CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 2016年08月 | Main | 2016年10月»
<< 2016年09月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
検索
検索語句
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新コメント
ふみハウス
心地よし父の胸にて寝入る子よ (02/05)
心地よし父の胸にて寝入る子よ (01/27) ふみハウス
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/26)
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/23) 駅伝ワクワクをとこ
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02)
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02) 食欲のをとこ
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (11/02) 正中館道場
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (10/28) 計算苦手をとこ
筋力と宇宙の闘い空間で (06/29) 計算する者
筋力と宇宙の闘い空間で (05/15)
http://blog.canpan.info/fumihouse/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/fumihouse/index2_0.xml
最新トラックバック
快不快自発的なり幸不幸 [2016年09月30日(Fri)]

fumihouse-2016-09-30T18_17_39-1-thumbnail2.jpg耳をつんざく騒音、長く続く意味不明の異音、まぶし過ぎる光、派手過ぎて目をおおいたくなる色彩、異臭や悪臭、不潔にしている人と肌や服が触れること……。いずれも不快なことであるが、破局した夫婦、犬猿の仲の同僚、長年にわたって仲の悪い隣人などとそうした事態が生じた場合は、別に過ぎたことではなくても不快に感じるものだ。不快どころか、虫酸が走ると言ってもよい(かといって私が今、破局しているとか、仲の悪い同僚や隣人に悩まされているわけではない)。

気分のものなのだ。人間関係が崩れてしまうといいことはない。そうした関係を多くかかえやすい人は大抵不満だらけの生活を送る。ヤツは自分をないがしろにするだとか、アイツはいつも自分を攻撃するとか言う傾向にある人なのだ。いずれも相手方に常に目を向けて不満をぶちまける。相手次第で自分の幸不幸が左右されがちな人なのだ。

今日食べるお金がないのに幸福だ!と言うのは偽善的であるが、幸せな事柄やステキな物事を見つけていくのは、私たち自身でなければならない。それが主体的に生きることなのだと思う。

(出雲工業高校の近くの交差点に咲いているランタナの花。同じ株からも違う色合いの花になって楽しませてくれる)
嬉しやな役に立つこと我がこの身 [2016年09月29日(Thu)]

fumihouse-2016-09-29T17_59_39-1-thumbnail2.jpg今日は出雲工業高校の文化祭二日目。あれこれとプログラムのやりくりに皆が忙しくしている中、わたしはあらかじめ予約していた教職員や生徒とともに、松江の日赤血液センターから来た献血車で400CCの献血を行った。

転勤して松江を離れてからは、なかなか献血の機会に恵まれなかったが(かつてはよく成分献血をしたものだ)、今回でとうとう100回目を達成した。

わたしとしては淡々と積み上げた回数でしかないが、周囲の皆さんからは驚嘆の声があがって、自然とわたしも鼻が高くなった。100回功労記念としてガラス製のぐい飲みをいただいた。

献血したわたしの血液は、病原体の有無の検査をしたあとに、血液製剤となって患者さんたちの治療に役立つことになる。効果を上げてくれるよう願っている。

(花が咲いた大葉。これもまた栄養素となって食べた人の役に立つ)
時代去りマッチの需要少なきに [2016年09月28日(Wed)]

fumihouse-2016-09-28T18_35_34-1-thumbnail2.jpg兼松日産農林株式会社といえば「徳用マッチ」。大箱にたっぷり入った細く削ったマッチ棒。小箱にもあふれんばかりに詰め込んであるマッチ。かつてマッチは生活にはなくてはならないものだった。もちろん童話の世界にも。

さきほどニュースで、兼松日産農林がマッチの生産を止めると聞いた。淡路島に唯一残っていたマッチの生産ライン。機械のメンテナンスができなくなってしまった模様。部品がない、職人が退職していなくなるという理由だ。マッチの需要も格段に減っていることだろう。

平成生まれの娘が小学生のころ、マッチを擦らせた。山本五十六ばりに、「やって見せ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば」とやればよかったのだが、ただやらせたのが悪かった。火が付いて、こともあろうか、娘はマッチ軸の先を下に向けてしまったのだ。火は上に燃え上がる。あまりの熱さに彼女はマッチを落とし、かわいそうにも火傷をしてしまった。

マッチを擦るなど簡単だ!と私は侮っていた。これにもそれなりに練習が必要なことがわかった。以来、彼女はマッチを擦ろうとはしない。もっとも擦る機会などあるものではないが。

(夕日に透かして猫じゃらしを見るとそれなりに絵になるもんだ)
百日で年の愁眉を飾りたし [2016年09月27日(Tue)]

fumihouse-2016-09-27T18_22_05-1-thumbnail2.jpg100日あったら何ができますか?

厚い本薄い本、均して10日で3冊。30冊の本が読めるでしょう。
週に2人とじっくり語り合えば30人と昵懇の仲になれます。
毎日楽器を練習すればそこそこ弾けるようになります。
1日一首覚えれば百人一首をものにして、かるたの会に参加できるでしょう。
仕事だって日々PDCAを確実にやれば相当の満足感が100日で得られることでしょう。
1日1本ブログを書いて100日で100本になります。これからも毎日続くやらどうやら。でも趣味の道は長続きするものです。

来週から10月。今年もあと3ヶ月余り。すなわち100日です。心おきなく歳末を迎えたいものですね。

(溝蕎麦 (みぞそば)が咲いた。湿地に秋のはじめに群生する。淡いピンクの米粒のような花が可愛らしい)
進め秋じゅんぐり匂い連れてきて [2016年09月26日(Mon)]

fumihouse-2016-09-26T18_08_05-1-thumbnail2.jpgふと周りを見回す。匂いの在りかを探してキョロキョロする。一昨日まで兆しさえなかった匂いが、昨日の朝ほのかに匂った。今日は芳香が鼻孔をくすぐる。住宅街を歩くと、次々と切れ間なくキンモクセイの香りが漂ってくる。わたしは舟の漕ぎ手となって、香るたびに足を休める。

ふと温度計を見れば28℃。湿気もそこそこある。暑いはずだ。雨が続いて気温が下がり、蒸し暑さに悩まされることがなくなっていただけに堪える。確かに9月は暑い。来週から衣替え。上着を着ると不快に感じることもあるだろう。

ふとテレビを見れば、山梨・富士吉田市が富士山の初雪化粧を宣言したとか。甲府地方気象台が発表する初冠雪とは別で、ふもとの富士吉田市から山頂が雪をかぶったのを初雪化粧と称している。今回は40q離れた気象台からは雪が観測できなかったため、初冠雪宣言はされていない。

