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ヘプバーン魅惑されいず昼下がり [2011年09月30日(Fri)]

20110930061122.jpg連休中に『昼下りの情事』を観た。1957年の映画である。一部冗長な感じを受けるところもあるが古さを感じさせず、オードリー・ヘプバーンの可憐さ、華奢だがコケティッシュな魅力満載の映画であった。相手役フラナガンは私生活でも浮き名を流したゲイリー・クーパー。

「情事」という日本語には、いかがわしさがある。男女の秘めた色ごとであり、情事を重ねるといえば愛人同士が隠れて情交にふける意味だ。英語に直せばlove affairとなり、ずばり浮気。ところが原題は『Love in the Afternoon』。Loveには情事という意味があるにはあるが、純愛があり、打算の恋があり、初恋も、悲恋も、恋の終わりも、楽しい愛も、長く続く愛、短い愛、幼い愛、長じての愛、神の慈愛・・・・さまざまな愛がある。

映画の冒頭では、パリの街角で様々に愛を交わすカップルでもって紹介していたことから考えると、「情事」と日本語訳をつけたのは合点がいかない。それとも50年前、情事という言葉には、いかがわしいイメージはなかったのだろうか。たぶん、可憐さいっぱいのヘプバーンと「情事」のミスマッチで、多くの客を呼び込もうとした興業主の思惑が見えてくる。

父クロードは実績あるパリの探偵。娘アリアーネは音楽院でチェロを学ぶ学生。お茶目で機転に富むが、まだ恋の味を知らない(アリアーネの響きから「ねんね」を連想した)。世界に名だたる実業家であり、名うての女たらしフラナガン。女とは恋のゲームに遊ぶものという考えの持ち主。引き入れられたアリアーネ。本気になっては危ないと思いつつ、フラナガンの強烈な大人の魅力にぐんぐんと魅かれていく。

アリアーネは、自分の名のイニシャルが「A」であるとしかフラナガンは知らないことをいいことに、「謎の女A」を演じた。何十人もの男たちとの華やかな交際を楽しんできて今も進行中だと、まことしやかな嘘をつく。その演技でもってアリアーネはフラナガンを虜にした。気になって気になってたまらない。謎が愛を醸し、フラナガンはいてもたってもいられない。

その男たちのモデルはすべてが、探偵クロードの調査記録をこっそり盗み見た知識からとられているというのも、幼くて可愛らしい。ヘプバーンはくりくりした大きな目、意志の強そうな太い眉、つんと上を向いた形のいい鼻、張りのある半月のような唇で「謎の女A」を演じた。

午後にだけ逢い引きし、夜は決してともに過ごさない「やせっぽちの謎の女A」。フラナガンは謎の女Aを調べさせようと、探偵事務所に駆け込んだ。よりによって父クロードの元へ。

謎の女Aは、アリアーネのAであるというだけでなく、オードリー(Audrey)のAでもあろう。オードリー・ヘプバーンは銀幕を通して世の男を魅了する「謎の女A」である。いくら汲めども尽きぬ魅力は、謎の女にふさわしい。なんと体の線が細い人か。「ローマの休日」のアン王女は、細いけれどウエストのくびれと胸、ヒップを強調することでグラマラスな感じを出していたが、「昼下がり」では「やせっぽちのA」を徹したファッションや姿勢、歩き方を通した。

事実を知った父クロードからフラナガンは説得されて、アリアーネと分かれることを決意した。ビジネスではなく、他の女との情事を楽しむことになったとフラナガンは嘘をつく。ヘプバーンが悲しさを抑える表情がたまらない。最終場面でニース行き蒸気機関車がパリ駅から出て行く。こらえかねた涙がアリアーネの頬を伝うとき、胸が張り裂けんばかりの傷心をけなげに押し込むヘプバーン。フラナガンならずとも全てのヘプバーンファンが男女を問わず、デッキに抱え上げて連れ去りたいと考えたに違いない。

P.S. 日本語のローマ字表記の標準をつくったジェームス・ヘボン(アメリカ人)の綴りもHepburn。これに習ってオードリー・ヘボン??? こう言ったら凡庸なヘプバーンになってしまうなあ。
世につれて言葉は動き人口に [2011年09月29日(Thu)]

9月15日に文化庁から発表された「平成22年度国語に関する世論調査」。毎回注目を集める。客体は全国16歳以上の男女で、回収2千人あまりの面接調査である。

「言葉や言葉の使い方について,どの程度関心があるか」という問いでは、「非常に関心がある」20%と「ある程度関心がある」61%を合わせて81%となっており、関心がないを圧倒している。どの世代でもまんべんなく言葉に関心がもたれ、回を重ねるごとに「関心がある」層が増えているのは、メールやソーシャルネットワーク、ブログなど電子媒体を使った情報発信が盛んなことの証しと推測する。

「ら」を抜く「れる」を使うか、「られる」を使うか、という面では「ら抜き」が「ら入れ」に拮抗するようになった。尊敬の「られる」との混同を避ける意味もあるし、より短く簡潔にという流れもある。「ら抜き」はいずれ標準となるのだろう。

今回は新たに、形容詞の語幹が促音便で縮まる言い方に違和感があるかどうかという項目が加わった。もはや、「寒っ。」というのは(私にとっても)、「自分も使い,他人が言うのも気にならない」63%と、ごく普通の言い回しとなった。

言葉の使い方の間違いについては、不正解が私にも多かった。備忘録としてあげておく。正解はすべて(a)。

【外は雨模様だ】
a 雨が降りそうな様子
b 小雨が降ったりやんだりしている様子 *ずっと間違って憶えていた(トホホ・・・)

【姑息な手段】
a 一時しのぎの手段
b 卑怯な手段 *「小癪(こしゃく)な奴」からきた勘違いだろうか。

【学生はすべからく勉学に励むべき】
a 学生は「当然,是非とも」勉学に励むべき
b 学生は「すべて」勉学に励むべき *「すべからく」と「すべて」は音が似ている。

【悲しみの余り,号泣した】
a 大声を上げて泣く
b 激しく泣く *大声を上げて泣くことは、激しく泣くことだと思うのだが…。

《することや話題がなくなって,時間をもて余すこと》を何という?
a 間が持てない
b 間が持たない

《古くからのやり方にのっとった様子》のことを?
a 古式ゆかしく
b 古式豊かに

《僅かの時間も無駄にしない様子》のことを?
a 寸暇を惜しんで
b 寸暇を惜しまず *「骨身を惜しまず」からきた間違いだろう。

《大きな声を出す》ことを?
a 声を荒(あら)らげる
b 声を荒(あ)らげる *正答率11%。全く知らなかった。

《前に負けた相手に勝つ》ことを?
a 雪辱を果たす
b 雪辱を晴らす *「屈辱」は晴らすものだが、「辱め(はずかしめ)は雪(すす)いで」、名誉挽回を果たすもの。
前にいる列車を踏んで行く列車 [2011年09月28日(Wed)]

27日の午後、上海の地下鉄で列車衝突事故が起き、約260人がけがをしたという。7月の高速鉄道脱線事故と同様、信号システムの故障が発端とのこと。信号が故障して、手動信号で運行を続けていたが、前方にいる別の車両に追突してしまったもようだ。

中国国務院鉄道部の人たちは「ハインリッヒの法則」をご存じないようである。別名「1:29:300の法則」。労働災害や医療など予期せぬ事故や人為災害を防ぐ観点からは、常識ともいえる考え方である。

300個の小さなミス(インシデント)の影には、29個の中位のミス(アクシデント)がある。やがて1つの重大な事故につながる。つまり鉄道部は、立て続けに起こした2つの重大な事故に隠れた58のミスを見逃し、600個の小さなミスをなんでもないことだとやり過ごしてしまったわけだ。中国の労働者や管理者は、ボヤッとして不手際に気がつかずにそのままにしたり、報告を怠ったりすることが多いのかもしれない。それがいずれ重大な災害や事故を引き起こすことを知ってか、知らずか。「ハッとヒヤリと」する経験を生かすために、中国には「ヒヤリハット運動」が必要だ。

