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夜の花七つを変じて爽快に [2011年07月31日(Sun)]

花火は不思議だ。花火は輝き、華やかにはじける。
七色の花火、単色の花火。
変わっていく色合いを見せてくれるもの。
点滅し音を伴うもの。
大玉に中玉、一方向に筆を跳ねたようなもの。
大玉の先導役として添えられたもの。
幾種かを組み合わせると格段に見応えが出てくる。

音にもいろいろある。
バンと弾ける爆発音。高く上がればあがるほど、火玉は大きく音は大きい。
上昇するときのシュルシュル音。これをことに強調したものもある。
弾けたあとに分散した小玉が再び弾ける小爆発音。
さらに小さく分散すればうるさい虫が飛び散るように。
周囲にも音がたくさんある。
怖がる赤ちゃんの泣き声、面白がる赤ちゃんの笑い声、オオッォ、ウワァという人の歓声。
ど派手な最終打ち上げに満足して鳴らす拍手。
そのあとフェイント的に上がったおまけにオッとうなる私たちのうなり声。

花火は爽快だ。
フクロウは目を見開きて存在す [2011年07月30日(Sat)]

今日は松江フォーゲルパークを楽しんできた。数限りない種類のベゴニアを中心とした花々、熱帯や亜熱帯を中心にすむ鳥々。おしまいにフクロウをじっくり鑑賞。耳のように羽角がついたものがミミヅク。「耳付く」意か?

置物のようにじっと動かないもの。あるものは目を見開き、あるものは目を閉じている。片目を閉じたものと目が合った。両目を開けた。にらめっことなった。私は目が痛くなってまばたきした。彼は大きな両目を見開いたままで、黒目の多い情のありそうな眼でそのまま私を見つめ続けた。

首を回す。ぐるりと半周以上、苦もなく首を回す。そっぽを向くものもいる。後ろを向いたままのものもいた。大きさは子猫サイズから人間の2,3歳の子供くらいまで。白いもの、黒や茶、ベージュが混じり合ったもの、いろいろだ。羽毛は柔らかそうで、大羽は羽根ペンになりそうに立派である。

鳴くものもいる。えさを求めるのか、仲間を求めるのか、過去を思い出すのか、それとも何かほかのことがらか。フクロウはなにを考えているのか、なにを楽しんでいるのか、またなにを苦しんでいるのか。想像はできないし、おそらく大したことを思っているのではなかろう。

しかし、彼らは存在している。確実にそこにおり、今の生を全うしようと地に足をつけて存在している。人間も存在しているし、存在し続けなければならない。存在を自ら否定したい気持になろうとも、存在しなければならない。あきらめてはならない。一人ひとりはたいしたものではない。だが、フクロウのように存在し続ければ、必ず行く手に光明は見えてくる。
悩むハリー浅いヴォルデは深浅し [2011年07月29日(Fri)]

dvc00012.jpgハリーポッターシリーズのことを書く。描きかたによっては、ファンタジーの枠を超えて名作文学の仲間入りをするのではないかと思う。

ヴォルデモートに肩入れしてはファンタジーの趣旨に反するが、悪党どもには世界観がないのが残念だ。魔法界ばかりかマグル(普通の人間)まで支配して、どんな世の中をつくろうとするのか。そもそも、どんなきっかけや根拠で支配欲を拡大してきたのか。一度は赤ちゃんハリーに魂の痕跡のみになるまでずたずたにされながらも、復帰への道を着々と歩んだ動機はなんなのか。

そもそもリスクマネジメントとして素晴らしいではないか。自分の魂を分散して隠し、いざというときに備えたということは。そうした感情の軌跡をたどりたいと思う。

ハリーは戦いの過程で迷い苦しんだ。その心の綾に寄り添い、ダンブルドア校長は絶妙なるカウンセリングマインドを発揮した。悪と闘う善の立場にありながらも、自分には悪の要素があるという可能性を知り、恐れるハリーの気持ちを理解した。そうした葛藤がこの物語に幅をもたせた。

ハリーだけでなく、仲間たちにも疑いの気持ち芽生え、怯えがあった。真っ正直な向上心、少年期から青年期にかかる複雑な心境を描いたことも含めて青春物語として感慨深い。青年に限らず人間がもつ多様さを十分描いた。だから魅力的だ。ハリーの側の人間模様については。

悪の側、ヴォルデモートの不安や躊躇に加え、恋や溌剌としていた昔があったとすれば、それらは描けなかったのだろうか。その一味がもった服従心と恐れ(わが君に消されるかもしれないという怯え)だけでなく、人間的な面が表現されていたとしたらどうだろう。支配欲と復活への意欲。これらを陰影とりまぜて描けば、単なるファンタジーを超え、世界文学の地位に昇格すると思う。

≪勧善懲悪で書かれている文学というのは、あまりいい文学ではありません。正しい者と悪者がいて、最後には悪者が駆逐されると決まっているような小説は、誤解を恐れずに言えば文学と呼べないものです。小説とは、善と悪の勝負を見せるものではなく、「誰が人間的に深いか」を競っている面があります。悪党でも人間的に深い人物という場合はたくさんあります。≫
 (齋藤孝「誰も教えてくれない 人を動かす文章術」,講談社現代新書,2010年)

この引用文を読めば、まさしく私が感じていたことがまんざら間違ってはいないことがわかる。
痛くともあんぐり口をちから入れ [2011年07月28日(Thu)]

歯を治療した。しばらくぶりに歯医者に行く。かつては待合室までキンキン耳をつんざく音が聞こえてきてうんざりした。施術が始まって耳元で聞こえてくるようになると逃げ出したくなった。いまや音はずいぶん小さくなったけれど、あの回転音にはなじめない。

口を開けて治療をうける。組んだ左右の指に力がこもる。緊張したときは口を閉じ真一文字に結ぶものだ。しかし、今は口をだらしなく開けっぱなしだ。これ以上無防備な態勢はない。情けないかっこうはないかもしれない。

虫歯はなかった。歯石もほとんどなかった。だが、子供のころの治療分にガタがきて金属が荒れていた。同意して、そこを掘り返す。神経に障る、ずんずん響く。痛い、思わず手に力がはいる。

歯医者には来たくない。でも、自分の歯で健康に過ごそかと思えば、歯のチェックは欠かせない。1年に一度は来なくてはなるまい。歯間ブラシやデンタルクロスも使って、丹念にブラッシングしていった上で、チェックをないがしろにしてはならない。たとえ再び痛い目に遭おうとも。