(出雲工業高校の玄関前の植え込みにあるキンモクセイも咲いた。植えられたのがこの3月。初めてのお目見えだ)
ゴックンと飲みこむ前に咳こんで [2016年09月25日(Sun)]

fumihouse-2016-09-25T13_45_06-1-thumbnail2.jpgよく、むせる。食べているとき、飲料を口に含んだとき、何でもないときに唾が気管に入ることもある。意識せずに飲み込む時になりやすい気はするが、嚥下反射の衰えだろうか。

むせやすいのは、喉を飲み物が通るとき、落ちるスピードが速いために喉頭蓋がうまく閉じないことが原因だ。喉頭蓋とは気管のフタであり、食道に飲食物がちゃんと落ちていくようガイドする。喉頭蓋の閉まるタイミングが悪ければ誤嚥を起こす。

日本人が年間130万人近く死ぬなかで、死因の4番目に位置するのが誤嚥性肺炎。悪性腫瘍、心疾患、脳血管障害に次いでの第4位は相当に多い。誤嚥が生じれば事故となる。そこまで至らなくても激しくむせて苦しい思いをする。

私の場合、急いで食べたときや、口に含んだまま姿勢を変えたり、呑み込む直前に次の食べ物を箸で口に運んだりすると、むせるような気がする。

正しい姿勢で食べることが大事なようだ。しっかりと座って動かない。ぱさぱさした状態の食物を飲み込むとむせやすくなるので、何十回も噛んで唾で十分ペースト状にすることも大切だ。

なによりもガツガツ食べてはいけない。口一杯にほおばってしまうと、十分噛まないうちに飲み込むことになる。少なめにしてしっかり咀嚼する、時間をかけて食事をしようと思う。

(嚥下するのも咳こむのも、脳の働きによる。脳みそのシワをイメージさせる鶏頭の花。燃え盛る炎も思い浮かぶ)
臨終と思秋期に思うあかしかな [2016年09月24日(Sat)]

fumihouse-2016-09-24T16_13_10-1-thumbnail2.jpg映画『生きる』。久しぶりの黒澤映画。市民課長渡辺(志村喬)が雪降る夜の公園でゴンドラの唄を歌う有名なシーン。全編を通して見るのは初めてだ。

遅れず休まず働かずと揶揄される役所仕事を淡々とこなしてきた渡辺。忙しさにかまけて、遊びはもちろんのこと、万巻の書にふれることもなかったのであろう。若くして死んだ妻が残した息子を無事に育てることだけを生きがいにした。だが、嫁がきて同居してはいても息子夫婦とは心が通わない。そこに突如として現れた死という怪物。当時胃癌は不治の病であり死の宣告であった。彼の絶望はいかばかりか、孤独感は一層かきたてられた。

渡辺は老けた。今ならば80代後半と言えるほどの老けようだった。背中は丸まり生気はない。上目づかいでまばたきしない目には鬼気迫る、底無しの無力感があった。初めて経験する夜遊びや娯楽で心は晴れない。唯一心が休まったのは、元部下で市役所を辞めたばかりの若い女。彼女の活気に惹かれた。為すべきことをして死にたい、彼は訥々と悩みを打ち明ける。

役所仕事がつまらなくて玩具工場に転職した女が一言。「課長さんも何か作ってみたら?」。たらい回しにしてきた公園建設要望のことを彼は思った。彼は猛然と動き出した。死から生への転換である。

二人は喫茶店にいた。元気な行進曲が流れている。よその若者たちが誕生パーティを楽しくやっている。やろう!と決めた渡辺は喫茶店の階段を降りていった。若者たちがハッピーバースデーを歌う。まるで新生・渡辺を祝すかのように。

大正時代のラブソングという「ゴンドラの歌」を渡辺は歌った。ペーソスだけではない。満足感とあらゆる命への慈しみを含めた万感の思いが込められた歌だった。

 いのち短し恋せよ乙女/明日の月日はないものを

黒澤映画『羅生門』の謎解きを見るように、通夜の席で役所の下っ端が思い出を反芻して、渡辺の思いを推理した。渡辺がなぜ取り憑かれたように公園をつくったのか。上司(助役)の悪行があからさまになり、スカッとさせられる名シーンである。あれほど酒席を見事に描いた映画を知らない。

昭和27年の映画。戦後の混乱期は続き、なにごとも狭くて不衛生で不便な時代。市民には生きづらかった。モノクロで描いてはじめて効果をあげる映画に涙した。

(黄花コスモスも生きる。オレンジ色を輝かせて、この秋に生きる)
巡り会ってたちまち雲に隠れしに [2016年09月23日(Fri)]

fumihouse-2016-09-23T18_30_23-1-thumbnail2.jpg めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
  雲がくれにし 夜半の月かな

百人一首にある紫式部の歌である。一見してこう読める。愛しい男が夜這いして私の部屋に来てくれた。嬉しく思っていたのもつかの間、ケータイで呼び出されたわけじゃあるまいに、月が雲に隠れるかのように帰ってしまったわ。夜中の月だけが私を照らしてる、トホホ…寂しいわぁ。

新古今和歌集の詞書(ことばがき)によれば、この相手方は幼なじみの女の友人だというではないか。なんだツマラン!と思うのは私ばかりではないだろう。

今夜は久しぶりに月が見られそうな澄んだ空が広がっている。ただ、満月はとうに過ぎて下弦の月。月が明るくなる時間には眠くなるだろう。

(出雲市駅近くにあった紫式部の実。なかなか艶やかな色である。小粒の実が可愛らしい)
あんぐりと口を開けてはやり過ごす [2016年09月22日(Thu)]

fumihouse-2016-09-22T22_45_05-1-thumbnail2.jpgスポーツジャーナリストの瀬戸口仁氏の講演を聴く機会に恵まれました(トリニティ出雲医療福祉専門学校のセミナー)。題して『アンガーマネジメント〜自分の怒りの感情をコントロールできれば、どの未来にするかは自分で決められる』。アンガーマネージメントとは、衝動的に爆発させがちな怒りの感情をコントロールすることです。

瀬戸口氏は、今日から使える即効性のあるテクニックを9つ教えてくださいました。怒りとは人間が持つ当然の感情であり、将来に向けてのエンジンとなる良い面もある一方で、瞬発的に暴発し、悪の連鎖を生み続ける怒りもある。これを沈静化していくのがアンガーマネジメントであると氏はおっしゃいました。

