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いつやるか五輪の次は我なれば [2013年11月30日(Sat)]

__tn_20131130185434.jpg流行語大賞でノミネートされた「いつやるか? 今でしょ!」のことは先日書きました。ためらったり、今さら遅いと諦めた人が背中を押されて「今やる」ためには、エネルギーが必要です。前向きに頑張って、楽しいときは楽しく、辛いときもそれなりに前進していかなければなりません。脳科学者の茂木健一郎氏がこう述べています。

≪オリンピックの最大の意義は、日本人に与える心理的な効果にあると私は考えています。もちろん、経済的効果も大きい。しかし、それ以上に、日本人を前向きにしてくれる、そのありがたさが計り知れない。(中略)ワクワクすることは、人間の脳の成長を促してくれます。想像し、期待する中で、「不確実なこと」に前向きに向き合っていくことで、これまでできないことができるようになったり、新しいことを学んだりと、さまざまな気づきのきっかけが生まれるのです。(中略)オリンピックはチャンスです。東京だけでなく、日本各地に、世界からのお客さんが来るでしょう(中略)日本の青春時代が、再びやってくるような、そんな予感さえします。一人の人間も、一つの国も、その「脳」は、ほんとうは何時まで経っても若々しいままで保つことが、可能なはずなのです≫(第三文明2013年11月号)

五輪招致の立役者となってきた猪瀬知事が、特洲会からの借入金問題で味噌をつけてしまった感はありますが、7年後に五輪が東京で行われることの意義が失われるものではありません。

明日から師走。今年もとうとう1ヶ月だけとなりました。毎度毎度のことではありますが、日本という国の全体としてはもちろん、個人としてもチャンスを広げるために、「何時まで経っても若々し」くあるために、この1ヶ月を来年へのステップとしていきたいものです。
あなたへと思い煩い北の宿 [2013年11月29日(Fri)]

__tn_20131129212212.jpg惚れてせつなく哀しい恋よ 妬いて沈んで別れたあの日 涙にくれた女はひとり 寒い北国旅をする 出がけは雨で今は雪 ああ、あなたはどうしているの お酒を飲むのも今日からひとり‥‥‥‥演歌には、そんなフレーズが切々と短調で唄われるイメージがある。都はるみの『北の宿から』(作詞*阿久悠/作曲*小林亜星)を聞いて思った。近頃報道をにぎわすストーカーとは対極にあるのだ。

▼ねえ、あなた、変わりはないですか。もうすっかり冬になりました。でもまだ11月30日。晩秋の季節に癒されようと北国へ来たのだけれど、しんしんと雪が。コートの襟を立てました。私いまホテルのラウンジで編み物をしています。あなたに着てもらいたいセーターよ。私とあなたはきっぱり別れたはずだったわ。捨てた捨てられたという関係ではないけれど、二人の間には虚ろな空気が流れてましたね。二人の距離はひろがって修復不能となったのよ。このセーター、着てはもらえないわ、きっと。このまま手元に置いて郵送なんてしないと思うけど、これはあなたのものなのよ。涙をこらえて編んでいます。ひと編みするごとに、あなたとの思い出がよみがえるんです。あなたのことを今も好きよ、愛しているわ。わかっていただけるかしら? 楽しかったぁ、あなたとの時間は。仲むつまじく過ごした日々。嬉しかった、あなたからいただいた数々のプレゼント。大切にとってありますわ。でも二人は元には戻らない。女心の未練よねえ。やっぱりそれでもあなたが恋しい。あなたを想い、しんしん泣いてます。辛くて悲しい私の北紀行。北の宿におさまって、あなたを想って人知れず死のうかしら。でも、いけないわ。あなたに迷惑がかかったら困りますもの。もしも私が死んだなら、涙のひとつもこぼしてくださるかしら‥‥‥‥。

さて、演歌のどこにストーカーの対極があるのか。ストーカー男になったつもりで書いてみよう。

▲ああ君よ。変わりはないかい? 毎日寒いねえ。君が僕のもとから去って、もう一月。寂しくはないかい? どうして行ってしまったのか、僕にはわからない。君は寒さに弱かった。いつも寒い寒いと言っては僕の腕にくるまれた。唇まで冷えきって、キスを求めてきたものだったね。二人で温めあったあの日々を忘れない。君だって僕の温もりを忘れていないでしょ? いや、僕を求めているでしょ? 僕をずっと愛してくれているはずだからね。そうだ、きっとそうさ。僕を求める君を隔てるものは何だったのだろうか。あの男だよ。君と男がいるのを見たとき、一見楽しそうにしてはいたが、いつもの君とは違うように見えた。きっと寂しく思っていたのだろ? イヤイヤはがいじめにされた君は辛かっただろう? 今でも男に蹂躙されてしんしん泣いている姿を感じるよ。助けなきゃ、君を。助け出してあげるから、待っておいで。君が間違った道に進まないように僕が導いてあげるから。すぐに君は僕についてはこれないかもしれない。少々手荒いことをしたとしても、君を助けてあげるからね。二人で今度こそ幸せになろうよ。
黙読し音読しては考えて [2013年11月28日(Thu)]

__tn_20131128181915.jpg明治生まれの人は新聞や本を音読していたという。誰かに聞かせようとしていたわけではなく、一人で読むときもそうであったと。いま私たちは黙読する。求められたり、読み聞かせをするときは別であるが、ふつうは黙読する。なぜだろう、黙読と音読の違いはなんだろう。ひとつ考えてみた。

黙読は速い。もちろん慣れているということもあるが、視線を要所要所に散らすことによって視野にある文字や図を一目で把握できる(視野の広さは人それぞれだが)。情報処理のスピードが必要な現代社会にあって、黙読は日々欠かせない。

周囲に音をまき散らさないのは、よい点だ。いつもぶつぶつ言われていたら、公共の場所で迷惑になるし、周囲は不安になるだろう。まあ、これも黙読が当たり前の世界だからこそのことかもしれない。

それにしても、私たちは毎日目を酷使しすぎている。情報の9割は視覚情報であるというが、黙読の主体の目が疲れきってしまいそうだ(現に疲れ目をマッサージすることほど気持ちいいことはない)。

音読のいいところは、古文や古典的散文、名文が多いが、それらのリズムを感じながら、いわば体全体で読むことができることかもしれない。もちろんスピードを求めることはできない。古の名文家や宗教家たちが、考えて言葉をつむぎ出し口にして反芻した速さで、音読する。文章のリズムが心地よく思想の片鱗だって湧きだしてくることがあるかもしれない。

親から子への読み聞かせ、小学校でのボランティア読み聞かせ、ラジオでの詩や小説の朗読‥‥。いろんな音読がある。黙読が目と頭だけの作業であるのに対し、音読は口と耳と、さらに口が動くことの触覚まで動員した動きとなる。きっと脳にとってはいい刺激になるにちがいない。