歯にこびりついた茶や珈琲の色素。あわせて取り除くと口中はさわやかになった。
こっくりと落ち入る隙なくコクリコ坂 [2011年07月27日(Wed)]

ジブリの映画『コクリコ坂から』には昭和の懐かしさがある。また、身辺をキレイに保つことの大切さが説かれている。

松崎海のあだ名は「ミル」。家族からは名前のとおり呼ばれている。学園の友達は「松崎」か「ミル」。なぜミルなのかはわからない。ひょんなことから、あだ名はつくものだ。とくに学生時代はそうだ。懐かしかった。

東京オリンピック前の横浜や東京は活気と喧騒にあふれ、学生たちは背伸びして小難しい概念を振り回して悦にいり論争する。懐かしい気分になった。

亡くなった父の写真に毎朝ひなげし(フランス語でコクリコというらしい)を飾り、坂道にあるひなげしの群生。これにも懐かしい気分がわきあがってきた。

海と俊がする自転車の二人乗り。これも懐かしかった。いまどきの自転車ではできない味わいだ。それは恋の序章でもある。

コクリコ荘と名のついた下宿屋は元医院。先代、先々代の思い出が染みこんだ明治末の建物。磨きこまれて堂々としたものだ。そこでの生活が秩序だち引き締まっているのは、海の祖母がしゃんと統率をしていることもあるが、海がきびきび住人のご飯つくり、規則正しく信号旗を揚げ、掃除を絶やさないからだ。

カルチェ・ラタン(映画当時の正式名は○○寮)はコクリコ荘と同じころのモダン建造物だが、男たちの牙城となって(占拠か?)掃除もされず荒れ放題の文化部のクラブハウスとなっている。海の提案で女生徒も加勢して、徹底的に掃除し修理した。すると生徒たちの意識が変わるのである。入れ替わったと言ってもよい。身辺を清潔にすることの効果が多分にある。

よく見知った俳優たちで、この映画の声優陣は固められている。清潔感のある人たちばかりだ。今はJR山陰本線の列車中。宍道湖の対岸にくっきりと松江の夜景が広がる。これも清楚な雰囲気に満ちている。
原爆後米の戦略図にあたり [2011年07月26日(Tue)]

1954年3月太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験で第五福竜丸が被曝した事件。原水爆禁止の運動が大きく広がった。米国への嫌悪感も強まった。

米国が日本を西側同盟から離すまいと、さまざまに手を打っている様子が、今回公開された公文書から明らかになった。

≪一、日本人は病的なまでに核兵器に敏感で、自分たちが選ばれた犠牲者だと思っている。次の施策を講じている。
 一、賠償。在日米大使館は最重要課題とみている。
 一、情報交換。米原子力委員会と協力し、放射能に関する科学情報を提供している。複数の交流事業も進行中。長い目で見て科学交流は日本人の感情や無知に対する最善の治療法だ。
 一、吉田首相の訪米。首相に遺憾の意と支援の意欲を再度伝える。
 一、首相には、より効果的な広報活動を米国が要望してきたと伝える。≫

(米国国務省極東局の極秘覚書/1954年5月)

彼らは、「病的なまでに核兵器に敏感で、自分たちが選ばれた犠牲者だと思っている」と日本人をバカにしている。なにをそんなに心配するのか、被爆や被曝するのは確率的には小さいのに、とせせら笑っていたようにも感じる。

あの悪魔の所業を遂行した加害者にわかるものか。苦しみつつ亡くなり、愛する人の無残な死を目の当たりにしてきたひとたちの苦しみを。

一瞬にして悲惨を経験し、原爆症という暴力に犯され、いつ発症するかと不安にさいなまれてきたひとの苦しみを。

その惨劇を体験したからこそ、日本人は核の平和利用というユートピアに飛びついたのだと思う。多少なりとも不安はあっても、もうあんな悲劇はないと信じる、信じたいという気持ちが戦後10年前後には充満していたのだと私は考える。その後の管理の実態は置くとしても、そのころの先人たちの思いをわらうことは、私にはできない。
雨模様夏の盛りはそこにもう [2011年07月25日(Mon)]

夏がきた
休みの真夏羽ばたいて
今朝は列車が空いている
学生たちは夏の陣
部活に汗だく鍛えるよ
受験に冷や汗流すよと
数日来の涼しさが
あれまと消えて
蒸すこの夕
松江・天神祭に人寄せて
浴衣の男女繰り出して
ビール片手にこの私
コロナビールはライム入れ
飲んで歩くは非常識?
今日は許すぞ華やかに
夏がきたぞと気もそぞろ
熱中症もなんのその
汗かき夏を湯尽す
暑いぞ夏の思い出は
熱き血潮をこの胸に
しずかな秋のその前に
ハイビスカスが鮮やかに
ぐぐんと伸びて厚き夏
難民はテレビなくして暮らせるか [2011年07月24日(Sun)]

今日7月24日は、テレビが変わる日。アナログ放送から地上デジタル放送へ。

推計では未対応の世帯が10万にも及ぶという。仮にその半分が、今後一般のテレビ放送にはアクセスせずネットですますとしても、5万世帯は「デジタル難民」化することになる。画面が砂嵐となってはどうしようもないから、テレビを買い替えるか、地デジチューナーを取り付けるか、ケーブルテレビに加入することになるだろう。

草剪剛が「地デジカ」のキャンペーンに加わるようになってから5年もたつという。1年前にはカウントダウン開始。テレビ画面の上下には、23年7月にはこのテレビが使えなくなる旨とデジサポへの連絡先が明示された。テレビを見るのが鬱陶しくなった。そしてしばらく前からは、画面左には大きく表示されるようになり、字幕と重なってとても見にくくなった。

それでもなお、5万人であることに驚く。介護される人であれば、周りがなんとかしてくれる。自活ができる人であっても、画面が見にくい不便をかこつても、対応しない、その受け身姿勢に驚く。そんな人にかぎって、砂嵐がきたら、猛烈に抗議したりして。。。。

なぜ行動を起こさない人がこんなにもいるのか、私には不可解だ。しばらく難民報道に注目することにしよう。
猛暑忘れ涼しき夜に夏蛍 [2011年07月23日(Sat)]

