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望んでも苦労したくないけれど [2019年07月17日(Wed)]

fumihouse-2019-07-17T18_20_47-1-thumbnail2.jpgさまざまな苦悩がある。
望みもしないのに勝手に招かれる苦悩。
蒔いた種ではないけれど押し寄せてくる苦悩。
自らがおびき寄せた苦悩。
自己責任とも、自業自得という名の苦悩。
身から出た錆という言い方もある。
いずれにせよ、当人にとっては苦悩そのもの。
苦労とは眼前にそびえ立つ山。
自分の中に望んでつくる苦労もある。
艱難辛苦とは言えない小さなものであっても、
乗り越えた喜びは大きい。
そんな楽しみでもって、
気高い自身を築くことができるだろう。

(楽しげに咲いているアサガオにも苦労はつきないことだろう)
燃え尽きて天の国にて会えるのか [2019年07月16日(Tue)]

fumihouse-2019-07-16T21_04_23-1-thumbnail2.jpg『天国でまた会おう』は美しくも残酷、そして少し笑えもするフランス映画だ。舞台は第一次大戦で独仏が対峙した塹壕の中。そして戦いに勝って繁栄するパリ市内。

年配の元仏兵士アルデールは、同じ部隊だった若いエドゥアールと大博打を打った。エドゥアールに宿った類いまれな絵の才能。戦没者記念碑の建設巨費をだまし取る計画を二人は成功させた。騙した相手はエドゥアールの父だった。

戦死を偽装していたエドゥアールは、確執して別れた父を二重に騙した。エドゥアールが絵の道に進むことを許さなかった父と彼は相容れない。袂を分かった父子だったが、父は息子が生きていると知る。二人は抱き合い和解した。しかし、息子は「天国で会おう」と言い残して命を絶った。

傷痍軍人となったエドゥアールには鼻から下の顔がない。言葉も失った。身体と精神がそろっていない彼にとって、自分は自分でなくなった。どんなに絵の才能が際立っていても彼は彼として完結しなかったのではないか。顔がないことがどれだけの悲惨をもたらすか、私には想像できないのだが、エドゥアールには生きる希望が残されていなかったのだと思う。

彼はアルデールと少女と三人で暮らした。二人がいたからエドゥアールは生きた。大きな存在だったと思う。でも、それは自分の喪失感を埋め合わせるのには足らなかったのだろう。そこに、父との相克でぽっかり空いていた穴が埋まった。父と和解して最上の幸福感を得てしまったエドゥアールには、もう喪失は考えられなかった。だからそこで、ジ・エンドとしてしまったのだろうか。幸せでお腹いっぱいになったようにも思う。生きよ!生きて喜びを絵で表現せよ!という声が聞こえたのかもしれないが、彼は燃え尽きた。

(エドゥアールは燃えて真っ白になってしまった。カスミソウは燃えて灰になったわけではないが)
風切って風から逃げて月がある [2019年07月15日(Mon)]

fumihouse-2019-07-15T22_37_03-1-thumbnail2.jpg雲を切って月が走る
湿った空気と風をもたらす低気圧
それと一緒に雲がやって来た
満月を覆い隠そうと雲が走る
月は逃げる
雲なんかに捕まってたまるか
逃げろや 逃げろ
わたしは捕まらないよ
そんなふうに見える満月前の今夜の月と雲

(ダリアの花も走るだろうか。たぶん配送のトラックとともに走る)
傾聴の心をのせて隠し預金 [2019年07月14日(Sun)]

fumihouse-2019-07-14T08_08_09-1-thumbnail2.jpg真剣に相手の話を深く聞く、すなわち傾聴するためには、心意気のほかに技術も必要だ。自分が聞きたいことだけを聞くのではなく、丁寧に耳を傾けるからこそ、傾聴という字が当たっている。共感的態度で受容することができれば、心は開かれて、来談者は答えを自ら見いだしていく。

【聴】の字を分解してみよう。<耳>をまっすぐにして、<目>を見開く。目が吊り上げられて横になっているということは固定観念を打破せよと訴えているのか? <心>を開いて下支えにして受ける。

