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考えよ自分の頭で考えよう [2015年05月31日(Sun)]

fumihouse-2015-05-31T18_59_12-1-thumbnail2.jpg『図書館からはじまる「学び」のガイド2015』(島根県高等学校図書館研究会編)では、考えることについてこう断定する。≪「考える」とは、スバリ!情報を整理したり、つなげたりしながら、予測することです≫と。

そうなのか? そんな簡単に言い切っていいのか?と思うのだが、ここでは情報を整理するにあたって物事どうしの関係性を次の3パターンに分類する。

  @相互関係(対比、並列、因果、包含)
  A量的関係(数量)
  B時間的関係(順序・手順、時間的推移)

そうだ、関係性なのだ。映画を見終わったときには、自分が触発された思考と映画との関係性を問う。夕焼けを綺麗だと思ったわたしは、自分の感情と眼前の光景との関係性を心に刻む。欲しい物が予算オーバーしているときには、買った場合の効用がより高いことを自身に納得させて財布を開く。それもお金と物との関係性だ。

むろん関係性とは二者の関係だけには止まらず、三つも四つもの物事が絡み合った関係性もある。それらを解きほぐし、自分の中で位置関係をスッキリさせること、さらに以降どのような展開があるのかを予測することが「考える」ことにほかならない。

(コナンのように思慮深くあれ。果敢に行動する人であれ)
リラックス玉を造って神湯なり [2015年05月30日(Sat)]

fumihouse-2015-05-30T21_52_39-1-thumbnail2.jpg出雲風土記には玉造温泉について次の記載があるようです。

一たび濯(すす)げば形容(かたち)端正(きらきら)しく、再び浴(ゆあみ)すれば、万の病悉くに除(のぞ)こる。古より今に至るまで験(しるし)を得ずといふことなし。故(かれ)、浴人(くにびと)、神湯と曰(い)ふなり

容姿が見目麗しくなったようには思えないし、心身に良き影響を与えたかどうかは知りませんが、日帰りで玉造温泉の昼食と「神湯」を楽しみました。効能書きには、関節痛、疲労回復、冷え性、動脈硬化症に効くといい、美肌作用にも期待できると書かれています。美肌県日本一に輝いた島根の女性がスベスベの肌を保っていることに、一役買っているのかもしれませんね。

長生閣の風呂には瑪瑙(めのう)が何千枚も敷き詰められています。青めのうは健康長寿のパワーストーン。赤めのうは情熱をいや増していき、白めのうは家内安全に利益があるといいます。まあせめて、明日への活力を得られてよかった、と思っておきます。

日本列島が大変です。昨日口永良部島の噴火があったと思ったら、今夜は小笠原諸島のマグニチュード8.5の強烈な地震。至るところで噴火や地震が同時多発化しているなんて、なんのこっちゃ。5月なのに真夏日を各地で観測するのも有り難くないです。日本だけではありません。先月のネパールの大地震、さらにインドでは熱波で2000人もの人々が亡くなりました。地球が悲鳴を上げているのか、それとも人間に復讐を始めたのでしょうか。
激烈に空気のせいで突き落とす [2015年05月29日(Fri)]

fumihouse-2015-05-29T18_48_45-1-thumbnail2.jpg「空気」はなにも日本社会の専売特許ではない。一昨日考えた、なぜ人間は殺し合うのかと。動物としての本能は相手を傷つけはしても殺すまでには至らない。本能以外に考えられるのは空気だ。「集団心理」や「世間」とも言う。

個人としては荒立てたくない。もうここらへんで止めておこうと思っても、傍らの別人が軟弱だ!と非難する。あるいはそうした空気を醸し出す。一人か二人が激烈で勇ましい意見や態度に出たならば、残りはその険悪な空気感に恐れをなす。自ずと事態は深刻の度を増していく。集団と集団とがぶつかる場合、それが怖い。国家となると、煽り立てるマスコミはいるし、テロリストの存在も恐怖だ。調停は不調に終わり、戦端は開かれる。そして莫大な戦費と資源を損耗させ、人々を塗炭の苦しみに突き落とす。

「みんなそう考えているに違いない」とおもんぱかり、場の空気にがんじがらめになって、個人の責任を回避する。周囲に合わせた結果が、イジメであり、集団リンチとなってやり玉にあがった者を不幸にする。最大の無責任は開戦であろう。最高責任者たちは戦場に行かない。若者と母親を悲嘆のどん底に陥れる重大事を一世紀近く前に空気で決めてきた。空気で一億玉砕を叫んだ。これほどの無責任があるだろうか。

空気に従うとは自分の頭は思考停止させること。周りも自分と同じであることを確認して安心しようとするのは、私たちの悪いクセ。日本人にありがちな傾向ではあるけれど、人間に共通の、これも本能か。

(ブラシの木の花が咲いた。本物のブラシのようにごわごわしていない。気分が荒んできたらこのブラシで頬をなでるがいいさ)
仁万の浜ほたほた歩いて夏の夕 [2015年05月28日(Thu)]

fumihouse-2015-05-28T18_46_43-1-thumbnail2.jpg静かな夕方。夕景にはまだ遠い時間だが、今夕は雲に影って太陽が穏やかだ。鳥たちはかまびすしく、春のさえずりを謳歌している。賑やかなのに静かだ。

不如帰(ホトトギス)は林にあって5音節の音で主張する。わたしには「ホトトギース」と聞こえる。時鳥、不如帰、子規などいろんな漢字が当たる面白い鳥。卵は鶯(ウグイス)に孵してもらうというズルいやつ。

鶯は不如帰並みに声高らかに鳴く。見たことはナクテモ、その鳴き声を知らない者はない果報者。

燕(ツバメ)は泥と藁で巣作りに余念なし。機嫌のよい人間の赤子が笑うように朗らかに鳴く。来月になったら、頂戴ちょうだいと顔を出す雛がますます賑やかだ。

烏(カラス)は不気味に羽ばたいて、威嚇するよに鳴いている。一音節ならカー、二音節ならアホーと聞こえてバカにされた感じ。

鴎(カモメ)が群れて飛んでいる。高く羽ばたき仲間呼ぶ。行く手に何のエサあるや?

