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かりそめの兄弟みてる電車人 [2015年09月30日(Wed)]

fumihouse-2015-09-30T18_19_43-1-thumbnail2.jpg松江に向かう電車内。ベンチ席に座るわたしの斜め向かいに初老の兄弟がいた。両者ともに目を閉じて静かにしている。寝入っているのではなさそうだ。

兄はベージュのボタンダウン長袖の上にサマージャケットを羽織り、パンツは濃いグレー。靴は歩きやすそうな焦げ茶のウォーキングシューズ。靴下は黒。小さめのポーチを腹に抱えている。銀縁の眼鏡をかけて、短髪の前頭部から禿げて頭頂まで達している。ほとんど白髪だ。

弟はジャケットこそ着ていないが、ピンストライプのボタンダウン長袖シャツに濃紺のパンツ。黒靴下に黒いウォーキングシューズで、兄とほぼ同じかっこうだ。膝の上には黒いリュック。禿げて頭頂が光っているのも似ている。銀縁眼鏡にかかる髪はまだ黒さを保っている。

二人とも面長でエラが張り、肌は浅黒い。鼻筋はがっちりと通っている。鼻翼は広めで意志が強そうだ。これだけ観察できるのは、お二人が目をつむっているからこそ。目を開けていたとしたら失礼極まりない(やっぱり失礼御免なさい)。

松江に到着すると二人は立ち上がると、二人とも長身であることがよくわかる。他の乗客と一緒に降りていった。わたしも座席を立ち、ポケットの切符を握りしめた。兄弟は人ごみの中に姿が見えなくなっていた。

ところで本当に兄弟だったのか。二人が言葉を交わすことはなかったし、目を合わせたこともない。それに普通の兄弟ならばあそこまで似ないと思うし、いでたちまで共通だ。二卵性双生児でもそうだ。となると、たまたま似た者同士が隣り合わせたのかもしれないな。わたしが妄想した、かりそめの兄弟たちは、今夕それぞれどうしているやらね。

(コスモスの花は似たものばかりで咲き乱れる。風になびいている)
お笑いに火花散らして芥川 [2015年09月29日(Tue)]

fumihouse-2015-09-29T22_34_52-1-thumbnail2.jpg『火花』(又吉直樹著,文藝春秋,2015年)は200万部を超えて大ベストセラーとなり、芥川賞作歴代の記録を塗り替えた。お笑い芸人が書いた話題の小説というにとどまらず、豊かな明喩と隠喩、心の動きや風景、状況をあらわす思いがけない表現が新鮮だった。

≪神谷さんの淀みなく流れるような喋りを聞いていると、自分が早く話せないことに苛立つ時があった。頭の中には膨大なイメージが渦巻いているのに、それを取り出そうとすると言葉は液体のように崩れ落ちて捉まえることが出来ない≫。

朽ちぬ泉のように湧いてくる知恵の数々。「神谷さん」は小説家のように巧みに表現し、プロレスラーのように「僕」を打ちのめす。神谷さんはイメージを具体に言葉にし、抽象も思いのままに操る。「僕」は「神谷さん」に師事したのだった。

ただ「神谷さん」はお笑い芸人としてのセンスは突出していたが、人間関係においては不器用だった。バイトはすぐ辞め、いつも貧乏だった。そして品行は悪かった。それも弟子の目からは≪臆面も無く自分の欲望を晒せるのは神谷さんの美点だと思≫えた。

感情にストレートで思い切り笑う、怒る。やりたいことをやりたいと言い、いかにもやりそう……だが神谷さんは動かないのだ。観念だけが空を切る。その観念を「僕」以外の第三者にも容赦なくぶつけるから相手を困らすことばかりだ。

「僕」は平凡な男だ。常識的の範囲で考えて行動し、周囲の空気を読む。師匠は「僕」が反論しても自説を曲げず、なんとなく納得させてしまう力がある。折りたたんだ紐を袋から出すように師匠の観念論は引きも切らず滑らかに口から出る。

≪これだけは断言できるねんけど、批評をやり始めたら漫才師としての能力は絶対に落ちる≫と「神谷さん」は言いつつ、批評家としての道をいく。漫才の実践者としては突飛すぎて受け入れられない。変態的すぎたのだ。

「神谷さん」は言う。≪だから、唯一の方法は阿呆になってな、感覚的に正直に面白いかどうかだけで判断したらいいねん。他の奴の意見に左右されずに。もし、俺が人の作ったものの悪口ばっかり言い出したら、俺を殺してくれ。俺はずっと漫才師でありたいねん≫。「神谷さん」はこの言に従って、信奉者のいない名前のとおり神になったのだ。そして最終章で“あの行動”に出てしまう。もちろん唯一「僕」だけが信奉している神だ。

天才たる「神谷さん」は一切ぶれない、自分のスタイルを全うする、相手に合わせて自分のやり方を変えない、だから「僕」は師匠になってもらったんだ。「神谷さん」の純真さを「僕」は、≪憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛する≫一方で、「神谷さん」の理解を超える言動に戸惑いつつも、ひたすら盲目的とさえ言える態度で付き従った。

漫才の本質とは≪笑われたらあかん、笑わさなあかん。≫ということ。単に内輪で笑わすことと仕事としての漫才は決定的に違う。笑わせて楽しむ足し算の笑いと、受けないことが心配で吐き気を催すようなお笑いの世界。舞台に上がれば≪世界の景色が一変すること≫を素人は知らず、≪自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験≫する世界。

≪神谷さんは、僕の面白いを体現してくれる人だった。神谷さんに憧れ、神谷さんの教えを守り、僕は神谷さんのように若い女性から支持されずとも、男が見て面白いと熱狂するような、そんな芸人になりたかった。言い訳をせず、真正面から面白いことを追求する芸人になりたかった。不純物の混ざっていない、純正の面白いでありたかった≫

これが「神谷さん」の哲学であり目指そうとした笑いだった。結果として世間には理解されない哲学だった。だが「僕」にはわかった。弟子が偉いからではなく、常に師と一緒にいてその偉大さを感じ、師匠に届かない焦燥感で満たされてきたからこそわかる偉大さだ。

師匠の偉大さと焦燥感とのギャップを「僕」は口にすれども、神谷さんは面白いことを純真にやれと言う。理屈はない、子どものような純真さ、これが天才であり神たる条件であり、神の求めるオリジナルな笑いなのだ。≪独自の発想や表現方法だけが肝心なのだ≫。だから、“あんなこと”をしてしまった。

「僕」が「神谷さん」に師事したほどのことはないが、わたしにも憧れの先輩がいた。自分より何十倍も頭が良くて、何倍も苦労して、よく考え、経験もたくさんしている。非常識なところがありながらも、常識にとらわれない先輩。彼我の距離は埋めがたい。二周も三周も周回遅れで走っているような感じ。4mしか跳躍できない私に8mの溝を跳べと言われているかのような恐ろしさを、それでもやってやろうと思い切らせるような何かがあった。『火花』を読みながら、遠い昔のことを思い出していた。

たった数歳の違いなのに永遠の距離を感じさせる途方もない遠さ。しかし「僕」は師匠一筋に純に吸収することで、いつの間にか「神谷さん」を超えていた。結局「僕」は神谷さんをまねることは不可能だと悟る。

