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父であり父になるとは難しや [2013年09月30日(Mon)]

__tn_20130930223157.jpg母と子は育ちの過程で言葉を超えた絆でつながる。しかも父に10ヶ月先行し一体化してつながる。一方で父は父であるだけでは真の父とはなりえない。父は手間暇をかけて論理も交えて本当の父になれる。福山雅治主演『そして父になる』は、そんなことを描く映画であった。劇中でゆったりと流れるブルグミュラーのピアノ練習曲は、この劇に静謐さと品のよさを加えただけではない。父には絶え間なく練習曲への挑戦が必要だと言いたかったのだ。また、双方の親たちが内省を繰り返し、抑えようのない怒りを鎮めていく激しさも持ち合わせていた。影と光を活かしたカメラワークによって静けさと激しさを見事にあらわしていたように思う。

エリート街道を突っ走る父は家では説明をしない。妻に対しても、もちろん子にも。答えはすべて自分の中にある。私には正解がわかっている、家族を幸せにする方向を。という思考の持ち主が福山演ずる父だった。6歳の小学校入学前に判明した子の取り違え事故。父は事故の究明と相手方家族とのやりとりの中でも自分の主義を貫こうとして軋轢を生む。

その父が、ラストで堰を切ったように理由や状況を、そして子への感謝を伝えようとする。身勝手な父であったことに悔やむ。子の存在そのものを愛する父ではなく、子から機能をのみ抽出し愛でて伸ばそうとしていた父であったことを恥じた。

自分は間違っていたのではないかと疑問を感じたのが、相手方の父(リリー・フラ ンキー)が体全体で子どもと遊ぶ姿を見たときだった。しかし父はわかっても自身を変えることはできなかった。だが、子の振る舞いを通じて気づかされた父。カメラのメモリーに子が残した写真。ファインダー越しに見た自分自身の姿は子にとってなんと愛すべき存在であったことだろうか(福山の趣味はカメラ。あの一眼レフは福山自前だったかもしれないなあ)。

子は私を無条件に愛してくれていた。だのになぜ私はああだったのだ…。気づかされた父。もう他人と思い切ったはずの子を通して心の底から、子の生命そのものを愛せなかったことに気がついた。そして今は父として子を愛している。もう遅いかもしれない。だが、伝えずにはいられない…。父は父になり、過去にも遡って父となった。後悔と懺悔と歓喜が混じりあった新生の父を福山がみごとに、繊細にかつ大胆に演じた。
ブラボーと悪の手下に破られず [2013年09月29日(Sun)]

__tn_20130929134932.jpg荒野の小さな街の保安官役がジョン・ウェイン。西部劇の作法というか、定番のルールを知らないので、映画『リオ・ブラボー』はわからないことも多かったが、楽しめた。アメリカ・テキサス州の二百年くらい前の地域事情は知らないし、劇中で交わされる言葉のやりとりに不明な点が多い。しかも始まりは退屈。だのに何故楽しめたのか。ジョン・ウェインがかっこよかったからだろう。

力づくで一帯を支配する一味がいた。無法者で頭目の弟・ジョーは虫の居所が悪いと簡単に人を殺す。保安官は仲間とともにジョーを逮捕した。逮捕拘留中の弟を検察に引き渡すには、駅馬車でもって通信文を届け出て、折り返し執行官が来るまでの6日間をしのがなければならない。周囲は砂漠。街は一味に封鎖されたから助けは得られない。悪の頭目は力づくで弟を助けようと襲撃する。ただし一般市民の目もあるので、やたらに襲撃はできない。夜陰に乗じて人知れず、または保安官側の動きに応じて敵側は動く。進行は緩やかだが緊張感がただよう。

だが、忙中閑あり。戦いの緊迫の中にも歌やジョークがあり、美女との恋がある。かつての西部でも日本同様、男は黙って云々という文化だったようであるが、女はウェインが自分にいだいている愛情を口と態度に出して表現させようと手を尽くすのが面白い。

街外れの一軒家でドンパチの銃撃シーン。敵は弾によく当たってくれる、一方でヒーロー側は弾がよけてかすめてくれるようで安心して見ていられた。敵方すべてを殺すか逮捕するかして一件落着。美女との恋もうまく収まる。

撃ち合いはそれほど激しく派手ではなく、一方で人間臭さをたくさん盛り込んでいた。保安官のうぶな恋、女が過去を忘れようと保安官との恋に賭けようとする心理、仲間がアルコール依存症を乗り越える体験、老人もまだまだ現役として役に立つことなど、人間模様が散りばめられているから、この作品が人気を博したのだと感じた。
屈しまい今も見据えて屈しまい [2013年09月28日(Sat)]

__tn_20130928144310.jpg朝ドラ「あまちゃん」がとうとう終わった。あまちゃんロス症候群という言葉があるらしい。

朝に見る。そこから朝のリズムができる。私は昼に見る。午後の仕事に力添えとなる。昼に見ることができなかった場合には夜11時に見る。生活の一部として笑顔の源泉として、私も含めて多くの人にあまちゃんが影響を与えてきた。それが終わってしまって、胸にぽっかりと穴が空いた人はどうするのだろう。録画を何度も見て、総集編を期待し、能年玲奈や橋本愛の記事や出演作が気になって、続編を作るようNHKに要望する人もいるかもしれない。

「半沢直樹」も日曜日に終わった。この同時期に大ヒットを飛ばしたドラマに共通するものはなんだろう。「屈しない」ということだ。半沢の最終回ラスト15分だけを見たところから判断すると、半沢は執行役員のお歴々が顔を列ねる場で、堂々と自説を曲げず常務の威嚇にも負けず冷静に自説を開陳する。常務の動機は、脇目もふらず上昇指向に身をゆだねてきた今の自分を守ろうとする保身的思考である。一方で半沢にはこの銀行によって梯子を外されて慟哭した弱者の涙が動機にあった。だから自らも涙・鼻水でくしゃくしゃになりながらも、常務の不正行為を暴いた。屈しなかった。全編が屈しない態度にあふれ、やられたら倍返しにして悪の相手を糾弾する行為に賛意が集まったのだと思う。最終回がドラマ史上最高の視聴率を記録したらしいが、上司に思うようにもの申せなかったり、モンスターに蹂躙される気弱なサラリーマンにとっては半沢直樹ロス症候群がきっとあるに違いない。

あまちゃんは、たとえ目標とする道が断たれたように思えても、自らの努力と強力な助っ人の存在とで獲得していく姿が描かれた。「屈しない」姿そのものである。ヒロイン秋が、アイドルへの道を母という強力な応援団を得て一気にかけ上がったところに象徴されている。かといって、目標とするところにしか理想はない、という限定的な価値観ではない。人間到る所青山ありとは逆に身近な故郷にも理想の地はあると、現状肯定の幸福観を示した。青い鳥は実は遠くにではなく身近にいるということと同じだ。

NHKとTBSが期せずして「屈しない」ドラマの主人公で人気を博した。私は半沢直樹は見なかったものの興味深いドラマトレンドだと思う。いずれのドラマも、超差別的匿名ブログが原因で2ヶ月の懲戒停職を受けた経済産業省のエリート氏とは全く反対に位置する主人公のスタンスである。
純真にアタルよ当たる真犯人 [2013年09月27日(Fri)]