傾聴には、かくしよきん が必要なのだそうだ。不正会計ではない。関心を言葉に表して共感しよう。

 <か> 関心を持つ
 <く> くり返す言葉
 <し> 質問して話を深める
 <よ> 要約する
 <き> 共感する
 <ん> 意見は最後に述べる

(心を目と耳にのせて相手に届けよう。郵便を使うという手もある。松江市内のポスト)
合いの手に相手愛して駆け抜けて [2019年07月13日(Sat)]

fumihouse-2019-07-13T17_05_51-1-thumbnail2.jpg「自分のペースではなく、愛いてのペースに合わせながら話をするのは難しい」というワープロ変換ミスがありました。実にいいじゃないですか。

「愛いて」は「愛い手」。合の手を入れながら相手を見て睦み合いながら二人でペースをつかんでいく。困っていたら愛の手を差し伸べて、調子に合わせて掛け声を差しはさむ。手ごわい難敵には手ぬるい対応ではなめられます。手拍子とって勇気を鼓舞するときもありますね。

働き手が足りないとき、難局に手が余るときは、お互い手を貸し合いましょう。手厚いケアで助け合いましょうぞ。手広くやるのもよし、一瀉千里に一手を定めて駆け抜けるもよし。ともあれ、長すぎる文章は嫌われますよ。どうぞ、手短に!

(ランタナだって季節を合いの手にして徐々に色を変えていく)
夏なれば上着が必須手放せぬ [2019年07月12日(Fri)]

fumihouse-2019-07-12T21_00_08-1-thumbnail2.jpgクールビズだからポロシャツ、通気性のよいパンツに加えて薄手の上着を着ている。暑ければ脱いで手にもつのだが、いま時分上着が欠かせない。冷房対策のためである。

列車やバスの吹き出し口が間近にあると時折寒い。運行者の考えによっては、冷やすのが良い顧客サービスだと心得違いをする場合もあって、上着は手放せない。カーディガンを羽織る女性は日焼け対策も含めて必須アイテムかもしれない。

会議に出席した場合は膝掛けとしても必要だ。膝に乗せてちょうどよい。寒ければ普通に羽織る。どうしようもなければ、主催者に願って設定温度を上げてもらう。風邪をひいてはつまらない。夏風邪ほど辛いものはないからね。

(涼しげな千年ハス。荒神谷遺跡公園の田んぼ池に咲く群落だ。今年は気候の具合か、花の数が少ないようだ)
ティーバーで笑い堪えずバスの横 [2019年07月11日(Thu)]

fumihouse-2019-07-11T19_50_09-1-thumbnail2.jpgバスの横の席に座った若い女性の体が揺れている。首を傾けて様子を見る。イヤホンを付けたスマホを右手に、左手は口を押さえている。笑いを必死にこらえているわけだ。こらえきれなくて、クスクスと声も漏れている。バラエティ番組だ。たぶんティーバーで、見逃した番組でも見てるんだろうね。

笑う門には福来る。笑え笑え、愉快に笑えや。音が出ないように声を出さないように、礼節は備えている。笑い過ぎて体が揺れて息が漏れるのは、娘さんの愛嬌だよ。

笑いは免疫力を高める。一回笑って効果3時間だという。演技で笑ってもよし。はっはっはっと笑おうよ。笑いは体の宝なり。あの娘さんは巧まずして笑いで健康になっていく。さて俺も笑おっと!

(風に吹かれてネジバナも揺れ動いている。これもまた愉快なことなり)
働いて精魂込めてよき加減 [2019年07月10日(Wed)]

fumihouse-2019-07-10T18_46_17-1-thumbnail2.jpg人間とは不思議なもので、働くことに精魂込めていくほどに充実感を味わえるが、それが過ぎると疲れてしまう。ちょっとしたつまずきで精神的な失調をおこすこともある。過ぎたるはなお及ばざるが如しと言う。

反対に働かないとどうなるか。小人閑居して不善をなすと言うとおり。暇をもて余す。第一、カネが回らなくて個人も社会も経済的に困る。充実した毎日を過ごすためには、学業なり仕事なり、打ち込むものが絶対に必要だ。

精神的病いが多いという。みんな疲れているんだ、きっと。仕事のやり過ぎで、身を粉にしてまで働き過ぎで燃えつきてしまうのは残念なことだ。精魂尽きるほどやってはいけませんよ! みなさん、少しは休んでくださいね、と自戒を込めて述べておく。

遊ぶことも大切なこと。一生が一回限りなのは誰しも同じこと。病気をするかもしれない、不慮の事故に遭うかもしれない。先行き不透明な人生にあって一期一会のひとときを大切にしましょうぞ。たまには、気の合う友人とバカ話に興じて、乾杯するのもいいじゃないか。

