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防災の警告出でて年が明く [2014年12月31日(Wed)]

fumihouse-2014-12-31T14_02_36-1-thumbnail2.jpgしまね防災メールによると、強風と高波及び大雪に関する島根県気象情報が出ています。明日の元旦にかけて、強い西風が吹き波が高いうえに、2日にかけて強い冬型の気圧配置(氷点下30℃以下の寒気が流れ込む)となって大雪や竜巻となるおそれがあるとか。昨日までの4日間、穏やかな天気が続きましたから残念な気分です。

朝のうちから雨が降っています。外の気温は7℃ほどで、まだ寒いというわけではありません。しかし年明けを迎える今夜はグンと冷えて雪の心配をしなくてはならないかもしれません。どうぞご自愛ください。2015年の未年、よい年をお迎えくださいね。
過ぎていく資産か負債か時間みて [2014年12月30日(Tue)]

fumihouse-2014-12-30T21_20_56-1-thumbnail2.jpg「時間資産」という考え方、「時間負債」という考え方があるそうだ。

生産性を高め効率的に管理することのできる時間が「時間資産」。戦略的に管理することで未来の時間を節約するために行動する。準備に十分時間を費やせば、その後は余裕をもってさまざまな事柄に対処できるというものだ。

例えば、しっかりした報告用のフォーマットを作ってしまえば、必要事項を書き入れるだけで簡略に報告書ができる。仕組みを作ることは、将来の時間を節約することになっていく。汎用性もある。スケジュールを綿密に決めておくのも後々の時間資産となっていく。

反対に「時間負債」とは、先の時間を食いつぶし、結果として時間貧乏になりがちな今時点の行動のことをいう。

例としてあがっているのがメール。メールが負債?と思いたくなるのであるが、自分からメールを送れば返信メールを読んだり、さらに何度かのやりとりが必要になる。よってすべてのメールは小さな負債であると。SNSの投稿も同じことが言えるのであろう。

負債だからといって悪いことばかりというわけではない。地域貢献やボランティア活動、趣味活動もすべては時間負債なのだ。役にたったり楽しんだりすることは、価値あるステキなことだ。一方でそのことがたくさん時間を食うことを忘れてはならない。

今年も残すところ1日余り。どちらかと言えば時間負債のほうが多い一年であったかもしれないが、なんとか無事に過ごせたことに感謝している。
歳末に人も雲とも動く空 [2014年12月29日(Mon)]

fumihouse-2014-12-29T11_16_58-1-thumbnail2.jpg27日土曜日、28日日曜日の2日間はこの時季としては奇跡のような晴れが続きました。今日も朝から暖かく気持ちのよい天気です。今夕あたりから崩れ始めると予報されているので残念ですが、今の天気は買い物や片付けごと、掃除にはちょうどいいようです。

その代わりといっては変ですが、正月三が日は雪マークがついています。予想最低気温はマイナス1℃で寒い地域に比べれば大したことはないものの、今現在の気温10℃からすると寒さに凍えるでしょう。

特に北陸や東北など豪雪地帯では、今月上旬に各地を困らせた大雪に匹敵する雪が降るかもしれないということです。事故がないように願っています。油断は禁物です。

(写真は1時間前の出雲縁結び空港の空。澄み切ってはいないものの、爽やかな歳末の空)
仁義とは任侠にのみ有るものよ [2014年12月28日(Sun)]

fumihouse-2014-12-28T23_38_44-1-thumbnail2.jpgヒットマンが息を潜める。ターゲットが表に出てくるや突進し、火を噴く銃口。胸と腹が鮮血に染まり悶絶する男。荒々しい映像は迫真の演技に加えて、手持ちカメラの力によるところが大きい。揺れ動く画面は、日陰を這い回り闘争する男たちが常に置かれた不安定な立場や心理状態の象徴と言える。

性根がすわっている男たちの生きざまが、目つきや立ち居振る舞いにどのように描かれているか。そして死にざまはどうなのかという観点から、映画『仁義なき戦い』を観た。ところがどうだ。性根のすわるのは二人の男だけ。一人は主人公の広能(菅原文太)。もう一人は刑務所で広能と兄弟分となった若杉(梅宮辰夫)。あとは性根がすわらないか、性根の腐った悪い奴らばかりだった。

突然命の危険が迫ったときヤクザも恐れる。度を失い取り乱す。自分が可愛くて自己中心的に考え行動する者がヤクザと呼ばれ、多くは暴力団として徒党を組む。弱きを助け強面の悪をくじく任侠の志を保った者だけが、堂々と腹が据わった振る舞いを貫ける。菅原と梅宮(こちらは志半ばにだまし討ちされたが)はスカッとする任侠者を演じた。

反面、ケチで悪がしこいヤクザの代表が、金子信雄演じる山守親分だ。組の若い者に土下座してまで卑屈に助けを乞う。もうお前しかおらんと泣き落として、若い者を思うがままに丸め込み君臨する。セコいが恐ろしくも狡猾。金儲けとみるや信義など直ちに捨て去る変わり身の早さ。任侠とは対局にあるヤクザの姿が面白い。

原爆から復興しつつある広島市と旧軍人が多い呉市を舞台に物語は進む。山守組と他グループとの抗争、山守組の内部抗争が血なまぐさい。壮絶で陰惨な死を描く。この映画が広島ヤクザ戦争を描いて大ヒットした結果、広島弁のイメージは固まった。荒っぽくて怖いというイメージだ。

それでも最後の菅原文太の決めゼリフ、「弾はまあだ、残っとるがよ」は広島弁でなければ絶対に決まらないだろう。菅原の腹の据わった目が輝き、言いようのない爽快感を呼び覚ます。

実に渋い。菅原も梅宮もとても渋い。ケジメのつけかたが渋い。それは戦後の混迷期のやるせなさがもたらす要素もあるけれども、暴力をベースとしなければ生きられないアウトローが市井の一人として平凡に生きようとしても無理なんだ、という諦めのため息が聞こえてくるからこそ感じる渋さなのだと思う。

『仁義なき戦い』は名画だ。ダンディズムと男の哀愁を描いたすばらしい映画だ。かといって続くシリーズものを観るかというと、否である。殺戮シーンの残虐さが際だつからだ。観るのがつらい映画である。
さあ歌おう英語の歌を日本歌に [2014年12月27日(Sat)]

fumihouse-2014-12-27T23_31_35-1-thumbnail2.jpgザ・カーペンターズが歌う『シング(Sing)』がラジオから流れてきた。カレンのクリアで低めの声を聴くと、英語という言語かシャープに響いて聞きほれる。透きとおった高音部は、甘美でロマンチックで情緒ある声だ。

歌詞はシンプルにして純な感じ。気持ちがくじけているのだろうか、悲しみに打ちひしがれた友を励ます歌。純粋な思いやりがあふれている。

 Sing, sing a song
 Sing out loud
 Sing out strong
 Sing of good things not bad
 Sing of happy not sad.