雀(スズメ)はいつもチュンチュンとのべつまくなし鳴いている。燕が作った巣に入り、追い出されては共存したいと願ってる。

磯鵯(イソヒヨドリ)は魔法の鳥か。臙脂色の首回り、胸から背にかけブルーが鮮やか。孤高の鳥で独りごちてはメスを呼ぶ。天使の声なり楽しめや。リズムいろいろ声音も変わる。それでも彼は彼の声。磯を離れて街中に。ビルの上から人を見下ろす。

仁万の街中や港にはまだ知らない鳥が鳴いている。鳴けば鳴くほど田舎の夕方、静かに穏やか豊かだな。ハマヒルガオが咲いている。
人間はなぜに殺してしまうのか [2015年05月27日(Wed)]

fumihouse-2015-05-27T19_20_54-1-thumbnail2.jpgどうして人間は殺し合いをするのであろう。他の生物は傷つけはしても殺すまでには至らない。本能としてインプットされた生物としてのあり方だからだ。しかしながら人間はその例外。本能の外にある。万物の霊長たる特権をもってすれば例外が許されるのか。許す許さないではなくて、現実に殺されて苦しむのは人間自身なのだから変な話だ。悲惨な苦しみをこうむる人間はゼロになるのが正しい。

考えてみれば、どんなに憎もうともその相手方は、数十年待てば死ぬ。どいつもこいつも、どんなに憎らしい奴でも、ちょっと待てば死に絶えるのだよ。なぜ殺そうとする? 待てばいいのに! 当人ばかりか、家族も親戚も縁者も、関わるすべての人間を根絶やしにしたいと欲望するのが人間なのか。

醜い欲望に絡め捕られた人間同士が戦う。勝者と敗者が生まれる。生者と死者に分かれる。死者と敗れた者は悲しみ、生と勝った者は安堵する。安堵したのもつかの間、復讐の影に怯え心は安らかではない。暴力の連鎖にがんじがらめになって不幸の階段を転げ落ちる。復讐を遂げたとしても、喜びはやがて消え失せて、相手からの報復攻撃を恐れる。幸福になれる者は誰もいないのだ。

国会で安全保障関連法案の審議が始まっている。日本の同盟国が戦争をおっぱじめた際に、集団的自衛権を行使する3条件は次のとおり。字面だけは極めて厳しい。

(1)我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があり、
(2)国民を守るために他に適当な手段がなく、
(3)事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武力を使うと閣議決定されたものだ。

安倍首相は答弁する。「集団的自衛権の行使を想定し得るのはホルムズ海峡の機雷除去だけだ」と。一方で内閣法制局長官は、他に攻撃を防ぐ方法がないという場合に個別的自衛権を発動して敵国のミサイル基地などを攻撃できるとも述べている。矛盾している。後方支援どころか、防衛に名を借りた攻撃だ。満州国は日本の生命線と詐称したかつての日本と変わらない。危ういぞ怪しいぞ。

輜重(しちょう)、すなわち前線部隊に武器や糧食を輸送する兵卒がいる。さらに意味を広げると、後方で情報連絡や交通を確保する任務を受け持つ兵站(へいたん)部隊がある。後方支援と首相は呼んでいるものだ。

憎っくき敵に味方する者は誰もが敵だ。敵の味方は敵なのだ。後方支援だが何だか知らないが、あんたがその気なら、あたしゃあんたを攻めるよ! という発想でかのISは二人の日本人人質を残虐にも殺した。憎しみに絡め捕られた人間はおかしなことを考える。

仮にホルムズ海峡であれ、機雷を除く任務についている自衛隊艦船は敵方から離れているように見えても、長距離ミサイルで攻撃されてしまう。精度が少々低かろうが数打ちゃ当たる。「後方」にいるという安心感があると、防御の態勢は弱くなる。前線の屈強部隊は歴戦の戦争常習国であり、さすがに強い。正面作戦を避けて、自衛隊の部隊を狙うという選択肢は考えられる。「後方でもいい」と思っているうちに、いつの間にやら後方も前線もない状態に陥ることは十分あり得ることだと思うのだ。

(柿の花は変哲もなく平凡で目立たない。でも秋になれば美味しい実をならす。それで十分じゃないかと思う私は消極派か?)
ちゃんと聴くちゃんと話して満足げ [2015年05月26日(Tue)]

fumihouse-2015-05-26T18_26_46-1-thumbnail2.jpgちゃんと話を聴かないときがある。「聴かない」どころか、耳に入っておらず「聞いていない」ことすらある。馬耳東風と言う。馬の耳に風とも。

目の前の人(妻であることが多い)が伝えようとしているのに、新聞やテレビ、パソコンに気を取られて頭に入れもしやしない。視線さえ合わさずに聞いていることがある。「うんうん」「わかった」と相づちを打って聞くポーズをとるもんだから始末に困る。相手はわかってくれたもんだと合点してひとまず安心する。後刻そのことが話題に上ると、「えっ?聞いてない」とうそぶいて誠実さのかけらもない。

さすがに近頃は私の性向は見透かされており、「聞いてる?」とジャブを見舞うことを忘れない。馬脚を現して非難された私は、目の前の対象物から離れてちゃんと聴く姿勢を見せる。聴くときには聴く。姿勢を正して聴くことが大切だ、とはわかっちゃいるけれど、ついつい踏み外す。

≪ホウレンソウは、一方的に求めるだけでは成功しない。大事なのは“受ける側”の姿勢。どんなに忙しくても、報告・相談に来た人と相対し、誠実に受け止める。“あなたの話を聞く以上に、今、重要なことはない”と態度で示す。そうすれば、何でも報告・相談する“文化”が根付いていく≫ (聖教新聞「名字の言」2015年5月13日)

そのとおりだと思う。ホウレンソウは仕事に関するノウハウであるが、日常も同じことが言える。今あなたの言葉を一番大切なこととして聴いているんだよ、と態度にあらわす。少々時間を節約しようと思ってパソコンのキーをたたいてみたところで、ほとんど変わりはしない。むしろ相手の信頼を得られるかどうかが、大きな意味をもっている。わかっちゃいるけど出来るかどうか、それが問題だ。

(今月半ばまでが盛りだったキショウブの花。心を鮮やかな黄色にして?他人の話を聴こう)
公に生きて幸せ乙松駅長 [2015年05月25日(Mon)]

fumihouse-2015-05-25T18_47_26-1-thumbnail2.jpg幌舞駅にただ一人勤務する佐藤乙松は、駅長としての仕事に私(わたくし)を持ち込まなかった。業務日誌の締めくくりに書き込むのが「異常なし」。1日4便しかない幌舞線の終着駅である幌舞駅に、それほど異常な事態が生じるとは思えない。かつては炭坑で栄えた駅だったものの近々廃線となる。それでも弛むことなく、彼は公(おおやけ)に精魂を傾ける。

産まれて間もない一人娘雪子が死んだ時も、妻静枝が持病の果てに病院で最期を迎えた時も、娘が幽霊となって現れて親子の情を交わした時も、彼は日誌に「異常なし」と丁寧に書いたはずだ。結末で彼が雪のホームで最期を迎えたことすらも、仮に彼が日誌を書いたとしたら、「異常なし」と結んだであろう。

『鉄道員(ぽっぽや)』は高倉健の魅力を余すところなく伝える映画だ。そして北海道の言葉でめんこく演技する若い末広涼子の魅力も満載だ。鉄道員一筋の一生で「私」の楽しみを味わうことのなかった乙松の最期の時に幽霊が現れた。二人のやりとりが切なく悲しい。涙腺はゆるみつつも笑顔がこぼれる。

雪子が死ななければ17年で育ったであろう姿を乙松に見せた。それは「公」だけに生きて「私」を捨てた乙松に対してのご褒美だったのだ。死への引導を渡すために現れた死神・雪子ではなく、定年の時に図らずも寿命を迎えようとしていた乙松にせめてもの幸せを贈った。乙松には悔いがあった。仕事ばかりで、娘の死に目にも妻のそれにも合えずいたことの後悔である。しかし幽霊のおかげで心残りなく死出の旅路に立つことができた。悲しいハッピーエンドの物語である。

