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日本語の意識掘ったは調査かな [2014年09月30日(Tue)]

fumihouse-2014-09-30T18_47_59-1-thumbnail2.jpg文化庁が行う「国語に関する世論調査」の結果が発表されました。毎度のお楽しみです。今回も日本人の国語に関する意識や理解度を掘り起こして、興味深い内容ですね。

【言葉への影響が大きいのは何か】という質問に、圧倒的な多数は「テレビ・ラジオ」と答えました(56%)。「学校」「家庭」「友人や知り合いの言葉」が2割前後で続きます。タレントやスポーツ選手などの「著名人」からの影響も、テレビやネットを媒介して広まるでしょうから、そうしたメディアに登場する人々の影響は多大であると言えます。「新聞,書籍等」は9%ですから寂しいかぎりです。

【人と接する際,相手や場面に合わせて態度を変える方か】では、「いつも同じような態度でいようとする方」(48%)が、「相手や場面に合わせて態度を変えようとする方」(41%)を上回っています。年齢別では、年代が下がるほど「態度を変える」が高いのに比べて(6割台)、「態度を変えない」は反対で60代以上では6割台です。若い世代ほどいわゆる「キャラをつくる」傾向があることがよくわかります。

【相手や場面に合わせて態度を変える人と,同じ態度でいる人のどちらが好ましいか】と聞くと、「態度を変えない」のを支持する割合が59%、「態度を変える」方への支持は25%しかありません。年代が上がるにつれて「変えない」ことを好ましいとしています。ただ私は思うのです。そもそも出会う相手片は自分の鏡なのです。鏡ごとに映る自分の姿は違うのですから、おのずと態度が変わるのは自然だと思います。

【1か月に読む本の冊数】には驚きました。1か月に本を1冊も「読まない」のは全体の48%。10代から50代まではだいたい4割台です。しかし60代では5割弱、70歳以上では6割まで「読まない」率が高まります。本を読むことは楽しいですが、根気もいるし、なによりも目が悪くなると辛い生活習慣なのです。今のうちに読んでおかなくては、と思いました。

【読書量が減っているか,増えているか】では65%が減っていると回答しています。理由としては「仕事や勉強が忙しくて読む時間がない」が51%。「視力などの健康上の理由」が34%。これは中高年ですね。「情報機器で時間が取られる」が26%。要するにスマホの使い過ぎと言えましょう。

【読書をすることの良いところ】はいろいろあると思うんです。「新しい知識や情報を得られ」(62%)、「感性が豊かにな」り(40%)、「豊かな言葉や表現を学べ」(39%)、「想像力や空想力を養」い(31%)、「感動を味わえ」(26%)ます。であるならば、読書の楽しみをもっと経験していきたいものですね。

【電子書籍(雑誌や漫画も含む)を利用】する人は17%でした。10代から30代までは3割を超え、かなり普及してきたと言えます。

さて、いよいよ慣用句の使い方です。

【他山の石】 ■が正解で数値は回答率
■他人の誤った言行も自分の行いの参考となる 31%
□他人の良い言行は自分の行いの手本となる 23%

【世間ずれ】
□世の中の考えから外れている 55%
■世間を渡ってずる賢くなっている 36%

【煮詰まる】
□議論が行き詰まってしまって、結論が出せない状態になること 40%
■議論や意見が十分に出尽くして、結論が出る状態になること 52%

【天地無用】
□上下を気にしないでよい 29%
■上下を逆にしてはいけない 56%

【やぶさかでない】
■喜んでする 34%
□仕方なくする 44%

【まんじりともせず】
□じっと動かないで 52%
■眠らないで 29%

これだけ正答率が低いと、もう正しい答えは存在しないと言っていいでしょう。注意して使わなければなりません。日本語はむずかしい。でも面白いですねぇ。

(今日の花は、もう1ヶ月も前に咲いていた葛(クズ)。繁茂してそこら一帯を覆いつくす葉っぱ(スペード型をしている)に隠れて目立ちませんが、こうして見るとあでやかです)
何かやる悲観を捨ててやってやる [2014年09月29日(Mon)]

fumihouse-2014-09-29T18_15_45-1-thumbnail2.jpg安倍首相が今日参議院本会議で所信表明演説を行った。隠岐・海士町が引き合いに出されたのが嬉しい。災害に強い国土づくり、原発事故復興、観光客増の戦略、地球を俯瞰した外交と成長戦略、再生可能エネルギーの導入などと併せて、地方創生へ大胆な政策を決意するフレーズがあった。

人口減少の日本は成長できないと悲観して立ち止まるのではなく、地方の豊かな個性を生かし、女性の活躍の舞台を用意することによって、日本の可能性を信じて前に進もうと訴えた。日本の未来は今何をなすか、にかかっていると。隠岐・海士町の『ないものはない』というキャッチコピーを紹介して次のとおり首相は述べた。

≪都会のような便利さはない。しかし、海士町の未来のために大事なものは、全てここにある、というメッセージです。(中略)それぞれの町が「本物はここにしかない」という気概を持てば、景色は一変するに違いありません。(中略)島のさざえカレーを年間2万食も売れる商品へと変えたのは、島にやってきた若者です。若者たちのアイデアが次々とヒット商品につながり、人口2400人ほどの島には、10年間で400人を超える若者たちがIターンでやってきています。
 「やれば、できる」。人口減少や超高齢化など、地方が直面する構造的な課題は深刻です。しかし、若者が将来に夢や希望を抱き、その場所でチャレンジしたいと願う。そうした若者こそが危機に歯止めをかける鍵であると、私は確信しています。(中略)一度失敗すると全てを失う、個人保証偏重の慣行を断ち切ります。日本政策金融公庫と商工中金だけで、この半年間で、2万件を超える融資が個人保証なしで実行されています。さらに(中略)新事業にチャレンジする皆さんの販路拡大を、政府一丸となって応援していきます。
 伝統あるふるさとを守り、美しい日本を支えているのは、中山間地や離島をはじめ、地方にお住まいの皆さんです。そうしたふるさとを、消滅させてはならない。もはや時間の猶予はありません。この国会に求められているのは、若者が将来に夢や希望を持てる地方の創生に向けて、力強いスタートを切ることです。皆さん、一緒にやろうではありませんか≫

首相が言ったのだから安倍さんにまかせて、政府与党にお任せという姿勢では時代は変わらない。若者はもちろん、中高年も含めて若者の気持ちになって、何かやってやる時が来たのに違いない。

(キンモクセイの芳香がただよう。思わず引き込まれそうなふんわりした匂いだ。海士町の成功と同様に人々を惹きつけるためには花を咲かせていない時季の努力が不可欠だ)
紅葉の険しい山岳ひと襲う [2014年09月28日(Sun)]

fumihouse-2014-09-28T21_47_49-1-thumbnail2.jpg「嶽」とは険しい山の意。ひとを押さえつける獄舎のような険しい山が迫ってくる意味である。木曽の御嶽山。標高3,067 mの火山。日本百名山のひとつ。

