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酸に浸けあなた好みになる細胞 [2014年01月31日(Fri)]

__tn_20140131074543.jpg奥村チヨは歌謡曲『恋の奴隷』(作詞:なかにし礼)でこう歌う。≪あなた好みのあなた好みの/女になりたい≫。はるか昔、昭和40年代半ばの歌だ。生後一週間のマウスのリンパ球を弱酸性溶液に30分間浸すだけで万能細胞ができると聞いて、この歌を思い出した。

刺激惹起性多能性獲得(STAP)細胞と名づけられたこの細胞は、受精卵と同じようにさまざまに変化することができるという。生物学の常識を覆す画期的な成果と言われている。iPS細胞(人工多能性幹細胞)やES細胞(胚性幹細胞)に比べ、簡単で短時間に作れるということで世界中の注目を集める。完成の暁には、病気ごと患者ごとに適切な細胞を培養することによって、再生医療の技術は格段に進歩するだろう。言うなれば「あなた好み」の細胞を使ってオーダーメイドの治療をすすめ、自己再生力を最大限に発揮することができるわけだ。

理化学研究所の研究ユニットリーダーは小保方(おぼかた)氏。時の人となったこの女性研究者はまだ30歳の美形。会見時のハキハキぶりで好感度も高い。ネット上でさっそくアイドル的扱いを受けているという。この方が女性だったからというわけではないが、この歌を思い出してしまった。

『恋の奴隷』で奥村は、≪あなたと逢ったその日から/恋の奴隷にな≫ったと歌い、こんなふうにあなた好みになりたいと言う。

 悪い時はどうぞぶってね/あなた好みのあなた好みの/女になりたい
 好きな時に思い出してね/あなた好みのあなた好みの/女になりたい
 好きなように私をかえて/あなた好みのあなた好みの/女になりたい

おっと!強烈だ。今の時代には考えられない。今でも、「自分好みの女であってほしい」という幻想に支配された男が存在していることで、DV被害に悩む女性は少なくない。もちろん、この歌詞だって作詞家は皮肉たっぷりの意図があるのかもしれないし、当時だって相当の反発があったのに違いないけれども、相対的に力の弱い女性が手ひどい仕打ちを受けるのは、時代錯誤である。

STAP細胞は酸性液に浸されたり、極細の狭所を通ったときに生まれるという。そうしたストレスが細胞に変化をうながし、質的な大転換を起こす。言うなれば、化けるわけである。「オレ好みの女になれよ。言うことに逆らうな。甘えさせろ!暴力だって辞さないぞ。ただしオレは勝手気ままにやるからそのつもりでな!」。そんな男がまだ生息しているようなら許せない。ともあれ、STAP細胞が早く実用化されることを願っている。
暖かき空気に転じ春近し [2014年01月30日(Thu)]

__tn_20140130180418.jpg昨日とはうってかわって、雨降る朝。
雨降るごとに春は近づいてくる。雨もまた楽し。
よき一日を予感させる朝。
松江市営バスに乗った。運転免許センター行きのバス。
お隣にはテキストを広げた若い女性。
学科試験を受けるのだろう。
がんばってほしい。一発で合格してね。
客が降りるたびに運転席から爽やかな声が聞こえてくる。
運転士がヘッドマイクを通じて降りる客にお礼を言う。私も降りた。
ありがとうございました。お気をつけて……。
抑えた低音で。かつ穏やかな声色。
きちんとこちらに目を向けて、微笑みをうかべている。
爽やかなオモテナシにこちらも微笑む。
いいことが起こりそうな予感。仕事した。
格別にいいことはなかったけれども。順調な一日。
それこそよき日の福徳だと思っていこう。
明日もいいことありますように…。
酒飲みは幸せ印のハレの日よ [2014年01月29日(Wed)]

__tn_20140129210055.jpg『日本全国酒飲み音頭』という歌がある。もう30年以上も前に流行った歌だ。「一月は正月で 酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ」と他愛もなく繰り返す。二月は豆まきで、三月はひな祭りで、四月は花見で、五月は子供の日で、六月は田植えで、七月は七夕で、八月は暑いから、九月は台風で、十月は運動会で、十一月は何でもないけど、十二月はどさくさで、酒が飲めると喜ぶ。このナンセンスさが面白い。アップテンポなリズムもあって、ノー天気な酒飲みの気分が伝わってくる。

ハレとケという言葉がある。ハレは晴れ。おおやけに晴れやかなこと、そのような場のことだ。ケは褻。おおやけでない日常のことである。昔からハレの日には酒を飲む。日本全体が貧しかったころ日常的に酒を飲む余裕はなかったはずだ。正月、お盆、収穫祭。また冠婚葬祭で親族縁者が集まったときに酒を飲む。延々と続くケの日々にあっては、ハレの日は待ち遠しい。酒が飲める、酒が飲める、嬉しいぞ・・・・という気分があったことであろう。

ところが今や毎日がハレだ。晩酌はもちろんのこと、街へ繰り出せば酒を飲む場は無数にある。そこで楽しく飲めば(絡んで嫌味な酒もあるが)、晴れ晴れと楽しい時間が過ごせる。時代が豊かな証拠だ。喜ばしいことである。

(写真は向かい合った河童の陶板。酔っぱらったかのように楽しげだ。島根県庁の玄関ホールにある)

(コメント)
いや〜全国酒飲み音頭ですか
なんだか、なつかしい歌を思い出しましたよ。
法的にお酒を飲んでもいい時代に流行っていたからね。
酒って人類かなり古くから飲まれていたという話だね。
オロチ神話にも出てくるしね〜
般若湯の名のとおり、知恵の出る飲み物でろうか?
人と人の潤滑のための知恵の飲み物と言おうか?
なかなか、お会いできないけどまた一杯やりますかね〜 好司
作成者 ぶりはぶりでも久しぶり : 2014/1/30 (木) 09:00

そうそう、オロチは日本酒であんなに酔ったとは思えない。あの時代に実は泡盛ほどの蒸留酒があったのだろうか?
出雲辺りで一杯やりますかね!
作成者 酒を呑もうをとこ : 2014/1/30 (木) 20:58
心していつでも微笑む笑ってる [2014年01月28日(Tue)]

__tn_20140128175757.jpg渡辺和子著『面倒だから、しよう(幻冬舎,2013年)』を読んだ。本書の題名は、ノートルダム清心学園運営者として一本筋のとおった著者の信条であり、生きる上での著者の確信である。このかたの穏やかな中にも凛とした面影を想像することができた。

