズマ肺炎球菌、百日咳菌、レジオネラ、結核菌
【のどや呼吸器、食中毒・皮膚】黄色ブドウ球菌、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)、緑膿菌
【肝臓系】肝炎ウィルス
【胃腸系(食中毒)】ノロウィルス、ロタウイルス、サルモネラ属菌、腸管出血性大腸菌
【皮膚系】ヘルペスウィルス、帯状疱疹、白癬菌、疥癬
【その他疾患】HIV(エイズウィルス)
すずがいてこの宇宙の片隅に [2017年01月18日(Wed)]

fumihouse-2017-01-18T23_08_33-1-thumbnail2.jpg主人公すずが絵を描くシーンが好きだ。鉛筆を立てて持って、腕を伸ばして対象物に向けて間合いをはかる。三角測量をするように対象に向かい、彼女なりの構図を決めるルーティンでもあろう。映画『この世界の片隅に』は、すずの不動の軸が感じられる。

不動といっても、彼女が信念と将来ビジョンを持って揺るぎないわけではない。むしろ反対だ。ノホホンとぽやっとした捉えどころのない少女。18歳で言われるままに広島から呉に嫁ぐ。軍港の呉にあって厳しい空襲に襲われ続けるが、淡々と日常を営む主婦。恋愛結婚ではなかったが、夫の周作とはプチ恋愛中で幸せもある。幸せをつかみ取ろうとする積極性はないが、自分がおかれた状況をそれなりに楽しめる。もちろん慣れない土地で小姑からのイジメに悲嘆することもあるが、泣いてばかりではない。

すずの人生にあって(当時の人すべてに言えるが)、戦争と日常は隣り合わせにある。一体だったと言ってもいい。憂いと安穏とは交互に繰り返して生活を織りなす。すずは、むしろ莞爾として辛苦を乗り越えていく。辛酸をなめるほどの戦争はなくても、誰もが多層な日々を送る。禍福は糾える縄の如しである。

普通って何だろう。標準的な普通はあるにはあるが、それは普通じゃない。自分なりの普通でありたい。自分らしくノホホンとしてればいいじゃないか。その普通が、世界の70億人の中で自分が自分たりうるのだ。138億年の時空をともなった広大な宇宙に生命を得て地球に生まれてきた不思議。これも普通か? 夢見がちなすずを見ながら、普通って何だろうと思った。

水彩画のようなアニメーション。柔らかいクレヨンのようなタッチ。波がウサギになって跳ねていく現実とファンタジーとの狭間。心地よい映画。同時に戦争の無慈悲さを無性に感じる映画だった。

(すずだったら、この真っ赤な実をどんなふうに描くだろうか。赤に情熱を見るか、それとも苦悩を見るのか)
お年玉抽選外れて如何にせむ [2017年01月17日(Tue)]

fumihouse-2017-01-17T18_09_37-1-thumbnail2.jpg15日にお年玉年賀はがきの当選番号が発表された。1等は現金10万円、2等が地域の特産品。3等は定番のお年玉切手シートである。

結婚した当初は3等ばかりとはいえ、結構いい当選率で喜んでいたが、年ごとに徐々に減ってきた。挙げ句の果てに今回は当選ゼロとなってしまった。トホホ‥。200枚余りの年賀はがきならば、下二桁の当選番号が二つだから、4枚は当たってもよさそうなものだ。なのにゼロとはこれ如何に‥。

福が尽き、運も果てたかと思う向きもあるかもしれないが、そんなしてたまるか! 福運は自ら招き寄せ、つかみ取るものなり!