__tn_20130927191418.jpgテレビシリーズは見たことがない。予備知識としては、映画の予告編を観ただけであった。映画『劇場版ATARU the first love &the last kill』は、堀北真希の怪演を楽しみに観た。サヴァバン症候群の能力の高さをどう映像化し中居正広が演技するかが楽しみだった。

少々期待はずれだった。大画面でみる必然性もない。端々に笑いをとろうとドタバタギャグがあったがニヤリとした程度だった。中居の演技力も生かせてなかった。堀北の怪演も中途半端だった。少女の醜さと美しさを同居させて、対比の大きさに息を飲むほどの迫力がほしかった。

そもそも、汚れた大人に罰を与えるという世界観が単純過ぎた。すべての大人を誅滅させるほどの憎しみで堀北をぎらぎらさせるか、一部の大人は捨てたもんではないと信頼を寄せるほどに心が正常になるか、どちらかに偏るほうが面白みがあったかもしれない。まぁ原作があるから仕方がないか。

それでも見どころはたくさんあった。アタルとマドカが荒野ど真ん中の道路で(なぜだかアメリカ大陸)、背中合わせで座ってピストルを構えた構図はバランスがとれて美しかった。ファーストラブと題名にあるとおり、アタルとマドカの心が通い合う最後のシーンもなかなかだ。アタルを心底心配する元女刑事(栗山千明)のことを純真なアタルが理解するところも見どころだ。アタルとマドカがハッキングするシーンも息詰まる。

チョコザイというのは本名なのか? なぜアタルと呼ばれるのか(難事件でも当たるから?)、元女刑事はなぜ警察を辞めたのか、主任(北村一輝)と敏腕監理監の星(松雪泰子)との過去のいきさつはどうなのか。そうしたことはテレビドラマを見ていないとわからないのだろう。たまにはこんな映画もいいものさ。
曼珠沙華ほとけの名前いただいて [2013年09月26日(Thu)]

__tn_20130926214402.jpg彼岸花が咲いている。別名は曼珠沙華。サンスクリット語の音に当て字をふったようだが、意味は天上界の花だとか。いかにも仏の名だ。花言葉は[情熱]、[独立]。強いイメージの一方で、[悲しい思い出]や[あきらめ]といった萎えた気分も漂う。

あの妖艶さはどこからくるのだろう。9月の始めには片鱗すら見せないのに、あれよという間に周りの草を追いこして伸びていく。彼岸の頃に満開となり、一斉に萎れるのも早い。葉っぱもないのに真紅の花が咲く。縦横無尽に広がって艶やかに一帯を染め上げて群生する。葉っぱは花が終わってから、水仙のような細い葉を茂らすというのも不気味だ。それだけではあるまい。根には毒をもつことも妖しさにつながっていく。

稲刈りが終わった畦道に咲く曼珠沙華は燃えているように目立つ。赤い火がメラメラと広がっていくかのようだ。夜が明けて、朝日が辺りを照らし出す直前に見るこの花は、夜気に冷やされてキリリと立っている。
伝わらぬやっぱりそれでも言葉にて [2013年09月25日(Wed)]

__tn_20130925185906.jpg文化庁が毎年行っている「国語に関する世論調査」の平成24年の結果が発表された。いつもながら興味深い。

「自分の言いたいことが相手にうまく伝わらなかった経験があるか」と問われて、63%が「ある」と答えた。年代別でも特に大きな違いはないが、これはある面当然なことだ。だが「伝わらなかったのは自分の話し方が問題」と自省的に考える人は、全体で55%。なかでも10代で80%、20代でも68%と若い年代で高いのは、対人関係に神経質になっていることの現れだろうか。

「コミュニケーションを図る際に難しいと感じることは何か」と問われると、41%が「相手との人間関係を作りながら伝え合うこと」と答え、「論理的に伝え合うこと」の34%を上回った。論理よりも人情を重視する、いかにも日本人だ。だが、理由や根拠を明快に示しても相手が納得してくれるかどうかは、話す方の態度にもかかっている。どちらが大事か、と問われると答えにくいと思う。それは次の問いの「相手から不快感を覚えるのはどのようなことか」と聞かれて、「態度が悪い」とか、「相手ばかりが話している」「言葉遣いに問題がある」という答えが多かったことにも現れているようだ。

「言葉の意味や使い方が分からないときどうするか」という問いに、「紙の辞書を引く」のが最も多く47%だったのが意外だった。続いて「ネット上の辞書」が43%で私もこの派だが、「誰かに教えてもらう」こともある。これが40%。「電子辞書」は22%と意外と少数派だ。「特に調べない」派が4%という結果からすると、皆さん言葉への関心が高まっているようだ。

続いて言葉の用例である。「きんきんに冷えたビール」、「パソコンがさくさく動く」、「ざっくりとした説明」、「気持ちがほっこりする」、「うるうるとした瞳」。これらの言葉はかなり市民権を得てきたような調査結果となっている。

そして毎年のこの調査で定番となった誤用問題だ。

1■役不足
 本人の力量に対して役目が重すぎる51% 本人の力量に対して役目が軽すぎる42%/正解
2■流れに棹さす
 傾向に逆らって勢いを失わせる59% 傾向に乗って勢いを増す行為をする23%/正解
3■気が置けない
 手に気配りや遠慮をしなくてよい43%/正解 相手に気配りや遠慮をしなくてはならない48%
4■潮時
 ちょうどいい時期60%/正解 ものごとの終わり36%
5■噴飯もの
 腹立たしくて仕方ない49% おかしくてたまらない20%/正解

そして慣用句。私はたまに迷って、もごもごと口を濁すときもある。そんなときは後で忘れないように調べたいものだ。

1■つっけんどんで相手を顧みる態度が見られないこと
 取り付く島がない48%/正解 取り付く暇がない 42%
2■実力があって堂々としていること
 押しも押されぬ48% 押しも押されもせぬ 42% /正解
3■物事の肝腎な点を確実に捉えること
 的を射る52%/正解 的を得る41%
4■いよいよというときに使う,とっておきの手段
 天下の宝刀32% 伝家の宝刀55%/正解
5■激しく怒ること
 怒り心頭に達する67% 怒り心頭に発する24%/正解

(写真は可憐な白花、エゴマの花。これを見ていると怒り心頭に発することなどないだろう)
太陽の代わりとなるや菊の花 [2013年09月24日(Tue)]

__tn_20130924183045.jpg今夕は松江大橋から眺めた夕日が美しい。写真には撮らない。私の腕ではつまらぬものにしかならないからだ。およそ景色というものは絵にならない。写真だと、なおさら絵にならない。視覚でとらえた美景が頭の中で感動となって、いいな!と思う。それをカメラのファインダーに収めたと思いきや、出来上がった被写体は小さく貧相な存在だ。あの空気感、迫力が消えてしまってげんなりする。むろんプロやプロ並みのテクニシャンにかかれば相当なものにはなるが、やはり眼前の景色そのものにはかなわない。比較のしようがないほど本物は美しい。

このブログには多く、花の写真を使っている。もっぱら接写したものばかりだ。一面に広がる花の園、群生する花ばな。これらを収めても、ああ撮ったなという記録にしかなってないことばかりだ。失望するから、せめて接写する。ミクロに近づいて花や茎や葉の意外な美しさを拾いだせるのではないかと考えている。