ただし、音読すると頭に入ってこないことはないだろうか。私の場合は声を出すことにとらわれて、なぜか内容の理解が充分でなくなるし、情景への想像もいまひとつという感じになるのだ。これも黙読に慣れてしまったことの副作用なのかもしれない。

日々の暮らしは文字情報に溢れている。本や雑誌、新聞、パンフレット、道路のサイン、映画字幕、広告‥‥。数えきれないほどの文字に囲まれている。ふだんは黙読するのが当然ではあるが、時おり音読してみるのも悪いことではないと思う。
記念日はいい日ばかりで霜月や [2013年11月27日(Wed)]

__tn_20131127213426.jpg11月22日に【いい夫婦の日】のことを書いた。11月23日は【いい兄さんの日】で、今年25年は【都合のいい兄さんの日】とかいうことだった。11月はその手の記念日が多いのではないかと思って、『今日は何の日〜毎日が記念日〜』で調べてみた。あるはあるは、いくらでもある。よくもまあ考えたものだ。

11月3日 【いいお産の日】
11月5日 【いいりんごの日】
11月8日 【いい歯の日】【いいお肌の日】
11月9日 【換気の日】←「いい空気」
11月10日 【トイレの日】←「いいトイレ」
       【井戸の日】←「いー井戸」」
       【ハンドクリームの日】←「いい手」
11月12日 【皮膚の日】←「いい皮膚」
11月13日 【いい膝の日】
11月14日 【いい石の日】
11月15日 【いい遺言の日】
11月16日 【いいいろ塗装の日】←「いい色」
       【自然薯の日】←「いいイモ」
11月18日 【雪見だいふくの日】←「附属スティックと雪見だいふく2つで18に見える」
11月20日 【毛皮の日】←「いいファー」
11月21日 【かきフライの日】
11月22日 【いい夫婦の日】
11月23日 【いいふみの日】【いい兄さんの日】【いい夫妻の日】【いいファミリーの日】
11月24日 【鰹節の日】←「いいふし」
11月26日 【いい風呂の日】【いいチームの日】
11月27日 【いい鮒の日】
11月29日 【いい肉の日】【いい服の日】
11月30日 【本みりんの日】←「いいみりん」
       【鏡の日】←「いいミラー」

あまりにもいい日がありすぎるのは、どうかと思う。記念日は少ないほうが価値がある。ともあれ11月も今週で終わり。来週からは師走がやってくる。11月はいい月だったろうか。そして12月もいい月、いい歳末にしていきたいものだ。
悲しくて怒りとともに認知症 [2013年11月26日(Tue)]

__tn_20131126220448.jpg認知症800万人といわれるこの時代。介護するほうが大変なのは当然であるが、されるほうも辛くて悲しくて無念でいらだたしくて諦めの気持ちで‥‥‥。先週読み終わった道尾秀介の文から引用する。

≪母の知性は、日向に落とした飴玉のように、ゆっくりと溶けていった。食べられるものと食べられないものの区別が曖昧になり、饅頭を囓ったあとで、もぐもぐと消しゴムを噛んだ。便所での用の足しかたを忘れることもあった。服の脱ぎ着が上手くできなくなり、苛立った私がせかすと、哀しくてたまらない子供のように声を上げて泣いた。≫
 (道尾秀介著『光媒の花』集英社文庫,2012年)

記憶が断続的に途切れる、意識もせずにやっていたことが突然出来なくなるときがある。それが認知症の始まりだという。息子は悲しい、いらだたしい。母は悲しい、無念でやりきれない。まだらに記憶がとんで、自分はいったいどうなったんだろうと、悲しい。当たり前のことにやたらと時間を費やしてしまうやるせなさ。

それでも自分が自分を好きでいられるだろうか。母をいとおしく思えるだろうか。なってみなければわからない。いずれは衰える、寝込む、入院する、意識がもうろうとする、そして死ぬ。最期のときまで自分の誇りを保って、出来なくなった自分も好きなままでいられたら、いい。
動かぬか行動格差はそこにあり [2013年11月25日(Mon)]

__tn_20131125182309.jpg流行語大賞にノミネートされている言葉の中で私が好きなのは、「いつやるか? 今でしょう!」だ。去年から流行ってきたから、もう流行遅れとはなってしまっているが、逡巡してためらう若者の背中を押し、今さら遅いと諦めていた中高年者が力を得てきたであろう。マジメにポジティブに、また誰にでもストレートに通用できる言葉を私は知らない。ぜひ大賞をとってほしいと思う。

≪今は『行動格差』の時代なんです。少し前までは『情報格差』といわれていましたが、世の中に情報が有り余っている今、情報では大きな差がつかない。では何が重要なのか。それは、"今、世の中で何が起きているのか"というリアリズムなんです。そのリアリズムは、自分で行動しない限り絶対に手に入れられない。
 行動"した"か、"しない"か―その『行動』により大きな差が生まれ、行動した人間が勝つ時代なんです。自分が行動し、見て、聞いて、感じて、次を考える。『行動』で差をつけることを意識することが大事になります。
 実際に物事を動かしているのは現場です。現場が最もダイナミックで、最も学習ができて、最も達成感もある。≫
 (遠藤功早稲田大学ビジネススクール教授/聖教新聞11.16付けスタートライン)

動くか、動かぬか。進むか、待つか。消極姿勢が効を奏するときもあるが、行動することは究極のリアリズムだ。今年はなにを新しく始めただろうか? それを考えるとじっとしてはいられない。
桜葉に別れを告げて春待つ日 [2013年11月24日(Sun)]

__tn_20131124082701.jpg以前、「桜は四回、桜色に染まる」と書いた(2008.4.19「寂しさと派手さをそなえ桜散る」)。

つぼみが膨らんで遠くから木全体を見ると、ごく淡いピンクの雲がかかった頃。期待に胸がふくらむ。

桜花が咲き始めて、群をなして存在を誇示する頃。まさに絶頂感にひたる。

桜吹雪が舞い、散った花びらが敷きつめられて層をなして桜色が深みを増す頃。寂しさの残照がある。

散り終わって落ちた萼(がく)が桜の根元で濃い桜色になっている頃。過去のものとなった桜の存在を忘れる。

そして五度目はいま晩秋。桜色やピンクとは言えないが、珊瑚色赤紅に染まる落葉前の桜葉。茶色な地味な色合いの葉が多いけれども、それなりに楽しめる紅葉だ。

病葉が落ちて、すっかり裸になって、桜の木は年を越す。来年春に豪華絢爛な存在となって私たちの注目を集めるまで、ひっそり静かに時を待つ。冬は寒くて過ごしにくいのは確かだ。けれども待つに果報あり。
特訓の集中するを絶やすもの [2013年11月23日(Sat)]