台風6号が去って、ここ数日涼しくなった。
カラッとした晴れではなく、どんよりと曇っていたのが、水曜日の20日
木曜の21日もやはり霧雨が降るときもあって日差しはなかった。
寝苦しい夜ではなくなり、むしろ布団をちゃんと掛けて寝なければ風邪をひきそうだった。
金曜になって夏の日差しが戻ってきた。それでも日陰に入ると涼しく感じる。
22日は浜田へ出張に行ってきた。
山陰本線の列車中から見る日本海は静かに淡いブルーに輝いていた。
やはり夜は涼しかった。よく眠れる。
そして今日23日土曜日は少し気温が上がった。
しかし30℃を超えることはない。
一週間前までの蒸し暑さが信じられないほどの快適さだ。
夜になり空を眺める。
うっすらと雲がかかって十分には見えないが、さそり座がよく見える。
いて座には天の川がかかり、目を天頂に転ずるとデネブ(白鳥座)とベガ(琴座)とアルタイル(鷲座)の三角形がまたたいていた。
森に目を転ずると、夏の蛍が星のようにまたたいていた。
辞めさせて次にまみえる絵図なきや [2011年07月22日(Fri)]

退陣表明しながら、しぶとくも居座りつづける菅首相。野党ばかりか身内の民主党も、さらに幹事長すらそっぽをむいた菅首相。

確かに日本の舵取りをまかせられないのは確かだ。しかし、「次の政権公約はこうだ」「単独政権は無理としてもこれを実現させる」「マニフェストの素案を示す」、と明快に言い切った人、政党を知らない。

自民党は批判するだけ、公明党は部分最適の提案はあっても日本のあり方の全体像を示せず、みんなの党は解散総選挙を勧めるのみだ。民主党の次なる候補とおぼしき人にしても、動きが見えない。

肝心なことは、菅さんを辞めさせることではなく、よりましな日本の進路を選択することであるのに、辞めさすことが目的と化している。勇気をもってビジョンを明らかにせよ。菅下ろしの暴風を無批判に受け入れて乗じることはやめてほしい。
当たり前ほんとはそうではないけれど [2011年07月21日(Thu)]

≪正確・簡潔でありながら、配慮の行き届いた(メールの)文面は気持ちがよい。
(中略)
メールだけで、百パーセント理解し合えると思わないことが肝要だ。本当に大事なことは、電話で念を押して伝える。さらには、出向いて顔を合わせて話をする。相手と心を通わせたいなら、楽をしようと思わないこと。こちらが心を砕くしかない≫
(23年5月29日付け「名字の言」聖教新聞)

そのとおりだ。が、メールに慣れて、ファクシミリが当たり前になると、それが意外にわからなくなってしまう。慣れとはこわいものである。

メールは絵文字を使っても文面だけ。ファクシミリには文字のタッチに書き手の感情が少しあらわれる(ワープロで打ち出せばそれもないが)。電話では感情の機微が声や調子にでてくる。直接面と向かって話をすれば気持ちが手にとるようにわかる。ボディタッチをともなえば、さらに入り組んだ思いもわかるであろう。

物理的に近づく、もっと心をくだいて相手の琴線を響かせようと努力する。それだけ、自分は相手に寄り添い、相手は心を開いていく。
なでしこは大和限らず戦いに [2011年07月20日(Wed)]

なでしこジャパンをめぐる喜びの狂騒は今日も続いている。冷めたことを言えば、頂点に立った者がとるべき道は、二つしかない。

過去のよき思い出として心にストックしてしまう。すなわち頂点にあったことをよしとし、努力を終えてしまう道。

もうひとつは、頂きにあることを未来までも続かせ、栄光への苦難を継続する道。結果として、トップの座にとどまるか、滑り落ちるかの可能性がある。

もちろん、なでしこジャパンが後者の道を選ぶのは明らかだ。他国は研究し、得意の芽をつぶそうとする。頂点にいることのプレッシャーはいかばかりか、想像することは困難だ。試合ごとに浮き沈みを経験し、オリンピックでは相当の波にぶちあたることは確かである。

世の中には、打つ手がなんでも当たり絶頂期にいて得意顔の者がいる。反対に、やることなすこと裏目にでて失意のどん底に沈む人もいる。最盛期がずっと続くわけはない。同様にどん底が長く続くように思えても、永久に続くことはありえない。

なでしこも苦難のときがあった。そして今の栄光も過去のものとなる。しかし彼女らは、未来をあきらめずに互いを信じ合って進んでいくだろう。どんなに辛い時期がくるとしても。

いずれにせよ、なでしこジャパンであろうと、市井の私たちであろうと、死ぬまで戦いは続く。栄光を継続させるための戦い、苦悶から逃れるための戦い。苦闘ではあっても、そこに幸福への道はきっとある。
白い家カサブランカに恋してる [2011年07月19日(Tue)]

あたし、カサブランカが好きなの。ゴージャスなあの大きさ。一見真っ白なようでほんのり自分の色に染めあげる強さ。匂い立つ個性のきらびやかなこと。

この写真、咲ききって散る寸前のカサブランカね。濃厚だわ。私はほんの少しだけ開いたカサブランカが好き。盛りはまだこれからって主張するからよ。そういうあたしは、濃厚なピークを過ぎた人なのよ。もう若いとは言えない。のぼせてしまうほどの時節は過ぎたけど、まだまだ魅惑の人ではあるつもり。十分に香しいわよ。

あたしは、カサブランカを愛してきたの。なんとも言えず、妖艶でしょ?淫らさを感じさせてくれるわ。そんなカサブランカは、あたしに重なるようで好き。真っ白で純に秘められた淫らさかしらね。

花屋さん。たいてい花粉を取るでしょ?服を汚してしまわないように。でも私は取らないわ。痕跡を残すカサブランカは好きだわ。私も愛した人に愛の跡を残した。それ以上に愛しい人の痕跡を受け入れた。幸せの痕跡も、愛するゆえに傷つけられたことも。

あたしが一番輝いていたころ、愛する人と住んだのが湖岸の白い家。そう、スペイン語でカサ・ブランカよ。もちろん庭には数え切れないカサブランカを育てていたわ。ほんと、しあわせだった。毎日が充実してて。

