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あわただし感じ入る日よ年度末 [2016年03月31日(Thu)]

fumihouse-2016-03-31T18_42_10-1-thumbnail2.jpg両手に重い荷物を持って、邇摩高の校門を出た。まっすぐ南に向かう。仁万田台のまっただ中に立って振り返った。

二年間歩き回った校舎が見えた。二年間苦闘した校舎が見えた。二年間笑顔で楽しんだ校舎が見えた。二年間生徒に挨拶したりされたりの校舎が見えた。グッとくる。

よく資料をつくった。よく議論もした。いい笑顔もたくさん見た。多くの人にお世話になったし、人のために動くこともあった。あれよという間に過ぎた二年間を思う。

あわただしい一日。あれをやろうこれもしなければと、リストをノートに書いて一つずつチェックしていく。やるうちに漏れが見つかって焦る。完璧を期すことはないが、後任者に迷惑がかかってはならないから必死でこなす。あとは任せると、メモを残す。十分整理できなくて苛立つ気持ちもあるが、もがいても仕方ない。残りは託して去ろう。そんな時間が過ぎていった。

一日が終わり、いろんな方々と別れを交わして仁万駅から列車に乗った。島根のなかの出雲地域から石見地域へ、日々往復した。日本海はきれいだった。太陽を飲みこんで橙色に染まった。日本海は荒かった。列車を止めてダイヤを乱した。だが通勤は豊かだった。本を読みラジオや音楽を聴きメールやSNSで交流し、こうしてブログを書いた。感じ入る一日が終わり、わたしの二年が終了する。

(邇摩高校の農場の一画に咲いている桃の花。まさに桃色、春の最中に気分を高揚させてくれる)
日本一江戸の染井の植木屋が [2016年03月30日(Wed)]

fumihouse-2016-03-30T19_23_58-1-thumbnail2.jpgソメイヨシノは合いの子で
エドヒガンとオオシマザクラのクローンだ
花は葉っぱに先だつよ
つぼみは淡い紅色で
咲いてしまえば白に近い淡い色
あれよという間に成長し
半世紀も寿命はもたない哀れさか
それゆえ豪奢たたかうように花散らす
江戸の染井の植木屋が
二つのクローン造り出す
ここまで一世風靡して
日本の心を代表するとは思わなんだろう
今日一日の暖かさ
多くの花が咲いたろう
多くの人を喜ばせたろう
明日もさらに、花は花花

(ピンク色だが桜ではない。邇摩高のサイネリア。元の名はシネネリア。「死ね」の語感を嫌って先人が言い換えた。邇摩高の温室で栽培された色とりどりのサイネリアが、この三月各地の小中学校の卒業式を彩った)
心地よし春はサクラに乱されて [2016年03月29日(Tue)]

fumihouse-2016-03-29T07_24_18-1-thumbnail2.jpgソメイヨシノは花花花花
ソメイヨシノは花の怪物
花花花で桜花爛漫
万朶と咲いて
ひと狂わせて花花花花

つぼみが膨らみ喜んで
花冷え厳しく三分咲き
満開なって狂喜に乱舞
葉桜なったら寂しい残映
花にひとは穏やかならず

ソメイヨシノは枝分かれ
曲線的に花が咲く
花びら多くてもっこりで
幹に花咲き一山花花
圧倒的な質量に
見る者すべてクラクラに
躍る花花エネルギー

ちょうど花の咲く頃に
入学式や入社あり
花花花と決意に満ちて
ドキドキ花と我咲かむ

(昨夜のソメイヨシノ。夜の静寂にしゃべらずとも語っている)
朝がきた安心という頼もしさ [2016年03月28日(Mon)]

fumihouse-2016-03-28T07_50_40-1-thumbnail2.jpg先週の土曜日にJRのダイヤ改正があった。例年より1、2週間遅れたのは北海道新幹線の開業が関係するのだろうか。雪や暴風の影響で列車の遅れや運休が起こらないように時期をズラしたのか?

今日月曜日は多くの乗客にとって新ダイヤの初体験。乗務員にとっても不安は尽きないことだと思う。出雲市から仁万方面へ向かうこの列車の今朝の車掌は若い女性。てきぱきと歩き、長い停車中には乗車客が閉めなかったドアをサッと閉めに動き、案内放送には過不足がなく頼もしい。

引き込み線に入って待機する際にホームの反対に停車する列車の車掌と話をしている。運行の状況を情報交換しているのだろう。笑顔でもって言葉を交わしている。職場の規律は厳格ななかにも、コミュニケーションは良好である様子がうかがえる。こうした組織には事故は起こりにくい(はずだ)。

2005年4月にJR西日本は福知山線で大事故を起こした。それ以降わたしは列車の一両目に乗らなくなった。今でも西日本ホームページのトップには、それを受け止めた真摯な姿勢が表明され続けている。安全を高め、変革を進める決意である。わたしの通勤経路は替わるが、今後とも安心して乗車できるよう願っている。

(朝日に向かって土筆は伸びていく。少々寒くはあるが、朝の気持ちよい季節となった)
週末に出る楽しみが花冷えて [2016年03月27日(Sun)]

fumihouse-2016-03-27T21_45_15-1-thumbnail2.jpg花火絵(はなびえ)
日本の夏といえば花火大会。とりどりの色、高まる期待。爆音に体が震えるダイナミックさ。長岡の花火を題材にした山下清画伯の絵が有名だ。

