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子どもから親の背中を見るや否 [2011年11月30日(Wed)]

前を見てひたすらつんのめるように進む。当然ながら周囲に気を配る余裕はなく、なにげない美や感動には鈍感となる。

横をキョロキョロと眺めながら進む。何か面白いものが見えてくるかもしれず好奇心が弾む。

後ろを振り返りながら進む。時折振り向けば違う景色が見えてきて、意外さに感動することがある。前はよかった、などと未練がましく進むと足元が危うい。

進むときは自分ばかりではない。家族や同僚、後輩などとともに毎日が過ぎていく。日常を過ごすことは前に進むこと。特に子どもにはそれなりな親の姿を見せてやりたいと思う。

≪よく「子どもは親の背中を見て育つ」と言われる。言葉の綾ではないが、「背中」を見せるには、親が前を進んでいなければならない。絶えず自らが向上を目指すところに、教育の基本がある。≫
 (「名字の言」聖教新聞H23.11.22付け)

そうなのだ。背中を見せるには自ら進んでいくところを見せてやらねばならない。父や母とは、こんな人だとイメージをもたせるためには進み続けなければならないのだなあ。
二次元と三次を超えて四次はなに [2011年11月29日(Tue)]

松江の繁華街にあった建物がなくなって、更地になった。しばらく前まで何があったんだろう。毎日のように通っていたのに印象が残っていない。間口が狭く奥に長い空間が、ぽっかりと平らになっている。

改築したり新築するときに基礎部だけの敷地に入ってみると、狭いことに驚くことがある。こんな小さな空間に住んでいたのか! あるいは、骨組みができる前は狭いものだなと思うのだが、実際建物ができあがってみると十分広い。家は三次元の空間であり、更地や基礎は二次元だからであろう。ひとが感じる空間認識とは不思議なものである。

ひとたび認識を広げて空に目を転じれば、宇宙がある。137億年前にビッグバンを始めた宇宙は今も猛烈な勢いで膨張している。百数十億光年の向こうまでは観測できるということだから、百数十億年前の宇宙の姿がそこには見えるということなのだ。お隣りのアンドロメダ小宇宙までは180万光年。まだ人類が誕生していない遠い昔、180万年前の光がいまごろ届いている。

宇宙という広大なる空間には、縦横奥行きの三次元に加えて時間という4つ目の次元が広がっていく。わたしの想像力など及ばない不思議な世界がそこにある。
内水面恋はしてても鯉もちはせぬ [2011年11月28日(Mon)]

コイヘルペスウイルス(KHV)病とは、鯉の動きが緩慢になり、やがて多くが死ぬ鯉特有の病気である。KHVに感染した鯉との接触や水を介して感染するが、幸いひとには影響はない。日本では、平成15年を初発にして既に全国各県で確認された。

島根県ではKHV病の蔓延を防ぐため、内水面漁場管理委員会が斐伊川や江の川、高津川などの流域において鯉を持ち出すことを禁じている(検査、焼却・埋却の処分のための持出しを除く)。ホームページから一部を拾ってみる。

●ちょっと待って!コイの放流
 ・飼っているコイが死んだ時は、川や池などに捨てたりせず、お住まいの市町村に相談の上、適正に処分してください。
 ・川や池などで釣ったり捕まえたコイを他の川などに放流しないでください。
 ・入手経路が不明なコイを、譲ったり、もらったりしないでください。
 ・KHV病が発生している水域からコイを持ち出さないでください。

鯉だけではない。鮎類にはエドワジエラ・イクタルリ感染症という病気が数年前から確認されている。これもひとに感染することはないが、由々しき病気である。ご注意ご注意!

今日の教訓  『恋はしてても 鯉持ち込むな』
年迫り空気乾きてカサざらら [2011年11月27日(Sun)]

乾燥する季節がやってきた。日本海側で雪や雨が多い冬型の気圧配置であっても、やはり空気は乾きがちだ。部屋に暖房することでも乾燥する。

手や指が乾燥し、唇もリップクリームを塗りたくりたくなる。腕や腰、尻、太もも、ふくらはぎまで乾いて痒くなってくる。爪でかいてしまうと肌が荒れてさらに痒くなる。そこはじっとガマンして、せいぜい叩くか、さする程度にしておこう。

ただし、どんなに痒くても、心まで乾かないようにしたいものだ。

(写真/冬枯れした草地にもほんのり緑が残っている)
運命に向かうは悲壮か純真か [2011年11月26日(Sat)]

モーツアルト交響曲第40番ト短調がラジオから流れてきた。悲しみのシンフォニーと言われる名曲だ。深い情感とともに、悲壮感に満ちた何か運命の転換でもありそうな予感を感じる。嗚咽をこらえるかのような主題部が弦楽器で奏でられる。和声で対置した部分をオーボエやピッコロ、ホルンなどが管楽器が歌う。ゆったりとした2楽章では、夕暮れの侘びしさか、仲間が去ってしまった寂寥感か。だが、どこか緊張した感じがずっと続く。

第4楽章のアレグロ・アッサイになると開けてくる。運命が扉をたたくのは同じでも、吹っ切って清新な決意で困難に立ち向かっていこうという感じがある。ただ、ベートーベンの交響曲第5番「運命」の第4楽章のように純真な明るさで一途に立ち向かっていくのではない。ベートーベンの決意は強く運命に打ち勝つ。

≪不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種を言うのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが。環境と戦い環境に打ち勝つという言葉もほとんど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打ち勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けているところも、不足しているものもありはしない。≫(小林秀雄「モオツァルト」)

モーツアルトの40番は、弱い己に徹底して勝つ強い精神を表現しているわけではない。この第4楽章は、決意はしてもどこか弱い自分を再び感じて、気が萎えるような弱さがある。だが気を取り直して、自己と戦う決意を沸きたたす。たぶんそれが人間らしいのだと思う。モーツアルトの交響曲第40番は、モーツアルトの「運命」だと感じた。
目を覚ませ闇の中にて地が震え [2011年11月25日(Fri)]

月曜日夕刻に6、7秒。これが震度3。そして今朝まだ暗い頃に3、4秒。震度2くらいか。間をおいてごく弱いのが数秒。爆睡していたとしても、横になっていると床に接している面積が多いゆえ、体に感じやすい。弱震でもたいていは目が覚める。地震は不気味に怖いものだ。

なぜ地震は怖く感じるのか。

地面が揺れるからだ。寄って立つ地面は何ごとにおいても生活上の基準である。その基礎が揺らぐのである。不安は免れない。

地震はいつなんどき起こるかわからないからだ。地震列島においては、いつ大地震が来てもまったく不思議はない。

いったん収まっても、いつドカンともっと大きなやつがくるのかわからないからだ。あの不安感ったらありゃしない。3.11を経験された方々は何度も強い余震の恐怖と戦ってこられた。その心労をねぎらいたい。むろん、もう終わったとは限らない。

必ず来るとわかっていても地震学者でもその時を言い当てることができないからだ。予測の精度は上がる。緊急地震警報も出されるようにはなった。しかし数日後の予報はできない。確率として言うことしかできない。家具につぶされたり、ケガをすることなく、避難するための手足を守ることぐらいしかできないかもしれない。