愛しかった睦まじかった人たちは今はあたしの前にいない。でも思い出して、あたしのことを、あたしが死んだら。お葬式はいいの。どうか、宍道湖の岸にありったけのカサブランカを浮かべてちょうだい。天に昇るあたしの供養になるわ。覚えておいてね。
撫子はブルーにあらず薄ピンク [2011年07月18日(Mon)]

私たちがよく、感動したり、感極まって言葉をなくしたときに口にするのが「ほんとに!」である。「本当に」ではなくて、「ほんとに」とひらがなで書くのがふさわしい。「本当に」が本来持っている意味、真実であること、本物であること、事実であること、正しいこと、適切であること・・そうしたものを超えた意味と感情が表現される。

なでしこジャパンの世界一はご承知のとおりだが、佐々木監督のピッチ上インタビューをYoutubeからひろってみた。「ほんとに」の感情の深さ、多様さを本当によく感じることができる。

(いまの気持ちを)
 え ほんとによく 選手 粘り強くやってくれましたね
 ほんと 日本の皆さんもですね
 え テレビですごく応援してくれたんだと思います
 それが通じたんじゃないですか はい

(PKのときは皆さんから笑顔が見えました)
 いやー もーほんとにね 最後の最後まで
 PKはね どっちになるかわかりませんけど
 ほんと ありがとうございます。

(PKはなかなか見られなかったように見えましたが)
 いやー そんなことないですよ
 意外に冷静です もーほんとに
 はい ここまでくればね も 十分ですから はい

(あらためて世界一です)
 はい も ほんとですね
 ぼくもびっくりです。
 もー ちっちゃな娘たちがですね
 まー 粘り強くよくやってくれました
 もー 日本の皆さんもね きっと喜んでいただいていると思いますので
 ほんとに朝早くから応援ありがとうございます はい

ともあれ、この7回の「ほんと」に表現されたとおり、最高の勝利、目頭が熱くなるような逆転劇であった。被災地の方々にも「ほんとに」大きな力となったことだろう。

(写真は、なでしこと同じ薄いピンク色のネムノキ)
ハリーとの歴史終わりてポッタポタ [2011年07月17日(Sun)]

映画のエンドロールが始まると、そそくさと席を立つ人がいる。なかほどから終盤にかけて、半分くらいの人が退場するだろうか。私は時間に追われていない限りは、たいていは場内が明るくなるまで席にかけている。

ひとつは余韻を楽しみたいから。またあるときは出演者やスタッフの名前を確かめたいときに。同時にその膨大さ、制作に関わる人の多さに驚く。エンドロールの終わりのころに時折おまけ的に映像が出てくるときもあって楽しい。ブログに書く感想の構成や書き出しが浮かぶこともある。

昨日の『ハリーポッターと死の秘宝パート2』も、最後までじっくり座っていた。『ハリーポッターと賢者の石』日本語版が発行されてから12、13年。かわいらしいメガネのダニエル・ラドクリフ君が起用され映画が公開されてから10年近くつきあってきた。というよりは、多くを得てきた。

その物語とのお別れだと思うと感無量だった。友情と信頼、大切な人との絆を守り、団結と勇気の力によって悪との戦いに勝利をおさめるというこの壮大な物語。エンドロールがずっと続いてくれることを私は願っていた。
玄海の玄海を見たメール文 [2011年07月16日(Sat)]

なかなか用意周到でこなれた感じのメール文である。
同時に、あけすけで十分に状況を吟味していないメールである。

九州電力が7月14日付けで出した「経済産業省主催の県民説明番組への意見投稿呼びかけに関する事実関係と今後の対応(再発防止策)について」という報告書から、渦中のやらせメールの本文を読んで、私が感じたことだ。以下はその引用だ(太字は筆者が強調したもの)。

【ご依頼】国主催の佐賀県民向け説明会へのネット参加について

協力会社本店 各位

平素よりお世話になっております。
メール投げ込みにて失礼を致します。
標記については、報道等により今週末に開催される旨、既にご承知のことと
存じます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●件 名:国主催による佐賀県民向け説明会(原子力発電所の安全性)
●日 時:平成23年6月26日(日)午前(10時〜11時30分の予定)
●内 容:説明会の方式は国が調整中.混乱を避けるため、県民4、5人が
     経産省原子力安全・保安院と資源エネルギー庁の担当者から説明
     を受け、疑問点や不安に思う点などを質疑する予定。
●配 信:
    (1)やり取りはケーブルテレビとインターネットで生中継され、視聴者
     からの質問もファクスや電子メールで同時に受付。
    (2)アクセス可能なwebsiteアドレスは、現時点で未公開ですが、佐賀
     県庁HPや経産省HPに掲載予定。あるいは、Ustreamにて”genkai”
     あるいは”玄海”等で検索することによりアクセス可能。
    (3)小職にて、継続してサーベイし、判明次第、追って追伸予定。
●その他:(中略)

本件については、我々のみならず協力会社におかれましても、極めて重大な
関心事であることから、万難を排してその対応に当たることが重要と考えて
おります。

つきましては、各位他関係者に対して、説明会開催についてご周知いただく
とともに、可能な範囲で、当日ネット参加へのご協力*をご依頼いただきま
すよう、御願い致します。

 *:説明会ライブ配信websiteにアクセスの上、説明会の進行に応じて、
   発電再開容認の一国民の立場から、真摯に、かつ県民の共感を得うる
   ような意見や質問を発信。
(以下略)

どこが、用意周到でこなれた感じなのか。

・子会社や下請け会社へこうしたメールでの要請をひんぱんに行っている慣れた感じが文面にでる。
・ウェブサイトアドレスを「小職にて、判明次第、追って追伸」すると、きめ細かで丁寧。
・おそらくメール一斉送信のリスト化されて簡単に送ることができるようになっていることと思う。

そしてどこが、あけすけで十分に状況を吟味していないのか。

・「極めて重大な関心事であり、万難を排して云々」と、原発推進のみの立場から述べていることは、秘密裏に当たるべきなのに、その旨がない。
・当日テレビの視聴を勧めるのみならず、「県民の共感を得うる再開容認の意見」を一県民を装ってネット意見を述べるよう文面に書いた。
・佐賀支店からは、原発再開容認意見の事例文6つも用意して、口頭で要請したこと。
・転送もコピーも自由自在な電子メールで送ったこと。

