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あら雨と水のにおいがどこかしら [2012年10月31日(Wed)]

__tn_20121031183430.jpg先日週末にショッピングセンターの駐車場でうろうろしていると、母と息子と娘の三人が出てきた。娘はおそらく小学生の高学年、息子は中学生ぐらいだろうか。

母が「あら雨?」
息子は「まだ水のにおいがしないから大丈夫」と応えた。
「洗濯物をほしたままなのよ」と母は不安を軽くあらわした。

どんよりと今にも雨粒が落ちてきそうな雲行きだ。ものの十秒もしないうちに雨は降りはじめた。母が感じた雨の気配は的中した。さすが、一家の家事をあずかる責任者の風格だ。感覚が細やかで生活感に溢れている。

一方で息子も大したものだと思う。雨の降り始めにはアスファルトや土を雨粒が叩いて、埃の微細な粒が立ち昇るからだろうか、特有の匂いというか、気配が立ち昇る。彼はそれを知っている、感じている。息子の感性もなかなかのものである。後生おそるべし。

母の生活感も息子の風流も見事。娘はにこにこと話を聞いていた。いい家族だなと思った。

(写真は三瓶山に咲いていたナデシコ)
絆ありほだしときずなで迷うとき [2012年10月30日(Tue)]

__tn_20121030204700.jpg『絆』という字はふつう「きずな」と読む。人と人とが(動物の場合もあるが)離れがたく結びついていることをいう。『絆』には動物や家畜をつなぐ綱、すなわち自由を妨げる足かせの意味もある。その場合は「ほだし」と読む。「きずな」であるうちはよいけれど、度が過ぎると「ほだし」となって苦痛を感じる。

ひとが危機に陥っているときには、他人の情けが心に染みる。誰かが寄り添って話を聴いてくれると心から嬉しく感じる。心理的にも物理的にもその人と引っ付いていたい。心地よい。時間が過ぎて次第に落ち着いてくると様相は変わる。少し離れたくなるのだ。近寄られるとベタベタした感じがして不快を感じる。アドバイスにも素直になれなくなる。あれほど好ましい近しさだったにもかかわらずである。相手の好意から出たことであっても、干渉と感じられて煩わしい。きずながほだしに変わったわけだ。

ほだしに束縛されていると感じたら、ウイークタイズという言葉を思い出してみよう。日常的に頻繁なつながりはないが緩やかな信頼感で結ばれている関係のことをいう。いろいろな場面でつながった人との出会いが人間関係を豊かにし、いざというときに思いがけないアイデアや助けを与えてくれる。これっていいな、生きることはまんざらでもないと意欲が湧いてきて楽しくなる。

(写真はぎっしりと花の谷、セイタカアワダチソウ。背高泡立草とすれば立派な秋の季語)
高齢の事故を防げや油断すな [2012年10月29日(Mon)]

__tn_20121029181757.jpg高齢者の交通事故にはもう一つの原因があることが私にはわかった。警察本部の頭を悩ます高齢者の事故。いままで考えられてきた原因は次の二つ。

[1] 認知能力の衰え。車のスピードに目や耳の反射力がついていかないこと。
[2] 体力の衰え。横断歩道を速く渡ることが難しくなり、瞬発力が落ちて車を避けられなくなること。

常識的にもよくわかる原因だ。私が昨日覚ったのはこのことだ。

[3] 自分は大丈夫だという自信。高度経済成長を支えてきた今の高齢者の多くは、運転免許が珍しいときに苦労してとり、車の整備も自分自身でやってきた強者が多い。車のことには過剰なほどの自信を持っている。

何を隠そう私の父がそれだ。昨日いっしょに出かけた際に横断歩道を渡った。母や妻、私は車がまだ遠く離れているときにさっさと渡ってしまった。ところが父はおっとりと車を待たせながら、こうつぶやきながら渡ったのである。「道路は堂々と渡らんとな」 私はピンときた。

車のハンドルを握っているときに自信をもつのはわかる。だが歩行者の立場は弱い。数百キロの速い運動エネルギーがぶつかってきたときには、人間は哀れな肉塊でしかない。今どきどんな運転者がいるか想像すらできない世の中でもある。歩行者優先の横断歩道であっても、運転者を見て目で制しながら渡ることが大切だろう。これから暗い時間が増える。暗ければ運転者は見えない。運転者から歩行者のほうも見えにくい。こんなときにはなおさら慎重さが求められる。

自分は大丈夫だという根拠のない自信を別な言葉でいえば「恐怖への無知」 命は大切にしたい。
早起きのマガンフライト秋盛ん [2012年10月28日(Sun)]

__tn_20121028223516.jpg圧巻のモーニングフライトは見られなかったが、マガンが編隊を組んで斐伊川河口に降り立つ風情を楽んだ。島根県自然環境課のホームページ『天然記念物「マガン」を見よう』(http://www.pref.shimane.lg.jp/shizenkankyo/dekakeyou/018_magan.html)では、次のようにモーニングフライトを紹介している。
≪特徴的な習性としては、毎朝一斉に餌場に向けて編隊を組んで飛び立つことが上げられます。日の出とともに三千羽ものマガンが一斉に飛び立つ光景は圧巻で、その迫力には圧倒されます。≫

昨日土曜日の朝6時、斐伊川河口から500mのところに到着した。あたりは薄暗い。明けの明星がひときわ輝き、西にかかった木星も負けじと光っている。宍道湖の向こうに大山の中腹から上が浮かんで見えている。靄がかかって地平線近くは陰る。ほんのり白んでいた東の空に色がついた。トキ色から薄いオレンジ色、茜色へ。手前一面の葦原からは姿が見えない鳥の声が聞こえる。斐伊川の浅瀬にはコハクチョウの群れが泳いでおり、これも白い白鷺が何かをついばんでいるのが見える。だが、マガンの姿はない。

カラスがあちらこちらでクワァ、カアとやかましい。あたりはぐんぐんと明るくなる。朝焼けは明るいオレンジ色や朱色となって雲を染めている。金星や木星はいつの間にか見えなくなった。二週間前は大山のすぐ右横から朝日が昇った。今は明るい箇所がさらに西へ移動し、日が短くなっているのがわかる。

マガンのモーニングフライトはないのか?と帰ろうかと思ったところで上流から編隊がやってきた。ウミネコのような鳴き声がする。その数は約500。壮観な眺めだ。幾筋もの不規則な隊列となって飛び、やがて河口近くに降りた。あのマガンの群れはどこで夜を明かしているのだろうか。数分後再び編隊が上流からやってきた。今度は約300。同じように河口近くに降りて前の連中と合流した。ガワガワ、クヮクヮという声と思い思いに鳴くから、今までの静けさが嘘のようににぎやかだ。マガンのモーニングフライト。圧巻というにはまだ少ないが、秋から冬の風物詩を体験することができた。

(写真はモーニングフライトとは全く関係がない。松江京店にあるハナミズキの紅葉した葉っぱ)
やることとやるべきことを立て分けて [2012年10月27日(Sat)]

__tn_20121027220243.jpgやることがある。思いついたらすぐやる。気持ちがいい。
だれかから頼まれた。やりかけのことを中断してすぐやる。感謝される。気持ちがいい。
依頼のメールがきた。忙しい、今は時間がない。あとでやろうと思う。
いつの間にか忘れた。督促されて、ああしまったと後悔する。
文書を読んで対応しなければならない。どうも億劫だ、面倒くさい。そのままほおっておいた。
心の隅に引っかかる。魚の骨がノドにひっかかっているようで気持ちが悪い。
やらなければいけない。なぜか気が引ける。なぜだろう。要はやりたくないんだ。
やりたいこと。
やらなければならないこと。
やってもやらなくてもいいこと。
やらないほうがいいこと。
いろいろあるが、やりたいことをやるために、まずはやらなければならないことをやっておこう。
気が進まないからといって、やってもやらなくてもいいことに手を出すことは少し我慢しよう。
もちろん、やってはいけないことに食指が動いてはいけないよ。
澄みきった秋の日暮れて句を詠んで [2012年10月26日(Fri)]

