CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

« 2012年01月 | Main | 2012年03月»
<< 2012年02月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
検索
検索語句
月別アーカイブ
カテゴリアーカイブ
最新コメント
ふみハウス
心地よし父の胸にて寝入る子よ (02/05)
心地よし父の胸にて寝入る子よ (01/27) ふみハウス
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/26)
冷たくて濡れそぼる雨陽気待つ (01/23) 駅伝ワクワクをとこ
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02)
元旦の賀状楽しみ友を知る (01/02) 食欲のをとこ
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (11/02) 正中館道場
食べ過ぎを防ぐためなりよく噛んで (10/28) 計算苦手をとこ
筋力と宇宙の闘い空間で (06/29) 計算する者
筋力と宇宙の闘い空間で (05/15)
http://blog.canpan.info/fumihouse/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/fumihouse/index2_0.xml
最新トラックバック
聖の日に甘いチョコあり告白す [2012年02月29日(Wed)]

20120229221647.jpgインターネット調査会社のマクロミルが「2012年バレンタインデーに関する調査」を1月に発表している(客体は男女200名ずつ)。

Q□今年のバレンタインに、チョコをあげる予定がありますか(女性のみ回答)
 「はい」84%  「いいえ」16%
  *もはや国民行事として定着したなあ。

Q□誰にあげる予定ですか(複数回答)(チョコをあげる女性が回答)
 「夫・恋人」75.6% 「夫以外の家族」51.2% 「職場上司」29.2% 「職場同僚」28.6%
 「女友達」15.5% 「男友達」13.7% 「職場部下」8.3% 「気になる彼」4.8%
  *同僚や上司が3割に対し、友チョコの女友達は15%少ないのが意外だ。

Q□義理チョコをあげますか。あげる人は何個用意しますか(チョコをあげる女性が回答)
 「あげる」65.5%  あげる人の平均は5.8個
  *1個500円としても3千円。たかがバレンタインに結構な出費だ。

Q□チョコのお返しを期待しますか(チョコをあげる女性が回答)
 「期待する」48.8%
  *何を求めるのだろう。チョコ、友情、愛情、関心、義理・・・・。

年間チョコ消費量の多くがこの時期に購入される。「定着した」というよりは、もうすでにマンネリ期に入っているかもしれない。一時は義理チョコを配るのは当然!といった空気もあったが、やるもよし、やらぬならやらぬで波風はたたない、という雰囲気になっていて健全だと思う。上の数字84%というのは私の実感よりは高い(それだけもらってないということだが)。

ローマ皇帝に内緒で司祭ウァレンティヌス(バレンタイン)は兵士の結婚式をとりおこなっていたが(士気が落ちるから兵士の婚姻を禁止)、ばれてしまって処刑された。その殉教を記念するのが聖バレンタイン・デー。この日にチョコを贈るというのはイギリスで始まったことのようだが、女子生徒が男子生徒に愛の告白としてチョコを一斉に贈るようになったのは日本独自。菓子業界がこぞって世代を超えた流行にまで押し上げ、さらにお返しの日のホワイトデーまで考案したというのは商売上手だ。

今日は2月29日。少々遅れた話題で失礼した。
役割と技能はうらはら環境で [2012年02月28日(Tue)]

20120228183215.jpg人材開発メールニュース2月27日号ワンポイント・アドバイスの『知識・スキルよりも役割を見直す』で、吉次潤氏は次のように記述する。

≪人材育成と言うと、教育する=知識やスキルを付与するイメージが強いわけですが、実際は、成長レベルに応じて役割を付与する、変化させることがベースで、そのために必要な知識・スキルをどう付与するかという流れで考えることが必要です。役割や立場など“環境”や“場”が人を育てるとよく言われます。育成というと何を教えるという話題に偏りがちですが、適正な職務や役割を与えたり、変化させる方が効果的なケースが多々あります。特に現在のような環境においては、個人・組織どちらとも意識的に何らかの刺激を与えて活性化することも必要です≫

否が応でも「環境」は変わる。変わる環境に対応するために、「知識」や「技能」を得るために「教育」される。教育されるだけでなく自己教育する。そして「成長」する。大きな組織では所属単位を替える人事異動という方法で、そのひとの「役割」を変えていく。育てばよし、育たなければ出世街道から外れる。むろん出世と幸福とは比例しない。日々たくさんの「刺激」をわたしたちは受ける。それによって個人が「活性化」する度合いが高いほど、組織も「活性化」していく。時代全般に右肩上がりがなくなっただけに、組織の活力源を絶やさないことは難しくなってきた。

(今日松江城の梅林で一輪だけみつけた梅花。やっと雪中の四友がそろった)
こちこちの雪を溶かすや淡き東風 [2012年02月27日(Mon)]

20120227171508.jpg雪です 雪です 雪が降る
西北転じて東南に 東風(こち)が来る
降ってる雪は あわ雪で
雲の切れ目に日ざしあり
陽だまりやわし プランタン
梅はほころび咲きはじめ 蕾も香れチンチョウゲ
山が笑うも すぐそこか
雪です 雪です 春近し
春が来たぞと喜んで

   東風吹くや山一ぱいの雲の影  漱石
千桁の区切りと呼び名考えて [2012年02月26日(Sun)]

20120226222447.jpg120,000トンと120千トンと12万トン。どれも「じゅうにまんとん」。先日あった公式の会議でわたしは緊張していたためだろう。説明の中で「12万トン」と言うべきところを、「120万トン」としてしまったようである。その場で誤りを指摘する委員はおらず、上司が終了後こっそりと教えてくれた。わたしは赤面した。自分のメモに小さく「120千トン」と書いてしまっていたことを後悔した。緊張の場では読み間違い、勘違いがおこりやすい。120に目が反応して、120万トンと言ってしまったのだ。

なぜ3桁で区切るのか。欧米の会計基準がそうなっているからである。始めの3桁がサウザンド(千円)、次がミリオン(百万円)、続いてビリオン(十億円)である。会計だけではない。情報の単位も3桁区切りだ。1,000バイト=1キロバイト、1,000キロバイト=1メガバイト、1,000メガバイト=1ギガ、さらにテラと続く。

行政では重さや他の分野でも、「千」「百万」「十億」ごとに分けて表現することが多い。慣れないと読みづらく間違えやすい。アメリカ標準を押しつけられた日本の現実、アメリカの植民地のようなひとつの現実を見たような気がする。日本式に、「万」「億」「京」に合わせて4桁ごとにやってくれれば冒頭のような間違いはないのだろうが、いまさら無理か。
走りゆき舞い散る雪に強さあり [2012年02月25日(Sat)]

20120225222813.jpg『風が強く吹いている』(三浦しをん著,2006年,新潮社)を読んだ。弱小の寛政大陸上部。名義だけだった部が走りの申し子・蔵原走を得たことによって箱根駅伝に出るべく始動する。主導者は清瀬灰二、4年生島根県出身。規律と強制に縛り付けられた並み居る強豪に互して、竹青荘の10人は練習を始め、夏合宿をやりとげ、予選会で九つの枠に入り、正月二日三日の箱根駅伝を戦う。そして番狂わせを演じ翌年のシード権を獲得する。その物語がさわやかに熱く語られる。走るということの意味や魅力が、各メンバーの口を借りて随所に出てくるのが印象的だ。

