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菓子食べてハローハローとランタンで [2014年10月31日(Fri)]

fumihouse-2014-10-31T18_32_47-1-thumbnail2.jpg今日はハロウィンの日。かといって私にとって意義深い日ではない。古代ヨーロッパのケルト族が祝った収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられたというが、現代アメリカで子供向けのお菓子祭りとなった。仮装した子供たちが「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ(Trick or treat.)」と近所を回り歩く。カボチャでジャック・オー・ランタンを作って明かりを灯すのも定番だ。

10月はハロウィン月間ということでセールたけなわである。夏休み商戦からクリスマスまでの間にイベント的なものが欲しかったのだろう。ここ数年のうちにハロウィン商戦が盛んになった。街がにぎやかになり、人の流れが盛んになるのはそれなりに望ましいことだ。商売人の商魂が効を奏して景気の下支えともなってほしいものだ。

ただ、私はあのジャック・オー・ランタンというやつが苦手である。見るたびにゾクリと不気味になる。
災いはまた福となり逆もまた [2014年10月30日(Thu)]

fumihouse-2014-10-30T18_31_57-1-thumbnail2.jpg『禍を転じて福となす』を広辞苑は、「身にふりかかった災難をうまく活用して、かえってしあわせになるよう取りはからう」と説明しています。禍は災いとも書きますが、身に降りかかる災難の火の粉にさらされるのは辛いです。

『禍を転じて』が強い意志を持っていると感じられるのは、「なす」にあります。負けてなるものかと苦しい局面に対処し、福を呼び寄せなくてどうすると根性をしぼりだす力を感じます。

その点、同義語ではありますが「怪我の功名」とか、「雨降って地固まる 」という言葉には「結果オーライ」的な楽天性を感じるのです。水戸黄門では「人生楽ありゃ苦もあるさ〜」と歌いますが、これも似ています。

「人生万事塞翁が馬」となると、馬が逃げ出した→仲間を引き連れて帰った、翁の息子が大怪我をした→兵役に取られずにすんだと、因果が絡み合ってきます。悪いことは善きことの前ぶれで、反対もまた真なりとする極めて哲学的な趣が出てくると思いませんか。

不幸せと感じることであったとしても、いい経験になった、そこから学ぼう、ここで踏ん張ろう、改革の取り組みを始めるきっかけにしよう、、、、というふうに、気持ちを前向きに考えていくこと、ショックを引きずらないで前を向いていくこと、、、、。これが『禍を転じて福となす』ということなのでしょうね。まずは気持ちの持ちようを変える。そして行動に移す。これでいきましょう是非とも。それが幸福感を少しでも高める秘訣ですね(秘でも何でもないけれど)。
出血し高熱出たら危険なり [2014年10月29日(Wed)]

fumihouse-2014-10-29T18_40_58-1-thumbnail2.jpgエボラ出血熱の恐れのあった入国男性は幸いにも陰性とわかったが、感染者数が世界中で一万人を優に越え、五千人以上の死者を出しているという危機的な状況は変わらない。空気感染はないというが、患者の血液や嘔吐物に間接的に触れてしまって知らぬ間にウイルスに感染してしまったとしたら、、、、恐怖を感じる。

免疫力が麻痺してしまって高熱や嘔吐、下痢、出血の症状が表れた人の悲しみはいかばかりか想像もつかない。ウイルスの種類にもよるが、致死率が5割から9割。破滅的な数字である。ギニアに始まった流行の拡大は収束する見込みがたたず、リベリアとシエラレオネを加えた3カ国が危ない。むしろ感染拡大が加速しているという。WHOや各国の封じ込め対策は功を奏していない。このままいけば世界中に広まってしまう。

この病気は1980年代から聞くようになったが、アフリカ一部での限定的流行。それほど危機感はなかったが、今回は様子が違う。根本的治療薬はできていなかったが、日本の富士フイルム系列の富山化学工業が開発した抗インフルエンザウイルス薬が期待されている。薬品名はファビピラビル(製品名アビガン錠)。この薬はウイルス感染DNAが複製させることを阻止し、ウイルスが増えないようにする効果がある。

しかし、薬にすべて頼るのは危険だ。感染をしないさせない公衆衛生対策が徹底されない限り、薬とウイルスのいたちごっこは続き、耐性ウイルスが登場することは明らかだ。収束することを祈る。

(三日月に向かう飛行機雲のように、治療薬よ、ズバリとウイルスを叩くのだ)
万物に風雅を感じ花月あり [2014年10月28日(Tue)]

fumihouse-2014-10-28T18_06_39-1-thumbnail2.jpg松尾芭蕉の『笈の小文』にこんなフレーズがあります。

  見る処花にあらずといふ事なし
  おもふ所月にあらずといふ事なし

四季折々の移り変わりを友とする風雅な俳諧の道を歩もうとするのならば、「花にあらずといふ事なし…」でなければならないと条件をつけています。すべてを風雅に感じられなければ、鳥や獣と同類だ。自然にとけ込むようにして花や月を感じよ、と芭蕉は言っています。

見るもののすべてに美を発見し、ひとたび言葉を紡げは、すべて花鳥風月のように麗しいという境地にはなかなかなれるものではありません。それからすると、写真のように熟し過ぎた西条柿にも風雅を感じるべきなのですね。そう言われてみれば、熟柿が秋空にとけ込んでいるようで、まんざら悪い趣ではなさそうです。
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで [2014年10月27日(Mon)]

fumihouse-2014-10-27T18_27_53-1-thumbnail2.jpgどちらかと言えばよく食べます。食に好き嫌いがなくて、食欲にまかせてペロリと大食いしますから、健啖家と言われることもあります。「啖」の字はむさぼり食うという意味がありますが、大食いが過ぎるのは品のいいものではありません。教養ある食べ方をするためにも、よく噛んで食べたいのです。満腹中枢は噛む時間に比例するといいますから、同じ量を食べたとしても噛んだ分だけお腹は満足します。

その時間は食べ始めから20分。目の前の食卓に皿やお椀がそろっていると、脱兎のごとくに食べがちです。会話をするより前に、次々と口に入れ続け、咀嚼し続ける。口にものをほおばっていれば、おしゃべりすることは二の次になります。おのずとおかずはなくなり、米の飯も残り少なくなっている。20分どころか、5分もあれば食事そのものが終わってしまうこともあります。毎朝出勤前はそんな食事をしていますから、昼や夜にも同んじようになってしまうのです。忘れがちなのですが、今夜から箸で一回口に入れるごとに20回噛むように心がけたいと思います。

メタボにならないためにも、家族と楽しい食事の時間を確保するためにも、ゆっくりとしっかりと噛んで食べたいものですね。食べることだけに集中せずに、家族の言葉や表情に注目すれば、笑顔も増えてくるでしょう。笑いは免疫力をアップさせることは常識です。噛んで、美味しく食べて、笑顔を楽しんで、、、、。健康になるのは間違いありません。

(美味しそうな金柑。酸っぱさと甘味が適度に口の中でからまって食欲を満たす。でもそんなに食べられるものでもない)
ケネディが気張って地球に味方する [2014年10月26日(Sun)]

fumihouse-2014-10-26T22_40_55-1-thumbnail2.jpgアメリカ合衆国の元大統領のジョン・F・ケネディは在任期間中に行った平和演説(1963年6月10日)の中でこう言ったそうです。