花稗(はなびえ)
星形の地味な花が咲くヒエ。つぶつぶの穂が収穫前のコメに混じって目立つ。アワもヒエも健康雑穀入りの米は美味しいが、ヒエだけを食べたことはない。

葉ナビ会(はなびえ)
参集者がたくさん集まってきて、会場に向けて案内をするナビゲーター。そんな言葉は聞いたことがない。

花冷え(はなびえ)
松江で23日に桜の開花は宣言された。そのあと全国的にも寒さがもどって冷え込んだ。春は一進一退。前三後一してやってくる。来週後半には満開になるだろうから楽しみにしておこう。

(花冷えの今日、出雲村田製作所構内で椿の一般公開を楽しんできた)
若々し婆さん目の前のろーりと [2016年03月26日(Sat)]

fumihouse-2016-03-26T22_39_18-1-thumbnail2.jpg婦人がいた。国道9号線のかたわらに立ってクルマの流れを眺めていた。明るい紫色のフリースを胸までファスナーをピシッと上げて、黒い細身のパンツとスニーカーをはいて若々しい。

突然婦人は道路を横切った。あれよという間にスルスルっと私の目の前を横切った。多少車間があったとはいえ、危ない距離だ。私はブレーキを踏んで減速した。婦人はあろうことか、半分まで行って小走りの歩みを緩めた。最後の1mはのろーりと亀の歩みになった。危ないアブナい。減速していなかったらぶつかっていたところだ。

渡る前には伸びていた背中が猫背になっている。若く見えていたとしても、危機判断のないところは、失礼ながら婆さんだ。道路を渡る高齢者にはよほど注意しなければ…。

(菜の花畑に黄色がいっぱい。元気いっぱいハツラツと。しかしそれでも渡りに注意)
送別の宴に酔って白濁の湯 [2016年03月25日(Fri)]

fumihouse-2016-03-25T22_11_15-1-thumbnail2.jpg出雲市駅の待合室に入ったら、酔っぱらいの臭いがした。酒とつまみに加えて口臭が混じった臭い。食べ物が十分咀嚼されないままに飲み物と混じり合って、腹の奥底から上ってきて嫌なオーラを漂わせている。

昨夜のわたしも同んなじだったのだろう。送別の宴が温泉津温泉・輝雲荘にて開かれて、丁重に送っていただいた。調子を出して飲み過ぎたようだ。泊まりはそのまま輝雲荘にて。清潔感があり、おもてなしの気持ちと所作があって満足度は高かった。

湯に浸かって傷を治している狸を見つけたのが温泉の始まりだという、千年以上も前に開発された温泉。石見銀山が盛んな頃には狭い通りが人で埋め尽くされていたことであろう。

一晩泊まって朝湯にも入ったら飲み過ぎた酒はきれいに抜けていった。肌はスベスベしてきたし、薬効も高いというではないか。どの家や旅館も石州瓦の赤瓦。街並みや通りのたたずまいには、どこか懐かしさがある。オススメの温泉街だ。

(月曜日には満開に近かった辛夷(コブシ)の花はもう散りはじめたことだろう)
月が出た月が出たよと喜んで [2016年03月24日(Thu)]

fumihouse-2016-03-25T00_01_20-1-thumbnail2.jpg昨夜は満月。文部省唱歌『月』に歌うような月だった。そして今夜は細くなったとはいっても、くっきりした美しい空に月が存在を主張していた。

 出た出た 月が
 まるいまるいまんまるい
 盆のような月が

 隠れた 雲に
 黒い黒い真っ黒い
 墨のような雲に

 また出た 月が
 まるいまるいまんまるい
 盆のような月が

(今夜の邇摩高校送別会でいただいた花束。そのまま温泉津温泉で泊まっている)
勝つと決め祈りとともに出発す [2016年03月23日(Wed)]

fumihouse-2016-03-23T19_06_34-1-thumbnail2.jpg さあ、出発しよう!
 悪戦苦闘を突き抜けて!
 決められた決勝点は
 取り消すことができないのだ。
  (ウォルト・ホイットマン)

≪“できるか、できないか”と考えているうちは「勝利」はおぼつかない。“やるか、やらないか”である。「まず勝つ」と決めて、誓願の祈りをささげる。知恵を湧かせ、勇気の行動を貫く。これが、栄光の未来を開く鉄則である≫ 
  (聖教新聞2015年4月10日付け名字の言)

よし、いこう! 少々の遠回りはよくあること。悪戦苦闘しようじゃないか。決して怒らず、口角を上げて進もうよ、と今の私に向けて問いかける。転勤前の目の回る忙しさ。パニクることなく落ちつこう。時は過ぎる、時をたいせつに、時を味方につけて。

(ユキヤナギが優雅に揺れ動く。彼らは咲いて使命を果たす。わたしは書いて考え語らって使命を果たす)
春空に食欲そそる桜の葉 [2016年03月22日(Tue)]

fumihouse-2016-03-22T19_20_07-1-thumbnail2.jpg桜餅、好きです。春の和菓子を代表するスイーツといえば、ぼた餅か桜餅ですね。特にソメイヨシノが咲くより早い時期に食べる桜餅はうまい。塩漬けの桜葉は緑色を残して、薄桃色の皮とのバランスがなんとも食欲をそそります。一口かじればこし餡(つぶ餡のときもある)の甘味が口を駆けめぐります。

関西では桜餅というと、丸形で餅米粉を使った道明寺餅のことを言いますが、関東では(出雲も含め)、小麦粉を焼いてしっとりさせたクレープ状の薄皮でアンコを巻いて二つ折りにして桜葉を巻いたのを桜餅といいます(円筒形も多いですが)。塩味の葉っぱと一緒に食べると甘味が増して、さらに美味しい。桜葉の香りもあるし、ミネラルもたくさんありそうで、実にいいじゃないですか。