__tn_20121026184224.jpg久方ぶりに俳句速打ちゲームをやってみよう。列車に乗ってから降りるまでの約30分。さあ始まり、はじまり。季語は、菊、秋の夕焼け。

菊日和足を止めたは木洩れ日を
まだ昼間あれよという間に秋の夕暮れ
あかね色宍道湖落ちたは神の陽よ
夕焼けて夜長読書に語らいに
花盛り審査待ちわび菊花展
通勤の朝に揺れるは野菊かな
雲染まり水面に映る秋の夕暮れ
待ちわびて盛り短かや菊の花
秋暮れて星降る夜を想像す
たたずんで来る人待つは秋の夕焼け
出る時は夕暮れいまは闇に閉ざされ
参考書じっと読み込み秋受験生
ふと風が襟を立てては秋の夕暮れ
菊人形安芸のテーマは清盛ぞ

(コメント)
しかし、大したもんですね。拍手喝采!
作成者 SEITYUKAN : 2012/10/26 (金) 22:20

大したもんではないですが、ありがとうございます。言葉遊びは楽しいもんです。
作成者 喝采をとこ : 2012/10/27 (土) 21:07
湧いてきて希望のチカラまんざらじゃあ [2012年10月25日(Thu)]

__tn_20121025232417.jpg二十世紀において人々に希望を与えた政治家は誰か? ヒットラーである。第一次大戦後、塗炭の苦しみをなめたドイツ国民に強烈な希望を与えたが、結果はあのとおり。希望は与えたり、もらったりするものではなく、自分でつくるから希望なのだと。講演『希望のチカラ』で気鋭の労働経済学者、玄田有史氏(東京大学社会科学研究所教授)は、聴衆を納得させる話術と内容で満足させてくれた。松江で開催された全国図書館大会でのメニューである。

今の日本には、わかりやすいことをよしとする風潮がある。わかりやすい授業(学生が教師を評価する)、わかりやすい本(それに笑いが入っていれば言うことないのだろう)。ちなみに売れる本の条件は次の三つだそうだ。
 1 読んでほしい対象がはっきりしている。「誰でも」はダメ。
 2 何がいいたいかをひと言で言える。メッセージ性がある。
 3 書き手の姿勢が妥協していない、かといって意固地でもない。

希望と幸福は似ているが違う。「幸福」は今の状態が続いてほしい、維持したいという願望を伴う。「希望」は将来への変化を期待し、現状が厳しくても変革に向けた決意や覚悟を示す。希望とセットで使われる「夢」は純粋でメルヘンチック、現実離れした楽しい考え。ドイツの哲学者グロッホは希望をこう定義した。「希望とはまだない存在である」

Hope is Wish for Something to Cometrue by Action.(希望とは行動によって実現すべき大切な何ものかを求めることである)。氏が定義したこの言葉は希望の要件である。自分にとって大切な何かを現実のものにしようと強く願っているかどうか、実際に行動しているかどうか。これが希望を実現する条件となる。

なぜ勉強するのかわからない、将来役に立つとは思えないと、中学生男子の質問があったそうだ。筋道たてて考えて人に伝える訓練のためだと真っ当に答えようかとも思ったが、とっさに止めた。私もわからないと答えた。世の中は解らないことだらけだ。解らないなりに何とかすること、それも面白い。解らない状況を打開する糸口を見つけることが勉強することの意味かもしれないと氏は答えた。

先が見えないこの時代。希望がないと言われる。小説『希望の国のエクソダス』で、「この国には何でもある。…だが、希望だけがない」 逆に、先が見えてしまった場合も希望はなくなる。先が見えたようでも視点を変えれば希望は見つけられる。闇に隠れて先が見えないようでも、なんとかなると思い切れば希望は湧いてくると。

「希望を探しつづけることに希望があり、夢を持ったまま死ぬことが夢」という信条で生きる大人が増えることを望む。人生は山あり谷あり色々あるが、みんなが「まんざらでもなかった」と言える一生でありたいと氏は結ばれた。

(写真は今夕の大橋からみた宍道湖。満更でもない光景だ)
暴力を追い放ち笑顔から [2012年10月24日(Wed)]

__tn_20121024211148.jpg●暴力団を利用しない ●暴力団を恐れない ●暴力団に金をださない
これは暴力団追放三ない運動の3条件。今日は『暴力追放・銃器根絶島根県民大会』に参加してきた。

主催者あいさつ、功労表彰、祝辞、大会宣言で第一部。第二部講演を終えたあとには、第三部として県警音楽隊の演奏があった。交通安全週間の始まりに、にぎやかしとして(失礼\(__))聞いたことはあるが、じっくり聴くのは初めてだった。行進曲やメドレー曲など思いのほか(これまた失礼\(__)、いい演奏を聴くことができて嬉しかった。カラーガード隊のフラッグダンスも初めて見ることができた。

東日本大震災の被災者のための曲「A song for Japan」を聞いた。外国の作曲家になるという。トロンボーンのソロでしめやかに始まり、音が重なって鎮魂と激励を込めたイメージが、メロディとリズムにのって伝わってくる。

三大行進曲のひとつとの紹介で、「旧友」(独・タイケ作)が演奏された。指定のテンポで演奏したというが、よく聞く演奏に比べるとゆっくりだ。ドイツの軍人の隊列はゆったり進むのだそうだ。あとの三大行進曲は「星条旗よ永遠なれ」(米・スーザ作)と、軍艦行進曲(要するにあの軍艦マーチ)。星条旗はともかく、軍艦は本当か?と思ってしまう。頭に浮かべてみれば、連戦連勝の意気あがる艦隊が朝焼けの山並みを遠くに観ながら進むイメージがわいてくるいい曲ではあるが、三大となるとどうかなあ。

音楽隊やカラーガード隊のメンバーは、ふだんは警察官や警察事務員として仕事をしているという。息のあった演奏とダンスで、会の主旨である暴力追放だけでなく、交通安全もアピールして、十分に存在感を示していた。特に5名のガード隊はキリリとした満面の笑みで、こんな警察官が?という意外性を醸し出し、見事だった。
市民みな集まり楽しむときなれば [2012年10月23日(Tue)]

__tn_20121023231017.jpg市民活動センターの条件をみんなで考えた。今夜の「松江NPOネットワーク勉強会」でのワークショップでのことであった。市民活動とは? 市民活動センターに何を求める? といった問いにたいして考えたキーワードの一部が次のものだ。

ソフト‥交流‥社会的課題‥共感‥人を知る‥研修‥フェースブック‥接点‥仲介‥楽しみ‥発信‥待ちから攻めへ‥協働‥連携‥期待‥勉強‥調整‥声かけ‥活動紹介‥分析‥カフェ‥物販‥笑顔‥見える化‥出会い‥誘導性‥貸しオフィス‥集いの場‥気軽な受付‥ウェルカム‥‥‥。

もっとあるが、そのあとの有志による懇親会で思った。ひととひととの繋がりを大切にして、ひとつの繋がりきっかけにして、ウィンウィンの関係を広げることが大切だと。他の人やグループの力を減ずることを願う競争原理では、めぐり巡って自分も不幸になる。一人の百歩より、百人の一歩が大切だと。

