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デート中スマホの使用認めます? [2014年05月31日(Sat)]

fumihouse-2014-05-31T22-32-20-1-thumbnail2.JPG男女のデートに今やスマホは必需品となっています。待ち合わせの日時、場所、遅れの連絡、最終的に落ち合う地点。会話が始まってからも行き先の検索、食べログのチェックからナビゲートまで枚挙にいとまがありません。殺し文句の検索に余念がない男性もいるかもしれません。ただし二人だけの場でスマホを使うことには、一定の制約があるべきだと思うのです。

マッシュメディアがスマホ利用における実態調査を発表したのですが、女性は全体の68%が、男性は56%が、「食事デート中、相手のスマートフォン利用が気にかかる」と答えたといいます。どちらかというと、女性のほうが相手のスマホ利用が気になるようです。当然です。いやむしろ数字が低すぎると思います。女性の3割、男性の4割は気にならないということなのですから。設問ごとにみると次のとおりの結果です。

「ゲームアプリの利用」女性78%、男性47%
「メールやLINEなどのチェック」女性63%、男性53%
「SNSのチェック」女性62%、男性53%
「電話対応」女性50%、男性41%
「サイトのチェック」女性37%、男性28%
「テーブル・机の上におく」女性24%、男性22%

一方で、「料理の撮影」や「気になったことをその場で検索」の設問では男性が上回っています。料理は二人が共通して楽しんでいるものが対象であり、その場で検索も、おそらく二人に関わることなのではないでしょうか。私には問題ないように思えます。反対にゲームやアプリ、SNSのチェックは女性とは関わりないことが多いでしょう。多分に男性の幼児性が目立つ結果になっているようです。

会議や商談中に同席者がスマホを使うケースも多くなっています。スマホを使うということは、目の前のことよりスマホの向こうにいる人を重視しているということですから、気にしてしかるべきなのです。いや、怒って当然!、と私は思います。
青天に霹靂とどろき父母を知る [2014年05月30日(Fri)]

fumihouse-2014-05-30T18-52-58-1-thumbnail2.JPG心打つ愛の物語には、なぜこうもゴーストが出てくるのだろう。映画『青天の霹靂』には、ゴーストもどきになった晴夫(大泉洋)が40年前の昭和48年に出現して、生みの母(柴咲コウ)と遭遇する。そしてちゃらんぽらんではあっても、それなりに懸命に生きていた父(劇団ひとり)と再会する。設定は青天の霹靂(せいてんのへきれき)。真っ昼間の晴天下に激しく雷鳴が轟くのを青天の霹靂という。全く予期しない突発的な衝撃や大事件に遭うことの喩えである。

晴夫は文字どおり青天の霹靂に打たれてタイムスリップをした。昭和48年の人々にとってはとんでもないマジックを見せてくれ、夢のスターダムにのしあがるところまでいったペペこと晴夫をゴーストと言わずして何と言おうか。晴夫にとっても回りは死んだ母も含めて過去の人ばかり。まさにゴースト同士の関係である。

高度成長期とはいえ、まだ貧しさのただよう時代にあって必死に生きる昭和の群像を、晴夫は見た。自分の生い立ちを知り、母と対話するなかで彼女の篤い思いを知った。そして父が意外にも誠実であることを知った。彼にとっては青天の霹靂の旅であった。実は雷に打たれて気絶した間に見た夢であったのか、本当のタイムトラベルだったのかはわからない。

いずれにせよ、過去は戻らない。断絶はすべては埋まらない。晴夫が前を向いて歩きだしたから、彼の胸のうちで断絶は埋まり、過去と晴夫が同化して両親への感謝がわき上がった。

現実には時間は埋められないけれども、この映画を観る者は親との関係を振り返り、後悔したり温かい気持ちになる。そして胸を締めつけられて感涙する。タイムスリップなどない。しかし、人間の想像は果てしなく広がり得る。親が存命している者であれば、今親がかかえる悲しみを想像し同苦しよう。そうでない者は、想像の翼をひろげて若き母に甘え、若き父の思いを知っていけるのではないか、と思わせてくれる良質の映画だった。

(母のようにやさしいヒメジョオンの花。母に優しくしたくなる)
Vゾーン上下揃いは格落ちて [2014年05月29日(Thu)]

fumihouse-2014-05-29T21-19-15-1-thumbnail2.JPG各地で30℃を超え、早くもクールビズなしではやっていけません。ネクタイをとって首元を開けるだけで涼しくなりますから、もはや灼熱日本の夏には欠かせないのがクールビズです。

ところで、上下揃いのスーツスタイルにネクタイは欠かせません。Vゾーンにネクタイが収まっていないと、さまにならないのです。ボタンを外して上着をひらひらさせていても、ネクタイという一本の心棒が不可欠です。それがないと、たいていの男は格落ちした無様な風情となってしまいます。

逮捕された高官や企業の重役が連行される時、ネクタイを外すのはどんな理屈なのでしょうか。立派な紳士だったはずの者が転落したことの象徴として外させるのでしょう。身から出た錆とはいえ、惨めなものです。上下揃いのスーツを来てクールビズにすると、あの姿を思い浮かべるものですから、私はこの格好が嫌いです。

ブレザーか薄手のジャケットを着て、下にきっちりプレスした綿パンならばクールビズとして文句はありません。でもなぜブレザー(ジャケット)なのか。適温、むしろ高めの温度設定で省電力を!といっても、やはり冷えすぎることがあるのです。列車や会議室、あるいは映画館。女性のように鞄にカーディガンを忍ばせておくという習慣は男にはありませんから、やっぱり風邪を引かないためにも、上着を持つことが必要です。

明日も暑い日中となりそうです。まだ暑さに馴れないいま時分。熱中症はもちろんのこと、冷房で体調を崩さないようにすることが肝要です。
日本には女王もいて千年よ [2014年05月28日(Wed)]

fumihouse-2014-05-28T21-13-52-1-thumbnail2.JPG日本にも女王がいるとは初耳でした。天皇の子と孫に当たるのが内親王。内親王以外の女性皇族のことを女王と言うそうです。

昨日宮内庁が発表したニュースがありました。高円宮家の次女典子さんと出雲大社の千家国麿さんとの婚約です。この秋に挙式すると報道されています。神々の国しまねプロジェクト、出雲大社大遷宮に続き、島根への追い風が吹いていると言えましょう。

千家家は代々出雲大社の祭祀をつかさどる国造(こくそう)で、国麿さんは第85代宮司を継承する予定です。まさに縁結びを地で行ったことになりましょう。世の女性たちよ、出雲にもっと集まっておいで言いたいところです。

典子さんは、心室細動で急死された高円宮憲仁親王がお父さんにあたります。高円宮親王の死去がきっかけとなって、自動体外式除細動器(AED)の使用が社会一般に認められ、全国津々浦々に広く普及することになったことは記憶に新しいところです。