(アメリカ・ノウゼンカズラの黄色いのは珍しい。黄は映える色、元気の出る色だ)
自転車を押して歩くは壊すもと [2019年07月09日(Tue)]

fumihouse-2019-07-09T17_38_11-1-thumbnail2.jpg自転車に乗らず、押して歩く人を見かける。朝の通勤、リュックスタイルの中年男である。なぜ自転車を押すんだろう、想像してみよう。腹は少々出ており、革靴を履いている。

・・・・去年人間ドックへ行ったんだ。メタボを解消するよう指導されたんだがねえ。少々運動しても腹は引っ込まない。一晩呑めば元の木阿弥さ。まっいいか、と思っていたんだ。そしたらこの冬狭心症だよ。胸が締め付けられて経験したことのない痛みがあった。青白くなって冷や汗も出る。病院で検査してもらったら狭心症だって。本気で痩せようと思ったよ。ジム通いも続かないだろうし、通勤で歩こうかと。職場までは5キロ、これは遠すぎるね。じゃあと思いついたのが自転車だ。歩いて歩いて、辛くなったら乗ってペダルをこげばよい。そんなんで自動車通勤を止めてちょうど3ヶ月経ったところだよ・・・・

自転車で押して歩くのはバランスが悪い。右手がグッと前に、左手はちょこん。肩の張りが左右で違う。ペダルが足に当たるのが嫌だから体の軸は右に傾いて、たぶん肩こりがひどくなる。腰痛だって出てくるにちがいない。バスに乗って停車場の3つ前くらいで降りて歩くとか、リュック持ってるんだからスニーカーにして、徹底して歩く覚悟を決めたらいかがかな?

(アガパンサスが乱れ咲いている。スカイブルーの爽やかな色合いは涼しげだ)
セミ1号使者が来たなり夏始め [2019年07月08日(Mon)]

fumihouse-2019-07-08T16_38_59-1-thumbnail2.jpgセミ第1号である。私が聞いた初鳴きニイニイゼミは、松江の街路で何匹かまとまって多重に奏でていた。昨夏は6月29日、2017年が7月2日だったことからすると、7月8日は少々遅い。

6月後半は暑かったのに、九州中南部に大雨をもたらした線状降水帯が冷たい空気を運んできたのだろうか。この一週間は冷え気味で、セミが外界へ出るのをためらったのかもしれない。

今週末は海の日を含んだ三連休。それから学生たちは夏休み。夏は駆け足でやってきて、あれよという間に過ぎ去っていく。夏よ、適度な暑さであれ。適度に雨を降らせよ。災害を起こすなよ!

(夏の使者・ノウゼンカズラ。たわわに咲くようすは艶かしいが、一輪だけだと程よく品がある)
挑戦と決意の末に活路あり [2019年07月07日(Sun)]

fumihouse-2019-07-07T16_58_08-1-thumbnail2.jpg天才と言われる人がいる。スイスイと上手に楽器を演奏し、新しい概念を簡単に使いこなし、スポーツでもあれよと言う間に玄人の域に達する。傍目には、努力や練習を重ねなくてもできてしまうように見える。凡人には、うらやましく思える。

≪何事も、最初から、うまくいく人などいない。努力を重ねても、なかなか思うようにいかないのが現実だろう。そんな時は、浮き足立たずに「何のため」という原点に立ち返る。心新たに、再び行動を開始する。何度も決意し、何度も挑戦を繰り返す中で人生の活路は開かれる≫ (聖教新聞〈名字の言〉 2019年7月2日付け)

天才とは努力の人であり、丹念に飽かず繰り返す愚直の人であろう。他人には努力の痕跡を見せないところが、天才たる所以である。そして「原点に立ち返る」ことのできる人。思い定めて決意と挑戦を繰り返せば、誰でもなにがしかの天才になれるに違いない。

(天才はある面、目配りや心づかいの天才。自分の持つ資源を一点突破させて状況を開き、人心も収攬して目的を達する。千年ハスの種は面白い)
絶滅の危惧をかかえて各技術 [2019年07月06日(Sat)]

fumihouse-2019-07-06T16_43_59-1-thumbnail2.jpg人口減少時代です。多くの団体や組織が縮小傾向にあり、存続が危ぶまれるものも増えました。危ういことは技能や技術も同じです。継承させて次代に伝えていかなければ、やがて絶えます。過去のものとなって技術は死んでしまうのです。