≪神谷さんに悪気がないのはわかっています。でも僕達は世間を完全に無視することは出来ないんです。世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それは、ほとんど面白くないことと同義なんです≫。残念ながら「僕」のその言葉を神谷さんは理解しなかった。読みながら終始、「どんな想いを伝えるんや?」「それがどんな意味があるねん? よぉ考えてみぃー」と関西弁をまとった想いが湧いてきたのはなぜだろう。

(神谷さんや僕には、完熟前のザクロの実はどんなふうに見えていたのだろうか)
味噌汁の朝の味なり元気の元よ [2015年09月28日(Mon)]

fumihouse-2015-09-28T18_49_31-1-thumbnail2.jpg島根県食育・食の安全推進協議会がつくったチラシがある。題して「朝はいっぱいのみそ汁を飲もう!!」。20歳以上を対象にした調査が掲載されており、朝食を食べない人にいつから朝食を欠かすようになったのかと聞いている(平成21年の国民健康・栄養調査)。

       女子   男子
小学生から   6.3%   6.4%
中高生から  18.9%  26.3%
高校卒業後  14.1%  17.2%
20歳以降   60.7%  50.1%

全体としてどれだけの割合で若者が朝食を抜くのかは知らないが、抜くかどうかの瀬戸際は中高生時代にありそうだ。そこでチラシでは、朝食に一杯のみそ汁を食べると効能がたくさんあるというので、中高生が朝食を食べるように動機づけようとしている。

1 目覚めに効果がある/体が温まり、代謝を助けるビタミンB群で体が目覚める。
2 体調を整える/体の老廃物や毒素を洗い流す成分を含む。
3 理想的な組み合わせ/蛋白質や不足しがちなアミノ酸リジンが味噌の原料の大豆に多く含まれており、栄養学的にも理想的。
4 簡単に栄養を摂ることができる/野菜や海草など具をたくさんいれて栄養を効率よく摂れる、具だくさんにすると減塩にもなる。

わたしも出勤の日の朝にはご飯一杯と味噌汁一杯を食べて出る。元気の源だ。

(茶の花が立派に咲いた。朝食ご飯と味噌汁のあとには、一杯のお茶を飲んで出かける余裕をもちたいものだね)
花形のリレー速人うらやまし [2015年09月27日(Sun)]

fumihouse-2015-09-27T22_40_44-1-thumbnail2.jpg運動会の花形はリレー。それぞれの自治会チームを代表して各年代のメンバーがバトンを受け取り、走り過ぎる。際立って速いランナーの姿は華麗だ。

地面を強く蹴って遠くに跳躍する。それでいて足の運びは高速回転だ。胸を張り、強い手の振りで全身が走る弾となる。不思議な身体のメカニズムに驚く。そしてうらやましい。躍動する全身から「速い」オーラが立ち上る。単純なパフォーマンスでしかないのに、わずか100mの間に見る者を興奮させる。

強いチームはバトンパスでも華麗な技を見せてくれる。前のメンバーが同時に入ってきたとしても、スルスルっと一歩も二歩も前を行く。ずんずんと速い運びで後続組をあれよという間に引き離す。見ていてその爽快さったらありゃしない。

(落花生の花が咲いていた。黄色い純朴な豆の花だが爽快だ)
遠く去る27年ある平成 [2015年09月26日(Sat)]

fumihouse-2015-09-26T21_24_09-1-thumbnail2.jpg1988年(昭和63年)12月12日の朝日新聞を見ている。第一面はもちろんのこと、中に至るまで酸化して茶色にやけている。

第一印象として、その字が小さいこと、明朝体の線が細いこと。あまりに小さくて顕微鏡が必要だ。隣に今日の山陰中央新報がある。心地よく読めるその大きさに安心する。感覚として今は昔より4倍は大きい。

一面トップは「震災のアルメニア/救援機墜落79人死ぬ/ソ連軍用着陸に失敗」。そんな大地震があったような記憶がある。人道支援のため冷戦下の米国からも救援機が次々と飛び立ったようだ。

その他一面には「変化ない状態/天皇陛下」。深刻な容体が続く昭和天皇の病状が日々のニュースとなっていた。昭和が終わるのは翌年64年1月7日のことである。

二面以降は、リクルート事件後の竹下内閣の改造、今はなき民社党の春日委員長の記事、パソコン通信を使った大学授業の構想、本島長崎市長の天皇に戦争責任ある発言の続報、逗子市池子の米軍住宅建設問題、アラファトPLO議長の国連総会での演説、生命保険料の横並びの怪、消費税3%導入を翌春に控えた記事、男女雇用機会均等法施行から2年半後の続報、上海を中心に日本へなびく中国留学生の記事。。。。。実に時代を感じるものばかりだ。週刊誌の表紙グラビアを沢口靖子や南野陽子が飾っているのも懐かしい。同年に封切られた「となりのトトロ」の評論もあった。

昭和は遠くなった。そして平成も今や27年。ひとつも二つも時代を経てきたと言えるだろう。
安保立ち攻めと守りは紙一重 [2015年09月25日(Fri)]

fumihouse-2015-09-25T18_25_08-1-thumbnail2.jpg1対1で話すときの態度と、集団の一員として接するときの態度が違うひとがいる。さっきまで親しげに振る舞っていたと思ったら、違う知り合いが現れた途端に手のひらを返したように態度が変わる。そんなギャップを見せつけられると、わたしは心が痛む。

そんなわたしでも、仕事で組織人として振る舞うときには、いつもと違う態度をとっていることは間違いない。ひとは皆いろいろなキャラを使い分けて生きているものだから、冒頭の変わり身などは普通のことなのかもしれない。

個人的な態度ですらそうなのだ。これが国家となったら様相は変わる。相手を信頼して誠実に接すれば、相手はそれなりにこちらを遇してくれて、危害を加えてくるなどあり得ない? いや、そんなことはない。突然に豹変してしまうなど、外交の場では日常茶飯事だと思う。下手に出ようものなら足元を見て高飛車となる。かといって尊大に振る舞えば相手の自尊心を傷つけて紛争の元となる。どちらも避けて通りたい。

安保関連法制が成立した今、日本は難しい位置にある。「アメリカとともに限定的な集団的自衛権を行使する用意はあっても、専守防衛が第一であり、絶対に日本の方から攻めることはあり得ない。アメリカの片棒をかついで覇権を握るつもりなど毛筋の先ほどない」と、ことあるごとに日本人はアピールしていかなければならない。

他人を裏切って傷つけるよりは、騙されるお人好しのほうがマシだと言う人もいるけれど、国家レベルでは日本の誇りが許さない。固く守る日本を攻めても大ケガをするよ!とアピールしつつ、国際関係や国の利害得失を考えていきたいものだ。

(ローズマリーの枝をへし折ると、いい匂いがするけれど、松ヤニのような粘着く汁が落ちにくい。これぞ専守防衛だ)
ねぎらってお楽しみなり幹事殿 [2015年09月24日(Thu)]

fumihouse-2015-09-24T18_21_36-1-thumbnail2.jpg幹事さんお疲れさま。同窓会の準備、ありがとうございます。ひさしぶりの集まりを楽しみにできるのは幹事あってのもの、感謝です。頭が下がります。きっと盛会となるでしょう。。。。。

などと嬉しい反応が返ってくる。同期生というのは懐かしいもの、心やすいもの、心ときめくものだ。9月13日の「同窓のおじさんオバサン如何にせむ」で書いたとおり、久方ぶりの高校同期会で、集まるメンバーがどんなふうに年を重ねてきたのか、当日の楽しみが尽きない。