≪つきつめれば、私たちを結びつけている、何よりも基本的な共通のつながりは、誰もがこの小さな惑星に暮らしているということなのです。誰もが同じ空気を吸って生きています。誰もが子どもたちの将来を気にかけています。そして誰もが死すべき運命にあるのです≫

また、ロシアの文豪トルストイが日露戦争のときに書いた反戦論にはこのような記述があるそうです。

≪日本にもロシアにも味方せず、両国の働いている民衆の味方になりたい≫

「つきつめれば」、「この小さな惑星に暮ら」す「民衆」は「死すべき運命にあ」りますが、だからどうにでもなれ!と考えてしまうことは誤りです。人類が種として継続するための第一歩として、「子どもたちの将来」に未来を委ねなければなりません。一人ひとりが限定されたものだからこそ、命を輝かせて幸せに暮らす権利があるのです。それは同時に他の人の幸せを尊重すべき義務でもあります。圧倒的多数を占める民衆が幸せを感じられない世の中というものが、いいものと言えるでしょうか。否です。

エボラ出血熱が人類の脅威と化す現状、イスラム国が中東にとどまらずイスラム世界の火薬庫となりそうな気配。皆がこの地球に生きる一員として国家という枠を超えて変わっていくべき時なのでしょう。
学ぶこと成り立ち教え楽しんで [2014年10月25日(Sat)]

fumihouse-2014-10-25T22_31_16-1-thumbnail2.jpg「学ぶ」ことと「教える」ことは相反するイメージを私たちは思っています。学びは生徒のもの、教えは先生のもの。学びは受動的で、教えは能動的なものといったイメージです。ところが、漢字の成り立ちからすると同義なのだそうです。大阪大学の湯浅教授(中国思想史)のお話から知ったのでした。演題は『教えること、学ぶこと』。久徴会総会の基調講演での内容です。氏は久徴会の会員で出雲高校27期の卒業です。

「学」も「教」も旧字を解字すると、「交わる」字体を含み、ルーツは同じなのだそうです。また『礼記』には、「教学相長」(教えることと学ぶことは相互に補いあい自分の学問を進歩させる)という言葉もあり、これも学と教の両語が同義的であることを示しています。

講演とパネルディスカッションのあとは懇親会。千人近くのメンバーがそろったパーティーは圧巻でした。懐かしさに感極まるように賑やかに、皆さん弾け飛んでいました。わたしも多くの人との交流を楽しみました。二次会は同期生たちと、懐かしくもほろ苦い青かった日々を振り返ったのでした。
漆黒の闇がせまって顔見えぬ [2014年10月24日(Fri)]

fumihouse-2014-10-24T18_43_15-1-thumbnail2.jpg漆黒の闇が迫る。暗くなる時間が早くなってきた。列車に乗り込む17時55分には薄暗いを通り越し、数メートル先の人の顔は判別できないほどの暗さとなっていた。今はすでに外は真っ暗。海には漁り火が灯っている。秋の日は釣瓶落とし、と言うのもよくわかる。空気が澄んでいるから、太陽が山の陰に隠れると辺りはたちまちベールにおおわれたように色彩が色あせ、空気はヒンヤリとしてくる。

今年の松江の暦を確かめてみると、日の入りが最も早くなるのは、11月30日から12月12日までの2週間で、時刻は16時55分。まだ今より半時間も早く暗くなる。車は早めの点灯を心がけたい。人は明かりや反射材を持って歩きたい時季だ。

闇の時間が長いということは、明け方も遅くなるといこと。朝はいつまでも暗い時季にもなってきた。寒さがこれに加わると、ふとんから出られない辛い朝の時季がやってくる。ああ、つらいなあ。
路地裏に人のにおいか怪しさか [2014年10月23日(Thu)]

fumihouse-2014-10-23T17_52_49-1-thumbnail2.jpg路地を歩くのは楽しい。奥まった細い道、路地裏にだって入ってみたい。生活のにおいが感じられて、表通りには感じられない魅力がある。

擦り切れたアスファルトや石畳のすきまには雑草が生えて生活者の足取りを見つめている。家屋の薄汚れた壁やひび割れには長い年月の生活の歴史が刻まれている。

それらの奥には縦横に路地裏が広がっている。幾重もの生活がある。街中の暮らしを嗅ぎながらゆっくりと歩くのは楽しい。

これは一つの冒険だ。知らぬ空間に足を踏み入れて、面白そうだけれど何かしら怖い冒険だ。てんで知らない街は要注意。袋小路に迷い道、怪しい人影に襲われるかもしれないよ。言葉も通じない外国だったらなお怖い。

わたしは思うんだ。

SNSを使う若い子がネット上で知りあったばかりの人とオフ会をする。一対一で会うこともあるという。会ったこともないのにそれができるのはなぜだろう。

危険ドラッグを試してみる人がいる。怖い結果になる確率は高い。でも繰り返して身に染める。いけないこととわかっていてもやってしまうのはなぜだろう。

とんでもない人に出会ってひどい目に遭う恐れを感じながらも、自分の命を壊すような重大な影響があるかもしれないという恐れを感じながらも、違う世界を見てみたいという好奇心のなせるワザなのかもしれない。

それはひょっとして路地裏に引きつけられるのと似ているのかな? たぶん違うと思うけど、、、。
勉強に悔悟すれども意欲わき [2014年10月22日(Wed)]

fumihouse-2014-10-22T17_42_09-1-thumbnail2.jpg芦田宏直氏という方はよほどの奇才であろうかと思います。私が衝撃を受けたほんの一部を引用しましたが、熱心に読書して勉強しようなんて社会人は学生時代にろくに勉強しなかった証拠だ、という著者の言葉にぐうの音もでません。


≪学生時代に純粋な勉強、無垢な勉強をしなかった≫人は、≪時間や利益や社会性に関係のない勉強(純粋な驚きに発する勉強)というものがあるということに(学生時代に)出会わなかった人たちなのです。そういう人たちに限って歳を取ってから教養書やビジネスノウハウ本(『世界』『文藝春秋』なども含めて)を読み始める。職場の休憩時間に単行本を読んでいたりもする。なんともさもしい"教養"でしょうか。社会人になって、「あの人は勉強好き」というのは、蔑視の言葉です。(中略)単なる後悔の勉強なのです。

 どうか、「学生時代、もっと勉強をしておけばよかった」なんて後悔しないようにしてください。(中略)学生時代にしっかりと(=純粋に、無垢に)勉強した人は、学校を卒業してからはもはや書物や学歴、そして教員や教授に頼ろうとはしません。その人たちにとっては、世の中そのもの、職場そのもの、仕事そのものがテキストだからです。いい歳をして<書物>の中に、<教育>の中に、何らかの教えを見出すのではなく、日々の仕事や生活それ自体の中に課題を見出す純粋な能力が備わっているからです。「もっと勉強しておけばよかった」は、したがって、後悔どころか、むしろ諸課題(と諸解決)からの逃亡を意味しているにすぎません。

(中略)若いときの勉強や読書の質は、その人の勉強の一生のスタイルをすべて決めているのです。これからの最後の学生時代、みなさんには心して勉強していただきたいと思います≫

(「掛け算の思考、割り算の思考(2007年4月5日入学式祝辞)より抜粋/『努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論(芦田宏直著,2013年,ロゼッタストーン)』)


