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目に見えぬ敵と戦うマスクかな [2014年02月28日(Fri)]

__tn_20140228073008.jpgもうじき三月・弥生。長い冬が終わり植物や動物の生命力が増していく。一方で、空気中の浮遊物も増える。微小粒子状物質、通称PM2.5も列島中を"躍動"しはじめたようだ。大陸の砂漠から飛んでくる黄砂の細かい粒もこれに当たる。一昨日はあちらこちらで注意報が発令された模様だが、スギ花粉や大気汚染物質もいっしょくたになって空は粉塵だらけなのだ。ちなみにPM2.5の粒子径は2.5μm(マイクロメートル)以下。1μmは1mの百万分の一で1mmの千分の一。

さて、肺の奥にまでPM2.5が達すると、呼吸器系はもちろん循環器系の病気にもつながるというから捨ててはおけない。子どもの成長に影響を与え、発ガン性の可能性があるということなので、できるだけ吸い込まないようにしたいものだ。一昨日は1日平均値で70μg/m3(1立法メートルに千分の70gの浮遊物がある)超のところが多かったようで、注意報が発令された。

私も含めてマスク人が増えているが、塵類をマスクで防御できるか、●の数でもって大きさを確認してみよう(PM2.5の最大径2.5μmを●1個とする)。

【PM2.5】粒径2.5μm(0.0025mm)以下
 ● *最大径2.5μm *ウイルスは0.1μmと極めて小さい

【黄砂】粒径0.1μm〜4μm(0.0001mm〜0.004mm)程度
 ●● *黄砂最大径4μm

【花粉】粒径30μm(0.03mm)程度だと12
 ●●●●●●●●●●●●

【毛髪】断面径100μm(0.1mm)だと40
 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

PM2.5がいかに小さいかがよくわかる。これを防ごうと思っても、不織布タイプのサージカルマスクではあまり効かないようだ。三段重ねになっている不織布で、ある程度フィルターをかけたとしても、鼻の横や脇から空気が出入りする。ここはやはりN95、F95、DS2の規格の高性能マスクがいいのだろうが、ゴムはきついし息苦しくて1時間も着けていると音を上げたくなる(実体験ずみ)。

なるべく外出しないように心がけても、出るべきときは出なくてはならぬ。となれば、あの防塵マスク、あるいは毒ガスマスクのようなものを身につけて出かける時代はすぐそこまで来ているのかもしれない。ユウウツだ…。
春だ春はるかな季節悠久に [2014年02月27日(Thu)]

__tn_20140227075057.jpg今朝の気温は8℃。暖かい朝だ。昨夕から降りだして、今も傘が必要な程度には雨が降っている。まだコートが手放せないのは手や足元が濡れてしまって、わずかだが冷気が体を包むような感触になってしまうからだろうか。それでも肌を刺す寒さからは解放された。ひと雨ごとに春に近づいていく。待ち望んだ春…何はともあれ春…春というだけで幸せな春を楽しみに。

フキノトウが出た。わが家では今朝の食卓にはフキ味噌。軽い苦味に味噌の甘さが加わってなんともいえない春の味。食べ飽きたころには桜がお目見えするだろう。

PM2.5に注意せよ!と情報が出ている。2年前までは春の煙霧は風雅風流の代名詞、黄砂ははるか大陸からの手紙、なんて具合に叙情にひたっていたが、今や科学情報によって誰もがPM2.5に襲われる感覚をもつようになってきてしまった。ホント、怖い恐い。

でも!待ち望んでいた春がやってきたのは確か! 春眠暁を覚えずで、眠たさに目を閉じてしまいそうだが、今日も顔晴れ、笑顔の一日でまいりたい。

(写真は昨日の朝の白梅だ。花の群が朝日に誇らしげだった)
日本語を易しくすれば優しいよ [2014年02月26日(Wed)]

__tn_20140226211408.jpgしまね国際センターで「やさしい日本語」の手引きを作成したとのこと。やさしい日本語の定義、その使い方を教えてくれる。「やさしい日本語」とは、外国人にも分かりやすいよう簡単に表現したものだそうだ。つまりそれは子どもにだって、障碍(しょうがい)のある人にも理解できるということになる。だいたい小学校2・3年生がわかる日本語だそうだ。

お役所言葉を乱発されて、狐につままれた気持ちになることがあるが、そうならないためには、簡明で明快な言葉を使わなけばならない。その態度はコミュニケーションを深めるためにも大切なことだ。

やさしい日本語が生まれたきっかけというのが、阪神淡路大震災のときだそうだ。災害後3日がとても重要だと言われる。その間情報がうまく伝わらなければ生死を分けることになるかもしれない。必要なことがらを、速く正確に簡潔に伝えるために、考え出されたのが、やさしい日本語だ。この考えは日常のコミュニケーションにも役にたつ。

まず原則は次の2点だ。
●単語や文の構造を簡単に分かりやすくする。
●必要に応じて説明を加え、相手に理解しやすくする。
続いてポイントがいくつかある。

1 相手に伝えるべき情報を選択し、省いたり、補足説明したりする。
2 一つの文を短くし構造を簡単にする。主語と述語をはっきりさせる。二重否定は使わない。
3 難しい言葉は、簡単なものに言い換える。災害用語や知っておくとよい日常用語はそのまま使い、あとに説明を加える。例/余震→ 余震(あとからくる地震)
4 曖昧な表現や擬態語・擬音語は使わない。例/ おそらく、思われます、めちゃめちゃ、ゴロゴロなど。
5 漢字にはふりがなをつけたり、後ろにかっこ書きでつける。
6 カタカナ外来語は使わない(発音や意味が原語と違う場合がある)。ローマ字はなるべく使わない。
7 動詞を名詞化したものは、できるだけ動詞文にする。例/揺れがあった→揺れた
8 時間は12時間表示にする。例/15時30分→午後3時30分
9 読みやすい書体を使う。絵・写真・図を入れたり、実物を目の前で見せる。

やさしい日本語に正解はないという。なぜなら、伝えるべき内容は相手によって変わるからだと。当たり前のことだが、私たちは想像力が弱かったり、思いやりが至らないことで、相手の状態がわからない場合がある。それでいて、型どおりに伝えてしまえば満足してしまう欠点がある。相手が求めること、相手に必要なことは何か。それを考えられるようになりたいものだ。(まずはこの文章が簡明に明解に!表現できただろうか?)
万化して色は楽しき目の保養 [2014年02月25日(Tue)]

__tn_20140225124610.jpg島根県立美術館で『企画展 色のたのしさ』を開催中だ(3月3日まで)。入口にはこう説明書きがあった。

≪古代日本の色を表す言葉には、「明(アカ、明るい):暗(クロ、暗い)」、「顕(シロ、目立つ):漠(アヲ、鈍い)」の4つがあるとされ、光の感覚に由来するという説は、これまでにも多く紹介されてきました。日本最古の歴史書である『古事記』にはこの4色があらわれ、これら基本色彩語のみが「あかし」「くろし」「しろし」「あおし」の形容詞形を持っているのです≫

四つの形容詞形か、なるほど。しかし疑問に思うのは、なぜ黄色がないのかということ。「黄色し」もしくは「黄し」という形容詞があってもよさそうなのに。自然界には黄色がたくさんある。花には黄色は多いような気がするし、光の三原色も赤・青・黄だ。

≪我が国における古代色名のうち、最も本来的であり日本人の基層をなすと考えられている色彩≫が、「あか」「あお」「しろ」「くろ」であるというが、なぜ黄は古代には注目されていなかったのか、それとも黄は嫌われていたのかという不思議を感ずる。

(現代人と違い)≪古の人々は、色に呪術的な力を感じ、他国の色彩文化触れてその美しさに目を見張り、そしてそれを取り入れ、色に象徴性を見出し、尊卑を色で分け、配色で知性を競い 、自然の風物を織り込んだすばらしい色の名の数々を生み出しました≫(同説明文)

原色大辞典の和色大辞典http://www.colordic.org/w/から気になる名前の和色を拾ってみた。あるはあるは、歴史と江戸文化を感じさせるような、そして自然豊かな日本を象徴するような色の名前がたくさんあって面白い。