≪走る姿がこんなにうつくしいなんて、知らなかった。これはなんて原始的で、孤独なスポーツなんだろう。だれも彼らを支えることはできない。まわりにどれだけ観客がいても、一緒に練習したチームメイトがいても、あのひとたちはいま、たった一人で、体の機能を全部使って走りつづけている≫

≪あの走りを見てくれ。走るために生まれた存在のうつくしさを。悔しさも羨望も軽々と凌駕する姿。べつの生き物のようだ。重力に縛られ、酸素の供給に汲々とする俺との、なんというちがい。≫

走ることは美しいのか、とあらためて思った。陸上選手たちが生身で走る姿と地響きするような律動感を出雲駅伝の間近で見たとき、確かにすごいと思った。9区で蔵原走は、ランナーズハイを遙かに超えた「ゾーン」を体験する。ゾーンはほしいときに来るものではないらしい。しかしすばらしいものだと。

≪体の底で、なにかが鋭く破裂した。一点で弾けた力が体じゅうに、指の先まで拡散していく。拡散ではなく、集合しているのか? エネルギーの流れがあまりに速すぎて、どちらなのか区別がつかない。渦巻いて身の内に充満する。音が一気に遠のき、脳髄が冴え渡った。走る自分の姿を、もう一人の自分が俯瞰しているみたいだ。呼吸が急に楽になった。舞い散る雪片のひとつひとつが、ひどく鮮明に視界をよぎる。≫

ひたすら練習を積みあげて、競技会の当日風を受けて走る。優勝することに勝ることはないかもしれない。しかし竹青荘の面々はそれぞれが頂点に立つ。自分にとっての頂点を極めて、それぞれが再び頂点を目指して日々を生きつづける。

≪物理的に同じ道を走っても、たどりつく場所はそれぞれちがう。どこかにある自分のためのゴール地点を、探して走る。考え、迷い、まちがえてはやり直す。(中略)完璧な走りを体現する走も。それを見て静かな喜びと闘志を瞳に湛える清瀬も。二人のレベルにはとても追いつけずとも、最後まで走り通した王子も。長距離の世界において、だれもが等価で、平等な地平に立っている。≫

≪強さ。ふと走は思う。清瀬が言った強さとは、これなのかもしれない。個人で出走するレースだとしても、駅伝だとしても、走りにおける強さの本質は変わらない。苦しくても前に進む力。自分との戦いに挑みつづける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り。≫

≪俺が、俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってだけたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所。いますぐには無理でも、俺はいつか、その場所を見たい。それまでは走りつづける。この苦しい一キロを走りきって、少しでも近づいてみせる。≫

そうなんだ。走りとはこんなに深いものなんだ。強さが必要なんだ。

(コメント)
私も好きな小説のひとつです。全編を通じてあふれつづけるハイジの強さと熱さにやられました。
“いつだって迷いがない”ハイジさんは、私の「心の主将」なので、「ハイジさーん!」と時々助けを求めたりしています(笑)
作成者 直 : 2012/2/27 (月) 13:59

こんなステキな小説があったのですねえ。1週間前まで知らなかった。ハイジは強制なし自主性のみで最大の成果を出したという点で牧歌的なハイジであり、選手生命を賭けてラストスパートし「二つとない灰」となったのですね。
作成者 歩美 : 2012/2/27 (月) 22:49
ホームにて臨む選抜まず一歩 [2012年02月24日(Fri)]

20120224225512.jpg今朝松江駅に列車が到着すると、ホームには親子連れが何組もいた。お母さんと娘、お母さんと息子が多いだろうか。お父さんと息子という組み合わせもあった。おそらく明日一斉に行われる国立大学の前期日程試験に向かう連れであろう。山陽方面か京阪神か、それとも九州方面か。センター試験から1ヶ月。悲喜こもごもの結果を受けて作戦を練りに練り、万全の体制、あるいは背水の陣で臨む旅だ。

日々の生活は「選択」ばかりだ。今テレビを見るか読書するか。勉強するか漫画を読むか。早い便で学校へ行って自習するか通常の列車でぎりぎり駆け込むか。英語を勉強するか苦手な数学か。人気のマドンナにボーイフレンドとして選ばれるか埒外となるか。チームのレギュラーに選ばれるか補欠となるか。就職試験に受かるか落ちるか。5千メートルのタイムが15分を切るか切らないか。恋人と結婚にゴールするか同棲をずるずる続けるか。脱サラするか意に沿わない宮仕えを続けるか・・・・・。

ともかく毎日は大小はあっても、選んだり選ばれたりすることの繰り返しである。それが寄り集まって人生ができあがっていく。入学試験はそのひとつにすぎないが、若者にとってはとても大きな選抜だ。合格すれば天にも昇る心地がし、不合格ならば奈落に落ちる。不合格なら第二希望第三希望の大学に入るか、次を期して浪人生活を選ぶか。合格したら今度は、どこに住みどんな部活に入り何を目指しどう新しい生活を構築していくのか、という選択が始まる。

合格すれば幸せだが、それは幸せな人生には直結しない。反対に不合格なら不幸せだろうか。たしかに一時は不幸だが、次のステップでよき選択に出会えれば幸せへ軌道が進んでいく。たくさんの岐路を経て十年、二十年、三十年とたったときに振り返れば、いろいろな感慨が湧いてこよう。

入学試験に合格することはすべてではない。かといって眼前の目標に全力を賭して戦えない者に開く未来はなかなかやってこない。受験生諸君、明日はよき日になりますように。持てる力を最大限発揮してくれるように願っている。写真は濃霧の松江大橋。試験問題が霧に覆われたように思えてもあきらめないでくれたまえ。
理不尽に時間の優劣ひとが生き [2012年02月23日(Thu)]

20120223073923.jpg映画『TIME』(原題は『IN TIME』)を観た。あり余る「時間」をもつ富裕層とその日暮らしの「時間」しかもてない貧困層に二極化した世界を描いた絵空事のSFである。

無限の時間持ちの富裕層はスラム街と隔てられた厚い障壁に守られて暮らしている。貨幣として使われる各人の持ち時間を富裕層は収奪しさらに時間持ちとなっていく。反対に貧困者はその日暮らしの時間しか得られない。貧困度が増すことは残り時間がなくなることであり、最期は骸(むくろ)となって道ばたに放置されたまま、スラム街の住人は気にも留めない。

25歳で肉体の老いはストップし、それ以降は二の腕に刻印された時計が各人の持ち時間を示す。持ち時間は誰にも平等で24時間であるが、富裕層は莫大な時間をプレゼントされる一方、貧困層は働いて日銭ならぬ日時間を稼ぐか、強奪するか、一時しのぎに借用するしか手はない。すべての経済的取引、慈善の寄附までも残り時間のやりとりで決済されるという徹底ぶりだ。事故や傷害によって命を失えば不老の時間は消えてしまうがゆえに、時間持ちたちはひたすら安全第一に生活している。豪勢に社交活動をし蕩尽を繰り返すものの、危ながって海へ入って泳ぐことすらしない。

