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歯車はエレベーターにて狂うもの [2016年01月31日(Sun)]

fumihouse-2016-01-31T21_56_08-1-thumbnail2.jpg歯車が狂う。幸せだった恋人関係は破綻し、円満な家族は離散し、発展を遂げた会社でも水泡に帰す。仏映画『死刑台のエレベーター』では、当人たちの思惑を離れ、思いがけない出来事によって計画が狂うことの怖さを描いた。

スクリーンに白黒で大写しになった女。熱い吐息を漏らしながら愛を口にする受話器の向こうには愛しい人がいる。30分後には二人だけの世界がくることを約して電話を切った。愛人はジュリアン(モーリス・ロネ)。婦人は名だたる武器商人の妻フロランス( ジャンヌ・モロー)。

クールな都会的ジャズをバックにして完全犯罪のシナリオは進行していたが、計画はもろくも崩れ去ってしまう。そのモチーフとなったのがエレベーターであった。

男はエレベーターに一晩中閉じ込められて女と合流できなかったばかりか、他の殺人事件の容疑者となってしまう。女は消えた男を捜して、不安にかられて夜のパリを彷徨する。想定もしなかった思いがけない出来事に二人は翻弄された。衝動のおもむくままに動く若いカップルによって男と女はますます苦しむ。観客は始めから終わりまでホッと安心できる間もなくサスペンス状態に置かれる。

最初のシーンでモローの右の鼻の穴からのぞいていた鼻毛。気になったが彼女は変わらず美しかった。鼻毛も金髪だから目立たないこともあろう。案外あれは画面に仕組まれたもの。愛しい人との逃避行を前に浮き立って鏡も満足に眺めなかった女の欠損だったのかも。鼻毛の飛び出ている人よ、気をつけましょうぞ。恋にうつつを抜かしていると誤解されますぞ。まっそれもいいかもね。

(松江の京店商店街近くの紺屋小路にあるハートの石畳。大小のハートを揃って踏んだら結ばれると。フロランスとジュリアンはハートを踏めなかった)
タメ口に解説してはお恥ずかし [2016年01月30日(Sat)]

fumihouse-2016-01-30T22_27_22-1-thumbnail2.jpgスポーツ中継ではアナウンサーの横で解説者がしゃべります。なるほど〜うならせる解説もあれば、意味不明だったり、いなくても良かろうと感じさせる解説もあります。なかでもアナウンサーに対してタメ口でしゃべり続ける解説者には不快感を催します。

≪テレビ放送の原則は、出演者とアナウンサーとの間のやりとりを、垂線方向にいる視聴者が見聞きするという特殊な環境下にある。そのことを考えると、アナウンサーはプレーに関わる選手や監督、それを解説する解説者、それに放送を見る視聴者という極めて複雑な人間関係のもとで敬語を駆使していくことを求められている≫
(山本浩著『スポーツアナウンサー 実況の真髄』岩波新書2015年)

タメ口の解説者がなぜ敬語を使わないのかというと、ふだんからアナウンサーと親しいのです(たぶん)。しかも現役時代の実績がありますから、引退後も大御所として君臨しています。下にも置かぬよう周りも扱いますから、偉ぶるようになります。すると解説者席に座ってからもその意識が続くのです。

「出演者とアナウンサーとの間のやりとりを、垂線方向にいる視聴者が見聞きするという特殊な環境下にある」ことをわかっていないのです。大相撲によくあります(反面素晴らしいのが舞の海)。旧時代のプロゴルフ御大にも顕著な傾向でした。

アナウンサーを自分より下に見るのはかまいませんが、マイクの向こうにいる膨大な数の視聴者の存在を意識してほしいものですね。

(セーターを着て温かくなるように、一歩深く理解でき温かい気分になる解説を望む)
見えるモノ世界違えばみな違う [2016年01月29日(Fri)]

fumihouse-2016-01-29T18_19_10-1-thumbnail2.jpg「住む世界が違う」と表現することがあります。育ちも環境も経済力も異次元のセレブがそうかもれませんし、血と暴力にまみれた怖い世界にもいえます。

しかし本当は、一つ屋根の下の家族だって違う世界に住んでいるんです。四六時中接している親友だって、身も心も一体化している恋人同士もそうなんです。

感覚が違います。能力が違います。性別が違います。個々の育ってきた歴史も違えば、友人関係にも違いがあるんです。持っている可能性や運だって違いますから、それぞれ違う主体から眺められる周囲が違わないわけがありません。みんながみんな、住む世界は違うんです。なんか不思議ですね。だからこそ、すべて人はかけがえのない存在といえるのですね。

(花だって各々世界をもっています。人間とは全く異次元世界に咲いています)
記憶して取り出す困難痛ましや [2016年01月28日(Thu)]

fumihouse-2016-01-28T18_47_04-1-thumbnail2.jpg甘い汁を吸っている、甘く利を貪り、私腹を肥やしている。儲け話には目がなく、小股をすくって利益を得る男。そんなふうにイメージされそうで気の毒な苗字だ。

甘利経済再生担当相が今夕辞任を表明した。秘書が現金をもらったとか接待されたとか。そんなことは知らない。甘利氏本人も羊羹包みと合わせて50万円をもらったとかも知ったことではないが、事実はどこにあるのやら。先週の会見で甘利氏は不明瞭な「記憶を検証する」と弁明したが、うまく検証できなかったのに違いない。

記憶はあてにならない。自分自身が写真と文章で綴った記録でもあれば印象深く思い浮かべることもできようが、ふつうは無理だ。物語の世界では振り返るシーンが多用される。あんなふうに映像が頭に再現されたら助かるけれども、そうは問屋がおろさない。記憶はあやふやで私たちを困らせこそすれども、完全に検証するなんて無理なんだ。