≪人には皆、苦労を厭い、面倒なことを避け、自分中心に生きようとする傾向があり、私もその例外ではありません。しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、このような自然的傾向と闘うことなのです。したくても、してはいけないことはしない。したくなくても、すべきことをする。自由の行使こそは、人間の主体性の発現にほかなりません。
(中略)よりよい選択ができる人たちを育てたい。安易に流れやすい自分と絶えず闘い、面倒でもする人、倒れてもまた起き上がって生きてゆく人を育てたいのです≫

このかたが、「面倒なことを避け」ようとする自己と闘い、美しく生きることを常に心がけてこられたことがよくわかる。冒頭の詩「ほほえみ」も印象深いものだったので抜粋して紹介する。

≪ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが
 相手にとっては非常な価値をもつものだ
 ほほえまれたものを、豊かにしながらも、
 ほほえんだ人は何も失わない
(中略)
 若しあなたが、誰かに期待したほほえみを、
 得られなかったら、不愉快になるかわりに
 あなたの方からほほえみかけてごらんなさい
 実際、ほほえみを忘れた人ほど
 それを必要としているものはないのだから≫
アイディアにヒラメキ付ける付箋かな [2014年01月27日(Mon)]

__tn_20140127175622.jpg個人のアイディアを付箋に書き出すことは、ワークショップでよく行う手法であるが、それを模造紙やホワイトボードに張り出す際に、工夫が必要であることがわかった。

≪このときの最大のコツであり注意点が、「全員で、一気に全部の付箋を貼り出さない」ということ。1枚ずつ発表していくことです。ヒラメキのためには深い脳の活動が必要なのですが、一気にやるとどうしても浅い思考となるからです。(中略)「なるほど〜、それならねえ……」と出された意見にみんなで「付け足し」をしていく。この「付け足し」こそ、脳にヒラメキを起こす刺激となっていきます≫
(月刊事業構想2014年1月号「発想する会議のつくり方」)

人間が一度に処理できる情報量は3つだという。紙に書きあげてあっても、5つも6つも一度に与えられると頭がごちゃごちゃになる。ましてや、口頭で言われたときには、とても覚えきれなくて頭の端から消えていく。付箋に書いたアイディアにも同じことがいえる。

今度機会があったらやってみよう。いや、まずは私自身のアイディアをひとつひとつ書き出して吟味することから始めよう。

(先ほど見た松江大橋からの西空。西側に見えるのは宍道湖大橋)
契約し黒の執事や護れやと [2014年01月26日(Sun)]

__tn_20140126191921.jpg不死身で完璧な執事、セバスチャン(水嶋ヒロ)。彼は隙のない拳法を身につけ銃に撃たれても死なない悪魔だ。父母の復讐に胸を焦がし笑顔を忘れた男装の令嬢、清玄(剛力彩芽)。彼女は伯爵、幻蜂家の主で、玩具コンツェルン・ファントム社の有能な総帥でもある。映画『黒執事』は怪しい魅力にあふれた物語だ。

女王の番犬と呼ばれる裏の顔を彼らが持ち、西と東の勢力が相手方の打倒と世界制覇を目論むという世界観は十分理解できなかったが、セバスチャンが敵をバッタバタと倒したあとに涼やかな顔で「私はあくまで執事でございます」と謙遜するのが小気味よい。

原作のコミックスの舞台は19世紀末英国で、名門貴族の執事が活躍しそうなヨーロッパでは人気があるそうだ。その彼は、伯爵令嬢の死後にきれいな魂をもらう一方で、その時が来るまでは令嬢を護り切るという契約を交わしている。まるでファウスト博士と悪魔メフィストーフェレスとの関係だ。

ヨーロッパの読者は、黒執事にファウストの結末というか、経過のようなものを知りたいのではなかろうか。ゲーテの物語では、ファウストがメフィストーフェレスからこの世を自由自在に遊泳できる力を得ていながら、実際にやったことといえば、大恋愛と決闘による殺人と権力闘争であった。確かに男の沽券をまもるためには必要なことだったかもしれないが、そんなに大事?と疑問が生じる。それに飽きたらない読者がこの日本の漫画に答えを求めた、という想像はうがち過ぎだろうか。

ファウストがこの悪魔に死後の魂を捧げる際の合い言葉が「留まれ、お前はいかにも美しい」であった。名言である。『黒執事』では令嬢が、悪魔よりはるかに姑息で残虐で醜悪なものが人間だ、という台詞を述べる。唾棄したいほど悪魔を嫌っているはずの令嬢が、悪魔への愛慕の情を表現する名言だ。両者の契約関係は新しい展開をみせて継続していく。続きはどうなるのか。漫画を読んでみたくなってきた。

(美しいが、これは悪魔の契約ではない。数日前にあった宍道湖の夕景)
手洗いはどこまでやったらキリあるの [2014年01月25日(Sat)]

__tn_20140125100555.jpg浜松市では給食の食パンからノロウイルス集団食中毒が起こった。製造工場の従業員に体調不良者はいなかった模様だが、ウイルスには油断ができない。見えない敵だけに感染の恐れは誰にでもある。

その他、川崎の居酒屋、東京都内のホテル、青森・八戸の飲食店、山形の温泉旅館、新潟・上越の寿司屋・・・・・ニュースとして注目されなくなってしまうほと、ノロウイルスの食中毒が頻発している。今どき生ものを食うことは最小限にしたいものだ。

ウイルスの潜伏期間は1日から2日。吐き気や嘔吐、下痢、腹痛、発熱の症状がある。直接ウイルスをやっつける治療薬はないので、対症療法でしのぎ回復を待つ体力勝負となる。数十個のウイルスが口から入っただけで増殖し発症するというから恐ろしい。

一番のポイントは食材をよく加熱すること。90℃くらいで一分半は加熱が必要だと厚生労働省は薦めている。箸やスプーンも含めた調理器具の消毒も必要だ。なんといっても食物と直接に接し、口へつながっていくものだからだ。

きっちり手を洗うことが最も重要だというが、どんなに食事の前に洗っても食べる前には何かに触る。トイレの後には石けんを泡立ててよく洗いし、流水で十秒以上すすぐのがいいと言われても、トイレのドアにウイルスはたくさん付着している。要は、唇や鼻に手を触れないようにして経口で体に入っていかないようにするしかないのかもしれない。

人間が社会活動をする限り感染の恐れはあり、薬を次々開発すると、ウイルスや細菌が耐久度を増していたちごっこを繰り返す。仲よく共存することは無理だとしても、猛威をふるわないよう大人しくしておいてもらうよう願いたい。
現代の大脱走なりオマージュよ [2014年01月24日(Fri)]