準備にあたって、もう二十年以上も会っていない人の声を聴く。懐かしい声をきいた後に、メールアドレスの確認が送られてくる。欠席する場合でも代わりにメッセージを受け取る。他のメンバーもいずれは目にする言葉ではあっても、今ここに同窓生としての思い溢れる言葉がある。その愉快なことといったらありゃしない。

もちろん、なしのつぶてという人もいるにはいるのだが、彼や彼女は現に大変な状況で同窓会などという呑気なことにかまってはいられないのかもしれない。次の機会には少しは余裕が出てくるように願っているよ。

同窓会の幹事って楽しいなあ、気が晴れるなあ、面白いよ。これ以上に興じられる娯楽があるだろうか。当日の酒興を考えて一人ほくそ笑む。ああこれも楽しいな。

(もう季節はずれのグラジオラスは古びた同窓生のアルバムか。それもまた一興だ)
ツヤツヤと姫が笑って新米よ [2015年09月23日(Wed)]

fumihouse-2015-09-23T21_09_38-1-thumbnail2.jpgショッピングセンターを歩いていたら、「つや姫の新米です。お召し上がりください」と、ラップに包んだ一口サイズの炊きたてご飯をもらった。

白い!ツヤツヤだ!美味い!。柔らかくてホクホクの温かさが口を満たし、噛むほどにじわりと甘味が広がり粘りがある。言うことない。香りもあり満足だ。ご飯をおかずにメシを食うという表現があるが、まさにそのとおり。おかずはなくても新米の美味しさだけで、いくらでも食が進むだろう。

島根県では元々コシヒカリが作付けの中心だった。しかし夏場の暑さのせいか、特に平坦部では品質が低下し、代替品種としてつや姫が脚光を浴びて重点栽培品種となった。

つや姫は山形県で開発されたもので、食味はコシヒカリと同等、特に炊いた時に白さとツヤが高い評価を得ているそうだ。また、倒れやすいコシヒカリに比べて丈が10cmほど短く栽培しやすい。猛暑下でも品質が低下しにくいという高い効能ももつ。

島根県では、美味しくて品質の高いつや姫づくりのモデル生産者となる「つや姫マイスター」も認定して、米作り島根の中核としてつや姫を新星として売り込み中だ。ぜひ一度食べてみていただき、姫と一緒にツヤツヤしていただきたい。

(つや姫の白さと粘りを連想させてくれる9月13日の入道雲)
ゴーギャンがアースカラーにしっとりと [2015年09月22日(Tue)]

fumihouse-2015-09-22T20_50_34-1-thumbnail2.jpg『ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち』の展覧会を、広島・三次市の「奥田元宋・小由女美術館」に見てきた。ポール・ゴーギャンというと、南洋タヒチの健康など女たちを多彩な原色で奔放に描きつつも、憂いやけだるさも交えた絵画が有名だ。

残念なことにそうした絵は出ていなかったが、仏ブルターニュ地方のポン=タヴァンで彼が百年以上前に、ポスト印象派を目指して同志の画家とともに苦闘しながら新時代の絵画を生み出す過程の一部を観覧することができた。

≪自然をあまり素直に描きすぎてはいけないということだ。芸術は抽象なのだ≫ というゴーギャンの言葉が印象的だ。ブルターニュの風景や農家の婦人たちを描いた絵に目を凝らしてみると、油絵の具を幾重にも塗って盛ることはせず、あっさりとあえて塗らないところもあったりする。輪郭を残しているのは、印象派の画家たちが大いに影響された浮世絵の雰囲気が出ていたような気がする。

アースカラーがよく使われている。緑系統に茶系統。鮮やかなグリーンやくっきりしたブラウンではなく、くすんでグラデーションたっぷりのアースカラーだ。画面が目を優しく安定的に包んでくれる。形の面でも、斜めの三角の構図をどの絵にも使っており安定感がさらに増す。

月を美しく観賞することが設計思想となっている館内は庵治石や大理石がふんだんに使われており、思いのほかゴージャスだった。奥田元宋の豪壮にして繊細な日本画も、妻奥田小由女の独創性のある人形類も、印象深く観賞することができた。近くには三次ワイナリーもあってお勧めのスポットだと思う。

(ゴーギャンのゴージャスなタッチを彷彿とさせてくれる薔薇の花。南海の奔放な女性たちが髪飾りにするのにふさわしい)
顔歪め眉をひそめて嘆くひと [2015年09月21日(Mon)]

fumihouse-2015-09-21T23_05_41-1-thumbnail2.jpg今年もお楽しみが出た。文化庁による国語に関する世論調査だ。調査客体は対象は16歳以上の男女2千人弱でその個別面接の結果、今回も面白い結果が発表された。

まずは手書き文字を大切にしたいと考えている人が多いようだ。「年賀状などで印刷されたものと手書きが加えられたものとではどちらが良いと思うか」の質問には、「全て印刷されたものがよい」が5%、「どちらも変わらない」が7% と答えた。一方で「手書きや手書きが一言加えられたものがよい」というのが88%もあった。

別の質問で「文字を手書きする習慣をこれからの時代も大切にすべきである」と思うのが92%あったことを考えると、日本語の美は手書きに宿ると考える人が多いと推測される。

新しい語句についての認知度を調べている。
【婚活】が94%と最も高く、【デパ地下】92%、【クールビズ】91%、【イクメン】90%、【女子力】87%、【大人買い】79%となっている。もう既にこれらの言葉は社会で市民権を得たと考えてよい。

言葉の覚え間違い、誤解による誤りはいろいろあるものだが、間違う人が多くなると正解が蹴散らされて誤用の方に主導権が移る。江戸の昔、山茶花(サンザカ)がいつの間にか、サザンカと誤って使われるようになった実績だってあるんだから。

1 「おもむろに」の正しい意味は?(正解はすべて■)
 ■ゆっくりと 45%
 □不意に 41%
  ※正解はゆっくりとだが、不意に派が一馬身まで付けている。
2 「枯れ木も山のにぎわい」は?
 ■つまらないものでも無いよりはまし 38%
 □人が集まればにぎやかになる 47%
  ※逆転されてしまった。
3 「小春日和」は?
 ■初冬の頃の穏やかで暖かな天気 52%
 □春先の頃の穏やかで暖かな天気 42%
  ※「春」の言葉に踊らされてはいけない。
4 「天に唾する」は?
 ■人に害を与えようとして結局自分に返ってくるような行為をすること 64%
 □自分より上位に立つような存在を冒し汚すような行為をすること 22%
  ※自分より上位に立つ人を「天」に喩えたわけだ。
5「企業が学生を早い時期に採用すること」は?
 ■青田買い 47%
 □青田刈り 32%
  ※まだ稲が実らない青田の頃に刈ってしまえば、収穫はできないのだがね。
6 「夢中になって見境がなくなること」は?
 ■熱にうかされる 57%
 □熱にうなされる 27%
  ※うなされるのは、寝込んでいるときだけでたくさんだ。
7 「いよいよ,ますます」をどう表現する?
 ■いやがうえにも 35%
 □いやがおうにも 42%
  ※いや増して、その上にも○○するが原義。
8 「心配や不安を感じ,表情に出すこと」は?
 ■眉をひそめる 45%
 □眉をしかめる 45%
  ※しかめるのは顔だけでたくさんだ。