何より怖いのは私たちが恐怖に無感覚になって、まっ大丈夫! 自分は大丈夫。最初の津波は小さかったからもう大丈夫。上からの落下物は自分には当たらないから大丈夫。などと恐怖にフタをかぶせてしまうことだ。天災は忘れたころにやってくる。それを意識の奥に沈めてしまうことが最も危険なことかもしれない。

(写真は縦糸を張っている途中のクモ。蜘蛛は地震とは関係ないが)

(コメント)
三次を震源地としたマグニチュード4、6の地震はかなり、揺れましたね。
緊急地震速報もはじめて受信しました。発生と同時に鳴るのですね。 >天災は忘れたころにやってくる...
島根も浜田地震の過去があるし、本当に意識の奥に沈めてしまわないようにしないとね!
投稿者 せいちゅうかん : 2011/11/25 (金) 23:02

調べてみました・・・
島根県周辺の主要活断層は「南海トラフト」
マグニチュード8、4前後
30年以内の地震発生確率は60パーセント
投稿者 せいちゅうかん : 2011/11/25 (金) 23:28

60パーセント? 覚悟しておきますかね。南海にある深い溝が西日本全体に影響を与えるのですね。こうしてみると日本列島は狭いのかも。。。
投稿者 house21 : 2011/11/26 (土) 08:30
寒空に点灯式や師走へと [2011年11月24日(Thu)]

朝方、公用車を運転するため松江城堀端の橋上を歩いていると、正面20m向こうから堀川遊覧船が進んでくる。観光客がこちらを見ている。わたしは手を振った。女性が一人気がついて手をあげた。笑顔が見える。わたしは、ようこそ松江へ、という気持ちを満面の笑みに込めて再び手を振った。やがて何人ものひとが手を振ってくれた。船上のこたつにあたって丸まっていた腰がシャキンと伸びた。

宍道湖岸を出雲方面に向かった。ここ数日、冬型の気圧配置になったせいで北西からの風が強い。湖面は大きく波だって湖底から巻き上がった泥で水色は濁っている。キンクロハジロや鴨の姿が波間に現れたり消えたりを繰り返した。

昼前に再び松江方面に向かうと、大山が見える。淡い雲におおわれてくっきりとは見えないが、樹木が少ないスキー場のあたりには白い筋がたってきた。初冠雪である。

フロントガラスを固いものが叩く。霰が降ってきた。波状的に晴れたり降ったりを繰り返すので、決して積もりはしないが、車内には寒気が忍び寄ってくる。遅れてきた冬がやってきたのだ。

夜になり、駅前の松江テルサではクリスマスイルミネーションの点灯式が行われていた。幼稚園の児童たちが一斉にカウントダウンして、吹き抜けのガラス窓壁面にセットされたLEDツリーに灯が点された。来週から12月、師走がいよいよやってくる。
もしドラと通じるイノベ新しき [2011年11月23日(Wed)]

20111123163234.jpg勤労をし雇用されるということは、金で買われることなんだなあ、と感じさせる映画だった。プロの野球選手はゼネラルマネージャー(GM)の腹ひとつで、シーズン途中であっても放出され、他チームの選手と、まさに現金なやりとりの対象となる。金で人間そのものを買われるわけではなく技術を買われているのではあるが、所詮人間と技術とは密接不可分である。一般の勤労者であったとしても、働かざるもの食うべからず、貢献せずして収入なしという言葉が頭の中を巡った。

P.F.ドラッカーは「イノベーションとは新しい価値を創出すること」と表現した。映画『マネーボール』のなかで、オークランド・アスレチックスGMのビーン(ブラッド・ピット)と補佐のピーターは野球にイノベーションを巻き起こした。イノベーションとは、経済活動や技術開発にとどまらず、新しい考え方をもとに従来の価値観を転換することによって組織や社会を変えていくことである。

ふたりが起こした抜本的な改革とは、打率やホームランなど評価は低くても出塁率の高い選手を、低い年俸で獲得し高い成果を得るデータ野球によって、勝利の確率を高めることだ。出塁率を価値あるものとする考え方は、当時(とはいってもほんの9年前だ)、幅をきかせていた旧来勢力とは決定的に対立した。かといって貧乏球団に選択の余地はない。いい選手が資金の豊富なチームに横取りされて、実力は資金力に比例するだけであっては野球に夢がなくなる。極めて孤独ななかに、ふたりのチームづくりが始まった。

しかし、シーズン初頭かつてないほど不振に陥り、アスレチックスは最下位を低迷した。監督は新しい戦略を理解せず、旧来の選手起用にこだわる。そこでビーンは有無を言わせず権限を行使した。データに加えて、チームの負け犬ムードに活を入れ、自分の勘に進退を賭けて大きなトレードに出た。さらに選手の強みをそれぞれデータで納得させ、攻めるポイントを説き続けた。力の落ちたベテラン選手にはチームリーダーとしての牽引力で応えさせた。

契約に基づく役割ということを考えさせられた。球団オーナーは資金を出してGMに全権を委任する。GMはオーナーから示された予算の範囲内でチームの骨格を作る。実際の指揮をとり勝利へ導くのは監督。GMとはチームの負けが込めば責任を問われ、連戦連勝のときがきても歓喜の渦からは少し離れたところにいる孤独な存在だ。先日ソフトバンクが優勝したときに、GMたる王貞治球団会長が選手たちの喜びの輪に入らずにいたことを思い出した。

アスレチックスはまだワールドシリーズ優勝を果たしていないとのこと。他チームのGMとして高額条件を提示されたこともあるが、今もビーン氏はアスレチックスでその夢を果たすべく奮闘しているというキャプションがあった。すがすがしい映画であった。ベストセラー「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を思い出して胸が熱くなった。
子どもとはたちまち満足するものぞ [2011年11月22日(Tue)]

子どもとは飽きっぽく辛抱ができないものだと思っていたし、ふつうはみんながそう思っているものだ。ところが、この文章を見て「なるほど」と思った。

≪私は、子どもは決して飽きっぽいのではなく、ただ満足するのが早いだけのような気がします。子どもは極端に言えば何でも10秒ほどで満足するのです(中略)。その素晴らしい子どもの特質を子育てに利用しない手はありません。
 例えば仕事から帰るのが夜遅く、子どもと遊ぶ時間がない、というお父さんは、「ただいま」と言ったその時、玄関に迎えに来た子どもをぜひ抱っこして、そのままクルクルっと回り、高い高いをして子どもを下ろしてほしいと思います。時間にしてほんの10秒ほどだと思いますが、子どもはそれで満足し、(中略)それどころか、もしかすると「父はいつも玄関で遊んでくれた……」という印象が大人になっても残っているかもしれません(中略)。
 子どもは満足感を味わうと、気持ちが次へ進むことができます(中略)。毎日のいろんな場面で、小さな満足感をたくさん与えてやってほしいと思います≫