古代ローマ時代のコンクリート技術もそのようです。現代の石灰と砂と水によるコンクリートはせいぜい百年ですが、ローマのものは千年というではありませんか。が、技術は絶えました。

知識はどうでしょう。知識を紙に文字情報として残したから、人類は知識を幾何級数的に増やして、いま繁栄を謳歌しています。では全てを文字情報や映像によって継承できるでしょうか。意外とこれが難しい。知識を実地に生かそうとしても、コツや微妙な間合いといった情報が意外にも重要になってきます。師弟関係など人から人への丹念な伝承行動がなければなりません。

世の中に消えてしまった技術は山ほどあります。絶滅危惧種は生物の世界だけにあるのではなく、人間社会も例外ではありません。

(飛行機を整備し、操縦し、管制し、席を配置する技術も全てが継承されなければ、二百年後には飛行機は博物館入りしてしまうでしょう)
家と冢二つ並んで分けられぬ [2019年07月05日(Fri)]

fumihouse-2019-07-05T17_14_29-1-thumbnail2.jpg【塚】という字が気になった。墓である。土を盛り上げて墓標とする。転じて、土が小高く盛り上がっている場所や目印のために土を高く盛り上げたものをさす。古墳は両者の意味を兼ねる。古代豪族の墓であり、かつ一族の権力を誇示する象徴となった。

左の「土」は、土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形だという。右の「冢」は、人が腕を伸ばして抱えこんだ象形と足を縛った豚の象形。生けにえの豚を供えたわけだ。

【冢】と【家】は似ている。部首のひら冠、う冠の違いである。家には煙抜きの煙突がある。大きな家や2階建てのない昔は、遠くから見るときっと人家と塚の区別がつきにくかったのだろう。煙突らしい棒が立っているのが【家】。無いのが【塚】というわけだ(これは私の想像)。生きているうちは家におり、死んだら塚(冢)に入る。入るのはおんなじようなものだ。

東京に来ている。東京にも【塚】がある。京王線の笹塚駅、丸ノ内線の新大塚駅など。どんな塚があったのだろうか(^o^;)

(高度九千メートルを超える空、若狭湾上空。大雨を九州にもたらした梅雨前線を避けて、きのうはいつもと違う飛行ルートを通った)
元気出せ心の底から元気出せ [2019年07月04日(Thu)]

fumihouse-2019-07-04T18_00_13-1-thumbnail2.jpgマスコミがよく使う句があります。【元気をもらった】です。感動的な場面に立ち合った人がインタビューに答えてこう言うのも普通になりました。新聞には【感動をありがとう】と見出しがつきます。

元気をもらったり、あげたりできるものでしょうか(あまのじゃくに考える)。元気は受け身の態度でもらうものではないと思います。誰かに会って嬉しく思い、互いを思いやり、縁に触れて刺激を受けて、楽しさを分かち合って、エネルギーを湧き立たせるんです。それが元気だと思います。元気とは受動的ではなく、能動的な精神活動の発露です。

見たり聞いたりした素敵なことに刺激されて、相手が頑張る姿に触発されて感動したのであれば、そう表現すればよい。 元気を“もらった”ような気がしても、心の底からやる気が湧いて出てこない限りは、その場だけのことに終わってしまいそうです。元気や感動は自分の命の底から湧いてくるものです。

(カボチャの花を見て元気になる人は少なかろうが、実を食べると健康になる)
あってほしい希望の観測役立たず [2019年07月03日(Wed)]

fumihouse-2019-07-03T19_48_30-1-thumbnail2.jpg危機管理すべき時が迫っている。いや来ている。九州南部に降り続く記録的大雨によって鹿児島・宮崎では96万人もの人が避難指示を受けている。

大雨が降っているし、予報官がさらに降ると警告しているけれど、快適な家を離れて避難所に移るのは面倒だ。まわりに気を遣うし、着くまでにびちょびちょの道のりを不安なまま進まなければならない。今は小康状態だし、大丈夫じゃあないかい?

