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目に入れる孫に衣装を島根へと [2015年08月31日(Mon)]

fumihouse-2015-08-31T17_06_43-1-thumbnail2.jpg  馬子にも
  衣装、
  孫には
  異所を

島根県立江津高校の「UI-MagoTURN(UI孫ターン)」を勧めるポスターのコピーです。

江津高校では定員割れが続いています。このポスターでは、江津市内に祖父母を持つ県外在住の子が入学するよう働きかけています。UI(ユーアイ)ターンの孫だけ版ですね。

江津高校は1学年120人定員(3クラス)だったのが80人に減りました。さらに定員を減らすことなく生徒を確保する苦肉の策なのです。すでに隠岐郡海士町の隠岐島前(どうぜん)高校ではユニークで充実した取り組みが功を奏し、島留学として県外出身者が増えています。島の生徒にとっては価値観が固定化しがちな環境に刺激が持ち込まれ、島の魅力に気づかされて大きな教育効果が上がっています。

父母の実家という安心感、ジジババが甲斐甲斐しく世話してくれる心地よさの中、多くの都会っ子が江津に来て「まなび あそび よろこび」を得て、新しい息吹で巣立っていってくれたら嬉しいですね。
長所あり表と裏に玉磨け [2015年08月30日(Sun)]

fumihouse-2015-08-30T22_17_41-1-thumbnail2.jpg表裏を楽しむ。表と裏の顔といったらダークだが、本音と建前を使い分けるのはごく当たり前のこと。日本人だけの専売特許じゃないもんさ。お菓子のパッケージの裏に当たり印がついてたら嬉しいことだぜ、心が躍る。

表裏は頭の体操だ。決断できない優柔不断は慎重さのあらわれで、果敢な行動力は反面、思慮のない無鉄砲。軽薄⇄性格明るい。勘が悪い⇄慎重。無駄口が多い⇄場を持たす。根が暗い⇄物事をじっくり見ている。はしゃぎ過ぎる⇄根っから明るい。あきらめが早い⇄次の目標に早く取り組む。冗談が通じない⇄謹厳実直。

長所と短所は裏腹で、欠点は時に美点に早変わり。弱みは誰にだってどの組織にだってある。玉に瑕とはこのことだ。いかに強みを育てるか、それが肝心だ。
折り込んで書いて汚して本生きる [2015年08月29日(Sat)]

fumihouse-2015-08-29T18_49_07-1-thumbnail2.jpg本には付箋を貼ったり書き込んだりできるが、映画や音楽にはそれができないから本の文化を大切にしたい、というような言葉を直木賞作家の西加奈子氏が語ったインタビュー記事で読んだことがあります。

読み込んで、メモを欄外にして、折り込んで、途中で読み返し、終わったらまた読み返す。すると感じるところがあって再び書き込みをして汚す。そこまでしたら恐らく本はボロボロに近くなるでしょうね。キレイなまま読み終えて誰かに貸したり、ブックオフで小遣いにしようなんて考えてしまうのかもしれません。良い本ならばなおのこと、思索を深めるきっかけにしてやると、本も喜んでくれることでしょう。

私は氏の小説は『さくら』しか読んだことがないのですが、尻尾を振って生きていこうと決める「僕」の物語でした。豊穣で奇抜な比喩表現に驚嘆したのを思い出しています。

人間というものの存在がどうしようもなく悲しいと同時に、かけがえのないものであることを、深い表現で書ける作家だと思います(一冊だけでは早計かもしれませんが)。いろんな味をもつ作品があることでしょうね。どなたか、推薦していただけませんか。
綱引いて怠け心とリンゲルマン [2015年08月28日(Fri)]

fumihouse-2015-08-28T17_32_04-1-thumbnail2.jpgリンゲルマン効果とは、フランスの心理学者があらわした理論で、人間は集団が大きくなるほど手を抜くというものです。

リンゲルマンはグループごとに綱引きをさせて、それぞれが出した力の総和を測りました。すると興味深いデータが出たのです。

1人で綱を引いた時の力を100とすると、2人になると一人当たりの力が93まで減ったそうです。さらに3人の場合には85。8人にしたときには、なんと一人当たりで49になりました。半減です。回を重ねるごとに筋肉に疲労がたまった、飽きた、ということで力が出なくなったとも考えられますが、それ以外の方法でも測定もされていますから、科学的に立証されたと考えていいでしょう。

経験上からも、構成員が多いと他の人が何とかしてくれるだろうと思う気持ちはよくわかります。手抜きしてしまうのです。人数が増えれば増えるほど無責任になってしまうということですね。

リンゲルマン効果を応用すると、人混みで助けを求めたいときに有益です。「誰か助けて!」ではダメなんです。「そこの黄色いシャツを着た男性!助けてください」と特定すると、手助けしてくれる確率が高まるようです。

仕事の場合でも、グループの中で責任を明確にしていくことが必要なようです。誰かが何とかやってくれるだろうと無責任な甘えが出る芽を摘んでおきます。少人数化して少数精鋭にするのもよろしいようです。

組織においてパフォーマンスを最大化するためには、罰則や強制力といった社会的圧力もある面必要なときもありますが、集団における承認欲求や自己実現欲求を満たしてやることが得策だと言います。マズローの欲求五段階説の上位の二つですね。

端的に言えば「誉める」ということです。山本五十六は言葉を残しました。「やって見せ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は育たじ」と。ハツラツとした組織であるためには、自主的に発想し人の言葉にも耳を傾けながら、互いが競争的意識をもって成果を競う。それでいて倫理観やコンプライアンス意識も高い、という組織を目指していきたいものです。
恐ろしや台風一過空と海 [2015年08月27日(Thu)]

fumihouse-2015-08-27T17_58_38-1-thumbnail2.jpg恐ろしげな嵐が去って清澄な星空が戻った。地表の熱が放射されて今朝は冷えた。松江5時の気温が摂氏17度。寒い。猛暑のころの習慣で窓を開けたまま寝ていたら風邪をひいたかもしれない。

宍道湖から出雲平野に向かって放射霧が流れてくる。じりじりと霧が進軍してくる。清涼感たっぷりの空気に向かって歩き出す。空は青いよ、まぶしいよ。空気の抵抗はなく、地面との摩擦抵抗すらなくなって、どこまでも歩いていけそうな気分。

出雲平野を車中から眺めると大豆の青々した畑が広がっている。稲が色づいた田んぼはそれぞれに色合いが違う。すでに稲刈りを終えた早稲の田もある。土がむき出しになって、実りの秋に向けてまっしぐら。

