CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 2015年11月 | Main | 2016年01月»
<< 2015年12月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
検索
検索語句
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新コメント
ふみハウス
心地よし父の胸にて寝入る子よ (02/05)
心地よし父の胸にて寝入る子よ (01/27) ふみハウス
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/26)
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/23) 駅伝ワクワクをとこ
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02)
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02) 食欲のをとこ
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (11/02) 正中館道場
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (10/28) 計算苦手をとこ
筋力と宇宙の闘い空間で (06/29) 計算する者
筋力と宇宙の闘い空間で (05/15)
http://blog.canpan.info/fumihouse/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/fumihouse/index2_0.xml
最新トラックバック
幸運を祈り年明け待つ時間 [2015年12月31日(Thu)]

fumihouse-2015-12-31T20_29_13-1-thumbnail2.jpgひとは誰でも、好事を求め悪事を厭います。幸運を祈り悪運を呪います。おみくじや星座占いでもって吉凶を占います。験(げん)をかつぎ凶事の兆しを遠ざけようとするのです。

大分県が先日、関係する機関が発行したカレンダーに六曜が記載されていたとして回収を発表しました。県は「六曜に科学的な根拠はなく、公的な刊行物に掲載するのは不適切」と述べ人権教育を進めるうえで六曜は差別を助長する迷信や因習の一つだと挙げています。島根県でも同様に、迷信にとらわれることは巡って差別にもつながるとして撤廃を求めていますが、六曜はなくなりません。

六曜の歴史は古くはなく明治の頃から始まった習慣ですが、ここまで影響を持つようになるとは当時の誰も思わなかったでしょう。結婚式は仏滅を避けよ、葬式に友引は厳禁なり、とする慣習に縛られています。結婚の将来は本人たちの責任ですからいいとしても(ちなみに息子の結婚式は仏滅)、葬儀に出席した誰かが体調を崩そうものなら、日が悪かったと恨まれそうです。

ここはいっそ、皆さんご一緒に!というお得意のパターンが有効だと思うのです。法律で六曜を全廃してしまうのです。そもそも六日周期で吉凶がめぐってたまるもんですか。

まっそれはともかく、すべてのひとが幸を求めた2015年が終わろうとしています。紅白歌合戦もプログラムが進んできています。

29日と30日、穏やかに晴れました。年末年始の天気としては信じがたいことです。今日は冬型が入ってみぞれ混じりの雨もありましたが、晴れ間も見えました。どうぞ佳い年をお迎えください。
母と暮らして天を向く [2015年12月30日(Wed)]

fumihouse-2015-12-30T22_51_24-1-thumbnail2.jpg忘れたいのに忘れられないことがある。忘れてはいけないのに忘れてしまうこともある。前者の典型がショック状態をフラッシュバックさせるPTSD(心的外傷後ストレス障害)であろうし、後者が戦争体験や津波体験であろうか。後者については、教訓としては忘れてはならないが、苦しみ続ける当事者にとっては忘れられないまでも、ひとまず横に置かなければ前には進めない。

映画『母と暮らせば』は、山田洋次監督の故井上ひさしへのオマージュである。有名な演劇兼映画の『父と暮らせば』(広島が舞台)の母版を長崎の舞台でつくりたいと二人はかつて話し合ったことがあったという。

死んだ『父』は故原田芳雄が演じて、「うちは幸せになってはいけん」と原爆で生き残った負い目を抱えたまま暮らしていた娘(宮沢りえ)の応援団となって新しい生活へと送りだす。『母』は吉永小百合だ。「私は一生彼のことを思って独りで生きる」と決めていた許嫁町子(黒木華)のことを死んだ息子浩二(二宮和也)とともに、新しい生活へと送り出そうと橋渡しに努める。単に応援団にはなりきれない息子。気持ちが交錯する健気な恋人たちに涙を誘われる。

『父』で娘は行ったり来たりの葛藤を繰り返した結果、大団円とはいかないが後ろ向きの生活に終止符を打つ。一方で『母』ではハッピーエンドとなっており、私には安直な昇天劇と思えた。

長崎の原爆死没者を慰霊するこの映画には、母が原爆病と闘いつつも、亡霊となった息子と一緒に泣き笑いした思い出を肥やしに生き続けるという設定は難しかったのかもしれない。老いた母が独り老いを養うのはやはり可哀想だと、私も思う。
歩きかた雨に降られて外に出ず [2015年12月29日(Tue)]

fumihouse-2015-12-29T23_19_53-1-thumbnail2.jpg遅いウォーキングに出ました。満月を4日ほど過ぎた月が低い東の空から道を照らしてくれます。オリオンが棍棒を振り上げて、右肩にある赤いベテルギウスがつくる大きな正三角形が神々しいですね。子犬座のプロキオン、大犬座のシリウス。どちらも犬には見えませんが、三つの明るい恒星でつくる大三角形は全天一の気高さです。

ウォーキングは雨や雪が降るとやりません。いつもの冬だと週に一回か二回程度しか出られないのですが、この冬は四回も五回も夜中に歩き回っています。天気が良いことの証明です。冬の大三角形を連日見る経験はそうそうできるものではありません。

「らしくない」冬です。西高東低の気圧配置で北西の風が吹き晴れ間があっても雪や雨が断続して降る典型的な冬、ではないのです。しかも気温は下がらない。風がないから体感気温も高い。

いいことずくめのように思えても、苛烈なまでの惨禍が今年は各地で頻発しました。出雲では幸いになかったとはいえ、時の運次第では惨事がないとは言い切れません。穏やかな夜にあって、穏やかでないことを想像しています。

(正月の縁起物、わが家のセンリョウを飾った)
自動車と自動運転近未来 [2015年12月28日(Mon)]

fumihouse-2015-12-28T22_34_58-1-thumbnail2.jpg「自動車」という言葉にはウソがある。自動車は自動にあらず、今となっては『自動運転車』のみが自動車ということになる。自動車があたりまえになった現代だからこそ出てくる疑問であって、自動車が珍しかった昔にはない。人足が肩に乗せた重いカゴを持ち上げるのでもなく、人がペダルをこいで自転車を走らすのでもなく、ただ箱の中に乗った人が手元で操作するだけで車輪が動いていく。これほど不思議なことはなかったであろう。昔の人は、不思議にも箱がひとりでに動くと思ったはずだ。