茄子紺,桜鼠,黄朽葉色,鴇鼠,京紫,芥子色,水浅葱,錆浅葱,宍色,御召茶,利休鼠,海松茶,藍媚茶,錆鼠,錆鉄御納戸,岩井茶,渋紙色,柳煤竹,御召御納戸,国防色,江戸茶,紅消鼠,黄海松茶,青朽葉,潤色,利休白茶,海松色,江戸鼠,新橋色, 天色,露草色,柴染,宗伝唐茶,銀煤竹,黒橡,蘇芳,憲法色,檳榔子染,黒鳶,蜂蜜色・・・。日本の色は面白い。

(夕方の海。昼から夕方へ、そして夜へ。千変万化する色が頼もしい)

(コメント)
確かに「黄色し」はないね。
でも、古代人は土の色=黄土色として認識していたんじゃないかな?
古事記の黄泉比良坂いわゆる黄泉はこの世でなくあの世、死者を埋葬する地下(土の下の泉)という意味で???
作成者 土食い虫 : 2014/2/25 (火) 23:24

フェイスブック仲間から教えてもらったところによると、どうもですねえ、黄は「あかし」に含まれるようなんですよ。「土の下の泉」…なるほど、埋葬は血の赤にもつながるかもしれませんね。
作成者 黄色をとこ : 2014/2/26 (水) 22:18
北にある十字の明星楽しんで [2014年02月24日(Mon)]

__tn_20140224075112.jpg南半球へ行くと空に輝くのは有名な南十字星(サザンクロス)。かつて、豪州ニューサウスウエールズの限りない平原地帯を夜通しバスに揺られた(20時間)。バスの座席のガラス越しに南十字星を「発見」したときにはゾクゾクと身震いした。停車中に外へ出た。街の照明が少ないので星はくっきりと見え、銀河は太い帯になって流れていた。小さな星々を絨毯にして浮き上って見える南十字星。雄渾に気高く輝いていた。銀河系の兄弟星雲である大小のマゼラン雲も見えた。忘れがたい想い出である。

北半球にも北十字星(ノーザンクロス)が生まれたことをご存じだろうか。今冬はとてもよく見える。サザンクロスの5倍くらいで大振り過ぎるが、相似形の十字架だ。十字の基底に全天一明るい恒星大犬座・シリウスを置き、右の腕がオリオン座の赤色巨星ベテルギウス、左腕に子犬座の白面の貴公子プロキオン。そして十字の上部は木星だ。恒星3つはふだんは冬の大三角形として目立っているが、この冬は煌々と輝く木星を付録にして楽しめるというわけだ。この形はいずれ崩れるが、かりそめの北十字星を楽しむことにしよう。

ちょうどこの辺りには冬のダイヤモンドがある。文字どおり綺羅星のごとく1等星が並んでいる。 オリオン右足のリゲル。シリウス。子犬座プロキオン。双子座のポルックス。御者座のカペラ。牡牛座のアルデバラン。これらを結んで縦に長大な六角形ダイヤモンドの出来上がり。もともと絢爛豪華な冬の星座をこの冬はいちだんと楽しめる。空に大きな線引いて、丸い巨大な天球に輝く星のきらめきを宇宙の広さを感じてみたい。
閉会にでかい大会終わるぞと [2014年02月23日(Sun)]

__tn_20140223122224.jpg毎日毎日、コブクロの『今、咲き誇る花たちよ』のさわり部分を聞いてきた。この曲が自然と頭に浮かんでくる。

  今 咲き誇る花たちよ 天高く羽ばたけ
  愛すべきこの世界を 彩るように (作詞/小渕健太郎)

ところが、ふと気づくと『栄光の架け橋』(作詞/北川悠仁)のさわりを口ずさんでいる。2004年アテネ五輪では金メダル16個という日本にとっては東京五輪に並ぶ史上最高の獲得数だけあって印象が深かった。士気を鼓舞してくれるこの曲が好きなこともある。

  いくつもの日々を越えて たどり着いた今がある
  だからもう迷わずに進めばいい 栄光の架け橋へと

ソチ五輪が始まってから、もう2週間も五輪のニュースと人間ドラマに触れてきたが、とうとう今夜のアイスホッケーで大会が締めくくられる。残念なことだ。

そして閉会式。2018年韓国・平昌(ピョンチャン)五輪への引き継ぎの儀式がどのように行われるのかも興味深い。次回五輪のリオデジャネイロでは2020年東京への引き継ぎが行われるだけあって、東京の関係者は今回のやり方に興味津々だと思う。

大きなイベントが終わる。主催者ではなく、傍観者として好きなように見ていればよいという立場は気楽でよろしい。競技施設の建設が遅れていたり、テロが起きるかもしれない恐怖に備えること(警備当局にとっては最後まで気が抜けないが)など、ロシアの関係者の苦労はいかばかりだったか、私には想像もできない。お疲れさま、と申し上げたい。
ひとは皆意味を感じて物語 [2014年02月22日(Sat)]

__tn_20140222130322.jpgオリンピックの報道に接して、私たちが感動するのはそこに「物語」を感じるからである。ショートプログラム大失敗のあとのフリーで会心の演技をした浅田真央に関して、早速マスコミは彼女の涙が意味する物語を綴った。葛西紀明にも多くの苦労を乗り越えた物語がある。竹内智香には広島県にまつわる数々の物語がある。芸能アイドルを売り込む時の常套手段も物語である。出自だったり、ライバル関係だったり、不得意の克服だったりする。中國新聞で報道部長の高本孝氏がこのように述べていた。

≪確かに物語は魅力を放つ。佳境に入ったソチ五輪。メダルの有無や色にかかわらず、選手一人一人に人間ドラマがある。普段はなじみのない競技でも連夜、睡眠を削ってまで中継に見入る。「物語探し」と言っていい≫ (『「物語」への違和感』中國新聞2月20日付け「潮流」)

ここでは佐村河内代作問題やソチ五輪などを引き合いにして、≪自民党独り勝ちの永田町でも「大義」をまとった物語が幅を利かし、同調圧力を強めて≫おり、論戦を避け≪反論に「反日」のレッテルを貼るような空気は息苦しい≫と違和感を唱えている。

そうなんだ。レッテル貼りなんだと思う。レッテルを貼るというと悪い意味に限定されがちだが、感動的な物語を見つけ出して広めることもレッテル貼りになる。針のように小さなことを大きく美談として紹介したり、その人が完全無欠であるかのように飾り立ててしまうと、後々幻想が崩れたときには、ネット上が炎上したり罵詈雑言が飛び交ったりして嫌な気分になる。過度の「物語探し」はむしろ有害である。

そうかといって、「物語」をすべて否定的にとらえているのではない。物語とは、別な言葉で言えば「意味」。私たちが行動したり、何かを始めたりするときには、何らかの動機付けが必要だ。目標に向かって頑張ることができるのは、そこに意味を感じているからである。

ひとは誰しもそれぞれの物語を持つ。その意味を感じとってイメージや言葉という形にしていくのは、そのひとの努力に負うところが大きい。また、親を思う子にとってみれば、親の過去の記憶を思い返しながら直接本人に語ったり、亡き親の愛の想い出を振りかえっていくことで、親の物語をつむいでいくことになる。それは立派な親孝行だ。親だけではない。恩人や友にたいしても同じことが言えるのだと思う。
キスをしてメダルが紅に染まるとき [2014年02月21日(Fri)]

__tn_20140221202728.jpg銀メダルをとったスノーボード女子パラレル大回転の竹内。予選一位で決勝進出し、16人でトーナメントを戦った末の銀メダル。見事である。わずか半日で決勝のビッグファイナルまで10戦する。タフでなければ戦えない。しかもトーナメントになって以降は、1対1の対決で負ければ終わりというサバイバルゲームである。

見ているほうにとっては分かりやすくエキサイティングだ。1本目の滑走は2人同時にスタート。そのタイム差でもって2本目を滑走し、先にゴールした選手が勝ったことが直ちにわかる。相互の駆け引きもあり、ギャラリーとして見てみれば寒さも忘れることだろう。

冬のオリンピック競技には対決型と競走型がある(私の分類で。夏も同じだが)。対決型は差し向かいでぶつかり技を競う。激突するアイスホッケーはもちろんだが、カーリングも知的に激しく角突き合わせる。