海も同様輝いている。スカイブルーとコバルトブルーの境目はまっすぐに直線をひく。水平線が地球の輪郭線をなぞり、宇宙の無限の始まりだ。今夜の星もきれいだろうね。

季節は秋ですなぁ。数日たったら、あの夏の暑さを懐かしく感じるかもしれないな。さぁ今日も一日あなたらしく行くのだよ、と呼びかけられている感じがする。よき時間を過ごしたくなる秋の朝だった。

(ニラの花が咲いている。透けている掛け衣を破って小さな六つの花弁を持つたくさんの花が開く)
難病と宇宙の物理一筋に [2015年08月26日(Wed)]

fumihouse-2015-08-26T22_49_34-1-thumbnail2.jpg難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)をものともせず、宇宙物理学の地平を次々と開き続けてきたスティーブン・ホーキング博士と、その妻(今は元妻)ジェーンとの物語。それが映画『博士と彼女のセオリー』である。二人の愛の遍歴を赤裸々に描いていることに驚く。

セオリーには二つの意味がある。一つは当然のことながら、宇宙の始原を物理学で理論化すること。素人にもわかる解説で一般受けしたい望みもある。より正しい理論にたどり着くために、過去の自分の理論さえも簡単にくつがえして高みを目指す。

二つ目は、博士の力を理解し賛美してくれるパートナーがいてはじめて博士は輝くという確信である。博士は難病ゆえに体は意のままにならない。介護されることは不可欠だ。彼はジェーンとのセックスも強く求める。やがてジェーンとは違うパートナーができた。新しいパートナーは博士の言葉を読む達人であり、博士の能力の高さを素直に賞賛してくれ、(たぶん)セックスパートナーとしても申し分ない人であった。博士は高みを目指してパートナーを乗り換えたのだ。

二つのセオリーの共通項は、彼が絶大な生命力をもっていること。ALSだと医者から告知されたときに余命2年と宣告された。しかしそれからすでに50年経つが彼は生き抜いている。重病があってもこんこんと湧き出るエネルギーがある。研究欲と愛欲が博士の力の源なのだ。

ジェーンにも二つのセオリーがある。古代詩や言語学の研究を成し遂げたいという強い気持ちが一つ。もう一つは、学生の頃から博士に献身的に愛を注ぎ介助に尽くしてきた一方で、気ままに甘えられる気のおけないパートナーも欲していたことだ。

確かに博士との間には3人の子供をもうけ、家族の思い出を蓄積してきた。もうセックスは必要ないのだろうが、そこには博士とのすれ違いがある。病気になった頃からずっと面倒をみて一緒に困難を乗り越えてきたということは情愛が強いことの証明であるが、別面彼女は博士に対して優位に立つ。博士にとっては弱みにもなる。病状が進む辛さをともに味わってきたことが、疲れや飽きにつながってもきただろう。そこにプラトニックだが、彼女にも新しいパートナーができた。

ジェーンを演じたフェリシティ・ジョーンズ。可憐で気丈な大学生から、三人の子供たちもすっかり大きくなった初老期までを演じきった。可憐で愛くるしくて、品がよくて凛とした華やかさもある。ドレスアップした時の美しさに目を見張る。今31歳だというから驚いた。

人間として、研究者として、家庭人として、愛情を求める者として、世間と折り合いをつける存在として。いろいろな見方ができる二人のセオリーであった。
触るのか触らないのか文化にて [2015年08月25日(Tue)]

fumihouse-2015-08-25T19_44_22-1-thumbnail2.jpg英語圏では友好の意志を示す際、相手の体に触る。握手やハグ、キスである。そうした意志がないのに誤って触った場合には謝る。エクスキューズ・ミーと言う如くに。日本人でもそうした身体接触を伴う挨拶をするようになったが(親しい間柄に限定される)、次の文章には目が開かれた。

≪日本ではおじぎが中心であり、相手にはまず触らないことが日常ですから、人混みで接触することは、不用意で偶然であるということを互いに承知しているところがあります。道をふさいだ人(たち)に触りながら黙って進むのは日常茶飯事です。これを英語圏でやると、マナーを知らない人と取られるばかりでなく、人に触るのが目的の人物と見られ≫て誤解を受けると。(ラジオ英会話テキスト8月25日「英会話リテラシー」)

まだまだ日本ではハグや握手は当たり前の日常にはなっていないんだなぁ、と認識した。

山陰線の通勤列車に乗るときに車内が混んでいると、私は乗車口から離れた通路に立つ。両サイドに四人掛けのボックス席があるから通路は狭い。駅ごとに乗車した客が通路を歩いて来ることがある。たいていは「失礼」とも「すみません」とも言わないで、私と席との隙間をすり抜けて通っていく。進行方向に向けて両の足を開いて立っている私の肩や背中を押し込むように進む奴がいる。言葉を発せずに。一度ネクラな若い車掌がいて同んじようにやったものだから、「一言断って通りなさいよ!」と注意したことがあるが、どうも私には無言の通り抜けはガマンならない。私は英語圏的なマナー感覚があるのかもしれないなぁ。
セミの夏季節代わりて虫交代 [2015年08月24日(Mon)]

fumihouse-2015-08-24T18_25_03-1-thumbnail2.jpg晩夏となってもセミは鳴いている。盛夏と違って様相異なり、鳴き声の質感が違う。
ニイニイゼミが消えた。キーンと突き刺さる音響はどこにいったのやら。
アブラゼミは長生きだ。夏を忘れず連綿と、我らを忘るなここにいる、と主張する。さすがだ夏の通奏低音。
クマゼミも聞こえない。そこどけそこどけ、俺サマの天下だぞ。そんな風情の彼らは消えた。
ヒグラシは朝に日を明かし、夕に日を暮らしたばかりか、裏山では全山をカナカナカナとシンクロ響いて、異界の趣だしていた。これもまた忽然と消え失せた。
ミンミンゼミは勇壮だ。ほかの仲間に気をおかず、自由自在に気高く鳴いている。
ツクツクボウシは夏終わらせる。息長く甲高く声出して、ツクツクスウィーチョン………グジュグジュと消え入ると、秋の虫にバトンを渡す。
松虫はチンチローンとやけに急いておる。
クツワムシはガリガリヅクヅク心騒いで高回転。
あれ鈴虫はリリーンリーンと心静かに秋を慰む。
今夜台風来る前に、秋の虫中歩こうか。