1■まずは6秒をやり過ごす
 これができると最悪状況を免れられます。怒りを爆発させず、6秒やり過ごすと怒りは次第に収まっていくようです。確かに怒った場面から数十分も経てば、あの感情はどこへ行ったのだろうと思うことがあります。

【tec1】カウントバック
 100から順に3を引いて、97,94,91,88,85と数えるうちに、6秒をやり過ごす。
【tec2】呼吸リラクゼーション
 吸う⇒止める⇒吐く。これを繰り返してやり過ごす。
【tec3】ストップシンキング
 錦織圭もやっている方法。怒りや後悔の心が起こったら「やめとけ」「ストップ」「考えるな」とつぶやき、怒りの矛先を転じてやり過ごす。このとき緊張で上がった肩をほぐすために、上げきってゆっくり下ろしていく。
【tec4】グラウンディング
 目の前の相手以外の物体に集中しやり過ごす。例えば時計、ペン、机の模様。
【tec5】タイムアウト
 その場から逃げる。例えば「10分ください」と宣言して外に出てやり過ごす。タイムアウトでは飲酒と運転は厳禁。危ない結果になりがち。

2■次に価値観の三重構造を気にとめる
 価値観はひとによって違いますが三段階に分かれます。自分と同じ価値観⇔許容範囲⇔自分には全く許せない範囲。できるだけ許せる範囲を広げることで気持ちが楽になり、アンガーマネジメントができるそうです。

【tec6】アンガーログ
 怒りの内容を文字にして見える化することで、コントロール可能となる。
【tec7】スケールテクニック
 怒りの程度を0点から10点まで点数化する。見える化することは、6も含めて怒ることがバカバカしくなる効果がある。
【tec8】ブレイクパターン
 知らず知らずのうちに枠を作って自分をはめがちになるパターンを破ってみる。毎朝電車の同じ車両に乗る、同じ通路を通る、毎日○○をするなどパターン化したものを違えても何ら悪いことは起こらない。何が起こってもイラつかないメリットがある。

3■分かれ道がある
 世の中にはコントロールできることと、できないことがあります。天気や渋滞、人の心はコントロールできません。過去⇒後悔、未来⇒不安や心配。これらに煩わされるのは時間のムダであり、今現在に全力で取り組むことだけがコントロール可能であると。
 ヤンキース時代の松井秀喜が巨人時代から続いていた連続出場記録が途切れたことがありました。捕球時の右手骨折が原因ですが、彼は連続出場には目を向けず(過去のこと)、今は一日でも早くけがを治して復帰することしか考えていない(現在のこと)と応えたそうです。

【tec9】24時間アクトカーム
 丸一日怒らず穏やかに(カーム)行動すること。怒った感情を湧かせないことはムリだが、顔と声と態度に出さないことは可能。傍目に怒ったように見えなければ怒ったことにはならない。

氏はワークを二つ聴衆に課しました。一つは10円玉の絵を描くことです。意外に小さく描いてしまうものです。平等院鳳凰堂の絵などもちろん書けません。デッサンを何度も繰り返せばやがて見なくても描けるようになる、すなわちそれがトレーニングであると。

二つ目は後出しじゃんけんです。「後出しじゃんけん、ポン、ポン」で後の人は負けるよう出すのですが、誰もが勝つことだけを考えてきたわけですから勝ってしまいがちです。氏は、トレーニングを繰り返すうちに克服できるわけで、アンガーマネジメントも繰り返しやって体で憶えてほしいと強調されました。

(道路端に咲く白い曼珠沙華。黄色がかった象牙色で、一部が淡い淡い桃色に染まっている。風呂上がりに浴衣を着ているかのよう)
交通の安全求めて立つならば [2016年09月21日(Wed)]

fumihouse-2016-09-21T18_38_08-1-thumbnail2.jpg今日から9月30日までの10日間は、秋の全国交通安全運動です。大きな交差点では、警察官や交通巡視のボランティア、地域の面々が立ち当番をしています。近くを通るとき人の多さに圧迫感があったりしますが、たいへんにご苦労なことです。

気がついたのは、あいさつのことです。明るく声を発してくれる人がたくさんあります。一方で人によっては仏頂面で立っているだけなのです。こちらがあいさつしてもですよ。あるいは知り合い同士で話に花が咲いて、対象者たる歩行者を傍若無人に無視する人もいます。

かけがえのない命を守り、交通事故死ゼロを達成するのはとても難しいことですが、それを求めていくための交通安全運動です。子供とお年寄りの事故を防止し、自転車が加害者にならないよう、皆に声をかけるために立っているはずなのですが、一部のあの方々はどうも義務感で立っているのでしょうね。

明るく声を出して送り出していくならば、きっと気分が良くなって、ステキな一日になると思うんですがね。

(キクイモが咲き出した。今朝は曇っていたが、秋の空に向かって元気に黄色がうるわしい)
死に場所は人の尊厳大切に [2016年09月20日(Tue)]

fumihouse-2016-09-20T18_52_46-1-thumbnail2.jpg2025年問題。団塊世代のすべてが75歳以上の後期高齢者(平均して介護リスクが高い)になるため、医療や介護が追いつかないことを意味する。10年もない近い将来だ。東京五輪2020を華やかに終えると、その時はやってくる。

2030年には47万人が病院でも家でも死ねない状況が想定されるそうだ。名付けて「死に場所難民」。引きこもり者が今ざっと50万人ということだから、それに匹敵する人数が病院でも自宅でも看取られなくなる公算だ。

在宅看護も進みつつあるが、在宅医が少ない。ふだんから安心して訪問看護をしてくれる診療所がいざという時に看取りの手ほどきまでしてくれるのが一番よいが、医師が少ない。病院のベッド数も削られる傾向にある。介護施設の建設にも限度がある。

おのずと介護保険を使いながらギリギリの状態で在宅介護を続けることになるが、最期の世話をないがしろにするわけにもいかない。しかし、担当医もいない状況で家で亡くなれば、警察の検死が待っている。できるならば避けたい。救急車を呼んで救急病院に駆け込もうとするが、病院も満杯で受け入れを断られて切羽詰まる。これが死に場所(死なせ場所)難民と言えるであろう。

在宅医療や在宅介護を充実させるべく、地域包括ケアシステムの構築も急がれているが、今や行政と医療界、産業界、地域も一体となって取り組むべき課題のひとつである。

(難しい問題はさておいて、美味しい林檎でも食べてリラックスすることにしよう)
パラレルのスポーツ祭典終わりたる [2016年09月19日(Mon)]

fumihouse-2016-09-19T16_30_54-1-thumbnail2.jpgリオ・パラリンピック2016が終わった。障碍者福祉を超えたスポーツ大会だけに、ここでもメダル数に関心が集まる。日本の金メダルはゼロだった。自己ベストを更新し日本記録までつくっても金メダルには届かないということは、世界のレベルが向上していることの現れであろうか。

