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被災地をめぐる旅かな春おぼろ [2012年04月30日(Mon)]

20120430231231.jpg仙台市内のソメイヨシノは満開を過ぎていた。友人に案内を受けながら高速道路を石巻に向けて進む。雑木林に春がきて、色とりどりの新緑が目に入ってくる。太陽は薄ぼんやりした雲に包まれ適度な天気であった。

石巻の工場地帯から住宅地が隣接する地域へ。湾岸道のそばには瓦礫や車残骸の大山が延々と続き、住宅地に残った家はない。かつては家が密集して海岸線は見えなかったという。あの日から機能を停止した石巻市立病院が巨大な骸をさらす。雲雀が鳴いている。三羽の鳥(あとで調べるとコアジサシか?)が鳴きながら行き来を繰り返す。溜め息がこぼれ、口数が少なくなる。

女川の入江に来るまでに沿岸道路の山側に残骸を多く見る。斜面高いところに立つ桜木には朽ち果てた布団がかかっている。漁業用の浮きがかかっている木もある。あの高さだと海から何mあるのだろう。港の建物は根こそぎさらわれ、横転している鉄筋3、4階の建物もある。小高い山の中腹にある保健センター。その建物の入口にある柱2mのところに津波到達の印。海面からおそらく30m近くはあるだろう。その場で恐怖を体験した人のことを思い驚愕。

あちらこちらで多くの花壇を見た。復興の意欲を高めることと死んだ方々への鎮魂の意味があろうかと思う。追悼の気持ち、追善供養の意を何度も表した。

大川小学校へ来た。惨劇に見舞われた悲劇の小規模校だ。モダンな造りだった校舎はズタズタ。渡り廊下の太いコンクリート柱が倒れ、隣接する敷地ははるかに広がる一面のさら地。元はたくさんの家が並び建つ大きな集落であった模様。建設重機の音が響いている。慰霊碑には次々と人が訪れ手を合わせる。

津波とは水に浸かるのではない。そのエネルギーは巨大な重機を縦に何十列、横に何万と並ばせ一気に莫大なスピードで襲わせる凶器のようなものなのであろう。経験した者でなければ恐ろしさはわからないという。北上川の河口から数キロ。なぜあの小学校には災難がふりかかったのか。様子見などせずにただちに避難の行動を起こせなかったのか。保護者や学校側の後悔と煩悶はいまも続いている。その不運と未決断を自分の身に引き当てて考えた。

秋保温泉(あきうおんせん)の湯につかった。仙台の奥座敷として作並温泉とならんで有名なところ。仙台市内より気温は低く、山櫻やソメイヨシノは満開。山里は一面に広がる淡い桃色や春もみじを見ながら、爽やかになると同時に厳粛な気持ちを味わった。

(写真は、石巻の被災地に咲くタンポポ。バックは黒沢さんが作られて有名になった看板「がんばろう!石巻」。看板の周囲は献花台が供えられ、復興への勇気、再出発の象徴となっている)
春浅き杜の都に百万の [2012年04月29日(Sun)]

20120429234348.jpgわたしは見る
東北新幹線の車窓から春浅い福島の景色を見る
川が流れ畑が耕され山の高見には残雪があるのを見る
宮城県に入る
さらに春は浅い
杜の都仙台
都の森のケヤキは未だ小さき芽
日が暮れると肌寒い
ミニスカートのひと
またあるひとはコートを羽織る
友人夫妻と落ち合う
約束の時間より30分も前に
ばったり出会うのは不思議な縁か
語るかたる双方で語る
島根を語り東北をかたる
被災をかたり体験を語る
子供を語り未来をかたる
あっという間の3時間半
途中二度地震あり あとで千葉震度5弱と報ずる
明日は被災地慰霊の旅
ニッポンの復興を期する一日となる
披露してハマのきらめき高まれり [2012年04月28日(Sat)]

20120428235006.jpg若鳥が巣立つ
若い二人は巣立つ
質実な仏前結婚式
横浜・山下公園ひざ元で絢爛たる披露宴
列席者からの祝い、思い出、励ましの言葉
歩もう、進もう、勇気をもって
創価ルネサンスバンガードが奏でて力みなぎる情熱大陸
人生の師匠に見守られて勇気百倍
百花繚乱つつじの乱舞
春を盛りと咲き誇る
やがて厳しい冬もくる
多難なれども負けじと祈り
順に満帆つづいても油断せず
外に出ればさりげなく雑踏
電車のホームに見知らぬ人ばかり
いざやゆけゆけ恐れずと
はなむけ今日ぞ誓いの日
はるがきた春夏秋冬はるがいく [2012年04月27日(Fri)]

20120427182317.jpg「夏」は盛んなとき
朝晩冷えを感じる立秋まで
大きな庇の下で涼みたい
「な」は音つよく暑さに負けないで
「つ」は口をとんがらかしてスカッとしたい

「秋」は実るとき
大切なものを収穫し束ねるとき
「とき」と読めば危急存亡の秋
「あ」は朗らかに明るく
「き」はキリッとこころ引き締まる

「冬」は蔵に蓄えこころ充電するとき
「ふ」はこもってる
「ゆ」はゆるりと家にとどまる

「春」は始まりのとき
寒い立春からやがて陽気に浮き立つとき
春は若さの代名詞
草木は萌ゆるよろこびのとき
「は」は暖かにひびき
「る」は長くなる陽射しを連想させる

春がきたなあ
春がいくなあ
春にうららか
春ははずんでたくましい
一体に針と腕とが交わって [2012年04月26日(Thu)]

20120426194925.jpg右腕をさしだす。手首をつかまれる。ガーゼでサラサラこするとスーッとする。中が空洞になった太いゴムで二の腕を絞める。「チクっとしますよ」 言われるほどのことはない。針から注射器に吸い込まれる血。ものの数秒間だ。検査用採血は終わった。

しばし準備がととのうのを待ち、珈琲を飲む。水分補給をし、トイレに行って1時間あまりの拘束にそなえる。成分献血は長い。

アルコールで消毒。乾いたらさらにヨードで念をいれて消毒。さあ挿入だ。太い針。最初のやつより3倍は太い。「痛かったら言ってくださいね」 痛くないわけがないじゃないか。左側の太い静脈に向かって皮膚が大きくしなり、音こそたたないが、ブスッと針の先が皮と血管を貫く。ああよかった、無事入った。