競走型は横一列に並んで、あるいは順番に出走してタイムを競う。フィギュアスケートのように得点化する競技も競走型だ。スキー競技のアルペン、ジャンプ、フリースタイル、クロスカントリー、スノーボードがそうだ。スピードスケートやバイアスロン、ボブスレー、リュージュの各競技も競走型である。スケートのショートトラックは数人で並んで競う競走型ではあるが、反則ぎりぎりに激走しあう対決型とも言えるかもしれない。

竹内がメダルをとったスノーボードパラレルも競走型ではあるが、ベスト16以降は対決型と言ってもよい。いわば、一対一で決闘するわけである。敗者の骸の上に勝者の栄光がある。刺すか刺されるか、殴るか殴られるか、生きるか死ぬか、といった厳しさで体力と気力をふりしぼる大変な競技だ。

彼女は銀メダルをとったが、それは最終戦で負けたということ。その悔しさは察するに余りある。それでも戦いきった勇者の満面の笑み。実に美しかった。メダルにキスをしたあの横顔。オリンピックっていいなあ、と思った。
失意あり踊る夜想に春を知る [2014年02月20日(Thu)]

__tn_20140220203358.jpg清々しい朝は、ショパンの『ノクターン』がいい。
清らかに心が洗われる気分になる。
繊細で安らかなるメロディ。力強くて勇気みなぎるピアノのタッチ。

静かに内省する情け深い人であれ…
軽やかに難局を乗り越えていけ…
この世に美しいものは満ちている…
強くかつ助け合って生きていこう…
聞いていると、そんな気分になってくる。

寒い季節はまだまだ続くが、春はもうそこ。ホントに春がやって来ている。さぁ笑顔でいこう。そうすれば、残り少ない冬を惜しむ気持ちにもなるかもしれない。うららかな春を感じたいとき『ノクターン』はきっと閉じた心身を開いてくれるだろう。

『ノクターン』に倒れた者はノクターンに依って立つ。彼女は昨夜ショートプラグラムのあと、失意のどん底にあった。今夜はフリーの演技。彼女にとって「集大成」と語っていたオリンピック最後の演技。

冬来たりなば春遠からじ……今は浅田真央のためにあってほしいこの言葉。春は必ずやって来る。彼女が春を心から楽しめますように……。


(コメント)
エイトトリプルの成功を祈っています。
たとえ、メダルに届かなくともその成功によって世界一と認められるでしょう。
浅田選手にとっては全て出来る技であることは事実なわけで本番での問題だけ。
1回転もできないであろう某政治家のたわごと「よく転ぶ」と全く情熱もレベルも違うわけで・・・世界唯一のエイトトリプルを見せてほしいと思います。
作成者 金食い虫 : 2014/2/20 (木) 21:45

やっぱり、やってくれましたね。
「よかった、よかった。最高〜」好司
作成者 金食い虫 : 2014/2/21 (金) 06:44

やってくれましたね。トリプルアクセルが成功したということは、エイトすべてをやりきったということですね。よかったよかった。でもフリーのあとの涙にはこちらも胸が詰まります。
「よく転ぶ」発言、無神経なものです。失言者のよくある傾向は、やはり人の痛みがわからないということなのでしょう。
作成者 にわか真央応援をとこ : 2014/2/21 (金) 19:12
筆記具の王者はやっぱり鉛筆か [2014年02月19日(Wed)]

__tn_20140219203921.jpg鉛筆をよく使います。4Bの濃くて太いのが好みです。細かな字はつぶれて書けないのですが、太いと字に表情が出てきて楽しいのです。

ひとつの角がすり減ったならば、クルッと回して違う角を使います。そのときにタッチが変わるのがまた気持ちいいのです。

芯がちびってしまったときに軸を削るのは、機械の鉛筆削りではなく、ナイフです。カッターナイフではなく、小刀がいいですね。あの厚みがなんともいい。木の軸を削りやすいのです。心が落ち着きます。

シャープペンだと2Bを使います。4Bの鉛筆ほどではないですが、字に個性が出てくるような気がします。万年筆でインクの濃淡がついて味わいが出るのと同じように、もっと書きたくなります。

ただし、濃い鉛筆やシャープペンは芯が柔らかいために、書いた跡をこすってしまうと顔料が擦れて汚れてしまうのは欠点です。

使ううちに短くなっていきます。そうすると鉛筆ホルダーが役に立ちます。5センチくらいまで使うのは快感です。エコです。使い切ったという満足感にひたります。
迫り来るマシンの轟音ラッシュして [2014年02月18日(Tue)]

__tn_20140218183300.jpg重くてハイテンションの4ビートのロック。唸り上げる強烈なエンジン音。時に沛然たる豪雨。何万もの観客が上げる歓声。緊張と興奮とが渦巻くレース場を舞台にして、ジェームス・ハントとニキ・ラウダの闘いが繰り広げられた。実話に基づく物語である。ともに天賦の才能に恵まれていたことは間違いないが、ジェームスはいわゆる生まれついての天才肌、ニキは理詰めの天才と言おうか。映画『ラッシュ〜プライドと友情』では、すべてにわたって対照的な二人が1976年に繰り広げた死闘を描いている。

・自由奔放か、計算づくめでメカにも力を注ぐか。
・冒険に賭けるか、確率を重視するか。
・一発勝負に賭けるか、長い目で勝ちをとるか。
・激情家か、沈着なクールガイか。
・酒と女でも享楽を追求するか、ストイックに「幸せは僕を弱くする」とつぶやくか。
・刹那の快楽に溺れることを当たり前と思うか、明日勝つために今どう行動するかを考えるか。
・レース前には嘔吐するほど緊張するが隠すために強がるか、無用なトラブルを避けるために一見柔で弱そうに見えるか。
・友とにぎやかにやるのが好きか、友とも距離をとってプライベートを大切にするか。
・ナンパして行きずり関係を多く持つか、明日のために禁欲的に生活を続けるか。
・妻と別れるか、長らく添い遂げるか。
・ドイツの危険なサーキットで出走を求めるか、雨で危険過ぎるから中止すべきと主張するか。
・再起不能に見えたライバルを前にして後悔の念にさいなまれるか、42日後に奇跡の復帰を果すか。
・心ないジャーナリストに怒りの鉄拳をぶちかますか、口でのみ強い怒りを表現するか。
・一度の年間グランプリで満足するか、息の長い選手生活を送るか。
・短命で終わるか、長生きするか。

両極端なライバル関係ではあるが、年間の死亡率20%というフォーミュラ1の世界の恐怖心から逃れるために、ジェームスは破滅的にさえ見える生活に身を委ねた。反対にニキはビジネス的な冷徹な目で現実を読みきった。マスコミと世間は、二人を永遠のライバル視し、やたらと挑発的に煽情する。しかし二人は、自分にはないものを持つ相手のことを人知れず互いに認めあい尊敬していた。

『ラッシュ』という題号は、二人の攻撃的走りや接触を恐れぬ果敢なバンドルさばきだけを示すものではない。女性へのアタックや成功したい野心、感情の高揚、目まぐるしい忙しさなど二人の人生の浮き沈みをも暗に示していて、ピッタリの題名だと思う。自動車メーカーが撤退することが相次ぎ、若者の車離れもあったりして、F1の世界も難しいかもしれないが、こんな人間のドラマがあるとは、私にとって思いがけない収穫だった。

(春のエネルギーはここにも芽を出した。クロッカスのつぼみが大きくなってきた)
メダル噛むどんなもんやろ品ないぞ [2014年02月17日(Mon)]

__tn_20140217195842.jpg五輪や世界選手権で金メダルをとった選手が、記者会見でメダルを噛んだり、噛むような動作をする(マスコミからやらされる)のが気になっていた。金メッキのメダルを噛むと歯形が残る。場合によってはメッキははげる。私には何か浅ましい感じがしてならなかった。せっかくの栄光の軌跡に泥を塗るような気がするのである。

苦労して獲ったメダル。食べてしまいたいほど愛しいから噛むんだ、自分のものなんだから勝手じゃないか、という人がいるかもしれない。だが違うのだ。職人さんが精魂込めてつくってくれたメダルを冒涜することはないのか。少なくとも気分よく眺めてくれる職人は少ないのではないかと思う。

そもそも、マスコミに求められて、皆さんもやってきたからやるなんざあ、みっともない。荒川静香さんはトリノ五輪で、大切な物だからやりません、とキッパリと断った。そんな品格を見せてほしいものだ。しかしこの度、「メダルを噛んではいけない」とJOC会長が選手に指令したという。JOCも気概を見せてくれたものである。頼もしく思う。

1988年のソウルオリンピックの水泳で優勝したオーストラリア選手が初めて金メダルを噛んだということだが、彼は自然の発露でやったのだと思う。さらに日本人ではアトランタで柔道の野村や中村がやった。あれはあれで、それほど期待されていなかった二人が、どうだ!やったぞ!と誇らしく食ったという点でふさわしかった。しかし、それ以降は惰性化した。写真一枚にアップで収めようとしたら、顔とメダルは近いほうがいい。だから習慣的に求めてきたのだと思う。

勝利の味を噛みしめたいのなら、一人であるいは近しい人と一緒の時に、心で噛みしめればいいじゃないか。せいぜいキスか、頬ずりがよかろう。それが五輪メダリストの誇りの発露というものではないかな?