今日の花は先日、しまね花の郷で撮影した花。菊系統の花だ。中心部がキリリとした黄色で、放射状に広がる橙色の花弁が太陽光線のようでもある。太陽はここにもある。そして心の太陽はいずこにもある。
太陽とともに進むは発電で [2013年09月23日(Mon)]

__tn_20130923181039.jpg清水の舞台から飛び降りて太陽光発電システムを設置すると7月末に書いた。ちょうど一週間前に始まって二日間で工事は終了した。国の補助金(太陽光発電普及拡大センターJ-PEC)、出雲市の補助金の手続きは完了し、発電と売電を見える化できるエネルギー管理システム(HEMSヘムス)も10万円定額補助もあとは振り込みを待つばかりだ。私は単に最小限の書類を書き判子を押しただけ。ぜんぶ事業者にやっていただいた。

パネルの製造元はQセルズ。ドイツらしい剛健な造りをしている。発電効率を中心に耐久性や実績という点でパナソニックの製品HITと競い合う存在のようであるが、屋根の形状などからQセルズに決めた。併せて上記のヘムスと、給湯システムの三菱エコキュートも備えた。エコキュートとは夜間電力を利用して空気中の熱を集積した省エネ技術であると、実はこれまで知らなかった。エアコンや冷蔵庫にはもはや当たり前だとか。

太陽光パネルを設置して以降、天気が気になる。ずっと晴れが続いている。幸い発電は順調で昼間の使用電力をカバーするばかりか、売電分も確実に稼いでくれている。電気器具はムダに使わないという節電意識も強くなった。いいことには、屋根が焼けなくなった。パネルで太陽熱を反射してくれるために部屋が涼しくなった。リビングが劇的に過ごしやすくなったことに感動している。

契約した事業者は、有限会社ソーラープロジェクト大社。出雲市内の会社であり 、県内では屈指の設置件数を誇る。打てば響く受け答えがあり、質問に対しても納得できる回答が返ってくる。その場でわからないことは後日確実に返答がある。誠実である。そして社員に活気があり、担当分野は決まっていても一人ひとりの守備範囲が広そうだ。ホームページも充実しており、微に入り細をうがつ説明がある。顔と名前入りのスタッフ紹介で親しみがわくのがなんともよい。清水の舞台から飛び降りる決断をする際の決め手は、なんといっても人であるが、そうした人情と技能との出会いがあったことに感謝したい。

もちろん今後の気象はわからない。どんな過酷な夏が毎年やってきて太陽光パネルを痛めつけるかはわからないし(パネルは高温過ぎると発電効率が落ちる)、 巨大台風や竜巻の危険性だってある。保証は完備しているけれども、この世に不運はつきものだ。それでも私と家族は舞台から飛び降りて、小さいながらも太陽とともに進む航海に旅立った。

(写真はQセルズの発電パネル。ソーラープロジェクト大社の斐川ショールームに展示してある)
冒険の夜明けよ空よ広がって [2013年09月22日(Sun)]

__tn_DSC_3792.JPG台風18号が夏の湿気を一気に押しやって、くっきりした秋の空がひろがった。しばらくは朝のうち日向に出るのが気持ちよく、昼になっても日陰はひんやりとすっきりとした空気だった。数日たつと元の木阿弥。蒸し暑さが戻った。気温が昨日は32度まで上がった。高層雲が増えて、低層にも靄のような雲が薄く広がっている。余計に暑く感じる。夏と秋とのせめぎ合いはしばらく続きそうだ。

早起きした。鉄黒だった空が見る間に変わる。黒緑藍鉄色に。

たなびく雲があった。煉瓦色や不気味なまでの赤橙に染まる雲。日の出前の東の空が明るくなっていく。朝日が当たらない雲の裏側は利休鼠。そして薄いコントラストで暁鼠トキ色もあれば薄紅にも染まる。

目を転じて西の空では珊瑚色で淡い雲。満月から数日目の月。少し痩せて月白である。今日の天気予報は雲が多いという。空の色は薄い。白群色だ。夜明けの空は冒険だ。

(写真は、朝に染まった棚引く雲のような色。山椒の実)
旅をして新たな魅力日本へと [2013年09月21日(Sat)]

__tn_20130921215204.jpg外国からの訪日客が今年はとうとう1000万人を超える見込みだそうだ。観光立国推進基本計画では、平成28年までに訪日外国人旅行者を1800万人にする目標が掲げられている。東京五輪を跳躍台にして目標を達成してほしいものだ。

外国人にとって日本を旅する満足度は高い。大変満足が44%、必ず再訪したいと答えたのが六割にも及ぶ(平成25年版観光白書)。日本の「お・も・て・な・し」の面目躍如といったところだろうか。五輪が拍車をかけて、旅行者の満足は高まるだろう。

日本人の国内旅行においても同じことがいえる。不景気が長引いて旅行の指数も低迷していたが、昨年の統計では持ち直しの兆候がみられる。一人あたり宿泊数が平成23年の2.08泊から昨年の2.24泊へ増えた。旅行回数も一人あたりで、23年の1.30回から24年には1.40回となった。

旅は日常から離れて未体験の風物に接することができる。知らない風景に出会い、上げ膳据え膳の料理に舌鼓をうち、思いがけない人情に触れることができる。何よりも自分自身の今のありようを振り返り、未来への糧となる。旅は魅力的だ。発見の旅に出かけよう。

(写真は、しまね花の郷に咲いていた白いブーゲンビリア。淡いピンクに少し染まって、恥ずかしがる少女のようだ)
まん丸な宇宙の彼方に松江あり [2013年09月20日(Fri)]

__tn_20130920182737.jpgカラッとした松江はどこか清々しい。そして綺麗だ。何が綺麗かと考える。古い町並みのたたずまいが確かに綺麗だ。抜群だと思う。別に古い武家屋敷の町並みでなくてもいい。ごくふつうの民家の庭先に植えられた花や木、屋根の感じにどことなく風情がある。街路には多くの松がある。黒松だから派手さはないし、陽をさえぎる木陰もあまりない。だが、しっとりと馴染んでいる。バックに松江城の借景があり、堀割の水辺が目の前に広がれば、なおさら品よく町並みが映えてくる。適度に都市化しているのも魅力的だ。20万の人口、旧松江で14万人。適度な規模の町である。特に都会地から帰った時、町のたたずまいが魅力的であることに改めて気づく。

松江は宍道湖の夕陽が有名だ。夕焼けが美しい景観には条件がある。広々と眺望が開けて、湖や大河があり、山やビルなどさえぎるものがないこと。つまり空が広くて、水辺がその広さを拡大していくこと。水面に空を映すことで眺望は広がる。

文豪や名随筆家の手になる名文とともに紹介される幸運に恵まれれば、その眺望は全国区となる。松江はその役割を小泉八雲や志賀直哉などが引き受けてくれた。箔がついてくる。人が皆、ああ宍道湖の夕日は綺麗だ、松江はいい町だ、と褒めそやしてくれる。ますます評判は広まる。いいことづくめだ。