菅総理に端を発したストレステストとやらせメール事件。これらによって、玄海原発をはじめ、原発は即廃止というわけにはいかないが、かなり長期的な目で脱原発となっていく可能性が高い。原発を増やすことはもはや限界であり、長期的で厳戒な管理態勢で脱原発の動きをせざるを得ないだろう。今回、九州電力の役員も、メールを送った担当課長も言海、言葉の海に飲まれてしまったもようだ。
暫定の領海軸に交渉を [2011年07月15日(Fri)]

切れ長の目、長身で少しお茶目な貴公子、チャン・グンソク。今や日本では飛ぶ鳥を落とす勢いの韓国スターである。私も、ドラマ『美男<イケメン>ですね』を見たことがある。アジア各国でも人気が爆発している。

彼を好きな日本人女性は、竹島のことを意識したことがあるだろうか。もちろん、ないと思う。そもそも多くは、竹島の領有権が日韓で問題になっていることを知らないだろう。一方で、J−POPが好きな韓国の女性たちも、少年少女も竹島のことはよく知っているという。当然「竹島は韓国固有の領土で、日本は無体にその領有を主張している」という認識だ。

過去のいきさつはここでは置くが、領土問題は海の領有、すなわち漁業権や海底資源取得権に直結する。領土問題が解決するまで暫定的な約束ごととして、平成11年に発効した新日韓漁業協定がある。この協定では広大な暫定水域が設定されてはいるものの、竹島の領有国が未定であるために排他的経済水域(EEZ)の境界が画定していない。したがって今は、暫定水域内において日韓両国の漁船が、それぞれ自国のルールで操業している。

ところが韓国はしたたかだ。この水域は、底びき網漁やズワイガニ漁のいい漁場なのだが、韓国漁船は資源を乱獲したり、違法にも日本漁船の閉め出しを行い、日本の漁船や漁船団は旗色が悪い。日本海側の関係県やJFは協調して国に対して要請活動を行っているものの、国の動きは以前から鈍い。ともかく、竹島の領土権はどちらにあるかを確立し、EEZ境界線を画定しなければならないが、それまでの間は暫定水域と周囲で安心して操業できなければ意味がない。

領土問題は多く戦争の原因となる。戦争という手段で他国との紛争を解決しないと憲法で言い切った日本に残されたのは、口八丁で相手を言い負かし、ときには華麗な話術で笑顔の相手を言いくるめ、関連国を巻き込みながら味方に引き入れていくことしかない。しかし、竹島のことでは言うべきを言わず、尖閣諸島(対中華人民共和国)ではそもそも領土問題は存在しないと、したり顔だ。日本は武力以外の手法で、しかと戦うべきなのだ。

チャン・グンソクに戻る。領土問題があるといっても、文化の交流はまた別のことである。多くのチャンネルをつなげることによって、決定的な関係悪化は防ぐことができる。
なでしこやフランクフルトが揺れている [2011年07月14日(Thu)]

なでしこジャパンのスウェーデン戦
前半戦終わりごろから観はじめた

昨夜は暑い寝入りばな
だが夜中は布団が必要

空は白んで
池のウシガエルが騒々しい
ニーニーゼミが長い息で空気をつんざく
突如ヒグラシの声
初めは一匹
やがて重なり合い協奏する
まるで異世界へいざなうかのように不思議な響き
ニーニーゼミも増えた

水鳥のけたたましい鳴き声
山鳩がぽっぽポポとほんわかだ
小鳥が種々さえずりだした
窓から見える空はすでに明るい朝の空

さあ後半戦が始まった
15分
やった!澤が勝ち越し点
すごいぞ!川澄2点目だスーパーゴール
玉の汗熱中症に気をつけて [2011年07月13日(Wed)]

朝から毎日天気がいい。少し歩くだけで大汗をかく。それが長い時間続くと熱中症の危険がでてくるので、水分補給が必要だ。その際、塩分をどの程度まで摂取するかが問題だ。ひどい大汗をかくと、食事で摂った塩分では足らず、お茶や水といった水分補給だけでは危険があるという。

では、大汗の目安はどのあたりにあるのだろうか。今日夜のNHK総合『ためして合点』の「血液からツヨくなる!熱中症で死ぬもんかSP」を見てよくわかった。

■運動したり、野外・高温多湿の室内で作業するとき
■玉のような大量の汗を長時間(30分から1時間以上)かくとき
■腕を水洗いしてから、なめてもしょっぱいとき

こんなときは、こまめに水分だけでなく、食塩を補給することが必要。

さらに、汗を積極的にかくことで暑さに強くなるけれども、運動後に牛乳を飲むとより効果が高まるとのこと。なぜならば、運動後にたんぱく質を摂るとアルブミンが合成されて、血液の量が増え、汗をかきやすくなって体温が上がりにくい体質になるからだと。

明日も暑い。暑くて上昇気流が強いから夕立が降りやすい。夜は幸いに冷えて眠りにつきやすい。今夜は早く寝て明日は早めに起きることにしよう。なでしこジャパンがスウェーデンと対戦するのを観戦するために。
信じ合い袖ふりあうは他生の縁 [2011年07月12日(Tue)]

温かくて柔らかい関西弁がある。軽快で人をのせていく関西弁は愉快だ。人をどつくような激しさをもっていても、人情の機微を感じ心のひだに分け入る細やかさがあるからこそ信頼と安心が生まれる関西弁もある。「人はみな遣りきれない思いをかかえて生きている」という導入のナレーションを関西弁がしっかりと支えている。

4月に読んだばかりの小説『阪急電車』(有川浩著,幻冬舎)を原作にした映画『阪急電車=片道15分の奇跡=』を先日観てきた。

袖ふり合うも他生の縁というやつで、年配の時江(宮本信子)が、結婚式に討ち入ったばかりの翔子(中谷美紀)と交わる場面は圧巻だ。単に言葉だけでなく深く心を通い合わした二人のやりとりはこの映画の白眉と言える。恋人を寝取られた翔子は毅然と矜持を保ち張り詰めていたが、時江が示した人情の琴線にふれ心を溶かす場面。一気に感情が複雑に吹き上げる女心を見事に現した。

ここに登場する人物たちは、自分も他人もよくなろうと頑張って生きている。その縁をとりもつのが片道15分阪急電車の今津線。そんな彼ら彼女らが少しずつ交錯して出会って縁をつくっていく。ホロリとくる場面も多く、もっと電車に乗りたくなってくる。