言葉は動いていく。言葉は変遷して限りないから面白い。
情熱のキスが変じて健康に [2015年09月20日(Sun)]

fumihouse-2015-09-20T16_40_05-1-thumbnail2.jpgイグ・ノーベル賞をとった「情熱的なキスの生物医学的な利益あるいは影響を研究するための実験」が面白い。大阪の開業医小俣氏が共同研究したもので、要するにキスには高い効能があることを証明したのだ。このユーモアあふれる研究によれば、キスをすると皮膚炎や鼻炎の患者のアレルギー反応が弱まるのだそうだ。

木俣氏は、アトピー性皮膚炎の患者30人、鼻炎患者30人、アレルギー症状のない健常者30人の計90人とともに実験をした。それぞれのパートナーと静かな個室で自由にキスを続け、穏やかなBGMも流してゆったりとした雰囲気もかもし出したのである。

実験終了後、皮膚テストや血中成分測定の結果数値が改善し、ダニやスギ花粉に対する皮膚のアレルギー反応が大幅に抑えられたということだ。併せて氏は反証実験もやっている。二週間後、同じカップルにもう一度集まってもらい、キスをせずに同じ条件下で抱き合ってもらったが、効果は認められなかったのだそうだ。

さて、実験で行ったキスの時間だが、なんと30分。効果は認めるが、うーん、それだけ続けようと思うと、現実はちぃっと難しい(+o+)

(情熱的なキスを連想させるケイトウの花)
走りつつゲーテ箴言ここ留める [2015年09月19日(Sat)]

fumihouse-2015-09-19T17_50_16-1-thumbnail2.jpgゲーテの「箴言と省察」より

  一日というものは、
  間違いと失敗の連続みたいなものだ。
  ところが、
  時が積み重なって
  成功と成就がもたらされるのだ。

今日一日は、失敗二分、充実五分、無価値三分といったところだろうか。早くも夕刻。日が暮れてきた。もうじき暗くなる。今日のこの日は、やがて「成功と成就」をもたらすと信じよう。
それぞれに物語っては信じ合う [2015年09月18日(Fri)]

fumihouse-2015-09-18T19_52_43-1-thumbnail2.jpgひとは【物語】を創作して生きています。小説家じゃあるまいし、生きるとは【事実】を積み重ねることじゃないの?と思われるかもしれませんが、意外と違うんですね。物語でもって毎日はできています。

物語を別の言葉に代えると想像です。例えば恋人同士。どんなに好きあっても24時間一緒には過ごしません。同棲してもそうですね。離れている時間がむしろ長い。その間彼(彼女)が何をしているかはわかりません。ごく普通に仕事をして、アフター5はスイミング教室に通ったり買い物したり。夜は普通に寝て、その繰り返しだと説明されていても、監視などしないですから信じるのみです。自分が信じる彼(彼女)の姿を想像して物語化しているんです。

ましてや彼が何を考えていたのか、何に目を引かれたのか、思考の痕跡をたどろうとしても無理な相談です。ほとんどは想像にまかせるしかありません。ふつうはそんなこと、考えるのも面倒くさいと思うでしょうけどね。少しの事実の周辺をコッテリとした想像で補っているんです。

彼はこうしているはずだ、こんな思いを抱いているんだと、知らず知らず物語をつくるといういうことなんです。実際が物語の範囲内であればいいのですが、物語と実際が乖離してしまうと二人は破綻するかもしれないし、自分が知らなかった彼のことを知って改めて惚れ直すかもしれません。相手も同じなんですよ。

では二人が同じ時間を過ごし語り合っているときは、すべて事実でできているんでしょうか。これも違うんですね。彼が今どう感じて何をしたいと思っているのか。どんな感覚でおしゃべりをし、スマホに向かっているのか。さらに今後の彼にどんな運が開いていくのか。それとも不運にさいなまれることになるのか? そんなこと他人はもちろんですが、当の本人にもわかるわけないじゃないですか。言葉に表現などできません。他人はもちろん本人だって自分のことを、こうあってほしいという願望も含めた物語でしか、完結できないのですよ。実のところはですね。

恋人だけではありません。夫婦も親子も、友人関係も職場も趣味活動も、すべて人間関係には物語があります。物語で動いています。物語を別の言葉で補えば【哲学】です。私たちは実は哲学者なんですね。

(おどろおどろしいハクモクレンの実。形は一様ではなく異形で多岐にわたる。まるでエイリアンの巣窟)
日本の安保は線路と同じこと [2015年09月17日(Thu)]

fumihouse-2015-09-17T19_14_12-1-thumbnail2.jpg安全保障関連法案の審議が参議院で大詰めを迎えた。特別委員会を通ったようだが、参院で議決されるのか、それとも激しい抵抗で決められなくて、衆院の二度目の採決に持ち込むのか。いずれにせよ、■賛成派■と□反対派□との溝は埋まらない。

■集団的自衛権は3条件をつけて限定的にしか使えない仕組みだ。それであっても融通がきく自衛隊にしておかなければ、いざというとき米国は日本を守ってくれない、と賛成派。
□米国の戦争に乗じて戦闘行為に参加するなんて平和国家日本のすることではない。戦争の出来る国になってはいけないと、反対派。

■権謀術数渦巻く中国は決して一枚岩でもなく、尖閣諸島問題で分かるとおり、巨大な人口を抑えるために過激な行動に出ないとも限らない。抑止力となるのが新安保法制だ、と賛成派。
□強硬な中国であっても友好的に国交を続けて信頼し合う関係を保っておけば、中国が日本に攻めることはないと、性善説で反対派。

■大国中国とは事を構えたくない米国は、日中間の問題はそっちで解決してほしいと望む及び腰だ。新安保で日本に肩入れさせ睨みを利かせてもらわなければ困る、と賛成派。
□米国は人権主義や民主主義を行き過ぎるほど信奉してきており、世界各地で戦闘続き。そんな米国に追随する必要などない、と反対派。

□自衛官に命の危険を冒させてはならない。生命尊厳の日本でなくてはならない、と反対派。
■後方支援などできるだけ危なくないところで任務に就かせる。それでも彼らは自衛官として任官したときから日本国のために命を捧げる覚悟をもった尊い職業人だ、と賛成派。

□そもそも違憲である。日本国憲法は絶対に戦争を肯定などしていない。戦争しない日本でなければ私たちの未来はない。9条憲法を守れ、と反対派。
■日本国憲法の前文は高らかに平和思想を語るけれども、丸腰で主権を侵されるまま指をくわえて見ているだけでいいという思想はない。解釈憲法でもって従来もやってきたことであって、限定的に集団自衛するならば大きな変更にはならないのだ。平和と叫んでいれば戦争から逃れられるとする反対派は言霊思想にかぶれた空想的な平和主義者だ、と賛成派。

ここまでくれば、宗教的な思想信条とも言ってよい。賛成派と反対派は、鉄道のレールが交わらないように永久に理解しあうことはないだろう。どんなに議論を尽くしても永久に理解はしあえない。

ここまで国民世論が反対しているにもかかわらず強行採決とは暴挙であり、独裁的権力の暴走は許されない、民主国家の破棄につながる、と反対派は言う。ただし、民主主義が優れている点は意見がどんなに分かれても党議の最終決着として多数決で採決できるというシステムをもつところだ。少数意見は耳に入れるとしても最終的に国家としての方向付けるために、選挙された代議士が議決して多数派の意見を推進していくことは暴挙でもなんでもないと私は思う。