御嶽山で水蒸気噴火によって地下水が爆発し、岩石や火山灰が噴き飛んだ。平和な秋の行楽日和の土曜日に山魔の悲劇が人々を襲った。多くの被害が出ている。山頂付近で31人もが心肺停止になっているという。被害の全体層は未だに不明だ。

多くの人が危ない場所から早く逃れて、安心した生活に戻れますように。コスモスの群生を見て心が安らぎますように。
路地歩き水の都の恋なれば [2014年09月27日(Sat)]

fumihouse-2014-09-27T20_19_52-1-thumbnail2.jpg映画『旅情』はステキだ。わたしは旅の醍醐味は三つあると思う。景色と食べものと出会う人。そのことを余すことなく伝えてくれる映画だった。

ジェーン役のキャサリン・ヘップバーン(『黄昏』でヘンリー・フォンダの妻役の女優)がステキな装いを存分に見せてくれる。四つもスーツケースを持って何が入っているかと思いきや、日替わりのドレスの数々。合わせる靴や下着類を考えればあの荷物は当然だ。目的は恋のアバンチュール。だから彼女は一人旅。しかし、彼女はため息をついてばかりなので、恋のひとつもできてないのはすぐわかる。パリの観光では重いコートを羽織って街を歩けどもいい男とは出会えなかった(説明はないが多分そうだ)。季節は夏となったヴェニスではコートを脱いで軽い装いで一発当てたいと思っているのに……。

寂しさが頂点に達していたときにジェーンはとうとうレナートに出会った。ステキな女性ならば必ず口説くというイタリア男。その言葉どおりにキャサリンは口説かれ、イケメンの眼差しと少しシャイな口調によって虜にされた。

寂しさの故かレナートに会う前、ジェーンは8ミリカメラをひたすら観光の対象に向け続けた。歴史ある建造物などを直接目で見ずにファインダーを通してしか見ないというのはもったいないことだ。イリノイ州からやってきた金満夫妻はひたすらおみやげを買うことに熱中していた。これも金にあかせた行いのようでたしなみに欠ける。カメラ撮影と買い物に狂奔しあたふた観光地を駆け抜ける姿はどこかの国の観光客を彷彿とさせる。映画の頃の60年前には揶揄する対象がアメリカ人だったかもしれないが今は違うかも…。

オリエント急行の降り際に乗り合わせた紳士が述べたとおり、ヴェニスはうるさい。あたりかまわず呼び子の声が響きわたり、品定めをする観光客が大声を張りあげ、汽笛や警笛、教会の鐘の音、路地裏に入れば地元の人の生活音に満ちている。水の都として絶品の景観を誇るのは当然だが、そこにはよそ行きではない日常があった。それを好むもよし、イヤになる者もいる。恋したジェーンにとっては甘く響いていたことだろう。

また、ジェーンには華やかな表通りより路地裏のほうが魅力的だった。擦り切れた古い石畳をレナートとともに歩く。薄汚れた家壁の奥には縦横に路地裏が広がっている。地理不如意の彼女には入り組んだ路地は一人では歩けない。好きになったレナートとともに庶民の生活のにおいを嗅ぎながらゆっくりと路地を歩くジェーンにとっては、路地の冒険であると同時に恋の冒険が始まったことの喜びに満たされた時間だったのだと思う。

しかしレナートには実は家族があった。ジェーンにも仕事があり長期休暇は終わる。ヴェニスを去るときがきて、ベルは鳴り列車は発車した。長いプラットホームを全力で駆けるレナート。その手には二人の思い出のクチナシの花。タッチの差でジェーンに花は届かなかったが、心は届き互いは響きあった。原題は『SummerTime』。ヴェニスの夏は終わった。別れの名シーンとともに印象深い映画であった。
外に出てカモメ語るよ生きること [2014年09月26日(Fri)]

fumihouse-2014-09-26T18_34_17-1-thumbnail2.jpg森鷗外は小説『青年』で主人公にこう語らせる。楽しんで生きる、充実の毎日を生きることは難しい。いつもいつもモラトリアムとなって、私たち日本人にはステキな暮らし向きは獲得できないと鷗外は述べる。

≪生きる。生活する。
 答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。
 一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。
 現在は過去と未来との間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである≫

日々しのぐ。今をしのいで何とかクリアする。楽はその後にある。楽しみはとっておこう。だから頑張ろうと思いつつ、また次の課題が押し寄せてくる……。毎度まいどそのくりかえし。たまのレジャーに出かけても時間に追われるようにして駆け巡り、確かに行ったことの証明を写真に留めて、また次へ。リフレッシュどころか、ヘトヘトになって帰ると責め苦の日々に戻る。

「その先きには生活があると思うの」が日本人であるのは、今も昔も変わらないのかもしれない。しかしながら、享楽的に刹那的に生きる人が増えているというが、その彼ら彼女らは「生きている」であろうか。将来を考えない享楽も将来に禍根を残すということで、「生きている」のではないと思う。

アリとキリギリスの物語では、冬に備えたアリか立派だと教えたかったのが、かつての世間であったが、結果は燃え尽き症候群でひとは蝕まれる。かといって蓄えもなく遊び暮らすのも心配だ。あんばいはとても難しい。
ほんとうはみんなちがってみんないい [2014年09月25日(Thu)]

fumihouse-2014-09-25T18_46_45-1-thumbnail2.jpg個性を尊重し、その人がその人らしくいきいきと生活する。金子みすゞの「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい」という詩のフレーズは人々に口ずさまれて常識になったと思いきや、そうではないことを思い知ることがある。

ひとに優劣はある。競争社会では優劣や順位をつけないことはかえって偽善であり、か弱さを増していくことであると思うし、アジア大会でメダルを授与しない仲好し大会であっては盛り上がらない。もちろん、ある面で優劣強弱を判定したとしても、人間の才能は多岐にわたる。ほかでは逆転するときだってある。仮に万能な人がいて、たとえ全てに劣っているように見える人がいたとしても、人間はその存在自体が貴いものであることを、ひとは学んできたと思っていたが、どうも現代日本は違うようなのだ。

皆といっしょでないとイジメられたり、のけ者にされてしまう。場の空気という長いものに巻かれて戦々恐々と小さくなって生きることはつらかろう。みんなと同じがいい、という同質性を求める文化が昔からあったのは確かだ。村八分(葬儀と火事以外はつきあいを集団的に排除)という制裁が行われた時代もあった。しかし、若い人のおつきあいではどうも「同じ」であることが、何よりも大切なことであるようなのだ。同じであることを確認しあい、同じことに関心をもち、同じファッションを身にまとい、同じ時間をSNSで延々と共有しあう。まるで「同じ」という牢獄に閉じこめられたかのような気分であろう。