(田んぼにはオオイヌノフグリが咲いてきた。春は近いぞ。ところで白いほうの花は何だろう?)


(コメント)
>写真一枚にアップで収めようとしたら、顔とメダルは近いほうがいい。
なるほど、なるほど、そういうことなんですね。
良識あるアスリートなら噛むなんてしないはずだと疑問をもっていましたけどやっとわかりました。
メダルは首にかけるのが基本。賞状は手で持つのが基本、受け取るときは両手が基本。なんでも基本からはずれると品が落ちますよね。
作成者 金食い虫 : 2014/2/17 (月) 22:44

そうそう。「基本」を大事にしたいですね。いくら近いほうがいいといっても、噛んでしまってはメダルの縁しか見えないし、キスでも同じですね。となると、満面の笑みでえくぼができた頬の横にメダルをもっていくのが一番絵になるのかもしれません。
作成者 メダル顔をとこ : 2014/2/18 (火) 22:33
前傾し恐れを見せぬ勇者なり [2014年02月16日(Sun)]

__tn_20140216144944.jpg彼のフォームは崩れなかった。鋭く低く跳び出して板をくいっと寄せてくる。大きく逆ハの字に開いた板を彼は風にのせ、前傾した体の線はキリリと真っ直ぐだ。しなやかに空気抵抗をくい止める彼の筋肉はさぞや強靭であろう。

彼はワールドカップでめざましい活躍を続けながら、圧倒的に強かったはずの'94年リレハンメル五輪では団体銀メダルのみに終わり、満を持して迎えた'98年長野大会では故障もあってメダルはなかった。しかし、今や海外ではレジェンド(伝説)と称賛されるナイスガイで、数々の逸話を持つ伝説的人物。

オリンピックは今回で7回目。冬季五輪では史上最多出場だ。しかも41歳。今度こそという思いが強すぎて不発に終わるメダル候補は多いけれども、彼はこの一年新境地を開いている。プレーイング・マネージャーに任じられて後輩たちの面倒をみるようになると、高い次元からの視点が彼のジャンプを変えた。そして今朝のラージヒルで銀メダル。快挙である。

彼の名前は葛西紀明。明け方前の西の空には満月があった。月は、金色と銀色を混ぜて冬の乾燥した空に雲から抜け出て煌々と輝いていた。葛西の銀メダルを祝福するかのように…。銀は金に等しい輝きだよと、教えるかのように。

まだ闘いは終わっていない。このラージヒル個人で9位10位13位という成績をあげた日本ジャンプ陣を率いて団体戦に臨む。がんばれ、葛西! 顔晴れ、ニッポン! 天晴れな輝ける表彰式を迎えてほしい。
羽が生え弦を結んで笑みをとる [2014年02月15日(Sat)]

__tn_20140215114729.jpg11歳のときの映像で、彼はこう決意していた。「目指せオリンピック、金メダル、ですね」と。

順風満帆のように見えていたが、彼は競技を一時はやめようと思ったという。彼は自宅が全壊して避難所に入り、日本はどうなっちゃうんだろうなあと失意に沈んだ。しかし、高橋大輔が主催したチャリティショーをきっかけに、自分に今できることはスケートなんだと吹っ切れて、とにかく滑りたい、スケートに思いをぶつけたいと復活の狼煙を上げた。

甘い美少年、妖艶ともとれるマスク。氷上の妖精とも言われる優美な手の動き、体全体の表現。何よりも手足や首がモデルのように長い。しかも艶々の小顔。衣装も併せて天使が舞うような雰囲気を持つ。男性とも女性ともつかない中性的な感じ。ショートプログラムで史上初の百点台をとり、合掌しながら礼をして会場の声援に応える様子には老成した隠者の風味を醸し出し、大人っぽいしっかりした受け答えをする。一方でしゃべり言葉には19歳の無邪気さも残る。

人気が沸騰している。日本だけにとどまらない。中国のつぶやきメディア・ウェイボーには、彼に恋してると、虜にされた女性たちから数々の書き込みがあるという。天使のような姓。音楽を奏で人々を繋ぐかのような名。彼は堂々としている。爽やかにして細身ではあっても強靭な身体。偉丈夫とも言えよう。4回転ジャンプの2種類を跳ぶ。トウループとサルコウ。世界の宿敵たちはもっと難しい4回転ルッツやアクセルなどで挑んでくる。彼もさらに自身をライバルとして飛躍を続けてくれるだろう。

彼の名前は言うまでもない。羽生結弦。よくぞやった!男子フィギュアスケートでの金メダル。快挙である。

(追記2014.2.16)
妻が、将棋の元七冠王・羽生善治(はぶよしはる)と羽生結弦(はにゅうゆづる)は、同じ名字であるのに読み方が違うのに気がついた。天才は名字まで……。
仕事にはマネジメントが重要で [2014年02月15日(Sat)]

__tn_DSC_1784.JPG先日受けた職場リーダー論と実践研修より。覚え書きとして。

■総論的定義類
・仕事の意義とは、1/生活の維持、2/やりがい、3/生き甲斐、4/能力を高める、5/社会貢献⇒研修内容も部下に教えることもその一つ。
・報連相ができればOJTはできる、PDCAは本来なら当然のこと。
・組織とは、共通の目標又は目的をもち、それを達成しようとする二人以上の集まり、集団。その成立要件は、1/目的(目標)、2/協働の意欲、3/役割分担、4/秩序、5/良いコミュニケーション
・マネジメントの目的とは、人を通して目標(目的)を達成すること。
・目標と目的の違い
 目標/目印。攻撃の的、実現・達成をめざす水準。目標は、目ざす地点・数値・数量などが具体的。
 目的/実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。目標に比べ、抽象的で長期にわたる目あて。
・戦略とは、目標を達成するための考え方、シナリオ、方針(strategy)。戦術とは、目標を達成するための過程における実践的処理、方法(tactics)。
・目的を達成するために、大目標がある。小分けの目標を立てさせることがマネジメント。
・総務・庶務業務は目標設定が難しそうだが、事前に備えるべきリスクマネジメントの項目はいくらでもある。いかに危機を招きそうな問題点の芽をつみ取り、伸びしろにいかに着目するか。
・定例会議を労働強化的な見方でながめてはいけない。個々人の執務能力を高め、職場をよくし不測の事態に備えることであれば、確信を持って説得できるはず。

■マネジメントの4つの側面
    "現状維持の側面"
┌─┬─────┬──────┬──┐
人" │協働体制  │業務の遂行 │" 仕
の動│チームワーク│         │目事
側機├──────┼─────┤標の
面づ│指導・育成  │問題解決   │達側
 け│         │職場風土改善│成面
  " │        │         │ " 
└─┴─────┴──────┴──┘
    "現状を打開する側面"
 *自分が期待される点、心がけている点を付箋に書き上げて4つのマスに貼り付けると見えてくるものがある。

■上司と部下のPDCAサイクル
 <上司>  <部下>
  命令→
┌→P─┐┌→P─┐
│    ↓│    ↓
A     D A    D
↑    │↑    │
└─C←┘└─C←┘
     ←報告 *上司のPDCA、部下のPDCAは連携する

■部下の指導、育成
┌→計画・企画──┐
│ ┌─↑──┐  ↓ 
統制←動機付け→組織化
↑ └────┘  │ 
└──委任←───┘ 
  *報連相に部下とのつながりができる
  *動機付け(スケジュール管理、優先順位決定)