(夏が終わりに近づいて苦瓜黄色く色づいて、赤くて薄甘い種がある。ゴーヤ食べたぞ盛夏には、夏バテ知らず食に欲)
挨拶はムダではないぞお蔵入り [2015年08月23日(Sun)]

fumihouse-2015-08-23T15_53_02-1-thumbnail2.jpg挨拶するのは気持ちいい。起きがけの挨拶、朝方の挨拶、日中の挨拶、二度目に出会ったときの挨拶、夕方の挨拶、夜の挨拶、寝る前の挨拶……。挨拶は相手の目を見て、笑顔を向けるとなおよろしい。

挨拶しても無視されてしまうのは胸が痛む。心が傷つく。相手はわたしに無関心か?嫌いなの?それともご機嫌斜めになってる原因をわたしがつくったの? いろんな疑心暗鬼を生じて、心穏やかではない。そんな神経質になってはもたないよ。単に気がつかなかっただけだと思っておこう。無視無反応の相手には、所詮その程度の人だと思い切ろう。

挨拶なんて言葉だけの形式ではないか、と批判する人がいる。相手を思いやる気持ちがありさえすれば挨拶なんてなくてもいい、と考える人もいる。不言実行もいいけれど、有言実行がさわやかだ。心は目には見えない。言葉と態度にして始めて表現することができるんだよ。

自分は偉いんだ!挨拶なんて目下の者からやるんだよ!とうそぶく人もいる。そんな封建社会の天然記念物にはさっさとお蔵に入ってもらいたい。

「挨」には接近したり軽く触れる意味がある。「拶」は迫ったり強く触れる意味がある。両者とも「押し合う」と解釈する辞書もある。触れ合いの第一歩が挨拶なんだよね。

声とは不思議なものだ。声を出すという体の動きが気持ちも変えていく。最初は気恥ずかしくても、相手から挨拶が返ってくると気持ちは正直に反応する。張り合いが出て声に力がこもる。

挨拶という行為は何のためにするんだろう。相手を認めていること、そのことを相手に認知してもらうためなんだ。私はあなたに感心をもっています、あなたとの関係を良好にしたいと思っています、そんなメッセージを伝える手段が挨拶だ。声を惜しまず挨拶しよう。気遣い惜しまず相手を思えば、巡り巡ってわたしが豊かになるんです。

(ライムイエロー色のオクラの花。涼やかでかつ深い色合いだが、濃い緑で五角形をしたトロミを出すあの野菜ができるなんて想像ができない)
バケモノと人は異界に棲む同志 [2015年08月22日(Sat)]

fumihouse-2015-08-22T21_09_55-1-thumbnail2.jpgわたしの瞼は仲良しだ。あれよと言う間にくっついて眠りに誘う仲良しだ。映画『バケモノの子』面白い。それでも瞼がくっついて、後悔しても後の祭りよ。やっぱり映画に魅せられた。

蓮と楓は仲良しだ。互いに学ぶ楽しさで、結びついたよ図書館で。両親や友達にも言えぬ心根を吐き出し自分を開示した。互いの危機を救い合い強い絆で結ばれた。

九太と熊徹は仲良しだ。師匠と弟子の間でも、バカだウスノロ、けなし合う。異界の主と孤独な少年。二人は分かち難くて高め合う。九太は悟る、学ぶこととは真似ること。熊徹は教えることで学び直す、自分の動きを再構成、自分の言葉で説明できた。

人間界は渋谷でも、バケモノ界では渋天街。ダイヤゴン横丁ばりの路地を分け入ると、異界広がり世界が違う。ひとはバケモノ動物の日本語しゃべるが交わらない。異界に入るとヒグラシが異なる旋律奏でるぞ。

人は皆しぜんに人間にならないぞ。投げたまんまじゃ化け物さ。真似て学んで人になる。挑んで自省して人間になる。家族が一緒に住んでても、気持ちを忖度しなければ、ただの化け物、動物さ。

心の闇と人間は、歓迎されなくとも仲良しだ。バケモノに闇はない。だから人間嫌うぞ、次元を変えて棲む世界を違えたよ。人間の課題はただひとつ。心の闇を制御して、幸せになる道試練なり。所詮闇を払うのは一人で無理だよ。多くの人間やバケモノの助けを借りて少年のたくましき青年になる成長譚。
就活に選び抜かれてキリキリと [2015年08月21日(Fri)]

fumihouse-2015-08-21T18_48_22-1-thumbnail2.jpg高校野球・夏の甲子園大会は東海大相模が優勝し、東北勢初の優勝を担った仙台育英は涙を呑みました。しかし準優勝アッパレです。地区予選からの出場校の3906校のうちの二番目なのですから。球史に残る死闘だったと思います。

二番手、あるいは次点組では話にならない世界があります。選挙と就活です。選挙は厳しい。一票差でも負けた陣営は露と消えるのです。

今たけなわの大学生の就活戦線。これも最終の役員面接に残っても、落とされればそれまでの期待は水の泡。努力と苦労はあとで思えば身にはつくと言えるでしょうが、お祈りメールをもらってトコトン落ち込みます。しかも不採用になった理由を知ることはできません。傷心のまま、次の戦いに歩み出さねばなりません。

公務員などの試験でも同じです。一次試験を突破し、二次の小論文や面接に臨みます。今どき各団体とも工夫を凝らして討論型の面接やら、十数人で取り囲んで受験生の言葉の端々と一挙手一投足に目を光らせて人間を見ようとします。それで落とされたらショックは量りしれません。自身の得点を知ることはできますが、合格者と自分との違いはどこにあったのか、という肝心な部分は見えてこないのです。

今日は島根県職員の大卒程度採用試験が発表になりました。狭き門でした。一般行政職を例にとると、申込者が295人、実際に一次試験を受けたのが240人。一次合格が67人。ここまでで28%に絞り込まれています。しかし今日発表された最終合格者は27人でした。一次合格者のうち6割が落とされてしまったのです。

採用する島根県にとってみれば、お眼鏡にかなった職員となる可能性の高い若者を採用したい。それはどこの自治体でも企業でも同じことですが、選別を受ける若者にとっては酷なことですね。

仕事に就くということは決勝点ではありません。スタートに過ぎないのです。今の段階で決着をみていない若者は、さぁこれからだ!と顔晴って踏ん張ってほしいものです。合格を勝ち取った若者にしても驕ることなく、勝って兜の緒を締めてほしいですね。
猛暑過ぎミョウガを食べて秋を待つ [2015年08月20日(Thu)]

fumihouse-2015-08-20T18_02_19-1-thumbnail2.jpg釈尊の弟子・須梨槃特(すりはんどく)は物覚えが悪かった。自分の名前さえ忘れたので、札に名前を書いて首に下げていたという(ひょっとしたら首掛け式の名札は彼のオリジナル?)。

