CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 2016年11月 | Main | 2017年01月»
<< 2016年12月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
検索
検索語句
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新コメント
ふみハウス
心地よし父の胸にて寝入る子よ (02/05)
心地よし父の胸にて寝入る子よ (01/27) ふみハウス
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/26)
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/23) 駅伝ワクワクをとこ
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02)
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02) 食欲のをとこ
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (11/02) 正中館道場
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (10/28) 計算苦手をとこ
筋力と宇宙の闘い空間で (06/29) 計算する者
筋力と宇宙の闘い空間で (05/15)
http://blog.canpan.info/fumihouse/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/fumihouse/index2_0.xml
最新トラックバック
申年が酉年にバトン渡すとき [2016年12月31日(Sat)]

fumihouse-2016-12-31T19_49_10-1-thumbnail2.jpg穏やかな大晦日です。風もなく暖かで、日が照る一日でした。弱いながらも西高東低ですから、雲が波状的に寄せてはきますが、雨や雪を降らすほどのものではありません。明日元旦も同じように安穏な天気となるでしょう。

大掃除を終えて、紅白歌合戦を見る人もいるでしょう。飲んで賑やかに屋外での晦日の時間を過ごす人もいるでしょう。わたしはBSプレミアムで『ホビット』を見ています。『ロードオブザリング』に続く三部作。目が離せません。

2016年もいよいよ最終版。よい年をお迎えください。
広がって名画を胸に明日を生く [2016年12月30日(Fri)]

fumihouse-2016-12-30T22_30_29-1-thumbnail2.jpg名画『砂の器』を見た。去年も見たので、3月9日に書いたのだが、何度見ても鼻をすすり涙を拭いてしまう。

交響詩「宿命」。和賀の指揮とピアノによる壮大な交響詩が胸に迫る。テーマの旋律は伸びやかではあるが悲壮な叙情に満ちている。この旋律が当分はわたしの頭を駆けめぐるだろう。

少年は砂の器をつくる。砂山の上に水をかけて固め、両手で切るようにしてすくう。それを順繰りに並べる。もろい砂は風に当たって崩れ、乾燥して形を留めず無にきす。それでも少年は無為な作業を続けていく。長じて和賀は婚約者に「幸せなんてものがこの世の中にあるのかい」と問いかけた。虚無的であっても、飽くことなく無為を繰り返すのが人生だと言いたかったのだろうか。

癩病(ハンセン氏病)で村八分となり故郷を追われた父と子。その過酷な宿命を強く感じた子、耐えた父。どれだけたくさんの夫婦や母子、父子がこの根拠なき差別に苦しめられてきたことか。その宿命の苦しみはまだ終わっていない。昭和初期に始まった強制隔離政策と市井の人々の差別が、患者と家族をどん底に突き落としてきた歴史を忘れてはならない。癩菌が死滅してもう患者でなくなっても、むごい差別は残っている。『砂の器』は、誰もが持つ差別感情を浮き彫りにし、誰もが知らずと自縛される宿命を考えさせる。

(今日の青空に向かって咲く白薔薇のように宿命を打開していきたい)
認識し勇気をもって天を知る [2016年12月29日(Thu)]

fumihouse-2016-12-29T17_40_51-1-thumbnail2.jpg祈りとは認識__
__課題の所在を見据え、対処すべき自分の軸足を定めること。

祈りとは意志__
__勇気をもって前進し、忍耐を続けるよう自らに課すること。

祈りとは誓願__
__人事を尽くして天命を“創る”こと。使命を自覚し希望を忘れないこと。

(松江・大根島の名産の牡丹。深い栽培技術と丹念な愛情あってこそ、寒ボタンは見事に咲く。JR松江駅に飾られている)
ときどきは蘇生のやり方復習し [2016年12月28日(Wed)]

fumihouse-2016-12-28T17_21_54-1-thumbnail2.jpg心肺蘇生法の講習会を一年半ぶりに受けたので備忘録を記す。出雲市消防本部から出雲工業高校に3名の講師に来ていただいて講習を受けた。胸骨圧迫やAED使用法は基本は同じでも多少変化する。救命率が高くなるよう日進月歩する(大げさ?)。パートナーはリトル・アン(Little Anne)。一見すると60代の上半身人形である。

以前は気絶した人が呼吸があるかどうかの確認をするために、耳を口元や鼻に当てるように近づけて観察するとされていたが、離れたまま指差しで口や喉、胸を見るだけで十分だという。胸骨圧迫も100回/分と指導を受けていたが120回となった。1秒につき2回とはかなりのペースと言える。

胸骨圧迫は疲れると深さが足りなくなる(5センチは必要)ので、大丈夫だと思っていても交代要員がいるときは替わること。野外で膝立ちすると痛い。クッションを置いて肘を伸ばし、十分胸に体重が乗ることを講師は強調された。

30回の胸骨圧迫のあとは人工呼吸。そこで私は鼻をつまむのを忘れていた。アゴを上げて気道確保はやったものの呼気を吹き込んでも胸がふくらまない。慌てるとこうなる。鼻をつまんだ手でもってアゴを上げようとしてはいけない。傷つけるからだ。人工呼吸が必要ないケースがある。出血や嘔吐物があるときだ。

AEDが到着したらパッドを貼る。粘着力は強い。焦って手もとが不如意になることから二枚がくっつくと剥がれなくなる。一枚ずつシールをとって、しっかり隙間なく肌に貼ること。濡れていたり汗をかいている時は水気を拭く。ネックレスは取らず、パッドに当たらないようずらすだけでよい。ペースメーカー装着者(胸の上部が膨らむ)、ケガがある場合は5センチ程度は離して貼ること。したがって指示図とは左右逆にしたり、前と背中で挟んでもよい。そして電力をしっかり流す。