(苺のように花から実を成らせよう)
短いと嘆く夜長の時間過ぎ [2017年01月16日(Mon)]

fumihouse-2017-01-16T20_52_12-1-thumbnail2.jpg夜が短い。日の入りが早く、日の出が遅いから、夜長のはずなのだが、夜は短い。

早めに家に帰ったときは家族とともにゆっくりご飯を食べる。今夜みたいに外へ出かける用事がないときは、新聞を読んだりテレビを見たり、片付けものをしている。時間はたっぷりあるように思えるのだが、あれよという間に時間は過ぎる。

やがて風呂に入る時間がやってくる。少しウエイトトレーニングをして(腕立てと腹筋くらいだが)、ザブンと浸かり、1日に一回のことだから長々と10分かけて歯を磨く。水分を補給してパジャマに着替えて布団に入る。スタンドの明かりで本を読む。眠くなる、たちまち眠くなる。僕の1日は終わるのだ。

なんで夜はこんなに短いのだろう。なんでゆとりがないのだろう。きっとスマホが悪いのだ。いやいやコンピュータに罪はない。僕が調べものでもないのに、スマホを手放さないのが悪いのだ。今夜はこれでお終いとしようかな。

(昨夜は人前で話すことに困る夢を見た。今夜の夢は何だろう。バラの花と香りに包まれて花園を歩く夢でも見ないかなぁ)
らを抜いて時代とともに変わりゆく [2017年01月15日(Sun)]

fumihouse-2017-01-15T13_30_40-1-thumbnail2.jpg「ら」抜き言葉は正しい日本語か、それとも乱れの現れか。識者の意見も分かれる。私は可能と尊敬を区別するには便利な表現だと思うのでよく使う。言語学者の金田一秀穂氏が述べている。「ら」抜き言葉について考察した文の一部である(1月13日付け毎日新聞)。

≪「正しい日本語」以上に僕が大切にしたいのは「言葉の本意を受け取る」ことだ。(中略)結婚式で司会を任された若者が、緊張の面持ちで「役不足ですが」と言ってしまう。確かに誤用かもしれないが、彼がどんな気持ちでこう言ったのかを受け取りたい。こんな時に「緊張してかわいそうに」と笑って許すような「心地よい日本語」を、僕は大切にしたい≫ 

そうそうそのとおり。「役不足」は、力量にふさわしい役割が与えられなくて不満に思う意であり、謙譲を示そうとするならば「力不足」が正しい、と反応しても大人げない。役不足を力不足の意味で使う人が多くなってきただけに、旧時代を懐かしんでもはじまらない。誤解を招かないよう「役不足」は使わないのが無難だ。同じことが、「煮詰まる」や「気が置けない」にも言える。

金田一氏が言うとおり、温かい目で互いが気持ちよくなれる言語生活を送りたい。他人の揚げ足を取り、厳しい言葉で相手の心をくじけさす。相手の弁明や質問の機会さえ与えない。どこかの大統領予定者のような言葉遣いをしたいとは思わない。

(島根県立美術館の彫像のように、言葉の使い手は悩む。気持ちが通じるためのコミュニケーションとしての言葉遣いに悩む)
海賊は破天荒なり新時代 [2017年01月14日(Sat)]

fumihouse-2017-01-14T18_31_46-1-thumbnail2.jpg映画『海賊とよばれた男』は岡田准一がカッコいい。いつものことではあるが、精悍な顔つきと身のこなし、真一文字の眼光が魅力的だ。20代から90代まで一人で演じた。特殊メイクの助けもあるが、骨太の社長の一生をしっかり演じきった。脇の俳優陣も豪華なキャスティングで楽しめた。

モデルとなった会社は出光興産。北九州・門司で石油業に乗り出す田岡鐡造が、行く手を阻む国内の既得権益や欧米の石油メジャーと戦い続ける姿が壮観だ。絶望状態になっても諦めず、常識にとらわれず、店員(部下)との信頼関係をもとに前へ進んでいく。敗戦日本が復興を遂げたひとつの象徴である。

編集は今ひとつという印象を受けたが、焼夷弾がB29爆撃機から発射されて空中で分裂し、地上に落ちていくCGの威力に感じ入った。あの爆弾はこんな破壊力をもって瓦屋根に突き刺さって爆発するんだ。当時の人がこの映像を見たとしたら、バケツリレーして消火することなど不可能なことがよくわかったと思う。きっとそんな指導体制が、理不尽で無能な精神主義であったことを知るだろう。