■命令の仕方
 1 ハイと言わせる
 2 メモをとらせる
 3 5w3h
   what内容/why目的/when起源/who担当者/where場所
   how方法/how much予算/how many数量
 4 復唱させる
 5 優先順位は上司が決める
  それができない=部下のスケジュール管理や執務内容をわかっていないことの証明

■報告の肝要
 1 中間報告の重要性
 2 終わったらすぐに報告
 3 命令だした人に報告
 4 結論から述べる(→理由→経過)
 5 正確に報告(事実と感想は別に)

■指導、育成の心構え
・指導とは何がよくて、何が悪いかの基準を示すこと。戦術である。
・育成とは、効果的な動機付けができるよう戦略的に臨むこと
・メールだけでは本物のコミュニケーションができなくなる。対面で話をすることが大事
・定期的な組織ミーティング、個々対面で育成目標を話し合うことは不可欠

   あるべき姿     育成目標
 −)現 状     −)現 状
  ───────   ──────
   問題点       教育ニーズ
マラソンは人生なりや考える [2014年02月14日(Fri)]

__tn_20140214183813.jpgフジテレビ系で五輪の中継を報じる時に、リクルートポイントのコマーシャルをやっている。長いだけではない。心に残る。

  今日も走りつづける。誰だってランナーだ。
  ライバルと競い合いながら、時の流れという一本道を僕らは走りつづける。
  その先に未来があると信じて。必ずゴールはあると信じて。
  人生はマラソンだ。

俳優の池松(ナレーションも)が走るのを止めて振り返る。「でも本当にそうか?」とカメラに話しかけ、突然コースを外れて横道にそれる。堰を切ったようにして、他のランナーも脇へ思い思いに駆け出す。白バイに先導される先頭集団は、何ごと?と戸惑う。

  違う。人生はマラソンじゃない。
  道はいくつだってあるはずだ。
  どこへ向かったっていい。
  思い切って踏み出せば今までと違う景色が見える。
  僕らがまだ出会っていない世界は、とてつもなく広い。
  道はひとつじゃない。ゴールは一つじゃない。
  それは人間の数だけあるんだ。
  すべての人生がすばらしい。

そのとおりだ。目から鱗が落ちるような気になる。自分自身の道へ踏み出して、思いきって飛び出してみようという気になる。もちろん、一定のルールをつくって同じ条件下で走り競うのがマラソンであり、人が誰かと闘って勝ちたいという闘争本能を否定するものではない。行き先は「一本道」ではなく「ゴールは一つじゃない」と考えることは負け犬だ、と断定する向きもあるかもしれないが、それは強者の論理である。我が道を行く自由も、好んで闘う自由もあっていい。それは「人間の数だけある」のだから…。

(レールだって一本道ではない。曲がりくねって分岐して終点もあれば、栄える線だって廃れる線もある)


(コメント)
ふつう、ナンバーワンはそれぞれの道でたった1つですからね。
オンリーワンは無数に自由に輝くことができますね。
作成者 昔のドラゴン : 2014/2/14 (金) 22:02

そうですよね。だからこそ人は、みんなが認めるルールの下でナンバーワンを目指す。それが栄光ですからね。オリンピックでもナンバーワンだからこそ金メダルがもらえるんですよね。
作成者 ナンバーワン難しをとこ : 2014/2/15 (土) 15:23
雪中の友あり春を近づけて [2014年02月13日(Thu)]

__tn_20140213180732.jpg松江城山の梅林に行ってみると、一本だけですが白梅が咲いていました。これで雪中の四友(しゆう)がそろったことになります。梅は城山で、蝋梅(ロウバイ)は我が家で、山茶花(サザンカ)は至るところで雪にまみれていたのが先週のことでした。水仙は花屋でしか見かけていませんが、まあいいでしょう。

夕方の日は長くなり、朝も早めに明るくなってきています。春の足音は着実に近づいています。しかし季節はまだ厳冬、如月二月です。一月末の暖かい日和に春は来た!と思ったのもつかの間、立春から冷え込んで雪になりました。南からやってきた強い低気圧にシベリアからの強い寒気団がぶつかって、太平洋側では大雪になりました。春はまだまだのように見えます。

平和の祭典、五輪が終わる頃(このまま無事に終わりますように)、空に春が弾けて山や丘にはいっぱいに陽光が広がるようになるでしょう。五輪の閉会式が先か、春一番が吹くのが早いか、どちらでしょうか。楽しみにしています。
思い切れプランBなり生き残れ [2014年02月12日(Wed)]

__tn_20140212183749.jpg『モーリーの「知的サバイバル」セミナー番外編01学生との対話「プランBを持って世界へ!」』(モーリー・ロバートソン著,ブックウォーカー,2013年)で論者は、プランBという概念で新しい世界へ飛び出す心構えを説く。成功すればよし、失敗すればあとは海の藻屑となる玉砕、という考え方とは対極にある。

モーリーさんが日本人を長く見てきて感じることは、≪自己表現をする人が叩かれることで社会が前に進んできたような気がするということです。政治の現場もそうですよね。コミュニケーターを叩いて足を引っぱる≫ことが常態化され、≪一番偉い人が頭を下げ続けて、周りが溜飲を下げる。そこで全員が気持ちよくなったところで、さて前に進もうとなる≫ことだ、と。

最近の事件や事件対応のマスコミの取り上げ方が、まさにこのとおりだと思う。トップが出てこいと、マスコミが片棒をかつぎながら叫び続け、出てきたところでトップが何度も頭を下げ続けることをよしとし、理由を述べようとするや、反省が足りない!とこき下ろす。そして次に大きなニュースが話題になると、何事もなかったかのように忘れてしまう。毎度繰り返されてきた光景である。

日本人は外国に住んでいても、≪みんなで同じことをすることを強要する空気があり≫、≪同じ国の人が集まって小さい社会を作るというのは、いつの時代も同じ≫だという。≪日本人同士の社会では主張の強い人が嫌われるという一面もある。たぶん、外の世界を見ているときには、みんなうすうす変わる必要を感じているけれど、中を見た瞬間、日本人同士が顔を合わせた瞬間、元のルールに従ってしまう≫と述べ、聖徳太子以来連綿と保ち続けてきた「和」という空気を大切にして自己主張せず、長いものに巻かれていく理不尽さを説く。新しいルールを創ることはないまま、今も千年の古の世界にひたり続けることは悲しい。

本書の題となっている「プランBを持つ」とは、次善の策、第二の案を持つことだという。冒険をする際にも、失敗したとしても何度でもやり直せるようにプランBを持つ。不安の時代にあっても、プランBを持つことによって、より広い視野で複眼思考することでパニックになったり、諦めてしまったりすることなく、地に足を付けて生活することができると、対談している若者たちに伝える。そういえば映画『大脱出』でも主演のシルベスター・スタローンは、プランBを発動していたのを思い出す。言霊の国日本では、第一案が失敗したときのためにプランBをあらかじめ準備しておくことに対し抵抗がある。プランAが失敗すると思っているとはけしからん!と考えてしまう欠陥である。

ソフトドラッグという概念を始めて知った。贅沢さえ言わなければそこそこ生活ができる環境に浸ってしまうことだそうだ。イヤなことに目をつぶり、自分にとって心地よい言葉だけを選択的に取り入れて閉鎖的に暮らしてしまう状況をソフトドラッグというらしい。いくつになっても挑戦することが大切だ。
ボリボリとチョコを喰うこと嬉しいな [2014年02月11日(Tue)]

__tn_20140211193338.jpg聖バレンティヌスの殉教の日2月14日の前後に、キリスト教圏では長らく恋人たちがカードを交換しあっていたらしい。女性から男性へという一方通行ではなく、クリスマスカードを送るように相互に送る習わしだ。

女性から好きな男性にチョコを贈るという2・14バレンタインデーが始まったのは、1968年からという説もあれば、神戸のモロゾフが1936年にチョコを贈ろうと宣伝したのを起源とする説もある。いずれにせよ、チョコを贈るという習慣は日本独自のものであり、1970年代から広まってきたのは間違いない(私が初めてもらったのも1972年だったような…)。

チョコ=愛の告白という生真面目なものから、2・14の意義は変わっていく。義理チョコの登場だ。上司や同僚に盛んに渡されるようになったが、今は廃れた。中学生や高校生、大学生まで女性同士で贈り合う友チョコが今は主流である。もちろん本当に好きな人に贈る本命チョコは秘やかに贈呈される。自分で買って自分で食べるのが、ご褒美チョコ。この単価は相当高いということだ。