正直言って、障碍の種類や部位、程度ごとにクラス分けが細かすぎて関心が持てないでいたが、今回はメディアが取り上げる頻度も高く、テレビ観戦の機会も増えた。

金銀銅メダルの総数を調べてみた。中国は4大会連続でトップではあるが、国内では障碍者スポーツに光は当たらず報道もされないという。共産党政権が海外に向けた威信をかけて有望な選手を発掘し、財政支援を惜しまず、練習環境も抜群だそうだが、手厚い支援を受けられるのは選ばれた者のみ。ノーマライゼイションは程遠いとのことだ。

【リオデジャネイロ】五傑は中国、英国、ウクライナ、米国、豪州。日本は16位で銀銅合わせて24個。回を重ねるごとに倍々ゲームで増やしたロシアはドーピング疑惑で出場停止。
【ロンドン】中国 、英国、ロシア、米国、豪州。日本は16個の23位。
【北京】中国、英国、米国、豪州、ウクライナ。日本は27個の16位。
【アテネ】中国、豪州、英国、米国、カナダ。日本は52個の11位。

メダルの数は国力と個人の力の総合力である。力を分類してみれば、個の競技力と周囲のサポート力になろうか。

個の競技力は力量、技術、駆け引きを含めた精神力、道具の性能、道具のメンテナンス。運も含むだろう。周囲のサポート力は練習環境を整え国際経験を積ませることも含めて国や競技団体の援助(予算、交渉力、人材発掘)がものをいう。

競技場のスタートラインに立った時点ですでに差はついている。たとえば、義足を最新の反発力があるものにすれば記録は伸びる。補助具の性能は値段に比例するだろう。おのずと成績も左右する。貧富の差、国力の差でメダルがある程度決まることになる。健常者のオリンピックでも用具の良否やサポート態勢がメダルを左右するけれども、障碍者スポーツはさらに違いが大きいのである。

(水は混じり合う。「もう一つの」オリンピックたるパラリンピックは、オリンピックと併せて世界最高峰の大会へと邁進し続けるだろう)
また来年出会い楽しや年積みて [2016年09月18日(Sun)]

fumihouse-2016-09-18T14_01_55-1-thumbnail2.jpg去年に続き秋の会をやった。出雲高校のクラス同窓会。前日に思いたって、オプションとして校内を散策してみようと。名づけて「ミニ・エクスカーション」。久徴園を歩いてるうちに思い出が蘇る、と誘ったはいいが、あいにく篠突く雨。男二人が膝から下を濡らして思い出を巡らせたのは御愛敬。

年月を重ねて数十星霜。喜びがあり悲しみも体験し今ここにいる。20名が顔を合わせて、それぞれが変化したところ、変わらぬそのままの面、両方に目を見張りながらの会本番。冒頭に昨春亡くなった友に思いを巡らし黙祷をささげた。

卒業以来初めて会に参加する友もいて、自己紹介かたがたの近況報告。足らずは個々にテーブルごとに話が弾む。4時間がなんと短かったことか。

あの頃の先生は今の僕らより若かったと改めて驚愕したり、老け顔だった彼は今も変わらずかえって若いと笑いあった。母校のこの夏甲子園出場に際し応援に行ったメンバーが何人もいた。嬉しい土曜の夜は過ぎていく。食べて飲む時間も惜しいほどに時間が過ぎた。

≪私は何も知らなかった。きっと、お互いに知らないのだ。知らないままひとつのクラスに入って、知らないまま別れていく≫ (宮下奈都著「よろこびの歌」)

たぶん青年期に入ったばかりのあの頃に互いを十分知らないまま、私たちは卒業してしまったのだ。今こうして新しい出会いを刻み、有意なつき合いが始まったのだと思う。

参加された皆さん、ステキな時間をありがとう。また会おう。参加されなかった皆さん、いずれまた。再び静かに年輪を刻んで……。来年の日程は決まった。2017年10月7日(土)、体育の日を含む連休の初日。お楽しみに!

(今の出雲高校の校門。卒業アルバムで私たち男子の後列が校門の上に腰掛けて撮影した。新しくなった校門は小さくて座れそうにない)
婚活と詐欺師の暗躍おおさか弁 [2016年09月17日(Sat)]

fumihouse-2016-09-17T23_44_21-1-thumbnail2.jpg婚活サービス花盛り。結婚相談所が増えているという。映画『後妻業の女』は高齢男性の資産を狙った結婚詐欺の物語である。

喜劇だ。大阪弁のかけ合いで軽妙に笑わせてくれる。「趣味は読書と夜空を見上げること」と、はんなりした大阪弁で自己紹介する小夜子(大竹しのぶ)。新たな伴侶を求めてパーティに参加する年寄りはその可愛さにイチコロとなる。結婚相談所長としてパーティを主催する柏木(豊川悦司)と小夜子はグルであり、あらかじめ狙いすましたターゲットを定めて確実に引っかける。

自分が騙される立場になるとしたら堪らない。だが、頼みとする人が減り心細くなったときに、「わたし、あんた看取ったるわ」と言われて心強く思わない人がいるだろうか。騙されるかもしれないと心配はしても、誰もが誰かを信じていたいのだ。「爺を騙すんは功徳や、ええ夢見られるんやからな」とうそぶく柏木の言葉は一面真実である。

幸せだったと錯覚させて、最期を看取る、あるいは死期を早める操作をする。あらかじめ巧みに公正証書を作らせて財産を根こそぎ奪おうとする盗っ人たち。大阪弁が深刻な詐欺劇を楽しいアトラクションにしてくれていた。

映画はあっけらかんと終わる。罪悪感を感じることもなく、小夜子と柏木は次のターゲットに向かった。愛とカネをめぐるこの喜劇。タバコなしでは成り立ちえないこの映画。重さも軽妙さも交えて複雑に笑った物語だった。

(曼珠沙華の花がいつの間にか目立ってきた。彼岸前になるといつもの光景だ)
稲の穂が二度目に生るはひつじかな [2016年09月16日(Fri)]

fumihouse-2016-09-16T21_28_35-1-thumbnail2.jpg早場米の収穫はすでに終わり、島根県が推奨する『つや姫』の収穫が始まっています。食味が良く倒れにくいといいます。