ところがどっこい、自動車が日本国内だけでも何千万台も走るようになると、自動車は自動ではあり得ない。悲惨な事故が頻発し、人もクルマも無残な姿をさらす。自動的に安全を保障するのではなく、人間が安全運転に努めてはじめて自動車になることを私たちは知る。だから、確実に安全で疲れを知らず、人間の快適性を実現する『自動車』には期待したいのだ。

ホントの自動車たる自動運転車の実用化は近未来にある。人間が運転しなくてもすむ『自動車』によって大型免許や二種免許といった資格は持たなくてもよい。運転しながら酒だって飲めてしまう。自動運転にまかせておけば安心だ。

システム上のプログラムミスや偶然から起こる事故は起こるかもしれないが、ヒューマンエラーによって起こる事故の確率に比べればはるかに小さい。年間10万人を超えるという怪我人が減る。何よりも5千人の死者とその周囲で悲しむ家族が極度に減ることは間違いない。危険運転をする無謀ドライバーはいなくなるだろうし、不調によって正常な運転ができなくなることもない。事故は絶対に減る。

メーカーサイドから言えば、事故が起こった場合に、機械が悪いのか人間が悪いのかという問題が出てくるようだが、わからなければ事故調査を徹底すればよいし、両者の保険で折半すればよろしい。早いところ『自動車』を普及させてほしいものだ。

(タマリュウの青い実。光沢があって青い真珠のようだ)
パフェ食べてペンを走らす師走なり [2015年12月27日(Sun)]

fumihouse-2015-12-27T12_59_23-1-thumbnail2.jpgパフェを食べました。ベルギーチョコレートを使ったチョコプリンと濃厚なチョコアイスに、生クリームとチョコソースをたっぷりかけたチョコレートパフェ。

ファミレスに朝から陣取って年賀状を書いています。文面の印刷は先週終わっていました。昨夜「筆ぐるめ」を使って宛名を印字したのですが、以前のバージョン比べて便利な機能を付けたわりには、使い勝手が悪くなっており、ソフトメーカーに文句を言ってやりたい。でもそんな暇はない。宛名を文面に重ねて印刷する失敗もありましたが、ともあれ両面の印刷を終えました。あとは一言を書き添える。それをファミレスでやっているのです。

朝ご飯を兼ねた昼ご飯の合間に食べたのがチョコパフェ。甘いものが心地よく喉を通っていきました。パフェを食べ終えてひと息ついて、今し方書き終えました。めでたし!です。

(歳末とも正月とも、ましてや年賀状とも関係ないが、健康的で美味しそうな色合いのパプリカだ)
すばらしき演技と縁起白黒よ [2015年12月26日(Sat)]

fumihouse-2015-12-26T23_59_24-1-thumbnail2.jpg1946年の『素晴らしき哉、人生!』(原題:It's a Wonderful Life)は、まさにワンダフルな映画です。クリスマスの奇跡をおじさん二級天使がユーモラスに演出してくれます。急展開して笑って泣いて、幸せな気分で映画館から出ることができます。

主人公ジョージがすべてに絶望して死のうとするときに、二級天使は彼が存在しなかった場合の世の姿を見せます。それが余りに悲惨なのです。現実世界のジョージが世のため人のために尽くしてきたことの証明となって、彼に生きたいという希望を湧きたたせます。自分の人生はムダではなかった、もっと希望の火を灯し続けたいと思うのです。

【縁起】という言葉を思いました。縁起とは仏教の根本思想。すべての事物は因果(原因と結果)が縁(条件)によって生起するもので、固定して動かない実体などない空(くう)の存在だと説きます。だからこそ、人々の意志と行動で結果たる未来を変革できるという能動の思想です。

ジョージの一挙手一投足が周りに影響を与えます。喜びも悲しみも感情の全てが縁となって周囲を変えていきます。存在そのものが縁であり、因果関係を持つのです。彼はそのことに気がついて幸福感を取り戻しました。感謝してさらに人に尽くそうと決意するのです。

私たちも同じです。縁起によって生かされて、生かしていくのです。少々イヤなことがあったとて、私たち一人ひとりがかけがえのない存在であることがよく感じられる映画です。数年前にも見ましたが、何度見てもワンダフルな映画です。

(今日買って食べたポンカンもワンダフル。この栄養素とミネラルが私の身体を作る因果となる)
よい年を迎えてくださいお互いに [2015年12月25日(Fri)]

fumihouse-2015-12-25T18_28_16-1-thumbnail2.jpg「よい年をお迎えください」と言葉を交わしあって別れます。年が明けるまで会わない人にはそう挨拶します。

フルに言えば、「本年もいろいろとお世話になり、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。どうぞ佳いお年をお迎えください」となりますが、『よい年』にはどんな意味が含まれているのでしょうか。

歳末の慌ただしい日々、忙しくて猫の手も借りたい、掛け売りの清算をする借金取りは駆け回り、債務を繰り延べようとする庶民は逃げ回る、大掃除もしなくちゃならないし、正月を迎える準備だって相当大変だ……。そんなあれこれを昔のひとは一切合切うまくやり遂げて、平穏無事な初日の出を拝むことを望んだのでしょう。

昔は数え年でしたから、元旦になると誰もが一斉に一つ歳をとっていました。健やかに安穏に正月を迎えたい願望が強かったことでしょう。きっと『よいお年を』には、幸せに歳を一つ重ねたいという人びとの願いが幾歳月、色濃く重ねられてきたのではないでしょうか。

それでは皆さん、よいお年をお迎えください!