入学式の校長式辞ですから、新入生に勉強させようという強い気持ちが逆説的に強烈な表現をさせたとも考えられます。一方で氏は、学生時代の知識や技術はかつて10年が賞味期限だったが激変する超高度な消費社会のネット時代にあっては1年だと。だから学生時代に勉強したと自負する者も自己を進化させ続けなければ、ストックは陳腐化し時代の波に飲まれるとの警句も別のページで発しておられました。社会人となっても純粋な消費者の身であっても、勉強しなければよりよき生を全うできないということも言えるわけです。

気の向くままにやってきてストックはない、体系を身につけられなかった後悔が私にはあり、今思えば学生時代に苦労を避けてきたと思います。しかし、労苦と使命の中にのみ人生の価値は生まれるとの言葉のとおり、これからだと思い定めていきたいのです。自分の利益だけではなく他人のため社会に貢献するためと覚悟したときに、新たな価値が生まれると信じています。
頭ひねり隔週出番メルマガに [2014年10月21日(Tue)]

fumihouse-2014-10-21T17_31_16-1-thumbnail2.jpgあるメルマガに発足当初から関わっています。配信を始めて数回たったときに、冒頭からいきなりイベントやボランティア情報が始まるのでは味気ないと、ある人が発案したことをきっかけにして、タイトルのあと数行にわたしが散文を入れてみることにしました。以降、百二十数号まで連綿と続いてきました。説明文あり、詩あり、季節の俳句集あり、クイズありと、様々に書きつづってきました。近頃は七行の散文詩的な感じにまとめることが多いですね。第二・第四水曜日の月二回の発行です。

ところが困ったことがあるのです。忘れるんです、これがまた。毎週水曜日というのであれば、週日で生活する身ですから多分忘れないんだと思います。ところが、一週間ほど間が空きます。しかも月によっては、第四水曜日と次の月の第二水曜日では三週間後ということになりますから、すっかり頭から抜け落ちてしまうのですよ。

編集責任者からは早めに発行予告メールが送られてきますが、これも前の週の前半に送られると早ぎるということもあって油断するのでしょうね、忘れてしまうんです。土日で遊びほうけたり、忙しさにかまけていたりすると、月曜日になって編集者から「テスト配信するのでよろしく」とやんわり督促されます。そこで「あっメルマガだ!」と慌てることになるのです。つかみにくい隔週のリズムではありますが、これからも当分書きつづっていくことになるのでしょうね。

さて、当の『県民活動応援サイト〜島根いきいき広場』は、ボランティアや町おこしを目指して社会貢献の活動を行っている団体や個人のためのポータルサイトです。いきいきメルマガを愛読いただいている方もいらっしゃるでしょうね。いつもありがとうございます。そうでない方はこの際おひとつ登録されて、NPO法人や社会福祉協議会からのお知らせをご覧になりませんか? 自分なりにできる社会貢献活動が見つかるかもしれませんよ。
華麗とは対局なりて流浪かな [2014年10月20日(Mon)]

fumihouse-2014-10-20T18_59_57-1-thumbnail2.jpg壮烈にして決死の戦いを観た。よくある殺陣のように右へ左へ華麗に舞うような殺陣ではない。剣を斬り抜けて、次の剣先に瞬間的に対応し、全力で押し込め、拳を振り上げ体当たりを食らわせる。打ちのめされてノックアウト寸前になりながらも、根性を振り絞って生き残るために、魂で食らいつき続ける。『るろうに剣心 伝説の最期編』のスピードと重量感を兼ね備えた殺陣に息を飲んだ。

なにが「伝説」か。なぜ「最期」なのか。戦いが終わった時に、警察部隊が戦死した武士に敬礼したのが象徴的だ。明治新時代にあって武士道は終焉し、真の武士はいなくなった。弱きを助け強きをくじく思いで悪人たちと戦い傷つき死んだ者たちへの敬意。悪の権化として戦った悪者であっても、武士としての生きざまを貫き通すこと叶わず、悪の道に入らざるをえなかった。彼らへの哀悼の敬礼でもあった。武士道は伝説となり、最期(最後ではない)となったのだ。

善の側にも悪の側にも、悲しみがあり、挫折感に打ちひしがれ、自己の運命を呪うという人間らしい感情がある。人間同士が睦みあい、潤いを感じ、せつない思いにシュンとなり、憐れみをあらわす両面性が善も悪も双方にある。悪人は悪一色に染まっているのではなく、過去の痛みや悲しみがあり、悪に堕した理由がある。今もやるせない辛さをかかえていることの恨みが反明治政府の行動をとらせてきたのだとわかる作りになっていた。主題歌の「ハートエイク(心の痛み)」は、善悪両方に捧げられた歌なのだと思う。

最後に勝つ者は誰か。緋村剣心は志々雄(藤原竜也)との緒戦で力の限界を知る。そこで師匠(福山雅治)に奥義たる秘剣を伝授してほしいと懇願するが師匠は無理だと。人斬り抜刀斎として人を殺し過ぎてきたことの反動で、自身の命など取るに足らないと思っているが、その命はかけがえのない重みを持っていることを信じて、生き抜こう、生きたいと心に決めた時に秘剣は体得できると師匠は言った。

人生の最期になるかもしれないという絶体絶命時にでも、生きることを最後まで諦めず、たかが自分の命一つなどと軽く思わず、あまたの命の一つとして生かされていると感謝できた時に勝者は生まれる。剣と腕力が同じ者同士の戦いであれば、利己主義を超えて、人のため自分も生き抜き続けると決意している者のみが生き残るとの意味合いだと感じた。

剣心の人を殺さずとの誓いから剣心は逆刃の剣法を貫くのであるが、彼は「専守防衛」の剣法である。さらには「非武装中立」、すべての人が武器を持たずに平和に暮らすことを彼は夢見ていたに違いない。

剣心の理想は叶わず、残念ながら20世紀は戦争の世紀であった。しかも兵器は革命的に進歩し、敵を眼前にすることなく地球の裏側からタッチパネルひとつで攻撃を加えられるほど「進化」した。文明間の対立も際立ってきている。21世紀になってなお戦乱は各地では続いている。剣心の理想よいずこに?!
問い続け勉強するのは何のため [2014年10月19日(Sun)]

fumihouse-2014-10-19T22_38_15-1-thumbnail2.jpg早稲田大学の苫野一徳氏は、「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに対してこう答えています。

≪「答え」はこうです。まず、この問いに唯一絶対の正解なんてない。だから、自分なりの正解、自分なりの勉強する意味を見つけよう。そしてそれを、実現できるような条件を整えよう。これが、「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに対する、まずは最初の「答え」です。
 でも、たしかに勉強する意味は人によって、また時と場合によってそれぞれなのだけど、わたしはあえて、わたしたちが勉強する根本的な意味は、<自由>になるためなのだと主張したいと思います。これが第二の「答え」です。
 人はだれもが、「生きたいように生きたい」、つまり<自由>に生きたいと思っている。そして<自由>に生きるためには、必ずなんらかの「力」がいるのです。勉強するということ、学ぶということは、この、<自由>になるための「力」を身につけるということなのです。≫
(苫野一徳著『勉強するのは何のため?』日本評論社,2013年)

自由になるべく力を得るため。なるほどと思う。でもこの年になって、あえて勉強する意味は何かと問うとすれば、どう答えるべきか。

おそれないことだ。知らないことを恐れない、それでも前へ進むこと。知らないことをとがめられても恐れない、開き直ること。そして、自由になる力を他人のために使うこと、ひとや社会に貢献することはいらぬお節介だと躊躇しないことだと考えたい。
口開きしゃべり続けて幾時間 [2014年10月18日(Sat)]

fumihouse-2014-10-18T22_09_10-1-thumbnail2.jpg「行きだけが・・・危ない・・・何を・・・あたって・・・結果を・・・えぁーんと・・・書いてない・・・そして・・・わからん・・・いけんけん・・・社員を・・・そーそー・・・交代する・・・日曜日・・・」