須梨槃特が死んだあと、墓から見慣れない植物が生えてきた。彼にちなんだ名前がつけられた。ミョウガ(茗荷)である。「名を荷なう」というのはこじつけっぽいが、説話とはそんなもんかもしれない。須梨槃特には不名誉なことだが、ミョウガを食べると彼に似て忘れっぽくなるという俗説が広まった。

生で食べるとツンとした辛味があり香しい風味がある。酢の物にすると独特の風味で涼やかだ。蕎麦やソーメン、冷や奴の薬味として食べるのもいいし、がっつりポン酢をかけて食いつくのも涼しげで大好きだ。幸い我が家にはたくさん生えてくる。せいぜい食べて、夏バテ防止といきたいものだ。

(ミョウガとは全く関係ないが、清楚なカスミソウ)
宍道湖に猛々しいかなボーイング [2015年08月19日(Wed)]

fumihouse-2015-08-19T14_00_42-1-thumbnail2.jpg大きく出雲平野を旋回した東京発のボーイング737
猛々しいライトを灯して空を切り裂く飛行音
出雲縁結び空港に降り立とうとしている
宍道湖からの湿っぽい風を受けて
屋上のデッキは少し蒸し暑い
夕方からひと雨降ってまた秋が近づいてくるのだろう
淡いベール雲がかかった空に東の風がみえる
美声の主イソヒヨドリがいた
猛暑の盛りには姿を消して見当たらなかった
炎熱を避けてどこに行っていたのやら
ボーイング機の着陸は近い
2000m滑走路の三分の一辺りで後輪を着けた
着地点とタイヤが奇声を上げ白い煙が立ち上る
100m進んで前輪を着ける
急ブレーキをかけて穏やかに歩いているよう
到着出口には多くのお迎えがいる
お盆休みの頃はもっと喧騒があったことだろう
今は穏やかなお盆休み明けのお昼の時間
それでもこの便は満席
飛行機からはき出されてきたかのような乗客
我が家人も無事に帰還した
また平常が始まる
幸いなことだ

(わが家にある斑入りのススキ。まだ穂は出ていないが、これも秋の七草)
ゆるゆるとレモンイエローしまねっこ [2015年08月18日(Tue)]

565ec04b861fcf206b45296a088b6101d0607ecf_400x0_none.jpgしまねっこが、今年もゆるキャラグランプリにエントリーしています。全国から1715キャラが参加しました。昨年は1669体、一昨年は1245体ですから年を追うごとに増えています。しまねっこは、こう言っています。

≪国宝の松江城や出雲大社、世界遺産の石見銀山もある
 「ご縁の国しまね」をたくさんのお友達に知ってもらいたいにゃ。
 去年の7位を上回って島根が有名になるようにしまねっこも頑張るから、
 みんな投票して応援してほしいにゃ!よろしくにゃ! ≫

投票は簡単です。

1/entry@vote.yurugp.jpへ空メールを送信
2/ゆるキャラグランプリ実行委員会から返信
3/指定されたURLにアクセスして、パスワードを設定すると登録完了(簡単に4桁がいいでしょう)

ゆるキャラョグランプリ投票ページへ跳ぶ際は、しまねっこの投票ページhttp://www.yurugp.jp/vote/detail.php?id=00000021 をブックマークしておくとよいでしょう。簡単といいつつも、今年からパスワードだけでなく平仮名5文字の認証コードを打ち込むようになって面倒になりましたが、ご容赦ください。

アイディアとして、メールアドレスの入力の手間をなくすため、この際日本語入力ソフト(ATOKやIME)にアドレスを単語登録をして、短い語句で表示されるようにしておくとよいでしょう(私は「ふみ」でアドレスに変換します)。一日一回投票して一緒に一喜一憂しませんか。

(初代王者「くまもん」は今も不動の人気者。しまねっこは、今年こそグランプリを取りたいんです)
制御する人智かなわぬ恐竜世界 [2015年08月17日(Mon)]

fumihouse-2015-08-17T18_22_07-1-thumbnail2.jpg映画『ジュラシック・ワールド』を3Dで観なくてよかった。Tレックスをハイブリッド化し史上最強となった肉食恐竜が潜んでいるように感じて、震え上がったことだろう。クレアたちの会社が生み出したそいつは、凶暴で多種な能力を持つばかりか、知能も高い。狩猟本能に目覚めた肉食竜たちが、南洋のジャングルから何時襲ってくるかわからない怖さ。3Dの観賞には耐えられまい。

私が感じたキーワードは「大人になる」。

高校生の兄貴は、そのフレーズで言い訳しながら、きつく抱きあって数日間の別れを悲しんだばかりの恋人を忘れ、可愛い女に色目を使う。父母が離婚調停に入ったことを悲しむ弟に、そんなのはよくある話だと諦観するのも「大人になる」振る舞いか。

島が制御不能に陥り避難警報が発せられても、もっと冒険しようと言って見学コースを離れ、弟とともに危機に陥る無謀さも「大人になる」ことを意味したようだ。

年に一度は新種恐竜を公開したり、新しいアトラクションを加えて観客動員に切れ目がないようにするのがビジネスの王道であると考えて、安全性よりも経営を優先することも、管理者にとっては「大人になる」こと。

飼い慣らした肉食恐竜・ヴェラキラプトルを新しい兵器と考えて戦争の道具にしようとする「大人」。飼い主である人間を捕食の対象とするリスクを考えないことも「大人」。テクノロジーを過信するあまり、過去にジュラシック・パークが潰えてしまった経験に学ぼうとしないのも「大人」。

恐竜開発に莫大なコストがかかっていることを理由をパニックを収めるべく出動した部隊に実弾を使わせず麻酔銃で捕獲に向かわせて、結果として全滅させたのも「大人」。パニックが起こることを恐れて入場者に対して直ちに避難体制を発動しないのも「大人」。

もちろん悪いだけの「大人」ばかりではない。兄弟の両親がこの事件を機に離婚の危機を乗り越えられたこと、クレアとオーウェンは仲違いしていたのだが共に人生を歩むと決めたことも「大人」の振る舞いだった。

そうした姿を見ると、「大人」も捨てたもんではないと思わせてくれる。めでたいエンディングとなって映画館から出ると、すっかり肩がガチガチになっていた。

(白色のサルスベリ。紅色ではないから、百日紅と書くのは違う感じもあるが、夕陽に透き通った白さがまぶしい)
銃弾と鉄拳あびて不死身かな [2015年08月16日(Sun)]

DSC_4187.JPG『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』を観ました。先週封切ったばかりで人気シリーズですから、客が多かったですね。