腕の角度やベッドのリクライニングを調整し、一番快適な体位を探す。こちらは身動きがままならず、看護師にすべておまかせ。前みたいに献血中の飲み物サービスがあったら至れり尽くせりだ。残念ながら今はない。

目の前の液晶テレビの音を小さめにかけ、持ち込んだ本を開く。右手しか使えないから不自由ではあるが、なにか豊かな気分。請われて血を提供するだけではなく、時間を含めた自身のなにものかを自発的に出しているという充実感だろうか。

いつのまにか眠っていた。よく寝た気分で、また本に目をやる。そうするうちに血漿板の必要量が取れたようだ。感謝の言葉いっぱいに献血ルームを出た。痛いが気持ちいい。献血をやると温かい気分になれる。
恐ろしき飛び立つ鳥は恐竜か [2012年04月25日(Wed)]

20120425225454.jpg「鳥」は恐ろしい、「鳥」は怖い、「鳥」を見るのは恐怖だ、と思わせないようにヒッチコックは予告編で、鳥はいかに人類にとって有益で長きにわたり友であったかを説く。しかし映画『』を観ると恐竜が群れをなして狩りをするのを連想してしまうのだ。原題は『The Birds』。なぜ「ザ」がつくのか。アメリカ西海岸サンフランシスコの郊外で凶暴化した鳥の特定の集団だったからか。それとも万物の霊長として地球上に君臨する人類に対して、すべての鳥類が警告をならしたという意味なのか。

集団というにはあまりに多い鳥たちが画面に登場した。空をうめ尽くし、地面や電線にびっしりととまり、何らかの合図があると人間を襲いだす。始めは「そんなバカな」と信じなかった人々も恐怖におののくようになる。パニックにおちいる人もいて、ひどい不快感や差別意識が露わになる人もいたりするのは、非常時ならではの人間性のあらわれだ。

鳥は丸い目をしている。まぶたはカメラのレンズのようにくっきりと開き機械的だ。恐竜を祖先とし、1億何千万年か前に生じて以来、全地球に生活の場を広げてきた。鳥は一般的にはおとなしいイメージだが、狩猟する鳥もいるし、攻撃の時は獰猛だ。子育ての時期のカラスなど危ない。鳥の顔は怖いという人が多いというのもうなずける。画面にはカラス、雀、カモメ、その他多種無数の鳥が登場して人間を襲ったが、小型の肉食恐竜ヴェロキラプトルが群れをなして狩りをするのを思い出した(映画ロストワールドの世界だが)。この映画では、鳥が祖先・恐竜の昔にさかのぼって狩猟本能をむき出しにしたのかもしれない。

美しく自由奔放なメラニー。新聞社主を父に持つ金持ちお嬢さんである。最初は弁護士ミッチにたいする軽い恋愛感情だったものが、襲撃される危険を経るにつれて両者は固く結ばれ、幼い妹にも母親がわりとなり、人間的にもぐんぐんと成熟味を増す。ミッチの母は子供に対する愛情に没入できず、夫の死後あらゆるものを猜疑心で見るが、メラニーが襲われてずたずたになったとき、毅然として恐れと疑いの心を克服した。あの目の変化、背筋を伸ばした姿勢の変化がいい。音楽はほとんど使われていなかった。そしてどうやって撮影したのか、あの膨大な鳥たちは。むろん映像の貼り合わせもあったが、圧倒された。

映画館から出たらカラスが一羽いた。すこし怖かった。
ひと騒ぎ傍若無人か平凡か [2012年04月24日(Tue)]

20120424224142.jpg狂気の沙汰が続いた。東京では中学3年の少年がバス運転手を刃物で刺したという事件。学校でバカにされたことの腹いせだった模様。

京都では18歳青年が小学生児童と付き添いのお母さんに突っ込んだ事件。無免許でも器用なら車の運転は簡単にできる。だが一晩中遊びながら運転を続ければ疲れ注意は散漫になり居眠りが出るのはあたりまえ。当然の結果に想像が及ばないのは非常識を通り越え、幼児そのものだ。他人を死に追いやる可能性を知らないのは、言ってみれば狂気の沙汰。

京都市内の繁華街で暴走した車の若者。病気であったかどうかにかかわらず、人をなぎ倒しハンドルに大きな抵抗を感じながら(蛇をひいただけでもかなりの衝撃を受ける)、アクセルを踏み続けた殺人者。これも超がつく狂気の沙汰。

従来からある思考の枠組みや思想にのっとって生きることはある面楽だ。ありきたりの精神活動に飽き足らず、新思考を試みる人は破格の秀才とよばれ人から賞賛される。人によっては金を儲けたり、多くの人を助けたりする。新思想や宗教を生み出す者は偉大な思想家とよばれ、超カリスマと称される。反発もたくさんあるという点では、メジャーになる前の頃は狂気の沙汰と言われた先人も多かったであろう。

「こうしたら幸せになれる」という物語に沿って幸福を追求していくのは、ある面楽だ。枠組みがあらかじめ与えられる気安さである。価値観は外にある。わたしも含めて凡人はその程度しかできないし、自分で価値観を創造することはあまりにしんどい。だから世間体を気にしながら、毎日汲々として汗水たらすのである。

こうした生き方を悪いと言っているわけではない。他人に迷惑をかけないとか、隣人の動向を気にするという態度に無頓着となると、傍若無人となって人を不幸にするばかりか、結果として自分自身が不幸になってしまう。それがここ数日の若者たちのぶざまな様子に現れている。人は平々凡々なほうがいい(ふつうは、平常は)。

(写真は平々凡々な今の花、仏の座。春の七草の頃には地面にはいつくばっているのに今は伸びやかに少し華やかだ)
輝いてみるものゆくもの春のもの [2012年04月23日(Mon)]