人間というものは、どんなに気をつけても間違いを犯す。人的原因ではなく不可抗力でも事故は起こる。つまり完全コントロールは不可能なのである。不完全を前提にシステムを組み立てるか、それとも想定外も含めた備えを怠らないか。中国には十数億の人がいる。人が湧くほどにいるということに甘え、一人一人に光を当てることなく塵芥のように扱う思考があるから、こうした事故が起こるのであろう。今回も原因究明をしないうちに、数時間後には運行を復旧させている。人間は不完全であり間違いをするものだが、人を人として尊重できない社会に輝く未来はない。
匂いかぎ天下の秋はわからぬか [2011年09月27日(Tue)]

  一葉落ちて天下の秋を知る

この一葉は桐の葉だということだ。落葉が早い桐の一葉を見て、天下の秋(とき)を知る。天下が動き、天命を受けた者が支配者となる。中国の歴史には万世一系はない。強い者に治世の順が廻ってくるという世界観である。

残業を終えて暗い外に出ると、香しい匂いが。キンモクセイか、ギンモクセイか。匂いはすれども姿は見えぬ。星も輝いている。ペガスス、アンドロメダ、カシオペア座。水瓶座やいるか座も見える。派手さはないけれど、清らかな秋の夜空。天下の変動する秋であるかどうかはわからぬ。けれども、季節は秋本番だ。
宍道湖のほとりを遊ぶ第三に [2011年09月26日(Mon)]

毎日新聞島根版の9月6日付け『ゆるゆると。〜サ研のゆ快な仲間たち〜』で元島根県立美術館支配人の蓬澤氏がこのように書いておられる。サ研とは、松江サードプレイス研究会の略で、家と職場とは別の第3の心地よい場所づくりを進めるグループである。

≪身動きもできないほどの満員電車に揺られている時、私の心には松江の景色が鮮やかによみがえってきます。乳白色の朝の空気を優しく濡らす雨。日差しを浴びてレモン色に輝く風。茜色の夕日を溶かして寂しげに揺れる湖面。思い出すたびに、懐かしく、愛おしく、切ない気持ちがあふれ、気づくと車窓から見える景色が潤んでいるのです。私は、転勤する時、心を宍道湖畔に置き忘れてきたのかもしれません。それほど、私は松江を愛しています。そして、この美術館に勤務できたことを誇りに思っています≫

名文である。書き手の優しさやロマンチシズム、深い教養をも現す文だ。そして何よりも、松江や人々への愛着と深い愛情が感じられる誇り高き文章であると思う。

美術館から見る宍道湖一帯の空間には伸びやかさがある。伸びやかさはその周囲だけではなく松江全体にもいえる。サードプレイスとしての島根県立美術館。空は高く秋の深さを感じられるようになった夕刻に出かけてみたいものである。ちょうど企画展『ふらんす物語』も始まったばかりだ。第三の心地よい場所へ、出かけてみよう。
マスコミに取材を受けるは何のため [2011年09月25日(Sun)]

マスコミから取材を受けることを目的にして報道機関用資料をファクスする(または記者クラブに資料を持ち込む)ことを、プレスリリースという(島根県ではなぜか、投げ込みという)。『凡人の逆襲』(平秀信&神田昌典,オーエス出版,2003年)では、その際のポイントとして3点をあげている。

○プレスリリースの形式を守ること。
 *内容を的確に表示/連絡先を明示、電話は直通の電話番号にする。
○全部を見せない。言わない。
 *雑誌の見出しのように出し惜しみ、見えない部分に記者が興味を持つように。
○オファーを用意する。
 *読者・視聴者や消費者にとってのメリットを明確に。

記者に注目され、取材を受ける確率の高まる切り口として4点がある。

1 新しいトレンド
 *注目されるトレンド(言葉)と自分の題材を掛け合わせて最先端の話題をつくる。
2 社会に貢献できる活動
 *ボランティア的に問題を提起し、立場の弱い人の味方であること。
3 無料小冊子差し上げます。
 *例えば「世界一簡単な住宅ローンの話」のレポートなど。ツーステップの販売法につながる。
4 バカげた内容
 *自らバカを演じてマスコミに注目される。

順調に取材を受ける段になったら、「自分のプロフィール」と「質問案」を用意しておく。質問してもらいたいことを用紙に書き出して記者へ渡すと、あらかじめ想定した質問をしてもらえる。記者も質問を考える手間が省ける。電話番号、メールアドレスを掲載してもらえると、読者・視聴者から直接オファーが来るのでさらによいと。たとえ取材がなくとも、ニュースバリューがある記事(競争相手)が少ないときには取材してもらえるから、あきらめずに再挑戦することが肝心らしい。

宣伝媒体を信頼性の高い順に並べると、
1 テレビ・ラジオ 2 新聞広告 3 雑誌広告 4 チラシ 5 インターネット となるが、読者・視聴者がさらに信頼するのは、マスコミが紹介した記事。記事が掲載され、テレビで放映されれば横綱級の広報。上記は幕下以下の存在。したがって、マスコミに登場すると、お金をかけなくてもお客さんが集まることになり、マスコミ記事を二次利用することで成約率が高くなることにつながる。

根本的な話だが、取材を受け広く知らしめたいと思う「事業」や「行事」そのものが、十分に練られたものであり、多くの人に役立つことが不可欠だ。

よいアイディアと実行案は、常に探し吟味していかなければならない。そのために「マインドマップ」が有効である。マインドマップとは、紙の真ん中に思考テーマとなる事柄を書いて、その周囲に頭に浮かぶ思いつきを、枝や葉を伸ばしていくように広げていく発想法。いわば一人ブレーンストーミング。『凡人の逆襲』によると、連想力・発想力が飛躍的に高まり、本を読むときにも読む目的を決めて、キーワードをマインドマップにまとめると効果的な読書となるということだ。
香しく軽やかなりて秋すすむ [2011年09月24日(Sat)]

与謝野晶子はうたった。

  清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき(『みだれ髪』)

わたしもうたう。

  清き星 淡き雲 未明の細月 こよひ見しものみな美しき

  セーターやブーツ姿に花そえて 昼間逢ふ人みなロマンティック

  新白米 ふかし芋 キノコに梨 こよひ召すものみないと美味し

  キンモクセイ 刈り取り田んぼ 焼き秋刀魚 こよひ嗅ぐものみな香しき 

  松むし 鈴むし コオロギや こよひ鳴く虫みな軽やか

美しいものが美しく、美味しいものは美味しく、香しいものが芳しい秋がきた。
ゆるキャラがおらの県をば高き名に [2011年09月23日(Fri)]

全国にはたくさんのゆるキャラがある。yahooの新語探検で亀井肇氏は、「ゆるキャラ」をこのように定義している。

≪イラストレーターのみうらじゅんの命名。それぞれの地方自治体がその地方の文化祭や名産祭などの催し物に登場させるキャラクター。ドラえもんやキティちゃんのように全国的に確固たる名前が流布しているキャラクターではなく、その地方でしか名前が知られていない「ゆるーいキャラクター」というのが命名の理由という。地方のお祭りなどのパレードには必ずそのキャラクターの着ぐるみが登場して愛嬌を振りまく≫ (2003年5月23日付け)

タウンページが協賛しているゆるキャラグランプリ2011http://www.yurugp.jp/が始まった。担当部署では息巻いて、しまねっこのアピールに腐心している模様。

>こんにちは、島根県観光キャラクターのしまねっこにゃ!
>このグランプリで上位になって、日本一有名じゃないと言われている島根県を有名にするにゃっ!!
>みんな、よろしくにゃ★

今日現在のベストテンは次のとおり。

くまモン(熊本) バリィさん(愛媛) ふっかちゃん(埼玉) レルヒさん(新潟) しまねっこ(島根) やなな(岐阜) 滝ノ道ゆずる(大阪) 唐ワンくん(佐賀) アックマ(北海道) 和倉温泉わくたまくん(石川)

わが島根のしまねっこはただいま5位。別に読者のみなさんに無理してしまねっこ投票してくれとはいいませんが・・・。締め切りは11月26日、ご注目ください!