(世間の騒ぎには関係なく、邇摩高校のシソの花々は咲いた。夕日を浴びて食欲をそそる。美味しそうだ)
世界一力士の力多彩なり [2015年09月16日(Wed)]

fumihouse-2015-09-16T18_31_00-1-thumbnail2.jpg大相撲秋場所は初日から波乱が続いている。横綱白鳳は休場し、鶴竜も負けた。大関琴奨菊も黒星を喫し、豪栄道は2連敗。照ノ富士、稀勢の里が土付かずで昨日まで3連勝してきたが、これからどうなるのやら。下剋上のチャンスがやってきて、面白くなりそうだ。

さて、幕内力士の出身県や出身国を見ると面白い。番付表から拾ってみた。全体で突出しているのはモンゴルで14人。ジョージアが2人、ロシア、エジプト、ブルガリア、中国がそれぞれ1人で、多彩に世界から集まっている。

国内では5人で多いのが東京と鹿児島。4人が青森。3人が大阪と香川、熊本。2人が高知、茨城、埼玉、愛知、石川、兵庫、福岡。

かつては横綱をはじめ人材を輩出していた北国が思いのほか少ない。北海道は1人だけで目を引く。その他1人なのは秋田、岩手、千葉、長野、奈良、三重、長崎、大分、島根、山口、鳥取。以上幕内力士がいるのが24都道府県となった。

スポーツニュースでしか近頃は見ることがなくなったが、いずれは目の当たりにして直接観戦してみたいと思う。

(暑さが去って今再びタンポポが元気に咲き始めた。元気の出るあでやかな黄で、道行く人を元気にしてくれるだろう)
陽光が秋にキラキラ青緑 [2015年09月15日(Tue)]

fumihouse-2015-09-15T07_19_43-1-thumbnail2.jpg日曜日はいい天気だった。朝の雨が上がり、きらびやかな陽光が眩しく肌を射したが、灼熱の太陽ではない。少し熱さは感じても、秋の穏やかな日にふさわしい太陽光線だった。

わたしは深い森に立っていた。ドローンを持っていたので高々と飛ばした。ファインダー越しに青々した針葉樹林がみえる。木々は命の息吹を満面に噴出させ、秋を満喫している。この写真は上空30mのところから俯瞰して撮影したものだ。森を漫遊する気分。わたしも満喫した。

嘘はここまで! 収穫期を迎えたニンジンの葉っぱはそれだけでも美味しそう!
曼珠沙華秋の夜長に赤い口 [2015年09月14日(Mon)]

fumihouse-2015-09-14T18_16_00-1-thumbnail2.jpg昨年は彼岸直前まで曼珠沙華が咲かなかった。が、彼岸にはあれよという間に咲き出した。さすが彼岸花、と感心した記憶がある。

ところが今年はどうだ。先週末には赤さをまとって茎が伸びてきた。畦畔や道端、川岸を真っ赤に染める前ぶれで、チラチラと種火が並んでいるようだ。

彼岸花の開花には日照時間が影響するという。この夏旧盆が始まるころには秋の気配が漂っていた。それまでの酷暑がウソのように、厳しい残暑はないうちに9月が来た。しかも台風や低気圧が波状的に押し寄せて日照時間が少なかった。花が勘違いしたとみえる。

曼珠沙華の茎は一日10センチも伸びるという。何もなかったはずのところに忽然と姿を現して、驚異的なスピードで秋本番を告げる。数日後には辺りの景色を赤く染め上げるだろう。そしてシルバーウィーク5連休には萎びて跡形もなくなるかもしれない。
同窓のおじさんオバサン如何にせむ [2015年09月13日(Sun)]

fumihouse-2015-09-13T09_50_29-1-thumbnail2.jpg20年ぶりに高校の同窓会をすることにした。メールアドレスがわかる人に一斉に連絡したのが、次の内容だ。

********(^_^)/*****
同窓生の皆さん
思いたって同窓会を企画してみました。
【とき・ところ】10月3日(土)夜、出雲市内
このメールはケータイアドレスをお持ちの方にBCCで一斉送信しています。個人情報は幹事二人だけで共有し、ご了解いただいた方については、ケータイ番号とアドレス、皆へのメッセージを同窓会の場で印刷してお渡ししたいと考えています。
 1■参加か不参加か
 2■番号とアドレスの公開は可か否か
 3■LINE、Facebookのアカウントの有無
 4■欠席の方は皆さんへのメッセージ
以上、返信くださいますようお願いします。
*******<(_ _)>*****

若い世代はメールやラインで卒業後も簡単につながっていられるが、我々の世代はそうはいかない。ふだん繋がりがないメンバーには家電話にかけて、ケータイ番号を聞く。ショートメールでアドレスを確かめて、そこからはじめて案内文を通知できる。なかなか面倒な手順がいる。

だが楽しみだ。どんな素敵なおじさんオバサンになっているのか。楽しみな反面、怖いような気もする。49人のうち行方知れずの人も何名かいる。残念ながら病気で亡くなった人もいる。幸いに担任の先生はお年はめされたが参加すると明言してくださった。賑やかな語らいになることを願っている。
惨劇の雨はひとを走らせて [2015年09月12日(Sat)]

fumihouse-2015-09-12T21_30_56-1-thumbnail2.jpg台風由来のひどい雨がやみ、昨夜とその前の空は星に満ちていた。11時前には秋の四角形(アンドロメダ座とペガスス座)は天頂を過ぎ、昴が顔を出している。空は一足早く初冬を迎えたようだ。

水は恐ろしい。津波を起こす海水はもちろんだが、川に注ぎ込む雨水にも強烈な破壊力があることを、今回の大雨で改めて思い知らされた。

10日の未明から始まった極雨(極端な雨。わたしの造語)は栃木県を皮切りに茨城県、宮城県を未曽有の大洪水に陥れた。鬼怒川や宮城の渋井川の氾濫や決壊は多くの悲劇を生み出し、暴れ水は治まったものの、爪痕は相当に深い。前回の台風が強風だったために、今回は雨台風か、と私は見くびっていた。ところがどうだ、この大洪水は。

列島は秋雨前線に被われてふたたび雨模様となっている。惨劇に遭われた地域の方々にお見舞い申し上げます。脅威の自然が被災地の方々にとってこれ以上の苦しみをもたらさないように祈っています。
ヒギンズがピグマリオンになる詐術 [2015年09月11日(Fri)]

fumihouse-2015-09-11T19_38_38-1-thumbnail2.jpgピグマリオン王は彫刻の名手。理想とする女性を大理石で創り上げたところ、あまりに素晴らしい出来映えにその石像に恋をした。君は美しい君が愛しい、と毎日誉め上げたので、愛の女神のおかげで本物の美女になった。めでたく二人は結婚したとさ……。そのギリシャ神話を元にして、ピグマリオン効果という言葉が生まれました。君は出来る!と長所を誉め続けると、高い教育効果が認められるという教育的心理学の用語です。

映画『マイ・フェア・レディ』はバーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」を原作としています。ピグマリオン効果とは大分違いますが、言語学者のヒギンズ教授は賭けをします。下層階級の英語しかしゃべれない花売り娘イライザ(オードリー・ヘップバーン)を“仕込んで”、上流階級の立ち居振る舞いも加えて淑女にできるか否かを実験するのです。

労苦の末イライザはレディになります。英国王宮の舞踏会において、あまりに完璧な上流英語をしゃべるイライザはハンガリーの王族だとみなされて、身のこなしと美貌を絶賛されるのです。レディの教養も身につきました。ヒギンズ教授は勝ったのです。

