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真っ盛り朝昼晩とセミ蝉よ鳴く [2012年07月31日(Tue)]

__tn_20120731201701.jpgニイニイゼミよ 鳴くがいい キンキンキンと金属音 数をたのみにかしましい 図体小さきこのセミは 子どもが捕まえちょうどいい ピチパク動いて 手のひらこそばゆい 夏を知らせるこのセミは 夏の終わりに消えるころ 夏の通奏低音なくなり寂しかろ 長き友だち亡くしたように

アブラゼミ 鳴くがいい こげ茶の体大きいぞ 子どもの手には余るもの セミ取り捕まえ大騒ぎ 思わず恐れて手を離す 音も大きいやかましい ジージージンジン大騒ぎ それも今ではクマゼミの登場で むしろかわいく思えてる

クマゼミよ まだ鳴くか ジュワジュワジャンジャンばか騒ぎ 南の蝉が北上し 今は声の王座を占めている 体大きいアブラゼミ並み 薄い羽にて涼しそう 見た目に決して騙されず 昼まで鳴き声しのぎつつ 午後から彼らは休憩す 街路樹中に静かに潜む 木の下ふと見上げれば びっしり群集視線を感じ ああ恐い

ミンミンゼミよ もっと鳴け 孤高の蝉よ声高に 鳴けばなくほどリズミカル 思わず数えて567 近ごろ数が減ってきた 夏の盛りに鳴かずとも なぜか晩夏に群れ鳴くか

蜩さんヒグラシよ 深い山の懐に入り込んだか カナカナカナと朝一番 シュワシュワと夕暮れどき 昼間ひなかでも 幽谷入ればヒグラシ一番 風情があるは この蝉一番 日本の夏の不思議さ一番

夏の中盤やってきて ツクツクボンボン賑やかに ツクツクボウシは可愛らしい 透き通った羽に長い体 すくっと立った美女のよう 唇とんぎらし声量限りに 鳴き尽くす 周りの蝉に考慮せず 独立自尊に鳴き声あげて グシュグジュシュワッと消え失せて 夏の終わりの寂しさか

蝉にナチュラル夏の日が 過ぎて暑さを忘れたい
向かい合い写真の出来はこころもち [2012年07月30日(Mon)]

__tn_20120730194001.jpgNPO法人まつえ・まちづくり塾が月一回主催する「まち塾サロン」で『スマートフォンや携帯で撮る簡単写真講座』に先日参加してきた。講師は広報担当のN氏。

氏が撮りためた膨大なコレクションをサンプルに、技術面はもちろんだが、「被写体に対する愛着・思い」が重要であることを教えていただいた。引き込まれる写真の多くは人物や景色。家族のポートレートは、確かに魅力的なものが多い。その理由がわかった。

よい写真の条件は次の三つ。
1 ピントが合っている
2 構図がしっかりと考えられている
3 被写体への思いがある

氏は、写真は体系的に学んだことはなく、あれこれかじるうちに今にいたったと謙遜されるが、こうした場で講義するとはなかなかのもの。「主観」の力を感じる。本質的なものを得ようと格闘する際に、人から言われたことだけを頭に詰め込もうとする人は伸びない。彼には大切だと主観的に感じたものを、自分なりに試行錯誤し整理統合する知的探求心がある。いわば主観を構築する術に長けているのだと思う。

カメラを固定することに関しては、「自分を三脚に見立てる」と。この表現力にも納得。いい「主観」を出している。さらに、両手で持つ、肩の力を抜いて脇を締め足は肩幅。臍下丹田に力を込めるイメージなのだそうだ。タイマー機能はアプリとして提供されているので、使うと便利(iphoneでは「セルフカメラ」という名称)。

真ん中に主題を置くのは、日の丸構図といってダメの見本だと言われて反省した。縦に2本、横に2本グリッド線を引いたつもりになって、主題の中心部は4つのクロス点のどこかに置くといいという。題材が多すぎるのは問題、ひとつかふたつに絞ることも画面をすっきりさせる。流れをつくり、動きを感じさせるためには、人の視線の先を入れる構図にすると、絵に物語ができるのがよくわかった。

氏は、「被写体とじっくり会話するように楽しく撮ろう」と結ばれた。さて、このブログは花の写真が中心だが、今後変化するかどうか、乞うご期待といくことにしよう。
真夜中に道に迷った青春よ [2012年07月29日(Sun)]

__tn_20120729132612.jpg青春はきらめく。反対に奈落も深い。映画『真夜中のカウボーイ』には若さ故のギラツキや退廃と自堕落な欲望が満載してあった。大都会に行けば何かしらいいことがあるだろうと無計画に飛び出していく若者への警告もあることだろう。

テキサスからニューヨークに出たジョー。カウボーイスタイルで女にはもてると自信過剰な若者だ。彼は優しいが、流されやすい。優柔不断とも言える。マダムに体を売ったつもりが、逆にタクシー代をせびりとられ、マリファナパーティーで意気投合した別のマダムからはいくらでも金をむしり取れただろうに、しなかった。そしてティコに騙されたにもかかわらず、彼を守り続け、望んでいたフロリダへの金まで工面する。ギラギラと弱気が交互するジョーを観ているとイライラしてくる。だが、それも青春なのだ。

想像と回想、妄想とフラッシュバックが画面を横断する。特に繰り返し彼を苦しめるかつての恋人の映像。蝶のように優美に舞う女の子ではなかったが、「あなただけよ」と愛を貫くひとだった。が、彼は彼女を守りきれなかった。そのことが彼を苦しめる。もとはといえば、ジョーが親に捨てられ、じじ・ばばに育てられた経歴が影響したのかもしれない。しかし、謎が多くてわからない。

ティコ(ダスティン・ホフマン)が零落し体力が衰えて死相が出てくる様子が圧巻だった。カラ元気だけはジョーに向け続けたが、末路は寂しかった。ジョーはその寂しさを乗り越えて、地に足のついた堅実な青春の道に軌道修正していくだろうか? きっとジョーは強く生きていくと信じたい。
ロンドンに熱い血潮が集まって [2012年07月28日(Sat)]

__tn_20120728194959.jpgロンドンオリンピックの開会式の様子。趣向を凝らした入場行進前のアトラクション。スタジアム全体が歓声に揺れる入場行進。さながら世界史と地球の地図を一ヶ所に集結。今現在紛争な内戦に悩む小さな国、いばらの時代を乗り越えた国、かつて英国の植民地として蹂躙と収奪を受けてきた国。こうして行進の輪に加わって地球規模の祭典を乱舞。

朝から暑さたけなわ。これから熱戦を観戦する熱い毎日。勝つために全力で立ち向かう人、努力してきた人たちの美。

ポール・マッカートニーが歌った。ヘイ ジュード 気を落とさないで すべていい方向に向かっていくから 始めようよ 君ならできるさ と。

超一流の技を見せてくれ。超一流のライバル同士でぶつかりを見せてくれ。超一流の勝った笑顔を見せてくれ。残念な結果に終わった勝負のことは忘れよ。負けて悔しい日本選手の戦いをいつまでもリプレイするな。超一流の世界の強さを見せてくれ。そこで勝ち抜いた日本選手の会心のコメントを聞かせてくれ。国威発揚の場が強調されすぎているという非難もある。しかし、それぞれの歴史をかかえて今そこに各国代表が集まっている。そのこと自体に祭典の意味はある。