__tn_20140124173207.jpg映画『大脱出』は、アクション界の二大巨星、シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガーが主演する活劇だ。どんなに巨星とはいえ、年をとった二人がどこまで活躍できるのか、と疑問を持ちながらスクリーンの前に座った。居眠りしてもまっいいか、という程度の気持ちで観た。ところが眠るなど考えられなかった。

据え付け式の重い機関銃をロットマイヤーが取り外し、敵をバッタバッタと撃ち倒すところなど、往年のターミネーターなど思い出した。超絶的な技巧と体力、知能を駆使して難敵に当たるところより、むしろ人間心理のあやをかすめるようにして、情報や協力者を得ていくところなど、胸のすく思いがあった。

原題は『ESCAPE PLAN』。「脱走計画」だなんて面白味がないから、往年の名画『大脱走』(原題『The Great Escape』)をもじって邦訳したものだろう。私なら「脱走請負人」とするかもしれない。シュワルツネッガーが演じたロットマイヤーにたいして、ドイツの何とか!と囚人が当てこすっていたところに、名画へのオマージュをみたような気がする。脱走映画の名作には『ショーシャンクの空に』がある。全知全能をつくして束縛から逃れようとする際に、人が発する輝きに魅力を感じられるから、脱走映画には人気があるのかもしれない。

難攻不落の要塞刑務所。実は大西洋の海の中にある巨大タンカーがそこだった。刑務所のセキュリティ・コンサルタントのブレスリン(スタローン)は実地に脱獄して弱点を探りだすプロ。その彼が騙されて本当に投獄されてしまう。ブレスリンはロットマイヤーと手を組み、悪の組織と戦いつつ脱獄に挑みかかる。

映画を見ながら、平成24年度に発表された「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」にある言葉を思い出した。

≪全ての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう≫

あの悪徳エージェントに操られ、主人公を殺そうとした黒づくめの刑務官たちも、「家に帰れば自慢の…」と言い換えられる。同様にあらゆる人はかけがえのない存在であり、多面的に人生を生きている。悪徳と善良にきっちり分けられるわけがないと感じながら、敵には弾が当たり、味方には例外を除いて弾がかすめていく物語を見終わった。
湯たんぽに豊かな空虚冬気分 [2014年01月23日(Thu)]

__tn_20140123173201.jpg昨日は、代わり映えのしない生活に感動はあるかというと…感動はあり身近にこそ美はある、と書いた。今日の朝日新聞に湯たんぽだけで冬を過ごす記者の筆になる文章が掲載された。湯を沸かして湯たんぽに入れ、座った太ももの上におき、大きいひざかけを掛ける。寝る前には湯たんぽを布団の腰の位置におき、寝る前に足元に移せば朝までぬくぬくだそうだ。

≪私たちは経済成長とともに「ある」幸せを求めてきた。金がある。電気がある。暖房がある。ああ幸せ! それに慣れると「ない」ことを恐れるようになる。でも実は、「ない」中にも小さな幸せは無限に隠れているのだ。≫ (朝日新聞1月23日付け社説余滴「やみつき暖房ゼロ生活」稲垣えみ子筆)

私たちは物に囲まれて生きている。必要があって買うばかりではなく、景品やプレゼントとしてもらったり、拾ったりするうちに、机の周りも居間も台所も押入れも、すぐさま物であふれてしまう。いつか使うかもと思うと捨てられない。だから断捨離が流行る。最小限必要な物だけでシンプルに暮らしたいと願いつつ、いつのまにか洪水のごとくあふれている。

記事にあるとおり、私たちが「ある」幸せを求めてきたからである。「ない」中の小さな幸せ、隠れた豊かさ、空虚な空間の温かみ…それらを噛みしめていきたいものだと思う。

物だけではない。何かもの寂しいとテレビをつけ、車に乗れば必ずラジオやCDをつけないと気がすまないというのも、一種のモノ依存症といえるのかもしれない。空間が満たされていないと心も満たされないという「ある」こと信仰と名づけよう。

(今日の昼の時間帯に松江は青空で満たされていた)
呻吟しため息ついて文を編む [2014年01月22日(Wed)]

__tn_20140122171130.jpg本の面白さを伝える本屋のPOP。有隣堂の名物書店員梅原潤一氏がこのように話していた(月刊事業構想2014年1月号「特集グロースハッカー」)。

≪単なる情報の垂れ流しにならないように気を付けています。読んで泣けますではなく、自分がなぜ感動したのか、面白いと思ったのかを考えながら、あくまでも“買いたくなる”言葉を探します。そして、言葉は平易なものを選び、客観的な目線で本当に本の魅力を伝えることができたかを常に検証します。(中略)引用文を使った広告などを見かけますが、その本を読んでいない人にとって、引用文は無意味ですから≫

人に読ます文章全体に通じることであろう。「感動した」「美しい」「よかった」……、わたしもよくその表現に逃げるのだが、感動や美をどう伝えたら、相手に感じてもらえるのだろうか。

そもそも、日々くりかえしばかりで代わり映えのしない生活に感動はあるのか……、ある。明らかにある。絶景地や伝統的な文化遺産に囲まれて暮らしているわけではないのに美はあるのか……、ある。身近にこそ美はある。

それを伝えられる文を書きたいと思うのだが、現実は難しい。それでも、あえぎ呻吟する中から文にきらめきと味がでてきてくれたら嬉しく思う。いずれそうなると信じよう。
象徴となれや島根のしまねっこ [2014年01月21日(Tue)]

__tn_20140121182115.jpg広島のしまねフェアでは、ゆるキャラ『しまねっこ』を間近に観察する機会を得た。彼?の動きに感心した。いや、感動した。単に、かわいい!っと騒がれるレベルを越えて、風格すらただよわせている。

誕生から3年あまり。一昨年のゆるキャラグランプリでは6位。昨年は10位と順位を落としたが、その愛らしさは群を抜いていると私は思う。まっ黄色のつやつやした毛並み。黒くて丸い、深い目。大社造りの千木や鰹木に見たてた頭のデザイン。しなやかに動く手足に、ずん胴だから動きは意外になめらかだ。

たたずまいがいい。スタッフがしまねっこの周囲を固めて、出番を待つ風情には大スターの風格を感じる。しまねっこは静かに待つ。扉が開くや、追っかけ的なファンが周りを取り囲む。するとしまねっこは、演技を始める。周りのテンションは上がっていく。カメラが並び、ツーショットで写真撮影を待つ人がいる。臨機応変に彼は愛敬をふりまき、「カワイイッ」と悲鳴にも近い歓声があがる。それでもどこか彼には落ち着きがあるし、人気者にありがちな尊大さもない。