イライザは辛い訓練の途中、気がついたことがあります。一つは学ぶことの楽しさを知り、苦しいトレーニングを経て突き抜ける喜び、達成感に満たされる喜びです。もう一つはヒギンズ教授への恐れが憧れになり、さらに愛情へと変わっていく自分の心にです。

ところがどうですか、ヒギンズは。彼女がなくてはならない存在になっていることに薄々気がついていながらも、おまえなんか用なしだ、所詮は拾った女だとパワハラの連続です。このゲームが終われば育ちの悪い女など必要ないと言い捨てるのです。

外見だけでなく内面も淑女になり遂げたイライザにとっては許しがたい暴挙です。ヒギンズの母はよき理解者でした。その助けもあり、イライザはヒギンズに一矢報います。教育というものが、周囲の努力と当人の強い意志によって成し遂げられることが見事に示されるのです。

イライザは血のにじむような訓練。くじけません、アッパレでした。困難を乗り越えるほどに、彼女の英語が“正しく”なるほどに、彼女の美しさが光ってきます。学んぶことに喜びを感じ、挫折と重荷に耐えた結果、内面から光っていくのです。

実は成長するのはイライザだけではありません。その成長する過程でヒギンズ自体も育っていくのを見るのも楽しみな映画です。
オワハラとソーハラ増えてあれこれと [2015年09月10日(Thu)]

fumihouse-2015-09-10T18_07_56-1-thumbnail2.jpg○○ハラスメントの双璧は、パワハラとセクハラだと思います。さらに、モラルハラスメントや妊産婦へのマタハラ、イクメンになろうとする男性へのパタハラが広く知られるようになりました。

最近知ったのが『ソーハラ』です。ソーシャルメディアでつながった上司が部下に対してストレッサーになるのをソーハラと呼ぶようです。上司と部下はSNSではつながらないのが無難でしょう。

もう一つは『オワハラ』。就活終われハラスメントです。就活中の学生に、「内定出すからもう就活終わらせろ」、「他社の面接は受けるな」とプレッシャーをかけます(示唆することも含め)。ブラック企業の割合も高いといいます。もちろん、大手企業が8月以降次々と内定を出して、せっかく優秀な学生を採用できると期待していたのに、さらわれることが残念で採用担当者はいてもたってもいられない気持ちはよくわかります。就活生の健闘を祈ります。

ハラスメントはいくらでもあります。人間とは、相手を見下し弱い者をいじめ相手を踏み台にしてストレスを発散させるものなのです。人間はいくらでも醜くなります。反対にどこまでも美しくなれるのも人間です。

(秋の庭でとれる代表的な味覚。イチジクが美味しい季節。化け物のような口を開けている)
マイナンバー全てを預けてどこへやら [2015年09月09日(Wed)]

fumihouse-2015-09-09T19_08_44-1-thumbnail2.jpg電車が構内に入ってきた模様。私は改札を駆け抜ける。今や切符を切ることはもちろん、定期券やプリペイドカードをかざす必要もない。ポケットに入っているマイナンバーカードを機械が自動検知してくれる。時折車内で検札を受けるときは、カード入れを出さなくてはならないのは面倒だ。

駅を降りてスーパーに入る。今夜は家人は出かけて私一人きりだから簡単にすますつもりだ。いくつかの食材と牛乳を買い物籠に入れてレジに行く。マイナンバーでたちまちにして終わる。食事は健康維持に不可欠だ。マイナンバーは健康保険証の機能は備えているし健康情報も網羅して登録されている。設定にもよるが、一回ごとの食事に偏りがあればメールでただちに警告を発する。スゴい世の中になったものだ。

前はレンタルビデオ屋で映画のDVDをあれやこれやと選んだものだが、今はない。ネットからダウンロードして観るだけになってしまった。決済はもちろんマイナンバーだ。今夜は映画館で観られなかったあの映画にしよう。ホームシアターという手もあるけれど、やっぱ映画は臨場感あふれる劇場で観るに限るね。

宅配便が来た。受け取りはマイナンバーをかざして一発だ。学生時代の友達が京の雅なお土産を送ってきてくれた。さて何をお返ししようかな。彼と過ごしたあの頃の学籍や成績証明はカードに紐づいて簡単に取得できるから、今度会ったら成績を出して比べっこをしても面白かろう。

ホントに生活は変わった。クルマのキーは持たないし、車の免許証もなくなった。パスポートはさすがになくならないが、番号はしっかりと紐づけられている。現金を出し入れすることは大分減ってきたが、それでもキャッシュは必要で、キャッシュカードもマイナンバーに統合されてから楽になった。

かつては割引カードやスタンプカードでパンパンに膨れていた財布がスリムになって心地よい。フィッシング詐欺の被害を受けることはもうない。預金の引き出しやクレジットカードの決済だってマイナンバー認証でたちまちにして完了だ。以前は口座は名寄せされておらず脱税がまかり通っていたらしいが今では考えられない。

パソコン使用にあたっては職場でも自宅でもカードを元にして立ち上げが可能。パスワードをいちいち入力することはなくなったので便利になった。ID確認はマイナンバーそのものとわたし個人の生体特徴を結びつけられているから、盗まれる心配もない。

各人の行動は多くの場合がカードに紐づけて記録される。便利に速く正確にさまざまな処理が進んでいる。ただしメカニズムは一切公開されていない。まあ当然のことだ。個人情報が晒される危険性があるならば、知り得る人の数は少ないほうがいい。

言ってみれば、私たちの生活はすべて国家に絡め捕られている。国家への信頼を下にこのシステムは成り立っているわけだが、もしも何者かによって国家機構が支配されてしまったとしたら、私たちの生活は累卵の危うきにある。まっ多分うまくやってくれていると思うよ、よろしくね………………………。

マイナンバーカードがそこまで汎用的になるとは思えないけれど、これから鳴り物入りで始まるこの制度が、身分証明、税金と社会保険、一部の福祉制度利用、預金隠し防止程度にしか使われないなんてもったいないことだ。それと消費税食料品分の2%の軽減措置として還付に使うとか?

日本国内はもちろん、世界中から悪者が押し寄せる。ウェブの波に乗って押し寄せる。個人情報のセキュリティを高めることの究極は、こうした一元化をしないことだ。すなわち便利さは求めないということなのだ。二律背反するこの辛さをどこでバランスをとるのか、難しいところだ。
創生し地方を新たに創世す [2015年09月08日(Tue)]

fumihouse-2015-09-08T18_25_30-1-thumbnail2.jpg現在島根県では、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の素案を発表し、県民からパブリックコメントを募集しています。≪2040年までに合計特殊出生率2.07と社会移動の均衡を目指≫して、仕事をつくり、子育てしやすい環境のもと、安心して定住できる人の流れをつくろうと島根県は懸命なのです。これがいわゆる地方創生です。

よく報道やホームページで「地方創世」と漢字がふられているのを見ると吹き出してしまうのですが、旧約聖書の神が創った世界と人類の始まりのように、日本という国を一から創り直そうとする意気を感じて悪くないですね。

ベースとなるのは昨年11月に成立した「まち・ひと・しごと創生法」です。人口減少社会に対処するため、首都圏への過度な人口集中を是正し、地方圏それぞれに住みよい環境を確保しなければ、活力ある日本を維持することはできないという問題意識が法律にはあります。

