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白い闇ホワイトオールの世界なり [2013年05月31日(Fri)]

__tn_20130531072400.jpg白い闇が世界を覆った。闇がすっぽりと地上を包んだ。正面も横も後ろも白。見上げても白。ただ足下だけに地面が見える。

歩くうちに電信柱(ああ何て懐かしい言い方)がすくっと目の前に現れる。家屋敷と築地松が影絵のように浮かびあがる。橋の欄干が人に見える。闇は白い。明るい闇と言えるのかもしれない。

微細な無数の粒がところ狭しと敷き詰められ、そこから上方へと粒が複製されて空間を満たす。白い闇が輝きを増した。東の方角に神々しい明かりを感じる。空に青みがついて薄い筋雲が見えだした。

光る円盤が現れる。平べったい丸い窓が空に開ける。円盤には白い粒がまとわりついて神秘の度を増していく。

闇は消えた。しかし濃い霧は残る。宍道湖から流れ来たる霧の進軍で辺りは真っ白だ。列車が遅れるかもしれないな。
お笑いになって幸い誤送信 [2013年05月30日(Thu)]

__tn_20130530182241.jpgお笑い草である。メール送信で人違いをやってしまった。あとで考えればお笑い草ですんだが、事故にならなくてよかった。

なんのことはない。気のおけない飲み友だち複数にメールを送った。約束どおり今夜はよろしくねと。普段やりもしないことをやったせいかもしれないが、バスの座席に座って電話帳から該当者を選択して送信ボタンを押した際、バスが揺れた。タッチした指がひとつズレたかな?と思いはしたが、反射的に送信ボタンを押していた。spモードメールの今の設定は、送信ボタンを押してしまうとキャンセルはできない。あとには戻れない。送信済みメールを確かめてみると案の定、別のF氏に送っていた。すぐにそのF氏にお詫びのメールを送った。笑っていただろう。でも笑われた程度でよかった。幸い久々の交歓ができてよかった。

よく新聞をにぎわす誤送信メールの問題は、ブラインドでメールするべきところを被送信者すべてがあからさまになってしまう一斉送信ミスである。目も当てられない。悪意をもった者の手にかかると、活きたアドレスとして第三者に売り渡されたりしてしまう。お詫びしても取り返しがつかない。マスコミに発表して大恥をかいた上に会社の信頼を地に落とす。

個人の場合はそこまで考えすぎることはないのかもしれないが、ウィルス攻撃を受けてアドレスが流出したり、ケータイやスマホを落としてアドレス帳を抜き取られたりしたら大変なことになる。

実は先日トイレにスマホを忘れてしまっていた。ポケットから滑り落ちそうになったので、棚に置いていたのだが、そのまま忘れて行ってしまった。幸いにある貼り物をしていたお陰で無事に我が手に戻った。セキュリティがかかっているから使うことはできないはずだが、油断は禁物だ。この世は予期せぬことが起こるもの。用心ようじん、火の用心。用心ようじん、タッチミス。

本来のF氏とは時間を忘れて飲んだ。笑いながら飲んだ。真剣に話題を肴にして飲んだ。楽しくて幸せな時間を過ごした。
稟議書に判子をついたら共同で [2013年05月29日(Wed)]

__tn_20130529180911.jpgなるほど、と思う。稟議とはそんな意味があるのか。根回しとは日本人の民主主義なのか、と納得してしまう。

≪何かものごとを行なう場合、独断で行なったというかたちをできるだけ避けるために、日本人は限りなく話し合いに近いかたちをとろうとします。
 そのひとつの方法として、日本には「稟議書」というのがあります。(中略)会社というのは、社長が何もかも一人でやるわけには行かないから、いろいろな分野に対してさまざまな部門を設け、その部門のセクションの担当者に権限を委任して(中略)上司には報告し、部下には命令すればそれでよいはずなのです。ところがそれをやると、日本では「ワンマン部長」と言われ評判を落としてしまいます。
 ワンマン部長と呼ばれることがなぜ「悪」なのかといえば、それは十七条憲法に違反しているからです。つまり一人で決めているからです。(中略)組織の中で細かい議案まで一々話し合いの席を設けていたのでは、体がいくつあっても足りません。そこで、稟議書を回すことによって、話し合いのようなかたちを作り出しているのです。
 また稟議書なき稟議というのが根回しであり、この稟議書的考え方こそが、日本人が民主主義と呼んでいるものの本当の姿なのです。≫
 (井沢元彦著『点と点が線になる〜日本史集中講義』平成16年,祥伝社)

稟議書を下から回す。そこに判子をつく。修正点があれば起案者に伝えるなり書き込むなりして内容に修正を加える。さらに上位者に回す。決裁が終わると成案となり文書や口頭でもって組織の意思を表示する。大事な案件はあらかじめ会議の場で了解をとっておく。。。。。連綿と長きにわたって官僚的組織は動いてきた。意思決定のスピードアップを図れ、責任者を明確化しろ、融通をきかせよなど官僚組織への文句は多い。しかし、日本人の民主主義のあり方が今のままであれば、要望に応えることはおそらくできないだろう。それでいい場合もあるだろうし、改革を図らねばならない場合もある。とかくこの世は難しい。
目を開き心の欲求軽んじず [2013年05月28日(Tue)]

__tn_20130528222539.jpg昨日携帯電話を操作していたためにホームから線路に転落した小学5年生がいたという(四谷駅)。危ない危ない! 電車が入ってきたものの、本人はホーム下の隙間に潜り込んで無事だった模様。もうこの年代で依存性になっている子もいるということだ。

ウェブサイトで「スマホ依存症」を紹介していた。まず、スマホ依存症とは、いつでもスマホを操作していること。ゲームやSNS、ニュースをいつもチェックしている状態である。病気と診断されない場合でも、手元にないと不安になってしまう人を揶揄する意味でもそう呼ばれる。

SNSに書き込んだらただちに、「いいね!」やコメントが欲しくて画面を見続ける。コメントがあれば、すぐに返信しようと待ち構えるようになったら依存性だろう。すでに病的でスマホという道具に奴隷にされてしまった感がある。スマホ依存症の症状があげられている。当てはまる項目が多いほど危険だそうだ。

●運転中でもスマホを使う
●使用時間に制限を設けても、それ以上に使ってしまう
●親しい人と一緒にいてもスマホを使う
●大事な会議などスマホを使ってはいけないような場面でもスマホを使いたくなってしまう
●サッカーの試合でSNSに手を出し、試合そのものよりも文字入力に集中してしまう
●風呂もトイレもスマホと一緒
●スマホがないと不安になる
●いつでもどこでもスマホをONにしてチェックする

では、スマホ依存症をどう解消するか。
■予備バッテリー・充電バッテリーを持ち歩かない
■スマホをカバンに入れる
■通知機能を使用しない
■まず自分でルールを決める

「いいね!」やコメントは、マズローの欲求五段階説の承認の欲求に当たる。自分の発言や存在を認めてほしいというのは人間誰でももつ欲望である。しかし、スマホだけがその欲を満たすものではない。バーチャルではない実存的な承認欲求を満たしていきたいものだ。
深みどり風情感じて梅雨に入り [2013年05月27日(Mon)]

__tn_20130527184851.jpg島根に梅雨入りが宣言された。九州、四国、中国地方が同時に梅雨に入った模様。いつもであれば沖縄奄美がまず突入し、その後しばらくおいて九州南部に移る。さらに九州北部と山口県が梅雨入りしてから、他の中国地方と四国、近畿がほぼ同時に雨模様というのがよくあるパターンだ。ところが今年は一気にきた。しかも平年より11日も早いという。

しかし雨はまだ降らない。今しがたのニュースでは雨が昼過ぎに降ったようだが、まだ本格的な雨降りにはなっていない。湿った空気がじっとりと体を包んでいる。体がかゆい感じだ。今日はポロシャツ一枚で来てよかったと思う。