誤解してはいけない、AEDは魔法の箱ではない、胸骨圧迫が大切だと講師。止まったり不規則に動く心臓をリセット右向き三角2心肺蘇生で心臓が動きを思い出す右向き三角2心臓が動かない時は外からの圧迫で血液を全身に送り出す。あくまでもAEDは蘇生のためのきっかけでしかない。

現場に複数の救助者がいるときは119番本部の司令官と話をする。励まして、目の前の人を救いたいという勇気を鼓舞してくれるだろう。蘇生法の処置をしているとき、救急車を待っている時間は長く感じるものだ。ともかく諦めずに蘇生法を継続させ、救急隊につなげてほしいと講師は結ばれた。

もうひとつ、正月を前に餅がノドにつまった場合の対処も教えていただいた。
苦しがる右向き三角2意識があれば咳を出さす右向き三角2出なければ横にして背中を掌で強く突き上げて背部叩打法右向き三角2効果がなければ、ハイムリック法(背後から鳩尾に拳をおき両手でぐっと上げる)右向き三角2交互に使い分ける右向き三角2救急車も呼ぶ。

掃除機で吸うのはダメ。舌を巻き込んだり口内で出血してしまう。自動餅つき機でついた餅はノドに指を突っ込んで引っ張ると切れるが、杵と臼でついた餅は切れにくい。取り出すことができる場合もあるという。

(心肺停止した人が、早く蘇生して美しい花を鑑賞できますよう、心配なきように)
おもてなしサービス業とて人の子だ [2016年12月27日(Tue)]

fumihouse-2016-12-27T17_09_42-1-thumbnail2.jpg日本生産性本部が調べたところによると、日本のサービス業の生産性はアメリカの半分というではありませんか。従業員一人当たりで産み出されるモノやサービスの金額を量ったのが労働生産性ですが、1990年代後半よりも格差が広がっているといいます。

データを比較すると、アメリカの1時間当たりの労働生産性を100として、日本の製造業は平均して70%程度ですが(業種によっては日本が高い)、サービス業となると50%です。水準の低さが際立ちます。飲食・宿泊業が米国の34%、卸売・小売業が38%、運輸業が44%などと大きく差が広がります。

生産性本部では、日本のサービス業が新技術を取り入れて効率的にモノを売っていないことが原因だと分析しますが、私には「おもてなし」が理由のような気がするのです。

おもてなしは日本の得意分野です。日本に来ておもてなしに感動する外国人は多い。私たち日本人だって、おもてなしの接客を受けると満ち足りて家路につくことができます。

社会倫理にのっとった振る舞い、客に不快感を与えない作法、奉仕の精神にあふれた一挙手一投足、見返りを求めないホスピタリティ、相手へ思いを馳せながら最大限の気配り・・・・。

すごいことです。日本人の財産といってもいい。でもこれがサービス業従事者へ与えるプレッシャーは大きいのです。勘違いして王様を気どる客のあしらいも大変だと思います。心身の消耗を感じる従事者は多いのではないでしょうか。超のつくおもてなし者には平気かもしれませんが、すべてに求めるのは酷なことです。

(おもてなしを強要し過ぎると、わが家の柚子のように、鋭い棘で自らの実を傷つける)
不死鳥なら蘇ってほしいかの人よ [2016年12月26日(Mon)]

fumihouse-2016-12-26T19_00_58-1-thumbnail2.jpg今年島根では二つの運命劇が生まれ、劇的に解決を見た事件があった。一つは死線をさまよった末に生還劇を演じた島根県庁の土木部長の事件。もう一つは島根県立大学の学生だった平岡都さんの悲劇である。

土木部長はこの秋、奈良県の山に独り入り行方不明となっていた。捜索も虚しく関係者は諦めていたというのが本音であろう。ところが、滑落して怪我を負ったものの、体力の回復を待って登山道まで上り、13日ぶりに救助された。奇跡の生還劇である。そして今日職務に復帰した。

平岡さんのご家族は、不安で長い7年を周囲に温かく支えてもらったことに感謝しつつ、怒りをぶつけるべき犯人がこの世にいないという不条理を嘆いた。「都の全ての夢を奪った犯人を許せません」というコメントに思いが集約されている。捜査員は毎朝毎晩、平岡さんの遺影に手を合わせたという。その執念の劇も忘れてはならない。

事実は小説よりも奇なりという。小説という劇、劇映画という劇、演劇という劇。人生に起こる悲劇のすべては、外から見ればドラマである。本人から見ていけば、一刻も早く夢から目覚めたい現実でもある。今日も多くの悲劇が生まれたであろう。一方で多くの喜びが人の心を躍らせたことも確かである。

(鳳凰は伝説の鳥。西洋では不死鳥に相当。これも死と蘇りをくり返すのか)
夢やぶれサンタが街にやってきた [2016年12月25日(Sun)]

fumihouse-2016-12-25T08_24_22-1-thumbnail2.jpgサンタクロースがやってきた(らしい)。三連休の週末に寒気を連れてぶるぶる震えてクリスマス。イルミネーションは華やか、クリスマス商戦は昨日ピークを迎えた。

息子が小学校六年、娘は小学一年生のときだった。クリスマスイブの前の日だっただろうか。私は息子に言った。妹にサンタなんかいないってバラしちゃいけないぞと。息子は驚いた。サンタクロースはいないの? ひょっとして涙目だったかもしれない。

我が家のクリスマスの出来事。息子にとっては悲しいエピソード。事件をきっかけに母から夢を解かれた娘にとっては、うすぼんやりだが知っていた事実の寂しい解体。

(クリスマスのリースに使ったらいい感じになりそうな草の実。名前は知らない)
文明は進歩してても退歩ある [2016年12月24日(Sat)]

fumihouse-2016-12-24T16_29_45-1-thumbnail2.jpg作家の佐藤愛子さんは大正12年生まれ。近頃エッセイ『九十歳。何がめでたい』がよく読まれている。