エンデがファンタジー『モモ』で描いた世界に似ている。モモでは、灰色の男たちが人々に「時間貯蓄銀行」に貯めると詐称して実は時間を盗んでいる。その結果人々には心の余裕がなくなってしまったことを危惧したモモが敢然と戦う物語となっている。『TIME』でも、貧困層出身のウィルと富裕層のシルビアが、時間を収奪し貧しい者の命が奪われるという理不尽に対しともに戦うという設定だ。

不老不死がひとつのテーマだ。25歳で老いが止まるということは親も子も孫も若い容姿のままで暮らすことになる。細胞の老化をどう止めているのかというつっこみどころはあるが、それは置いておこう。若い風貌のまま老いていくというのは、一見するとパラダイスのように思えるが、変わらない自分を見続けるのは実は富裕層にも負担になっている。

刺激がなく穏和すぎる環境に飽き足らなかったシルビアはウィルと愛し合うことに目覚め、明日の保障のない生活を自分の力で切り開くという喜びを勝ち取ることができた。シルビアの父親は兆億万長者の金融業者であり、時間決済システムの支配層の一角に名を連ねている。父親の商売をぶち壊し、一定の貧困層に福音を与えた二人は、さらにおおがかりな破壊活動に手を染め、人間が人間らしく生き、できるだけ健やかに老い、自然に死んでいける本来の社会をつくろうと努力する。

大切な時間。時間は無限に存在していても、ひとにとっては限られている。限られた時間をいかに大切に使うか、大切なひとのために使うか、ともに喜び悲しみ勇気をもちながら進めるか。そんなことを考えさせられた。
鎮魂にことばあてがい我が身にも [2012年02月22日(Wed)]

20120222183933.jpg 死者にことばをあてがえ
            辺見庸・詩集「眼の海」

  わたしの死者ひとりびとりの肺に
  ことなる それだけの歌をあてがえ
  死者の唇ひとつひとつに
  他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
  類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
  百年かけて
  海とその影から掬(すく)え
  砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
  水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
  石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
  夜ふけの浜辺にあおむいて
  わたしの死者よ
  どうかひとりでうたえ
  浜菊はまだ咲くな
  畔唐菜(あぜとうな)はまだ悼むな
  わたしの死者ひとりびとりの肺に
  ことなる これだけふさわしいことばが
  あてがわれるまで

死者を悼む。あれからもうじき1年。2万弱。死者を悼む。歳年の死者、日本国内で百万人あまり。単なる数と扱えば、死者は記号となって悼まれない。やがて自分も家族も誰もかも、死ぬ日がくると思い知る。死者の陣列加わって、望むといなと、早かれ遅かれやってくる。死者は悼まれ、生者もまた悼まれる。やがて資格のある身とて。
悲哀みてサラリーマンよ才覚よ [2012年02月21日(Tue)]

20120221194650.jpg第一生命が毎年行うサラリマン川柳「100句」。今年も投票が始まっている。私が気に入ったのは次の句だ。

 今年こそ 誓ったはずが もう師走   忙が師
 定年後 田舎に帰れば 青年部   フミヤフレンドリークラブ
 何気ない 暮らしが何より 宝物   考えボーイ
 最近は 忘れるよりも 覚えない   てくてく
 士気がない 当たり前でしょ 指揮がない   ソフトモヒカン
 オレ流を 通して職場 戦力外   わが道
 立ち上がり 目的忘れ また座る   健忘術数

歴代作品から「サラ川総選挙」で決まったベストテン一部は次のとおり。

 仕事やれ 人に言わずに お前やれ    ピカチュウ
 『前向きで』 駐車場にも 励まされ    プラス思考
 久しぶり〜 名が出ないまま じゃあまたね〜    シーゲ
 クレームも 社員じゃわからん パート出せ    サラ川小町
 何になる? 子供の答えは 正社員    氷河期
 やめてやる 三億当たれば 言ってやる!    小心者

サラリーマンは右肩上がりでもなく、現状維持すらもむずかしい。時流に流され、忙しさに流され、気分に流され、日々に埋没する。けれど組織の枠組みで仕事ができるうちはなんとかなる。脱サラ後、リストラ後、退職後、悲哀に沈むか、道を切り開けるか。才覚と努力、運にかかっている。
ああえらい苦労しらずと苦労する [2012年02月20日(Mon)]

20120220074401.jpg苦労はえらい
御をつけて「ごくろう」
様をつければ「ごくろうさま」
「ごくろうさまです」ってますますえらくなり
「ごくろうさまでございます」となればひとかどの上座のひと

苦労はえらい
あまり苦労はしたくないものだけれど
するときはするものだ
若いときには買ってでも苦労しろという言葉もある
苦労は人の器を大きくする
苦労は人に年輪を積み重ねる

苦労はえらい
とってもえらい
するのもえらい
ああだけど たいしたもんだ

(コメント)
苦労はえらい・・・なるほどね!
山中鹿之介のような「器」でありたいが、
取り越し苦労が多くてあかん。
作成者 高時 : 2012/2/20 (月) 22:53

山中鹿之介はたぶん取り越し苦労に凝り固まった人だったかもよ。取り越し苦労も集まれば凝集すれば、器になるのかも
作成者 house21 : 2012/2/23 (木) 21:33

それもそうだね!
ひとつの事に拘らないと何でも成し遂げられないもんな〜
取り越し苦労を考えてみるに言わば先の事を考えることだからな〜
作成者 高時 : 2012/2/23 (木) 23:03
ことばには無限のちから満たされて [2012年02月19日(Sun)]

20120219170259.jpg言葉は行いである。口唇を含めた体全体で行うものであり、口だけでしゃべることは不可能だ。気の乗らない返事は「はい」であっても「いいえ」に等しいように、声や発言は心も含めた身体全体で表現されるもの。それが元NHKアナウンサーによってどう表現されるのか。そうした問題意識で山根基世氏の講演『もう一度考えたい ことばの力』を聴いてきた。幸いその思いは十分に満たされた。

この講演会は、島根県商工会女性部連合会による島根社会貢献基金寄附を原資に協働事業として、しまね子育ち子育て支援ネットワークつながるネ!ットと行政が主催したシンポジウム「共に育つ〜赤ちゃんパワーを活かした人・まちづくり」の一部である。

冒頭山根氏は、言葉は鏡、荒々しい言葉を発すれば反射して心はすさむと始められ、言葉と人格、言葉と社会はつながるという深い思索の一部を示してくださった。2007年にNHKを退職してからことばの杜http://kotobanomori.jp/を創設。日本語を表現する代表という期待を背負ってきた集団であるNHKアナウンサー。その自負も背景にして子どもの言葉を育てるためのノウハウを伝えることが大きな目的だという。

ほのかな微笑み、いたずらっぽさもただよわす無邪気な笑顔、ときおり喜色満面の笑顔。赤白のギンガムチェックのブレザー、黒のハイネックの組み合わせでおしゃれな染め髪に似合って若々しい。しぐさにも身ぶり手ぶりにも品がある。静かに語っても、声はよく通り、柔らかく耳に心地よい。わたしの心に響き、わたしが感じた話の概要はだいたい次のとおりだ。

