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感無量思いは言葉に出てこない [2016年05月31日(Tue)]

fumihouse-2016-05-31T21_42_01-1-thumbnail2.jpg感無量という言葉がある。感慨無量とも言う。先日広島でのオバマ大統領には許してもらえない言葉だったようだ。17分間の歴史的演説をしたにもかかわらず……。

新聞やネットを追ってみると、「加害の現実に触れ」ず、「演説では理想だけを語った」。演説の内容や被爆者との交流は「本心がどこにあるのかわからない」「期待外れの中身」だったと言いたい人がたくさんいた。

オバマさんに「遺憾に思い心からお詫び申し上げる」、と言わせたかったのだろうか。それを言ってしまえば賠償問題に発展する。沖縄で軍人が不祥事を起こしたとき、「遺憾に思いお詫びする」と言ったとしても、日米地位協定で守られるから痛くもかゆくもないが、ヒロシマに関して「遺憾」を表明するのは神経質にならざるをえないであろう。

オバマさんの表情や仕草を見ていると、甚だしく感じるさまが伝わってきた。核兵器の非人道性に心底感じ入ってしみじみしたであろう。言葉では表しきれない思いを持ったに違いない。オバマさんには大統領退任後に余韻を残しながらノーベル平和賞受賞者としてふさわしい活動をしてくれるよう期待している。

(気持ちのよい先日日曜日の早朝。ラベンダーの輝く朝だった)
駆除するか共存するかと悩ましい [2016年05月30日(Mon)]

fumihouse-2016-05-30T23_27_11-1-thumbnail2.jpg私たちは「不磨の大典」が好みなのでしょうか。永久に古びず、成立当初の文のままでよい法律などあるはずはありませんが、日本では改正されない法律が多々あります。

代表格は日本国憲法です。憲法の条文と現実は時代とともに隔たって辻褄が合わなくなっています。憲法第9条しかり、第89条しかりです。

自衛隊は自衛のための軍隊であり、PKO活動をするために必要なもののみならず、災害救助や復興になくてはならない存在ですが、9条をそのまま読めば自衛隊は存立しえないのです。認知されない私生児のように扱っています。また、89条を適用すれば、私立学校への公費の支出はないのですが、そんなことをしたら私学の存立は危うい。日本では憲法と現実との乖離を、憲法改正ではなく解釈によって辻褄合わせをしてきたのです。

護憲を主張する人びとには、憲法改正の議論そのものが危険であると考える人がいますが、議論を封殺し、憲法を不磨の大典化するのはかえって危険です。憲法は国家の骨格を形づくる道具であり、神聖不可侵ではないのです。

「日米地位協定」も不磨の大典化しているようです。日米安全保障条約に基づく米軍施設と米軍隊の地位に関する条約です。警察権や裁判権が米軍人に有利に働くこの協定は、沖縄を中心に米軍人や軍属が酷い事件を起こすたびに改定を求められますが、日本国政府も米国政府ともに、運用面の改善、すなわち解釈で乗り切ろうとします。もはや時代錯誤ですね。

(オオキンケイギク(大金鶏菊)は鮮やかな黄色で群をなして咲きます。北米原産のこの外来種は日本の植生を乱すので栽培が禁止され今は駆除されています。せめて米軍とはうまくやっていきたいものです)
勝利だと思っていても侮辱なり [2016年05月29日(Sun)]

fumihouse-2016-05-29T15_19_52-1-thumbnail2.jpg若者が写真撮影で使うピースサイン。Vサインは当たりまえに「勝利」だと思っていたが、ギリシャでは「侮辱」の意味だという。ギリシャではほかに、相手に手のひらを向けるのが問題だ。サヨナラするときに相手に手のひらを向けると、「相手に泥を塗る」侮辱の表現だという。

相手に手の甲を向けた裏ピースは、単にVサインの異形にあらず。英国や豪州では「くたばれ」とか「ざまあみろ」の表現。

サムズアップ(拳を握って親指を立てる)。Facebookの「いいね!」である。日本では男性を表すが、中東・南アフリカ・南米では、「お前の肛門に親指を突っ込む」という仕草。

反対にサムズダウン(拳を握って親指を下に向ける)。「死ね!」と言われたらたいていの人は怒り心頭に発する。危な過ぎるジェスチャーだ。

中指を立てるのも危険な行為。ハリウッド映画に出てくるが、「Fuck you」と侮辱し挑発すれば、撃たれてもおかしくない。

人差し指と中指の間に親指を入れて握ると、「卑猥なことをやらないか」という仕草。品性を疑われる。

親指と人差し指を合わせるのは、欧米では「カネだ、カネ!」という意味だとは知らなかった。「ほんの少し」の気持ちで店頭で親指・人差し指を合わせると強盗に間違われる。恐ろしや。

手の甲を上にして「こっちへおいでおいで」。米国では「あっち行け」。一度に友好関係が崩れてしまう。手の甲は下向きにしておこう。

自分の鼻を指さすのは「わたし」の意味のつもりでも、海外では伝わらないという。鼻や顔ではなく、胸を指すのが正しいようだ。

手話に方言があり、地域によっても世界各国でも異なるように、指サインも意味は違うことがよくわかる。ジェスチャーによって危険にさらされては元も子もない。≪海外旅行でトラブルのもとになる10のジェスチャー≫などを参照した。

(アザミの花言葉は、独立、報復、厳格、満足、触れないで、安心、だそうだ。棘があるのがアザミの特徴だが、要するに花言葉も何でもありなんだな)
クリスマス最大イベント晩餐会 [2016年05月28日(Sat)]

fumihouse-2016-05-28T16_31_55-1-thumbnail2.jpgクーパー家はふだんは別々に暮らしていても、クリスマスには全員が集まる笑顔あふれるステキな一家だ。だだそれは表面上のこと。和やかで周囲もうらやむ家族のように見えて、実はドロドロの見栄で成り立っている。それぞれが嘘や秘密、孤独感を抱えこむ。崩壊の危機を前にイブの晩餐は進む。事件が起こって最後は丸く収まる。泣き笑いのコメディ映画が『クーパー家の晩餐会』である。