冒頭から見せてくれました。ベラルーシの軍事基地から飛び立つ軍用機のハッチにしがみつくイーサン・ハント。命綱は映像処理で消してありましたが(メイキング映像では装着していた)、さぞかしトム・クルーズも怖かったことでしょう。

IMFのような秘密諜報機関があるのやらどうやらは知りません。広い意味での外交は多岐にわたり、国と国との相対関係を決めるものですが、民間人同士の交流や民間企業の商取引から始まって、仲違いがあると国益を守るために国家が介入してきます。虚実取り混ぜた交渉があり、問題がこじれて紛争となれば、民際外交ではらちが明きません。紛争解決のため戦争が始まります。戦争といえば安倍談話ですが、戦争とは最後の手段。粘り強く交渉を重ねなければなりません。戦闘モードに入ったら冷静な判断はできず、軍人も民衆も暴走しがちてす。ましてや旧日本軍のように戦争を続けることが目的化してしまうと、日本は落ちるところまで落ちたのです。

国家の体裁を持っていないテロ組織にどう対処するのか。世界の警察官を自称するアメリカもさぞかし困っていることでしょう。ミッション:インポッシブルでは、秘密諜報機関から派生したスパイによる犯罪シンジケートとハントが戦います。

戦いの過程で敵弾は味方を避けるように周囲をぶち壊し、捕らえられた味方はすんでのところで敵から逃げ、衛星回線を経由してハッキングして敵方のコンピュータを操り、自爆装置も1秒前に解除される。そんな「映画みたいなこと」ばかりが起こります。だからこそ観る者はホッと胸をなで下ろし、胸がすくのです。万能の戦闘力をもつ美女イルサが、敵か味方か終わりまで明らかにならないのもミステリアスです。今回もハントと美女との恋は形にはなりません。

冒頭に出た飛行機のアクションはもちろんのこと、カーチェイスやバイクアクション、肉弾戦の攻防ではハラハラのしっぱなしです。組織のトップが工作した裏切りや物語展開のどんでん返し。楽しい夏休みのレクレーションでした。

(なぜか今日はジョロウグモ。絵になる蜘蛛だ)
夏盛り8.15よ70年 [2015年08月15日(Sat)]

DSC_3591.JPG昨日発表された安倍総理の談話。私は評価するに値すると思う。

まずは文明論としての近代日本の歴史から説き起こし、日本が戦争引き起こした原因を明快に述べた。世界恐慌で世界中が苦しむ中、ブロック経済によって西欧の旧宗主国を軸に囲い込みが行われたのが遠因だが、経済や社会的行き詰まりを力によって打開しようとした日本の過去を反省すべき点とした。戦後は決して針路を誤ることなく、戦争の惨禍を二度と起こさない決意を原点としたことを改めて述べた。

20年前の村山談話は、≪過去のあやまちを2度と繰り返≫さないために≪痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明≫すると述べたが、私には抽象的で紋切り型だと感じていた。

安倍談話で注目したのは、≪事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない≫のところ。「侵略」を目立たせない記述だとして非難する向きもあるが、自衛戦争と言いくるめても戦争は戦争。詰まるところ、今後は戦争を紛争解決の手段としないという決意表明である。

どれだけ≪痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明し≫たとしても、≪家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはない≫と将来に向けて弛むことのない心構えとしている。

また、六百万人を超える引揚者を帰還させてくれた各国の恩、残留孤児を無事成長させてくれた中国への恩なども表し、その寛容さを称え感謝しているのも目新しい。

日本は力をやみくもに行使し、≪国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献≫するとした。

長い談話であったが、練り上げて意を尽くしたものであったと思う。ただし、今日の戦没者追悼式での総理あいさつは談話に比べるとあっさりし過ぎていたようだ。

(秋の七草の第四段はフジバカマ。藤色の小ぶりな花は可愛らしい)
徒然によしなしごとを書きつつも [2015年08月14日(Fri)]

fumihouse-2015-08-14T16_24_40-1-thumbnail2.jpgひさびさに徒然草を読んでみた。第七十九段が面白い。生半可なものを見せびらかしがちな日常を反省する。

何事も入りたゝぬさましたるぞよき(何事も素人のようにやりすごすのがよろしい)
よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ(教養のある人は知っていることでも、さほど得意げな顔はしない)
片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ(片田舎の無教養人ほど、万事心得て知ったかぶりをする)
されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり(こちらが恥ずかしくなるような人もいて、自分をすごいと思っているのは見苦しい)
よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ(質問されない限り、黙っているのがよろしい)

さすがに吉田兼好。700年の時を隔てても、粋な人の本質を語ってくれる。

(今日は秋の七草の第三段。この花びらで子を撫でるなら気持ちよさげに眠ってしまうナデシコの花)
王様よ違い認めて皮むける [2015年08月13日(Thu)]

fumihouse-2015-08-13T19_57_30-1-thumbnail2.jpgミュージカル映画『王様と私』は、かつてシャムと呼ばれた19世紀後半のタイの王様から、「私」たる英国女性アンナが招致された体験を描いている。

王の目力が強いのが魅力的だ。その目で奔放さや権力の強さを表現する西洋人たるユル・ブリンナー。しかし彼は西洋人。今ニューヨークで渡辺謙がそれを演じた。トニー賞を取り損なったとはいっても東洋人が演じる価値があったと思う。タイ人がやればいいのにと思うのは無理からぬことなのだが、どんなもんだろう。

王は最初何かとアンナと対立するが、やがて相互に尊敬の念が芽生え、異性としても引かれあう。この映画でお目見えしたという「Shall we dance?」を二人で踊り楽しむのが映画の最高潮だった。映画「Shall we ダンス? 」の原点がここにあることを初めて知る。

昔は異なる文化相互の違いは大きかったと思う。空間も時間距離もはるかに隔たっている。その違いは両者に混乱をもたらす一方で、新しい文化や思考を生む。王宮にあって王は近代西洋の思想を受け入れてひと皮むけた。しかし王はあっけなく死んでしまった。死んだからこそアンナは英国に帰ることを止め、王子の教育係を全うする。のちに立派な王になるであろう王子が凛々しく胸を張る様子が頼もしい。

(秋の七草の第二段は桔梗。トルコ桔梗というハデハデの新種もあるが、オリジナル桔梗が秋らしくて好きだ)
女郎花かれんな庭にレモン色 [2015年08月12日(Wed)]

fumihouse-2015-08-12T21_17_05-1-thumbnail2.jpg女郎花(おみなえし)が咲いています。梅雨明けの辺りから咲き出しています。女郎(じょろう)とは元々、若い女子を親しんでいう語。郎女(いらつめ)とも言いますが、今は死語。反対に若い男は郎子(いらつこ)です。女郎は江戸時代に遊女の意味に転用されてしまったので、今やヤバい言葉となりました(でもこれもまた歴史的語彙となった)。