数年前から生花店の業界が男性からフラワーバレンタインを贈ろうと仕掛けている。定着しているとは言い難いが、男性(西洋人)が女性(これもミニスカートの西洋人)に花束を捧げ女性が嬉しく戸惑っているというローズレッド色をベースにしたポスターが、今年は街中に目立っている。薔薇の花束がいいよ!という意味だろう。

この時期はデパートやスーパーの特設売場はチョコだらけ。私が買うことはないが、見ていると飽きない。こんな包装があるのか、こんなに高いのかと驚きは尽きない。日本人一人あたりのチョコ消費量は年間約2キロ。2月に2割以上を売るようだから今は商売どきだ。ただ、あれだけ多くの売場にあるわりには、2割程度かとも思う。となると日本人は相当チョコ好きだとみえる。年中チョコを食っている。

私も大好きだ。実は鞄の中には緊急用という名目でブラックの板チョコが入っている。手持ちぶさたで腹が減ったときには、緊急時とみなしてボリボリ食っている。実に美味しい。滋養強壮に効くと言われていたのは戦前のことだが、美味しいチョコレートを口に含んで、幸せいっぱい、疲れを癒そう 。
意外にも冬季五輪の地は少なし [2014年02月10日(Mon)]

__tn_20140210221948.jpg冬季五輪全22回のうち4回はアメリカで開かれていることに驚いた。3回がフランス、2回がスイス、日本、カナダ、ノルウェー、イタリア、オーストリア。1回のみがドイツ、ユーゴスラビア(サラエボ)、そして今回のロシア。全部で11カ国しかない。

1924年(大正13年)シャモニー(フランス1)
1928年(昭和3年)サンモリッツ(スイス1)
1932年 レークプラシッド(アメリカ1)
1936年 ガルミッシュパルテンキルヒェン(ドイツ) *以後第二次大戦で中断
1948年 サンモリッツ(スイス2)
1952年 オスロ(ノルウェー1)
1956年 コルティナダンペッツォ(イタリア1)
1960年 スコーバレー(アメリカ2)
1964年 インスブルック(オーストリア1)
1968年 グルノーブル(フランス2)
1972年 札幌(日本1)
1976年 インスブルック(オーストリア2)
1980年 レークプラシッド(アメリカ3)
1984年 サラエボ(ユーゴスラビア)
1988年 カルガリー(カナダ1)
1992年 アルベールビル(フランス3) *以後夏季五輪とずらす
1994年 リレハンメル(ノルウェー2)
1998年 長野(日本2)
2002年 ソルトレイクシティ(アメリカ4)
2006年 トリノ(イタリア2)
2010年 バンクーバー(カナダ2)
2014年 ソチ(ロシア)

競技ができるほど雪が十分降る地域は地球上にはそれほど多くないのだろう。雪があっても人間の手がはいり施設が整っていなければ競技はできない。当然ながら競技人口がその地域に一定程度集中していなくては、経済的にも引き合わない。個人的にも経費が莫大にかかることも大きな負担になる。そういったことが開催国数が少ない主な原因だと想像する。冬季オリンピックの種目は言ってみればたいそう贅沢な競技なのだ。

雪が降り過ぎるのは問題だが、地球温暖化がすすんで雪が減り競技ができなくなるのも寂しい。適度な雪と寒さでもって、冬季競技が続いていくように願いたいものである。
うまくいく絶対いくと思い切れ [2014年02月09日(Sun)]

__tn_20140209215151.jpgインド映画『きっと、うまくいく』を観た。原題は『3 idiots』。「3人のバカ」と訳すと冗談みたいだが、心震わす映画だ。そして何度も笑った。自分はランチョーのように天才ではなくても、胸を張って誠実に明るくがんばろうと思えてきた。

映画中に何度も出てくる台詞が「アール・イーズ・ヴェール(All is well.)」。なんとかなるサーという無責任な感じではなく、なんとかするぞ!と決意をにじませたこの言葉。終いには登場人物全体をこの言葉で巻き込んでプラス思考に向かわせる。

笑わせて、歌と踊りで楽しませ、哀愁のシーンで泣かせておけばよい、という半端なつくりではなく、脚本も編集も丁寧につくられていて、ムダなシーンやカットがない。長い映画だが、2時間50分を感じさせなかった。

名門エリート工科大の寮の同室となった三人組は無二の親友となった。三人はハチャメチャなことをしでかして、真面目一方の学長からにらまれていた。学長の教育法は、服従と暗記ばかりで独創性はなく周囲は敵だと思わせる競争主義に凝り固まっていた。三人は無体な抵抗をしたのではなく、学生を大切にし理にかなう教育が当然だ、と真っ当なことを主張しているのであるが、学長と一派は三人を目の敵にする。

三人の友情を分断しようと画策する学長。親友の二人がランチョーに関し、「親友が落第すると思うと心が痛む、親友がトップだと聞くともっと心が痛む」と言った。これもまた真実であり、そうした葛藤を越えて友情は育つのであろう。ランチョーは親友と共に楽しみ笑い、親友と同苦しながらも、自由に楽天的に取り組み、学業も首席を保っていた。

インドの山岳地帯の美しい空。厳しく切り立った山に広がる湖は空のように青い。その景色のように美しいヒロインは眼鏡の美女ピア。ランチョーとピアは対立する関係から始まったが、ランチョーの口をついて出た詩。恋するときに風が吹く云々の詩の一節のとおり、ピアはランチョーに愛を感じ、彼も彼女を想うようになった。二人の愛は順調に発展するように思われたが、卒業してから彼は行方をくらます。

10年後、親友の二人は消えたランチョーの謎を追う。同時に、心ならずも不本意な結婚をさせられようとしていたピアを、なんとしてでもランチョーに添い遂げさせたいと二人は計画し大奮闘する。映画『卒業』のような花嫁の逃走劇の結果、ランチョーとピアのラブストーリーは完結し、さらに大きな結末が待っていた。この爽快さといったらない。嬉しくて楽しくて笑顔が止まらなかった。

血沸き肉踊る映画だった。二回目を見たならば一緒に踊り出してしまうかもしれない。打算のない真の友情とは何か、世間に迎合するだけの結婚や就職に幸福はあるのか、人を蹴落として得る競争社会の幸福に意味はあるのか……。底抜けの明るさと不屈の精神で乗り越えたヒューマンドラマに、改めて喝采を送りたい。
ソチに咲く火の鳥の華火を吹いて [2014年02月08日(Sat)]

__tn_20140208115514.jpgストラヴィンスキーの「火の鳥」が流れる聖火点灯の儀式。アーチ状の大きな聖火台を駆け上がる火の帯。華々しく打ち上がる花火はまるで火の鳥が出現したかのようだ。火の鳥がソチの夜をきらびやかに照らす。

先日ロシアで成立した同性愛宣伝禁止法(公衆の場で未成年者に同性愛の宣伝禁止)に抗議して、ソチ五輪の開会式に欧米の首脳は参加を拒否した。また、テロや誘拐予告などにより厳戒態勢がひかれた一帯はさぞ移動が困難であろう。そのせいか、チケットは売れ残りが目立つという。心配なことは多いが、冬季4年に一度の祭典は始まった。

競技数は次の7つ。スキーとスケートは細かく別れており、日本選手団の期待も高い。備忘録として。

【スキー競技】アルペン、クロスカントリー、ジャンプ、ノルディック複合、フリースタイル、スノーボード
【スケート競技】スピードスケート、ショートトラックスピードスケート、フィギュアスケート
【バイアスロン競技】
【ボブスレー競技】ボブスレー、スケルトン
【リュージュ競技】リュージュ *ボブスレーとの違いは源流が木ぞりであること
【カーリング競技】
【アイスホッケー競技】
戦争が小さな思い蹴散らして [2014年02月07日(Fri)]

__tn_20140207175851.jpg映画『小さいおうち』を見終わると、映画ってホントにいいなあ…と思う。原作小説「小さいおうち」とはポイントが違うような気がしたが、人間の心が動いていく際の不可思議さをまざまざと感じることができる。

主題曲のワルツが静かに心地よく流れる(作曲は久石譲)。バンドネオンを中心とした古い雰囲気のワルツだ。「ハウルの動く城」に似ている。シーンが進むごとに次々と変奏されて登場してくるのが心地よい。タキの晩年役をやった倍賞千恵子さんのナレーションも心地よい。しっくりと馴染んで仮想の母の腕枕に眠るかのようだ。