原題は「Love the Coopers」。家族それぞれに人生があり、抱える悩みも違う。考え方だって当然ながら異なる。衝突もあるし、見られたくない姿だってある。それでも家族だから集まる。思い切って自分をさらけ出してみると、互いが歩み寄れて少しは理解が進む。対立することがあっても思い直して心優しくなれる。それはまさしくLoveである。

邦題の「晩餐会」が効いている。餐の字は難しい。漢和辞典には、骨を抜き取った食物の形から、「飲む、食う」の意味があると。さらに「ほめる」や「聴く」の意味があるではないか。

家族はただ単に一緒に食べるだけではいけない(近頃、個食化とも言われるが)。食卓を囲みながら、話を聴きあい、誉めてあげることで家族はつながる。家族なんだから絆が強いのが当たりまえ、なのではない。不断の手入れがあってはじめて幸せな家族は出来上がると言える。「クーパー家の晩餐会」、ステキな邦題だ。

(道をたどるのは誰も同じではない。家族もそれぞれに分岐し同じではありえない。メロンの筋も縦横無尽に分かれている)
広島に禍害の歴史振り返り [2016年05月27日(Fri)]

fumihouse-2016-05-27T22_54_01-1-thumbnail2.jpgオバマ大統領の広島訪問。報道はそれ一色だ。伊勢志摩サミットまで霞んでしまった。一連の日程には賛否両論あるが、核兵器を使用する判断を委ねられている世界の指導者はすべて広島・長崎に足を運ばなければならない、とする真っ当な意見に耳を傾けた結果として、その行動を評価したい。

平和公園で献花した後に行った演説で大統領は、「私たち人類は、過去に過ちを犯したが、その過去から学ぶことができる。子供たちに対して、別の道もあるのだと語ることができる。戦争が起こらない世界を作っていくことができる」と述べた。

そして、「もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいない。科学をもっと人生を充実させることに使ってほしい。国家のリーダーはその知恵を広島から学ぶことができるだろう」と。

原爆慰霊碑に刻まれる「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の文が今こそ重要だ。主語はあえて書かれていない意味深な表現。戦争という過ちを犯すのは全ての参戦国である。勝者も敗者も、原爆使用国も被爆国にも責任はある。もちろん使用した者の悪魔的な犯罪行為が減殺されることはないけれども、人類破滅につながる核戦争を起こす魔性は誰にも巣くう可能性がある。戦争を望まないならば、一にも二にも実効性のある交渉が必要だ。そして広島・長崎の心情をもっと世界に伝える使命を日本はもっている。

(ホタルは平和。ホタルは愛される。ホタルは柔らかい。そして争わない)
ヒメジョオン姫か春かで暑苦し [2016年05月26日(Thu)]

fumihouse-2016-05-26T22_10_31-1-thumbnail2.jpg梅雨がきたのか? 暑い蒸す一日だった。出雲では雨粒こそ落ちなかったものの朝からどんより雲が垂れ込めていた。湿度は高いので歩き回ると汗が吹き出た。気温は高くなかく窓を閉めていたのだが、午後になると気温が上がった。26℃なり。湿度も70%を超えた模様。風は弱く湿り気を吹き飛ばすことはなく、皮膚に湿気がまとわりついた。

夕方になると涼しく感じたのは、気温が下がったせいだろうか。湿度はますます高いので家の中にいると顔の周りに熱気が充満してくる。

梅雨入りも時間の問題かもしれない。ともあれ、自分にお疲れさま(´3`)。そして今日もガンバった多くの人にも、お疲れさまでした。明日も暑くなりそうな予感。本格的に夏はまだまだ先のはずだが、頑張りますかね。トホホ失敗

(涼しげに咲いているヒメジョオン(姫女苑)。花びらに多少幅があるから、ハルジオン(春紫苑)ではなく、姫だ)
ほーほーとホタル記念日祝う夜 [2016年05月25日(Wed)]

fumihouse-2016-05-25T21_46_05-1-thumbnail2.jpg知らぬ間にホタルが袖口に止まっていた。ツンと焼ける臭いで、シャツが燃えるのに気がついた。ホタルのせいだ。火の粉が肌に落ちかかって熱い。反射的に腕を払い火から逃げようとしたのだが、ホタルは私の二の腕に自分の尻を擦りつけて肉をジリジリ焼け焦がす。点滅している。ウルトラマンのカラータイマーのように強く速く危険を告げる。叩いた、落ちた、足で地団駄を踏み、ホタルはつぶれた。火傷が最小限ですんでホッとした。ホタルは恐ろしいヤツ、怖い害虫だ。

蛍は柔らかい光をゆったりと点滅させる。ゆっくり飛んで、手を丸くして柔らかく捕まえてやることができる。手のひらを広げると皮膚を照らしながらちょこちょこ動き回る。ふっと高く飛び立つと夜空の星に同化してしまいそうだ。可愛いヤツ。守ってやりたくなる。誰も害虫だとは思わないし怖がらない。

月曜日23日に夜のウォーキングをしていると、ライムライトの光を放ち、飛んできたホタル。そうだ、この日は我が家のホタル記念日。この夏初めて見る蛍の光。

 ほー・ほー・ほーたる 来い♩
 あっちの水は、にーがいぞ
 こっちの水は、あーまいぞ
 ほー・ほー・ほーたる 来い♩

童謡『ほたるこい』は、蛍の「ほ」と、光り方の形容「ほ」を掛けて歌っている。ホッとする「ほ」も含ませた的確な表現だと思う。「パ」だと明る過ぎるし、「ポ」だと動かず留まっているイメージとなる。「カ」では怒りに頭が燃え盛りそうだ。ゆっくりと歌うように蛍が飛んでいく。日本の夏が始まった。

(蛍の光ではない。踏鞴(たたら)の里・菅谷高殿の格子窓から射し込んできた西日)
川柳をひねり捻って楽しけれ [2016年05月24日(Tue)]

fumihouse-2016-05-24T17_35_16-1-thumbnail2.jpg昨日恒例の『サラリーマン川柳コンクール』を第一生命が発表した。今回で29回目になる。大賞は【退職金もらった瞬間妻ドローン】(元自衛官)に決定したが、ドローンにひっかけて妻を悪者にする手法は、もはや古い。