訳してみれば、こんなふうになる。
 歌おう、歌をうたおうよ
 声高く歌おうよ
 力をこめて歌おうよ
 好ましいことを歌おう、残念なことではなく
 幸せを歌おう、悲しみではなく

残念ながら、このままではメロディに合わせて歌うことができない。音節が多すぎて音程と対応させられないからだ。その点、英語の音節は少なくて単語がクリアだから言葉を詰めることができる。日本の歌は詞を詰め込むことができなくて歌えない。短歌のように、さらに俳句や川柳のように情景や心情を深く汲み取って意訳しなければならない。まさに「詩」でなくてはならないのだ。そこでカーペンターズの「Sing」の冒頭を詩として構成してみたい。

 さあ歌おう
 声を張って
 弱気を消し 幸(さち)思いて
Sing, sing a song/Sing out loud/Sing out strong/Sing of good things not bad/Sing of happy not sad.

なんてむずかしい! 言葉を尽くせないつらさがある。日本語は難しい。
誉めてみよういいね!といって自信つけ [2014年12月26日(Fri)]

fumihouse-2014-12-26T18_33_25-1-thumbnail2.jpgACジャパンの広告をみた(23日付けの新聞各紙)。題して、『おとなも、ほめよう。』。

  「いいね」って言われると、自信になる。
  「よくやった」って言われると、次もがんばれる。
(中略)
  そばにいる
  あなたのひと言だから、
  チカラになる。

力になってあげたい。力になってほしい。チカラになるのはいいけれど、差し出がましいことはない? 躊躇することないだろか? そう思われるときもあるかもね。

でもいいじゃあない? 謙虚にかつ勇気をもって接すれば、そんなにハズレはないものさ。やりすぎと思われたとしても、大丈夫。次は必ずヒットするに違いないからね。

そんなことほめたら、イヤミだなんて思われない? 周りからおべんちゃらだと非難されない? 大丈夫。間髪を入れず、すかさずほめる。「いいね!」の一言でいい。必ず相手は上気する。気持ちは伝わるさ。

いいね!は承認の合い言葉。だからフェイスブックが人気になるんだよ。いいね!は気持ちがいいんだよ。いくら気持ちが良くてもね。やり過ぎはいけないよ。中毒症状、身と心を壊すもと。
お天気と気分は比例下を向く [2014年12月25日(Thu)]

fumihouse-2014-12-25T21_44_13-1-thumbnail2.jpg雪道を歩くとき視線は下にむく。なぜならば足元が不如意だから。
適度にうっすら降り積もって地が凍っていないときにはサクサク歩ける。視線は3mほど先にある。吹雪いてでもいなければ目線は高い。
いったん一部溶けてまた凍ったときなど雪面がザクザクならば1m先まで視線は近づく。
ツルツルのときは危険だ。靴の接地面を常に見ていかなければならない。だから視線は0m。
雪はなくてもブラックアイスバーン(透明な薄い氷が道路を透けさせて状態)のときは注意して。危険この上ないから、腰を落として歩くのがよい。
北西の風が強く吹き、寒さを避けるためには背を丸める。おのずと視線は下にいく。

精神的な状態によっても視線は違う。
晴れ晴れと気分がいいときには目線は高い方にいく。若干上を向くか、せいぜい水平か。
安全確保のために下方に目線を向けていても、顔は起きている。
深い考えごとをしたり、悩んで迷っているとき。下を向きがちで猫背にもなる。
冬の寒いころ誰もが悩んでいるように見えるのはある面仕方がない。
雪や氷で危険を感じることがなければ視線は高くしておきたい。
気分の滅入りがちな冬場には、視線を高くして上を向いて歩きたい。
悲しみごとが薄れるさ。悩みの種にアイデアもわいてくる。名は体を表し、体は現実を変えるはず。
悩んだら前を向こう。迷ったら何かに着手してみよう。
未来は必ず開けるさ。過去は必ず生きていく。
復活の狼煙を上げよ太陽だ [2014年12月24日(Wed)]

fumihouse-2014-12-24T18_25_14-1-thumbnail2.jpg朝が暗い。寒いことに暗いのが加わって、朝起きるのがつらいこの時季。国立天文台の暦計算室のサイトで松江の太陽の出入りを見てみると、今日12月24日は日の出が7時14分(そういえば今夜はクリスマスイブ)。今朝のように冬型の気圧配置で曇り少々雨の朝には、いつまでも暗いのも当然だ。

大晦日から来年の1月14日までが7時17分。真ん中をとると1月7日がもっとも暗い朝になる。冬至過ぎてからさらに暗くなる。寒さはもっと厳しくなるわけで、気分まで暗くなるのを防いでくれるのは、正月が賑やかなおかげだ。

一方で日の入りはというと、今日の入りが17時ちょうど。11月30日から16時55分になり12月12日まで続く。真ん中をとって12月6日が最も早く夕闇がやってくるとしよう。夕方の太陽はすでに復活の狼煙をあげている。

最も暗い朝と最も暗い夕方のギャップがひと月。冬至はちょうど両者の中間に位置する。地球と太陽との不思議な運行。人間界の騒ぎにも関わらず天体は不滅で永遠の動きを止めることがない(もちろん人間の一生の尺度では、という条件付きではあるが)。

(早春の朝に咲く木蓮の花。太陽が上る直前にキリリと春を楽しんでいた)
手に届け天の月から紙の月 [2014年12月23日(Tue)]

fumihouse-2014-12-23T22_37_48-1-thumbnail2.jpg映画『紙の月』で梨花(宮沢りえ)は三日月を爪でこすった。窓ガラスに張りついた三日月は簡単にはがれて落ちた。月は遠くにあって届かないように思っていたのに、意外にも近くにあった。しかしそれは小さくて薄っぺらでつまらないものだったのだろうか。

彼女は4年ほどかけて銀行の臨時雇用から契約社員に昇格して喜んでいた。ささやかな喜びを共有する相棒に夫はなってくれない。彼女は失望感を感じながら常にオドオドと暮らしていた。そこに現れたのが大学生・光太(池松壮亮)。ズケズケと彼女の領域に踏みこんでくる年下のかわいい男の子。彼女は喜びをともにする相棒を見つけた。快楽におぼれ、静かに転落していく。