(歳末になおも残るアサガオ。寒気が大陸から降りてこない。西高東低の気圧配置にならない。北西の風も吹かない。なぜだか歳末が押し迫ってくる感覚が希薄だ)
モーニング爽やか父になりたしと [2015年12月24日(Thu)]

fumihouse-2015-12-24T18_34_32-1-thumbnail2.jpg三週間ほど前にモーニングコートを着ました。結婚式の父親の定番です。主役は息子たちだったので写真はあまり残っていません。裾の長い尻尾のいでたちがどんなだったのか不明です。サスペンダーで縞のズボンを吊った感じは思いのほか快適で、革ベルトで腹周りを閉めるのに比べると、いくらでも腹いっぱい食べられそうでした。

ネットで注文しました。WEBカタログで少し細身の型とズボンの柄、ネクタイを選んだらサイズを入れて申し込み完了です。翌日電話がかかってきて、ウエストは小さくないかと。通常パンツのサイズである76センチを指定していましたが、170センチの身長からすれば余裕を持たせたほうがよいとアドバイスされました。当日着てみるとドンピシャの正解ではないですか。

妻の留袖もあわせて借りましたから少し安くなって1万2千円ほど。往復の送料込みの料金です。コストパフォーマンスも優れています。新品ではないですが、シャツやハンカチーフも含めシミはなく、生地の傷みもありません。靴下まで入っています(これだけは返却不要)。梱包も丁寧でしたし、式が終わったらホテルから直送です。クロネコヤマトの伝票が同梱してあって簡単です。

その他、成人式や七五三、卒業式にも利用できそうです。『晴れ着の丸昌』。お勧めですよ。機会があればお試しくださいな。
ニッポンの青い実育ち世界へと [2015年12月23日(Wed)]

fumihouse-2015-12-23T22_45_28-1-thumbnail2.jpg大学入試センター試験を根本的に変えるそうだ。文部科学省の専門家会議が2020年度から「大学入試希望者学力評価テスト」という名前に衣替えするよう提言した。まずは国語と数学の二教科から始めるが、記述式で思考力や判断力、表現力を評価する指標をつくる。

今のセンター試験のマークシート方式をやめて振り出しに戻すことを「衣替え」と表現しては物足りない。衣装だけでなく、乗るべき馬まで替えるという点で「鞍替え」と言うにふさわしい。

記述式が増えることは、問題作成に手間がかかることを意味する。採点に一貫性を持たせるためには設問者の意図が絶対視されることになるが、それでいいのか。高校の授業の仕方も相当変えなくてはならない。受験生を受け入れる大学側にも、送り出す高校側にも大きな負担が課されることになる。間違いが増えるし、時間もかかる。

そもそも二次試験は何のために行うのか。思考力や判断力、表現力を求めるのであれば、二次試験で各大学が工夫すればよいし、現にそうなっているはずだ。推薦入試やAO入試なども含め、大学の入学選抜はすでに多彩になっている。一次のセンター試験はコアな基礎学力を判定する今のやり方でどこが悪いのか。

高校段階で学生の力はおよそ未知数だ。その時点で完成形が見えるわけがない。大学で学力を伸ばし、多くの知識と経験を取り入れて伸びていく。世界に通用する学術のレベルが今の大学全般で低いという認識が文部科学省にあるならば、国立大学への交付金を減らすために目前の成果ばかりを求める今の手法を改めて、もっと知の地平を広げ峰を高める方法を考えたらどうなのかと思う。大学入試改革でセンター試験をやめるというのは愚策である。

(学生はまだ青い実と同じ。オリーブが美味し実をつけるには時間がかかるように、人を育てるには時間がかかる)
太陽と冬がさしあい暦かな [2015年12月22日(Tue)]

fumihouse-2015-12-22T18_49_19-1-thumbnail2.jpg今日は冬至。昼間が最も短いとはいうが、松江の日の入りは16時59分で、最も早い12月初旬に比べれば数分遅くなった。日の出は6時13分。1月半ばまで朝の始まりはさらに遅くなる。寒さも増して朝起きるのがつらい。

今日は一日中お日さまが凛々しくて暖かだった。暗くて寒いこの時季に太陽が照ってくれるとありがたい。

クリスマスもある。正月の賑わいもある。旧正月を祝う人たちもいれば、節分で近頃は恵方巻きで楽しむ。バレンタインデーには、惚れた腫れたのドンチャン騒ぎ。あげくの果てにはホワイトデーで愛情返し。息つく暇もなく人びとは皆、寒さを忘れて春を待つ。たちまち梅だ、椿だ、桜だ。爛漫の春を楽しめる。
人の身に起こる三つの坂なれば [2015年12月21日(Mon)]

fumihouse-2015-12-21T18_21_02-1-thumbnail2.jpg人生には三つの坂があるという。「上り坂」、「下り坂」、そして「まさか」である。オチがついて頭に残りやすいだけでなく、真実を簡潔につく三つだ。

上り坂は万事が好調。上りの傾斜をものともせずにグングン進む。下り坂では見通しが悪くなり、やることなすこと思いどおりにならない。下手をすると足下をすくわれて転がり落ちる。そして、まさか。下り坂なら心の準備もできようものに、喫緊の事態が迫り想定を超えた出来事に襲われると、何で今なんだ、何故起こるのだとホゾを噛む。一寸先は闇と言うが、よもや自分の身に起こる不幸せに落ち込むヒマもない。それこそが奈落の底だと思い知る。

「まさか」に対処する方法は二つ。一つは胆力を磨き、むごい出来事にも善後策を最大限に尽くすこと。そして、大変な事態を引き起こさないように危ない芽はあらかじめ摘んでおくこと。前者はクライシス・マネジメントといい、後者はリスク・マネジメントという。危機管理は誰もが考えておかなくてはならないことなのだ。

(もうすぐクリスマス。浮かれた気分のその夜も、まさかの坂は容赦をしない)
ぼうぼうと望坊ぼ防と忙乏某 [2015年12月20日(Sun)]

fumihouse-2015-12-20T22_51_35-1-thumbnail2.jpg今年も残すところ11日。忙しさにかまけて、やるべきことをまだやってない。無いこと、失うこと、忘れることは【亡】。この字は、滅びることや死ぬこと、逃げることも意味する。【忙】の字は、心を失って落ちつけない状態を示す。繁忙なことはある面うれしいことだが、過ぎるのは困る。