(雪ほどに白くなく、雪のようになめらかなヤマボウシ)
ビリギャルが家族鍛えて再生す [2015年05月24日(Sun)]

fumihouse-2015-05-24T23_15_31-1-thumbnail2.jpg母は子にワクワクして生きてほしいと願っていた。当の娘さやかはそのワクワクを、友人関係にのみ感じて、夜な夜な目いっぱい遊び、けばけばしい厚化粧とファッションを装って楽しむだけで、勉強は一切しない。母こそ頼りにしていたものの、父は強権的で聞く耳を持たず、常にさやかとは戦争状態だった。担任教師には、お前は人間のクズだと蔑まれ常に懲罰の対象だった。映画『ビリギャル』のさやか(有村架純)にとって、信頼できる大人は一人もいなかった。

その彼女が塾に通うことになると、目を見張る大人がいた。講師の坪田は何をつけても誉めてくれる。聖徳太子を「せいとくたこ」と読んださやかが、太った子で超かわいそうと感情移入すると、発想が天才級だと坪田は誉めたたえた。坪田マジックに乗せられて彼女は、勉強にワクワクするようになる。

体力と気力はもともと旺盛だ。友達と夜通し遊んで朝帰りするなど平気の平左で、けんか腰で言い争うときの口達者なところからすると、体力も気力も論理性に関しても基礎力は十分あった。いかんせん、勉強というものを一切やらなかっただけに、一般常識を含め学力は小学6年生にもかなわない。

「寝るな」と大書きして完徹して授業中に眠る(試験に関係ない科目)タフさ、徹底力。受験科目は、英語と日本史と小論文に絞られるとはいえ偏差値30(下位2%)のビリギャルにとって、70(上位2%)への道のりは天と地の落差だ。

慶応大学文学部合格という目標は最初は軽い弾みでしかなかった。志望校の欄に「ケーオー」大学としか書けなかった彼女。何のためにその目標を達成するかの動機が、大人を見返すため、対立する父や担任教師を見返すためなのか。やがて勉強する楽しさがわかってくる。勉強する中で冷静に自己と家族を眺める視点を獲得していく。

さやかがビリギャルを卒業することで崩壊状態にあった家族を再生させた。映画の大きなモチーフとなっている。それを表現するにあたって、有村架純は横顔で演技する。いきがって反発を重ねる横顔の寂しそうなこと。心の底から楽しんでいるように見えて横顔には虚しさがあらわれていた。目標を見つけてワクワクし始めたときはキラキラと輝いた。成績が上がる過程にあっても合格までの道のりは無限に遠く思えて悲しさが露わになった。成績が上がり会心の達成感を感じるも、勉強に打ち込む真剣さも、嫌いだった親父の良い面を認めてつぶやく照れも、多くを魅力的な横顔で演技した。

目標を設定することがどんなに大切かを改めて思い知る。諦めないド根性。そして何事にも何びとに対しても、感謝することを忘れまい。
梅雨近くホタル記念の夜なれば [2015年05月23日(Sat)]

fumihouse-2015-05-23T22_42_06-1-thumbnail2.jpg昨日はわが家のホタル記念日、ゲンジボタルがツーツーツー。
少し寒いが光りのはじめ、つがい見つけて種を残す。
宙をゆらゆら飛んで君、星のごとくにトントトトン。
草の葉陰にとどまって、来るのを待つものほのぼのと。
地面近くに飛ぶ君は、僕のズボンで休憩だ。
ウォーキングの夜の道、暗い小川の草むらに。
蛍見つけて嬉しかろ、今年もよくぞ輝いて。
水を張ったり田植えあと、ホタルも星も水映る。
今夜は薄い雲が広がって、菜の花色の月出てる。
金星木星西の空、蛍のごとくに淡い星。
梅雨は近いぞ湿っぽく、ホタルを友に夜は楽し。
二字熟語ひっくり返して新語かな [2015年05月22日(Fri)]

fumihouse-2015-05-22T20_02_23-1-thumbnail2.jpg二字熟語をひっくり返して意味が通じるものは結構多い。「平和」な両国関係にもっていくために、「和平」会談をセットするが如くである。ネットの力も借りて書き出してみた。あるわ有るわ、あるものは微妙に意味が違い、あるものは大分違う。またあるものはかけらも一致しない。日本語は面白い。

【少しだけ共通項がありそうなもの】
消費/費消 戦艦/艦戦 花火/火花 流水/水流 接近/近接 牛乳/乳牛 牛肉/肉牛 器楽/楽器 女王/王女 路線/線路 便利/利便 外国/国外 出発/発出 議会/会議 液体/体液 例文/文例 権利/利権 誕生/生誕 根性/性根 母乳/乳母 王国/国王 事情/情事 出産/産出 列車/車列 階段/段階 運気/気運 色気/気色 害虫/虫害 会社/社会 写実/実写 実質/質実 原野/野原 野外/外野 上陸/陸上 実現/現実 名家/家名 戦力/力戦 軍国/国軍 水温/温水 宮中/中宮 栄光/光栄 該当/当該 運命/命運 動作/作動 名曲/曲名 年長/長年 年少/少年 空虚/虚空

【全然意味は違うもの】
分子/子分 身分/分身 幕内/内幕 発揮/揮発 高座/座高 当日/日当 入手/手入 力学/学力 体重/重体 定規/規定 動機/機動 科学/学科 家出/出家 故事/事故 演出/出演 物色/色物 人文/文人 人名/名人 弟子/子弟 文明/明文 著名/名著 中心/心中 日本/本日 中日/日中 中国/国中 散発/発散 年中/中年 置物/物置 水着/着水 星図/図星 相手/手相 雷魚/魚雷 下手/手下 潮風/風潮 外車/車外
 
【意味は一緒だが読み方が違うもの】
風雨/雨風 表裏/裏表 左右/右左

(サツマイモは甘藷。ひっくり返して「藷甘」。一致しないどころか意味がない)
即物の愛に染まりてシェルブール [2015年05月21日(Thu)]

fumihouse-2015-05-21T19_08_07-1-thumbnail2.jpgシェルブールには雨傘が似合う。もちろん出雲だって、サンパウロも重慶だって同じこと。しかるべき男女の恋と哀愁の別離があれば、雨傘は似合うのだ。

冒頭はフランス北部シェルブールの港湾。有名なテーマ曲がフルートのソロで始まる。前奏なし伴奏なしでシンプル。映画『シェルブールの雨傘』ではこのテーマがくり返し流れる。同じ節のシャンソン歌謡として、ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が台詞を歌う。「あなたなしでは生きていけない」と。

ミュージカルではないが、役者は節をつけて台詞を演ずる。音楽に似て流麗なフランス語が甘い調べとなって、観客を甘辛い愛の世界にいざなう。最終場面では荘厳なオーケストレーションでもって、ひとつの愛の終局をいやがうえにも感じさせる。

ジュヌヴィエーヴは世間知らずのねんねだ。結婚を誓い合ったギィが居ないことの重さに、彼女は耐えられなかった。ギィと「愛してる」と交わし合ううちは燃えたつのだが、彼が戦地に送られてしまうと、自分を忘れてしまったんじゃないの?と疑心暗鬼にとらわれて心穏やかでない。恋愛が即物的なのだ。自分にとって愛する意味とは? 結婚後はどんな生活をして、今お腹にいる子供をどう育てていくのか、といった想像を羽ばたかす能力に欠けていた。