頭を当分はめぐり廻るいきものがかりの『風が吹いている』。四年に一度、アスリートたちの祭典を楽しむ二週間。
努力とは天才を造る術なり飽きもせず [2012年07月27日(Fri)]

__tn_20120727214024.jpg地道な努力の人がいる。巧まずして器用にこなすようでいて見えない努力を続ける人がいる。功なり遂げてなおペースを変えず前に進み続ける人がいる。

努力は美しい。とくにサラッとさりげなく努力の痕跡を残さないのはスマートだ。バタバタした不器用な格好であっても懸命さを隠さないのも好ましい。努力の跡を見続けることができるのは自分ひとりだ。他人がとやかく言っても毀誉褒貶の評判はすぐに飽きられる。真実を知る者は我のみと、ひたすら突き進む人はたくましい。

≪天才とは努力しうる才だ、というゲエテの有名な言葉は、ほとんど理解されていない。努力は凡才でもするからである。しかし、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才はむしろ努力を発明する。凡才が容易と見るところに、何故、天才は難問を見るということがしばしば起こるのか。詮ずるところ、強い精神は、容易なことを嫌うからだということになろう。≫
  (小林秀雄「モオツァルト」)

努力は嘘をつかない。一歩一歩と前進する喜びがある。さらに努力し才能ある他人と勝負しすれば負けることもある。けれども努力のあと、成長の証は命に刻まれている。
さあ歩こ日なたと日陰暑さ避け [2012年07月26日(Thu)]

__tn_20120726211549.jpg4ヶ月ほど前までは日なたを歩くのは気持ちがよかった。無風の陽だまりで、ふと立ち止まって一息つくのがいい感じ。春は近いと希望に胸ふくらむ一瞬だった。ところが今は日陰を縫うように歩いている。途中で一息つこうものなら汗がどっと噴き出してくる。早く冷房のある場所に避難することに越したことはない。わずか数ヵ月で世界はこれほど違うのかと思い知る。

「暑さ忘れて陰忘る」というがごとしで、暑いときには太陽への感謝を忘れてしまうものだ。冬は太陽・地球間の距離はむしろ近くなるにもかかわらず、気圧配置や季節風のせいで夏は暑くなり冬は寒くなるのである。

感謝といえば、昨日傘を忘れてしまった。しばらく職場に置いていたままの傘を、持って帰った。まだ日の高い炎天下。日傘でもない場違いな傘を、わたしは列車に持ち込んだ。日中の暑さでわたしは疲れていた。座席に座ると本を読み出したのであるが、冷房の気持ちよさに眠りこけていたのであった。

そして降りる駅。目をさましたわたしはそそくさと網棚に置いていたリュックを持ち上げて駅に降り立った。歩いて10分たらず、家に帰りつく直前に、傘がないことに気がついた。まにあわない。帰ってから急いで出雲市駅に電話したところ、すでに折り返しで米子に向けて出発したばかりだった。松江駅で降ろしてくれるようお願いした。翌日、松江駅から到着した旨連絡があった。ありがたいこと、感謝である。

今朝その傘を受け取って再び職場に向かった。そして今は職場の傘立ての中に、あの傘は鎮座している。次に夕立が襲ってきたときに傘を使うことにしようか。

今夜は飲み会。幹事の配慮に包まれながら、楽しいひとときを過ごした。素敵な数時間に感謝である。もちろんあの傘はあのまま職場の傘立てにそのままになっている。またまた忘れては、誰にも申し訳がきかない。今度こそ忘れまいぞ。

(田んぼでは早生の稲に花が咲いた)
オスプレイ怒号包まれ配備され [2012年07月25日(Wed)]

__tn_20120725222739.jpgオスプレイの運航に反対すると言う人は、交通事故を起こすから自動車を利用すべきでないと言う人に似ている(現実にはいないとは思うが)。

年間5千人近くの事故死、負傷者にいたっては85万人。その縁者で悲しむ人を加えれば何百万人を苦しめているのが自動車である。一方で、自動車なしで生活そのものが成り立たないのが現実。自動車のおかげで豊かな生活を送れるのであって、その大きなメリットに比べれば、相対的にデメリットは少ないという理由で私たちは車の利便性を享受している。日本のGDP500兆円を稼ぎ出すために、一定の犠牲はやむを得ないという選択を私たちはしていることになる。

ヘリコプターの長所である垂直離着陸(長い滑走路が不要)、空中での停止、超低空の飛行を可能とし、飛行機(固定翼機)の長所である高速飛行、長い航続距離、大量輸送をも可能にしたのが、オスプレイである。つまり夢の航空機といえるだろう。

一方で製造技術や操縦技術が未だ確立していない段階では事故が多発するのはある面当然といえる。新鋭技術には危険がつきものだ。多くの死傷者が出て悲惨な経験もして、より安全な技術を得てきたといえる。自動車しかり、航空機しかり、その他多くの科学技術で発明・改善の歴史が繰り返されてきた。オスプレイも同じ道をたどるのだと思う。

オスプレイを手放しで認めるというわけではない。「事故の確率が高いから反対」という単純な姿勢に、わたしは納得がいかないのである。

そもそも何のためにオスプレイを岩国や沖縄に配備しようとするのか。なぜ日米安保条約に基づいて米軍が駐留しているかも含めて、もう一度根本的に考えてみるチャンスであろう。オスプレイは日米安保を実現するために必要なのか、それとももっと広げてアメリカが中東や北朝鮮、中国へのにらみを効かせて世界の覇者として今後も君臨していくために必要なのか。前者に筋道が通っていれば必要悪として認める目はあるが、後者に重きがおかれてはオスプレイの配備は疑問だ。

アメリカの目的は何かということまで、しっかりと説明してくれる政府関係者の説明には出会ったことがない。そうした議論を経た上で、【戦略重要性】>【事故可能性】となれば配置すればいいだろうし、不等号記号が逆ならば配置に反対するのが当然だ。さらに沖縄の場合はもう一つの要素がある。戦中に日本軍から蹂躙されたこと、戦後もアメリカの属国地として虐げられてきたこと。そうした歴史を比較に加えないといけない。
【戦略重要性】>【事故可能性+沖縄に苦しみを強いたことへの償い】

オスプレイは事故が多くて心配だ⇒反対という考えは論理ではなく感情だ。国対国の関係にあって反対か賛成かを明らかにするには、多くの人が納得できる議論が必要なのである。そうでなければ、自動車は危ない⇒絶対反対という感情論と全く同じことになってしまう。
平穏に過ぎていく日々血走る目 [2012年07月24日(Tue)]