ことばの杜の活動は二つ。「音声言語の活動」と「話し言葉のテキスト開発」。前者は、子どもに直接読み聞かせることに加え、朗読の仕方を大人に伝え教えること。さらに朗読アーカイブスとして著作権が切れた日本文学を肉声で記録し無料配信している。活字を読むことはもちろんいいことだが、朗読の世界には違う広がりがある。

後者は、相手に届く言葉の発声をノウハウ化すること。今の教育の主流はパブリックスピーチであり、ディベートやプレゼンテーションの巧みさを求める。いわばハレの日の言葉を追求する。だが今人間のつながりが希薄になった現代社会で、必要なのは日常における相手に届く言葉である。かつては親族や地域社会の多彩な人間関係のなかで、人間どうしが関係を取り結んでいくために必要な振る舞いや言葉遣いが自然に学習できた。だが今はその場がない。地域社会を再生させることなしには、子どもの言葉は育たない。

声は口先三寸では出ない。全身の3分の2の筋肉を使う。しかも、息を吐き声帯を震わし口腔や体腔を共鳴させて行う奇跡の行動といえ、人それぞれが世界に唯一の声をもつ。学校で習うわけではなく、周囲の大人の声を聞いて身につける。身につけるのは言語だけでなく、声もそうなのだ。美しい日本語を幼い体に染みこませたい。脳も含めた体全体だ。愛情ある肉声を毛穴から入れて心に染みこませなければならない。

「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉を、場面と相手によって適切に仕えるかどうかでその子の運命は変わり、幸福な人生への道筋ができる。気持ちをきちんと表明し、言葉から相手の気持ちを受け止め、いい関係を築くことのできる人間づくりに「ことば」の面から貢献したい。

バラク・オバマが4年前の大統領選で、「世を変えよう、斜に構えて無気力であるのは簡単、自分が行動しよう」と若者の心を動かしたように、日本のオバマを輩出したい。言葉の力を信じることが真の民主主義につながるがゆえに、自分の目で見て自分の頭で考えて既成概念を疑える子どもを育てたい。「ことば」の教育とは美しい日本語を伝承するだけのものではない。固定観念や既成概念を疑って自ら思考する身体(頭脳を含めた)の教育が必要なときなのだ。

(講演を聴いた日の夕方には、しんしんと雪が降り始め、今日19日は20センチの大雪となった)
GKB怒り心頭凡庸な [2012年02月18日(Sat)]

20120218223317.jpg1月24日「踏ん張って自死のゲートに立つまいと」で、政府の自死防止キャンペーン『大切な人の悩みに、気づいてください。』の標語を『あなたもGKB47宣言!』としたことに関し、不謹慎だという非難が続出していると書いた。

結局、岡田副総理が2月7日に行った記者会見でGKB47は中止され、『あなたもゲートキーパー宣言!』と変更された。凡庸なこのフレーズに変わったことで、自ら死に向かおうとしている人に「見守っているからね」とメッセージを送り、誰にでもそうした可能性があるがゆえにみんなで見守ろうといういう政府の声は届かなくなったと思う。少なくとも届きにくくなったことだろう。

どんなに非難囂々でバッシングを受けたとしても、「決しておふざけではないのだ。悩む君たちを案じている。日本の社会をよくするために一緒にがんばろうよ」と為政者たちはメッセージを送り続けることができる。悩んでいる人が「なんと無神経な」と怒り心頭に発したとすれば「そんな奴らの目前で自殺なんてするのはバカバカしい」と思いとどまってくれるかもしれない。

いずれもGKBが目立っていることが大切なのである。GKBを取り下げた途端に、強烈に非難していた人々は溜飲を下げてそれっきりになってしまうだろうし、マスコミも次のスキャンダルを求めて忘れてしまうにちがいない。GKBののキャッチフレーズが印刷された広報ポスター25万枚にかけた300万円が無駄になるのは惜しいがたいしたことはない。世間的にはこの話題がまるで存在しなかったかのように扱われてしまうのは実に残念なことだ。

与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』のラスト3行を引用しておく(これは日露戦争に徴兵された弟への歌ではあるが)。

  この世ひとりの君ならで
  あゝまた誰をたのむべき
  君死にたまふことなかれ
人を褒め自分の誉れ遠慮すな [2012年02月17日(Fri)]

20120217074906.jpg≪私たちは普段、あまり自分をほめる習慣がありません。自分なら、「ここをほめられると嬉しい」というポイントもよくわかっていますし、長所もよく知っています。誰に遠慮することもないし、人目を気にして謙遜する必要もありません。
(中略)朝起きて、歯を磨くときや、トイレで手を洗いながら鏡を見るときなど、自分に向かってほめ言葉をかけるチャンスはいくらでもあります。自分をほめる習慣を持つと、自分自身で心にプラスのエネルギーを増やすことができ、打たれ強い自分をつくることができるのです。≫
 (『「折れない心」をつくるたった1つの習慣』植西聰,青春新書,2011年)

ふと独り言が口をついて出てくることがある。「あちゃー」とか「くそっ」とか言っている。その日のことを思い出しての場合もある、ずっと過去の場合もある。自分の行いを悔いている、呪っているのだ。つまり、上の引用とは真逆なことをやっている。精神衛生上、いいはずがない。

にまっーと、へらへらと笑いが口元をおおうと、周囲の人は気味悪く感じるかもしれない。しかし、自分を自分で褒めているときはそんなものだ。遠慮せず、謙遜せず、人目を気にせず、「よしよし」「僕はよくやっている」「私は自分自身がだーい好きだ」と独り言をいおうではないかと、思う。
外は寒むなかは天国風呂つかり [2012年02月16日(Thu)]

20120216183755.jpgウェザーニューズは先月、「冬のお風呂事情」の調査結果を発表した(回答数約3万4千人)。

【お風呂は好きですか】という問いに、「とても好き」が45%、「あまり好きでない」はわずか2%、「嫌い」はゼロである。日本人の風呂好きはデータでも実証される。

【お風呂場にどれくらいいますか】の問いは、5分、10分、15分、20分、30分、45分、1時間以上から選択させてその平均をとっている。全体の平均が30分46秒。男性27分42秒、女性32分55秒。この5分の差で女性が身と心を磨いているのだろう。

県別にみると青森県が36分17秒で一位、富山、山梨、北海道、東京・大阪と続く。最下位は島根で23分51秒と短いのはなぜだろう。

【湯船にどれくらい浸かりますか】にたいしても、山梨や富山が上位にくる。ここでも島根は45位と少ない。鹿児島が46位、47が沖縄だから、暖かいところは長く入らなくとも体が温まるということになるが、島根はなぜか? シャワーですます人が多いのか、忙しくてゆっくり浸かる時間がないのか、風呂以外のことで心身の疲れが癒えているのかも。

概して年寄りはカラスの行水が多いと聞くし、我が両親もそうだ。わたしはといえば、長いほうだ。洗髪などに5分、湯舟で歯を磨いて10分、すぐに油断して目を閉じて眠り込んで10分、考えごとなどしたらすぐに40分くらいになって、督促をうける。上がり間際にシャワーで水を全身にかぶって自律神経を鍛える。今夜は何分になることやら。
竹島よ宝の島よ帰れよし [2012年02月15日(Wed)]