20120423212852.jpg『目であるく、かたちをきく、さわってみる。』で著者はこう歌う(マーシャ・ブラウン文と写真,谷川俊太郎訳)。

  目は みえる
  うまれたときから
  でも みることは――
  みえることとは ちがう。

  みること
  それは 目で あるくこと
  あたらしい せかいへと。

  ゆっくり あるこう
  こころを
  いろんなものに ぶつけながら
  いろんなものに くすぐらせながら。

桜花爛漫の季節に気を取られているうちに、いつの間にか百花繚乱、絢爛豪華な舞台へ春は移り変わる。菜の花、椿、西洋水仙、パンジー、ボケ、すずらん、八重桜、花水木、芝桜、タンポポ、チューリップ、エンドウ、馬酔木、雪柳、花ニラ、仏の座、レンギョウ、ヒヤシンス、浜大根、スミレ、マーガレット、山吹、ジャガイモ。昨日からツツジも咲いてきた。派手な牡丹や芍薬が咲くのも間もなく。千変万化する若葉も美しい「春もみじ」の季節でもある。

周囲を見渡してみると気分もかわる。ゆっくり歩きながら、いろんなものに問うこころをもちながら、ゆく春を楽しもう。

(写真は島根県農業技術センターが開発した新種あじさいの「万華鏡」。母の日のプレゼントにぴったり)
王のためねじり鉢巻き物語る [2012年04月22日(Sun)]

20120422213132.jpg児童文学の『ネジマキ草と銅の城』は楽しい、喜ばしい(パウル・ビーヘル著,野坂悦子訳,村上勉絵)。

千年生きた王さま。寿命が尽きかけている。まじない師は、心臓が止まって死にそうな王さまのためにネジマキ草を探しに旅に出る。それを煎じた特効薬が手に入るまで、王国に住む動物たちは王のために毎夜物語を語る。

オオカミ、リス、砂丘ウサギ、カモ、ヒルジ、ハナムグリ(カナブンのような昆虫)、ライオン、マルハナバチ、ドラゴンが毎夜城の銅の門をたたく。仲間が増えると元気になるのは誰しも同じ。王も話し手が増えるたびに元気が出ていく。何十年も開いたことがなかった部屋を見せたり、自分の長いあごヒゲに触らせたりという欲がでる。だが、心臓はますます不安定になって周囲を不安がらせる。生きていくことは日々に一喜一憂なのだ。

話し手はひとりにつき一話。千夜一夜物語とは違い、だれもが一度だけ。まさに一世一代の話をする。これは一期一会にも通じると思った。その絆によって、話を終わったあとも終いの召使いとなって王に喜んで仕えることになる。

ライオンの話に時間を盗む魔女の教訓があった。急いでどうする、焦ってどうする、と思い返してみたいと思う。

≪(魔女の合図で)ライオンは取っ手を上下させはじめ、「時間」がはげしい勢いでバケツのなかに流れこんだ。魔女は、そのひとこまひとこまをつかんで糸につなげ、こうさけんだ。
「早く、もっと速く! どんどんいくんだ!」
 ガッチャンコ、ガッチャンコ、ガッチャン! ポンプが悲鳴をあげる。魔女はポンプの口のそぐそばで糸をかまえ、「時間」をできるだけむだにしないようにした。
「そうだ、そのとおり! もっと速く!」
 とつぜん、ライオンが取っ手におおいかぶさるように、どさりと倒れた。(中略)ライオンは、ポンプのよこで死んでいた。≫

ライオンは急がされすぎて死んだ。悠久の千年ではあるが、王さまには千年の間王国を守ることでへとへとだったのだろう。まさに死の淵にあった。しかし、特効薬はネジマキ草の薬だけではなかった。支えてくれる仲間たちの思いやりが、きっと大きな力になったのだと思う。

(ネジマキ草はねじ花。5月には芝生に咲くことだろう)
アーティスト誇り高きよ口髭に [2012年04月21日(Sat)]

20120421132743.jpg映画『アーティスト』は先日のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞ほか5部門を受賞したフランス映画である。

カラーはなくBGM以外の音はほとんどない。白黒であっても色を感じるラブストーリーであり、サイレントではあってもわずかに使われた音や声が効果を上げる。単に古い技法を使ったのではなく、古い革袋に見せかけた最新の器に美味しい酒を満たした趣向といえよう。

1927年から1932年までのハリウッドが舞台。サイレント映画の大スタージョージは、若い端役女優のペピーに惹かれて彼女のための道しるべとなる。映画界は無声からトーキーへの移行期。ジョージは無声映画に固執し落ちぶれる。一方でペピーがスターダムを駆け上ったのは、彼が彼女に運を与えたからかもしれない。駆け出しのペピーがバレンタインの控室で、ハンガーに掛かった彼のタキシードと抱き合うシーンが色っぽい。

ジョージはトーキーの将来性を見誤っていた。声や音が画面から出てこないあの当時、音は生オケか弁士の声のみ。「無」から想像が広がり内面で実を結ぶ。セリフを全画面で表すとき、当の役者の表情や口の動きは見えない。見えないところに想像が広がる。そうした感動が無声映画にはあったのだろう。だが客はよりわかりやすく、より刺激的なことを求めたのだ。

音楽がいい。1920年代のアメリカの繁栄ぶりを表すような明るくてリズミカルな音楽。管弦の響き、ピアノと種々のパーカッションが演者の心の内を示す。また、ジョージの愛犬がすごい演技を見せる。脇役にも華がある映画であり、結末も含めて楽しめる。

音が少ない分だけ一部の音、声に敏感になれる。羽毛が地面に落ちる音ですら大音響となって観客を驚かす。有声⇒カラー⇒3Dと映画の歴史は動いていくが、今後の映画の変遷はどうなるだろうかと考えてしまう。どんなに微細な表現ができるようになっても、ナマにはかなわない。表現や話法、編集の技術で今の映画は昔の映画を遙かに凌駕している(一般的には)。

映画の内容(脚本や演技、舞台設定)で人間を描き、表現の技術(演出や編集)が進歩する。両者があいまって映画は魅力的になるわけであるが、映画の今後が楽しみだ。
イチゴ食べ口をとんがり乳の味 [2012年04月20日(Fri)]

20120420180442.jpgイチゴやメロンは野菜に分類される。なぜか、わたしも含めて多くのひとが果物だと勘違いする。たぶん、とても甘いからだと思う。

プリンスメロンやマスクメロン、アムスメロンといった品種が出回らない昔は、味瓜があった。今思えば甘みは申しわけ程度についていた。しかし子供のわたしには美味しいおやつだった。だから瓜という野菜だ。