その相棒と時間をともにするため、梨花に必要なのはカネ。梨花が顧客のカネを横領して、悪の一歩を踏み出してしまうと横領は超スピードでまっしぐらに走り出す。葛藤を抱えつつも、彼女は知恵を尽くして若い恋人と遊び暮らすためのカネを捻出していった。カネは彼女にとって単なる記号でしかなく、実態のないペラペラなものでしかなかった。

横領の金額が増し手口が巧妙になればなるほど、彼女は変わっていった。金銭感覚がマヒし生活が崩れていくにもかかわらず、おずおずとした態度は消え、梨花は背を伸ばし胸を張って堂々と過ごすようになった。虚飾の生活をいきいきと送るようになった。梨花の女学生時代、父親の財布から5万円をくすねたが、そのとき目的は果たせなかった。それを埋め合わせるかのように、今は顧客のカネを蕩尽している。

ペーパームーンは紙の月。朝や昼間の澄んだ空に見える白い月。淡いようであっても実態は38万キロ向こうにある巨大な天体だ。その巨大さゆえに、かえってペーパームーンに見えている。手の届くように見えるのは錯覚でしかない。破滅するのは目に見えている。それでも梨花は全力で走った。若い彼氏が自分に飽きてしまっても、なおも全力で溌剌と疾走した。破滅への道だということはわかっていても彼女は走り続けたのはなぜだろう。
長く生き古来稀なり壽に [2014年12月22日(Mon)]

fumihouse-2014-12-22T17_32_14-1-thumbnail2.jpgある人が古希の祝いで同年の人と祝杯を挙げたと聞いた。備忘録として順番に記してみたい。

【還暦】数え年で61歳。60年で同じ干支(えと)に還ることから還暦。十干と十二支の組み合わせで60通りなのだそうだ。「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」で以下同じことをくりかえし、十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」のくりかえし

【古稀】数え年で70歳。杜甫が「人生七十古来稀なり」とよんだことに由来。

【喜寿】数え年で77歳。「喜」の草書体は七十七となるそうな。

【傘寿】(さんじゅ)数え年で80歳。「傘」の略字が八十に見えることから。

【米寿】数え年で88歳。「米」を分けると八十八になる。

【卒寿】数え年90歳。卒の旧字「卆」は縦に読むと九十。

【白寿】数え年99歳。百から一を抜くと「白」で99になるという算数から。

【百寿】数え年100歳。人の寿命の長さの最上限だが、いまや百歳以上の長寿者は5万人を大きく超える。

元気で長生きすることは、誰もの願い。さらに健康寿命を長くしていきたいものだ。そして当の古希の人も現役で頑張っている。大したもんだ。そして、あと30年、まだまだこれからですよ。
傷心の女心と師走空 [2014年12月21日(Sun)]

fumihouse-2014-12-21T11_13_24-1-thumbnail2.jpgユーミンの『12月の雨』が、カーラジオから聞こえてきた。この感傷的なバラード。軽快ではあるが、傷心の女心を歌うクリスマスソングでもある。

  時はいつの日にも 親切な友達
  過ぎてゆくきのうを 物語にかえる

時間は傷ついたひとの友だちになれる。つかず離れず、いつの間にか時がたてば、心の傷は治らないまでも、苦しみは徐々に和らぐ。冬景色を窓の内からボンヤリと眺めている、思い出にひたりながら。

12月が過ぎていく。傷心のひとも、喜びいっぱいのひとも。そもそも凶事ばかりのひとはいない。同様に慶事ばかりもあり得ない。禍福はあざなえる縄の如し。一喜一憂するのは人の常。それでも弛まず緩まず、前に進もう。
カレンダーことしの役を終えるとき [2014年12月20日(Sat)]

fumihouse-2014-12-20T23_31_36-1-thumbnail2.jpg日記帳や手帳、カレンダーを新しいものにかえる季節になった。

近頃とんと日めくりカレンダーを使わなくなった。月日を中央にして、陰暦の月名、六曜、月齢、干支、格言など盛りだくさんな内容だ。白地に字の色は黒か紺、たまに赤色だ。

今日も一日無事に過ごせた、あるいは明日もいいことがあるようにと、農家のおばあさんが毎日拝むようにして前の晩か早朝にめくるというのが、日めくりカレンダーのイメージだ。一日一日を大切に、たいていは例年どおりに日々が流れていく農村のイメージだ。一覧性はない。

月めくりのカレンダーは今の主流である。企業の宣伝用にたくさん配られるし、アイドルやデザイナー物も無数に売られている。壁掛けがあり、卓上式のものもある。予定を書き込む機能性を重視したもの、専門家による目を見張るような写真、楽しいデザインものもあって楽しめる。前月と次月が左右に小さく印刷されて一覧性を出しているものが大半だ。「日本で47番目に有名な県。」「定休日じゃない。人がいないだけです。」など自虐的ネタで島根の名を売った吉田くんのカレンダーも月めくりだ。

一年通しのカレンダーもある。最も機能的かもしれない。大きな紙に写真やイラストがデザインされて、一年全体が見通せるようになっている。銀行で無料で配っていることが多い。2ヶ月後、3ヶ月後の予定を考えるときの材料となる。ただし、スケジュールを書き込むには狭いし、代わりばえがしなくて飽きてしまいがちだ。

今年のカレンダーもあと十日ほどで役割を終える。今年の残りの少なさを感じて焦っているのが、わたしである。明日はガンバロー(いや明日も)。
キスしては細菌味わう広げ合う [2014年12月19日(Fri)]

オランダの研究チームが口内の細菌を調べたそうだ。カップル(たぶん男女だと思う)の場合は口内菌の構成が赤の他人よりはずっと似ている。それはそうだろう。常に生活をともにする仲(たぶん夫婦だと思う)であれば、同じ食卓で同じ料理を食べる機会が多いので当然だろう。さらにキスを交わす回数が多いほど(たぶん熱い仲なのだろう)、両者の口内細菌は混じり合う。幸せの度合fumihouse-2014-12-19T18_13_18-1-thumbnail2.jpgいと口内細菌は比例すると言ってよい(たぶん幸せだと言っておこう)。

それを裏付けるために、研究チームはさらに実験を行った。ペアの一方に目印とする菌を入れたヨーグルトを飲ませ(たぶん美味しかったろう)、10秒間のキスを交わす。相手の口を調べたところ、平均して8千万個の菌が移ったということだ。尋常でないこの多さ、菌の移動しやすさも含めて驚きの数だ。