以上、昼間の快速列車に乗っているときに、6,7メートル向こうの席に座っていた女の子2人の会話から数分間に聞き取れた言葉である。しゃべる姿は見えないが十代とおぼしき二人組で、声が聞こえるのは片方だけ。一方的にひたすらしゃべり続けて、もう一方は聞くだけだったようだ。走行中の音で中身は判別できないが、甲高い声だけはよく聞こえる。仕事を始めてまだそれほど時間がたってない先輩が後輩に向かって毎日の苦労?を語っていたのかもしれない。私が列車に乗っていた40分ほどの間、ずっと声は響きわたっていた。

これだけしゃべり続けられることは才能だ。相手方は、うなづいたり、ほんの一言を返すだけで、再び当人はしゃべりの世界に入っていく。「聴く」という傾聴の態度ができていないじゃないかと非難するのはやめておこう。彼女の頭の中にはおしゃべりすべき事柄が次々に湧き出して、のべつまくなしに口が反応していく。その才能たるや恐るべしである。こんな人とメールのやりとりでもしたならば、永遠に思えるような返信の洪水にまいってしまうかもしれないなと思う。

ともあれ、その才能を私はある面唖然としながら、またうるさいと思いつつ、本を読み続けた。海は静か、空は青い、天気はこの上ない快晴。平和な午後のひとときだった。
悩んだか?選んだ末の今の僕 [2014年10月17日(Fri)]

fumihouse-2014-10-17T17_14_48-1-thumbnail2.jpgフジテレビで新番組『素敵な選TAXI』が始まりました。毎週火曜日の夜10時から。主演はとぼけたいい味を出したヒゲ面の竹野内豊。脚本は芸人・バカリズム。コント芸の面白さも感じられ、生きることの無常も漂ってきます。ふれこみは「1話完結型の人生再生エンターテインメント!」。

日々の生活は選択することばかりです。AにするかBかを選ぶ、Cをするかどうか選ぶ、DからHまでのうち一つを選ぶ、やるならやるでその加減を選ぶ、やってみて次の展開で選ぶ、やらずにおいて様子をみてまた選ぶ。あれを買うかこれを買うか、あそこへ行くかそこらですますか、捨てようと思ったけれどどうしようか、、、、。あまりにも選択肢が多いことに気がつくと嫌気がさしてきます。

ふだん何気なく選択できるうちはいいのですが、大きな岐路に立ったとき人は誰もが迷います。後戻りできないとプレッシャーがかかるとなおさらのこと。選んだあとで「もしあの時あれを選んでいたら」と後悔したことは誰にでもあるはずです。

そこで、コメディーライターは考えました。本当に過去に戻ってやり直せる能力を持つ人がいたらどうだろう、、、、それをタクシー運転手に設定したらとうだろう、、、、タクシーをタイムマシンにしよう、、、、一話ごとに場面と利用客をかえたら面白いネタにもなるだろう、、、、と。

選択をくり返すという原因を積み重ねると、今という結果があり、ひとりの人生が出来上がります。重そうなテーマになりますが、手軽な感じで楽しめそうなドラマです。あくまで、他人の人生を眺めるという意味では手軽です。しかし一転、自分の生活を具体的にふり返ってドラマにされたとしたら、お気楽ではいられませんね。

日々の選択、いや一瞬一瞬の選択の結果、自分自身がどう振る舞い、他に影響を与えていくかを考えると生半な気持ちではいけませんね。積極的にやっていけば、2年後3年後の自分はきっと変わっていくに違いありません。

(写真は今日わたしに選ばれた花です。名前は知りませんがキレイでしょ?)
さみしげに小さい秋よ母がいる [2014年10月16日(Thu)]

fumihouse-2014-10-16T18_28_28-1-thumbnail2.jpgサトウハチロー『小さい秋みつけた』。だれかさんは誰だろう。「小さい秋みつけた」のは誰だろう。
**********
目隠し鬼さん、おにいちゃん。手の鳴るほうへいらっしゃい。わたくし信じておいでなさい。思いきって飛びこんでらっしゃい。

さあさどうぞ、おにいちゃん。わたしの大事なおにいちゃん。目隠ししたまま、耳をすましてごらん。口笛のようなモズの声、聞こえてきたかしら? いい声してるね。小さい秋だよって教えてくれる。

寒くなったわねぇ、北向きのお部屋にいるとガラスが曇ってくるんだね。どうしたの? お目めがうつろだわ。寒いのかしら、お風邪を召さないで。冷えこんで小さい秋もふるえてる。おにいちゃんと見つけた小さい秋ね。

おにいちゃんと行った丘の上の建物で、風見鳥が回っていたのを覚えているかしら。トサカが磨り減って、おにいちゃんはかわいそうだと言ったわね。紅葉した櫨(はぜ)の葉がひとつだけ残ってた。もう冬も間近のあのころのこと。

小さい秋よ、おにいちゃんと歩いた秋だった。あなたは今はもう、おにいちゃんではないけれど、小さい秋を見つけてくれてるかしら。あなたとわたしの小さい秋よ。

**********
『小さい秋みつけた』は、作詞者のサトウハチローが詩をつくり、中田喜直が曲をつけた悲しげな秋の入り。会えなくせつない母を想う名曲だ(1955年作曲)

(写真は櫨ではないけれど、ハナミズキの赤い実。葉もどもどもに陽光に映えて美しい秋)
雑音か耳に忠言知りがたし [2014年10月15日(Wed)]

fumihouse-2014-10-15T18_15_03-1-thumbnail2.jpg【雑音】のことを、デジタル大辞泉ではこのように説明している。当の大臣は1と3の意味で使ったのにちがいない。

1 不規則で不愉快に感じられる音。うるさい音。
2 ラジオ・テレビ・電話などの聴取のさまたげとなる音。また、電気回路で、目的とする信号電流以外の、通信を妨害する電流。ノイズ。
3 うわさや無責任な意見。「―に迷わされる」

注視される中でしおらしくしているように見えていたが本音では、野党もマスコミもどいつもこいつも五月蠅いわねぇ、とかの大臣は思っていたのに違いないのである。ところが思いがけなく反論されて糾弾されてぐうの音も出なくなってしまった。

祭りで配ったという団扇には「働きます/日本のため/下町のため」と書いてあった。前の肩書である経済産業副大臣名であろうが今の法務大臣名であろうが、私には大したことではないように思える。

確かに公職選挙法は第199条で、「(参議院議員は)当該選挙に関し、寄附をしてはならない」としているが、法律の目的として第1条で、「選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保」するのをうたっていることから考えて、たかが団扇で有権者が「自由に表明せる意思」を曲げるとは思えない。今回を教訓として以後襟を正すように総理大臣が注意すれば十分だろうと思う。これを鬼の首を取ったように騒ぎ立てる野党やマスコミが過ぎる。特に没落感が著しい民主党の焦りが出ているようにも思える。その他この大臣が非難されているのは次の項目だ。