20120215213122.jpg島根県が毎年行う県政世論調査では、竹島問題を毎回あつかっている。

【あなたは、竹島をめぐる問題に関心がありますか】という問いに、「大いに関心がある」のが28.6%、「多少関心がある」42.4%、関心をもっているのは両者を合わせて71.0%。あまり関心を持たない層は28.0%となる。

地域別では、やはり隠岐地区が関心が高いようである(竹島は隠岐の島町所属)。性・年齢別では、男女ともに年齢が高くなるにつれ関心の度合いが高くなる傾向にあり、女性の若い世代にはあまり関心を持たれていない。

【あなたは、竹島問題の背景や経緯を知っていますか】の問いにはどうだろう。竹島問題の経緯や背景について、『知っている』63.4%(「よく知っている」と「多少は知っている」を合わせた割合)が、『知らない』の35.6%を上回りはするものの、歴年でみれば伸び悩んでいる。

 大いに関心あり 多少関心あり あまり関心なし 全く関心なし
23年  28.6      42.4       22.6       5.4
22年  19.1      42.2       30.1       7.4
21年  16.6      43.8       31.2       7.5
20年  23.8      44.7       24.7       5.6
19年  20.4      43.7       29.4       5.6
18年  25.1      44.3       22.4       6.8

 よく知っている 多少は知っている あまり知らない 全く知らない
23年  8.4      55.0       29.7      5.9
22年  6.9      46.5       36.9      8.6
21年  6.1      50.3       35.2      7.0
20年  5.9      50.8       34.6      7.4
19年  5.0      52.4       34.1      7.6
18年  6.9      49.0       35.2      7.9

ここでは書かないが、事実として竹島領有の根拠は日本に有利で、国際法上の争点も韓国の主張は情感に流れている。しかし、李承晩ラインを引いてののちの実質支配で韓国に分がある。小さな島だとあなどることなかれ。漁業や海底資源といったお宝が日本海にはたくさん存在している。
街行けばにおいの種はあまたあり [2012年02月14日(Tue)]

屋外に出ればニオイが溢れて嗅覚を刺激する
排気ガスのにおい、バスの車中のビニール類のにおい
風の匂い、雪が吹きすさぶにおい
風薫る春の香り、松江大橋ではときおり磯の匂い
秋にはカメムシのニオイが混じることもある
人混みの喧噪では人いきれが立ちのぼる
化粧や整髪料のにおいを感じ、加齢臭までときどき交錯
降り始めた雨がアスファルトをたたくとき、雨が香る
深い深い霧が立ちこめ、なぜかあたりはほのかに煙くさい
早春に香る沈丁花、初夏はクチナシ、初秋には金木犀が甘く香る
雪中だって臘梅が負けてない
思わず木のありかを探してしまうのだ
タバコの臭い、ちかごろは嫌いな人が増えた
立ち上る湯気、暖かく空腹感を増すおいしい食事の匂い
紅茶や煎茶、ローズヒップティーの香りも食欲をそそる
ラベンダーやミント、手にこすりつけては匂いかぐのもなかなかだ
においの数々、嗅いでいいもの悪いもの
いろいろあって生きている
ひとめ惚れ木の花咲くや命すて [2012年02月13日(Mon)]

日本歴史探検の会による『古事記神々と神社(あらすじと絵図で読む日本最古の神話)』(宝島新書,2011年)を読んだ。昨年9月12日に「神話みて太古の昔われの血を」で書いたところだが、万葉仮名で長い神さまたちの名前は頭に入りにくいのは相変わらずだ。

≪神話は近代小説とは違い、一貫した構想の下つくられたわけではない。多くの伝承や想像が語り伝えられていたところに、古事記や日本書紀、出雲風土記などの権力による統合化を経てできあがったものだから、どうしても細かいところのつながりに欠けてしまいがちだ≫
と書いたことのほかに、作中の人物(神)の性格が単純なことがある。人間性のヒダがないのである。

たとえば、天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降臨したのち、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に一目惚れする。間髪を入れず邇邇芸命は父・大山津見神(おおやまつみのかみ)に求婚の使者を派遣する。父が大喜びしたのはいいが、木花之佐久夜毘売に加えて姉の石長比売(いはながひめ)まで輿入れさせた。なんとお手軽なことか。比売や毘売と「売」という字が使ってあるのは、親の言うがままという意味あいなのだろうか。

ところが、石長比売は醜女であった。邇邇芸命はオプションでついてきた姉を直ちに送り返し、美しい妹と初夜を交わす。父は怒った。命が永久に続く効能をもつ姉(石が長い)を捨てて、花のように命が限られる妹(木の花のように咲いておしまい)だけを拾ったゆえに、命は有限となると。それならそうとちゃんと説明しておけばいいのに、と現代人なら誰でも思うし、筋が単純なのだ。

ひと悶着はあるが、木花之佐久夜毘売は邇邇芸命の子供を産み落とした。それが山幸彦と海幸彦である。子供のころ物語を聞かされたとおり、狩猟に飽きた山幸彦は海幸彦の漁業と交代して気分転換を図ろうとする。ところが釣りなどしたことがない山幸彦は釣り針をなくしてしまう。大切な剣を鋳直して釣り針をたくさん作り弁償したが、兄海幸彦は許さない。海神に弟は助けられて釣り針は見つかるが、竜宮城で過ごした浦島太郎のように遊んで暮らし結婚までして3年の歳月を過ごしたのだ。それからのくだりをこの本ではこう説明している。

≪海幸彦は釣り針を失ったことで三年の間は貧困の極みにあった。このため山幸彦を恨み、殺そうとして襲ってくる。山幸彦は綿津見神(わたつみのかみ)に授けられた塩盈珠(しおみつたま)・塩乾珠(しおふるたま)を使って、兄を溺れさせる。溺死寸前のところで許してやると、海幸彦はこれまでのことを詫びて、
 「これからは、家来となってあなたに仕えます」
 と、臣従を誓った。≫

というふうに、単純に怒り狂いすぐ殺そうとし、負ければ根性なく、物語の展開や登場者の人格に深みを感じないのである。こうしてみると神話物語はノベルとしては、源氏物語などとは比較にならないほど原始的な段階であることがわかる。それ以上に千年前の紫式部は、恋に燃え、恋に挑み、恋に泣き、恋の深奥まで行こうとする源氏の君の心のひだを余すことなく描いている。まさに天才だ。

(コメント)
そういえば、西洋の神話も然り。
あり得ないとも思える展開になるという点では、一緒ですね。
昔も今も、同じ人間なのに、表現がこうも違うというのは、ナゼでしょうね…不思議。
作成者 内田 : 2012/2/29 (水) 20:05

そう「あり得ないとも思える展開」なんですよね。現代の小説であれば、意外性の魅力として的確に描かれますが、神話は描写力が足りないために唐突すぎて読む人に納得を与えない。ほんと「不思議」です。それ以上に日進月歩と思えるほどに日本の小説家は進化していますよね。
作成者 house21 : 2012/3/2 (金) 06:33
真贋は認証されてトスカーナ [2012年02月12日(Sun)]

フランスのプロバンス、スペインのアンダルシア、イタリアのトスカーナ、ベルギーのフランドル、中国のシャンハイ。わたしがいつの頃からか、憧れだった所だ。十数年前にフランドルのブルージュは旅したことがある。

