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救命を救急にする第一次 [2015年10月31日(Sat)]

fumihouse-2015-10-31T08_59_50-1-thumbnail2.jpg救急法の講習を受けたので備忘録として記す。協力者を確保すること、実行を確実にするために指差し確認をすること、長時間救命措置をするために座り位置を確保することが重要である。

1 倒れている人を発見。
2 四方八方の安全を確認し昏倒者の側へ。
3 全身観察。
4 (対象者の右横で)頭頂部の左側に左手をつき右手で肩を叩きながら「もしもし大丈夫ですか(知り合いならば名を連呼)」。反応なければさらに強く大きくを2回。
 ※子供は(中学生より小さい)酸素残量が危ぶまれるので、協力者を呼ぶ前にまず13の措置を行う。
5 手を振って大声で「誰か来てください」と協力者を呼ぶ。
 ※取り巻いても人が動かなければ「赤いセーターを着た人」などと具体的に指名。
6 協力者に119番通報とAED(自動体外式除細動器)を手配するよう強く依頼。
7 呼吸が無いか死戦期呼吸であれば発声「ふだんどおりの呼吸なし」。
 ※意識障害→気道閉塞→呼吸停止→心肺停止の順をたどるので素早い救命措置大事。
8 心肺停止者を水平に寝かせる。床が柔らかい場合(ベッドなど)は背中にまな板を置く。
9 発声「胸骨圧迫」。乳首を結んだ真ん中を横から胸骨がしっかり沈むよう30回圧迫(1分間に100回程度の速いペース)。
10 発声「人工呼吸」。
11 ハンカチで口を覆い(吐瀉物防止)、左肘をつき左手で額に指を置き押さえながら、右指で顎をしゃくり上げて喉をまっすぐにし気道確保。
12 鼻をつまんで人工呼吸2回(1回ずつ外して胸が膨らむことを確認)。
 ※血液汚染など人工呼吸をためらう状況でなければ必ずやるべき処置。
13 胸骨圧迫と人口呼吸を5セットやって約2分(相当疲れる)。
 ※膝をケガしないようタオルなどを敷く。
14 AEDが来たら協力者と交代。協力者はまずは胸骨圧迫から開始。
15 機械のスイッチを入れて案内を聞きながら、心肺停止者の胸を出す。
16 パッドを描いた絵のとおり隙間なく装着(右鎖骨と左脇腹。濡れていたら拭き取る)。
17 ショックを与える前に発声「触らないでください」と周囲を制し、スイッチオン。
18 蘇生しなければ胸骨圧迫を再開し、救急隊に引き継ぐまで救命措置を続ける。
 ※AEDは心電図解析を自動でしてくれるので、二回目以降は音声に従う。

あくまでも一次的な救命処置ではある。一次とはいっても、手をこまねくならば蘇生のチャンスはほぼゼロになる。こんなことがないことを祈るが、時々復習しながらいざというときに備えたいと思う。

(菊花の季節。長命を寿ぎ菊花の杯をあける。行く末の秋を重ねて菊花杯)
絢爛な春の桜と地味な今 [2015年10月30日(Fri)]

fumihouse-2015-10-30T18_08_05-1-thumbnail2.jpg桜の紅葉は地味だ。その多くは茶色。落ちて地面で干からびている枯れ葉とも区別がつかない。葉の一部に鮮やかな赤茶、さらにほんの少し山吹色があったとしても、遠目に見ればくすんだ土色でしかない。

桜の葉が地味なのは許そう。早春に桜花爛漫の姿を魅せてくれるのだから。来年もまた華々しく咲いて惜しまれながら散っていってもらわなければならぬ。紅葉にまで気をつかわせたら悪いからね。それでなくとも桜の樹の寿命は短いのだから。

(地味な桜の葉が散る横に、元気いっぱい小菊が咲いている。この元気な黄をしばらく楽しませてもらおう)
俳句詠み秋の夜長を列車にて [2015年10月29日(Thu)]

fumihouse-2015-10-29T18_29_31-1-thumbnail2.jpg家に着く明かりともして秋深し
朝寒に見上げて明けの明星よ
明星と木星連なり朝寒し
ネクタイの結び直してそぞろ寒
枝鳴らしポプラ寂しやそぞろ寒
薄暗き花か葉っぱか秋惜しむ
秋惜しむ人は屈みてファインダー
日が落ちて釣瓶落としよ肌寒し
漆黒の闇と迫るよ肌寒し
トンビ飛ぶ雲を蹴散らし秋深し
瞬いて車の灯火秋深し


(満面に小菊のつぼみ秋の風)
クゥインツゥィン百舌鳥の高鳴き冬思う [2015年10月28日(Wed)]

fumihouse-2015-10-28T18_17_13-1-thumbnail2.jpg朝出がけにはモズが高鳴いています。速いテンポでクゥインクゥイン、ツゥィンツゥィンと鳴いています。冬の色です。モズの高鳴き75日とかいって霜の降りる前兆というではありませんか。冬は近い。マガンが小さな群れで飛んでいますから、もう宍道湖岸では初冬恒例のモーニングフライトが見られるかもしれません。

今日は雨は降らないと予報されたとおり、一日中晴れました。しかし軽い冬型の気圧配置で乾燥した冬の気配です。雲間からのぞく空の色は、心なしか薄くて頼りなげ。風は冷たく、ツワブキを風に揺らしています。ススキの穂は広がって寒々しく種を飛ばします。山茶花はやがて一期目の満開を迎えて、冬本番を覚悟させてくれるでしょうね。

平野部の紅葉は大したことはなさそうですが、伯耆大山はどうでしょうか。数年前に行った錦繍の裏大山が懐かしい。絢爛豪華な紅葉は見られないでしょうが、赤や黄に染まる木々眺めて去る秋を惜しみましょう。

列車に乗っている今は上着を脱がないと暑く感じますが、外に出れば背中を押す風が強いかもしれません。ただいま18時10分、外は真っ暗闇です。日の短い冬の雰囲気に気分が飲まれてしまいそうですが、心持ち強気でいかなくてはなりませんね。