イチゴは酸っぱかった。甘くなるまで収穫を遅らすと、腐敗の一歩てまえまですすんだ。新鮮なイチゴを美味しく食べるには、甘い練乳が欠かせず、さらに砂糖までまぶすひとがいた。

練乳は缶詰。両端の二カ所に穴を開けた。ちゃんと出るように、缶切りで開けた。そういえば缶切りがない家が増えたなあ。
とりどりに花が咲いてる繚乱や [2012年04月19日(Thu)]

20120419211920.jpg花の冬芽はたのもしく
硬い皮かけ身を守る

花のつぼみはたのしくて
来るくるやがて盛りくる

花の盛りはさびしくて
華やぐ影にわびしさが増す

花の終わりは悲しくて
ぽとりと落ちて花びら飛んで

花が消えるとがらんどう
かわりに葉っぱがしげる夏

花を翌年咲かすため
茎に根っこに溜めるぞちから
光満ち輝く朝に笑顔あり [2012年04月18日(Wed)]

20120418193713.jpg美しい朝だった。薫る風、輝く光、さわやかな空気。ゴールデンウイークを彷彿とさせるような朝。自転車で駆け抜けていく、いつもすれ違う女性。ニコニコとしている。どんないいことがあったのだろうか。きっと気分がいいにちがいない。

新入社員とおぼしき一群が小公園とバス停を掃除していた。思わず「どちらのかた?」と尋ねる。
「島根銀行です」
「新入生ですか?」
「はい」
「ステキな取り組みですね」
「ええ・・・」

新入社員もしくは新入行員というべきだったろうが、黒のリクルートスーツに身をつつんでいる彼女に思わずそう呼びかけた。みずみずしく麗しい光景だ。

空は青く、暖かい朝。いいことがありそうな予感がするステキな朝だった。
恐妻か愛妻かと弁当に [2012年04月17日(Tue)]

20120417182145.jpgわたしの職場では、キョーサイ弁当を食べる人が少なからずいる。キョーサイ弁当ではあるが、見た目の色合いはよく、栄養バランスもよさそうだ。普通盛に加えて大盛、中盛、小盛までとりそろえて、食べる人のことをおもんぱかり満点と言えるかもしれない。味つけは甘すぎず塩辛すぎず、日々の趣向もなかなかのものだ。島根産の米もうまく炊いてあって食欲をそそる。

もちろん、愛妻弁当を食べる人もそれなりにいるし、弁当男子・弁当女子弁当もたくさんいることを付け加えておこう。

「地方職員共済組合島根県支部物資部の食堂部門が職員のために調理販売する弁当」を略してキョーサイ弁当。わたしもときどき食べることがある。美味しい(^0^)/
声だして心の窓を開け放ち [2012年04月16日(Mon)]

20120416223627.jpgわたしなりに「声をみる」視点を書き上げてみた。

〇小さ過ぎない声かどうか
〇よく通って響くか
〇澄んでいるか
〇高いか低いか
〇話のスピードが速いか遅いか
〇口角が広がっているか
〇キンキンした声でないかどうか
〇落ちついているかどうか
〇聞きとりやすいかどうか
〇話すトーンが平坦でなく抑揚があるかどうか
〇朗々としているかどうか
〇詰まる声でないか
〇語尾がやたらと上がらないかどうか
〇話に適度な間があるかどうか

もっとあるかもしれないが、この条件で発表したり、会話したり、演説する人の声であれば、まず確実に耳を傾けようという気になると思う。ただし内容がなかったり、マイナス思考で他人を罵詈雑言するような話は願い下げたい。
放さぬぞライフジャケットひとの綱 [2012年04月15日(Sun)]

20120415170109.jpg漁業者が航海し、漁業現場で作業する際、いざというときにそなえてライフジャケット(救命胴衣)が不可欠である。ところが現実には、「暑い」「作業効率が悪い」などの理由で着用されていないのが多いようだ。一人乗り漁船で船長が行方不明になり、無人の船が漂うことがある。なんらかの理由で海中に転落する事故が起こったものと想像される。

どんなに泳ぎが達者であっても海中に投げ出されると、体温が下がり体力を消耗し、命を長らえるのは難しい。ライフジャケットをつけていれば生き残って助けられる可能性が高まる。救命具は命の手綱といえるだろう。そこで、安全で快適に装着するために、ライフジャケットの種類別に使用感を調査して情報を提供する試みが始まっている。

車のシートベルト着用は、ほぼ定着した。自分や同乗者の命を守るためという目的はあるにしても、理由として違反切符を切られるという不利益が大きくものをいっていると思う。船上で着用の有無を確認しにくいのは確かだが、法律で明快に定めて違反者を罰する規程が必要かもしれない。罰則があり、皆さんもそうしてますよという圧力があると行いを改めるのは日本人の性向であるわけだから、罰則でしばるのも悪くない。

(2012.4.17追記)
「夫が出漁するたびに、必ずライフジャケットを着けるように言っています。乗組員で着けていない人がいたら必ず着けるように言ってください。息子が漁師になってくれましたが、息子にも同じことを言います。出漁を見守る女性は、そのたびに家族の安否を心配します。万が一の時、ライフジャケットがあれば助かる確率はグンと上がります。」(日刊水産経済新聞4月16日付け「記者席」)

このように、自民党水産基本政策小委員会でJF全国女性連村松理事が語られたとのこと。家族の無事を祈るこうした声を無にしてはならない。漁業者は「面倒だ!」などと言っていては、取り返しのつかないことになる。家族や大切な人を泣かせてはならない。
リラックス春の眠りにやわらかに [2012年04月14日(Sat)]

20120414090519.jpgリラックスする。散髪する。なじみの人にいつもの髪型で、とおまかせしておしゃべりする。横になって顔を剃る段になると、いつのまにか眠っている。