12月1日(土)には、ふるさと島根定住財団を中心に、「いいとこ いっしょに いきいきフェスタ2012」が松江のくにびきメッセで開かれる。要は、県民がこぞって企業もNPOも行政も個人もすべてが社会貢献にむけた動きを加速させていこうとするイベントだ。島根はすこしずつだが、変わりつつある。

(写真は、先日日曜日のどう行列。松江市民の秋を彩る賑やかな祭り。ここでも多くの市民が出会って触発されて、やる気を高めたことだろう)
コスモスと宇宙はともにここにある [2012年10月22日(Mon)]

__tn_20121022181343.jpg宇宙の名をもつコスモス(cosmos)。
コスモスは宇宙。
宇宙はコスモス。
宇宙は秩序だって調和に満ちている。
混沌とカオスの舞台でもある。
コスモスはなんと簡明で美しき体系か。
八葉の花びらが均等に放射する。
淡い青紫や薄桃色の花弁は透けて見えそなか弱さよ。
群れて咲くときは花の宇宙を地に満たす。
宇宙の体系はわからない。
ひとつの謎が解かれれば新たな謎が深まって人は迷路に迷い混む。
あれよという間に暮れる秋。
薄闇にコスモスが揺れるとき。
宇宙とコスモス摩訶不思議。
宇宙はきっとコスモスだ。
コスモスのなかには宇宙があるさ。

(コスモスの話題なのに花の写真がないとはこれ如何に。ツワブキも秋を感じて咲きだした。秋のリズムは宇宙の波長)
さよならと出会いはいつも繰り返し [2012年10月21日(Sun)]

__tn_20121021215257.jpgひとは何かで心を埋める。心が空疎であっては生きられない。仕事、家族、役割、栄誉、欲望、憎悪、復讐、そして恋。多重多層、雑多にわたる営みすべてが、ひとの生を支える。望みどおりにいかなければ、第二、第三と順位は落ちても、ひとは何かで心を満たそうとする。他人から見ればくだらないと思えるようなものでも、ひとはもがき求めて幸せをつかもうとする。

映画『さよならをもう一度』(原題:Goodbye Again)で、ロジェ(イブ・モンタン)とポーラ(イングリッド・バーグマン)は一度別れた、しかし再び結ばれたから「さよならをもう一度」ではない。その筋立てを中心とすれば、「もう一度恋して」と題するのがふさわしい。

ポーラはロジェに愛されているとわかってはいても、寂しさにさいなまれる。冒頭のシーンがそうだった。ロジェとの外食を楽しみにしてポーラはいそいそとおめかしに余念がない。そこへロジェから仕事で会食できなくなったと断りの電話。彼女の寂しさは最高潮に達する。美貌のインテリアデザイナーとして成功し、家政婦を使える経済的余裕があっても、ロジェの愛は独占できない。彼女はやりきれなく思っている。二人は自由に結婚せずにいこうと約束したとはいっても、こんな思いばかりするなんて切なすぎるとポーラは思う。そこで彼女の心を埋めるのが、15歳も若いフィリップとの情事であるが、そのことは置いておこう。

ひとは時に満たされる、ひとは時に失意に沈む。その繰り返しで、禍福はあざなえる縄のごとしというとおり、ひとの毎日が色分けされていく。だからこの物語は「もう一度恋して」ではなく、「さよならをもう一度」なのである。あるいは「さよならは何度でも」と訳すのがふさわしい。エンディングのシーンが冒頭と全く同様に、ロジェの会食破りという全く同じ状況によってポーラが失意に沈むことに表現されている。

ポーラは結局ロジェと結婚はした。形としてはロジェの愛を独り占めした。しかし、ポーラはこれからも何度でも禍と福を繰り返して、悲しんだり楽しんだりするのだと映画は暗示する。ポーラだけではない。観客に対しても、今が幸福であってもおごってはいけない、不幸に沈んでいても腐ってはいけない、生き抜きなさいと言いたいのだと思う。

テーマ曲はブラームスの交響曲第三番の第三楽章。何十年も前にこの曲を初めて聴いたとき、わたしは映画音楽のようだと思った。1,2,4楽章と比べても、そのロマンチックな曲想が突出している印象を受けた。この映画が始まってこの曲が流れてきてとても驚いた。テーマとしてだけではなく、演奏会やラジオ番組の曲目、アレンジも縦横に効果的に使われていた。交響曲第三番のほかに、交響曲第一番の演奏もあり、現代的な解釈とは違ってゆったりとした演奏ぶりに半世紀の時の隔たりを感じる。

この映画は1961年作。1942年の『カサブランカ』から19年。「君の瞳に乾杯!」と言いたいほどの美貌はすでに陰ってしまっていたのは残念だが、「もう私は40歳よ!」と言い切ったバーグマンは、その哀愁をよく背中に表現していたと思う。
不審者に気をつけ夜は特につけ [2012年10月20日(Sat)]

__tn_20121020134517.jpg車を運転していると不審な車が目につくときがある。蛇行する。片側に極端に寄って走る。スピードが定まらない。原因は何であれ、いずれ悪い結果がおこる可能性が高いであろう。迷わず、車間距離を大きくとり離れる。

昨夜半の1時半頃、JR博多駅で「人を切りたい」と狂った男が人を襲った。幸い重傷者はいない。テレビで若い男性は、「赤いジャージ姿の男が刃物を持っているのが見えたので遠回りに避けたが、直進した友人が刺された」とインタビューに応えていた。刺された6人は挙動不審な男がうろつき廻って、しかも刃物を持っている、避けることはできなかったのだろうか。ぼんやりしていたか、自分には関係ないと思ったのか。不運にも、危機が自分に及ぶと想像できなかったのかもしれない。

沖縄で16日、アメリカ海軍の若い兵士二人が女性を強姦して逮捕された。沖縄の屈辱的な歴史、基地関係の数多い事件・事故、普天間基地移設問題、オスプレイ配備問題のことはここではおく。

その犯行時間が真夜中を過ぎた午前4時頃というのが気になる。夜明けが遅い沖縄では明るくなるには3時間もある真夜中だ。歩き慣れた自宅への道とはいえ、昼間ではない。

酒が入った若い米軍人。片言の日本語で声をかけたところまでは軽い気持ちだったのかもしれない。ところが、女性に無視されたことで、おそらく怒りと欲望に火がついたものであろう。彼らには日米安保条約の約定など頭にはなく、植民支配者的で横暴な意識がある。すなわち対等な人間とは思っていないのだ。それも暴行・強姦までに及んだ原因だと想像する。あとは沖縄県警の捜査が進むのと、日本政府の外交にまかすしかない。

気になるのは、普通は人が歩いていない深夜に、しかも一人だけで歩いていたという不思議だ。恐いと思わなかったのだろうか。危険があり過ぎる。タクシーを使うなどの方法があっただろうに、残念だ。かといって、罪人の罪を一等減ずるというわけにはいかない。

深夜には魔が潜んでいる。凶器たる車にも狂気がある。恐るるべし、忘るなかれ。

(コメント)
「深夜には魔が潜んでいる。」全く、その通りだと思います。
闇夜であれば、人に見られていないという犯罪心理が働くのでしょうね。
とにかく、不自然な状況下に入ることの危険性を予知して行動しなければなりませんね。
お久(ひさ)でした。
投稿者 好司 : 2012/10/20 (土) 22:28

私自身が「危険性を予知して」動いているかどうかといえば自信がないですが、君子危うきに近寄らず、の言葉のとおりですね。野次馬根性や好奇心が大切なときがありますが、危うそうな気配を察する、こんなときこそ空気を読め!ですね。
投稿者 危険をとこ : 2012/10/21 (日) 06:52