幸いに昨夜はよく眠れました。今夜もグッスリ眠りたい。朝ごはんも昼の弁当も美味しかった(口内を二度も噛んで痛い目に遭いましたが)。朝も夜もこうして列車に乗って着実に通勤の歩みを進めています。この三つがちゃんと出来ればなんとかなるもんです。

(クロガネモチの赤い実が夕方の太陽に照らされていました)
日は暮れて月は東へ見えもせず [2015年10月27日(Tue)]

fumihouse-2015-10-27T18_21_56-1-thumbnail2.jpg昨夜は星が冴えていた。夜は寒かったのに朝を迎えてしまうと、南風が吹いてホワッと暖かい。久しぶりに天気は下り坂に向かう。昼前から風が西に変わり、空気が冷たくなった。そして午後には雨。お湿り程度の雨ではあったが、たまには雨は降らないと困る。まだ明るいうちに暗かった空が明るくなった。小雨は残るが、風雨の峠は越したようだ。北国は寒冷な大気が押し寄せて雪の便りが届いている。こちらも一気に寒くなるのだろうか。列車内はスチームが利いて暑いと感じる。体温調節が難しいこの季節。鼻をズルズルさせ、マスクをかけている人が増えた。お大事に!ご自愛ください。

(昨日の夕暮れ時、仁万田台の休耕田にある葦の茂みは艶やかな夕焼けに照らされていた)
巡りゆく月日流れてはや冬に [2015年10月26日(Mon)]

fumihouse-2015-10-26T18_16_31-1-thumbnail2.jpg週末が終わり、月曜日がやってきて、もう暮れていった。一週間が始まった。時間の巡りを時間の単位でみると、「1分」がひと回りする感覚はない。「1時間」も同様、巡りを繰り返す感じはしない。アナログ式のストップウオッチや時計の文字盤に針が回るのをずっと眺める仕事でもしていれば別だが。

「1日」はさすがに巡る、慌ただしく巡る。特に仕事のある週日は、朝が来て暗くて眠いのを我慢して出かける準備をして出勤してあれやこれやと事務処理や突発事項に対処しているうちに就業時間が過ぎ退勤し家路につき途中でどこかに寄るにしても夜のゆとりの時間はあれよという間に過ぎて寝る時間がやってくる。目覚めると再び朝だ。1日が巡る。

「1週間」も巡る。休日を一単位として一巡する。「1ヵ月」も一週間を基本にして、年中行事をこなしたり、移りゆく季節を感じるうちに循環していく。年齢を重ねるごとに「1年」の巡りも早く感じられ焦りもつのる。仕事で人事異動、子供のことで就学期間もあるが、1サイクルごとに次々と巡っていく。

そして「一生」は巡るのか。三世の生命観にたっていたとしても、一生は思いがけなく長い。しかし生を終える時ひとは走馬燈を見るごとくに生涯を振り返るという。その段になって初めて一生は巡ると感じられるのかもしれない。後悔を伴うのか、それとも満足か。100%はあるまいが、できるだけ多く満足の方に針が振れるようにしていきたいものだ。

(邇摩高校のサザンカが先週には咲いた。長い山茶花の季節は寒い冬のサイクルだ)
世の不幸正面切って赤いひげ [2015年10月25日(Sun)]

fumihouse-2015-10-25T22_51_20-1-thumbnail2.jpg映画『赤ひげ』は黒澤明監督の名作だ。病の原因の多くは貧しさと無知であり、日々闘い続ける医療者に対する尊敬が映画には脈打っている。映画がつくられた1960年代においては、貧困と病気によって不幸になる人がまだたくさんいることを描きたかったのだと思う。

家庭内DVがあり、行き倒れた親に孤児となった子の不幸。貧しさ故の少年の盗み、一家心中、少女売春の現実。大人から虐待され続けて不信でしか人に接することのできなくなった少女の不幸せ。今の言葉で言えばPTSDである。売春を生業とする女郎宿の不遇もあった。

座敷牢に精神疾患者を閉じ込める不幸もあったし、許婚の娘の不義によって悲運を感じた男もいた。恋して思うにまかせなくて拗ねる娘は薄命なようではあっても健気だ。

長崎に留学し西洋医術を習得した保本(加山雄三)は御典医としての栄達を望んでいたが、意に添わず小石川養生所に働くことになって腐っていた。貧しい庶民が為すすべもなくかつぎ込まれるのがこの養生所だった。

やがて保本は赤ひげこと新出(三船敏郎)に感化され、人間は何のために生きるのかと悩み、貧困と病苦に悩む庶民を捨て置く社会に怒りを感じ始めるにあたり、多くのエピソードを丁寧に積み上げる映画であった。

石見銀山が出てくる。「子鼠が石見銀山の鼠捕りを飲んだよ」という台詞とともに。長州との国境にあった笹ヶ谷銅山(津和野)では銅の他に砒素が採れた。それが殺鼠剤として全国的に使われていたらしい。石見銀山となぜか混同されたのだが、今は石見銀山といえば世界遺産。幸せな時代を私たちは生きている。
鉄道は乗ってなんぼの世界なり [2015年10月24日(Sat)]

fumihouse-2015-10-24T23_00_27-1-thumbnail2.jpg三江線は廃止方針が出されたようで、地域に激震が走った。確かに三江線のダイヤは不便だ。江津発、三次発とも一日5本ずつ。通勤にはまず使えない。一昨年の豪雨災害で線路が寸断したせいで、通学もバスに転換するか自家用車の送り迎えとなり、高校生もほとんど使わない。観光資源を巡る観光客もいても、日常的な利用は期待できない。

昔に比べれば道路は良くなった。車が便利に決まっている。駅に着いた後の移動にかかる時間と経費もバカにならない。だから乗らない、客が少ないから減便、さらに客も便数も減るという悪循環を繰り返してきた。今や路線収益は最低であろう。企業にとって社会貢献することが使命とはいえても、赤字たれ流しの路線を長々と続ける義務はない。そもそも運送・旅客事業者にとって「空気」を運ぶことほど辛く空しいことはない。

風前の灯火といえるのは三江線ばかりではない。出雲市以西、山陰線の鈍行列車は寂しい。山口線も木次線もおそらくは崖っぷちに立っている。一畑電鉄も苦しい運営が続いている。イベント列車など観光客が乗る機会はあったとしても、ふだんの生活で当たり前に使われない鉄道の将来は暗い。