私が目撃した犯人の風貌を思い出せと言われても、男女の違いや身長ならまだしも、眼鏡の有無?どんな服?思い出す自信はない。日常は次々と過ぎ去って、私の五感は際限なく体験を繰り返す。脳に残された記憶を呼び覚ます簡便で科学的な方法はいずれ発明されようが、当分は曖昧な記憶と格闘するしかなさそうだ。

(ガッポリ儲けた金の延べ棒ではなく、ゴディバのチョコの包み紙。バレンタイン商戦が真っ盛り)
おもてなし日本のタカラ真似できず [2016年01月27日(Wed)]

fumihouse-2016-01-27T21_05_29-1-thumbnail2.jpg東京五輪の招致で脚光をあびた『おもてなし』。日本で、もてなしの心が当たり前になったのはいつからだろう。

客人をとりなし温かにふるまい、さりげなく声をかけ客に主導させつつも豊富な知識で上手に誘導する。不遜な客も上手にあしらい、ピリッと皮肉の一つも浴びせつつ、また来ようかという気にさせる見事な接客。欲しいモノがなければ奔走して大汗をかく。一期一会の歓待によって地域イメージが高まり、日本の評判が上がる。

日本の昔からの専売特許ではないと思うのだ。極上のサービスや商品を求められる階層がいたのは確かだが、料金も超一流である。ふつう庶民は「買わせていただく」立場であり、資本力がある商売人は「売ってやる」存在であった。なじみ客には至れり尽くせりでも、一見客にはそっけない。ホスピタリティは一部のものでしかなかった。

当然「お客様は神様」ではなく下僕であった。その認識が改まったのは、故三波春夫の言葉が有名になってからだろう。三波にとってお客様とはカネを払って歌を聴きにくる聴衆のことだが、商人たちの多くが横柄なのにいらだっていた当時の購買者がこの言葉に飛びついたと、私は想像する。反対に今は客側が増長しすぎてクレーマー問題も生じてはいるが、革命的変化の起点になったことは確かだ。

武士の商法という言葉があった。武士階級が諸藩から解雇されるに当たり手切れ金をもらう。元手に商売を始めた者のほとんどは失敗した。客を客として遇することができなかったからである。見通しが甘いこともあるが、客あっての商売である。武士のもてなしは「売らせていただく」ものではなかった。

何十年も前に私たちは、国鉄や郵便小包で荷物を送るとき、その煩雑な手続きや手荒い扱いに悩まされた。職員の不機嫌で横柄な対応も不快だった。ヤマト運輸の宅急便によってその理不尽さは解消された。他へも波及した。労組の巨大な力を背景にしてサービス精神は低かった。武士の商法の流れをくむのか、公務員的商売に共通していた。民間だってそう自慢できたものではない。

今やレストラン、銀行、ホテル、コンビニ、、、どこへ行っても当たりまえとなった「おもてなし」の心と態度。時折横柄な店員や局員もいるにはいるが、天然記念物として保存したくなるほど珍しくなった。数十年来の日本の大変身。日本の大きな財産となった。

(紅梅がほのかに香っていた。松江のとある神社。大寒波のあとに春はすぐそこ)
太陽を1万年で廻る星 [2016年01月26日(Tue)]

fumihouse-2016-01-26T18_46_15-1-thumbnail2.jpg太陽系第9惑星が発見されたら、何と名付けられるでしょうか。太陽系の果て、無数の小惑星が群がるカイパーベルトの外縁部にその惑星はあるといいます。地球の10倍の質量がある未知の惑星。さて、名前は?

「水金地火木土天海冥」と言い習わしてきた惑星の座から冥王星が抜け落ちて早10年。冥には、暗くて人目につかず奥深く遠いという意味があります。神秘の星のイメージがただよう良いネーミングです。昨夏探査機ニューホライズンズが探査したばかりですから、冥王星も十分存在感があります。第9惑星に相応しいのは新「冥王星」だと思うのですが、発見国たる米国が黙ってはおりますまい。冥王星はれっきとした準惑星だと。

それに取って代わる惑星ですから良い名前を付けてやりましょう。漠然としておぼろげという意味で「漠朧(ばくろう)星」はどうでしょう? あるいは隠遁した仙人のように実体が見えないことから「隠朧(いんろう)星」は? 水戸黄門の印籠みたいですね。

地球と太陽間が1億5千万キロメートル。第9惑星はその600倍の距離があり、太陽を一周するのに1万年かかるそうです。となると、ほとんど銀河系小宇宙の入り口にあるということで、『門戸星』とか『表門星』はいかがかな? ちと迫力に欠けますね。

(隠朧星には雪が降る、と書きたいところだが、なわけはない。昨日の朝の邇摩高校の積雪は10センチ)
ツンとしたローズマリーに癒やされて [2016年01月25日(Mon)]

fumihouse-2016-01-25T18_32_50-1-thumbnail2.jpg映画『ローズマリーの赤ちゃん』はハーブのローズマリーによって、母親のお腹に宿った悪魔を退散させる物語だと思っていた。ローズマリーには魔除けの薬効があるそうではないか。ローズマリーが母親の名前だとは知らなかった。しかも母役が可憐なミア・ファローとは驚いた。

初めて妊娠する女性の不安をよく表現していると思う。体の中に自分とは違うモノを宿す不安。経験したことのない痛みや感情の変化。自分ではコントロールしがたい体の激変。周囲から祝福されるのが嬉しい反面、不安はつのり感情は千々に乱れる。

ローズマリーの場合は、妊娠期のつらさに加えて、悪魔を崇拝するカルト教団に追いつめられる。ローズマリーがどんなに叫んでも、カルト集団は妊婦の不定愁訴だと説明し陰謀を隠す。つわりがひどいことからくる妄想だと言えば誰も納得する。

産まれてすぐに奪われた赤ちゃんを見て、ローズマリーは声も出なかった。揺りかごの中はカメラの視界にはなかったので、悪魔の形相の赤子がいるのか、手足を切り落とされたダルマのような赤子がいるのかはわからない。