実は昨日は四個も食べてしまったのです。もう飽きたかというとそうでもなく、今目の前に出されればいくらでも食べられそうな気がします。桜餅、大好きです。

(食欲の春? 朝日に照らされたハクモクレンも美味しそうに見えてくる)
光彩に煌めく春よ深い帯 [2016年03月21日(Mon)]

fumihouse-2016-03-21T17_19_51-1-thumbnail2.jpg光彩に艶やかな春
陽光きらめく夕方は光の深い帯
数日のちに満ちる月はおぼろげで
雲雀が天高くメジロは辺りにさえずる春の声
芳しい梅花に心浮き立ち香が満ち
沈丁花は柑橘系の鋭い匂い
黄砂のサラサラは肌にはとても悪そうな
桜餅の柔らかい生地はモチモチで
春を味わう道明寺はひかえめに甘く
桜餅の餡が塩漬け葉っぱにとけ合って
菜の花のおひたしがほのかに苦味
門出の卒業武者ぶるい
誓い新たに苦労乗りこえ我すすむ
春の装い今感じ五感で春を感じよう

(夕方の光彩に染まる鈴蘭水仙。白木蓮やコブシ、ユキヤナギ、白沈丁花など春の白花が日に照らされると品がある)
幸せがモノで量れる良き時代 [2016年03月20日(Sun)]

fumihouse-2016-03-20T22_15_43-1-thumbnail2.jpg万人が憧れて、喉から手が出るほど欲するモノはもはやない。あったとしても高嶺の花で手が届かないことはない。少しだけ支出を切りつめるとか、カード払いにすればこと足りる。価格破壊の世だ。ネットで少しだけ手間をかけて比較すれば、それなりに安く手に入れる。結果として欲しいモノを買うことで得られる満足度は以前より低くなっている。

≪(高度経済成長時代は)モノが人を幸せにした時代である。しかし、と私は学生たちに問いかける。「君たちはテレビが五センチ薄くなって幸せか?」
 家電量販店の店頭に並ぶ様々な新製品は、格好良かったり、便利であったりはするけれど、万人が幸福になるようなものではない。もはや私たちは、モノだけでは幸せにならない時代に生きている。格好良さは人それぞれに違うから、大ヒット商品は生まれにくい。このところ相次いで発表される家電各社の巨額の赤字の背景はここにある≫
(平田オリザ『わかりあえないことから〜コミュニケーション能力とは何か』2012年,講談社現代新書)

モノを買う。手に入れる。それで幸せが得られた時代は良き時代だ。幸せが見える。幸せが量れる。だが当時のひともそれが本当の幸せだとは信じていなかったのではなかろうか。物欲が満たされた幸せは長続きはしない。また次の物欲を湧かせてかりそめの幸せを得ようとする。だが本当の幸せはどこか違うところにあると、虚しさを感じていたことに今気がついた。「家電各社の巨額の赤字」にはこうした理由もあるのに違いない。

(昨日食べたパフェ。どんなに美味しくても食欲には限りがある。一度に2つ食べたいとは思わない。限界効用は著しく減ずる)
ジカ熱にじかにさわると恐ろしや [2016年03月19日(Sat)]

fumihouse-2016-03-19T16_53_24-1-thumbnail2.jpg中南米で流行し、日本人も感染し始めたジカ熱。妊婦がかかると小頭症を患うと指摘される感染症ですが、妊婦の渡航自粛だけにとどまらなくなりそうです。ジカ熱ウイルスは精液経由で女性に感染する恐れがあるとして、米国では男性にも警告が発せられましたが、胎児や新生児にとどまらず、成人患者にも重篤な脳感染症を引き起こす恐れがあるといいます。

筋力が低下し腱反射が消える疾患のギラン・バレー症候群もジカウイルスとの因果関係があるようですし、フランスでは半昏睡状態になり髄膜脳炎と診断された高齢男性が、髄液中にジカウイルスを有していたそうです。

ジカウイルスによって免疫系が神経や脳細胞を攻撃するように変異してしまうのでしょうか。意外にも恐るべきウイルスです。油断がなりません。

(仁摩の町中にボケの花が咲いている。目を引く赤、艶やかな薄ピンクの花だが長い棘を持っている。油断がならない)
暖かき日に人間の温かき [2016年03月18日(Fri)]

fumihouse-2016-03-18T21_29_26-1-thumbnail2.jpg 英知を磨くは何のため
   君よそれを忘るるな

 労苦と使命の中にのみ
  人生の価値(たから)は生まれる

洋々と広がる多摩の連山が青い。富士の峰は真っ白く荘厳だ。前記のモットーを座右の銘にして学生時代を過ごし実社会へ入る者たちが、創価大学の第42回卒業式で門出を飾った。穏やかで晴れ晴れとした春の陽気が清々しい一日であった。

創立者から、1/平和の価値創造を、2/苦難を勝ち越え栄光の叙事詩を飾れ、3/自分がいる舞台で歓喜の勝利劇を演じてほしい、と温かく勇気わき立つメッセージ(代読)が贈られた。

わが娘も含め、若き俊英たちよ。彼ら彼女らが雄大にしてしなやかな気概を保ち続け、健やかに船出するよう祈っている。

(ミツマタが花を咲かせた。小さな黄花のヒダがめくれて真ん中にオレンジ色の太陽がある。バックは創価大の中央教育棟)
ああ無情炎狂いて人を追う [2016年03月17日(Thu)]

fumihouse-2016-03-17T12_19_23-1-thumbnail2.jpg火事見舞いにうかがった。火災の余韻どころか、全焼した家屋からはくすぶった煙がなおも立ち上っていた。屋根の一部を突き破って家を破壊した炎は、すすけた壁だけを残して家中を焼き尽くした。