ちょうど傷心でお金持ちの紳士が登場した結果、彼女はほんの少しの葛藤で、紳士カサールの求婚を受け入れた。彼女にとっての恋愛は、形而下のものであり形而上の愛にはならなかった。彼女にとってギィは、去る者は日々に疎しの存在でしかなかった。

カサールは単に金の力で彼女を獲得したわけではない。立派な男だった。彼女とギィの子供を無条件で受け入れ愛を注いだ。そのまっすぐさが、愛を貫いたままアルジェリア戦争から帰郷したギィと重なる。ギィにとってジュヌヴィエーヴのいない故郷は痛手だった。

傷心の彼を癒やしたのがマドレーヌ(イングリッド・バーグマン似の美人)だった。マドレーヌは彼の育ての親であった伯母の介護者だったのだ。ジュヌヴィエーヴはパリに去り、頼みの伯母も死んだ。自暴自棄の状態が癒えた彼とマドレーヌは結婚する。

数年が過ぎ、ある雪のクリスマスイブの夜。ギィはジュヌヴィエーヴに偶然再会した。助手席には幼い女の子。ギィと彼女の子供、フランソワーズだ。ジュヌヴィエーヴは一つだけギィとの約束を果たした。産まれる子供が「女の子だったらフランソワーズ、男の子だったらフランソワと名付ける」という約束だ。彼も約束を守った。マドレーヌとの間に産まれた男の子はフランソワだった。

「会ってみる?」と尋ねるジュヌヴィエーヴの誘いに彼は耐えて、無言で首を振った。雪の降りしきるシェルブールで終局。美しいテーマは終曲し、新しい愛に生きる二人それぞれが別の道を歩き出したのだ。

(片鱗は見せはするが、カトリーヌ・ドヌーヴもこの頃は大女優ではない。しかし、ムラサキツユクサの気品ほどのものは十分感じられた)
無謀なるフェンス壊して急停車 [2015年05月20日(Wed)]

fumihouse-2015-05-20T08_39_22-1-thumbnail2.jpg「お客さまにご案内します」と、車掌が車内放送を始めた。

「出雲市と西出雲間を走行運転中、通常とは異なる音を認めたため緊急に停止した。安全を確認するため列車を点検しているので今しばらくお待ちを。安全が確認され次第発車する。ご乗車のお客さまにはお急ぎのところ誠に迷惑をかけていることをお詫び申し上げる」という内容で丁寧な口ぶりだった。

変な音がしたのが私でもわかった。二両編成のディーゼル車が発車してわずか2分。出雲市駅を6時51分に発車した下り列車は、田植えが終わって鏡面のような田園地帯で急停車した。左にカーブしている線路は10°くらい傾いて座り心地が悪い。

車掌が時間を置いて3度ほど放送をくり返した。20分ほどすると「線路脇のフェンスに自動車がぶつかり破壊して、散乱する車の部品を列車が踏んだことが判明した。安全点検を続けている」と。

次に「安全が確認できたので運転再開に向け関係部署と連絡をとっている」と。さらに「警察が現場検証している」と。結局50分ほど遅れて発車となった。

ときおり列車が遅れると、スマホのiコンシェルが知らせてくれる。動物支障のため、倒木支障のため、線路内立ち入り(誰かが線路上を歩いた)のため。いろいろな支障がある。安全に列車を走らせる。安心して路線バスに乗ってもらう。速やかにかつ無事故で航空機を運航する。不測の事態に対応し乗客の安全を確保することは、かくも困難なことなのだと、私なりに想像することができた。

一方で自動車の運転は、一義的に運転者本人の責任である。自分と同乗者の安全を優先的に守る義務がある。今朝フェンスを壊した運転者のような輩には、少し懲りてもらわなければならない。
面白きこともなき世は面白い [2015年05月19日(Tue)]

fumihouse-2015-05-19T18_14_43-1-thumbnail2.jpgJPかんぽ生命のポスターがふるっている。能年玲奈が草むらに寝っ転がって伸びをして、コピーはこんなのだ。

 人生は、夢だらけ。
   つまらない日はあっても、
   つまらない人生は、きっとない。

そうさ、差し引きしてマイナスばかりじゃないさ。
さあ、夢だらけの毎日に飛び出そう。
どうだ、夢を抱いたあのときを思い出せ。
行くぞ、海千山千、負けずに突き抜け。
ふぅ、元気を出してやろうじゃないか。
いいさ、いろんなときがある。
そうさ、肩の力を抜いてかつ諦めず。
いいぞ、その調子、今に絶好調のときがくる。
晋作も、おもしろきこともなき世におもしろく。
面白いようで面白くなく、面白くないようで面白いのがこの世の常。
今夕の太陽はちとまぶしいぞ。
開票は多数確実僅差にて [2015年05月18日(Mon)]

fumihouse-2015-05-18T17_42_23-1-thumbnail2.jpg昨夜の開票速報でNHKは、22時34分に当確ならぬ「多数確実」を打った。畳みかけるように「大阪都構想実現せず」「大阪市存続」のテロップが出たのだが、この僅差でやっちゃっていいの?と心配になった。あとで聞けば、テレビ局中最速の当確だったらしい。

大阪都構想に賛成が571,395票、反対が565,093票。開票率は81%。その時点でわずか6,302票差である。しかも次の開票集計が出たとき、数十票差で反対票が逆転していた。

大阪市民の住民投票で投票率は66%、出口調査では高齢者の7割方が反対しており、その年齢階層の投票率が高いことを考えれば大丈夫だと判断したのだろう。地域別に綿密な推計をしているし、正直な大阪人ならぱ出口調査で裏腹な回答をすることはないと判断したのかもしれないな(京都でならばいざ知らず)。

最終結果は、反対705,585票、賛成694,844票。1万票余りの差、得票率ではわずか0.8ポイント差で大阪都構想は否決された。当事者ではないが開票速報を見ながら興奮した。

維新の会・橋下派は、大阪府と大阪市の二重行政を解消すべきとして東京からも動員をかけて大運動をした。これに対して現状維持派は、むしろコストがかかり住民サービスが今より低下するとして反対の論陣を張った。反対派には、独裁的に押す橋下市長への嫌悪感も強かった。

わたしには賛否どちらかに組することはなかったけれど、大阪市と大阪府を解体して今のあり方を変革しようとする、これも一種の地方創生の手法は認められない結果となった。大阪だけではない。府県と政令指定都市との二重行政のムダをいかに変えるかという命題は残された。日本にとって、メガ東京だけが一人勝ちし、大阪に元気がない状態は不健全な片肺飛行である。大阪の復権が望まれるのは明らかだ。
歯磨きはいつでもよいの気ままにね [2015年05月17日(Sun)]

fumihouse-2015-05-17T15_54_33-1-thumbnail2.jpg「歯磨きは食べたらすぐに」というのは常識であり習慣化すべきだと誰もが思っている。実行するかどうかは別にして。