■ストール問題/本会議場で襟巻きをしてはならないと規則で決まっているのにストールを巻いて出席した(猪木議員はトレードマークの赤マフラーをはずしたのに)。しかも、それをスカーフだと言い張り問題ないと強弁した。
■議員宿舎問題/東京23区在住者は住めないとの規則がありながら、墨田区に自宅マンションがある大臣が議員宿舎に住んでいる。
■討議資料問題/団扇を野党から公選法違反だと最初に指摘されたとき、「討議資料だ」と言い張った。

そして、お詫び会見でもって、こともあろうか、「いろいろな雑音でご迷惑をかけたことは残念だった。これから仕事をしっかりと進めていく」という内容の発言をしたから、格好の攻撃材料を提供してしまった。今回の【雑音】発言でもって、松島みどり法務大臣もとうとう白旗をあげる時がきたようだ。人間性に疑問を感じるというネットの書き込みもあるが、そこらへんは私にはわからない。ともあれ脇の甘い人だ、まったくもって。

かつての安倍内閣では、二人の農林水産大臣が事務所経費や政治資金問題で徹底的にたたかれ、麻生アルツハイマーでもわかる発言、久間原爆しょうがない発言、柳沢女は産む機能発言など閣僚の不祥事や暴言でもってダメージを受けた。今回の問題が内閣崩壊の前兆になるとは思わないが、よっぽど言葉には気をつけなさいね、安倍内閣のみなさん!
改鋳で軽い財布は心やす [2014年10月14日(Tue)]

fumihouse-2014-10-14T17_53_18-1-thumbnail2.jpg虚構新聞が10月10日の嘘ニュースで「財務省、全硬貨を1円サイズに統一 原料費高騰で?」とウソを報じた。http://kyoko-np.net/2014101001.html

≪財務省は10日、電子決済の普及により硬貨の物理的な意味が薄れてきたことを理由に、現在発行している硬貨6種類を来年度から1円硬貨サイズに統一すると発表した。急激な円安による原料費の高騰が影響しているとの見方もある≫

ここで魅力的なのが次の表現だ。≪発行済み硬貨との互換性を確保するため、デザインは現行のまま全ての硬貨を1円サイズに縮小。これにより財布のふくらみを40%、重量も30%減らせるようにな≫ると。もしそうだとしたら嬉しいなぁ。

わたしは硬貨入れを持ってはいるものの、鞄を持ち歩かないときは、札やカードが中心の財布だけを持つがゆえに、つり銭として返ってきた硬貨が財布を膨らませ重くするのをいつも不快に思っている。ウソニュースとはいえ、財布の重さが3割減ったとしたらとても嬉しいのに…。
人間のドラマを独白岬カフェ [2014年10月13日(Mon)]

fumihouse-2014-10-13T07_39_21-1-thumbnail2.jpg「日常の中に深い人間ドラマがある」としてモントリオール世界映画祭で審査員特別賞グランプリに輝いた映画『ふしぎな岬の物語』。吉永小百合演ずる悦子さんを中心に、岬カフェでもって人びとの織りなす人間模様を描いていた。

阿部寛、笑福亭鶴瓶、竹内結子、笹野高史、小池栄子など豪華な顔ぶれであるが、どこを切っても吉永小百合。舞台の多くが岬カフェであることもあろうが、吉永小百合のひとり舞台の背景にキャストが書割として用意されたように思えるほど、吉永小百合の存在感が際立っていた。サユリストの喜びや如何、という趣であり、ゆめタウン内のT・ジョイ出雲には年配者がたくさん見られた。

ドロボーさんがもらす言葉、「失敗してもいいんですね」(だったかな?)が心に残る。思い切ってやる、ダメもとでやってみる、人の助けももらいながらやってみる、人事を尽くして天命を待つ気持ちで全力でやってみる、、、。この映画を観て、折れそうな気持ちを抱えていても今わたしは生きている、生きていくと思える観客がたくさんいるといいなぁと思う。村治佳織のギターはしっとりと情感を込めて豊かな余韻を奏でていた。観る人への温かい応援歌となることだろう。
台風は人智を超えて怖いぞと [2014年10月12日(Sun)]

fumihouse-2014-10-12T15_58_42-1-thumbnail2.jpg台風19号は弱くなってきたとはいえ、中心気圧965ヘクトパスカルの強い勢力を保ち、最大瞬間風速50メートルで奄美大島の近くを北東に向かっています。今は出雲では風雨はないものの、明日の大荒れをみこして中止されたり短縮されたイベントが多くあります。

台風19号といえば、1991年(平成3年)の台風を思い出します。忘れることができません。9月27日、長崎・佐世保に上陸したときの中心気圧が940ヘクトパスカルでした。再び海上に出て勢力を落とすことなく日本海を進み北海道まで至りました。その間、多くの死者を出し列島全体に甚大な被害を与えています。九州では山林が軒並みなぎ倒されました。瀬戸内海沿岸では高潮や塩害が発生し、広島・厳島神社が破壊されたのが記憶に残っています。青森では収穫前のリンゴがひどい被害を受けました。

なぜ大変な被害を出したかというと、まず元の勢力が強かったこと、しかも日本海を通ったため衰えなかったこと。偏西風にあおられて台風がスピードを上げるとき本来の風速に加算した風となったためより強くなったこと。台風の恐ろしさを知らない東北や北海道を直撃したこと。それらが合わさって何十人もの方々が亡くなられたのです。

真夜中の直撃時になすすべはありませんでした。何度も押し寄せてくる恐ろしい声を上げる風。屋根の瓦を持ち上げて飛ばしそうになります。実際十数枚の瓦が飛んでいましたが、屋根ごともっていかれたお宅もありましたから不幸中の幸いでした。風雨が窓ガラスを叩きつけ、いつガラスが割れやしないかと不安でした。いざという時に備えて布団をかぶっていましたが、破れて風が吹き込んだとすれば布団など役にたたなかったでしょう。恐ろしい1時間が何時間にも感じられたものです。

超のつく巨大台風、910ヘクトパスカルを超えるものをスーパー台風といいます。数年以内に日本でもそうした凶暴台風が襲う可能性もあります。温暖化が進み海水温度が高くなれぱなるほど、スーパー台風は多くなるでしょう。ともあれ今回の19号が最小の被害におさまりますように。
ヒーローは陰も表も像結び [2014年10月11日(Sat)]

fumihouse-2014-10-11T22_44_26-1-thumbnail2.jpg『イン・ザ・ヒーロー』。スーツ・アクターと呼ばれる影の俳優さんたちの物語でした。主人公・本城役をやった唐沢寿明がかつてスーツ・アクターとして活動していたことを初めて知りました。知られざるアクション俳優たちの活躍する物語であると同時に、いけ好かないアイドル俳優リョウ(福士蒼汰)のめざましい成長物語でもありました。

映像におけるアクションというのは、主役が切ったり殴ったりの一方的なものではなく、攻めと受けの呼吸が絶妙に合致したときはじめてキレを見せられること、あるいは普段の生活する姿勢を正してこそ演技の質が高まること。そうしたことを本城がリョウに教育しつつ、観る者は「なるほど!」と納得してうなずくことになります。

表面上はカメラに映っていなくても見えていなくても、存在しているものが観える者にはみえる。そうした本物を観ることのできる力をつけたいと思うのです。自身を律する心がけを保っていなけれぱ、もろかったり卑しい本性が見透かされてしまうことに戦慄を覚えるのです、この映画を観ると。手強い映画です。