(コメント)
「しまねっこに一票!」
帽子が千木なんだにゃ
作成者 好司

千木(ちぎ)というのですね。あのクロスした材は。さらに屋根から水平に並ぶ材が鰹木(かつおぎ)。今回初めて知りました。なるほど・・・
作成者 ふみはうす

出雲大社もご存じのとおり、神仏習合の施設でした。
よって、仏教施設があるところにも「鳥居」があることになります。「鳥居=神社」と思われがちですが、神社の象徴はこの「千木」ということになります。
作成者 好司
星と雲むしも季節は秋が来て [2011年09月22日(Thu)]

ほしほしほしほし 秋のほし。
ほしほしほしほし 台風一過。
ほしほしほしほし 夜半がすぎて。
ほしほしほしほし 明るい木星。

くもくもくもくも 綿雲が。
くもくもくもくも 湧いてくる。
くもくもくもくも 底平に。
くもくもくもくも 秋の日だ。

むしむしむしむし 秋の虫。
むしむしむしむし 夏過ぎて。
むしむしむしむし 涼しげで。
むしむしむしむし 寂しげだ。


 *秋が来た。うれしいな。今夜はどこか草野心平ふう。
食い意地に腹が張ったぞバイキング [2011年09月21日(Wed)]

ホテルの朝食でおなじみのバイキング料理。その語源は、その昔帝国ホテルのホテルマンが思いついたものであるという。広い海に飛び出し、冒険の限りをつくし、あげくは争いに巻き込まれる。高い山にも登り、命の危険ものともせず、あげくは戦利品の山々。財貨とともに津々浦々の海の幸、山の幸に喉をごくんと鳴らす。

バイキングにはそんなイメージがある。だからというのは言い訳がましいが、食べ過ぎてしまうのである。

≪バイキング料理の軽いストレスは、自分の浅ましさを思い知る点にある。元を取るぞという貧乏性が食欲にかぶさり、せっかくの美味は混然たる「ごちそうの山」と化す。この手で好きなだけ盛れる怖さ、お手盛りの語源である≫  (朝日新聞天声人語11.9.15付)

そう、浅ましいのだ。貧乏性なのだ。お手盛りの山のご馳走は、胃の腑に収まる前から料理の美を留めていない。それでも、会心のメニューに出会えたときには笑みがこぼれる。
もみの木は夢も苦みも外にある [2011年09月20日(Tue)]

20110920190739.jpgモミの木は好奇心にあふれ、功成り名を遂げたいという出世意欲もあったが、とても悲観主義。いつかどこからか、自分は世に認められると信じていたが、いつも受け身の姿勢。青い鳥を外に求めるタイプなのだろう。

≪「もうぼくだって、こんなに背も高く、枝もひろがって、去年つれていかれたほかの木ぐらいになっているんだもの。――ああ、車の上に乗りさえしたらなあ。あたたかいへやの中で、きれいなものや、りっぱなもので飾られたらなあ! そして、それから――? そうだ、それから、もっといいことが、もっときれいなものがくるんだ!(中略)もっとすばらしいことがやってくるにちがいないんだ。――だけど、なんだろう? ああ、苦しい! たまらない! じぶんで、じぶんの気もちがわからない。」
 「わたしというものを、たのしむがいいじゃないか。」と、空気と日の光がいいました。「このひろびろとした外で、おまえのいきいきしたわかさをたのしむがいいよ!」
 しかし、モミの木はすこしもたのしもうとはしませんでした。でも、ぐんぐん大きくなって、冬も夏もあおあおとしていました。こいみどり色をして立っていました。≫

 (アンデルセン童話「モミの木」,アンデルセン童話選,大畑末吉訳,1993年,岩波書店)

刻苦勉励、寝食を忘れて血のにじむ努力を惜しまない人は、いずれ苦心惨憺の末に求めるものを得るかもしれない、得られないかもしれない。人と切磋琢磨し、自己の鍛錬を怠らず、あくなき自分探しの旅を続ける人は、悪戦苦闘の最中であっても向上心を忘れず、血と汗の結晶の結果として大きな成果をつかむかもしれない、つかめないかもしれない。

努力は必要だ。だが、途中経過を楽しまねば人生は苦役となる。
快楽も必要だ。だが、刻苦と煩悶なくして乗り越える喜びもない。
アンデルセン童話に託すグリムまた [2011年09月19日(Mon)]

グリム童話とアンデルセン童話をまとまって読んだ。有名な童話集だが、断片的でどれがどれだかよくわからないので、備忘録的にとどめておく。両者とも人間が道徳的に生きることを勧め、人間が愚かであることへの警句と警世がたくさんある。多くは勧善懲悪ではあるが、定まったパターンにはおさまらない面白さがある。実写映画にしたら、PG12(小学生には助言・指導が必要/Parental Guidance)がかなりありそうだ。

【グリム童話】
悪い継母が家庭を引き裂き、兄や姉が悪だくみで弟や妹をひどいめにあわす。魔法使いや狼の悪いイメージがたくさん出る。高貴で美しい姫が逆境におかれているが、最終で逆転するのが多いようだ。ディズニー映画で先頃あった「塔の上のラプンツェル」はグリム童話が下敷きになっているのを知った。

○オオカミと七ひきの子ヤギ *PG12/狼の腹を開けて子ヤギを救う場面、狼がおぼれ死ぬ場面
○ヘンゼルとグレーテル *PG12/二人を捨てる親、魔法使いを火釜に押し込めて殺す
○赤ずきん *PG12狼が死に皮をはがれる
○白雪姫 *PG12/魔法使いの継母が焼き殺される
○カエルの王さま
○漁師とその妻の話

【アンデルセン童話】
人間の運命が刻々と転じていく様子を淡々と描く。勧善懲悪が基本であるが、あこがれの王様や皇帝の姿を描くのもあるが、愚かさを風刺するものもある。

○小クラウスと大クラウス *PG12/悪者大クラウスが悲惨な末路をたどる
○赤いくつ *PG12/切り落とされた少女の足とともに赤い靴は踊り続ける
○皇帝の新しい着物(はだかの王様)
○みにくいアヒルの子
○人魚姫
○マッチ売りの少女
○おやゆび姫
いにしえは帳面いまは電子かな [2011年09月18日(Sun)]

20110918223731.jpg『日本兵捕虜は何をしゃべったか』(山本武俊著,文春新書,2001年)で著者は、太平洋戦争においてアメリカ軍が日本を圧倒したのは物量の差はもちろんだが、情報収集能力と意識に大きな違いがあったと述べる。日本語のできる日系人を情報兵として活躍させ、前線での捕虜の尋問に力を傾注したこと、死亡・重体の日本兵の荷物から、命令書や軍事情報、日記のたぐいを徹底して集め、迅速な翻訳に努めた。一方で、敵性言語を排除して英語をタブー視した日本とは違う。

日本兵捕虜の多くは、米軍の待遇の良さ(正当な捕虜として扱われたこと、特に食事)に感動し、日本軍隊内での虐待的な扱いに嫌気がさしていたことから、軍の機密にあたることをいとも簡単に漏らしたという。その結果、日本軍の情報がアメリカ軍によっていとも簡単に奪われた。日本の中枢部は、日本語そのものが暗号的な言語であり劣等な米軍には解読できないと高をくくっていたばかりか、「虜囚の辱めを受けず」と教育してきたことを根拠に自殺するか、口を割らず黙秘するはずだと思っていたという。

