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ほおばって甘さ至高にカカオかな [2015年11月30日(Mon)]

fumihouse-2015-11-30T23_01_25-1-thumbnail2.jpg甘いものが好きだ。
なかでもチョコレートが好きだ。
甘いもののなかでも一番好きだ。
なかでも板チョコが好きだ。
一個ごと包んだチョコでなく銀紙をむいてポリポリとほおばるのが好きだ。
薄いところ厚いところ、溶け具合が違って至高の境地。
ああ、ほしくなる〜。

(ポインセチア。濃い紅と濃い緑。ふたつそろってクリスマスの色だ。今年もあとひと月)
ナルシスが不審人物ならぬよう [2015年11月29日(Sun)]

fumihouse-2015-11-29T23_04_51-1-thumbnail2.jpg私には、列車待ちの時間がたくさんある。山陰線仁万駅の鈍行や快速列車を待つ時間には、運動不足解消をかねて散歩することが多い。ある時は仁万港を目指しきらめく海を眺めながら歩く。またある時は仁万田台の田園地帯から仁摩サンドミュージアムがある山手のほうへ歩いて夕景を楽しむ。

少々時間はかかるがJR通勤もまんざら悪くないと、私は思っているが、歩きまわる見慣れないヒトがいれば近所の人は不審に思うだろう。ふつう歩く人は、犬の散歩ぐらいなものだろうからそう思われるのも無理はない。

私はあいさつする。すれちがう人ごとに「こんにちは」とか、今時分は「こんばんは」と声をかける。自分から声をかけるような不審人物はいないだろうから、不審に思われないだろうと思っている。

仁万の人はよくあいさつを返してくれるから嬉しい。特に小学生は無効から積極的に「帰りました」とハキハキとあいさつしてくれるのが気持ちいい。

あいさつするということは、相手の顔を見ること。何か悪いことを企むようなヤツらは顔を見られたくない。だから仁万ではきっと空き巣などの犯罪がないのに違いない。

(仁万駅近くに早くも咲き始めた水仙の花。ナルシスの故事にちなんでつけられたナルキッソスの名前のとおり、下を向いて気恥ずかしげだ)
暗闇と明るさ反に比例して [2015年11月28日(Sat)]

fumihouse-2015-11-28T23_52_22-1-thumbnail2.jpg闇は深ければ深いほど暁は近い。光が明るければ明るいほど、闇は深くなる。そのコントラストで人は悩む。

意味深なことを書いたが、きっかけは大したことではない。昨夜真っ暗になってから、あるお宅にものを届けにうかがった。舗装された道から玄関まで長い導入部があるお宅だ。農家でビニールハウスが続いている道をたどって家にいたる。舗装されていないその道は泥と砂の道で凹凸がたくさんある。昨日の雨でたくさん水たまりがあった。

明かりを持っていなかったものだから、車のライトを点けっぱなしにして照らして道を行った。ライトが役に立つ。帰りも役に立ったようだった。車に乗ろうと最後の歩みを進めたら、なんとそこには水たまり。あえなく私の靴はびしょびしょになった。ライトが明る過ぎて水たまりのあたりは真っ暗闇だったのだ。

(本文とは何の関係もないが、邇摩高校の前庭に柚子が実っている。レモンのようにきれいなレモン色をしている)
大女優大きい目鼻で幻の技 [2015年11月27日(Fri)]

fumihouse-2015-11-27T19_09_12-1-thumbnail2.jpg幻の女優・原節子が95歳で死去したニュースがテレビを賑わした(日本は平和でよろしい)。訃報に接し篠田正浩監督は、「演技をしているのではなく、そこに存在しているだけで役ができてしまう人でした。むしろ演技では出てこない真実がそこに現れていて、これは映画の中の奇跡だと思いました」と言っていた。あちらこちらで、映画界の宝とか、日本映画史上まれな名女優だったという賛辞が聞かれる。

小津安二郎映画では必見の女優だ。同じく定番の笠智衆もそうなのだが、私には台詞の棒読みに思えてならない。小津映画だけではなく、昔の映画は全般的にどの俳優も一本調子な印象があるのだ。存在感の圧倒的な俳優がそこにいるだけで十分だというのだが、どうも私には今どきの俳優の演技が自然体で納得できる。

あの時代は棒読みが求められていたのだろうか。棒読みすることで人間の本質を表現できるという考えが主流だったのだろうか。それとも昔の人はみんなあんなふうに話していたのか。そもそも今でも私たち日本人はあんなしゃべり方で会話しているんだろうか。

もちろん過去の大男優、大女優の演技にケチをつけるつもりは毛頭ない。この異質な感覚を説明してくれる人はいないものか。午前10時の映画祭では近いうちに、原節子主演の映画を上映する。今一度じっくり見てみたい。

(圧倒的なる季節の存在感。写真は10月末の紅葉だが、今やもう葉っぱは残されていないと思う。強くて圧倒される寒波がやってきた)
手袋をなくし見つけた両日で [2015年11月26日(Thu)]

fumihouse-2015-11-26T17_42_54-1-thumbnail2.jpg手袋なくなった 黒皮の手袋なくなった 愛用していたのに 仕方がないので毛糸の手袋持って出た

今朝はもっと寒くなった 一気にズドンと冬が来た 秋を満喫していたのに 風呂の上がりに冷気を浴びせられた気分

コートを出した 歩きながらポケットに手をつっこんだ コロコロしたものが2つ 丸まって季節を過ごしたお気に入りの黒手袋 かわいそうになあ そのまんまクリーニングに出していた あったからよしよし うれしいぞ 変わらずにあったかい

(荒れ気味の今朝の日本海。強風波浪注意報が出ている。朝の雲は灰と白と薄桃色で、空は薄く引き伸ばした空色)
浮かんでは消えていくもの冬の風 [2015年11月25日(Wed)]

fumihouse-2015-11-25T18_26_27-1-thumbnail2.jpgまとまった文章を書くとき、いくつかのステップを踏むものです。それを考えてみました。