 (こどもコンサルタント原坂一郎『子育てを楽しもう!』聖教新聞11月21日付け)

わたしにとっては、今さら何を言っても、もう遅い。もっと遊んでやればよかった、自分自身ももっと楽しめばよかった、と今頃になって思うこともある。しかし、それなりに我が子たちも、それなりに父は遊んでくれたと思ってくれているかもしれない。いや思っていないかもしれない。そもそもそんなことなど考えもしないだろう。まっ、いいか。覆水盆に返らず、時間は後戻りはしない。

いま子育て真っ最中の皆さん。特にお父さんたち。健闘を祈ります。印象深く子どもと遊んでください。

(写真は、できたてのS農園でできた甘いミカン)
諦めて思想はひとを無常にす [2011年11月21日(Mon)]

きのうは「おとなしく黙々と受け身で待つ心理」のことを書いた。有名な『方丈記』の冒頭で鴨長明は次のように綴っている。

  行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず
  淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたるためしなし
  世の中にある人と住みかとまたかくの如し

この文には諦観がある。達観した悟りというよりは、無常観に基づくあきらめがある。傍観者的な冷ややかさも感じられる。書き手はどこにいるのか? 川の流れのなかに身をおいて、あるときは強い流れに抗し、水が枯れてくれば上流に雨が降ることを願うといった主体的な位置ではない。川の外に立って他人事として距離をおいている印象がある。

無常に過ぎゆく世の流れは、ときに無情にもひとを飢えさせ、無体な天変地異でひとは苦しむ。為政者が無為無策であれば状況に流され、暴君となって猛り狂えばなされるままに時が過ぎるのを耐え抜く。じっと待つことは美徳であるかもしれないが、邪悪を黙認してしまう怠慢にもつながっていく。方丈記の思想は鴨長明だけのものではなく、日本人に根付いた思考として、わたしを含めて多くの人が共鳴するものでもあろう。しかし、新しい世をつくり新しい枠組みでものごとを進めるためには、あきらめの思想であってはならないのだと思う。
雑音に羊の従順過ぐを待つ [2011年11月20日(Sun)]

加茂文化センター「ラメール」が主催する『賢者の音楽祭』、昨日昼の部に行ってきた。内容はチェロの辻本玲、パーカッションとマリンバの池上英樹。それぞれのソロと共演を堪能した。伸び盛りの若手実力音楽家の演奏を十分楽しむことができた。

ところが途中で雲行きが怪しくなってきたのである。なんと赤ちゃんのくずる声が聞こえてくるではないか。目をやって見るとマスクをした1歳くらいの子を、若い母親が抱っこしあやしている。隣の席には3、4歳の女の子がこれもマスクをつけて、パンフレットで遊びながら立ったり椅子に座ったりを繰り返していた。演奏が終わるたびに母親は拍手し、女の子も赤ちゃんまでも追随して手をたたく。たぶんいい子たちなんだろう、ふだん日常では。しかし静粛の中にあっていい子ではラチがあかないのだ。

右隣には中年男が一人。すぐ前には年配のおばさんが一人、そこから一つ席を空けて右横には30過ぎの男が一人。左側の通路を隔てて何人かの人がいるし、母親のすぐ後ろにも人はいる。しかし、誰一人として注意する者はいなかった。子供らが声を出し、前の席を蹴ったりウロウロするだけでも相当邪魔になるはずだ。が、誰も声を出すなり、母親の肩に手を当てて、「マナー違反だから外へ出たらどう?」、あるいは「客席の一番後ろまで下がったら?」と言って教育する者はいなかった。

わたしはどうかと言えば、席が離れていたし、応募した招待券が当たってタダで見ているという気安さもあって、わざわざ注意をしに立ち上がることはなかった。しかし、マスクをかけさせて小声にしたつもり、ギャンギャン泣いてはいないのだからとタカをくくっている母親の姿にイライラしてきた。要するに母親には想像力が決定的に欠如しているのだと思う。

顔立ちは善良そうな印象だった。たぶん注意すれば、「あっすみません」と気がつく人柄ではないかと思う。よもや「お金を払って席を取ったのだ。文句言うな」とキレることなどあるまいと思う。

むしろ気になったのは、物言わない群衆のことだ。大震災で食べるもの、住むところにも困り、必要なサービスを受けられないという状況にあっても、文句を言わず整然と行列を崩さない人々に対し、モラルが高いと世界で称賛された。だがそれは、おとなしく黙々と行政など権威ある立場の者が何か行動を起こして、自分たちのもとに恩恵を施してくれるのをただひたすらに待つ、という心理にも多分に基づいているのではないかと想像する。

ラメールは音響がすばらしいホールだ。演奏に匹敵するほどクリアに響く子供らの音を聞きながら、羊のように従順な聴衆と日本人の今の姿が重なった。

(コメント)
「すずめの学校の先生は、鞭を振り振りちぱっぱ」・・・これは戦前の童謡だけど、戦後は「めだかの学校のめだかだち、誰が生徒か先生か」に変わっている。童謡とはいえ、昔の厳しさと今の自由がよく表われている。
自由はとても大切なことだ。しかし、自由が許容される(行き過ぎる)と子供の問題行動に対しても黙秘、放任であると言えよう。このようなところに荒廃を生み出す根源がある。
投稿者 せいちゅうかん

ほう、鞭を振りですか。うまいことすり替えるものですな。自由が行き過ぎると、「選択したのはお前。自己責任ですべて処理しろ」となって、耐えかねると人は病気になるでしょう。ある面、規制があったほうが楽だというのは、俳句をつくるにも似ているような気がしています。
投稿者 house21
男女にはかけがえのなき人になる [2011年11月19日(Sat)]

20111119223211.jpgコミュニケーションの密度や度合いが高まるほどに、人と人との物理的距離はゼロになるまで縮まる。つまるところはマイナスにまで。憎さが極まるとき、パンチは敵の頬をえぐり、ナイフは内蔵を切り裂く。それは我が身の損傷ももたらすゆえに人は飛び道具を考えた。さらに火器を強力にし、ミサイルによって遠くから敵を攻撃する。効率的側面だけでなく、悶え苦しむ人間の姿を目の当たりにしたくないという心理だと思う。

親しい関係ではどうか。親密になるほど身体的接触の回数が増え、肌を接するようになる。すなわち距離がゼロになる。特定の男女であれば、マイナスとなり一つに同化する。フランス映画男と女の英語題は『A man and a woman』。特定されない男と女どうしが、出会ってからわずか2週間で、かけがえのない存在になっていく過程を紡ぐ物語である。

赤ずきんの童話を娘に話す美しい女(アヌーク・エーメ)の映像で始まったこの映画。男は女の美しい横顔のとりこになった。しかも、豊かでなめらかな髪を指でかきあげる仕草に心底惚れてしまったのである。

なぜか二人が会うときには雨がつきものだ、二人を仲立ちするかのように。過去を洗い流す雨、今の気持ちや期待を研ぎ澄ます雨だ。直線的に結ばれるのではなく、回りくどい。長いエピソードが描かれた。死んだ夫のこと、死んだ妻のこと、男のレーサーとしての仕事、モナコのモンテカルロへの耐久レースの長い顛末。二人は3千キロを隔て、想い想われ愛を昇華させた。