日本兵はなぜ軍事機密ともなる日記を前線で書き留めて、軍の行動予定や心情をつづったのか。
≪日記は思想統制の手段として効果的に使われていたのかもしれない。また、日本人には自分の考えを他人に自由に伝える習慣や文化がないため、兵士になっても上官や兵站への不満を日記にぶつけている。それが押さえつけられた不満のはけ口となっていた。したがって戦場に捨てられた多数の日記は、日本兵の心情を知る絶好の手がかりになり得たことだろう。≫

日本はブログ大国であるという。多くの人が日記的にブログを書く。ツイッターやSNS、フェースブックも、ジャーナリズム的な書き方というよりは、備忘録、心情吐露、短文のつぶやき的なものが多い。日記帳というツールがブログやツイッターなどにそのまま置き換わっただけなのだ。日本人は平安時代の昔から日記をつづって、「わたし」というものを確認する手段としてきたのだろうと思う。
蒸し暑き季節もやがて変わりゆく [2011年09月17日(Sat)]

秋の田に 彼岸の花の 忽然と
 *残暑厳しき折、やはり曼珠沙華は咲きました。

秋の日は つるべ落としと 燈を灯す
 *日に日に日暮れが早くなります。

秋場所に 隠岐のついた字 目をこらす
 *隠岐の海、がんばれ!

老人と 言われ渋いが 開放日
 *老人週間の無料入館で県立施設はにぎわっています。

秋刀魚食い 苦き臓腑に 東北(きた)思う
 *太平洋側の東北方面で多くとれる秋刀魚を味わって震災を思う

コオロギか はたまた虫の 声合わせ
 *残暑は厳しくとも、時雨のように虫の声が聞こえてきます。

無花果も 梨もほおばり 飽きもせず
 *実りの秋、食欲の秋がやってきました。でもまだ暑い。

細やかに 黄々に花染め 女郎花
 *繊細な花、レモン色のオミナエシがあちこちに咲いています。
救急に行きたし前は法知らず [2011年09月16日(Fri)]

国道431号線を走っていた。出雲から平田、松江を経て米子まで行く道路だが、路側帯はあっても狭い道だ。脇道から救急車が入ってきた。車を左はじに寄せて止まった。救急車は先に行ったのはいいけれど、100m先から我が車との距離が離れていかないのである。その前の普通乗用車が行く手を阻んでいた。もちろん法定速度程度では進むが、急ぐだろうに遅々として進まない。

やがてその乗用車の前を走っていたトラックが止まった。乗用車も後ろにつけて、救急車は追い越していった。道路が狭いから対向車にも止まってもらわなければとても追い越せないほどの道路幅だった。

さて、緊急自動車とは、人命救助や火災対応など急を要する業務に利用される自動車、赤色灯が回るサイレンカーである。むろん道路交通法で特別待遇を認められており、一般車は最優先で緊急自動車を先行させる義務がある。ところが、あの運転手はそれを知ってか知らずか、優先させなかった。

モラルの問題だけではない。道路交通法というルールを知らないのだろう。調べてみると、法第40条は、緊急自動車が接近してきたときは、車両は交差点を避けかつ道路の左側に寄つて一時停止し進路を譲らなければならないと定める。これに違反すると5万円以下の罰金というしろものだ。心していきたい。

さて、道路交通法施行令に緊急自動車の定義があるのを見つけた。

消防用自動車/救急用自動車/警察用自動車/自衛隊用自動車/検察庁の捜査用自動車/刑務所用自動車/入国管理局用自動車/電気、ガス事業など公益事業の危険防止用自動車/水防機関用自動車/血液製剤運搬用自動車/臓器の移植用自動車/道路管理者用自動車/総合通信局用自動車/交通事故調査分析センター用自動車

それらがすべて適用されるわけではなく、必要な場合のみではあるが、意外と多いのに驚く。緊急自動車には世話になりたくないものだが、そのときは来るものだし、あのときはお世話になったのだ。
失言かはたまた求め厳しすぎ [2011年09月15日(Thu)]

鉢呂経産大臣(当時)が、記者会見で述べた「福島第一原発周辺の町村の市街地は、人っこ一人いない、まさに『死のまち』という形だった」という発言。そして、記者の体に触れるようなしぐさをしながら「放射能がうつった」とのオフレコ発言。このふたつが問題となって、彼は発言を撤回・陳謝をした上で大臣を辞した。

「放射能」については、本人は「記憶が定かでない」と言っているが、争う姿勢はまったく見せず、終始そのように報道されること自体が不徳の致すところだというスタンスで(これ以上マスコミからの集中砲火を浴びたくないのだろう)、黙って表舞台から消えたような印象を受ける。

『死のまち』ではなく、「ゴーストタウン」や「沈黙の町」と表現していたら、ひょっとしてよかったのかもしれない。現代日本は死を恐れる。死を連想させるものはタブー視する。また、原発からの避難者が本当にふるさとに帰れなくなるという不安を現実のものにしかねない言葉は、言霊として危険視する傾向も強い。そういう点で、市民もマスコミも過剰反応していると思う。

官の無謬性という言葉がある。官(広く政治家や行政、かつての軍隊など)が考える理論や下す判断には間違いはない、あってはならないという意味である。大日本帝国軍やしばらく前までは行政も、その無謬性にしばられて権威主義をふりかざした(決してできはしないが)。情報流出を統制し、間違った政策や作戦であっても言い換えて取り繕ったものだ。したがってリスク管理の発想が薄く、大きな損害があっても責任の所在をあいまいにしてきた。

ところが今やあの軍隊はなく、行政もいざというときに備えてマネジメントを行うようになっている(あつものに懲りて膾を吹く傾向もありはするが)。しかし、一般市民やマスコミは相変わらず、いや今まで以上に官の無謬性を求めるようなのである。それが、大臣や官僚の失言を必要以上に糾弾し、首を切らねば納得できないとする姿勢にも現れていると思う。

一連の報道を見聞きすると、伝聞情報の裏付けをとっていないように思える。「どこの報道機関のどの記者が、鉢呂大臣から服をなすりつける動作をされ、同席していた記者も証言をしたのかどうか」が報道をみてもわからないのである。裏付け取材をせず、根拠も示さない報道が許されるのか。伝聞だけで、他の報道機関が報道したということのみを根拠として、公器をもって報道したならばマスコミの自殺行為だ。

(追記/2011.9.17)
ところで、ゴーストタウンと化した原発避難地域、避難者はこれからどうなるのだろう。どれだけの時間がたてば避難者が帰れるのか、それとも半径何キロ以内は半永久的に居住制限せざるをえないのか。大事なのは、失言だといって糾弾することではなく、見通しをたてるための論議を真剣にすることなのだが、大騒動のなかで議論はすぼんでしまった。むしろ、情報消費者たる市民とマスコミは大臣の首がすげ替えられたことでもって満足し、内閣や政治家に隠れた次のゴシップさがしに狂奔しているように見える。
疲れ過ぎ健康職場になりたしと [2011年09月14日(Wed)]

全国労働衛生週間は、準備期間の9月から始まり、本週間の10月1日〜7日までさまざまな運動が繰り広げられる。そのキャッチフレーズを見てみた。第1回が昭和25年に始まり、「労使の労働衛生思想の昂揚を図り、以て労働衛生行政の目的を達成」と難しい言い回しで、各事業所において労働者の健康確保をめざした。

初期のスローガンには、「産業結核」、「健康診断の完全実施」、「有害作業環境の改善」、「病気のない明るい職場」といった言葉が散見される。

昭和60年に初めて【心】とが登場する。明るい云々というフレーズはそれ以前にも使われていたが、「工夫と努力で環境改善 心とからだの健康増進」がそれだ。キャッチフレーズは時代を後追いしていくものだから、4,5年前から心の問題が多くの職場にお目見えしていたのかもしれない。