周囲が落ち着き払って、悪魔の子の誕生を祝っている様子を見るうちに、ローズマリーの表情が変わる。母性愛へ替わるのだ。さっきまで恐怖に引きつった顔をしていたのに、自分が産み落とした愛すべき我が子を慈しむ表情に変貌する。

ミア・ファローの豊かな微笑み。母性のその変貌ぶりに誰もが背筋を寒くするだろう。人間とは恐ろしい。カルトの秘密結社はもちろんのこと、それを受け入れた母性愛という狂気を示す恐怖映画だ。もちろん、母性がすべて狂気だと言いたいのではない、念のため。

(母ローズマリーにはこんなに綺麗なシクラメンの花を見せてあげたかった)
この冬の寒波一番春近し [2016年01月24日(Sun)]

fumihouse-2016-01-24T16_55_20-1-thumbnail2.jpgこの冬一番、ここ数十年でもっとも厳しいと言われている寒波が襲ってきています。幸いに出雲・斐川地域では積雪がほとんどありません。風も恐れていたほどのことはありません。今はマイナス摂氏2℃ですし、明朝にかけて大雪警報が出ていますから油断はできませんが、わたしのところは大山鳴動して鼠一匹といった風情です。

しかし四国や九州の人は思いがけず大雪に苦しめられています。島根県内でも、広島との県境付近の飯南町赤名では120センチの積雪という報道を聞いた方から見舞いのメールをいただいたくらい、雪が偏在していますね。被害が広がらないように願っています。

暖かかった22日の金曜日には東風(こち)を感じました。北西の風ではなく、南東からの風でした。この冬将軍があっちへ去れば、代わって春がやって来るのかもしれません。

(24日16時現在、タマリュウの細い葉にかかる雪がうっすら。クロッカスのさらに細くみずみずしい葉が伸びてきた。早春は近い)
鳥の目と動物の目で季節かな [2016年01月23日(Sat)]

fumihouse-2016-01-23T21_51_42-1-thumbnail2.jpg鳥の目で飛んでみたかった。映画館のプロモーションで雁の編隊と一緒に飛翔するシーンが魅力的だった。映画『シーズンズ 2万年の地球旅行』では、大自然の四季の美を背景にたくましく生きる動物の姿を期待していた。憧れは果たされなかった。雁の目は最後に付け足し程度でしかなかった。

ドキュメンタリーというよりはドラマ仕立てのネイチャー教訓集といった趣。映像はすばらしい。野生馬の格闘や狼の群れの組織だった狩り、猪との併走、鹿の出産、ヒグマが巨体を震わせながら命がけで殴り合う様子、巣立っていく鳥のヒナ、針を逆立てて身を守るハリネズミ……。カット割りされたかのような鮮明な映像によって、私は動物たちと一緒に疾走し、ハンターの肉食獣から逃走しているような気分になった。

群れから追放された一匹狼が飢え死にすることなく新しい群れに加入できるかどうかと期待していると、なぜか原始人の少女が出てきて狼に骨をやる。それがイヌの誕生だったと不思議な結末。ナレーターの釣瓶がしゃべる関西弁は自由奔放で面白かったが、人によっては嫌悪感を催したであろう。人間の文明が森を切り開き、戦争も含めてヨーロッパの広大な森を破壊してきたことを非難する説教臭いドラマでもあった。
やり切って押して攻めよと琴奨菊 [2016年01月22日(Fri)]

fumihouse-2016-01-22T18_26_04-1-thumbnail2.jpg大相撲初場所が盛り上がっている。力士や行司にインフルエンザが流行しても、なんのその。大関・琴奨菊が横綱を次々と打ち倒し、日本出身力士の10年ぶり優勝に向かい、いやがうえにも期待が高まる。速報によれば、今日13日目は巧者豊ノ島に敗れたようだが、1敗となり明日はむしろ開き直って2連勝して優勝することを期待しよう。もちろん1敗で並んだ白鳳を決定戦で再び撃破しての快挙である。

琴奨菊が優勝すれば、もちろん初賜杯獲得となる。今日は、横綱を倒したあとに平幕と当たるということで、負けてはいけないプレッシャーでガチガチになったのかもしれない。大きな試練である。遮二無二前へ出て、押して押して押しまくり、「やり切った」と断言できる相撲に期待している。
下駄履きで凍える愚策御免こうむる [2016年01月21日(Thu)]

fumihouse-2016-01-21T18_15_03-1-thumbnail2.jpg私たちは下駄を突っかけるように気軽にクルマで出かけます(今どき日常で下駄を履く人はいませんが)。財布とキーを持てばいいのですから、つい油断してしまいがちですが、最近心がけていることがあります。

コートを持って乗り込むのです。陽気がよい昼間だとドアからドアへ、コートなど不要だと思いがちですが、もしもトラブルに巻き込まれて長時間外に立ち詰めになったとしたら体は冷え切るでしょう。雨や雪が降っていたとしたら危険このうえない。傘とコートは不可欠ですし、夜に備えて明かりもあったほうがよいでしょう。酷暑の頃であれば、帽子があればなおよろしい。

熱ものに懲りてナマスを吹くというのでは困りますが、リスク・マネジメントとして最小限の対策が必要です。その行為が保険となってトラブルがおきない!とまではいかないかもしれませんが、事故をおこさない!決意にはつながると信じています。

(明るく咲いている斑入り山茶花にも、必ず何らかの危機管理があるはずです)
本当の冬に歩こうグリップで [2016年01月20日(Wed)]

fumihouse-2016-01-20T22_20_48-1-thumbnail2.jpg西日本にも本当の冬がやってきました。島根でもずっと続いた小春日和。師走の半ばに冷え込みは一時あったものの、歳末から年始にかけて信じられない暖かさでした。そうは問屋がおろさない。とうとう冬将軍のお出ましです。