__tn_20131123154459.jpg齋藤孝氏はこう述べています。先日書いた「特訓」の本をまた引用します。

(爆発的に集中して一気呵成に力をつける特訓を続けるためには)≪その時間はどっぷりと集中するための空間に入る。その間は、ケータイに出ない。パソコンも、ネットにつながない。メールもツイッターもチェックしない、返信しない。自分の集中を妨げる外部との連絡を一切断つのです。≫
 (齋藤孝著『結果を出す人の「やる気」の技術―"特訓"式モチベーション術』角川oneテーマ21,2011年)

ウインドウズの長所はマルチタスク。ひとつの作業をやりながら、他の仕事も併用しながらできるところです。画面が広く、メモリーがたっぷりあれば言うことありません。辞書で調べものをして、他のファイルに張りつける。表計算ソフトで計算したデータを参照する‥‥。

いいことずくめのようですが、気が散るのです。メール着信の知らせがあればそれを開け、読んだだけではとどまらず返信する。ネット配信の窓に気になる記事を見つけると、それをついついクリックする‥‥。あっという間に時間は過ぎてしまいます。

テレビを見ながらする、ながら○○。これもまた集中が途切れやすいものです。ふと目を上げて画面にとらわれる。会話だっていつの間にかお留守になります。テレビのながらは、せいぜい新聞読みくらいかもしれません。

集中、集中、一気呵成に片付けてしまうのです。やり終えた安堵感にひたるのは少し我慢して、チェック、ダブルチェック‥‥。それをしたら一息ついて、お茶でもしませんか?
いい夫婦だれが言ったか今日この日 [2013年11月22日(Fri)]

__tn_20131122185126.jpg今日11月22日は「いい夫婦の日」。余暇開発センター(今の日本生産性本部)が1988年に提唱したものだそうだ。

夫婦とは不思議だ。親子や兄弟のように血でつながるものではない。互いの人生航路の途上で出会う。出会いはいわば偶然だ。二人は共に生きていくと決意して、心身両面にわたり深いつながりをもって家族をつくる。やがて二人は互いになくてはならない存在となる。両者が出会ったことは偶然であったのに、必然的であったかのように変化していく。偶然という過去は書き換えられたのだ。

別な言葉で表せば、過去の意味が変化する。この出会いにはそんな意味あったのかと納得し、自分なりに過去の定義を変えていくことによって、タイムマシンで時間をさかのぼって過去を変えるのと同じ効果を生み出すのかもしれない。

いい夫婦とは「いる」ものではない。「なる」ものであり、進行形で「なっていく」ものであろう。そしてどちらかが死に、もう一方が死ぬまで、「続いていく」ものだろうと思う。場合によっては亡くなったあとも生命が共振し合うだろう。それだけ縁あって結ばれた二人の必然性は高かったと言える。こうした強い結びつきは夫婦だけにとどまるものではないかもしれない。友人どうしでもあり得ることではある。それでも夫婦という関係に生まれる可能性は高いと言えるのだろう。

(写真はホシザキグリーン財団のペンギン館の展示の一部。このぬいぐるみたちにも、夫婦のような縁を感じ合う2体があるかもしれない)
彗星を隠して風吹く冬型や [2013年11月21日(Thu)]

__tn_20131121192637.jpg写真は今朝の空。明け方は雲間から星がのぞいていた。明るくなるうちに厚みを増して、今にも雨が降りそうな気配となった頃の午前8時の空だ。

雲に開いた二つの穴。奥まった眼に見える。雲の明暗によってどこか顔のように見える。ひょうきんな猿の顔だ。

今日の予報は晴れ時々曇り。大平洋側や瀬戸内は乾燥注意報が出るほどピカピカに晴れるが、寒気を伴った大陸からの大気が日本海で湿気を吸い上げて波状的に列島にぶつかる。それが雪や冷たい雨を降らす。空気は山をかけ登るうちに雲を残し、乾燥して反対側に晴れをもたらす。西高東低、冬型の気圧配置というやつだ。

出雲ではここ数日雨が多かった。今朝は晴れそうな気配があった。5時半に東の空を眺めると気まぐれな雲がかかっていた。天頂や西の空は晴れていたにもかかわらず…。

明日は晴れるだろうか…晴れてほしいぞ…星空見せよ。アイソン彗星が乙女座の1等星スピカのそばに見えるはず。明日は見たいよ、ほうき星。
マル秘かな秘密の味は蜜の味 [2013年11月20日(Wed)]

__tn_20131120181702.jpg秘密の味は蜜の味という。秘密を守らなくてはならない時に嘘をつく場合がある。幼い子供に「嘘はいけない」と教えたとしても、現実には嘘が生活の潤滑油として役立っていることは言うまでもない。しかし重大な秘密が公然のものとなったとしたら、世の中は破綻する場合もある。だから守られるべき秘密は、秘密のままに保たれなければならない。

公然の秘密、という言葉があるが、多くの人の耳に入ってしまって、知らないのは勘の鈍い人ばかりという場合もある(私もそのひとり)。他人が知らないことを知っていることは、優越感のもととなるときもあるが、知らなくてもよいことを知ってしまうと、心に負担になる。それは人を不幸にしてしまう。公序良俗に反する秘密であればなおさら大変だ。

「ここだけの秘密だよ」と語られる秘密は、その二人だけに共有されることは少ない。たいていは他にも拡散していく、軽い秘密だ。ここだけ、と言いながら勘の鋭い情報通と言われる人は秘密をかき集めていく。そんなことが好きな人は集めていけばいい。趣味の範囲、プライベートなことだからだ。

ただ、それが社会全体に影響を及ぼすものだとしたら、ないがしろにはできない。そもそも何が秘密で何がそうでないかは、人の生き死ににも関わってくる重大なことがらにつながるからだ。昨日の話題、特定秘密保護法案は危険な領域に社会全体を運んでいく可能性がある。くれぐれも慎重に審議してもらいたいものだし、できれば廃案にしてほしい。国家公務員法、自衛隊法など現行法の厳罰化でもって対応することができると思うからだ。
特定の秘密はどこに疑心かな [2013年11月19日(Tue)]

__tn_20131119192130.jpg特定秘密保護法案が国会で審議されています。防衛、外交、スパイ活動防止、テロ防止の4分野で秘匿すべき情報を政府が特定秘密に指定し、これを漏らした公務員はもちろん民間人や取材者にたいしても効力が及びます。最長で10年の懲役刑が科されるとのこと。

問題はその「特定秘密」が何であるかわからないところにあります。当然といえば当然です。秘密の何たるかが分かってしまえば、秘密は明かされたも同然となるからです。図式化するとこうなるでしょうか。