(栽培されるキレイな花の多くは、石油を原料とした燃料によって温度調整され花開く)
順繰りに准からスーパー高齢者 [2017年01月13日(Fri)]

fumihouse-2017-01-13T18_01_49-1-thumbnail2.jpg日本老年学会と日本老年医学会が、65歳以上だった「高齢者」の定義を、75歳以上に引き上げるよう提言した。65歳以上74歳は「准高齢者」として区別し、生涯現役をめざし社会的に活躍できる環境を整え、病気予防に努めてもらうことが目的だ。

民主党政権下で「後期高齢者」という言葉が集中砲火を浴びた。後期高齢者医療では75歳以上を後期高齢者といい、介護や医療のリスクが高まることを念頭において制度設計された。そもそも「後期高齢者」とひとくくりにすることが差別的だという感情的な反応であった。

75歳あたりから衰えが目立つという現実が多いわけで、そのことに何らの差別はない。ただし、少しネガティブな印象は否めない。だから、准高齢者右向き三角2高齢者の名前付けには納得がいく。

全年齢で七掛け、八掛けと言われているとおり、平均的に誰もが若くなってきた(幼いままという見方もあろうが)。医療や生活改善により身体や知的能力は確実に若返っている。

90歳以上は「超高齢者」という呼び方になる。スーパーなんだ。寄る年波などものともせずに、がっちり生きてきた年輪を感じさせるカッコいい呼び名だと思う。

(秋に花を咲かせたツワブキも冬の立ち姿で残っている。これも趣がある)
郵便に心をこめて窓開く [2017年01月12日(Thu)]

fumihouse-2017-01-12T22_26_26-1-thumbnail2.jpg映画『山の郵便配達』の邦題は意訳です。原題は『那山 那人 那狗(ある山 ある人 ある犬)』で多分に文学的ですね。だから訳者はわかりやすくズバリ表したのでしょう。

湖南省の山奥を毎回120キロを歩いて配達してきた父親が、息子に引き継いだ2泊3日の行程を淡々と描いた物語です。監督には小津安二郎の影響があるのかもしれません。腰位置の定点からカメラを回すシーンが多用されました。優しい視線です。山川の美しさも際立ったように思えます。

父は2泊3日の出張を繰り返してきたので、父子は互いをよく知りません。敬遠してきた面もあります(よくある父子の関係)。知らなかった一面を知り、価値観が互いに違うのを知るのです。それぞれ「母さん」の姿も違いました。父の退職と息子の就職が同時に行われ、小さいながらも世界が入れ替わったのです。二人とも目を見開きました。

とはいっても山奥の郵便配達は大変な仕事です。三日間歩きっぱなしというわけではありませんが、配達だけしているのではないのです。家人が帰るまで待つ時間も長い。手紙を届けるのはもちろんですが、ポストや地域代表が集めてくれた手紙の集約。目の見えないお婆さんには出されてもいない息子の手紙を創作して読んであげたり、村に外の空気を持ちこむ窓として老若男女に囲まれて歓迎されたりもするのです。

恋もします。母さんは配達の村でかつて父が恋したのです。息子は最初の配達で少数民族の娘に恋をしました。父は頼もしい青年になった息子を目を細めて見ています。文化大革命が終わり、改革解放の流れで中国は活気づいています。引退した自分には付いていけない新時代に生きる息子をうらやましく思いつつも、そのおぼつかなさを心配する愛情深い親の姿も垣間見せてくれます。とっつきにくいとばかり思っていたのですが、父は意外な温かさがあると気づいた息子は多くを学んでいきます。

那狗(ある犬)と示されたパートナー犬の名前は「次男坊」。いい演技をしてくれました。新時代を象徴させて活躍していたのは、息子が聞いていたトランジスタラジオです。洋楽や中国のポップ・ミュージックが流れて、閉じられていた中国の窓が開かれたことを表現します。