さて映画『トスカーナの贋作』(英語題「comfirmed copy」)では、「秋深い南トスカーナの美しい街。偽りの"偽り"の夫婦は、結婚の聖地で"愛"の迷路を彷徨う」というふれこみに引かれた。愛の迷路云々はともかく、トスカーナに惹かれたのだ。

監督はアッバス・キアロスタミ、有名な巨匠であるそうな。オリジナルとコピーは、真か嘘か、本物か偽物か、演技か地の振る舞いかといった関係を越えていることを示そうとする映画だ。

英国の作家と仏人女性(ギャラリー経営者にしてシングルマザー)は初めは芸術における真贋を議論していた。やがて郊外の村にドライブして出かけた二人は、何度か夫婦と間違えられたのをきっかけに、(なんとなく)夫婦を演ずるようになる。まずは女から、続いて男も。

体験した真実にその場のアドリブで虚構を交えて二人の間断なき会話が続く。舌鋒鋭く糾弾したかと思えば、相手を温かく癒す。恋人のようでもあり、長年連れ添って倦怠した夫婦のようでもあった。

男には夜9時というタイムリミットがあった。女が15年前に新婚旅行で泊まったという小さなホテル(事実か虚構かは?)。その3階9号室から白い甍の家並みを眺め、重層して響く教会の鐘の音を聞きながら、二人は真の夫婦となったのかもしれない。9時に男は英国に向けて帰ったのかどうか、それはわからない。

夫婦にしても友人関係にしても、本来の自分と演じる自分は区別しているようであっても、やがて一体のものになるのかもしれないと考えさせられる含蓄ある映画だった。やたら作為が過ぎる作りで、観衆を考えさせ過ぎる映画はエンターテイメントとしては、こちらも玉にきずだ。ふがいなくも、長回しの会話シーンに会場の暖かさもあって私は居眠りしたのが玉にきず。

(写真はプロバンス地方を思わせるような島根県立美術館脇の宍道湖畔)
安全をめぐらせ人は安心し [2012年02月11日(Sat)]

≪幾重にも安全策を張り巡らせた組織では、少しくらい気を抜いた人がいても事故は起こらない。日々の実務を通じて、そのことを人々が学習するから、この種の弛緩は容易に伝染し、蔓延し、増幅されていく。
(中略)安全を至上命令とする組織では、皮肉なことに、無事故で過ごした日々の重なりが、組織の弛緩を誘発する。この種の組織が緊張感を維持するには、マニュアルを順守させるための厳しい管理を徹底するだけでは足りない。日々の業務を通じた無事故経験が「そうガミガミ言わなくても」という雰囲気を醸成してしまうからである。
 だからこの種の組織では、自分の経験ではなく、広く他者から学ぶことがきわめて大切になる。「愚者は経験に学ぶ。賢者は歴史に学ぶ」という言葉は、この種の組織にこそふさわしい。その意味では、今回の事件をひとごとのように笑っている組織が一番危ないのかもしれない≫
 (「沼上幹の組織の読み筋」朝日新聞2011.1.20付け)

このように筆者は、広島刑務所で1月に起こった脱獄事件をひきあいにだして、安全であることが至上命題であって当然であるという業務や組織に警鐘を鳴らす。

人間はだれでも嫌なこと恐ろしいことは避けたいものだ。「何らかの恐れがある」場合に、気持ちとしては「トラブルが起こってほしくない」と望むのは当然だ。だが、さらに心は先走って「トラブルは起こらないし、起こっていないはずだ」と現実までを呪縛する。結果「何も起きなかった」のであればそれで幸せだが、「起きてしまった」ときには、『想定外だった』と怯えても遅いのである。
決断にメリットを解く迷い人 [2012年02月10日(Fri)]

『武器としての決断思考』(星海社新書,2011年)で著者の瀧本哲史氏は、なにかをするかどうかという選択の岐路に立ったとき、メリットとデメリットを比較するディベート思考が役に立つという。

メリットの3条件として、【1】内因性【2】重要性【3】解決性がある。要は、あることについて問題があって、それは重要で深刻なものだが、なんらかの行動によって解決することである。

メリットの裏返しとしてデメリットの3条件もある。【1】発生過程【2】深刻性【3】固有性。要は、あることをしたときに新たな問題が生じる過程を把握して説明し、それによって問題の深刻さを証明する。さらに固有性とは現状ではそのような問題が生じていないので、あることをしないかぎり問題は生じないことをわからせることだそうだ。

自分自身が決断を下したり、他人と議論をして結論を導き出そうとする際の一般教養(リベラル・アーツ)として著者は学生たちに教鞭を執っているということだ。漠然とメリット、デメリットを比較するということはふだんしているものだが、この本を読むとより科学的な手法があることがわかった。

(今朝は通勤途中に見つけた、咲いて香るを待つ沈丁花のつぼみ)

さらに備忘録として(追記:2011.2.16)議論における「正しい主張」の3条件。
【1】主張に根拠がある
【2】根拠が反論にさらされている
【3】根拠が反論に耐えた

<根拠>と<推論>とからなる主張によって議論は行われるが、推論の3タイプも憶えておこう。
【1】演繹
【2】帰納
【3】因果関係(相関関係と間違えやすいので注意)
じんとして家族の肖像ここにあり [2012年02月09日(Thu)]

NHK日曜昼ののど自慢。あのわざとらしさがイヤだった。たくさんの予選参加者から選ばれるだけあって歌がうまい者、振付や衣装で目をひく者たちが、目一杯会場にアピールするわざとらしさだ。

以前は歌い終わると舞台そでに消え、最後に全員がステージに戻って審査発表を待った。ところが今は順番を待つときも歌い終わってからも、舞台上で手を左右に振り体を揺すりながら、歌う競技者を盛り上げる。それもわざとらし過ぎる。

じっくりみると、一曲ごとに歌い手なりの物語があることがわかる。客席の家族や友人、応援してくれるゆかりの人々のことが紹介され、その人たちが乗り越えてきた苦闘の日々が想像させられて、感謝や笑顔、これからの決意にいたるまで見えてきたりすると、はからずもじんとしてしまっていた。

素人のど自慢、まんざらこれも悪くないなあと思うようになった。
術冴えて不思議な時計坂の上 [2012年02月08日(Wed)]

高楼方子作の『時計坂の家』を読みおえた。従姉妹マリカのなにげない一枚の手紙から、フー子の不思議で生涯忘れ得ない夏休みが始まった。夢とうつつを幾度もくりかえし、夢がほんとか、うつつが夢か。読者をたゆたう魔性の虜にするファンタジーだ。

ここでいうフー子の夢というのは、「実現したい将来の夢」というのではない。夢幻の夢なのである。異世界への扉という夢だ。フー子は危ない橋をわたることだと理解していながらも、きわめて魅力的な緑の園、マトリョーシカの姉妹たちが動き回る園、消えてしまった祖母のいる園を求めてやまない。

≪言いようのない不可思議さに、初めてのときと同じ眩暈(めまい)を覚えるのだ。そしてやがて、目の前に、ぼんやり、ぼんやり、緑色の景色があらわれる。牡丹色の霞の中から、ふうわり、ふうわり、立ちあらわれてくるのだ。≫