セピア色の場面が多用される。当人たちにとって夢のように、ある面気持ちが地に着かなかった時間を現している。けれども幸せがいっぱいの場面だ。雨の道中、寄宿舎にいる子どもたちと別れた帰りに、愛を確信した男が助手席の女の手を握る。女は、それまで夢見る目つきだったのだが、リアリストの厳しい目に変化する。「あなたの奥さんのことを話して」と。

やがて肌を合わせ結ばれた二人。寄せては返す潮騒をバックに絶頂を迎えるはずが、なぜか女は冷めていった。亡夫と紡いだ愛の軌跡が頭をよぎり、思い出で心が埋め尽くされたからだ。重ねた愛の歴史の前に、今の愛は一時の情動にしかすぎないと気がついたからだ。

そして二人は関係を絶った。ジャンは車でパリへ、アンヌは列車に乗り換えてパリに向かう。別れたと思い切ったはずのそれぞれであったが、二人は空間を隔てて再び相手を想った。二週間という短時日でも、かけがえのない愛の歴史であったことにアンヌとジャンは気がついた。パリ駅プラットホームで二人は愛を一つに束ねた。抱き合った途端に二人の輪郭の外にある景色が消え、二人だけが浮き上がって映画は終了。1966年当時の技術だから稚拙な映像だが、二人の一体感を見事に表現している。

ノルマンディ地方の海岸、冬の厚い雲間からさし込む日の光。雲はところどころ淡いピンクに染まり、夕焼けの頃の柔らかい光景。日本海側の冬、ときおり穏やかな天気が続いたときの景色に似ている。その光景を長回しした映像がすばらしい。4人の家族(将来の)が広い砂浜でたわむれる。可愛らしい二人の子どもたちも含め、この上ない奇跡の映像だと思った。また、浜辺を走り回っていた犬。彼と彼女の高揚する感情そのものを象徴していた。

シャンソンの甘さとボサノバの軽快さを盛り込んだ「ダーバーダ〜ダバダバダ・・」という有名なフレーズ。誰もが知っているフランシス・レイの音楽だ。恋にときめくときはテンポよく、二人の心理を深めるときはゆったりと流れる。

人の心は多種多様、特に恋は。エピソードを映像で語るときに独特のもどかしさはあったが、それは揺れ動く恋愛が行ったり来たりするときの歯がゆいじれったさを意味している。安心して観ることのできる心地よい映画だった。
エウロパに夢は高鳴る新世界 [2011年11月18日(Fri)]

ギリシャの財政破綻状況から発するユーロ圏の混乱。イタリアにも飛び火して、政治不安が広がる。このままではヨーロッパ全体が大きな騒動になりかねないし、世界全体の混迷にも直結する。ユーロが安くなり、ドルもさらに価値を下げる。一方で円高はもっと進むかもしれない。投機筋が儲けを求めて自由に資金を移動すればするほど、人々の生活は脅かされる。

木星の第2衛星のエウロパの氷の下深く、巨大な湖がある証拠が見つかったとNASAが発表したことを受けて、ギリシャ及びイタリアの当局は、世界におけるヨーロッパの地位が低下したことに鑑み、地球脱出計画を具体化した模様だ。生命体がいると思われるエウロパに移住しようとする大計画を、まずは2国から実行に移すという。両国の宇宙技術は実はアメリカや日本より遥かに進んでおり、密かにまさに水面下で計画が進行してきた。1年以内には地下宇宙基地からエウロパ1号が発射されるという。当局者は語った。「ゼウスが横恋慕した美しい王女エウローペー。その名にちなんでできたヨーロッパ。私たちは今地球を離れ、新世界エウロパを目指す」と。

・・・・まっ、こんなウソを信じてしまう人、いるわけはないか(笑)。エウロパをウィキペディアは次のとおり説明している。

≪表面は少なくとも厚さ3km以上の氷で覆われており、所々にひび割れが走っている。(中略)強い潮汐力の変動に晒されている。その潮汐力で発生する熱によって表面の固い氷層の下は深さ数十から百数十kmにわたって氷が融け、シャーベット状ないし液体の海になっており、地球の海洋深部にあるような熱水噴出孔も存在すると考えられている。生命が存在する可能性も示唆されている≫

宇宙に夢は広がる。ゼウスの恋人にたどり着くのも悪くない。
三銃が四人となって四重奏 [2011年11月17日(Thu)]

荒唐無稽の空想時代活劇だった。
太陽王より前、ルイ13世の成長著しい頃のフランス物語だ。

オーランド・ブルームのいかした悪役物語だった。
王とは衆目のなかで弱い存在だと思わせる物語だ。

型にはまるとはいえ、殺陣はドキドキする楽しさがある物語だった。
脇役だった王女の侍女コンスタンス(ガブリエラ・ワイルド)が王、王女を喰ってしまうほど美しいキャスティングだ。

一方で悪女ミレディ(ミラ・ジョボビッチ)超アクティブなカッコよさで迫ってくる映画だった。
それほどまでカッコイイならば陰謀の片棒をかつがれても何らかまわないと思わせる物語だ。

アトス、ポルトス、アラミスの三人がここまで素敵に男っぽく描かれたことに感動する映画だった。
仲間か、女か。アトスは最後まで迷う勇者だ。

強者は、金と自分の力が頼みと言う。さらに強きは仲間も無類の力とすると感じさせる物語だった。
「皆は一人のため、一人は皆のために」は三銃士の合言葉から、ダルタニアンを含めた四銃士のためのものであると改めて感じた物語だ。

映画『三銃士・王妃の首飾りとダ・ビンチの飛行船』はそんな楽しい映画だった。デュマの原作を超えたアクティブで荒唐無稽な楽しさで2時間弱を過ごした。
億兆の京の次には垓きたり [2011年11月16日(Wed)]

先日報道があった世界のスーパーコンピュータ性能ランキングTOP500で、スーパーコンピュータ「京」(理化学研究所と富士通の共同開発)が、中国やアメリカなど強豪を抑え首位の座を保った。

一秒間にその名のとおり1京回以上の演算を達成したというこのスパコン。「2位じゃダメなんですか?」と仕分けでダメ出されたこの機械であったが、見事連坊さんに一矢を報いたと言える。

そのサイトでは、Japan's "K Computer" maintained its position atop the newest edition of the TOP500 List of the world’s most powerful supercomputers,  と紹介しているとおり、アルファベットの「K」を使っていることに何か新鮮な感じがした。

江戸時代の学者が作ったという数の単位。江戸八百八町が「たくさんある」という意味に使われていたその頃には、万という単位を使うこともなかったであろう。その学者の壮大な遊び心に感心する。一応、備忘録として掲載しておく。