≪日本では、学校だけでなくて、職場、近所、つまり、社会一般において、「同じ」でなくてはいけないという非常に大きなプレッシャーが存在します。「異なる」と見られる人はだれでも、批判されたり、仲間はずれにされたりするのです。日本では個人として行動することがとても困難です。このような状況は若者に大きな影響を及ぼします。若者は感受性がより強いからです。≫
(パトリック・リネハン大阪・神戸アメリカ総領事館総領事『私たちは「見える」存在になるべきだ』部落解放2014.10月号)

ああ、なんて難儀な世の中だろう。わたしが高校生や大学生のころにスマホやタブレットがあり、いつもそれに縛られていたとしたら(その向こうの場を支配する強い人?)、おかしくなっていたかもしれないな。
夏遠しススキにのせたバッタかな [2014年09月24日(Wed)]

fumihouse-2014-09-24T18_28_46-1-thumbnail2.jpgススキの穂が立っています。ものによっては扇の広がりをみせています。一本の葉を下のほうから千切り取り、ススキのバッタを織りました。ひさしぶりの作品はやはり思うようにはいきません。編みが甘くてキチンとしてなくて時間もかかります。それでもバッタをつくれる楽しみにひたりました。

四本足のバッタ。本物のバッタは昆虫ですから六本です。ニセモノのバッタ、ツクリモノの昆虫。片方に一本しかないはずの触角ですが、葉を幾重にも裂いてアフロヘアみたいにしました。面白いです。シッポも細かく割って上へ下へ左右にバラしてみました。龍の尾のように思えてきました。楽しいです。

別の新しい葉を穂もあわせて折りとります。四つの差込口を開けて、ニセバッタの足を差し入れます。すると不思議です。ホンモノのバッタがススキにとまっている風情ではありませんか。秋も盛りの気分です。冷夏だったと気象庁は言いましたが、やはり暑かったこの夏。その夏は遠い彼方に去っていきました。

ヒガンバナはいつもよりずっと早く咲きました。キンモクセイも数日前から匂っています。そういえばセミの声が聞こえませんねえ。夜になると秋の虫がにぎやかですが、セミが鳴かないとなんか淋しく感じませんか。

(本文とは全く関係ありません。写真は菊イモの花です。ひさびさに黄の色がほしくなりました。背高の鮮やかな黄があちらこちらに目立っています)
秋の味実った紅のザクロかな [2014年09月23日(Tue)]

fumihouse-2014-09-23T11_20_56-1-thumbnail2.jpg 石榴が割れた 実ったよ食べごろ
 割れ目に指をかけてザクッと 真っ二つ
 外は紅でも開けるとルビー色 一部は無色でグラデーション
 小さな子供の歯のようで サクッとポロポロこぼれるよ
 淡いベージュの内側に 実が張りついてキラリと光る
 手のひらにとって ザクザクこぼれてる
 実から透かして種見える 白いなみだの紡錘形
 口に含んでガンジガジ 淡い甘味を楽しんだ
 淡く酸っぱく爽やかな ジュースにしたら美味しそう
 種を残して口からペペッ 欲ばりタップリ頬ばると
 渋味と苦味が出てくるぞ こりゃりゃいかん もうやめだ
 わたしの秋の味わいひとつ
 今日は天気もりりしくて
 今宵も再び星満点
舞妓さん修行の末の晴れ姿 [2014年09月22日(Mon)]

fumihouse-2014-09-22T19_46_12-1-thumbnail2.jpg見終わってからも当分は、「舞妓はレィディ♪花と咲きましょ〜う♪」と思わず口ずさんでいた。周防正行監督の『舞妓はレディ』はステキなコメディ。観た人を元気にしてくれるミュージカル映画だ。花街を活性化し、芸妓さんがやる気になり、京都人に誇りを呼び覚ました。日本各地の方言にも温かい目があって、ふるさとの言葉の使い手にとっても自尊心を強くさせたことだろう。

オードリー・ヘップバーンの『マイ・フェア・レディ』へのオマージュ(敬意)なのか、パロディなのかは分からないが、まずは表題からして「マイフェア・レディ」と「マイコワ・レディ」はダシャレの関係だ。あちらの教師役はヒギンズ教授で、こちらは京野教授。どちらも言語学を本業とし、片や粗野な花売り娘イライザを英国の上流の淑女に磨き上げ、一方は右も左も分からぬ小娘・春子を一年でひたむきさで輝く舞妓に成長させた。

ヒギンズが言語矯正の際に使ったフレーズが、「The rain in Spain stays mainly in the plain.」(スペインの雨は主に平地に降る)。片や京野センセは「京都の雨は大概、盆地に降るんやろか」と対にしていた。

言葉をレッスンして春子を育てていくんは京野センセだけやない! お茶屋の姉さんがた、男衆(おとこし)や花街のみんなが、春子を一人前に育てていく話になってるんどすぇ。ホンマええ話どす! こないな少女の成長物語、みんなに観てほしいと思おてるんどす。ああ、ホントよろしおますよ…。

周防監督の過去の作品『Shall we ダンス?』を使ったギャグにも笑った。京都の花街には縁はないけれど、日本の文化の生粋ともいうべき京のおもてなしへの憧れが湧いてくる。華やかな結末の陰には血のにじむ努力があった。春子が舞妓・小春になるまでに京言葉を身につけ、厳しい花街のしきたりを頭に入れ、唄や舞踊の稽古に涙するシーンがあった。まるで春子の親にでもなったような気がしてしんみりとした。その春子役をやった新人・上白石萌音にも今後は注目したいと思う。
香ひねり花を散らして曼珠沙華 [2014年09月21日(Sun)]

fumihouse-2014-09-21T18_42_16-1-thumbnail2.jpg思いがけなく早い秋がきて、彼岸花は去年より十日も早く咲いた。別の名を曼珠沙華。サンスクリット語で元の意は天上界の花。秋の彼岸に咲く仏の花にふさわしい。

あの意匠が不思議だ。細くてびらびらの花びらが放射状に広がり、鯨のひげのような花糸が周りを囲うように伸びている。私には貴人が持つ風車のように思える。 片鱗すら見せなかったものが、あれよという間に周りの草を追いこして忽然と現れる。一斉に満開となり、萎れるのもそろいぶみ。

真紅の花色が縦横無尽に広がる。妖しく一帯を染めて燃え立つように群生する。稲刈りが終わった田の畦道に咲く曼珠沙華は異世界を思わせる。朝日が辺りを照らし出す直前に見るこの花は、冷涼な空気の中でキリリと立っていた。