┌政府のもつ情報全般───────────
│公開情報【A】
│┌中間・バッファー情報【B】─────
││┌特定秘密情報【C】─────
│││(防衛.外交.スパイ・テロ防止)
││└─────────────
│└───────────────
└────────────────────
特定秘密情報と公開情報との中間部分が【B】ですが、ここが膨らめばふくらむほど【C】との境は曖昧となり、特定秘密は安泰となるでしょう。政府が恣意的に【C】を決めようとすると、おそらく公民ともに疑心暗鬼となって重要で危険な情報が独り歩きしてきます。取材者は萎縮するでしょう。国民の知る権利は風前の灯となってきます。与党は拙速になってはいけません。

≪行政が特定秘密の指定を専管すれば、憲法上国権の最高機関であるはずの国会議員の国政調査権も空洞化する。国民にしても「秘密保護法違反」の罪で訴追された場合、自分が何をしたのかを明かされぬままに逮捕され、量刑の適否について議論の材料が示されないまま判決を下され、殺人罪に近い刑期投獄されるリスクを負うことになる。(中略)「行政の失態や誤謬」にかかわる情報開示が特定秘密に指定されれば、行政への批判は事実上不可能になる。これがきわめて強権的で独裁的な政体に向かう道を開くこと であるという判断に異を唱える人はいないだろう。≫
 (内田樹ブログ『内田樹の研究室』13.11.8)

民主主義とは、愚かで専制的な政権が出たときに、最悪な状態にならないように担保するという制度です。この法律が運用されれば、もしものときに言論統制が一気に進んでしまう恐れは十分あります。さらに、第三者のチェック機関がないという欠点もあります。内閣と行政府のトップしか知り得ない情報が恣意的に悪用されたときに、私たちがこうむる不利益は計りようがありません。その入口から拡大解釈が進み、人権を無視した法律がザルから落ちる水のように国会を通過していく・・・・。とても危険な法案です。
善意かと迷った森にガンプあり [2013年11月18日(Mon)]

__tn_20131118182553.jpgチョコレートは食べてみなければわからないとは、フォレストの母が知的障碍をもつ彼に常に教えてきた言葉。ひとには定まった運命があるとは、ダン中尉の言葉。映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』は、まっすぐで純粋であることへの讃歌である。主演のトム・ハンクスの名演が光る名作だ。

典型的な普通の人であれば、純粋であり過ぎると毎日トラブル続きとなる。しかし、知的障碍のあるフォレストがそれを貫くとすべてはうまく回ったのである。彼が得意なのは、一度記憶し体で覚えたことは忘れないこと。ともかく、走るのが速い上に抜群の持久力もあること。さらに、他人の邪悪なところは見えず、いい面ばかりが見えることであり、その人をピュアに終生信じ続けられることである。

ガンプ(Gump)という単語には、うすのろ、まぬけという意味があるが、1994年のこの映画以降、楽天的に善意をもってやり抜くという意味に使われるようになったようだ。物語の始めと終わりに、一枚の鳥の羽が空を舞い道を転がり、また空を飛ぶシーンがある。運命は風まかせであるにしても、プラス思考で善意に貫けば道は開けることを象徴している。

ケネディ大統領を始めとして、歴年の大統領とのエピソード。プレスリーやジョンレノンなど有名人とのエピソードが、本物と見まがう映像に編集されて楽しめるところがたくさんある。とんとん拍子に成功物語をつむぎ、それでいて薄汚い欲とは無縁のフォレストに喝采を送りたくなる。

いつの間にか当初の目標を忘れて小賢しく生きてしまう日常を反省するよすがとなっていく。自分の原点に立ち返りたいときに観るべき映画だと感じた。勇気の湧いてくる物語である。ひたむきに素直で善良な人が報われる世の中になってもらいたいと思う。

(羽が舞い飛ぶような今朝の空。冬型の気圧配置の頃は鉛色の雲がただようことが多いが、ときに軽やかな羽が舞っている)
不思議かな社会の窓はなんでやら [2013年11月17日(Sun)]

__tn_20131117180346.jpg出かける前に、ふと鏡をのぞき視線を下にやる。社会の窓が開いていた。危ないあぶない。ファスナーを上げた。恥をかかなくてすんだ。

そもそもなぜ、「社会の窓」というのだろうか。もちろん婉曲表現だ。「小用を催したときに陰茎を表出させるためのズボンの開口部」などと言うわけにはいかないからだ。

日本語俗語辞書 http://zokugo-dict.com/ に明解な説明があった。なるほど面白い。ラジオ番組の題名そのものが由来となっているとは驚きだ。

≪社会の窓とは男性が履くズボンの前部にあるファスナーのことである。これは1948年〜1960年にNHKラジオが放送した番組『社会の窓』からきている。同番組は社会の内情を暴きだすという内容であった。これが大事なものが隠された場所という解釈になり、男性の大事な部分が隠されているズボンのファスナーを社会の窓と呼ぶようになった。≫

大切なものはズボンの下にあるだけではない。体の中にも心の中にもある。隠すべきものは隠しておこう。だが、ときには表に出してしっかり見せなくてはならないものもある。必要なときに自己開示をして魅力的な人になりたいものだ。
耐えられずコントロールが不能なり [2013年11月16日(Sat)]

__tn_20131116221407.jpg今ほど心を病む人がどうしてここまで増えてきたのか。どうして心が折れやすくなって人は伏してしまうのか。またどうして攻撃的に他人をののしり、自己正当化に精をだす人が目立っているのか。次の言葉はその答として、一面の真理のように思える。齋藤孝氏は著書でこのようにいう。

≪二十世紀後半以降、人間の社会は怒濤の発展を遂げ、かなりの物事が人間の知恵の産物でなんとかできるようになりました(中略)人間がいかに「快適」に暮らせるかということに主眼をおいた社会ができ上がってきたことで、どうにもならない不合理を乗り越えるメンタリティを人々が失ってきてしまったように思います(中略)だからひとたび何かがあったとき、感情のコントロールができなくなって、心が折れてしまう。
(中略)自分にとって都合のいいことばかりではなくても、快適なばかりではなくても、その状況に耐えるという感覚がなくなったことにより、いろいろなところで社会生活のありようが綻びはじめているのです≫
 (齋藤孝著『結果を出す人の「やる気」の技術―"特訓"式モチベーション術』角川oneテーマ21,2011年)

そう、綻んでいる。際限ない競争に没入する主。文句を声高に言うことが正義の行為であるという錯覚の主。仲間以外の他人へは全く無関心の主。ネット空間を自分の居場所のように錯覚する主。新型の鬱状態を理屈にして外部ばかりを責め続ける主。

いろんな主がいる。さまざまな主が綻んでいる。糸がほつれたままに混乱している。私自身もそうかもしれない。複雑な社会、錯綜する人間関係をやりくりするにあたって脳の情報処理が追いついていかない。だから、この文章もまとまりが悪くスッキリしない。でも、ここまでにしておく。

(まだ熟していないキンカンの実。スッキリした黄緑色をしている)
タイピスト刻むは文字と愛なれば [2013年11月15日(Fri)]