まずは【浮かぶ】、才能ある人ならば【降ってくる】のでしょう。ふっと思いつき、イメージが湧いてきて、何か賢くなった気になります(やがて錯覚だと知りますが)。すぐにメモしたり、書き進めないと忘れます。こんないいアイデアを忘れるわけがないと思っても、スッカラカンに忘れるんですよ、ほんとに。

続いて【広げる】。単語やワンフレーズがひらめいたら、思考を広げていきます。言葉を連ねていきます。表現するうちに、まだるっこい説明調子になって、最初の喜びが萎んでいくのもこの時です。反対に思いがけなく発想が広がる場合もあります。着想が妙案を呼び、なにげない形容が大風呂敷となって楽しくなることがたまにはあるんです。たいていは反対ですが…。

最後に【固める】。表現を広げて、編んで、削って、また編んで、まとめて、うまく収めていくのは、なかなか難儀です。漠然とした考えを自分の言葉で他の人にもわかってもらえなければならないですもんね。出来は今ひとつでも、今日のブログも書き終えました。

(冬の風が体を冷やす。今朝からここ出雲、石見でも冷え込んできた。爽やかなピンクに輝くわが家の山茶花)
しょうせつにいろんないみがあるものよ [2015年11月24日(Tue)]

fumihouse-2015-11-24T18_50_21-1-thumbnail2.jpg【消雪】しょうせつ
雪を消すこと。雪をとかしてしまうか、雪が温かな太陽をあびて消えること。今夜から冬型の模様です。暖冬予報に気持ちがゆるみ、ここ一ヶ月は秋の陽気を満喫しましたね。風邪をひかぬよう、油断めされるな。

【小説】しょうせつ
坪内逍遥によるnovelの名訳。詩や短歌、俳句は誰にでもつくれますが(良し悪しは別にして)、小説は難しい。プロとアマチュアの差は大きいですね。古典的名著はたくさんありますが、現代の小説の進化は著しいです。近頃夢中で読んだのは、又吉直樹『火花』と湊かなえ『母性』です。

【承接】しょうせつ
前後のつながりを示します。前を承り、途切れることなく後ろにつなぐこと。でもふだん使う言葉ではありませんね。

【詳説】しょうせつ
字のとおり、詳しく説明すること。あるいは、説いた言説のこと。映画や小説を詳説しすぎると面白みがなくなります。自分の感じるままがよろしいでしょう。

【小節】しょうせつ
小さいふし。楽譜の一小節のことを指す場合が多いでしょうか。わずかな節義という意味もあるようですね。

【小雪】しょうせつ
二十四節気の一つ。太陽暦の11月22日に当たります。 今回も小雪が舞う地域がありました。勤労感謝の日は、収穫に感謝する新嘗祭が起源です。天皇家では小雪のころ新米を食べ始めるといいます。新米のにおいをかぎながら、白くてもちもちの新米を食べるのは嬉しいですね。噛むほどに食欲が増し体重が増えてきます。ご注意を!
分身が勝手に拡散悲しませ [2015年11月23日(Mon)]

fumihouse-2015-11-23T20_00_28-1-thumbnail2.jpg『10代からの情報キャッチボール入門』の著者・下村健一氏が語っている(聖教新聞11月21日付けマンスリーウォッチ)。

フェイスブックなどSNSで日々発言している学生が、自分が発信者だとは思っていなかったと、この本を読んで感想を述べるという。≪昔でいう交換日記を仲間内でやっている感覚≫なのだそうだ。あえて曲解して広められる危険性も高い。

≪水鉄砲を仲間内だけでピューピュー撃っているつもりだったのに、ある時不意に、水鉄砲の水が“大陸間弾道弾”に変わって遠くに飛んでいき、行った先でクラスター爆弾のようにブワーっと広がって爆発してしまうようなものです。最初から弾道弾だったら覚悟して撃つけれど、最初は水鉄砲っていう顔をしているから怖いんです。引き金を引いた後で変質するから、撃った人はもう手の施しようがなく、ネットで炎上しているのを呆然と見ているしかなくなります≫

氏は≪想像力のスイッチ≫を常に入れよと強調する。直接の会話なら失敗したとしても誤解をとく方法はあるが、ネット上は自己の亡霊が次々と分身をつくって拡散していく。もう後には戻れない。クリックする前に、タップする前に、ほんの少しの時間をつかって考えてみたいものだ。

(今日も暖かい一日。背の高い皇帝ダリアが青空に映えている。明日から雨、気温も下がるという)
望んでも生きるか死ぬか定めあり [2015年11月22日(Sun)]

fumihouse-2015-11-22T22_23_59-1-thumbnail2.jpg20年間続いた独裁官政治が、法律で定めたとおり議会制民主政治に切り替わりました。そのとき仁科独裁官は、日本共和国すべての国民にこう呼びかけたのです(山田宗樹著『百年法』)。

「自虐的で冷笑的な言葉に酔う前に、その足で立ち上がってほしい。虚無主義を気取る余裕があるなら、一歩でも前に踏み出してほしい。その頭脳を駆使して、新たな地平を切り拓いてほしい。我々の眼前には、果てしない空白のフロンティアが広がっている。あたなにもできることは見つけられるはずだ」と。

この小説、夢中になって読み上げました、上下2巻の部厚い本を一気に。大胆なストーリーです。不老不死の世界を想像できるでしょうか。見かけでも年を取らないことは素晴らしいことなのでしょうか。しわの1本1本がその人の人生であるはずなのに……。

ヒトを不老不死にするウイルスが発見されて世界中が色めき立ちました。もうこれ以上老けないのです。細胞は永久に再生をくり返して体は不老不死になります。年を取らないと聞けば誰でも嬉しい。そんな魔法があれば何の心配もなく暮らしていける、と思うでしょう。でも社会の新陳代謝がなくなりますから、この小説の設定では人工的に寿命を100年で終末させることにします。そこから社会にも個人にも大きな波が続けざまに起こるのです。

生と死は不可分であるからこそ尊い。不老の若い体に老人の心が張り付いていたら不自然です。好奇心はなく新鮮味もない。保守に安住し、喜びのタネも少なく、生きていること自体がマンネリ化するのです。終わりがあってはじめて生きることが輝きます。