(今朝方撮った畦道の横の曼珠沙華。珍しい白色。薄紅がほんのり混じった象牙色というべきか。朝日に照らされて美形の肌色のような)
屈従か共和の道か投票す [2014年09月20日(Sat)]

fumihouse-2014-09-20T22-07-06-1-thumbnail2.JPG人間とはそこまでして独立したいものだろうか。スコットランドが英国から独立するかどうかを問う住民投票は、独立反対が独立賛成を上回り英国の分裂は回避された。反対は200万票、賛成が162万票であった。差があったとはいえ、この運動を率いたスコットランド行政府のサモンド首相が「スコットランドの独立運動は続き、夢は決して死に絶えない」と述べたとおり、今後に独立運動の芽を残しているという点では僅差であると思う。

しばらく前までは反対が大多数を占めていたというから、反対派は油断したと見るべきか。ではあるまい。物事を現状を変えたいという意志の力は時折信じがたいような結果をもたらすことがある。かつて「何かしら変えたい」という政権交代への求心力が働き、民主党に地すべり的タナボタ勝利をもたらしたことがあった。現状を維持してそこそこの範囲で改善をはかろうとする現有勢力にはパッとした吸引力はない。スコットランドの独立への動きは魅力的に映ったことだろう。

ましてや、スコットランドが大英帝国に併合されてから300年。サッチャー政権が不採算な造船所や炭鉱を次々と整理したとか、経済格差の不満があるとか、独立賛成派には追い風があった。しかし、最終的に独立して自決権がえられる一方で、独立国が負担しなくてはならない大きなコストや経済的落ち込みの不安などから、スコットランドの人々はより現実味のある選択をしたのだろう。

東京大学の安冨歩教授はこう言っている。
≪大半の人が誰にも頼らずに生きることが自立することだ、との認識を持っていると思いますが、実際に誰にも頼らずに生きることはできません。自立しようと思って、依存先をどんどん減らしていくと、最終的にどうしても頼らざるを得ない相手が残ってしまいます。その人にはどうしても従わざるを得ません。(中略)少数の他者に依存するほうが従属している状態だといえるでしょう。そう考えると"誰にも頼らない"という考えこそが、結局は人に従属する原因だ、ということになります。
 自立した人というのは、自分で何でもする人ではなく、自分が困ったらいつでも誰かに助けてもらえる人のことをさすと考えます。「自立とは依存すること」≫ (月刊第三文明2012年6月号)

いい意味でスコットランドが、イングランドやウェールズ、北アイルランドとともに英国を維持しつつ、頼るべきは頼り合いながら共生社会を築いてくれることをわたしも願っている。

(写真は姫路・白鷺城の白壁に開いた鉄砲穴。武力紛争という選択肢ではなく、立派に民主的な選挙運動によって賛否が決まったこと、アッパレであると思う)
野をこえて線路よ続けどこまでも [2014年09月19日(Fri)]

fumihouse-2014-09-19T18_34_43-1-thumbnail2-1fa3e-thumbnail2.jpg『線路はつづくよどこまでも』(佐木敏作詞)は楽しくて明るい旅の歌だ。アメリカ合衆国の開拓時代、大陸横断鉄道建設のときに労働の哀愁を歌ったとは知らなかった。原曲題は『I've Been Working on the Railroad』。日本の歌詞では明るく楽しい汽車の旅を歌っている。

  線路はつづくよ どこまでも
  野をこえ 山こえ 谷こえて
  はるかな町まで ぼくたちの
  たのしい旅の夢 つないでる

かつて国鉄分割民営化が巨額赤字解消と労使関係正常化を目的に進められたのは30年も前のこと。サービス水準が均衡しなくなり、利用者は大きな損失をこうむることを理由にして、激しい反対運動があった。私も署名を集めたことがある。多くの集会にも参加した。そのころ私の脳裏に流れていた歌がこの『線路はつづくよ』であった。旅の楽しさが失われてはならないと思った。

一方で、激烈な闘争態度をとる国鉄の組合員たちには違和感があった。イデオロギーを先鋭化させて国民のためというよりは、組織的利益のみを追求する彼らの言動に辟易していた。結局、中曽根内閣の強力なリードで国鉄はJRとなった。ストはなくなり、横柄な駅員や車掌は皆無となった。サービスはなくなるどころか多様化し、他の交通機関と利便を競うようになって利用者は利益を得た。課題は山積していても、列車の旅は線路の連なりとともに健在である。

今日も線路とともに歌いたい。列車の響きを楽しみたい。リズムに合わせて寝るもよし、口ずさむもよし、本の世界にのめり込むもよろしい。僕たち楽しいうれしい旅の歌。

(線路が二本のレールで道を分けるように、今朝の空は台風の影響からか、南北に曇り空と青空が分け隔てられていた)
トロトロかズンズン歩くか道草で [2014年09月18日(Thu)]

fumihouse-2014-09-18T18-26-30-1.JPG歩こうよ 歩こうか 歩いて行けるの元気な証拠
歩くの好きだな 大好きさ ずんずんズンズン歩くのさ
坂道上ると息弾む トンネル入れば妖しくて 草っぱらに風薫る
砂利道の向こう届けば 丸木橋
蜘蛛の巣くぐれば 下り坂

歩こうよ 歩こうか おかげで今日も元気だよ
歩くのスキだよ 大好きさ どんどんドンドン歩くんだ
お花畑にぶんぶんと 飛んでる弾んで ミツバチが
日向にスルスル トカゲさん 草むらのヘビ昼寝かな
おやおや飛んだよ バッタ飛ぶ 一緒に道を曲がろうね

歩こうよ 歩こうか いよいよ私は元気だよ
歩くのいいね 好きだもん グングン歩くさ楽しいな
キツネも タヌキも 出てくるか
一緒に探検してくれる? 林の奥はこわいかも
友だち 一緒で 嬉しいな
友だち たくさん 楽しみさ

(道ばたにはネコジャラシがたくさん。きょうはトトロが出てくるかもしれないね)
巡りきて空気も水も素粒子も [2014年09月17日(Wed)]

fumihouse-2014-09-17T19-04-39-1-thumbnail2.JPG谷川俊太郎に『空気』という作品がある。

  ぼくの 胸の中に
  いま 入ってきたのは
  いままで ママの胸の中にいた空気
  そしてぼくが いま吐いた空気は
  もう パパの胸の中に 入っていく

そうなんだ、なるほど。考えてみれば空気は次々と入れ替わる。国を超えて地球の中を巡り巡って、あらゆる生き物の胸に出たり入ったりする。たとえ敵の口から吐き出された空気であってイヤでも空気は入り込む。なくてはならない空気として私たちは利用する。