確かに「安に居て危を思う」ことは難しいことかもしれませんが、防犯意識を高める必要があると思います。
調べてみましたら、なんと、女性が被害者となる犯罪は年間約46万件発生しているようです。(警察庁統計)
年代別ではやはり20代が一番多い。
とにかく若い時期から防犯意識を高めなければなりませんね。
投稿者 好司 : 2012/10/21 (日) 08:31

そうですか、そんなに!
どんなに気をつけていても危険からまぬがれることはない。でも確率を低くしていくために賢明でありたいですね。
投稿者 危険をとこ : 2012/10/22 (月) 06:44
道草で撮るはとるはと写真かな [2012年10月19日(Fri)]

__tn_20121019183449.jpg通勤ではときどき道草するのが楽しい。暇人と言うなかれ。余裕と言ってほしい。

昨日の朝はバス停をひとつ手前で降りて、脇道に入った。狭いが庭木が道までせりだして、草花の鉢植えが道行くひとに見えるよう並べてある家がある。そこのひとが花の世話をしていた。声をかけた。

「いつもきれいにされてますね」
「ありがとうございます」
「ひとつ、とらせてくださいね」
と、おもむろに持っていたスマホで写真を撮った。撮って歩きながら思った。「採らせて…」と解釈されてたらビックリしたろうな。目を見ていないからわからないが、いいように考えていてくれたろうと思い直した。

そこで撮ったのが、この写真。5ミリくらいの赤色の実が明け方までの雨に濡れていた。みずみずしい葉っぱとのコントラストが鮮やかだ。こんなふうにして撮りためた写真が、スマホに百枚以上はいっている。自分なりに厳選しているものだから愛着がある。季節外れになっても捨てがたい。
さあ降ろせ首相引いてよ政局だ [2012年10月18日(Thu)]

__tn_20121018213407.jpg政局とは何だ。緊迫してきた日本の政局。WEB大辞泉は次のように【政局】を定義している。

1 ある時点における政治の動向。政界の情勢。
2 政党内・政党間の勢力争い。特に、与党内での主導権争い。多く、国会などでの論戦によらず、派閥や人脈を通じた多数派工作として行われる。

政局という言葉には、内閣を引きずり下ろす、首相の首をすげ替える、政権党にノーをつきつけて主導権争いに勝つというイメージがある。野田首相は自身の進退をめぐって深く思い悩んでいるとか、いないとか。

今解散して、世紀の大敗北を喫する汚名をきせられたくないという気持ちはわかる。参議院の定数違憲判決も出たところだし、国会で審議にとっかかり、早々に解散する運びにするのが国民のためである。汚名云々は私利私欲でしかない。松下政経塾の教えを受けた者であれば、国民多数の利益を優先するのが当然だ。

政治の成り行きを外目から見ていると、コップの中の嵐、内輪ばかりを気にしてつまらぬことだ。どうでもいいじゃないか。政局とは当人達にとって死活を決する重要なことかもしれないが、国民のためになる権力闘争をやってほしい。

むろん権力や権勢は必要だ。一定数を確保できず、権力を行使できなければ、やるべきことができない。権力を奪取したならば、速やかにかつ周囲を納得させる論理でもって、より多くの国民のためになる政策を執り行ってほしい。

(キンモクセイとはひと味違うギンモクセイ。花の形も香りも少々違う)
風感じ走るのだいすきタッタタタ [2012年10月17日(Wed)]

__tn_20121017180946.jpg はしるの だいすき
 たった たった たっ
 つちを けって
 くさを けって
 かぜを けって
 たった たった たった たった
 おもしろい
   (まど・みちお作「はしるのだいすき」)

走る、はしる。遅れまいと走る、はしる。走った先には何がある? 称賛か、満足か、それとも記録か。
風を感じて走る、もう何年も経験していない。膝が痛い、股関節に違和感かある、といっては無理をしないできた。体にはガタがくるものさ。
その代わりひとは走るものを手にいれた。自転車、自動車、バイク、船、飛行機、宇宙船……。農機具だって自動車だ。自分の足で走るほど汗をかかずに爽快に進む。
ひとの走りは無限に拡大していくようにみえる。科学と技術の発達でひとの足は輪をかけて高速度。
それでもときには自分の足で走るのがいい。ジョギングでもいい、歩くのでもいい。車イスで移動するのもいい、他人の運転に世話になるのもいい。
土や、草や、風を感じて走る、歩く、動く、移動する。生きているのを感じてる。

(写真は艶やかな香りを動力源にして回転翼で飛び出しそうな金木犀)
恋したら月が輝く人もまた [2012年10月16日(Tue)]

__tn_20121016221239.jpg映画『月の輝く夜に』は、赤い糸でつながれた者同士はいつかは巡り会う、いつか収まるところに収まるものだという物語だ。満月輝く夜には、眼が合っただけで恋が始まるかもよというコメディでもある。この映画のように毎日が満月ならばそんなこともあるかもしれないが(何回か夜が明けたのに、なぜか満月ばかり)、幸い満月は日々欠けて、ふたたび巡るのはひと月後。だからひとは毎日恋してばかりはいない。平穏な日々を暮らす。ときどきトキメくくらいが、ちょうどいいのだ。

さて物語。ロレッタは友人のジョニーからプロポーズされた。何年か前に夫を交通事故で失って独身で断る理由がないという程度の軽さから(多分)、婚約を受け容れた。その後ロレッタはジョニーの弟のロニー(ニコラス・ケイジ)と会い惹かれあう。ニコラスの野性味にあふれたことといったらない。野蛮といってもいい。ニコラスが若いときにはああいう魅力があったのだ、と感心した。

ロニーはロレッタのまっすぐなところに惹かれた。ロレッタはその野獣性に惹かれ、重ねてきた唇を通して恋に火がついた。しかし倫理的には許されない。これっきりと断定するロレッタに対し、ロニーはあがく。二人でオペラを見たい。これが最後だと。その日の夜、髪を染めドレスアップしたロレッタは息を飲むほどに変貌した。恋する女が美しくなるという典型かもしれない。二人が見たプッチーニの「ラ・ボエーム」は、貧乏な詩人と針子の悲恋の物語。ロレッタが涙を流していたのは、詩人に見守られながら恋人が息を引き取ったところだろう。その横顔にロニーはさらに惚れ、二人は収まるところに収まった。

ひとは意にそわなくとも、恋していなくても結婚することはできる。反対に、恋してドラマチックに恋愛を中心にした生活をはじめることもできる。でもロレッタは、同じやるなら、恋に命を燃やした方がいい、と考えた。考えたというよりは体が動いた。ロレッタのあの動物的な目の動きと体のこなし、彼女は天性の恋求め人だったのだと思う。

そして恋する女は美しい。年齢の多寡を問わない。恋すれば一途に身を飾り、心を飾る。ただし対象は男ばかりではないし、思い入れて一生懸命になり工夫の限りを尽くすのは人間相手の恋ばかりではない。仕事のこと、子供のこと、趣味なんでもだ。女だけではない。男だってそうだ。何かに打ち込んでいる姿は美しく、見ごたえに満ちている。
鳥取にフラりと降りたマンガ神 [2012年10月15日(Mon)]

__tn_20121015180617.jpg島根では『神話博』、そして鳥取では『国際まんが博』が開催中だ。島根ほどでもないが鳥取も広いので、見どころを絞って県東部の米子で行われる「国際マンガサミット」に行こうかと思っている。

漫画家が描きあげる様子をかわりばんこに見せてくれる「公開アトリエ」。実際にプロの手になる描画作業、どんなに鮮やかな手つきを見せてくれるか、楽しみだ。期間は11月7日(水)から11日(日)までの5日間。絵が生きて動き出すかのような感覚を味わえるのではないだろうか。