3位の【キミだけはオレのものだよマイナンバー】(マイナ)がしっくりきた。ただし、全国的にマイナンバーカードの交付は進んでいない。わたしも年始に申請したのだが、うんともすんとも言ってこないのは「どうしたもんやらねぇ」。

9位の【ラインより心に響く置手紙】(豆電球)もなかなかのもの。紙はいずれなくなるなり、捨てられてしまい、電子データとしては残らないかもしれないが、あまたのデータの中に埋もれてしまうラインやメールの文に比べれば、心に刻まれると信じたい。肉筆で手紙を書こうと思う。

(ブラシの木が咲いた。柔らかく撫でてくれる赤い花の束が心地よい)
軽々と移り変わってさようなら [2016年05月23日(Mon)]

fumihouse-2016-05-23T18_46_54-1-thumbnail2.jpgしばらく前の産経新聞によれば、「さようなら」が使われなくなっているという。えっそんなことあるかいな! 自分を振り返ってみた。そうだな確かに使わない。「じゃまた」「バイ」、手をあげて振るだけのこともある。オフィシャルな場合は近い意味で「お疲れさまでした」「お気をつけて」というふうに使うが、さようならは使ったことがない。幼稚園のお別れのあいさつ、センセイさようなら(^_^)/~は公的なイメージが強い。

記事は言う。さようならには「永遠の別れ」のイメージがあり、もう会うことはないと思えるからだと。結果としてさようならは死語になりつつあるらしい。

オフコースの名曲『さよなら』で小田和正は切なく歌った。
 もう終わりだね君が小さく見える〜さよならさよなら〜愛したのは〜そのままの君だけ〜

ここまで、さようならは男女の終わりをイメージ付けられてしまうと、ふだん着のさよならはない、使えない。

「さようならば……」
「左様、用事は済んだ、然ならば別れよう」

武士言葉が発祥だろうが、日常の別れの挨拶が平成の今こうして死語に近づいている。言葉は生きている。言葉は揺れ動く。

(ニゲラの花が咲いた。夏の花、夏の空の色、夏の夜の幽霊の足)
おぼろ月名残の春を惜しむ夜 [2016年05月22日(Sun)]

fumihouse-2016-05-22T20_01_19-1-thumbnail2.jpg夏はすでに始まってしまいましたが、春もまだ健在です。春の花々の華々しさ、天気の良い朝の冷涼さ、夕暮れ後の急な冷え込み。そしておぼろ月夜。唱歌の『朧月夜』(岡野貞一作曲/高野辰之作詞)はこう歌います。

 菜の花畠に 入り日薄れ
 見わたす山の端 霞ふかし
 春風そよふく 空を見れば
 夕月かかりて におい淡し
 
夕日は沈みマジックアワーの幸せな時間は過ぎていく。西の空の色が褪せていき、山の方に目を転じれば山の輪郭は霞んで夕焼けと一体化しようとしている。風が吹いている。まだ冷たいが春の歌を感じる。東の空を見てみたら上ってきたよ、丸るい月が。花をくすぐるこの匂い。花の香りか、夕餉の匂いか。

暑過ぎてぶ厚い熱に押し込められる真夏が来るのはやむを得ないですが、もう少しだけ春の気分を味わうことができたらうれしいですね。昨日は満月の朧月でした。今夜はどうだろう?

(オキナグサはボヨヨンとした朧月のようにとらえどころがない。人も草も年輪を重ねるほどに面白い)
輝いて一十百千万と [2016年05月21日(Sat)]

fumihouse-2016-05-21T23_02_28-1-thumbnail2.jpg杏林大学名誉教授の石川恭三氏が老いの輝かせ方として、「一読、十笑、百吸、千字、万歩」を勧めています(聖教新聞5月18日付け)。

一日1回はまとまった文章を読む。どれだけがまとまったものかは、それそれの判断にまかすとしても、新聞を読む以上のことは何がしか続けていきたいものです。

一日10回くらい笑う。声をたてて笑えたらいいですね。今頃機嫌のよい人間の赤子が笑うように鳴くツバメが賑やかですが、あんなふうに朗らかに笑えたらいいですね。

一日100回くらい深呼吸する。一度に10回くらい深呼吸するといいらしいですが、これはなかなか難しい。一日1000字くらい書く。これも同じで難しいことですし、一日1万歩も曜日によっては大変に難しいことですね。その数字だけに縛られることは逆効果ですが、目指ものがあることは張り合いを生むものです。

石川氏は、年をとることは体が衰えて好きなことが出来なくなるがそれに慣れつつ、「日常のささやかな“‘幸せ’”を感じられるかどうか」を視点にして前向きに生き抜くべきだと訴えかけてくれました。

(ベニウツギは美味しい林檎色。ほんのりと香りが漂う)
芸術を解せよ君は感じてる [2016年05月20日(Fri)]

fumihouse-2016-05-20T23_45_08-1-thumbnail2.jpg音楽の授業でどんなことが学べるんだろう。今まで考えたこともなかった。島根県高等学校音楽教育研究会(要するに県内の音楽教師の会)では、「五つの力」を力説している。その五つをわたしなりに解釈してみた。

「感じ取る力」 メロディを聞くことはできる。そしてリズムで弾むこと、そしてハーモニーを楽しむのだ。複数の高さや強さをもった音が重なり合って進行していく音楽の醍醐味を感じ取るのだ。ただでは終わらない。きっと新たな地平が見えてくる。

「表現する力」 感じたら、その感動を人に伝えたくなる。きっとなる。いっぱしの文筆家になった気分で何かを伝えたくなる。きっと思いもしなかった文やイメージが頭の端にのぼってくるさ。

「創造する力」 思いもよらない表現ができたらそれを創造とは言わないかい? 変哲もない表現であってもあなたのオリジナル。始めは何のことはないかもしれないけれど、きっと他人を唸らすことになると信じるよ。その人はあなたに影響を受けていく。