現代は死をタブー視しています。ほとんどを病院の中に閉じこめて死を忘れようとしています。死を抜きにした文明は、「自虐的で冷笑的」となり、「虚無主義を気取」ってしまいます。どんなに頭が良くても「その頭脳を駆使して、新たな地平を切り拓」くエネルギーは出てきません。著者は、刺激的なエンターテインメントでもって、不健康な現代社会に一石を投じています。

(紅に染まる葉に不老不死はない。色あせて落ちて朽ちてなくなるが、あとの世代が続く)
半鐘をゆったりとって冬の色 [2015年11月21日(Sat)]

fumihouse-2015-11-21T17_44_27-1-thumbnail2.jpg家路を急ぐころ辺りはすっかり暗くなって寂しい。パトロールする消防団の消防自動車に出会うことがある。火の用心を呼びかけるのだ。

消防車が消火活動を終えて消防署へ帰るときの音と同じで、火の見櫓の半鐘の音でもある。今はあるかどうかは知らないが、火事ともなれば早鐘を一心不乱に打つ。大変だ!消せ!逃げよ!と警告する。消火が無事に終わればゆったりテンポで労をねぎらう。その半鐘が元だと思う。

哀愁感のある金属音だ。間を大きくとって、カンカーン………と表現していいのやら、キャンキャーン………なのか分からないが、悲しみを帯びた金属音が伸びていく。チャルメラのラーメン屋台を彷彿とさせるような哀愁であり、冬の風情を感じる音でもある。

録音の質の問題もあるとは思うが、音が割れる。調和した和音ではなく、不協和音の響きがあって美しくはない。寺の釣り鐘や教会の鐘のように澄んで遠大な感じの音だと緊張感は出ないから、半鐘はあんなふうに不安定な音になったと想像する。

消防団の車が近づくときにはドップラー効果によってほんの少しだけ高くなる。遠ざかると反対に音はぐんと低音になる。これもまたうら淋しさをいっそう増していく。今はまだ暖かい。しかし冬の足音はすぐそこに迫っている。

(松江大橋のたもとに群れをつくっているユリカモメ。これもどこか冬の色を感じさせる)
図書隊も良化隊にも家族あり [2015年11月20日(Fri)]

fumihouse-2015-11-20T18_57_00-1-thumbnail2.jpgあの激しい戦闘で死者ゼロはあり得ない。メディア良化隊にも、図書隊にも。負傷者を退避させる際に狙い撃ちされればひとたまりもないはずだが、弾丸は逸れる。まっ、そこまでにしておこう。映画『図書館戦争 THE LAST MISSION』は刺激的だ。

物語の構図は2年半前と同じだ。【お静かに戦争ダメよ図書館で】 2013年4月29日 http://blog.canpan.info/fumihouse/daily/201304/29

劣化したメディアを排除する大義をかざすメディア良化委員会の軍隊。表現の自由を不当な権力から専守防衛する図書隊。両者は相容れない。命がけの図書隊のおかげで図書は守られるのだが、多くのひとは無関心なまま。壮絶な戦いは終わりが見えない。その一方で鬼教官堂上と新米隊員笠原との恋愛劇が進行し、泣き笑いをくり返す構図である。今回はそのコントラストがさらに大きくなって心を打つ。素晴らしい出来だ。

二つ違う局面があった。圧倒的な員数を確保する良化隊に対し、図書隊は押され続ける。だが激しい戦闘に倒れるのは良化隊員も同じ。使命感に燃える図書隊員の姿にしゃくり上げそうになりながらも、良化隊員にも家族があり、仲間があることを考えさせる。表現の自由は人間が人間らしく生きるために不可欠だが、悪質な文書は社会を不幸せにするという思想、どちらも正しい。

もう一つの局面は、ある企みが成功して図書隊側にも厭戦気分が広がる。戦争なんて嫌だ、命がけで戦っても国家権力(法務省)を背景にした連中にはかなわないという気分だ。寝返りがある。たかが本のために、なぜそこまでして命を賭けるのか。信念が揺らぐ者たちが現れる。自分には関係ないと思う者たちが増えるほどに、社会はいつの間にか不自由となる。今の現実の日本に対する警告ともとれる。心に残る映画だ。

(大きな銀杏に残る黄葉は残り少なくなった。扇形の雅な葉っぱが地面を埋めている)
真っ白で米が美味しい嬉しいな [2015年11月19日(Thu)]

fumihouse-2015-11-19T18_25_52-1-thumbnail2.jpg真っ白な新米が食べられるようになった。わが家の食卓がかわった。旨くてツヤツヤの新米・きぬむすめだ。

口に新米の香りが広がり、噛むほどに甘味で満ちる。食欲が刺激されてともかく美味しい。透明な米の粒は光ってくっきりと美しい。元気がモリモリ湧いてくる。

きぬむすめは、炊飯米のツヤと白さが特徴だという。粘りが強くて柔らかく、弁当に詰めた冷やご飯でも十分モチモチ感がある。おにぎりにしてもきっと美味しいはずだ。

昨日体重計に乗ったら1キロほど増えた。きっとご飯の食べ過ぎだ。

(秋の高い空。木立にホワイトチョコのような丸い実がなっている)
仲よくて安全保障よ思い合う [2015年11月18日(Wed)]

fumihouse-2015-11-18T21_42_59-1-thumbnail2.jpg国家間の安全保障の究極は、草の根にあると思う。1対1で友好を結んだ者同士が2国の間で行き来し、手紙をやりとりし、相互に生活のことを思い合うようになれば両者には争いごとはおきない。仲のいい1対1関係が増えるほどに、両国家に紛争の種があったとしても解決への糸口をつかむことができる。友が属する国と争うことはしたくない、という思いがたくさんあればあるほど、戦争への指向を押しとどめる力となる。

純粋な友情ばかりである必要はない。経済的な利害得失であっても、双方とも紛争することは望まない。交流が密になればなるほど国家の安全保障は確実なものとなる。それは平和へのひとつのセオリーだ。

フランスで起こった同時多発テロ。イスラム過激派一派と西欧諸国との闘争は尖鋭化していく様相をみせるが、潜伏していたテロリストたちは、平静な日常を送っていたという。近所の住民に明るくあいさつし、周囲に何がしかの不安を感じさせることはなかったようだ。