人間は誰しも罪を抱えて生きていく。時子奥さま(松たか子 / 実に綺麗だった)も、女中(今は死語になり、お手伝いさんというがこれではあの時代の雰囲気は出ない)のタキ(黒木華)も罪を抱えている。二人だけではない。誰もが心に罪を抱えている。大きな後悔と言い換えてもいい。じくじたる思いを胸にしまって生きていく。抜けないトゲが時おり胸から溢れだしてため息が漏れたり、懺悔の念にさいなまれる。

赤い屋根の小さいおうちで起こった小さい恋の物語。現在なら細い針のようなことがらが、当時は太い棒のように大袈裟に周りに喧伝されていく。日本が破滅への道をまっしぐらに落ちる状態にありながら、小さな一挙手一投足が心ある人を苦しめる。板倉(吉岡秀隆)と時子奥さまとが徐々に親しくなって心を許しあい、密やかな関係になっていくのは、今であればなんのこともない自然な事柄だ。今の時代から見れば小さなことに見えたとしても、当時の人たちには天地がひっくり返るようなことだったことを細やかに描いた。

「始まったものは、いつかは終わるものよ」という時子の言葉が印象に残る。台詞の示すものは戦争であるが、恋とも、友情とも、一年とも、発展とも何にでも言い換えられる。そして「生まれた者はいつかは死ぬ」と究極の言い換えにつながっていく。そのいつかを予感させつつも、時子は板倉の下宿通いをやめない。トントントンと着物の裾をひるがえしながら階段を上る。健康的なエロティシズムもまた心地よい。

山田監督の視線が温かいと思う。当時の倫理観からすれば人妻が恋心を他人に表現することは許されない。しかし時子は後悔すまいと思い、板倉に気持ちを表し行動した。その時子奥さまに対し大きな背信行為を働いたタキも信念を貫いた。しかし悔いた。思うこと、信じること、正直に生きる個人の思いを戦争が蹴散らしていくことに対し、監督の目は厳しい。だが、誠実な正直者には優しかった。

(雪をかぶって椿が咲いている。寒さをものともせずに)
冬空のソチに日の丸揚がる日よ [2014年02月06日(Thu)]

__tn_20140206185014.jpg『措置』。
精神疾患の患者さんが危険な状態に陥ったり、危険を他人に及ぼす可能性があるときに、行政機関が「措置入院」をさせることがある。また、かつてはほとんどの福祉施設が「措置入所」だった。今は契約して入所するスタイルが主流となっているが、措置という言葉にはお上がその権力を発動して人を施設や病院に閉じ込める悪いイメージが、今でも残っている。

『其方(そち)』。
「そちは何者じゃ!」というようにして使う。おまえとか、なんじといった相手方の人称代名詞である。指示代名詞でもある。そちらやそっちの意味だ。

『ソチ』。
いよいよ明日からソチ五輪が始まる。フィギュアスケートの男女、ジャンプ女子など期待が高まる。

今日、2月6日は1972年札幌五輪の際、ジャンプ70m級で笠谷、金野、青地の三人が日の丸飛行隊としてメダルを独占した日でもある。期せずして達成した快挙。あれから42年。冬季オリンピックで日本選手の活躍が大いに期待できるようになった。眠たさをこらえながらリアルタイムで観戦するか、それとも録画で楽しむかはそれぞれの自由だが、テレビから目が離せない日々が続きそうだ。
無意識に思考の言葉紡ぐこと [2014年02月05日(Wed)]

__tn_20140205172514.jpg『モーリーの「知的サバイバル」セミナー』(モーリー・ロバートソン著,ブックウォーカー,2013年)を読んだ。「今は人の心を動かしさえすれば、世界を変えることができる、凄い時代になりました」と著者は確信を持って述べる。インターネットは情緒にも論理にも訴えて、人の心に火をつける。世界を変える。ネットの力だけではない。女性の力、民衆の力、変化しようとする社会自体の力によって、世界は加速度的に変化し予測は不可能だ。そんな世界で、「知識×直感=しなやかな強さ」による「知的サバイバル」とはどんな方法なのか。

常に何かを考え続ける私たちの頭には、論理的な考えも浮かべば、感情的なものもある。その考えをつかまえて紙に書く。 すなわち自分の思考や衝動に形を与えるために声の断片をメモに書き出していく訓練を続けていくと、非常におもしろいことが起きると著者はいう。

別な言葉で言えば、「無意識に思考の中から見つけた言葉こそが、あなたの本心なんです」と。接地点をもった心や考えを定着させる訓練を続けると、自分自身の思考の断片が明らかになり、ニュースを見たり読んだりしたときに全体像が鮮やかに浮かんでくるようになるという。

それが小さな種になって小さな断片がつながり、葉っぱが出てきて、それが落ちて腐葉土になり、堆肥の層ができて別のものが育つ。まずは一週間やってみよと著者はいう。そして理性と直感の両方を磨けと。それこそがこの世界を生き抜く知的サバイバル力につながる。詰まるところ、安直なノウハウがあるわけではない。地道にやるしかないことがわかる。

マインドマップという発想法がある。紙の真ん中に思考テーマとなる事柄を書いて、その周囲に頭に浮かぶ思いつきを、枝や葉を伸ばしていくように広げていくものだ。いわば一人ブレーンストーミング。やってみたこともあるが、長続きしていない。瞬間的に知的サバイバル術が身につけられる方法はない。だが、いろいろなことを思い切ってやっていくときがきたのかもしれない、と感じることができた。

(絡みあった金属パイプの部品のように頭の中は混沌としている)
青い空一日過ぎて懐かしい [2014年02月04日(Tue)]

__tn_20140204172241.jpg  暦の上ではフェブーラリー でもハートは春立ちぬ
  二月は忙しい 寒くて慌ただしい 春だけど嬉しい そこはアドボカシー
  果てしなく ラララ 貪欲禁欲 バレンタインを過ごす相手と
  あてどなく ラララ 暗躍快調 花粉まで一緒にいたくない……

今日は立春。昨日節分の日の暖かさが嘘のように寒くなった。これからの寒さは「余寒」。慎ましい言い方ではあるが、寒さはいよいよ本番だ。余りなんかではない。この戻り寒波に続く春への道をGMT47なら、こんなふうに歌うかもしれない。

この寒波。東京にも積雪があると予想されている。寒さも雪も、ゲリラ豪雨とおんなじでどれだけいくかは、予想を超える。今朝は松江の気温が5℃。たいしたことはなかった。しかし大寒気が北からやってきて私たちを震え上がらせ、雪が積もっている。積雪は5センチ。

ただいま5時過ぎ。雪質がかわってきた。細かくサラサラしている。気温が下がってきた証拠だ。外を歩く時はできるだけ歩幅をせばめて足の裏全面をつけて、不格好に歩くことにしよう。

(しばらく前の陽光。ああ、懐かしい。ああ、恋しいよお)
避けられて島引く鬼も悲しかろ [2014年02月03日(Mon)]

__tn_20140203075231.jpg『島ひきおに』(山下明生・文,梶山俊夫・絵,偕成社)は悲しい鬼のお話だ。

小さなちいさな島に鬼が住んでいた。さびしがりやの鬼だった。まいにち人恋しと歌っていた。遊び相手がほしかった。だれも怖がって寄りつかなかった。荒れ狂う嵐の夜に船が避難してきて鬼は喜んだ。ニカッと牙をむきだして笑うと漁師は肝をつぶした。あんたら人間と一緒に住みたいと申し出た。漁師は怖さのあまりでまかせを言った。わしらの島は狭いからあんたの島を引っぱってきんさい、と。鬼はなんと島を削って太い綱で結でえんやこらと海を歩いた。漁師の島の浜辺についた。おーい、こっちで遊んでいけ。村人はまた嘘をついた。次の島でも嘘で鬼をていよく追い払った。貧しくて腹ぺこで遊べないだの、じいさんを喰ったように偽装するのして追い払った。鬼はいまでも遊び相手を求めて海を放浪している・・・。

村人は残酷だが、恐い形相の鬼にあたっては逃げるしかないという思い込みがある。それに気がつかない鬼は無邪気だが愚かである。なにか策を考えればいいのにと思うのは、絵本の外の読者が考えること。現実はうまくいかない。鬼にとっては悲しみが増幅するばかり。村人にとってはその場しのぎで共和の社会はいつまでたっても築けない。