「学び合う力」 そこまで行ければ自分独りでやろうなんてケチなことを考えてはいけないよ。他者に伝えること、他者から刺激を受けること。仲間同士でともに学ぶことがどれだけ楽しいか、きっとわかると思うよ。

「自他尊重の力」 音楽に限定しなくてもいいんだよ。誰にも良さがあることを深く感じとるんだよ。文化の価値に思い至ろう。きっと自分の長所を他のために役立てたいと感じられることだろうよ。世の中は自分ひとりで動いてなんかいないことが、きっとわかる。

このことを説くポスターが県内高校の音楽室に貼ってある。音を奏でることは心を奏でること。音楽を愛でることは自分自身を見つめること。音楽とは生きること。きっとステキな気分を感じられる。

(勿忘草(ワスレナグサ)はプレヤデス。秋冬の空の輝きのようだ。黄の桜型の中央から白い光を放射して昴が夜空に輝く)
千早ふる唐紅に燃ゆるひと [2016年05月19日(Thu)]

fumihouse-2016-05-19T22_15_34-1-thumbnail2.jpg映画『ちはやふる 下の句』で、「千早ぶる」と「荒ぶる」の違いは何かと。古典オタク、そして呉服をこよなく愛す奏(上白石萌音)が解説してくれた。

勢いのある様を表すのは一緒。荒ぶるは乱暴に弾んだ感じなのに対し、千早ぶるは凛として闘志を秘めて勢いづいている。つまり軸があって気高いのだと。そんな意味のことを云っていた。

クイーンに勝ちたい!新に会いたい!とわき目もふらず荒ぶっていたときの千早ではない。クイーンと実際に対戦してズタズタに完敗しそうになっていても、かるたをすることを楽しんでいる。一人ではない、仲間とともに戦っているんだという喜びを見いだした千早は高揚感に満ちる。千早は千早ぶるのだった。清楚にしてひと皮むけた優美さを千早にもたらした。広瀬すずにしか表現できないのではないかと、わたしには思えた。

天性の勘どころの良さと耳の超絶さだけでかるたにのめり込んでいた千早だったが、仲間とともに戦うという強さを彼女が身につけた瞬間だった。クイーンであるしのぶは一匹狼でのし上がった。一方で千早は仲間とともに強くなる。両者の対決を軸に続編を期待させて『ちはやふる 下の句』は終わった。

さっそく出雲工業高校の図書館でコミック「ちはやふる」の5巻まで借りてきたのはこのわたし。

(天真爛漫に咲くマーガレット。花言葉は心に秘めた愛だとか。好き、キライ、好き、キライ…と恋を占う)
夏は来ぬ暑さも来ぬと忘れたし [2016年05月18日(Wed)]

fumihouse-2016-05-18T12_12_02-1-thumbnail2.jpg夏がやってきました。足早です。ゴールデンウイークが終わったばかりなのに、と愚痴を言ってもはじまりません。この夏も乗り切っていくことにいたしましょう。

まずは、どんな梅雨になることやら。空梅雨では困ります。かといって、長雨もゴメンです。大雨洪水警報出まくりは願い下げにしたい。適度にシトシト降るのが良いでしょう。

そして暑さです。どんなに暑くなるのやら。直射日光を避ければ何とか過ごせる程度だと助かるのですが、エアコンに当たる以外は不快指数高まりっぱなしでは困ります。

「乗り切っていく」とは書きましたが、わたしの覚悟は足りないですね。もちろん中途半端であっていいんです。毎日何百人もの人が救急車でかつぎ込まれる状態になっては社会全体が不幸ですからね。適度な夏になってくれるよう祈っています。

今はお昼。列車に乗って移動中。強い紫外線を伴った日差しが照りつけます。それでもカラッと湿度が低いので助かりますが、外を歩けば暑さにまだ慣れないと危険水域です。無事に皆さん、涼しい夜を迎えてくださいね。

追伸 昨夜気がついたのですが、夏のさそり座が上ってきていました。赤い主星アンタレスを中心にして、上にはもっと明るくて赤い火星が、東にはオレンジ色の土星が直角三角形を作っていました。見事な眺めです。

(ミヤコワスレの花。鎌倉幕府に反旗を翻した父の後鳥羽上皇が隠岐・中の島に流されたのに対し、佐渡で一生を終えた順徳天皇に由来する。さて、アツサワスレの花はないものか)
ちはやぶる唐紅に秋を集めて [2016年05月17日(Tue)]

fumihouse-2016-05-17T22_16_55-1-thumbnail2.jpg千早ぶる神代もきかず龍田川
 からくれなゐに水くくるとは  在原業平

龍田川の上流に立つ。流れは細い、そして速い。ほとばしる水のしぶきが群れ立つ木々の幹を濡らし、ヒメジョンの花を揺らす。神代の昔はみんなが雅に緩やかだったのか。おっとりして男と女がゆるゆると恋を語っていたと思うかい? 違うんだなこれが。千早だったんぁよ。勢いだよぉ、強いんだよぉ、恋ってもんは。神は千早に恋に落ち、怒涛に恋に溺れ、告白も早くてストレート。龍田川の紅葉は唐紅色にしぶき立つ水面を染めるんだぁ。真紅に深紅。辛苦に耐えて強く生きたし、と誓い合う恋人か? いやいや刹那の燃え上がるあだ花なのか。神代にも聞かずとは、よほど目立つ恋人同士だったのだろうね。

さて、映画『ちはやふる 上の句』の舞台は東京都立瑞沢高校。競技カルタ部を作ろうと奮闘する千早(広瀬すず)。それに付き合う太一(野村周平)。いやいや千早が好きで彼女をさり気なく追って同じ学校に入った。遠くに住むカルタ仲間・新の存在も大きい。個性派の仲間たちで高校カルタ全国大会を目指す。ひたぶるに体を鍛え、耳をすまし、感覚を研ぎ澄ます。青春の群像がキラキラしている。