時計職人チェルヌイシェフがフー子の2世代以上も前のひとびとにかけた幻術が(物語中では奇術、魔術となっていたが)、消えた祖母と同様の資格を持ったフー子にも不可思議な夢がふりかかる。魔性夢の魅力にフー子は抗いきれない。

「だが、ぼくが善しとしなくとも、ほかの人間にとっては、必ずしもそうではないことなど、いくらもあるだろう。……まして大人ならば、何をどうとらえようが、それはもう、その人の心の問題なのだ。どんなふうに生きようとも、本人の自由なのだ。止めることはできないよ。また、だれにも、そんな資格はないのだ」とフー子の祖父は一見とっつきにくく語る。少女から大人への入口には多くの危ない橋があるのだが、もう大人だった祖母は、少女の側面も強くもっていた。祖父はその当時、祖母の二面性に気がついておらず、あの世界から引き戻すことができなかったことを悔いていた。だから冷淡を装っていたのだ(多分)。

引き返すことのできない危険な魔の園中央部にフー子が足を踏み入れようとした瞬間に、現世の愛(映介の)がフー子を引き戻してくれる。やっぱり異世界よりは現世界だよなーと読者を安心させて物語は終わる。映介との愛、第二弾を期待させながら。
くつろぎや変じて嫌悪紫煙かな [2012年02月07日(Tue)]

「喫煙率史上最低」。厚生労働省が先日発表したところによると19.5パーセント。男性だけでみると32.2パーセント。「史上最低」とはわたしがつけたフレーズだ。人類が植物の煙草を発見し改良して以降、キセルからタバコに変遷して以降、統計調査はなかったかもしれないが、生きるためにかすかすの日々を送る状態から、多少は余裕ができて後ひとびとは喫煙習慣をもってきたはずだ。

松田聖子が「タバコのにおいのシャツに、そっと寄り添うから・・」と名曲『赤いスイートピー』で歌ったものだが、今や嫌悪感の元かもしれない。それがネノナールと合わさればオヤジ臭となって、女性たちの鼻をつまませる。

タバコ吸いたちは、タバコ税で貢献していると言う。一方で健康被害はおびただしい。当人にも周囲にも。タバコ由来の医療費はタバコ税を上回るという試算もある。

どうしたらよいだろうか。止めたがっているひとも多いと思う。ただその習慣性のゆえに止められない。幸いに気分転換の手段は多様化し選択の余地はあまたある。止めたとしても精神性の病になる恐れはない。ならば、利害を説くしかないではないか。人間とは利に引かれ、害は避けるものだからである。健康に悪いと説くのは、直ちに目に見えないから効果がない。料金を上げる、税を高くするのである。しかも1本1円ずつといったチマチマしたやり方ではなく、一度に一箱千円にするのだ。

そうすれば、止めたがっていたひとには福音となって禁煙が実行できる。タバコに無上の喜びを感じるひとにとっては、優越感をもってたしなみ深い一服が肺腑を巡るであろう。

(コメント)
ご無沙汰です。
まさにそのとうりですね!!共感です。
実はそういう自分も喫煙していました。止めてから今年で9年目になりますが一本も吸っていません。今でも全然吸いたいと思いません。
というか、止めた当初からあんまり吸いたいという衝動にかられなかったですね。
軽い気持ちで止めたせいでしょうかね。
彼らが言うのは単なる言い訳であって税金の為とは誰も考えてはいないでしょうね。
1箱千円は全く同じ意見ですよ。ちなみに私が止めれたのはかわいい子供と妻、家族の為とガンにならない為のリスクをひとつ減らそうと思ったからです。   止めて良かったですよ(^o^)丿
作成者  春香 アマ : 2012/2/7 (火) 22:47

今でも全然吸いたいと思わない、のですね。それはすごい! 強い決意のものでの禁煙ですね。わたしは5年くらいは衝動を抑えるのに少々苦労しました。
ともあれ、喫煙リスクはお互いなくなりました。しかし生きている限り多くのリスクにさらされます。なんだかんだと、顔晴りましょう
作成者 フミ : 2012/2/8 (水) 06:36
文字重ね仕事したぞと満足す [2012年02月06日(Mon)]

今国会は野田総理が「ネバーネバーネバーギブアップ」と宣言した消費税国会になるはずだった。本来消費税というのは、政策目的を達成するための手段であるはずが、なぜか目的化してしまっていることが情けない。ところが議事録不存在問題、さらに沖縄防衛局長が宜野湾市長選挙をめぐってした講話問題に注目が集まり過ぎ、消費税は霞んでいる現状だ。

さて、公文書等の管理に関する法律、略して公文書管理法は去年の4月から施行された。ずさんだった年金記録問題など、役所内における不適切な文書管理の反省から制定された法律だ。これによって、役所に不都合な文書もしっかりと保存し、情報公開への道すじができたわけであるが、実はこれにばくだいな手間がかかる。

このほど東日本大震災と原発事故に関する組織のうち多くが議事録を作っていないばかりか、議事概要もできていないことで非難を浴びている。このことは公文書管理法に関わることだ。

第一条で目的を「行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること」としており、第四条では「行政機関の職員は、(中略)当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない」として、法令制定の経緯や重要会議の決定の経緯を作成すべき文書としている。

その重要文書が作成されなかったわけだが、第ニ条では電磁的記録も含まれると定義しており、デジタルレコーダーで録音しただけのものであっても、それを閲覧要望者に提供すればこと足りるのではないか。

1時間の会議を担当者がテープ起こしをしようとすると、ふつう10倍ほど時間がかかると思う。議事録専門事業者に委託したとしても、不明用語を確認したり全体の整理にかけなければならない時間はなかなかのものだ。むしろ担当者が必死にメモをとり、記憶が明らかなうちに(終了後2時間以内)、資料に走り書きしたメモをもとにパソコンに向かえば、かなりの精度で復元することができる。それを圧縮して箇条書きにすれば、立派な議事概要となる。

今回の問題をきっかけにして、あらゆる会議や協議に一言一句復元した議事録を作りなさい、という流れができないことを願っている。もしそうなれば、ポイントのぼやけた長いだけの文字の羅列書類を乱造することになりかねない。
あの復興思えば人は明治なり [2012年02月05日(Sun)]

ALWAYS三丁目の夕日'64』が封切られている(まだ観ていない)。舞台は昭和39年、東京オリンピックのころである。

突然だが、サムライとは何だろうか。精神面ではいざというときに備えて、忠孝の道を生き鍛練を欠かさない。宮本武蔵の五輪書・水之巻では、平素から武芸はもちろん、心も知識も磨き万般の芸に関心を示し智恵をつけるべしと説く。

  智恵も心も ひたとみがく事専也
  智恵をとぎ 天下の利非をわきまへ
  物毎の善悪をしり
  万の藝能 其道々をわたり
  世間の人にすこしもだまされざるやうにして
  後 兵法の智恵となる心也

誇り高く美しい生き方を貫こうとする集団がサムライだとすれば、武士道が崩れてきた江戸の末期であっても、その余韻は十分に残っていたことだと思う。維新の世になっても、旧江戸の精神的たたずまいは残る。