消防車やパトカーが何台も留まり、ホースがからまるようにしてあまた伸びている。消防署員や警察官、なかでも銀色の消防マントを羽織った消防団員が多数任務について、総勢7,80人の姿が見えた。鎮火して片付け段階に入ったとはいえ、民家一棟を焼いた火の大きさがほど知れる。

幸いに風は吹いておらず類焼はなかった。近所の人に聞いてみると、火柱が渦になって恐ろしかったという。竜がとぐろを巻いて何者かを襲おうとしている姿に見えたのかもしれない。その竜は星空をバックに非情にも暴れまわった。

幸いにご家族全ては無事だったが、気がついたときには火の海で為すすべもなく、着の身着のままで避難されている。ご主人は淡々と悔やみの客に応対しておられた。隠された苦衷たるや、いかばかりであろうか。ご婦人は気丈にふる舞っておられた。火事の様子を話してくださるうちに痛恨の念が体を貫いたのか、嗚咽が漏れる。子どもたちは元気にしてはいたが、あれも燃えた、これも無くなったと気がつくたびに喪失感にさいなまれるであろう。

慰めの言葉をかけることができなかった。かける言葉がない。火事の原因に関し慚愧の念で自分を責められたので、言葉を選んで発してはみたものの空疎である。心には届かない。再び黙って話を聞いてさしあげるしかなかった。

火災保険はおりても、持ち物や家という空間にあったかけがえのない思い出を無くされてしまった。大きな痛手だ。悔やんでも悔やみきれなくて何度も涙をこぼされるであろう。

あのご家族の立ち直りを願い、雄々しく立ち上がっていかれることを祈る。祈りとは空疎な観念ではない。言葉や行動、ましてや金銭では補えない間隙を埋めていく作業である。ひとを成長させる偉大な精神活動だ。

(美味しい苺。今はまだないが、いずれ邇摩高校ではイチゴ栽培を模索している。地域の方々に喜んでいただけますように願う。そしてあの家族がイチゴを囲んで団欒を楽しまれるときが来ることを祈る)
咲き急ぐ桜の木々を押しとどめ [2016年03月16日(Wed)]

fumihouse-2016-03-16T19_16_05-1-thumbnail2.jpgおーい、さくらー
やけに早いじゃないかー
そんなに先を急ぐなよー
ゆっくり咲いておくれよ
はやばやと開いてしまうなんて
さびしいじゃあないかー
入学式で晴れやかな親子に花吹雪をふりかけてよ
新入社員の場所とりで花見をさせてあげてよ
おーい、さくらー
のんびりいこうよー
そんなに咲き急ぐなよー

(邇摩高校のサイネリアは見頃。見事に開いた色とりどりが注文に応じて近隣の学校の卒業式には配送される。今咲く花は咲いてよい。けれど桜はもう少し待ちなさい)
夕陽みて良き一日を思うとき [2016年03月15日(Tue)]

fumihouse-2016-03-15T18_37_39-1-thumbnail2.jpg今日も仕事が終わった。穏やかに仕事する時間があった。突然の難局が生じたときもあったが、なんとか切り抜けた。今こうして列車に乗って、春の穏やかな海と雄大な日の入りを眺めている。家に帰れば安らぎのひとときがある(はずだ)。明日も仕事だ。ゆっくり休んで英気を養おう。

≪末期がんとわかって以降、仕事の喜びが増した。毎回、「この仕事が最後かもしれない」と思って仕事に臨む。そう思うと、ますます全力で取り組むことができた。仕事ができる喜びを体いっぱいに享受することができた≫ (金子哲雄箸『僕の死に方/エンディングダイアリー500日』2014年,小学館文庫)

私は金子氏のように「仕事のできる喜びを体いっぱいに享受」しているか? 問いたい。どうだ? まだまだ改善の余地はある。それもこれも明日がまたあるさという気持ちがあるから、甘くなるのはやむを得ない。ずっと張りつめるとヘトヘトになってしまうだろう。

それでも過去となった時間を取り戻すことはできない。一期一会で他人と会う。やり直しのきかない時間を真剣に過ごす。二年以上も前に亡くなられた金子氏の愛嬌ある面影を思い出す。いずれにせよ誰もが死ぬ。私もおちおちしていられない。

(邇摩高校の中庭にある葉牡丹の花芽が大きくなった。花が咲く頃にはいよいよ三月も佳境を迎える)
デリケートほのかな感謝口にして [2016年03月14日(Mon)]

fumihouse-2016-03-14T19_06_53-1-thumbnail2.jpg山田洋次監督の映画『家族はつらいよ』。よく笑った。しかし不覚にも泣いた。人間味あふれる家族の真実に心打たれた。

セリフのおかしみ、役者の絶妙な間合い。単なるコメディではない。小津安二郎へのオマージュがある。寅さんへの郷愁がある。そして『東京物語』の現代版『東京家族』の宣伝もあったりして笑えた。この映画が東京家族と同じキャストで撮られたのも面白い。

典型的なオヤジを橋爪功が演じる。配慮がなく、ワンマンで自分だけは家族のために頑張ってきたと自惚れる男。語らなくても気持ちだけは感謝しているとうそぶいて、常に皮肉と悪口ばかりを家族に浴びせかける。

そのオヤジを腫れ物にさわるようにしていた家族だが、第三者の登場で空気が変わる。家族会議で起こった事件によってミニ・トリックスターが登場し、ググッと展開する。オヤジは変わった。他の家族にも化学変化があって、その微細な変わり目に見える機微に涙腺がゆるむ。