昨夜は仲秋の名月だった。十五夜の月に照らされて、松江の町並みはいっそう気高く映っていた。湖面を眺めるところまで歩くことはなかったが、雲ひとつない漆黒の空を月明かりが月色に染め上げていた。一人であるいは愛する人とともに空を見上げて、どの人も幸福な月見をしたことだろう。松江は美しい町だ。と書くのは、あまりに身びいき過ぎただろうか。
ゆるキャラに島根の明日をかいまみて [2013年09月19日(Thu)]

__tn_20130919183659.jpgしまねっこは、こう言っている。
≪島根県観光キャラクターのしまねっこにゃ!今年は去年の6位を上回って、日本一有名じゃにゃい島根県を有名にするのが目標にゃ!!しまねっこも頑張るから、ぜひみんにゃも投票してもらいたいにゃ。よろしくにゃ!!≫

神社の屋根の上に千木(ちぎ/クロスする部材)と鰹木(かつおぎ/棟に直角に並んだ部材)を配置して全体が鮮やかな黄色でデザインされた「しまねっこ」。去年はゆるキャラグランプリで6位に甘んじた。今年こそ頂点に上りたいと頑張るしまねっこだ。ほっぺには赤い渦巻きがかわいらしい。

一昨年熊本のくまもんが第1位に。その後の活躍はご存じのとおり。全国一地味な?島根にとって、しまねっこが活躍してくれれば、島根の知名度が高まるだけでなく、経済効果も大きいにちがいない。投票は11月8日まで。現在のところネット投票で5位。皆さまの熱き支援をお願いしたいところです。どうぞよろしく! http://www.yurugp.jp/index.php

(写真は、いま売り出し中の島根特産、シャインマスカット。ぷりぷりした歯ごたえがたまらない)
偉大なりマザーズタッチで手当てして [2013年09月18日(Wed)]

__tn_20130918182955.jpg温かい手、柔らかい指の動き、ここちよいリズムで肩をもむ。腰をつまみ、二の腕をマッサージする。いや、するのではなくて、揉んでもらう。自分では肩をゴリゴリして、必要な箇所をストレッチングするのがせいぜいだ。他人に揉んでもらうのがいい。信頼できる人、マッサージの心得がある人ならばもっといい。マザーズタッチという言葉もあるとおり、おかあさんの手は万能だ。痛がったり、しんどかったりする我が子の体をさすったり、揉んだり、単に手を当てているだけでも、痛みは和らいでいく。それが「手当て」の語源。母は偉大なり。

酷暑の疲れが出てきたのか、肩が凝る。右肩から右の肘辺りまでこわばっている。今こうしてスマホを左手に持ち、右手で操作していると、右手全体が震えるような感覚がある。いかん、いかん。投げたまんまにしておけば、体全体が不調となってしまう。帰ってからストレッチをしよう。ゆっくり風呂に入って、今夜はパソコンに向かうのは最小限にしておこう。そして家人にマッサージ。もちろん母ではないが、十分マザーズタッチの代わりとなってくれるものと思う。早いうちにマッサージ師の施術を受けることにしようか。あの一時間は至福の時間。効き目は数日しかもたないが、あの気持ちよさったら、たまらない。もう、半年以上ご無沙汰だ。
秋晴れに日陰を縫って歩くとき [2013年09月17日(Tue)]

__tn_20130917182108.jpg台風18号の被害もまた甚大に広い範囲に及んだことは残念だ。今日は9月17日、68年前の終戦の年。鹿児島に上陸して列島を縦断した枕崎台風は、死者・行方不明者3700人以上を出すという空前の被害を引き起こした。特に広島県では2000人を超える犠牲者があり、原爆の惨禍に追い打ちをかけた。そのときの最大気圧が916hPaだったということだ。

今回は気圧は弱かったが、南洋の高い海水温からくる湿気の来襲で広大に雨が降った。京都の嵐山であれだけの浸水があるなんて、見たこともない。滋賀や福井でも被害があった。亡くなられた人もおられる。埼玉や群馬では竜巻もあった。被災された方々にお見舞い申し上げたい。この夏は災害列島の趣を呈してしまった。暑さに雨に竜巻、人ごとと思うわけにはいかない。いざとなれば「まず第一に命を守る行動をとるべし」と教えられたのが、この夏だった。

一転して今日は朝から台風一過の晴れ間が広がった。出雲では昨日の夕方から澄みきった青空が、徐々に暗闇に沈んでいった。雲ひとつない空が淡いオレンジ色や茜色に染まり、闇の濃さを増していく。西の空にはきらめく曙光。宵の明星すなわち金星が存在を強烈に主張していた。空の暗さが増せば増すほど金星が強くなり、新しく光り始めた星星を従えた。もう十日目くらいの肥えた月がありはしたが、星の数が多かった。月がなければ天の川もくっきりと見えたにちがいない。

朝が寒く感じたのはこの秋初めてだ。今朝は20度を切る最低気温。寒いはずだ。二週間前までは日陰を縫うように歩いた。しかし今朝は日向を歩いた。空気がすっきりとヒヤリとしている。季節は代わった。もちろんすぐに晩秋を迎えるはずはないが、秋は一進一退で深まっていく。
イタズラとイジメは快感なるほどな [2013年09月16日(Mon)]

__tn_20130916112632.jpg菅野仁氏の「友だち幻想」をひいて、イジメるなというメッセージは人道問題という以前に巡りめぐって自分がイジメられないための防御だと紹介した。イジメに関して他の視点があったので紹介する。

≪多くの人が大人になると忘れがちなことだ。子どもがイタズラをするとき、それが悪いことだとよく理解していないという善悪判断の問題もあるが、それだけではない。そこには楽しさや興奮が伴うのである。イタズラをして、他の人がひどい目に遭ったり、困ったりするのをみるのが面白いのである。快感や愉楽という報酬を伴うから、ついやってしまうのである。
 快楽殺人のような、テレビをにぎわすような異常性の強い犯罪は特別なものと思われがちだが、こうした子どものイタズラとむしろ似ているのだ。
 イジメにしても、同じだ。(中略)イジメは快感なのである。麻薬のようにクセになる快感なのである。だから、容易には止められないという一面 をもつ。その証拠に、イジメが始まるまでは何年かの間、何事もなく一緒に過ごしているということも多い。ところが、いったんイジメが始まり、そこで適切な対処が施されないと、それ以降は両者が顔を合わせている限り、ずっと続いてしまいやすい。麻薬を覚えるのと同じことが起きていると考えれば納得がいく。(中略)DVや虐待についても同じことが言える。≫

 (『あなたの中の異常心理』岡田尊司著,幻冬舎新書,2012年)

なるほど快感か。昔わたしも飼い猫をいたぶったことがある。可愛がっていたのだが、殴ったりつねったり、あげくのはてはヒゲを切ったりしたのだが、それでもなついて寄ってくる。それがいとおしくて、逆になぐった。あの頃わたしは何か不安定だった。猫にイライラをぶつけていたのだ。快感と後悔が混じった複雑な気持ちをかかえていたことを思い出す。あの気分からすると、イジメや虐待する者の気持ちはわからないでもない。 だが、一時の快感はあっても心は確実に蝕まれている。
音楽とダンスで反戦米国人 [2013年09月15日(Sun)]

__tn_20130915230326.jpg映画『ウエストサイド物語』には、ジェームス・ディーンが出演しているとばかり思い込んでいた。あれだけ有名なのに観ていなかったので、いつの間にかそう思い込んでいた。「新・午前十時の映画祭」で観たこの映画。すごい映画だった。

音楽や効果音がすごい。レナード・バーンスタイン作曲で冒頭から緊張感漂う金管楽で期待感を高めてくれる。ジャズやクラシック、サンバなど織り交ぜながら、対決前の緊張感も恋の芽生えも恋の高まりも失望も終わりも、力強くあるときは甘く、歌い手兼踊り手の若い役者たちからよさを引き出した。有名な音楽がたくさんあった。特に愛しあう頂点に立った二人が睦み合い歌う「トゥナイト」がすばらしい。

 Tonight,tonight. It all began tonight
 I saw you and the world went away tonight,tonight.
 There's only you tonight.
 What you are,what you do,what you say.......