そして、昭和63年には【快適】が出た。「快適ですかあなたの職場 健康ですか心とからだ」。すなわち、職場が快適でなくなった、仕事を主体に生きるという時代が終わったのかもしれない。さらに平成4年には「みんなでつくろう ゆとり・健康・快適職場」と【ゆとり】がお目見えした。平成になるころから職場にゆとりが失われたのだろう。

平成9年は「進めよう健康づくり あなたと企業の二人三脚」となる。企業と労働者の協力態勢がうたわれる。企業と労働者は争議の場では戦うが、仕事というアイデンティティを労使双方が価値観としてもつものであった。しかし、もはやそうした場は解体し、あらためて二人三脚を強調しないと、労働者の健康が蝕まれるおそれが高まったということだろう。

平成17年には「働き過ぎていませんか 働き方を見直して 心とからだの健康づくり」となり、【働き過ぎ】が警告された。疲れた労働者、しかも21世紀に入ってからは自死する人が3万人を超え続け、非常事態が宣言されている。平成22年には【メンタルヘルス】が主眼となった。そして今年第62回は、「見逃すな 心と体のSOS みんなでつくる健康職場」がキャッチフレーズとなった。熱中症の多発、精密検査を要する受診者の増加、受動喫煙の防止という視点も加えているとのことだ。

健康診断を受けよう。本人だけでなく職場ぐるみでメンタルヘルスに気をつけよう。健康診断の結果、要精検となったら恐れずに受診しよう。精神面での作業環境を改善し、過重労働を防止しよう。
ばったりと出会う人ありアドレスで [2011年09月13日(Tue)]

今日の夕刻、2年半ぶりにある先輩にばったり出会った。早めに職場を退職され、別の道に転身されていた方であった。2年半前に、ご自分の職場での半生をつづる私家本を頂戴した。新しい名刺のメールアドレス宛に本の感想を送る旨、約束をした。

本はよく書かれていた。初任のころの細かい記憶、クライエントの心のひだに及ぶ分析、大切に保存されてきたメモの存在など、とても感心できる出来具合となっていた。読み終わってから、私は早速メールを送ったのだが、宛先不明で送信されない。綴りのミスかもしれないと考えて、何カ所か変化をつけてみたのであるが、それでも不能。職場の代表アドレスに「気付」で送ってみたのであるが、結局、梨のつぶてだった。それっきり私は忘れた。ところが今夕、ばったり出会った。ちゃんとした名刺ももらった。再びメールを送ろう。今度こそ感想を読んでもらえることと思う。

メールは便利なものだ。いつでも自由自在に送り、きままに受信し、保存してあれば検索してたちどころに現れる。ところが、コンマひとつ、ピリオドひとつないだけで、英数字の順番が違うだけで、相手は目の前に現れない。それどころか、こちらとあちらの間には永遠の溝が立ちはだかる。思えば残酷なツールである。
神話みて太古の昔われの血を [2011年09月12日(Mon)]

来年は古事記編纂から1300年。島根県ではそれを記念し、出雲大社周辺を主会場に訪ね歩きと体感イベントを来年7月から開催する。日本神話は多く出雲を舞台に成り立っている。国譲りや国引きの物語、因幡の白ウサギ、ヤマタノオロチ伝説。八百万の神話の数々が人々を魅了していく。《見て・感じて》《楽しんで》《歩く》会場づくりによって来訪者を満足させるひとときを演出するよう関係者が知恵をしぼっている。
よみがえる はじまりの物語「神話博しまね」http://www.pref.shimane.lg.jp/kanko/kamigami/shinpaku0727.htmlはこちらをご覧あれ。

さて、日本の神話だが、多くの神さまが登場する。ほとんど万葉仮名であるので、ふりがなを振るか、カタカナで書かないと読めない。文献によって、同じ読みでも漢字が違っていて惑う。

伊邪那岐命(伊弉諾尊とも書く/イザナギノミコト) 伊弉冉尊(伊邪那美命とも/イザナミノミコト)
須佐之男命(スサノヲノミコト) 天照大神(アマテラスオオミカミ)
月読命(月夜見尊、月弓尊とも/ツクヨミノミコト) 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
大国主命(オオクニヌシノミコト) 天菩比(アメノホヒ)
天若日子(アメノワカヒコ) 建御雷(タケミカヅチ)
八束水臣津野命(ヤツカミズオミツヌノミコト) 大穴牟遅神(オオアナムチノミコト)

どうも頭に入ってこないのである。ロシア文学の長いロシア名に惑うのに似ている。ドストエフスキーやトルストイの長編小説に出てくる長くてなじみにくい人物名が憶えられず、筋の込み入ったことも含めて途中で挫折してしまう。少なくとも私はそうだった。

神話は近代小説とは違い、一貫した構想の下つくられたわけではない。多くの伝承や想像が語り伝えられていたところに、古事記や日本書紀、出雲風土記などの権力による統合化を経てできあがったものだから、どうしても細かいところのつながりに欠けてしまいがちだ。また戦中に皇国史観に利用されたこともあり、いまだにしっくりいかない抵抗感のようなものをもつ人もいる。

それでもなお、有史以前の日本列島に住んでいた私たちの祖先がいかに国家というものを造り上げてきたか、を想像するよすがになることは間違いない。

(コメント)
大国主命は少なくとも12の異称を持つ神様です。
オオクニヌシの出雲国風土記に出てくるお名前は「造天下大神」は「大穴持神」であると宣言しています。(記では大穴牟遅、紀では大己貴命)
そして、はっきりと「我が造って命しらす国」であり、「我が静まる国」である。つまり、元主権者であると言っていますね。
ヤマトタケルも古事記名は「倭建命」日本書記で「日本武尊」となります。倭から日本へと国号がこの頃に変わったのかも知れません。倭建命と出雲建(イズモタケル)の話も大和と出雲の戦いです。
投稿者 好司 : 2011/9/13 (火) 00:24

なるほど〜 さすが!よく勉強してますね
僕もぼちぼちやっていきましょう
投稿者 ふみ : 2011/9/13 (火) 06:44
がん医療地域連携こころやす [2011年09月11日(Sun)]

島根県立中央病院主催の『がん市民公開講座』を受講してきた。「がん術後、その後の受診に"がん地域連携パス"の利用でより良い生活を! かかりつけ医と専門医の上手なかかり方〜」と題して、中央病院の今田総合診療科医長。そして「がん情報を活用しましょう〜がん情報サービスと患者必携について」と題して、国立がん研究センターがん対策情報センターの若尾副センター長が、講師となられて癌治療の現在を学ぶことができた。

癌の治療法は日進月歩である。早期発見と治療法の発展により生存率は飛躍的に高まっている。それでもやはり癌は怖い。癌にかかる生涯確率は男性で54%、女性で41%と二人に一人という割合となる。医療の世界だけで使われる用語を知った。「限局」とは癌病巣が元の臓器に限定された状態。「領域」とはリンパ節への転移や隣の臓器を浸食している状態。「遠隔」とは離れた臓器にまで転移した状態のようである。5年生存率を平均すれば、時局で8割強、領域で4割、遠隔で1割だ。

2007年に制定されたがん対策基本法は島根県が発祥の地であり、島根の患者グループが、全国どこでも質の高い癌医療が受けられる仕組みをつくってほしいと、自分の命を削るようにして多くの人を動かしてこられた成果である。その流れとして、「がん地域連携パス」がある。

島根県内でまず出雲地域版として、がん地域連携パスが適用される。5大がんと言われる、胃がん、乳がん、大腸がん、肺がん、肝臓がんを対象としたパス(道筋)である。初期の癌を手術後、中央病院の医師とかかりつけ医とが患者の治療を連携して一貫治療するというもので、役割分担と情報共有を「私のカルテ」の交換を軸に行っていく。それらを講義だけでなく、劇団県中によるミニ劇で参加者にわかりやすく提供された。