家族とは辛いものだ。やっかいだ。離れられないだけに苦労が増していく。面倒なことは御免だと家族から離れて気ままに生きる選択肢もある。そのかわり毎日は平板で人間味あふれる楽しさにワクワクすることも少ない。反対に家族と一緒にいれば楽しみは倍に増え、悲しみは半分になる(可能性は高い)。

伝えることをサボってはいけない。ましてや日本人には、言わなくてもわかっているさという甘えがある。甘えちゃいけないんだよ。感謝の心は言葉にして表さなければ伝わらないんだよ、と納得できる物語だった。ただし、不機嫌は露わにしてはいけない。畜生的な暴力はもっといけない。家族はデリケートだから壊れやすいんだと思うよ。

(サンシュユ/山茱萸。別名、春黄金花(はるこがねばな)。春先に枯れ枝から黄金色の細かい花を小手毬のように丸めて咲かす。茱萸とはグミのこと。秋にはグミのような実がなるらしい)
東西の覇権をかけて大国が [2016年03月13日(Sun)]

fumihouse-2016-03-13T15_03_36-1-thumbnail2.jpgジャッキー・チェン主演の映画『ドラゴン・ブレイド』。紀元前の大昔に古代ローマと前漢・中国がシルクロードの国境地帯で戦った記録があるといいます。この映画では両国の司令官に生まれた友情と残虐なローマ皇帝との戦いを描いています。

土木技術と戦闘技法など実益重視のローマは強かった。シルクロードの彼方にある東洋にあこがれるだけでなく、全世界を征服したいと考えたとしても不思議ではありません。中華意識丸出しの漢民族も野蛮人たちに負けるわけはないと考えていたでしょうから、両者が砂漠で隔てられていなかったとしたら覇権を賭けて何世紀にもわたって激突したかもしれません。

砂漠の光景が心に残ります。水の乏しいところを大軍団が騎兵でもって動き回るのは不可能だとは思いますが、作り物だからよしとしましょう。戦争というものが、悲劇を生む一方で、知恵と技術が蓄積されて文明の進歩を促してきた人類の歴史を思います。

漢の兵団には数多の騎馬民族と遊牧民が混在していました。ローマの騎馬と歩兵の大軍も合わせて大砂漠を埋め尽くします。あの厳しい環境にあって彼らは何を糧に生きていたのでしょうか。何を精神の基軸として生きていたのでしょうか。

キリスト教はもちろんイスラム教も生まれていないこの時代。儒教もまだ国教化されていないはずです。彼らには力、すなわち「剣」だけしか寄る辺はなかったのでしょうか。過酷な環境に生きる彼らにはどんな神がついていたのか、知りたいと思いました。

(椿の季節もやがて終わりますが、見事な咲きぶりで目を楽しませてくれます)
チョコ食べて幸せいっぱい甘い声 [2016年03月12日(Sat)]

fumihouse-2016-03-12T17_24_20-1-thumbnail2.jpgチョコはうまい。チョコは甘い。カカオマスのペーストと砂糖、ココアバターが混然となって口に広がる。最初は固く歯茎に当たり、唾液とともに溶け出すとなめらかに甘くなる。ミルクチョコはそれなりに甘く、ブラックチョコは苦味と甘味がほどよく合わさってなおさらうまい。チョコが大好きだ。

コートジボワール、インドネシアやガーナなどから渡ってきたカカオの豆。チョコに加工されて私の口に入るたびに幸せになる。

ただしホワイトチョコは苦手だ。ココアバターと砂糖だけの味は甘すぎて私の口に合わない。濃茶色のチョコと白の取り合わせは、色彩のコントラストとしてはすばらしい。見るだけならいいが、白いチョコを私は嫌いだ。

(カカオの実ではない。ゴツゴツして無骨なアボカド。中身は淡いグリーンでたっぷり含んだ脂肪分で美味しい。森のバターと言われるだけある)
新鮮だ角度違えて生きる糧 [2016年03月11日(Fri)]

fumihouse-2016-03-11T18_32_55-1-thumbnail2.jpg見慣れたものを違った角度から見ることがある。新鮮に見える。改まって良さを感じる。ルーティンとなった日常的光景も一度離れてみるだけで大いに違ってくる。長旅から帰ってみると見飽きた存在であるはずの家や周囲のたたずまいが、かけがえのない大切な存在であることを感じられる。

気持ちや状況に変化があったときも風景は違う。人と接する場合も同じで、こちらの気の持ち方次第で相手の違う一面が見えてきたりもする。良きにつけ悪しきにつけ……。

≪閉塞感を感じたら、とりあえず移動してみる。旅をしてみる。これは、私たちが生きていくうえでも有効だと思います。
 どこかに行けば、今抱えている問題が解決するとは思わないけれど、自分が何にとらわれていたのかに気づくことはできる≫
(ヤマザキマリ著「国境のない生き方〜私をつくった本と旅」2015年,小学館)

クルマを運転して歩き回るより、公共交通機関がいい。飛行機や列車を乗り継いで現地では自分の足で歩くのがいい。「とらわれていたことに気づく」と新しい地平が広がっていく。

(花だって見るたびに違って見える。角度によって、季節によって、はたまた気分によって)
忘れるな忘れてならない忘れない [2016年03月10日(Thu)]

fumihouse-2016-03-10T18_35_36-1-thumbnail2.jpg 私たちは、忘れない。
  それぞれの空のした、
  こころに刻まれた「あの日」。
  明日のために、
  明日を生きるみんなのために。