この実験の際、アンケートをやったそうである。カップルのうち男は1日のキス回数を平均で10回と答えたのに対し、女性の答えは平均で5回だったというのがおもしろい。差し引き5回分はどこに消えたのだろうか。男は相手に与えた寄与度をより高く評価する傾向があるのに対し、女性は事実を冷徹に見ていると考えられないか。

いずれにせよ、キスという甘い愛で"寄与"し合うことは、細菌のやりとりも含めた"リスク"の交わし合いである。愛は一蓮托生なのだ。

(キレイな花には雄しべと雌しべがあるが、キスをするのは人間を含めた一部の動物だけだ)
吹きすさぶ風雪寂し停電夜 [2014年12月18日(Thu)]

fumihouse-2014-12-18T18_50_12-1-thumbnail2.jpg昨夜は停電があった。その前の晩は寒波による暴風で山陰線は止まり、3時間も列車内にとどまっただけに、ライフラインのことを考えた。

ライフラインとは本来、電気やガス、上下水道、通信など生命線となる社会基盤をいうのであるが、強風で列島が止まると鉄道がライフラインとなり、氷雪で動かなくなった車のせいで封鎖されれば道路がライフラインとなるように感じる。水没させて電話帳が消えると、ケータイは欠かすことのできないライフラインであることを思い知る。

昨夜は積雪こそ数センチだったものの、風が吹きすさび氷点下の寒い夜。乾燥した路面に雪が凍りついて怖い夜だった。

そこに停電。8時に電源がなくなって雪あかりを頼りに外を歩いた。我が家の周囲の家や街灯は消えていたものの、数百メートルのところには電気がついていた。長らく消えたままのことはあるまいと思いつつも、10分15分と経つうちに心配になってきた。4年前の松江東部の停電が3日近く続いたことを考えて心配になった。

熱源はコンロ型石油ストーブ1台とガス湯沸かし器にガス台。光源は懐中電灯が3台とLEDライトが3台、スマホの明かり。スマホの充電池は1台分しかない。

電気温水器で沸かしていた暗い風呂に入った。洗髪はしなかった。ドライヤーで髪を乾かせないからだ。風呂から上がっても明かりはつかない。心配はつのる。

電気がやっと点いた。8時50分。50分間がとても長く感じた。テレビをつけて、パソコンの電源を入れると普通の夜になった。ホッとひと息ついた。

(雪は断続的に降ったが新たな積雪はない。冬型の気圧配置が緩んで1時間前の仁摩には晴れ間が見えていた)
卒業し春は黙って行くものか [2014年12月17日(Wed)]

fumihouse-2014-12-17T19_53_12-1-thumbnail2.jpg  学校を卒業すると、
  春は黙って行ってしまうようになる。

JRが1999年に『青春18きっぷ』キャンペーンで使ったフレーズがこれです。受験、卒業式、春休み、入学式、クラス替え、春の遠足……。学生にとって春はあれこれ盛りだくさんな季節です。思い出もたっぷりと詰め込んで春は過ぎていきます。混迷と希望がごちゃまぜになった青春の時間があるのです。勤めるようになって忙しさにかまけると、「春は黙って行ってしまうようになる」のでしょうね。

でも、そうか? 
まだ寒い頃に早春の兆しを感じとり、花が咲く頃に花見の陣取りに熱中し、風が強くて桜が散れば残念がり、新入社員や人事異動で移ってきた人の顔ぶれを楽しみ、担当業務の変更に四苦八苦し、繚乱するツツジの丘に立てば風薫る……。

華やかでかつ、やるべき事もたっぷりある春が黙って行ってしまうことは、多分ないのでしょうね。

(今日は北海道近くの爆弾低気圧のせいで日本列島は大荒れ。西高東低の気圧配置と強烈な大陸の寒気によって強風と大雪でトラブルが相次ぎました。それでも合間には青空がのぞいていました)
発覚をおそれ免脱許すまじ [2014年12月16日(Tue)]

fumihouse-2014-12-16T17_28_45-1-thumbnail2.jpgNHKニュースの島根版で発覚免脱罪という言葉を知った。正式には「過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪」というらしいが、今年5月施行の「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」に定められている。島根県内で初の適用だそうだ。

アルコールや薬物の影響のもと異常な状態で運転して人を死傷させ、かつ一時逃走して時間を稼ぎアルコール濃度を下げたり、場合によってはさらにアルコールを飲むなどして判定不能にする輩を罰する意図がある。

この法律、略して自動車運転死傷行為処罰法は、たった6条からなる法律だ。

第2条で危険運転致死傷を定め、アルコールや薬物の影響下での運転、異常な高速度走行、信号無視や通行禁止道路の走行など危険運転を示し、第3条では人を負傷させたときは12年以下、死亡させたときは15年以下の懲役刑と定め、第4条で冒頭の「発覚免脱罪」を12年以下の懲役としている。第5条では程度の軽い過失運転致死傷で7年以下の懲役となり、第6条で犯人が無免許運転だった場合の刑の加重を記している。

簡潔な法律ではあるが、その定めるところの意味は重い。「誰も見ていないから大丈夫」「ちょっとならいいだろう」。そうした重大なミスジャッジが罪のない誰かの人生を狂わす。酒を飲んだときは、陽気になる、楽観的になる、気持ちが大きくなる。心していきたい。
溜飲を下げて運転楽になり [2014年12月15日(Mon)]

fumihouse-2014-12-15T18_20_59-1-thumbnail2.jpg数日前に国道9号線を松江方面に向かっていた。片道一車線の10m前には白い乗用車。速度制限50キロのところ60キロで走っている。順当なところだ。白い車の前、50mと少し間は空くがその先には車列が連なっている。

私の後ろのトラック。車間を詰めてくる。もっと速く行きたい模様。不快だ、危険だ。路側帯に寄せてトラックを先に行かせた。2台やり過ごして戻ったのだが、すぐ後ろにステーションワゴンタイプの車が寄せてきた。またまたイヤなもんだ。再び前に行かせる。

やがて片道二車線の広い道にかわると、ステーションワゴンはあれよという間に、並みいる車を追い越して消えていった。

1キロほど行くと、あのステーションワゴンが止まっている。すぐ後ろの覆面パトカーに従えられて……。

信号無視をしたのか、それとも飛ばし過ぎかはわからない。捕まるべき者が捕まる、ルールを犯す者が罰を受ける。久しぶりにそうしたまっとうな状態を見て、私は溜飲を下げた。
討ち入りで政権決めよ同じ日に [2014年12月14日(Sun)]

fumihouse-2014-12-14T15_39_25-1-thumbnail2.jpg今日は討ち入りの日。
政権党の本部に押し入り党首を押し込め人質にとり国会を開会させ傀儡となる国会議員を総理大臣に指名し、討ち入り完了・・・。いや違うちがう。