新役の真剣佑が気に入った。切れ長の二重瞼にダイヤのように輝く瞳。千葉真一の息子とか。広瀬すずは姉の広瀬アリスとともに出演した。アリスとすず、美形姉妹の面目躍如(アリスは新進モデルとして雑誌の表紙を飾っただけだったが)。いくつかの謎を残して上の句は終わった。『ちはやふる 下の句』を見るのを楽しみにしている。

(赤に染め上げる薔薇の花。花束にしてもよし、単独でもこれだけ野薔薇はあでやかだ)
春過ぎて初夏が来た来た鳥の朝 [2016年05月16日(Mon)]

fumihouse-2016-05-16T18_58_00-1-thumbnail2.jpg春の朝はかまびすしい
あたり一帯静寂で
反して小鳥がやかましい
カイツブリが水辺でキャタキャタケタケタケ
けたたましいかな高回転
畑や草むらヒバリの出番
ピチュピチュパピプペ ピチュパチュパー
スズメは群れてる チュンチュチュチュン
カラスは意地悪 カーカーアホー
イソヒヨドリは変わらず美声 自由自在に恋をする
ヒヨドリが遠くにいてもよく響く
ピーヨキューイピーヨキュー
ウグイスは藪に隠れて高鳴きよ
ホーホケホケキョウ法華経だ
春の朝が爽やかに
うるさく煩わしいことはない
もう春過ぎて初夏の朝

(ハマナスは薔薇の香りか蜂が来る。実はバラ科そのものなのだ。ハマナスが鳥のようにも見えてきた)
眠るまい眠りは一度に押し寄せて [2016年05月15日(Sun)]

fumihouse-2016-05-15T22_10_31-1-thumbnail2.jpg眠りは一瞬にして訪れます。なかなか寝つけないと思っていても、いつの間にか寝入っているものです。家族に傍目で見られているときに、しゃべるそばから次の瞬間にいびきをかき始めたと言われることもよくあります。

山陽道の夜、渋滞で停止していた車列に中型トラックが突っ込み、最後尾の乗用車に乗っていた親子3人を殺した事件がゴールデンウイークにありました。トラックの運転手は直前までは起きていたことでしょう。しかし疲れの故か、単調な運転の故か、一瞬に眠りに引き込まれたことでしょう。取り返しのつかない事故を起こしてしまいました。

経験はありませんが、高速道路で渋滞を前に見つけたら減速して、なるべく渋滞の車列に付くのを遅くしろと言います。後尾に他車が付いて来るのを待つのです。そうすれば、直接追突されることを防げます。眠たさに目をしばたたいていた運転手の覚醒を促すことができるかもしれません。

自動車専用道路は速くて便利です。しかし高い危険性と裏腹であることを忘れてはいけない事件でした。

(勿忘草を大きくしたような花、ネモフィラ。夏の澄んだスカイブルーをイメージできる色。今日は夏の暑さを感じる一日だった)
選挙権与えるのなら徹底し [2016年05月14日(Sat)]

fumihouse-2016-05-14T22_19_53-1-thumbnail2.jpg「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」と題した文部科学省の通知が、昨年秋に全国の教育委員会あてに出た。この夏の参議院選挙から一部の高校3年生が投票権をもつに際して、その生徒たちがどのように選挙に関わったらいいのか。教育基本法により学校は政治的中立性を確保しなければならない。

通知は政治的活動を「尊重する」という表現の一方で、「学業等への支障の状況に応じ、必要かつ合理的な範囲内で制限又は禁止することを含め、適切に指導を行う」よう学校側に求めている。行き過ぎた政治活動がないように学校に管理させたいわけだが、生徒の私生活にわたるまで管理するのは無理だ。法令違反があったのなら警察にお任せすればよろしい。となると学校外の政治活動に学校は不干渉とするのが妥当だ。学校内での選挙運動や政治的活動については、学校の中立性を考慮して全面禁止すればよい。

セカンドベストという考え方がある。今の時点では最高の選択肢はないけれど、よりましな方を選ぶこと。あってほしい政策の形を選択しようと思えばそれしかない。政治信条から政策の細かいことに至るまで自分の理想が合致することはない。よりましな選択をするというのが妥当である。学校では「主権者教育」が進められている。政治参加に必要な知識や技能を学ぶことであるが、そこには必ず価値観が表に出るのだが、中立的な価値観などあり得ない。

私は徹底して歴史を学ぶことを提案したい。世界史でフランス革命を学べば、自由・平等・友愛の理念がどういう背景から生まれ、有名無実化してきたか。それでも欧米では民主主義に則った努力が重ねられてきたかがわかる。日本史の現代編を確実に勉強すると戦後日本の政治の混迷ぶりが一部の良識ある政治家の動きとともに学べる。また民衆史でもっていつの時代も民衆は塗炭の苦しみにあえいでいたことがわかる。そして倫理社会で思想家たちがどう思考して哲学的概念を構築していったかを考えるだけでも、今の政治に引き当てて自分の力であるべき姿を考察できるであろう。

わざわざ具体的な主権者教育に踏み込んで危険な水域に入り込むよりは、しっかりと考える力を学校で学習させたほうが、はるかに効果があると思う。その結果として通知がいうところの「論理的思考力、現実社会の諸課題について多面的・多角的に考察し、公正に判断する力」も付いていくと考えたい。

投票率をこれ以上下げない工夫も必要だ。ベルギーやボリビア、ブラジル、オーストラリア、シンガポールなど投票しないと罰則がある国も多いからそれに倣うのも悪くない。

ついでに、被選挙権も18歳にしたらどうだろうか。知事や参議院議員は30歳、その他でも25歳にならないと立候補はできない。明治維新だって10代20代の青年の熱さでもって達成されたことを考えれば、分別の有無の境を25歳や30歳にもってくるのは不自然だ。

(ヤマボウシは花水木に似ているが、あれほど優美な曲線を描かない。木訥な田舎の子に似て可愛らしい)
ゆるキャラにゆるゆる談合しまねっこ [2016年05月13日(Fri)]

fumihouse-2016-05-13T17_30_29-1-thumbnail2.jpgことしも『ゆるキャラグランプリ』がやってくる。前哨戦の『がんばろう日本!ゆるキャラグランプリ春の選抜2016』でもって、「しまねっこ」が初代グランプリを獲得し、さらに本戦に再びエントリーした。投票期間は7月22日から3ヶ月の長丁場にわたる。