山肌を縫うように段々に広がる千枚田。平野をうねる広大な田んぼのあぜ道。そこに実る稲穂の波。乱舞する赤トンボの群れ。心が洗われるステキな景色でした。

中国人というとマネーを求めて狂奔する現代中国を思い出しますが、それだけではないのです。もちろん、あの貧しい村々の一角には今やネット通販の拠点ができているのかもしれませんが、中国という国の奥深さを感じる映画でもありました。

(牡丹の花も開いていきます)
絵を描くディランは今も整理する [2017年01月11日(Wed)]

fumihouse-2017-01-11T18_04_53-1-thumbnail2.jpgボブ・ディランは絵を描く。彫刻もしかり。混沌とした状態を自分の中で整理できるから好んで描くという。

確かにスケッチをするとき、目の前にある物のすべてを描くわけではない。完璧に写し取ることができてしまえば写真と同じ。自分の目で見て、頭でイメージをつくり、巧拙はあるにしてもラインや面をスケッチブックに落としていく。そこには、混沌右向き三角2選択右向き三角2整理という過程ができる。ディランはそこに魅力を感じるのだろう。昨年のノーベル文学賞受賞のスピーチで彼はこう言っている。

≪私は自分がやりたかったことを長い間続けてきました。多くのレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを開きました。しかし私のしてきたほとんど全てのことの中核にあるのは歌です。(中略)これまで、自分の歌は「文学」なのだろうかと自問した時は一度もありませんでした≫

歌を作り、歌うために格闘を続けてきた彼。音楽を創造するために、混沌右向き三角2選択右向き三角2整理の図式をたゆまず継続してきたからこそ、今の巨匠ボブ・ディランがある。まさに、継続は力なり。

(ディランのノーベル文学賞を寿いで、めでタイ猫ちゃんも祝福している)
魂を分けてホントにええのかい? [2017年01月10日(Tue)]

fumihouse-2017-01-10T21_13_46-1-thumbnail2.jpg分霊箱(ホークラックス)は、ハリー・ポッターシリーズに出てくる重要な魔法アイテムです。自分の魂を断片にして納めて、不測の事態に備えます。魂を引き裂くわけですから、当人にとっては大きな苦痛をともなうはずですが、闇の帝王ヴォルデモートにとってみれば、肉体が死んでも備蓄した魂を使って永久に世界を制覇し続けることができます。少々の苦痛など無に等しいのでしょう。

ヴォルデモートは、日記帳やカップ、ティアラ、巨大蛇のナギニなどで永久の命を担保しようとしました。ハリー・ポッターさえも期せずして分霊箱化したのは驚きましたが、悪徳は滅びの道を行くものです。友愛を糧に真っすぐ生きるハリーたちとの戦いに遂には敗れました。

さて、私たちにとってスマホはもはや分霊箱化しています。悪徳というわけではありませんが、 メールやSNSでつながる数多くのやりとり。それらが私たちのアイデンティティを形づくり、自分のおかれた位置を示すのです。その世界は楽しい。だから依存症となっている人も多いのです。

スマホを通して自分があちこちに拡散されていく。あるグループでの顔、別の輪での態度・・・すべてが私たちの分霊箱になっていると思いませんか。

(出雲の街路に青空が広がる。この街路樹は何だろう右向き三角2あとで教えてもらった。「ナンキンハゼ」だとか)
追悼のアカウントなり終活の [2017年01月09日(Mon)]

fumihouse-2017-01-09T22_06_20-1-thumbnail2.jpgフェイスブックの設定には「追悼アカウント管理人」という項目があります。≪あなたが亡くなった後にアカウントの管理を任せる家族または親しい友達を選択します≫という説明書きがあるんです。

死亡の事実をフェイスブック本部はどのように把握するのかという謎は残りますが、それはいいでしょう。ネット社会でも終活へのニーズが出てきた証です。

今日の山陰中央新報に「7割強が終活前向き」の記事がありました。60〜70代の男女千人を対象にしたマクロミルの調査結果です。7割強とはいっても、現に実行しているのは9%ですが、自分で人生を締めくくりたい、残りの人生を全うしたいという意志は広がってきていますね。