赤穂浪士は元禄15年の今日12月14日(新暦では1703年1月30日だが)深夜、吉良邸に討ち入った。五代将軍徳川綱吉は悩んだ挙げ句、浪士らを切腹させたが、斬首と違い切腹は武士の誉れ。人形浄瑠璃や歌舞伎の演目・仮名手本忠臣蔵に描かれて忠孝の鑑となった。今もなお多くの日本人の深層に生きている。

浪士の討ち入り並みに与野党逆転を狙いたい野党ではあったが、討ち入るどころか守勢に追い込まれ党首の議席すら脅かされる。今夜遅くには大勢が判明する。この選挙が今後3,4年の政治地図を決めることになるが、時間に後戻りはない。多くの人にとって後悔のない結果であってほしい。大石内蔵助以下四十七士のように後世に名を残す者は誰だろうか。
個が死んでソーシャルだけが生き残り [2014年12月13日(Sat)]

fumihouse-2014-12-13T21_29_10-1-thumbnail2.jpg電車の中でも待合所でも歩くさなかでも、多くの人がスマホとにらみ合いゲームかSNSに夢中になっています。パーソナルなコンピュータがハードとソフト両面で人間を魅了する現状があります。未だ発展途上の一時期とはいえ、勉強時間が減って学力が落ちたり、事故の危険性が高くなるということで自制を求める声も多くあります。それとは別にSNSの傾向や危険性に特化して、作家の藤原智美氏はこのように警鐘を鳴らします。

≪ネットでメッセージを発信すると、別の人からすぐに反応があります。このネット特有のスピードと双方向性は、郵便で送る手紙や日記にはない魅力です。これが気持ちを高揚させたり、快感をもたらしたりします。閲覧した人が返事をくれる。「いいね」ボタンをクリックして応援してくれて、メッセージや画像をリツイート、シェアしてくれたりする。そのレスポンスの高さが、またメッセージを送ろうという動機付けになる。こうして人はSNSの虜になっていく。≫ (『集団化を促す「SNS思考」の罠。』藤原智美,月刊潮14年12月号)

私はヘビーユーザーとは言えませんが、このブログを書くと同時にその全部または一部をフェイスブックに掲載します。「いいね!」がきた印があれば、誰がクリックしてくれたものかを確かめたくなります。数が積み重なるにつれ、快感が高まっていくことは確かです。書き込みといいね!の確認は一日に3回と決めたつもりでしたが、メールチェックをしたときに思わずフェイスブックを立ち上げてしまうこともよくあるのです。中毒化していることは確かなようです。

≪紙に記された書き言葉は「私」に属していますが、ネット上を行き交う言葉は「皆」に属しています。
 一方、「私」の側にある言葉は、ときに自分の奥深くに分け入って苦闘したり、また真理を解き明かそうと、時間をかけて言葉を費やしながら努力しますが、「皆」の側にあるネット言葉は他人とつながるための道具として使用されるだけです。道具だから、その言葉自体が重要なのではなく、相手を瞬間的に引きつけるロープとして必要なものであって、用がすめばすぐにいらなくなるのです。≫ (同論文)

相手をいったん引き付けてしまえば完全に無用となるほど言葉が軽いとは思えませんが、次々と言葉が消費されて通り過ぎてしまうのは確かです。≪現代社会の言葉は(中略)透明のラップのように薄くなり、しだいに意味を失いつつあるように≫著者が危機感を抱くようになってはなりません。「皆」がつながると同時に、「私」も自立的に自己形成する努力を欠かせてはならないのです。

(スイセンの花が咲いてきました。にこやかに品のある香りを漂わせています)
マシンから紙よつながれ世のために [2014年12月12日(Fri)]

fumihouse-2014-12-12T20_29_54-1-thumbnail2.jpg改めてあの厄災を思いおこした。佐々涼子氏のノンフィクション『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』(2014年,早川書房)の筆力に圧倒されたからである。

悲惨な瓦礫や水のありさまや人の気持ちだけでなく、空の色から風の感じまで「その時」の情景を細かに取材し書き綴っていることに驚愕した。多くの取材から選び抜いたドラマを語ってくれる。

主人公は世界屈指の日本製紙石巻工場の復活に全力を傾けた人びと。それぞれが遭遇した悲劇、工場再興への足跡が淡々と端的に語られる。文章が研ぎ磨かれ夾雑物がないことが、むしろ読者に様々な感慨をひきおこす。著者の筆力が光る。

石巻工場の復興はダメかも?と漠然と多くの人が感じていた中で、核となるリーダーたちは諦めなかった。しかも、半年で主な生産ラインを復興させるという無謀な試練を自らにも仲間にも課したのだ。ムリだと思う反面、石巻のためにも工場を再開したいという切なるデッドライン。協力者の輪が幾重にも広がった。製紙工場こそ石巻復興への足がかりになるとの強い決意が奇跡を呼んだ。

駅伝のタスキと著者が比喩したごとく、瓦礫撤去を手始めに、電気、ボイラー、タービン、マシンの各部署が順々に死闘を重ねていく。愚痴を言わず、励ましあって障壁を乗り越え団結する描写が心を打つ。

ノンフィクションの力について著者は述べる。
≪私が能動的に書いているというよりは、物語という目に見えない大きな力に捕らえられて、書かされているのだと感じることがある。(中略)人々が、その物語にこの世に現れて欲しいと願う気持ちと、物語がこの世に現れようとする力とが、ほかのいつでもなく、このタイミングで合わさったとき、それは文字となって生まれてくる。そこに立ちあう私は、物語が命あるものとして生まれて来る際の、ただの通路に過ぎない≫と。

電気の明かりがない、漆黒の闇に取り残された空間で、人びとはどれだけ苦しみ虚しく思ったであろう。助け出されることのなかった人びとの断末魔の叫びを聞いた人がいる。広がった炎にこと切れた人びとの姿を忘れられない人がいる。忘れたい、でも忘れてはならない、亡くなられた人びとのためにも復興を貫くんだという覚悟によって、この著書はできている。

今は大震災から3年と9ヶ月。その後にあまりにも多くのニュースが巡ってきたので、あのことを忘れがちだ。わたしには何ができるのだろう。心に留め続けていかなければならない。