日の入りはまだ遠く明るい街に、帰宅途中の人、買い物袋を下げた人、犬の散歩を楽しむ人、遊び戯れる子ども。春から夏に向かう季節を楽しむ人たちがいる。緑深まり皐月を楽しむ季節に梅雨入りは少しじゃまものではあるが、雨は降っても悪いものではない。風情を感じよう。ましてや水不足が心配されるこの頃である。適度に雨が降ってくれることを願っている。

(追記)そういえば昨夜はわが家の近所で今年初めての蛍を見た。5匹ほどのゲンジボタルが緩やかに光っていた。昨日の湿気に、どことなく蛍が出ているのではと私の勘がささやいた。
忘れてはまた気を取り直し悩みごと [2013年05月26日(Sun)]

__tn_20130526184554.jpgすき屋に入った。牛丼の普通盛りを注文した。日曜日のお昼時、そこそこに混んでいる。カウンターに座り店内をながめた。ショートカットのお母さんに目が行った。子どもを三人連れている眼鏡の美人だ。美人だということにことさら注目したわけではない。どこかで会ったこと、話したことがあるようなのだ。しかし思い出せない。

彼女はトイレに立った。悟られぬように横顔、後ろ姿をしげしげとながめた。しかし記憶の糸を手繰り寄せることはできない。職場だろうか。今の職場、かつての同僚にそれらしい人はいないはずだ。事務所は違っても同じフロアとか、何か接点があったのか。出入りの事業者か。それともレストランなどで接客してくれた人なのか。あるいはボランティアや地域の会合でご一緒したのだろうか。同級生ではなさそうだが、ますますわからない。

こちらの視線に気がついたのか、チラチラわたしの方を見ているような気もする。ヤバいなあ、わからないなあ。やがて彼女は食事を終えて、子どもたちとともに席を立った。わたしに近づいてくる。視線は合わせられない。もしや彼女が「どこそこでお会いしましたよね」と声をかけてくれるのではと期待したが、そうはならなかった。レジを待つ間にお互いに視線を感じあったような気もする。だが彼女はレジを終えて店外へ去っていった。約10分間の悩みごとは終わった。いや、考えるのを諦めただけなのだ。

年をとるのに比例して、思い出せないことが多くなる。年を重ねて脳の機能が落ちるのに反比例して、あの人誰だっけ?というケースが増えてくる。悲しいことではあるが、年をとっただけに多くの数え切れない出会いがあって、そのうちいくつかは記憶が欠落してしまうのはやむを得ないと考えようか。

(コメント)
「年をとるのに比例して、思い出せないことが多くなる。」・・・まさに、同感。同意。
1週間前、夢タウン店内で確かに見覚えのある女性とすれ違った。「こんには○○さん」やけに親しそうに話かけてくれたんだよね。私の名前も知っている。会話の中で子供の名前も出てきた。数年前のちょっとした出来事も会話の中で出てきたりして笑いを合わせていた。
会話中、ずう〜っと、どこの誰なのか考えていたけど思い出せない。
あの時、どこの誰なのか聞いておけばよかったのに・・
それから気になって思い出そうと頑張ったけど、今だにどこの誰やらわからず。知ったかぶりしていた自分がなさけない。と言おうか完全な記憶障害だ。
ダメだ。こりゃ。
作成者 好司 : 2013/5/26 (日) 23:12

そんな経験、したこと、あるある。恥を忍んで「どこでお会いしましたっけ?」と聞いてみる必要がったのだろうけど、勇気がなくて…。話を合わせているうちに思い出すかとおもいきや、残念。
ダメだ。こりゃ。
作成者 お悩みをとこ : 2013/5/27 (月) 06:44
深緑大汗ぬぐう秋がきた [2013年05月25日(Sat)]

__tn_20130525094340.jpg秋がきたきた 秋がきた どこだ今どきどこにきた
新緑とりどり色とりどり 桜色 黄緑 若葉色 若草色 若芽色 萌黄色 淡紅色
これら合わせて春もみじ 秋がきたきた紅葉の山だ
田植えのすんだすぐ横に あるはあるはと黄金色 刈り取りせまる大麦よ
実りの色よこがね色 秋がきたきた麦秋だ
深緑に混じる茶色はなんの色 枯れた色なり竹の色
タケノコ伸ばし次世代に バトンを渡し葉は落ち葉 秋がきたきた竹秋だ
秋がきたきた 秋がきた どこだここだよ 今ここに
春は楽しい秋もくる 炎暑のまえに秋がきて むごい暑さを散らしてほしい
そうは問屋が卸すまい この夏またまた酷暑だと 予報は告げる ああ無情
老いたるは心配りで幸せに [2013年05月24日(Fri)]

__tn_20130524184224.jpgノンフィクション作家の沖藤典子氏がこのようにのべている。老いの作法、老いたる者の心くばりである。

≪老いたる者による、若い人への最高の贈り物は、愛のこもった言葉や励ましの言葉ではないでしょうか。この世に生きた証しを残したいと願う時、意外にも小さな実践が大切です。「ありがとう」「ご親切に」「よろしくね」――こうした言葉を若い人の胸に残せたら、それこそ大晩年の‘鏡’ですね≫(聖教新聞5.14付け「大晩年の底力」)

わたしは年長だ、わたしは社会的地位がある、わたしはたくさん苦労を重ねてきた、わたしは多くの人に影響力があったという気分がこうした謙虚な言葉を出すのに障害となっているとすれば、その人の晩節は悲しい。不粋だ。

若い人を誉めよう、讃えよう。若い人がもつ優れた点を正直に称賛しよう。嫉妬などせずにありのままの良さを認めよう。弱点が見つかったならばサラリと受け流して、それ以上の美点を探そう。教えるときは一言に万感の想いを込めて視線を外さずに指摘しよう。そして未来に目を向けよう。若い人に励ましとなり、勇気づけるだけでなく、自分の身を飾り少ないが未来に栄光をもたらすであろう。
微笑まし青春映画よおもてなし [2013年05月23日(Thu)]

__tn_20130523203440.jpg県庁おもてなし課』は爽やかで透明感のある青春映画である。原作は近頃話題の有川浩。主役である高知県庁職員の掛水(錦戸亮)と臨時職員の多紀(堀北真希)との恋物語に、新進の小説家である吉門(高良健吾)と佐和の恋を織り混ぜてテンポよく進む。

もちろん恋が主ではないのだが、観光の促進、故郷への想い、公務員と民間目線、企画を実現する仕事の進め方、知る人ぞ知る名所の発見と提示いった映画のテーマが、二組の男女が少しもどかしく恋物語を展開することによって補完され魅力を増すのである。

役所の予算の取り方など現実にはあり得ない設定もあるが、微笑ましく楽しく観た。多紀の輝く笑顔、さらさらと流れる髪。しっかり者のアルバイトとして周囲には一目置かれている多紀ではあるが、実は背伸びして不安だらけであることを掛水に打ち明ける。打ち明けるなら僕に話してよ、と思わせるほど凛々しくも可愛らしい堀北だった。錦戸の無邪気で澄んだ笑顔、やる気にあふれた若者らしい所作振る舞い。実にみずみずしくて気持ちがいい。海に向かって掛水が叫ぶシーンがある。「仕事させろ!!」。多紀も同調して「もっと仕事したい!!」と大声を繰り返す。純粋に求める気持ちが響いてきて好感がもてた。

利益を追求する民間ではない。だが高知のよさを発信し、外から人を呼び込むことは高知にとっての利益に直結する。県民にとって広い意味での福祉が向上することが、県庁組織の目的である。課された制約、例えば予算や制度的なハードルを乗り越えて、人を巻き込んで目的の達成に邁進するのが、県庁も含めた行政の使命である。