日赤のつくったポスターがある。「あの日」から5年。この3月に日赤は職員や協賛企業をあげて国民運動プロジェクトを進めている。未来へつなげることは、忘れないこと。忘れまいと決意して復興に邁進する地域に思いを馳せ、支援の輪を展開するプロジェクトだ。

「忘」の字は心+亡と書く。心の中から記憶がなくなること→わすれる。「忙」の字もまた、心+亡。落ちついた心をなくしてしまうこと→忙し過ぎて大切なことを忘れてしまうわけにはいかない。

忘れないこと、未曽有の大災害を。心寄せること、理不尽な災害と絶望的な人災にさいなまれたひとに。腫れ物にさわるように行き過ぎた遠慮はしないほうがいい。切迫した恐怖や泣き濡れて崩れ落ちて、再び立ち上がったひとは強いから。むろん、嗚咽したあの日を他人が理解しようと思っても無理なことだ。

それでも未来に向けて希望の姿をともに描くことはできる。決めた目標に猛然とすすむことはできる。だから、私たちはそれぞれの空の下で、3.11を迎えよう。忘れないために。

(空は青く澄んでいる。豊かな地球の営みだ。時として空は猛り狂う。それもまた地球の営みだ)
きっと出る演じることを繰り返す [2016年03月09日(Wed)]

fumihouse-2016-03-09T20_26_14-1-thumbnail2.jpg「キャラを演じる」と言われる振舞いがある。グループ内で天然ぶったり、ボケる役割を割り付けるものだ。この作法に波風をたてるとイジメられたり、排除されたりするという。キャラが被る(似る)と、あえて違う自分を演じることもあるらしい。ありのままが許されないとは不自由なことだ。

演出家の平田オリザ氏は、「演じる」ことの大切さを訴えかける。決してキャラを使い分けることの有益さを説くのではない。

≪日本では、「演じる」という言葉には常にマイナスのイメージがつきまとう。演じることは、自分を偽ることであり、相手を騙すことのように思われている。(中略)
 人びとは、父親・母親という役割や、夫・妻という役割を無理して演じているのだろうか。多くの市民は、それもまた自分の人生の一部分として受け入れ、楽しさと苦しさを同居させながら人生を生きている。いや、そのような市民を作ることこそが、教育の目的だろう。演じることが悪いのではない。「演じさせられる」と感じてしまったときに、問題が起こる。ならばまず、主体的に「演じる」子どもたちを作ろう≫
(平田オリザ『わかりあえないことから〜コミュニケーション能力とは何か』2012年,講談社現代新書)

自分らしさとは何だろう。冒頭に「ありのまま」と書いたが、自分の本当の姿などあるものだろうか。虚構かもしれない自分らしさを求めて、自分探しに遍歴する人もいる。とりあえず決めた自分という枠組みに安住しようとする人もいる。

心もとない状況に迷うとき、絶体絶命のピンチに立ったとき、頼りになるのは自分しかいないとき、「ガンバレ!自分」と第二の私が顔を出す。日々人間社会の中で他人との関わりの中で格闘してはじめて、見えもしなかった自分の個性が現れてくる。探さなくても関係性の中から自ずと味わいが生まれてくる。それはつまり「演じる」ことの繰り返しなのだと思う。

うまくいかなくて不機嫌になりそうな時には、あえて上機嫌を演じよう。周囲に負のオーラを撒き散らすのを止めておこう。パニックになりそうな厳しい状況では口角を上げてニッと笑顔を所作してみよう。その繰り返しでプラスの自分が現れ出でて、新しい自分を物語ることになるのに違いない(と反省を込めて)。

(ユキヤナギが花を咲かせた。時季になると無理せず才をてらうこともなく、ありのままの姿で咲く)
したためてしるして後に字を学ぶ [2016年03月08日(Tue)]

fumihouse-2016-03-08T18_44_19-1-thumbnail2.jpg【書を認める】と書いてあると、「しょをみとめる」とつい読んでしまいます。【手帳に記す】とあると、「てちょうにきす」と読みがちです。

「したためる」も「しるす」も、気持ちまでもしっかりと整えて書いたり、記憶や記録にとどめることを言いますが、日本語の読みが多様なためにしばしば間違えて恥ずかしい思いをします。

【随筆を著す】のを「あらわす」のでなく「ちょす」と読むミスもやりがちです。若い頃、「くちかど泡を飛ばす」と言ったら、「こうかくのこと?」と訂正されたことがありました。そんな例は枚挙にいとまがありません。最近【雄々(おお)しい】を「ゆうゆうしい」と読む人がありました。みんな多分苦労しているんです。

【誘う】は、場合によって「いざなう」と「さそう」を区別しますから始末が悪い。【労(いたわ)る】や【象(かたど)る】を読めないこともありましたし、【被(こうむ)る】がしどろもどろだったこともあります。【蔑(ないがし)ろ】をなぜか「うつろ」と読んでしまったこともありました。

探してみるとホントに多いですね、この手の漢字は。

【宥(なだ)める】を「ゆうめる」。【強(したた)か】を「つよか」とか「きょうか」。【模(かたど)る】を「もる」。【恭(うやうや)しい】を「きょうしい」。【慮(おもんぱか)る】を「りょる」。【論(あげつら)う】を「ろんう」。【他人事(ひとごと)】を「たにんごと」と読まないように、私は発声する前にひと呼吸おくことにしています。

漢字の読みは難しい。そもそも漢音に呉音が混じってしまったからいけないんですよ。パソコンやスマホではすぐに漢字変換してしまいますから、手強いですね(これも「てづよい」と読んだりして)。漢字は書けないけれど読めるから大丈夫!なんて言っていられません。