しまねっこは次のとおりコメントしている。
「みんにゃの応援のおかげで、「春の選抜」の初代グランプリになることができたにゃ!/本戦の「ゆるキャラ グランプリ2016」にもエントリーして、全国のみんにゃと島根のご縁を結ぶために頑張るから、引き続き応援よろしくにゃ!」

ゆるキャラグランプリは回を重ねるごとに盛り上がっている。始めはしまねっこは健闘しても、どうしても人口規模の差からジリジリと順位を下げる。長丁場過ぎるのだ。わたしは「談合」を提案する。

競争入札の談合が不正であることは弁解の余地がないが、しまねっこを日本一にして島根県をアピールすることに何ら不正のにおいはない。この際、毎年エントリーされる島根県内の各ゆるキャラにはご辞退いただいて、示し合わせてしまねっこを勝たせる県民運動を起こしたらいかがかな?

(島根県の独自新品種「銀河」。周囲が白い縁の八重咲きで満点の星空を連想したことから名付けた紫陽花。人気の万華鏡ともあわせて島根の星だ)
無理をして無理をするなと矛盾して [2016年05月12日(Thu)]

fumihouse-2016-05-12T22_18_33-1-thumbnail2.jpg今日の昼前、校庭の横を歩いていると体育の授業中であった。何年生かはわからないが、グランドを周回してタイムを計っていた。指導する体育教官が、「あと二周! 無理しないように、無理してね」と言った。けだし名言である。

前段の「無理しない」にはこんな意味がある。
気温が上がってきた、直射日光にさらされて走る生徒の体温は上がる、体力のない者には危険だし暑さに未だ身体は慣れていない、熱中症にさせるわけにはいかないし心臓に負担をかけ過ぎるのもよくない、学校管理の責任を問われることにもなるが生徒たちがかわいそうだ……。

後段の「無理する」はこうだ。
人生は多分に体力を使うもの、生きる力は体力だ、10代の若い頃には特に体力増強に努めたい、部活をする生徒には軽いかもしれないがそうでない子に機会を与えたい、息急ききって高い心拍数を数えるのは決して悪くない……。

もし、高機能自閉症(アスペルガー症候群)の生徒があの名言を聞いたらどうかと、ふと思った。言葉を真正面から捉えてしまって、その裏がわからない。ルールに縛られて臨機応変に行動できないのが発達障碍の人の特徴である。そんな生徒がいたとしたら、ふたつの無理の間で適度にバランスをとって上手にやるという趣旨を伝えるのは難しい。「無理して無理せず」の言葉に混乱するかもしれない。

(甘い香りの温州みかんの花が咲いている。春の靄に包まれたように見えるが、実はレンズが曇っていた模様)
芍薬か牡丹か歩く百合の花 [2016年05月11日(Wed)]

fumihouse-2016-05-11T22_11_21-1-thumbnail2.jpg立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花

云わずと知れた、美人の形容である。花は香しく麗しい姿から多くのものに例えられてきたが、特に女性の姿や雰囲気をあらわすと言えば誰もが納得するであろう。

シャクヤクは、あでやかなピンク色でありながら、すくっと伸びた茎の先端に健康的に爽やかな花を咲かせる。一面、媚態をふりまくコケティシュな女性の立ち姿にも見える。

ボタンは枝分かれした低い木に、びらびらしたエロチックな花を咲かせる。色はいろいろ、形も花それぞれ。艶っぽい上品な美女が座るさまは官能的だ。

ユリは清楚である。風を受けて揺れるとき、艶やかで扇情的だ。歩く百合とはどんな様子だろうか。奥ゆかしい、しみじみと趣がある、チャーミング、優雅な色気。しっとりと何気なく優雅である。白もよし、淡い紅色もよし、色は濃いほどあだっぽい。

立って芍薬つややかに。座って牡丹は気品漂う。ゆるゆると歩く姿は満面の百合。

(そぼ降る雨にしっぽりと濡れた今朝のシャクヤク。次はユリの季節がやってくる)
それぞれに今と昔が交錯し [2016年05月10日(Tue)]

fumihouse-2016-05-10T21_26_00-1-thumbnail2.jpgプラザホテルの前の通りはクルマがひっきりなしに行き交う。ニューヨークの有名な五つ星ホテルは、意外に変哲もないたたずまいだった。映画『追憶』の主人公、ケイティとハベル、元夫婦の二人はここで再会した。

映画『追憶』の原題は「The way we were」。単に昔を回想するのではなく、瞼に浮かぶのはあの人の面影。私たち二人が歩んだ道、ともに過ごした時間。でもそれぞれやり方や感じ方は違っていた。互いの魅力に抗えず一度は別れ、何度も互い違いになり危機を乗り越えてきたけれど、やはりどうしても「合わない」二人は、最後には別れた。

今は過去を思い起こす縁(よすが)となり、今は未来を占う縁となる。人と人は人生を紡いでいく。受難の年月も順風の年月も、たゆむことなく進むところに勝利がある。合わなくても互いの成長がある。

左翼的な考えに傾倒するケイティ(バーブラ・ストライサンド)。妥協がなく、意見の不一致に耐えられない。一方でこだわりがないハベル(ロバート・レッドフォード)。大学では知り合い程度の二人は、卒業後それぞれの道を進む。第二次大戦中、偶然再会した二人は意気投合し結婚した。価値観は違っても互いに引かれあったのだ。蜜月を経て時代が悪くなると、ケイティのひたむきさにハベルも嫌気がさしてきた。生真面目で冗談も解さず、場の空気を白けさせる気性の激しいケイティ。彼女がかもし出す戦闘モードにハベルは耐えきれなくなった。それでも互いに愛し合っており、互いを必要としていた。