≪「文明の進歩」は我々の暮しを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を摩滅させて行く。尤も便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと・・・・。もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。≫ (佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』2016年,小学館)

「もっとも」「より」「未だ○○していない」「ぐんと」「さらに」「ずっと」「なお」「いよいよ」「ますます」「いっそう」「一段と」「加えて」・・・・進歩することを至上のものとして追究すれば、自ずとこうした言葉を多用することになる。私たちはこれらを使いすぎているのかもしれない。それも幸せを追い求める故なのだが、そもそも幸せって何だ。その定義がもう代わってもよろしい。

(海老は進化したかもしれないが、進歩はしない。人間は日進月歩で歩んできた。過ぎたるは及ばざるがごとしとならないように人間精神を鍛えよう)
音姫は羞恥の文化撫子よ [2016年12月23日(Fri)]

fumihouse-2016-12-23T16_10_37-1-thumbnail2.jpg『音姫』ほどセンスの良いネーミングを知らない。遊び心があって気品があり、聞いただけで製品を想像できる名作であろう。竜宮城の乙姫にも通じる名前であるから、彼女はどのようにして用を足していたのか。一人なのか、お付きの者に世話させたか、それとも魔法で一気に終わらした? そんなことも空想してしまう(オレだけ?)。

女子トイレに設置されるのは常識となった。音姫の名はTOTOの商標で正確にはトイレ用擬音装置というが、音姫で通る。水洗音を擬似的に発生させて、女性の恥じらいを消すとはイキな発明だ。1988年に発売されたという。

徳川三家の紀州、尾州、水戸の音が使われるジョークがある。女性の小便は徳川三家。キシュウと飛び出して、ビシュウーで最高潮に。終わりはミトミトと垂れる、というやつだ。水洗トイレだと加えて便器の水に落ちる音が出るので、大和撫子たちの羞恥心をくるぐる。キシュウとビシュウとピチョビチョを、疑似音で隠して節水するとはスゴいアイデアだったと思う(女性陣、失礼しました)。

なお、こうした羞恥心は大和撫子に特有なものであるそうな。外国では排泄音を恥じる意識はないというから、音姫を輸出して儲けることはできない模様。

(夜は閉じてしまうカタバミ。春から夏にかけて咲く花だ。浦島太郎だけを迎えた乙姫を感じさせる幻想的な透明感がある)
冬至には杜氏が当時の湯治かな [2016年12月22日(Thu)]

fumihouse-2016-12-22T06_57_17-1-thumbnail2.jpg昨日は冬至。朝が遅い。なかなか南東の空が白んでこない。日が早く暮れる。日が傾いてから暗くなるのが速い。冬至は最も一日が短いのは確かだが、日の入りと日の出の時間は一様ではない。

松江の日の出は7時13分。これからもっと遅くなる。12月31日から1月14日まで7時17分にならないと太陽が仮想の地平線から顔を出さないのだ。

一方で日の入りはすでに遅くなり、夕方は少し明るくなっている。松江の日の入りは冬至では16時59分。最も早かったのが16時55分で、11月29日から12月11日までなのだ。

ところで冬至にカボチャを食べたり、柚子湯につかったりするのはなぜか。カボチャは南瓜(なんきん)。風邪をひかないように栄養豊富な南瓜を食べるのがいい。さらに運盛りといって、「ん」のつくものを食べるのが縁起がいいそうな。ニンジン、大根、レンコン、うどん、銀杏、キンカン、みかん。ダジャレだね。

柚子湯は何か。柚子=融通がきく。冬至=湯治。これもダジャレだな。サッパリと柚子の香りに包まれて、運を呼び込む禊(みそぎ)ともなるそうな。

寒さの本番はこれから。朝起きるのがつらいのを覚悟して、元気に年の瀬を越えていきたいものだ。

(太陽のようなガザニア。気持ちよく末広がりに咲く花だ)
契約しこの世で日々を過ごしてる [2016年12月21日(Wed)]

fumihouse-2016-12-21T18_25_43-1-thumbnail2.jpg火曜夜のお楽しみが終わった。ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は昨夜が最終回。好きなドラマは登場人物に深く感情移入するものだ。森山みくりが生きたキャラクターとなって駆けめぐる。みくりと津崎は結婚式を挙げたようだが、その後の二人を知りたい。女優・新垣結衣ではなく、森山みくりとしてイメージが膨らんでいく。でもそれは幻想なのだ。津崎と契約結婚したみくりはいない。

現実に戻ろう。世の中は契約だらけ。利害が対立するおそれのある複数の者が交わす契約書のように厳密ではなくとも、すべての約束は契約だ。

口約束も契約、光熱水費・通信費の支払いも契約ごと、メールでしたデートの約束も契約、数人で交わした密約も契約、メモ的に書いた覚え書きも契約、レストランの予約も契約、心の中で決めた誓いも自分との契約、○○禁止とした掲示も書いた当人には不特定多数との契約(のつもり)。

契約は守ろう。できない契約はしないでおこう。めったやたらに契約を振りかざす人(要するに押し付けがましい)とは距離を置いておこう。それでも毎日は契約だらけ。うまいこと付き合っていきたいものだ。

(水仙は契約しない。あっても売買契約されて売られて流通する程度。それともナルシストの名のとおり、己の魅力を売り込む契約者なのか)
忘年の時はいつでも友だちさ [2016年12月20日(Tue)]

fumihouse-2016-12-20T18_08_46-1-thumbnail2.jpgユーミンは『12月の雨』でこう歌う(「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」ではchayがカバーした)。