水だって同じこと。誰かの息から吐き出された水蒸気やオシッコが巡っていって私たちの口から入ってくる。否が応でも敵でも味方でも。欠くべからざる水分子として何度も身体に入ったり出たりする。そして谷川さんの詩は、すべての生き物が兄弟であることを忘れないで、と締めくくる。

地球を超えて宇宙を考えてみた。ビッグバンとともにできた素粒子は様々に生まれ変遷していく。星が生まれ組成を変え超新星爆発を起こして素粒子は宇宙全体を駆け巡る。私の口から入ってきた水や空気の分子も、元はといえば駆け巡った素粒子のなれの果て。私たちは宇宙の組成そのものだ。宇宙が集まって命をつくり、宇宙は命そのものなんだ。そしてわたしは宇宙そのものでもある。ああ〜不思議だな。
敬老は幸齢社会の最先端 [2014年09月16日(Tue)]

fumihouse-2014-09-16T18-41-30-1-thumbnail2.JPG昨日は敬老の日。先日総務省が発表した人口推計によれば、現在65歳以上の方は3300万人。昨年に比べ百万人以上も増えています。日本の人口に占める割合は25.9%で4人に1人が高齢者ということになります。もちろん過去最高です。75歳以上の長寿者は12.5%ですから、8人に1人が後期高齢者です。後期高齢者は疾病になったり足腰が弱って医療的なケアが必要になるケースが統計的に増えるわけですが、多くの皆さんは元気です。

そのあらわれとして100歳以上の高齢者は5万4千人にも達し、これも過去最多でした。喜ばしいことに島根は人口比率で全国一です。このことは厚労省が分析するとおり「医療や介護の分野が進歩し、高齢になっても健康に暮らせる環境」ができた結果ですが、島根にとってみれば母数となる人口が70万人を切るなどの社会変動の証左でもあります。喜んでばかりはいられません。それでも健康で長寿を全うしたいという人類の願いの最先端を日本は歩んでいるわけです。素直に喜ぶことにいたしましょう。

【高】齢社会は、【幸】齢社会でなくてはなりません。光り輝く【光】齢社会でもあります。そのことを広く人々が意識する【広】齢社会とするためには実践が必要です。【行】齢社会です。体が衰えていくのは仕方のないことですが、上を向いて歩こう。そう【向】齢社会です。少しはアンチエイジング、すなわち【抗】齢社会の要素も必要ですし、【交】流し【貢】献し熟慮断行する【考】齢社会は進むでしょう。【興】奮しませんか? 【好】感度たっぷりの年配の方々が、黄昏時の晩秋を【紅】葉に彩られながら黄金色に輝きながら散策している図を想像すると。【香】り豊かな【恒】齢社会よ、いつまでも、と願っています。
パソコンを買ったはいいがストレスに [2014年09月15日(Mon)]

fumihouse-2014-09-15T22-43-47-1-thumbnail2.JPG新しいパソコンを買いました。ノート型のウィンドウズビスタを使い続けて8年近く。さすがにその動きの悪さに業を煮やしたのです。今度はデスクトップ型でメモリも十分ありますし、CPUもそれなりに速い。新しいおもちゃが手に入ると、ふつうは無条件でうれしいものですが、パソコンの場合は少々事情が違います。

もっとスペックの高い“あれ”を買って奮発すべきではなかったかとか(もちろん値は張ります)、店員にもっと疑問点をただしておいたほうが良かったのではないかと、あとで考えてしまうのです。それ以上に憂鬱なのが、設定の面倒さです。ネットに接続して最低使える状態にするのは簡単ですが、ファイルを移し替えて、必要なアプリをダウンロードして、使い勝手がいいようにパソコンの仕様に変更を加えて、自分好みの状態にまでやろうとすると、丸一日がかりの仕事です。結構これが面倒なのです。

しかし止むを得ません。文明の利器を使いこなす(とてもその境地には達しませんが)ためには、避けて通らずにはいられません。また明日、ガンバることにします。
鳴き砂をキュキュッと鳴らし天真に [2014年09月14日(Sun)]

fumihouse-2014-09-14T23-30-47-1-thumbnail2.jpg砂を鳴らす。すり足で砂浜をこすりつけてズンズン歩く……。鳴き砂の浜「琴ヶ浜」で砂を鳴らして天真爛漫に楽しんだ。空は青い。雲は高い筋雲。白波が立つ海は太陽に照らされて群青の深みを増していた。

砂の音は形容しがたい。キュッキュッという澄んだ感じではなく、ギュッギュッとも、キュイギュッ、キュバッキュとも表現できるかもしれない。大田市仁摩町馬路(まじ)にある琴ヶ浜。JR馬路駅の真下にある。石英の粒を多く含む砂が表面摩擦を起こし音を出す現象である。

しゃくりあげて泣くような趣もある。泣き砂とも言われる所以である。壇ノ浦の決戦に敗れた平家の姫がこの地に流れ着いた。村人に助けてもらった礼として姫は毎日琴を奏でた。その姫が亡くなっても馬路の砂浜はまるで琴の音のように鳴き続けた。それ以来琴ヶ浜と呼ぶようになったという。琴姫をしのんで村人も泣いたのかもしれない。今やもう、遥か昔のロマンとなった物語。

(踏み鳴らして楽しんだあと。砂に足跡くっきりと残っている。これを名付けて「後の祭り」)
薄暮には魔物がひそんで人を食う [2014年09月13日(Sat)]

fumihouse-2014-09-13T17-19-14-1-thumbnail2.JPG9月はもう半ば。あれよという間に暗くなる時季になりました。毎日2分ぐらいずつ、日の入り時間が早くやっていきます。秋の日はつるべ落としというとおりですね。

薄暮の時間帯に交通事故は多発します。子どもが塾や部活動を終えて帰宅するころ、大人も急ぎ足で帰宅するころ。歩行者も運転手も注意も散漫になりがちです。特にこの時期は暗くなるのが早いのですが、文字どおり薄暮は完全に暗くなっていません。空は明るいので地上もまだ明るいんだと錯覚しやすいのです。

よーく見えているつもりでも、実際は目は暗さに慣れておらず、距離感に支障をきたし、動いている物も遅く感じやすいなどの危ない兆候があります。ドライバーが歩行者を視認するのが遅れることもありますし、車が迫っていても「今なら渡れる」と思って道路を渡り始めて危ういケースもあるでしょう。完全に暗くなっていないだけに、大丈夫!という油断が出てきてしまいますし、早く帰りたいという期待感から注意もおろそかになります。