リラックスする。按摩マッサージをしてもらう。肩から始まって指の先から頭頂部まで。呼吸を揉みように合わせているうちに、いつのまにか眠っている。

リラックスする。本を読む。電車の中で、日だまりの公園のベンチで、寝る前のフトンの上で。退屈で難しい本でも、どんなに面白い文章でも、いつのまにか眠っている。

リラックスする。広々としたところで寝そべる。空の青、雲の白、山の青みを楽しみながら目をつぶる。いつのまにか眠っている。

リラックスすることは眠りに直結する。寝るのはうれしい。少々の悩みがあってもぐっすり眠ると活力が湧いてくる。
サクラ散るミサイルもとも花よチル [2012年04月13日(Fri)]

20120413180733.jpgしばらく満開の桜に気をとられていた。桜が散り始めて、今朝あらためて周囲を眺めてみるとあぜ道にも、街中の街路樹や路傍にも、家々の植え込みにも、春の花がたくさん咲いているのに気がついた。木々の若芽も大きくなっている。

北朝鮮が人工衛星と称するミサイルは、7時39分に発射されてから1分後に120キロ上空で爆発した模様。「サクラは散った」が、米軍事衛星の熱感知システムにより発射が確認されてからも日本政府は「わが国としては発射を確認していない」と言い続けた。発射され弾道に乗れば20分あまりで日本領海付近が危なくなることがわかっているにもかかわらず、混乱を避けるとの理由で発表を抑え続けた。不可解だ。

今回はミサイルが空中分解して爆発したからいいものの、探知が失敗していたとしたら「確認しないものは存在していない」とする態度は危険だ。

未確認のものは制御不能として手を出さなかったり、パニックを避けるという名目で情報公開しないのは、行政や大組織にありがちだ。大きな混乱が起こったとしても、警察力や場合によっては自衛隊の力使えばいいわけで、あまりに自制的で石橋をたたいて渡る式の情報発信は、後悔のもとである。
大マゼラン腑抜けの地球に愛の手で [2012年04月12日(Thu)]

20120412213404.jpgスペース・バトルシップ ヤマト』は興味深い映画だ。アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の実写版として1年あまり前に公開された。

野生味あふれる木村拓哉がいい。情動を抑えきれない荒っぽさが、艦長代理についたとたんに冷静さを加えて円熟味を加えていく。全艦を守ることと、やむを得ず切り捨てなければならなくなった悲哀との相克で、古代進は進化する。真のリーダーシップを体現した沖田艦長の境地に近づく。

森雪は俳優・黒木メイサを地でいった。強く反発していた古代へのわだかまりが解けると、徐々に惹かれていき古代とは相思相愛の仲となる。古代が身を捨てて地球を守ってから5年後には、彼との子供が大きくなっていたのである。

22世紀の終盤、地球は異星人ガミラスの攻撃で強力な放射線汚染にさらされ、滅亡の危機に瀕していた。海は干上がり青い地球は消え、多くの生物は死滅した。残された人類も風前の灯だった。そのとき、イスカンダルからのメッセージカプセルが届き波動エンジン設計図とイスカンダルの座標が入っていたことは原作と同じだ。しかし、放射能除去装置を渡すとのメッセージが沖田の創作だとは、すごい脚本だ。一縷の望みをのせて地球を飛び立つヤマトというところにブレはない。

イスカンダルとガミラスは二重星であり、ガミラスはデスラー総統に率いられる非常なる星。かたや、イスカンダルは力弱くとも科学は発達し弱い地球人の味方。というわかりやすい勧善懲悪ではなかった。ガミラスは星そのものが集合生命体として存在し、悪の部分を代表する。その善なる部分がイスカンダルだとう驚嘆するような描き方だ。しかも、放射能除去装置は機械としては存在せず、森雪の身体に託されて除去されるという途方もない設定だ。コスモタイガーを完璧に操る森雪、長い髪を神秘的に揺らす森雪、細くても強靭で見事なるプロポーションの森雪。あまりに美しくて言葉もない。

ガミラスという悪の権化という印象があったが、その鉱石質の生命体たちもやはり生き抜くことを望んでいた。イスカンダルは持続可能性がなければ、滅びることもやむなしと考えた。両者は善と悪に割り切れないように思えて、どこか愛着を感じた。人に限らず生きるものすべては、善と悪、執念と諦め、慈愛と冷酷、その他あらゆる相反する性質をもつことをあらためて思う。
満ち足りて染井吉野に駆け抜けて [2012年04月11日(Wed)]

20120411223822.jpg昨日松江ではソメイヨシノの満開宣言が出た。昨夜の風、今朝からの雨で早くも桜は散り始めた。命短い桜の花を惜しむ。2008/4/19(土)にこの欄で『寂しさと派手さをそなえ桜散る』として書いた。

≪楽しさを含んだ軽快さ、それと寂しさを含んだ優雅さが桜にはある。春になるとどこにもあるという親しみやすさ、それでいて日本人の心象を形作ってきた深さも存分に感じさせてくれる。(中略)

  花と聞くは 誰もさこそはうれしけれ 思ひしづめぬわが心かな (山家集)

西行が桜とともに過ごした人生を象徴するような歌である。うきうきした気分と同時に死の影を感じさせる深みがある。満開となって散り始める頃、絶頂にあるときに感じる快さと寂しさ。妖艶で優美できらびやか・・・桜とは日本人にとって“華のある”花である。≫

そして先日2012/3/14(水)に坂口安吾の「桜の森の満開の下」をひいたとおり、満開の桜花には怖ろしいまでの魔力があることを記した。魔力はあるが、魅力は語り尽くせない。

≪桜は四回、桜色に染まるのである。それぞれに違う桜色だ。最初は、冬の終わりからまだまだ寒い春の入口の頃である。個々の枝を見るとつぼみが膨らんで桜の花が咲くのももうじきだと期待できる頃、少し遠くから木全体を見ると、ごく淡いピンクの雲がかかったような印象だ。

二回目は当たり前に、桜の花が咲く頃だ。咲き始め、四分五分、満開となり、開ききって散り始める。桜の花の色そのもの、桜が群をなして存在感を誇示するクライマックスの派手さがある。

三度目は地面に花びらがはらはらと散り、風が桜吹雪を舞わせ、水辺に浮かび、アスファルトに散った桜の花びらが敷きつめられて層をなす時、桜色は一段と深みを増す。開花から落花までたかだか一週間あまりなのに人々は、時に賑やかに公園を宴会を楽しみ、時に静かに一人散策をする。わずか数日で桜に対する思いはめまぐるしく変わっていく。