これは恐ろしい。最初に述べた安全保障の公式が通用しない。ふだん交流を結ぶ隣人であったとしても容赦なくテロの惨禍にさらすことのできるメンタリティを意味するからだ。仲のいい隣人が苦しむ様子を想像しても平気だということなのだ。世界観が違うとはいえ、恐ろしいことだと思う。
年越しに砂の時計ぞミュージアム [2015年11月17日(Tue)]

fumihouse-2015-11-17T21_46_16-1-thumbnail2.jpg邇摩高校のそばにある仁摩サンドミュージアムに向かって歩く観光客を見かけることがある。重そうなキャリーバッグを引いている。サンドミュージアムまでJR仁万駅から徒歩5分。

世界一の砂時計を擁する仁摩サンドミュージアムでは、年一度の『時の祭典』が開かれる。12月31日21時30分にスタートし、2015年から2016年にかけてカウントダウンして楽しむ。巨大スクリーンでオリジナルPVを上映したり、ダンスチームやライブコンサート、ビンゴゲームなどで盛り上げ、豚汁や蕎麦を無料でふるまうのも嬉しいが、一番のメインイベントが、福男と福女による綱引き。総勢108人(除夜の鐘と同数)の男女が打ち上げ花火とともに砂時計をひっくり返す。さぞかし盛り上がるだろう。

鳴り砂伝説の琴ヶ浜が近くにある。丸みを帯びた石英の粒が、キュルキュルッと哀愁を奏でる。すり足で砂浜をこすりつけてズンズン歩くと、鳴り砂の浜が遊んでくれる。天真爛漫に楽しめる。しかしどこか哀感があるのは伝説のせいなのか。

サンドミュージアムのふれあい交流館では、ガラスの体験工房がある。砂を吹き付けて絵柄を彫刻したり、バーナーでガラスを溶かすバーナーワークもある。世界一、ギネスブックの大砂時計が刻む砂暦が1tの砂を一年かけて落とすということは、長さ5.2m、直径1mのジャンボ砂時計が一年を刻むということだ。その圧倒的な定時性たるや誰にも真似できない。そこに踏み込んで挑戦するスタッフたちの心意気やよしである。

http://sandmuseum.exblog.jp/
閉館日以外はブログを毎日更新しているのも素晴らしい。

(夕闇に溶けてしまいそうな仁摩サンドミュージアムの三角屋根)
うん最高年を重ねて前進め [2015年11月16日(Mon)]

fumihouse-2015-11-16T18_16_47-1-thumbnail2.jpg今が最高。明日はさらに生涯最高。脳は年齢とともに成長する。年をとるのを嘆くまい。人の名前を思い出せないと心を痛めることをやめよう。あまりに多くの人に会ってきたことの証拠にほかならない。

脳は記憶するだけではない。多角的に思考し、絡みあった関係性を探り当て、新たな創造の翼を広げる。脳の神経細胞は新たに生成される。シナプスが結ばれて次々とダイナミックに変りゆく。

加齢とは衰えの代名詞ではない。あくなき成長への一里塚なのだ。悲哀に沈むことはない。ただひたすらに進んでいこうじゃあないか。

(脳はあでやかなイロハモミジのように、華麗に私たちを楽しませる)
透明の泉のごとく字が湧けり [2015年11月15日(Sun)]

fumihouse-2015-11-15T10_41_59-1-thumbnail2.jpg出雲にある文房具えむえむでパイロット万年筆教室に参加した。無色透明の万年筆キットを組み立てて、万年筆の仕組みと手入れの仕方を学ぶというミニ講座である。

17世紀に羽ペンに金属のペン先を取り付けて耐久性を増した。19世紀になるとペン軸にインクを取り込んだfountain pen(泉のペン)が開発された。明治には直訳して「針先泉筆」と呼ばれた。やがて「萬年筆」という名訳が生まれ、今は新字体で「万年筆」。響きも字面も実にステキな言葉だ。

インクを充填しメンテナンスを定期的に行うことで、名のとおり半永久的に使用できるし、書き手の個性も生きてくる。作家に万年筆の愛好者が多いのは、筆圧が軽くてすむから疲れにくいということが大きな理由らしい。

外国産の万年筆はバランスが悪いと感じていた。欧米ではキャップを取ってペン軸だけで書く習慣。日本はキャップをペン軸にさし込んで使う。だから外国製の万年筆はさして使うとバランスが悪くて重いのだと。講座で知って目から鱗が落ちた。

「ペン先」というのは先端の丸い「ペンポイント」を含む金属部分を指すという。今までわたしは、18金などゴールドの割合が高くなるほどペンが柔らかく書きやすくなる一方でペン先が削れやすいというイメージを持っていた。

しかし、ペンポイントは固いイリジウムでできており、たとえ強い筆圧で書き続けても摩耗しにくいらしい。金素材は腐食しない。しっかり手入れすれば腐食せず使うほどに馴染むことから、ここからも萬年だ。ペン先に金が入っていると、トメやハネがしやすくタッチが柔らかく、書き手の個性も出やすい。安いペンのペン先は合金製である。

ペンポイントから「切り割り」というわれる切れこみが伸びて、「ペン芯」から補給されるインクを毛細管現象で吸い上げる。ペン芯は半透明のプラスチックで車のラジエーターのような溝構造となっており、インクの入った「カートリッジ」からインクを吸い上げてペン先に送り込む中間的なタンク。

ペン芯とペン先を重ねて「首」に差し込む。首にカートリッジの黒インクを差しいれる。中途半端な挿入だとインクが漏れる。ネジ式になった首と「ペン軸」を装着すると「胴」の部分は完成だ。キャップのベースにクリップを取り付けて「キャップ」も完成。キャップと胴はネジ式になって密封されるからペン先の乾燥を防ぐ。また、クリップが付いているので、万年筆を置いたときに転がって落ちることを防止する。