やがて【乏】の字となって、とぼしくなる。何が乏しいかというと、余裕が乏しくなって部屋にこもってしまいたくなる。すると【房】の字だ。区切られた小部屋に閉じこもるうちに、【防】の字になる。防御的になり、自分を守る防衛の意識が強くなる。【暴】になったりすると困ったもんだ。自暴自棄になり、【棒】でも持って暴力に訴えるようになるとたまらない。外に出るときも【帽】子を目深にかぶって目立たないように努め、名前を明かさない【某】として暮らしたくなる。ときには【坊】と呼んでもらえて甘えられる存在も必要だ。なんといってもこの歳末に、新年2016年向かって【望】みがなくてはならない。と支離滅裂な今夜の文章。

(少し早めか、蝋梅が咲いた。今日は年賀状のデザインを決めて印刷だけは一応終えた)
赤だいだいイチゴかヤマモモ冬の色 [2015年12月19日(Sat)]

fumihouse-2015-12-19T18_08_48-1-thumbnail2.jpg写真の実は、イチゴノキというそうな。苺の実に似ていなくもないが、苺のツブツブとは異質だし、形もほぼ球形だ。むしろ山桃のギザギザがある実を何倍かに膨らませた感じではなかろうか。葉っぱも山桃に似て常緑の深緑色だ。地中海地方や西ヨーロッパ北部に原産する木らしい。試しにかじってみたら淡泊に甘かった。リキュールに漬けると美味しいということだ。

11月から12月の今時分、実と同時季に馬酔木やブルーベリーに似た花も咲かせる。実と花が同時に形をなす。ハスの花・蓮華も実と花が同時だが、それは原因と結果、すなわち長い修行の果てに幸福境涯はあらわれるのではなく、決意を固めて日常を始めた瞬間に幸福という結果は備わっていくという因果を仏法では説く。

写真のイチゴノキは、弟の義父が大切に育ててこられて、今2m余りの大きさに成長した。ある手術を受けられて今は入院されているが、早く退院されて御家族ともどもの団欒を楽しまれるよう祈っている。年末には冬らしく寒くなると思われるが、このイチゴノキは赤橙色のみずみずしさで退院された御当主を玄関先で迎えてくれることだろう。
酒を飲み人にのまれて一夜明け [2015年12月18日(Fri)]

fumihouse-2015-12-18T23_25_03-1-thumbnail2.jpg酒は百薬の長という。酒は気違い水ともいう。舌が滑らかになってコミュニケーションが円滑に進み楽しくなる。毒舌が過ぎて言い合いになり不快なまま別れてしこりが残る。軽やかに他人を助けたくなって喜ばれて笑顔が広がる。良かれと思ってやったことがやり過ぎて嫌われる。ふだん言えなかったジョークで軽口をたたいて受けまくってゲラゲラ笑う。思わず本音が飛び出してひんしゅくを買っていたたまれなくなる。思わぬ知り合いに出会って声をかけて多くの話題に花が咲く。大して親しくもない人に声をかけたばっかりに気まずい思いを長々と抱く。

酒の功罪、酒の明暗、酒の強弱、酒の甘辛、面白いもんだ。
一目ぼれ言葉尽くさず絵文字かな [2015年12月17日(Thu)]

fumihouse-2015-12-17T18_32_16-1-thumbnail2.jpgピクトグラムと呼ばれる絵文字があります。絵単語とも言いますが、非常口のサインが有名です。トイレや車椅子、優先座席、禁煙席、サービスエリアなど、もはや多くの人が知る常識となっています。ひと目で情報を表現し、注目を集めたり、危険のサインを直感的に伝達として有効ですね。

このピクトグラム。1964年の東京オリンピックから始まったというではありませんか。言葉が通じなくてもコミュニケーションが可能となります。今や世界の公共空間になくてはならない存在ですから、日本人のオリジナリティとして誇るべき資産です。

次の2020年東京オリンピックでも新しい意匠が考案されているそうです。その一つにベビーカーマークがあります。子どもを乗せたベビーカーを押す大人がデザインされています。男女共同参画を企図して大人はスカートではなく、中性的なイメージです。ひと目でわかるステキなデザインだと思います。

各競技のピクトグラムもさらに洗練されるでしょうし、オリンピックが始まる頃にはスマホやタブレットの自動翻訳ソフトもレベルが上がり、外国人とのコミュニケーションも相当楽になるかもしれませんね。

ケータイ、スマホの世界で絵文字といったら無数にありますね。日本人はこんなことが得意なんですから、競技場とロゴがふりだしに戻ったとかで、マイナス思考になることなく、得意分野で世界から注目を集めていきたいものです。

(花もピクトグラムになってはいるが、実物を見るのが楽しいというものだ)
真ん中にブラブラしてるタイの先 [2015年12月16日(Wed)]

fumihouse-2015-12-16T18_28_44-1-thumbnail2.jpg「男の真ん中にあってブラブラしているものなあに?」。答えはもちろんネクタイで、チンチンと答えた正直者が赤面する仕掛けだ。ネクタイの起源として男根説は昔からあって、西洋鎧に付属していたゴッドピース(丸く股間を覆って守る金属)が男を象徴するものとして、首回りに場所を変えて華やかになったという。

兵士の布説もある。恋人から贈られたお守りの布を首に巻いて出兵したクロアチア兵士を真似て、多くの男が験を担いだ。それが平時にも流行し、タイの先は戦う剣の形を表したという。両説ともに、故郷や家族、恋人を守りたい男たちの戦う姿勢を象徴したものだ。

ずっと前に送別の記念にネクタイをもらったことがあったが、結局一回だけ使って捨ててしまった。私に似合わなかったのだ。ネクタイは嗜好のものであり、お気に入りは何度でも締めるが、そうでないものはネクタイハンガーの下に埋もれてしまっている。好みのネクタイは傷みやすい。締めて解いてまた締めてをくり返す。食べ物のシミがつく、引っかかってホツレができる、剣先が擦れて哀れな状態になる。やむを得ない。エイヤッと捨てるしかない。