薄暮の時間は魔の時間だと思っていかないと、とんだ災難に遭うことになります。自分の動きは慎重に、かつ他人(自動車)の動きを信用しないという配慮が必要です。ましてや加害者になってしまったら取り返しがつきません。今夕は魔の時間に運転します。十二分に気をつけていきたいと思います。
ほしいなあ紙の月だよパパ取って [2014年09月12日(Fri)]

fumihouse-2014-09-12T18-24-32-1-thumbnail2.JPGペーパームーンは紙の月。ペラペラ薄くて天から今にも落ちてきそう。今朝の澄んだ空、高い空。白い月がかかってる。まさにペーパームーン。白くて淡くかかってた。

一昨日は満月。一昨々日は中秋の名月。満月は十五夜で新月から十五日目の月。九月の十五夜は中秋の名月。満月ならば十五夜で、十五夜なのに満月ならぬとは不可思議だ。たまたま今年は十五夜と満月が一日ズレただけ。

月が満ちて欠けてなくなって、三日月になって上弦の月へ。さらに満月になるまでは二十九と半日。ちょうど三十日ならば何のことはないけれど、この半日が曲者だ。このズレが満月と十五夜を引き離してしまった。

太陽から見れば月は常に完全な満月。日に照らされて月は輝く、これ当たりまえ。月は欠けたり満ちたりを繰り返す。地球と月の位置によりけりで地球人からの見え方が違うだけ。

完全なる満月を地球人が見ようと欲すれば太陽と地球と月は一直線。ところがそうなってしまうとジレンマだ。皆既月食となって満月は見られない。おやおや皮肉なジレンマだ。

来月の満月。その皆既月食が見られる。日食ほどダイナミックではないけれど、宇宙の偶然楽しもう。名画『ペーパームーン』を観るのもいいかも。詐欺師と少女が織りなす心温まる旅物語。ほっこり温まるのもいいかもね。それともカールさん、『パパ、お月さま取って!』の絵本でも開きますかね。

(満月ほどは丸くないタンポポのわたぼうし。ふわふわ飛んで新たなボウシをつくります)
青空とカンナの黄色目に留まる [2014年09月11日(Thu)]

fumihouse-2014-09-11T22-59-04-1-thumbnail2.jpg

びらびらの髪ふり乱しカンナ立つ空が高いよ雲は白いよ

カンナ立ちそばかす赤しや乙女の黄やがて美し秋が来る由

立つカンナまるでダチョウが走るがごとし首が長いよ胴はでかいよ
朝昼晩アイスうましと舌つづみ [2014年09月10日(Wed)]

fumihouse-2014-09-10T17-50-33-1-thumbnail2.JPG朝のアイスはうまい。
チョコをコーティングしたアイスクリームがいい。
口で溶けてぬっとりと広がっていく。
甘味のおかげで幸せだ。
眠たい頭が冴えていく。
朝のアイスはとてもよい。

昼のアイスはうまい。
宇治金時に練乳をトッピングしたアイスバーがいい。
フルーツをたっぷり入れた硬めのバーもいい。
外の暑さにあてられて火照った体を冷ましていく。
頭がキーンと冷えていく。
これこそ夏の幸せだ。
昼のアイスはとてもよい。

夜のアイスはうまい。
カップに入った上質のアイスクリームがいい。
食後に談笑しながら食べるとよろしい。
始めはパクパクずんずん食べていく。
残り少なくなったならもうひとカップ、いけません?
欲は八分で止めとこう。それも幸せだ。
夜のアイスはとてもよい。

朝昼晩いつもアイスばかりだと 体重増えてたまらない せいぜい日に一度 それならじっくり楽しもう
そうするうちに夏の暑さは脇に寄り ツクツクボーシが夏名残り 高くて青い秋の空 月は今夜も美しかろう
しまねっこ島根のためにしまねっこ [2014年09月09日(Tue)]

fumihouse-2014-09-09T18-04-36-1-thumbnail2.jpg島根県観光キャラクター【しまねっこ】が、ゆるキャラグランプリに今年もエントリーしました。投票は10月20日(月)まで行われ、11月に結果が発表されます。全国各地から1669体も参加し順位を競います。昨年は1245体ですから3割増しの応募数です。【しまねっこ】のライバルは多い。昨年は第10位でしたから、なんとしてでも第一位の座をつかみ取ってほしいですね。

頭に出雲大社造りの千木と鰹木を配して全体が鮮やかな黄。ほっぺに赤渦巻きがかわいいんです。その【しまねっこ】へぜひ投票をお願いします。9日朝の時点で7位と奮闘中ですが、他のキャラが追い上げています。あなたの協力なしには優勝はおぼつきません。

投票の仕方は簡単です。

・【しまねっこ】の投票ページから「ID(メールアドレス)で投票する」をクリック。登録が済んでいない場合は、仮登録のページが出てくるので、そこから登録アドレスにメールが送られる。
 http://www.yurugp.jp/vote/detail.php?id=00000021(これをお気に入り登録しておくとよい)
・指定されたところにアクセスし、パスワードを設定する。
・登録したメールアドレスとパスワードを入力して投票すると完了。

メールアドレスを毎回入力するのは面倒ですから、この際アドレスを単語登録をして、短い語句で表示されるようにしておくとよいでしょう。投票は1アドレスにつき1日1回可能ですので、よろしかったら一日1票をお願いしますね!
消すまいと野心燃え立つ読後感 [2014年09月08日(Mon)]

fumihouse-2014-09-08T19-15-29-1-thumbnail2.JPG林真理子著『野心のすすめ』(講談社現代新書,2013年)を読みました。いつの間にか眠ってしまっている意欲を呼び覚ましてくれました。サラリーマン根性が染みついてしまったのではないか、今のままでよしとする保守的姿勢に固まっているのではないか。そんな懐疑する心を自分に向けています。

≪若い人がみんな貯蓄に走っているらしいですね。先の見えにくい世の中だから気持ちはわかります。(中略)でも、たまには気前良く、観たいものを観に行ったり、自分に投資することは必要ではないでしょうか。せこい人にはせこい人生が待っているのです≫

やってみたいことに封印をしているのではないか、やらなくてはならないことも逡巡してしまって何事もなし得ていないのではないか、どこか旅行に行きたいと思うだけで具体的に行動を起こしていないのではないか。憧れや希望に向かって面倒だと思う怠け心を乗り越えて頑張れ、と自身を督励したくなってきます。

≪早いうちから“何者”かになろうという野心を持ち、努力を重ねているに越したことはないわけです。若い頃を、流されるがままに坦々と生きてきた人が急に目覚めて、中年になってから急にお金を稼ぐような仕事を得られる可能性は、ゼロとは言わないけれどかなり低い。≫