この結婚で皇族の数が一人減ることになりました。現在、昭和天皇直系では12名。天皇・皇后両陛下2名と常陸宮殿下夫妻2名。両陛下の直系で、皇太子一家と秋篠宮一家を合わせて8名。大正天皇直系の秩父宮家と高松宮家にはすでに皇族はおらず、三笠宮家が残るのみです(構成員10名)。三笠宮殿下夫妻の直系として、桂宮家と高円宮家があり、今回婚約された典子女王殿下は高円宮家に属しています。トータル22名が21名となります。男性皇族が少ない今、女性天皇の実現化や女系天皇を認める検討も進んでいくかもしれませんね。
静か闇のホタルの光星になる [2014年05月27日(Tue)]

DSC_5790.JPG飛んでいる ホタルのオスが飛んでいる
さながら酔っぱらいのゲンジボタル
ゆらゆら揺れてつーつーつー 千鳥にたゆたうツーツーツー
こころ決めかね迷うのか あのメスこのメス迷うのか
今は出だしで数少な メスも草陰数少な
ゆくりと点滅 つつんとつんつん点滅だ
淡いよ緑よ黄色いランプ 湿り気ある夜さあデビュー
かしましい蛙とおんなじ夜に 鳴きはせずとも夜の主役
蛙が鳴いてホタル聴く 朧ろな夜に初夏を聴く
さあさ おうちに帰ろうよ やがて梅雨入り雨模様
せめて今まだ楽しもう 五月の晴れ間を楽しもう
澄んだ夜だよ 星がキラメク
飛んでたオスはどこいった
星と合わさり消えてった

(ホタルの光は撮れません。蛍の光窓の雪、文を読むほど明るくない)
文学の橋を渡っていくつにも [2014年05月26日(Mon)]

fumihouse-2014-05-26T17-39-57-1-thumbnail2.JPG   古今の文学は、
   人間の心から心へ
   差し伸べられた橋である。
   どれだけ橋を渡るかで、
   自分の心の中身が決まっていく。

誰が言ったかは知らないが、気になる言葉だ。「文学」とは、純文学、大衆文学といった範疇にとどまらず(古いなあ)、ライトノベルなど軽いタッチのものも含むと解釈したい。さらに映像や音楽、人から人への口承なども含めて広義の文学であると私は考える。すなわち、人間が直接発するちょっとした言葉はもちろんのこと、あらゆるメディアを使ってひとに伝えられるすべてのものは、ひとの心を動かす「橋」であると解釈したい(良質のものであることはもちろんだ)。

長大な歴史ロマンであっても、他人が発した片言隻句(へんげんせっく)であろうとも、どれだけ文学の橋を渡るかで、自分の心の中身が決まっていく。橋を渡そうと意識し続けることで、ひとは大きく成長する。怖いようでもあるが、楽しみにしたい一言だと思う。
仕事だよさあ続けよう楽しんで [2014年05月25日(Sun)]

fumihouse-2014-05-25T21-01-30-1-thumbnail2.JPGもう亡くなられて幾年もたちますが、歴史学の大家アーノルド・トインビー博士の座右の銘は、ラテン語で「ラボレムス(さあ、仕事を続けよう)」だそうです。

従来歴史学の主流であった勝者・覇者からみたものだけが歴史ではない。名も残らない庶民の群像や切り捨てられてきた敗者の立場からみた歴史に実相が表れる…という発想で、歴史学の世界に新たな地平線を広げてこられた方です。精進を続けられた博士にとって日々の研究にともなう作業は、有意義で価値あるものだったことでしょう。もちろん面倒な雑用に気が進まない時もあったかもしれませんが、緻密にかつ大胆に歴史考証を重ねる労苦は博士にとって、「苦」ではなく楽しみだったのだと思います。

さて、仕事とは何かと考えてみると、論語の一節が思い浮かびます。
  子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者
  (子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。
  これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

知る < 好む < 楽しむ
こんな図式です。仕事とは給料をもらってする狭義のものにとどまりません。家庭での事柄、趣味や地域での活動なども含めて、仕事と考えたいのです。

単に義務的にこなすのは「知る」レベルでしょうか。「好む」とは面白味がわかってきて、次々と技能が高まっていく時でしょう。さらに高みに立つようになると、伸び悩みの時期が来たり、やり続けるに当たり困難な障害が巻き起こったりするのです。それを乗り越えることにもやり甲斐を感じるようになった時、「楽しむ」ところに達したと言えるのではないでしょうか。楽しみながら、「さあ、仕事を続けよう」。
山の日に休んで楽し夏休み [2014年05月24日(Sat)]

fumihouse-2014-05-24T14-45-58-1-thumbnail2.JPG国会で新しい祝日『山の日』が成立しました。2016年から毎年8月11日は休みとなるわけです。夏休み中ですからあまり影響がないように思えますが、お盆休みを前に連続して親の休みがとりやすくなるとすれば、子どもにも朗報と言えるでしょう。

ちなみに2016年の8月11日は木曜日です。11日から16日くらいまで休暇なり休業となれば、いい骨休めとなるのではないでしょうか。しかし、各地は車で一杯人で一杯となるでしょうから、ぐったりと運転疲れのお父さんたちを量産してしまうかもしれません。

国民の祝日改正法には「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」と記されています。7月の海の日に続き「山の日」が制定されて、自然やふるさとと親しむ機会が増えるといいですね。

(夏の山で見る空、南洋の海のような色のニゲラの花が咲いています)
接吻とキスと口吸い同じかな [2014年05月23日(Fri)]

fumihouse-2014-05-23T22-52-42-1-thumbnail2.JPGドコモのコンシェルサービスによると、今日5月23日は『キスの日』だといいます。1946年(昭和21年)に、日本で初めてキスシーンの登場する映画の封切られた日が5月23日だったのが由来です。母が赤ちゃんにほおずりし、その可愛さにあちこちにキスをする。国家首脳同士が会談の冒頭に握手をするばかりか、抱き合って互いの頬にキスをするというのは私たち日本人には違和感がありますが、まあキスの一つのかたちです。少女があこがれるファーストキスもまたロマンチックなものなのでしょう。

シンカイさんこと、新明解国語辞典第三版によると、『キス』とは、「接吻。キッス。」とそっけない。『接吻』で引いてみると、「(親愛・尊敬の気持などを表わすために)自分の唇を相手の顔・手などにつけること。」とあり、情欲をあまり感じさせない清い男女交際を思い浮かべます。ただし「せっぷん」という語感にはとてもエロチックさを感じるのです。吻とは口さきや唇のこと。だから接吻は単に唇を接することであり、語の意味からするとエロくなくなってくるのが不思議です。明治以降にKISSの訳語として登場しています。

江戸時代以前には『口吸い』と呼ばれていました。これは濃厚でエロい性愛表現だと思いませんか。情欲の炎となって婬情のままに肉を欲し貪りあう二人の男女…そんなアダルト映画の一シーンを思い浮かべてしまいます。ほとんどR15の映画の世界です。ともあれ、愛情とキスとは切っても切れない関係と言えるでしょう。

(情熱の唇を感じさせるようなポピーの花)
ヒロポンを違う名前で出したなら [2014年05月22日(Thu)]

fumihouse-2014-05-22T18-30-31-1-thumbnail2.JPG覚醒剤メタンフェタミンの押収量がアジア大平洋地域で急増していると、国連薬物犯罪事務所が発表しました。2012年は過去最大の36トンに達し、内訳として中国で16トン、タイで10トンと、この5年で3倍に拡大しているそうです。主要密輸先の一つが日本だというではありませんか。