(私が訪れた1年1ヶ月後の石巻にもタンポポが咲いていた。大看板「がんばろう!石巻」は今もなお復興への勇気の象徴だ)
やりたくて思えばいつも急いでる [2014年12月11日(Thu)]

fumihouse-2014-12-11T18_09_50-1-thumbnail2.jpg思えばいつも急いでいた。
車を運転しているときに気になる景色があった。
いずれまたゆっくりできるときに眺めよう。

思えばいつも急いでいた。
誰かと思いがけなく巡り会って、懐かしさに肩を叩き合う。
いずれまたゆっくりお酒でも飲んで語りあおう。

思えばいつも急いでいた。
子供たちを連れてあそこの遊具が面白い、ここでも楽しめそうだ。
いずれまたゆっくり遊びたいなあ。

思えばいつも急いでいた。
国内の有名な景勝地に、奮発して雄大なあの国に、近場の温泉もまだ行ってない。
いずれまたゆっくり旅したい。

どれだけの「いずれまたゆっくり」が実現できたのか。急いでばかりの日常と、やりたいことの心もとなさ。ホントにやりたいの? やりたいならばやっちぁえばどうだい。そうだよ、やっちゃえやっちゃえ。
白秋に黒鳥なぜに実を食べた [2014年12月10日(Wed)]

fumihouse-2014-12-10T18_36_01-1-thumbnail2.jpg黒い鳥、鳥よ、なぜなぜ黒い。ビニール引きちぎって残りかすをたべた。
黒い鳥、鳥よ、なぜなぜ集まる。枝に群れて羽を休めた。
黒い鳥、鳥よ、なぜなぜ歩く。道路にとどまり車を惑わす。
黒い鳥、鳥よ、なぜなぜ跳ねる。歩いたあとはちょんちょん跳ねた。
黒い鳥、鳥よ、なぜなぜ狙う。電線にとまり歩く人を糞を落とした。
黒い鳥、カラス、なぜなぜ黒い。てっぺんから足の先まで真っ黒くろスケだ。

今日もおあそび。北原白秋の詩をもじってみた。

  赤い鳥、小鳥、
  なぜなぜ赤い。
  赤い実をたべた。
  白い鳥、小鳥、
  なぜなぜ白い。
  白い実をたべた。
  青い鳥、小鳥、
  なぜなぜ青い。
  青い実をたべた。
  (『赤い鳥小鳥』北原白秋)

赤いだけの鳥、すべてが白い鳥、チルチルミチルの青い鳥。どこにもいやしない。しかしながら、ここまで染まった鳥がいるだろうか。完全無欠なる黒い鳥、烏よ。

(カラスとは全く関係ないが、珍しい花の形をしたドクダミを見つけた。この6月のことだ)
疲れてもまためくりゆく新聞を [2014年12月09日(Tue)]

fumihouse-2014-12-09T18_15_37-1-thumbnail2.jpg新聞は嫌いだ。
めくれないことがしばしばある。何度となく空振りするとイラつく。裁断の具合もあるのだろうが気にさわる。

新聞紙は大きすぎる。
寝転がって読むと目が届かない。正座して読んでもいいが足が痛い。図書館にある書見台があれば一番だが、わが家にあるわけがない。

新聞紙は汚れる。
インクが手につく。そのままでもいいのだが、手を洗いに立たねばならないのは面倒だ。濡れたりしたときにはやっかいだ。

新聞は紙面が一覧できる。
記事が目に飛び込んでくるがそれでいいの? 編集者のお眼鏡にかなった情報だけを仕入れているうちに操られていくんじゃないの? それとも、世の中に起きたニュースは紙面にまとまるだけしか起こっていない? てなこと、あるわけないか。ということは、大事なことが落ちているかもしれないぞ。隠しておきたいことが秘密のままになっているかもしれない(誰にとってかは知らないが)。

新聞なんて嫌いだ。
やっぱり今日も新聞を広げてしまう。読まないと気がすまないのも新聞の魅力かもね。
寂しげにそぼ降る雨や冬の歌 [2014年12月08日(Mon)]

fumihouse-2014-12-08T18_39_07-1-thumbnail2.jpgそぼ降る冷たい雨の道を歩いたら、冬の童謡が浮かんだ。

「かきねの かきねの 曲がり角/たきびだ たきびだ 落ち葉焚き」と歌う『たきび』は、私には馴染まない。たぶん日本海側の冬は雨や雪、曇りが多いために落ち葉がたき火には適さないからだと思う。落ち葉は濡れて地面に張りついているからだ。つまりこの歌は東京の人が歌うのだ。

私には「雪やこんこ」と歌いはじめる『雪』がしっくりくる。

  雪やこんこ あられやこんこ
  降っては降っては ずんずん積もる
  山も野原も わたぼうしかぶり
  枯木残らず 花が咲く

「こんこ」の語感がいい。雪が「来む」から生まれたオノマトペとも言われるが真偽は知らない。あられが積もった雪に跳ねている雰囲気がでていて面白い。こんこと積もるのは粉雪でもある。小さな粒ではなくて結晶が少し大きめになった粉雪が、こんこと降るのだ。

先週からの寒波で島根の沿岸部で積雪はなかった。車の運転に気をつかうことはなかったけれど、白い雪肌を眺めたり触ったりできなかったことは少し残念だ。でもとても寒いのは同じ。さあ、私も早く帰って猫のようにこたつで丸くなって、ヌクヌクしようと思う。

(雪ではないが白樺の木肌。気持ちよさげな木の肌だ)
選択し捨てて毎日過ぎていく [2014年12月07日(Sun)]

fumihouse-2014-12-07T14_07_17-1-thumbnail2.jpg何かを選択することは、代わりに別の何かを捨てること。何かを選び、そこにお金や精力や時間を費やせば、反面別の何かをやれる可能性は減っていくことは当然です。

先々月にも書きましたが(「悩んだか?選んだ末の今の僕」2014年10月17日)、もしもあの時ああしていたらと後悔したことは誰にでもあるはずで、一瞬一瞬の選択の積み重ねの一方で、選択されなかった意志や行動の裏打ちとして今の自分はできあがっています。

つまり何かを選ぶことは何かを捨てることにほかなりませんが、やむを得ないことです。ああすればよかったと悔いたならば、遅れたけれども今からやってみると決意しなければ、今さらやっても手遅れになってしまうケースもあるでしょう。