がん情報サービス ganjoho.jpは、国立がん研究センターがん対策情報センターによるサイトである。自分や家族が癌にかかったらまずここを確かめるとよさそうだ。ふだんから十分に勉強しておくに越したことはないが、いざとなったらどこに適切な情報があるかを知っていれば安心である。それがこの「がん情報サービス」。癌にかからないに越したことはないが、ぜひ心に留めておきたい。
肯定しわたしを私と認めてね [2011年09月10日(Sat)]

20110910183734.jpg映画『フォロー・ミー』を観た。映画制作は1972年。舞台はロンドン。資本主義的繁栄のなか個人主義の価値観が随所に現れ個々の人間が孤立し寂しさをかかえている、という世相がベースとなっている。

米国出身の自由人ベリンダと会計士チャールズは恋に落ちた。きらきらといたいけな好奇心を表す女、博識で紳士的な男。自由で楽しい恋人関係であったものが、夫婦としての生活を始めると、中流階級(上流に近い)との世界観の違いが目についてくる。博識さは押しつけに、紳士的なところは堅物で四角四面に感じられる。しかも夫は毎日が仕事漬けだ。姑も友人たちも彼女を歓迎しておらず、ベリンダは息苦しくてやっていられなかった。

やがてベリンダが朝から晩まで家を空けるようになると、チャールズはベリンダが浮気をしているのではないかと疑い、私立探偵を雇う。ベリンダはただ単に、日常の失意をロンドン中を散歩することによって紛らわせていたのだったが、探偵から報告を受けたチャールズはベリンダを責める。

妻の行動、言語、所作のすべてを自分の頭で解釈し、自分の考えの範囲に押し込め、がんじがらめにしようとするチャールズを見ると、カール・ロジャーズの「傾聴の三つの態度」を思い出した。

1 自己一致(専門家や夫や親といった役割の陰に隠れずに純粋で作意がない自分であること)
2 無条件の肯定的配慮(理屈ぬきで温かな心配りをし、自分の価値基準を当てはめないこと)
3 共感的理解(私はこう感じた、と一人称で自分に生じた反応を言葉にだすこと)

ロンドンの散歩がつまびらかになって、2人の恋を再生させる仲介役となったのが、ラテン的(顔も口先も行動も)な私立探偵。ショルダーバッグに入れたマカロンや果物を次から次へと口にし、だらしない。口からはでまかせはもちろんのこと、ふつうなら言えないような辛辣な人格批判をジョークとユーモアに包んで機関銃のようにまくしたてる。最初は無用な饒舌に私はいらだちを感じていたが、映画の後半にはその軽薄さの底にある人間への理解や配慮が実にいいと思えるようになった。

フォローミーの「me」はベリンダだけを指すのではなく、実は一人称で言えるすべての人を指すのであろう。ひとは誰でも「私」をフォローしてほしい、肯定的に受け入れてほしいと望むものなのだ。解釈なしで相手の行動をなぞり、同じ空間と音と空気のなかにいることによって情感を共有していく。去る者は日々に疎しというとおり、物理的に共有できる時間を過ごすことと情愛の度合いは一定程度比例するものだ。

原題は『The public eye』。パブリックとは公共的な視線ではなく、公衆の面前に出て、客観的に役割に拘泥した自分や相手に押しつけてる自分や可能性をあきらめている自分を、違う視点で眺めて幸せになることか。すなわちPrivate eyeからPublic eyeへの転換によって、肯定的受容をなしとげていくという物語である。

私の推理だが、なぜfollow me(フォロー・ミー)なのか。おそらく、この邦題を考えた人はミア・ファロー(ベリンダ)の熱狂的なファンである。温かく柔らかいまなざし(eye)で幸福感を醸し出すミア。その姿に魅了されたファンが、「パブリック・アイ」などと無機的な題名をそのまま使うだろうか。映画の意図は「あたし(ミー)についてきて(フォロー)、あたしと同じものを見て感じて心を動かしてよ」である。ミア・ファロー(Mia Farrow)をひっくり返して多少変えて、邦題を「フォロー・ミー」としたくなったのではなかろうか。こじつけ的推理である。
暗算に苦しみ憶え今すらすら [2011年09月09日(Fri)]

今日は9月9日。救急の日であるが、9・9と言えば九九(くく)。ただし、九九の日であるかどうかは知らない。

小学校2年生のときに九九を憶えた。二の段からはじめて、つかえずに言い終えたら二の段合格。三、四、五・・と進んで、先生の前で「・・・九九、八十一!」と言い終わったときの達成感。先生から「はい、よくできました!」と褒められたときの誇らしさ。今でも懐かしく思い出すことができる。

九九のおかげで81までは瞬時に暗算ができることは実に便利なことだし、国民の計算力をつけるという点で大きな貢献があったろうと思う。インドでは二桁までのかけ算を憶えるというから、大変だ。99×99は9,801となる。日常では概数で暗算しなければならないことが多いだけに、頭の体操になることは間違いない。

(コメント)
11から19までも教わったが11の段は忘れてないのが不思議。
121、144、169、196、225、256、289、324、361
「いちにいいち、いっちょんちょん、いちろくきゅー、いちきゅうろく、にいにいごー、にごろく、にいぱーきゅう、さんにーよん、さむい。」
投稿者 好司 : 2011/9/9 (金) 23:04

なんと、19まで。いい財産ですね
投稿者 ふみ : 2011/9/10 (土) 19:29

語呂合わせ?「ごろ」って何ですか?・・・算数の時間に国語を教わった想い出でした。
投稿者 好司 : 2011/9/11 (日) 09:54

漢和辞典で調べてみました。【呂】とは、背骨とか、音楽の調子とかいう意味のようです。背骨のように一連に似たものが並ぶ(♪が並ぶイメージでしょうか)⇒音の調子⇒言葉の調子とくるんでしょうね
投稿者 ふみ : 2011/9/12 (月) 06:38

ありがとう。「覚えやすい言葉に変えること」って先生は教えてくれたが、改めて「呂」を考えてみると使わない字ですね。
「風呂」とか「柿本人麻呂」とかしか使わないな〜。訓読みで呂が「せぼね」というのもびっくりでした。「ろれつがまわらない」も「呂律」と書くのですね。恥ずかしながら知らなかった。「伴侶」も人偏がついているがイメージできますね。
投稿者 好司 : 2011/9/12 (月) 11:05
聞こえてる夢の球場亡霊と [2011年09月08日(Thu)]

20110908203444.jpgフィールド・オブ・ドリームス』をしばらく前に観た。野球、いやベースボールは米国の歴史といえるほどにアメリカ人が愛好し誇りをもっていることが、この映画を観るとわかる。「多くのスポーツは変わったがベースボールだけは変わらない」という意味合いの台詞が主人公レイにあった。

「If you built, he will come」(作れば、彼は来る)とささやく声からレイは啓示を受けたかのように、農場をつぶして野球場づくりに奮闘する。待つこと数ヶ月。とうとう、往年の名選手、シューレス・ジョーが現れた。ジョーに誘われて集まる亡霊の数は増えていき、現世での野球を楽しむ。亡霊といっても茫洋とした霊ではなく、握手もできるという優れもの(?)。

純な気持ちを持つ者、野球を好む者には見えるが、そうでない者には亡霊は見えない。借金返済をめぐって、新たな啓示(幻聴)にまつわる旅をめぐって次々とドラマが生まれ、観る者をドキドキさせ笑顔にさせる。

父や父的なるものと疎遠になるのが世の男たちのならいだ。現実にあって困難を抱え夢破れる息子が、反発して別れた父(嫌悪感から近くにいても没交渉である場合も含めて)をときに思い出し、反発した頃の父の年代になったときには、たいていは手遅れだ。