愛用の万年筆は極太。今回作ったスケルトン細字万年筆も含めて、わたしの字もなかなかじゃあないかと自己満足にひたりながら、毎日使うことにしようっと。

(我が家のダイヤモンドリリー、別名ネリネ。ショッキングピンクが雨の中でも映えている。万年筆とは全く関係はない)
潤ってキメが整いしっぽりと [2015年11月14日(Sat)]

fumihouse-2015-11-14T11_55_06-1-thumbnail2.jpg美肌偏差値72.4。肌だけのこととはいえ、みごとな美の結実である。今年も島根の女性が美肌ナンバーワンの成績をあげた。4連覇、素晴らしい。

島根の女性は、肌がうるおっている5位、キメが整っている6位、毛穴が目立たない11位、クスミがない18位、シミができにくい12位、ニキビができにくい8位というふうに、肌の質、肌の表面、肌の色のバランスが各県に比較するとよく取れているようだ。

気象面でも美肌を育みやすい環境が整っているのは日本海側共通の条件であり、違う理由がよくわからない。しじみや温泉、霧の多い宍道湖など美肌を生む条件はたくさんあるかもしれないが、ともかく結果がすべて。喜ばしい。

ちなみに2位以下の美肌偏差値は次のとおり。
山形65.3 愛媛63.8 石川63.5 富山63.3 秋田・新潟63.0

ボーラ化粧品が集めたデータは73万件。これだけの数字を示されると相当確からしい。美肌で4年連続のグランプリ! これも島根の魅力となってIターンにつながると嬉しいな。ともあれ、島根の女性よ、さらに美しくあれ!

(白と薄桃色の山茶花の咲きかけている。しっぽりと雨露に濡れる)
作ろうよみんなの学校どこへでも [2015年11月13日(Fri)]

fumihouse-2015-11-13T18_41_28-1-thumbnail2.jpg大阪市住吉区の大空小学校には、「みんながつくる みんなの学校 大空小」と大きく掲示してある。ここに一年間撮影クルーが入って作られた映画が『みんなの学校』で、24回目のしまね映画祭のテーマ映画ともなった。先週土曜日に大田市民会館で開かれた上映会と上映後の意見交換会に参加してきた。

冒頭と終幕に「聖者の行進」が挿入されている。ジャズナンバーで有名な黒人霊歌。明るい曲調ではあるが、元は黒人の葬儀で演奏される曲。ああ神よ、聖者の行進とともに友を天国に連れてってくださいと願う歌である。通ってくる子供にはすべて幸せになってほしいと願う大空小の思想を体現する意味合いかもしれない。

大空小を描いたこのドキュメンタリー映画は一見すると、有森裕子似の木村校長が主役である。超がつくほどのスーパー教育実践に頭が下がる。

先入観にとらわれず、知的障碍や発達障碍、問題行動をかかえる児童を統合教育の場で鍛え育てる。木村校長とチームが関わるうちに児童は変化していく。特に「他人のために」という視点と行動をもったときに生徒は格段の成長をとげる。岐路に立ったときに自分の将来も含めて意味を考えさせ、誉めて叱り、なだめすかすうちに成長は加速していく。

子供だけではない。教員も校長に感化されて長足の進歩をとげる。指導のダメ出しは厳しく、即座に対策を考えて対応しないと関西弁のパンチが飛んでくる。日々刻々がOJTであり、いいことがあれば職員室全体で喜び合う。教員たちは教育の醍醐味を味わうであろう。実践を見守る→離れる→チェックして評価する→また見守る。まさにPDCAサイクルが完結しているのだ。

一方でこれは木村校長にしかできないのでは? 教育実践のシステム化は出来ないのではないかと疑問が起こる。意見交換会で講師が言われたことが心に残る。まずは孤高の実践者が効果を際立たせ、周囲が好意的に見て、さらに応援する形ができればいい、それがシステム化につながって地域も変わり、制度も変わる端緒につながるんだと。ともあれ木村校長のような人にガンバっていただきたい。残念なことに昨年度末をもって退職されたとのこと。継承者よ出よと願う。

意見交換会では特別支援教育の現状についてさまざまな知見が語られた。私は思った。普通であることと普通でないことの違いはどこにあるんだろう。正常と異常との区別はあるんだろうか。あったとしても、無限のグラデーションの中にある。そして刻々と移り変わって正解と言えるものはないのだろう。

(大空小の生徒には、こんな鮮やかなパプリカがよく似合う。そしてツヤツヤに輝いている)
新月の神在月に神よ来い [2015年11月12日(Thu)]

fumihouse-2015-11-12T17_47_15-1-thumbnail2.jpg今日は新月の日。月が太陽の内側に隠されて真っ黒になる。新月ということは旧暦で言えば一日。旧暦の十月が始まった。十月ということは全国的に神無月、ここ出雲では神在月である。市内に貼ってあるポスターも「神在月 出雲」。こんなコピーがある。

≪「神在月」、それは出雲だけが許された
  旧暦十月の呼称。≫

十月十日(今の暦で11月21日)の夜から全国の八百万の神々を迎え、出雲大社でもってさまざまな縁結びが相談されるらしい。

こうしたイリュージョンは先に言った者勝ちである。広めた地域が先行して優位に立つ。古代出雲の豪族が大和政権との争いに敗れ、利権を手放したことにまつわるのかもしれないが、わが国・出雲はなかなかうまいことやったものだと思う。

(出雲に咲くホトケノザ。キク科の黄色いコオニタビラコが本来は仏の座らしいが、この紫蘇の仲間の紫色のが、いかにもそれらしい)
離れても心はあなたからわたし [2015年11月11日(Wed)]

fumihouse-2015-11-11T18_38_17-1-thumbnail2.jpgあなたが離れていく。寂しがり屋のわたしは言いようがないほど侘しいの。心が痛むのよ。行かないであなた……。

二人がそばに寄り添っている時でさえ、朝がきて明るくなると二人は消えるように離ればなれになったわ。その頃だって寂しかったのに、あなたとわたしの距離は日に日に大きくなっていく。どれだけわたしにとってツラいことか、あなたにわかってもらえるかしら。あなたはいったいどこまでわたしから離れていこうとするの?