ガタンゴトンと電車と線路が出す音はかなり大きい。静々と進む電車の中で物語は進行していくが、実際の電車の中でもあんなに静かだといいなあ。現実は聞き取りに苦労するものだが、映画はやはりきれいにできている。
涼しげで実は灼熱夏の空 [2011年07月11日(Mon)]

昨日は一日中、夏の空。
空気が澄んで遠くの景色もくっきり見える。
空は一面涼やかなブルー。
刷毛でシャキシャキと掃いたような雲、
こんもりと綿菓子をおいたような小型雲。
午後からは絵に描いたような入道雲。
冷房が効く車内から見れば涼やかだ。
しかし一歩外へ出れば蒸し暑さで体が浮き上がるよう。
まだ、7月の前半なのに、今年の夏も怖い(>_<)

そして今日も、暑いあちい、あづい・・・ょぉ
純朴でまっすぐ少年つながって [2011年07月10日(Sun)]

スティーブン・スピルバーグ製作の『スーパー8』を先日観たが、最後までタイトルの謎は解けなかった。

主人公となった少年たちは6人。両男親を足して8? いや、違うと思う。宇宙船の足(支柱)も8本はなかったし・・・・。ストーリーもテーマもわかりやすいというのに、タイトルの謎に引っかかりが残る。

理解し合っていく二人の男女。まだ年は若い少年と少女だが、彼らなりに愛を深め合う。まずは男女の愛の物語。

そして、少年も少女も女親がいない。それぞれの男親との溝。生命の危機を経て関係が修復され、今までなかった家族愛が生まれる。また、主人公の母親が死んだきっかけが元で亀裂が生じ、完全に仲違いしていた男親どおしが、子供のたちの思いでもって睦み合う姿に変わっていくのもいいシーンだ。

未知(アメリカ軍だけが隠し拘束していた)の高等生物に、純粋な心を持った少年の心が伝わるという点では、「E.T.」と似ているが、あの映画の頃と比べれば、人間と人間社会の質は落ちたというスピルバーグの認識があるような気がする。

時代設定は1970年代も終わりの頃。なぜならばウオークマンに夢中になっているコンビニの若者がいるからだ。巨大さと目にも止まらぬ俊敏さと超のつく怪力と、さらに強い念力まで持つ宇宙人。しかも優れた技術力と頭脳もある。姿を現さないスリルにビクビクさせられるところは、「エイリアン」を思い出す。宇宙人としてはE.T.よりはエイリアンに近い存在だ(地球人にとって)。

エンドロールに入ると、少年たちが作ったムービー映画が、事件のあらましを振り返って、一部宇宙人の姿も入れながら紹介される。ムービーは、純朴でまっすぐな少年少女、彼らの成長もよく表現した8ミリ作品だった。

ひょっとして「8」とは8ミリ映画のこと?
ストレスは人にも物にも与えてよ [2011年07月09日(Sat)]

ストレス・テスト。別名「負荷検査」。菅首相の発言で突然有名になった。電気製品や部品の安全性を確かめる試験の際に、必要電圧や電流、振動などが予想外の条件で使用された場合に備えて、機械の確実性を確認するものである。アメリカでもって金融界に応用され、悪い事態が生じた場合でも顧客の損失を最小限に抑えられるよう想定するリスク管理とのことだ。情報システムであれば、膨大な処理すべきデータを集中させて支障がでるかどうかを確かめる。就職試験でもって、受験者に面接官がつらくあたる「圧迫面接」のことも、ひょっとしたらストレステストのうちに入るかもしれない。

どんな負荷を考えていくか。EUが6月に構想した方法は、地震、津波、洪水などによって、原発の電源がすべて失われたとしても、原子炉や使用済み燃料プールを冷却する対策がとられているかがポイントとなる。また、放射性物質を大気中や土壌、海、川に広げないための対策についても検討する。

さて、日本の場合はどうするだろうか。福島第一原発を襲ったような地震と津波を国内すべての原発に適用するかどうか。さらに考えるとすれば、

・飛行機が不慮の事故で突っ込んでくる
・テロリストが飛行機や大型爆弾を積み込んだヘリコプターを自爆する
・隣国がミサイルで狙ってくる、事故でミサイルがたまたま命中する
・感染症などの病気で原発に関わる技術者がすべて倒れるか、死亡する
・内部関係者の一部が狂気におちいり、内部から原子炉を崩壊させる
・小惑星が直接に激突する、海に落ちて大津波となる
・異星の高等生物が地球侵略の足がかりとして原発を攻撃する

ここまでくればSFの世界だが、起こる可能性と費用の案配を考えていかなければならない。ところが、フクシマの事故によって、そのバランスは大きく変わってしまった。

ともあれ、現実に強烈なストレスにさらされてきて、今も苦しんでいる被災した人や放射線被害避難者は、被曝のチェックだけでなく、ストレスチェックが必要だ。
梅雨明けて炎暑の夏になりにけり [2011年07月08日(Fri)]

梅雨明け宣言が出た。外は炎暑。夕方に冷房が切れて、窓を開けると熱い空気が飛び込んできた。また激暑の夏になりそうな、暑い予感。先が思いやられる。

宍道湖大橋から西を望んだ写真だ。ダイナミックな茜雲とオレンジに染まった飛行機雲が、湖上にそびえ立っていた。

私が向かったのは島根県立美術館。「松岡映丘展」の関連イベント『ナイトミュージアムThe源氏物語』に参加してきた。倍率は約7倍。運よく選ばれた者として、満喫してきた。

映丘の源氏物語屏風を前にした六嶋氏の語り。澪標と橋姫の帖を題材にした屏風の前に畳を敷いてあり座布団に座る。

閉館後の独特な雰囲気。照明は最小限で、ろうそくがちらちらと燃えている。もちろんよくできたLEDだ。語り手が登場、思いがけず十二単である。静々とお付きの平安調着物の女性に裾を持たれて、少し高い位置の演台に正座した。最上の演出はなった。

語り手は「紫式部でございます」と名乗り、物語の成立過程や大きな筋書きを雅に、かつ歯切れよく語り、本文を情感たっぷりと品よく読み語った。参加者は皆酔いしれていたことと思う。

映丘展は7月18日まで。弟子の一人があの橋本明治。一家は俊英ぞろいで、兄に民俗学の大家柳田國男がいる。雅な日本画にたっぷりと浸るのも悪くない。
やっと逢え遠く光に七夕夜 [2011年07月07日(Thu)]