戦中戦後に戦意高揚の目的でヒロポンが使われ、何十万という中毒患者がいたと聞いたことがありますが、メタンフェタミンとは別名ヒロポンなのだそうです。しかも発明したのは日本人で、日本の製薬会社が大儲けしていたと。疲労をポンととるから「ヒロポン」。眠気を飛ばし、強壮剤のようにして使われていたといいますから恐ろしい時代です。過去の問題ではなく、今改めて問題化しているのが最初のニュースなのです。メタンフェタミンと言えば、ドリンク剤のような手軽さを感じてしまうのかもしれません。

手軽に快楽を得たい。労することなく気持ちよくなりたい。他者を介在させず単独で楽しみたい。あるいは、他者とともに悦楽の世界をただよいたい……そうした安直な欲望で転落する人がどれほど多いか。中毒症状で顔かたちが崩れ、性格も変わり、収入源を失うばかりか犯罪にも手をそめていく。個人は当然、社会的な損失ははかりしれません。残念なことです。

(甘い香りをただよわすユズの花。気持ちよくなりますが副作用や中毒症状は起こりません)
森のひと六千年のさかのぼり [2014年05月21日(Wed)]

fumihouse-2014-05-21T18-44-31-1-thumbnail2.JPG『クロニクル千古の闇』シリーズの全6巻を読み終えた。物語の舞台は六千年前のヨーロッパ北西部。農業が始まる前の時代。1 オオカミ族の少年 2 生霊わたり 3 魂食らい 4 追放されしもの 5 復讐の誓い 6 決戦のとき。以上6冊それぞれが400ページを超える大冊で、行き帰りの列車で読んで1ヶ月以上を費やしたが、次のページに進むのがもどかしかった。イギリスが生んだファンタジー小説は多いが、『指輪物語』や『ハリー・ポッター』を彷彿とさせてくれる展開をいくつか見つけたのは、ある面当然かもしれない。

古代から人類は幸せになるために心に祈ってきた。具体的に祈祷し呪文を唱える。自分の力で行動もするが、人事を尽くしたあとは時を待つしかない。ところが、科学文明が極めて発達した特にこの百年というものは、科学が祈りの部分を大いに侵食してきた。つまり、科学は希望の光となったのだ。それでも人間の悩みは尽きず、望みをすべて科学の力でかなえることはできない。

ワタリガラスの族長フィン・ケディンはトラクにこう言った。
≪悪は、わしらすべての中に存在しているのだよ、トラク。それと戦う者もいるし、それを育てる者もいる。これまでも、いつもそうだったのだ≫
悪が私たちの中にあるということは、科学の力を利用する際には功罪の両面をもつということだ。悪が強ければ善は負ける。そのせめぎ合いで如何ともしがたい場合には、祈りが強い味方となってくる。

森も、海も、川も、岩山も、氷雪も、風や空気すらもすべてが生きている。それを感じ、恐れとともに時には友として共生している。6千年前の原初の人にとって、祈りは通じ、呪いは効果を発揮するものだった。人間は自然界の一部に取り込まれていて、宿命的に逃れられない位置にある。弱い人間ではあるが、危険を避けるべく気配を察し、仲間がそこにいる空気を読む能力の高さよ。足跡でもって、それが誰なのか、どんな動物なのかを判別する精緻さに感嘆した。

異色の出自をもつトラクは、徐々に自分の可能性を開く。対象の生物体の魂に乗り移る「生霊わたり」としての才能を開化させた。彼が望んだものではないが、人々のためには必要なことだった。迷いと苦悩に苦闘しつつも、魔導師が世界制覇をもくろむという人間社会の危機にあって、多くの種族の救世主となっていく。

トラクには少女レンと孤児狼のウルフという最上の味方がいた。生霊わたりができて動物的勘にすぐれたトラクといえども、両者の助けなしには使命は果たせなかった。だが、トラクは激情にかられやすく意固地となって、その大切な人ともスレ違った。トラクは最愛の父母にも先立たれ、かけ代えのない友も失っていたのだから、ある面仕方がないところはあった。行きつ戻りつ、彼らは捨て身の旅を続けた。

≪フィン・ケディンは、うまくいかないときに最悪なのは、何もしないことだと、よく言っていた。「レン、ときには、自信がなくても決めなくてはいけないのだよ。その決断が、いい結果を招くか、悪い結果を招くかはわからない。でも、何もしないよりはましなのだ」≫

ピンチに陥ったら考える、そして行動する。袋小路に入り込んだら違う視点で見つめ直して、新たな局面を造り出す…。黙りこんで、何もしないという最悪の選択肢をとらないように心がけていきたいと思わせてくれるファンタジーだった。

(写真はユリノキの花。漢字では百合樹。邇摩高校のシンボルツリーである。二階の図書室からも花が咲いているのが見える)
開示して解字をしては語り合う [2014年05月20日(Tue)]

fumihouse-2014-05-20T23-12-48-1-thumbnail2.JPG語り合う時間がありました。一対一で他に邪魔されることなく、トイレに立つ時間はあったものの、向かい合って気持ちを開き合い、経験を実直に述べ合ったのです。あるときは同意し、またあるときは首を傾げても、互いを尊重し合って自分の意見はこうだと開陳し合う。楽しい時間でした。

【語】「かたる」には次の意味があります(『新漢和辞典/三訂版』)。
 イ 話す。述べる。言う/ロ 議論する。意見をたたかわす/ハ とく。教える/ニ 答える/ホ つげる

【合】「あう」「あわせる」の意味は多彩です。
 イ 同じになる。一つになる/ロ ぴったりつく/ハ 会う。出あう/ニ あつまる/ホ やわらぐ/ヘ かなう/ト まじる/チ 刃物などがふれあう/リ 陰陽・男女などが接し交わる/ヌ 夫婦となる/ル とじる。むすぶ

「語」を解字すると、たがいにする・たがいに語をかわす意、であると新漢和辞典にはありました。同様に「合」は、多くの人のいうことが一致する意、だといいます。「言」に「五」と「口」が付いていることにこじつければ、言葉を交わし合うと五つの答えが現れます。別の表現を使えば、語り合うことによって五つのとらえ方ができるのではないでしょうか。

一つは自分の言葉を自分が聞く。二つは相手の言葉は相手が聞く。三つに相手の言葉を自分が聴く。四つに自分の言葉を相手が聴く。聴き合うことによって、世界が変わるのです。自分の言葉、相手の言葉、第二の自分が別の次元から聴く言葉・・・・それらが刻々と不思議な作用を起こすのです 。すなわち、両者の言葉が相乗して新たな意味が付け加わり、化学変化を起こして、展開が変わるのが第五の「語り」といえましょう。

語り合うとは楽しいことです。嬉しいことです。局面が徐々に変わっていくとスリルがあるものですね。
稼ぎますあなただけにと尽くしたり [2014年05月19日(Mon)]

fumihouse-2014-05-19T22-52-36-1-thumbnail2.JPGこれ見よがしに気を引こうとするのは、かえってわざとらしくて人を惹きつけない。関心のないそぶりを見せるのが、かえって好ましい。イルマ(シャーリー・マクレーン)は、そんな駆け引き上手でパリの娼婦街の稼ぎ頭だ。世の男心をくすぐる容姿や会話術をもっているのはもちろんだ。