(花をきれいに育てるのは手強いですが、見るだけならお気楽ですね)
3桁の番号知って便利帳 [2016年03月07日(Mon)]

fumihouse-2016-03-07T18_17_43-1-thumbnail2.jpg共同通信が3桁ダイヤルを報じていた。海難事故を海保に通報する【118】や、児童相談所の全国共通ダイヤル【189】、消費者センターへの【188】など、緊急かつ公共性のある3桁ダイヤルがあまり知られていないので改善に乗り出すと。「ヒャクトーバン」や「イチイチキュー」が広く定着していることを思えば、なかなか新参者が人々の頭に入り込むのは難しい。

備忘録として3桁ダイヤルの主だったものをあげてみた。

【104】番号案内
【106】コレクトコール(かつて私は使ったが昨夏でサービス終了)
【113】電話故障
【115】電報
【116】電話新設・移転・相談
【117】時報
【142】ボイスワープ(指定電話へ転送)
【144】迷惑電話おことわりサービス(いったん切ったあとに登録)
【171】災害用伝言ダイヤル
【177】天気予報

覚えなくても必要なときにネットで調べれば十分こと足りるような気はする。110と119を最小限知って、適切に使いたいものだ。

(切った枝を暖かい部屋に生けておいたら杏が花を咲かせた。化粧品のようにくっきりといい匂いがする)
歩こうよ全身使い地球にて [2016年03月06日(Sun)]

fumihouse-2016-03-06T14_21_27-1-thumbnail2.jpg歩くことは楽しい。通勤でテクテク歩く。職場でバタバタ歩き回る。帰りに列車待ちの時間でズンズン歩く。夜9時台に外へ出て歩く。靴を履き替えて本格的に歩くホントのウォーキング。

手に明かりをもち、腕に反射材を巻く。防寒の備えとして帽子と手袋は欠かせない。灯火をもつウォーキング者とは挨拶をしあい、無灯火でやってくる人には遠巻きに離れて用心する。

春の足音が聞こえそうな暖かめの夜、星が降るようで差す寒さが厳しい夜、雨が降り出しそうなぼんやりした夜。いろいろな夜を楽しみながら歩く。

雨が降ったり風雪があれば外には出ず無理しない。けれども身体が歩くのを欲することがある。そんなときは室内でテレビを見ながら足踏みマシーンで疑似歩行をする。歩数も消費エネルギーも表示しない単純なもの。それなりに足に負荷はかかるけれども続かない。せいぜい500歩がいいとこだ。

なぜか? 景色が変わらないからだ。歩きそのものがウソっぽいからだ。地面を蹴るときに足指の筋肉が靴底をグリップして離す。足裏の筋肉が躍動すると同時にふくらはぎや大腿部の筋肉が体を引っぱっていく。もちろん腕は大きく振られて上半身の筋肉も存分に働く。一歩ごとに目の位置がかわり、しゃべるたびに口角の筋肉も動く。寒いなかにも身体は温まって汗ばんでくる。地面を踏みしめるたびに地球を感じるのだ。その楽しみがマシーンにはないんだなあ。

(リズミカルな歩行のように、規則的な配列で柔らかめのとがった葉っぱが伸びる。松ではない、よく知らない西洋系の植物。何だろう)
春が來て春が來たよと喜びて [2016年03月05日(Sat)]

fumihouse-2016-03-05T19_32_31-1-thumbnail2.jpg一 春が來た、春が來た、どこに來た。
  山に來た、里に來た、野にも來た。
二 花が咲く、花が咲く、どこに咲く。
  山に咲く、里に咲く、野にも咲く。
三 鳥が鳴く、鳥が鳴く、どこで鳴く。
  山で鳴く、里で鳴く、野でも鳴く。
四 雲が行く、雲が行く、どこへ行く。
  山に向いて、ほんわか浮かび、どこまでも。
五 朝に霞、朝に霞、どこまでも。
  日が照りだして、空は青い、陽気立つ。
六 サクラ咲く、合格した、どこに行く。
  卒業式に、入学式に、旅立ちだ。
七 星を見る、星を見る、どこで見る。
  山で見る、里で見る、野でも見る。

三番までは唱歌『春が來た』(作詞:高野辰之)。あとは、濃い朝霧が晴れて摂氏20℃を超えた今日の天気で気の向くままに。

(わが家の仕上げのクロッカス。雅な紫で深い色合いに引き込まれそうだ)
夢覚めて現(うつつ)の夢は門左衛門 [2016年03月04日(Fri)]

fumihouse-2016-03-04T18_24_39-1-thumbnail2.jpg誰かと目くばせをして、私は列車だったかバスだったかに乗りこんだ。同行者と一緒に乗ったのか、それと一人だったかは覚えていない。つかの間の数時間かそれとも何日も過ごしたのか。それさえもわからない。

私とともにテーマパークとも映画のセットとも旅行の道中ともつかない、その一帯に放り出されたのは十数人だったろうか。かつての同僚がいた。近所の知り合いもいたし、映画スターだっていた。もちろんこれは夢なんだ、と思っていたよ。夢とも、うつつともつかない状態に私は戸惑い、ときめき、不快さも快感も含めて様々な感情が渦巻いた夜だった。

何日も滞在していたような気もする。街中の暮らしを楽しんだ、ひどい人情にふれて悲しみもした。心もとなく想った。異性に引かれ、同性に魅力を感じた。嫉妬もあり、ケンカもしたが友情を深める機会もあった、、、ような気がする。