そしてお気に入りのネクタイを探し歩くことにしよう。手に取るまでもなく、見た瞬間にピンときて、首元に合わせてみると、これしかないと思えるやつを探しに行こう。

(ネクタイの機能の一つは防寒。今夜から冬が押し寄せてくる。首もとを適度に閉めると暖かい。今日は朝から邇摩高校の百合樹(ユリノキ )が寒々しく風に揺れていた)
ヒヤリとし無事か事故かと心揺れ [2015年12月15日(Tue)]

fumihouse-2015-12-15T18_20_48-1-thumbnail2.jpg【無事】に過ごすか、【事故】に遭うか。誰でも安全に過ごしたいのが当然です。そうは問屋がおろさない。危険な局面に針が振れることがあります。ハインリッヒの法則で示されたように、ヒヤリとする局面が300回あれば、そのうちの29回が危機一髪の場面となり、うち1回は重大な事故となる。ヒヤリハットの局面を少なめていかなければなりません。注意していても一定の確率で事故は起こってしまうのが悲しいところです。

【無事】と【事故】の間には無数のグラデーションがあり、刻々と針が振れていきます。クルマの運転を例にとってみましょう。恋人と喧嘩して捨て鉢になった状態で運転し故意同然に起こす事故もあるでしょう。注意を重ねて運転し家が近づいてきた安心感から油断して起こしたものもあるでしょう。

事故は自分の責任だけでは起こらない。無謀運転の対向車がハンドルを切り損ねるケースもあれば、後続車にあおられてスピードを出し過ぎて側壁にぶつかってセンターラインをはみ出すケースもあるでしょう。欠陥車が偶然にぶつかるケースや、道路上に思わぬ障害物が現れて不幸を引き起こすケースだってある。

雨や雪、夜間の条件不良で起こることもあれば、一つの条件では事故にならなくても不運が重なって事故につながる場合もあります。あらゆるバリエーションを考えてしまうと、運転なんて出来なくなってしまうでしょう。

リスクをあらかじめ想定しておくリスクマネジメントも必要です。十分に備えても事故は起こります。起こったときにはどうするか、というのがクライシスマネジメントです。なんとかやりくりして危機を脱しなければなりません。【無事】に過ごすことって難儀なことなんですね。ホントに、誰にとっても。

(蓮の葉の上にのる水玉。表面張力でコロコロと揺れて気持ちがよさそうだ。揺れ過ぎると蓮池の藻屑と消えて楽しみは終わる)
旅に出て人を変えさすチカラあり [2015年12月14日(Mon)]

fumihouse-2015-12-14T18_34_52-1-thumbnail2.jpg吉永小百合とともに長崎・原爆後を舞台にした映画『母と暮らせば』に出演した嵐の二宮和也が、こう語っている。

≪以前、アメリカに映画の撮影で1ヶ月くらい行っていたことがあるんですけど、撮影を終えて帰ったら、家の中だけ出発前のまま時間が止まっているように思えたことがあって‥‥‥。それはきっと、家よりも自分が成長した瞬間だったんですよね。旅には人を変化させるチカラがあるし、それはとても素敵なことだと思います≫ (二宮和也談『旅の途中』SKYWARD December 2015)

思いがけない発想に驚いた。それでいて、なるほどと納得した。旅はハレの場である。たくさん移動して、多くのものを見て、幾重にも出会いを重ねて、舌鼓をうって、カメラには無数の景色が満載され、頭には思い出が駆けめぐる。それがハレとしての旅というものだ。

へとへとに疲れて帰ると、「出発前のまま時間が止まっている」家のたたずまいがある。わたしは今までわびしいと感じていた。ハレの世界からケの世界に引き戻されて、夢よもう一度と願う気持ちとはうらはらに、現実が容赦なく押し寄せてきて悲しいと感じていた。日常に無事戻った安心感はあっても、「家よりも自分が成長した瞬間」と思うこともなく、旅が持つ「人を変化させるチカラ」を感じたことはなかった。そうなのか、「それはとても素敵なこと」なんだなあ、と私にも思えてきた。

(どこで撮影したかはスッカリ忘れたが、黄の小ぶりなラッパ型の花にもチカラがある)
冬空に高校生の声響け [2015年12月13日(Sun)]

fumihouse-2015-12-13T15_52_35-1-thumbnail2.jpg季節ごとに開催する邇摩高フェアがやってきます。ウインターフェア2015は、12月23日(水)の天皇誕生日10時にオープンします。邇摩高生が運営する模擬会社「ファイブ・スター・カンパニー」は、今年度から始まりました。フェアを行うごとに接客を学び、地域の方々とふれあいを体験する実習を通して、勤労観や職業観を育んでいきます。コミュニケーション能力も高まるでしょう。当然儲けることも大切ですので、多くの方のご来校とお買い上げを期待しております。

【日時・場所】
□平成27年12月23日(祝)10時〜14時
□邇摩高等学校 体育館

【内容】
□ビジネス、農業、福祉、文化、生活の5系列ごと
□販売/餅、野菜、草花、加工品、フライドポテト、クッキー、干物、プリンなど
□イベント/神楽上演(浜商高生と邇摩高生)、人形劇、餅つき大会など

(邇摩高校の農業クラブの生徒が育てたシクラメン。cyclamenの名のとおり蕾を順繰りに開かせて楽しませてくれる。紅色が中央部から周囲に向かって微妙なグラデーションがある)
協力し幸せ求めて三姉妹 [2015年12月12日(Sat)]

fumihouse-2015-12-12T22_48_08-1-thumbnail2.jpg映画『宗家の三姉妹』の原題は「宗家皇朝」。清末期から中華民国建国のころ、国内で最も資産のある宗一族。長女・靄齢(あいれい)は孔子の子孫である富豪孔家に嫁ぎ金力を持った。次女・慶齢は孫文と結婚し中国人民のために働いた。三女・美齢は蒋介石と結ばれ国民党で権勢を誇った。宗家と孔家、孫家、蒋家が一体となって王朝的な栄華を極めたという雰囲気を原題からは感じるが、実際はそうでもない。