  時はいつの日にも 親切な友だち
  過ぎてゆくきのうを 物語にかえる

忘年会の季節。一年の間にあったことを忘れるなんて出来やしないし、必要もない。新しい出会い、親交の深まり、かけがえのない人と過ごした時間、目標の達成、仕事の成功、転勤後のやりくり上手、精検の無事通過・・・・良いことは忘れもしない。

しかしながら、挫折、目標からの離脱、大切な物の紛失、落下や落水、ヒヤリハット、舌打ちした他人の振る舞い、トランプショック?、うまく書けない四苦八苦・・・・苦しんで呻吟した経験も私にとっての大切な積み重ね。忘れてなるものか。頭は忘れたとしても、生命に刻んだかけがえのない時間だ。過ぎてゆくこの年は自分だけの物語にかわっていく。

忘年会は望年でありたい。来たる年を楽しみにし、去る年を愛でる日々でありたい。

(年の瀬に山茶花が陽光に白く輝く。今日は暖かくて過ごしやすい一日だった)
健診は病気でなくて当然だ [2016年12月19日(Mon)]

fumihouse-2016-12-19T21_57_49-1-thumbnail2.jpg健康診断を受ける目的は何か。健康であることを確認し、病気の芽があれば早期につみ取って健康をとり戻すことである。あたりまえでしょ? と言うなかれ。前段はそのとおりなのだが、後段は実は違うのである。受けた当人は健康でない状態など信じたくないのだ。そんなはずじゃない!と思う。要精検の結果が出て、すぐに検査機関に行く人が、そう多くないのがその証拠。

悪魔がささやく。「ずっと前にも精検したけど異常なかったよね」「同僚だって平気だって言ってたよ」「特に体調は悪くないしな」と大丈夫の虫が騒ぐ。かくあってほしいという願望が、かくあるべしと確信に取って代わる。これを、正常化の偏見という。

自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまうことだ。要精検のうち何パーセントかの人には重大な病気が隠れている。こんなはずではなかったと後でホゾを噛むのは自業自得。 そんな過ちはしたくない。しかし有りがちな悲しいこと。要精検を侮るなかれ。

(ヤツデの花は冬に咲く。金のタマタマ、緑のタマタマ、白い腕。なかなかオモロいヤツでなぁ)
オルガンの音色が深く染みとおり [2016年12月18日(Sun)]

fumihouse-2016-12-18T22_41_11-1-thumbnail2.jpgキリスト教は「化儀」の面では宗教界の王者である。多種な音色と圧倒的な音量で厳かな気分になるパイプオルガンの演奏会で感じた。

化儀とは、指導する側(牧師や僧侶)が儀式的な面から民衆を教化していく方法をいう。一方で教義を弘めることを化法という。演劇で例えれば、化法は台本と演技であり、化儀は演出や舞台装置、衣装のことである。化法と化儀のどちらが欠けても宗教は広まらない。キリスト教の教義には愛という良い面もあるが、惨殺の血塗られた歴史を重ねてきたことは確かだ。だが、化儀の面では世界を大きくリードしてきた。

文化の力でキリスト教は飛躍した。建築、美術、音楽、文学、科学、服装、装飾など世界に与えた影響は計り知れない。日常的に季節の商戦でみてもバレンタインデー、ハロウィン、クリスマスなどキリスト教起源のものが、私たちの憧れの存在となってきたことは間違いない。

開館30周年を迎えたプラバホールではオルガンリサイタルが行われた。テーマは「つなぐ〜プラバホールのオルガンが紡ぐもの〜」。

小泉八雲作品を曾孫の小泉凡さんが朗読し、八雲の世界をオルガンとともに現代に蘇らせてくれた。松江・秋の風物詩・鼕行列との共演で、パイプオルガンの思いがけない多彩さを知った。ストップというつまみを調整して33種の音色が出せるという。マリンバとの共演では、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」に聞き惚れた。残響2秒と言われる緞帳のない豪華な舞台が無限に広がった。

(プラバホールのクリスマス飾り。こうした小物にも十分配慮したいいコンサートだった)
めまいして心の迷い上書きし [2016年12月17日(Sat)]

fumihouse-2016-12-17T21_17_51-1-thumbnail2.jpg映画『めまい』はヒッチコックの名作です。原題は『Vertigo』。めまいのほかに錯乱や混乱といった意味があります。

スコティ(二枚目のジェームズ・ステュアート)が刑事を辞める原因となった高所恐怖症の“めまい”をさすのはもちろんですが、愛する人を失ってしまった男、しかも同じ場所で二度もという主人公スコッティの“混乱”を示しています。さらに人妻のマデリン(キム・ノヴァク)が亡霊にとり憑かれて人事不省に陥った“錯乱”も意味しているのです。

濃厚なラブストーリー、そしてどんでん返しのサスペンスです。58年前の映画だとは信じられないほど質が高いですね。ジュディとの恋は第二幕という感じで見ていましたが、終盤でおぞましいまでの構図が明かされていきます。

私は隠れたテーマを「君はここにいる、でもどこにいる?」とよみました。あるいは「僕はここにいるよ、見えるかい?」です。

終わってしまった恋愛に関して、男は別ファイル名をつけて保存し、女は上書きして前のを消し去る、とよく言います。主人公スコティは死んだマデリンを追い続けます。次の恋をしても別物だと思えずに、上書きしても上書きしてもマデリンが浮き出てくる執心です。心の目も使ってかけがえのない人の姿を見ていかねばなりません。自分の所在も示してあげなければなりません。