映画の中で顔出しをしてみたいという夢をいだく本城に一世一代のチャンスがきました。ハリウッドのアクション大作からオファーがかかったのです。危険なスタントに本城は果敢にチャレンジします。家族は大反対ですが、その夢は「隠れて見えない者たち」の夢を代弁することでもあります。彼は白い忍者として百人を超える黒い敵たちをバッタバタとなぎ倒し弓矢や弾丸を避けて、かつ火だるまになりながらヒーローとなりました。その姿に胸が熱くなったのです。ネットで見ると、唐沢はある程度吹き替えなしで、あの激しい戦闘シーンをこなしたというではありませんか。あのスキのない殺陣、立ち回りはスピードがあり、流れるような太刀さばきは見事でした。

変身ヒーローのスーツの中には別の役者がいるという意味での「イン・ザ・ヒーロー」。スーツには鍛錬を怠らず最高の演技を見せようと努力するヒーローたちが隠れているという「イン・ザ・ヒーロー」。さらに表舞台で派手に活躍する人気俳優が陰の役者やスタッフたちの貢献を理解して感謝しつつヒーローを演じるという「イン・ザ・ヒーロー」。いろいろな意味合いでのヒーロー像を感じさせてくれるステキな映画でしたね。
傷つけて他人傷つけ自分また [2014年10月10日(Fri)]

fumihouse-2014-10-10T23_32_06-1-thumbnail2.jpgひとを傷つける言葉が氾濫しています。
ひとを騙したぶらかす言葉が蔓延しています。
ひとの絆や願いを引き裂く残虐な言葉が当たりまえと化しています。
ひとを中傷し笑いものにする言葉が渦巻いています。
ネット上には暴言を吐き散らす残忍な言葉が数多くみられます。「数多く」というほど眺め尽くしてはいません。かえってわたしの心がすさんでしまいますから。
なぜなんでしょう?
なぜ容赦なく厳しい言葉が飛びかうのでしょうか。
ひとを励まし、心を温かにし、ウキウキと楽しませる言葉のモデルが少ないからでしょう。
真実の善意がつまった言葉を聞きつけていないからでしょう。
人を信じることよりも疑いの目で眺めることが習性となっているからでしょう。
そして何よりも自分自身の良いところや可能性を信じることができないからでしょう。
その苛立ちを他人に向けるのはズバリ醜い、哀れです。

(栗は鋭いトゲで実を守り人を傷つける。傷つけるように見えて実は甘い実で人を育む)
主催者は晴れてほしいとスポーツ日 [2014年10月09日(Thu)]

fumihouse-2014-10-09T18_40_26-1-thumbnail2.jpgスポーツとは何か。ブリタニカ国際大百科事典はこう解説する。≪競争と遊戯性をもつ広義の運動競技の総称。激しい身体活動や練習の要素を含む≫。

そのスポーツに親しむ秋がやってきた。わたし自身は、歩くのとスロージョギング以外のスポーツからは縁遠くなってしまったが、季節はまさにスポーツたけなわ。各地の施設ではスポーツを満喫して健康になってもらおうとするイベントが目白押しである。

明日10月10日はかつて体育の日だった。2000年からハッピーマンデーとなったので10月第2月曜日が体育の日となったが、1964年10月10日の東京オリンピックの開幕の日として、多くの人に記憶されている、北出アナの名言とともに。「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」。

東京五輪の開会式が10月10日となったのは、晴れる確率が高いからという話を聞いたことがある。明日はどうだろうか。明日はともかく、来週月曜日13日の体育の日は台風19号が日本列島を襲ってきそうな気配である。この日に企画されたイベントは台無しになりやしないかと、関係者は気をもんでおられることだろう。何はともあれ、いま現在最大勢力を保っているこの台風が少しでも弱くなって、被害のより少ないルートを通ることを願っている。
月光か出雲平野を赤く染め [2014年10月08日(Wed)]

fumihouse-2014-10-08T18_46_08-1-thumbnail2.jpg北山山系の向こうには低く棚びく雲。日本海に朝の雲が広がっていました。上空には雲ひとつなく、山際はくっきりと見えて空気が澄んでいるのがよくわかります。今日は天気予報に頼らなくても、快い晴れの一日でした。そして今夜は月食です。赤銅色に染まった満月が見られるでしょう。餅をつくウサギはどんなふうに染まっていくのでしょうか。

中国のウサギは薬草を挽いているのだそうですが、世界各地には様々な紋様の解釈があります。解釈とは大げさですが、南欧では「大きなはさみのカニ」、東欧は「女性の横顔」、北欧は「本を読むおばあさん」、ドイツは「薪をかつぐ男」として物語とともに伝えられているようです。さらに、カナダインディアンは「バケツを運ぶ少女」に、アラビアでは「ライオン」を見たてています。ネット上に添えられた図を見ると、どれもかれもそれらしく見えてくるのが不思議です。

さて、そろそろ欠けてきましたよ。走る列車から見るとウサギの足のところと臼の部分が欠けだしています。地球の影が満月に当たって黒く染めています。染めるというよりはかすり取っていると表現したほうがふさわしいかもしれません。地球の大気のせいで影はぼやけています。月よりは4倍も大きな地球の弧を描いて、影はゆるやかにカーブしています。メカニズムを知らなかった昔の人は、月が突然食いちぎられたような気がして恐れをなしたかもしれませんね。

そうこうするうちに、ウサギの胸の辺りまで隠されてきました。もう4割くらいは隠されたでしょうか。残り6割の光で煌々と月が出雲平野を照らしています。もう30分もすれば、満月は影に覆われて全体が淡い赤銅色に染まっていくでしょう。天体ショーは着々とすすんでいきます。

(今夕の仁万港の夕陽。この太陽が今まさに月を照らし、地球の影をつくりだす)
伸びやかに満る秋なり空気よし [2014年10月07日(Tue)]

fumihouse-2014-10-07T18_29_39-1-thumbnail2.jpg伸びやかに歩くことの楽しさ。
やわらかな夕陽を頬に受けながら歩くことの爽やかさ。
透きとおった青空がどこまでも続いているのを見る心地よさ。
咳がおさまって呼吸を意識しなくても空気を吸い込める小気味よさ。
マスクから解放されて、愉快愉快。
早くも花を咲かせた石蕗(ツワブキ)がご機嫌だ。
雀がヨシの原で騒いで楽しげだ。
秋の空気だ。空気がうまい。
いいぞいいぞと食欲の秋。
そういえば腹がへってきた。
なぜか林檎が食べたいぞ。
空には満月1日前の大きな月。
明るいお盆のように白く丸い。
明日は特別な満月。
皆既月食にワクワクできるだろうか。
川柳で皮肉も愛も語りかけ [2014年10月06日(Mon)]

fumihouse-2014-10-06T17_24_46-1-thumbnail2.jpg敬老の日関連の話題ではあるが、全国有料老人ホーム協会が発表するシルバー川柳でいつも笑っている。14年目の今年も面白い。老いへのペーソスがあり、過剰なまでの自虐もある。政治や世間の欠陥を風刺し、配偶者への強烈な皮肉もある。それでいて思いやりの深いものがあったりする。簡潔にして機知に富んだ五七五を楽しみたい。各回でわたしが気に入ったものをあげてみた。

【第14回】
*避けられない自分や近しい人の死をユーモアでくるんでいる。時事話題も豊富で鋭敏だ*
  どこで見る東京五輪天か地か
  LED絶対見てやる切れるとこ
  鏡見て懐かしくなる母の顔
  新聞を電車で読むのはオレ一人
  妻乱心オレにもほしい自衛権
  同時期にシュウカツをする孫と爺
  脳ボケにSTOP細胞ないかしら