しまねっこは跳び跳ねない。毒舌で受けをねらうような奇抜さももたない。訓練されているとはいえ、中に入る俳優?さんを感じさせないほど、しまねっこはそのキャラで人格化している。3年の間、苦労もあったことだろう。不快な客にどつかれたこともあったかもしれない。それを乗り越えて今彼はここにいるのだなあ、と私は感じた。

しまねっこは際立って目立つことはない。それでも、いいものはいい、と主張する。しまねっこは単なる島根の代表にとどまらず、島根の姿を象徴しているような気がした。爆発的な人気を博す必要はないと思う。徐々に広がって不動の地位を築いてほしいと思った。
冷たくて胆が凍える雨が降る [2014年01月20日(Mon)]

__tn_20140120181840.jpg冷たい雨が降っている。
しとしとと、時にザーザー降っている。
これだけ寒けりゃ雪になれ。
そうはならぬと、この冬型の寒気はここらにやって来ぬ。
なぜか北陸以北に雪多い。
もちろん中国山地の中なれば、雪はずんずん降り積もる。
センター試験のある辺り、節分までは寒かろう。
この冬一番寒かろう。
なんとかしのいで寒さを越えれば春が来る。
待ち遠しいぞ、春が来る。
ストック咲かせ、梅を匂わせ春よ来い。
それまであとは一ヶ月。
春の兆しに一月過ぎて、二月の半ば、春の気配よ。
暗い夜道に雨が降る。
家路を急ぐ通勤の人。
列車に眠る疲れた人がいるこの夜を。
みんなゆっくりおやすみなさい。
広島の中の島根に二日間 [2014年01月19日(Sun)]

__tn_20140119224635.jpg広島道を経て、中国道へ。さらに松江道を進む。自動車専用道だから、除雪は完璧だ。しかし寒さは厳しい。温度表示はマイナス6度。慎重に出雲方面に向かった。

島根ふるさとフェアは大成功。今日も9万人以上の御客を迎えて各ブースはにぎわった。島根に来たことがある方もそうでない方も、おとなり島根の魅力をさまざまな面で感じてくれたことと思う。

ともあれ、立ちづめですっかり体力を消耗したにもかかわらず、眠くはない。でもぐっすり眠ることとしよう。

(写真は、ふるさとフェアで大根島の由志園が出店されていたボタンの蕾)
ふるさとの魅力をうって広島に [2014年01月18日(Sat)]

__tn_20140118235641.jpg島根ふるさとフェア2014に来ている。全体テーマは【ご縁の国しまねのおもてなし】。広島グリーンアリーナをメイン会場に行われるこの行事も17回目。数ある歴史を刻んできた。

わたしのおもてなしの舞台は、島根県立宍道湖自然館ゴビウス。場所を説明し、淡水と汽水の水族館で200種近くの生物を飼育・研究・展示していることを伝える。島根の観光案内や地域事情のことに話が及んで、島根の魅力を広島の皆さんに伝えるべく声を枯らしてきた。

舞台では各種の催しがひっきりなしに続き、美味しいものに舌鼓を打ち、多くの特産品や観光情報満載の企画に、約8万人の来場者も楽しんでくださったことと思う。明日は最終日。少し天気が心配ではあるが、全国都道府県対抗駅伝で声援した人たちが例年多く押し掛けるとのこと。いっそう忙しい一日になる。

それと明日はセンター試験の初日。全国の受験生くんたちよ、頑張れ!

(追記14.1.20)
センター試験は「明日」ではなく、書いた日の土曜日「今日」だった。広島の会場に缶詰状態だったので曜日の感覚が変になっていた模様。
世の中の空気を変えて生きやすく [2014年01月17日(Fri)]

__tn_20140117183514.jpg「空気」にはたくさんの意味がある。まずは気体としての空気。さらに、雰囲気や環境、ムードはもちろんのこと、影響力のある人が放つオーラも空気。情緒あるたたずまいに風情を感じるのも空気である。空気が気まずかったり、こわばった空気は居心地が悪い。落ち着いて気兼ねなく過ごせるよう、空気をなごませたいと思う。

『「空気」を変えて人を思いどおりに動かす方法』(鈴木博毅著,2013年,マガジンハウス)を読み始めると、ここまで「空気」で説明することはなかろうと思った。一般に日本人が陥りがちな傾向に警鐘を鳴らす点で意味はあるが、克服すべき状況、勘違い、ひとが追い込まれて危機的状況に陥ることまでも空気といってしまうことに疑問を感じた。反対に、若い世代に対しては、流布している「空気」という言葉で十把一絡げに説明しておけば、むしろ理解が得られやすいのかもしれない。

・筋道を立てて論理的にその場を動かそうとする真っ当なやり方
・その場を扇情して感情的に動かそうとするやり方
・その中間にある論理的と見せかけながら、実は自己の悪辣な感情に順わせようとするやり方。

そうした幻惑に迷ってはならないと、幾度も注意を繰り返す。著者が変な空気に動かされない強い人をつくりたいという意志を感じることができた。

特に男女交際に際して、あるセミナーでのエピソードがふるっている。出席者にとってコミュニケーションとは何かという問いに対して、男性は「伝達」とか「会話」と答えたのに対し、ある女性が「一緒にいること」。これは効く、実に効いている。世の男性諸氏は心していきたいものだ。

戦時中の零戦の記述にも参考になることが多い。初発の大成果に軍部は踊り喜び、米軍が戦闘機の運用法を改善して、さらに機器の改良に万全を期した。米軍は進歩するという当然のことを忘れて、零戦は無敵、負けるは胆力が足らないからだと軍部は精神論に逃げてしまった。それこそ空気に支配されて解決の道をふさいだ。映画『永遠の0』にも描かれていただけに、実感としてよく理解できる。

著者がまとめた次の4つを、しっかり頭にたたき込んでおきたいと思う。
 1 現実に対して新しい問いを設定する
 2 体験的な思い込みを解消する
 3 検証、測定による偏った理解を正す
 4 選択肢を増やして可能性を高める
余裕みせ自虐のなせる笑いなり [2014年01月16日(Thu)]

__tn_20140116192458.jpg島根県と「吉田くん」の鷹の爪がコラボした自虐カレンダー2014を、年末に朝日新聞が取り上げてくれていた。しかも一面の天声人語というから驚きだった、嬉しかった。

≪東京の日本橋にある島根県のアンテナショップ「島根館」に行った。けっこうなにぎわいだった。県をPRする特製カレンダーの14年版を買えればと思ったのだが、とっくに売り切れていた▼(中略)<定休日じゃないです。人がいないだけです。><本社どころか、支社も少ない。>。極めつきは<日本で47番目に有名な県。>▼(中略)自虐戦略は功を奏しつつある。(中略)自分で自分を笑う。心に余裕のある大人でないとできることではない。自慢よりずっと上等である。≫
 (2013年12月16日朝日新聞天声人語)