三姉妹が集まるとかまびすしい。華やかで楽しくて話題が尽きることがない。女きょうだいって羨ましいと思う。長じるにつれ、各配偶者との関係もあって姉妹の間にはすきま風が吹いたりもするのだが、姉妹の絆の深さから関係を悪化させず、一族の結束は保たれる。3人ともアメリカに留学し語学堪能、才色兼備で魅力にあふれている。

蒋介石は共産党排除しようとして徹底抗戦を堅持する。一方で日本軍が国土を蚕食しているにもかかわらず、蒋介石は頑固だった。その蒋介石が西安で拉致されて国民党軍と共産党軍が協力するに至る場面は出色だった。三姉妹の力も遺憾なく発揮された。
傾聴し子どもにとっての最終ライン [2015年12月11日(Fri)]

fumihouse-2015-12-11T18_00_59-1-thumbnail2.jpg「子どもの声に、耳をすます電話」というキャッチコピーがあります。小中高生に名刺大のカードを配るチャイルドラインです。

≪チャイルドラインは、どんな悩みも受け止める、18歳までの子どもがかける無料の電話。言いたくないことは、言わなくてかまわない。君の言葉に寄り添って、ともに考えたい。世界は、学校と家だけじゃない。いつでも君の助けになろうとする大人が、ここにいることを、覚えていてほしい。悩みは、言葉にした瞬間、小さくなる。≫

チャイルドラインしまねの2014年度報告書を見る機会がありました。チャイルドラインしまねが受けた電話を再構成して(プライバシーに配慮)列記してあります。

●友だちとけんかした。わたしから謝る方がいい?
○いつも一緒に帰る子がいるんだけど、今日、別の子に誘われてその子と帰ったら、近くの子がいつも一緒に帰る子が泣いていたと教えてくれた。謝ろうと思って、その子の家に行ったら、その子のお母さんに「会いたくないと言っている」と言われた。どうしよう。
●すぐ怒りだす友人がいる。気づかなかっただけなのに、なぜ無視するのと怒る。謝ってばっかり。
○たたく子がいる。止めてと言ってもたたいてくる。言いつけたと怒りそうなので、だれにも言えない。
●仲の良い友だちにいじめられた。友だちは「いじめるしかなかった」と言っている。

えっそんなことで!?というなかれ。彼ら彼女らにとっては大問題。空気をうかがい空気に従い、空気をつくっているように見える子でも、見えないクビキに縛られて行動を変えられないのです。なんて不自由なことでしょう。一見なんでもできる自由な国日本、しかしこれほど不自由な国はないのかもしれません。

(東京スカイツリーの脇に咲いていたヤツデの花。放射状の雄しべが架空火星人の触手のようで、薄オレンジ色に金粉をまぶした雌しべが意外と美しい)
冬空にダイヤに月に宇宙ロマン [2015年12月10日(Thu)]

fumihouse-2015-12-10T18_24_37-1-thumbnail2.jpg今日は朝から雨降りですが、ここ数日の星空は澄んでいました。特に一昨日は見事でした。雲がすっかり払われてクリッとした夕景があり、そのまま宇宙への窓がクッキリ広がったのです。

琴座ベガと白鳥座デネブと鷲座アルタイルがつくる夏の大三角形。これが西にすべて沈むころに、攻守交代して冬の星座がお目見えします。プレヤデス星団にオリオン座。夏ほど明るくはないですが、冬の天の川も見ごろです。文字どおり綺羅星のごとくに1等星が並びます。10時を過ぎる頃には冬の巨大ダイヤモンドが全貌をあらわします。

オリオン右足の白面のリゲル。全天一明るい恒星大犬座シリウス。白々しい子犬座プロキオン。赤黄がかった双子座ポルックス。御者座の黄のカペラ。牡牛座のアルデバランは赤色巨星。これらを結んで縦に長大な六角形ダイヤモンドの出来上がり。

丸い巨大な天球に輝く星を結んでできるダイヤモンド。宇宙一大きな宝石です。この素敵なダイヤを誰にあげようか。暗闇を背景にしてまばゆく光るダイヤです。なんたる絢爛さ、どこまでも豪華。

朝は朝で雄大でした。あと2日くらいで新月となる細い月の近くに金星が目映く光ります。月の直径を20個分ほど離れて黄色い火星があり、さらに20個で木星です。大宇宙のロマンに心ひかれますね。

(宇宙に比べたら素粒子一つの大きさにも及ばない東京スカイツリー。つまり人間はなんて小さいんだろう)
受け身でも脳はカリカリ活性化 [2015年12月09日(Wed)]

fumihouse-2015-12-09T19_47_19-1-thumbnail2.jpgわたしの通勤はのんびりしています。早朝に起きて慌ただしく出かけて最寄りの駅に着くまでは大忙しですが、一度列車に乗ってしまえばあとはのんびりしたものです。松江、米子方面に向かう列車ならば混むのですが、反対方向はガラガラです。早朝の列車には早出の高校生が乗る程度で、四人掛けのボックス席には私ひとりきりです。

新聞を広げます。ラジオ講座を聞いてブツブツ反復練習しています。本を取り出して気ままに読み進めます。必要な連絡や気になる友人にメールを送ったりもします。ブログの材料を集めることもあります。どちらかというと自発的な頭脳活動をすることが多いので、脳は活発に動いているような気がしていたのですが、今回東京へ行ってみると意外とそうでもないと思ったのです。

私の毎日では外からの刺激(目や耳)に反応して状況をつかみ、次にとるべき行動を判断するという頭の働きは必要ないのです。決まったルーティンに従えば自動的に職場にたどり着けるのです。

乗り換え駅で表示を見つけ出して目的地にたどり着く。入り組んで迷路になった道を進み、人の波をかき分けながら表示を逃すまいと上を向いて足早に歩く。都会に暮らすころは簡単にそれができたのですが、瞬時に見て判断し行動に移すことが、今は難しく感じるのです。東京の鉄道路線の変化はめまぐるしく、あちこちでしょっちゅう工事が進行中という事情はあるにしても、モタモタし過ぎです。これも私が田舎暮らしのゆとりに安住し過ぎていることの表れです。都会に住みたいとは思いませんが、頭をクリアにするためにも、好奇心を存分に羽ばたかせるためにも、時々都会の雑踏に迷う経験をしてみなければなりません。