「ロミオとジュリエット」のオマージュであることを知らなかった。マリアはジュリエット、トニーはロミオに相当する。ロミオとジュリエットは、すれ違いの末に死出の旅に立ち、モンタギュー家とキャピュレット家相互の血で血を洗う争いに終止符を打った。ウエストサイドは、トニーが銃で撃たれて死に、マリアは憎しみ合いの無益さを説き、ジェット団とシャーク団の両グループの争いを終わらせた。

ジェットはイタリア系で移民としては古株だ。一方でシャークはプエルトリコ系で新参者となる。古株が新顔を差別し領分を守ろうとする意地の張り合いがあった。粋がった不良少年たちはリーゼントに髪を固め、当時のファッションに身を固めつつ、けんかに 明け暮れていた。すごいダンスだ。計算され尽くしたフォーメーション。表情はもちろん手指の先まで神経が行き届いている。楽しさも緊張感もすべて踊りから伝わってくる。色もすごくいい。色あせたニューヨークの下町からパーティでは一転。着飾った若者たちの色鮮やかなこと。観ていて気分が高揚した。

1961年の映画であるから、アメリカでは人種差別は激しく公民権運動が盛んに行われている頃だ。反戦映画でもあろうかと想像する。ケネディ大統領は東西冷戦の代理戦争として戦端を拡大し多くの若者をベトナムに送り出していた頃だ。トニーの雇い主が血気にはやる若者に「まだお前たちは戦争を続ける気か」と吐き捨てるように言う。ウエストサイドには、反戦の思いが強く漂っている。

ちょうど昨日はDVDで『プラトーン』を観たばかりだ。先月ヒロシマ原爆の日に式典に参列したオリバー・ストーン監督の映画。理不尽な戦争、貧富の差が貧しい若者を従軍に追いやる戦争、ジャングルに隠れた敵がいつ攻めてくるかわからない恐怖の戦争、民間人も敵とみなして虐殺してしまう戦争。そうしたベトナム戦争の不可解さをエグく描いた映画だった。『ウエストサイド物語』は軽快なダンスに憎み合い殺し合う戦争の愚かさを表現している。
躍進の自虐のネタで島根かな [2013年09月14日(Sat)]

__tn_20130914165705.jpg新設なった日経リサーチアワード2013地域ブランド大賞で、島根県が「総合評価躍進賞」を受賞した。(株)日経リサーチが以前からの収集データをもとに団体を評価し表彰するものである。地域ブランド戦略サーベイ2013の結果によると、島根県は前回調査(2010年)から順位が46位から35位に躍進したということだ。総合評価得点の第一位は北海道。さすが北海道、言うことない。

島根を審査員はこのように評している。「全国的な理解度の低さを逆手にとった自虐的キャンペーンが、そのユニークさで県内外の注目を集めただけでなく、出雲大社、石見銀山、隠岐の島、海士町など魅力的な観光資源の活性化など、2002年にしまねブランド推進課を設置して取り組んで きた長年の努力が一定の成果をあげてきたと評価できる。」

うーん、鷹の爪団の吉田くんをもってきたか。自虐がやけに目立っている。ここ数年話題になっている吉田くんの自虐カレンダーのコピーを紹介しておこう。

 島根は日本の領土です。
 元祖過疎県。
 天国に近い県。
 広島に近くて便利。
 妖怪が多いのが、鳥取です。神様が多いのが、島根です。
 日本で47番目に有名な県。
 世界遺産があると言っても、信じてもらえない。
 いいえ、砂丘はありません。

壁掛け版と卓上版があって、どちらも人気があるらしい。しかも両者はまったくダブっていないとか。壁掛けで1,470円、卓上版が 840円。興味のある方はどうぞお買い求めを! 全国どこでも売っているわけではない。ニッチな世界だ。

(今日はやけに暑い。蒸し暑さがぶり返したから、今日の花は朝顔)
世界へとモテナシテルとクリステル [2013年09月13日(Fri)]

__tn_20130913222906.jpg滝川クリステルが五輪最終プレゼンで強調した「お・も・て・な・し」。理知的で整った顔。笑顔になったときの目が少したれるのも可愛らしい。紺とストライプのユニフォームに青いスカーフで黒髪、十分セクシーでした。しかも美しい発音のフランス語は文句ないでしょ。さらに微笑にははにかみも感じられて好ましい。内容がいいですね。「お・も・て・な・し」―日本に根づいた精神で皆さまを東京五輪にお迎えしますと。

「おもてなし」は「お・もてなし」。待遇や饗応のことです。もてなしに丁寧語の「お」をつけて「おもてなし」。心をこめてお客さまのお世話をすることですね。となると、「お」は尊敬を意味することにもなるのでしょう。「おもて・ なし」ではないですよ。表がない、面がないと大変。裏ばかり、裏地ばかり、裏座敷ばかりであれば、きれいな日本を感じてもらえませんよね。なんといっても「お・もてなし」です。

堂々とお客を迎えるときは今から7年後。日本の心を体験シテル?と外国人に問いかけましょう。2020年に日本に五輪をお迎えすれば、ジャパンの面目も立ッテルかしら。面も振らず、わき目も振らず、まっしぐらに日本人は進ンデル。面を輝かせて、希望の思いを溢レサセテル。頑張ッテルのはいいですが、顔がひきツッテル、態度がぎこちないのでは、せっかく来日してクレテルお客さまを和ますことはできません。顔晴ッテル、でなくてはいけないですな。クリステルがプレゼンした日本の一面。モテナシテル日本。まずは日本人自身がニッポンを愛シテル、と堂々と宣言したいものですね。喜ンデル? 楽シンデル? 光ッテル? 復活シテル? モテナシテルうちに輝いていきますよ。

(写真はムラサキシキブ。日本的な名を与えられたこの植物が輝いている)
知恵は湧き根をつめたら儲かるか [2013年09月12日(Thu)]

__tn_20130912202525.jpg知恵は湧いて出てくるのか、頭を絞るようにしてひねり出すのか。昨日の新聞を読んで、頭は使いようだと思った。

朝日新聞によれば、宝くじロト6の当選番号をあらかじめ教えると持ちかけて、300万円を騙し取った男がいたらしい。その男は相手の60代男性に、ネットでライブ中継の抽選会を見るよう電話で働きかけて発表前に当選番号を言い当てた。信じた60代氏は情報提供料として金を振り込んだものの、次の抽選では番号はかすりもせずに撃沈。騙されたと思い60代氏は警察に届け出た。