【第13回】
*丁寧に言ったつもりが受け取り方は人それぞれ。それなりに十分豊かで物欲を刺激するものもなくなった*
  お迎えは何時でも良いが今日は嫌
  お迎へと言うなよケアの送迎車
  金貯めて使う頃には寝たっきり
  欲しい物今じゃ優しさだけになり

【第12回】
*自分を笑う余裕が一段と活力を与えてくれるだろう*
  紙とペン探してる間に句を忘れ
  起きたけど寝るまでとくに用もなし
  二世帯を建てたが息子に嫁が来ぬ
  女子会と言って出掛けるデイケアー

【第11回】
*健康のことは体も頭も大問題。見てくれだって大事なこと*
  カード増え暗証番号裏に書き
  万歩計半分以上探しもの
  若作り席をゆずられムダを知り
  入場料顔見て即座に割り引かれ

【第10回】
*今は昔、昔は今。時は流れゆく。悪人は実は悪人顔をしていない*
  「アーンして」むかしラブラブいま介護
  つまずいた ふと見た床に段差なし
  腹八分残した二分で薬飲む
  さびしくて振り込め犯と長電話

【第9回】
*世代交代、世代間のギャップはいいネタになる*
  定年で田舎戻ればまだ若手
  物忘れ昔からだと負け惜しみ
  その昔恐竜見たかと問う曽孫
  注目を一身に受け餅食べる

【第8回】
*微笑ましい夫婦仲や仲間たちの姿がある。捨てたもんではない他人だっているもんだ*
  七夕や夫の願ひをそっと見る
  若作りした日に席を譲られて
  医院前紅葉マークの展示場
  食事会薬でしめておひらきに

【第7回】
*健康に気をつけ互いをいたわる。ホレるとボケる、私も驚いた*
  街鏡そっと猫背の老い伸ばす
  借りた辞書拡大鏡も添えてあり
  いたわりも耳が遠くてどなりごえ
  驚いた(惚)ホれると(惚)ボけるは同じ文字

【第6回】
*定年前には知らなかった世界を知る。世間のことも自身のことも*
  あちこちの骨が鳴るなり古希古希と
  デパートで買い物よりも椅子探し
  定年で働き蜂からおじゃま虫
  退職後犬の散歩で知る近所

【第5回】
*老人扱いされることを嘆くようなふりして、なかなかイキな感じではないか*
  持たされた携帯つまりは迷子札
  化粧品リフォーム詐欺と妻は言う
  診察券五枚で週休二日制
  老木は枯れたふりして新芽出し

【第4回】
*邯鄲(かんたん)の夢という言葉があるが、甘いも酸いもともに連れ添った夫婦の関係はあっという間に過ぎていく*
  おれおれと名のって妻にすぐ切られ
  定年後関白の座をそっと降り
  来てやった貰ってやったで五十年
  「呆けちゃった!」難を逃れる名セリフ

【第3回】
*衰えていく哀愁感がある。それでも負けるもんかとやっていく*
  眼鏡かけ眼鏡はどこだと妻に訊き
  持て余す暇を余裕と言い聞かせ
  手をひいたつもりが孫に手をひかれ
  流行語覚えたころはすたってる

【第2回】
*忘れる、忘れられる。寂しいことだがありうること。でも奥さんの名は呼んであげたい*
  忘れ物とりに戻れば又忘れ
  あれはそこそれはあそこにちゃんとある
  おい!おまえ!いつしか妻の名を忘れ
  妻が書く老後の計画俺イナイ

【第1回】
*ノーと言われても、そっと切られても実は真意は違っていたりして。恋の相手は今のあなたかも*
  次の世も一緒と言えば妻はNO
  赤い糸夫居ぬ間にそっと切る
  逝く日まで恋をする気の紅を買う
  見くびるな賞味期限は切れとらん



じぇじぇ
シルバー川柳
とても面白いですねー
我が家もシルバーパワーに
まけぬよう575!
その前に、
まずはギックリ腰を治します
○笑いこけ シルバー川柳 入れ歯落ち
○要介護 いらぬ世の中 みな介護
2014/10/9(木) 午前 7:57 [ カツどんどん ]

シルバー川柳で笑ったあとは、歯医者にいきましょう。
要介護されるばかりでひとおらず、なんて世の中になったら大変ですね。若い世代が必要ですね
2014/10/13(月) 午前 9:35 [ fumihouse ]
各地には微細な味わい日本酒で [2014年10月05日(Sun)]

fumihouse-2014-10-05T22_39_39-1-thumbnail2.jpg秋の夕べに地酒を楽しむ会in出雲』に参加する機会があった。パルメイト出雲が主催し、日本名門酒会が協賛するもので、今回で7回目だそうだ。

各地から蔵元が集まって自慢の酒を披露して、日本酒びいきの要するにお酒大好きの人たちがたくさん集う会である。酒豪かどうかはわからないが、全国各地の酒を個性的な酒の肴とともに胃の腑に収め、手に入れるためには時間もお金も惜しまぬ心がけを持った方々だろうと思う。日本酒の美味しさをあちこちで語っておられたのが印象に残る。誘われるままに参加した私であるが、思わぬ日本酒の美味しさに(大変しつれい!)目を見開く思いがあった。

参加蔵元は、宮城・一ノ蔵、山形・大山、岡山・嘉美心、広島・賀茂泉、山口・五橋、愛媛・梅錦、高知・司牡丹、そして島根代表は豊の秋。

全種のお酒を口に含むことはなかったものの、日本酒をたしなむことのない私にもそれぞれに違いがあることがわかる。さらりと口当たりよく喉を下っていくもの、ぬるっとした舌触りで口の中をいかにも酒らしい味が駆けめぐるもの、飲んだ瞬間に舌や上顎をチリチリと刺激するもの、いろいろな酒があった。蔵元さんの説明を聞いていると楽しかったし、いっぱしの酒通になったような気もしたが、酔いが回るとみんな忘れた。ぐい飲み一杯は小さいようだが、数が重なればあれよという間に酔いはすすんでしまうからだ。

メモを盛んにとっている人がいた。微細な味を記録にして感覚を記憶に留めようという努力であろうか。体調によっては同じ酒でも違う。食べる料理によっても違う。また蔵元が作る酒そのものが年によって出来が違うこともあるだろう。異なる条件で多くの酒を飲み比べ味わっていく。そしてなによりも酒をたしなむ仲間たちとともに酒を楽しむ。真の酒通ができていく、嗜みができていく。私に真似はできないが、日本酒は深いと思った。

(酒米ではないが、蕎麦畑の見事な連なり。30ヘクタール近くある広大な畑が松江にある)
泣き面に蜂とは風邪と腰 [2014年10月04日(Sat)]

fumihouse-2014-10-04T22_06_50-1-thumbnail2.jpg風邪をひきました。鼻水タラタラとはいかないまでも、ズズスッと詰まり頭がボオっとします。咳が発作的に出てきます。喉がむずがゆく痰がからみます。扁桃腺は腫れていないものの、喉の奥がビョーキになったという感じです。ひき初めは喉でした。

二年ぶりの風邪かもしれません。あまり風邪をひかない体質になったもんだと自慢していたことが恥ずかしく思えます。うつしてはいけませんからマスクをします。鼻と口を大きくおおうものですから、息苦しくなります。目がショボショボになり充血して鼻は苦しいですから、ますます病人らしくなります。困ったものです。