結論的に著者は、「野心」とは、≪自分はこういう人生を送りたいという目標。決めたら、歯を食いしばってでも頑張ってみること≫と表現しています。容姿や生育歴など条件はけっして良くない中で、夜郎自大的と言ってもいい野心を常に掲げて自己をアピールし、逆境のときも野望を片時も忘れなかった著者の述べる言葉には説得力がありました。

私にはドロドロした有名になりたい志向はありませんが、「何者」にかはなってやりたいと思ってきたのは確かです。しかし、「成りたい自分」というのは、有りそうで無い。漠然として形がないし、いつの間にか霧のように薄れてしまうものです。願望や志を具体的なビジョンとして形にしたいと思います。
出雲にてテングの熱よ冷めないで [2014年09月07日(Sun)]

img_20140907.jpg出雲人の多くが今、テング熱に罹患している。デング熱ではない、テング熱だ。天狗のように鼻高々になって浮かれている。

錦織圭が全米オープンで決勝進出した。世界ランク一位のジョコビッチに対して、研ぎ澄まされた感じで終始落ちついて余分な力が抜けて、いわゆるゾーンに入った状態だったのだろう。決勝は9日の早朝。相手はこれも戦いを通じて進化してきたクロアチアの選手だという。松江出身の彼が、一段といいプレーをして出雲人を興奮させてくれますように……。

10月5日には出雲大社において、高円宮典子さんと千家国麿さんが結婚される。出雲市では出雲大社の縁で結ばれた二人を奉祝する準備を進めている。二人の先祖をたどれば日本神話に行きつくわけで、そのご縁にあやかるために全国から多くの人が集ってくることは間違いない。一昨年の出雲神話博、昨年は出雲大社の大遷宮と大型イベントが続き、全国へ出雲神話への憧れをかもし出してきた。JRの夜行列車サンライズ出雲がさらに女性客で満員になりますように……。

島根観光キャラクター「しまねっこ」もそこそこ人気を博している。輝く黄色、つやつやの毛並み、愛らしい仕草、頭には出雲大社造りの意匠をほどこされた可愛いやつだ。昨年のゆるキャラグランプリでは、終盤ごぼう抜きされて10位に沈んだが、今年こそ念願の一位になれますように……。

デング熱にも要注意であることに変わりはない。代々木公園へ近頃行ったことのある人、新宿中央公園のあたりを歩いた人。微熱があった経験はこの頃ありませんか? 秋の虫が賑やかになってきた今こそ、夏の疲れが出る頃です。ご自愛ください。

(今日の出雲の空。青く澄んだ空。すがすがしい風が吹いている)
ヨハンスン人類初のルーシーを [2014年09月06日(Sat)]

img_20140906.jpg図らずも人類創世の旧人類の名を与えられたルーシーが脳の稼働域を広げていく過程で、ノー天気なお嬢さんから冷静沈着で完全無欠な超能力者に変化していく様子が凄まじい。

映画『ルーシー』は、宇宙の壮観な歴史絵巻でもある。また壮絶な殺人アクションであって12歳未満禁指定というのがうなずける。ルーシーだけではなく、韓国マフィア(今まで観たことがない設定だ)が冷血無情な黒い殺人集団として登場するのと併せて身震いがした。

100%脳を使いきったらどうなるか。それをルーシーは実現した。だがそれは二度と市井には戻れない、それどころか愛する人と触れ合うことはもちろん、言葉さえ交わせないことを意味する。すなわち一人の人間にとっては死である。「私はどこにでもいる」とルーシーが言い残したとおり、彼女は宇宙とともに、いや宇宙そのものとして森羅万象に溶け込んで永遠の生命を獲得した。脳を100%開発するということは、人類の歴史のすべてのみならず、宇宙のすべてにコミットすることなのだ。人間の目には消えてしまったとしか見えないが、彼女は生きている。仏法の生命観と同様に、宇宙に遍満して生き続ける。

宇宙と一体化するのは脳を完全に使い切ったルーシーだけではない。死を恐れる人たちよ、愛する者と死別せざるをえなかった人たちよ、悲しむな。死者はそこにかしこにいる。あなたを見つめているよ。再び縁に触れて生まれてくるかもしれないよ。そんなメッセージが聞こえてくるような気がした。

人間は脳の能力のうち10%しか使っていないという。物忘れが多い、新しいことが覚えられない、想像したり予測ができない、人の気持ちがわからないなど日々頭で思い悩む私たち。1%でもいいから脳の働きが増えてくれないかと願うのは、わたしだけではあるまい。

その望みは適度にという条件がつく。脳の力が必要以上に増強するということは、その場のすべてを記憶し、過去の記憶の断片を再解釈し生まれて以降のことすべての感覚を思い出すことである。他人の感情も掌にあるかのように把握できる。さらに映画では超超超能力者として、他人の意志や体までコントロールできた。

その程度であれば喜ばしい。ところが、眼の前の人が考えていることや生活歴や日々のネットワークまでわかってしまうどころか、第六感でピンとくる以上にデジタル化して情報が得られ、そのすべてを記憶できる。知りたいことだけでなく、知らなくてもよいこと、知りたくなかったことまでもすべて頭に入ってしまうのは悲劇だ。今のまま抜けているくらいがちょうどいいのだと思うことにしよう。

小説『アルジャーノンに花束を』で、発達遅滞の青年チャーリーは手術によって、ネズミのアルジャーノンと同様に天才的な知能を獲得する。一方で彼の心身はバランスを失し孤独になっていく。最後は以前より低いレベルにまで知能は退化した。映画『2001年宇宙の旅』では、宇宙の創世記からの歴史が人間の生命にも備わっていると表現した。また人工知能ハルには頭脳さえ明晰ならばよし、とする不遜な考えがあった。私の頭の中にはこの二つの物語が連想されたのである。

旧人類アウストラロピテクスで最初に発見された名が「ルーシー」。ルーシーを発見したのが考古学者のヨハンスンだそうな。スカーレット・ヨハンスンがルーシー役をやったのは、美形で演技力抜群だという理由だけではなさそうだ。そのスカーレットはルーシーを演じてどう感じたろうか。すべてを知っている、すべてを感じられる、なんでもできる……。いわゆる「全能の神」の状態に置かれたら、孤独で寂しくて望みなんかなくなって、意外性を楽しむこともなく、一日で嫌になるね。とスカーレットは言うに違いない。

(今宵の西の空。ルーシーはここにも存在するのだろう)
嫌な奴フィルタリングが破綻して [2014年09月05日(Fri)]

fumihouse-2014-09-05T19-15-26-1-thumbnail2.JPG先日迷惑メールがきて困ると書きました(8月20日「迷惑にとどまるうちはいいけれど」)。一つひとつのドメイン(@より後ろの部分)をドコモの迷惑メール設定サイトに登録して、以後同じドメインからのゴミメールを受信しないようにしてきました。ブラックリスト方式です。