そのカラクリは簡単で、ネット配信は実際の公開抽選会よりは数十秒遅れる仕組みとなっており、それをまんまと利用したものだということだ。

騙されるほうが悪いと言ってしまえばそこまでだが、世の中には裏がある、労せずして濡れ手にアワと儲けている奴等はたくさんいるに違いない、自分だってその仲間入りをしたい、と口車にのせられてその気になってしまったことの悲劇だ。

これは悪い知恵ではあるが、アイディアの元はたくさん転がっている。それに気がついて磨きあげて、手間をかけて、詰めを甘くせずにやっていけば、何らかの成果は出てくるものだ。才気と根気、そして運気はなくてはならないしろもの。となると、悪銭身につかずという。悪知恵ばかりの当のロト詐欺師は運気が落ちて、たぶん一時は儲けても幸せにはなれないのに違いない。
仲秋に月が肥えるは夜長かな [2013年09月11日(Wed)]

__tn_20130911183848.jpg話題につまっているので、列車の待ち時間で今夕は20分を制限時間にして。季語は『仲秋』または『中秋』。

灼熱に身悶え終わる仲秋や
上弦が澄んで待つのは中秋の月
仲秋に扇子あおぐは男かな
夕六時早く暮れるは仲秋よ
仲秋に楽しレジャーの計画か
赤とんぼ紅い夕空仲秋よ
穏やかに暮れて宍道湖仲秋や
涼しさが再び蒸して仲秋よ
中秋の名月待つは食いしん坊
仲秋に休み終わって仕事師や
涼しさに温泉行きたし仲秋や
八月は陰の暦は仲秋よ 今の暦は酷暑なり
仲秋に食欲のとき近づいて
芸術に触れたし今は仲秋よ
人が中ひとが恋しや仲秋よ
枯れません夏が元気な仲秋や
駆け込みて汗が吹き出す仲秋や
仲秋に立ちて目指すは年の瀬を
灯をともし歩く夜道や仲秋よ
琴座からカシオペアにバトン仲秋や
ポスターの美女は斜めにあでやかに [2013年09月10日(Tue)]

__tn_20130910184404.jpgポスターの美女が微笑んでいる。ポスターのアイドルが抑えた笑顔でニッコリしている。アイラインが厳しめの美女は少し挑戦的で笑っていない。

ついさっき、化粧品店の店頭でポスターを見ていて感じたことだ。西洋のモデルも、日本の美形女優も、一様に斜めに視線を向けている。カメラを斜め横に見て、上を見上げたりしているが、いずれも45°か60°くらいの位置から写っている。なぜ正面から撮らないのだろうか、疑問に思った。

斜めからの視線は媚びる視線を生む。ねえ買ってちょうだい、私はこんなに綺麗でしょ? あなただって一緒にこうなれるのよ、どうですか、あなたも。そんな媚びた言葉がモデルの目から発せられるような気がする。媚びるまでのことはなくても、強い自己主張はほどほどにして、可愛らしいでしょ? あなたもきっとこうなるよ、と買い手の気持ちをくすぐっていくのであろう。

一方で正面からの視線は、前を見据えた目がまっすぐに届く。夾雑物なく、強めに届く。あなたのためよ、わたしは真剣よといった純粋な気持ちはしっかりと感じられる。いかんせんキツイ視線になってしまう傾向がある。しかも、相手から正面の顔を眺められるということは、顔の欠点をありのままさらすことになる。正面は欠点を露にしてしまう。

ところが斜めから眺めると欠点が隠れやすい。陰影ができたり、頬の膨らみや鼻の形がアクセントになったりして、場合によっては欠点を隠すばかりか、チャームポイントにすることだってできる。

カメラマンに向かって美女たちは様々な表情と姿態で自分をあらわす。どんな有名女優であろうが、強靭なスポーツウーマンであろうとモデルとして満開の自己を表現する。慣れない初々しいモデルさんであっても、表現する喜びに浮き立つという。気がつかなかった自分の側面を、この斜め目線は表しやすいと言えるのかもしれない。

その商品を買って装う女性たちは、イメージした自分になれるよう努力する。叶う場合もあるし、失敗することもある。その前哨戦をモデルさんたちはポスターの中で演じてみせる。そう考えるとポスターの中には、過去もあれば未来もあると感じられる。
九と九救急のひと乗せていく [2013年09月09日(Mon)]

__tn_20130909183451.jpg今日は9月9日。語呂合わせのとおりで、救急の日だ。30年あまり前に厚生省が制定したということだ。けたたましくサイレンを鳴り響かせて急ぐ救急車。救急救命士が車中で気管挿管や薬剤注射をすることはもはや当たり前となった。ドクターヘリも多くの県で導入されている(島根は去年から)。コンビニ受診で疲れきった医師がリタイヤして医師不足や診療科減といった問題に直面するところも多くなったが、今や救急医療は私たちの生活に不可欠だ。

時折運転していると、前や後ろでサイレンが聞こえるときがある。患者のもとへ急ぐのか、救命救急センターまで一刻を争っているのかはわからない。だが、あの中では急病や大ケガでもって苦しむ人と親族の焦りや悲しみの人生が織りなされていることは間違いない。ただちに道を空けて、救急車には道を急いでもらいたい。無事と早い回復を祈る。
TOKYOに世界を向けて五つ輪で [2013年09月08日(Sun)]

__tn_20130908081522.jpg「TOKYO」の[TO]と[KYO]とが同じ強さで発音されたのが印象的だった。ロゲIOC会長は[TOu-kyo]と言わずに、[to-kyo]と日本語風に発音した。2020年の夏季五輪・パラリンピックが東京で開催されることが今朝ブエノスアイレスで決まった。1964年以来56年ぶりだ。1972年札幌、1998年長野の冬季五輪に続き、日本では4度目となる。朝の5時から発表と言われていたのに、プレゼンのおさらいなど儀式が長かった。5時20分ごろ、ロゲ会長は五輪印の封筒から厚紙を取り出すやいなや、今度はもったいぶらずに[to-kyo]と言った。

イスタンブールは5度目の挑戦。海峡運河の美しい景観、東洋と西洋の架け橋として有名な観光地。イスラム圏初という称号もある。内戦が激化し米国攻撃が 予定される隣国シリアがある故に、逆手にとって平和のメッセージを委員にも届けようとした。マドリードは3度目の挑戦。スペインのフェリペ皇太子(セーリングで五輪出場、旗手も務めた)が陣頭に立った。なにせバルセロナ五輪からまだ10年あまりしかたっていないのは難しいところだったろう。しかもスペインは経済危機問題を抱えている。

日本はパラリンピック陸上の佐藤真海選手(気仙沼出身)がスポーツに与えられた力と震災復興への決意を語った。福島第一原発の汚染水問題も質問されたが、安倍首相が科学的根拠に基づいて放射能はコントロールされており健康問題はないと確証した。全体として、安全かつコンパクトな開催計画、確実な運営能力が評価された模様だ。

景気はよくなるだろうが、選手育成、各種指導団体の暴力傾向、首相が約束した海外への指導者派遣などたくさんの問題を解決していかなければならない。まさに夢の祭典が現実化した次の段階は、スポーツの裾野を広げ、産業雇用や教育など日本人が生きるエネルギーを高めていかなければならない。東京には虹がかかったとニュースは伝えていた。