今朝イスに座っているときに咳をしました。右腰に違和感、というか重い痛みを感じました。イヤな感覚でした。軽いギックリ腰です。泣きっ面に蜂とはこのことです。一日中重い痛みは続きました。ハツラツと歩くことができません。それでなくとも風邪のせいで心身が重いのにますます拍車をかけることになりました。

なんとか一日の活動を終えました。ブログもこれで書いたし、さあて寝ますかね。その前に風呂でサクッと温めてから静かな夜を過ごすことにします。
みこぴーが安全うたってひと守る [2014年10月03日(Fri)]

fumihouse-2014-10-03T18_41_02-1-thumbnail2.jpg還付金詐欺被害の発生!」とか、「もうけ話を装った特殊詐欺に注意! 」などといった警告がされる。送信者は、みこぴー安全メール。登録しておくと、島根県警マスコットの「みこぴー君」がせっせと安全情報を送ってくれる。

松江市内で起こった50万円をだまし取られる還付金詐欺では、5年分の医療費の払い戻しがあると説得され、ATMで犯人口座に振り込んだ被害があった。市役所職員を騙り、高齢者が被害を受けている。息子を騙ったオレオレ詐欺も相変わらずあるようだ。「携帯の番号が変わった」「風邪で声がおかしい」というやり口がいまだに生き残っているのは驚きである。

もうけ話を装った詐欺というのは、インドネシアのコーヒーファンド投資を装った儲け話だ。犯人は被害者の自宅まで行ってパンフを手渡し、元手が足りない、すぐに返すので貸してくれと要求したようだ。目先の欲にかられてだまし取られてしまった模様。

発端はいずれも電話だ。下手な鉄砲数打ちゃ当たる式に無差別にかけ続けているのか、それとも高齢者世帯や過去の被害者リストをもとに、騙される確率の高い人をターゲットにしているのかは知らない。それにしても、あれだけ「注意せよ」「騙されるな」とアピールされているのに、まんまと騙されるのはどうしてだろう。詐欺であることを疑い、信用できる人や警察に相談する前に、耳当たりのよい相手の言葉を信用したいという心理が強く働くのかもしれない。

独立行政法人の情報処理推進機構では、こんな標語を発している。
  おもいこみ 僕は安全 それ危険

そうそう。自分だけは大丈夫、今までも何もなかったから大丈夫。そういったリスクをないものと思い込もうとする人間心理は誰にでもある。当然わたしにもある。だから、疑ってかかり石橋を叩いて渡るかというとそうでもない。僕は大丈夫だよ、根拠はないけど、そう思うからさ。と思ってしまうのが、わたしも含めて人間の常なのさ。「わたしも含めて」と書いたが、いつの間にか「わたしは除外して」しまうものなのです。ご用心ご用心。
悲痛なり家族の思いくみとって [2014年10月02日(Thu)]

fumihouse-2014-10-02T20_36_50-1-thumbnail2.jpg御嶽山の噴火で不慮の死を迎えられた方々のご遺族は悲痛です。言葉では言い尽くせないことでしょう。御嶽山のニュースがあるので目立たないですが、拉致事件をめぐる日朝協議では調査情報を出してこない北朝鮮に対し、ご家族の胸は張り裂けんばかりに怒っておられることでしょう。愛する人を突然に失ったり、忽然と姿を消してしまわれた悲しみは想像を絶します。

転じて、日本が中国や韓国と仲たがいをしている問題を考えてみます。日中間では尖閣諸島や歴史認識が問題とされ、韓国とは竹島や従軍慰安婦が大きな焦点です。その根っこには日本の戦後処理の問題が横たわっていると思うのです。日本の経済力が抜きん出た存在ではなくなり、両国との経済関係の重要性が近年相対的に低くなりました。両国も力をつけました。そのことによって浮上したのが、戦中戦後に悲痛な思いをしてきた(させてきた)両国の肉親たちをないがしろにしてきたことではないかと思えるのです。

中国との15年戦争。日本は戦線を拡大し各地を蹂躙しました。補給線が伸びきって物量が補充されず日本は負けましたが、現地調達をするしかない軍は住民から収奪します。ゲリラにも怯えつつ無辜の人々を殺したこともあるでしょう。南京大虐殺30万人という中国側の宣伝はマユツバものとしても、数え切れない中国の民を苦しめました。しかし、周恩来から「日本軍国主義の犠牲となった日本の民衆に罪はない」と寛大に許され、以後は政府間の経済援助をすることで戦中の罪を減じられたと錯覚していたのかもしれません。苦しんで死んでいった中国の民の行方を捜索するなり死に至った経緯を調べて家族に報告した、などという事実はないでしょう。

朝鮮半島を日本は植民地にしました。自発的に日本軍国主義に加担し甘い汁を吸った人ももちろんいたことでしょうが、時代の流れとはいえ日本軍に従属させられ日本式に改名させられ信じてもいない神社にかしずかされた人々の魂の負の軌跡に思いを馳せて謝罪した日本の指導者がいたでしょうか。戦後の混乱期、しかも5年後には朝鮮戦争が始まりましたから、離散した家族の悲しみに寄り添って支援してあげる余裕はなかったかもしれません。しかし、朝鮮の動乱が治まったあと日本は軍事政権とシャンシャンと手を打って経済面でのみ支援や交流を続けました。悲痛であった当国の家族のことはすっかり忘れてしまったかのように…。今の首相も中韓の風下には立ちたくないとばかりに強面の態度です。

両国と日本は正式に国交を正常化させてきたとはいえ、日本の為政者は両国民の心のヒダに入り込んで信頼関係をつくる努力を怠ってきたといえます。今や国力を増し自信をつけた中韓両国も、日本何するものぞとばかりに強硬姿勢です。このままでいいわけはありません。もしも戦後の日本が両国の庶民の心に寄り添ってきたならば、今よりずっと尊敬される日本であったに違いないと思うのです。歴史の大海原を思慮すれば、日本にとって両国は大恩ある大陸の国々です。小異を捨てて大同につく姿勢が必要なのは今だと思います。
御嶽の火山の怒り身にうけて [2014年10月01日(Wed)]

fumihouse-2014-10-01T21_15_11-1-thumbnail2.jpg御嶽山の救助活動は進んでいません。噴火がいつぶり返すかわからず、二次災害が起きる恐れがあるからです。捜索隊は一刻も早く活動を再開させたいところですが、山が鎮まるのを今は待つしかありません。犠牲者の家族はさぞかし苦しんでおられることでしょう。

犠牲者と書きましたが、言霊の国日本ではマスコミは「遺体収容」とは書けず、「心肺停止状態の24人の救出作業」と言い習わしています。心肺停止→心臓マッサージや人工心肺などの処置不能→死亡という結末にいたるのが自然です。ましてや標高三千メートルの冷え込む夜の山頂にあって生き残ることは100%不可能です。

それでも一縷の望みをかけて行方不明者の家族は待っています。情報を待っています。実は山には登っておらず、ひょいと元気な姿を見せてくれるのではないかと奇跡を待ち望む方もいるかもしれません。諦めていたとしても、どのように肉親が亡くなったのかを具体的に知りたいと考えておられることでしょう。「おかけになった電話番号は電源が切られているか、電波のつながりにくい云々」と応答があるケータイに繰り返しかけ続けている方が今もいることでしょう。

戦後最大と言われる今回の火山事故。たくさんの方々が苦しみ悩んでいます。涙を流しています。奈落におちています。多くの人が亡くなってしまいました。合掌