名探偵コナンの青山剛昌、有名な谷口ジロー、鬼太郎の水木しげるは当然のこととして、鳥取が生んだアーティストたちの足跡をたどり、日本が誇る漫画やアニメの世界にひたってみるのも楽しい経験だと思う。

また「食のみやこ鳥取県」と称して、伝統の具材を活用して新しい味覚を作ろうと斬新なグルメ旅もできるとのこと。紅ズワイガニ、大山ルビー豚、白ネギ、らっきょう、あごなどの具材からどんなに斬新でオッと驚くグルメが飛び出してくるか、これも楽しみだ。旅の思い出は(小さな旅だが)、舌と胃袋にも負うところ大きいのだから……。
朝夕は気分によりて赤い顔 [2012年10月14日(Sun)]

__tn_20121014211941.jpg地球は赤ら顔
雲と一緒に染まって赤く
空を薄紅に染めて赤く
今日もよく働いて赤く
くまなく照らして太陽も満足だ
一杯やって赤ら顔
夕焼けの地球の顔は太陽とともに
いろんな色合いに赤く
楽しいたのしいご機嫌だ

夕方の赤みが満足ならば
朝の朱色はなんだろう
これから働く一日に
決意をこめて気を入れて
やってやるぞと紅潮し
いくぶん気持ちを張りつめて
熱い血潮が赤くなる
始まりが清き空気に照らされて [2012年10月13日(Sat)]

__tn_20121013123931.jpg斐伊川の河口、宍道湖岸に出た。今朝の外気温は7℃。朝焼けが始まる前の空気は引き締まって大山がキリリと浮かぶ。金星はまだぎらぎらし、木星も十分明るい。空が真っ暗なときは雲ひとつなかったものの、点々と薄い雲が浮かび、さらに薄い膜をかけて東の空にたなびいている。

雲が色づき始めた。単に茜色と表現しては言い足りない。橙や紅、赤、朱、オレンジ色でもない。刻々と千変万化に染められていく雲たち。形が変われば色が変わる。光の角度が変われば色合いが絶妙となる。光の粉をまぶした彩雲、輝くベールとなって空の変化に花を添える雲。えもいわれぬ味わいだ。

大陸から飛来したばかりの小白鳥は川の浅瀬に陣どってクークー鳴いている。一羽が飛び出したが、あとへ続くものはない。雀が近くで鳴き始める。刈り取った田んぼの辺りでは雲雀も鳴いている。雲雀は春鳴くだけではないと知る。澄んだ清らかな声だ。烏はだんだんと数を増やしてクワァカーとやかましい。マガンも目覚めたもよう。まだ大編隊でモーニングフライトをするほどの時季ではないようだ。実はそれを期待していたのだが残念。どこかで犬が鳴いている。ススキの原からはパチパチと何の音だろう。遥か遠くに車の音がする。ひとの活動が始まったようだ。

西の空には青紫の雲が浮かんでいる。東に目を転ずると光彩が変わったのがわかる。大山のシルエット右側がひときわ明るくなった。まもなくあの辺りから日が上るのだろう。午前6時の煌々たる太陽が上る。山の影はひときわくっきりと、山際も朱に染まる。わずかに十数秒で変わる目前の光景。麗しい朝焼けの姿。山の中ほどに平たくたなびく霞を見れば桃源郷のようだ。

田んぼや草むらのみどりがくっきりとしてきた。ジリジリと刻々と風景を変えて太陽が上っていく。白鳥が4羽飛び出した。今日の餌場に向かうのだろう。今日も一日が始まった。
川蟹や酔った顔なり茜色 [2012年10月12日(Fri)]

__tn_20121012223653.jpg『海の子絵画展』(主催JFしまね)の審査に携わってきた。島根県内の小学生350人あまりが応募した「海に関した絵」を一堂に審査する貴重な機会である。低学年、中学年、高学年に分けて審査員が皆知恵をしぼった。絵の印象を語り合い、言葉にし、自分の感性を信じつつ、一点一点を丁寧に選んだ。迷うものもある。そのときは第一印象を大切にして選ぶ。珍しい構図や描写のものを選ぶ。人や魚がいきいきと描かれているものを選ぶ。緊張もともなうが、子供たちのみずみずしさに触れて、楽しく刺激的な体験となった。主催者に感謝したい。

県知事賞を受賞した低学年の男の子の絵が気に入った。大きく広げた網に無数の魚がかかっている。まさに引き上げようとする漁船には集魚燈が灯り、橙や黄の光で海を照らす。多くの人が作業し、窓を通して網引きの様子を眺め、船は莫大な魚に取り囲まれている。船べりは渦を巻き、海と船体の境は曖昧だ。描き込まれた魚たちの間には光の渦がこれも無数だ。本当は無数ではないが、そう思わせる力感のある絵である。船体は下側から描かれ大部分は海中だ。金子みすゞの「大漁」を思い出した。

海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう

海の色の基調は赤や茶。血の色でもあろうし、夜の海の不気味さでもあろう。だが、船べりの奥の海を見たならば、青くて身近な海の色。この感性もとても鮮やかだった。

審査とは全く関係ないが、今夜は懇親会。ツガニと呼ばれる川蟹。高津川で取れたてのツガニはみずみずしく美味しかった。茹でたカニは赤い。茜色で濃い夕焼けのように茹であがっている。美味しくいただき、やく酔った。

東の空には輝く木星が上ってきた。そばには牡牛座の一等星アルデバラン。これも茹で蟹のような赤色だ。昴星がくっきり見える。今夜は冷え込みそうな予感がある。
鈴虫や拍子木鳴りて暮れる街 [2012年10月11日(Thu)]

__tn_20121011181044.jpg鈴虫が鳴いている 盛んに
コオロギも鳴いている どれがどれだかわからない
釣瓶落としで暗くなり とばりが降りて街のなか
拍子木打つは 松江びと
お年をめした人ならば ましてや一人ときたならば
大きな声は望むまい カツカツ コンコンと
拍子木鋭い音なれば ピキッーと耳をつんぞくぞ
向かいに人が来るときは カチカチ止めて 気をつかう
さすがだ思いやり松江びと 向かいの人が去ったとき
またまた みんなに 火の用心
秋の夜長は 火の用心 無事で過ごせや この秋を
幸せ願い 火の用心 もうじき松江は ドウ行列

(写真は汚染された稲。ではなくて、弥生の風を伝える黒米。炊いたときの色合いが実に美味しそう!)
ぞうさんははなが長くてママがすき [2012年10月10日(Wed)]

__tn_20121010182302.jpgねぇ象さん あなたは鼻が長いんだねえ どうしてそんなに長いのかしら ふしぎだなぁ
ねぇ象さん あなたの鼻をさわらせて たてに横にレンガのように 切れこみが入っているねぇ どんな感じかなぁ
ねぇ象さん さわってみたよ かたいんだねぇ ごわごわの毛まではえてるよ チクチクするよ
ねぇ象さん あっちにいるのはお母さま? あなたは大きいけど お母さまはもっともっと大きいねぇ
ねぇ象さん あなたもお母さまみたいに大きくなるの? すごいねぇ りっぱだねぇ
ほらっ 象さん お母さまがこっちに来るよ ねえ象さん よかったね
あらあれ 象さんもういない 母さん象にむかって走ってる またあそぼうね


  ぞうさん
  ぞうさん
  おはなが ながいのね
    そうよ
    かあさんも ながいのよ
               (「ぞうさん」まど・みちお作)
竣介の制作年月不可解な [2012年10月09日(Tue)]