レイも若い頃家を飛び出して以来、父が生きているうちに一度も顔を見ないばかりか、妻を紹介することすらしなかったことを、彼は心から悔やんでいた。かつてプロ選手だった父はレイの球場に現れたのである。レイが生まれるよりもはるか若い頃の姿で。レイは父と和した。親子のキャッチボールという理想的な手段で。

啓示は外からの幻聴ではなく、レイ自身の奥から突き上げてくる声であった。それを信じてレイは封印された過去を開き、自分の可能性を拓いた。声はかならずしも自分の声ではなく、他人の口や文章を通じてくるものもあるかもしれない。他からきたものでも自分の意に沿えば自分の思いとなる。限界を壁を破る新しい視野を拓くために、背中を押してくれる物語である。

妻アニーもいい取り合わせだ。アニーは論理的で弁が立つ。論理は苦手で無器用なレイとは対照的。だが幻聴に託した夫の夢をアニーも信じ、同志となって球場を守っていくところがアメリカンドリームだ。

エンドロールの字幕に「For our Parents(すべての親に捧げる)」と。映画を観た人にとっても、キャスト、スタッフのすべてにとってもという意味だと私は解釈する。この映画の主題は、夢を実現することと親子の親和は矛盾しない。母を愛せよ、父を敬遠せず好きになれよ、ということなのだと思った。
ゆとりもちじっくり噛んで楽し飯 [2011年09月07日(Wed)]

口にものを入れるとやたらとガツガツと力を入れて噛んでしまう。ガムしかり、チョコレートしかり、食事のときしかりである。

ガムはたちまち味気なくなる。それでもクチャクチャと速いリズムで噛む。チョコは味わってとろける感触を楽しみたいものだが、ボリボリむしゃむしゃ噛み砕く。あれよという間にチョコは腹に収まる。食べものが十分こなれないうちに次々と箸で押し入れるから、おのずと噛む回数は少ない。味わう余裕もなく、腹に納まり、あれ何食べた、と首を傾げる始末。挙げ句の果ては、力を入れすぎた歯は私の唇や口唇内を噛み傷つける。

不景気が常態化し小遣いが減ったこの御時世、家庭で晩酌しながら食事を楽しむ御仁が増えたとのことで、日本人の食事時間が増えていると聞く。しかし心に余裕がないと、三度のご飯を楽しみ、ゆったりと噛むことは難しかろう。

ゆとりの気配り、さわやか心配りで食べる時間が充実すれば、私のガツガツも少しは解消されるかもしれない。
接遇に膝を打ったり鱗落ち [2011年09月06日(Tue)]

島根県自治研修所の主催で接遇指導者養成研修を受けてきた。講師は米子にあるP-Create(ピークリエイト)の松下 香寿美氏。外発的モチベーションよりも「○○したい」という内発的モチベーションを大切にすることをめざすコンサルティング会社である。

出席者は県や市町の職員で40人弱。まずアイスブレイクの手法に度肝を抜かれた。テーブルごとに4人が席につき話を聞くのであるが、節目ごとに講師は4人で、あるいは向かい合った2人で話し合いを求めるのである。「住民意識の変化は?」「働くモチベーションはどこから出る?」「○○のことどう思う?」などなど、話が一段落するごとに間をおかず、自己紹介しただけのメンバーはどんどんと口が滑らかになっていく。親しみが増し、全体の空気が明るく華やかになっていく。見事だと思った。

具体的なテクニックに入る前に意識的な基礎知識を学んだ。東京ディズニーランドはゲストに満足してもらうために、安全、礼儀正しさ、ショー、効率といった4項目を原則としている。詰まるところ「私の仕事は○○が○○するために○○することだ」という意義を徹底して追求し、忘れないところに原点が揺るがない秘訣があると。「心は見えない、態度で推し量るしかない」という言葉が印象に残る。

接遇力は5つのコミュニケーション・スキルであると。平均して6秒で確定する第一印象を元にした【印象管理】を大切にしなければならない。おしゃれであっても万人に認められるための身だしなみは違う。さらに【マナー】。お辞儀を使い分ける。会釈は同時礼(言葉と体の傾げ15°を同時に)、普通礼は分離礼(言葉を発してから30°に腰を曲げ視線は下に)。さらに敬礼と最敬礼がある。いずれも手は前で合わせる。敬語は重要であるから、尊敬表現と謙譲表現を反射的に使えるよう反復しようと。「恐れ入りますが…」という表現と、「…しかねます」という肯定的語尾の有効性を知った。

【話法】は理の話法と情の話法がある。前者は結論から述べ、理由や詳細を後で詳述するからわかりやすいが、きつい印象となる。後者は結論は最後に持ってくるからソフトな感じで、お願いやお断りをする際に有効だと。相手の利益にならないお願いをするときには顔をしかめたり、暗い表情で申し訳なさを表現しがちであるが、これは逆効果。笑顔でいこうと言われ、目から鱗が落ちた。

【傾聴】することによって、意に沿わない客のクレームに対しても開口一番否定せず、まず受け止めてから、「私どもの考えは云々」とちゃんと必要な意見を述べることができると。否定すると反感されるが、受容できれば共感を生み相手に好意をもってもらえる。「人は好意を持っている人の話は受容し、積極的に要請に応えようとする」というチャルディーニの法則は要チェックである。だから相手の欠けたところでなく、よい点を見るプラスのストロークが大切だと。

最後に【観察】に関連して、気配りと心配りの定義が示された。相手を観察することによって、気づきが生じて仮説を立てる(ここまでが気配り)。仮説段階で勝手に行為に及ばずに、相手の意志を確かめて行動に移すと心配りとなるという説明に、膝を打つ思いがした。

以上、ズラズラと備忘録をつづったが、明日も演習が続く。楽しみである。

(二日目追記)
●席次の基準を頭に入れたい。上座は、肘掛け椅子よりソファ、出入口から遠いところ、もっとも快適なところ、和室ならば床の間を背にするところ、判断に迷うときは右が上。外部から見られるときは向かって右が上座であり(例:舞台上の並び)、非公開の会議など外から見られないときは議長から見て右側が上席。

●傾聴のポイントとして、ホワイトボードに相手のキーワードを書いていくようにして、相づちをうち、内容を伝え返すことによって相手の心に寄り添うことができる。特に言うべきことを言わなければならないときには、相手の言い分を全部言わせて(コップを空にして)、こちらの言い分を伝えるとコップに水が入る。空にしないと溢れてケンカになる。

●クレーム対応で火に油を注ぐパターン
早口・明るい声のトーン、淡々とした事務的な受け答え(⇒ペーシングともチューニングともいうが口調や声の大きさを合わせる)/曖昧な相づち/謝罪より言い訳、責任転嫁/言葉を遮る/否定語後を使う

●クレーム内容の確認がとれていない場合は「ご不快な思いをさせて申し訳ございません」。謝罪が必要ないとなれば「私どもといたしましては〜と考えております。どうぞご理解くださいますようお願いします」と切り返す。

●接遇の基本は、1に笑顔、2に言い分をまず聴く傾聴、3に相手のよいところを認めて具体的に表現するプラスのストローク、4にありがとうという感謝を多用することが肝要だと、講師はまとめられた。

(コメント)
手を前で合わせる「立礼」の指導ですか?女性の方ではときたま見かけますが・・・。
武道では、ご存じのように直立不動にて手を体側につけたまま行うのが一般的ですし、両手を合わせる動作は急所を守る動作から「礼」のときは防御体制をとることがありません。と言うより、行わない動作です。・・・手を前で合わせることによって胸がすぼみ、見た目の印象がよくなるのかもしれませんね。
ちょっと考えさせられました。
投稿者 好司 : 2011/9/6 (火) 23:05

実は「手を前で合わせる」というお辞儀の動作は初めてやりました。今まで漠然と感じていた常識が崩れたように思いました。「動作」というより「所作」ですね。
投稿者 ふみ : 2011/9/7 (水) 06:43