鉄道の存続を願う沿線対策協議会の面々が利用するかというと、車で会議に直行してすぐに車で帰るのが常であろう。たいていの住民も鉄道を必要不可欠のものとしては認識していないから利用しないのだ。しかし、いざ無くなくすと言われると腕をもがれるかのような痛みを感じるが、それでは遅いのだ。

今や存亡危急の秋(とき)。無理をして少々の不便は耐えつつ、鉄道がつくってきた景観や文化、ぼんやりと車中の時間を楽しむことも含めて鉄道を楽しまなければならない。沿線の人々が協力して守り手とならなければいけない。田舎の鉄道をこのまま衰退させてなるものかという思いを行動にうつしていこう。

(セイタカアワダチソウが三角の花束を風に揺らしている。鉄道沿線に多くはびこり、ススキを駆逐してしまうことを恐れられていたが、今は両者は共生している)
就活はバラがいいのか一斉か [2015年10月23日(Fri)]

fumihouse-2015-10-23T18_50_47-1-thumbnail2.jpg中央大学教授の山田昌弘氏がNHKラジオで論説していた。テーマは大学生就活の受験勉強化。

氏は述べる。サークルも海外留学もボランティア、アルバイトに至るまで、現大学生たちは就職するための手段としている。学生時代の経験が単なる通過点でしかなくなって、面白そうだからやってみたいという好奇心がないがしろにされていると。まるで高校生が大学受験のために単位をとり入試に臨むのと同じだから、「大学生就活の受験勉強化」だと。就活に差し支えるから彼女と別れたという話は決して珍しくはないというから、旧世代にとっては驚きだ。もっと楽しみを追求してもよさそうなものなのに。

そうした意識で臨んで終盤を迎えた就職戦線。今回は景気の下支えもあって売り手市場だと言われた。しかしまだ就活を続けている学生は多いらしい。一般的には就活有利でも、企業の欲しい人材は似通っている。即戦力になって、組織人として呼吸をよくわきまえて、一般常識をわきまえている若者を求める。個性が豊かで多様化した人材群を求めたいといいつつも、いざ個性派が来てしまうと育てあぐねてしまうというのはよく聞く話だ。

経団連は就活選考解禁を8月1日(内定10月1日)にしたばかりなのに、来年はまた4月1日に戻そうとしている。先に内定を出した中小企業がオワハラ問題を起こしたり、中小自体も内定辞退で困り抜くことが理由なのだろうが、ここはひとつ日本人が得意なように、皆さんご一緒に、と政府が音頭をとったほうがよくはないか。いずれにしても、学生と企業が相思相愛の仲になることは難しい。

(枇杷の花はこんなに地味だ。実は黄色くてツヤツヤして美味しいのに、花はなんとまあ地味だ。しかも今ごろ咲き出すという変わり種。邇摩高に咲いている)
オリオンの悲しい夜明け空を見る [2015年10月22日(Thu)]

fumihouse-2015-10-22T07_46_18-1-thumbnail2.jpg真っ暗な夜空。英傑オリオンが振り上げた棍棒のあたりにキラリと閃光が走る。キラーッと星が流れる。澄んだ秋の明け方前の空。あまたの流れ星に息を呑んだ。

オリオン座流星群を見るために4時過ぎに起きた。ハレー彗星がまき散らした塵芥が軌道上に残されて毎年今ごろめぐり合う。特に今回は月光の影響がなく絶好の観測日和。オリオン座の赤い一等星ベテルギウスとは異質の光輝が、双子座との境を中心として放射状に散り煌めく。

もはやこれは「群」ではない。「流星雨」というにふさわしい。時には数秒の間に複数の流星が光り、まばたきするのも惜しい。夜明けが近づいて空が明るくなるまでの1時間に見た流れ星は数え切れない。長く尾を引くものは遠く北斗七星まで飛んでいった。濃い天の川がいっそう天体ショーを引き立てた。。。。。

というのは、大嘘。暗い外へ出て見た光景は信じられないものだった。なんと曇っている。初めは雲の合間に星空も見えたが、すぐに全天が雲に覆われた。サソリに刺されて死んだギリシャ神話の英雄オリオン同様に、悲しい流星群の朝は明けた。

(澄んだ秋の空気に映える紅葉の季節。ヤマボウシが色鮮やかに紅に染まる)
制御して徹底的に原発を [2015年10月21日(Wed)]

fumihouse-2015-10-21T17_51_51-1-thumbnail2.jpg原発が動き始めている。この夏には川内原発1号機(鹿児島)が再稼働し、今日21日も川内2号機が発電と送電を開始した。4年ぶりで「危険な」原発が動いている。その他基準に達していると認定されたのは、関西の高浜原発と四国の伊方原発がある。これらも近い将来に再稼働するだろう。

多くの反対派が要求するとおり、原発を全廃したらどうなるだろうか。原発が巨大地震や大津波に襲われることはない。恐怖のテロリストによって大惨禍が起きることはない。確かに安心できるだろう。

しかし私は、原発絶対反対!と声高に叫ぶ気にはなれない。もうすでに私たちは原子力という放射性物質がもたらす恩恵に浴している。もう後戻りはできない。原発が動いていなくても、燃料棒や核廃棄物は国内に残されたままだ。どこか外国にお願いすればいい、なんてことはありえない。何万年もの半減期を繰り返す厄介なヤツらを厳重に管理するしかない。

さらに心配なことは、韓国や中国にはすでに多くの原発が動いていることだ。特に中国あっては原発事故が起こる可能性は高い。そこに及んで日本が事故の収束技術をもっていなければ指をくわえて見ているしかない。福島原発事故以降、原子力関連学科をもつ大学には入学生が減っていることだろうが、人材がいない、原発を制御するノウハウもなくなった、では終いには何もできなくなる。技術力をなくしてしまっては元も子もない。原発の技術は保たなければならない。

ただし条件はある。電力会社それぞれに原発を任せるのではなく、一元管理すること。積み重なったノウハウを共有化して、厳密な管理下に置く。そして原発の運転と原子力規制は馴れ合わないよう不断の刷新を図る。放射性廃棄物の安全化に関しては諸外国と知恵の共有をして、人類の英知を集積させる。そうしないことには、ヤツらを制御することはおぼつかない。