そうした希望的観測を誰もがとりがちだ。リスクを最小限に見積もってはならないのだが、そうあってほしくないという“根拠のない希望”が大きくなる。甘い目論見を天災は崩していく。正常化の偏見に惑わされて、こんなはずではなかったとホゾを噛んでも遅いのだ。

≪「かくありたい」という願望は、人の心の中で「かくあるべし」と変化し、一瞬ののちには「かくある」と断定されてしまう≫ (浅田次郎『真夜中の対話』SKYWARD December 2015)

被災しそうな皆さん、どうか無事に逃げおおせてください。避難が空振りしてもいいじゃないですか。
タラレバで爆弾並みの低気圧 [2019年07月02日(Tue)]

fumihouse-2019-07-02T18_57_16-1-thumbnail2.jpgシナノ企画が1977年に製作した映画『八甲田山』は、同作の『砂の器』に次ぐ名画と言ってもいい。軍隊というもの、日本における組織のあり方について考えさせてくれる。心構えを万全にして事前の準備がいかに大切かを思い知らされる。八甲田山雪中行軍で二百人近くの軍人を失った実話に基づく事件を、新田次郎が小説に描いた。

東北とはいっても雪の怖さを知らない太平洋側に生れた青森連隊の将兵たち。兵卒によっては遠足気分だった。それを率いる将校も一部は軽い気持ちで厳冬期の山岳に入ろうと考えていた。一方で弘前連隊の徳島中隊長(高倉健)は二十数名の少数精鋭主義をとった。遭難することもあり得ると悲壮な覚悟をもって双肩に責任を担った。将兵は日本海側に生れた者ばかりで雪には多少慣れているが、冬の八甲田山は決して人を寄せつけない(犠牲者はゼロ)。

青森連隊の指揮命令は神田中隊長(北大路欣也)に執らせるといいつつも、日露戦争の開戦を控え(実際2年後)監察と称して山田大隊長(三國連太郎)が伴っていた。彼は気まぐれな命令を連発し、結局はほとんどを死地に追いやった。指揮官としての神田中隊長は有能であったが、不運が重なり過ぎた。小回りのきかない大人数、上司への遠慮、引き返す勇気を持てなかった悲劇、複数回の判断ミス、超弩級の低気圧帯が通過したこと。タラレバを考えたらきりがないが、残念でたまらない。

(今朝松江駅でもらった、自衛官募集キャンペーンのティッシュ。現代の軍隊・自衛隊は隊員の命を大切にしてくれよ)
誠実に多様な未来示してよ [2019年07月01日(Mon)]

fumihouse-2019-07-01T17_33_46-1-thumbnail2.jpgきのうのサンデーモーニングで、薮中三十二氏(元外務事務次官)がトランプ大統領の性格を軸にして政策を解説していた。特徴として次の4つがあるという。@サプライズ、A個人的な好き嫌い、B直感と思いつき、C平気でウソ。この4つはトランプ劇場と言われる一端を示してくれる(ふつうの劇場ならとうに潰れているが)。

二期目の選挙態勢に入って自国選挙民の歓心を買おうと、昨日金正恩朝委員長と面会したのもその一つ。ツイッターで呼び掛けたというから極めつけの思いつきだ。米大統領として初めて軍事境界線を越えたのは悪くないが、その軽薄さは薄氷を踏むようだ。

金正恩との個人的関係を築くことで得点を稼ぐ。プーチンとも長い付き合いがありそうだし、習近平とも恫喝も含めて個人的つながりで乗りきろうとしているようにも見える。

アメリカファーストだから、古くからの同盟関係は軽視している。カネ次第、交渉で自国有利に持ち込む豪腕さで利益を得る。人権や民主主義にはとんと無関心。軽薄だから人気取りは考えても出口戦略がない。常に出たとこ勝負だから、不安がつきまとう(周囲には)。

この大統領、いったいどうなってるんだろう。早いとこ民主党は候補者を一本化して、強力な対抗馬が登場してほしい。

(花の世界に多様性がなくなったらさぞかしつまらない。写真は爽やかな夏の睡蓮)
会心の買い物上手うらやまし [2019年06月30日(Sun)]

fumihouse-2019-06-30T12_35_46-1-thumbnail2.jpgショッピングセンターに入ると、どうぞごゆっくりお買い物をお楽しみくださいませ、とアナウンスが聞こえる。「買い物を楽しむ」、なるほどね、楽しむんだね。