__tn_20121009232515.jpg画家・松本竣介はこう書いた。(『松本竣介展〜生誕100年』/島根県立美術館)

  さて、美とは。愛することだ。
  愛することによって知る。  (アバンギャルドの尻尾/1940年)

対象を飽かず眺め、幾度もデッサンして自分のものにしてきた竣介。なにげない日常の街角にも美を感じ、それを心から愛したであろう気分が、彼の絵には十分表現されていると感じる。

竣介の絵を見ていて気がついたことがある。完成した絵に名前と制作年月をいれるのであるが、それに4種類あるのである。
1 なにもない場合
2 昭和で記す場合
3 西暦で記す場合
4 皇紀で記す場合

皇紀というのは、伝説的な初代の神武天皇が即位したとされる年を紀元とするものであり、明治時代に考案され戦時中は盛んに使われた。神武暦ともいう。皇紀2600年にあたる西暦1940年(昭和15年)には、それを盛大に祝って全国で記念行事が行われた。

その皇紀を竣介がさかんに使っているのに違和感を覚えたのである。彼は、軍部による美術への干渉に抗議した。軍部が独裁化し、ファシズムの流れが世の大勢になったとき、美術界も大政翼賛的な作品をつくり、そうした主旨の展覧会を催すことで戦争遂行に協力した。それらに抗い、天皇を神格化する流れに竣介は異を唱えたような印象をもつのであるが、彼が皇紀を使ったのはなぜだろうか。

治安維持法が強化され、特高警察が暗躍する時勢。表現の自由が犯されてしまう時勢。それらはあくまで軍部という時代の寵児が行うものであり、万世一系の天皇はそれに利用されていただけで、天皇には罪はないと考えていたのだろうか。あるいはそうした意識なく当たり前に皇紀を使っていたものだろうか。わたしにはわからない。
今を生き続けることが素晴らしき [2012年10月08日(Mon)]

__tn_20121008152139.jpg素晴らしき哉、人生!』(原題:It's a Wonderful Life/監督:フランク・キャプラ)は素晴らしい映画だ。アメリカではクリスマスに見るテレビの定番として知られているという。日本公開は1954年だが制作は1946年。

父親の急死で資金融資組合を継いだジョージ・ベイリー(ジェームズ・ステュアート)。町一番の事業家で守銭奴のポッターの買収圧力にも負けず、低利で組合を運営し続けた。幼なじみで美しい妻メアリー(ドナ・リード)や4人の子どもたちの存在もあって、彼は幸せだった。ところが不運にも8千ドルの大金が紛失し、彼は窮地に陥る。雪が降る寒いクリスマスイブの晩だった。川に飛び込んで自殺を図ろうとした彼を助けようと、彼の守護天使が登場する(天使は一級資格を持っておらず、翼が持てないしょぼくれじいさんの姿というのが面白い)。嘆き沈み生まれてきたことを後悔するジョージに対し、天使はジョージが生まれて来なかったイフを実際に体験させる。あの親友も彼を無視し、俺を覚えて いないのか!と詰め寄るジョージを殴った。愛する妻でさえ、神経質なオールドミスとなって寂しく老いようとしていた。ジョージは幻滅し、もう一度生きたいと元の世界を懇願するのである。

この映画には大きな山がない。映画が始まってから8割方は退屈だ。場面場面で長々とした会話が続き、筋が淡々と進んでいく。途中二度ほど眠りそうになった。目をこすったり姿勢を変えたりして眠気をこらえた。幾人かに感動の映画だと聞いていたからだ。生まれなかった世界をジョージが体験する段になっても、退屈さは免れない。

ところがクリスマスイブのベイリー家にジョージが戻ったとたん、町中のひとたちがジョージの危急を救おうと集まってくれていた。資金のことが解決するばかりか、ジョージが生きてきたことが、家族にとっても町の人々にとってもどれだけ重要でかけがえのないことであるかを感じさせてくれたのである。読んだばかりの『曾根崎心中』(近松門左衛門原作/角田光代翻案作)を思い出した。

≪その日から、すべてがちがって見えた。太陽も、空も、新地の町も、着物も、川も、橋も、おはじきも、鞠も、雨も、自分の顔も。目に映るすべて、何ひとつ、よぶんなものがなかった。≫

ジョージは破産と逮捕劇に怯え、いったんは死んだようなものだ。どんな人でも、生きてるうちにどうしようもなく落ち込むときがある。彼はファンタジーの力によって蘇った。勇気をもって歩み続けることを誓い、自分自身に価値を見出したのである。曾根崎心中の文は、主人公の初が恋を知ることから世界観が変わる感覚を得た。ジョージも同じように、自分のすべてに価値があることを悟ったのである。喜びを分かち合う人々が集まりにぎやかなイブの夜が更けていく、最高のハッピーエンドだ。観客はその喜びの場に自分も立っているような気がして、よしやってやる!と心を静かに奮い立たせて座席を立つ映画である。
大捜査踊り終われば再びの [2012年10月07日(Sun)]

__tn_20121007161154.jpg踊る大捜査線THE FINAL新たなる希望』を楽しんだ。すみれ(深津絵里)の思い切った大犯罪ぶりに驚いた。現役なら懲戒免職はまぬがれない。刑事罰でも執行猶予がついて懲役2,3年にはなりそうだ。ネタバレになるのでここまで。ともあれ今作は特に綺麗!

これだけ毀誉褒貶の激しい映画も珍しい。ネット上には前回に増して駄作だ、言うことないほど感動したなどと両極端の評価が並ぶ。なぜここまでヒットするのか、テレビ編も含めて15年もの間続いているのか。わたしは思う。室井(柳葉敏郎)と青島(織田裕二)の立ち姿や動く姿にあるのだ。

室井は端正にりりしく立つ。唇を真一文字に結んで、室井は不条理に耐える。警察内部の行き過ぎた官僚主義やセクショナリズムに怒る。が、耐える。キレたりはしない。自己保身ではなく、市民を守るためのより良き警察組織をつくるには職階を上げて権限を持たねばねらない。そのときまではじっと我慢の子。だが、敏腕をふるえる時には、部下を信頼して全力で闘う。まさに大人の理想像がある。緊張感ただようあの歩く姿にしびれる観客は多いだろう。

青島は少々猫背に斜に構えて立つ。上下動は大きくたらたらして歩く。が、犯人や敵対する相手に対するときは、不動明王のような力感を見せる。現場に向かうときの青島は全身が豹のように躍動感に満ちている。表情も魅力的だ。口をへの字にして不満顔かと思えば、破顔一笑して場の空気を変える。ひとを幸せにするあの笑顔はたまらない。

「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」という青島の不世出の名言。今回もいいセリフがあった。
「正義なんてえのは、胸の奥に隠しているくらいがちょうどいい」(だったかな?)