レモン色のほんの小さな花を無数につけています。花びらは5つ。秋の七草の一つでもあります。女郎花のほかに薄(すすき)、桔梗、撫子(なでしこ)、藤袴(ふじばかま)、萩、葛(くず)。春の七草は食べるものですが、秋の七草はまだ暑い時分から秋を期待しつつ、花を見ることを楽しむものと言えるでしょう。

一昨日から空気が変わりました。今日は何週間ぶりで雨が降って、積もって溜まった大地の熱を少々冷ましてくれています。涼しい風が部屋に入ってくれて嬉しいですね。昼間はまだ暑いんでしょうが、秋はもうここに来ています。クツワムシがガチャガチャ騒いでいますし、鈴虫も涼やかな音色です。いらっしゃい! 秋の諸々よ。仲良くやりましょう!
それぞれに発達と障碍ありにけり [2015年08月11日(Tue)]

fumihouse-2015-08-11T18_17_26-1-thumbnail2.jpg発達と障害についての本を読んで、ADHD(注意欠陥多動性障害)やLD(学習障害)をもつ人の傾向について、いろいろと知ることができた。ひと昔前に比べると、高校も含めて学校での特別支援教育がきめ細かく行われるようになっている。以前には障碍として捉えられなかったことに対しても社会的理解が進み、対応できるようになりつつあるようだ。備忘録として記す。

【ADHD】
・うっかり忘れる→(対策)目につくところに掲示する。
・他人と比較して不思議な行動や思考をする→(対策)理由はないので、そんなもんだと思う。
・相手の気持ちがわからない→(対策)どう振る舞うのが正解か、その場で教える。
・小さなミス、大きなミスをたくさんする→(対策)完全を求めず出来たことを誉める。
・整理整頓が苦手→(対策)ステップを踏んで一つずつ丁寧に確認するクセをつけさせる。
・細かいことに注意を向けるのが苦手で集中が続かず早く終わらせたいと思いがち→(対策)同上

【LD】
・文字の形を覚えられないので、ものの位置関係を正しく捉えられない→(対策)丁寧に何度もノートに書くように訓練する。

【アスペルガー症候群】
・何をしていいか分からない→(対策)することを具体的に指示する。その場で理由や正しいあるべき姿を教える。
・いつも頭の中がとっちらかっている→(対策)何から着手するか、どう見積もるかを教えてあげる。計画を立てることを手伝う。
・ルールを無視したり手順が守れない→(対策)ルールやノウハウを具体的に教えてあげる。
・人の感情がわかりにくい。自分の感情のコントロールが困難でパニックになりやすい→(対策)上に同じ。

(雨に濡れたみずみずしいアサガオをしばらく見ていない。ひと雨降って、この炎熱の地面を冷やしてほしい)
うろこ雲暑い奴らがあっち行く [2015年08月10日(Mon)]

fumihouse-2015-08-10T18_28_25-1-thumbnail2.jpg冷房の効いた室内から外に出ると
顔に熱が押し寄せて
髪の根っこに染み込んでいく
ポロシャツの表面からじわじわと
熱が忍び寄り私を羽交い締めにする
鼻の奥に固い塊が入り込み悪さをして息苦しい
クマゼミの鳴くジュワジュワで頭の芯まで悪感がある
車に乗ればしばらくは炎熱地獄
やっと冷房が利いたと思ったら
暑さから再び逆襲受ける
憂さを晴らしたい
早く気鬱から解放されたい
もやもやとした重苦しさよ
それでも今朝は部屋に差し込んでくる風が冷たく感じ
直射を避けて日陰に入れば風がそよいでいる
秋が立ち空気が変わったぞ
顔を上げて空を見よ
うろこ雲なり秋模様
狂わしい暑さの饗宴が終わりを迎えていると信じたい

(白やピンク、薄紫の百日紅(サルスベリ)が目だってきた。艶やかな花の形をしている)
甲子園代表集い熾烈かな [2015年08月09日(Sun)]

fumihouse-2015-08-09T22_15_45-1-thumbnail2.jpg夏の甲子園・高校野球はたけなわ。すべての代表校が熾烈な戦いを経て聖地に立った。地区予選出場校の最多は愛知県の189校、最少は鳥取の25校。あまりに差が大きくはないか? 神奈川が186、大阪180とここも超激戦区だ。1校の格差は最大で7.56倍。法の下の平等はこの場合ないけれども、球児たちが聖地甲子園球場でプレーできる機会は均等ではない。

そこで、地方大会の全出場の3906校を参加枠の49校で割ると80。例えば、島根39校・鳥取25校・山口59のうち萩市と長門市の高校を加えて約80校。この範囲で代表校を決めたらよろしい、などと無粋な考えを強弁する人はいない。それだけ郷土=都道府県という枠組みはすでに文化として定着している。法の下の平等を理由に、島根・鳥取、徳島・高知を参議院選挙で合区した措置は、相当な荒療治だったことになる。

さて、間寛平がツイッターで6日の開会式について発言した。「挨拶が長い、みんな同じ事ばっかり言うてる、頑張れの一言でいいと思う」とコメントした。確かにそのとおり。一方で選手宣誓が実に簡潔で中身が濃い。今回は京都府立鳥羽高校の梅谷主将が素晴らしかった。

≪この100年、日本は激動と困難を乗り越えて今日の平和を成し遂げました。このような節目の年に聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいたすべての方々に感謝して全力でプレーをします。
 次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います≫

大いに熱戦を期待している。
八月のたゆたう鯨に老い思ふ [2015年08月08日(Sat)]

fumihouse-2015-08-08T21_41_23-1-thumbnail2.jpg鯨が近海を優雅にたゆたう。人間の営みなど意に介さず、自分たちの時間を過ごし彼らの季節をくり返す。毎年八月になると沿岸にやってきては姿を見せるその営みが老姉妹を楽しませてくれる。姉妹はアメリカメイン州にある、大西洋に面する入り組んだ美しい島に建てられた瀟洒な家で暮らしている。

映画『八月の鯨』には年配者しか登場しない。老姉妹の生活は、時間も動作もともに動きがゆったりとして、鯨の泳ぎをハイスピードカメラで写したように穏やかだ。映画館は冷房がきいて心地よい。始終ゆったりと背もたれに深く体を沈めているうちに、油断して私はうとうとしていた。この暑さに疲れた体を休めるにはちょうどよかったのだ。