いま「酸蝕歯」が、虫歯、歯周病に続く第三のリスクとして注目されている。酸蝕歯とは、酸の影響で歯が溶けること。酸性の飲食物によって歯のエナメル質が溶ける。食後にすぐ歯を磨くと歯を深く削ってしまい、かえって歯の寿命を縮めるという。この説が正しいとすれば、いまの常識が大転換する。フルーツや果汁、酒類には要注意だし、口中をすっきりさせるために飲む炭酸水も危ない。

食後は酸によって、アルカリ性である歯の表面が柔らかくなっているという。そこに歯ブラシが入ると歯が擦り減る。食後しばらくたつと唾液によって酸が中和され、唾液に含まれるカルシウムが歯に付いて溶け出したエナメル質を補う。それを再石灰化というらしいのだが、それまでおよそ1時間。ちょっと長過ぎて昼休みが終わってしまう。

もともと私は朝食後の歯磨きはしない。口をゆすぐだけだ。仕事の日は昼飯後の歯磨きをするが、休みの日はたいていしない。そして夜風呂に入ったときに毎日10分弱かけて丁寧に磨く。

よし決めた。これからは昼飯後の歯磨きは止めた。口をゆすぐだけにしておこう。昼休みに少しだけ余裕ができるかもしれないな。しかし、この新説が正しいと評価が確定するときはくるのだろうか。

(こんな白い歯が欲しいと思えてくるカスミソウ)
千鳥城国の宝ぞ400年 [2015年05月16日(Sat)]

fumihouse-2015-05-16T12_52_02-1-thumbnail2.jpg松江城天守閣が国宝になる。うれしいことだ。消えていた「祈祷札」が発見されたことで築城年が1611年に確定した。それが決め手になった。

松江城は無骨な城だ。石垣には野面積みが多く(排水がよく強度があるようだが)、隙間なく積み上げた石垣と比べると美しくない。外壁は黒板でおおわれて地味だ。三層目の平側に張っている千鳥破風だけは白い漆喰で塗り込められて華やかさがあり、それを、千鳥が飛びたつ様子になぞらえて「千鳥城」とも称される。千鳥? 地味過ぎる。

まっいいだろう。なんといっても国宝だ。堀尾氏が築城してから400年あまり。明治8年には解体、焼却処分される予定だったものが、元松江藩士・高城権八と出雲斐川の豪農・勝部本右衛門(かつべもとうえもん)らによって救われた。以降、多くの先人たちの努力で今回の結果がある。ありがたいことだ。

(松江城にも多く見られる「なんじゃもんじゃ」の花。正式名は雪のように白い花を意味するというヒトツバタゴ)
滋賀県か近江の県かいずれかに [2015年05月15日(Fri)]

fumihouse-2015-05-15T20_30_27-1-thumbnail2.jpg「滋賀県」と書いて何と読む? 滋養や滋味の読み方からジ、年賀からガ。合わせて「ジガケン」となるのではなく、シガケン。

当の滋賀県では県名を変える検討をしているという話を今朝のNHKニュースで聞いた。けっこう本気モードだ。香川県がうどん県と称したジョークとはひと味違って、法律改正までして県民投票にもかける意向があるそうだ。知名度が低いことがひとつの理由だが、確かに地味ではある。

世界遺産の比叡山延暦寺を擁し国宝類も多い。日本一の琵琶湖をもち、奈良・京・大坂に近くて古代から要衝として栄えた。人材もたくさん輩出し、近江商人は計数に明るく頭のよいイメージだ。信楽焼や甲賀流忍者、近頃はゆるキャラブームの先駆けひこにゃんもいる。近江牛や鮒寿司だって有名だ。それだけでは不満らしい。

「滋」はうるおし栄養になること。さんずいがあると琵琶湖も表現できてしまう。「賀」は祝い喜ぶ。めでたい県名だと思うのだが、どうも「近江県」と改名したいようだ。

近江は律令制の頃からの呼称のままで範囲も一致する。滋賀県の名前は大津が属していた滋賀郡に由来するようだ。「近つ淡海」を語源とする近江を、なぜか県名とせずに一郡名を全体名におし広げた。薩長の藩閥政府に対して、当時この地域はウケがよろしくなかったのかもしれない。

島根県は松江の一部が属していたのが島根郡だったから「島根県」と名前がついたのだが、出雲・石見・隠岐の地域を総称する地名はないのである面やむを得ない。しかし滋賀県は近江を使わなかった。もったいないことだったと私も思う。

(写真は島根県の誇る新種のアジサイ「万華鏡」。実物の万華鏡のように、回転軸に沿って均等な広がりがあり、空色あるいは勿忘草色といってもいい。幻想的だ。母の日には引く手あまたで、手に入らなかったという話)
にぎにぎし閉鎖間近のセンターで [2015年05月14日(Thu)]

fumihouse-2015-05-14T17_18_55-1-thumbnail2.jpg破産宣告があったばかりの大田市のショッピングセンターに入った。賑わっている。全品半額なり。レジには列ができ、陳列棚からは商品が消えつつあった。

「いつまで営業するんですか」
「明日までらしいです」とレジ係。
「たいへんでしたね」
「長らくありがとうございました」
ねぎらうと、いかにも残念という口調ながら殊勝な答えが帰ってきた。わたしが最後に買った物はといえば、缶コーヒーのブラック、52円なり。

今になってではなく、なぜもっと早い時期から買ってあげなかったのか。近辺の特にお年寄りには影響が大きいだろうし、周辺の商店への影響も懸念される。

協同組合形式のこの商業施設は30年以上も前に地元小売事業者の出資で設立されている。景気低迷もあるが、全国チェーンの大型店や量販店に客をとられて青息吐息。かつ地域の人口減少による打撃は大きかったであろう。

先月あった統一地方選挙は、歴史的低投票率を記録し、あちこちで無投票当選の虚しい喜びの声があがった。民主制の根幹をなす市町村議会や首長の選挙でこんな体たらくが続けば、日本の民主主義は危うい。

かといって、地方創生のお題目を人口の増加によって達成することはもはやできない。仮に一部の自治体で人口増が望めても、単に他から取ってきただけのこと。面積として圧倒的広大な地方にとって、「創生」とはどういう状態をいうのか。

かつてはカネと権限が集中していた国に陳情すればよかった。地方にも富は分配された。今や国は借金まみれで余力がない。答えはどこにも出ていない。

(アカツメクサはシロツメクサと違ってどこか洋風だ。しかし、どちらも明治期からの外来種)
スダジイと爺の落差に初夏をみる [2015年05月13日(Wed)]

fumihouse-2015-05-13T19_05_13-1-thumbnail2.jpg台風6号の風雨が去り、今日は晴れやかに太陽が照り映えた。山の木立も照っている。大型連休が終わってから二週間は第二の新緑というにふさわしい。木立や森が圧倒的に照り輝くのだ。

輝いているのは照葉樹の葉っぱではない。花である。長さ10cm弱の穂状に細かな花をつける照葉樹。大きなものは30mくらいにはなる。名前はスダジイだ。花の色は萌葱色で、遠目に見ると陽光を反射して照り輝くように見える。

大木となると幹には縦に割れ目が無数に入って、風格ある皺となる。スダジイとは爺の異名か? その木立の上っ面は一面の輝き。スダジイが多い山はひときわ目立って初夏らしい。