__tn_20120724210210.jpg毎日は平穏に過ぎていく
注文した特別仕様のポロシャツが不良品だった
毎日は平穏に過ぎる
莫大に押し寄せるメールに忙殺されててんやわんや
今日も平穏に過ぎていく
熱射のせいで街路を歩くだけで汗がどっと吹き出す
毎日は平穏に過ぎるなり
電話に出るとしつこい勧誘電話で切ろうとすると脅迫まがいの捨て台詞を吐く営業マン
毎日は平々凡々だ
電車に乗ると強い冷房に体が急速冷蔵されるようで気分が悪くなる
何ごともないかのように日々は過ぎる
車道では法規を守らぬ無法者にひやりとさせられる
今日も平穏無事なり
地震列島 巨大災害の恐怖はあっても危機感を呼び起こされても喉元過ぎて熱さを忘れる
毎日は平穏だ
思いがけなく突然親しい人が亡くなられ悲しい思いをした
毎日は平穏に過ぎゆく
万波の非難を浴びながらも野田首相はノー天気に強気だが権力者の条件は悩まないことだと知る
毎日は平穏に過ぎていく
毎日は穏やかで平らかにして幸せだ そして血走っている
定型の新聞記事に比喩多し [2012年07月23日(Mon)]

__tn_20120723234507.jpg隠喩とは、○○のようだとか、○○みたいにという表現ではなく、直接に特徴を表現する比喩法である。例をあげれば「薔薇の微笑」「時は金なり」「人生はドラマ」「鬼嫁」。昨日の山陰中央新報からそれらしきものも含めて全て拾ってみた(全文を読むのにたっぷり3時間はかかった)。これが比喩?という意見もあるだろうが、辞書にすでに掲載されている隠喩表現も含め、私たちは隠喩に囲まれて生活しているという印象を受ける。

スポーツ欄は隠喩の宝庫と言える。
・日本選手団の起爆剤として期待される(ロンドン五輪)
・「感覚がつかめない状態だった」と肩を落とした(テニス錦織圭)
・壁を乗り越えてきた/強行軍をものともせず優勝できた/大舞台で常に準決勝で跳ね返されてきた(高校総体を前に)
・メキシコ五輪サッカー銀メダル、その快挙に日本中が沸いた

なかでも野球はその存在自体が隠喩でできあがっているかのような印象をもつ。典型が新監督のもとスタッフが一新されることを組閣というがごとし。
・坂本が技術の詰まった一振りで、左翼席に運んだ(プロ野球オールスター)
・真っすぐが速い投手なので、投げてくれるだろう(*直球は引力で落ちるので直線ではない)
・内野ゴロが悪送球を誘い(高校野球地区大会/以下同じ)
・内野陣のミスに泣いた/最後まで諦めず、完全燃焼することを誓います/私たちの底力を見せましょう/流れをつかんだ七回には/一度はリズムをつかみながら/この試合、立ち上がりは思惑通り/試合後悔しさをにじませた/松江商に軍配が上がった/三刀屋は打力が売りのチーム

ちょうど島根県中学野球大会のチーム紹介欄は隠喩のオンパレードだった。
・堅い守りと切れ目のない打線/長打を秘める/切れのいい直球、カーブが武器/肩の強い捕手/守りの要/女房役を務め好リードを見せた/食らいつく野球/チームの課題を修正し一丸となって優勝を目指す/投手陣は駒がそろう/目の前の相手を倒すことだけに集中/リードが光る/チームの結束はますます固くなった/4番に強健で長打力のある選手が座る/パンチ力がある選手/投手層の厚さ/打線の爆発/1,2番コンビが突破口を開く/足で揺さぶる攻撃/打線の鍵を握る

社会欄や地方欄には散見される程度だった。
・偽装工作は寝耳に水/年間50ミリシーベルトなんかあっという間に超えてしまう(原発でごまかし昔から)
・子どもたちが夏を満喫した/来場者の目を引いた/会場の熱気はピークに達した(地方イベント)
・体重が増えて、まずいことになる(外国英語教師コラム)
・その才をのばすことができず、山の中で朽ちてしまわねばならぬ(名作を読む)

政治や論説欄にはスポーツほどではないが、隠喩が比較的多い印象をもつ。
・一騎打ちとなる公算が大きい(益田市長選告示)
・将来的には「漫画であふれる鳥取県」として強力な発信力を備えたい(論説)
・既得権を守る方向にかじを切る政権が変わり得るか否か(鳩山氏動向)
・身を切る改革(府省庁版事業仕分け)
・「ねじれ国会」(民主参院離党相次ぐ)

新党「国民の生活が第一」も言ってみれば隠喩だ。第一に優先すべき国民の生活というきっかりした実態があるわけではなく、イメージにしか過ぎない。そもそも民主党というのが壮大な隠喩であった。政権交代で既得権を持つ勢力の力を削ぎ国民主体の政治を取り戻す云々という比喩でもって3年前に国中が湧いた。そして今、喩えの力が衰えて捨て鉢な失望感が広がっている。
旅まわり神話のふるさと夏本番 [2012年07月22日(Sun)]

__tn_20120722203342.jpg昨日7月21日は夏休みの初日。ハッピーマンデーで海の日が月曜日になってから、夏休みの初日はあやふやになっていたが、昨日は伝統の21日に戻ったようで何かしら嬉しい。

そして昨日21日は、斐川だんだんよさこい祭り。出雲市内外、県外も含めて25チーム約600人が、鳴子を打ち鳴らし楽しげに大胆に舞っていた。出雲・湯の川美人の湯は踊り子と応援者、見学の人でにぎわった。よさこい祭りは12回目であると同時に、『神話博しまね』の協賛行事としても行われている。

昨日21日はその『神話博』の初日でもある。公式ガイドブックはこのように謳う。

≪この国のはじまりの物語が綴られた日本最古の歴史書「古事記」。そこに描かれた神話の舞台の一つが「しまね」です。
国のはじまり、ひとのはじまり、ご縁のはじまり。
千三百年もの時を超え受け継がれた、豊かな自然、伝統文化、そして、こころを感じる。
いま、「しまね」で新しい物語をはじめませんか?≫

この11月11日までの演出にどれだけ多くの人が魅力を感じ、出雲をはじめとした県内の旅でもって自分の人生に自身で新たな演出を加えてくれるだろうか。暑い夏本番。≪はじまりの地で神々と出会う旅≫は今始まったばかりだ。新たな旅で実のある夏休みを過ごしてもらいたいものだ。
青春のくびき放たれ自由自在 [2012年07月21日(Sat)]

__tn_20120721140300.jpg映画『卒業』はダスティン・ホフマンの出世作、歴史に残る名作である。若者の戸惑いと彷徨ぶりを見事表現した。サイモンとガーファンクルによるいくつかのナンバーも効果的だ。

冒頭は飛行機の白い座席シート。まもなく21才になるというベンジャミン。バックの白は若者の無限の可能性を示すとともに、純情で無垢な人柄を象徴していた。彼はエリートである(たぶん飛び級でトントン拍子)。家庭は豊かな上に類いまれな奨学金で学生時代を大活躍した。

そんな彼に周囲は遠慮がちに対していたが、唯一ロビンソン夫人だけは有無をいわせぬ強引さでもって、恋の駆け引きに持ち込んだ。とんでもないことだったが、ベンは夫人の魅力に抗いきれず躊躇しつつも親子の年の差で不倫が始まった。同時に彼にとっては模範の優等生であることから脱する機会となったのである。