__tn_20131115175645.jpgフランス映画『タイピスト!』を一言で表現すれば、タイプライター速打ちの世界チャンピオンへ邁進した女と男の素敵なサクセスストーリーとなるだろうか。舞台は1959年。単に成功物語にとどまらず、女性が才能を開花させ、ヨーロッパ戦線で傷ついた男性が癒され、二人が螺旋状に愛を高めあっていく嬉しい話だった。また男女双方ともそれぞれの父親との相克を乗りこえて絆を深めるのも印象深い。

フランスの田舎に育ったローズ。母は早くに亡くなり、父の雑貨屋を手伝うことを嫌って彼女は町に出た。秘書を募集していた色男の中年ルイ。彼は、保険として儲けた父親から事業を相続したボンボンであるが、なんの取り柄もなさそうなローズを秘書に選ぶ。何十人ものライバルたちは、あか抜けた美人ばかりで秘書としての訓練も受けていた。しかしローズは合格した。驚異的なタイプ打ちの技術がルイの目を引いたのだ。

ルイは彼女の才能を伸ばしてやりたかった。しがない田舎娘に義理があるわけでもなく、愛人にしようなどと欲があったのでもなかった。かつて愛した人のことを忘れようともがく中で、ルイはローズの才能を開花させるという夢中になれるものを探し当てたからなのかもしれない。

初めはひと指し指の二本だけでの速打ちだった。しかし地区予選に敗れると大改造が始まった。基本に忠実に10本の指を使い、ピアノを習いリズム感と小指薬指の力をつけ、ランニングで全体の体力を増強する。フランス文学の名作を教材にしたことでローズは巧まずして教養がつき、昼間は秘書として働きながら能率的に仕事する能力も身につけていった。

次の予選はトップで通過した。フランス全土のナショナル大会でも勝った。二ヶ月後の世界大会を目指してローズは一皮も二皮もめくれていく。しかしルイとの関係は途絶えた。有力なタイプライター製造会社が全面的スポンサーとなったからだ。ローズとルイは離れてはじめて互いが愛で結ばれていることを知り、自然と互いを求めあった。

決戦の日、決勝の相手はアメリカ人。無敵の世界チャンピオンだ。一勝一敗でむかえた最後の勝負。スポンサー商品の最新タイプライターを捨て、彼女はルイと歩んできたタイプに持ち代えて栄冠を勝ち取った。二人の愛情もハッピーエンドとなる。

冴えない田舎娘だったローズが、シーンごとに美しくなっていくのに目をみはった。都会の空気に染まって髪型とファッションが変わり、目が輝きを増していく。恋してローズはもっと綺麗になった。世界大会で闘うローズはキュートさに加え、気高く凛々しくて素晴らしい女性となっていた。ドキドキし手に汗にぎりニカニカしケラケラ笑う。そしてニッコリしながら座席を立つことのできた映画だった。

あの頃タイプを速く打つ能力は女性たちの垂涎のまと。世界大会はエリートのものだった。だが、いまやタイプライターは消えた。同じキーボードの配列は残ったものの、パソコンがとって代わってしまった。では、使われなくなった技術や技能を身につけるための苦労や時間はムダになってしまったのか。いや違う。

技術はいずれ古くなる。栄光の極みにあった者が忘れ去られるときもくる。そうであっても、身につけるために必死でがんばった時間と努力の痕跡は消えない。離ればなれになった恋人や親子の情愛はあとかたもなく消え去るのか。いや、そんなことはない。愛を育て高めあった事実は決してなくならない。生命に刻印されて永遠に残るにちがいない。
冠雪の出雲の富士に輝いて [2013年11月14日(Thu)]

__tn_20131114211800.jpgここ数日の気圧配置。西高東低の冬型だ。
大平洋側では木枯らしか吹いている。
寒い寒い冬がきたのか。
冬よ、君は寒気を引き連れて大陸からやってくる。
ようこそ、と言ってあげたいけれど、
悲しくなってくる、わびしくなっていく。
大平洋高気圧が勢力さかんな頃、私はイライラしていた。虫の居所が悪かった。
今は寒さに震えてる。わびしさに身をつまらせる。
むろんいいこともある。
伯耆大山、別名出雲富士が冠雪した。
まさに富士と見まがうばかりの光景が松江から臨まれる。
富士の高嶺に雪降り積もる。富士はよい山、世界一。富士のもどきも世界一。
明日ははやも週末だ。11月も半ばをむかえ、歳末向かってまっしぐら。

(松江ではアイビーの葉がみごとに染まって、道行く観光客がさかんに写真を撮っている)
踊りだし寧夏はねんごろ夏暑し [2013年11月13日(Wed)]

__tn_20131113220351.jpg寧夏とはどんなところか。寧夏回族の住む自治区にはどんなエキゾチックな文化が花開くのか。そんな期待をこめて島根県民会館大ホールに向かった。

「日本初公開」といううたい文句に引かれたか、会場はお客でいっぱいになっていた。寧夏回族の舞踊劇『月上賀蘭』は、各幕ごとの短いナレーションのみで台詞のない舞台だった。中華中枢の中原とペルシャやアラブを結ぶムスリムの隊商に生まれた恋物語を描く。シルクロードと言えば聞こえはいいが、砂漠と強盗団との戦いに勝たねば利益は出ないばかりか、死の縁を毎日のぞくような厳しい世界だ。そこを舞台にアクロバティクで華麗な舞踊が、これでもかこれでもかと長々続いた。

舞台技法や飽きさせない演出はともかくとして、生きることはすべてが繰り返しの連続であると感じさせてくれた。異なる文化に生まれ育った二人が寧夏・賀蘭山のふもとで夫婦となり、生活を重ねることは、すなわち繰り返しの再生産だ。

私たちはバラエティに富んだ生活を送っているようにみえる。考えてみれば、毎日お馴染みの人と顔をあわせ、同類の情報でもって喜怒哀楽を繰り返し、同じようなものを食べて、くそを出して、眠って起きて、また日常を繰り返す。非日常を求めて旅をしたり、異なる体験をしてみても、視点はやはり日常の枠組みからは逃れられない。

そして今夜も異文化に触れたいと思って県民会館に来てみたが、やはり私はわたしだった。展開が少なく長々と続く舞踊についつい眠りに誘われてしまった。少し疲れると居眠りしてしまうという日常を繰り返してしまったのである。

(西域の寧夏回族自治区にも、こんな花が咲くのだろうか)
人間が彗星見ては謙虚なる [2013年11月12日(Tue)]