「広い意味での福祉」といったが、「おもてなし」ということは広い意味で、単に接遇や客あしらいのことではない。外から来た客を喜ばせ厳しい現実があることも知らしめながらもそこに魅力を感じさせる。住む人自身がそこが好きで堪らなくて魅力を感じているから、楽しみつつ暮らし続ける。去る人がまたここへ来たいという想いに後ろ髪を引かせながら、送る人はそこの魅力をさらに磨いて待つ。

おもてなしとは何だろう。掛水の台詞をはっきりとは記憶をしていないのだが、高知全県をレジャーランドにしていくためには、いいところが‘ある’だけでは不十分。いいところに‘気づき感謝’できること。さらに心に響くように‘表現’していくことが大切なのだ。そんなふうな台詞があったと思う。故郷や今住むところの魅力を内外に発信するにあたって、私にできることは何だろう? たくさん考えることのできる映画だった。
語らって目標定めOJT [2013年05月22日(Wed)]

__tn_20130522192131.jpgOJT(On the Job Training)。職場の実務をやりながら上司や先輩が職員を教育訓練する手法である。反対に、職場を離れ研修会に参加して訓練を受けるのをOff JT(OFF the Job Training)という。よく知った言葉ではあるが、ではどのように、どんな方針でやるのかということになると、意外とやり方がわからないのがOJTでもある。(株)インソースの青木講師から有益な話を聞くことができた。概要とわたしの感想を取り混ぜて紹介する。

【人材育成をOJTで行う例】
●船の厨房に配属された職員AとB。指導員はαとβ。αはAに対し、「自分は忙しいから当分は皿洗いをやってくれ」と。βはBに「この船には300人の乗組員がいて10の部署に別れる。長い航海で食事は楽しみと健康のために重要だ。まず基本の皿洗いをやってもらう。皿を洗いつつ各部署で人がどんな仕事ぶりをするかを見てほしい。いずれ君には厨房でリーダーになってほしいのでそのつもりで」と示した。AもBもやっている仕事は同じだが、伸びが全く違うであろうことは想像がつく。目標と見通しをあらかじめ示し、「考え方の軸」を部下に擦り込むことがOJTの核心部分。

●新しく配属された社員Cを罵倒する上司。友人がCに「酷すぎる上司だな!」と言うとCは「いや違う。配属されたときに、君を1年後には一人前にするため少々厳しくやるがついてくるか?と聞かれた。僕ははい!と応えたから」。そういうふうに事前了解があれば厳しい指摘にも耐えられるし、モチベーションも保てるものだ。あらかじめ目標が明確にあり、本人が納得して取り組む姿勢があれば、その「考え方の軸」に沿って人は伸びていく。

【講師の実体験から「考え方の軸」】
●3.11の地震が起こったその瞬間、ディズニーランドではパレードの最中。パレードの高い櫓でパフォーマンスするのは多くは十代若者スタッフ。アルバイトとはいえ彼ら彼女らは「夢の国」の主体者であるという自覚が擦り込まれている。パニックに陥る可能性もあった園内でパレードスタッフはひたすら笑顔を振りまき客を落ちつかせ混乱を回避。地震による建物への被害がないと確認された2時間後にやっと来場者は室内に退避できた。全く見通しがない状況でスタッフはがんばった。本部に引き揚げたときに、彼ら彼女らはどっと泣き崩れて十代の顔に戻ったのを見た。夢の国を作る主体者という「考え方の軸」があれば、指示を与えられなくとも最適な行動を起こすことができる。
水辺にはひとが集まり穏やかに [2013年05月21日(Tue)]

__tn_20130521181658.jpg水のある風景はひとを和ませる。そして絵になる。松江大橋に立ち宍道湖をみる。青い空、穏やかな湖面。空気は水気が多いようで、南の山山は霞んでいる。出雲平野にあるはずの出雲縁結び空港管制塔はみえない。わたる風は心地よく、春がうららと過ぎていく。さえぎる物がないということは、心が解放されていく。のびのびと生命力が広がっていく。

曇りののちに強風となり湖面が波立って水は泥色に変わっても、見通しがいいというだけで、ここに立つかいがあるもんだと思える。雨が降っていてさえも低い雲間から、太陽の光がわずかな滴となってこぼれているのを発見するのは悦びだと思える。

海に立つ。コバルトブルーに照らされて、エメラルドグリーンに輝く日本海は宝石だ。至宝の宝、夕陽をあびてイルカの道を照らし出す。夜になればと夜光虫。黒い海面に石投げて、キュルキュル光る静かに光る、なめらかに光る。彼方に光るはイカ釣り船の夜光燈。わずかにみえる水平線。地球の果ての丸い線。海辺の風景、楽しめや。

狭い池や水たまり。これまた水辺の風景は、鏡のように写し出し、この世は二重に幻想だ。息を吹きかけさざ波を起こせや波浪注意報。あまりに強く吹きすぎて、呼吸困難息枯らす。

蓮の葉っぱに乗る水玉に世界は映る逆さまだ。ちいと揺らせて水玉はコロコロ合体、溢れだす。楽し楽しめ、水風景。晴れても雲でも雨でもよし。水はわたしの源なれば。
寄り添ってわたしを決して離さない [2013年05月20日(Mon)]

__tn_20130520194859.jpg『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著,土屋政雄訳,2006年,早川書房,原題「Never Let Me Go」)は重いテーマの本だ。映画『わたしを離さないで』は、その重さをなぞりつつも、英国の田園や海岸が美しく描かれ、パブリックスクールの様子が想像できておもしろい。

主人公は優秀な介護人キャシー。「提供者」を回復センターやコロニーで世話する役目をもっている。幼なじみで親友のルースも、同じく幼なじみで後に恋人となるトミーも、提供の末体が弱ってキャシーに介護されていた。

三人がものごころついてから成人するまで過ごした施設ヘールシャムは、パブリックスクールのようでありながら、世間から隔絶されたところ。一般的にはクローン人間はブロイラーのように大量に育てられる。いわば健康な臓器を栽培するようにして大きくなる。非人間的な環境にクローンをおくことを拒否した教育者が、実験的に作った教育的施設がヘールシャムである。

キャシーの回想によって物語はすすむ。ルーシー先生は、まだ子どもだった彼女らに言った。
≪九歳、十歳の子供でした。でも、そんな年齢でも、微妙な話題であることを薄々感じていたのだと思います。当時のわたしたちが何をどれだけ知っていたか、いまとなってはわかりません。でも、自分が保護官とは違うこと、外の世界の人とも違うことはわかっていたはずです。≫

病気や怪我によって臓器を損じた人間のためのスペアとして、臓器を取り出され体を切り刻まれて「修了」していくクローンの運命。それに異を唱えた改革者たちの試みは失敗し、ヘールシャムは既に閉鎖されている。クローンたちに「人生」を全うする道はない。キャシーのように介護人として提供者の世話をすることで、提供を猶予されることもあるが、いずれその時はやってくる。

キャシーに提供の日時が通知された。ヘールシャムの牧歌的な世界は挫折したが、クローンではなく生きた人間としての幸せを感じた人生を振り返って、キャシーは提供者になっていく。

トミーはかつてキャシーに言った。
≪おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で、その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついている。必死でしがみついてるんだけど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろう? 残念だよ、キャス。だって、おれたちは最初から――ずっと昔から――愛し合ってたんだから。けど、最後はな――永遠に一緒ってわけにはいかん≫

そう、永遠はない。クローンのおかげで命を長らえた人間もいずれは死を迎える。遅かれ早かれ死ぬ。愛し合うことはもっと儚くて、流れに逆らうことはできない。だからこそ今が大切だよ。こんなメッセージを感じた。
晴れと雨繰り返しつつ暖と寒 [2013年05月19日(Sun)]

__tn_20130519195328.jpg体温調整が難しい季節がやってきた。きのうは数日ぶりに暖かくなった。むしろ蒸し暑くなり、シャツの袖をまくって風をいれ、日陰を求めて歩いた。きょうは一転して最高気温が17℃。おろかなことに、シャツを半袖、パンツも薄めのコットンパンツで、本来はきのうするべき服装で外へ出て後悔した。