ケイティ役のバーブラ・ストライサンドが歌ったテーマソングもまた「The way we were」。かつてネスカフェのコマーシャルに使われた歌だ。

思い出が心に灯をともす
あなたと交わした微笑み
思い出すのは辛いけれど あなたを思う
二人がともに過ごした時間
分かれても引かれあう わたしとあなた

(ロバート・レッドフォードを見ていたら、なぜかクレマチスを連想した。軍服よし、スーツよし、普段着よし。非の打ちどころのない二枚目だ)
二番目の新緑むせる爺さまへ [2016年05月09日(Mon)]

fumihouse-2016-05-09T19_12_27-1-thumbnail2.jpg青臭い、いつもの季節がやってきた。どこからともなく漂うというのか、むせかえるように迫ってくる匂いだ。風がないと特に、濃厚に深々と鼻孔をくすぐる。頭の上から覆いかぶさるように包まれる。スダジイの花の匂いだ。

長さ10cm弱の穂状に細かな花をつける照葉樹。大木になると幹には縦に幾筋も割れ目が入って風格がある。花の色は萌葱色で、遠目に見ると陽光を反射して照り輝く。

わたしは思う。今は第二の新緑の季節。まだ冷たい空気に当てられた新緑ではなく、ときには生暖かい空気とともにやってくる新緑の季節だ。

(山林は同時に竹秋の季節。竹の葉が新しい葉に替わる季節。そして麦秋で麦が実る季節でもある)
お手軽に花の浮島ネットにて [2016年05月08日(Sun)]

fumihouse-2016-05-08T22_26_34-1-thumbnail2.jpg日本最北の島、礼文島は「花の浮島」と呼ばれ、人口は2500人余りの小さな島。友人夫妻が挨拶状をくれた。云く「島の子どもたちは素直で明るい。自然環境と人情味豊かな風土が人を育てる大切な要因」だと。夫妻は稚内市内で勤務していたが、この春礼文島の学校に赴任した。

サイトを見ると澄海岬(スカイみさき)という、いかにも美しい名がある。コバルトブルーの眺望が素晴らしいそうだ。高山がないことから、全島丘陵のハイキングコースを歩けば高山植物を楽しめる。レブンアツモリソウ、レブンコザクラ、レブンウスユキソウ、レブンキンバイソウと、いかにも固有の花がたくさん咲き乱れる。

飛行場はあっても定期便はないので、稚内から2時間のフェリーを利用する。住民が使うのはもちろんだが、夏は観光客で船は混むとのこと。

4年前に上映された吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」ではロケ地になっている。お隣利尻島の利尻富士を臨む景観が素晴らしかったのを思い出す。そのままロケ地公園になっているという。ホッケやウニなど北海の海の幸は欠かせない魅力のようだ。

礼文島を旅したならば、あまりの美しさにカメラのシャッターを押すのを忘れてしまうかもしれない。礼文島への憧れが強まる。

(礼文島に咲く高山植物ではない。多分オウバイだと思う)
香り嗅ぎ口で噛みしめ味わって [2016年05月07日(Sat)]

fumihouse-2016-05-07T18_25_17-1-thumbnail2.jpg香りや味の強い野菜類が好きだ。思い浮かぶだけでも、ニラ、セリ、山椒、紫蘇(緑色の大葉も服務)、三ツ葉、セロリ、パセリ、クレソン、ネギ、春菊、ミョウガ、ニンジンの葉、貝割れ大根がある。

香味野菜とも薬味とも言われ、ハーブの一種でもある。たいていは付け合わせとして使われることが多いので、特にクレソンやパセリを食べる人は少ないが、わたしは大好きだ。兎のようにムシャムシャと食べてしまう(兎がこうした香味野菜を食べるかどうかは知らないが)。

香味野菜のことは、料理の味を引き立てるために、料理に添えたり調理に加える香りの高い野菜と説明されるが、わたしは癖のある香りそのものが好きなんだなぁ。

(柔らかい山椒の葉はタケノコ(この春は不作)の煮しめには最高の薬味となる。山椒の花も終わった)
カツカツと杉の廊下を歩く日々 [2016年05月06日(Fri)]

fumihouse-2016-05-06T20_00_00-1-thumbnail2.jpg木製の廊下はやさしい。かかとに柔らかく、目にも素直に入ってくる。木材そのものの柔らかさとともに、板の接着面がきしんでたわむことによって踵を軟着陸させてくれるから、踵だけでなく膝にもやさしいのに違いない。木材は湿度を自然に調節してくれる。結露しにくくて気持ちがよい。

出雲工業高校の廊下は島根県産の杉材を使っている。花粉症の原因となることからスギを嫌う向きもあるが、増やし過ぎたのは人間の欲深さからなる営みが原因であって杉に罪はない。杉特有の芳香は楽しめる。黒ずんだ死に節も味わいがあって見ていて飽きない。

木の廊下は郷愁を誘う。小学校や中学校の木の校舎。造りは悪かった。今はもう跡形もなく鉄筋コンクリートに建て替わっているが、懐かしい味わいを思い出す時がある。木の廊下を歩いているとなぜか思い出す。

(木の廊下は、ブルーベリーの花のように淡く慎ましやかで心地よい)
創作のターシャ満ち足り花の中 [2016年05月05日(Thu)]

fumihouse-2016-05-05T12_15_45-1-thumbnail2.jpgターシャ・テューダーはアメリカの絵本や挿絵画家であり、園芸家としてアメリカの田舎でナチュラリストとしての人生を全うした。

創作と庭仕事にいそしみ、子や孫、好きな犬に囲まれて暮らすターシャはとても幸せそうに見えるが、意外にも苦労している。資産家の家に生まれたにもかかわらず、両親は彼女が小さい頃に離婚し、結婚したあとも子供には恵まれたが二度も離婚することになった。

広い庭と畑で季節の花や野菜を育てて、手作りを基調にしたスローライフな生活を送るというのは日本においても多くの女性の憧れで、おとぎ話やピーターラビットの世界を彷彿とさせるのかもしれないが、現実は大変だと思うがね…。

よく知ったような書きぶりをしたが、米子市美術館での展覧会を見るまでは小指の先ほども知らなかった。妻と娘が懐かしいものに出会ったように楽しんでいたのに対し、わたしは初のターシャ体験をそれなりに面白く思った。