若い人の中で、時間を使うことは自由を制約するから何もしない、という考え方があることを知りました。それが将来に向けて自由を担保することにつながるのだそうです。お金についても同様で、目的はないがひたすら貯め続ける、○○にお金を使うという目的なしに単に貯めるのだそうです。

金は使ってなんぼです。何らかの目的のために貯めてつかう。使い道が決まっていなくても、ここだ!と思い切った時には勇気をもって散財する。そうした覚悟があってはじめて金が生きてくるのだと思うのです。時間も手間も一緒です。真剣に情報を集める、必死で考える、さらに考え尽くしたと思ったら一挙に行動するのがいいですね。
無力感不信の元を刷り込まれ [2014年12月06日(Sat)]

fumihouse-2014-12-06T13_33_29-1-thumbnail2.jpg作家のいとうせいこう氏が、ウェブ上でこのように発言している。

≪自分一人が投票したところで何も変わらない、と多くの人は思う。選挙を前にして自分が無力であると感じる。その感覚に傷ついて無関心になる人もいる。だが、「自分一人が投票したところで何も変わらないと思う一人」が投票すると社会が変わる。
(中略)
 さて、もしもあなたが「私たちが変わったところで政治家が変わらないのだから意味がない」と思うなら、それはそれである種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだと私は考える。≫

政治は投票してなんぼの世界だ。当選の暁には有権者ひいては国民のために動いてなんぼという世界だ。我田引水で自己の利害得失を主体にする政治家などおととい来い!と言わなければならない。

解散総選挙の投票は始まっている(投票者のうち2割程度は期日前に終えてしまうらしい)。結果が判明するのは14日の夜から翌未明にかけて。報道機関の事前予想で自民党が大勝ちしそうだと言われている。

「集団的自衛権」を現憲法下で解釈改憲しようとした安倍政権に対し「ダメよ〜、ダメダメ」と制限を加えた与党内野党の公明党にどれだけ議席を与えるか。あるいは、健全で批判力があり政策形成力もある野党をどう保ち育てていくかも、とても重要な視点である。

投票率が上がれば事前予想はくつがえるだろう。面白い結末に多くの人が仰天することになって面白いじゃあないか。自分だけでは変わらないと無力さを刷り込まれるのは簡単だ。しかし実験だと思って投票に行ってみてほしい。きっと選挙地図に地殻変動が起こるに違いない。

(本文とは全く関係ないが、邇摩高校に実った晩白柚(ばんぺいゆ)の肌。世界最大の柑橘類で20センチ以上ある。グレープフルーツに似た甘酸っぱい香り)
わが愛よさらばといって清算す [2014年12月05日(Fri)]

fumihouse-2014-12-05T20_22_43-1-thumbnail2.jpg映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を20年ぶりに観た。小樓の妻・菊仙はなぜ死んだのかが気になった。女形の蝶衣が死んだ理由と重ねて考えた。

「覇王別姫」は漢の劉邦に敗れ包囲された楚王・項羽と、その寵姫たる美女虞の最期をクライマックスとした京劇の人気演目で、この映画は覇王別姫を得意とした役者二人を軸にする愛憎劇である。四面楚歌の成語でも名高いシーン。京劇独特のドラの響きが効果を上げていた。ある時はけたたましく、ある時は悲しみのこもる慎ましさでもって。3時間という長い映画が短く感じた。

京劇の養成団に属する子どもたち。辛い修行や死と隣り合わせの体罰に耐え、兄貴分の石頭と繊細気質の小豆は京劇界で頭角をあらわす。遊廓や宦官、同性愛の世界も描きながら、小豆は蝶衣に、石頭は小樓となって京劇界のきらめくスターとなった。

コン・リー(菊仙)の際立つ美しさと強さが目を引く。遊郭の娼婦出身でありながら、小樓の妻となって彼を見事にサポートするばかりか、生きることに不器用で孤立しがちな蝶衣も助ける。決然と困難に立ち向かったときの凛々しさが輝いていた。彼女の強さを支えていたのは、小樓の愛情があるからだった。遊郭の3階から飛び降りたときに彼が階下で受け止めてくれたあの体験を象徴的に、彼の愛を糧とするごく普通の女性だった。しかし毛沢東が権力奪取のために若者たちを扇動し中国が狂気にのた打ち回った文化大革命がすべての人の運命を狂わせた。紅衛兵の前で小樓は演技をした。「菊仙などもう愛してはいない」と、狂った群集の若いエネルギーに圧倒されてその場をつくろった。菊仙が生きる頼みの一本の綱が切れたのである。彼女には演技やつくろいはなかった。真一文字の実生活しかなかった菊仙はまっすぐに愛を清算した。

一方で蝶衣はなぜ自ら死を選んだのか。兄貴の小樓は蝶衣にとって役柄の項羽そのものであり、同性愛的な愛に貫かれていた(肉体関係はなかったが)。菊仙という邪魔者ができて嫉妬に狂い、それでも演目中で小樓への思いを傾注した。文革が終わり再び虞を演ずることができるようになり、もう誰にも邪魔はさせない、私は虞姫、覇王様(小樓)の剣で自ら首を貫いて死ぬのよ、それが愛……。そうした倒錯した心情があった。つまり演技と実生活を一致させて、彼なりに愛を清算したのである。

この極端な両者の間に立ったのが小樓であった。舞台では役になりきっても、実生活は別物。文革のあの凄惨な糾弾の舞台で生き残るには、菊仙を前にして演技するしかなかった。あの時はやむを得なかったんだ、許してくれよ菊仙、というのが彼の心情であったことだろう。だが他の女への興味も尽きない小樓であったわけで、ひょっとして彼のあの演技には一分の真実もあったのかもしれない。いずれにせよ、誰もが時代の狂気に踊らされて苦しめられていた。

まさに、いくつもの狂気を鮮烈に描いた映画だ。愛することの狂気、役作りの狂気、集団や国家というものの狂気。そして何よりも個々の人間そのものが持つ狂気。二人は少年のころ厳しかった師匠から「人は運命がある。逆らわずに生きていけ」と教導された。しかし人には誇りというものがある。プライドをズタズタにされてでも雑草のごとく生きぬくことは大変なことなのだ。狂気に逆らうことは命の危険を意味する。菊仙は死を選び、蝶衣は狂気に殉じた。小樓だけは逆らわなかった。