正義は、ときに独善に陥る。自衛の元に行われる戦争も正義であり、テロとの闘争も正義が旗印だ。旧日本軍の各種爆破事件などでっち上げた正義だって数知れない。正義を色濃く声高に主張する者の言い分には注意したほうがいい。

室井(柳葉敏郎)にも名言があった。台詞は忘れてしまったが、格好よく決めたあとに、死んだ和久(いかりや長介)が決めゼリフをいうたびに「なんてなっ」と照れかくしをしたように、そのまま真似て笑いを誘った。亡くなったいかりやへの追悼であろう。細かい指示を求める湾岸署(所轄)の捜査員に、「自分の判断で動いてください。責任は私がとります」 と。テーマ曲とともに実に痛快で胸踊るシーンだった。

今回の肝は、警察上層部の汚れや情報の隠蔽・捏造、強烈な官僚主義を糾弾する意図がある。漫画的な強引過ぎる設定に鼻白らむこともあったが、その中心軸にいた鳥飼(小栗旬)。上意下達の権化を演じたこと、組織改善策を何度も建白したこと、正義をうたう殺人の片棒を担いだこと。それらの矛盾が大き過ぎた。マスコミ各社にメール送信した告発文があまりに貧相で小栗がかわいそうに思えた。

ストーリーとしては決してファイナルという展開ではなく、今回が本当におしまいとは思えなかった。でも惜しまれてここで止めるのがいい。ゴジラのようにダラダラと晩節を汚してしまうことになる。
日常は苦戦激戦奮闘し [2012年10月06日(Sat)]

__tn_20121006213507.jpg1973年(昭和48)は福祉元年と言われ、老人医療が無料化されたり年金額が大幅に引き上げられた。それ以上に重要なのは1989年(平成元年)。ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十カ年戦略)が定められ、老人福祉制度や施設の緊急的整備がはじまった。特にホームヘルパー、ショートステイなどの対象として、生活保護世帯、非課税世帯でなくとも門戸が開かれた点で画期的な年であったと思う。寝たきり老人ゼロ作戦もこのときから始まった。

このころ高齢者たちから声があがった。「日中戦争、太平洋戦争を戦わされてきて、やっと平和な時代になって喜んでいる我々にまた作戦を強要するのか」という声だ。その気持ちはよくわかる。だが、人生とは闘争の異名。弱肉強食の世の中、毎日は苦闘と激突にまみれており、権謀術数にまきこまれることもある。甲子園ではひいきのチームを援護射撃し、熱闘の末善戦むなしく敗れたチームに惜しみない喝采を送る。

戦いの狼煙が上がったら、軍配をかざし采配をふるう。軍資金は十分か。財務や経理は不可欠で、超弩級の攻め手が押し寄せたときにはものを言う。彼を知り己を知れば百戦して殆うからず。もしも旗色が悪くなったなら、白旗を上げてもやむを得ず。勢揃いしたところで、お楽しみは始まるぞ。おや待て、腹が減っては軍はできぬ。楽勝ばかりはあり得ない。強行軍、孤軍奮闘でも反撃の手をゆるめるな。一番乗りでその名を上げよ。たとえ弓折れ矢尽きて敗れたとしても敗軍の将は兵を語らずだ。今どき重要なのはメンタルヘルス。まずは味方の力を集めよう。

なにごとも戦法は戦略的思考で戦術を編み、ときにはゲリラ戦(=遊撃)やスパイを利用しながら敵を翻弄する。激戦を怖れず、相手の策略に踊らされず、駆け引きを知謀知略でもって有利に進める。兵站(ロジスティクス)は重要だ。どんな奇策を弄しても深慮遠謀があったとしても兵器や兵糧の補給ができなければ目当ては外れる。とくに海外進出の場合には部品や人材をどれだけ現地で調達できるかが鍵となる。先駆けせよ、後れ馳せてはならぬ。味方が抜け駆けすることもあるかもしれない。常に真剣勝負でなければ、強い敵に太刀打ちはできない。切羽詰まるときもあるだろう。捕虜を楯に取って付け入られても、手薬煉(てぐすね)引いて本塁を守るのだ。矢継ぎ早に命令がくだり、横槍が入る場合もあるだろう。動じずに陣営を守るのだ。

抜打ちざまに予期せぬ相手から速攻される場合もあるかもしれないが、夜討ち朝駆けで敵陣に乗り込むのだ。ときには陣中見舞いを期待して、円陣組んで前衛を守る。籠城戦は厳しいぞ、落城の憂き目に遭わないためにの城守り抜け。いずれ夢見る一国一城の主。敵に一矢を報いるのだ。あるときゃ破れかぶれで矢でも鉄砲でも持ってこい。ライバル蹴落とし成果を上げて図星なり。上司の懐刀となって、競争相手との鍔迫り合いで火花を散らす。批判の矢面に立ったなら、鉾を収めて強いひとを味方に収めて後ろ盾。ねじり鉢巻き、口火を切って戦いの火蓋を再び切るのだ。地の利を得たら陣営は完勝だ。背水の陣を布くのは最後の手段。

これは実際の戦闘状態のことばかりではない。日常には世の中には、軍事や戦闘、武器が元となった言葉が多く使われることがよくわかる。やはり人生は日々が闘争なのだ。最大の敵はなにか。おそらく自分自身が難敵だ。
その主は秘やか突然やってくる [2012年10月05日(Fri)]

__tn_20121005214716.jpgその主は秘やかにやってくる
音もなくいつの間にか突然そばにいる
あたりが暗くなってからやってくる
夏の喧噪が過ぎて静かな季節がくるとやってくる
毎年のことなのに 懐かしい麗しい感覚が体の奥におこってくる
その主の正体はだれでもよく知っている
それを確かめようと目を凝らしても暗くてよく見えない
遠くにいる場合でもひとは鼻をならし 耳をそばだてて 存在を確かめたい
ひとはそれに金の名をつけて呼ぶ 銀をつけるときもある
主はヘリコプターだ 魔法で巨大にすれば回転翼になる
金のなる木ではない 儲かることもない 秋の本格化を知らせる花
分厚い濃い緑の葉に朱色か橙か 細かな粒の花びらが群れている
主の名は超有名なキンモクセイ だれでも知っている
写真はまだ撮っていない 夜には 撮れないから
写真の花は季節が終わった梅雨の頃のグミの実
赤紅色でキンモクセイとは似てもにつかない
ほんの少し渋みがあって甘酸っぱかった
聞こえないハンディを意志に松本竣介 [2012年10月04日(Thu)]

__tn_20121004221008.jpg画家が36年の生涯に描いた多彩な洋画を楽しんだ。『松本竣介展〜生誕100年』である。驚くほど多作だ。しかもバラエティに富んでおり、見応えがある絵が多い。場内のこの静寂感はなんだ。観覧者は松本の醸し出す世界観に真剣に耳を傾けていたからに違いない。

夭折の作家といえる。36歳とはあまりに早い死だ。だが実に多作だ。青春の輝きもためらいも創造への意気込みも格闘も、繰り返してきたこの童顔の主。自画像にも強い意志が現れているが、飾り気のない純朴さも感じる。静謐で思索的で自己を通して人間なるものの多様性を示したいという強い意志と詩情。誠実で愛妻愛息へのあふれる情。聴覚障碍というハンディキャップを感じさせない精力。強い意志を持ちながらも肩の力は抜けた自画像の描き手。新しい美術家の会を設立しようとした情熱家。あの童顔の人は多様な顔を見せてくれて魅力がいっぱいだ。

見終わって思う。この人は、天才ではない。許された時間のなかで最大の成果を残した努力家であると。海外には出ていないが新しい試みを繰り返した。挑戦的取り組みで多くの習作も残している。単に端正な絵ではなく、写実には収まりきれない試行を行った。デッサン、下書き、試し書きを同じ構図で何度でも。真面目さはこの文にも現れている。

  美と真実のために一切のことに耐へよ
  仕事をまもることだ
  明確に描かなくてはならぬ、詩情はその上に自らでゝくるのだ (1943年)

初期の頃、黒い線でがっちりと輪郭をとった「建物」が好きだ。赤や黄、青など原色に塗り込めた色に年月の風合いを出している。昭和の初期の雑踏が見えてきそうだ。婦人像もいい。深く黒い目、輪郭は背景に溶けて赤いコートにおちょぼ口。同じく初期でも郊外の家や林が描かれた作品は蒼の時代だ。まるでピカソ。シャガールを思わすようなタッチの絵もあった。後期にはいると人物、特に自画像に特色が出る。「画家の立てる像」には戦争に駆り立てられるた時代にも足を取られまいと屹立して立つ画家の意志を示した。この頃は境地がさらに深まっていく。幼い息子の絵をもとにした童画、さらに風景も多才となって市街、建物、街路、運河、橋、工場を描いた。終戦前後はニコライ堂や大空襲焼跡など赤を基調としているし、戦火を避けて庭に埋めていたという褐色を中心に描かれた顔や風景も魅力的だ。