鬼は外、福は内とはいうが、福は身内で、鬼は異邦人、部外者、局外者。要するに鬼には情報が与えられなくて身内から除外される。いわばイジメられる存在だ。村社会はかつてはそうして成り立っていた。今でも村を維持し、新たな村を作ろうとする者はそうやって鬼をつくる。鬼を沈め石にして集団を維持しようと企てる。日本社会にあって鬼にされてしまうことは、大きな恐怖のうちの一つだと言える。

さて、今年の恵方は東北東だそうだ。それにしても、恵方巻。商機をつかんだものだと思う。節分といえば豆まき。我が家のように二十も三十も買い込んでおやつとしてボリボリもぐもぐ食べる人はまれだから、一軒に一袋で十分だ。豆一袋では売り上げは伸びない。関西の文化として定着していた恵方巻を全国に広めたら、巻き寿司が飛ぶように売れた。今やスーパーマーケットもコンビニも恵方巻に占領されたかのようだ。今日節分が終わればバレンタインチョコが主役となる。商売は忙しい。そして私は食べるのに忙しい。
日常にサラッと寄り来る戦争影 [2014年02月02日(Sun)]

__tn_20140202170653.jpg先週のNHK朝ドラ『ごちそうさん』で、め以子がこう嘆いていた。「私の大事なものが、どんどん取り上げられるような気がして…」と。

源太が出征し、苺が市場から消え、砂糖や食糧の多くが次々と配給制になっていく。おいしいものが食べられないだけでなく、おいしく調理することもはばかられるようになり、生きていくことの楽しみを求めることすら敵対行為だと非難される。そのストレスから彼女はとんでもない行動に出た。源太がいなくなった肉屋から上等の牛肉を丸々買い、地域の人に広く振る舞ったのだ。それから彼女は「ごちそうさん」と呼ばれるようになった。

≪私は一九三六年二・二六事件の年に中学校を出た。(中略)すべての事件は、全く偶発的に、ある日突然おこり、一瞬私たちを驚かしただけで、忽ち忘れ去られた。井上蔵相や団琢磨や犬養首相が暗殺され、満州国が承認され、日満議定書が押しつけられ、日本国が国際連盟を脱退し‥‥しかしそういうことで私たちの身の廻りにはどういう変化も生じなかったから、私たちはそのことで将来身辺にどれほどの大きな変化が生じ得るかを、考えてみようともしなかった。≫
 (『羊の歌』加藤周一著,1968年,岩波新書)

日常は急には変わらない。悪魔の手はじわじわと真綿で絞めるように庶民を苦しめるようになる。当の庶民もお上からの指示が必ずしもなくても、互いが牽制し空気を読みあううちに、身動きできない日常を作ってしまった。そうした現実が70年ほど前にあったのだ。

め以子たちの生活は、やがて食糧品の不自由はもはや当たり前、命の危険を目の当たりにするまで転落していくことだろう。転落、崩壊、破壊……そうしたマイナスの力が働くときの動きは早い。あれよという間に地獄の底を見ることになる。為政者の役割はそうした悲劇を断固として防ぐことなのだ。

(ストックの花。平和にみずみずしく咲いている)
超撃し悲しみの目がドラゴンに [2014年02月01日(Sat)]

__tn_20140201224334.jpg燃えよドラゴン』は1970年代前半のB級映画だ。B級と言い切ってもいい。物語の設定がとても安っぽい。端役の役者やエキストラの質が低いのが気になった。

首領ハンが築いた孤島の要塞で3年に一回行われる世界武道トーナメント。秘密の孤島では非合法の麻薬が製造され、中華圏だけでなくアメリカへも魔手を伸ばして悪徳ビジネスで一儲けしようとしていた。そこにスパイとして派遣されたのがリーだった。司令元は正体不明の組織であり、少林拳の一派に属する主人公は全権を委任されて孤島要塞に乗り込んだ。リーには殺された妹の復讐を果たすという目的もあった。ハンはかつて少林寺の一派の最強者ではあったが組織を裏切り、今は巨万の富をあやつっているという設定ではあるが、セットは安物くさくてちゃちだ。豪華調度品のはずの家具や地下工場の壁はハリボテのような粗雑さがあった。

話は驚くほど平板であり、登場人物の背景や性格には深みを感じない。香港では貧富の差がはげしいことを指摘する描写もあったが、それ以上の深まりはない。007の悪役を重ね合わせるようにした悪役がハンであったが、描き方は拙劣であった。最強の技の使い手であるにもかかわらず、彼は手下が次々にリーらの技によって倒されるのを見ると、オドオドと慌てて逃げまわる。堂々と闘い、リーを苦しめればいいのに、人物が問題外に小さい。ボンドガールに相当する女たちもいたが、描写不足で残念だった。

それほどクサしたが、すごい映画だと思う。主演ブルース・リーの闘技に快哉をあげたくなる。リーの目力が凄味をもって観る者に突き刺さる。あの頃、少年たちが憧れたリーの闘技、目にも止まらぬヌンチャクのテクニック。映画とはいえ美技の数々に酔う。そして敵には容赦せず息の根を止めるリーの冷酷さも光る。

迷宮の鏡の間におけるハンとの激闘では息を詰めて観た。あれだけ鋭くて長い刀剣義手で叩かれても浅い傷しかできない(最初は頬、次に腹、最後は肩胛骨のあたり)不自然さはあるが、アクションにおいては悪役が撃つ弾はヒーローをかすめる程度ですむものなのだから、これもよしとしよう。無名だった細身の小男が屈強な男たちを打ち倒す痛快さを、誰もが求めているのだから。

リーが妹を死に追いやった西洋人に対し復讐を果たしたとき、その男の息の根を止めたとき。リーの表情は悲しかった。この世のすべての悲しみを背負っているかのような哀愁を感じさせた。妹への追慕という気持ちにあわせて、植民地化され収奪されて多くは貧乏であった中国人の悲しみを代表するかのような表情。満面に表した強烈な悲しみの理由は、そこにもあったような気がする。

ブルース・リーは人気がピークの頃、若くして死んで伝説となった。この映画の公開時にはもう死んでいる。あの激しく悲しみのこもった目と超絶アクションを残して逝ってしまった。残念ではあるが、彼がこのまま粗雑なカンフー映画にしか出演できなかったとしたら、寂しい俳優人生となったにちがいない。伝説になったことは、彼にとって幸せだったのかもしれない。


(コメント)
「燃えよドラゴン」
中学生のときに流行ったね。あのころは扇町の第二東映へ友達と見にいきました。サンロードも土曜夜市でにぎやかな時代だったね。
ブルース、リーの燃えよドラゴンの影響かどうか知らないけど中日の「燃えよドラゴンズ」もこの頃だった。・・・いいぞガンバレ、ドラゴンズ 燃えよドラゴンズ 一番高木が塁に出て 二番谷木が送りバント・・・男の子は誰も坊主頭の中学生の時代、ブルース、リーの真似してヌンチャク作ったもんです。
作成者 昔のドラゴン : 2014/2/2 (日) 03:42

同級生に熱狂的なファンがいました。今は亡き人で彼を思い出しながら観ました。最初から最後まで観たのは、今回が初めてです。午前10時の映画祭(出雲ゆめタウン)で観る昔の映画はいろいろな感慨を起こしてくれます。
作成者 燃えよをとこ : 2014/2/2 (日) 07:39

映画館の雰囲気を味わいたいです。
あれこれ、もう何十年も行ってませんからね(泣)
ロードショーやスクリーンとか雑誌もよく買ってましたね。人気男優はアラン・ドロン、ブルース・リー、ロバート・レッドフォード、女優ではオリビア・ハッセー、トレーシー・ハイドが人気だった時代。家内が言うには映画に連れていってもらって「また、観にいこうと言っていたけど1回きりだった。」という話(笑)好司
作成者 昔のドラゴン : 2014/2/2 (日) 14:49

では是非とも奥さまとご一緒に、ゆめタウン3階へどうぞ。2週に一度の入れ替えで、毎日10時から上映されています。今は洋画、四月からは邦画も含めて名画が上映されるでしょう。
作成者 午前十時のをとこ : 2014/2/2 (日) 19:03