__tn_20131112204155.jpg≪「なぜ私たちの地球に、他の宇宙生命体が訪れないのか?」という疑問が生じるのも当然です。(中略)最も簡単な答は、「知的生命体の社会は不安定なもので、その寿命は短く、宇宙生命体となる前に自滅する」というものです。人類は原爆や水爆という自らを滅亡させる手段を半世紀前から作り上げましたが、それ以上に、人類を滅亡させる手段となりうる「遺伝子操作技術」も獲得しました。環境問題、人口爆発、貧富の差の拡大も進んでいます。地球規模での情報と流通が大量かつ迅速になったことで、経済、社会のシステムが不安定とな ってきました。人類は今、宇宙生命体として発展するか、はかない終末を迎えるかの岐路にあるのかもしれません。≫
 (佐藤勝彦著『宇宙96%の謎/宇宙の誕生と驚異の未来像』角川ソフィア文庫,2008年)

今月末にはアイソン彗星がやって来る。久しく尾を引く彗星を見ていない。大きな大きな楕円を描いて太陽系をめぐる旅人の姿を見たい。地球はかけがえのない私たちの宇宙、唯一といっていい貴重な世界だ。その大切な地球をあらためて考える機会を与えてくれるだろう。吹き荒れる暴風雨、巨大な台風、殺人的な猛暑、ひとを凍らす厳冬…。地球に与えられた試練は人類に与えられたものでもあり、人類の活動によって引き起こされたものでもある。地球を1mの玉とすれば、人類は零点何ミリかの地表に生きるちっぽけな存在だ。そのちっぽけなものが増長して地球に害を与えている。彗星を見ることで、私たちは「もっと長く人間社会が続いてほしい、宇宙の生命体と出会いたい」と、少しは謙虚になれるかもしれない。
ポッキーを含んで食べたこの日かな [2013年11月11日(Mon)]

__tn_20131111194348.jpg今日は11月11日。
去年も書いたが、なんのことはない、「ポッキーの日」である。
なんのことはない、私も江崎グリコの手先となっているかのように。
ポッキーを食べた。なんのことはない。ふつうに美味しい。
マカダミアナッツ味、ホワイトチョコの味、アーモンド味。
細いやつ、太いやつ、ふつうのやつ。
なんのことはない。バラエティに富んでおもしろい。
一口で食べる、ぽりぽりと細かく食べる、口に含んで溶かしてから食べた。
なんのことはない。どれもこれも楽しくて美味しい。
幸せの甘さ、トキメキの甘さ、意外な甘さ。
なんのことはない。カメムシの甘さとは天と地の差がある。
甘味をとって明日の活力源に。

(ポッキーのように並んでいるライン。松江駅のホームの縞々)
選択し結果を求め四苦八苦 [2013年11月10日(Sun)]

__tn_20131110191706.jpg脳とは偉大だ。脳は、選択し体を動かし精神活動を行いフィードバッグし、失敗しても再び挑戦し飽くなき成功への意思を持ち続ける。そして脳を統べるのは人間の生命力。

≪脳の神経細胞は受動的に与えられた情報よりも、能動的に選んだ情報に、より大きな反応を示すという▼得た「結果」がもたらす喜びは、つかの間で消える。だが、自分の未来は自分で「選択できる」 「変えられる」という実感は、人生に根源的な充実を与える≫
(聖教新聞11月6日付け「名字の言」)

もちろん脳とて万能ではない。後悔をくりかえし、意に反してナマケ、体調を崩せば思うように体を働かすことができない。それでも脳は身体と協調しつつ、四苦八苦して生きることをやめない。選択し、より良く生きようとし、充実した明日を求め続ける。脳とはすばらしい。

(写真はゆずの実。この秋はよく実っている)
勝つために勝ちの下積み忘れない [2013年11月09日(Sat)]

__tn_20131109220009.jpg勝負に勝つ。
目標を達成する。
ひいきのチームが優勝する。
昇進しリーダーになる。
給料が上がる。
目の覚めるような成果を上げる。
大きく利益をあげる。
有名になってもてはやされる。
学校に合格する。
子どもがお受験に成功する。
本領を発揮して会心の作品を残す。
いろいろな勝利の形がある満足がある。
頂点に立つのは気持ちがいい。
14番目の月がいいとユーミンは歌った。
頂上はたしかにいいが、頂点の一歩手前がいいということだ。
いずれにせよ栄光の瞬間は過去となり時は過ぎる。
人は忘れていく。
栄光の記憶、人々から賞賛された日々はいつまでも甘い記憶となって残る。
戦いに挑んで課題を克服した歓びは身に刻まれる。
東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズの覇者となったのは先週のことだが、遠い昔のことのように思える。
目を引くニュースが関心をよび、人は情報を消費し飽きていく。
勝者がその喜びにひたることができるのは意外と短い時間だ。
それ以上に周囲は忘れ去る。
日々の成長しかない。
次なる戦いをめざして再び挑戦するしかない。
孤独な戦いだ、優越感にひたる間もない。
強い者は甘美な記憶に惑わされずにさらに戦う。
弱点の補強に余念がない。
それ故の覇者であり、最強伝説は重ねられていく。
柔らかく硬筆つかいハイネの詩 [2013年11月08日(Fri)]

__tn_20131108214933.jpg毛筆以外ならばなんでもあり、という硬筆アート展を観てきた。「硬筆」という硬いイメージとは違う、その柔らかさに驚いた。立体にして飛び出すかのような意匠。万年筆の本当の硬筆でも、どこか柔らかくしなやかで三次元を感じる。島根県民文化祭の一環として行われている『硬筆アート展』である。

字を表現することができるもの全てを使い尽くしたかのようにして表現したアートの数々。ペンは当然として歯ブラシ、ドングリ、松笠(松ボックリ)、固めたティッシュ、爪楊枝、半田ごて・・・・・。台紙や台座も和紙はもちろん木材や色紙、葉っぱ、金属の板・・・・・。異次元の宇宙に飛び出したかのような世界にひたってきた。繊細にして大胆。大雑把なように見せて、実は巧みな計算もある。字というものの意匠に畏敬の念がわいてきた。

唱歌の『紅葉』があった。秋はいいなあ、秋に遊び、秋を遊ぼう。
  秋の夕日に照る山もみじ/濃いも薄いもかずある中に
  松をいろどるかえでや蔦は/山のふもとのすそもよう

詩人ハイネの『歌のつばさ』がある。宵の明星を仰いで語ろうよ。頬よせあって。
  すみれはたがいにほゝえんで/星をあおいでかたりあう
  ばらはたがいにむつまじく/あまい話に頬よせる
立冬に朝に冷え込み夜にブルブ [2013年11月07日(Thu)]

__tn_20131107201009.jpg立ち食い蕎の立地では条件次第で繁盛し、千客万来立ち代わり入り代わり、出入りの店は美味しいもんさ。店員の立ち居振舞いキリリとし、疲れ見せない顔出さない。立ち上げのときの店主の心意気、反映するよ、覚悟なり。それない店は客が立ち出づ、黙って立ち去る。