昨日は朝から夜まで凍結しました。この冬初めての積雪と凍結。ほんの5センチほどの雪道ではありましたが、滑らないよう注意して歩きました。道路は圧雪してテカテカ。積もった雪は雪玉をつくろうと思ってもパウダースノーで固まりません。

下を向いて背をかがめ腰を落として小股で歩く、靴の裏全面を同時に地面に着地して、手を振らず貧相に歩く。雪道シフトで歩きました。

昨日は重要なことに気がつきました。足指のグリップが大事なんです。いままでは足裏全体を板のように置いて、恐る恐る歩んでいましたが、滑った時には踏ん張りがききません。足指を雪道に立てるイメージをもつと安定することに気がついたのです。

天気の良いときにずんずん歩く時も足指のグリップは使います。地面をつかんでぐいっと跳ね上げるように蹴ると、歩幅をかせいで大股で回転鋭く速く歩けますが、雪道でそれは禁物です。そうではなく、小股で雪道を歩く時にもグリップすることで大事なんですね。

(1月16日(土)には出雲ではこんなに暖かな日和であったのにもかかわらず、天気は急変してしまいました)
伏し目してスターの節目感じつつ [2016年01月19日(Tue)]

fumihouse-2016-01-19T12_51_45-1-thumbnail2.jpgSMAPには解散する自由もないと思った。誰もが認める国民的スターSMAPが揺れた。昨夜行われた報告会見、というか謝罪挨拶は木村が口火を切り、締めも再び木村で3分弱の表明。何を謝罪するのか。誰に対して謝るのか。リーダー中居のおざなり感は何だろう。

木村は「このままだとSMAPが空中分解になりかねない状態」と言った。空中でバラバラになった飛行機や宇宙船は残骸が広く飛び散り損傷は大きい。遺体の収容すらままならない、重大な事故なのだ。国民的人気を誇る彼らに後腐れの残る終末は似合わない。この場を収拾して着地し円満に解散して後はそれぞれが歩みを進めるとも解釈できる。やめないで!コールによって元のさやに収まったと喜ぶファンも多いことだろう。

黒のスーツに白いポケットチーフを揃え、まっすぐに整列し深い礼をする。笑みはなく伏し目がち。葬儀に参列したかのような雰囲気。世間を騒がせしてしまったことを詫び、これからの姿で決意を示すというが、何かの見せしめであるかのようなムードには違和感を感じる。

草gは事務所との確執を正直に述べた。「ただ前を見て進みたい」と締めくくった木村。解散なのか、それとも存続なのか。大きな騒動となったが、結成から25年を迎える大スターの去就に注目しよう。

(並外れた才能を発揮しつつ人々を納得させてきた彼らの団結は崩れるのか、保たれるのか)
交換は人と人との信頼作業 [2016年01月18日(Mon)]

fumihouse-2016-01-18T22_50_13-1-thumbnail2.jpg映画『ブリッジ・オブ・スパイ』の撮影地は、実際にスパイ交換が行われた(東)ベルリンにある橋だという。1950年代にソ連のスパイとアメリカ人の捕虜を交換するに際し、ジェームズ・ドノバンが果たした役割を描いた。冷戦から熱い戦争になりかねなかった状況を好転させた、人望厚い弁護士ドノバンをトム・ハンクスが好演している。

保険分野で顕著な功績があるとはいえ、ドノバンは民間人たる一人の弁護士にすぎない。家族思いの良き市民であった。世のため人のため祖国のために尽くす者はたとえ敵方であろうとも、尊敬すべき存在だと考える人でもあった。

アメリカの交渉全権という立場ではなかった。東ベルリンに乗り込んだはいいが、交渉の場は孤立無援でハードなものだった。場合によっては異国で殺されかねない。しかも使命は極秘で妻にすら本当のことを話していない。

ソ連のスパイは1名。対して捕虜となっていた米軍偵察機のパイロットは1名。さらに東独に滞在していた米国の研究学生まで捕らわれていた。ドノバンは米側の2名を一度に助け出そうと考えていた。

東独の交渉代理人もソ連の交渉人も、1対1で交換すると断言する。アメリカ政府の当局者も同様に考えていた。機密保持のためにはパイロットだけ助ければいい。当局は、冷戦のさなかに共産圏経済を研究する目的で東ドイツに入って拘束された愚鈍な大学生など助けるに値しないと考えていた。

しかしドノバンは違った。人数という「数量」で数えるのではなく、西側と東側の「人間」を捕虜という束で考えて、粘り強く思いやりをもって交渉した。交渉決裂、もうダメか!という窮地もあったが見事乗り越えて、彼はパイロットと学生の二人とも救い出した。敵方とはいえ、冷たかった共産圏の当局者の心も溶かすことができたのである。あきらめないこと、危機一髪の状態にあってもうろたえず冷静であること、人間は信頼に値するものであること、価値観を違えても人はひとであること……重要な価値観を思い出させてくれる、米国人の偉大な歴史であると思う。
経験しびっくりポンと人情け [2016年01月17日(Sun)]

fumihouse-2016-01-17T22_15_46-1-thumbnail2.jpg「びっくりポンやぁ」は、朝ドラ『あさが来た』の主人公あさの口癖です。時々しか見ていないのですが、私が知っているくらい有名になりました。好奇心旺盛で何事も経験してみるあさの姿勢が共感を集めています。

かといって、あさが男勝りの無双剛力で並みいるライバルを打ち負かしていくというわけではありません。彼女も悩みます、戸惑って躊躇もします。主題歌の「365日の紙飛行機」(秋元康作詞)ではこう歌います。

 元気が出ない そんな時は
 誰かと話そう
 人は思うよりも
 一人ぼっちじゃないんだ
 すぐそばのやさしさに
 気づかずにいるだけ

 さあ 心のままに
 365日
 飛んで行け!
 飛んでみよう!