ビリー・ワイルダー監督の映画『あなただけ今晩は』で、イルマは物語づくりの名人でもある。客に応じて自分の境遇を様々に彩り分ける。即興なのか、綿密に計算されたものかはわからない。ある時は、妹に輸血治療が必要なかわいそうな姉。またある時は、プロのピアニストを目指していたが蓋に手を挟まれて夢破れたレディーを演ずる。

ネスター(ジャック・レモン)はすごい。そのイルマを虜にした。英国の大富豪X卿として登場し、トランプのソリティアで数時間遊ぶだけで500フランもの大金を与えてくれる(娼婦の最低ラインはどうも5フランらしい)。しかも毎週パリに来てイルマに会う。そのたびに大金が稼げる。上得意のX卿が現れたおかげで、イルマはダントツの稼ぎ頭となり、週一かニの出勤でネスターと二人だけの生活を楽しめることとなった。

実はX卿はネスターの仮の姿。うまく変装して居酒屋の主人が協力してくれるおかげで、ネスターの試みは成功した。が、500フランの原資は主人が貸してくれたもの。収入が増えれば出費もかさむのは世の常。。ネスターはパリの中央市場でイルマに内緒でバイトにいそしむ。寝食を忘れて半端でなく働いたのでネスターはいつもヘトヘト。イルマの夜の相手をする余裕はなく、アパートにいるときは寝てばかりでいて、話し相手にすらなってくれない。イルマはキレた。そしてX卿に惹かれていったのである。

いよいよ飛行機に乗りX卿の屋敷を訪ねる段になったところで、ネスターはX卿をセーヌ川の縁で葬り去る。それが誤解されてネスターは殺人犯として逮捕され、懲役15年の刑の判決を受けた。主人がもう一工夫してネスターを救い出す細工も楽しめた。かつては名だたる弁護士、新進気鋭の教授、腕のいい産科医、その他ほんとか嘘かわからないが、知恵と技術の限りをつくした働きをする。口上手でもあって楽しい。

音楽や舞台美術、カットや編集に至るまで、笑えるコメディであった。同時に、こんなことも言いたいに違いない。

愛とは、相手に尽くしてあげたいという献身の意欲を湧きたたせるとともに、嫉妬の嵐に狂い、思い込みから袋小路に陥ってしまうといったマイナス面もあわせ持つ。「愛はあなただけに」、そして「今晩はあなたに集中して」、「愛は垂れ流しては無益なり」。そんな警句を発しているように思えた。
就職に鼓舞して顔晴れ闘いだ [2014年05月18日(Sun)]

fumihouse-2014-05-18T10-59-49-1-thumbnail2.JPGこの春卒業した学生の就職率はバブル期並みに高かったと報道されました。2014年4月1日時点のデータで、大学生が94.4%、高校生は96.6%という高いものです。これだけ就職状況がいいと、若いひとをアルバイトで雇う企業にとっては、集めるのが難しくなります。

昨日出雲の牛丼チェーン店に行ったのですが、貼り紙がありました。アルバイト募集です。
□8時から22時 時給900円
□22時からの深夜 時給1125円
□土日祝日はいずれも50円増し

出雲でもこれだけの好条件なのです。出雲の事情は知りませんが、全国的には店員が確保できなくて営業を停止している店舗があるということです。

現役学生たちは正規雇用の内定をとるために必死にやっている頃です。就職環境の好転からいち早く内定をもらっている学生もいる一方で、企業のお眼鏡にかなわなくて焦りをつのらせている学生も多いことでしょう。

自分をアピールすること、学生時代に打ち込んだこと(まだ途中なんですがねえ)、志望動機などに頭をひねりつつ、エントリーシートを書き、それを通過したら一次面接で冷や汗を流す。苦しい思いをしている学生が多いでしょう。がんばれ、負けるな、あきらめるな…自分自身を鼓舞していくしかありません。君の花を咲かせてくれたまえ!
ああ痛し丸くて小さな嫌なヤツ [2014年05月17日(Sat)]

fumihouse-2014-05-17T13-36-02-1-thumbnail2.JPGこのヤロー
うんが悪いのありゃしない
なんでやねん…わがみを傷つけやなおもい
いたい…にくを切りさきおしつぶす
えいやとキズが丸くなる
んーンとうなり…痛みにたえる

こらこらオマエ
うまくやったと思うなよ
なにげなく食べるとやってまう
いえいえこれがこいつの始まり
えっまたか…なおらぬうちから噛んでやる
んーン…このにっくき口内炎のヤロー
青に白夏を感じる朝たのし [2014年05月16日(Fri)]

fumihouse-2014-05-16T18-19-46-1-thumbnail2.JPG水平線が見える
一本の直線が広がる
地球の湾曲した曲線がわかるほど見通しは広くない
白い波が見える
波は静か
波が岩礁を上る
泡が消えて白が消える

空が青い
五月晴れの穏やかな空か
夏の前哨たる少し鋭さを感じる青
水平線の上は白い
雲ではない
薄い水蒸気の集積だろう

萌える新緑がまばゆい
雲なき空に照りかえる太陽を浴びる
照葉樹の葉が光る
薄黄色の花がキラキラしている
緑の影がコントラストをもって鮮やかだ
木々は萌えている
緑が燃える季節と言えよう

列車は時おりトンネルをくぐる
出雲から石見へ
日本海に目を移す
静かな日本海決して東海ではない
まごうことなき日本の海
「日本」と名のつく海は嫌
その気持ちはわからないでもない
長らく使わた名をそこまでして変えたい隣国の思想
静かに冷ややかに闘うしかない
政治はどうあれ
経済の結びつきは厚く人の交流は盛ん
この流れを絶やすわけにはいかぬもの
腫瘍なし代わりに依存スマホには [2014年05月15日(Thu)]

fumihouse-2014-05-15T19-17-38-1-thumbnail2.JPG携帯電話をひんぱんに使うと脳腫瘍になりやすいそうだ。フランスの研究者によると、携帯電話で1日30分以上の通話を5年続けると、脳腫瘍の危険性が2倍から3倍に増えるとのこと。2004年から3年かけて脳腫瘍を患った450人を調査し、病気になっていない約900人と比較したところ、携帯電話の利用が少ないほど脳腫瘍の発生が少ない傾向があったという。疫学的にどれほどの信頼性があるのかはわからないが、以前から電磁波の脳に与える悪影響を心配する向きがあったことは確かだ。

脳腫瘍は罹患する確率の問題であるが、次のことは夢中になる者を確実に蝕む依存症という病気に陥らせる。それはネット依存という病気だ。

総務省が昨日発表した東京都立の高校生を対象にした調査によると、スマホやパソコンでのネット利用が平均で1日6時間を超える高校生が5%近くに及ぶという。回答数は1万5千人。実態を現実に反映している数だ。