10の2乗【百】  10の3乗【千】  10の4乗【万】  10の8乗【億】
10の12乗【兆】  10の16乗【京/けい】  10の20乗【垓/がい】  10の24乗【穰】
10の28乗【溝】  10の32乗【澗】  10の36乗【正/せい】  10の40乗【載/さい】
10の44乗【極/ごく】  10の48乗【恒河沙/ごうがしゃ】  10の56乗【阿僧祇/あそうぎ】
10の64乗【那由他/なゆた】  10の72乗【不可思議】  10の80乗【無量】  10の88乗【大数】


(コメント)
なんと・・・10の88乗=大数
表記すると、わけわかんなくなるだろうね。10,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000〜
まあ、せいぜい10,000,000くらいまでなら、なんとか感じがつかめるのが私の頭。
確か検索サイトの「グーグル」が10の100乗の意味だったような?
投稿者 せいちゅうかん

グーグルの「社名の由来」を確認したら、「グーグル」は「グーゴル」=「10の100乗」の綴り間違いが由来なんだね。いろんなことがあるもんだね。
投稿者 せいちゅうかん

グーグルはグーゴルの綴り間違いが由来・・・
へぇー〜〜〜 そうなんだ!
投稿者 house21
好きなこと続けてさらに好きになる [2011年11月15日(Tue)]

作家堺屋太一氏が、「好きなことをやり続ける」うえでの心掛け5点をあげている(聖教新聞23.10.29付け)。

1 根気よく続け、諦めないこと
2 周囲が難問を投げかけても、怒らないこと
3 当初の目的観・コンセプトからぶれずに、譲らないこと
4 疲れないこと(本当に好きならば疲れないはず)
5 自慢しないこと(自慢するのは有名人になりたいだけ)

諦めず怒らず譲らずと、自慢せぬなら疲れなし。難しいことだ。状況が厳しくなると、そのことを好きだったことさえ忘れがちになる。忘れるということは、やはり好きではなかったということになる。

好きであることは難しい。心から好きであることはもっと難しい。それでも好きであり続けたい。

職業人は誰でもパーツ化されて、自分の弱さを感じることがある。サラリーマンだけではない。学生も主婦も実業家もそうだ。つねに不全感をかかえ続けるといってよい。しかし、小さい喜びであっても、それを幸せと思える感性があるかどうかが肝心である。そして自分が自分である場所がちゃんとあるためには、好きであり続けたものやことがなくてはならない。
かの向こう知り合い認めてドギマギと [2011年11月14日(Mon)]

直線道路のかなたから知り合いが来るのが見える。長い廊下の向こうから同僚が歩いてくるのを見つける。そんなときドギマギすることがないだろうか。

見通しが悪い道路であれば、出会ってハイこんにちは!ですむ。廊下を曲がったとき出会い頭に見つければ、アアびっくりした!と声をかければいい。しかし、遠いうちから相手の姿が目に入ってくると、どのタイミングで挨拶すればいいのか、迷うのである。

十分に親しいならば、手を挙げたり振ったりして、そのあとはずっと笑顔になる。声が聞こえる距離になれば近づいていって話を弾ませればよろしい。

だがそれほどではないときに、あるいは顔と名前がかろうじて一致するような関係であるときには迷う。どんな顔を、どんな動作を、どんな挨拶をすればいいのだと。この前会ったのはいつだろうか、話した内容は?そもそもこの人だれだっけ? といった思いが去来すると迷いは深みにはまる。

笑顔を向けてみたはいいけれど、相手の表情が変わらない。目が悪いのか、無愛想な人なのか、あるいはこちらのことなど覚えてもいないのか。ひょっとして人違いか? そんな迷いが巡りだす。

たいした迷いというものでもない。他愛もないことだ。だがそのたびに心は揺れるのである。
チャレンジド夢は広がり音と色 [2011年11月13日(Sun)]

今日が最終日だった『チャレンジド・エキスポ・イン・ジャパン2011』のギャラリーを鑑賞してきた(会場:松江イングリッシュガーデン)。NPO法人サポートセンターどりーむのメンバーが制作したアートに加え、中国の4県、さらに熊本や埼玉、東京、長野、新潟といった県外からも出展(販売含む)があり、障がいをもった人たちの純粋できらびやかな作風を感じることができた。チャレンジする青年たちが、障がいを乗りこえひたむきに楽しげに絵筆を握る姿が想像される。

今回のエキスポでは、巨大文字を思いっきり書こうという書道教室や顔をテーマで存分に描く絵画教室、さらに先週日曜日には第4回ゆめのつばさコンサートがあった(開催期間8日間)。またチャレンジド・アートを商品として広く流通させ、知的障がい者の雇用をつくるというビジネス展開の視点でもセミナーが行われた。

「障がい者アートの本格的見本市」と銘打った今回のエキスポ。現段階での集大成といえるイベントであるが、来年はさらに世界へと夢は広がる。

土江理事長が活動を始めて35年。発端は息子さんが障がいをもって生まれられたことだ。そこを基点に、音楽や美術・工芸をとおして、障がいをむしろ個性として生かし、支え合う仲間たちの夢を創っていくことを目指してこられた。

この35年で理事長が蒔かれた種は着実に芽を出し、成長を続けている。さらに支援者や当事者の力を得て、夢はさらに広がり現実のものになっていく。理事長の熱い気持ちをうかがって、イングリッシュガーデンに咲いていた深紅の小バラにその熱意が重なって見えた。
揺れたならいかにすべきか我が道を [2011年11月12日(Sat)]

インターネット調査会社のマクロミルが15歳から50代の男女に調査したところ(928サンプル)、東日本大震災をきっかけに、「防災意識が高まった」とするのが7割を超えた。特に若年層が「以前は高くなかったが震災をきっかけに高まった」と答えており、望ましいことだ。

地震に対する備えでは、「備えている」のが61%で、2009年調査の45%に比べて大幅に高くなった。具体的には「懐中電灯・非常灯を置く」のが49%、「水・非常食を確保」が36%、「非常持ち出し袋を用意」が29%がトップ3。「家具の転倒防止」、「避難場所・経路の確認」、「家族と集合場所を決めた」は2割少々で、まだまだといえる。

大地震が発生したとき持ち出すとしたら何を?という質問に対しては、「携帯電話」(複数回答可能の場合は89%、一つだけと限定した場合は37%)、「財布」(86%と15%)、「通帳・印鑑」(53%と7%)、「身分証明書」(49%と2%)、「懐中電灯」(49%と1%)、「水・食料」(45%と6%)となっている。その他の答えとして、「くつ」「めがね・コンタクトレンズ」「ラジオ」「非常持ち出し袋」「タオル」「思い出の品」「写真・アルバム」「タオル」「衣服」「薬」など、この大震災でニュースをにぎわしたイメージが反映されているのがわかる。2年前の調査では携帯電話が26%(一つだけ限定)となっており、いかにケータイがライフラインとして重要になったかがわかる。

どの震度で避難行動を起こすかという点では、「震度3」で10%、「震度4」で35%、「震度5」で83%と大幅に跳ね上がる。就寝中だったらどうか? 「震度3」で起きて行動する人は46%、「震度4」で82%と増える。やはり寝ているときの地震は不安をかき立てる。具体的な行動の内容は、「安全な場所に移動」「ラジオ・テレビをつける」「ドアや窓を開けて出口を確保」といった内容だ。震度5でも「目が覚めても布団から出ない」という人が3%もいるのが驚きだ。