ところが人が多い室内はムシムシするのである。半袖で来たことに安堵した。それもつかの間、昼食に入ったファミレスは空調でもって意外とヒンヤリしていた。やがて寒さを感じるようになる。ベストのボタンを掛けて、待っていた新聞紙を膝に掛けて調節した。

きょうは気温17℃というのだけでなく、雨がシトシト降り続いたから皮膚やシャツが濡れると、体感気温が一気に下がる。こんな日は、カーディガンとか、薄手のジャンパーなど羽織るものをもって外へ出るべきだと学習した。こんなこと、今さら学習しなくても当たり前のことなのだが、油断というやつが大敵である。

風邪をひきやすいのは気温差が大きな原因だ。そういう点で今ごろNHKの天気予報はきのうとの比較で、2℃以上高ければ予想気温を赤字で示し、2℃以上低ければ青字で表してくれるのは、とても嬉しいことだ。

(写真は先週松江城山に咲いていたヒトツバタゴ。柳の木の幹に寄りかかり品をつくりながら流し目を送る美女のしなやかな小指のように細い花びら)
美しき青き地球に生まれしは [2013年05月18日(Sat)]

__tn_20130518224315.jpg21世紀まであと30年。『2001年宇宙の旅』はその頃の映画である。IBM(映画にもロゴが登場した)が覇権を競う1960年代後半、21世紀になるとコンピュータはここまで発展すると予測していたのだろうか。原題は『2001: A Space Odyssey』。2001年宇宙のオデッセイ冒険物語という意味。オデュッセウスがトロイア戦争後に漂流と報復を重ねる物語である。コンピュータがヒトを越えようとしたこの映画と絡みを持たせているのだろう。

不協和音の弦楽器オーケストラ、不協和音の男女混成の合唱が存分に使われて、観る者を不安にさせる。一方で予定調和で物事が進んでいるときには、ヨハン・シュトラウスの『美しき青きドナウ』が軽やかにワルツを奏でる。もちろんあの有名なテーマ音楽は胸にズーンと飛び込んできて素晴らしい。

冒頭に人類の夜明けが描かれる。旧人類のもとに正体不明の巨大な板状の物体。黒い巨大な板が現れる。高さは5m幅は2mはあろうか。厚さは30cmほどだが、揺らぐことなく立っている。その力によってヒトは知恵を得た。動物の骨を武器として他部族との戦いに勝つ。投げ上げた知恵の象徴としての骨が、地球を周回する宇宙ステーションに切り替わって、時代は百万年を飛び越えた。

超高度な人口知能ハルが不調を起こしたのか?それとも反乱か。発端はハルの遊びだったのかもしれない。自身の影響力を図るための無邪気な遊び心。飛行士に疑われて、ハルに自己保身の心が芽生えた。ヒトを排除しようと画策するハル。しかしハルは、ヒトなくしては自身の知能を発揮できないことが十分わかっていなかった。頭脳さえ明晰ならばよしという不遜な考えがあった。木星軌道上でヒトとハルとの壮絶な戦いがあり、船長一人を残しヒトは死んだ。しかしハルも回路を切られて死んだ。そんなつもりではなかった、心を入れ替える、許してほしいと後悔の言葉を訴えながら死んだ。

残された船長は木星近くで黒い巨大な板を見る。そして宇宙のすべての光を集めたような幻灯が流れ行くのを呆然と見続ける。宇宙はビッグバンによって創世し、いろいろな元素ができて星雲が誕生する。煮えたぎった星々が冷えて惑星、なかでも地球が生まれる。冒頭の旧人類たちが生きた頃も経て、人類の時代がやってきた。

気がつくと船長は、豪華な一室に宇宙服ごと降り立っていた。そこで食事をする金持ち。何十年か歳をとった船長自身だった。次に目にとまったのは老いて死を間近にした金持ち。それも船長であり、やがて死んだ船長は赤ちゃんとなって生まれ変わる。宇宙空間に浮いてその根源となる力が黒い曼荼羅状の板にあるようだ。何を象徴するものなのか、映画では電磁波を発しているという説明をしていたが、よくはわからない。

すごいSFX撮影。コンピュータグラフィックがないあの時代にすごい映像ができたものだと思う。アポロ計画が進行しつつあるあの頃とはいえ、これだけの映像を想像するのは並大抵のことではなかろう。そして手塚治虫の火の鳥を思い出させるような輪廻転生と三世の生命観。そこにコンピュータに頼りすぎることの警告を織り込んで、感慨深く見終わった。と思いきや、エンドロールが終わっても「美しき青きドナウ」の演奏が続いて終曲まで荘厳な音楽が流れ続けた。地球は美しい、人間は弱いものではあるが尊厳あるものだ。日々を大切にせよ、諦めるな、美しいものを愛でよ、睦みあって生きよというメッセージが聞こえたような気がして目頭が熱くなった。

(追記2013.5.19)「あの有名なテーマ音楽」と書いたが、あれがリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』なのだと知った。ずっとこの映画のものだと思っていた。トホホ。。。
おむすびは人と時とを結ぶもの [2013年05月17日(Fri)]

__tn_20130517201303.jpg朝日新聞「be」の5月4日付けで「私が好きなおにぎり」を特集していた。1位はシャケ、2位梅干し、3位昆布、4位めんたいこ、5位たらこの順となる。7位の炊き込みごはんと11位にランクインした塩むすびが、私は好きだ。

隠岐の島には「バクダン」と呼ばれる海苔むすびがある。醤油やみりんで味を付けた海苔をご飯が真っ黒になるほど回りにつけて、まん丸く仕上げる。色や形が爆弾を連想させるところからこの名前がついたのだろう。

かつて地域のお母さんたちと一緒に、残り飯でおにぎりをつくる機会があった。私がごはんを三角にして握っていたら、「あんた器用だねえ」と感心されたことがある。隠岐島の島後(小結隠岐の海の故郷)ではもっぱらバクダンしか作らない、ひとつの証拠である。

「be」によれば、「おむすび」の起源は古事記に登場する神「カムムスヒ(神産巣日神)」に由来するという。スサノオが殺したオホゲツヒメの遺体から五穀を取り出したという神も、実った穀物を握って食べたのだろうか。

熱々のごはんを火傷しそうに握って食べる。便利な携行食として外で食べる。いろいろな味をつけて食べる。みんな美味しい、冷めても美味しい。べったりと黒くひっついた海苔巻きも美味しいし、コンビニのパリパリ海苔もいい。ごはんの美味しさを引き立てるおにぎり、おむすび。大好きだ。
疑われ無実の罪を被るまい [2013年05月16日(Thu)]

__tn_20130516211717.jpg昨日都立高校の教師が痴漢の疑いで逮捕されたという。JR埼京線の車内で20代女性の体を触ったということで、板橋駅で当の女性から駅員に引き渡された。本人は容疑を否認している。

現行犯か冤罪かはわからないが、罪に問われる可能性は高く、たとえ冤罪であっても社会的に制裁を受けてしまうことになる。2009/7/12 (日)に書いたのだが、混んだ電車で「この人、痴漢!」と騒がれないためには、吊革をつかんだり本を持ったりして、手をフリーにしておかないことがまず第一だ。

『「この人、痴漢!」と言われたら』(粟野仁雄著)には、このような知恵が授けられている。

まず、その場で話し合うこと。その女に対して、「あなたが被害に遭ったことは気の毒に思うが、犯人は私ではない」と冷静に静かに対応する。名前や連絡先を名乗り、名刺など渡す。そして「必要があれば連絡を」と言い残してその場を去る。

女と話し合おうとして駅事務室に一緒に行ってはならない。なぜなら現行犯の場合は警察官や鉄道公安職員でなくても「私人逮捕」(刑事訴訟法213条)ができるから、事務室に入った時点で私人逮捕となるのだ。話せばわかると思いきや、女と話す機会もないまま警察へ連行されてしまうことになる。