姉のリビーは目が不自由で、妹セーラが世話をしている。セーラは寄る年波にも負けずに常に動いている。リビーの世話やバザーのための作業にいそしみ、訪問してくれる友人たちにも愛想がよい。今を楽しみながら精を出して毎日を暮らす。夫が生きていた若い頃には戻れないけれど、今は今として老いさらばえることと静かに戦っている。

一方で目が不自由なリビーは刺々しい。自分に腹を立てていたのだろうが、皮肉ばかりをセーラにぶつけている。さすがのセーラも堪らない。老姉妹の共同生活は破綻しかかったのだが、リビーは幸いに心を入れ替えた。

別に劇的な変化が起こるのではないが、リビーは海側の壁に大きな窓を取り付けることに同意した。八月がきて鯨の姿が直ちに見えるよう、以前から勧められていた。セーラはそれを希望していたのに、リビーは頑として反対していたのだ。老いることは必然でそれを養う覚悟が、リビーにもできたのだと思う。老姉妹は晩年を静かにたゆたう海を眺めて過ごすことを決めたのだ。
在ったとてみることなければ消えたまふ [2015年08月07日(Fri)]

fumihouse-2015-08-07T18_10_17-1-thumbnail2.jpgわたしが子供の頃、蜩(ヒグラシ)はいなかった。出雲地方にヒグラシが存在しなかったわけでは決してない(多分、いや絶対に)。夕焼けの時間帯に、カナカナカナ……とうら寂しく鳴いていたはずだ。あれは蝉なんだという認識すらなかったのだと思う。子供のわたしは山にシンクロして鳴り響く重厚な合唱をどう感じていたのだろうか。さかのぼって追体験できたら楽しいのに……。

子供のとき蝉を捕っていた。網を使ったり、精度は低いが手をすぼめて捕る。あるいはトリモチを使った。トリモチの木の皮をはいで石で叩いて水を流してカスを取り除く。するとネバネバのペーストとなって、竹棒の先に着けて蝉の羽根にこっそりすり付けるとギャンガャン鳴き叫ぶ蝉が捕れたものだ。

たいていはニイニイゼミとアブラゼミ。時折透明で緑がかったミンミンゼミが捕れた。ツクツクボウシが鳴くようになる夏の中盤以降にはすでに蝉への興味は失せて、捕った記憶はない。

ヒグラシは鳴いていたはずだ。しかし子供のわたしの辞書にヒグラシという昆虫は存在しなかった。だから未だにヒグラシがどんな色形の蝉かを言うことができない。あの頃、わたしの周りには蝉の鳴き声を教えてくれる風流な子供がいなかっただけなのだ。

(暑かった、茹で上がりそうに暑かった。邇摩高校のムクゲも幾分うだっている。裏山にはヒグラシの声が群をなしていた)
熱帯夜70年を思う朝 [2015年08月06日(Thu)]

fumihouse-2015-08-06T07_56_18-1-thumbnail2.jpg今朝の朝焼けは、どんより霞んだ空が薄茜色に染まっていた。熱帯夜、暑い朝だった。70年前の朝方に広島を燃やした光と熱。夕方になると夕焼けと一緒くたになって、真っ赤に広島の夜空を燃やし続けたという。毎年この日に惨禍を振り返ること、不戦の誓いを表出することを年中行事と言うなかれ。

長 有紀枝氏(国際NGOのAAR理事長)はこう述べている。

≪参議院で安保法制が議論されています。法案が可決されてもされなくとも、そのままでは日本にも世界にも平和は訪れません。そこからです。≫

まさにそのとおりだと思う。新安保法案が通って限定的な集団的自衛権を発動する態勢になろうとも、否決されて憲法第九条改正への動きが始まるとしても、いずれにしても、紛争がいかに生じ危機にどう対処したらいいかという観念でしかない。戦争はなぜ起きたのか、どうして起こしたのか、人間が争う本質は何なのかを思考し、日本として行動していかねばならない。それが日本を守り、地球上の平和を築く基礎となる。

そのモチベーションを高めるために、今日のような日を契機に、体験者から話を聞いたり、多くの言説に目を向けることが大切だと思う。長氏は以前のブログで日本の安全保障についてこう述べている。

≪日本だからこそできる、積極的な中立主義を貫き、紛争当事者としてではなく、中立な存在として、世界の課題を解決に導く役割を担うこと、それによる防衛力の強化をこそ期待します≫

平和を望む心は誰びとにもある、と同様に他人を蔑み殺したいと憎む気持ちもある。戦争反対と抽象的に叫んでも平和は自ずからやっては来ない。放っておくといつの間にか紛争が起き戦争は始まる。これも事実だ。人間とその社会を制御することはとても難しい。

(葛(くず)の花が地味に咲いた。平和への取り組みも地味なものだ)
暦追い残暑お見舞い申し上げ [2015年08月05日(Wed)]

fumihouse-2015-08-05T18_08_55-1-thumbnail2.jpg残暑お見舞い申し上げます。

島根で猛暑日は少ないですが、毎日これだけ酷暑を騒がれると残虐なまでの暑さを感じます。
この一週間熱中症で搬送された人が一万人を超え、三十人近くも亡くなられました。残念な暑さです。
枯れて干からびたクチナシが哀れです。暑さの中の残花です。
日没してもなお、空に照り映える残照が眩しくて暑さに狂う今夕です。
日が暮れても空も山も靄がかかってます。残映残る暑さです。
ウグイスが蝉に混じって鳴いています。残鶯(ざんおう)のある暑さです。
残業している人、ご苦労さまです。胸をはだけて暑さをしのぎましょう。
残響の豊かなホールで音楽を楽しみたいですね。外は暑くてもそこは天国です。
この暑さで出費がかさみます。ボーナスの残金少ない暑さです。
満月が煌々として輝いていたのはつい先日。今夜は下弦の月かもしれません。残月の暑さです。
明日から甲子園の高校野球。残塁が山をなす暑い戦いとなるでしょうか。