室内から屋外へ出るとスダジイの匂いが漂っている。上から降ってくるかのように鼻孔を圧する。近くに木がなくても漂白剤やプールの消毒剤のような臭いは迫ってくる。あの青臭さは、男だけが発するある種の液体に似ている。

スダジイが終わると次は栗の花が咲く。スダジイより長めの穂状の細かい花。同じような臭いをプンプンさせて自己主張する。わたしは初夏らしくて悪くない匂いだと思うのだが、嫌いな人は多いらしい。

(花の女王薔薇も香りではスダジイにはかなわない。その臭いに圧倒されて、薔薇の匂いは跡形もないだろう)
柑橘系花よ無数の香り立て [2015年05月12日(Tue)]

fumihouse-2015-05-12T18_47_53-1-thumbnail2.jpg ショートヘアーの洗い髪
 蜜柑のもとに見えしとき
 花は甘い香無数咲き
 君は花みて麗しや

 すべる柔手は花弁なり
 雄しべは雌しべ取り囲み
 ライムライトの春の実に
 君は染まりて楽しげよ

 わがこゝろ過去思ひだし
 その花のもと触れるとき
 はしゃぎし恋の盃を
 君と語りて酌みしかな

 ラグビーボールや白き花
 辺り一帯常緑の
 君と酔ひたし花の香に
 五つ花弁をぽろり落つ

もちろん、島崎藤村の名歌『初恋』のパロディだ。蜜柑の花は柑橘系。木立に花が開くとき、意外とそれはうす汚い。咲く前楕円の玉がいい。柚子や金柑も含め、柑橘系の花盛り。なぜか今どき台風一過、夕刻の太陽がまぶしい。
ツツジ散る躑躅しては残骸を [2015年05月11日(Mon)]

fumihouse-2015-05-11T18_59_16-1-thumbnail2.jpgツツジが咲いている。無様に残骸をさらして咲いている。咲いているのではなくて、ただ落ちていないだけだ。

赤や桃色、白に紫、橙、黄色、斑入りのものまであった。家の花壇や垣根に多く使われ、色濃い緑のもとになる。公園にもおなじみの植物。盛りだった一週間前までは、向かうところ敵なしという風情であったのが、敗残兵のようにしわくちゃに汚れて惨めったらしい。醜態をさらす今時分には「躑躅」と表現するにふさわしいと思うのだ。

躑躅を音読みすると「てきちょく」だそうだ。歩みが進まずもがくこと。躊躇してためらうこと。行きつ戻りつすること。ツツジの残骸が枝と葉に残っている姿は繁栄していたあの頃を寂しく思い出させる。そこまでして敗残の姿をさらすことに無常を感じてしまう。ツツジたちは繁栄を忘れられず落ちることにためらいを感じている。

それに反して、桜の花の潔さはどうだ。開き初めて数日で満開を迎え、開いたそばから散っていく。花が吹雪と散っていく。薄紅の透明感のある落花が地面や水辺を染めていく。落ちたあとも後腐れは感じない。キンモクセイも落ち際が潔いけれども、桜の美学にはかなわない。

(咲き誇ってこの世の春を満喫していた頃のツツジたちは瑞々しくて艶やかだった)
愛しひと一夜明ければ王女なり [2015年05月10日(Sun)]

fumihouse-2015-05-10T18_30_08-1-thumbnail2.jpg振り返っても愛しいあの人はいない。王女は自分のことを目で追ってくれていても、抱きしめて熱いキスを交わすことは、もうない‥‥…。ジョー・ブラッドリーが感じた空虚さを、見終わったわたしも感じていた。

アン王女は、二度とあり得ないローマでの休日を楽しんだ。その24時間のせいで侍従や王国の外交官たちはヤキモキし、彼らの犠牲の上に成り立った生涯唯一の夢と冒険であった(古代ローマでは闘技場で戦って命を落とす剣士の犠牲の上にローマ市民が楽しんだことが、Roman holidayの語源となったようだ)。ジョーと交わした仮そめのロマンス。映画『ローマの休日/Roman Holiday』は、題名が懸け言葉になっている。

アン王女の魅力はオードリー・ヘプバーンの魅力。満面の愛らしい笑み、高貴な神々しいまでの笑み、抑えた気高い笑み、喫煙初体験の澄ました笑み、髪をショートにした会心の笑み、ジェラートを食べ歩いたときの微笑み、ジョーとカメラマンが和解したと知った時の笑み、秘密警察と戦って逃げたあとの凛々しい笑み………。すべての笑みに誰もが惹かれる。

魅力的なのは歩いたり走ったりする姿にもある。王族の高潔な歩み、生まれて初めて街頭に出て小躍りして駆ける様子、小走りにジョーに寄っていく姿、真実の口から後ずさる可愛らしさ、交通違反で警察に捕まったときのしおらしい歩み………。オードリーのすべての仕草に妖精が宿っている。

ジョーはアンとのデートを打算から始めた。単に特ダネで王女さまの市井でのはしゃぎぶりを記事にして売りたかった。やがて打算が愛へと変わるうちに、彼は自分自身が許せなくなる。彼女への愛おしさと打算との間に立って苦しむジョーの表情がいい。

アンがジェラートを食べるスペイン坂のシーン。時計がズレている(ロケの時間がズレている)のは有名だ。一連のシーンなのにカットごとに、12時35分、14時45分、16時55分とズレまくる。CGがないあの頃ではやむを得ないのかもしれない。そんなことは抜きにしてステキなシーンである。坂の下からの仰角の映像が素晴らしい。編集から上映までの時間的余裕がなかったせいなのかもしれないが、そんなアラは監督にはどうでもよい些末なことだったのだ。

現実離れした空想冒険恋愛の映画にわたしは酔った。荒唐無稽な虚構の話であり、オードリーの永遠の美があるからこそ、もう60年以上も人びとに愛されてきた物語なのだ。
足指の動きで変わるこの歩き [2015年05月09日(Sat)]

fumihouse-2015-05-09T08_57_18-1-thumbnail2.jpgわたしの歩きが変った。質的に変化した。左足指で地面をグリップできるようになった。左右のバランスがとれ、長く長距離を歩いても疲れにくくなった。

昨年秋にスロウ・スクワットをしている時に妻から受けた指摘がきっかけだった。右足指はがっちりと床に付いているのに、左足指は力なく置いたままだと。言われてみればそうだった。足指の分離を試してみる。指をひねる。親指を奥にやり、他の指を手前に引く。そのとき引きずられて小指は外に広がる。次は反対向きにひねる。右足は簡単に広がるのだが、左足には無理がある。

その日からトレーニングが始まった。とはいっても簡単なことだ。風呂上がりに足指を上下にひねることを10回。次は一方向に、上、下を繰り返して10回。ただこれだけのことを毎日やったら、変わった。

早足するときに左足指が自然にグリップできる。靴を履いていても地面をつかんでいる感覚がある。左右の足の運びにリズムがでる。歩幅も無理なく大きくできる。いま思えばそれまでは足指の付け根を無理やり折り曲げて早足していたような気がする。長く歩いても疲れが少ない。歩くことが好きになった。さらに、扁平気味のわたしの足が構造的に変化するのではないか、と期待している。
よみがえる遠い記憶の出会いあり [2015年05月08日(Fri)]

fumihouse-2015-05-08T18_08_30-1-thumbnail2.jpg思いがけなく記憶が蘇ることがある。

歩きながら気になったモノに目を凝らしているときに。車に乗って行き過ぎる景色を眺めているときに。道行く人の後ろ姿を見て、あっあの人に似ていると思ったときに。眠りから覚めてまどろんでいるときに。