その5%は依存傾向が「高」と判定されており、1日のネット利用時間が6時間20分だった。この生徒たちのうち4割はネットのやり過ぎで健康状態が悪化していると答えたという。依存傾向が「中」であっても4時間(全体の55%)、「低」でも2時間40分(全体の40%)もの時間をネットに費やしている。LINEやオンラインゲームに血眼になっている若者の姿が目に見える。

彼らは質問に対し、ネットのない生活は退屈でむなしく思うことがある、ネットが原因で勉強の能率が落ちていると答えた。気持ちはわかる。オンラインで直ぐに相手の反応が返ってくるというのは楽しい。楽しさを通り越して気になって仕方がない。でも、生のつきあいがあって始めてネットでの交流は意義あるものになるんだよ、ネットの奴隷になるな!と、自戒をこめて言いたい。
筋力と宇宙の闘い空間で [2014年05月14日(Wed)]

fumihouse-2014-05-14T20-20-36-1-thumbnail2.JPG宇宙飛行士の若田さんが地球に還ってきました。宇宙滞在期間188日。日本人宇宙飛行士として最長だそうです。日本人初の称号としては、他にも国際宇宙ステーションで船長を務めたことがありました。素晴らしいことです。超小型衛星を放出したり、アイソン彗星の撮影に取り組んだということですが、長期間の宇宙滞在が体に与える影響を調べるという点でも大きな任務を果たしたと言えるでしょう。

宇宙空間の無重力状態では、一日につき筋力が1%減少するといいます。188回の複利計算をしてみると、15%まで筋力が低下するではないですか。15%減ではなくて、85%減なのです。こうなってしまえば生きていくことは不可能(生きていても普通の生活には戻れない)ですから、毎日が低下する筋力との闘いだったと思います。重力ゼロの世界で、どれだけどんなトレーニングをやったのか、想像もつきません。

地球の重力はそれだけ重要なものなのです。それから離れて188日、地球を3000周。大宇宙のロマン、地球の母なる姿を眺める感激……。それらを感じる役得はあるわけですが、その間の労苦たるや大変なものだったことでしょう。その努力に敬意を表します。

(写真は、宇宙を指差すように穂を向けているしばらく前の大麦。今はもう黄金色に輝いて、首を傾げています)
熱量の消費は歩きに比例して [2014年05月13日(Tue)]

fumihouse-2014-05-13T19-02-05-1-thumbnail2.JPGかつて歩いたり走ったりすることが移動するための唯一の手段であった頃、カロリー消費量と移動距離は比例しました。交通機関を利用することが当たり前の現代にあっては、比例しないのです。

馬に乗ったり駕籠に乗るという手段もありましたが、馬と共に呼吸しながらの乗馬は相応にエネルギーを使うといいます。乗馬は今でもれっきとしたスポーツですから。駕籠はかつぎ手の息づかいの波動が伝わって、さぞやしんどかったことでしょう。揺れもすごい。乗り物酔いたるや相当のものだったようです。歩くことと同様、熱量消費と移動距離は比例したのです。

電車やバス、飛行機といった公共の交通機関に長い時間乗り続けると大いに疲れます。それは肉体的に爽快な疲れを感じることとは異質なものなのです。体の奥に黒くて重いものがくすぶっているような感覚です。当然、カロリー消費と移動距離とは比例しません。重い疲労だけが残るのです。しかもその疲れは取れにくくてやっかいです。

それでも公共交通機関は駅や停車場に行くために、歩いたり階段を上り下りしたりするものですが、自動車はいけません。家の駐車場から目的地までまっしぐら。ハンドルを握り、アクセルとブレーキペダルを操作するだけで簡単に移動ができるのです(昔の人が見たら幻術だと思うでしょう)。

ドア・ツウ・ドアは便利です。しかし、信号待ちにイラつき、他車の危険な運転にヒヤリとし、単調な運転操作にあくびをかみ殺す。大変に神経をつかい体も心もくたくたになります。カロリーを消費するどころか、眠気覚ましに喰うチョコや甘いガムのためにむしろカロリーオーバーになってしまうでしょう。カロリー消費量と疲れは全然比例しないのですね。これがまた…。

コンピュータを使うのも同じことが言えるかもしれません。電子頭脳は外部脳ですが、これに頼り続けると脳そのものの使用頻度は落ちてきます。コンピュータに面倒な作業をやらせておいて、ひとは創造的な仕事に精力を振り向ける、と格好いいことをいうこともできますが、意外と頭を使う作業は多くはないかもしれません。自ずと頭は古ぼけて、簡単な計算を間違えたり、他人の名前が思い出せなくなったりしてしまうのかもしれませんよ。歳のせいばかりではないのです。

コンピュータの使用頻度と頭の使いようもまた、比例しないのかもしれませんね。

(花の名前を覚えるのもいい頭の体操でしょうね。この花の名前…知りません)
2014.5.21追記/ガザニアというそうな。
移動して時空を超えて移りゆく [2014年05月12日(Mon)]

fumihouse-2014-05-12T21-27-28-1-thumbnail2.JPG車に乗る。動く。
自分の意志で動いてくれる。
アクセルと両輪の動きの間には複雑なメカニズムがある。
いつの間にか私は心ひとつで車を動かしているかのような錯覚をもつ。

列車に乗る。箱が移動する。
周りの景色が勝手に動く。
近くは速く、遠くは遅く。
座席も車体も動かない、そのままだ。
ただただ振動しながら前へ前へ。
本当に私は動いているのか。
錯覚ではないのか、ただ震えているだけではないのか。

地殻は動く。
動いているのは目に見えない。
いつの間にか歪みがたまりに溜まり、地震となってふりかかる。
錯覚ではない、現実の悲劇はある。

地球は回る。日々回る。
一年かけて太陽を回る。
目には見えないが、夜と昼がくりかえし、季節がめぐる。
このルーティンは永久ではない。

太陽系は回る。銀河系小宇宙を回る。
何億年もかけて回るらしい。
何千万年かたった時に地球から見える星座はバラバラになるだろう。
恒久のように見える星空は錯覚なのだ。

銀河系は回る。
宇宙の中の小さな存在として回る。
宇宙も回る。
空間が回り、時間も輪廻をくりかえす。
どこまでいっても果てはない。
それでもやっぱり終わりはあるらしい。
錯覚なのか、現実か。
それは今の私にはわからない。
書き込みは未来つくるか潰すのか [2014年05月11日(Sun)]

fumihouse-2014-05-12T10-00-02-1-thumbnail2.JPG邇摩高校のPTA総会に併せて開催された長谷川陽子氏(Willさんいん代表取締役)の講演は圧巻だった。『親子で防ごうスマホの危険〜自分の身は自分で守ろう』と題したお話。ネットの向こうには有益なことがある一方で、例えようのない危険があることを知ってほしいという熱い気持ちが吹き上がるような話しぶりに聞き入った。生徒たちや保護者の方々も同じであったと思う。氏に了承を得たので、順不同ではあるが私の備忘録を残しておきたい。

■インターネットは道具、道具を使うのは人間。使い方の善悪によっては心が傷つく、将来にも傷がつく。使い方を誤ってはいけない。スマホだけではない、パソコンやネットに繋がっているゲーム機のサービス設定はしっかり行うこと。特に安心スキャンなどのセキュリティパックはインストールして確実に使えるようにセットすること。