さあ挑戦しよう。さあやってみよう。他人の優しさにも甘えながら、心のままに飛んでみましょうか。
踊りだす曲に合わせて躍るひと [2016年01月16日(Sat)]

fumihouse-2016-01-16T22_12_36-1-thumbnail2.jpgグレン・ミラーが対独戦終戦間近のイギリスにて飛行機事故で死んでいたとは知らなかった。『グレン・ミラー物語』は1954年の映画で、彼の死後5年後に公開されている。

グレン・ミラー役は、「素晴らしき哉、人生!」でもよき妻に恵まれる役だったジェームズ・ステュアート。その妻ヘレンはジューン・アリソン。古きよき時代のアメリカを象徴するコンビである。娘時代は大して可愛らしくもなかった。が、無体だが無邪気に求愛するミラーに夢を感じて結婚する。ヘレンは心ときめく時、夢に向かってミラーとともに進むと決めた時、抜群に顔が輝く。年とともに共同経営者として母としてたくましさを増し、さらに美貌輝く。この映画の魅力は、ダンス音楽にのって軽快に踊るたくさんのカップルや主役二人の熱いキスに、観客が心躍らせるところにある。とても高揚するのである。

グレン・ミラーのスイングジャズ定番曲「ムーンライト・セレナーデ」の誕生秘話が語られる。苦労して下積み時代を経て、バンド結成する。不運もあって夢敗れる。不遇に沈みそうになって、特長ある自分のサウンドを生みだすという夢を忘れそうになる。そこでヘレンがひと言、夢を忘れたあなたに失望したと。その言葉に奮起してミラーは蘇る。再スタートの前日に重要なトランペット奏者がケガをする。それでは曲が成り立たない。徹夜してクラリネット主体のバラードを編曲し、ダンスホールで人びとは踊りを止めて楽団の音に聞きほれる。それが「ムーンライト・セレナーデ」だった。以降、破竹の勢いで楽団は成長を遂げ、人気はうなぎ登りとなる。「イン・ザ・ムード」など有名な定番曲もたくさん聴くことができる。

対独戦の兵士慰問の目的で楽団を引き連れ、軍の大尉となったミラーが戦死するくだりはさらっと描かれるが、銃後を守る妻ヘレンが悲しみを抑え、亡き夫を思うラスト。とても心に残る名シーンである。
久しくも聞かぬ声聴く楽しけれ [2016年01月15日(Fri)]

fumihouse-2016-01-15T18_48_10-1-thumbnail2.jpg十年の時を隔てて声を聴く
わずかにひとつ違うだけ
今となってはほとんど同じ
同じく仲のいい後輩と
結婚してのちいい奥さまさ
すっかり太ったって言いながら
声はかわらず若々しい
聞けば子どももたくさんで
生きる実りを感じつつ
忙し日々をやりくって
友との絆を深めてる
いいな頼もし世は情け
人の情けにかかわって
艱難辛苦も生きる糧
近いうちにと再会を
約して妻が電話とる
女どうしの懐かしさ
言葉の応酬にぎやかに
これで決まったまた会おう
互いに夫婦寄りあえば
きっと楽しい一夜だろ
北の風ひ弱い冬が改まり [2016年01月14日(Thu)]

fumihouse-2016-01-14T18_21_00-1-thumbnail2.jpg島根の沿岸部では北西の冷たい風。この冬初めてだ。雪混じりの雨に打たれると背中がすぼまる。晩秋が延々と続いた12月。冬が来ないと言いつつも、ぬくぬくと節分が来て啓蟄が過ぎ春分を迎えたいと期待する気持ちが半分。雪も積もらないで夏の水不足を心配するのも半分。ともあれ冬がやってきた。

か弱かった冬は弱々しい姿を改めて本領を現した。寒さはこんなもんじゃすまないぞ。この冬は確かにひ弱だ。人間のわたしもお付き合いして、か弱かろう。せめて風邪などひかず、寒さに震えてそこそこで乗りきろう。

(ぬくぬくと温かな空気を逃がさないセーターを着て、この冬を乗りきろう)
違いあり同じに見えて違うもの [2016年01月13日(Wed)]

fumihouse-2016-01-13T18_14_25-1-thumbnail2.jpg「みんなちがって みんないい」とは、金子みすゞのあまりに有名な詩『私と小鳥と鈴と』のフレーズですが、同んなじようであっても個体はそれぞれ個性をもっています。少しだけ違うんです。種としての統一感はありながらも、別なものとして認識することができます。私たち日本人が他の有色人種を見たときに区別しづらかったり、猿山の猿がみんな同じ顔に見えるとしても、慣れれば違いがわかるようになるのもそのことです。

≪私は違いを価値だと考えます。誰もが自分と同じであったとしたら、何の発見も刺激もありません。違うからこそ互いの学びがあるのです。大事なことは、違うからこそコミュニケーションをとり、相手を知る努力をしなければならないという意識です≫ (山口香筑波大体育系准教授「違いは価値である」特別支援教育H27冬号)

「違い」は価値でしょうか。そうですね、価値ですよ。違いに学び、違いに驚き、違いに喜ぶのですね。皆さんとご一緒にという気持ちがあるのは確かですが、完全に同じだったらつまらないじゃあないですか。

今日一日は昨日とは違います。同じ仕事をして、同じ通勤経路を通って、同んなじようなものを食べたとしても、少しずつ違うから面白みも感じるんですよ。ましてや、わたしは私、あなたは貴方。取り替えのきかない存在なんですよね。それが「価値」というもんですよ、きっと。
原因と結果は今のここにあり [2016年01月12日(Tue)]

fumihouse-2016-01-12T18_12_10-1-thumbnail2.jpg現在の因は過去にあり、現在の果は未来にあらわれる。現在の充実や奮闘なきところに将来の輝きはなく、輝きが生まれても悪の因を積めばその先の未来は暗い。私たちは永久に今現在の「自分を引き連れ」て「笑顔で」なければならない。