身の回りを片付ける、お金や相続の準備、医療や介護の希望などやることは多いでしょう。そこにインターネット上の身の振り方が必要になってきたのです。

「ネット死」というのは私の造語ですが、更新のないサイトがあります。ネット上でリンク切れを見つけたときも思うのです。管理者が病気だったり、死んだのではないかと心配したりもします。単に引っ越しただけで取り越し苦労のこともありますが、飽きてしまって面倒になったのか、炎上してウンザリしてしまったのか。真相はわかりませんが、死も含めた人間模様がそこにはあるのです。

(木瓜(ボケ)は冬に咲く。実が瓜のようなことから木瓜。元はモッケと呼んでいたが、変化してありがたくない名前に)
冬空に星は昴と称えたし [2017年01月08日(Sun)]

IMG_20160911_094949.jpg昴(すばる)がきれいに見える。昨夜は曇り、今は雨で今夜も期待はできないが、一昨日は天頂のあたりに神々しく光っていた。絢爛豪華な冬の星座のなかでは小さいが、キリリと目立つ存在である。

すばるは、統(す)べる、または総(す)べる。個々のものを一つにし、別々のものをまとめること。その名のとおり若くて青白い星々の集まりである。散開星団という名がつくとおり、いずれは散り散りになる(何百万年も先だが)。枕草子では「星はすばる」と清少納言がたたえた。

プレイアデスはアトラスの7人の娘たち。美貌で知られていたために、女好きの英雄オリオンがしつこく追いかけた。セブン・シスターズを不憫と思ったゼウスが鳩にして星空に逃がした。さらに星となったのがプレアデス星団である。

プレアデス星団がある牡牛座はオリオン座のすぐ近く。幸いにオリオンの手の届かないところにある。怖いよね、ストーカーは。ただしストーカー規制法は天上には及ばす、ネット上のつきまといは禁止されないから、美貌姉妹のことが心配になったりして。

(昴ほど自分では輝かないが、人間のつくった服飾もきらびやか)
ウイルスと旅を続けて幾百年 [2017年01月07日(Sat)]

fumihouse-2017-01-07T21_00_44-1-thumbnail2.jpg映画『バイオハザード:ザ・ファイナル』は怖い。わずかのラブシーンすらなく、息つぎの間もないほど圧倒されるアクションシーンに満ちる。襲われて食いちぎられて無惨に死ぬか、ゾンビの首をはねて腸を切り裂くか、どちらかしかない。ゾンビと戦っていた仲間が咬まれるやいなや、変わり果ててゾンビ化する恐怖。

アンブレラ社はとんでもない生物兵器を産みだしたものだ。元はといえば難病を患った娘のために父が開発したのがTウイルス。ゾンビを産む副作用が現れてここまでの疫災をもたらした。人類はもはや風前の灯火であった。

科学というものは人間に利便をもたらすと同時に、予期しないか過小に見くびった結果、害悪で人類を脅かす。それを象徴的に示唆した文明論だと思う。

クローンとホンモノは違うのか、という視点もある。遺伝子は同じでも両者は違う。かといってクローンにも生きる権利がある。同じ生命体として尊重されるべきなのだ。自己とは何か。終始一貫したアイデンティティとは何か。考えさせられた。

主演のアリス役、ミラ・ジョヴォヴィッチは(セルビアの独裁者・故ミロシェビッチと区別しにくいのだが)、きれいだった。ゾンビを退け、強力な生物兵器と戦い、強い敵と危機一髪で戦闘するシーンのあとの表情が美しかったこと。