最後は目立たない。花もすっかり終わった後に、花びらを支えていた萼(がく)がボテボテと落ちている。それらが桜の根元で濃い桜色になっている。薄汚く泥にまみれた濃桜色であるが、艶やかさの残滓(ざんし)と言えるのかもしれない。≫

今は三度目の派手な時期。そしてこの週末には最後の桜色を見せてくれるときがやってくる。さあ、明日も爛漫の桜の木の下を歩いていこう。万朶の花が散る木の下を駆けぬこう。負けてたまるか、負けじ魂ここにあり。

(写真は昨日のしだれ桜。松江大橋のたもと)
人々は天を革め人騒ぐ [2012年04月10日(Tue)]

20120410184338.jpg昨年の生肉食中毒事件をきっかけに、厚労省の薬事・食品衛生審議会部会が、危険性の高い生レバーの販売を、まずは禁止するよう意見をまとめ、食品衛生法の改正が行われる模様だ。食の安全・安心をすすめるためであるが、今回の規制がされる大きなきっかけとなったのは、「かけがえのない命が失われた。国は何の対策もとっていなかったのか」というマスコミ界が主導した意見だ。その規制が明らかになると反対に、他の食品にも食中毒の危険性は同じようにあるとか、個人の判断を重視すべきだとか反対意見が唱えられるようになった。マッチポンプとはこのことである。

≪政府が禁じるというレバ刺しの滋味は、火を通せば消えてしまう。そもそも食い道楽は自己責任を旨とすべきで、国の出る幕とも思えない▼(中略)〈味わいは議論の外にある〉ともいう。食の始末はまず、自分の舌と胃袋に任せたい。≫
   (4月8日付け朝日新聞・天声人語)

中国の治政観は古代から「徳」を中軸にするものであり、立法や司法、行政的なものを統べる皇帝は圧倒的な権勢を持つ反面、責任の負わされ方も苛烈であった。徳が衰えた天子には価値はなく、国家を統治する天命はない。したがって革(あらた)めて、他の徳有る者が新たな王朝を創始するというのが易姓革命である。むろん親族もろとも皆殺しにされる。

日本人が行政や政治に対して抱く思いには、一部それを感じさせるところがある。「政治は、なかでも行政は庶民を保護し、よりよき生活をするために努力するのが当然だ。だから権力も与え、多少の無理強いにも耐えることとしよう」という思考である。しかし、権利意識が高まり、行政バッシングがあたりまえの世となった。

さらに公務員を削減し行政経費を少なめようとする発想によって、規制がゆるめられ個々人の自由な行動が推奨される。一方で、自分の行いは自分でという自己責任の厳しさが求められるのであるが、生肉禁止の流れのなかには、日本人の甘さがかいま見えるのである。

(今日は松江で桜の開花宣言があった。桜の花言葉は「精神の美」。自律した美しい桜のような姿をめざしたい)
熟慮して春のひねもすぼんやりと [2012年04月09日(Mon)]

20120409182718.jpg熟慮せずに行動してしまって後悔することがある。反対に考えあぐねて結局行動を起こさずにいてホゾをかむこともある。そもそも「熟慮」とは何だろうか。

何かをしたときに、どうなるか。
何かをしたときに、どうならないか。
何かをしなかったときに、どうなるか。
何かをしなかったときに、どうならないか。

複数の対象がある場合には、組み合わせが幾とおりもできてくる。
能動的行動の有無に加え、さらに受動を考える。

何かをされたときに、どうなるか。
何かをされたときに、どうならないか。
何かをされなかったときに、どうなるか。
何かをされなかったときに、どうならないか。

能動と受動のほかに、自然現象や不可抗力の出来事が起きる場合もある。そうしたものを考えていくと選択の幅は無数に増えて、将棋の差し手や囲碁の打ち手のように熟考しつづけなければならなくなる。となると、疲れて時間がなくなって日常生活は破綻する。適度なバランスが必要なのだが、考えること予測することいろいろな角度から見ることは難しい。
生き抜くぞ老いも若きも輝いて [2012年04月08日(Sun)]

20120408221558.jpg『13ヵ月と13週と13日と満月の夜』(アレックスシアラー著,金原瑞人訳)を読んだ。魔女に体を奪われた少女カーリーの物語。魔女はカーリーにこう言う。魔女もなかなかいいことを言うものだ。

≪人生を楽しんで――残りの人生をね。それと、覚えておくといいよ。毎日が宝物のように大切な贈り物だっていうことを≫

老年期は、あたりまえのことだが少女、青年、中年期を経たのちにやってくる。カーリーはそれらをすっ飛ばして、体の自由がきかないおばあちゃんとなった。若い頃には若さゆえ、毎日が宝物であることに気がつくことができない。まあそんなことより、カーリーには緊急事態、絶体絶命だ。母にも父にも真実を訴える。

≪「わたしよ、カーリーよ。わたし、盗まれてしまったの。わたしの体をメレディス姉妹に。ふたりは魔女よ。いい? ふたりとも魔女なの。これって魔女のやり口なのよ。いつまでも生き続けるための。まずひとつの体を盗んで、それからもうひとつ盗むの。その体が年を取ってくたびれてくると、平気でまた次の体を盗むの。まずメレディスの体を盗んで、今度はわたしの番。体を盗まれたメレディスは、老人ホームに入れられたの。そんなのってひどい、不公平よ。お願い父さん、お願いだからわたしを助けて、お願い」≫

父さんも母さんも信じてはくれなかった。それも当然だ。私たちの心と体は不二だからだ。精神が異なる器の身体に入り込めば、それは私ではないからだ。若い肉体に老いたのちの心が宿ってしまえば、それは他人にとっては怖ろしく醜くいものだからだ。

≪年を取るというのは、とっても――不便なものだ。なんてやっかいなんだろう。何もかも時間がかかってしようがない≫
≪終わってしまった。わたしの人生は終わった。盗まれて、終わったんだ。そしてもう二度と取りもどせない。≫

カーリーは一度はあきらめる。メレディスとともに、少女の体を取り戻すことを。しかしチャンスはやってきた。再び灯をともしたカーリーは戦う、知恵を出す、行動を開始した。読者はカーリーと一体になりながら、若さを求めて心を躍らす。がんばれカーリー、負けるなカーリー!