まるで露払いがされたかのようにベンは変わった。もともと直情径行の資質があったのだと思う。時折若さゆえの逡巡を見せはしたが、ズバズバとものを言い、思うままに行動する。そうすることが将来の漠然とした不安、進路の不安を払拭し、今までの鬱屈感を消し去ると信じているかのように。

秋の新学期が始まったが、彼は卒業はしたものの進路は決めなかった。ロビンソン夫人からも卒業して、夫人の娘エレインとともに新しい人生に旅立った。

だが、エレインにとっては幸せを暗示しない。ウェディングドレス姿のエレインとベンが乗り合いバスに飛び乗ったあとで、二人は満足感にひたっていた。エレインは彼を見た。が、ベンは彼女に視線を向けなかった。きっとエレインとともに歩めることの満足ではなく、エレインを略奪したという行為に酔っていたに違いない。別な言葉でいえば、青春の桎梏から決別できたことへの満足感である。それはエレインでなくとも達成できた、差し替え可能な幸せなのだ。

(写真は紅白の色鮮やかな源平かずら)
陸の字はおかへ上ったカッパなり [2012年07月20日(Fri)]

__tn_20120720221755.jpg『陸』という字は「りく」とばかり読んでいた。「おか」と読む認識はなかった。web大辞泉によると、「おか」には次の意味があり、「りく」は【1】の意味に限定される。

【1】 陸地。りく
【2】 硯の墨をする所⇔海(墨を溜める所)
【3】 浴場の洗い場。流し

「おかへ上がった河童」は岡だと思っていたが陸の字をあてがうことも今回知った。goo辞書によると「りく」と「おか」は次のように使い分けるとのこと。

≪「陸(りく)」「陸地」は、海以外の部分について広く使うが、「陸(おか)」は、川なども含めた水の上ではなく、地面のあるところという意味合いを表わす場合に使い、「陸(りく)」「陸地」にくらべて狭い地域についていう。≫

アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア・・・・・5つの輪、五大陸から代表が集まるロンドンオリンピックの開会式は今月27日。あと一週間で精鋭たちの見事なパフォーマンスを観戦することができる。暑さたけなわ。電力不足も何のその。週末金曜日には国会周辺や各地で「サイカドウ反対!」の大声が周囲を圧する一方で、一時しのぎとはいえ日本中が歓声とため息に覆われるときがくる。
手で書いた心残して筆跡が [2012年07月19日(Thu)]

__tn_20120719175627.jpgワープロ文字が全盛の世の中である。仕事も街中の看板も活字体に溢れている。非日常の年賀状ですらすべて印刷した書体だけで送る人も増えた。

≪手書きの文字に接する機会がめっきり減り、それどころか昨今はIT化が進んで、紙媒体そのものの危機さえ指摘される。電子媒体は便利で大いに活用したいが、脳科学の分野では「電子媒体」と「紙媒体」の違いについて、こんな見方もある▼紙に書かれた文字に接すると、読者に“筆者はどれだけの思いを込め、何を伝えたいのか”との想像力が働く。それが、自身の考えを、より効果的にまとめることを促す。さらには、こうした思考の訓練は、他人を思いやる感情を豊かにすることにも通じるという。手書きの文字なら、効果はなおさらに違いない≫
 (聖教新聞「名字の言」2012年7月6日)

早速暑中見舞をかねて友人夫妻に手紙を送った。年賀状の往復ばかりで、もう何年会っていないだろうか。声を聞くこともない。手書きの文字に思いやる気持ちを込められるのはもちろんだが、電話で声を聴き合い音信を確かめ合うのもさらによい。それ以上によいのは、実際に会って目と口で語り合い、つまらぬジョークと昔話で笑い合うことである。手書きの手紙はその第一歩となることだろう。
カンテツに憧れてのち無為を知る [2012年07月18日(Wed)]

__tn_20120718203439.jpg子供のころ徹夜に憧れた。夜更かしを大人のようにやってみたいと。かといって、周囲の大人で徹夜をする人を見たことはないので、テレビか本か友人の話かなにかで、聞きかじったものであろう。カンテツという言葉を知ったのはずっとあとだったが、この言葉はなかなか意志に溢れたものだ。完璧のカン、徹するのテツ。なにかしらカッコいい。

小学生6年生のとき、チャンスが訪れた。家の者は早く休み、わたしは勉強していた。かたわらで読んでいた『二十四の瞳』(壺井栄著)が面白くておもしろくて、止められない。これを機会に徹夜に挑戦するつもりになった。

微笑ましく豊かな学級の風景、小豆島の人々が麗しい関係で子供たちを温かく見守っていること、そして何よりも大石先生の理想の教師像。静かな深夜にわたしの息づかいとページをくる音だけが聞こえて、わたしは本に没入する時を楽しんだ。

教え子が戦争にとられ多くの別れがあった。再び何人かの教え子と再会したときの先生が慈愛に溢れていたこと。感動のクライマックスを過ぎて、時計を見たら4時ごろだったと思う。そこから記憶が途切れ、わたしはいつの間にか眠りこけていた。翌朝わたしは徹夜ができなかったことに地団駄を踏んだ。

勤め始めたころ、深夜になるまで残業するのに憧れた。その機会はまもなくやってきた。実際やってみるとたいしたことではない。それどころか、焦りがつのるくせに能率は上がらず、電話もない人もいないという気安さから、かえって集中できなかったりする。挙げ句は翌朝ミスだらけの書類に驚愕する。しかも、その日は眠くて能率があがらないときた。

そんな失敗を何度かして気がついた。夜中の3時間より、朝の1時間だと。集中して調子があがる。さらにいい一日のスタートがきれると、すこぶる快調な日となる。そんなわけで、長時間残業もカンテツも、百害あって利はせいぜい二つか三つだと思うようになった。
宣言す熱い空気よ梅雨開けを [2012年07月17日(Tue)]

__tn_20120717194118.jpg梅雨開け宣言が出た。もちろん「中国地方は山口県を除いて梅雨が開けたと思われる」と慎ましやかである。

土曜日からの暑さ。先週前半まではどことなくひんやり感があったものだが、週末から熱波に容赦はない。去年一昨年の逃げようのない熱気がまたやってきた。

空は澄んだブルー。それを映して宍道湖は空色に輝いていた。日の入り前の30分。雲に隠れて太陽はご覧のとおりに後光を四方に散らした。

夏が来た。ほんとの夏が来た。情け知らずの夏が来た。熱帯に暮らす動物のように暑さをしのぐ夏が来た。

来週から学生たちは夏休み。開放の夏。くびきから解放されてはめをはずしがちな夏。ああ、若いとは素晴らしい、懐かしい、うらやましい。
海岸のゴミ見て思う朝の潮 [2012年07月16日(Mon)]