サンフランシスコの美しい風景が随所に盛り込まれてます。どこもかしこも絵になっている画面に魅入られながら、そんなことを考えていました。

(ポインセチアの猩々緋色。深緑色の葉とあいまって、めまいが起きそうなクリスマスカラー)
いまはもう明日のいまを期待して [2016年12月16日(Fri)]

fumihouse-2016-12-16T18_10_07-1-thumbnail2.jpg「いま」ってやつは不思議なもんだ
昨日のいまは今はない
いまを集めて1分があり1時間がある
1日となり1年となり
さらに集めて一生となる
なのにいまはこぼれ落ちてどこにも残っちゃいないんだ
明日を恋い焦がれていたいまはここにない
焦りに気分がキュンとなっていたいまはもう消えた
いろんないまがあった
良いときも悪いときも
それでもいまを集めたらかけがえのない一年ができあがる
いまってやつは不思議なもんさ
束ねて重ね年が暮れゆく

(オレンジ類は昔も今も美味しいが、近頃甘めが強過ぎて、ひと皆甘くなりそうで)
目は合わず自動改札声がない [2016年12月15日(Thu)]

fumihouse-2016-12-15T17_54_31-1-thumbnail2.jpg改札口で駅員とあいさつしなくなった。山陰線でも自動改札に変わり、米子、松江、出雲市の3駅で11月初旬に改札機が導入されたばかりだ。定期券を挿入口に入れて取るという動作を視線を下向けてするわけで、窓口で様子をうかがいながら挨拶してくれる駅員と顔を合わさないからだ。

しかし今どき自動改札機で裏が黒い磁気カードを使うのかよ、と言うなかれ。ICカードのICOCA(イコカ)も遅ればせながら12月17日(土)から解禁となる。タッチ&ゴーなのだ。3駅以外の無人駅(夜無人駅含む)にも改札機の準備ができている。覆いがかかっているので見えないが、ICOCAに定期券を組み込んでもらったら、盤面にタッチするようになるのだろう。

となると、ICOCAを持たない学生たちはどうするのだろう。今まで無人駅ではホームに入るだけでよかったが、定期券を挿すことになるのだろうか。それでなくとも、改札口近くにたむろして通行の邪魔をしているのに、さらに定期券を挿入口に入れる動作が入るとしたら大変だ。乗り遅れないように、早めに改札口を抜けなければならないな。

(自動改札機は蓮の実の「目」のようにキセル客を見逃さない)
あれれまあ過ぎていくのがお楽しみ [2016年12月14日(Wed)]

fumihouse-2016-12-14T18_05_01-1-thumbnail2.jpg師走も早半ば。たくさんの楽しみが目前にある。唱歌『お正月』(東くめ作詞・滝廉太郎作曲)はこう歌う。

 ♪もういくつねるとお正月八分音符

待ちきれない子供の気持ちがよくあらわれている。気ぜわしいが大人も同じであろう。ユーミンの『14番目の月』ではこうも歌う。

 ♪つぎの夜から欠ける満月より
  14番目の月がいちばん好き八分音符

そう、そうなのだ。心待ちにしているその本番を待ちわびる、それが楽しみなのだ。いよいよ明日がその日ならば、今日は一日がんばろうという気持ちにもなれる。ところが意外とその本番はあれよという間に過ぎていく。愉快だな、面白いなと思う余裕もなく過ぎていくことが多い。お楽しみの前の日を存分に楽しもう。
肩押した危うくドアで受け止めて [2016年12月13日(Tue)]

fumihouse-2016-12-13T19_38_38-1-thumbnail2.jpg大阪・JR新今宮駅のホームで女性が突き飛ばされ、1人が線路に転落した事件では、28歳の男が逮捕されました。この事件でホームドアの設置について議論が深まるでしょうか。ドアがあれば強く押されても転落することはありません。故意であろうと、無作法な歩きスマホだろうが、肩をぶつけられたところで、ドアが体を受け止めてくれるのです。

≪ホームドアの設置は、障害者だけでなく健常者も含め誰にとっても必要なものです。よく欄干のない橋のようだといわれる都心部の混雑したホームですが、転落すれば命を失う危険が高いことを考えると、橋というよりは断崖絶壁といっていいほど危険です≫ (福島智・東大先端科学技術研究センター教授「誰もが生きやすい社会」第三文明11月号)

膨大なコストをかけて日本中の駅という駅に設置した頃には、鉄道を利用する乗客はほんのわずかになっていた、なんてことにならないようにしたいものですが、そうなるにしてもまだ何十年も先のことです。まずは自衛手段として、黄色い点字タイルより内側には立たない、歩かない、を心がけていきたいものですね。

(どうせ受け止めてもらうのならば、花の園にて柔らかく)
しゃべくりは聞いて始めて完成す [2016年12月12日(Mon)]

fumihouse-2016-12-12T22_22_30-1-thumbnail2.jpg明石家さんまはしゃべくりの天才。これは誰もが認めること。ゲストをネタに自由自在に喋りまくり、会場を笑いの渦に巻き込む。彼は実は聞く天才だと知ってました?

さんまをネタにして青少年育成アドバイザー養成講座のワークショップをリードしてきました(日曜日の午後)。題して「明石家さんまになってみよう」。

さんまのトーク番組がなぜ面白いかというと、ゲストに面白いことを言わせるのです。彼が聞き上手だからできることなのですが、相手の特徴を見事に引き出します。

どう引き出すか。まずはオーバーなアクションです。歯をむき出して大声で笑うことも含めて実に動きが大きい。表情も多彩です。出演者はあぁ聞いてくれてんな〜と思うでしょう。「うそ〜ホンマ?!」「それはないやろ〜!」は、さんまの魔法の言葉です(彼の口から出て始めて魔法ですけど)。ゲストは自信をつけて口が滑らかに動いていくのです。

さんまは多くの相槌を使い分けます。大きくうなずいて、「うんうん」「ほぉ」「はいはい」。うながしたり、リフレインも多用します。「へぇー、それからどうしたん?」「なるほど、つまり○○なんやな?」。