(のんびりとは対局にある東京のスカイツリー。羽田空港からスカイツリーがある押上駅に着くまでに何度乗り換えたやら)
エンペラー演じたジョンの情緒かな [2015年12月08日(Tue)]

fumihouse-2015-12-08T18_49_31-1-thumbnail2.jpg映画『ラストエンペラー』は、かつて封切られた時に見たのに、内容はすっかり忘れていた。溥儀が皇帝だったころの回想シーンと、中華人民共和国の一人民となった後のシーンが交互に描かれる。そして1967年に彼が死ぬとき、相容れなかった二つの溥儀の人生は結びついて昇華する。壮大な映像美に包まれて深い感慨にふけった。

青年期以降の溥儀を演じたジョン・ローンが印象深い。日本の成宮寛貴に似て、東洋人でありながらどこかエキゾチックな情緒があり、妖気さえも感じる。美しい顔立ちが老人になっても高貴さをにじませる所作に魅力がある。

キーワードは「儀式」と「牢獄」と言えようか。即位のその瞬間から、朝起きて夜寝る、食べることから排泄するまで、慣習と儀典の決まりにがんじがらめにされている不自由さ。儀式というものは時々であれば改まった気分になってよいものだが、四六時中だと疲れる。彼らは生まれたときから貴い血筋だから平気なんだろうか。そうではあるまい。ましてや、事実上の皇帝として君臨した西太后が死ぬ間際に指名した皇帝であり、帝王教育を受けられなかった溥儀は可哀想だったと思う。

家の主として国の頂点に立っていながら、何ひとつ自分では決められず、家の玄関から外へすら出ることができない。こんな不自由があるだろうか。即位の瞬間から牢獄に入れられたのに等しい。しかも時代が悪い。西欧列強や大日本帝国に国土を蚕食され、皇帝としての実権力などない。辛い日々だったと思う。皇后が阿片に溺れたのもわかる。

中国史上おそらく最強の帝国・清朝最後の皇帝。そして日本が傀儡として形だけの皇帝とした満州国の最初で最後の皇帝。毛沢東という事実上の皇帝はいたものの、形としては中国史最後の皇帝。ラストエンペラーとともに、中国の歴史と現在からは目が離せない。

(インターコンチネンタル東京ベイのロビーにある照明。混沌とした中国の雰囲気を思わせる)
水滴のガラスのかなた隅田川 [2015年12月07日(Mon)]

fumihouse-2015-12-07T18_14_00-1-thumbnail2.jpg印象深い出来事があったあとは、一日後には「昨日の今頃はあんなことをやっていた」と思い、もう一日経つと「一昨日の今頃はああだった」と思い返し、一週間後には「もうあれから一週間経つなぁ」と感慨にふける。人間とはそんなものである。

昨日の結婚式も同じこと。今わたしは記憶を反芻しながら微笑んだり、新郎の父の挨拶でああ言えば良かったと少し後悔などしているが、これからそんなことが続くであろう。

そうした印象深い出来事から二年、五年、十年、三十年と経ったらどうなるか。記念の日を振り返る機会がなかったとすれば、きっと記憶の端にも上らない。佳きことですらそうなのだ。ごく普通の一日が記憶と印象の底から頭に浮かび上がってくることがあるだろうか。きっとない。

だから文字に書き留めておく。ブログに書いておく。家族との会話でもって印象を深く残し、折に触れて振り返る。写真を見直す。いろんなことを活用しながらく人生の1ページを振り返ることが大切なことだなあと今思っている。

(ホテルインターコンチネンタル東京ベイから見た朝焼けの隅田川河口付近。スカイツリーの朝のシルエットもなかなか素敵な眺めだった)
衰えて都会でモタモタ年をとる [2015年12月06日(Sun)]

fumihouse-2015-12-06T20_04_22-1-thumbnail2.jpg思えば衰えたものだ。都営浅草線に乗り込んだ。座ろうとしたが、モタモタしていたために発車してしまった。古い車両だから始動がスムースでないとはいっても、ここまで足腰の粘りがなくなっているとは。慣性の力が働いてごろりと横に倒れ込んでしまった。幸いにケガや打ち身はない。

思えば衰えたものだ。歩いて疲れてくるうちに背中が丸まって猫背になる。やがて歩幅も狭まって遅れが目立つ。進行速度の調整が必要となる。乗り換えの際に自分で確かめることをせず、単に前を行く同行者の後を付いていくだけになりがちだ。

思えば衰えたものだ。式の進行につれ興味津々で眺めるのが本来の姿なのであろうが、目配りが行き届かない。自分の尺に合った手近な話題しか提供できなくなる。新しい知識や経験の積み上げが困難になるのだ。

あんた、そんなに老け込む歳じゃないでしょ、って言いました? いえいえ私のことではないんですよ。母のことなんです。今回久しぶりに遠出をして気がついたことでした。ふだんの慣れた生活の中ではを気がつかなくても、こうして都会の雑踏を歩き、結婚式や披露宴といったイベントごとに参加してみると、思いもしなかった母の老いを感じて、もっと親孝行しなくちゃと思った2日間でした。父も同じことですが、特に母の姿を見て思ったのです。

(息子の嫁さんが持った薔薇のブーケ。穏やかな晴天のもと、多くの方々に笑顔の祝福をいただいて、二人は希望の船出を飾ることができた)
ガム噛まずホゾを噛んでる君と僕 [2015年12月05日(Sat)]

fumihouse-2015-12-05T09_19_22-1-thumbnail2.jpg危機管理というのは、希望的観測を排除してリスクを大きく見積もるところから始まる。油断、慣れ、慣習、準備不足、不機嫌、頼り過ぎ、思わぬ天災や事故など、そうしたものが私たちの目論見を崩していく。リスクをやたらに大きく考えると膨大なコスト高を招く。反対に小さく考えると希望的観測となって、こんなはずではなかったとホゾを噛む。