__tn_20120716215237.jpg海岸清掃の早朝ボランティアに参加してきた。昨日は猛暑日、昨夜の余熱は残り生暖かい風が寄せる。まだ太陽は顔を見せていないが、今日も猛暑日になりそうな気配。

あるはあるは、、、、あふれるほどのゴミがある。2枚手に持っていたビニール袋はすぐにいっぱいになった。ハングル文字が書いてあるポリ容器。大きめでガッチリしており数種類の型のものがたくさんある。日用品のプラスチック容器やガラス瓶もたくさんある。洗剤、酒類、ロープなど数限りない。ハングルのも日本のも混ざっている。漁具も多い。漁師さんによると韓国のアナゴ漁で使う円錐形のプラスチック網容器が実に多いことに気がつく。プラスチックはもろくなってぼろぼろになっている。ガラス瓶は海岸に打ち寄せられたときに割れてしまっている。砂や丸石に混じってゴミが散乱している様子は見ていてむなしい。軽トラの荷台にゴミを積み上げながら、私自身も含めて極大化した消費社会 の実態をかいま見た気がした。

氾濫するハングル文字製品が流れ着くことから、韓国、北朝鮮を非難する人もいるが、ゴミをちゃんと処理しないという点では五十歩百歩。日本も変わりはしない。東日本大震災の流された瓦礫が、北米に今後大量に漂着することを考えてみても、ゴミ問題、環境問題は地球規模で共有しなければならない課題だ。

そして温暖化問題。地球全体として寒冷化する流れもあるようであり、温室効果と寒冷化がぶつかれば、今よりもっと激烈な気象で被害が増える可能性もある。「地球に優しく」というスローガンはあるが、地球規模で気候をコントロールできる科学的知見と実力は人間にはない。「どうか地球さん、優しくしてください云々」とは茂木健一郎さんの言葉(うろ覚え)であるが、地球に住む一員として水平線を見ながら複雑な思いがあった。
面白きファミレス家族の人模様 [2012年07月15日(Sun)]

__tn_20120715181124.jpg日曜お昼のファミリーレストラン
家族連れがいっぱいの禁煙席
小さな子供のエネルギーに満ちた空間
父が大きい子供の面倒を見て 母が小さい子に食べさせる光景
父が二人の子とにこやかに食べる姿もある
叫ぶ子 声高に注意を与える母 父は小さい子を膝に乗せて食べさすのに忙しい
再び大声 母がまた大声 何事かと目が集まる
いつもあんなふうに大声をあげる母子なのだろう
右手方向を見ると母と3才にならないくらい男の子
子は黙々とハンバーグを咀嚼している
母はフォークにごはんを乗せて待つ 静かに待っている
ハンバーグを飲み込んだ ごはんを口に
子は口を動かしだす 大きくゆったりと動く
子の口が止まった
ウエイトレスが持ってきた他の客の料理が気になった模様
咀嚼再開
母は飽かずながめ ひたすら待つ
落ちついた様子で 急がすそぶりはない
いつもあんなふうに親子の時間がゆっくり流れているんだろうなあ
微笑ましくレジへ向かう
タバコの煙が臭う喫煙席に目をやる
ここにも家族連れがたくさん
禁煙席に座れなかったものか 親が吸うためのものか
禁煙席より喫煙席の方がずっと広い 禁煙の流れは主流と思うのはまだ早い
紫煙くゆらす余裕か いやおそらく欲望を抑えきれぬ習慣なのだろう
荒原に真っ直ぐな目で子供行く [2012年07月14日(Sat)]

__tn_20120714122805.jpgイラン映画を初めて観た(たぶん)。『友だちのうちはどこ?』である。もどかしくて観ながら身をよじる思いが最初から最後まで続いた。しかし、鑑賞後の気分は悪くない。

大人はいらだっていた。教師は児童を脅しながら強圧的な教育をする。身重の母は宿題をせよと命じながらも細切れに彼を使い回し、体調不良と忙し過ぎることへの苛立ちを隠さない。じいさんは孫の教育と称して難題を押し付けて困っている彼の心に思いをやることもない。

鶏の鳴き声も、赤ちゃんがぐずる声も、仕事ができなくなってたむろする年寄りたちの目付きも、見馴れない子供を好奇の目で冷たく眺め回す大人も、木のない乾燥地帯の荒れた道も、ゴツゴツと無骨な家の壁も、風の音さえも、彼を取り巻くすべてがいらだっているように思えた。おそらく、観ている私自身の意識にも苛立ちともどかしさが押し入ってきたことだろう。

主人公は8才の子供。線のほそい子で、大人の前では自己主張ができず、いつも戸惑っていた。が、友のノートを間違って持って帰ってしまったことへの責任を果たそうと、必死になって隣村への道を二度も往復し、知らない家を探しあてようと尋ね回った。そのいたいけなさに心打たれるのだか、もどかしくて、かわいそうでたまらない。

そして夜になっても友だちの家は見つからず万事休すと思いきや、彼は起死回生の索を思いつく…。終わりの数分でやっと安心させてもらった。これは一種のサスペンス映画だとも言える。

なぜそうしないのか? どうしてそこでもっと大きな声を出さないのか? その繰り返しにバタバタとする観客の心は、いってみれば神の目である。岡目から見ればベターな選択ができるのは当然だ。後知恵であればいいアイデアが出るのは当然だ。しかし、生身の人間にはできない。失敗し後悔し、大変な目にあっても、やはり懸命に前に進むしかないんだよ、というメッセージを感じたような気がする。
絵を見るは五感で楽しハイライト [2012年07月13日(Fri)]

__tn_20120713193446.jpg西岡文彦氏は『五感でわかる名画鑑賞術』(2012年6月,筑摩書房)で美術鑑賞の極意を述べる。

≪好きな順、好きな速さで見る≫ことが、目当ての絵までに満腹しない極意であると。確かに、入口で挨拶文を読み、順路にしたがって画家の名と作品名を確かめて、説明書きを最後まで読む。そこで絵全体に目をやる。作品数が多い展覧会では体力気力がもたない。

著者は≪画家の名前を見ない≫で、過去のしがらみに左右されないで、自分がいいと思うかどうか、好きかどうかを判断することの繰り返しが大切だと。なぜ好きなのかを考えるクセもつけておきたいと。

たいてい私は頭からお尻までざらっと眺め歩く。その上で気になった美術品を重点的に眺め回す。ただしそれ以外も結局は鑑賞してしまうから(要はケチ)、終わるころには足が棒になる。

著者はその他にも、絵はがきでもカタログでもいい、自分のために≪必ず買い物をする≫こと。≪必ず飲み食いをする≫と味や匂いとつながって展覧会の印象が深まること。≪必ず誰かと話してみる≫ことも、自分と相手との感覚の違いを明らかにし、自身を深めるチャンスであると、さまざまなに語る。読み進めるとその語り口に納得できる。

この秋には神戸でオランダ・フェルメール展が開かれる。この本で学んだ「ハイライト」の妙味、細かな白い点で描いた輝きの質感。これをじっくり堪能したくなってきた。
色も香も皆ほとばしる夏が来た [2012年07月12日(Thu)]

__tn_20120712220345.jpg夏の音、、、、、、、、、、、、、、。
 カエル鳴き声/一帯に重層する蝉しぐれ/とどろく雷鳴/地面から響く花火/校庭の野球部員の声/帰り道にどこからともなく響いてくる風鈴の涼やかさ/扇風機の前で声を出す震え/細かな霧となって降り注ぐ清流滝/ラジオ体操の音楽/冷房室外機から吹き出す熱風