相槌がうまいから話が盛り上がるんですね。打てば響き、話に厚みが加わります。ゲストは魔法にかかってのりまくります。スゴいですよ。明石家さんまは自分も楽しみ、余裕綽々でゲストも視聴者も楽しませてくれるのです。話の区切りがくれば、オチがついて笑いでおさめる。天才と言わずして何というのでしょう。

ワークショップでは、みんながさんまになったつもりで話を聞きました。みんなに振り返ってもらって気がついたのは、やはりさんまは天才であること。オーバーアクションして聞こうとすると話が頭に残りにくいのです。自分のアクションに気をとられてしまって、頭がお留守になってしまう。聞くことも、アクションも両方できて、なおかつ笑いも取れるさんまは天才です。みな納得。

さんまの対極もやってみました。難しい顔でうなずくことなく、無反応を貫くのです。場の雰囲気がギクシャクしました。古いタイプの日本男児の典型でもありますが、意外にも話に集中することができたのです。話し手に申し訳ない気分になるのは確かですが、慣れない所作をせずにジッと耳だけを傾けているのは意外に楽チンなんです。

家族関係にもつながることですが、聴くときは聴く姿勢で「時間をプレゼント」してあげてと、昨日の相談・助言講座の講師さんもおっしゃっていました。聞くときはちゃんと聞く姿勢で話し手に向かいたいね、とその場の男たちはおもったのでした。私もいい気づきをたくさん得ることができたワークでした。

(さんまのしゃべくりは水のように変幻自在。あるときは蓮葉の上で丸くなり、またあるときは雨水となって畑を潤す)
レインボー色のぼかしで微細なり [2016年12月11日(Sun)]

fumihouse-2016-12-11T21_54_29-1-thumbnail2.jpgイラストで七色の虹を見ることがある。なんて毒々しいのだろう。色の帯が7つくっついただけでグラデーションがないからだろうか。色が段階になっていなくても毒々しいのは変わらない。たぶん色が濃すぎるからだ。バックの雲や山が透けて見えないからだ。

雨が上がった昨日の朝方、じっくり虹を見る機会があった。紫・青・水色・緑・黄・橙・赤の7色が見えるような見えないような、もっと微細な色が見えるような気もするが、私には自信がもてない。

かつてニュートンの時代までは虹色は赤・黄・緑・青・菫の5色だったそうである(万有引力で有名なあのニュートン)。当時何事も7にするのが流行っており、ニュートンは2色を加えた。それが橙色と藍色なのだそうだ。これが明治の日本にも伝わって現在に至る。

雨上がりの気持ち良さ。そこに加えて虹が半円形にかかって見える。なんてステキなことなんだろう。

(この薔薇も白色とピンク色がグラデーションをもって見る者に訴える。2色でも十分美しい)
話すこと放す離すと聞きかじり [2016年12月10日(Sat)]

fumihouse-2016-12-10T22_12_46-1-thumbnail2.jpg今日から明日までの土日。青少年育成アドバイザー養成講座を主催している。青少年の理解(相談・助言)での講師さんから聞いた印象的な言葉。

「話すことは、放すに通じる。そして離すことにも」

悩みを話すことで放すとは、楽になるということ。独りで抱えこんだ混迷状態を相手に話すうちに重い荷をいったんは代わって持ってもらうことに通じる。心やすくなるはず。離すとは悩みから少し遠ざかって客観的に物事を眺められるということ。ぐしゃぐしゃになった気持ちが整理されて、新しい気づきが生じる。

相談者と聞き手の間には、伝えあう関係が生じる。聞き手はともすればコンサルテーション(指導者)の立場になりがちで、「どう伝えたか」が主眼となる。それは自己満足にすぎない場合も多い。本来目指すべきは、「どう伝わったか」が大切だ。相談者が満足できたかどうかは、去るときの表情でわかる。敏感で直ちに手が打てる聞き手でありたい。

(今夜の懇親会。鉢盛りに添えてあったたくさんのパセリが美味かった)
あたりまえ普通のことと思うなかれ [2016年12月09日(Fri)]

fumihouse-2016-12-09T17_57_01-1-thumbnail2.jpg以前、「当たり前のことが当たり前でないことは、当たり前なのだ。この当たり前に感謝しよう」と書きました。当たり前を「普通」に言い換えてみます。「普通が普通でないことは、普通のことなのだ」となります。ところで、ふつうって何なんでしょうね。自分にとっての普通、他人にとっての普通。自分の普通でも時によりけりで変化していくものです。他人と自分の普通が違うのはもう当たり前ですね。

≪わたしの「ふつう」と、あなたの「ふつう」はちがう。それを、わたしたちの「ふつう」にしよう。≫

これは愛知県の人権啓発ポスターのキャッチコピーで、SNSで注目されています。子供を主人公にしてわかりやすく漫画で描かれます。多数派と違うことをことさらに強調して、仲間外れをつくります。左利き、メガネ、太ってる、背が低いなど一人だけ目立つことを理由に差別が芽ぶきそうになります。

ところが気づきがあるのです。≪ほんとだ みんな違うじゃん!≫と。易しく違いを説いて誰にもわからせようとする。スゴいキャッチではないですか。

(苔についた朝露も「ふつう」のことですが、満面の輝きを集めてなんて美しいのでしょう)
アメリカに闇の魔法が炸裂す [2016年12月08日(Thu)]

fumihouse-2016-12-08T21_18_16-1-thumbnail2.jpgハリーポッターシリーズのエピソード1的な存在が映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』なのでしょう。舞台は百年前のニューヨーク。これには続編があります。

最後に大物が出てきました。ちょうど、るろうに剣心第二部の最後に福山雅治が出てきて、おおっと驚いたのと同じ感覚です。ダンブルドア校長の昔の親友で後に対立した闇の大物魔法使いのグリンデルバルドの役でした。誰だったかは、実際に見てもらうことにしましょうか。