≪老後に楽しい時間を過ごすために、今の僕は未来の僕の生活に貢献しなくてはいけないと強く想う。自分の人生において世代の断絶があってはならない。年老いた自分は、過去のあらゆる年代の自分を引き連れ、それぞれの世代の僕の希望に耳を傾けながらも追い詰められることなく笑顔でいてもらいたいと願う。≫ (又吉直樹筆「将来の幸せ」/JA共済ミニ冊子「いまを考え、明日を想う」より)

作家又吉直樹はひと味もふた味も違った芸人として進化し続けるだろう。かつてない新たなタイプの文豪に向かって脱皮し続けるだろう。楽しみだ。それはそうと、わたし自身も今の自分を引き連れて未来のわたしに堂々と会えなくてはならないね。
小欲を大きな欲に育てたし [2016年01月11日(Mon)]

fumihouse-2016-01-11T23_26_39-1-thumbnail2.jpg 凡人は小欲なり
 聖人は大欲なり
    二宮尊徳

小さな欲がいっぱいだ。うまく達成できたといっては喜び、いつの間にかいい方向に動いたことを嬉しがる。欲が小さい、器が狭い。欲を出そう。自分にも、家族にも、地域にも、社会全体にも、地球にも。ああなりたい、こうありたい。ああなってほしい、こうあってほしい。ひとは社会的動物なれば、大欲にもっと関心をもっていきたいじゃあないか。

(花も欲をもっている。綺麗な一番いいときを見てもらいたい欲。タネを育てて次世代につなぎたい欲)
父母と子と家族の思い宇宙大 [2016年01月10日(Sun)]

fumihouse-2016-01-10T18_33_23-1-thumbnail2.jpg父ソロは彼を信じた。ベンよ一緒に帰ろう、父さんもう遅いよ、遅くはないんだ息子よ、涙涙……。

それは偽りだった。嘘ではあっても、ベンの中にある善の光をソロは信じた。悪の闇とせめぎ合いながら必ず戻ると信じてソロは消えていった。次作での伏線になっていくだろう。

光と闇の戦いという点で、スター・ウォーズシリーズはハリー・ポッターシリーズと似ている。違うのは、悪と善が完全に色分けされていないところだ。ジェダイはダークサイドにも、ライトサイドにも両方に行く可能性がある。それは心の持ちようにより、友の存在による。フォースという宇宙大の超力を多数の宇宙人民のために役立てるのか、一部の独裁者に益することだけを考えるのか。映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でそれらのせめぎ合いの物語が再び始まった。

エピソード6ののち、30年後には銀河帝国の残党は再び銀河宇宙の平穏を乱し、レジスタンス勢力は軍事作戦を展開していた。巨大な悪の勢力は滅びることはなかったのだ。善と悪の勢力は戦い続けなければならない。魔の生命と仏の生命もひとつの人格に宿って不断に闘い続けるのと同様に……。

新しいキャラクター「BB-8」が軽快に動き、コロコロした声も可愛らしい。C-3POやR2-D2も健在ぶりを発揮する。ヒロインのレイは立派なジェダイになれるかどうか。次のエピソード8が待ち遠しい。

(光と陰が互い違いに窓を彩るブラインド。ライトサイドとダークサイドのように)
逆上し手元に銃があるときは [2016年01月09日(Sat)]

fumihouse-2016-01-09T22_09_17-1-thumbnail2.jpgひとは誰でも逆上して狂ったように物を投げつけたり、常軌を逸した良からぬ言葉を吐きつける。あるいはしないようにじっと堪える。狂気にかられたときに、手元に危ない凶器があったとしたらとんでもないことになる。

「気違いに刃物、アメリカ人に銃」という言葉がある(物議をかもすかもしれないが、私の造語)。米国内で頻発する銃乱射事件。銃による殺人はごく当たり前。年間の死者数は3万人を超えるという。米国民の1万人に一人が銃の犠牲になって死ぬ。

このたびオバマ大統領が大統領令を出して規制に乗り出した。共和党は銃保持の権利を保障する合衆国憲法に違反するとして反発しているが、そもそもなぜ限定的な大統領令なのか。法律でキチンと制限するよう、徹底的に共和党やライフル協会と闘うべきなのだ。

米国には3億丁もの銃が流通しており(つまり国民一人当たりに一丁の計算)、殺傷能力の高い最新式銃も野放図に売られていることが問題なのだ。狂気にかられたときに身近に銃という凶器があるのかないのか、それが肝心なことなのだ。

(カッときたときに手元には美味しいコロッケがあるほうが望ましい)
ゲーテ言う扉を開き試みよ [2016年01月08日(Fri)]

fumihouse-2016-01-08T19_07_22-1-thumbnail2.jpg文豪ゲーテは言っています。

 人生はおよそ二種類のものがある。
 できるけれどもしない。
 したいけれどもできない。

したくても出来ないものはやむを得ません。しかし私には「できるけれどもしない」ことが多いようです。ゲーテは背中を押してくれています。

 あなたにできること、
 あるいは夢見ていることがあれば、
 今すぐ始めなさい。
 向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です。

まずは着手することですよね。やってみなければ始まらない。やったらちゃんと出来るかもしれないし、誰かが助け船を出してくれるかもしれない。いずれにしても「今すぐ始め」ることですよね。失敗したとしても再チャレンジすればいいんです。再びゲーテの言葉です。