地震はいつ来るかはわからない天災だ。ないに越したことはないけれど、いつかは来るというのが地震列島の宿命である。自分のところは大丈夫、自分が生きているうちはきっと大丈夫という甘い期待は、裏切られると考えておくほうがよい。
淡々としずかに遠くいつまでも [2011年11月11日(Fri)]

時間はしずかに過ぎていく。淡々と、よどみなく、誰の意思にも左右されずに。波紋のように均等に、澄んだ秋空のように遠くまで、セコイヤの木のように高くいつまでも。

どの瞬間も同じ価値をもち、誰にでも平等であるように見える時間に違いがあるように思えるときがある。「記念日」である。

誕生日、自分の、家族の、恋人たちのそれは忘れがたく忘れてはならないもの(忘れがちだが)。クリスマスやバレンタインデー、ホワイトデー、桃の節句、新年度の4月、夏休みの始まり、終戦記念日。なかでも新年を迎える大晦日の深夜はことさらに期待が増す。

語呂合わせで作られた記念日がある。色気の日(1月6日)、文の日(2月3日)、赤ちゃんの日(8月8日)、風呂の日(2月6日)、靴の日(9月2日)、愛眼の日(10月10日)など。以上、適当に考えたのでホントにあるかは知らぬ(ふみの日は確かある)。

そして今日11月11日はポッキーの日。ポッキーを縦に4本並べたものだ。しかも今年は2011年で区切りがいい。今日の11時11分11秒をカウントダウンしたひともいたかもしれない。なにかいいことあったかもしれないね!
目を背け駅のホームに加齢臭 [2011年11月10日(Thu)]

JR松江駅のプラットフォームには、上り下りとも2ヶ所ずつガラスの囲いでおおわれた待合室がある。うち1ヶ所ずつは冷暖房の設備がある。今しがた、軽く暖房の効いた部屋に入ったのだが、不快さの余り直ちに出てしまった。なぜか? 酒臭いうえに加齢臭がひどかったからである。

外は冷気にあてられて少し凍える。暖か過ぎたこの晩秋にとうとう冬の足音が近づいてきた。待合室は暖かい。が、不快臭は室内を容赦なく当て散らす。わたしが残業帰りでなく、一杯機嫌であったならば気にはならなかっただろう。しかし、わたしは素面だ。鼻は正常で敏感だった。

もうひとつの待合室に避難して思った。酒を飲んで同僚と大声で話しをしたり、どよんとした目で周りを見回すわたしの近くに来た人は、ひょっとして不快な感じに目を背け、鼻をふさぐのかもしれないなぁと。中年おそるべし、酔っ払い避けるべしである。

(写真はナンジャモンジャの黄葉した、でかい葉っぱ)
無理強いに命の操作不幸呼ぶ [2011年11月09日(Wed)]

20111109211232.jpg認知症、なかでもアルツハイマー病の根絶は今や人類の夢であると言えよう。脳細胞にベータアミロイドというタンパク質が増殖し、神経細胞がもつつながりを断ち切り発症する。病状がなくならないまでも軽くなるだけで、家族や介護現場には大きな朗報だ。ましてや本人の喜びはいかばかりか。

その夢を映画『猿の惑星 創世記〈ジェネシス〉』では実現してしまった。ウイルス性のアルツ112は、主人公の父親が患っていた進行した認知症を治した。キャロラインというキュートなインド系美女を恋人とする幸運に恵まれるばかりか、シーザーというこの上なく賢いペットを手にいれた。

欲深になってはいけない。ウイルス抗体ができてしまったことが原因で、父の病状がぶり返したことをきっかけに、効き目を増そうとさらに強いウイルスを製造した。猿には効いた。さらに知能が高まるという効果を示して。しかし人間には溶血性の死病となる。やがてパンデミックの恐怖。

動物実験もそこそこに、臨床試験さらには人体実験などという無謀は許されない。医学の進歩や医薬品の開発にあたって、儲けという経済原理が強くなりすぎると危ないことを学んだ。

今国論を二分するTPP問題がある。農業や機械、システムの関税撤廃ということにとどまらず、通信や保険、エネルギー、運輸の規制緩和の事柄に広がっていく。むろん医療保険や診療の在り方にまで影響は及ぶ。儲け主義の企業が十分な臨床試験を怠ったり、不正なデータ操作をしたりすることを考えると恐ろしい。「金を儲けるだけが人間にとっての喜びだ」、「ひとはより安いものを買う」という無邪気なイデオロギーに毒された自由貿易論は危険だ。

話題は転じて、表情に目が与える影響は大きいと思った。類人猿たちが知能を得てのちに見せる表情が実に多彩なこと。脅しすかす、怖がらせ騙す。反対に仲間を見るときの目の温かさ。目は口ほどにものを言うとはよくいったものだ。しかし、ひとが類人猿とはいえ、猿の精神の領域に入り込んではならなかったのだ。

帰ってからネットで調べてみると、40年前の『猿の惑星』。ラストシーンで「実は人類がほとんど絶滅した後の地球だった」につながる起源を現していたのだという。知らずに観ていた! 猿の惑星・エピソードだったのだ。
立冬や会議は踊るさまざまに [2011年11月08日(Tue)]

会議場にて、「声なき声」に耳をすましてみた(一部はわたしの声、一部は表情から推し量り、あとは勝手な想像)。


ありがとうございます。会議を始めます・・・・

 「やっと始まったのね。5分前に来て待ってたのに10分以上も待ちぼうけだわ」
 「主催者は全部に声かけ忘れてる。遅くなるのも無理ないな」
 「声が小さくて説明が聞き取れやしないぞ」
 「レジメはあるけど会議で何を打ち合わせようというのか、わからんな」

続いて来県する方のことですが・・・・

 「そのことだったらもう十分知ってるよ。今さら説明しなくても」
 「で、俺は何をしたらいいのかね」
 「あら?少し寒い。窓が開いてるわ」
 「今日は立冬だったかな、柚子湯か?あれは冬至だった」
 「さてさて帰ってどう説明しようか」
 「天気いいなあ」
 「宍道湖静か。三瓶山も見えるぞ」

資料の次のページをご覧ください。

 「なんか、ずらずらとまとまりなく、書いた資料だなあ」
 「あら、もう11時40分。お昼どうしようかしら」

・・・・・・・・

 「うん?この沈黙はなに?」
 「説明しあぐねているのか、参加者の意見が出るのを待つ空気?」
 「もう説明するのは全部終わったようね」
 「もう12時になるなあ。早いとこ終わろ!」
 「レジメにはまだまだ項目が残ってるなあ」

その件は○○○したらどうでしょう?