(名前は知らないが穏やかに咲く小さな花。これらも種として永続的に咲いていってほしい)
水平と縦の関わり東西に [2015年10月20日(Tue)]

fumihouse-2015-10-20T17_50_26-1-thumbnail2.jpgNHKラジオ英会話の解説によれば、人間関係は水平関係という建て前のある≪英語圏で広く行われているこのThank you.とYou’re welcome.の授受は、いわゆるポライトネス(社会的丁寧さ)のレベルで行われる大変重要なセットと言えます。You’re welcome.というお返しをしないのは、水平な天秤を傾かせる反社会的な行為と言って言い過ぎでは≫ない、そうなのだ。(NHKラジオ英会話10月テキスト「英会話リテラシー」)

反対に客は上、店は下という縦の関係をベースとする日本では「ありがとうございました」という店員の言葉に応えずとも、何ら不都合はない。尊大に見下ろしたまま去る客は多い。それでは居心地が悪いと思って反応する客も私も含めて増えてきた。それでも、「(よくぞ礼を言ってくださった)どういたしまして、こちらこそどうもありがとう」というほどの大げさにはしない。せいぜい、「どもども」程度のものか。

最初から水平関係に徹すれば、社会的地位や年齢がわかった途端に言葉づかいが急に変わったりすることはあるまい。反対に上下がはっきりしている関係でも、縦関係のように下は下に、上は上に安住できないというのも苦しい。いずれにしても、人間関係に安定ということはあり得ない。刻々と移り変わっていく。

(柿が熟している。美味しい秋は進行中、刻々と移り変わる)
硬質の闘い続け幾毎週 [2015年10月19日(Mon)]

fumihouse-2015-10-19T22_21_56-1-thumbnail2.jpg堅くて厚い紙と硬いペンが触れる硬質な音。カリッガリッ、ガシガシ、ザァー。漫画家は絵を描く。ストーリーを構想し、カットをまとめ、大胆に筆を走らせ、背景画も含めて緻密な仕上げ作業に神経をすり減らす。プロの漫画とは、静かそうに見えても激しい火花を散らす闘いであることを象徴している。

映画『バクマン。』は楽しめる。原作は知らないが漫画家の登竜門に立った高校生二人の物語。週刊少年ジャンプの編集者に力を認められ、超難関の編集会議の末に連載を勝ち取る。それ自体大変な才能を示すのだが、読者アンケートの厳しい吟味を経て連載を継続していくことは、とてつもない努力を要する。映画は、ジャンプが少年たちに掲げるテーマ、友情・努力・勝利を全面に出して漫画道を正面から描く。

高校三年生の真城サイコー(佐藤健)と高木シュージン(神木隆之介)はコンビを組んだ。プロの漫画家となり、週刊少年ジャンプに連載し、人気漫画家となる夢を果たすためである。サイコーと相思相愛(プラトニックラブだが)の亜豆美保の夢も重なる。亜豆は言った。「ずっと待ってるよ」と。しかし、互いに人気が出て恋愛が思うに任せなくなると、「先に行くよ」と距離をおく。原作にはあるのだろうが、二人の将来が気になる。

漫画に対する敬意がある。過去の名作へのオマージュもある。「亀有派出所」「ONE PIECE」「ドクタースランプ」「ドラゴンボール」などなど。そして手塚治虫への尊敬の意。名作は漫画家だけの手になって生まれてきたのではなく、少年マンガ雑誌というメディア、そしてアンケートで好みを示す読み手によっても大きく左右され、成立していくことがよくわかる。

週刊少年ジャンプを買った。スピード感、大胆なコマ割り、斬新なオノマトペに驚いた。行間読むように味わう読み方などしない。瞬間的に目に入れ、音をイメージして、自分もシュートを打ったかのような錯覚に陥る。次のページに移ったら、別の世界に引き込まれる。頭の先から足の先まで漫画に浸らせる。

編集者の服部(山田孝之)が温かい。天才ライバル新妻エイジ(染谷将太)が冷たくも頼もしい。新進気鋭の漫画家たちが才能を開花させていく。一方で競争に敗れる者は数知れない。実力勝負の厳しい競争社会の現実におののく気分も湧いてきた。

(鮮やかな柿の葉。オレンジ、赤、黄、茶、緑と艶やかに秋がプロジェクターに映されている)
危ないか士気を鼓舞する運動会 [2015年10月18日(Sun)]

fumihouse-2015-10-18T18_26_29-1-thumbnail2.jpg運動会の花形は総合リレーだと前に書いたが、近ごろの小中学校の運動会には、人間ピラミッド(膝立ち)や人間タワー(肩に立って重なる)が不可欠だそうだ。ところが組み体操は危ない。大阪市教委が事故防止のため、ピラミッドは5段、タワーは3段を上限に規制した。

運動会が盛り上がってほしい、生徒に達成感を得させクラスを団結させたい、観客を唸らせたい。一方で安全でなくてはならない。巨大化する組み体操では骨折事故が多発しており、学校当局にとっては悩ましい。

ムカデ競走でも足や肩などの骨折リスクが高い。先頭が転び後ろから折り重なる。中ほどがリズムを崩してブレーキがかかって横倒しになる。

百足がウェーブを起こすように鮮やかな動きとは言えないまでも、つながった左右の足が統率よくリズムを刻む。大きな歩幅で重戦車のように進む様は見ていて楽しめる。練習の甲斐あって選手も心地よいだろう。

危険だからといって前後二人のムカデ競争にしたらどうだろう。崩れると怖いから二段のピラミッドにしたとしたらどうだろう。実にツマラン。安全をとるか、華をとるか。学校関係者の悩みは尽きない。
年の瀬を感じ虫の声聞こえてる [2015年10月17日(Sat)]

fumihouse-2015-10-17T22_46_15-1-thumbnail2.jpg蝉の声が聞こえなくなってから、どれだけ経つだろう。夏の多数派、我がもの顔の彼らは秋に舞台転換したと思う間もなく、夏とともに消えてしまった。栄枯盛衰、諸行無常というには大げさ過ぎる年中行事だが、季節は移り変わった。