○○が欲しくて売り場を目指し一目散。時間がなければなおさら急ぐ。目的を達したら駐車場まで一直線。楽しむ余裕など、どこにもない。

漠然と□□が欲しい、でもはっきりこれといって決まった商品はない。欲しいものを絞れていないことは多い。ディスプレイを見て、おおこれだ!と気持ちが決まってすぐに買えればそれでよし。そうでなければあれかこれか迷う。買うべきか買わぬべきか迷う。ほかの店に足を伸ばして吟味すべきか否か迷う。必要の度合いと金額など条件をあれこれ考えて迷う。

一期一会でエイヤッと買う。ときには支払う段になっても迷っていたりして、覚悟を決めかねる。のちにほかの店で、良さそうな安い同等品を見つけて後悔したりなどする。会心の出来はむしろまれなこと。買い物とは、意外と楽しめないものだ。迷うとは、別名苦痛なり。そんなこと、ないですか?

(出雲名産のぶどう・デラウェア。これを見て買うか買わぬか迷う人もいることだろう)
口角をキュイっと上げて上機嫌 [2019年06月29日(Sat)]

fumihouse-2019-06-29T15_36_51-1-thumbnail2.jpg上機嫌でいることは素敵なことだ。その効用は計り知れない。自分にとっても他人にとっても、それは同じこと。

笑顔が伝染して周囲を明るくしてくれる。自身も連鎖反応して少々不快なことだって、何のことはない。美しいもの、感動的なことが素直に心に響いてくる。60兆個の全身の細胞に作用して、病気の発現を防いでくれるだろう。いいアイデアもたくさん生まれる。不機嫌から生まれる考えが創作を刺激する芸術があるかもしれないが、ふつうの人にとっては下手な考え休むに似たりである。明るく静かに布団に入れば、深くて快適な眠りを得られるにちがいない。

いいことずくめではあるが、そうは問屋が卸さない。縁に触れて私たちの生命は大きく振幅する。いつも上機嫌ではいられない。それでも口角をキュイっと上げて笑顔のふりでもしてみよう。少しはいい展開になろうというものさ。

(上機嫌にニコニコしていそうなバラの花。見て不快なひとはいないだろう)
美はここに心開いて見るがいい [2019年06月28日(Fri)]

fumihouse-2019-06-28T18_26_56-1-thumbnail2.jpg哲人ゲーテはいいました。心開けや、諦めてはいけないよと。

  こころが開いているときだけ
  この世は美しい
  おまえの心がふさいでいたときには
  おまえは何も見ることができなかったのだ

世界はうつくしい。見る者を柔らかに別世界へいざなってくれる。心の目がふさいでしまえば存在しないと同じこと。境涯を広げよ、努力を怠るな、理想に恋し続けよ、とゲーテは私たちを励ましてくれるのです。

(雨に濡れる紫陽花がまた美しい。入梅したばかりだが、今日の午後は梅雨明けしたのように暑く、空が澄んでいた。入道雲も見事な出来ばえだった)
あれやこれやらずもがなに日が暮れて [2019年06月27日(Thu)]

fumihouse-2019-06-27T18_54_06-1-thumbnail2.jpgやらずもがなの苦労。ひょんなことで背負い込む仕事、ほかの誰かの無責任が原因で降りかかる災難、自らの不運が巡りめぐって膨大な手間になる、何の因果か困ったものさ・・・よくある話だ。

考えてみれば、安穏に過ごしたいと誰もが思っている(波乱万丈、混沌が大好きな人もいようが)。そこに突発的に起こるトラブルに巻き込まれて往生する。やらなくてもいいこと、感じなくてもいい痛み、聞かなくてもいい話・・・。

全てはやらずもがなの苦労かもしれない、と思われてくるのだが、果たしてそうだろうか。その面倒さに音をあげて、こんなの嫌だとやりきれなく思って、言わずもがなの失言をして、窮地に陥ってしまう恐れもある。じっと辛抱するんだよ。必ずや因果の理法が作用して、よき展開が巡ってくるにちがいない。今の苦労に意味はある。きっと使命だったんだ。

いまこの時に苦労している人よ。もちろん一概には言えないけれど、そう思い切って覚悟を決めようよ。

(元気印の黄色の花、ゴーヤの花が咲いている。暑い夏にゴーヤを食べて元気になってと花が咲く)
恵みあれ体は生きる資本ぞな [2019年06月26日(Wed)]

fumihouse-2019-06-26T17_46_35-1-thumbnail2.jpg【恵体】という言葉ができたそうな。「めぐたい」と読むそうだよ。あるいい体格のプロ野球選手を称して誰かが使ったのが始まりだそうだが、なんだか卑猥な印象だよ。恵まれた体格や体型、見事なプロポーションを持つ男女に使われるネット言葉だそうだ。