(ターシャ・テューダーの庭を模した米子市美術館前の庭に配置してあったストロベリーフィールズ。群生しているとイチゴ畑のように見える)
よみがえり愛し人あり諦めまい [2016年05月04日(Wed)]

fumihouse-2016-05-04T22_02_50-1-thumbnail2.jpgレヴェナント(revenant)とは亡霊のこと。死から蘇生した人、長旅から帰ってきた人の意味もある。映画『レヴェナント:蘇えりし者』は死んだも同然だったグラス(レオナルド・ディカプリオ)が、白人に殺された現地人の妻やその忘れ形見たる息子の亡霊にも支えられながら過酷な自然を生き延びた旅を描いた。要は壮大な仇討ち物語である。

自然と書いたが、西部開拓時代の科学技術が未発達な頃、残酷なまでの天候や季節の移り変わりを意味するのはもちろんだが、ヒグマや狼など強い動物の攻撃も含む。さらに人間界も原住民対白人という単純な図式でなく、部族ごとに原住民が戦い、出身国やグループごとにも争って、裏切りも茶飯事だった複雑な様相も厳しい自然と言うにふさわしい。

潜めた息づかいから映画は始まった。うめき声やすすり泣き、瀕死状態の虫の息。絶望にあえぎ、天を仰いで嘆息を漏らす。そうした人間の内奥が随所に映像化されていて、常に息を詰めて見た。ふと気がつくと痛いまでに手指を握りしめていた。驚愕のあまり息を呑んだシーンも多い。2時間半の上映中にどれだけ息んだことか、ため息をついたことか。

目は口ほどにものを言う、息も同様にものを言う。内面の描写がただものではない。坂本龍一作曲の劇中音楽が効果を上げていた。なかでもチェロがいい。人の息づかいを見事に表した。

凄まじい映像だった。ヒグマに襲われるシーン、その生傷のリアリティ。極寒に火で暖を採り、獣によって食べ尽くされた死獣の骨の髄を喰い貪る。手に取った生きた魚にむしゃぶりつくシーンも忘れがたい。崖からともに転落し死んだばかりの馬の内臓をそぎ取って体内に潜り込み、吹雪から身を守るシーンも壮絶だった。

自然は恐ろしく残酷だ。が、かくも美しい。映像美とともに生き抜く覚悟、諦めない根性を魅せてくれる映画だ。

(花も自然界の一部分。美しく咲いてひとを楽しましてくれる)
乾いてる肌を心を保つべし [2016年05月03日(Tue)]

fumihouse-2016-05-03T16_27_02-1-thumbnail2.jpg空気が乾いている。ひんぱんに乾燥注意報が出る。今日は雨は降るけれども乾いた感じがある。風が吹くと乾いた地面から土埃が立つ。手がカサカサに乾くと物を掴むときに滑りやすいし、パソコンのキータッチも悪くなる。

肌にも良くない影響がある。ポーラ化粧品が4年連続で島根の女性の肌の潤いは日本一だと認定してくれているけれども、冬の間美肌を保ってもこの季節に黄信号がともる。美肌グランプリ1位に甘んずることなく、これからも肌を守ってほしい。

ともあれ、空気は乾いていても、心まで渇いてしまわないようにしなくてはね。

(美しく咲く花の王牡丹。大地の潤いを集めて見事にきらびやかに魅惑する)
オープンどいつも出雲と韻を踏む [2016年05月02日(Mon)]

fumihouse-2016-05-02T12_18_44-1-thumbnail2.jpg出農太鼓が軽快なリズムを刻み、出雲農林高の太鼓部員が華やかな笑顔満面に勇ましいかけ声で花を添えた。出雲平野のど真ん中に「いつも出雲いつもイズモ」とキャッチコピーを繰り返しながら、イオンモール出雲店がオープンした。

地域の発展を軸足において地域密着型の店舗展開をめざすイオンモール出雲。レストラン街のだんだん横丁にも、フードコートのまいもんキッチンにも出雲弁を使ってアピールしている。

10連休のひともいるようだが、今日は月曜日。賑わってはいても芋を洗うような混雑はない。適度な客足の中、珈琲を飲んでいる。北山山系には薄い靄がかかっている。

(まいもんキッチンの入口。まいもんとは、美味いもののこと。「まいもんでも、くぅにいぇかぁこぉいやぁ」(美味いものでも食べに行こうか)というふうに使う)
ミラクルの力は無用平凡に [2016年05月01日(Sun)]

fumihouse-2016-05-01T22_49_44-1-thumbnail2.jpg映画『ミラクル・ニール』のシュールな設定ににやついた。魔法使いがあやつる魔法には限界があるが、全能の力には何でも際限なくできる。たまたまその力を銀河の優等種を自称する4人の宇宙人から授けられたダメ教師ニールだったが、最後にはその無意味さに気がついた。もっとも愛犬デニスとの共同作業だが。

宇宙はゼロから始まりゼロに戻るのだろうか。宇宙の力のトータルすれば全てを万能にコントロールできる力になるのだろうか。観ているうちに湧いてきた疑問は否定された。

キャサリンが「私のことを自在に操れる人を愛せると思って?」と問う。恋とは支配することではなく、迷っても同じ方向へ進もうとする意志を共有することだとニールに訴えかける。

あるいは、ニールが地球温暖化や世界の食料事情を一気に解決させようとした命令は、別な面で破綻をきたした。戦争の原因となることを全てなくしたら、各国は理由なく宣戦布告して戦乱だらけになり、命令を取り消した。

民主主義など遠回りでも根気強く、よりマシな方向にもっていく努力を続けるしかないことがわかる。何でも思ったことがかなう力を授かってはかえって不幸になるのだ。

ミスター・ビーンを彷彿とさせる際どいユーモアがたくさんあった。愛犬デニスの声(途中から英語を話せるようになる)はロビン・ウィリアムズ。亡くなる直前の収録である。名優に哀悼を捧げたい。

(万能の力を使えば、世界一美しいビオラにせよ、という命令はかなうだろうか。主観の問題だからムリか?)