動作というより所作・・・なるほどね。
座礼のときも手と手がひっつく感じは、どちらかと言えば女性の方が多い感じがします。「たおやかさ」が表現されるかもしれないと思います。心を込めて形を整えた礼が最高であることは言うまでもありません。
・・・などと、偉そうなことを申しました・・・。
投稿者 好司 : 2011/9/7 (水) 23:49
ミンミンと生きる命に幸あれと [2011年09月05日(Mon)]

ミンミンゼミは孤高の蝉だったはずだ。群れずに距離をとって凛々しい声音で盛夏を彩る。ところがどうだ。この一週間、松江城山は乱れ鳴き状態である。台風12号の風雨が強いときですら、風の音に吹き消されもせず、ひたすらに無分別に重奏して鳴いていた。

行く夏を惜しむのか。いや短い命の間隙に恋の相手を探しつつ一念発心、必死の思いで鳴き乱れる。命ある蝉、命懸けで最期まで鳴き続ける。

甚大な被害をもたらした台風12号。列島の広大な地域に風雨を浴びせ続け、なかでも紀伊半島に巨大な爪痕を残している。濁流と土石流が根こそぎ家を流し、田畑をぐちゃぐちゃにし、多くの人々の人生を流した。

人間が生きている限り、厄災はふりかかるものだとはわかっていても、なんと酷いことか。大震災も、この災禍も、日常降りかかる不幸の数々も、これでもかこれでもかと人を苦しめる。しかし人々は悲惨を乗り越えて再び立つ。被害に遭われた方々にお悔やみ申し上げ、亡くなられた方々の冥福を祈りたい。
合掌
親しんで名付けて一歩始まって [2011年09月04日(Sun)]

名前を知ると親しみがわく。木の名、花の名、動物の名。もちろん人の名を覚えることは人間関係の第一歩だ。

赤ちゃんが生まれると命名するのは親の努めだ。親からの最初のプレゼント。その子がその子として人生を歩む最初の一歩だ。

「名付ける」ことは親和のあらわれだ。ペットに名前をつけ、友人にあだ名をつける。親しさが増し、愛着が強まる。

心に浮かぶよしなしごとを言葉にあらわすことも「名付ける」といえるかもしれない。混沌とした感覚を整理して言葉にあらわす。整理できないまでも想像し推理して言葉をあやつる。

悩み深きとき心は千々に乱れる。言葉の力によって「名付ける」ことにより、覚悟をきめ、新しい道を勇敢に進む心のエネルギーを表現することも言葉の役割だ。
日常と異なる時間平和なる [2011年09月03日(Sat)]

≪そもそも、映画は娯楽です。ぜひとも“映画館で映画を観る”ことの醍醐味をより多くの方々に味わってもらいたいものです。(中略)映画館で映画を観て、非日常の時間や空間を体験し、映画の魅力を再認識してもらいたいのです。≫   (関根高樹「ミニシアターの魅力」聖教新聞2011.9.2記事)

そもそも、松江や出雲のシネコンではメジャーで宣伝の行き届いた(要は資金力のある)映画しか見られないから偏りはある。それでも、映画館で観るのは醍醐味だ。暗くてひんやりした座席に深々と腰をかけて画面に見入るのは、非日常の魅力的体験だ。

≪映画は楽しく見ればいい。
 けれどもその“楽しさ”もここに至ると
 もはや宝石であり美術である≫

亡くなられた淀川長治さんの言葉である。緻密に計算された楽しさ、編集の妙で見事に統合された楽しさ、思いがけない取り合わせがある楽しさ、抜群の感情表現に目をみはる楽しさ、伏線と伏線がつながる楽しさなどを感じることは無上の醍醐味だ。

そうした宝石(期待に反した偽物もあるが)を楽しみ、我がものにする喜びをこれからも味わっていきたいものである。
無限なる未来に生きて自由かな [2011年09月02日(Fri)]

≪時間というものは、過去から現在、そして未来へと流れる。
 もっとも、それは物理的時間である。物理的には、時間は過去―現在―未来と流れて行く。
 だが、わたしたちの心理においては、時間はむしろ未来から流れてくる。われわれは明日の心配ばかりしている。そういう心配をしていると、明日のほうから現在の生き方を指示されてしまう。明日は朝が早いから、今夜は早く寝ないといけない……といった具合に。
 それはともかく、時間は常に流れている。≫
    (「歴史にはウラがある」ひろさちや著、新潮文庫)

この文から何を思うか。
未来から流れてくる時間に支配されて心配ばかりして生きるのをやめて、自由な時間を生きるのか。それとも、明日を起点に今の生き方を規定していく、どちらかというと不自由な時間を生きるのか。

無限に時間があれば、自由な時間を生きるのは正しい。だが残念ながら私たちには無限の時間はない。しかもなんだかんだいって、最小限やらなければならないことがたくさんあって、自由ばかりにはやっていられない。止まることのない流れる時間に私は翻弄されている。

(写真は今時分、甘い香りをただよわす「くずの花」。繁茂する葉とツルの下にある根茎は葛湯、くず餅、葛根湯の原料になる)

追伸 サッカーワールドカップ・アジア予選の日本対北朝鮮。押しまくっていたのにゴールポストに嫌われて、相手の好手に阻まれて、後半ロスタイムになっても、埼玉スタジアムでは何度も何度もため息がもれた。コーナーキックから香川が絶妙なヘディング。ゴール隅に入るかと思いきや、キーパーが見事な防御。そのあとキーパーと相手ディフェンスはハイタッチした。「これで勝ち点1をいただきだ」とでも言うように。しかし、それは油断につながったのかもしれない。清武のアシストで吉田が完璧なヘディングを決めた。攻めて攻めて点が入らずに苦しんだが、最後の1分で勝利を決めた。ワールドカップの厳しさを味わいつつ勝ち点3という最高の勝ち方だったかもしれない。
安来にはとじょうすくいと鰌鍋 [2011年09月01日(Thu)]

ドジョウ総理誕生。野田氏は民主党代表選の演説で、相田みつをの詩を自虐的に引用して代表選の会場を和ませた。最後は「ドジョウのように泥臭く、国民のために汗をかきたい」と締めくくった。

  どじようがさ
  金魚のまね
  することねん
  だよなあ
        みつを

ドジョウは漢字で、鯲または泥鰌と書く。これを機会に手で書けるようにしよう。

ドジョウは主に東アジアに生息するコイ目ドジョウ科だそうである。これを機会に覚えておくことにしよう。

ドジョウすくいは泥田で泥鰌をすくう姿を滑稽にひょっとこ面をかぶって踊るもので、民謡・安来節に合わせて、かつては御座敷芸の定番であった。これを機会に習いたいものだが・・・。なお、「やすきぶし」と当たり前のように言われるが誤読。「やすぎ」とにごる。

「どじょう掬いまんじゅう」はごくありふれた饅頭ではあるが、表情の面白さから、今や島根の代表的銘菓だ。食べたことのない人は、これを機会にぜひ買っておくんなさい。

安来節演芸館の横にレストラン「どじょう亭」がある。柳川鍋に、甘露煮など。どじょうの形がよくわかるのは少々グロテスクだが、栄養価は高い。カルシウムはうなぎの9倍で骨粗鬆症の予防によし。イライラしやすい人にも効果大かも。これを機会に、泥鰌料理を試してみてはいかが? 野田氏は「泥臭く汗をかく」と言ったが、決して泥臭くはない。ご安心を。

島根県安来市では、ドジョウのまちづくりを進めている。安来節に続くどじょうブランドを生産出荷している。安来市観光協会ブログ『安来へどうじょ』も、これを機会にご覧あれ。

ドジョウ総理の誕生を機に、島根へどうぞ。安来節と伯耆富士(かつては出雲富士と呼ばれた)もきれいに見える秋の季節。どうぞ来てごしなはい。