 なんでも希望をもつということは、
 それ自体が立派な行いです。

(美味しい林檎だって、知らない人にとっては未知のもの。毒を含んでいるかも、と勘ぐってしまうかもしれない。まずは信じて食べてみることが大事。そこに希望がうまれてくる)
感染を避けて通れや人びとよ [2016年01月07日(Thu)]

fumihouse-2016-01-07T18_05_24-1-thumbnail2.jpgエイズが広く知られてから30年以上たちます。今でも発症患者もしくはキャリア(ウイルス感染者)への差別がなくならないのは、不治の病というイメージが強いからでしょう。主にセックスを介して秘めやかに感染することもあります。しかし、今では治療薬でもって発症や病状進行を遅らせ、普通に生活できるようになりました。

医師の処方を守り適切に治療すれば、病気をコントロールできます。そもそもエイズ(AIDS)とは、HIVウイルス(ヒト免疫不全ウイルス)の感染がもとで免疫力が低下する病ですから、ウイルスに感染しても早めに抗HIV薬を使ってウイルス増殖を抑えられます。ウイルス量が多いほど速く病気が進行するからです。

HIVウイルスに感染すると、数週間後にインフルエンザのような症状(発熱・筋肉痛・頭痛)が現れますが、その後自覚症状のない時期が数年続きますので、初期症状の際が勝負です。すぐに検査しなければなりません。その間にも免疫力は低下し続け、日和見感染症(普通なら免疫力で抑えられても、それが出来なくなる)を発症するようになります。

エイズ感染には3つの経路があります。
 1/性的接触による感染(握手や入浴では感染しない)
 2/血液を介しての感染(血液付着に注意)
 3/赤ちゃんへの母子感染

薬でコントロールできる病気になったとはいえ、感染は極力避けなければなりませんし、危ない橋を渡ろうという気になってはいけません。特に若いひとは注意です。くれぐれもいいパートナーを選びましょう。

(追記16.1.10)感染防止の有効打がコンドームです。ラジオ番組を聴いていたら近頃の若者でコンドームを知らない人がいるとのことでした。「いいパートナー」の条件は、コンドームをたどたどしくても確実に使おうとする男であること。愛しているからといってやたら体を求めない男であること、です。
現在と未来と過去は同居して [2016年01月06日(Wed)]

fumihouse-2016-01-06T18_05_27-1-thumbnail2.jpgいま現在のわたしにとって時間は、
今、今、今、今、今、今、今、…………
という具合に主観的に流れていきます。

客観視できる他人にはわたしのことが、
………過去、過去、今、未来、未来………
という時系列に見えているでしょう。

わたしにだって写真や過去の文章、他人からの言葉によって自分自身を時の流れにしたがって客観視することはできます。それでも自分の成長ぶりや堕落する経過はその場で見えにくいものなのです。

新年を迎えるにあたり、あらたまった気持ちで元初の太陽を眺めやる。人間だけにできる高尚で深い決意です。新年の午前零時に厳粛な気持ちで迎えたあの時間から早くも六日目。ケジメがついた特別な時間が今では平凡な時間にかわりました。

平凡、それでいいんですけどね。淡々と進むのがいいのですよ、きっと。
イスラムのペルシャかアラブか覇権かけ [2016年01月05日(Tue)]

fumihouse-2016-01-05T20_58_46-1-thumbnail2.jpgペルシャ対アラブの静かな闘いが始まった。熱い戦いにならないよう願う。サウジアラビアはイランとの外交を断絶させ、イランの外交官全員に退去するよう求めた。

サウジアラビアはアラブ世界の金持ち大国。イランは世界に君臨したペルシャ帝国の末裔。両国ともにイスラム教ではあるが、アラブは主流たるスンニ派を信奉し、イランは傍流のシーア派に属する。

今回の断交はサウジアラビアの大使館や領事館がイランの群衆に襲撃されたことが発端だ。襲撃は2日にサウジアラビアがシーア派指導者をテロリストとみなして処刑したことに始まる。それぞれに言い分は異なるが、スンニ派のバーレーンとスーダンも同調してイランと断交したというから、スンニ派国対シーア派国というイスラム教同士が骨肉相食む争いが始まりそうだ。

となると、”静かな闘い“ではすまなくなるかもしれない。同じスンニ派とはいえアラブ諸国とも対立し超過激に世界イスラム革命を目論むISも勢いづくだろうし、シーア派が主導するイラクだって国内多数派のスンニ派を押さえ込めなくなる恐れもある。中東はさらに混沌の度を増す。

第二次大戦中に中東で石油が見つかっていなければ、中東諸国が金満国になっていなければ、世界は違っていたと思うけれども、いまさら元には戻れない。せめて冷たい戦争のまま推移するよう祈る。

(暖冬にも水仙は華麗に咲いている。雪中の四友はそろった。スイセン、サザンカ、蝋梅。梅も暖冬で開花したところがあるらしい)
気遣って空気のような愛しひと [2016年01月04日(Mon)]

fumihouse-2016-01-04T21_22_02-1-thumbnail2.jpg当然のように空気のように気遣ってくれる人がいます。恩着せがましくはなく、押しつけるねちっこさはもちろんない。改めて周りを見回してみれば、あなたのすぐそこにいますよ、きっとね。見えませんか?

映画『アパートの鍵貸します』(原題:The Apartment)を見ました。クリスマスイブから年明けまでの物語です。バクスター役のジャック・レモンは全ての人に対して気遣うことはありません。フラン・キューブリック(シャーリー・マクレーン)に対してはまさにそれなんです。フラン、なんて可憐で清々しいんでしょうか。それでいてスカッと思い切りがいい。映画のいいテンポと相まって素晴らしいのですが、彼女はバクスターの気遣いに気がつけなかったのですね。年上の上司との色恋に夢中だったとはいえ、バクスターの愛に早く気づいてほしかった。でも最後はハッピーエンドだからいいんです。

ニューヨークの保険会社に勤めるバクスターは平社員ですが、住むのはセントラルパークに面した古いながらも由緒あるアパート。日本でいったらダイニング、キッチン、寝室のそろった独身用マンションといった風情です。そこを彼は会社の上司が不倫相手とのお楽しみに使うために提供していたのです。小遣い稼ぎと昇進が目当てだったようですが、あれだけ気遣いのできるバクスターがそんな下世話なことに手をつっこむとはとんでもないですね。でも彼はその賤しさには気がついていたのですよ。「人間らしい人間になりたい」と。