このカレンダー、なかなか笑える。そして次は「自分で自分を笑う」番だが、なかなか笑えない、難しい。そう「心に余裕のある大人」であるかどうかは別として、どんなふうに笑っていいものやら…。自分を冷たくあざ笑うことはできない。そこまで客体視して自分を根深く捨て去ることは無理だ。

ニタッとほくそ笑むのはどうか。いや、ダメだなあ。暗くて陰にこもりそうでイヤだ。どうせなら、明るく自分を鼓舞できそうな笑いがいい。カラカラと哄笑するのがよいだろう。少し高みに立って、過去は過去と半分忘れて、次からガンバるつもりで高笑いする。それがよろしかろう。
ひとがいる機械の向こうでひとからむ [2014年01月15日(Wed)]

__tn_20140115213513.jpg今夜は飲み会。したたかに酔っている。昨夜はお世話になっている方のおうちが火事になり、まだ鎮火しないうちにお見舞いにうかがって、茫然自失な状態のご主人や奥さんにお会いした。お悔やみを述べたものの言葉は届かなかったと思う。お二人とも茫然自失な状態で心痛は計り知れない。失火による火事であるが、一日も早い立ち直りを祈っている。わたしもショックで気分がすぐれない。だから余計に今夜はよく飲んだ。

さて気分を換えて、朝日新聞にこんな記事があった。なるほどと思う。ケータイ/スマホにとりこになっているわたし自身を思った。

≪たしかにスマホなしでは夜も日も明けなくなった。私など朝は顔も洗わないうちから2台をのぞく。急ぎの知らせはないか。炎上はないか。日中も寸秒の暇が空くとまた点検する。数えてみたら1日に73回も触れていた。電源が切れると社会から孤絶した気分になる。立派な依存症だろう。数ある工業製品のなかで、これほど人間の心理にからみつく道具があっただろうか。≫
 (朝日新聞1月12日付け「日曜に想う/着けた ハマッタ アブナいヤツ」特別編集委員山中季広)

ウェアラブル端末機の体験記として、このような記事が書かれていた。大なり小なり、多くの人がこんな体験をしているのではなかろうか。わたしも昨日数えてみた。結果は25回。一度スマホを起動して二つ以上の操作をしているので、それを加算するとすれば、2割増となるだろうか。30回だ。編集子とそう大差はないと言えるかもしれない。

メールがきた。コンシェルの情報が届いた。電話がかかってきたり、電話しメールする必要がある。住所録を確認し、メモに残していた事項を参照し、フェイスブックも「いいね!」を見てみたい。写真を撮り、写真ギャラリーで画面を確かめる。その他スマホをとりだすことがいくらでもあって依存症状態であるといっても差し支えない。

機械に使われたくはない。絡まれたくはない。向こう側にいる人だってこちらの動きをそれほど期待などしてはいないさ。そう思ってのんびり構えたいものだ。
正念場ちからのかぎり前を向け [2014年01月14日(Tue)]

__tn_20140114192930.jpg近大の受験アピールポスターがふるっている。思わず足をとめて見入った。しかもこうして、スマホにメモなどしている。

≪かみ頼みの/受験は、/もうやめだ。≫

神と紙をかけて、エコロジーを訴えている。受験は実力がものをいう。が、実力を発揮できるかどうかは多分に運も左右する。困ったときの神頼みとは誰にもあることさ。紙に書く、しっかりと答案を仕上げてね。と受験生を励ます。そして隣にはキャッチだけ替えて同じ大きさの紙がある。

≪環境問題より、/3000円に食いつく/母が愛おしい。≫

母さんはエコノミーを考えている。たかが3000円と笑うなかれ。母は、センター試験に始まり、私立受験を経て、前期日程、後期日程にいたるまで必要なお金のことを考えているのだよ。と母さんにエールを送っている。それを余裕で眺める受験生くんもたいしたものじゃないか、という声も聞こえそうだ。

≪ペーパーレスでエコロジー×受験料割引でエコノミー≫

すなわち、近畿大学はエコとエコを考えて受験生と世の中のことを考えているのだよ、という強調である。

出願はすでに始まっている。センター試験はこの週末だ。寒さは一段と厳しい。焦りはいやが上にも高まってくる。サクラ咲かせよ、受験生たち。いまこそ土壇場、ふんばりどきだ。健闘を祈る。
新たなるカラ割る男に喝采す [2014年01月13日(Mon)]

__tn_20140113130822.jpg映画『アンコール!!』に涙した。

アーサーは頑固で融通のきかない老人。病気の妻マリオンの介助をしつつ、彼女が合唱団の練習に参加することを手助けしている。だが心配性な彼は妻に負担のかかることは認めない。彼女が体調をくずして早退した翌朝、団の仲間は家の前でコーラスをお見舞いしてマリオンを力づける。彼は激怒したが、マリオンも負けてない。私にとって大切な歌、仲間よ、そんな失礼はないでしょと。彼は妻にも団にも謝る。しかし、心情を表現したことなどない彼の言葉は謝罪になっていなかった。

一人息子ともうまくいかないアーサー。マリオンと孫が仲立ちして、かろうじて親子は関係を保っていた。マリオンは合唱コンクール予選でソロを歌った。「あなたの本当の色を出して」とアーサーに向かって。彼にとって、自分の色などない、今の自分を変えることなどできない算段だった。そんなこと「クレイジー」にほかならない‥‥。

ところが不幸が訪れる。アーサーは意を決して、行きつ戻りつしながらも身にまとってきた固い鎧を棄てようと決意する。自分の固定観念をかなぐり捨てて、自身が楽しめて面白いと思うことをしようとする。音楽教師エリザベスが体当たりでケアしてくれたことも大きい。不器用なアーサーが、もう手遅れだと失意に沈むこともあった。しかし彼はマリオンのためにコンクール本選で歌った。できなかったことを今伝える、今変わる、そして今を歌う。

すべてを否定的にとらえる一徹さは生まれつきだと彼は思っていたが、それは錯覚だった。幼い息子とふれあう若き日のアーサー。堅物さはいつの間にか身につけてきたものであることに彼は気づいた。それを払い去るべく彼は歌った。マリオンは天使、すべての人よありがとうと心を込めて歌う。その姿に満場はスタンディングオベーションに湧いた。都合よく物語は進行しすぎるという非難もあろうが、カラを破り新しい人生を開くために必要なステップを余すことなく示して、見事な展開だと思う。