島根県立美術館での会期は11月11日まで。後半には大幅な入れ替えがあるということで、さらに楽しみが増す。
落語家に憑いた生き物笑い神 [2012年10月03日(Wed)]

__tn_20121003192858.jpgしばらく前に落語家・桂三段(師匠は桂文枝)の高座を聞く機会があった。この方、吉本新喜劇の傘下で現在、島根県に派遣されている方。島根にとっては大変有り難いことだ。

「場」というものの面白さ、笑いの臨場感をたんまり感じることができた。いったん笑いだすと止まらない。笑いが喉の奥の上あたりに控えていて、落語家が洒落を飛ばし、即妙のアドリブを効かせるやいなや、腹の奥にある熱源に押されてドッと笑いが飛び出していくような感じを体験した。

笑いの臨場感というのは、テレビの画面を通して楽しむのとは違う。リアルタイムでその場に居合わすからこそ感じられる笑いは楽しい。ニヤニヤ笑いやほくそ笑みとは全く異質の笑顔になる。

以前、なんばグランド花月で漫才や落語をみたが、観客は笑うために来場している。だからギャグに即座に反応し、芸人の一挙手一投足に対し崩れ落ちるように笑って反応する。芸人は応えてさらに冴えてくる。当意即妙のアドリブも生まれて、ますます笑いの場は面白くなっていく。

芸人さんには、笑いに憑依したつき物のような不思議さを感じる。おそらくそれは役者が、役になりきって本物以上に本物になっていくのと似ているのかもしれない。

ともあれ、舞台の対象に没入し我を忘れて笑ったり泣いたりすることは、時に重要だ。こんな時代だからこそ、ひとは笑いを求める。笑えないひとはどうしようか。口角を広げてにっこり笑いを、嘘でもいい、作ってみよう。形が整えば気分は少しずつ晴れてくる。顔晴ることができるのだ。
年につれ言葉は刻々変わるもの [2012年10月02日(Tue)]

__tn_20121002223521.jpg先日、文化庁が行った平成23年度「国語に関する世論調査」の結果が発表された。

【問】日頃、言葉遣いで心掛けているのはどんなことか。
・相手や場面に応じて敬語を使う 74%
・自分が言われて嫌なことは人には言わない 70%
・汚い言葉や下品な表現は使わない 52%
・誰に対しても自分から挨拶する 44%
・できるだけ分かりやすい平易な言葉を使う 44%
・他人の話の腰を折らない 41%
・自分の能力や持ち物などを自慢しない 38%
・一応相手の考えを認めた上で,反論する 36%
・大勢で話すときは,話題が適切かどうか,みんなが話に加わり発言の機会に偏りがないかなどに気を配る 31%
・自分の話し方の癖を(説教調,愚痴っぽい,早口など)できるだけ矯正しようとしている 22%

過去の調査と比較すると、全ての項目で選択する人の割合が増加したというが、これって言葉づかいの問題というよりは、生き方そのもの、処世術が選択肢にあげられており違和感がある。目立たず、集団で浮くことなく、叩かれず、イジメられたくないという安全弁を働かして汲々と生きている様子が想像できる。

以下は間違えやすい言葉があげられている(正解はいずれもア)。

【問】煮え湯を飲まされるの意味は?
 (ア)信頼していた者から裏切られる・・64%
 (イ)敵からひどい目に遭わされる・・・24%
 *確かに昔の戦闘では煮え立った湯を城攻めの兵にかけたものだが…。

【問】うがった見方をするの意味は?
 (ア)物事の本質を捉えた見方をする・・26%
 (イ)疑って掛かるような見方をする・・48%
 *うがつとは穴をあけたり押し分けて進むことだが、「曲がった」と語感が似ているからか。正誤が逆転。

【問】にやけるの意味は?
 (ア)なよなよとしている・・・・15%
 (イ)薄笑いを浮かべている・・・77%
 *にやにやの語感と似ているからだろう。男が変にめかしこんむ様子のこと。正誤が逆転。

【問】失笑するの意味は?
 (ア)こらえ切れず吹き出して笑う・・28%
 (イ)笑いも出ないくらいあきれる・・60%
 *「笑いを失う」と読んでしまうとそうなるが、失礼の「礼を失する」と同じ意味。

【問】割愛するの意味は?
 (ア)惜しいと思うものを手放す・・18%
 (イ)不必要なものを切り捨てる・・65%
 *愛着の気持ちを断ち切る、すなわち割ってしまうことだ。

【問】「本心でない上辺だけの巧みな言言葉」のことを?
 (ア)舌先三寸・・・・23%
 (イ)口先三寸・・・・57%
 *三国志に出てくる三寸不爛の舌から来ているのだと思う。これは褒め言葉だが、日本語の舌先三寸は悪い意味に転じた。

【問】「何かを食べたくなる,転じて,あることをしてみようという気になる」ことを?
 (ア)食指が動く・・・・・・38%
 (イ)食指をそそられる・・・31%
 *食欲をそそられるから来た誤りであると思われる。

【問】「ひっきりなしに続くさま」のことを?
 (ア)のべつまくなし・・・43%
 (イ)のべつくまなし・・・32%
 *舞台が続いて(伸べつ)、幕を引く間がない。

【問】「世間の人々の議論を引き起こすこと」を?
 (ア)物議を醸す・・・58%
 (イ)物議を呼ぶ・・・22%
 *映画「嵐を呼ぶ男」。石原裕次郎のファンが言い始めたのかもしれない。

【問】「快く承諾すること」を?
 (ア)二つ返事・・・43%
 (イ)一つ返事・・・46%
 *「ハイハイ」と二回返事をするのはよくない行為だとしつけられてきたから? 高音で軽快に「ハイハイ」とすれば快いことの証明だ。

【最後の問】「近いうちに」の意味は? 
 (ア)時間的に隔たらないごく近い将来。数日からせいぜい数週間まで
 (イ)迫られてやむを得ず同意するときに使う言葉。数ヶ月から、できるならば1年後
 *野田首相が使ったので、この言葉の定義が変わってしまったかのようだ。
隠岐の海士ないものないと覚悟決め [2012年10月01日(Mon)]

__tn_20121001184140.jpg『ないものはない』

これは島根県の隠岐群島・中ノ島にある海士町のキャッチフレーズである。覚悟をこめたいい言葉である。自立心にあわせ、協和の心意気が感じられる。意味をわたしなりに解釈してみると…。

【1】道行く人が溢れて湧いて出てくるような多くの人口、若者も中年族も老若男女が集って楽しむ場所、贅沢を思うがままにできる富、自在に欲しいものが買えて24時間開いているショッピングセンターなどなど。それらは無い。「ないものはない」。

【2】ないものはないが「あるものはある」。農山村にある豊かな資源、新鮮な野菜や水産物はいくらでもある。気心の知れた間柄から丁々発止に議論し合える良好な人間関係、産業を生み出そうと人々が集まるエネルギーなどなど。「あるものはある」。

今ある様々な資源を最大限に生かして、今現在海士に住む人びと全体でいい地域を作っていこうという決意。みなぎる情熱。それらが十分に表されたキャッチフレーズであると思う。わたしも、海士の皆さんの爪の垢を煎じて飲む、思いきるときがやってきたようだ。