駅のホームで騒ぎを聞いて駆けつけた駅員には、「この人が私が痴漢だと訴えていますが違います」と丁寧に説明する。そして「私人逮捕になるから絶対に事務室には行きません」と断る。駅員が事務室に強引に連れて行こうとしたら、「あなたは痴漢の現場を現認したのか?」と厳しく詰問する。事務室に入らないかぎり、駅員には強引に連行する権限ははないから大丈夫。

さらに栗野氏は重ねて述べる。女や周囲の賛同者が強引に駅事務室に連れていこうとするならば、「間違っていたら刑法の虚偽告訴罪であなたを訴えますよ」と言うのが効果的だと。「痴漢の被害があったとしても、人違いなら虚偽告訴罪は成立します」と言えば、興奮が少しは冷めて女性は引くし、いい加減な訴えはまずい、と考え直してくれるはずだと。やってもいないことを責められると誰でも腹が立つが、興奮して声を荒げてしまうと警官が飛んできて御用になってしまうと、冷静さを求めている。

かの都立高校教員は、本当に痴漢をやったのか、それとも不運が身に降りかかってしまったのか。真犯人ならば裁かれればよい。しかし冤罪ならば、被害が最小限であるように願っている。何よりも、現に痴漢被害を受ける女性はたくさんいるが、一人でも被害者が少なくなるよう願っている。今、橋下市長が物議をかもす軍隊の性欲処理機能。それが真実ならば、男はみんな辺りかまわず性欲を撒き散らす野獣ばかりだ!ということになるではないか。いやいや、決してそんなことはないのだよ。
白茶飲み旅に出たよと初夏の候 [2013年05月15日(Wed)]

__tn_20130515220946.jpg今日は初夏そのもの。至福のお茶で喉をうるおし気分を癒した。松江市殿町の一角にある『Timeコレクション』。古い蔵を改造したモダンな空間。器を中心にバッグや小物を展示販売している。店の空間で「時を収集するように」見定めて、家に帰っても豊潤な時間を過ごしてほしいという発想だそうだ。室内には香の品ある匂いが広がっている。

二階にはTimeコレクションに附属する紅茶コーナー『パンジェンシー』。強い刺激や辛辣な皮肉を意味するpungency。紅茶の世界では、「ほどよい渋みで美味しい紅茶」という意味に転じるということだ。これも英国一流のウィットとユーモアから転じたものだろうか。

木の床にはペルシャ絨毯が敷いてあり、 天井の梁や柱も洗練されてミニゴージャス。白壁には品のいいリトグラフなどの絵や小物がかけてあり安らぐ空間だ。試飲担当は紅茶コーディネーターの若い彼。痩身のオシャレなイケメンだ。彼が優しい口調で蘊蓄を説くとすべてに納得してしまう。芳醇な空間に浸りながら、お茶だけでなく大遷宮や島根の観光地の話題で会話が弾んだ。外の緑や空気の装いのせいだろうか、室内にはどことなく初夏の季節が漂っている。

本格紅茶を目の前でいれて試飲を楽しませてくださった。お茶はリリーミュゲーテブランという高級な「白茶」。摘み立ての鈴蘭のような華やかな香りを白茶に封じ込めたという謳い文句である。ティーポットに勢いよく湯を注ぐ。沸騰直前の湯が最もよく淹れられると。ポットが冷めにくいように布の帽子を被せて美味しくなるのを待つ。急かさず落ち着いた気持ちでお茶を淹れると「妖精が褒美として美味しくしてくれる」と師匠が教えてくれたと。白茶は旨い日本酒のように淡い金色をしている。軽やかで柔らかい甘味がある。飲むと口中に美味しいお茶のフレーバーが広がった。残り香がある。冷えてくると少し渋みは出るが、これがほどよい渋み。決してえぐさを感じないのが素晴らしい。

茶を淹れる、味を楽しむ、匂いにひたる、会話やムードを楽しむ・・・そうした茶がもたらす一連の流れを「旅」だとイメージしていると、彼は爽やかに確信を持って語ってくれた。飲み終わってからも種々の会話を楽しみ店を出た。1時間たっても口中が爽やかで馥郁とした甘さを感じたのは、私の舌や鼻、体全体が茶とともに「旅」を楽しんだからだろう。

家に帰ってからダージリン紅茶を飲む。ファスト・フラッシュ・ダージリン。つまり一番詰みのダージリン。ふだん飲むファミレスのダージリンとは違う。色が違い、香りが違い、口に広がる。時間の経過につれてどこか味わいが変わるように感じた。チョコがさらに甘く美味しく感じた。贅沢な時間だった。
欲深に心の地平広げたし [2013年05月14日(Tue)]

__tn_20130514231349.jpgデフォー作『ロビンソン・クルーソー』は孤島でのたくましいサバイバル生活を描いたものだと思っていた。もちろん、難破して一人生き残ったロビンソンの二十数年にわたる自給自足生活を描くことが中心だとは言えるが、実際に読んでみると(鈴木建三訳,集英社文庫)、意外な側面があるのを知った。最低限の物質さえあれば、体は飢えず心は満ち足り、キリストの神の愛を感じて暮らすロビンソン。いつ死ぬかわからない船乗りであったときには感じなかった信仰心が彼に芽生え、神と対話しながら生きる喜びを描く物語である。

≪私は、自分の現在の状況をこのように決められたことにたいして、神の意志にすべてをゆだねるだけでなく、今の境遇にたいして 心から感謝するように決心した。私のような人間がまだ生きているのだし、自分の犯した罪にふさわしい罰も受けず、この島でとうてい期待すべくもないさまざまな恩恵を受けているのに、不平などいうべきではないのだ。私は自分の境遇に泣き言などいわず、ただひたすら喜び、無数の不思議が重ならなければ、とうてい手にはいらなかった日々のパンに毎日感謝すべきなのだ。(中略)大きな奇蹟、いや奇蹟の連続によって自分は養われてきたのだし、世界じゅうの無人の場所のなかで、打ち上げられてこれ以上に私に好都合だった場所を、ほかに言ってみろといわれてもとても言えるものではない。≫

≪価値があるものというのは、私がそれを使えるものだけである。食べるものや、その他の 欲望をみたすものだって、十二分にあったけれど、それ以上は私にとってはなんだというのだろう。≫

感謝すること、そして欲少なく足るを知ること、これが物語の主題である。これを五十九歳の時に書いたデフォーは、その後6年間猛烈に小説を書き進めたという。当時の五十九歳は相当の年配であるが、デフォーは小説という精神を深める開拓作業を絶え間なく行い続けた。人間にとって心の地平を広げるという面にあっては、いくら欲深であっても決してかまわないのだ。
歴史的神の引っ越し風が吹く [2013年05月13日(Mon)]

__tn_20130513224730.jpg縁結びの神・大国主命を祀る出雲大社では、60年ぶり大遷宮が行われている。国宝の本殿が数年かけて大改修され、祭神が再び元の本殿に戻るのが「本殿遷座祭」。先週5月10日の夜にあった。参加した人の話によると、千家宮司の祝詞が終わり社殿の扉が閉まったときに一陣の風が吹き抜けたとか。10日は天気が崩れ朝から雨が降っていた。夕方には晴れ間が出ていたにもかかわらず、遷座祭が終わると同時に雨が降り始めたとか。大国主命は再び本殿に帰ってきたのだ、ともっぱらの噂である。翌11日は「本殿遷座奉幣祭」、12日以降奉祝祭や関連奉祝行事が続いて行われ、出雲の国はまたとない賑やかな時を迎えている。

日本神話や出雲神話に描かれる国造りや国譲りの物語は、出雲にあった比較的強大な地方政権を畿内の大和朝廷が滅ぼし傘下に収めたことを象徴的に現したと言われる。その罪滅ぼしというか、怨霊となって祟られることを怖れた大和側が高さ48mにもなる高大な建物を建てることを許した。何度も倒壊したので今は半分となっているが、今でも神社としてはとても大きなものだ。