あなたはわたしの目には見えない遠くまで行ってしまうでしょう。そんなことがあっても仕方がないことだわ。でも再会の時のためにわたしは輝き続ける。雨の日にもたゆまず磨き、晴れた時にはいっそう輝く。でもあなたを忘れない。二人で輝き続けるために…………。


今朝まだ薄暗い空を眺めながら家を出た。東の空には金星と木星が輝いている。二つの惑星は先週よりは幾分離れている。金星は地球より内側を回っているから太陽から大きくは離れない。一方で木星は空の反対側まで自在に惑うように動き回る。全天でも最も明るい二つの星。ある時は引かれあい接近し、ある時は気ままに自由を楽しむ恋人たちのようだ。

(惑星とは何の関係もないが、邇摩高校にあったあでやかな葉牡丹。仁摩サンドミュージアムの日時計を葉牡丹で生徒たちが飾って綺麗になった)
ペースメーカー余裕しゃくしゃく混みません [2015年11月10日(Tue)]

fumihouse-2015-11-10T17_30_08-1-thumbnail2.jpg島根県内の道路でペースメーカーをよく見かけるようになった。心臓疾患のためのペースメーカーではない。ペースメーカーのステッカーを貼った車である。

≪我ら安全運転仲間 "ゆっくり走ろう山陰路"
  ペースメーカー車
 島根県トラック協会/島根県警察本部≫

ペースメーカーを設けることによって、スピードを落とし後続車の無謀な運転を抑え、重大な交通事故を減らそうという取り組みである。山口県警が全国で初めて導入し、島根県警でも2年前から始めた。トラック協会会員事業所の車両約6000台が県内で指定されているという。

科学の目から見れば、道路が混んできても車間距離を40m以上にキープすれば渋滞にならない、なっても早めに解消するのだそうだ。これはすでに実証済みである。ただし、急ぎたい運転者の前にペースメーカー車が登場すれば、心にゆとりが出るどころかイライラが爆発して事故につながりかねない。それでなくても、道路幅に余裕がある国道9号線では制限速度の20キロ増しは当然となっている。

だからこそ渋滞のメカニズムを広く周知し、制限速度プラス10キロ以内で車間距離を十分とって走れば反対に渋滞は起きないことを理解してもらえば、協力者は増えるように思う。

理屈は、車間距離40m以内で走っているときにブレーキを踏まれた後続車は車間距離が短いため不安に感じ、前車よりも強くブレーキを踏む。次の後続車はもっと強くブレーキを踏んでしまい、後ろにいくほど減速幅が大きくなって渋滞が起きるという。

幸いに最近はハイブリッド車が増えてエコ運転の意識も高まっている。自主的にペースメーカーとなる協力者を増やすにはチャンス到来と言える。
突き抜けて心のままに生きよ我 [2015年11月09日(Mon)]

fumihouse-2015-11-09T18_29_50-1-thumbnail2.jpg心のままに生きることは難しい。とんでもないほど難しい。なぜなら心は定まらないからだ。あっちへ行ったり、こっちを追ったり。心なんてあるようで、ないようなもの。でも明確にあるのはある。心はうたかたに消えては現れ、表れては消えていく。

抑圧され続けた者の望みは、ひたすら自由になることだ。いざ自由になったとき彼は何を考えるだろう。自由って不自由だ。何をしていいか、何を考えていいかわからない。言われたことをやっている頃が楽だったと。抑圧が過ぎて心が押しつぶされてしまったのかもしれないね。

彼ばかりじゃあないぞ。私たちだって制約がすべて解除されたら困ってしまう。人間って思いのほか自由を望まない。すなわち、心のままに生きることは意外と難しい。

心は二律背反するものさ。心のままに楽をしよう、怠けようと思う。怠けたい心に従って、するべきことをしなければ、いずれそのことを心が悔いる。心のままに従ったのに、心はそれを許さない。深い慚愧の念に心乱される。

心のままに生きることは難しい。とんでもないほど難しい。

(紅葉した街路樹は悔いない。赤にオレンジに茶に染まり、見事散っていく。そして次なる世代の糧となる)
マイナンバー投函すべきモノでなし [2015年11月08日(Sun)]

fumihouse-2015-11-08T21_07_25-1-thumbnail2.jpgやっちまった。あーあ、昨日からマスコミは大騒ぎ。ぼくが面倒くさがったばっかりに、先輩や上司ばかりか、郵便局全体に迷惑をかけてしまった。ああぁどうしよう。

ぼくが5日(木)に配達しなくてはならなかったマイナンバー通知の簡易書留は55通。ところが21軒は不在だった。明日は明日でまた配達先が追加されるから嫌だったんだ。本当なら残業して、夕方から夜にかけてまた行くといいんだけれど、あのときは高校の同級生と会う約束をしていて、早いとこ終わってしまいたかったんだ。配達先の世帯主の名前を勝手に書いて、書留を郵便受けに押し込んでしまった。あーあ、なんてことを。

もちろん教育はされてきたよ。配達先の家人であることを確認して、手渡しする。配達証に受領サインをもらうことが規定どおりのやり方だってわかってた。特にマイナンバーは全世帯に重要な個人情報を配るんだってことをね。配達員の倫理にかけて確実にやらなければならないと。でも魔が差してしまった。ここで配達したことにすれば楽になるって。ぼくはバカ者だった。反省してます。

冷静に考えればわかることなんだ。マイナンバーは書留で来る。書留にはハンコかサイン必要だ。ところが普通郵便と同じように郵便受けに入っていたら、おやっと思われてすぐにバレるのは考えたらわかるよね。あーあ、バカなことを。

ほかの配達員は真面目にやってても、ぼくの勝手なふるまいから郵便会社はダメだ、セキュリティがなってないと批判される。ホントに本当にごめんなさい。あーあ、悔やんでも悔やみきれない。

ずっと前に、年賀状の配達でアルバイト生が賀状の束を捨ててしまったのが発覚した。そのときから配達は正社員だけがするように変わったと研修で聞いたことがある。それなのに、この春に高校を卒業して採用された正社員のぼくがこんな事件起こしてしまった。お世話してくれた先生たちに申しわけなさすぎだ。どうなるんだろ、このぼくは。どうしたらいいんだろう。