秋の虫の鳴き声も初秋の頃と今とでは違う。うるさかったクツワムシ。ガチャガチャガリガリ100年前のモーターのように規則的だった彼らは消えてしまった。鈴虫はリリーン・リリーンと、暑い頃より心静かにゆったりと秋を慰む。チンチ・チンチと短いリズムだったマツムシは、チンチーン・チンチーンと鈴虫なみに心地よい。

2ヶ月も経てば、街中はジングルベルがいっぱいで、年の瀬迫り焦る頃だろう。

(蜘蛛の巣にかかったソメイヨシノの枯れ葉。もう病葉(わくらば)とは言えず、紅葉しカサカサになって木の周りに散っている)
猫になりマウスと戦う秋の夜 [2015年10月16日(Fri)]

fumihouse-2015-10-16T18_24_22-1-thumbnail2.jpg近ごろ私は猫になる。真に迫って猫になる。

二週間ほど前の夜中の3時。天井をカリカリ、ガリガリやる音で目が覚めた。鼠だった。どこから入り込んだものやら思案に暮れる。天井を棒でつつくと静かになる。しばらくするとまたガリガリ、ゴソゴソ。睡眠不足になった。翌夜もやはり3時。たまらない。

鼠撃退用に機具を買った。超音波と電磁波の威力で鼠を追い出せるという代物だ。時間がかかると注意書きにはあるが、一週間経ってもゴソゴソ屋根裏を駆け回り、微細な声で合図しあう様子には大きな変化がない。唯一爪でカリカリやる場所が替わってきて、頻度が多少減った程度だろうか。もう我慢ならなくて、私は猫になった。

ニァーオ ニューニュー ガャオ グァン ギャー ミャウ ミュウミュウ。

擬態を駆使して演技の限りを尽くし、私は鳴き叫んだ。すると、ピタリと鼠たちはなりを潜めた。やったっと勝どきをあげたのも束の間、翌夜にはやはり鼠は屋根裏にいた。機具と猫なで声を併用する夜が続いている。幸いに夜の早い時間に騒ぎ出し、格闘すると、夜中には静かにしてくれている。抜本的に解決してしまいたい。どんな策があるのだろう。

(今夕の仁摩の浜に沈んだ夕陽。太陽が隠れるとすぐに夜がきた。縫い針のように細い月が白い骨の色をしていた)
煙草に火この世別れてさらば友 [2015年10月15日(Thu)]

fumihouse-2015-10-15T17_52_06-1-thumbnail2.jpg『さらば友よ』(原題:Farewell Friends)には、かっこいい二人の俳優が登場する。アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンである。午前10時の映画祭で見たのは英語だったのだが、フランス語ならば雰囲気が違ったことだろう。どちらかというとハリウッド的なウエットタッチではなく、クールなハードボイルドだから、フランス語のほうがふさわしい気がする。

アルジェリア戦争から帰還した軍医バラン(アラン・ドロン)に見知らぬ美女が声を掛けた。モーツァルトを知らないかと。実はバランとモーツァルトには曰く付きの出来事があったのだが、バランは隠し通した。儲け話のにおいを嗅いでバランにつきまとったのが兵士のプロップ(チャールズ・ブロンソン)。

なんやかんやで二人は警備厳重な大金庫に潜入を計り、陰謀に陥れられて金庫に閉じ込められ命の危険にさらされる。敵対していた二人も和解して懸命な脱出をするのだが、警察に追われることとなった。別れ際でのブロンソンの台詞が「Farewell Friends(さらば友よ)」。二人は捕まった後も互いに知らぬ存ぜぬを貫き通す。

刎頚(ふんけい)の交わりというほどの長いつきあいではないけれど、窮地を脱した者同士で「さらば友よ。再び会うことはないけれど」との姿勢を貫く。留置場の廊下ですれ違った二人。ブロンソンがくわえたタバコに、無言で火を差し出すドロン。言葉はないけれど、これも「さらば友よ」。ゾクゾクするシーンであり、このシーンを用意するための映画だったのかもしれない。

陰謀の鍵となっていたのが、ワーテルローの戦いが終わった日の1815年6月18日。皇帝ナポレオン・ボナパルトが起死回生の戦いを仕掛けたが、英国やベルギー、プロイセンとの連合軍に負けた。大フランスが凋落し、ナポレオンもセントヘレナ島に流されて失意のうちに死ぬ。フランス人にとっては屈辱の日といえる。

この日をフランス人が好き好んで暗証暗号に使うだろうかと疑問が起きた。その日を知らないフランス人はいないかのような扱いに違和感があった。あるいは、1945年8月15日が日本人にとって当然の知識であるのと同じ意味がある存在なのだろうか。

(ハードボイルドとは全く関係ないが、秋の七草のフジバカマもまだ健在だ)
面白いキョウヨウ・キョウイク人のため [2015年10月14日(Wed)]

fumihouse-2015-10-14T18_18_59-1-thumbnail2.jpg千葉大名誉教授の多湖輝氏が面白いやりとりを紹介している(聖教新聞10月14日「人に好かれる“面白い人”」)。

「ボケないためには、キョウヨウとキョウイクが必要だ」と氏の大先輩。教養と教育があってもボケる人はいると反論すると、「今日、用があることと、今日、行く所があることだよ」と一本取られたそうだ。

氏は、一緒にいて楽しいのが好かれる人であり、楽しさのもとは、人を言葉で喰ってみたり、仕草にウイットがあったり、思いやりあるユーモアをかぶせてきたりすることだと。そんな人はたいてい、笑いの取り方も上手なものだ。わたしもそうなりたい、と願う。

(今日学校にダリアを持ってきてくださった方がいる。この方も一見生真面目ななかにも、ユーモラスな言葉と表情で癒やしてくださる方だ)
花景色刻んで心ゆくがまま [2015年10月13日(Tue)]

fumihouse-2015-10-13T18_18_29-1-thumbnail2.jpgよい景色を前にして「わぁ〜スゴい!」と歓声を上げてカメラに収める。有名な景観を前にして記念撮影をする。さっさと土産物屋に行ってしまう。感動の景色のことなどすっかり忘れてしまうかのように。そんな観光客の姿をもったいない!とこの欄に書いたことがある。