■高校生女子がもつLINEグループ数の平均が26という驚くべき数字。ツイッターやフェイスブックなど毎日膨大な量の書き込みがアップされる。その際に考えるべきは、1/世界中の人に読ませて恥ずかしくないかどうか、2/自分に向かって言われて気分が悪くならないか。その内容を自宅の外壁に貼ることができる? プラカードにして校内を歩ける?を基準にして考えてほしい。パスワードで守られた関係者だけの閉じられたグループだと安心することなかれ。ネットには秘密はないと覚悟してほしい。関係者のミスや故意によって情報は簡単に流出する。SNSは便利と危険を併せ持っている。

■知らない人と友達になりたいという気持ちは大切な好奇心。だがSNSだけでそれをやろうとすると危険大。悪意の大人がいることを忘れてはならない。

■書き込みは未来につながる。ふざけた書き込みが就職活動などの未来を台無しにする場合もあれば、誠実で懸命なSNSの記述が未来を救う場合もある。

■メールアドレスや個人情報を書き込む際は、アドレスバーが「http://」ではなく「https://」となっているかどうかを確かめたい。鍵マークやSSLマークがないのに書き込むと、スマホのデータを抜かれる恐れは十分ある。

■GPS設定は基本オフに。公開するつもりがなくても、写真を撮った場所、特に自宅が特定されることは怖い。

■メールアドレスを登録するサイトがある。クーポンなどメリットをうたうが、引き替えに個人データを売るという意味であることを忘れないでほしい。なお、親や友人のIDやパスワードを使うと、不正アクセス禁止法に抵触する可能性がある。

■楽しく過ごした友人との写真でも、アップしてほしくない人もいる。その写真を気持ち悪いマニアやストーカーになりそうな大人が利用する可能性も十分ある。アドレスや写真のデータは当の本人のものであり、預かっている我々が誰かに提示するときは慎重に。アド変(メールアドレス変更)の一斉送信はBCCで送ること。垂れ流している人がいれば注意してほしい。

■リベンジポルノの怖さ。好きな人であっても裸や下着姿を撮らせてはいけないし、自分から送ったとすれば児童ポルノ製造罪を自ら犯すことから保護されない場合もある。ポルノまでいかなくてもデジタルデータの写真は、名前とセットで拡散すると怖いことになる。

講演は終始、言葉がほとばしるような早い言い回し。緩急と強弱を織り交ぜながら、ときには緩急急急…と畳みかけて、聞く者に危機感を植え付けていく。早口で口数が多いのは、伝えるべき内容が多すぎるからなのだ。メディアリテラシーが不足していたり軽はずみな不注意でもって、この場にいる高校生や大人を将来泣かせてはなるまいという気持ちがあるからなのだ。その熱さが奔流となって溢れ出て聴衆を本気にさせたのだと思う。私も含めて、もう昔には帰れないネット社会の利益は享受して、害は最小限におさえるべく賢い消費者になりたいと願った。
おもてなし余りに過ぎれば捨てっぱち [2014年05月10日(Sat)]

fumihouse-2014-05-11T21-30-45-1-thumbnail2.JPG霞が関の現役官僚である著者は、留学先の英国で日本の労働者が必ずしも幸福ではないことに気がついた。なるほど、東京五輪では「お・も・て・な・し」で来日者を喜ばすという。おもてなしが日本に根づいた精神であるかどうかは知らないが、次の引用文から考えてみると、日本流のおもてなしがもつ負の側面があらわれているような気がしてくる。

≪よく観察してみると、英国ではカスタマーサービスの質が日本と比較して低い代わりに、働く労働者にとっては、高いレベルのサービスや長時間労働を求められない、快適な労働環境であることがわかってきました。逆に、日本では消費者は神様のように扱われる代わりに、労働者は非常に高い質のサービスの提供が求められる社会なのだと気づきました。日本では、消費者の満足度とひきかえに、労働者の時間と労力を犠牲にしているとも言えるのです。ストレスに追われ時間のないことを嘆くサラリーマンが多い中、社会のあり方についても再考の余地があるように思います≫
 (『官僚に学ぶ仕事術〜最小のインプットで最良のアウトプットを実現する霞が関流テクニック』久保田崇著,マイナビ新書,2014年)

日本では、自分は最上の神様だという行き過ぎた常識を持つ客がいる。サービスされる者は絶対だという妙な万能感を持っているのが問題だ。そういえば「サービス」の語源はserve(仕える)であり、servant(召使い)に通じる。だからといって奴隷のように使い走りにするというのでは、世の中はおかしくなってしまう。サービス業に従事する人々が、客の態度にあきれて諦めて疲れていく。平均すれば今でも日本のおもてなし精神は旺盛で、世界に名だたるものだろう。しかし、おもてなしを求めすぎると、良心的なサービス従事者が燃え尽きてしまって、反対に捨てっぱちにならなければよいがと私は心配している。
駆け上がる新緑超えて深緑 [2014年05月09日(Fri)]

fumihouse-2014-05-10T07-46-24-1-thumbnail2.JPG尾根を駆け上がるようにして、黄緑色の新緑が山を染めていたのは四月のこと。ゴールデンウイークが終わると、尾根だけでなく谷のほうまでも新緑に埋まっていきました。稜線も含めて山全体がみどり・ミドリ・緑となっていくのです。

淡黄、浅黄、淡萠黄、若葉色、若竹色、青竹色、赤茶系の珊瑚色、撫子色もありました。千差万別の新緑に染められた新緑は「春もみじ」とも言いますが、微妙な色合いが織り混ぜられていた山と木々が、濃深緑に変わっていき、見た目は単色にギラつくような夏の緑色へと変化してきています。

昨夜は列車を降りると初夏の匂いが薫ってきました。椎ノ木系統の木の花の匂いです。梅雨時分に匂う栗の花にも似ています。塩素消毒剤がまかれたプールのような匂い。春の暖かい空気が蔓延した匂いです。この花が咲く木々は光沢のある淡萌黄色に輝くので、まるで第二の新緑が萌えいずる感じとなるのです。竹が染まって竹秋となり、麦は収穫前に麦秋となってきます。やがて暑さにむせぶような夏がやって来るのです。

(写真は欅の青い木立。青々としたゴールデンウイークの空)
花たちと天にも昇れ春の日よ [2014年05月08日(Thu)]

fumihouse-2014-05-10T07-45-36-1-thumbnail2.JPG「天にも昇る心地」という言葉がある。いい言葉だ。ステキな響きがある。とてもとても嬉しい、地に足がつかなくて、夢見心地の気分を指す。

天は見える。だが届かない。そこに行けないからこそ、見たいと思う。届かないからこそ、行きたいと思う。

ひとは昇れない。身一つでは天には昇れない。飛行機やヘリコプターなど大仰な機械装置を使えば昇れるが、軽々とは昇れない。

それでもひとは天に届きたい。昇っていきたいものだ。しかしイメージの世界ではいくらでも昇っていける。一人想像の世界で昇っていく。他人と協力しつつ昇っていくこともできる。