≪新しい日が来た。明日だ。明日が今日になり、昨日は永遠に去った。≫

よかった、ほんとによかった。と思いつつ読者は、実際後戻りすることのない自分の時間を大切にしようと決意する。自分自身が納得できる時間を生きたいと願う。高齢者にもかつて若いときがあったことを思いやり、以前よりも温かい目で見ることができるようになる。

≪おばあさんの中には、女の子がいるかもしれないんだ。ほっそりして身の軽い、かわいい女の子が、友だちに呼びかけているかも。おじいさんの中には、スケートボードに乗った男の子がいるかもしれないんだ。≫

老いて身体は思うにまかせなくとも、純真で希望を忘れない若い精神が、今のお年寄りにも自分の将来にも存在することを読者は理解する。毎日わたしは、なりたい自分を思い描きながら生活しているだろうかと改めて思う。さあ、あしたも爛漫の桜の木の下を歩いていこう。万朶の花が咲き誇る木の下を駆けていこう。
騙されて信じることは生きること [2012年04月07日(Sat)]

20120407224021.jpg人はだれでも何かを信じたい。親子の愛を信じ、男女の愛を信じ、友情を信じ、組織の存続と繁栄を信じ、平穏がずっと続くことを信じ、大雨洪水警報で避難勧告がでても自分には被害がおよぶまいと信じ、大津波警報でも過去の経験から無事にちがいないと信じるものだ。

赤ずきんも信じた。
「おばあちゃんの耳はなぜそんなに大きいの?」 「おまえの声が良く聞こえるようにね」
「おばあちゃんのお目めはなぜそんなに大きいの?」 「おまえが良く見えるようにね」
「おばあちゃんのお口はなぜそんなに大きいの?」と質問を発するやいなや、狼に食われてしまった。

7匹の子ヤギたちも信じた。かあさんヤギに「決してドアを開けてはいけない」と言い残されていたにもかかわらず、結局は戸を開けた。狼はがらがら声をチョークを頬張って声を変えた。真っ黒な足に小麦粉を塗りたくって白くして、子ヤギたちをだます。いったんは見破る子ヤギだったが、早くかあさんヤギを見たいばっかりに、きっとおかあさんだと信じたかったのだと思う。

振り込め詐欺や悪徳商法にひっかかる人があとをたたない。誰もが信じたいのだと思う。相手の誠実さを信じ、心やすい人柄を信じ、なによりもその人に癒されて幸せになる自分の将来を信じたいのだと思う。人が幸福を求めるかぎり、悪い奴らはひきもきらず活躍していくことは間違いない。自分はそうなるまいと思っていても、そんな人にかぎってだまされてしまうものだ。ご注意ご注意!

とはいっても「不信」を元として生きるのはつまらない。信じるに足る人に信義や愛情を注ぐことによって、生きる幸福感は高まっていく。
立つ人よ座る人よと春バスや [2012年04月06日(Fri)]

20120406223825.jpg今朝のバス。松江市営バスに乗った(松江では松江市営と一畑バスの主に2社)。

JR松江駅から乗車すると座席は空いていなかったので、中程のところに立った。通路には6,7人が立っている。前のほうの2人掛け席には窓側に男性が座っているものの、通路側は空いていた。わたしは、「座ってくれれば通路の混雑がやわらぐのに」と思いつつ歯がみしていた。最初のバス停に着いた。新しく客が乗ってくる。通路がギュウギュウ詰めになる。その動きに乗じて私は「失礼」と言って車内を動き、空いている席に着いた。

席が空いていても座らない者は、隣の人と密着することがイヤなのだと思う。それはわかる。しかし、混んでいるときには車内安全も考えて、できるだけ座るようにしてもらいたいもの だ。

次の停留所に着いた。降りる客はいないが、前の降車用ドアが開いた。運転手がそこにいる女子高生を手招きした。応じて高校生は前から乗ってきた。乗車用ドアから入るのでは時間もかかるし、混雑に拍車がかかると考えた運転手は、空きのある前の通路に乗り込ませようと考えたのだろう。30歳前後の若い運転手、なかなか粋なはからいだ。

街中の車のようすを見ていても、前へ進むことばかり考えて、周囲の状況を考えない自分勝手な車が増えた。こんな気の利いた心遣いをしたいものだと思う。
春の湖ひねもすのたりハートかな [2012年04月05日(Thu)]

20120405214548.jpg宍道湖自然館「ゴビウス」へ行くと、特にジオラマ水槽ではたくさんの魚が口を開けて歓迎してくれる。飼育員の服の色が薄緑色であることが影響しているのだろう。薄いグリーンや黄色の目立つ服装をしていくと、水槽の前面にボラやヒイラギなどが集まってくる。別に歓迎してくれているわけではなく、単に条件反射でエサを求めているだけだ。

あるとき私は気がついた。ボラが口をパクパクするときは、逆ハート型になることを! そこで提案。ボラに向かって恋が実ることを願いましょう。ひとりで祈るもよし、カップルで訪れて手をつなぎながら将来を占ってみるのもよし。ロマンチックですねえ。

えっ? ボラの口はハートが逆向きだって? いやいや、そんな小さなことは気にしない気にしない。恋の成就はあなた次第です。逆風が吹いたとしてもそれに向かって進むのです。あなたの力と知恵で、、反対向きのハートを上にしていこうではないですか。

(春の花ユキヤナギが咲いた)
走りゆく花見列車よ空の青 [2012年04月04日(Wed)]

20120404222140.jpgコナンの列車が走っている。鳥取県は「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる、「名探偵コナン」の青山剛昌の出身地で、その他多くの漫画家が活躍している。今年は鳥取を元気にし、観光客を誘致するため「まんが王国とっとり」が始まる。2012年の国際マンガサミットが鳥取県で開催もされるという。