通常は神無月とされる旧暦10月が、出雲では神在月となる。旧暦10月10日から1週間あまり、神迎祭に始まり神在祭、神等去出祭(からさでさい)と、出雲では八百万の神が集まるというイリュージョンがある。こうした名誉を滅ぼした出雲国に与えたというのも、復讐の祟りを怖れた大和政権の政策であるように思う。

神が集まる、中でも大神たる大国主命が居住の社を引っ越したというイリュージョンには魅力がある。ロマンがある。そのイリュージョンに浸りたいと多くの人が出雲にやってくる。喜ばしいことである。大型連休中もそれが終わってからも、たくさんの観光客の姿が見える。今日も松江駅や市内のバス、観光地には外から来たと思われる老若男女がリュックやボストンバッグをもって歩き回っている。出雲の空気に浸り、イリュージョンに浸り、この時節と出雲の空気を楽しんでくれている。出雲人としてもできるだけもてなして、ひとりでも多くの出雲ファンが増えていくようがんばるときがやってきた。
一票は格差を認め議場にて [2013年05月12日(Sun)]

__tn_20130512135712.jpg一票の格差を是正する案として、高野克則氏がクリーンヒットを放っている(5月9日付けの朝日新聞)。小選挙区制で問題となるのは、議員一人あたりの有権者数が即格差につながり、格差を解消するためには区割りを変更しなければならないことである。区割りを変更することは、市や町といった行政区域が分断されるばかりか、選挙民と議員との間にせっかくできたつながりを分離しかねないことが問題だ。

そこで高野氏は一票の格差をあえて認める案を提示する。
≪各議員は自分の出身選挙区の有権者数「持ち点」とし、議会で議決する際には議員ごとの「持ち点」を集計して多数決をするのである。(中略)これだと、同じ議員バッジをつけている議員の間で「一票の格差」は生じるが 、有権者のそれに比べれば、本質的な話ではない。≫

決をとるごとに、賛成33,212,321票、反対25,678,912票などと莫大な多数決票が生じるという違和感はあるが、いい考えだと思う。

さらに私の考えを加えれば、「持ち点」に直近の投票率を掛けて割り引くのである。自分たちの代表にできるだけ多くの「持ち点」を与えたいと支持者は選挙活動に力が入るから投票率か上がる。若い人にも関心事となるから、選挙など行ったことがないという人の気持ちをくすぐって選挙地図に地殻変動が起こるに違いない。
今も利く二十歳であればもっと利く [2013年05月11日(Sat)]

__tn_DSC_2233.JPG『20歳のときに知っておきたかったこと』(ティナ・シーリグ著,高遠裕子訳,原題「What I Wish I Knew When I Was 20」)を読んだ。今さら遅いじゃないかと思うのは悔しい。そう思うなかれ。明日からできる知恵や心構えがたくさん詰まっていた。要は実践するかどうかだ。

≪あなたのために何かしてくれた人に対して感謝の気持ちを示すかどうかで、あなたの印象は大きく変わります。あなたのために何かをしてくれたということは、機会費用がかかっているという事実を忘れてはいけません。つまり、あなたのために時間を割いてくれたのだとすれば、その人自身やほかの誰かのために割く時間を犠牲にしたのです。自分の頼み事などたいしてことないと思いがちですが、忙しい人にとって、たいしたことのない頼み事などないのです。自分のやっていることを中断し、わざわざ時間を割いて、あなたの願いに応えてくれたのです。それがわかっていれば、お礼を言わないなんてありえません。お礼状は書いて当たり前で、書かないのはよほどの例外だと思ってください。≫

≪人助けも大切な習慣です。大学時代、わたしは週に一度、両親に電話していました。毎回、電話を切る前に母は、「何かしてあげられることはないの?」と聞いてきました。母のこの気遣いがうれしかったものです。母にしてもらえることはほとんどないのですが、必要があればいつでも手を貸してくれるとわかっているだけで安心しました。(中略)力になろうと申し出ると、喜んでくれる人がほとんどです。たいていはささやかなことで、相手が望むのもふつうは控えめなものです。≫

≪マイケルは(中略)子どもの頃から、有名人に手紙を書いては、返事をもらうのが何より楽しみでした。たいてい返事が来ました。いまでもこの趣味を続け、自分が尊敬する人たちに電子メールを送っています。ほぼ百パーセント、返信が帰ってくるそうです。長い付き合いになることもしばしばで、そのなかから面白いチャンスに恵まれたりもします。マイケルが自分から相手に何かを求めるようなことはありません。最初は、相手の行為に対する御礼であったり、業績を褒め称えたり、単純に質問したりするだけです。場合によって、自分がお役に立てることはないだろうかと申し出ることもあります。人と接するのに、声をかけられるのを待ったりしません。自分から動くのです。≫

≪わたしは学生に「失敗のレジュメ」を書くことを義務づけています。私生活や仕事上、あるいは学校で犯した主な失敗をまとめてレジュメにするのです。それぞれについて、その経験から何を学んだかも書いてもらいます。(中略)レジメを書き終えると気づきます。失敗というレンズを通して自分の経験を見ることによって、自分が犯してきた過ちを受け入れられるようになるのだと。(中略)挫折すれば学習するし、おなじ過ちを繰り返さない可能性が高まるからです。失敗はまた、その人がスキルを広げる挑戦をした証でもあります。≫

≪よき観察者であり、開かれた心を持ち、人あたりがよく、楽観的な人は、幸運を呼び込みます。(中略)≫

そして著者は、「光り輝くチャンスを逃すな」とスタンフォード大学の学生たちに常に言い続けているという。チャンスはいつでもある、そこらかしこに転がっている。刻一刻と過ぎる時間を大切にしていきたいものだ。
敵国に大脱走なり進め行け [2013年05月10日(Fri)]

__tn_20130510201316.jpg映画『大脱走』、原題は『The Great Escape』。誰もが知っている名画だ。初めてしっかりと観た。

ドイツ軍に囚われの身となった連合国空軍の将校たち。彼らは脱走の常習者であり、極めて厳重な警備体制をもつ収容所に集められた。ドイツ軍にとっては面倒な奴らを集めておとなしくさせるつもりであったが、名うての脱走常習「犯」が集まったことは大脱走のチャンスを彼らに与えることになった。捕虜となっても敵から逃れて戦線に復帰することをめざす。復帰するまでにいたらなくても、敵の後方を撹乱すれば敵戦力をダウンさせることができる。それが軍律であり彼らの使命感を熱くさせた。嬉々として彼らは敵を欺く作戦を遂行した。

脱走というと刑務所から出ることばかりを想像するが、そこからが肝心。刑務所の外は敵国ドイツのまっただ中で秘密警察の目が光り、簡単に逃れることはできない。列車、徒歩、バス、ボートなど様々な手段で逃げる手段が検討される。強いリーダーのもと各人の持ち場が決められ、多彩な個性の持ち主が多才さを発揮する。人間だから弱みもある。弱点を補いながら250人の計画は着実に進行する。

まずはトンネルを掘る。3箇所を別々に掘り進む。トンネル掘りのプロが狭所恐怖症であることがわかる。書類偽造のプロが視力を失うという不幸に見舞われたりする。脱走決行の日までのプロセスでは多くの困難が持ち上がったが、アメリカ的な自由さとイギリス人の綿密さで個性派集団は結束を保つ。服の仕立てのプロ、細工物作成のプロ、情報収集や測量のプロ、監視の目を潜るプロなど様々な人材群が活躍する。有名なテーマ曲、軽快なマーチのリズムに乗って集団脱走は進んだ。結果として、小舟で逃げた二人と、フランス人のレジスタンスに助けられた一人を除き、残りは射殺されるか連れ戻されたが、作戦の半分は成功した。