映画ではTウイルスとの戦いは終わった。しかし現実はどうか。ウイルスも細菌も新種が生じ、古いヤツも耐性を備えて強力になる。現実の人類にとって戦いの旅は永久に続く。

(今夜は七草粥。一草しかないけれど、まっいいさ。私にとってお粥は、コメの食べ方としては最も好きなもの。いくらでも食べられる)
ああ楽し時間忘れて読みこける [2017年01月06日(Fri)]

fumihouse-2017-01-06T19_06_04-1-thumbnail2.jpg≪本が読みたい。時間のたつのも忘れるほどに本が読みたい≫とは、山陰中央新報1月5日付けのこだま欄に載った壮年の投稿です。

わたしも本は好きなほうですが、この人はスゴい。わたしの場合、睡眠剤になってしまうんですね。つまらないからというわけではありません。つまらん本なら止めてしまえばいい。休憩して目を閉じる、読むうちに思うことをメモしたり反芻したりするうちに、寝てしまうことがよくあるんです。面白くてもついつい眠りこけてしまうことなどありませんか?

列車のなかで小説に夢中になっていてふと目を上げたときに、ここはどこ?今はいつ? と認知症の失見当状態におちいることもありますが、稀なことです。近頃は通勤時間が短くなったせいで一冊の本をなかなか読み終わりません。複数を並行して読み進めますから、何日か空いてしまうと、筋を忘れてしまって後戻りしなくてはならないこともよくあるのです。

読書は面白い。でも眠り薬なんですね、これが。そんな読み方もよし、といたしましょう。

(南天の実が鮮やかに紅色だ。縁起物として「難を転ずる」だろうか)
ああ爆笑笑い上戸は得をする [2017年01月05日(Thu)]

fumihouse-2017-01-05T23_36_08-1-thumbnail2.jpgある研究によれば、女性は男の10倍は笑うそうだね。ホントかね?と思ってふりかえってみる。確かに、そんな気がしてくるよ。

顔をほころばすとか、口元に微笑みを浮かべるってなぁもんじゃなくて、破顔一笑、高笑いだね。大口をあけて呵々大笑ってやつよなぁ。笑ううちに気持ちがほぐれる。心が大きくなって明るいスパート切れそうな。

どっと爆笑、あごがはずれるほど大いに笑いたい。チャーミングな微笑と言われるのもいいけれど、相好を崩して吹き出すのもいいじゃないか。晴れ晴れと朗らかに。笑い転げて馬鹿笑いでもいいかもね。腹を抱えて笑いたい。腹の皮がよじれるほど抱腹絶倒させたいな。

皮肉な薄笑いを浮かべたり、含み笑いに作り笑いはゴメンだなぁ。痛いところをつかれて苦笑することはあったとて、一笑に付されるのはゴメンだね。せせら笑う冷笑はイヤなんだよねぇ。

(天気のよい正月に高い空の下で高笑いしていた我が家の金柑)
恋愛は時が流れて変わるもの [2017年01月04日(Wed)]

fumihouse-2017-01-04T17_29_13-1-thumbnail2.jpgこの正月の新聞広告には目を引くものがなかった(もちろん私にとってだが)。昨年末に発表された2016年度新聞広告クリエーティブコンテストの作品が目に付いたので記録しておいた。

その前に「恋愛」の定義を拾ってみる。まずは広辞苑第六版(DVD-ROM版)。【恋愛】(love の訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい。

「しんかいさん」で愛される新明解国語辞典第四版ではこう定義する。【恋愛】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。  

わたしは山田主幹が思い入れたっぷりに恋愛をドキュメントした第四版が好きだが、第七版までいくとマイルドになる。

【恋愛】特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

それで、日本新聞協会主催のクリエーティブコンテストの受賞作品の一つがこれだ。

(恋愛とは)≪辞書にはまだ、/異性を好きに/なることって/書いてある。
 言葉はときどき、誰かの世界を狭めてる。≫

LGBTもかなり認知されるようになってきた。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー。すべてを目の当たりにしたことはなくても、わかるようになった。わかっていても差別の目で見るかどうかは別だが、テレビやネットでは皆さん堂々として自分を隠さない。