暑さはまだ和らぎません。立秋はまだですが、あれやこれやとひっくるめ、残暑お見舞い申し上げます。
マサラティ氷の味わい贅沢に [2015年08月04日(Tue)]

fumihouse-2015-08-04T18_37_39-1-thumbnail2.jpgマサラティーのかき氷
贅沢気分つかの間の
お手製マサラのシロップを
オリジナルにて配合し
ほんのり渋めのシロップが
混じるぞトロトロ甘い紅茶練乳
喉を滑ってスールスル
紅茶屋さんの面目躍如
フワフワに仕上がる氷は霜柱
サクサク口へと渡ります
紅茶コーディネーターの若い彼
オシャレな彼が口説くと
紅茶が芳醇優しく響く
彼は二年前に教えてくれた
急かさず落ち着きお茶淹れよ
妖精出で来て褒美の美味を
これこそ真のおもてなし
ティーサロン・パンジェンシー
松江市殿町一角の国宝城のお膝元
安定か不安定かを判定す [2015年08月03日(Mon)]

fumihouse-2015-08-03T19_14_36-1-thumbnail2.jpg磯崎首相補佐官が「関係ない」と言って物議をかもした法的安定性。

法律の内容や解釈が安易に変わってしまっては、とんでもないことになる。朝は罪に問われなかったのに、夕方になると逮捕されたりしたら大変だ。そうした混乱を防ぐためにも、特に刑法では罪刑法定主義を説く。あらかじめ決めた条件を満たさなければ犯罪に問われることはなく、刑罰も科されないという意味である。解釈によって法の適用が左右されては大迷惑だから、罪刑は明文化されて独裁的個人のワガママに左右されないことが、法的に安定した状態となる。

今回の安保法制に関し、政府与党は憲法と憲法下の安保法制の関係においては法的安定性が【あり】として法案を成立させようとしているし、反対派は【なし】としているのが基本スタンスだ。

政府は、現行憲法9条下で行うことのできる憲法解釈でもって、集団的自衛権の行使を容認できるとしている(行使の3条件はかなり厳しいので自在にはできないと思うが)。すなわち法的安定性が確保されているというのだ。一方で、野党や結構多くの憲法学者は法的安定性は損なわれていると批判している。

首相補佐官が「関係ない」と発言したことは政府に一貫性がないという点で問題ではあるが、実際に法的安定性はあるようでなく、ないようであるというのが現実だと思う。とらえようによっては解釈が曖昧になってしまうのだ。安保法制を確立してアメリカとの信頼関係を早めに安定させたい、中国への睨みも早く効かせたいというところが「関係ない」の真意なのであろう。

いずれにせよ、反対意見や異論が多いということは、人びとに喜んで受け入れられないということだ。思い切って憲法改正を発議したほうがスッキリと安定化するに違いない。
美しき夏よ花火よ日本の夜よ [2015年08月02日(Sun)]

fumihouse-2015-08-23T06_46_57-1-thumbnail2.jpgシュッポンの音がしたかと思うと、シュルチュルシュルチュルと火の粉が上へ上へと昇っていく。一点の光だったものが一瞬にして弾け飛び、大輪を花咲かす。「うぉー」の歓声が早いか、「ズゥドーン」と地を揺るがし腹を震わす爆発音が早いか。余韻にひたる間もなく二の矢三の矢掛けつがえ、次々と大輪と小輪、ハート形の変わり種。小爆発でパチパチ跳ねて、落ちる長尾はしだれ花。休むことなく次々と七色の光輝いて、わずか一瞬消えたまふ。日本の夏よ浴衣着て、空を眺めて口をポカリ。光と音の喧騒で夜店に客が消えたまふ。満喫し松江の華よ水郷祭。

というのは嘘。遠く離れた宍道湖対岸で豆の火花を楽しんだ。色や形、組み合わせに趣向を凝らした祭典は20キロ近く離れた場所からも十分感じられた。夏よ花火よ日本の夜よ。

(花火の季節は実りの季節も近い。早稲が出穂し花が咲き始めている)
恋に落ちシェークスピアは創造す [2015年08月01日(Sat)]

fumihouse-2015-08-01T22_26_31-1-thumbnail2.jpg映画『恋に落ちたシェイクスピア』(原題:Shakespeare in Love)は邦題にも工夫が凝らされたステキな映画だ。「恋する」ではなく「恋に落ちた」というのがいい。墜落したり、散る、没する、衰える、逃げるといった状態に陥るのではなく、突如ブラックホールに吸い込まれるように気持ちがなびく、愛に心の城が乗っ取られるイメージか。恋はするというよりは、落ちるものなり。

ヒロイン・ヴァイオラ役のグウィネス・パルトロウが珠玉に輝いている。真実の愛を一度でも得られたら、厳しい荒波にも勇気凛々と進むことができる、未知の新大陸に移住する貴族の妻として運命を甘受できる、たとえ夫には愛がなくても。「あの方」との愛の軌跡を肥やしにして羽ばたける。そんな覚悟を示したエンドロールであった。ヴァイオラが白砂の海岸を陸地の森に向かって堂々と歩む。その後ろ姿の凛々しさに心が震える。グウィネスがアカデミー主演女優賞をとった理由がわかる気がする。

なぜシェークスピアは、民衆にはもちろんエリザベス女王にまで受け入れられたのか。演劇とは偽ごとであるが、そこに真実の愛を示し得たからである。観劇した者が、その中から本物の愛を感じられたら大きなエネルギーを得て、日常の困難に向かっていけたからであろう。

糞尿が街路にばらまかれるシーンが2回あったのが印象深い。ペストやコレラが流行する中世時代であった。医学や科学は発展途上だ。社会保障なんてない、生活環境は劣悪で、人々は生きることに精一杯。

だから民衆が娯楽を求めることも必死だったはずだ。劇中で心の底から笑い涙することを糧にする。生きるか死ぬかの生活闘争に必死だった庶民は劇場ですら必死であったのかもしれない。貴族や王族も豊かな生活にあぐらをかいていたわけではなく、いつ病魔に冒されるか知れず、民衆の動乱が起きてしまって身の破滅とないように綱渡りの毎日だった。

役者は劇場で演技だけで評価され、脚本家も演出家も音楽家も、劇の出来不出来だけで評価される。テレビやネットで有名になってギャラが入って別口で儲け話があるわけではない。手すさびに書いた作品秘話が大増刷されて大きなマネーで懐を潤すことはない。ましてや演芸を催す者の社会的身分は低い。演劇の関係者が命がけで己の才能を開花させ、日銭の売上を稼ごうと必死になった時代なのだ。

シェークスピアが恋に落ち、愛する心が燃えるほどに創作は進む。恋人をたたえる愛の詩が泉のように溢れ落ち、見つめ合う目と目で愛の間合いがはかられる。ペンはぐんぐんと速度を増すが、湧き出す言葉に追いつかない。言葉の魔術師の真骨頂である。

ロミオとジュリエットなど名作をオマージュし、激しい決闘のシーンは厳しく、野獣的な性の噴出もエロチックで(特にシェークスピアとヴァイオラの愛する毎夜の絡み合い)、数多くのユーモアにも笑えた映画であった。

最後にシェークスピアの名言からひとつを。

 備えよ
 たとえ今ではなくとも
 チャンスはいつかやって来る