以上、懲戒処分を意気消沈して待つ若い職員の気持ちになりかわって……。
夢うつつ幻想なるもの異世界へ [2015年11月07日(Sat)]

fumihouse-2015-11-07T22_03_59-1-thumbnail2.jpg雨霧 この幻想なるもの。
垂れ込めた雲がかかっていてもどことなく明るい。上空はところどころ光がさす気配はある。それでも細かい雨粒が日の光をさえぎって辺りは薄暗い。天気は回復基調にあるのだろうが、冷え冷えした感じがあるのは、その暗さによる。霞む陰翳によってわたしは幻影を見る。

朝霧 この幻想なるもの。
あるときは一面すべてが海。またあるときはところどころが浮かんだ島のように不可思議だ。上空の雲の端が朝焼けの光彩、淡い桃色に染まる。たなびくベールが天翔る天女の衣のように舞い落ちていく。放射冷却で寒いのは寒いが、秋晴れになることが確実だと思うと気分よし。山がシルエットとなり、わたしは白昼夢を見る。

雪の朝 この幻想なるもの。
汚れたものはすべて覆って純白に。暗闇は消えて、ほのかな明るさが世界に広がる。幻が見える、虚像が動く。いつもの世の中とは違う時間が流れている。雪溶けが始まって混濁の混乱の時間となるまでは、わたしは夢のひと時を楽しむ。

(皇帝ダリアだろうか。高い位置から睥睨(へいげい)して偉い皇帝のようだ)
マガン飛び朝が生まれて秋色に [2015年11月06日(Fri)]

fumihouse-2015-11-06T19_06_28-1-thumbnail2.jpg朝が生まれた。東から南へかけての空の色が変わってくる。明けの明星・金星がマイナス4等の明るさを誇る。わしだって、と木星も自己を主張する。わたしのことも忘れないで、と赤めの火星が二つの星のそばにちょこんといる。3惑星の共演だ。

朝に色がついた。濃い紺から藍色へ。ぐんぐと白んで、夜が薄くなる。朝が育っていくのがわかる。日の出前に野原には鳥がいる。カラスが鳴き、トンビが上空でぴーひゃら言っている。雀の群れがススキと葦とセイタカアワダチソウの河原に遊んでいる。白鷺がクェーと飛び立った。

朝が一人前になった。白鳥がいる、コハクチョウだ。お目当てのマガン、5羽10羽20羽40羽とグループで飛び去った。宍道湖からこちら斐伊川河口の方に向かって100羽以上の群れを組む。今度は300羽ほどの編隊が北山の方向からやってきて河口に下り立つ。一斉に何千羽ものマガンが飛び上がる名物のモーニングフライトは見られなかったが、カッカクワクワと鳴く集合体が集まって晩秋の朝に騒々しい。

朝が完成した。伯耆大山が見える。バランスのとれた孤峰はまさに出雲富士。そのシルエットよりはるか南から日が昇った。幻想の時間は過ぎてふつうの朝が始まった。

(いかにも晩秋。邇摩高校のプラタナスが色づき、トゲトゲのボンボンが面白い)
ちょっと待て歩行者優先ゆとり持て [2015年11月05日(Thu)]

fumihouse-2015-11-05T18_21_02-1-thumbnail2.jpg車の運転免許の大前提として「歩行者優先」がある。しかし私も含めて、これを守る運転者はまれだ。

先月視覚障碍者が車にひかれて死亡する事故が相次いだ。バックしてきたトラックに盲導犬もろともにひかれたり、路側帯に突っ込んできた軽乗用車にはねられた事件である。警察庁の調べによれば、今年に入ってそうした人身事故が9月末までに全国で32件も起きたそうだ。警察庁はドライバーへの注意喚起を徹底すると言っている。

横断歩道で待つ歩行者がいても車は止まらないことが多くなった。ショッピングモールの広い駐車場でも歩行者を押しのけるようにして進む車の多いこと。狭い道でもスピードを落とさない車が脇を通ると恐怖を感じる。運転しているときには人格が変わる人もあるようだが、私も含めて急いでいる時には「クルマ優先」となりがちだ。

運転中は視覚障碍があるかどうかは判断がつかない場合が多いだろう。車をバックさせる際はよほど慎重に運転しないと事故を起こす可能性は高い。視覚障碍者は交通弱者だが、圧倒的な質量とスピードを持つ車と比べれば、歩行者すべては弱者である。

弱者は常に弱者ではない。歩くときは弱者でもハンドルを握ると強者に変ずる。自分が被害者にならないために、また加害者となって自責の念で苦しみ続けないためにも、「歩行者優先」を再認識したいと思う。

(ゆったりと満開の菊でも眺めて余裕で安全運転をしたいものだね)
国道に人気がなくて暗いなり [2015年11月04日(Wed)]

fumihouse-2015-11-04T18_19_36-1-thumbnail2.jpg昨日は国道9号線を江津から東へ、家路を急いだ。薄暮の時間帯が過ぎると薄暗く、さらに暗くなると心細い。なぜなら街路灯がなくて、道路がとても暗いからだ。

私は目がいいからよく見えてます、と言わんばかりに無灯火の車がいる。愚かだ。ライトは自分が見るためだけにあらず。他車や歩行者に対して、自分はここにいるから気をつけなさいね、という意味あいで灯火は点けることを知らないのだ。教習所で習ったことを忘れている。

街中を過ぎて林に囲まれた国道は暗い。自分の車のライトで照らすか、対向車の照らす明かりでしか運転の助けにならない。心もとない。照らされて明るい空間よりは、暗くて見えない空間のほうが多い。

道路は安全に運転できるよう設計されており、制限速度の50キロや60キロを少々超えても支障はなかろう。しかし、まだ目が暗さに慣れないこの時間帯は不安を感じる。不測の事態が生じたならば避ける自信はない。陥没があったり、対向車がはみ出して来たり、何かがとびだす可能性は十分にある。

それなのに多くの運転手はピッタリと後続し、煽るように先を急ぐ。事故すれば元も子もないのにそこまでして急ぐ必要はないと思う。しかし、急ぎたいだろうな。その気持ちもわかる。