日本の古い男たちとは愛情表現が違う。アーサーは仏頂面とはいえ、マリオンをきめ細かに介助し、体を気づかう思いやりを随所に見せ、先に逝かないでくれとつぶやいた。そしてキスしながら「愛している」と表現する。一方で映画『永遠の0』では、井崎(橋爪功)が、必ず生きて帰るっていうのは今の愛していると同義だという意味の台詞があった。その違いに驚く。そういう点で『Song for Marion』を日本語すれば、「アンコール!!」ではない。直訳で「マリオンに歌う」で不自然ならば、『妻との大喝采』。マリオンよ、ありがとう。今こうして歌う私を導いてくれた。会場の人たち、合唱団の仲間たちよ、ありがとう。わたしはマリオンとともに生きる。静かな大喝采をありがとう。
重力を追って逃れてまた戻る [2014年01月12日(Sun)]

__tn_20140112215550.jpg映画『ゼロ・グラビティ』は、原題のとおり「グラビティ(重力)」とするのが正しい。ストーン博士は、重力(グラビティ)ゼロ、空気ゼロの宇宙空間から、からくも生還する。無事生還を果たした彼女は、水に沈む宇宙服をぬぎ去って水上に泳ぎ上がり、水際で腕や足に重い自分の体を感じた。

少しの酸素をまとった宇宙服を隔てて外に広がる世界。美しいが即、死につながる世界。宇宙船は宇宙飛行士を死から隔てるギリギリの環境。地球とて同じ。大気は薄い皮膜でしかない。人間を守るまさに奇蹟的な環境を大切にしたいと思った。

世界で初の宇宙飛行をしたソ連のガガーリンが発したという言葉「地球は青かった」が有名だ。満天の星、太陽と月のコントラスト、静謐さに満たされた漆黒からすべての美を集めて日が昇る。母なる青い地球。

その美と繊細さを持つ宇宙が牙をむく。宇宙の麗しさ、優美さ、上品さ、繊細さは究極のものだ。同時に宇宙の残酷さ、卑劣さ、非道さも尋常なものではない。宇宙はすべての生の元であり、すべての死を覆い尽くす。

そこに挑戦するひとの勇敢さはただものではない。だが宇宙のすごさもただものではない。ひとは宇宙から生まれたもの。両者は兄弟だ。だから、ひとも宇宙同様ただものではない。
ロードにて名曲歌い幸せよ [2014年01月11日(Sat)]

__tn_20140111135323.jpg高橋ジョージが歌う名曲『ロード』。ラジオを聞いていたら流れてきた。聴き惚れた。

  何でもないようなことが 幸せだったと思う
  何でもない夜のこと 二度とは戻れない夜

何でもないようなことが…。実に素晴らしいフレーズだ。真理である。ドラマチックに感動的なできごとなどなくても、平凡な一日は幸せだ。ところが愚かにも私たちはそのことにふだんは気づけない。まさにその渦中にあるときは、その幸せを忘れている。何でもない時間を何の気なしに過ごしてしまうのだ。平凡がかけがえのないことに気づく間もなく、貴重な時は過ぎてしまうのだ。だから「幸せだった」と、歌詞は過去形になっているのが悲しい。

家中でも仕事でも移動の途中でも、なんやかやと慌ただしく時間は過ぎていく。大きな節目となるようなイベントはなくても日は暮れていく。その平凡さに慣れっこになったとき、感謝の念は薄れる。そうであることが当たり前となって、不平と不満でいっぱいになる。他のひとの心を乱し、自身を愚痴でぐちゃぐちゃにしてしまう。が、その平凡さのあとに非常な時がやってきて、私たちは苦悩し後悔する。ああ、あのときこうしておけばよかったなあ…ああしなければよかったなあ…と。

この歌は哀愁の恋の挽歌であると同時に、そうしたことの戒めとして聴くこともできる気がした。
雪が降る春が目覚めよ雪よ降れ [2014年01月10日(Fri)]

__tn_20140110071522.jpg雪降った サラサラしんしん雪が降る
雪道歩く ザックずくずく靴が鳴る
夜明けの前の銀世界 ドロンパどろろ隠してよ
雪は音吸う シーンしんしん世界は静か
車の行列長い列 トロトロしずしず渋滞だ
おっと危ない サラッずさっと雪落ちる
雪溶けた ジュブジュジュどてどて雪溶ける
雪凍る ザクザクしゅくしゅく雪固まる
冬の色濃く ゾクゾクすーすー寒い朝
受験生には目の前で センターせんと乗りこえよう
新たな季節楽しみに サクラ咲かせよ共に春待つ

(積雪15センチなり。朝まだ暗い田に雪が)
ひとごとに思い語るは物語 [2014年01月09日(Thu)]

__tn_20140109181832.jpgひとにはそれぞれ「物語」がある。そのまま映画や小説となって劇的に売れるような内容である必要は決してない。一定の時間経過のなかで、体験した出来事を自分なりに感じ解釈して、頭に刻まれていく。それが物語である。何ヵ月にわたる期間が物語になることもあろうし、ほんの数分間でも物語になりうる。

同じ場で同じ体験をしているようでも、ひとによって物語は違う。ドラマで、あるシーンがそれぞれ別人の視点から描かれることがある。見る角度が違い前後の経緯が違うだけでも、ひとによって異世界の出来事となるのだ。

映画でも『永遠の0』や『阪急電車』では異なるカメラワークが効果的に使ってあった。たとえば同じ列車に乗っていても雑踏の中で近くにいても、相手と接点がなければ世界は違う。仲間同士でおしゃべりしていたとしても、ひとごとに思い感ずることは違うものだ。視点や感受性が違うと世界が交わらないのである。まるで空間に浮かぶ直線が交わらないように、交わっても次の瞬間には離れてしまうように、物語には多様性がある。

毎日わたしたちは物語を紡いでいる。記憶に染みいって二度と忘れられない物語もあるし(そればかりだと疲れる)、経験するはしから消えていく物語もある。それを集めて一日があり、一週間が過ぎ、一ヶ月のカレンダーがめくられる。そして一年はあっという間だと嘆くのだ。わたしたちは物語に生きている。

(雪が今日の昼から降っている。積雪は約5センチ。今夜の物語は少し印象深くなることだろう)
うま年に生まれたひとは幾百万 [2014年01月08日(Wed)]