 やあっ ひさしぶりだね げんきだったかい?
   ・・・・・・・・・
 どうしたの? だいじょうぶ?
   ・・・・・・・・・
 いちねんぶりだよ こえがききたいなあ
   ・・・・・・・・・
 むりもないよね いちねんぶりだからね
   ・・・・・・・・・

寡黙な織姫と焦る彦星が今夜は出会ったかもしれない。ほんとうのところ二人の今宵はどういうふうに過ぎたことやら。今日は七夕。

織女星と牽牛星。別名、琴座のベガと鷲座のアルタイル。両恒星の直線距離は17光年であるという。光の速度で17年かかる場所に恋人たちは離されてしまった。一晩で逢い引きをするすべはない。中間地点で逢うとすれば、光の三千倍の速さで落ち合うか(365日×17×1/2=3103)、宇宙空間を折りたたむしかない。まっ、無粋なことはやめておこう。

ふだん同じフロアとか、同じ組織で仕事をしていて顔を合わせてはいても、じっくりと話をする機会に恵まれない面々で一献傾けた。楽しく本音を交わし合い、にぎやかな一夜を過ごした。織姫と彦星ほどごぶさたではない。だがまた、明日の金曜日につながる楽しい一夜であった。

雨はやんだ。雲間にベガとアルタイルが見えた。むろんくっついてはいない。
団扇とはセンスが違う扇ぎみて [2011年07月06日(Wed)]

扇子と団扇。いつだったか、両者の風は違うという新聞の記事を読んだことがある。試してみた。科学的根拠には基づかない、多分に感覚的だが、違いを述べてみよう。

扇子は軽くあおいでも、風の息が長い。団扇は強くあおげば強いが、弱ければそれなりだ。

団扇は鷲づかみに握る、どちらかといえば強めだ。扇子は軽めに握る。持ち支えるという風情であるからわずかの力で風がくる。

団扇がどこか大雑把な印象を受けるのは、火を起こしたり、暑がっている誰かに風を送るときの雰囲気で、ガサガサばたばたとあおぐからだろう。でも、浴衣の美女は団扇を優雅にゆったりとあおがねば、さまにならない。

扇子に微妙な味があるのは、ジグザグしたひだがあるお陰で、風が旋回して渦を巻くような感じで、いい風の趣きができるからかもしれない。

扇子はひだも含めて扇形がいかにも曲線的で優美さを醸し出す。竹で細工した軸の一本一本も涼やかだ。一方で団扇は直線的だ。確かに丸くはあるが、平べったいから力強い直線に思えるのかもしれない。

昨日の夕方に見た飛行機雲を巨大な扇子か団扇で作るとしたら、どちらだろう。細く長くまっすぐに。扇子に軍配が上がることだろう。団扇ならば、掻き消されて雲散霧消してしまうかも。

P.S. そういえば軍配は扇子の形をしているなあ。

(2011年8月3日追記)
この文を書く前にあれこれと実験してみた。団扇と扇子を比べて。ただし、団扇の骨はプラスチックのもの。プラスチックの団扇は少し重い。しなりが手への抵抗となって重い感じだ。竹骨の団扇は違った。自重もそうだが、しなりも軽い。夏の涼ををとるにふさわしい軽さだった。
辞めさせて稀代の内閣ここまでよ [2011年07月05日(Tue)]

思えば惜しい人を辞めさせたものだ。反面教師の教材して、またとない人材であったと思う。

人の上に立つ者は謙虚であらねばならないこと。
相手が格下であったとしても上から目線で話したり、脅してはならないこと。
地方は僕(しもべ)、中央政府は主人という主従関係ではないこと。
威圧的に人を人とも思わない言動が、いかに人を不信感に陥らせるかということ。
困難をかかえた人に寄り添い、なかでも被災した人々を温かいまなざしで見守り復興を助けなくてはならないこと。
地方議員も含め国会議員は下じもを従える偉い先生ではなく、住民をしっかり支えるべき使命があること。
マスコミがいる場所はもちろん、腋の甘い奔放な言動は慎むべきこと。

あらゆる嫌がらせや差別をこの男は体現しているのではないかと思わせてくれる。いってみれば、セクハラ、パワハラ、モラハラ、アルコールハラスメント(酒の無理強い)、レイシャルハラスメント(人種的偏見にもとづく嫌がらせ)、エイジングハラスメント(高齢者への嫌がらせ)など、この男ならなんでもありそうだと想像してしまうほどの強烈な言葉だった。

暴力的言辞を浴びた知事も、あっけにとられたということもあるが、マスコミという味方がそばにいたわけであり、こうした言葉の暴力に対してはきちんと言うべきは言って(その場で)対抗できる知性的な知事であってほしかったと私は思う。宮城県知事に対してこの男が発した内容をユーチューブから拾ってみた。

(水産特区については)「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々、何もしないぞ。だから、ちゃんとやれ。今、あとから自分は入ってきたけど、お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか! 長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった? はい、しっかり、あの やれよ! 最後のことはオフレコです。いいですか。皆さん、いいですか? 書いたらその社は終わりだから(笑)」

差別の見本市として、反面教師としての人格をもっと世に広く展示したくなる見事さだ。菅内閣はチャンスであった。こんなふうな強烈な男を金看板にして、誰でもが「こんな人間であってはならない」とメッセージを発する反面教師を前面にしていたら、後世に名を残す内閣になったかもしれないのに。

力がない上に、部下には激高し威圧し(ああ、辞めた人と同じだ・・・)、味方からはそっぽを向かれ辞めさせられようとしたときに、一世一代の大博打で首の皮一枚つながった首相というだけ存在だったのが、この男をもっと活躍させていたとしたら、稀代の教育的内閣として後世に名を残しただろうに。さぞ、残念であろう。
涙腺が緩むでないよただこぼる [2011年07月04日(Mon)]

dvc00054.jpg年齢を重ねると涙腺が緩んで、涙もろくなるという。人情の機微に敏感になって、相手の話や映画・小説といった物語に自分の人生を重ね合わせ、感情が豊かになった証拠であるともいう。

しばらく前にテレビで見たのだが、実は歳をとっても涙腺は緩まないのだそうだ。ただ単に、鼻涙管が詰まるだけなのだそうだ。すなわち、鼻涙管が加齢で詰まりやすくなると、涙腺から流れ出た涙が、目から鼻に抜けないということなのだ。だから溢れ出してしまう。