幼かったハリーやハーマイオニーのような可愛らしい登場人物はいませんが、物語の壮大さに期待が高まります。闇の魔法が炸裂する凄みや怖さはハリー・ポッターシリーズを上回るかもしれません。ただ続編を含め全5編になるといいます。ちいっと長いですね。

(紅葉したハゼノキです。後ろに赤錆びたトタンがありますから艶やかに見えます)
アクティブに学ぶ手法は生く力 [2016年12月07日(Wed)]

fumihouse-2016-12-07T18_14_12-1-thumbnail2.jpg教育現場ではアクティブ・ラーニングが花盛りです。もとは大学を中心にした動きでしたが、今では小中高にも広がっています。教員が行う一方的な授業、つまり教える人と教えられる人が分かれる従来の学びとは違い、生徒が主体的に考える学習だというのですが、今ひとつわかりにくいのです。

米国のナショナル・トレーニング・ラボラトリーズが作ったラーニング・ピラミッドというのがあります。授業から半年後に学習内容の定着率を方法ごとに比較したものです。

■講義 5%/読書 10%/視聴覚教材使用 20%/デモンストレーション 30%/グループ討議 50%/自ら体験 75%/他の人に教える 90%

アクティブに学べば学ぶほど学習効果が高まることがわかります。アクティブ・ラーニングの手法としてはどのような例があるのでしょうか。

■小グループで意見交換する/アイディアを付箋に書いて並べ替えて話し合う/ホワイトボードを使って話し合う/生徒が他の生徒に説明する/テーマに沿った製作物を使って発表する/ディベートをして討論を戦わす

文部科学省の学習指導要領が重視するのが「言語活動の充実」です。人間が備えるべき「知」「情」「意」のすべてに言語活動は重要です。知的な論理や思考の基盤となるのが言葉であることは当然ですが、感情や情緒を相手とコミュニケーションせずして、社会生活は営めません。豊かな心と強い意志を育む上でも言語能力が不可欠です。

アクティブラーニングはまさに、知情意を統べる言語活動を充実させるための大きなツールといえるでしょう。もちろん、言うは易し行うは難しです。

(エンジェルズ・トランペットは秋の花。出雲工業高校近くの畑にはオレンジ色のがまだ咲いている)
邦画など見たくないわとあなた言う [2016年12月06日(Tue)]

fumihouse-2016-12-06T21_42_46-1-thumbnail2.jpg邦画なんか見たくない。邦画はつまらない。そう言っていたあなたを説き伏せて邦画を見たのはもう30年も前のこと。

壮大なスペクタクルをあなたはそれなりに楽しみ、性格と立場を色分けして舞台のように描き出した巨匠の手際に対し、あなたは賞賛の声を上げました。しかし、黒澤監督は特別だ、邦画のすべてがいいわけじゃないと、妙な言いわけをしていましたね、あなたは。

酔った今宵、なぜかあなたのことを思い出しました。なんであそこで、シェイクスピアの悲劇を下敷きにした物語なんぞ見せたのだろうと、あとで後悔したのは十数年後。ひとりきりで寂しく死んでいったあなたのことを思い出したのです。黒澤映画の愁眉『乱』を、また見たくなりました。今は「邦画」なんていう言い方はしないけれど、日本映画は今が盛りです。関係ないですが、今夜はオリオン座が綺麗です。
考えて考え抜いて何をする [2016年12月05日(Mon)]

fumihouse-2016-12-05T20_59_51-1-thumbnail2.jpg考えることは意外と難しい。漠然と思うことはできても、思考を深めて、さまざまな角度から思い巡らして考え抜くことは難しい。ふと気がつくと、目が泳ぎ視線が移ってあらぬことに気が散っている。頭をひねっているようでも、同じ思案が堂々巡りして一歩も進まないのはよくあること。集中しようと目をつぶると眠りに落ちてしまうのもままあることだ。考えるためには知的にも体力が必要だ。それを別名、根気ともいうが、ともかく粘り強さが大事なことだ。

何のために考えるのか。実行するためだ。自分のため家族のため他人のために考察する。そして知恵を出し、断行し、成果を結ぶために考える。その判断や予測が間違うかもしれない。ならば反省すればよし。思索して思い返して練り直す。短慮が災いすることもある。長考し過ぎて考え込んで、悩みの底に沈むこともあるかもしれない。しかし考えることは進むことなのだ。ただし思いつめないようにね。

(なぜ学生は勉強しなければならないのか。考えるためだ。考えて動くためだ。考えて説得するために材料を頭に揃えるのだ。出雲工業高校の校舎は冬空に白く映えていた)
前世から君を探して名前呼ぶ [2016年12月04日(Sun)]

fumihouse-2016-12-04T21_33_57-1-thumbnail2.jpgラッドウインプスは歌う。≪君の前前前世から/僕は君を探しはじめたよ≫と。宇宙の時空を超えて君を求めてきた、これからも迷わず探し続けるという意味合いの歌詞は力強く頼もしい。

圧倒的な光の量、煌めく光彩に目を奪われた。変化する光の様を、微細にかつ大胆に描き分けるアニメーションの技法。太陽や雲、彗星の光輝、都市や飛騨の祭りの光彩が、この世のものとは思えないほど異質の感覚を巻き起こす。陽炎のように不確かだった彼岸と間を、東京の高校生・瀧は行き来した。隔たる時空の光陰を映像で表現したのが、映画『君の名は。』(原作、脚本ともに新海誠監督)である。

人と人との出逢いは偶然だ。だが必然的でもある。そんなことを感じさせてくれるファンタジー。奇想天外な天体現象が機縁となって特異な物語が進行していく。開くドア、家の開き戸、襖、電車の扉がたくさん出てきた。低い位置から眺める視点がとても新鮮で、ドアを通り抜ける人は皆、時空間を乗り越えて行くような気分になって面白い。