はてさて、立派な人は立腹しても腹の中に収めて穏やか。安定大地に立脚し、自分の立ち位置見えている。たとえ周りが立ち枯れて、立ち消える現実あったとて、決して立ち腐れはしないもの。

雑踏ざわざわ立騒ぐ。のがれて劇場前に立ちすくみ、ふらりと入った立ち席で立ち詰め続き疲れても、立体感ある舞台に満足。役者の見事な立ち回り、立て板に水の台詞に感嘆す。さすが立派だ業界を立てた役者は違うもの。倒れて幾度倒れても、立ち直るのが早い人、天は二物を与えたよ。

大遷宮効果で大社に立ち並ぶ、車と人の流れあり。神さんにあんたにお願いを聞き入れられねば、もはや立つ瀬がないものと覚悟を決め、土下座でお願いする向きが増えている。半沢直樹かクレイマー。けれど私はしないぞと、仲よくしようよ赤い糸。

末は博士か大臣か、立身出世を願ったは昔の話大昔。世の中豊かになり過ぎて緩んだ気風を立て直す。建設は死闘、しかし壊れていくのは早いもの。立ちくらみを感じても勇んで進む先駆者は。

立憲のこの国で日本で憲法改正なるか否や。9条変えてその他また。立候補した人が通った末に権力奪取。立法の役目を果たして世を変える。うまくいくかは賭けなれば、習知を集め立案を心を込めて貫いて、頼むぞ拙速は悪なれば。

立て続けにやってきた、この秋台風いやになる。紅葉求めて夢がある。立山黒部アルペンルート、歩いてみたし一度はね。この国見るとこたくさんだ。外国の風も吹かれてみたい。カネもヒマも作ろうよ。

今日は【立冬】、冬が【立つ】。
守るべしルールとマナーわきまえて [2013年11月06日(Wed)]

__tn_20131106193640.jpg「ルールとマナーを守りましょう」と標語にされることも多いが、ルールとマナーは混同されやすい。明快にしておきたいと思う。

ルールとは、きまりである。その頂点にあるのが明文化された法律や規則だ。裁判所の判決や命令も強いルールである。守ることは当然で破れば罰則もある。ここまでは守るべしという最低限基準を示す場合もある。外部から規制して人や組織をしばる。

マナーとは、礼儀作法やエチケットのことだ。思いやりや気配りでもって気持ちよく生活できるようにする道徳とも言える。罰則はないから、内から発する自発的な行為となる。相手方やその場を不愉快にさせないようにするには、高度な感覚やふるまいが必要だ。

ルールというものが、罰則を伴って厳しく適用されることを改めて知らしめたのが、飲酒運転の厳罰化であった。7年ほど前に福岡で幼児3人を犠牲にした飲酒事故がきっかけになって、悪質な危険運転も併せて罰則が厳しくなった。会社や役所も相応の処分(懲戒解雇や停職など)をするようになったので、飲酒運転は悪であり犯罪であることが常識となった。そのおかげで飲酒運転は減少している。

酒酔い運転は免許取消しで欠格期間3年。酒気帯び運転は、呼気中アルコール濃度0.15mg/l以上0.25mg/l未満が免許停止90日、濃度0.25mg/l以上はもっと厳しい。事故を起こせば懲役や多額の罰金も科され、大きな社会的制裁を覚悟しなければならない。そのことが、飲酒運転は損だという利害感情を引きおこし、事件を抑制した結果だと思う。

法律的なルールではないが、近頃取りざたされる食品偽装、産地偽装。あるいは従業員が面白半分に起こす悪ふざけ投稿事件。一度明らかになれば、報道のバッシングや客足の引き上げなど、経済的社会的損失は計りしれない。世間体や評判がこれほどまでに影響するとは当事者は考えていなかっただろうと思う。ここまでやるか?と思えるほどに叩きのめされる様子は、見るに耐えないときもある。

下手なことをしでかすとネットを通じて大きな痛手を受けるということも、ルールとして定着したようである。が、それで過ごしやすい社会ができるかというと、違うと思う。心もとない。マナーの力と行動でもって円滑に人間関係をとり結ぶことも絶対に必要だ。それこそが、「お・も・て・な・し」につながるというものだ。

【追記2013.12.21】
「法律的なルールではないが」と書いたが、不当景品類及び不当表示防止法(略して景品表示法)をもとに、国は関係ホテルチェーンに違反行為を差し止めるよう措置命令を出した。法律のしばりというやつはどこにでもあるものだ。
六角の形かわいやカメムシの [2013年11月05日(Tue)]

__tn_20131105191549.jpg不愉快な甘さ。不快きわまりない甘さ。鼻をつまみたく甘さ。逃げたくなる甘さ。吐き気をもよおす甘さ。所在がつかめない秘密の甘さ‥‥。甘味とは本来ひとを癒し、楽しませ、ときに断たなければ体型を維持できないほど魅惑的であるにもかかわらず、甘さにふさわしくない形容を並べ立てたのはなぜか。カメムシの臭いを表してみたかったのだ。あの甘い臭いはおよそ形容しがたい。

憎むべきその甘さに対して、カメムシ君と言ってやりたいほどの愛らしさ小ささ、いたいけな軽さ薄さ、よちよちと歩く可愛らしさ。六角形の胴体もなかなかだが、その姿から想像できないほど超弩級の臭さを発するエネルギーに恐れ入る。

カメムシ君が大発生している。洗濯物に張りつき、網戸をすり抜けて、いつの間にか家の中に鎮座している。あの図々しさが憎い。服についているのに気がつかず触ろうものなら、鼻がよじれる。小さいから犯人探しは難しい。嗅覚は早いうちに鈍感になるものだが、カメムシ君の甘さには鼻がいつまでも敏感だ。

カメムシが大発生すると大雪になる、寒い冬がくるという。確かに長期予報は寒くなると伝える。カメムシ君は魔法の臭いでもって寒さを引き連れてきてしまうのか。超のつく猛暑に悩まされ、台風の被害に恐怖したばかりなのに、再び災害にまみえるのは御免こうむりたい。
感動は夢とうつつの我なれば [2013年11月04日(Mon)]

__tn_20131104175828.jpg森博嗣氏は、自分にとっての希少さを意識したときに人は感動すると言う。確かにそのとおりかもしれない。自分のフィルターを通して自身の間尺に合ったとき、ああいいな、と思う。鳥肌が立つような感動を経験することはめったにないことだが、感動する受け皿はつねに持っておきたいと思う。

≪歳を取ると、ちょっとした風景に感動するようになる。これは、もう自分が、あと何度くらいそんなものに出会えるだろう、という感慨があるためだと思われる。(中略)自分にとっての「希少さ」を人はいつも意識している。しっかりと意識していなくても、それを感覚的に尺度の一部、つまり評価のファクターに取入れているようだ。(中略)自分を感動させることは、このような場の条件をどう捉えているか、という思考でコントロールされているのである。だから、これを利用すれば、常に緊張して、豊かな感受性を持って受け入れることもできる。≫
 (森博嗣著『「思考」を育てる100の講義』大和書房,2013年)