島根県の素案によると、長期の人口減少が今後も続くと次のような問題が起こります。

■消費が縮小し、商店や公共交通など日常サービスが確保できない。
■地域産業の担い手が不足し、地域経済が縮小する。
■高齢者への医療・介護や、子育て世代への保育に支障が出る。
■地域活動の継続や地域文化の伝承が危機に瀕する。
■社会サービスの低下がさらに人口を流出させ、悪循環に陥る。
■行政サービスの水準を維持するために必要な財源が確保できない。

深刻そのものです。人口ビジョンでは2060年の段階で、合計特殊出生率が今のまま1.63で続いた場合には現在の69万人が38万人となり、2040年までに人口維持が可能な2.07までに回復すれば、2060年には47万人になるようです。

ところが、県内19市町村の目標数を合計すると47万人を大きく上回ります。だから県もその数字を人口ビジョンの目標とするべきだという意見も多いですが、そうした建前につきあう必要があるのか、私には疑問です。

47万人と計画に記載してしまったらそれ以上の人口増加は望めないなどという言霊信仰を持ちだしてもらっては、目標だけつくって安心することになりかねません。それでなくても、47万人でも相当楽観的な数字です。厳しい現実も踏まえなければなりませんね。

若者の意見を聴く会も催されるようです。対象は県内在住の若者ですが、年齢要件はありません。いくつになっても青春だ!と思っている方なら何歳でもよいのです。ふるってご参加くださいな。

(邇摩高校の紫式部が麗しい。くるんとキラキラ可愛らしい。紅紫に多数の小玉が楽しげだ)
居てほしい他人に頼られ冥利かな [2015年09月07日(Mon)]

fumihouse-2015-09-07T22_04_25-1-thumbnail2.jpg≪三種の人間がある。
 居てもらいたい人。居ても居なくても、どちらでもよい人。居ては困る人。家庭でも職場でも、居てもらいたい人にならなくてはいけない≫ (仏法を基調とした価値論を著した牧口常三郎創価学会初代会長の言葉)

ひとは誰でもその存在自体が、かけがえのないものであることは言うまでもない。それでも、ビジネスの現場やスポーツの世界にあっては、出来るか出来ないか、上手いか下手か。そうした尺度でもって人間が機能化されるのはいたしかたないところだ。

その機能を果たす中で実績を積み重ね、組織にあってなくてはならない人になる。時折失敗することはあっても(同んなじ失敗を繰り返してばかりいるとソッポを向かれるが)、仲間と助け合ってさらに高みを目指して不断の努力を積み上げる。そうできるようになったとき、「居てもらいたい人」になれる。

個人が3人集まれば組織ができる。その中にあって居てほしいと言われたい。それが人間冥利に尽きるというものだ。
北方の思い尽きなしロシアへと [2015年09月06日(Sun)]

fumihouse-2015-09-06T20_33_50-1-thumbnail2.jpg先月の後半、ロシアのメドベージェフ首相が北方領土・択捉島を訪問すると伝えられると、日本政府は強く反発した。結果として、プーチン大統領が年内に訪日する計画を実現するために岸田外相が訪ロして事前調整しようとしていたのだが、それを取りやめた。日本は腹を立てたのだ。「日本固有の領土に首脳が訪問するなんてとんでもない。国民感情を傷つける」と。

あーあ、である。もともと日ロ関係は良くはないが、目と目をを合わせて話す、相互の文化を感じながら同じ空気を吸い、首脳間の信頼関係をつくり、経済協力をテコにして交流を深めることは外交交渉には有効なだけに残念だ。硬軟を使い分けずに一面的な価値観に縛られるのだ。日本人にとって北方領土は故郷だが、相手にとっても戦後三世代が生きてきた故郷であることも間違いない。

≪こうした時代は、国家においては、政治も、軍事も、経済も、科学技術も、あらゆる「力」を総合しなければ生存できないのですが、どうも今の日本は世界からズレている≫ (『新・戦争論』池上彰・佐藤優共著,文春豊後,2014年)

北朝鮮の拉致被害者の調査についても、中途半端で捏造された報告書ならば受け取ってはならないと、家族会は政府に訴えているが、これだって交渉の窓口を閉ざすことになる。私にはズレているように思えてならない。

受け取る→吟味する→不足や不審を問いただす→経済制裁ムチと経済協力のアメの両者をちらつかせながら譲歩を引き出す→拉致被害者の早期救出実現に向けて前進……

一面的な条件だけで交渉すると、その矢が尽きたときに二の矢は出せない。行き詰まり、破れかぶれになるのは愚かだ。80年前の過ちを繰り返してはならない。
楽園の東に何を見つけ出す [2015年09月05日(Sat)]

fumihouse-2015-09-05T23_10_12-1-thumbnail2.jpg有名な主題曲が冒頭から流れる。有名なワルツだ。南国カリフォルニアの陽光に満ちた海岸の風景は伸びやかで明るいが、セピア色で古色蒼然とした空気感がある。

伝説の俳優ジェームス・ディーンがさっそく出てきた。明るい主題曲が変奏して不安な不協和音になってくる。キャル(ディーン)が何か事件をひきおこしそうな不穏な気配。淑女の後ろを付けている。ストーカーか? 家の中をうかがう。観ているほうは不安でたまらない。映画『エデンの東』を通じて、ずっとキャルは幼く唐突で配慮が行き届かなくて、保護者の気分になって観ている者を不安にさせる。でも彼は純粋で可憐だ。そう、可憐なのだ。

双子の兄アロンの婚約者アブラも可憐だ。アロンは四角四面の真面目男。二人で恋を語りあうと甘さ一杯だけれども、アブラに求めることはともかく良き母になること。いつも正論をはいて隙を見せない。アブラは本音の出しようがなくて、違和感を感じ続けてきたが、それが何かを明快にはつかんでいなかった。

そのアブラがキャルに関わるようになる。彼が周囲からも鼻つまみ者にされて、特に堅物の父と兄からは愛されていないことを嘆いて反抗的な態度ばかりとっていると知ると、何とかしたいと骨を折る。捨てばちにならないように懸命に、まるで母のように受け入れて話を聴く。その様子が実に可憐だ。またアブラは自分の父との葛藤体験をキャルに自己開示して心を解放させた。そこにアロンへの愛とは違う爽快さも感じ始めていたのだった。

父アダムや兄アロンとて、もとよりキャルを心底きらっていたわけではなさそうだった。ついつい正論を優先させて、○○すべき、□□はならぬと規範ばかりを押し付けて束縛してきたが、彼らとて無理があることを感じとっていた。それも可憐と言えるかもしれない。

キャルとアランはずっと母は死んだと聞かされてきた。しかしキャルは真実を知り、母と交流を持った。自分のアイデンティティを獲得したことでキャルは少しばかり安定した。金を儲けて、父がレタスの冷蔵保存販売でもって大損した穴埋めをしようとしたのだ。

が、父はその金は汚らわしいとして受け取らなかった。代わりに兄が用意したプレゼントは喜んで受け取った。アランとアブラが婚約したという報告がそれだったのだ。キャルが父を愛することの証を受けなかったのに、アランの愛は受け入れたことを深く悲しんだ。ジェームス・ディーンのこのときの演技、素晴らしかった。満腔を悲しみで一杯にして、父さんなんか嫌いだと言いつつ、抱きついて全身で泣きに泣いた。その詩情に胸が熱くなった。