世界の人が驚嘆した戦後日本の「あの復興」。奇跡の結果、わずか20年弱でオリンピックを開催した。それが「三丁目」のころである。復興を支えた年代は20歳代から50歳代。若い世代はかなり戦争にとられたわけで、実質的に昭和20年代から30年代の40歳代から50歳代だろうか。

昭和20年(1945年)に40歳の人は1910年(M43)生まれ、45歳の人は1905年(M38)生まれ、50歳の人は1895年(M28)生まれ。その父母は、江戸末から明治の初期までのころに生を受けている。明治という近代の入口で新時代の息吹にあわせ、古き時代のよさも残した世代。礼儀を重んじ、誇りを忘れずいざとなれば命を賭して戦う人々の群れ、集団として団結すればこの上ない力となる人々が多かったはずだ。

サムライ的気風をもつ人々の力によって「あの復興」がなったとすれば、「この復興」はいかにしてなされるだろうか。右肩上昇の成長はもはやない、経済や社会システムは一流と言われたのはもはや過去のこと、失うものはないと蛮勇をふるってそれを武器とするしかない。

(コメント)
サムライは今の時代にも存在してます。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
サムライスピリットを持つ人はたくさんいるから必ずや復興するでしょう!
今も福島原発で我が身の危険を省みず働らくみなさんを筆頭にまだまだ、この日本にサムライスピリット健在なり。
作成者 幸示 : 2012/2/6 (月) 23:16

本当にそうですねえ。
美しく生きる、より善く生きる。
そうした人たちの陣列を増やすことが復興に直結するのでしょう。
作成者 ふみはうす : 2012/2/7 (火) 22:16
一等星零等星にかわるとき [2012年02月04日(Sat)]

≪オリオン座にある1等星ベテルギウスが、いまちょっとした話題です。というのももうすぐ爆発するかもしれない、といわれているからです。≫
 (渡部潤一国立天文台教授『親子で楽しむ星空ウオッチング』聖教新聞1月26日付)

ベテルギウスは勇者オリオンの棍棒をもつ右肩にある赤い1等星である。赤色巨星であるが、数日単位で変光している不安定な星であり(要するに膨らんだり縮んだりをくりかえす)、太陽系から600光年余り離れている。超新星爆発をおこす「そのとき」はいつなのか。

≪いったいいつになるのでしょうか。正確なところは誰にもわかりません。しかし、少なくとも10万年〜100万年以内といわれています。これは数千万年という、ベテルギウスのような重い星の寿命に比べれば、本当に"もうすぐ"なのです。≫(同記事)

もし、超新星爆発が起きた場合、降り注ぐガンマ線などの放射線により、地球上の生物にもにも何らかの影響が出るとも言われる(ただし爆発から600年後だが)。放射線によりオゾン層が傷つくか消滅するかして、生命体にとって有害な宇宙線が多量に降り注ぐからである。「そのとき」の600年後は、明日かもしれない、100万年後かもしれない。確率としては、千年に一度と言われる東日本大震災よりは遙かに低いもののようだ。が、いつ起こるかわからないものにたいする不安は、一度気になりだすと意外と人間を苦しめる。

今日は立春。しばらく続いた冬の嵐。各地で豪雪の被害をだして多くの人々が大変な思いをされている。幸い出雲地方の平野部ではせいぜい10センチの積雪があった程度であったが、星空は眺められない夜が続いた。今夜はベテルギウスの観察でもしてみることにしよう。
はい上がり麒麟児となれ我が息子 [2012年02月03日(Fri)]

ひとのことはわからない。親しくても他人のことは多くを知ることはなく、たとえ愛するひとのことであっても、何を考え何をしてきて今何をしようとしているのかをすべて掌握することはできない。じつは自分自身のことも、よくわかってはいないのだ。わからないながらも、気持ちを伝え事実を示し合わせながら理解しあうしかない。あきらめてはならないのだ。数日前に観た『麒麟の翼』はそんなことを感じさせてくれる映画だった。

冒頭で死んだ父親(中井貴一)が、主役級の脇役として登場する。心を閉ざした息子に思いを伝えられないもどかしさや逡巡を誠実に表現した。なんとしてでも対話の糸口をつかんで心通わしたいという真実一路を貫き、家族にその生き方を示そうとした。

主演阿部寛の謎をえぐり出すような深い目。厳しく向けられると相手は威圧され、その真相の一部をさらけ出さざるをえない。小さなとっかかりから謎の間口が広がっていく。自らに向けられたときは、思考を反芻し固定観念を疑い相手の人生を思いやる。真実を求め丹念にもつれあう糸をよりほぐす作業は、遠回りのようであっても事件を解決に導き、ひとに自己の原点を思い出させる。

本当はそうありたいしあるべきだという自分の真実から逃げてはならぬ、自分の心をないがしろにすればしっぺ返しがくる。自己の原点が他のひとの原点と交差し、両者の喜びが一致したときに、幸福はある。

真相はどこに?とサスペンスのドキドキ感と多様な人間模様が交錯し、心地好い緊張を感じさせてくれる映画であった。画面の構図がビシッと決まり、筋書きもブレのない観やすい映画でもあった。
振りかえり成果出せよ販売に [2012年02月02日(Thu)]

山形新幹線でカリスマ販売員として有名な齋藤泉氏(日本レストランエンタプライズアドバイザー)は、ひとりで年間数千万円を売り上げる実力者だそうだ。その氏が講演で次のように語ったとのこと(日刊水産経済新聞2012.2.1付け記事から抜粋)。

≪毎日欠かさず、【1】予測する【2】予測に基づき準備する【3】準備が妥当か確認する【4】予測が違っていたら修正する【5】仕事が終わったら反省する―という5つの事を実践。「これだけで毎日の仕事が劇的に変わってくる」と自らの体験談を披露。お客さんに喜んでもらうため、「相手の気持ちをしっかり理解し、勇気をもってやり尽くすことが大事」と強調。最後に「自分の人生、仕事だって、『きょうの一瞬の出会い』を楽しめないのはいちばんもったいない」と力を込めた。≫

まさに、プラン・ドゥー・チェック&アクション(PDCA)のサイクルのことである。誰でも知っている。しかし実践するのは難しい。彼女は毎日欠かすことなく実践し、大きな成果をあげている。ああぁ一流の人はちがう。
跳びはねて春を待ちわび寒雀 [2012年02月01日(Wed)]

脚を交互に運ぶ鳥がいる。鳩やセキレイ、鷺、キジ、ダチョウ、白鳥、鴨などのウオーキング派である。水鳥や大きめの鳥だ。

二本の脚で同時に跳びはねて移動する鳥もいる。ホッピング派だ。雀やカラスが代表で、シジュウカラ、ツグミなどがいる。木にとまっている小鳥が多い。

かつて鳥の祖先恐竜は二本脚歩行をした。だから鳥はもともとウオーキング派だったのである。樹上生活では枝から枝へ飛び移るわけで、より動きやすいホッピングを選び取ったわけだ。ホッピング派とはより進化した形ということになる。

カラスはホップもウォークも両刀使いである。かれらの知恵が勝れていることもあわせ、カラスとはかなりのつわものとみた。