となると辞書の改訂期に恋愛の定義を最初に変えるのはどの辞書だろう。楽しみだ。それが世の流れに追随し、世の常識を形づくる。

(松江・京店通りのタイルにさりげなく埋め込まれたハートの印)
初めてが最後の世界また明日 [2017年01月03日(Tue)]

fumihouse-2017-01-03T21_20_50-1-thumbnail2.jpg人生は有限であると、改めて思わせる映画でした。『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は、メタファーでその有限さを強調するファンタジーです。毎日はルーティンでできています。朝起きてから夜寝るまで日々は繰り返しですが、それは二度とない時間。かけがえのない人と共に過ごすかけがえのない今日を大切にしたいと思われてくれますね。

京阪電車で出会った二人。ともに恋愛初体験という高寿(福士蒼汰)と愛美(小松菜奈)でしたが、愛美はやけに堂々と大人びています。まっすぐに見つめる目。私のどこに一目惚れした?と正面から聞く。あの場慣れ感が謎めいています。高寿はただ直感のみ。あっ、この人に声かけなくちゃという吹き上がった感情のままに唐突に告白します。「また会えるかな?」。愛美は確信をもって「会えるよ」と応えましたが、謎めいた涙をこぼして反対行きの列車に乗ったのです。

奇想天外な愛美の世界。たった30日間の恋を経験するために愛美は生きてきました。しかも一日一日がリセットされ続ける残酷な世界の恋です。それでも、有限の世界で二人は喜びを分かち合うことの楽しさを心ゆくまで堪能します。一方で、すれ違って分かち合えないことの大きさにも悩みます。なんせ愛美には、初めてが最後なのですから。

たった30日間の恋の終わりの頃に、高寿は愛美に確信をもって言うのです。「僕たちはすれ違ってない、端と端をつないだ輪になって一つにつながってるんだ」。それを愛美が初々しく感激の面もちで聞いていたのが心に残ります。

「また、あした」と言って別れることは当たりまえのようでいて、実はかけがえのない二度とない時間。記憶の底に沈んで締まっていても、命には刻まれています。過去を悔いて縮こまるな、未来を恐れて逡巡するな、という声が聞こえてきたように思えました。

(ピンク色が鮮やかな蝦蛄葉サボテン。名前の由来は、茎が寿司ネタの蝦蛄(しゃこ)に似ているところから。別名クリスマス・カクタスに、また明日)
箱根路に襷つないで富士仰ぐ [2017年01月02日(Mon)]

fumihouse-2017-01-02T12_19_43-1-thumbnail2.jpg箱根駅伝(第93回東京箱根間往復大学駅伝競走)は、白熱する競技はもちろんですが、コマーシャルも見せてくれます。

JRA、サッポロビール、大和ハウス、VISAカード、セブン&アイ、日興証券、ミズノなど名だたる企業が興味を引く映像を目白押しに流します。ランナーが必死に仲間と夢を追いかける姿を目の前にして、一年の計を確認し明日に向かって走りたいという気にもなってくるものです。

往路は順々に襷をつぎ、選手は4区を走っています。母校・創価大学は現在5位。二年ぶり二回目の出場ですが、シード権目指してガンバレ!

(輝く白銀の富士山のようなカスミ草)
粛々と新たな年が明けた朝 [2017年01月01日(Sun)]

fumihouse-2017-01-01T07_19_41-1-thumbnail2.jpgこの清澄な空気はなんだろう
この厳かな気配はただものではない
この神聖な雰囲気はかつて感じたことのない
空まで荘厳なムードを満載している
神々しい色合いで世界を荘重に染めていく
・・・・・・・・
まっそんなこたぁないない
変哲もないただの朝
冬にしては晴れているのが珍しいくらいなものだ
確かに外気は冷たい
夜気の残る空にはあらたまったものが感じられなくもない
粛々と新年を寿ぐのは人間の精神活動による

私も含め皆さまの2017年酉年が活気に富んだステキな一年でありますように

(陰影に富んだ元朝の空。天気は晴れときどき曇り)