あれこれあって新しい人生を独り始めようとしていたバクスターのもとへフランが駆けつけます。「愛してる」とささやくバクスターにフランはあえて調子を合わせず、二人でトランプゲームを続けようとするのです。フランの照れなんでしょうが、可憐でいて、彼女の強さも表現しています。

バクスターが風邪をひいてティッシュペーパーを箱ごと持って鼻をかむシーンがあります。1950年代、日本ではちり紙を一枚一枚めくっていた時代に、アメリカではティッシュの箱なんだ、アメリカの消費社会はすごいなぁと感心して見ていたのですが、考えてみると何でバクスターのアパートを連れ込み宿として使っていたのでしょうか。要はニューヨークにはあの当時ラブホテルがなかったということです。不思議だと思いませんかな。
時間過ぎ区切りの三日目更けていく [2016年01月03日(Sun)]

fumihouse-2016-01-03T21_53_30-1-thumbnail2.jpg新年、2016年、平成28年が始まる区切りがありました。改まった気持ちで迎えた新しい時の流れがありました。午前零時は毎晩くるものですが、新年の午前零時に私たちは格別で厳粛なケジメを感じます。時間はいつでも平たいものであり、新年とは人間が設けた単なる区切りであるにもかかわらず、特別な意味をもたせるのが人間です。平凡な日々の時間経過は変哲もなく過ぎる「時」で、記念すべき「時」は刻まれる時間が別のものであるわけはありません。元旦だけ25時間、てなことはないのです。

ウラシマ効果という言葉があります。浦島太郎が竜宮城で過ごした数日間に、地上では何百年という時間が過ぎていきました。楽しい時間はあっという間に過ぎるのです。光速に近い高速度で宇宙空間を移動した人はあまり年をとらないのに、地球ではとてつもない時間が過ぎる。映画『猿の惑星』でチャールトン・ヘストンが人類を奴隷化していた進化猿と戦うという空想物語もあり得ない話ではないのでしょう。

正月三日目の夜も更けていきます。あれよという間に明日から仕事が始まります。ひさびさの仕事が楽しくて、時間があっという間に過ぎる一日であってくれると嬉しいですね。

(関東から西では3月並みの暖かい一日だった模様。写真の沈丁花はツボミだが、すでに花開いたものもあった)
ヒゲ生やし男の株が上がるかな [2016年01月02日(Sat)]

fumihouse-2016-01-02T20_18_09-1-thumbnail2.jpgひとはなぜヒゲを生やすのだろうか。動物のオスとしての本能がなせることなのか、髪を生やすのと同様に顔に生えた毛を伸ばして自己主張したいという意志なのか。剃ったほうがキレイだと言われそうだが、おそらくそれでは本能を満たせない。漢字の部首は、髪と同じように髪冠が使われている。読みは「ひげ」一本でも、髭がくちひげ、鬚はあごひげ、髯がほおひげをさす。

わたしもヒゲを生やしている。28日朝に剃って以来5日間伸ばしてみた。完全な無精ひげだとみすぼらしい不潔な感じになるし、疲れたオヤジに見えるはずだから、口ひげ以外は剃っている。口ひげも鼻の下全部を残すのではなく、上下を少しずつ詰めて残している。ヒゲを整えるのはなかなか大変だ。ばっさりと丸ごと剃ってしまうのがどれだけ簡単かが改めてわかった。少しは貫禄が出ただろうか。似合うという人もいた。

長さを細かく調整できるヒゲ用電気トリマーが売らているらしい。それを使ってヒゲの青年やオヤジさんがせっせとヒゲの手入れをしていることだろう。わたしはどうするかって? 三が日が終わって4日の仕事始めの日になったら、あっさりと剃ってしまおうと思っている。

(無精ひげではない。石蕗(ツワブキ)の黄色い花のあとには種ができる。タンポポの綿毛をがさつにしたような綿毛だ)
ピンチあり007は水戸黄門 [2016年01月01日(Fri)]

fumihouse-2016-01-01T23_53_54-1-thumbnail2.jpg007は水戸黄門。元旦恒例の映画で今回は『007スペクター』を見てそう感じました。ジェームズ・ボンドは窮地に陥ります。宿敵に捕まりどうにもならない絶体絶命の瞬間を迎えます。しかし次の手があるのです。自分の力か、仲間の力を借りて窮地を脱します。女に色目を使うことも忘れません。なによりも死なないから安心して見ていられます。

なぜ水戸黄門なのか。主題のテーマもいつもと同じ。ギターの低音でたたみかけるお馴染みのメロディが心地よいのです。冒頭のヘリコプターでのアクション、激しすぎるカーチェイス、列車内での乱闘、砂漠基地の大爆破。どんなに痛めつけられてもボンドは必ず危険を脱し大団円となることがわかっているからです。水戸黄門の印籠が皆を平伏させるのと同じ効果があると思います。

今回は51歳のボンドガール、モニカ・ベルッチが話題になりました。メキシコの大親分の妻という設定で、ボンドとのキスシーンが官能的でした。イタリアの宝石と言われるだけあって、見事なプロポーション、長い艶やかな髪、憂いをおびた惹かれる表情。それらが冒頭だけしか見られなかったのは残念でした。

もう一人のボンドガール、レア・セドゥ(マドレーヌ役)ともボンドは結ばれます。遊び半分ではなく、本気モードで二人の生活を築きたいと決意します。二人の絡みもセクシーで肉感満載です。マドレーヌの美しいドレスも印象的でした。筋書きに少々無理があるのは確かですが、元旦ファーストデー(料金が一律1100円)を私のほか多くの客が楽しみました。