あいさつが持つ不思議な力が語られた。特に「ありがとう」。フランス人の身分証明書を持った二人がドイツ語とフランス語でやりとりをする。ドイツ警察官はフランス語で、最後に「あなたのドイツ語は上手い。ご無事で!」と送り出す。バスに乗ってしまったという安心感もあったろう。英国将校は英語で「サンキュー」と応えて万事休す。

化けの皮がはがれて捕まってしまったのは残念であったが、「ありがとう」という感謝の言葉は母国語で何度も何度も繰り返す。育ちがよくて相手を思いやることのできる「いい人」であれば、なおさら感謝の気持ちは母国語で口をついて出てくるのだろう。ともあれ、「ありがとう」は大切にしたいものだし、いくら使っても使いすぎることはない。
暖かきともに語りし夜なれば [2013年05月09日(Thu)]

__tn_20130509212136.jpg人は何によって育つのか。書類か、独学か、ウェブか。極論をいえば、人によってしか人は育たない。人から刺激を受けて、人と人との触発作業を通じ、近くで仕事をする先輩から日常の業務を学ぶことを通じて人は育っていく。ノウハウを学ぶという要素もあるけれども、仕事に対する思い入れを感じて自身の足らずを知り、偏った思い込みを正されて自己の不全を知ることもあろう。反面教師である場合もあるかもしれないが、いずれにせよ人は人に触発されて変わりゆく。

なかでも思いを伝えあえることができるのは酒の席である。今日は島根県の水産行政関係者が集まって今年度の方向付けについて発表し、質疑を繰返し、自分の思いを語り合う会議をしたのだが、夜は有志で呑む機会をもった。近頃はどの酔っ払いも品がいい。ぐでんぐでんに酒に飲まれて身を持ち崩す者はいない。思いを語り合い、耳を傾けて有益な時間を過ごした。

私たちの使命は、水産資源を保持しながらその枯渇を防ぎ、島根の水産業を振興させることである。 さらに漁業者から流通や販売事業者、さらに消費者に届けられる海産物や加工品を安心して食べてもらえる環境をつくることだ。資源の減少、後継者の減少や高齢化、魚価安、経営難といった多重苦にさいなまれる水産業の未来に光明を差し込ませようとする集団といえるのかもしれない。

ほのぼのと楽しみ、あちこちに笑いの輪が広がる談笑のひとときを皆が過ごすことができたと思う。忘れがたいかけがえのない時間であった。特に県職員になったばかりの新人諸君にとっては、水産行政の一端を担う覚悟を決める出会いがあったのではないかと、わたしは思っている。大いに触発された顔が見えた。水産振興というミッションを遂行するためには、熱情が必要である。すなわちパッション。ただやみくもに熱を発するだけではミッションにはたどり着けない。日々のPDCAサイクルを几帳面に繰り返していかなければならない。それがアクションというものだ。そうした覚悟が表情に見えて、わたしは嬉しかった。
コバルトかエメラルドかと陽に光る [2013年05月08日(Wed)]

__tn_20130508201036.jpg山陰海岸がきらびやかに輝きを見せる季節がやってきた。砂浜に立てば、遠浅の手前に薄いエメラルドグリーン。沖合には淡いコバルトブルー。沖縄や熱帯の海というわけではない。汚れの少ない海水と空気中に濁りの少ない太陽光線のなせる術であろう。

今日は大田市波根の海岸に面したとある食堂で昼食をとった。写真はそこの入口に咲いていた花。薄いコバルトブルーのたくさんの小さな花弁。5月の明るい陽光をあびて淡いエメラルドグリーンに見える細い葉っぱ。食堂に入って眺めた砂浜の色に似ていた。白い波と雲、輝く砂浜、岩山に開く新緑、松の常緑。エメラルドグリーン、コバルトブルーそのものの鮮やかさとはいかないが、海は穏やかでこの上ない癒しの場である。

昼食はといえば、カラリと揚がった天ぷら、特にオキイワシが旨い。少量ずつ小皿や小鉢に盛り付けられた料理の数々。堪能して店を出た。午後の山陰海岸の緑と空はさらに目映くかつ優しさにあふれていた。
上に伸び首は要と大事にせい [2013年05月07日(Tue)]

__tn_20130507125454.jpg頭が重い。頭痛ではない。首が痛いのだ。首を傾げたり、横になるたびに頭の重みを感じて頚が痛い。昨日の朝に少々二日酔い気味で朝風呂に入った。少し高い位置にあるシャンプーの首から液を押し出した。頚が気持ち前屈みというか、顎が突き出た位置にあった。押すという行為で力が入ったために頚に不自然な力がかかったようだ。なんともひ弱なわたしの首よ。寝違いを起こしたときと一緒である。

安定感のあるスカイツリーを見よ。634mと孤高の高さを誇りながらも、展望室の構造に美を集約し、上へ上へと伸びる尖塔が辺りを静かに圧する。昇る者、そらまちで買う者、周囲でくつろぐ者。何十万もの人びとを集めて観光地・東京の新たな名勝となった。

文部省唱歌で歌う富士山を見よ。
 あたまを雲の上に出し/四方の山を見おろして/かみなりさまを下に聞く/富士は日本一の山
円錐形に広がる。それでいて機械的ではない美の象徴、日本そのもの。富士のようになってみせると宮本武蔵に言わしめた吉川文学。世界遺産として輝きを増していくであろう。

首が据わったばかりの赤ちゃんを見よ。じっと相手を見据えてつぶらな瞳がなんとも言えない可愛らしさ。首を縮めるようにしてわたしは慎重によその子を抱っこする。懐かしいこの感じ。幸せだなあ。

首を長くして行った3日のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。東京・有楽町の会場でドビュッシーやラヴェルといったフランス近代のロマンチシズムを楽しんだ。まさに熱狂、まさに至福の時を過ごした。

脊髄、延髄という脳の一部を守る首。いたわって守ってやらなければならない。そして時には首を振って、嫌なものはイヤと断る勇気をもつことも必要だ。
人として記憶はよすが明日に生き [2013年05月06日(Mon)]

__tn_20130506220441.jpg≪今の私は、昔の私とは物質的にはすっかり別人になっている。けれどもかろうじて記憶だけが今と昔をつないでいる。自己同一性のよすがはこの儚い記憶だけなのだ。(中略)年をとることのささやかな喜びはこんなところに見つけることができるのである≫
 
≪年を経るにつれ私たちは様々なものを次々と失っていく。夢、希望、可能性・・・・・それが大人になるということ。しかし私から決して奪われることがないもの。それは私の記憶。≫
(福岡伸一『生命と記憶のパラドクス』文藝春秋,2012年)

細胞が死んで新しい細胞に置き換わる。身体中の細胞が入れ換わっていくのに、臓器・器官によって違いがあるようだが、2年から5、6年かかるとか。組織は換わっても幸いにわたしはわたし。頭で覚えている記憶、そして身体が覚えている技能としての記憶。残念ながら記憶や体力、技能は衰えていく。コンピュータや記録媒体の力を借りて記憶を補っていくことはできる。「年をとることのささやかな喜び」を見つけるには至っていないけれども、何となくわかるような気がする。記憶を大切に、記憶を残していきたいと思う。

写真は、奥日光・華厳の滝近くに咲いていたヤシオツツジの花。薄紅色の花は可愛らしい。険しい山肌にもたくさん咲いていた。日光へ旅した記憶もわたしの頭に刻まれた。
遺伝子はあれやこれやと継承し [2013年05月05日(Sun)]