ただし、私が撮りためる花類もそんなところがあって、咲き始めの頃にそこそこ満足できるカットを撮ってしまうと、その後どんなに咲き乱れて満開を誇示しようとも、目も向けないことがけっこうあるのだ。最近ではコスモスがそう。チラリと目に留めることはあるけれども、もっといいアングルでより良い写真にしてやろう、などという欲は出てこない。

花にしても、景観にしても、ステキな街のたたずまいにしても、カメラには収められない「空気感」がある。その空気を心に感じ、できることならば言葉に表現していきたいと思う。そうできたら楽しい、そして自由になれる。日常に旅の要素が醸し出されてくる。

毎日それで満足すると旅しなくなりそうだから、時折本物の旅人となって思いきり羽を伸ばしたい。目にとどめて心に残す。じっくり観察し、同行者と語り合い、思い出を刻む。旅がしたくなってきた。

(欅の葉っぱも色づいて晩秋の装いにかわる。落葉する頃には木枯らしが吹く)
艶やかにキンモクセイの秋の色 [2015年10月12日(Mon)]

fumihouse-2015-10-12T23_00_28-1-thumbnail2.jpg匂いはすれども姿は見えず。
金木犀(キンモクセイ)のお通りだい。
夜にウォーキングする。
そこはかとなくおなじみの甘い匂いが漂ってくる。
昼間に街中を歩く。
匂いに引かれて見まわしても木花が見つからないことがある。
風に乗って匂いが運ばれるのも悪くない。
オレンジ色の小さなプロペラに匂いをのせてやってくる。
ところが今年は遅れてる。
ふだんの秋より2週間は遅れて匂い出した。
しかも幾分匂いは薄めかも。
花が終われば晩秋の寒さ震える季節かな。
インターンCEO並み社の柱 [2015年10月11日(Sun)]

fumihouse-2015-10-11T23_14_13-1-thumbnail2.jpg映画『マイ・インターン』(原題はThe Intern)では、ロバート・デ・ニーロの笑顔に魅了された。宝石のような笑顔だと思う。

高齢者に対する社会貢献活動の一環として一時採用されたベン(ロバート・デ・ニーロ)はわずか一年半で急成長したジュールズ(アン・ハサウェイ)の会社に入った。ファッションのネット通販を手がけている。

70歳のベンは古い携帯電話を使い、USBメモリーの使い方すら知らない旧世代のロートル。しかし必要とあらば短期間でマスターする進取の気性に加え、思いやりにあふれ人格が輝いている。

深い洞察力と行動力をもつ。相手との距離感を保つ聡明さを持ちながらも、必要とあらばグイッと懐に飛び込む。かといって押しつけがましさはない。優しく包みこむユーモアにあふれ、ウイットのセンスも抜群だ。理知的に相手をおもんぱかる気持ちが表情にあらわれ、手柄は謙虚に同僚に捧げる。誉められると困ったように照れるが、自分の判断で独立した行動がとれる。嬉しい時には子供のように喜びを表現する一方で、口からは的確で本質をついた美しい言葉が引きも切らず発せられる。

刻まれた深い皺にも魅力があり、年を重ねるって悪くないなと思える。ベンの豊かさやたたずまいに触れると、観る者はほっこりと微笑みがもれるだろう。

カジュアルな服装がドレスコードとなっている会社だったが、ベンは常にスーツ姿である。Vゾーンが素晴らしかった。質のいいスーツに合わせたシャツは、アイロンをしっかりかけたストライプもしくは薄いブルーのロングカラーのボタンダウン。そこにピシッと調和したタイの組み合わせ。女でなくてもキュンとなる、完璧なかっこ良さ。

ロバート・デ・ニーロといえば、怖い。「ディア・ハンター」 「タクシードライバー」「ゴッドファ ーザー」、いずれも若いデ・ニーロは、静かな表情から、何をしでかすかわからない狂気を演じた。上目づかいでにらんだだけでゾクッとする怖さや緊張を醸し出した。「ケープ・フィアー」でもそうだった。執念深く復讐に燃える異常性格の男を演じ、思わず体全体が浮き上がったことを思い出す。そのデ・ニーロがこの変身ぶり。新鮮だった。楽しかった。

そのベンが、働く女性の理想像を体現したかのようなジュールズが試練の連続で悩み続けていることに気づき彼女を助ける。二人の心が通っていく様子が見どころである。心温まり、意欲が湧いてくる映画だった。

(ロバート・デ・ニーロのVゾーンのように端正で非の打ちどころがない薔薇の花)
鉄道か鐵の矢が飛ぶ線路沿い [2015年10月10日(Sat)]

fumihouse-2015-10-10T22_21_34-1-thumbnail2.jpg二本のレールが果てしなく続く。軌道の上をまっすぐに進んでいく列車。鉄道とは軌道しか走れない点で融通がきかないけれども、実直で信頼すべき交通機関だ。

旧字体では『鐵道』だが、新字体で『鉄道』となったことから、これを嫌った鉄道会社があると、今朝のラジオで聞いた。「金偏に失う」では縁起が悪いというのだ(もとは、錆びると金属の輝きを失うから「鉄」なのだが)。そこで作られた漢字が金偏に矢。矢が持つ一直線に素早く飛ぶイメージから連想されるものだという。

ネットによれば、JRグループのほとんどが正式名称は「矢」だそうだ。なぜか唯一JR四国だけは「失」。私鉄では近鉄が昔は「矢」だったが、近鉄沿線の子供たちが「鉄」の漢字の書き取りで間違いを頻発させたことの憂慮から元に戻したのだそうだ。ジンクスにとらわれず正しい漢字を使おうと考えたのだろう。

書くのは大変だが鐵道派もある。大井川鐵道、わたらせ渓谷鐵道、和歌山電鐵、真岡鐵道、小湊鐵道、土佐電気鐵道、信楽高原鐵道など。

鐵や鉄、また「矢」であろうとも、大量に輸送が可能でエコロジーに役立つ鉄道をこれからも大切にしていきたいものだ。

(写真は蕎麦の花。もうじき新蕎麦の季節がやってくる)
世の中に運の良し悪し耐えて棲む [2015年10月09日(Fri)]

fumihouse-2015-10-09T18_12_51-1-thumbnail2.jpg安倍首相は運がいい。世論調査では軒並み支持率を下げ、内閣崩壊の瀬戸際まで落ちた。しかし世間の耳目を集める出来事が次々とおこって人々の関心を政治から引きはがした。