ところで、刈り取り後の稲株には小さな新しい稲が生えてきます。この名を穭(ひつじ)だと知りました。稲孫と当てた漢字もあり、秋の季語です。古今集に読み人知らずの歌がありました。

 刈れる田に生ふるひつちの穂に出でぬは
   世を今更に秋はてぬとか

刈り終わった田んぼにひつじの穂が出てこないのは、秋も終わり冬が近づき悲しくなるよ。この世をはかなむばかりだなぁ……。多分に作為的な感傷の和歌です。ひつじに再生する生命力を感じてほしいものですなぁ。

ところが、ひつじですが、実は中身がありません。本物の稲とそっくりな穂が出てくるのですが、コメにはならないんです。スッカラカンです。偽物なのです。ひつじなど出ても出なくても同じ云々と、まんざら読み人知らずのあの歌も的外れではありません。

(写真は島根県の推奨園芸品のトルコギキョウ。たぶん品名はSO八雲雅。Sは島根、Oはオリジナル)
来鳥しようこそ来県鳥取県 [2016年09月15日(Thu)]

fumihouse-2016-09-15T20_41_56-1-thumbnail2.jpg今日の山陰中央新報の一面トップ記事を見て、一瞬理解できませんでした。『香港の観光客138人来鳥』という見出しです。副見出しの「15年ぶり新国際定期便」でわかったのですが、香港航空の米子−香港便が昨日から就航し、138人の乗客が米子鬼太郎空港に降りたったという何でもない記事でした。

「何でもない」と言ってしまったら鳥取の人に失礼ですね。米子には今でもソウルへの定期便があるんですから、それに加えて香港です。わが地域では画期的なことではありませんか。

何でもない、というのは『来鳥』のことなのです。鳥取に来るから来鳥。考えてみれば何でもないのですが、私にはすぐにイメージできなかったわけです。島根に軸足をおいて両県の記事を中心に掲載するのが山陰中央新報です(鳥取軸足の新聞は日本海新聞)から、来鳥はピンときそうなものなのに、?と思ってしまうのが私の鈍いところです。

らいちょうと言えば、まず思い浮かぶのが日本アルプスの「雷鳥」です。サンダーバード号の前身たる雷鳥号を思い浮かべる人もいることでしょう。「元始、女性は太陽であった」の平塚らいてう(らいちょう)を想像する場合もありますね。「来朝」もあります。外国人が日本に来ることですが、ほとんどもう死語となりました。今は来日です。

鳥取はいいのですが、島根は使えません。「来島」と言ってしまったら島に来ることです。島嶼部としての隠岐島はありますが、島根県の一部です。来島は使えません。島根にご来県、よう来てごさいましたね!ですね。

(花虎ノ尾 (はなとらのお)は綺麗なピンク色。虎を花で飾ったらこんなになるか?)
青銅器かなわぬことよ鉄器には [2016年09月14日(Wed)]

fumihouse-2016-09-14T22_42_41-1-thumbnail2.jpg人類が鉄製の農具を使うようになって、どれだけ生産効率が上がり、収穫が増えたことでしょうか。多くの人を養えるようになりました。一方で農具にとどまらず、武具も発達するので血なまぐさい戦争も増えます。

古代出雲は青銅器文化です。荒神谷の銅剣がそうですし、加茂岩倉遺跡の銅鐸も青銅器ですから、当時出雲が繁栄を極めていたとしても、あとから来た先進文明の大和が鉄の武器を背景に脅したとしたらどうでしょう。戦っても勝てなかったと思います。

出雲・大国主神が天照大神から全土を明け渡すよう要求され、戦争で血を流すことなく大人しく降伏したのが国譲りの神話です。少しは事実に基づくと想像するならば、鉄器に青銅器が負けた構図が見えてきます。当時最新の科学技術に出雲は負けたのでしょう。

国譲りの反省を活かしたのか、出雲は近代まで鉄の産出に優れていました。斐伊川上流の中国産地から砂鉄を取り出し、木炭を燃料にして鑪(たたら)製鉄が盛んだったのです。原野を開拓し農作業を安定的に行っていくには鉄製の農具が不可欠でした。その原材料基地となったのが奥出雲で、多くの玉鋼(たまはがね)を日本中に提供してきました。

鑪製鉄は、土製の炉の中で、木炭を入れる→風を送る→砂鉄を入れる、これを三日三晩ぶっ通しでやり続けるのです。最後に炉をこわして鉄を取り出します。これを指揮するのが村下(むらげ)という技師長です。村下の勘と経験が鉄の出来を左右しました。出来た鉄の塊がヒ(けら)であり、このうち最も良質の鉄が玉鋼なのです。

雲南市・吉田にある鉄の歴史博物館を訪れると、当時の仕事を復元した貴重なドキュメンタリー映像が放映されています。鑪製鉄は今では日刀保たたらでのみ年数回操業されていますが、刀剣作家のために玉鋼をつくります。吉田に行ってみてください。近世、場合によっては中世の雰囲気をたたえた昭和の世界を堪能できるでしょう。そういえば、この春には「出雲國たたら風土記−−鉄づくり千年が生んだ物語」のストーリーのもと、日本遺産に登録されていますので注目ですね。

(蕎麦の花が咲いています。雲に隠された日曜日の花でしたが、朝焼けに照らされていい味を出しています)
幸せは十分なのか飽きたのか [2016年09月13日(Tue)]

fumihouse-2016-09-13T22_18_40-1-thumbnail2.jpg博報堂生活総合研究所が6月に行ったシルバー意識調査で、幸せよりもお金が欲しい、という結果が出ました。21世紀は心の時代と言っていた頃もあっただけに、寂しい結果です。

調査対象は60〜74歳で、欲しいものは「お金」と答えたのが41%で第3位の座についたのです。1位は「健康」、2位は「安定した暮らし」で、「幸せ」は16%しかありませんでしたから大きく水をあけられています。

別の質問で「先の見通しは暗い」と回答した人が47%ありました。ちょうど100歳以上の長寿者が6万5千人で史上最高となったように、長い老後に一番必要なのは、現実問題としてお金なんだという意識があらわれたようです。

それとも、もう十分幸せだ、これ以上欲しいモノやあって欲しい状態はない、という無欲さがあらわれたものでしょうか。少し将来に心配はあるけれど、健康が保たれて、安定した気持ちで生活できさえすれば何とかなるさ。そんなところなのかもしれません。