__tn_20130505231604.jpgDNAとは不思議なものよ…。
家族のDNA、組織のDNA、そして動かしがたい自分のDNA。
何だかんだと継続的に人を動かし、自分のアイデンティティーを確認させる。
徳川のDNAは260年もの長きにわたり徳川宗家を守った。
鎖国は、家康公からの祖法であると江戸終末期の人々を錯覚させるほど誤解させて世の混乱を巻き起こした。
元は日光にあり上毛の彼方から江戸を左右した。
わたしのDNAは子に伝わり兄弟を自ずと支配し妻の親族とのつながりも意識させる。
遺伝情報だけではない。
継承も反感もすべてを取り揃えてDNAは私たちの生に影響を与える。
悪い道に足を踏み外さないように、より良き生を進むことができるように。
日の光徳川光はすでに消え [2013年05月04日(Sat)]

__tn_20130504210545.jpg東照大権現なる大袈裟な名前を死後につけられた徳川家康公。つけられたというより、死んでなお徳川の一族を守ると誓った家康だから、その望むところが大権現という神だった。その遺言のとおりに260年の長きにわたって徳川幕府はつづいた。守る場所は栃木・日光の東照宮。絢爛豪華な建築群、オリジナルな意匠に観る者すべてが圧倒される。

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、と例えられた家康のイメージからすると、ここまで派手にするか?と言いたくなるほどに極彩色に塗りたくられ、漆と金箔で飾られた美術建築の数々。彼のせいではない。徳川の権勢と金力の粋を集めた最高傑作にするべく家光以下の将軍が精力を費やした結果がこれなのだろう。これでもかこれでもかと記され数万に及ぶであろう葵の御紋。さすが世界遺産とは言えるが、わびさびの感覚からいくと、あからさまで面白くない。金と権力にあかせて徳川の力を周囲に示すことが目的だから仕方がないか。

左甚五郎作の有名な眠り猫、見ざる言わざる聞かざるの三猿、百を超える龍に守られた陽明門、白い漆喰に黒い漆と金箔で荘厳された唐門。食傷するほどに目に焼き付けてきた。数百年の杉大木の数々、奥日光に続く山肌の神秘な雰囲気に包まれて、私たちを含めた数万に及ぶ行楽客は、すでに亡き徳川の威光を感じつつ大型連休後半を楽しんだ。
仰ぎみる富士は日本一の山 [2013年05月03日(Fri)]

__tn_20130503064114.jpg「フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ」と古くから外国人に言われた日本のイメージ。イコモス(国際記念物遺跡会議)がユネスコに対し、富士山を世界文化遺産に登録するよう勧告した。美しい景観は自然遺産ではないかと思えるが、ゴミの多さや無秩序な開発が理由で一時は登録が困難だっただけに、関係者の喜びはひとしおであろう。イコモスは勧告で次のように述べている。

≪富士山は疑いなく日本におけるひとつの国家的な象徴ではあるが、その影響は日本をはるかに越えて及んでおり、今や国家的意義を広範に越えている(中略)富士山を顕著にしているのは宗教的伝統と芸術的伝統の融合である(中略)精神性と芸術的関連性を反映させるために、資産名称を拡大することについて追加的に勧告する≫

なるほどと思う。富士山はある面日本人にとって宗教なのだと。文化庁がこの勧告を受けて検討している「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」という名称以上に富士山は日本人にとって聖なる山であった。そのものを信仰の対象としたり修験道などの山岳信仰といった面はもちろんだが、その地域で一等抜きん出て、狩猟や植物採集で人間に恵みをもたらす。八百万の神がそこらかしこに宿って霊的な力を持っていると思える深遠な自然環境に対して畏敬の念を懐くのは当然である。なかでも圧倒的に高く屹立する日本一の山に対して私たちが感じるものは、宗教的とも言っていい尊崇の気持ちなのだ。

雲の掛かりようで地元では天気を予報し、富士が見える見えないと語り合う日常の風景(松江の人にとって伯耆大山がそうだが)になくてはならない存在、これも親しみをこめて広い意味での宗教的畏敬の念に含まれることとなろう。

ただし富士山が噴火したらどうなるのか。江戸中期の宝永大噴火で円錐形の形は少し崩れた。それ以上に崩れたらどうしようか。3・11の大震災以降、大陸プレートに乗った日本列島が大変動したと言われる。富士の大噴火もありうると言われる。もしもそれが起きてしまえば、富士の美的価値、宗教的価値も含めて大きく変わっていくかもしれない。大噴火の噴煙と塵、灰、礫が降り注ぐようになると世界遺産どころではなくなってしまう。無事を祈るのみだ。

ともあれ大型連休の後半が始まり、冠雪を残した富士山に向かう人の姿が多くなりそうだ。わたしも春の青空にひときわ映える富士の姿を羽田空港に向かう空から眺めるつもりであったが、昨日は厚い雲海の底に沈んでしまっていた。残念だった。
劣化するメディアを守るか排するか [2013年05月02日(Thu)]

__tn_20130502121145.jpg映画『図書館戦争』では、図書隊とメディア良化委員会軍とが小田原でもって正規の局地戦を戦った。今朝報道された小田原の中学校での事件と不思議な符合を感じてしまう。まずは中学2年女子2人が、教室を破壊した上に水びたしにした事件で補導され、「漫画・惡の華のワンシーンを真似た」と供述した。さらに小田原の別の学校では男子中学生が前の事件を真似た模様である。

もしも「メディア良化委員会」なるものが実在したとしたら、この事件を奇貨としてこの漫画の閲覧中止・廃棄処分を命令するであろう。そして図書隊が表現や思想の自由を楯にして、両者の戦端が開かれるに違いない。「惡の華」という漫画は閉塞感にさいなまれて屈折しつつも自我の確立に向かっていくという物語のようであるが、ほんの一部でも真似れば大きな社会的不利益が生じかねない、現に模倣犯が出たではないか、と委員会は検閲を実行するだろう。

反対の声に対し委員会はおそらく言い放つ。「劣化したメディアを排除する」と。劣化しているかどうかは人それぞれ判断が違う。しかし漫画や小説、雑誌、新聞、インターネットなどに溢れかえっている放縦な性描写、際限のない暴力描写、人権や人命を無視した処置。それらが目の前に存在していれば、「私たちはメディアを良い方向に化導する」という理屈は一見もっともだ。そこで表現の自由に一旦制限を加え始めれば、権力側は容赦なく自由を制限しはじめる。疑わしくば罰するという狂気も露わにし、本来正当な批判勢力に対しても動きを封じる。そして暗黒のファシズム社会になってしまう恐れがある。図書館戦争で人びとは自由を謳歌しているように見えはしたが、本の値段は吊り上がり、健全に権力を批判できるマスコミは少なくなっていた。それでなくとも空気で動く日本社会にあっては、一度転がり始めた玉を途中で止めることはできないという認識を図書隊、なかでも仁科司令は明確に持っていた。

もちろん劣化するメディアはマスコミに限らない。ネットに溢れかえる個人のサイトや書き込みが、火のないところに煙を立てて、無辜の一般人を晒し者にして笑いものにする。むしろこちらが悲惨であり、だからこそ冷酷にも人を虜にする。こうした世界は図書館戦争の中にだけあるのではない。今の僕たちの生活にそのまま当てはまる。

劣化したメディアを守るべきか否か、そもそも劣化したと判断を下すことが正しいのか否か。そうした重い課題が図書館戦争には示されている。
鉛筆とナイフを持ちて静かなる [2013年05月01日(Wed)]

__tn_20130501073442.jpg心静かに鉛筆を削る
鉛筆削り器ではなくナイフを使う
はじめはザックリざくりと大きく削る
あとは細かくサクサク削る
木の形が整ったなら芯を削って完成だ
芯はできれば4Bがいい
太い字体が思いのままで削れた先を使えば細い
心静かに無心で削る
心を乱すよしなし事が沈んで上澄み綺麗なる
着手の前に作戦を立てるもこれまたいい機会
心静かにナイフを持って心の汚れ落とそうよ
ナイフは功罪ありうるが使う心の統べ次第
心静かに思いを馳せて想像の翼広げるもよし
鉛筆削り静かなる時を過ごせば豊かなる
人との出会いがありそうだ
今日の一日期待して
心静かに無心で削る