__tn_20140108184037.jpg午年生まれは全国で958万人。今年48歳になる丙午(ひのえうま)生まれが含まれるために(この年の女性は気性が荒く夫の命を縮めるという迷信がある。八百屋お七が恋の行く末に放火し火あぶりにされたことに由来するらしい)、干支別人口としては最少だそうだ。1993年生まれの新成人が121万人で明治以来最小を更新している。ちなみに第二次ベビーブーム世代が成人となった1994年が207万人で、以後新成人は減少し続けている。

日本の人口減少はさらに加速する。2013年の自然減(死亡と出生の差し引き数)が24万人。出生数は104万人で明治の統計をとりはじめてから最少。死亡数は128万人で戦後最多。2007年から7年連続で減少しており、加速度的に人口は減る。

24万人というと、松江市の人口とプラスアルファの人間が日本から毎年消えている計算になる。島根県の人口は12月時点で70万2千人。一昨年の12月より5千人減った。4月には転出者が増えるから確実に70万人を切るだろう。寂しいこと、そして恐ろしいことだ。島根県民歌に歌われる「九〇万の県民の…」に比較すれば、怖いまでの減少ぶりである。

都市や地域が活性しているかどうかは、多分に人口に影響する。百人に一人の同好者がいる分野があるとすれば、百万人の人口があれば一万人の需要がある。三千人しかいなければ、商売は成り立たない。しかし、減るものは減る。愚痴を言ってもはじまらない。智恵を出すこと、地球全体に視野を広げることが大切だ。かといって、実践することはたいそう難しい。
七草にスズナ食いたし水粥を [2014年01月07日(Tue)]

__tn_20140107210526.jpg今日は七草粥の日。わが家では5日にひとあし早く食べてしまいました。ただし、スズナ(蕪)だけの一草粥ですが。

お粥は大好物です。熱い汁がたっぷり満たされたお椀から、ふーふーしながらすすります。箸ですくってもあまり口には入りませんが、ちびりちびりホカホカの粥を食べるのもうれしいものです。

七草粥は、正月の不規則な食生活に疲れた胃を休める意味があるといいます。もともと中国では邪気を払い万病を除くという呪術的な意味もあったそうです。日本では江戸時代から定着しています。

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。今日はじめて知りました。セリとナズナで5、ゴギョウとハコベラで7、ホトケノザで5、スズナとスズシロで7。それに「春の七草」が7。見事、五七五七七の短歌形ができあがります。

日本人にこころやすいリズムは、俳句の五七五、短歌の五七五七七。リズムで覚える絶好の型を私たちは民族の遺産として身につけているのだと思うのです。俳句に短歌。多くの同好者がいる創作の世界に一歩深く足を踏み入れてみたいと思うのです。

(七草とは関係のないシャクヤク。いや、牡丹か?)
早いのは未知の世界に一歩ずつ [2014年01月06日(Mon)]

__tn_20140106181406.jpg≪時がたつのが早いと思うようになるのはわれわれが人生に慣れ親しんだ結果である。子供の場合のように、毎日が未知な世界への一歩であれば、日々は経験の集積で長いものとなる。≫
(ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』)

なるほどと思う。むずかしいなと重ねて思う。
新たな気持ちで一歩を進めばいいのだと思う。それでも時間には逃げられっぱなしだと実感する。
経験を一度シャッフルしようと思う。やはり経験でものを言ってしまう。
子ども心に戻ろうと思う。そんなのとうに忘れてる。
未知を恐れないでいこうと思う。が、慣れ親しんだ日常に埋没してしまう。

問い続けることができればいいのだ。「今日は何を新しく始めたか」、「どんな新鮮な経験をしたか」、「人との対話に一歩深く踏み込んだか」………。昨日は後悔したが、今日はやってやる。今日はだめでも明日があるさ。焦りもせず、ノンビリもしすぎず、たんたんと、かつ確実に過ごすのだ。
岩をこえ波を乗りこえ行く世界 [2014年01月05日(Sun)]

__tn_20140105161040.jpg昨年2013年は岩波書店が創業されて満百年。「文化の種をまく」という志をベースに一世紀を経た。1927年創刊の岩波文庫が創刊され、1938年には現代的教養を提供するという趣旨で岩波新書が始まった。その他岩波ジュニア新書や広辞苑など出版物は数多い。岩波書店のホームページにあった『問う。はじまる。岩波書店100th』から一部引用する。

≪世界は今、大きな変わり目にあります。経済的発展やグローバル化と幸福との一致点が、見つけにくくなっています。情報は氾濫し、世の中も個人も翻弄されがちです。
 では、どうすればいいのか。正しい答えは、ないかもしれません。けれど、その「ないかもしれない正解」を問いつづける姿勢が大切だと私たちは考えます。
 問う。すべては、そこからはじまります。人は、本を読むことで思考を広げられます。新しい自分や世界に出会う喜びがあります。そして少し階段をのぼったとき、また新たな問いが生まれる。≫

答えを求めつつ情報の海に泳ぎ出しながらも、翻弄されない姿勢で問い続けなければならない。階段というか、重い荷車を引っ張り上げる坂道において重力に負けないためには、思考しつつ試行錯誤をくりかえすことを怠けてはならない。そんな気にさせる文章であった。
屋根に弾くバイオリンソロ悲しくて [2014年01月04日(Sat)]

__tn_20140104165124.jpg1971年の映画『屋根の上のバイオリン弾き』を観た。森繁久弥のロングラン・ミュージカルで有名だったが、中身を知らなかったことを恥じる。帝政ロシアの末期、革命の息吹が寄せる小さな村が舞台だ。ユダヤの村人が権力者によって住み慣れた故郷アナテフカから追放され、放浪の旅に出て悲しく終わる。有名な歌『サンライズ・サンセット』がバイオリン弾きが歌うのではなく、長女の結婚式での祝い歌であることを知った。哀愁ただようあの歌にはユダヤ教の受難の意味があったのだ。