(ジンジャーの花が上品に咲いています。濃くて深い葉の陰影と白い花のコントラストがよろしい)
警報に大雨の音注意せや [2016年09月12日(Mon)]

fumihouse-2016-09-12T19_25_05-1-thumbnail2.jpgしまね防災情報から大雨洪水警報が発せられた。18時前に益田市、津和野町、吉賀町に。出雲でも昼前から雨が降り続いている。屋根を叩く雨音は激しく、川の水かさは増して、このまま降ればどうなるのだろうと恐怖すら感じる。

yahooの雨雲ズームレーダーを眺めると、山口・周南から島根・吉賀町辺りにかけて、時間雨量で60から70ミリの雲がかかっており、出雲でも30ミリくらいではなかろうか。雨雲は日本海を太く長く横たわり、能登半島をかすめて東北地方にまで入り込む。

これを秋雨とは呼びたくない。本来、秋雨とは9月から10月にかけて降る長雨のことをいう。秋の長雨ともいうし、秋霖(しゅうりん)の霖も長雨のこと。暗い林が目の前を遮るように、風もなくシトシト雨が続く雰囲気をかもしだす。和歌では「眺め」の掛け言葉として物思いにふける感傷をあらわすが、土砂降りの雨ではさまにならない。

本来秋霖は西日本にはなかったはずだ。東北も含めた東日本のものというイメージがあったが、今や昔日の面影はない。歳時記の風情など無視して荒々しい気候が人間に襲いかかってくる。

ちなみに昨日8月の最高気温の平均値を出してみた。この8月が32.0℃、去年は29.5℃であった。たった2年の比較だが今年の夏は暑すぎた。恐ろしい変動である。なんて書いているうちに出雲にも大雨洪水警報が出た。ああ恐ろしや。

(赤嶺(セキレイ)のブドウは恐ろしくはない。ただひたすらに美味しい)
夕焼けに過去を想って美にひたる [2016年09月11日(Sun)]

fumihouse-2016-09-11T13_05_33-1-thumbnail2.jpg≪(私が夕日により深く心を動かされるのは)必ずしも私が齢を取ってきたからというのではないだろう。間違いなく、夕日には遠い過去の悲しみを思い起こさせる魔的な力がある≫ (「朝日と夕日」沢木耕太郎筆,JR東日本トランヴェール2016-8月号)

山田洋次監督は、『男はつらいよ』のシリーズすべてに夕焼け空のシーンを入れたと聞く。寅さんは生真面目に過去を悲しく語る。それが傍目には滑稽なのであるが、人生の機微は悲しくも時々刻々と変化していく。一時もとどまらず悲しみに色を添えて、目を留めた瞬間に見た者を虜にして動けなくしてしまう。虜とは、魔的な魅力にがんじがらめにされてしまうこと。ひとは今日も過去の美を再現しようと、営みを続けるのだ。

(夕焼けが茄子の実を照らすと、夕焼け空と相乗して美しく美味しそうなナスになる)
羽ばたいて今を掴んでズンと生き [2016年09月10日(Sat)]

fumihouse-2016-09-10T17_23_02-1-thumbnail2.jpg故ロビン・ウィリアムス主演の『今を生きる』の原題は、『デッド・ポエット・ソサイアティ(死せる詩人の会)』。秘密結社的な響きがあるが、ロビン扮するキーティング先生が学生だった頃に、生徒同士が密かに詩で思いの丈を語り合った会である。

キーティングは、人はすべて死ぬことを教えた。どんなに名声を博して元気な人でも、地下にあって草木の養分となってしまう。だから「今を生きよ(Seize the day)」と教える。毎日をがっちりと掴んで後悔しないことが大切だと。権威や過去のしがらみにとらわれることなく切り開いていけ! 違う角度から眺める視点を持ち、諦めるな! 耐えるべきは耐え、時がくるまで待つ知恵も持て!

最初は風采のあがらない風変わりな中年教師だと思っていたのだが、生徒たちはキーティングの意気に感じた。そして死せる詩人の会結成に動いたのだったが、米国東部の名門パブリックスクールであるから締めつけは厳しい。有名大学への進学者が多い。親の重い期待も背負って、その厳しさは生徒を押しつぶさんばかりだった。

キーティングは少年期から青年期に移る多感な生徒に火をつけた。分別のつかない年頃とも言えるし、可能性を秘めた年頃、動にも静にも揺れる年頃、陰気に落ちこみ陽気にはしゃぐ年頃、恋も覚える成熟期でもある。

キーティングは規律は必要ながらも自由に考え行動することが生徒を大きく伸ばすと信じた。一方で、学校側は伝統・栄光・規律・美徳を金科玉条とするわけでやむを得ない面もあるが、生徒に自由は与えない。権威に従順であることを良しとし、自由は生徒をダメにするとした。

若い頃に見たときは、若者のことを考えない大人に強く怒りを感じたが、今見ると少し違う視点を持った。新と旧、大と小、強と弱、貧と富……。立場が違えば価値観は違うのだ。相互に相克することはやむを得ない。

相容れない者どうしに思えたとしても、もはや狭くなってしまったこの地球に生きる同志として、共存する道を探らない限り、未来はないのだ。コミュニケーションを続けなければならないのだ。

(野葡萄が赤紫、青紫、黄、緑の実をつけている。葡萄というがブドウにあらず。食べられない)
弱きもの夜郎自大に恐れさす [2016年09月09日(Fri)]

fumihouse-2016-09-09T22_36_16-1-thumbnail2.jpg北朝鮮が今朝核実験を行った。この1月には初の水爆実験に成功したと誇った。各国の観測によれば水爆というには怪しい、原爆だろうと言う。今回も地震換算するとマグニチュード5.3程度の揺れで前回と同程度だという。だが、水爆でないにしても、弾道ミサイルに搭載して原爆を打ち込まれれば被害は甚大だ。

中国は北朝鮮に対して強く出ず、従来から穏やかな応対にとどめている。怒り心頭と声明を出してはいても、北朝鮮が暴れると(周囲を脅かしてくれれば)、南西海域で領有権を争う島々に関して中華のカードが切りやすくなるという思惑もあるに違いない。

無法者に国際社会のルールを守れ!とか、安全保障理事会の警告を聞け!とか言っても始まらない。なんせあちらは「無法」なのだから。毎度安倍首相が「断じて許すわけにはいかない」と言い切ったとしても露ほどの打撃を与えない。

開き直ってやりたい放題勝手に振る舞うほど恐いものはない。北朝鮮がビビるような強行路線をとるとすれば、窮鼠猫を噛む状態になられても困ってしまう。さてどうしたものか。自壊を待つ? それもまた困る。膨大な難民が日本海を満たすのも恐ろしい結果になる。