諱(いみな)というのがある。忌み名とも書くが、本当の名前を口にするということは無礼なことで縁起が悪いとされた。霊的にその人格が支配されると昔は考えたのだ(「千と千尋の神隠し」で千尋が名を捕られたが如し)。反対から考えると、名前を知らなければ、名前でかけがえのない人を呼ばなければ互いに心は通じない。

瀧と三葉は互いをかけがえのない人として認識していたが、入れ替わりが終わると名前を忘れるばかりか、相手の存在さえも意識できなくなる。しかし無意識で「誰かを探すんだ」と強い思いを持ち続けた。だから三年の時空を隔てても、瀧と三葉とはつながることができた。黄昏の逢魔が時に、時空の交換は起こった。運命すらも転換し奇跡は起こった。三葉と瀧の軌跡がつながり結び合ったからこそ二人は運命を開いたのだ。

誰かとの今日の出逢いは前世から望んできたものかもしれない。大事にしようと思えた映画だった。

(間接光に不思議な雰囲気を漂わせている花。これは何だろう、JR出雲市駅前のプランター植え)
山の端の光隠れて空光り [2016年12月03日(Sat)]

fumihouse-2016-12-03T20_54_30-1-thumbnail2.jpg島根県立美術館のロビーから山の端に半分隠れた太陽が見えた。宍道湖畔に出る。ひさしぶりに夕景の一部始終を見た。

湖面にオレンジ色の帯ができたのはほんの数分。夕日が沈んだあとが本番だ。以前は日が沈んだ途端に観光客は引き上げたものだが、今夕は違う。多くの人が残って夕映えを眺め続ける。

雲の層が重なる。北山山系、中国山地は深い穴がぽっかり空いたように、あるいは舞台の張りぼてのように平面的だ。雲が分離する。赤系のキャロットオレンジ、スカーレットが鮮やかで、慎ましいコーラルレッドもある。背景は空色がくすんできたとはいえ、天国のヘブンリーブルーだ。雲は灰系のスカイグレイ色。雲は速くは動かない。数秒ごとに変化する光のおかげで雲は動く。動かされる。

摘まんで、引っ張って、押して、引っ込めて、口をすぼめて吹いて、刷毛で払って、色を染み出させて……。空は雲を変化させてやまない。刻々と変化して10秒と同じ景色はない。空はまだ青みを帯びているが、黒みが差してぐんぐん夜が浸食してくる。残照が最後の力を振り絞って光る。高層雲はプラズマの爆発のように八方に雲を散らす。

湖面に鴨の類が穏やかに群を作って泳いでいる。空と水が一体化してきた。三日月が淡い雲に霞んで、高い飛行機雲は青黒の空にまだ白さを保つ。低層の雲は黒い霞となっている。東の空にわずかに残る茜雲。オレンジ色が悪魔の赤に変わり行く。赤と黒のコントラストが大きくなった。白骨のように白い雲の骸がみえる。それとも愛を燃焼させて果てない旅路の恋人たちか。赤黒はますます毒々しい。悪魔の王国にこの景色が吸い込まれていきそうだ。あくまで静かにひっそりと。

クルマの騒音に混じっては鴨が鳴いている。サーフボードに立ってパドルを漕ぐサーファーが横切る。観光船白鳥号の乗客はさぞや満足しただろう。湖岸の端はクルマのライトが煌めいていた。ふと振り向けば松江温泉は夜の明かりに満たされた。
緩めだと欲求不満になるのやら [2016年12月02日(Fri)]

fumihouse-2016-12-02T18_57_36-1-thumbnail2.jpg  ゆるめの
  愛でも、
  愛は愛?

若い女性向けファッションブランドの『earth』が近頃のポスターに使っているキャッチコピーである。緩めだと気が楽。ただしいつも緩かったなら、たまにはキツく抱きしめてほしい。愛は一律ではなく、時と場合と気分によって変化していくもの、させたいもの。

  愛さないと、
  愛は減る。

かつて大原麗子がサントリーレッドのコマーシャルでつぶやいた。「少し愛して 長〜く愛して」。ホントはたっぷり濃密に愛してほしい。それがダメならせめて長持ちする愛にして!と。セクシーさと可愛らしさが同居したあんな小悪魔からささやかれたら、たいていの男ならぞっこんで、女の言うなりになってしまうかもね。

(壁のように塗り込んで重ねて塗って、何度も塗って日々新しい。愛ってそんなもんかもね。意識しなくても。パレット江津の塗り壁)
平面を猛のスピードすれ違い [2016年12月01日(Thu)]

fumihouse-2016-12-01T19_55_16-1-thumbnail2.jpg同じ平面上で対向する猛スピードのクルマが走っている。“猛”と言えないスピードでも、時速50キロメートル同士が正面衝突すれば100キロ。十分に猛スピード。80キロ同士だと160キロで衝突する。もはや車体の安全基準を超え、死に向かってまっしぐら。

センターラインはある。その線から上は越えてはならないバリアだが、あくまで架空のもの。越えてきた無法者を遮る術はない。しかも交差点では動線が混じり合う。考えてみれば、恐るべき凶器の混じり合い。

高速道には中央分離帯がある。事故によっては簡単に分離帯を乗り越えて対向車線を襲う。ラバーの簡易ポールだけで隔てられた暫定二車線はなおのこと悲惨だ。運転者はなまじ自動車専用道という認識があるばかりに、高速道路と勘違いして100キロで飛ばすヤツらは多い。スピードが上がれば上がるほど、よそ見をしたらその一瞬に進む距離は莫大に長い。本人は景色は流れていくものと認識しがちだが、運動エネルギーをもって危険な怪物となっているのは彼自身。ああ恐ろしや!

(この葉脈のように整然と並んでクルマも進めればいいのにね)