9月の関東・東北豪雨では鬼怒川が決壊し、50年に一度を想定した洪水対策が功を奏さなかった。国内では常識で計れない殺人事件が相次ぎ、警察の発表をマスコミが追い続けた。米国でも理不尽な乱射事件が多発した。シリアに発する難民は何十万の単位でヨーロッパを目指し、砂浜に突っ伏して死んでしまった幼児が人々の涙を誘った。

TPP交渉は破綻しそうな気配だったのに、大詰めで米国が覚悟を示し最終段階で合意した。ラグビーワールドカップでは異相の日本代表たちが南アフリカを破る大金星をあげ、サモアにも大勝した。セ・リーグの熱戦も最後まで高い関心を保った。さらに福山雅治が結婚して世の女性たちに悲鳴を上げさせた。日本一かっこいい男として真骨頂を発揮している。極めつけは物理学と生理学医学分野のノーベル賞受賞。

安倍内閣が降りかかる火の粉をはらおうと懸命になっていた先月、経済最優先でGDP600兆円を達成するとぶち上げた。そのことと今週の内閣改造人事だけは、自前の延命策であったのだが、安保関連法案の審議であそこまで国民世論が盛り上がり、マスコミまで共同歩調をとって安倍下ろしに動いていたように見えた。しかし、流れはあっという間に変わった。この世は不思議なものよ、と思う。

(季節は巡り、ツワブキの黄色が頼もしい季節となった)
星空と花実に美をば見つけてる [2015年10月08日(Thu)]

fumihouse-2015-10-08T12_08_12-1-thumbnail2.jpg一昨日ウォーキングをしながら星空を見た。「地球は宇宙の中にある」と思う。しごく当然のことなのだが、あれだけ澄んだ夜空で満天の星を見てしまうと、ふだんは全く意識しない思いが湧く。地球が透き通っていたとしたら、わたしの体は宇宙にただよう。

ブログやフェイスブックに文とともに写真を載せる。「いつも素敵な写真ですね」「花の歳時記だね」とほめてくださるのが嬉しい。このスマホでは星空が写せないのが残念だけれども、星や花実に限らずこの世は美しいものに満ちている。見逃すことなく目を向ければ心の目にとどまっていく。

美しいもの、力強く勇気を与えられるものは無数にある。目に見えないものも含めて、わたしはそれらに包まれている。美しさに感動する素材は無数にある。そのことに気がつくと、生きていることが嬉しくなるんだなぁ。
むくつけき男の攻守芝の上 [2015年10月07日(Wed)]

fumihouse-2015-10-07T18_36_42-1.jpg外国人顔の男たち。むくつけき男たちのぶつかり合い。刺青を腕に差し込み、筋肉が隆々と盛り上がる。パスして投げて、味方にボールを手渡し、捕まらないように敵に当たり散らし、本気で敵を倒す。そしてボールを奪う、ゴールに攻め入る。奪われまいと回り込み、敵を避け、押し、崩し、倒れまいと必死になる。五郎丸は祈りのルーティンでキックを決める。

ラグビーの試合をちゃんと見たのは初めてだ。先週土曜日の夜中、同窓会を終えて帰るとテレビではワールドカップ。日本がサモアを大差で破ろうとしていた。壮烈なる肉弾戦。重量感あふれる闘争。前線に配置した攻め手と守り手は相互にぶつかりを繰り返した。

ニュージーランドから招聘されているジョーンズコーチが織りなす猛練習を耐えてきたラガーマンたち。徹底した走り込みとぶつかり合いの基本をたたき込まれた代表選手たち。ラグビーは格闘技なんだと思い知らされる。

日本代表は外国人だらけなのは確かだ。父母や祖父母のうち誰かが日本人であればよいとか、3年以上日本に住んでいればいいなど、外国籍でも国の代表になれるという仕組みもあるにはある。ただ、一度どこかの国の代表になってしまうと別の国の代表にはなれないルールである。それだけに、異相の日本人たちは、日本代表として決死の覚悟で戦っている。あっぱれなり。米国戦も健闘してくれることを願っている。
晩秋の釣瓶落としに時が過ぎ [2015年10月06日(Tue)]

fumihouse-2015-10-06T18_27_11-1-thumbnail2.jpg秋の日は釣瓶落とし。太陽が耿耿(こうこう)とした光を伸ばしていても、夕陽が当たった山々が秋を満喫しているようでも、闇の気配が忍び寄ってカメラのピントが合わせられない。

澄んで冷たげな空に雲の固まりが連綿と続いている。地上には秋の花や実が満ち足りている。柿、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)、ツワブキ(石蕗)、ザクロ(柘榴)。すでに晩秋の気配が漂っている。

今夜も星空がよく見えるだろう。夏の大三角は西に傾き、天頂には秋の四角形が見える。アンドロメダとペガサスで連合する四角。北東からは御者座のカペラが顔を出し、双子座の二つの一等星も、すばることプレヤデス星団も堂々と輝くだろう。星空もすでに晩秋を超えて冬になった気分。

2ヶ月後は年の瀬を迎えているのだ。ああ何とも早く年月が過ぎる。

(山椒の実の赤い皮がめくれると、黒色の実の本体がお目見えする。これ晩秋の趣)
若過ぎて歳を取るかなゲーテさん [2015年10月05日(Mon)]

fumihouse-2015-10-05T18_29_05-1-thumbnail2.jpgゲーテの「ファウスト」より抜粋。

  私は、
  ただ遊んでばかりいるには、歳をとり過ぎているし、
  あらゆる希望を捨てるには、若過ぎる。

おそらくこの言葉はすべての年代に当てはまる。50代の人には大人としての振る舞いを求めつつも、恬淡と枯れてしまうことを戒める。20代の若者にも、10代の頃に比べれば分別を期待する年代だと心がけさせるし、若さを希望の種へと展開させるだろう。80代の老人に対しても、百歳人生への覚悟まで気を回さしてくれる。

絶望感や悲壮に打ちひしがれた時には、「まだ大丈夫、私にはやれる、あきらめるな」と勇気を鼓舞していくだろう。反対に怠惰な風に染まっていれば、「さあ気を引き締めて、お前も分別ある年頃だ」と改心を求める。