会期はすでに決定している。五輪が2020年年7月24日から8月9日。パラリンピックが8月25日から9月6日まで。プランどおりかそれ以上に両大会の準備が進むこと、そして残虐なまでに厳しい猛暑でないこと、それまでに大地震が起こらないことを祈っている。
許すのか非道な攻撃シリアへと [2013年09月07日(Sat)]

__tn_20130907201707.jpgロシアは米国がシリアを攻撃した場合にも、軍事、経済多くの面で支援を続けてきたシリア・アサド政権への支援を続けるという。G20首脳会議でも反対する国は多い。イギリスはすでにアメリカに同調しないと議決し、フランスも単独では動かないと決めている。その他の国も慎重であるし、なかでもアメリカ国内に反対世論が根強い。

シリア国内においては、アサド政権が反対勢力と対決する単純な図式ではなく、周辺国やイスラム勢力も巻き込んだ代理戦といった様相もあり、アサドを除けばめでたし、ということにはならないだろう。アメリカのシリアへの攻撃が始まれば(おそらくイスラエルも一緒に動く)、シリアと結ばれているイランが友だちの敵は敵として、アメリカやイスラエルに攻撃を仕掛けたり、ペルシャ湾を封鎖する行動にも出るかもしれない。日本への原油は大きな打撃を受けることは間違いない。

アメリカはシリアが使ったとされる化学兵器について、こんなふうに非難する。毒ガスを使用する化学兵器は、多国間の化学兵器禁止条約でも使用が禁止されており(シリアは署名してない)、しかも非人道的な兵器であり、無辜の一般国民を犠牲にしたことは許し難い。黙って見過ごせば周辺国、なかでも隣国イスラエルは危険にさらされる。テロなどアメリカへの脅威ともなり、世界平和を大いに害する。だからアサド政権を叩くのだ、と。

「非人道的な兵器」。かつてイラクの都市を無差別なまでに爆撃し、フセインに関係のない市民をも殺しまくったアメリカの罪はどうなるのだ。そして核兵器はどうだ。ヒロシマ、ナガサキに原爆を落としたのは、戦争終結を早めるためと後でとってつけた理由を述べているが(もちろんソ連が参戦して焦ったこともあったが)、せっかく造ったのだから使ってみたいという幼児的な理由が、その根本だったにちがいない。アメリカの歴史こそ非道な罪に血塗られている。そのアメリカにシリアを爆撃する理由は見あたらない。
信頼し眠っていよう人前で [2013年09月06日(Fri)]

__tn_20130906184040.jpg今朝の列車で4人掛のボックス席でのことだ。私以外に3人。隣のボックスに4人が座っている。うち本を読んでいたのが私を含め2人。新聞を読む人が1人。スマホが1人(珍しく少ない)。あとの4人は眠っていた。寝入っているのか、音楽を聴きながら目を閉じていただけなのかはわからない。

欧米人は公衆では眠らないという。確かに、襲われるかもしれない。盗まれるかもしれない。いたずらされたり、不慮の事件事故に対応できない可能性もある。そもそも眠りとは密かなプライベートであり、人前ですることは恥ずべきことだという気持ちが大きいのかもしれない。

朝日新聞の書評で萱野稔人氏(津田塾大准教授)はこう述べる(『世界が認めたニッポンの居眠り/通勤電車のウトウトにも意味があった!』/ブリギッテ・シテーガ著,畔上司訳,阪急コミュニケーションズ)。

(欧米人には衆人環境で眠るという発想そのものがなく)≪そうした常識をもつ多くの欧米人にとって、電車内でも授業中でも喫茶店でも会議中でも居眠りをする日本人の姿は驚きの対象にちがいない。(中略)私たちが日ごろ当然のようにおこなっている居眠りを考察することが、ここまで日本社会の特質をあぶりだすことになるのかということを発見させてくれる、とても知的で楽しい本だ≫

今は帰りの列車。4人は本と雑誌。1人はスマホ。あと女性二人が眠っている。起きている気配もあるが、目を閉じてしまえば外界の刺激には鈍感になる。それだけ、安全神話は日本には根深いし、まだまだ十分に安全なのだ。ましてやここは島根。安全この上ないと言い切ってもよい。

では周りの人を信頼しきっているのか? いやそうではあるまい。信頼して委ねることができれば、社会はこんなにギスギスしていまい。ならば何故こんなに眠っていられるのだろうか(私もよく眠る)。ともあれ眠るのは幸せだ。体や頭の疲れがとれる。目を閉じればいつの間にか舟をこぐ。なんて気持ちがいいんだろう。眠りはきわめて有益なリラクゼーションであることは間違いない。社会が安全でいられるうちは、日本人は衆人環境で眠っていれたら幸せだ。
珈琲の薫りと味にひたされて [2013年09月05日(Thu)]

__tn_20130905194745.jpg珈琲は健康に有害なのか、それとも益なのか。興味深い研究成果がでた。まずは前提としてカフェインは劇薬であること。10gが致死量。強心剤や中枢神経亢進剤として適度に投与すると薬となる。10gというとコーヒー100杯分なので死ぬ心配はない。ご安心を。

そこまで飲まなくても、55歳未満で週28杯以上(1日に4杯以上)コーヒーを飲む人は早死にする。先日報道されたアメリカの医学専門誌掲載に関する記事である。20歳から87歳の男女約4万人を16年間にわたって調査したところ、55歳未満で1日4杯以上飲む人は飲まない人と比べて死亡率が男性で1.5倍、女性では2倍に上るという。4杯未満や55歳以上の年齢層では有意な差はなかったとか。これから言えることは、若い人はコーヒーの飲み過ぎに注意すべしということだ。

コーヒーの成分がどう結びついて死をまねくのかは全く不明であるが、コーヒーを大量に摂取する人は喫煙者であったり、運動不足といった傾向があることも、死亡率を高める要素となるとの指摘がある。これまではコーヒーには病気の抑制効果があると言われていた。ポリフェノールに癌抑制効果があり、抗酸化作用が糖尿病を予防する、あるいはアルツハイマー病のリスクを減らすというものだ。

一方で、ニューイングランド医学誌に公表されたデータが昨年5月に報道されている。米国の50歳から71歳の男性22万9千人と女性17万3千人を対象にした疫学調査である。最長14年の追跡調査で確認された死亡によって、生活習慣とコーヒーの相関関係がわかっている。

ここでもコーヒーを多く飲むグループのほうが死亡率が高いことに変わりはないが、コーヒー多飲グループは少飲グループに比べて不健康だという。喫煙、多量飲酒、肉の多食、野菜や果物の少食である。そこで、不健康要因の影響を統計的に除去して分析すると、コーヒーを多く飲むほど総死亡率も低くなる傾向があったという。

コーヒーを飲まないグループの総死亡率を1とした場合、1日1杯未満が0.99倍、以降徐々に下がり6杯以上で0.85倍であったという。嬉しい数値だ。死因別に見ても、コーヒーを多く飲むグループは、癌を除き、心疾患、呼吸器疾患、脳卒中、外傷や事故、糖尿病、感染症による死亡リスクが低かったという。トータル40万人という大規模で長期間にわたる追跡調査。こちらを信じて私はこれからも楽しい珈琲タイムを過ごそうと思う。美味しい珈琲をたくさん飲みたいなあ。