(どこか毒々しい感じに実がなっている。コブシの実はコブが連なった変な形。コブコブコブコブ……をつづめてコブ四かな?)
人間と人工頭脳は戦うか [2016年09月08日(Thu)]

fumihouse-2016-09-08T18_12_18-1-thumbnail2.jpgチェスや将棋に加え囲碁までも、プロを負かした人工知能の急速な進化。茂木健一郎氏がこう言っている。

≪人工知能の最近の発展を理解するうえでの重要なポイントは、そのプロセスで特に新しい「原理」が発見されたわけではない、ということである。
 もともと、脳の神経回路がどのように学習するかという研究にヒントを得て、人工知能のプログラムの改良法は考案された。したがって、人工知能が実行している学習法は、すべて、人間の脳がやっていることである。
 脳が実行する学習則を、地道に繰り返すことによって、人工知能は成功している。そこには、何のマジックもない。
 一方、人間は、学習法がわかっていても、それを徹底しないことが多い。画期的に新しい学習法を考案する必要などない。ただ、基本を繰り返し、やればいいだけの話なのであるが。≫ (茂木健一郎「人工知能から学ぶ英語学習法」プレジデント2016.3.14号)

長い引用だったが実に驚いた。考え得る限りの思考の筋道を人間がコンピュータにインプットして人工知能が成長するものだと思っていた。失敗と成功を繰り返し試行錯誤して地道に学んでいくように、コンピュータがプログラムされているとは知らなかった。グチをこぼすことなく愚直に学ぶコンピュータ。かわいいヤツだ。

だが彼らを人間の側に引き寄せておかないと、多くの推理小説や映画に描かれたように、反乱する人工頭脳が現実のものになりかねない。その岐路に立つのは意外と近い将来かもしれない。危うし人間!

(優美なたたずまいで咲いている白い芙蓉。昔から美人に譬えられてきた)
襲われて健康なこと確かめる [2016年09月07日(Wed)]

fumihouse-2016-09-07T21_33_11-1-thumbnail2.jpg「侵襲」とは侵入し襲撃すること。細菌やウイルスが生体内で感染して悪さをすることです。外科手術でメスを入れたり、検査でもって医療器具を体内に挿入することも侵襲といいます。健康な(そう見える)組織を一部破壊して身体に負担をかけるわけです。一般にはあまり使われないので、医療の業界用語と言えます。

今日は侵襲を受けてきました。便に潜血がみつかり大腸ガンの恐れありということで、内視鏡検査を受けたのです。

経口腸管洗浄剤(下剤)を2時間以上かけて飲みます。スポーツドリンク剤の塩味を強めて甘味を抜いた感じですから2リットルを飲むのはそれほど苦ではありません。本を読み進めながら飲みました。便通が何度もありますが、完全な水状態にはならず、さらに1リットルを飲みました。飽きました。待ち時間が長く検査が始まったのは6時間後。本は二冊読めましたが、さすがに待ちくたびれました。

盲腸まで内視鏡を入れたところ(痛みはなくスムーズでした)、腫瘍の痕跡はなく胸をなで下ろしました。ただ一つ異常が見つかったのです。上行結腸(大腸のだいぶん上、盲腸の近く)に「憩室」が見つかったのです。検査したうち10人のうち1人には見つかる異常で、単なる「くぼみ」なのですが、ここに便が溜まると炎症を起こすというのです。

消化しにくいものを控えるように注意を受けました。ナッツ類、ベリー類、トウモロコシ、タネ類、キュウリ、トマトまであります。好きなものばかりですから、やめられそうにありません。これからはゆっくり食事をしてタップリ噛み下して、胃腸の負担を減らしてやらなければなりません。

数日間食事制限をしてきました。昨日は検査前食で量も少なく、食べ応えのないものばかりでした。今夕の食事がほんとうに美味しかった。でも空腹状態のお腹が驚いてはいけません。食べる量を控えめにしましたので、今もお腹はゴロゴロ鳴っています。

(萩の花が盛りとなった。豆の花に似た蝶形の花がかわいらしい)
苦しませ百人一首と貴族顔 [2016年09月06日(Tue)]

fumihouse-2016-09-06T21_29_36-1-thumbnail2.jpg小倉百人一首がキライだ。中世貴族のぬめぬめした抒情がわざとらしくてイヤだ。

袖が乾く間もなく逢えないでいる貴女を想う、月を見ても露に濡れた草木を眺めても身が焦がれる……。叙情詩だけではない。出来事・事実をありのままに述べたはずの叙事的な歌であっても、濃厚な恋愛感情や仏教の無常観が織り込んである。紅葉、奥山、雲、秋風、白雪、夢、キリギリス……。ほとんど全てが過分な感傷につながる。

現代人には(わたしだけ?)ねっとりとして不快でも、彼らには当然のことだったのだ。生活の糧は下々の者どもがやってくれ、喰う心配をする必要もない。要はヒマだった。むろん疫病は頻発するし、不可解な自然現象が怨霊の仕業だとして祈祷に励む姿はあったかもしれない。

平安貴族が歌で恋の道に身をやつしている時に、庶民は飢えて塗炭の苦しみを味わったと思うと胸くそ悪い。裕福な彼らでも想像力をたくましくして野に出てみれば、庶民が苦しむ姿を目にすることができたであろう。ただ、そんな百人一首のなかにも少し毛色が変わったものがある。

 おほけなく うき世の民に おほふかな
   わがたつ杣に 墨染の袖

僧の慈円が詠んだ和歌である。身の程もわきまえないことだが、辛いことばかりの浮世を生きる民を包みこんでやりたい、この比叡山で修行している僧たる私の祈りで! そんな歌である。

実は慈円は藤原氏の一族であり、父は関白だった。やろうと思えば政治権力の一分を使って社会政策に精力を傾けることがいくらでもできたはずだ。仏門に入った理由はあるのかもしれないが、天下万民を救う方法はあったと思うのだ。もちろん慈円はましなほう。高級貴族の心根を憎むから、百人一首がキライなのだ。たぶん。

(ニラの花が好きだ。イヤらしさがない。爽やかにさり気なく咲いているのがいい)
双方に大切なのはウインウィン [2016年09月05日(Mon)]

fumihouse-2016-09-05T21_27_53-1-thumbnail2.jpgコミュニケーション能力とは何でしょうか。ただひたすら相手を議論で打ち負かし、自分の主張を通すことではありません。そんな場合もあるでしょうが、狩猟民族たる欧米人であっても、そうしたケースはそれほど多くないと思います(戦うとなれば猛獣のごとくなるが)。