ゲーテのこの言葉。正直に勇敢に闘って日々向上しようとするあらゆる年代層に通用する箴言だ。

(キクイモというありがたくない名前をもらっている花。金糸雀色の黄が秋の夕日に映えて好ましい)
闘争の糧になるはず同窓会 [2015年10月04日(Sun)]

fumihouse-2015-10-04T14_33_21-1-thumbnail2.jpg年月を重ねて今ここにいる。風雪に耐えつつ喜びを見いだしつつ年月を経た。しかし彼には積み重ねはかなわなかった……。私たちの高校クラス会は冒頭に、この春亡くなられた友への黙祷で始めた。

近況を伝え合い、語り合った数時間が短く感じ、嬉しい土曜の夜は過ぎていった。食べたり飲んだりする時間も惜しいほど充実した夜だった。

久しぶりに皆と会って、近況や懐かしい昔話に盛り上がって、楽しいひとときがすごせた(^O^) 何十年のブランクを全く感じなかったね(^_^)/ 次に会える日を楽しみに、この会を励みに、また明日から頑張る(^_^)などなど
幹事冥利に尽きるうきうきとする言葉をもらいながら、上機嫌で家路につく。くっきりと晴れた夜空を渡る下弦の月を眺めながら家に帰ると、ラグビー日本がサモアを大差で破っていた。壮烈な肉弾戦。重量感あふれる闘争だ。我々もまた日々は闘争。勝ち取ろうじゃあないか、進もうじゃないか。

モーツァルトのピアノ協奏曲がFMラジオから流れてくる。短調の調べが染みとおる。柔らかにかつ力強く気持ちを鼓舞してくれる。永遠はない。百年経てばこの世に残る者は誰もいない。しかし未来はある。そのために今を生きようと。校歌を歌う。「美しき学びの園の友垣よ/歌へ歌へ平和と友愛の命みなぎるこの園を」と。友はありがたい、母校は麗しい。

参加された皆さん、どうもありがとう。また会おう。参加されなかった皆さん、いずれまた会おう。再び静かなる闘争の糧を年輪に刻んで……。

(丹誠を尽くした席札。くじは巾着袋に詰めた趣向を凝らしたもの。相棒幹事がつくってくれた)
キスしてムーチョ太陽に [2015年10月03日(Sat)]

fumihouse-2015-10-03T08_53_05-1-thumbnail2.jpgたくさんキスして(ベサメ・ムーチョ)と、メキシコの歌姫ビビアーナは歌った。そしてマリアッチの楽団がラテンのリズムを爆発させる(民音Viva!MEXICO公演にて)。

 キスして わたしを忘れないように
 キスして 明日は命はないのかも
 キスして わたしを離さないで
 今を生きるのよ キスしてわたしに
 メキシコの大地とともに 生きていく
 わたしは生きる あなたとともに
 ああ朝日が昇る 温かい日ざしがわたしを染める
 ああなんて幸せなんだろう
 ああ夕日が壁を染めている 茜色が世界の色よ
 ああなんて幸福なんだろう
 この幸せを永遠に
 だからキスして 抱いてわたしを
 告白するわ あなたを嫌いになったこともある
 キスして 懺悔とともに だからわたしは
 インスパイアされて 再び生きていく
 あなたに魅了され あなたを惹きつけて
 わたしは生きるのよ 太陽とともに
 リボンなびかせ 勢いにまかせ 勇気を出して
 日が沈んだ 月が雲の端から顔を出す
 あなたに言葉を贈る わたしの素直な心意気
 世界のどこにもない 心のこもった言葉を
 メキシコにキスして 空気とひとつになるんだわ

ラテンのリズムは楽しい。楽しく手拍子をのせて、ちょっぴり踊った。ラテンの歌声は伸びやかだ。太陽の下にある明るさに、太陽とともに哀しさも包み込む。
足りなくて飽きがくるのか心がけ [2015年10月02日(Fri)]

fumihouse-2015-10-02T18_17_20-1-thumbnail2.jpgときおり、心が足りなくなる。

自分の悩みごとに心を砕き過ぎて疲れてしまう。むしろ下手に心を使い過ぎて消耗してしまうのだ。気分転換して気を晴らすことができればよし。できなくて、それが過ぎると鬱になる。時が過ぎてしまえば、ああそんなこともあったなぁと感慨深いエピソードになることもある。これは誰にもあることだ。

別な意味で、心が足りなくなるときがある。

心遣いが足りなくて、相手を怒らせたり、自分で後悔したりする。忙しくて声をかけたり、訪問したりすることを忘れてしまう。そのうちに問題が表面化する。相手の心が離れることもある。あっしまった!と後悔しても後の祭り。何かにかまけて御無沙汰しているうちに、心がお留守になる。そんなこと、あずかり知らぬとばかりに無視したわけではないけれど、局面が雪崩を打って悪い方向に傾いていく。これも誰にもあることだ。

そんな時には、秋に咲く可愛らしい花でも眺めて、のんびり、うっとりしたいものだね。
クールから暖かにビズ変わりゆく [2015年10月01日(Thu)]

fumihouse-2015-10-01T17_52_19-1-thumbnail2.jpg10月となった。8月末からすっかり涼しくなっているので、超クールビズに位置づけられているポロシャツやチノパン姿は、本当をいえば必要ない。

しかし快適なんだなぁこれが。汗ばんでも乾きやすい、動きやすい、型が崩れにくい、ワイシャツのようにタイが無くても不格好じゃない。パンツも質が良くなって、濡れても乾きやすい、ジャブジャブ洗濯を繰り返しても折り目が消えないし、汚れがすぐ落ちる。いいことずくめである。

ウールや混紡のパンツをはいているときに、膝や太ももの裏側にかく汗が不快なのだ。汚れるとクリーニングが必要になる。なにか寒い時季に向けていい素材はないものだろうか。保温性はもちろんのこと、適度に吸湿性があり、気軽に洗濯もできて、型くずれしなくてオシャレに見える。そんな秋冬物を求めたい。あーあ、寒い季節がやってくる…。

(ガマの穂で繊維を織って洋服にしたらどんなものができるだろうか)