(今夕の仁万港から船が出て行く。豊漁でありますように)
金儲け人の心も爆破して [2015年11月03日(Tue)]

fumihouse-2015-11-03T21_16_18-1-thumbnail2.jpg『新幹線大爆破』は40年前の映画だが、決して古くない。高倉健が主演で、宇津井健、丹波哲郎をはじめ鬼籍入りした重鎮陣が脇を固めている。単なる犯罪物のサスペンスではなく、人間味あふれる見応えあるドラマだった。手作り感満載だったのはなぜだろう。

勢いある題字や役者名の手書きクレジットが「仁義なき戦い」を感じさせた。音楽もあの映画を彷彿とさせる雰囲気。時代がそうなのかもしれないが、ヤクザものの東映らしいつくりだ。

手書きが多いのが手作り感の理由かもしれない。立ち入り禁止の看板、新幹線中央コントロールシステムの電光掲示板も数字以外は人の手で書いたものだ。列車の案内表示パネルがクルクル入れ替わるもの懐かしく、町工場の手書き看板や車に「自家用」と手書きした字がかすれている。店のレジがタイプライター式でキーが重たそうだった。新幹線の模型を使った特撮もそうだ。

手作りというよりは、デジタル式でなくアナログ式、電子式でなく機械式で動いていた昭和の時代の残映を感じたから、手作り感が強かったのかもしれない。

時速80キロを下回ると爆発を起こすよう仕掛けられた超特急ひかり109号。止まらない新幹線でパニックして暴動直前の乗客たちと、鎮めようと奮闘する乗務員。新幹線の中央司令所は警視庁と連携して事件に当たるが、乗客の安全確保を最優先させようとする国鉄側と犯人逮捕も視野に入れる警察とは利害が一致しない。警察の失態もあって犯人を取り逃すばかりか、ダイナマイトの除去すらも危うくなる。そこで一致団結した国鉄陣が起死回生の策に出るのが爽快だ。

実は国鉄の協力は得られなかったらしい。同類の犯行を恐れてのことだ。ミニチュア特撮と実際の新幹線の映像の区別がつかないことも多かった。映像の合成も使われていたものの、コンピュータグラフィックスがないあの時代に凄い迫力ある映像だと思う。

つぶれた零細工場の元社長(高倉健)と元過激派で理科系の爆弾技術者、集団就職で東京に出た失敗続きの青年が犯行に至った過程や絆をよく描いていた。経済が大きく成長する歪んだ社会への批判も含めて犯人側に感情移入もできて、ドラマに深みがある。

新幹線とは「新しい幹線」。なんと色気のないネーミングだろうか。しかし今や「新幹線」は固有名詞として確固たる地位にある。その新幹線システムが中国との競争で敗れ、インドネシアに採用されなかったのはとても残念だ。

(ミカンが食べられるようになった。見てくれも悪く皮も厚くて美味しいとは言えないが、我が家にできる貴重なビタミンCだ)
百聞は一見にしかずと人は言ひ [2015年11月02日(Mon)]

fumihouse-2015-11-02T18_14_52-1-thumbnail2.jpg「百聞は一見にしかず」
確かにそのとおり。実際にこの目で見ることがどれだけ理解を助けるか。人づてに何度聞いてもわからないことがたくさんある。なかには、掌の中にあるように思いのままにしゃべり言葉で伝えてくれる人もいるけれど、例外だ。

「百見は一考にしかず」
一見がいいと言ったばかりなのに、百見よりも一考が格上と申すのか。確かにそうかもね。誤った認識で何度見たとしても、先入観が積み重なるばかり。たまには自分の頭で考えるクセをつけたいもんだ。

「百考は一行にしかず」
おっと次は下手な考えなど休むことと似たりよったりと言うんだね。考えることは悩むこと、考えることはイメージトレーニングを積み上げること。次に行くべき手順は行動することときた。見ることも行動することの一つと考えれば、憧れを感じる→見に行く→意味を考える→幾度も繰り返して問う→やってみる→反省してまたやってみる………要するにプラン・ドゥー・チェック&アクション、PDCAのサイクルを繰り返すことなんだろうね。

(国宝・松江城の石垣がライトアップされている。石の積み重ねだって、不断のPDCAサイクルのおかげでできている。そして守られている)
飯美味い三度サンドのファンタジー [2015年11月01日(Sun)]

fumihouse-2015-11-01T22_44_56-1-thumbnail2.jpg睡眠不足の身にとっては瞼が閉じないように苦労した映画だった。宇宙を舞台としながらも、宇宙ハンバーガー店のサンドサンドバーガーから舞台が移動しなかったのも退屈の元だったかもしれない。

映画『ギャラクシー街道』は、綾瀬はるかが変哲もないハンバーガーを実に美味しそうにほおばる姿が魅力的だ。サンドサンドバーガーのロゴが「33」であったことを考えてみると、この映画は、三度三度の飯を美味しく食べて夢に向かって努力して、夢がかなったからといって努力を怠らない。そうやって頑張ることが、ステキな人生を送る秘訣なんだと言いたいのに違いない。

成功する秘訣は、運がいいこと、素直で誠実であること、愛嬌があることとよく言うが、地球人だけではなく、荒唐無稽の宇宙人にだって悩みがあり、対立があり、欲があり、恋があるから様々に面白い。

銀河系宇宙の幹線道路・ルート246666(三谷幸喜監督は国道246号線沿線に住んでいるんだろう)、通称ギャラクシー街道の小さなハンバーガーショップに集まる異星人を描く。

以前は賑わった街道が寂れてきて、ショップは儲からないから老巧化して客が入店しなくなる。赤字ローカル線を感じる。国道9号線沿いの廃墟となったかつての繁盛店を思い浮かべた。都会に人口が集中し、田舎がますます寂しくなっている現実もある。決して33店だけの問題ではないのだ。

なんて深刻なことは忘れて気楽に三谷ワールドのスペースファンタジーを楽しもう(笑えなかったけど)。

(国宝松江城とその近辺で昨日まで行われてきた松江・水燈路。灯された灯籠の明かりも地球上の明かりと一緒になって銀河系宇宙にとけ込んだ)