文革に巻き込まれた多くの人たちが総じて体験した恐怖を感じられる映画だった。毛沢東が絶対権力を奪取しようと目論んで若者のエネルギーを結集した。純粋に毛沢東万歳!と行動した者もいた。しかし多くは打算と退廃のはけ口として、中国全土を混乱の坩堝に陥れた。そんな時代が10年も続いたのである。それを収拾しようと精力を傾けた周恩来が今でも人民の父として慕われる理由がわかる気がする。人が信じられず、善意も希望も捨てさせられた非人道的な生活に戻りたいと思う中国人は今もいるまい。
一票は軽いか広いかそのどちら [2014年12月04日(Thu)]

fumihouse-2014-12-04T18_37_46-1-thumbnail2.jpg島根は衆議院選挙では2分区されている。このたびの定数是正でいくつかの小県が3分区から2分区に減らされている。それでも一票の格差は広がるばかりで、是正論者はなんとかしようと息巻いている。

一方で広大な地域が1選挙区で束ねられるのは違和感がある。出雲市は島根2区、60キロ離れた大田市仁摩も2区、さらに150キロ先の益田市でも2区。人口が少ないから当然、という向きもあろうが、この違和感はぬぐえない。私の家の近所にあるポスター掲示板と同じ配置で同じ候補者の写真が並んでいる(まあこれも当然だが)。

反対に人口が多い都会地は特別区や市を分割してまで1区に1人の議員がでる。生活単位が選挙区で分割されて一体感はないだろうし、私たちの議員という感覚は生まれようもない。小選挙区制には、雪崩現象的に第一党を決めるというメリットしかないような気がする(これは今やメリットとは言わない)。

2013年5月12日『一票は格差を認め議場にて』で書いた。高野克則氏が述べているように、区割りを固定化しつつ格差を解消するために、各議員の出身選挙区の有権者数を議決の際の持ち点として集計するのがよろしい。さらに私の考えのごとく、持ち点に直近の投票率を掛けて割り引けば、田舎者の溜飲が下がるのである。もっと言えば昔の中選挙区制に戻せば、県単位の一体感も保てるし、定数是正もやりやすいと思うのだがどうだろう?
冒険後シンドバッドは喜捨をする [2014年12月03日(Wed)]

fumihouse-2014-12-03T18_23_39-1-thumbnail2.jpg船乗りシンドバッドの冒険の旅を読むと、結論はわかっているのにスリルでドキドキします。他の船乗りたちが死んでしまうのはともかくとして、シンドバッドには無事に帰ってほしいと思います。

少年版文庫を読んでいて気がついたことがあります。彼は起死回生の旅から帰って、いつも大金持ちになるのですが、いつも施すのです。貧しい人たちのためやイスラム教会のために、惜しげもなくお金を使うのです。さらに生活を楽しみます。もうあんな苦しくて死に瀕した体験など御免こうむると言って、家族や友だちと楽しむのです。

≪神さまのお恵みを感謝する気持ちから、あちこちの回教教会の後援や、貧しい人たちの生活のために、たくさんの施し物をしました。あとは、もっぱら、親戚友人とつきあって、大いに愉快にくらしました≫ (『アラビアン・ナイト上』ディクソン編,中野好夫訳,1959年,岩波少年文庫)

という具合に、シンドバッドはボランティア精神はもちろんのこと、お金を貯め込んで、お金自体を目的とせずに自他ともに楽しみます。お金というものの使い道を知っていると言えるでしょう。とはいっても、平穏な生活に物足りなさを感じて、やがて冒険の旅に出てしまうのは毎度のことです。

シンドバッドにはお金が必要な他者のために施すという喜捨の精神があるのはもちろんですが、強い克己心で困難に負けないエネルギーがあります。好奇心に富んで新しい知識や技能を取り入れようとする進取の気性もあります。経験におごることなく謙虚により良い解を求め、人にも好かれます。そうした総合的な力で彼は生き残り、楽しみ、人を幸せにし、自身も幸福感に満たされて一生を送ったことでしょうね。
有り難く思うのならばありがとう [2014年12月02日(Tue)]

fumihouse-2014-12-02T18_47_44-1-thumbnail2.jpg感謝をあらわす時に使う言葉の代表は【ありがとう】と【すみません】の2つだろうか。ありがとうは、「有り難く存じます」の存じますが略されて、ウ音便となって変化した形。すみませんは、「済まない」を丁寧にした形だ。ふだんは違いを感じずに使っているが、元の意味はたいそう違う。

【有り難い】とは字のとおり、存在が稀でありそうもない珍しいこと。そこから派生して、世にも珍しいほど優れており、立派であまた恐れ多い。だから人の好意が身にしみて嬉しいわけである。そうしたことを体験できる身の幸運を感謝するという謙虚さも表現するであろう。有り難く感じるのは自分だが、この言葉の軸足は相手方にある。

【済まない】には謙虚さもあるが、卑屈も感じる。相手にやってもらうばかりでは申し訳なくて、自分が心苦しいのだ。相手に気の毒なことをして謝りたいと思う。あるいは依頼することが重すぎて気持ちがおさまらない場合もあるだろう。軸足は自分のほうにある。そもそも「すみません」とは謝罪の言葉だ。

感謝の気持ちを伝え、相手を賞賛するつもりもあるのなら、「すみません」より「ありがとう」を使いたいものだと思う。

(鮮やかな、艶やかとも言えるハゼの紅葉。木は大きくはないが、「有り難い」ほどの味わいがある)
ビニ傘はいいものなのか悪きもの [2014年12月01日(Mon)]

fumihouse-2014-12-01T17_32_48-1-thumbnail2.jpgビニール傘はなかなか良い。先日折りたたみ傘を忘れて出たところ、雨模様となったので松江駅のコンビニで買った。500円プラス消費税なり。安くていい。安いだけではない。傘径が70センチ、大きくてよろしい。雨粒を余裕をもって防いでくれる。透明だから視界を遮らないのもいい。夜など特に車の動きが見えて安心できる。柄も骨も色は黒。デザインがすっきりしていてよい。

今朝から気象警戒情報が発表された。日本海側は強い冬型の気圧配置となって急速に低気圧が発達している。鉛色の雲の合間に青空が見えはするが、強い西風が吹いている。今朝の出勤途中、骨が一本曲がった。この程度なら修理もできよう。

午後から瞬間的には20メートルをはるかに超える風となった。海も怒るかのように荒れている。大きなうねりが押し寄せる。波高は5メートルを超えて、岩に当たるとしぶきが爆発的に飛び散る。早くも冬本番が来てしまったかぁ。

いま傘は無残な姿となった。曲がった骨は8本中5本。うち1本は切れてしまった。もう修理はきかない。捨てるしかない。今日で4回目の使用。1回あたりで割れば百円を超える。意外に高い買い物につくことがわかった。