たくさんしゃべったらけれど覚えていない。たくさん肩を叩きあい喜んだけれど記憶にない。目が覚めて記録しようとしたけれど記すべき事がなにもない。劇的なフレーズをたくさん思いついたけど悲しいことにうろ覚えですらない。泣くほどの感動の物語を聞いたのだけれども暗記していなかった。ともあれ覚えていないということは、心に刻むべきほどのことでもなかったのだよ。

三谷幸喜作品のように喜劇性があり、シェークスピアの箴言のように警告されもしたような気がする。心ときめかせたのは、昨晩に爽快な時代劇「ちかえもん」(近松門左衛門の伝記的面白ドラマ)を見たからだろうか。それとも昨日お世話になった高齢の婦人の通夜に参列したせいだろうか。単なる妄想のなせるワザなのかはわからない。なんといっても夢なんだから。

(夢の暗闇に浮かぶ黄の花か。いやいやあの夢に色は感じなかったなぁ)
プロセスと目的の差は何だろう [2016年03月03日(Thu)]

fumihouse-2016-03-03T17_23_48-1-thumbnail2.jpg林成之氏は目的を達するために次の条件が必要だと述べています(林成之著『脳に悪い7つの習慣』幻冬舎新書2009年)。

≪「目的と目標を明確にし」「ゴールを意識せず」「主体的に、自分がやってやるという意思をもって」「達成のしかたにこだわる」「目標の達成に向けて一気に駆け上がる」――ということになります。
 人はがんばろうとすればするほど、「契約を取るぞ」「ゴールするぞ」「優勝するぞ」といった結果にこだわってしまいます。
 しかし、目的を達成したいのであれば「優勝するためにレースをどう進めるか」「契約を取るためには、いつまでに何をするか」というプロセスにこだわることが大切なのです。
 また、途中で「終わった」「勝った」「完結した」は脳にとって「もう働かなくてもいいよ」という"否定語"であることを忘れないでください≫

どんなにプロセスでガンバっても結果が伴わなければ意味がない。そこで陥りがちな態度が、ただただガムシャラにやることです。目的と目標を一緒くたにし、わき目もふらずにひたすらにやる。自ずと客観的な情報が目に入らず冷静な判断もできません。能率も落ちますが頑張っている自己満足だけは高まります。

まず目標ですね。小目標、中目標、大目標を定める。小目標とは目前の作業に集中すること。何時までにどこまでやるのかを決めて状況を判断し、必要に応じて修正します。中目標とはもう少し大きく長いスパンで達成させます。さらに大目標は拡大していきますから、目的そのものに大分近づいてきます。

これが林氏の著書でいうところの「プロセスにこだわる」ことなのです。明快にやることをイメージしていなければ勝利はおぼつかないのですね。言うは易し行うは難しです。

(クリーム色のクロッカスだって、今日はここまで、明日はあそこまで、とプログラムされているのかもしれない)
無理せずに年取ることを恐れまい [2016年03月02日(Wed)]

fumihouse-2016-03-02T18_17_53-1-thumbnail2.jpgウィズエイジングという考え方を知りました。アンチエイジングは、老化を避けて美容や運動、食事によって若い肉体を保とうとする。いわば老いることの否定です。ウィズエイジングは、老化を受け入れることです。With Agingですね。「年とともにそれなりに」と解釈すればいいのでしょうか。

老いれば身体は衰えます。大切な人がいなくなったりすると気持ちも萎えがちです。それでもなお、≪そこから新たな発達や円熟を目指す考え方が土台(中略)加齢による体の変化を(中略)受容しながら、よりよい天寿を全うする≫のがウィズエイジングです(聖教新聞3月2日付け「幸齢社会」桜美林大学名誉教授柴田博氏)。

こうした覚悟をもって社会に貢献する活動を続ければ、≪単純な動作能力が低下しても、英知にまで高められた動作性能力や言語性能力は、生涯にわたって発達する可能性も≫あるとのことで、結果として長寿につながるのです。

健康で長寿を全うすることは多くの人の願いです。等身大に老いを受け入れて、いきいきと最期まで健康寿命を伸ばす。身体は老いても心は老いず。ウィズエイジング、いい言葉を知りました。

(燦々として雲を照らし地表を温める太陽のようでありたい)
安心しいつもと同じく時進み [2016年03月01日(Tue)]

fumihouse-2016-03-01T06_18_21-1-thumbnail2.jpg毎日同じく生活をくり返す。退屈だと思っても、それが安全安心というやつだ。いつもと同じ時間に起きて出かける準備をしたら通勤して仕事をやりくりをして時おり残業や夜のつきあいがあっても家に帰ると住み慣れた家があり家族がおりホッとする自分の時間をもつなり片づけものをしていつもの時間に床につく。休みには出かけたりまとまった家事をこなして友人に会ったり近所づきあいをして本を読んだり趣味の時間を楽しむ。何度でもくり返しができるということは安心につながる。

今朝は出雲市発5時54分の下り益田行きの列車に乗った。これより1時間遅いいつもの列車では卒業式に間に合わないからだ。決められた列車が粛々と運行される。これも安全安心。乗務員の遅刻が常態化し、機械や線路切替ポイントがしばしば故障し、沿線に時折暴動が発生する場所であれば安定した運行などできるはずがない。安全安心を享受できることに感謝の念がわく。

一度春のうららかな陽気を体験した身にとっては、今日の卒業式での寒さは少々ツラいけれども、いつもと同じく安定した社会生活が営めるように多くの人が努力している。それに感謝しつつ、島根県立邇摩高等学校の卒業生たちよ。幸あれ!希望あれ!不屈あれ! 健闘を祈る。

(わが家の黄のクロッカス。軽快に温暖色の黄。鮮やかな明るさでもって、心を弾ませてくれる)