夏の匂い、、、、、、、、、、、、、、。
 雨降り始めのアスファルトの匂い/雨上がりの生臭さ/瓜を切ったときのスカッとした香り/朽ちないクチナシの匂い/磯の香り/健康的な汗のにおい

夏の光や色、、、、、、、、、、、、、、。
 地を貫く稲妻/どこか卑猥なノウゼンカズラの橙色/蛍の光/夜空に天の川と大三角形/スイカの赤/かき氷の緑茶色と小豆/エイリアンのように藪に群生する野百合/半分咲いて半分朽ちた紫陽花

夏の肌触り、、、、、、、、、、、、、、。
 叩きつける夕立の勢い/茅野で遊んだ鋭い痛み/手牡丹(線香花火)の震え/海をかく抵抗/冷えたブドウの口当たり/タラタラしたたり落ちる汗/生ぬるくなったアイスコーヒー
水音の聞こえた先に愛しい人が [2012年07月11日(Wed)]

__tn_20120711213634.jpg地が裂け稲妻が突くより遥かな衝撃。渦が巻き水底に吸い込まれる恐れ。ルシウスは2千年の時空間を飛び越えた。着いた先は2千年以上も先の東京。

必死になること、もがくことが人をひと回りもひた回り大きくしてくれる。絶望的に落ち込んでももがき続ければ、道は開ける。「すべての道はローマに通ず」の言葉のとおりに開くことを『テルマエ・ロマエ』は楽しく示してくれた。

ルシウスも真実も、もがいていた。少しでも斬新なテルマエ(浴場)をつくろうと、少しは編集者にマンガを認めてもらおうと。必死にあがいた活路によって二人は出会って恋をした。互いを認めあい高めあった。

奇想天外な取り合わせに笑った。頭を空っぽに大笑いした。荒唐無稽な笑いのなかに、阿部寛の演技と肉体に惹かれた。上戸彩の可愛らしさと深い目にクラリとなった。

駅のベンチには忘れ去られた傘ひとつ。この傘とて、古代ローマ人にとっては、偉大な文明の現れかもしれない。「ローマの休日」ならぬ『ローマの浴場』であっても「日本の浴場」でも、誰でも人は幸せな表情を浮かべる。さて、幸せな気分で風呂にはいることにしよう。
奈良都ひとあし早く夏時間 [2012年07月10日(Tue)]

__tn_20120710193702.jpg奈良県は県機関でサマータイムを導入したようだ。暑苦しくならない朝から仕事を始め、暑さが残る夕方に早く退庁させて、節電に役立てようとする意図だ。

【期間】7月2日から9月7日
【勤務時間】8:30〜17:15 → 8:00〜16:45
【閉庁日】土曜日と日曜日 → 日曜日と月曜日
【導入されない施設や機関】
 生命に関わる機関(病院、リハビリテーションセンター、警察)
 集客施設や貸し出し施設(文化会館、美術館、図書館など)
 学校や研修機関
 入所施設や相談機関など法律などで受付時間が規定されている部署は除外

奈良県がうまくできれば、他の自治体も一般企業も雪崩をうって始めるかもしれない。芳しくなければ、影響はなく一人相撲に終わるかもしれない。戦後失敗した日本のサマータイム。ここで復活なるだろうか。わたし個人としては、朝の気持ちいい時間はなるべく一人のものにしたいと思うが、大勢となれば、まあ仕方がない。

(コメント)
はてはて???
確かに小さな事から始めれば塵も山となると思うのだけど・・・サマータイムの時間どおりに帰らなければ意味ないよね。
どう考えても節電効果は微々たる感あり。
節電効果より、節源効果のほうが大きいんじゃないかな。「夏は残業はするな!」に思えてならない。
作成者 公時 : 2012/7/10 (火) 22:40

残業しないように目標を定めて冷房があるうちに効率的に仕事を片付けることが目的と考えていいでしょう。どうしても区切りがいいところまで、という感じで自主的に残業する場合が多いでしょうから。
作成者 不三 : 2012/7/12 (木) 22:34
戦争と母の愛とがクロスして [2012年07月09日(Mon)]

__tn_20120709222438.jpg名画『禁じられた遊び』を観た。少年期にさしかかったミッシェルと幼いポレットの淡い恋物語であり、死というものを人間はどのように認識していくのかという成長物語でもある。当時すでに都会ではカトリックの信仰は形骸化していたようで、ポレットは神へ祈りをささげた経験がなかったばかりか、キリスト像すら見たことがなかった。

死との出会いを仲立ちしたのが十字架である。その十字架で墓づくりのママゴトを楽しむ幼い二人。動物や昆虫、鳥の死骸を水車小屋に埋めて、覚えたばかりのお祈りで弔ってやる。それはポレットにとって単なる遊びではなく、始めて体験する信仰であり、美に至るための階段であり、過去と未来がクロスして母の行く先を示す道筋であり、母の死という恐ろしい現実から逃れるために必要なことだったのだ。

お手製の十字架をつくっているうちはよかったが、ポレットの十字架好きはエスカレートした。応えるべくミッシェルも「禁断の遊び」に手を染める。これが許されるわけがない。

ミッシェルの父は存在感たっぷりだった。小規模牧畜の農場主として7人家族を仕切り、霊柩の荷車まで自家製でやりくりする。都会対田舎の図式で観ると、彼はとても都会を憎んでいたと思う。

都会は厄災のもとだ。田舎で静かに暮らしていたいのに、パリの政治家は戦争を始め、都会からは軍隊がやってきて生活を脅かす。しかも仏軍は独軍に攻められっぱなしで色がない。長男が馬の事故で死んだのも都会からやってきた避難民のせいだ。大嫌いな燐家の野郎が軍隊から帰ってきて自分の長女とできてしまったのも災難だ。下の娘は都会のインテリのように本ばかり読んで燃料をムダにする。次男は都会にあこがれて仕事に身が入りゃしない。ミッシェルはあの嬢ちゃんが来てからというものは、十字架ばかりこしらえてあげくは盗みまでやらかす。そもそも小ぎれいな都会っ子を預かったのが間違いだった。両親が機銃掃射で死んだというので家に入れたはいいけれど、何もいいことがない。孤児な どさっさと政府に渡してしまって静かな生活に戻りたい。

ラストシーンが悲しい。ミッシェルから引き離されてポレットは施設に引き取られるため駅に連れて行かれた。「ミッシェル!」と呼ぶ他人の声、それとママが重なった。彼女が無意識にも封印してきた母の死という現実が蘇り、母への思慕で堪えがたく心がゆれる。ポレットは駆けだし雑踏に消えたところで物語は終わる。ハッピーエンドではない。名手ナルシソ・イエペスのギターソロが重なって切なさに胸がつまる。
吾輩は有名動物上野の山に [2012年07月08日(Sun)]

__tn_20120708214928.jpg吾輩は赤子である。名前はまだ無い。

どこで生まれたかは知らぬわけではない。調光の整った温度も温度も快い管理された空間だと記憶している。気がつくと母の手のなかでミャーミャー泣いていて舐めてもらっていた。そこは動物園という場所だった。母に抱かれながら、吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くと、それは飼育員という人間中で一番優しい種族であって、生まれたばかりの赤ちゃんは特に大切にしてくれるらしい。