感受性とはつねに緊張していないと出てこないものなのだろうか。眉間にシワを寄せた緊張ではなく、リラックスしつつも感じられるアンテナを張っておくことに氏の真意があるのだろう。限られた時間、限られた能力、限られた機会。あっという間に時は過ぎていく。季節は秋。四季の中でも美しいものがたくさん見られるこの季節を大切にしたい。

(写真は奥出雲の大馬木にある金言寺の大銀杏。水を張った田んぼにその勇姿を映し出した絶景で、しまね景観賞をとっている。多くの人が見物にやって来て、いいなと思って帰っていく)
42永久欠番勝ち取れり [2013年11月03日(Sun)]

__tn_20131103181025.jpg野球とは走者がホームベースに帰って得点するゲームである。ベースボールの本質はそこにある。ホームに生還して勝つことが目的だ。ヒットを打つ、出塁する、盗塁する、バントで送る、サインを受ける、リードで投手を翻弄する・・・すべてはホームに帰る、帰すための手段である。アメリカ人を魅了してやまない点はその本質にあるのだと、映画『42』を見て感じた。

ホームへ帰ることは家につながる。スイートホーム、安らぎの家庭をつくり、外で戦ってまた我が家に帰る、エネルギーを充填して再び家族のために働き戦う。野球と家庭愛、夫婦愛を重ねて映画はつくられていた。

野球王国アメリカでは偉大な黒人メジャーリーガーに敬意を表して、年一回全員が同じ背番号をつけてゲームするとは聞いていたが、その永久欠番が「42」であり、その人がジャッキー・ロビンソンであると私は初めて知った。日本で公開するにあたり、『42〜世界を変えた男』と副題をつけたのは無理からぬ話だ。

第二次世界大戦が終わったばかりの頃、黒人への暴力的な人種差別が当然とされていた時代。メジャー選手として黒人はご法度だったのだ。ロビンソンはドジャース球団ゼネラルマネージャーのリッキー(ハリソン・フォード)と二人三脚で戦った。暴力には暴力で応じず、紳士的な態度を保ち、ホームに帰って実力で勝つベースボールで二人は勝利した。それを支えたのが、妻レイチェルと生まれたばかりの息子だった。

ロビンソンは、ホームに生還するために手段を尽くす。差別主義者の卑劣な罵倒にも、客席からの心ないヤジにも、一塁審判のえこひいきなジャッジにも、チームメートからの冷たい視線にも、定宿ホテルからのいやがらせにも、数え切れない脅迫手紙にも、あらゆる差別にたいし非暴力で紳士的に耐えた。屈辱をホームへの執着に変えて、勇敢にプレーした。やがて彼の「ホームに帰る」という意志はチームメートを変えた。客席も変わっていく。彼を応援するファンが増える。黒人メジャーリーガーの先駆けとなり、他の有色人種加入の口火ともなった。

彼の勇気ある行動は、公民権運動にも影響したのではないかと想像する。差別は根強く残る。南部では「White only」「Colored」と分けられた人種隔離政策も公然と行われていた。ローザ・パークスが戦ったバス乗車拒否事件は1955年。以降キング牧師の主導によりバス・ボイコット闘争から公民権法を要求する黒人運動は高まった。時代の流れはとは言えるかもしれないが、ロビンソンがメジャーリーガーとして活躍したことは、多くの差別される有色人種を力づけたに違いない。

今やオバマがアメリカ大統領だ。日本で横行するヘイト・スピーチやレイシストたちのあからさまな暴力的言辞。人種差別はかつてのアメリカに過ぎ去った歴史ではなく、今も残された課題であることを忘れてはならない。

(追伸)仙台・Kスタで行われた日本シリーズ、東北楽天ゴールデンイーグルスが読売巨人軍に勝った。昨日の160球敗戦の田中が9回1イニングを投げた。信じられない連投、気持ちで押し切った投球。両チームによる歴史に残る死闘、心に残る。ここでは野球の本質は技術と勇気であると知った。
ルーティンと型を大事に作る日々 [2013年11月02日(Sat)]

__tn_20131102204029.jpg型を作ることは大事だ。形式的だと侮ることなかれ。武道や芸事、スポーツ一般も仕事も文章を書くことも、型を身につけてはじめて応用的な動きに入っていける。

身だしなみを整えると気持ちがしゃんとする。これも型にかかわってくると思う。例えば、休日にひげを整えないまはま過ごすと気分がシャキッとしない。あごや口にモヤモヤした異物を残したままになる気分だ。そんなときは服装も気分もだらけていく。

形を整えることは大事だ。形よりは中身そのものが重要だ、心が大事だとする向きもある。しかし中身は外に表れる。ましてや自分自身がどれだけ中身のありかを認識できているかというと、まったく心もとない。様式的に美しさを生む場合も多くある。形式を侮ってはならない。

決まりきったことでも、あいさつを大きな声できちんとやってみよう。仕事の始まりには一定のイベントを行ってみよう(例えば手帳から予定を書き出す、珈琲をゆったり飲むなど)。カリカリしそうな時にはあえて口角を広げて笑顔をつくってみよう。ありがとうと言われたら、どういたしましてと恥ずかしがらずに返答しよう。お年寄りや赤ちゃん連れのお母さんを電車で見かけたら席をゆずってみよう。人が困っているのを見たら、お手伝いすることがありますかと無条件に聞いてみよう。。。。。

形式は大切にしたい。それをきっかけにして日々を心豊かに、かつ中身を磨いていきたいものだと思う。

(写真は茶の花。今年も型どおりに今の時期に咲いている)
鷲が翔び東北かけるイーグルス [2013年11月01日(Fri)]

__tn_20131101193126.jpg緒戦に敗けを喫した則本が雪辱した。よく走り、延長10回によくホームを踏んだ。その裏を則本は見事に抑えた。東北楽天ゴールデンイーグルスは昨夜の日本シリーズで読売ジャイアンツに勝ち日本一に王手をかけた。

巨人の打線が湿りがちで歴戦の王者に圧倒的な強さが見られないこのシリーズだが、第4戦は「打撃の神様」こと川上哲治氏の訃報もあり、巨人は必死の逆転を勝ち取ったのが印象的だ。両チームともすばらしい戦いぶりを重ねた。

星野監督は「今日ほどしびれたゲームはないね。本当は九回で終わりたかったけども、みんなが楽しんでくれたからいいや」と笑顔で語り、東北のファンの前で宙に舞うと決意を見せた。

流れは東北楽天にある。田中将大のペナントレース開幕からの24連勝に続く日本シリーズ第2戦の勝ち。無敗神話は続く。かなりのひとが東北びいきになっていることと思う。どちらが日本一になるにせよ、この土日は目が離せない。