 「ああ助かった。やっと沈黙が途切れた」
 「なるほどね、それも一理ある」
 「主催者としてその案にはあんまりのれないなあ。どう言い訳しよう」
 「さあさあ、続けて続けて?」

こういった面もありますので・・・・

 「どうでもいいから早く。もうお昼だよ」
 「お弁当食べ始めた。腹へった!」
 「照明も消されちゃったよ。窓際だからいいけど」

では続けてレジメの次のページを・・・・

 「えっ!まだあったの」
 「いいかげん終わるかと思ってたわ!」
 「仕方ないか。午後も続けてやられるとかなわない」
 「要領悪いな!主催者しっかりしろよ」
 「なんか皆の目がきつい。こっちも好きで主催してるんじゃない」
 「協力して早く終わろうぜ」
 「30分ありゃ十分なのになんで1時間以上もかけんのよ」
 「会議の効率的進め方の部内研修しなきゃなあ」

では以上で終わり・・・・

 「やっと終わりそう」
 「おや?最後のノーガキが長いな!」
 「午後はまた会議だよ。仕事が進みゃしない」
 「会議は仕事、しかし会議は踊るのお」
 「おや、いつの間にか曇ってる」
美しくかつ艶やかに前向いて [2011年11月07日(Mon)]

For beautiful eyes, look for the good in others;
for beautiful lips, speak only words of kindness;
and for poise, walk with the knowledge that you are never alone.
  Audrey Hepburn


   他人のよいところを見よう。美しい目を保つために。
   優しい言葉だけを使おう。唇が艶やかであるために。
   前を向いて歩こう、落ち着いて。あなたは一人ぼっちではないのです。
      オードリー・ヘップバーン
順当か下克上かなシリーズで [2011年11月06日(Sun)]

プロ野球のクライマックスシリーズでパ・リーグはソフトバンクが勝ち、日本シリーズに名乗りを上げた。セ・リーグは今夜ヤクルトに勝った中日が日本シリーズに進む。ソフトバンクというと「優勝すれども抜けてシリーズ」というイメージを持っている(前身のダイエーも含めて)。ペナントレースで優勝しても、プレーオフやCSで追撃するチームの勢いに負けて涙をのむという感じだ。

【2004年】パ・リーグのみ
 3位日本ハム 2位西武 優勝ダイエー
 日本シリーズ/西武VS.中日 ⇒ 覇者【西武】

【2005年】パ・リーグのみ
 3位西部 2位ロッテ 優勝ソフトバンク
 日本シリーズ/ロッテVS.阪神 ⇒ 覇者【ロッテ】

【2006年】パ・リーグのみ
 3位ソフトバンク 2位西武 優勝日本ハム
 日本シリーズ/日本ハムVS.中日 ⇒ 覇者【日本ハム】

【2007年】セ・リーグも参加
 3位ソフトバンク 2位ロッテ 優勝日本ハム
 3位阪神 2位中日 優勝巨人
 日本シリーズ/日本ハムVS.中日 ⇒ 覇者【中日】

【2008年】
 3位日本ハム 2位オリックス 優勝西武
 3位中日 2位阪神 優勝巨人
 日本シリーズ/西武VS.巨人 ⇒ 覇者【西武】

【2009年】
 3位ソフトバンク 2位楽天 優勝日本ハム
 3位ヤクルト 2位中日 優勝巨人
 日本シリーズ/日本ハムVS.巨人 ⇒ 覇者【巨人】

【2010年】
 3位ロッテ 2位西武 優勝ソフトバンク
 3位巨人 2位阪神 優勝中日
 日本シリーズ/ロッテVS.中日 ⇒ 覇者【ロッテ】

【2011年】
 3位西武 2位日本ハム 優勝ソフトバンク
 3位巨人 2位ヤクルト 優勝中日
 日本シリーズ/ソフトバンクVS.中日 ⇒ 覇者【 ? 】

短期決戦に涙をのんできたソフトバンク(元ダイエー)。2003年にダイエーが阪神と日本シリーズを戦って覇者になって以来、ずっと涙ののみ続けだ。今回の日本シリーズはさぞ期するところが多いであろう。クライマックスシリーズができてから、プロ野球は確実に面白くなった。去年のロッテのように3位に甘んじても、日本シリーズの覇者となれるわけであるから。長丁場のペナントレースを制した強者が、下位チームに足をすくわれるのは、観る者にとって面白い下克上だ。

【2011年11月21日追記】
昨日の日本シリーズ最終戦でソフトバンクが中日を3対0で下し、日本一になった。孫オーナーが無邪気に喜んでいた様子が印象的だった。これでやっとソフトバンクは、クライマックスシリーズ勝てない症候群を脱した。短期決戦に弱いという評判は、これでひとまず終息だ。
考えて組織のあり方ドラッカー [2011年11月05日(Sat)]

ピーター・ドラッカーの経営論でわたしが「へぇ〜」と思ったのは顧客という概念である。

There is only one valid definition of business purpose:to create a customer.
(ビジネスの目的として妥当な定義はただ一つである。顧客を創造することだ)

人々が欲しいと思うモノやサービス、それは顕在化する場合もあるが、むしろ潜在的需要を引き出して提供することが顧客を創造するということなのだそうだ。故スティーブ・ジョブズの業績はまさにそれだ。ピクサーフィルムでアニメの質感を飛躍的に高めたこと。ウォークマン全盛の時代にあってiPodのニーズを想像したこと。iPhoneだって発売以前からこんな感じのものを欲しいと思っていた消費者は誰もいないだろう。

ふるさと島根定住財団主催の『ドラッカーに学ぶ!〜非営利組織のマネジメント講座〜』に参加してきた。講師は田中弥生氏(独立行政法人大学評価・学位授与機構准教授/NPO法人言論NPO理事/エクセレントNPOをめざそう市民会議理事)と片山信彦氏(NPO法人ワールド・ビジョン・ジャパン常務理事)。

ドラッカーには『非営利組織の経営』や『新しい現実』という名著がある(まだ読んでいない)。ドラッカーに直接学んだという田中講師から、非営利組織論の概略を学ぶ。ドラッカーの非営利組織の自己評価のキイワードは次の4つであり、これらを常に問いかけながら組織経営をしていく必要がある。

「使命」 組織の存在理由。組織の到達すべき最終成果
「顧客」 第一の顧客が何を望むか。第二の顧客は隠れた参画の希望を持っている
「価値」 顧客はなぜ欲するのか、なぜ拒否するのか。その背景や根拠は?
「成果」 結果(output)と成果(outcome)は違う。世の中に影響を与えること

NPOへの期待が高まる昨今、寄附税制の仕組みも大きく改正され、さらに進化したNPO活動が求められる環境にある。NPOであることが価値の時代ではなく高い質が問われる。そのためにはマネジメントがさらに必要だ。エクセレントなNPOであるための秘訣があるわけではない。課題を丹念に大胆に乗り越えていくしかないのだ。

ミッションを自覚した同志が集まり会費が集まれば活動が始まる。事業を拡大し、収益が生じれば社会に開かれた存在となる。さらにミッションに賛同する人から寄附が集まれば、関わる当事者を増やし社会的な影響力をもつ。そのためにもエクセレントなNPOになることが不可欠だ。その自己診断の手法として、「市民性」「社会変革性」「組織の安定性」の指標を今回は教わることができた。およそ組織とはNPOに限らずどれでも、構成員がおりその幸せを目指して社会的活動をいったん始めたならば、安定的に課題の解決に邁進すべき存在である。それならばエクセレントな組織を目指すべきだ。