≪希望的観測(ウィシュフル・シンキング)──旅行者のみならず、人類にとってまことに厄介な言葉である。
 「かくありたい」という願望は、人の心の中で「かくあるべし」と変化し、一瞬ののちには「かくある」と断定されてしまう≫ (浅田次郎『真夜中の対話』SKYWARD December 2015)

ホゾを噛む前に、余裕をもってガムでも噛みながら、笑顔でいきたいもんだ、と反省を込めて出雲縁結び空港から飛び立った東京便に乗っている。
冬がきて山笑う日を楽しみに [2015年12月04日(Fri)]

fumihouse-2015-12-04T19_20_42-1-thumbnail2.jpg『山の歓喜』 河井醉茗
  あらゆる山が歓んでゐる
  あらゆる山が語つてゐる
  あらゆる山が足ぶみして舞ふ、躍る

冬は始まったばかりだ。冬将軍が襲来する。気圧配置は典型的な西高東低。クリスマスで賑やかな歳末ではある、正月の艶やかさで気持ちは弾む。それでも寒さは容赦なく私たちを責めさいなむ。

醉茗の詩を見るがいい。醉茗の詩に酔うがいい。山が色合いを気持ちかえて、「山笑う」季節は必ずやってくる。そのときを楽しみに!
思い出の傘が凶行血を流し [2015年12月03日(Thu)]

fumihouse-2015-12-03T18_26_11-1-thumbnail2.jpg思わぬ物が凶器となってケガをしました。昨夜出かけた折に雨が降り始めたのですが、クルマに入れてある年代物の傘を取り出しました。娘が小学生のころに使っていたオレンジ色で小ぶりのかわいいやつです。ところが寿命がきたんですね。風にあおられて、柄のところからポッキリと折れてしまったんです。

思い出の傘ではありますが、壊れてしまったものは捨てればいいんですが、帰りに不運なことが起こりました。また使おうと開いたときに、折れた軸の金属が手のひらをこすったのです。哀れ、私の手首に近い手のひらの丘の部分がパックリと口を開けました。長さは2センチ以上、横幅は傘の軸のサイズです。あれよという間に血がしたたり落ち、すぼめた手のひらが血の池となりました。

トホホです。水道水で痛む傷口を洗い流し、ハンカチを血に染めながら強く圧迫して止血しようと試みます。もらったカットバンを貼り付けて当分の間押さえつけました。

家に帰り着いてから消毒しカットバンを貼り替えます。そろそろと風呂に入って再び貼り替えました。1日近くたった今もカットバンにはジクジクした血がにじんできます。もちろん何かが当たれば痛い。しばらくは神経を使うことになりそうです。

油断があったのは確かです。しかしもし、手のひらを越えて手首に突き刺さっていたら、二の腕に大きな傷口ができていたとしたら……と考えれば最小限の被害であったことを喜ぶことにします。そして用心用心ですね。なにごとも。

写真は、雲一つない暖かい昨日の空。穏やかでずっと続いてほしいと思っていたのですが、夕方からは崩れて風雨が強まりました。冬の天気は長くはもちません。天候の急激な変化、そして折れた傘には注意いたしましょう。
人はみな病の種を潜ませて [2015年12月02日(Wed)]

fumihouse-2015-12-02T21_56_48-1-thumbnail2.jpg≪生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている≫

これは今年の本屋大賞をとった『鹿の王』(上橋菜穂子著,角川書店,2014年)で、主人公のひとりホッサルが発する言葉です。ホッサルは医術者で、もうひとりの主人公・闘士ヴァンとともに謎の死病、伝染病である黒狼熱と戦うのです。黒狼熱を引き起こすウイルスの抗ウイルス薬を作ろうと努力を続けました。

現実の世界では、アフリカでのエボラ出血熱は小康状態となり、エイズにも効く治療薬が開発されてきています。しかし新しい伝染病は生まれます。インフルエンザも型を次々と変えて人間を脅かすものです。病は外からやってくるものですが、免疫力が弱れば発症します。

「病の種」は私たちの身に潜んでいます。罹患することは嫌ですが、かかるときにはかかるもの。その覚悟が必要かもしれません。

(黄色と濃い茶の鮮やかなパンジー。黄は元気の出る色。そして中国清朝の皇帝だけが使用できた色だ)
降り積もりぬるめの燗で男と女 [2015年12月01日(Tue)]

fumihouse-2015-12-01T18_46_04-1-thumbnail2.jpg高倉健はどこを切っても高倉健だ。映画『駅 STATION』もそうだった。いつもの髪型、同じようなジャンパー、自分は幸せになったらいけないとでも言いたそうな渋い表情。かつてこの映画を見た記憶では、倍賞千恵子との行きずりのロマンスが印象に残っている。健さんが幸せになろうとした矢先に恋は破綻して物語が終わった。

今回改めて見て思った、サスペンス仕立てになっていたとは。尊敬する上司を撃った犯人に再び出会い、結果として復讐を果たすまでの年月を描いた。三上(健さん)は、凶悪犯を狙撃する屈強の警察官であり、正当防衛とはいえ犯人を撃たなければならない自分に苦悩する。不運にも殉職した仲間の悲惨な姿がフラッシュバックしつつ終幕に向かって、北海道の舞台に雪が降り積む。寂れた街あり。老いた母あり。酒場の女がいて、謎の過去がある。

大晦日の夜の桐子(倍賞)とのシーンは素晴らしい演歌の世界だ。居酒屋の桐子とともに三上は八代亜紀の「舟歌」に聞きほれる。肩を寄せあい、ぬるめの燗であぶったイカがいい、女は無口がいいと聞く一方で桐子は饒舌だ。しみじみ飲んでしみじみ想い出が行き過ぎる。涙こぼれて桐子は無口になった。吹雪の駅、すなわち女の波止場から三上の乗ったディーゼル車は発した。

健さんは寡黙で寂しさを背中にあらわす、けれども強い男。昭和演歌の世界が似合う人だった。