脳の奥にしまい込まれて、すっかり忘れていた事柄や他人の記憶。消されてしまったわけではなく、単に長らく思い出さなかっただけで、脳の記録としては残されていたもの。何かが縁となって突然思い出されるのは、記憶というものの不思議。

利害得失にかかわるものではない。忘れたままでも何ら影響はない。けれども、あの出来事やあの人に出会えて懐かしいような感じが、少し。この場が過ぎると、また深い底に沈んでもう二度と出てこないのだろう。

小さな思い出さん、こんにちは。そして、さようなら。
福島の心根やさし良い心地 [2015年05月07日(Thu)]

fumihouse-2015-05-07T18_41_47-1-thumbnail2.jpg先日の福島への旅で、感心したことを2つ書く。

投宿のホテルが郡山駅近くだったものだから、磐越西線を使って郡山から会津若松へ向かった。新緑が深くなる高原を列車は走った。猪苗代湖の近辺、磐梯山の麓、会津若松の近郊。どこにも田畑がたくさんあった。耕作放棄地がないばかりか、どの農地も丹念に耕してあった。角っこも万遍なく丁寧に耕してあるのが目に付いた。福島の人びとの誠実さや我慢強さを象徴しているように感じた。

もう一つは郡山駅ナカのトンカツ店。チェーン店のとんかつ和幸に入った。アルバイトであろう若い女の子が接客してくれた。いらっしゃいませ、と明るい笑顔で迎えてくれて席に案内される。注文をとる時の態度や言葉づかいも申し分ない。かといってマニュアル化された堅苦しさはなく、彼女は穏やかにかつ爽やかに応対してくれる。話すスピードは少し遅いふうだから、初々しい感じを失っていない。

一人客、観光の家族連れが次々と店に入ってくる。もう一人の同年代の彼女も同様に感じが良い。彼女たちは客に席をすすめ、レジに立ち、心のこもった挨拶で、またのお越しをお待ちしております、と送り出す。皿を両手に持って配膳するときの歩み、背筋が伸びて実にバランスよく美しい。去った客のテーブルを片付け、席を整え清める。会釈は斜め30度、送り出しのときは45度になる。顔を上げたときに目を反らさずに、客の目を柔らかく笑顔で見つめ返すことができる。厨房に入るときは「入ります」と声を出し、衝突を避ける。それも気持ちがよい。

支払いの時、美味しかった、二人とも接客が素敵だ、と正直に褒めたら、はにかんだ笑顔で、ありがとうございます、と素直に礼を言う姿が可愛らしかった。一日歩き回っては疲れた体が生き返る心地だった。

(会津若松市内で鮮やかに咲いていたシャクナゲの花。彼女たちのように凛々しく清楚に咲き誇る)
楽園にキスを重ねて君とボク [2015年05月06日(Wed)]

fumihouse-2015-05-06T19_05_00-1-thumbnail2.jpgシネマはパラダイス。映画『ニュー・シネマ・パラダイス』は、映画がレジャーの頂点に立っていた頃の物語である。映画という媒体を通して少年トトは育った。戦争で父を失い、映画と映写技師アルフレードを父親代わりに育ったといってよいだろう。その揺りカゴこそ、教会兼映画館の「シネマ・パラディーソ」。そして火事の後建て替えられた「ヌーボー・シネマ・パラディーソ」。

テンポのいいイタリア映画だ。口から生まれてきたと称されるイタリア人のノリの良さも存分に発揮される。シチリア島の貧しい寒村にあっては映画が大きな楽しみだった。まさにパラダイス(楽園)。映像を前に人びとは減らず口をたたき合う。そんな環境に主人公トトは育った。父の顔は忘れた。戦争未亡人となった美しい母は懸命に二人の子を育てようとする。妹はいい子だ。トトはやんちゃで映画館に入りびたる困った小学5年生だが、彼にはとびっきりの愛敬がある。

青年となったトトは美少女エレナ(ニコール・キッドマン似の美人)に一目惚れする。彼女に告白する勇気も、映画とアルフレードを通して得た。恋が実り相愛の間柄となって恋に溺れた。兵役を終えて戻ってきたものの、エレナの行方は知れず、トトは彼女の面影を引きずりつつローマに出た。「人生は映画とは違う、もっと困難だ」と言ったアルフレードの言葉どおりに郷愁を断ち切って仕事をした。

トトがシチリアに帰る日が来た。30年ぶりだった。アルフレードの葬儀に参列するため帰ってきたのだった。すでに老年にさしかかり、ローマで映画監督となって功なり名を遂げている。

葬式の後、トトはアルフレードが残していた形見を確認した。あの頃、教会の司祭が検閲して切らせていたフィルムをつなぎ合わせたもの。愛のクライマックスシーンが集められている。躊躇しながらの口づけ、磁石のN極とS極が一瞬で吸い付くようなキス。軽いタッチのキス、待ち焦がれた末のキス。愛する二人が交わす唇と唇、口と口。

トトはかつて観た映画を思い起こすだけでなく、過去にあった自身の愛の軌跡を思い出し、愛しい人と何度も唇を重ねた結果として、今の自分があることを改めて思い知る。生活に疲れていたトトの気力が蘇っていくラストシーンが印象に残る。
壮大なウソとロマンのパリなれば [2015年05月05日(Tue)]

fumihouse-2015-05-05T23_14_48-1-thumbnail2.jpg北白川右京は小説家。ど派手なファッション、キザな仕草と言い回し。しかしイヤミさを感じさせないのは温かい人柄があるからだ。映画『王妃の館』(原作浅田次郎)は笑える喜劇。そして生きることはステキだとじんわりと感じつつ、いつの間にか涙をぬぐう。父母を思う孝行息子とその子を授かって幸せをかみしめる父母の物語だ。ひと癖もふた癖もある登場人物たちを結ぶ重要な役割を果たすのが北白川右京であった。

舞台はパリの超一流ホテルのシャトー・ドゥ・ラ・レーヌ。右京には小説の神様が突然降りてくる。「来たキタキタ」と右京は急ぎ足で原稿用紙に向かう。万年筆は赤く太いラインの入った個性的なやつ。急ぎつつも丁寧にキャップを開ける。その仕草に、丁寧に生きている右京(役者水谷豊)の生きざまを重ねて感じることができた。トランス状態に入った右京は怒涛の勢いで、太陽王ルイ14世と息子プティ・ルイ、愛妃ディアナの物語を書き綴るのであった。

意図的にダブルブッキングさせられた二組の日本人ツアー客たち。片や豪勢な200万円ツアー、もう一方は20万円のエコノミー。両者は秘密のポジとネガ。真と嘘の世界に投げ込まれた訳ありの客たちは戸惑い、怒る。やがて楽しみ、心を打たれ、祈り、感謝する。