今年2012年は歴史書「古事記」から編纂1300年の佳節でもある。島根県では「神々の国しまね」キャンペーンを始めている。旧暦の十月、各地から集まるという八百万の神々で出雲が満たされたとき島根の魅力は花開く。鷹の爪蛙男商会の吉田くんも応援してくれる優れものだ。

ことしの2つのキャンペーン。山陰両県で相乗効果を生んでくれるよう願っている。
落書きを一夜尽くせやアメリカの [2012年04月03日(Tue)]

20120403180840.jpg映画『アメリカン・グラフィティ』は、古き良き時代のアメリカ、まぶしく輝く美国の高校生たちを描いている。車、恋、ガールハント、セックス、ロックンロール、ダンス、ファストフード、不良、暴力、上昇志向、気晴らし、虚勢。一見格好よさそうだが、よく考えてみれば底が浅い。今思えば…。

60年代のアメリカの高校生が描き出す群像劇。プロデューサーはフランシス・コッポラ、監督は駆け出しのジョージ・ルーカスである。

かつてのアメリカは世界に軍事と覇権、すなわちハードパワーで君臨し、夢とあこがれ、すなわちソフトパワーで世界の人々を席巻した。政治、経済、文化、レジャーの中心としてアメリカ合衆国を軸に世界は回っていたといってよい。

アメリカン・グラフィティとは「輝かしきアメリカの活写」といった意味だと思っていたが、Graffitiというのは「落書き」のこと。となると、高校生活最後のパーティと街中、大いに羽目をはずしたまぶしい一夜を意味するものだろうか。ふだんはここまではちゃめちゃではないと言いたいのか。

ネオンサインも看板も高校生のファッションも乗り回す車のライトも派手で、電気もガスもガソリンもじゃぶじゃぶ使い放題の高度消費社会アメリカ。今も基本は変わらず地球環境には悪影響ばかり及ぼしている。もちろん我々だって五十歩百歩、持続可能な生活レベルをはるかに超えて地球を蕩尽するほどの日々をおくっている。このままでいいのか?と反省が一瞬わきだしてくるものの、いまさら江戸のむかしには戻れない。
形式に気持ちをのせて御礼あり [2012年04月02日(Mon)]

20120402192146.jpg接遇の研修で会釈や敬礼といった「礼」を教わることがある。挨拶の言葉と礼が並行して行われる「同時礼」。目礼や会釈がそうで体を傾げる角度は浅い。「分離礼」は言葉を先に発してから礼をする。普通礼が30度、敬礼が45度、最敬礼にいたっては腰を90度まで折る。相手への敬意の度合いが高まるほど深くなる。畏れの感情も含めて、気持ちがこもる。

近ごろ土下座する場面をよく見かける。土下座人形まではやっているようだが、少し異質な印象をわたしは受ける。「ここまで卑屈にして許しを請う態度を示しているのに、あんたはそれでも許さないのか。いいかげんにしろよ」という恫喝の姿勢を感じるのである。

山折哲雄氏が寄稿「危機と日本人」で、このように述べているが、わたしの感覚に近いので紹介する(日本経済新聞4月1日付け)。

≪(選挙や謝罪会見の場面での土下座は)懺悔と謝罪と懇願の気持をあらわす作法だったといっていい。反面そこには相手のふところに飛びこみ妥協と許しを手にしようとする老獪な計算もはたらいている。世間はそれをみてときに溜飲を下げ、ときに憫笑のまなざしを向ける。それで和解への道を開くことができれば、まずはメデタシ、メデタシで幕が下りた。譲歩を手にするまではテコでも引かない奇手、危機を回避し「和」のバランスを回復するためになくてはならない交渉術だった。≫

なるほど! 本来ならば、世間という共同体における最後の切り札だったものが、今や敬礼や最敬礼のレベルまで落ちたのだと思う。相撲も柔道、剣道も武道といわれるものは、礼に始まり礼に終わる。だが単なる所作としてのパフォーマンスだけに終わり、心をこめた対応を忘れたならば、礼は形式に堕する。

(コメント)
ふむ〜。
まず、形つくって魂を入れる。
お地蔵さまも崇拝する心なければただの石だよね。
考えてみるに、単なる形式も「美」を生むもんよ。
名刺をいただくときなんかも片手で受け取るのと両手で受け取るのでは相手の気持ちも違うはずだし、様式美って大切かも知れんね。
心では裏腹なこと思っていても、単なる所作が相手に不快感を与えないこともある。礼は「礼儀作法なり」
作成者 交自 : 2012/4/2 (月) 23:51

様式と中身、両方が大事ですよね。いちばん嫌みなのは、慇懃無礼というやつだと思います。言葉はていねいでも、嫌らしさがぷんぷん臭うような人いません?
作成者 風味 : 2012/4/4 (水) 22:33
思うまま魔法はハリーエゲレスの [2012年04月01日(Sun)]

20120401205643.jpg野田首相のライフワークは魔法の完全習得である。もう10年以上も本場スコットランドの魔法学校へ一時留学し、秘密裏に講師を招いたりして、今では相当高度な魔法を使うことができる。昨年8月に行われた民主党代表選挙では、下馬評でトップを走っていた江田万里元経済産業相を退けて「衝撃の逆転劇」と言われたものだったが、不思議でもなんでもない。首相は魔法を使ったのである。

野田政権は3月30日、消費税率を14年度から8%に、それから1年半後には10%に引き上げる増税法案を閣議決定した。これに対抗して、国民新党の亀井静香代表や亀井亜紀子政調会長(島根県選出)は連立政権からの離脱した。ところが一方、他の6議員は「大人の対応をする」として連立から離れず事実上国民新党は分裂した。完全ではなかったが6議員に対しては見事に魔法が効いたのである。

党内で分派の構えがある小沢元代表のグループではあるが、それに対しても首相は新たな呪文で政権安定に力を発揮する構えだ。石原都知事と亀井代表が新党を結成するとのことであるが、これに対しても首相寄りとなるよう確実に効く魔法をかけるため、日夜余念がない模様だ。野田さんは意外な力を持っている。自民党も公明党も、野田首相を侮るべからずである。魔法を侮ってはならない。

さて、今日は4月1日。新年度が始まった。明日は2日だが月曜日。実質年度の始まりとなる。人事異動に別れはつきものだが、新しい出会いもある。楽しみな月曜日だ。