生まれて数日、母はつねに吾輩を抱いて乳を与えてくれた。しかしすっかり疲れたらしい。初めてのお産だったし夢中で何も食べてはいなかった。吾輩は土間におかれてしまったので、とうとう飼育員が吾輩をやさしく抱いて保育器に入れてくれた。吾輩は寒気がしていたし、お腹がへって元気がなくなってきたとも感じていた。生まれたばかりのころは自分の性別などわからないものだ。赤子のうちに男の子っぽいとか、女の子らしいとかわからないものであろう。どうも吾輩はオスらしい。

哺乳瓶で飲むお乳もなかなかのものだが、母の腕のなかが一番だ。今は竹を食べるのに夢中な母が、吾輩を抱きしめてくれることを期待している。母というものはいい。吾輩を大切にしてくれる。飼育員もやさしいが母が一番だよ。赤子なのにどうしてこんなに偉そうにしゃべるかって? そりゃ人間みんなが吾輩を熱狂的に注目し大事に大事にあつかってくれるから、そうなってしまうのだ。

母の名前はシンシン。吾輩の名前はどうするかな? どこかの知事は「センカク」と名付けたらいいと強硬に発言したらしい。吾輩の母国、中華人民共和国に対抗するつもりのようだ。それもいいかもしれない。しかし協定では2年後にはよほどの事情が無い限り、吾輩は中華人民共和国に帰らざるをえない。名前をつけると何事に対しても愛着がわくことは当然のことであろう。吾輩のことは、「パンダの赤ちゃん」、少し大きくなったら「パンダ」と呼ぶ程度でよいよ。そのほうが吾輩も気をもまなくてすむというものである。
夏の夜ななつななとせ七夕よ [2012年07月07日(Sat)]

__tn_20120707212543.jpgテーブルはさんで 茶飲み話に花が咲く
食卓はさんで 夫婦むつまじ 夕べのうたげ
川にはばまれ 彦星・織姫
天の川渡って アルタイルとベガ
河の仲だち 白鳥座
昨夜の雷鳴 稲妻 大雨で
今日は穏やか 静かに夜中
雲の切れ間に くっきり見えて
七夕 七日は 年に一度の 再会よ
臨の字は君臨するか臨場か [2012年07月06日(Fri)]

__tn_20120706194504.jpg【臨】という字にはいくつか意味があるが、漢和辞典によれば、【臨】の「臣」はうつむいた目を描き、「人」が上から「品々」を見下ろす象形文字である。

1 高い所から見下ろす
  【君臨】【照臨(神仏が人々を見守る)】
2 その場、その時に直面する
  【臨海】【臨機】【臨月】【臨検】【臨港】【臨時】【臨終】【臨死】【臨床】【臨戦】【臨場感】
3 天子など貴人が来訪し、出席する
  【臨御】【臨幸】【光臨】【親臨】【台臨】【来臨】【降臨(神仏が主)】
4 手本や原本、モデルを写す際に横に置く
  【臨画】【臨写】【臨書】

そして【臨界】。境界に臨む。何の境か。ある世界と別の世界の境界である。今となっては、原子炉で核分裂が連鎖して反応する状態をいうことが一般的であるが、もともとは物質を圧縮することによって気体の液化が可能な上限の状態、温度のことをいっていた。

原発事業を推進する側と規制する側がある。推進する電力会社は独占体制で豊富な資金力にものを言わせて、政治力は抜群である。政治と行政と一体となって安全神話を定着させてきた。異論や反対論に対しては、心配無用と一笑にふし押さえつけてきたのが3・11までの現実だった。

すなわち【臨】の立場にいたのが、原発推進側である。高いところから見下ろして君臨するばかりか、心配する勢力を見下してきたのが実態であろう。巨大な地震はこないはず、活断層は一度に崩れないはず、津波は想像できる範囲でしかこないはずと、自然の恐ろしさを直視せずに、心配を先送りしてきた。その結果、巨大津波に臨んだときになすすべもなく、臨場感の欠落した想定に大きな問題があったのである。通常世界はメルトダウンという異世界と境を接してしまったのだ。昨日出された国会の事故調査報告。本来、規制する側の政府が規制される側の東京電力に「骨抜き」にされ「規制の虜」にされていたと指摘した。「事故は人災だった」と断言したのは、まさに上から目線で東電が君臨していたことの現れだろう。

昨日、関西電力大飯原発3号機の送電を再開。9日にも118万キロワットでフル稼働を予定。
節電を冷やし系なり癒されて [2012年07月05日(Thu)]

__tn_20120705221043.jpgさきほどNHKニュース9で、『この夏は、冷やし系』と称して特集記事を組んでいた。超節電のこの時季、暑さを乗り切る切り札として各社が商戦に乗り込んできているとのことだ。

食べ物では、あんパン、カレー、冷たい緑茶でお茶漬け、果汁分が濃いワインに氷でロック、低音でも固まりにくい油を使うカップラーメンなど、食べることで体温を下げてクーラーを使わないようにする工夫だ。その他画面に登場していたのは、ポテトチップスやコアラのマーチ、キットカットもあった。

オフィスにも冷やし系グッズは欠かせない。身だしなみを整えて暑さに対応する冷やし系商品である。ひんやりするあぶらとり紙、汗染み防ぐパット、足の臭さをとるシートといった冷却グッズ。これらは、猛暑だった一昨年の売り上げを4割上回っている。またひんやりする下着は売り上げを2倍にしたそうだ。

節電の夏冷やし系素材に熱い期待が集まっている。ヒンヤリしても、ひやっとせずに仕事バリバリ、気分は涼しく健やかに日々を過ごしたい。暑い夏を『冷やし系』で乗りきって、『癒し形』の豊かな秋を迎えられるといいなあ。

(写真は、荒神谷遺跡公園にある古代ハス。朝露を受けてひんやりと咲いていた)
汚れなき神のイタズラ無常なり [2012年07月04日(Wed)]

__tn_20120704173344.jpg映画『汚れなき悪戯』はキリストの神を讚美している、一見すると。しかし、痛烈な皮肉があるように思えた。気紛れな神への抗議である。

修道院前で拾われた日、聖マルセリーノにちなんで名づけられた赤ちゃん。よく泣く元気な彼を修道僧たちは可愛がり育てた。イタズラはしても、あどけなく周囲を幸せにするマルセリーノ。クリクリッとしたいたいけな目で人を魅了する。

修道僧の数が12人。キリストの側近だった十二使徒に奇しくも一致し、神の悪戯心は刺激されたのだった。屋根裏部屋に忘れ去られていたキリスト像。神はそのひどい処遇に怒っていたこともあろう。

愛すべきマルセリーノは寂しい。逢ったことのない母親を求めていたところに、降臨した神と出会った。神は奇跡を演じ、マルセリーノの話し相手となった。しかし、福音の代償は死という厳しいものだった。周囲は神に召されたと解釈した。無理もない。母の愛を知らない汚れなきマルセリーノだったから。