ブラックリストというと、元は要注意人物や危険人物、あるいは集団を記した一覧をさしていましたが、今は意味が広がりました。拒否したり、避けるべき対象をすべて書き出しておくことを、ブラックリスト化といいます。

ところが、わたしの迷惑メール対策が破綻する時がきたのです。それが一昨日でした。ゴミが一日に20近くもきたのです。昨日はさらに増えて30を超えました。

ブラックリストの登録では埒があかないので、ホワイトリスト方式にしました。ドコモやauなど携帯電話サービスのアドレスからのメールは受け取り、受け取りたいパソコンアドレスのドメインを30個くらい登録して、昨夜設定を終えました。今朝メールをチェックしたときに目を疑いました。20個くらいのゴミメールがきているではないですか。

そして今は夜7時。ゴミ箱に放り込んだ憎っくきゴミメールは一日で150を超えています。フィルタリングの設定が誤っていたのでしょうか? 中身は見ていませんが、アダルトサイトに誘うもの、法外の利益をうたうもの、手助けを求める女の名前、出会い系サイトなどなど、有害サイトだらけで気分が悪いです。

もう手のほどこしようがありません。明日はドコモショップに駆け込むことにします。

(悪者たちの目は善良な者たちを付け狙う恐ろしい目だ。写真の目は悪者ではない。どこか恨みがましいメジロの目)
雲一つ二つと増えて喜怒があり [2014年09月04日(Thu)]

DSC_0076.jpg朝家を出るときは曇っていた。
風はなく昨夜からの湿気で肌に不快を感じた。
列車に乗って西に向かううちに雨になった。
傘をさして歩くうちに気温が下がった。
雨は本降りとなりアスファルトは水たまりにおおわれた。
冷たい風が出てきた。
ポロシャツを通して寒さを感じるようになった。
窓を閉めた。
雨は3,4時間続いた。
風がなくなった。
やがて雨もやんだ。
すると蒸し暑さに不快になった。
窓を開けた。
変な天気だ。
そして今は雲の合間から日が射して森や海を薄い茜色に染めている。
天気は刻々と変化する。
天気がよいといっては喜び、日照りが続くといっては悲しむ。
ひとは天気に左右される。
今のところ人間はまだ気候には無力だ。おそらくこれからも…。

(沖縄に咲く木の花らしい。調べたが名前はわからない。出雲でもこうして亜熱帯の花が当たり前に咲けるようになってきた)
ひとはみな母性と父性を併せ持ち [2014年09月03日(Wed)]

DSC_0073.jpg児童神経科医の佐々木正美氏はこのように述べる(『どうか忘れないでください、子どものことを。』ポプラ社,2014年)

≪母性的なものをたくさん与えられると、父性的なものは与えやすくなります。喜びを分かち合う力が育っていないと悲しみを分かち合う力は育たない、と言いましたが、これと似ています。母性的なものをじゅうぶんに与えられた子どもは、やがて父性的なものもきちんと受け止められるようになるのです。(中略)まず与えられるべきは母性的な「受容」なのです。
(中略)将来厳しい社会に出ていくのだからしっかりしてほしいと願うのはよくわかりますが、そう思うならばなおのこと、小さいときに与えうる限りのやさしさを与え、それで喜ぶ子どもを見て喜んでほしいのです≫

いまさらながら、ああすればよかった、こうしておけば違っていたかもなぁ、と思うこともある。しかし、時は戻らない、時間は止まらない。その後悔は子供たちのために湧いた感情というよりは、自分の満足感が得られていないという意味合いが強いのかもしれない。もちろん自身が満たされていないということは、佐々木氏の言うとおり「それで喜ぶ子どもを見て喜」べなかったことではあるが、彼らは自分なりに自身の人生を凛々しく頼もしく歩み出している。親の、特に父親の昔も今も大した存在感はないが(わたしの場合は)、彼らがたくましく生きて幸福をつかみとってくれるよう祈っている。と、やけに今夕はシンミリしている。
合体す天地の渦が恐怖へと [2014年09月02日(Tue)]

fumihouse-2014-09-02T19-06-49-1-thumbnail2.JPG映画『イントゥ・ザ・ストーム』を観ながら腰が浮いてました。周囲から迫る音響の効果もありますが、竜巻が人間を圧するその巨大さに度肝を抜かれたのです。

もちろん架空の物語ではありますよ。劇中であったセリフに「かつては被害がなかった地域でも竜巻が起きるようになり、常襲地帯でも大きいのが増えている」というのがありましたが、現実もそのとおりなのでしょう。日本でも竜巻は珍しくなくなりました。尋常ならざる雨が降る一方で、全く降らない日照りのところもある、というふうに地球のあちらこちらで極端な現象が当たり前となり、自然がバランスを失っています。異常気象がもはや異常ではなくなったところに、現在の異常さがあるのです。

なぜ題名に「ザ」がつけられているのか。史上最大の竜巻だったからです。いくつもの旋風の柱が見る間に合体し、勢いを強めて数キロメートルの生きたうねりとなる。柱というのでは適切ではないでしょう。動く黒雲が地と天をつなぎ、人を巻き上げ、火焔をうねらせ、建物や車やなんやかや、すべてを破壊します。シェルターも役にはたちません。巨大な飛行機すら宙に舞い上がって飛んだのです。

910ヘクトパスカルを超えるスーパー台風がフィリピンやアメリカを襲いました。凶暴化する一方の台風。多くのひとの命を危うくします。地球の温暖化が進み海水温度が高くなってきたこれまでの傾向からすると、スーパー台風の発生が多くなる可能性は高くなります。日本だって安閑とはしていられません。

(渦を巻く黄色い薔薇の花。この渦はなんと美しいのだろう)
深閑に山形日和に弾む秋 [2014年09月01日(Mon)]

fumihouse-2014-09-01T17-18-17-1-thumbnail2.JPGJRの山形デスティネーションキャンペーン第三段が出ました。前の二つは夏の山形がテーマでしたが、今度は秋バージョンで≪山形日和≫。キャッチは次のとおりです。

≪知れば知るほど、知らないキミがいる。≫

米沢市にある上杉家廟所を例の少女が訪ねています。上杉家代々の殿様の墓所の周囲には樹齢何百年にもなる杉の木が立ち並び、粛々とした静けさを感じます。

≪廟内は質実剛健の藩の気風を示すかのように、質素で深閑とした趣に包まれています≫と。

この夏は長雨にたたられました。豪雨と暴風で被害を受けられたら方々も多い。この秋は安んじて家族団欒と自分発見の旅に出られるといいですね。「知らないキミ」とは、旅の同行者はもちろんですが、わたしたち自身のことなのです。

(この時期に咲く金平糖のような花。白やピンク色のもある。ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)というそうな)