小ワークショップを行った。そのあとにグループごとに発表する機会があり、わがチームは就職したばかりの若者を指名した。明るくハキハキと悪びれずに発表すれば付け焼き刃でも9割は成功することを彼も実地で学んでくれたようだ。筋書きや統一感が発表に感じられ、納得の中身を示すことができれば120点である。
突かれてもお天道さまはここにあり [2011年11月04日(Fri)]

なんの因果でこの霜月
ネクタイしめて首まるめ
晩夏の空気汗こだれ
汗をかきつつ事務すれば
あらぬメールに気もたとう
あれやれこれ出せ さあまだか
昨日の合意はご破算に
新たに要求 筋をこえ
頭かきつつ悩みだす
電話は音でせき立てて
少しはゆとりをほしいぞな
外に出てはとお天道さまに
誘われ陽射しを浴びてみる
意外に気持ちいいよなと
油断をすれば自転車に
ケツを突かれてころびそう
風邪をひいたは鼻水で
咳でだるさで気が滅入り
若いかつては一晩で
ぐつすり寝れば治つたと
邂逅しても過去のこと
ときには家族の入院に
慌てて車で駆け出して
退院したはその次は
またのお医者に恐れする
地震だ火事だ大事故で
ニュースの元はあまたあり
日々の不安は増進す
お天道さまよ お天道さまよ
いつたいどうしてくれようか
それでも幸い我が身には
家で待つてる家族あり
お天道さまもまだ健在
負けじと再び立ち上がり
あしたのオレをじつと見よ
捨てずに明日を生きるのみ
カナシバリ経験したことないけれど [2011年11月03日(Thu)]

20111103194827.jpg映画『ステキな金縛り』― ケラケラ天真爛漫に、笑いながら観た。奇想天外なすれ違いに、苦笑しながら観た。三谷幸喜脚本兼監督が、チョイ役にも大物を配しぜいたくな作りの映画だ。

主役は誰だろう。もちろんエミ弁護士(深津絵里)だが、更科六兵衛(西田敏行)とも、小佐野検事(中井貴一)とも言える。特に小佐野は、生真面目で真実を一途に追究する法曹である一方、皆には見えない幽霊が見えてしまったときのコミカルな戸惑い、死んだ愛犬との再会に狂喜する様子など抜群の存在感を発揮している。西田は心の底から演技を楽しんでいるのがスクリーンからも感じられた。深津絵里もいいコメディエンヌぶりだった。

明らかに「ザ・マジックアワー」よりも、「有頂天ホテル」よりも楽しめるエンターテイメントであった。「人は死んだとしても生きた人をずっと見守っている。今もこれからも」というメッセージを最後に発しつつ、エンディングが冗長となったが、震災被災者への配慮とあっては(おそらく)やむを得ない編集だろうと思う。

何ヶ月も前から映画の予告編が映画館で流され、映画館では撮影禁止、ケータイ音禁止、前のイスを蹴らないなどのお楽しみ映像も毎度観させられ期待していただけに、期待を裏切らない楽しさだった。あまり内容にふれるとネタバレになるので、今夜はここまで!

ところで「金縛り」。私は経験したことがないけれど、夜中に不穏な雰囲気で目が覚めて、天井に目が固定したまま体も手足も動かなくなるという体験を聞いたことがある。かなり怖いことらしい。

(写真は、桜古木と石蕗のライトアップ。幽霊のようにも見える)

(コメント)
豪華なキャストでしたね〜!
この俳優はこんなチョイ役に!?
という方もおられたりして・・・。
主人公の深津絵里が特に光っていましたね。
投稿者 きゃど : 2011/11/4 (金) 08:44

ホント、光ってました。目を引く美人ではないですが、キラキラしてますね。
また観たいなと、またげらげら笑いないなと、思いませんか。
投稿者 ふみはうす : 2011/11/4 (金) 21:03
風邪ひくは時間のムダか金をもか [2011年11月02日(Wed)]

10月7日にライオン(バファリンかぜEXの発売元)が発表した『現代人のかぜとの付き合い方に関する実態調査』がおもしろい。全国の20代〜50代の有職男女千人に対するインターネット調査である。

「1回カゼをひいて、損したと思う金額はいくらか」という質問に対して、平均金額は21,720円。金額換算の根拠は、自分の日給(有給休暇をとったとしても日給に換算して)、仕事や家事の効率低下分、薬の購入代などがあげられている。意外なこの高さ! カゼは疲れがもとと考えると、いい休暇になったと考えることができるのは、余裕があるときだけかもしれない。

働く男女の64%が「かぜをひいても翌日会社を休めない」と回答しており、3人に2人はカゼをひいたくらいで仕事を休めないと考える戦士である。多くの人がギリギリの状態でアップアップしながら毎日奮闘していることだろう。

休んでも心理的に許される発熱の程度は意外と高いようだ。「会社の同僚や上司、部下が何℃以上の熱があったら会社を休んでも仕方がないと思うか」の答えを平均すると37.9℃で、無理して出勤することが当たり前のおうである。だが、熱で顔が赤く咳こんでいる人が職場にいたとしたら、飛沫感染することを考えると迷惑だ。

カゼの症状についても調べている。

【ひき始め】悪寒、のど痛み、鼻水、だるさ、頭痛、咳や痰の順
【ひいたと思うとき】発熱、のど痛み、咳や痰、鼻水、悪寒の順
【ひどくなったとき】発熱、関節痛・筋肉痛、だるさ、頭痛、咳や痰の順

私の場合は、最初に股関節のだるさから始まる。だるさはやがて体中に広がり、悪寒がくる。そして鼻水と熱である。平均してひとは年4回くらい風邪をひくという。風邪はひきたくないなあ。ふだんから体調管理をしっかりしなければ!
地球丸70億の人命や [2011年11月01日(Tue)]

昨日世界人口が70億人の大台にのったとニュースが伝えた。推計人口のカウンターが1秒につき2、3人のテンポで増加を刻む。地球という巨大な惑星がもつダイナミックな躍動を感じる。

70億という数字にはいまさら驚きはないが、一人ひとり数えていくには無限に近い数字だ。無限大の人たちが地球上に存在し(この世と言ってもよい)、泣き笑い、悲しみにくれ喜びに心をふるわす。わたしもそのうちの一人かと思えば、なぜか不思議な気分だ。

ぐんぐんと重量を増し(人の体重も二酸化炭素も)、宇宙船地球号は太陽とともに銀河系の中心から6万光年の辺りを超高速で回り、銀河系も星屑のひとつとして膨張宇宙の中で翻弄される。

そんなことは感じることもなく、私たちの日常は過ぎ、70億のほとんどの人とも没交渉のまま人生は終わる。出会ったわずかの人との交流を大切にしていきたいものだ。まさに稀有なる「縁」と言えるからだ。