旧約聖書にあるカインとアベル兄弟の話を下敷きにしていたとは、私は今日まで知らなかった。カインは父たる神に作物を捧げたが受け取ってもらえず、アベルは羊の子を捧げ、神は喜んだ。嫉妬したカインはアベルを殺したという物語である。

第一次世界大戦という世界情勢、ドイツへの猜疑、父子の葛藤、兄弟同士のコンプレックス、愛と自己開示、病人の看護のあり方、神と人間………様々なことを考えさせてくれる名画だと思う。1955年、もう60年も前の映画だが決して色あせない名作である。

(しぼりのはいったオシロイバナ。微香がある。黄や紅、白色で可憐だ。近頃は球形の果実ができてきた。昔は中の白粉状の胚乳をおしろいの代用にしたそうだ)
ジンジャーの香りほのかに品が良し [2015年09月04日(Fri)]

fumihouse-2015-09-07T22_10_22-1-thumbnail2.jpg道端のこの花を撮っていたら後ろから声をかけられた。
「もし?…花がいるんだったら、あげますよ」
列車待ちの時間だったし、萎れた花を持って帰っても途中で捨てるだけだから、
「ありがとうございます。これからJRに乗りますんで、写真だけ撮らせてもらいます」
と答えた。

「ジンジャー…甘いいい香りがしますよ」
鼻を近づけてみると確かにいい匂い。クチナシの香りに似て上品な感じだ。

声をかけてくれたのは、ジンジャーの香りにも似た上品なおばあさん。さっき遠目で見た時にはヨボヨボした印象を受けていたが(失礼)、話す姿が麗しい。なんといっても「もし…」と呼びかける口調がサマになっていた。仁万に生まれ育った、かつてはいいところのお嬢さまなのかもしれない。

「ここの畑はいつも綺麗な花が咲いていますね」
「しばらく入院してたから、手入れが出来なくて…」
確かに雑草の背は高くなっていたが、ほかにも花は数種類咲いている。私はもう一度ジンジャーの匂いを嗅いで、
「いえ、十分綺麗ですよ。ありがとうございました」
と、私は仁万駅に向かったのだった。
来週も来てみようと思う。
炎上す建物崩れウェブまた [2015年09月03日(Thu)]

fumihouse-2015-09-03T18_43_41-1-thumbnail2.jpg仏閣や城郭など大きな建築物が燃え上がることを炎上という。火柱を立ち上らせて、夜空に月がある如くに一帯を明るく染める。遠くからも炎は認められ周囲は野次馬で満ちる。

今では転用されて、そちらが主に使われるようになった。ブログやツイッター、ウェブサイトの掲示板が非難や抗議のコメントに満たされて収拾のつかない状態になることだ。やがてサイトは閉鎖され、企業であれば謝罪会見に追い込まれる。個人であればアカウントを抹消しても執拗に追い込まれて個人が特定される。社会的にも大打撃を受ける。炎上とはよく言ったものだ。

ファストフードや宅配ピザチェーン、コンビニ、レストランのバイトがしでかした事件があった。発端は単なる悪ふざけ。目立って「いいね!」をもらおうとした単純な行為だが、しっぺ返しは大きい。

炎上というのは意外とすぐには起こらないのだそうだ。問題の写真を投稿してから1か月くらい経ってから騒ぎが起こるという。知名度の低い一般人の書き込みはすぐには広まらない。知り合い同士の内輪話をコソコソやっているうち、火種をいつの間にか大きくされて、本人は投稿したことすら忘れた頃に炎が降りかかる。

ブログもツイッターもフェイスブックも面白い。しかし自制心と、ほんの少しの想像力が必要だ。

(炎上とは程遠く、林に咲いている花。名前は知らないが芳香が漂う)
セクシーと褒めてもらって嬉しかろ [2015年09月02日(Wed)]

fumihouse-2015-09-02T18_37_03-1-thumbnail2.jpg「あの人はセクシーだ」というのは誉め言葉。「卑猥な男」と言ったら軽蔑的な色合いが出る。

セクシーといえば、性的魅力のあることにとどまらず、人目をひくかっこよさも広く意味する。ハンフリー・ボガートもセクシーな部類だ。背も高くないし際立つ男前というわけでもない。寡黙さと的確な言葉選びでセクシー男の代表となった。渋い表情の中に相手への思いが伝わるというのも日本人好みにセクシーだ。

卑猥といえば何だろう。辞書はいやしくて淫らだと説明するが、下劣で品がなく、汚らしいし卑しいばかりか安っぽい男。物欲しげでさもしくて、すぐに淫猥な行為をしたがる……そんなイメージが湧いてくる。

NHKのコント番組「サラリーマン・ネオ」にセクスィー部長が出てきた。俳優の沢村一樹がセクシーフェロモンをまき散らして笑わせた。セクシーな男は卑猥な事柄ですらも、セクシーに化学変化させてくれてかっこいい。淫靡で際どい言葉でもサラリと言いのけてしまう。下ネタをぶちかましても、卑猥でなくて、セクシーと言われたいものだね。

(セクシーな色合いと形を持った薔薇を楽しむ。薔薇という字もどこかセクシーだ)
ほのかなりゆらぐ秋来て心地よし [2015年09月01日(Tue)]

fumihouse-2015-09-01T18_48_43-1-thumbnail2.jpgゆらぐ光と影がある。
水面に月影が映って揺れている。海辺で波が寄せては返し陰翳をつくる。風にそよぐ木漏れ日が見えたり消えたりする。ロウソクの灯りがほのかな風にゆらいでいる。星が夜空にまたたく。

ゆらぐ流れがある。
小川がそよそよと規則的なようで不規則に下流へ向かう。雲が刻々と形を変幻自在に変えながら流されていく。電車にも不意の揺れがあって立つ客をよろめかせる。大写しになった名女優の目にみるみる涙がたまって表情がゆれる。扇風機の風がゆらいでいる。1/f(エフぶんのいち)のゆらぎが家電製品を風靡したこともあった。

ゆらぐ音がある。
大風が強弱を繰り返して街路の物を飛ばすのは恐怖だが、ピューヒュンと変化する音には楽しめる。楽器が奏でる音楽に、魂を響かす歌声が心地よいのはゆらぐから。そしてリズムと強弱にゆらぎの要素が加わって遥か遠くに気持ちが飛んでく。

蝉の鳴き声にも好き嫌いがある。私が好きなのはミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシ。嫌いなのはクマゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミ(声に限ってだが)。後者はすべて単調にやかましい。

ミンミンゼミを聞いてみよう。最初のひと息でタメのある「ミーン」を幾度も繰り返し、次の息から4回5回と息の続く限りに鳴き上げる。ゆらいでいる。ヒグラシは深山幽谷の趣で強弱濃淡存分にシンクロし、異世界の声鳴き響く。これもゆらいでいる。ツクツクボウシは今ちょうど盛りなり。夏の後半、秋を呼ぶ。夏が終わるよ、つくづく惜しい。ツクツクオーシ、スウィーッチン。これもゆらぐ。ゆらいで鳴くセミ愛おしい。

物事の基盤がぐらついて、社会の基盤がぐらつくゆらぎは危なっかしい。自然のささやかなゆらぎでもって、来るべき秋を楽しもう。

(秋の草花の陰で秋の虫が鳴いている。これもゆらいで心地良い。道ばたを歩けば揺らいで心癒やすもの)