できることは出来る。出来ないことでもひとは出来るようになる。想像だけで昇っていくのもいいけれど、やっぱりホントに昇っていくほうがいい。高みに昇って素晴らしい景観を眺めるほうがいい。しばらく前には出来なかった至高の極みに達したい。「天にも昇る心地」を「天に昇る実力」で実現していきたいものだ。

(明るく澄んだ色合いの花が咲いている。天にも昇るとこんな花たちがたくさん見えるのかもしれない)
選択と捨象の末に日々があり [2014年05月07日(Wed)]

fumihouse-2014-05-07T22-49-05-1-thumbnail2.JPG私たちの日々は、選ぶことと捨てることのくり返しです。日々無数の選択を行って、取捨選択がくり返されて、「わたしの人生」ができあがってきます。生きている限り選ぶことは終わらないのです。たとえ自分の意思で自由に物事をすることができなくなったとしても、考えることはできます。考えないぞと、選ぶこともできます。最期のときまで選ぶか捨てるかは、わたしの目の前にあるのですよ。

≪「今の私」というのは、無数の「私がそれであったかもしれない私、私がそうなるかもしれない私」を控除した「残り」です。そういう無数の「可能性としての私」を縦横にずらりと並べてはじめて、「今、ここにいる、当のこの私」がとりわけ何ものであるかということが言えるわけです。
 哲学では、この「控除された無数の私の似姿」のことを「他我」(alter ego)と呼びます。「私の潜在的なアナザーサイド」ですね。≫ (内田樹『先生はえらい』ちくまプリマー新書,2011年)

今日もわたしは一日を生き、今こうして列車に乗っています。日本海に沈む夕陽をこよなく愛でて、少し薄暗くなった空を見上げ、若い学生たちの声も聞いています。読者の方々も同じく…一日を生きた。そしてこうしてわたしの拙いブログに目をかけてくださっている。有難いことですね……また明日もがんばりましょうね。顔晴れ…明日も…です。

(なんじゃもんじゃの花が咲きましたね。面白い花です)
連発の駄洒落聞くのは苦行かな [2014年05月06日(Tue)]

fumihouse-2014-05-07T22-48-05-1-thumbnail2.JPGフェルスター症候群。初めて聞いた病名でした。『愛と日本語の惑乱』(清水義範著,講談社文庫,2014年)を読んで知ったのですよ。

オヤジギャグと称される駄洒落を、次から次へと、のべつ幕なしに、奔流のごとく口にする人の症状をさす病名だといいます。そんな人がそばにいる時は、駄洒落の嵐に翻弄されつつも、その場を和ませようと努力するキャラクターに好感をもつ時もあります。そのすごい言語感覚に感心する時もあります。それもやり過ぎると溢れる言葉の洪水に辟易してしまうのです。和ますことが目的ではなく、「いいね!」を押し売りしたいという自己顕示欲の極みであると思ってしまいます。

それが、フェルスター症候群という病気であるとは恐れ入りました。わたし自身も調子に乗ると駄洒落を連発してしまうことがあります。残念ながら、三連発四連発できる言語感覚はありませんから、病気ではないでしょうが、適度なウイットとユーモア感覚で場を和ませていきたいものですね。

(松江イングリッシュガーデンにあったビオラの地植え。ヒゲのオヤジが怒っています)
立川に行けよイケアと巨大なり [2014年05月05日(Mon)]

fumihouse-2014-05-05T21-30-55-1-thumbnail2.JPG数十年前の立川駅前はあとかたもなく、昭和基地が米軍から返還されてからの変貌ぶりがうかがい知れる。その一角に建てられているのがイケア立川店。この4月にオープンしたばかりであった。店内のエントランスには紙製のメジャーと10センチ弱の鉛筆、商品名や番号を書き込めるフロアガイドが置いてあり、リビング、収納、ダイニングキッチン……と23区画のショールームがわかりやすく案内される。

ブルーとイエローのスウェーデンカラーのナイロン製バッグや大型ショッピングカートに客は買いたい品を入れていく。客が主体となって買物を進め、腹が減ったらレストランでもってレジャーランドのように楽しむ。商品の主体は、北欧仕様の洗練されたデザインにして低価格で機能的な家具や調度品類。イケアの商魂が日本でも支持されつつあるのを目の当たりにすることができた。

巨大な店内は溢れんばかりの客で満ち、『イケアはなぜ「理念」で業績を伸ばせるのか』(立野井一恵著,PHPビジネス新書,2014年)に書いてあることを思い出し、なるほどなと納得した。この本を読むと日本全体に蔓延し続けるワーカホリックは、もはやビョーキ状態であるように思える。公私の私を殺し、多くの人が精神的な病に苦しみ、それでいて公(企業や組織)が高い生産性をあげているかというとそうでもない。競争力も落ちて日本の地盤沈下は続く状況にありながら、仕事優先でプライベートは主張できないというブラック化が広がっているように思える。

≪2週間程度の休暇は交代で気兼ねなく取りますし、そもそも、だらかがいないと仕事がまわらないという体制自体、 イケヤアはNGなんです≫と語る男性のフードマネージャーがいる。

また著者は、≪組織がフラットでシンプル、上司と部下の距離が近い点もイケアの特徴だろう。上司は指示を出すだけでなく、部下の可能性を見出し、成長させることが重要な役目とされ、対話を中心に1対1のコミュニケーションを積み重ねていく。人間同士の関係が構築できているから、長期休暇や産休も安心して取れるのだ。理念を共有していれば迷う時間は少なくて済み、何事もスピーディに決まっていく。コワーカー同士がしっかり結びついた組織がイケアの強みなのだ≫と述べている。かつての日本が誇った企業家族の思想はグローバル化の流れの中で破壊されたが、イケアには生きている。

入社の段階で価値観が共有できることを確かめ合うこと。上司はファシリテーターとして、仕事の取り組みについて部下とともに考え部下の可能性を引き出しながら問題を解決していくことをミッションとする。上司は部下が自発的に決めて挑戦して失敗したとしても責めずに財産として共有していく。それが「イケア・バリュー」、あるいは「違うやり方でやってみる」として共有された価値観だという。

ともに働く仲間という意味の言葉がコワーカー。フルタイム従業員もパートタイマーもコワーカーとして尊重され(福利厚生制度に差別はない)、互いに信頼しあうこの組織は強い。「より快適な毎日を、より多くの方々に」という企業理念を、イケアは客に対してのみならず、コワーカーに対しても適用する姿勢を貫いている。従業員に甘いという意味ではなく、コワーカーは残業なしで時間内に最大限のパフォーマンスを発揮することを求められる厳しさも併せ持つことに感嘆する。だから、パートタイマーであっても昇進してリーダーになる例も多いということだ。

私が買いたい商品のピックアップを終え、1階の会計カウンターに向かう長いエスカレーターに乗ると、イケアの理念を示すポスターが貼ってあった。子どもへの支援、女性への支援、難民多発地域や被災地への支援。それらがイケアが社会貢献する方向性を語っていた。