少し哀しい気がした。華麗な主人公の生活に夢を重ね、主人公が悲しめば我が人生の不遇を思い出し、涙が頬を伝う。。。。それが加齢によるものであるとは。。。

しかし、それでも涙腺は感情の代名詞だ。泣けばすっきりと明日の意欲が湧いてくる。ハンカチ当てれば何かのヒントが感じられるにちがいない。
風評は尊厳壊す般化なり [2011年07月03日(Sun)]

放射性物質汚染に関する風評被害のピークは過ぎたかもしれないが、まだまだ酷い状況は続いている。風評被害とは、正確でなかったり嘘の情報(うわさや報道)によって、本来は関係のない人まで損害を受けることである。

となると、「福島ナンバーの車は放射能で汚染されている」とか、「福島から避難してきた生徒に触れないように避ける」といった動きは、風評被害を超えている。ベクレルの検出数値が基準値よりはるかに下回るのに、農産物や水産物、さらには工業製品まで売れないというのも、不正確な知識や必要以上の恐れからくる過剰反応だといえる。

もはやこれは、風評による被害ではなく、差別による被害であるように私には思える。差別とは、「あれ!」とレッテルを貼って相手をおとしめる陰湿な行為である。自分たちとの違いを大げさに騒ぎ立てて、相手の尊厳をぶちこわす非難すべきことである。

ほかにも、ピンと来る説明に出会った。

≪「風評被害」は、根拠のないうわさ話が流れ、人が惑わされることで起こる被害という意味になります。でも、これは風評被害といっているものの本体とは違っていて、誤解を招く原因になっています。
 私の考えでは「風評被害」ではなくて、「般化被害」というのが、実態にあった、一番、適切な表現です。
 「般化」というのは、恐怖や不安を起こす対象が、本来のものから他のものへと広がっていく現象です≫ (仁平義明白鵬大学教授「被災地の友へ―希望への一歩」大白蓮華2011年7月号)

そうか、差別による被害に併せて、般化による被害と言えるのだと納得した。黄色い自動車に当てられて重傷を負って以来、黄色を避けるようになるとか、不衛生な食堂で刺身のノロウイルスに感染し入院して以来、刺身や魚が食べなくなったとか、それらも般化によるものであろう。原発と聞いただけで、東電と聞いただけで強い忌避反応を起こすのもこの般化の一種であるのかもしれない。
生き抜いて生きることこそ意味がある [2011年07月02日(Sat)]

dvc00087.jpg先日警察庁から「平成23年の月別の自殺者数―5月末の暫定値」が発表された。大変な数字が出てしまった。

1月 2,276人 2月 2,146人 3月 2,445人 4月 2,693人 5月 3,329人

一般的に月に3千人を超えることはあまりない。平成21年3月に3,103人という数字が出ているが、3,300人を超えるとは・・・・。

私はこの3月22日に「半年の違いで世界は変わりゆく」と題し、こう書いた。

≪1998年以降13年連続で3万人を超えた自死が2万人台、あわよくば1万人台に減ると大胆に予測したい。なぜならば、温かいまなざしと励ましによって、あるいは震災をきっかけにした人と人との絆が強まる。そして数え切れない方々の無念の思いを、無にすまいという意志が強まるに違いないからだ。≫

直接の被災者や間接的に被害を受けた方々は、今も必死に戦っている。地球がもたらした大災害と人類の傲慢がもたらした人災、政治の無力さに怒りを向けつつも、現に力強く復興への歩みを進めている。

唖然とテレビを見つめていた数週間、数ヶ月が終わってみたら、自分自身の足下が揺らいで生活が脅かされていたのかもしれない。苦しかった現実がさらに厳しいものになっていたのかもしれない。でも死なないでほしい。あの震災を見て「今の自分にできることはないだろうか」と考えて、だれもが小さくても何らかの行動を起こしてきたはずだ。苦しみが自分に押し寄せてきても、死への誘いを厳然とはねのけてほしい。

先日、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』で主人公の父親が、こんな意味のことを息子に叫んだ。「おまえの命はおまえのものだけじゃない・・・・死ぬべき人間なんていない」と。

そのとおりだと思う。死なないでほしい。死なずにこの未曾有の国難に立ち向かおう。地震と津波と原発だけではなく、各人が直面している困難にも立ち向かって生き抜いてほしい。あなたが死との戦いに勝ったとき、それをひとつの頂点、象徴として、他の多くの人も意欲の減退を乗り越えていくに違いない。私たちは日本という土俵で団体戦を戦っているともいえる。だから死にたい気持ちを前にしていても、決してあなたは一人ではない。どうか死なないでほしい。
節電の制限令は今むかし [2011年07月01日(Fri)]

今日から開始された【電力使用制限令】。東京電力、東北電力管内でもって電気事業法に基づく発動となる。第1次石油危機以来、37年ぶりであるという。最大で昨年比15%の削減。医療施設や鉄道、ホテルなどは段階的に削減率がすくなめられるが、全般的に始業や終業時間を早めたり、休日のシフトなどの節電が本格化する。

制限令と聞いて、【戒厳令】を思い出した。戦時体制や軍隊がクーデターを起こしたときなどに発令されて、夜間外出禁止や集会禁止が打ち出される。

その他、令といって思い出すものと言えば【異国船打払令】。19世紀前半、オランダ船を装って無法を働いたイギリス船に業を煮やし、国を問わず理由を問わず外国船を追い出せと幕府は命じた。

貨幣経済に対応できなくて困窮する武士階級を守るために鎌倉幕府や室町幕府がよくだした借金棒引き【徳政令】もイメージされる。国家総動員法を根拠に強制的に軍需工場に労働力を集めた暗いあの頃には【国民徴用令】。明治初年のころ発布された【廃刀令】や【断髪令】も思い出す。

どうしても、令には古臭く大時代の仰々しさを感じてしまうのだ。

(コメント)
生類憐れみの令を思い浮かべちゃいました。
これまた古いっ(汗)

投稿者 みんみん : 2011/7/2 (土) 11:31

確かに。。。それもありましたねえ。井沢元彦説(逆説の日本史)によれば、蚊にいたるまで殺生を禁じることによって、それまで物騒だった江戸が、めったなことでは刀を抜かない平和な町に変わったとか。となれば名君ですね。

投稿者 house21 : 2011/7/2 (土) 22:57