双方とも満足できることが肝要です。相手に自分を理解させる前に、相手の言い分を聞き、言葉で足らないところは想像力と相手の所作も含めて理解するように努める。分からないところは的確な問いを発して良き取材者となる。こちらを伝える際は、適切な言葉を選んで分かりやすく噛み砕く。

入り組んだ内容ならば、分解して構造を明快に表し、思い切って省略することが必要な場合もあるでしょう。表情から見て伝わっていないとみるや言い方を変え、口角を広げて発音を明瞭にし、ユーモアを交えて相手を楽しませれば効果が上がることは言うまでもありません。双方が友好的な関係でなければこうした関係にはなりません。相互の立場や言い分を理解した協力態勢でなければ、伝わる力とはなってきません。

かけがえのないことは、自分とのコミュニケーションです。自分のわがままを通すことではなく、自分というものと語り合いながら、長所を磨き成長していくことがコミュニケーション能力と言えるのです。自分の頭で考えて思考に責任を持つ。より良い方向に向かって進むこと。人生にあって必要不可欠なこうした力もコミュニケーション能力と言えるのではないでしょうか。

(玉簾(たますだれ)が地面からニョキニョキっと顔を出す。蕾のうちは淡いピンクで開くにつれて花弁は純白の度を増す。可愛いこやつは彼岸花科。ということは間もなく曼珠沙華の季節)
蝉鳴いて夏の残照さびしげよ [2016年09月04日(Sun)]

fumihouse-2016-09-04T14_55_37-1-thumbnail2.jpg夏の名残のミンミンゼミは 孤高に鳴くよ寂しげだ
通奏低音ツクツクボウシ 夏の盛りはニイニイゼミよ
やがて秋分釣瓶が落ちる 秋の夜長ももうじきよ
暑さ懐かし涼しさを 通り越し襟を立てるのさ
空にくっきり天の川 夜半にペガスス上ってな
虫の高音とシンクロし 年の瀬向かって進むんよ
台風が来た強いヤツ ひとの悲劇を楽しむな
学期始めの学校を 乱し荒らして何するよ
同じ地球に生きるなら 仲良くやりたしお前らよ

(七月に咲き始めたオミナエシは今が盛り。黄色の小花が咲き乱れ)
忘れても忘れてもいざくりかえし [2016年09月03日(Sat)]

fumihouse-2016-09-03T14_21_39-1-thumbnail2.jpgわたしはよく忘れる(誰でもそうだ)。持って行くべき大切なものを置き忘れ、友人の名前を忘れ、約束したはずのことをすっかり忘れてしまう。新しいことを憶え、憶えた情報を忘れないように頭に留め、必要に応じて思い出す。これらがバランスよく発揮されないと悔しい思いをする。

記憶をたぐり出そうとしても、記憶の回路がつながらなくて思い出せない。しばらく使わないうちに記憶があやふやになっていく。新しく憶えると古い記憶が押し出されるようにして失われる。何百億、何千億と限りなく神経細胞はあるのに、古い記憶がUSBのようにして上書きされるとは考えにくいから、検索が下手くそになるというのが真実であろう。

目にするもの、耳でとらえるもの、鼻でかぐもの、舌で味わうもの、皮膚で感じるもの、心で感じ頭で思考することがらは、私たちが年を重ねるほど増殖していく。会う人だけをとってみても大人と子供では桁違いである。憶えられなくなっていくのもある面仕方がないと思っておこう。経験が多すぎて、脳の奥の記憶までたどり着けないのだ。

なかなか憶えられないのなら、せめて復習に努めたい。

(少し色は褪せてはいるが、暑さが一段落するころに夏水仙は咲く)
聴覚のネットワークを鍛えたし [2016年09月02日(Fri)]

fumihouse-2016-09-02T17_28_28-1-thumbnail2.jpgわたしは聞き間違いが多い。耳が悪いのだ。かといって健診の聴力検査で異常が出るわけではない。聴覚ネットワークが弱いという表現もできるが、要は勘が鈍いのだと思う。

聴覚処理障害というほどのことはない。この障碍は、聴いたことを言葉として脳が処理することができないという。音は聞こえても何の音かは分からない。難儀な聴覚障碍だ。

聴覚ネットワークが弱い人がやるといいトレーニングは次のとおり(覚え書きとして)。
1 聞くときに集中する、類推する
2 似た言葉を並べて他の人に言ってもらう
 例/父、市、七、吉/知る、散る、着る、居る
要は、相手の口の形や表情を全力で聞き取ろうとし、話の流れを十分につかむことなのだ。

わたしには覚え間違いも多い。特にカタカナ表記の言葉に多い傾向がある。確かめないまま間違って記憶に定着させてしまうわけだ。かつて「ラスパイレス指数」をライパレスと発言して赤面したことがある。近頃では重篤なアレルギー反応の「アナフィラキシーショック」をアナフィキラシーと間違っていたことがあった。人を殺すほど「キラー」なんだとイメージしていたとみえる。

数日前もあった。亡くなられたチェコのチャスラフスカ。プラハの春をはじめとする東欧の民主化運動に勇気ある発言を続けてきた方だ。ずっとチャフラスカさんだと思っていたのだ。東京の恋人と呼ばれたチャスラフスカさん(これでちゃんと覚えた)。東日本大震災後も被災地を慰問されている。彼女の冥福を祈る。

(桔梗の色はクリアーだ。澄んだ青空に吸い込まれそう)
防災はかくありたいと望み捨て [2016年09月01日(Thu)]

fumihouse-2016-09-01T19_25_20-1-thumbnail2.jpg今日から9月。2016年も終盤に差しかかった。年末まであと121日。少ないようで長い4ヵ月。締めていきたいが、秋を楽しんで満喫することも忘れたくない。

9月1日は「防災の日」。超巨大被災をもたらした伊勢湾台風の翌年1960年にこの日が閣議決定された。なぜ9月1日かというと、関東大震災の日だから。関東大震災の発生は、1923年(大正12年)の9月1日午前11時58分。その悲劇は今も語り継がれる。

防災意識を高めることを目的とし、今日は各地で防災訓練が行われた。非常時の持ち出し品や避難場所、地震でもケガをしにくい家具固定など、防災について考えてみるチャンスである。

誰もが「正常化の偏見」(正常性バイアスとも言う)を持っている。自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまうことだ。自分だけは大丈夫、かくあって欲しいという希望的観測が、いつの間にか「かくあるべし」と断定されてしまって、こんなはずではなかったと後でホゾを噛む。 そんな過ちは誰もしてはいけないのだ。しかし有りがちな悲しいことだ。