日本では船橋、横浜、神戸、大阪、埼玉、福岡、仙台、立川の8店舗が開業されているが、今後もさらに活動の幅と質を広げていくことであろう。イケアの企業理念が広まることによって、忘れられた日本的経営の良さが再び思い起こされるよう願っている。
日本と風呂でつながるローマかな [2014年05月04日(Sun)]

fumihouse-2014-05-04T22-34-32-1-thumbnail2.JPGルシウスが古代ローマから現代日本にタイムスリップする時は、前作と同様オペラのテノール歌手が声を張り上げた。海岸の砂浜にあり、今回は妻のソプラノ歌手も交えて歌い、幼い息子とのバカンス中という設定も笑えた。しかも夫妻は仲たがいし、妻は息子を連れて去る離別劇に仕立てられたが、最後は再びもとの鞘に収まって物語の大団円を象徴していた。

映画『テルマエ・ロマエU』ではよく笑った。二千年の時間を超えてルシウスが行く先がなぜ日本なんだろう。時間を超えるだけなら、現代のローマの都市空間に降りたっていけばいいのだが、時間だけでなく地球の正反対、日本まで空間を飛び越えるのは変だ。現代日本と古代ローマは、現代イタリアのソプラノ歌手が仲介することによって、時間と空間を3点を経由して飛び越えるのかな?……なんてことは考えなくてよろしい。

荒唐無稽のタイムスリップ劇でルシウスは神出鬼没に登場し日本から文化を吸収し、変幻自在にローマの浴場に適応させて皇帝ハドリアヌスを喜ばせる。はちゃめちゃでお気楽千万の物語に歯を出しっぱなしだった。グラディエーター(コロッセウムでの戦闘士)に 元横綱曙や元大関琴欧洲を起用し、相撲取りを活躍させたのも面白い取り合わせだった。

鍛え上げられた阿部寛の肉体美に今回も目を見張り、可愛らしさと豊満さが合わさった魅力を存分に演じた上戸彩がステキだった。エンドロールが始まってからも目が離せない。思いがけないどんでん返しがあったりして、最後の最後まで楽しませてくれた。ああ、楽しい風呂に入りたい。温泉に行きたいと思う。
原色とロマンスたっぷり松子さん [2014年05月03日(Sat)]

fumihouse-2014-05-03T23-19-42-1-thumbnail2.JPG朝の光は爽やかですね。昼間の太陽も心地よく体を暖めてくれます。そして夕方の光が優しい季節がやってきています。梅雨に入るまでのこの時季は最も夕刻のひとときを気分よく楽しめる時だと言えましょう。

適度に疲れを感じた一日の終わりをゆっくり読書でもして過ごそうと思っていたのですが、ついついテレビを点けてしまったのです。映画『嫌われ松子の一生』。観ようと思いつつ、結局上映期間を過ぎてしまっていた映画でした。

歌の好きな女の子が転落の人生をたどる物語ですが、インド映画のようにきらびやかな原色に彩られ、楽しげに歌うミュージカル仕立て。しかも星が飛び散り、蝶が飛びたち、トキメキのハートをまき散らすというロマンときめく造りです。緩急のリズムに、メリハリの利いたストーリー展開が加わり、上記の映像と音楽が織りなされると、時間を忘れて見入ってしまったのでした。

松子は不幸せを絡めとるようにして不幸とともに生きていきます。幸と不幸、善と悪……それらの両極端をまるで自家薬籠中のものとするようにして、松子は生きていきます。昭和の歴史や歌も織り成しながら短い一生を生きた松子を中谷美紀が魅力的に演じました。

映画っていいなあ…と思うのです。映画館で次は何を観ようかと考えています。
クールビズ格好よくとはいかぬもの [2014年05月02日(Fri)]

fumihouse-2014-05-02T18-25-17-1-thumbnail2.JPG昨日からクールビズが始まりました。朝は寒いような気もしますが、もう五月。薫風香る、百花繚乱の春本番です。昼間に太陽のもとにあれば、暑くてポロシャツ一枚になりたくなる季節です。夏と春がせめぎ合う時なのです。

クールビズの期間は10月31日まで。なんと長い半年間でしょうか。ネクタイを結ぶ手間が省けて朝は楽チンですが、秋になってそのときが来ると、ネクタイを上手に結べないかもしれませんね。

ビールの季節でもあります。ビールといえば、つまみの定番が枝豆。なかでも黒大豆の枝豆は粒も大きく、文句ない美味しさです。

昨日発表されたのが、昨年海外で検索された和食のベスト5。なんと第二位に枝豆が入っているではありませんか。グーグルが発表した検索和食のナンバー1は「すし」。これは順当です。2位に枝豆で、3位以下がラーメン、刺し身、天ぷらという順番とは恐れ入りました。刺し身や天ぷらを押さえての堂々2位とはすごい。

つるりと飛び出す薄緑色の丸いやつ。ほんのり甘くて軽く塩味も利いている。健康にも良さそうで…とくると、外国の人たちもその魅力に気がついているのかもしれませんね。さあて、これから一杯やる予定になっています。俄然、枝豆が食べたくなってきましたよ。

(枝豆とは関係ないですがイチゴの花です。枝豆のように可愛らしい)
旅に出で夢は春野を駆けめぐる [2014年05月01日(Thu)]

__tn_20140501211543.jpg列車の旅はひとを自由にする、と思いませんか。一人であれば他者の目に縛られず、何を思うも自由です。気に入ったものをいつまでも気がねなく眺めているのも自由です。複数の旅を楽しむときであれば、思いがけなく冒険心がわいてきて、ふだんは考えられないような思いきった行動で思い出づくりが可能になります(非常識では困りますが)。

列車には制約があります。ダイヤという時間の制約、レールの上という空間の制約。その制約があることによって、かえって車の旅より心が自由になるのです。もちろんハンドルを意思のままに動かして自由に道を行くことはできません。であればこそ、心は不自由を楽しんで自由となるのです。俳句という字数や季語の制約が芸術をうみだすのと似たところがあります。

今日はいつものように仁万駅から通勤の道のりを始めました。よく見かける方と隣り合わせになった奇縁で、思いきって声をかけてみたのです。意外な接点がありました。話題が広がり深まって、その方が列車を降りるまでが短く感じました。通勤途中とはいえ、おそらく私の気持ちが旅をしていたからだと思います。

高揚した気分のまま石見と出雲の境にさしかかった頃、目の前にガイドブックに首っ引きになった方がいました。山陰海岸が美しいこの有数の線路上にあって、外の景色を楽しまない法はありません。ましてその方は一人旅。おせっかいにも「いい所ですから海をご覧ください」とアドバイスをしたのです。

今日は空気が澄んでいます。夕焼け直前の海は陰陽の光にきらめいて、勧めたほうとしては自慢できるものでした。列車が出雲平野にさしかかった頃、夕陽は赤くなりました。都会から来たその方にとっては赤い太陽など思いの外。感動していただけて何よりでした。

挙げ句のはては、その方が翌朝足立美術館に行かれると聞き、列車の時刻表をとりだし帰りの飛行機に間に合うように時間設定まで手伝ってしまうという、まるで優良なツアーコンダクターのようなことまでやってしまったのです。語らって心が自由になり、語らって我がふるさとの歴史や地理を復唱し、語らって相手方の気持ちとこちらの気持ちを重ね合わせることによって、私が心で旅をした夕刻のひとときでした。

(邇摩高校の藤棚にフジの花が咲き始めた。石見の澄んだ青い空にふさわしい薄紫だ)