内田樹氏が哲学者レヴィナスの神論を紹介する中でこのように述べている(『私家版・ユダヤ文化論』文春新書,2006年)。

≪幼い人々は善行が報われず、罪なき人が苦しむのを見ると、「神はいない」と判断する。人間の善性の最終的な保証者は神だと思う人は、人々が善良ではないのを見るとき、神を信じることを簡単に止めてしまう。(中略)第二次世界大戦を生き延びたユダヤ人たちは、当然ながら深い信仰上のつまずきに遭遇した。「なぜ、私たちの神はみずから選んだ民をこれほどの苦しみのうちに見捨てたのか」という恨めしげな問いを多くのユダヤ人は自制することができなかった。中には信仰を棄てるものもいたし、権謀術数や軍事力でしか正義は実現できないというシニスムに走るものもいた。そのような同時代人に向けて、レヴィナスはユダヤ教正系の立場から、それは幼児のふるまいに等しいと諭している。(中略)受難はユダヤ人にとって 信仰の頂点をなす根源的な状況なのであり、受難という事実を通じてユダヤ人はその成熟を果たすことになる。(中略)
 ユダヤ人の神は「救いのために顕現する」ものではなく、「すべての責任を一身に引き受けるような人間の全き成熟をこそ求める」ものであるというねじれた論法をもってレヴィナスは「遠き神」についての弁神論を語り終える。神が顕現しないという当の事実が、独力で善を行い、神の支援ぬきで世界に正義をもたらしうるような人間を神が創造したことを証明している。「神が不在である」という当の事実が「神の遍在」を証明する≫

屋根に上って曲を奏でるバイオリン弾きは気楽さの象徴ではない。足場が不安定でいつ転落するかもしれない中で音楽を奏で、生活にいそしむ困難さの象徴であったのだ。ユダヤ教を信奉する人びとの気の持ちようは「サンライズ、サンセット」なのだ。

 日は昇り、日は沈み/日は昇り、日は沈み
 慌しく日々は流れ去り/季節は移り変わっていく
 喜びと涙を幾重にも湛えて

日が上る、明るくなる、居心地よくなる、しかし日は落ちる、暗くなる、つらい境遇になる、また日は上り、当たり前にまた日は落ちる。禍福はあざなえる縄のごとしで、幸せと不幸せは同等にやってくる。むしろ不幸を感じることが多くても、神に選ばれた民として神から与えられた試練に甘んじる。それは決して信仰の是非にかかわることではなく、単なる経過にしかすぎない。最後の審判で神からの祝福を 受けつつ天国にいたるまで当たり前に辛抱する…。それまでの困難や受難は創造神が託した自分たちの英知でもって何とかするという意志を示すのかもしれない。

(ブリの眼は悲しげだ。宇宙空間を思わすかような、その深く紺色の眼に、死の直前に感じた悲しみがつまっている)
考えてまた考えて動く年 [2014年01月03日(Fri)]

__tn_20140103133132.jpg第90回東京箱根間往復大学駅伝競走の熱戦が続いている(ただいまトップの東洋大アンカーが10区を走行中)。走る姿は美しい。仲間との競争に勝ち、かつその仲間と支え合いながら、孤高に進む姿は美しい。何を考えながら走っているのだろう。

≪走る姿がこんなにうつくしいなんて、知らなかった。これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう。だれも彼らを支えることはできない。まわりにどれだけ観客がいても、一緒に練習したチームメイトがいても、あのひとたちはいま、たった一人で、体の機能を全部使って走りつづけている≫
 (『風が強く吹いている』三浦しをん)

元旦付け新聞にあった広告が印象的だった(『考えて 、強くなる。』数研出版)

  未来に向かって歩んでいく人には、
  ふたつの選択肢があります。
  よく考えない人になるか。よく考える人になるか。
  あなたなら、どちらを選びますか?
  問題を避けて通るか。問題に立ち向かうか。
  出来ない理由を見つけようとするか。出来る理由を追い求めるか。
  失敗を悔やむか。失敗から学ぶか。
  夢を笑うか。夢をかなえて笑うか。
  あなたが考える人をめざすなら、チャンスです。
  地球は考えるべき問題であふれているから。

立ち向かうために考える、どうしたら出来るのかを考える、失敗に学び考える、夢を見失わないよう考え続 ける…そして動く…そんな一年にしていきたい。
蝋梅が咲いて幸せ感じつつ [2014年01月02日(Thu)]

__tn_20140102202851.jpgひとは幸せになることを目的にして、さまざまな手段をこうじる。たとえば必要な財を手にいれ、欲しいサービスを受ける。その対価を払う手段として共通化されたのがカネである。昨年亡くなられた天野祐吉氏が著書でこう書いている。

≪ぼくらのしあわせ感が経済成長と比例してふえていくのなら、まだいいでしょう。が、比例するどころか、実感としても反比例しています。小金がたまったぶん世の中の空気は酸欠状態になって、街を行く人たちは汚れた水の中の金魚みたいに、口をぱくぱくさせて歩いている。人殺しがふえ、いじめがふえ、自殺がふえ、なんだかみんな目つきが悪くなったと思いませんか。≫
 (天野祐吉著『成長から成熟へ―さよなら経済大国』集英社新書,2013年)

カネが世間一般に広まると経済が成長し、ひとは経済的に潤沢になる。経済的にゆたかになる。カネを儲けることがいつのまにか手段から目的にスリかわってしまう。確かに「空気は酸欠状態に」なる。これは困ったことだ。

統計的には人殺しが増えたとは言えないようであるが、理不尽な理由で殺し殺される事件が多くなったことは確かだ。昔は金目当てや怨恨といったそれなりの理由で殺人があったものだが、理解不能な事件が多く報道される。イジメは昔も多かった。しかしイジメる者は少数派であり周囲から抑制される場面も多々あった。今はイジメの主客は時に転倒し、生徒は次は自分の番かと怯えている。

アベノミクスでどんなに景気が持ち直そうとも、幸福という目的にたっするためには何が必要で何をやってはならないかを、個人や集団、社会全体が価値観として示さない限りは、本来は手段でしかないことを目的だと勘違いする向きが出てくる。もちろん全て示す必要はない。過度に提示することはふたたび窮屈を生むからだ。「目つきが悪く」なったり、悲しげな目ばかり増えていくことは社会を不幸せにしていく。とても悲しいことだ。

(人間はどうあれ季節はめぐる。元旦からの暖かさでだろうか、蝋梅(ロウバイ)の花が咲いた。温かい色の黄だ)
元朝に気持ち新たに時が過ぎ [2014年01月01日(Wed)]

__tn_20140101135503.jpg 西暦2014年 平成26年の元朝
 明るい日ざしが雲間からこぼれ落ちる朝 そして今は穏やかな昼の光
 太陽と動きはきのうとなんら変わらない 辺りは全く同じ様子でも
 ひとだけがあらたまって元初の太陽を違った気持ちで眺めやる
 ひとだけにできる高尚な技 深い思い
 世界中の空も明るく 人々が幸福を感じていけるよう祈念する
 勝ちたい
 敵の屍の上に築く勝利ではない
 己のひ弱さを克服しゆく勝ちの雄姿で
 世の中に勝利の輪が広がることを願う
 富士山のように動かずとも勝利した姿であるように