明らかに映画『テルマエ・ロマエ』の影響を受けたパクりだ。パリの街並み、衣装が美しい。確かに17世紀のパリの習俗を美しく描いてはいるものの、セットは書き割りの学芸会のようで、しかも日本人俳優がかつらをつけて演ずるからウソを絵に描いたようなものだ。一方でツアー一行はベルサイユ宮殿やルーブル美術館のホンモノを使ってロケしているだけに見応え十分だ。プティ・ルイを市井の人々が讃える歌は『レ・ミゼラブル』の民衆の歌をパクっている。

≪常に新しいものを創造していきたい。それには旅を続けることが大切ですね。旅先の異空間に身を置き、非日常の時間を過ごすことで、アイデアが生まれてくるんですよ≫ (浅田次郎の言葉『旅の途中/浅田次郎&水谷豊対談』JALの機内誌SKYWARD5月号より)

怒りと笑い、スリルと涙。何が嘘で何が真実か、ということなどさて置いて、アイデア満載のステキな物語世界にひたることができた。
残雪の会津富士なり悠然と [2015年05月04日(Mon)]

fumihouse-2015-05-04T22_06_29-1-thumbnail2.jpg会津磐梯山はいまだに雪を残していた。新潟・魚沼方面に屏風然とそびえる雪山と青い山並み。夏が来てしまったかのようなスカイブルーと刷毛で掃いた雲。新緑はまだ浅く、日々刻々と姿と色を変えゆく生命力に満ちている。若草色、黄緑、若苗色、苔色、草色、薄緑、浅緑。広葉樹の森を高原列車に乗っていくのは楽しい。目を地上に転ずれば、タンポポやツルニチニチソウの群落が走る車両からもよく見えて、それぞれ黄や青紫色で主張しているのがわかる。

磐梯山の山頂から猪苗代湖方面に山頂から深くえぐれている。雪がそこに厚く残って、刀で切り刻んだ切れ込みのようにも見える。会津人が感じてきた悲哀を思った。

会津の武士たちは1世紀半ほど前から数十年にわたり、戦い敗れ恥辱を受け入れ忍従し故郷の雪辱をすすぐために難に耐えてきた。江戸幕府に忠節を尽くし官軍(会津では西軍という)に敗れたが故に味わってきた辛酸。会津若松市内のお土産屋さんにあったポスター「会津物語」には次の一節があった。

  哀を忍び、哀を超え、
  会津人は凛然と、
  暁色堪える東の穹(そら)に、
  豊かに浩(ひろ)がる未来を望む。

会津の「会」は、出あう、行きあう、集まって、物事の要を表す。そして真理を悟ること。「津」は何かといえば、人や物が集まる重要なところ、船着き場。そして豊かに潤うこと。人間の願いを集約させたこの土地に不幸が集まった。しかしかの土地の人々は負けじと頑張った。そして今がある。

大型連休に全国から集まった数万の観光客と思いがけない暑さに翻弄されながら、私の会津初訪問は終わった。

(全国唯一の赤瓦で葺かれる鶴ヶ城の屋根。当初は黒瓦であったのが寒さで染み割れるのを防ぐために江戸時代に技術革新した結果赤瓦となったという。写真はその本丸のたもとで行われる会津十楽の幟)
パッションを音に表し熱狂の [2015年05月03日(Sun)]

fumihouse-2015-05-03T21_55_21-1-thumbnail2.jpg東京国際フォーラムでこの連休中ひらかれている「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」。今回のテーマは『パシオン PASSION』。従来は作曲家や時代ごとにテーマが絞られていたが、とうとうパッションときたか。熱情なくして音楽は作れない、演奏だって熱なくして味わいはない。

それぞれのプログラムごとに、祈りのパシオン、恋のパシオン、いのちのパシオンに分けられて提供されている。パシオン(パッション)とは、心の叫びであり、魂の源流であろう。恋する者、愛する者の幸せを祈り、燃える恋に熱情を傾け、恋に身をやつす。喜怒哀楽に色なす日々と思いがけない人との出会い……。作曲家にしても次のとおり何でもこいだ。

バッハ、チャイコフスキー、シューマン、ベートーベン、ヘンデル、ブラームス、リスト、ドビュッシー、スメタナ、ファリャ、シューベルト、ブリテン、プッチーニ、モーツァルト、ヤナーチェク、ワーグナー、マーラー、ドヴォルザーク、ハイドン、ショパン、ヴィヴァルディ、メンデルスゾーン、サラサーテ……。

パッションの語源はイエスキリストの受難。十字架によってかけられて、民衆救済のために復活した一連の苦難は、熱情なくしてはあり得ない。そうした受難を劇化したり、音楽にしたりすることがキリスト教文化を大きく美しくしてきたことは間違いない。

(女性の透き通った声で魅惑のコーラス。天使が舞い降りて歌ったかのようだ)
連休に春の暑さもゴールデン [2015年05月02日(Sat)]

fumihouse-2015-05-02T18_58_43-1-thumbnail2.jpgゴールデンウイークは夏を連れてやってきた。夏が黄金の暑さとともにやってきた(5月にしては、という意味だが)。出雲地方で28℃。全国的には30℃の真夏日を記録したところもあるかもしれない。暑い暑い。十日くらい良い天気が続いたのはありがたいが、熱がこもってきたとみえる。空は埃っぽくて靄がかかった状態のままだ。

豪勢に海外旅行に出かける人、国内旅行でも長丁場のツアーに行く人は、もう昭和の日あたりからお楽しみが始まっていることだろう。ツアーがない人は私のように、映画を観たり(浅田次郎原作『王妃の館』をみた)蔵寿司に行く人もいる。農作業にいそしむ人もたくさんおられる。

移動距離の長短、行き先の遠近、楽しみの大小を問わず、ゴールデンウイークは日本中をウキウキさせてくれる。この暑さと日光で日焼けした姿が連休明けには見られることだろう。くれぐれも熱中症には気をつけて!
スプリングフェアで買ったミニトマト [2015年05月01日(Fri)]

fumihouse-2015-05-01T18_08_57-1-thumbnail2.jpg列車に乗り込んだ今の私の手元には、野菜の苗があります。ミニトマトと小玉のスイカ。ミニトマトは赤い実がなるのと黄色いのです。

4月29日昭和の日に行われた『邇摩高スプリングフェア2015』で売られた苗の余り。私も当日買うことは買ったのですが、追加して家族から頼まれたのです。さらに友人から頼まれた苗もあるので、列車にて引き渡す予定になっています(結構いるんです、松江方面から列車で通勤する人が)。

県立邇摩高等学校は会社を設立しました、模擬会社ですが。社名は「ファイブ・スター・カンパニー」。5つの系列(ビジネス、生活、文化、福祉、農業)ごとに生徒たちが光り輝く姿をイメージしつつ、地域に貢献する職業人となる訓練のために生徒主体で企画運営を行います。

今年度最初の企画が、スプリングフェア2015。天候にも恵まれ、多くの方に参加いただきました。たくさん買ってもらったことに感謝しています。テレビや新聞各社からの取材も盛んにあったりして、とても喜ばしいことでした。次回はサマーフェアを7月に予定しています。暑い盛りでしょうが、ぜひお越しください。

(邇摩高校の藤棚。先週まではほんの蕾だったのにあれよという間に満開となった)