死ぬか死なないか、もちろんそれは統計的な話。コーヒーを飲むことと死の因果関係は明解ではないし、私自身の死とは即につながらない。むしろ恐れすぎること、反対に信じて際限がなくなってしまうこと、が恐いことだ。
ジンメルはつながり求めて距離保ち [2013年09月04日(Wed)]

__tn_20130904191152.jpg朝の列車に読み終えた本を置き忘れてしまった。書名は『ジンメル・つながりの哲学』。社会学者兼哲学者のジンメルが説く近代における人間どうしをつなげる観点。適度な距離を保ちながら良好な社会関係をつくり、協和の組織を形成するための社会論であった。百年以上も前のドイツの人でありながら、今の時代に適合する微細な感覚がある。

自分のすべてをわかってもらうために相手と親密になり過ぎるのは、自分の分身を相手に求めることとなり、関係は破綻する。相手は自己とは違う他者であると認めた上で期待し過ぎずに、自己表現してつながれば幸せを味わうことができる。。。。そんなことが書いてあった。

松江駅で夕方に申告したが見つからない。悔しいが仕方がない。同じ著者の本から引用する。

≪学生たちにいつも言うのが、「生徒の記憶に残るようなりっぱな先生をめざすことは、必ずしも必要ない」ということです。(中略)たしかに忘れられないすばらしい恩師に出会えた人は幸せです。(中略)
 私から言わせれば、先生というのは基本的に生徒の記憶に残ることを求めすぎると、過剰な精神的関与や自分の信念の押し付けに走ってしまう恐れがあるからです。だから生徒の心に残るような先生になろうとすることは無理にする必要はなく、それはあくまでラッキーな結果であ るくらいに考えるべきで、ふつうは生徒たちに通り過ぎられる存在であるくらいでちょうどいいと思うのです。自分が受け持ったいろいろな生徒のなかで、とても幸運なことに「ああ、あの先生よかったな」と記憶に残してもらえたならば、それはもうラッキーこの上ない、満塁ホームランみたいなことなんだというくらいの構えでいいと思うのです。(中略)学園ドラマの先生のようなことをやろうとすると、生徒の内面を無理矢理いじることになるから、それはとても危険なことなんだよ、ということを学生たちには伝えています。≫
 (『友だち幻想〜人と人とのつながりを考える』菅野仁著,ちくまプリマー新書2008年)

(コメント)
引用されている本を先週読みました。
教師・生徒間、生徒同士で適度な距離感を保ち、良好な人間関係を築くのはやはり難しいですね。金八先生には簡単にはなれません。地道にヒットを打ち続けたいと思います。
作成者 教師3年目 : 2013/9/5 (木) 17:48

なるほど、立派りっぱ。特に生徒間で適度な距離感を保っているかどうかを人知れず確認し、いざとなれば弱い立場の子を守れるかどうかが肝心かもね。ヒットマン、健闘を祈ります。
作成者 学園をとこ : 2013/9/5 (木) 21:29
ドロシーは風に舞い来て魔法へと [2013年09月03日(Tue)]

__tn_20130903130216.jpg地震、雷、火事、竜巻、、、、。
昔から怖いものの代名詞として伝えられてきたのものだ(ありゃ、違うか)。そもそも日本にはつむじ風はあっても竜巻は存在しなかった。竜巻はオズの魔法使いで出てくるカンザス州、ドロシーの世界にしかなかった。

昨日の午後、埼玉・越谷から千葉・野田にかけて竜巻が駆け抜けて大きな被害を出した。車を横倒しにし、自転車を空に舞わせ、屋根を飛ばし、ガラスを散乱させて、何百棟もの建物が全半壊した。多くのけが人も出た。日本では最強クラスの竜巻だと予想されている。

巨大な回転する積乱雲、スーパーセル。巨大な灰色の柱が、不気味に着々と近づいて、あれよという間に物をなぎ倒し吹き上げながらすさまじい音とともに通り過ぎていく。

暑さと降雨の極みに達したこの夏の異常気象。アメリカ仕込みのグローバリゼーションが席巻するこのご時世。気候までアメリカに習ってグローバル・スタンダード化することもあるまいに。
美術品庭園ともに芸術よ [2013年09月02日(Mon)]

__tn_20130902075957.jpg膨大な時間が押し留められている。蓄積されている。創設者が私財の多くを使い横山大観ほか芸術品を蒐集した。庭もともに芸術でなければならないと信念を貫き力を尽くし時間を費やした。庭師が持てる力のすべてを出し尽くして庭園を造り今もなお日々手入れと改善のために手間をかける。それを楽しむ観客は気のおけない友人や家族たちと撮影に興じ、絵とともに至上の時を過ごす。島根県安来市にある足立美術館には、こうして膨大な時間が留められている。

十年以上にわたる日本庭園日本一。足立美術館に与えられた見事な称号。米国の日本庭園専門誌「Sukiya Living(数奇屋リビング)/ ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が、毎年発表するランキングである。

大観以外にも巨匠が描いた多くの日本画がある。北大路魯山人や河井寛次郎の陶芸品でも名高い。林義雄などの童画も多くて、時間を忘れて楽しめる公益財団法人足立美術館でしばらく前に楽しんだ。

(庭園の苔庭に這う毛虫もなかなか芸術的だ)
気配消すケータイ/スマホ危うきに [2013年09月01日(Sun)]

__tn_20130901123913.jpgケータイ/スマホは気配を消す。どういうことかというと、ケータイ/スマホを使う当の本人からみて、周囲の気配を消してしまうのだ。街中や電車の雑音、車の音、歩いて来る人の様子が聞こえない、見えないことになってしまう。集中して画面に見入ったり話し込んだりしていれば、目には入っていても状況が判断できない場合もある。要は周囲の動きに鈍感となって、忍び寄る危険にさらされてしまう。雑音は、いざとなれば命を守る貴重な情報源となるからだ。

遮音性という点で典型的なのは、ノイズキャンセリング・イヤホンやヘッドホンという製品をBOSEが売っている。極めて効率的に外部の音をカットできて屋外で音楽を聴くのには最適のようであるが、遮音された状態で雑踏を歩いたり人通りの少ない道を行くことはとても危険だ。

しばらく前に、東京の小学生がケータイかスマホを操作しながら地下鉄ホームを歩いていて線路に転落する事故があった。そして、今ニュースをにぎわすのが、三重・四日市の中学生の事件である。彼女はおそらく、花火を友人と観て存分に楽しんで高揚した気分で家路を急いでいただろうに、なんとも痛ましい。捜査本部は、何者かに後を付けられて襲われたのではないかと予測している。

ここにケータイ/スマホという便利なコミニュケーションツールが、場合によっては凶器となって周囲の気配を消してしまう危険性が表われている。夢中になってSNSでの会話に興じれば周囲が見えなくなる。迫り来る不審者の影を感じられなかった可能性が十分あるケースだ。もちろん断定はできず、ケータイ/スマホがなくても起こった事件かもしれないが、ともあれ彼女の冥福を祈る。合掌