天の母を求めぬいたマルセリーノの願いを叶えたキリスト。なんという短絡的な望みの叶えかただろう。神の悪戯といわずして、何と言おうか。

有名な「マルセリーノの歌」。哀愁をおびつつも朗らかにな歌だ。天衣無縫なマルセリーノ。高い天に召された母への汚れなき愛情。澄んで千差万別の雲と空の表情を映し出すカメラワーク。白黒ではあったが、ピレネー山脈に広がる抜けるような青い空、無限に広がるマルセリーノの空が幾度も画面に登場した。

(写真は青空のもとピンクのキョウチクトウ)
白雪の上に落ちたは赤い血よ [2012年07月03日(Tue)]

__tn_20120703220308.jpg週末に観た『スノーホワイト』。美とは生命力にありと思える映画だった。はつらつとした歩み、輝く瞳と他人の話に傾ける耳。サラサラとなびく髪。あるときはキリリと締まり、あるときは微笑みを浮かべる口元。温かい言葉を発する唇。きめ細かな肌とほのかに紅潮した頬。容色や若さだけではなく、力を合わせて困難に対処しようとする生き方や思いやりも美となる。

反面、皮相な美はうつろであり、美でも醜悪だ。他人に左右され相対的で効力が短い。醜悪な美はその一瞬に燃え尽くす美だ。他を不幸にする。いわば取り去るだけの美。若さやよきものを吸い上げては奪い去る。反対に、生命力ある美とは与える美であり、その美によって癒され元気が出る。悪に対しても戦う勇気を奮い起こさせる。

美も醜悪な美も母の血と祈り(または呪い)から生まれた。最後は美の血が醜の皮を裂き、血を流すことによって、呪いの連鎖は終わった。華やかなエンディングではあるが、スノーホワイトの戴冠式に列席できなかった死者たちがいる。彼らの戦った犠牲の血であがなって平和は復権した。

ともかくすごい迫力だった。特に悪の女王を演じたシャーリーズ・セロンはすごい。永遠の美と若さに執着し、スノーホワイトの命を狙う。女王は世界一の美形であることを求めたが、意のままにならないことに怒りをぶつけ、周囲を恐れさす女王は美しくもあり、この上なく醜くもあった。美貌が崩れ老いさらばえた状態では鼻も落ちくぼんで目が輝きを失い、肌はぼろぼろ髪も姿勢もすべてが老いていく。それでも怒りと征服欲だけは失わない。

「ロード・オブ・ザ・リング」の世界観や映像に相当影響を受けたように思える。フロドとサムが行く荒野や高原地帯、征服者との戦闘、アラゴルンの戴冠式とアルウェンとの結婚式を思い出した。スノーホワイトが仮死状態になって白装束の姫は「ロミオとジュリエット」ジュリエットそっくりだったし、化けたカラスから悪の女王に戻るときは、戦場を飛び回ったあとの「ハウルの動く城」のイメージだし、巨大トナカイは「もののけ姫」のシシ神そのものだった。分霊箱を求めて旅を続ける「ハリーポッターと死の秘宝」のシーンも思い出した。

「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
愚かである。美は一元的価値ではない。美は多元的で多層なのに、その価値が見えない女王は愚かである。魔法の鏡の価値観だけに左右されて生きることのつまらなさ。どんなに国を征服しようとも、常に美から追われる迫られるのは哀れである。価値が自分に確立せず、他に与えられる生き方は無様だ。
週明けて夏よ来い来い文月や [2012年07月02日(Mon)]

__tn_20120702231231.jpg週末に強い雨が降ったからか、それとも七月の声を聞いたからか知らない。
夏がやってきた。
忽然とやってきた。
蝉が初鳴きをした。
ニイニイゼミだ。
日ごとににぎやかさを増していくだろう。
山間地に行ったら、なんとヒグラシの鳴き声がした。
盛夏の蝉がなぜ早くも。

ノウゼンカズラが咲いてきた。
濃茶の筋が放射状に広がって橙色の肌に浮きだしている。
あでやかで開放的な夏を感じる。
あつくるしいが桃色の花が咲き乱れるキョウチクトウ。
豊かな枝葉いっぱいに長い生命力であたりを明るくする。

七月はここにある。
夏はいまここに。
適度な日差しであれ。
手頃な雨よ降れ。
夏よ来い来いさあさ来い。

(写真は黄色い夾竹桃の花。初めて見た珍しい色)
シャレ者は駄洒落たのしく使いきり [2012年07月01日(Sun)]

__tn_20120701195139.jpg朝日新聞土曜日版beの「between読者とつくる」コーナーで『だじゃれは好きですか?』を特集していた(2012年6月30日付)。ここでは三千人あまりを対象に調査を行っている。

■だじゃれが好きか? 「はい」70% 「いいえ」30%。
「はい」の理由 場が和む/楽しい/会話の潤滑油/センスや技が問われる/頭の体操など
「いいえ」の理由 くだらない/つまらない/笑いを強要される/興味がない
■周りでだじゃれを言う人物の年代・性別は?
50代60代が圧倒的に多く(続いて30代40代)、9割が男性。

ウィキペディアではこう紹介している。
≪駄洒落(だじゃれ)は同じあるいは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び。(中略)言葉遊びの「洒落」は知識と教養を示す気の利いたものであったが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーからの揶揄を込めて「駄」の文字を冠した。洒落の文化が失われるにつれ、それを文化として持たない若者からはおやじギャグと称されるようにもなる。≫

なるほど駄洒落の「駄」はバカにしての駄だったのか。わたしは謙遜の意味だと思っていた。そもそも【洒落】というのは、ダジャレの意味のほかに、冗談の意味で「シャレにもならない」と使う。そしておしゃれである。会話の中で思いがけなく音が重なり、思わず笑いがでることがある。そんな偶然は楽しい。意識的にダジャレをとばすのは、語彙が多いことの証明であり誇るべきことだ。落語のオチも多くはシャレ、小咄ときたらシャレばかりだ。

住友生命の創作四字熟語も教養ある遊びといえる。電光石火をもじった去年の電考節夏、帰宅困難を意味した帰路騒然(理路整然)は最高だった。第一生命がおこなうサラリーマン川柳も高級なおやじギャグといえるだろう。三寸不爛の舌とまでは言えなくとも、舌先で空気を和まし、ちょっぴり自己顕示欲が満たされるとしたら可愛い道楽だ。

beは特集を次のように締めくくっている。≪だじゃれとは、言葉遊びの妙技。日本人は新年の始まりを「めで鯛(タイ)」や「よろ昆布(コブ)」で祝い、受験前に験担ぎの「カツ(勝つ)」を食べ、数字の4や9を気にしてきた。「改めてだじゃれとは気づかないほど、生活に根付いているんです」(中略)古くは和歌の「掛詞」から、現代のラップまで。だじゃれは決して、オヤジだけのものではない。≫

・戦国(仙石)民主党は造反処分をおざなり(小沢)にしてしまったのだ(野田)。
 【追加】今の幹事長は輿石だった
・ダジャレを言ってしらじらとしてもたじたじとならないぞ。
・総選挙、AKBはファン増大、民主党は不安増大。

DajareStation(http://dajare.jp/)という駄洒落総合サイトだってある。ダジャレは楽しい。