語源が気分的な言葉だけに、読みも適当。「えたい」や「けいたい」と読む場合もあるとのこと。きょうはホント、適当で得体のしれない投稿で、すんませんなあ。

(きょうは適当に、ドクダミの花でも見といてけれや)
酸っぱくてヤマモモの種吐き出すぞ [2019年06月25日(Tue)]

fumihouse-2019-06-25T19_05_42-1-thumbnail2.jpg街路樹にヤマモモの実。赤銅色に紅を混ぜて炙ったかのようないい色に染まる。美味しそうだ。一粒とって口に入れる。表面のつぶつぶが舌に心地よいが、甘みを感じる前に、口内には酸っぱさが広がる。でも甘いことは甘い。やがて渋みが出てきた。もっと熟せば甘くなるものか。そうはいくまい。やっぱり渋くて酸いのだ。

ここは幹線道路のすぐ脇の街路。排気ガスがこびりついてはいないのか。道路管理者が害虫駆除のため農薬を振り撒いてはいないのか。いろんな危うさがあるはずだ。もうガジガシ噛んでしまって、種があらわになっている。危険だと思わないのか? と自問自答。まったまにはいいか!
リハビリとスポーツつなげて希望あり [2019年06月24日(Mon)]

fumihouse-2019-06-24T20_28_06-1-thumbnail2.jpg  失われたものを数えるな
  残っているものを最大限に生かせ

とは、神経学者のルードヴィヒ・グットマン博士の名言です。この方、パラリンピックの父と称されます。第二次世界大戦後、傷痍軍人のリハビリテーションの手段として始められた障碍者スポーツ。身体のリハビリのみならず、精神面でも大いなる希望につながりました。

「失われたもの」はもうない。つらい現実を忘れるのではない。「残っているもの」を見据えることで、希望を見いだした当時の軍人たち。言葉は博士の思想のほんの一部しか伝えていませんが、精魂込めてパラリンピックの基礎を築かれた博士の温かさが伝わってくるようではありませんか。

(イソトマの花もあるがままに咲く。形がいいもの悪いもの、様々あるが、天然のままに咲く)
虚構なり令和生まれのアンケート [2019年06月23日(Sun)]

fumihouse-2019-06-23T18_27_17-1-thumbnail2.jpg若い世代が将来に対して悲観的で、こんな職業につきたいという考えすら持っていないという調査結果が新聞に掲載されました。

年金生活では2千万円が赤字になるとか、引きこもり100万人時代を迎えたとか、人工知能でひとの仕事が奪われるとか、景気が良いといっても実感できないとか、夢の持てる話題が少ないとは思いますが、若い世代は夢を捨てたのでしょうか。

民間のある調査会社が今月、令和生まれの男女500人を対象に「大人になったらなりたい職業」を尋ねる記入式のアンケート調査を行ったそうです。ところが、全ての男女がアンケート用紙を空欄で提出したばかりか、「無回答の理由」についても全員が回答しなかったと。新聞記事は、「将来の夢を持たない令和生まれが浮き彫りになった」と結論づけています。

うん? 令和生まれ? まだ生まれて2か月もたってないじゃないか! ということで、虚構新聞の嘘ニュースでした。たまに読むと笑えます。

(埋もれてしまいそうなヤマボウシの花。これはフェイクニュースではありません)
不審あり烏賊のお寿司で撃退す [2019年06月22日(Sat)]

fumihouse-2019-06-22T21_58_56-1-thumbnail2.jpg『いかのおすし』は、子どもたちに浸透しています。「(ついて)いかない」「(車に)のらない」「おおごえを出す」「すぐ逃げる」「しらせる」。この5項目の頭文字です。

不審者とおぼしき大人(たいてい男)が、声をかけてくる。こんにちは! 学校はどこ? 何年生? おうちは近く? きみ一人? 車で送ってあげようか・・・・。ここまでくれば誘拐を意図しているのは明らかですが、ふつうの声かけは(99%以上は)親しく話しかけただけなのだと思います。

島根県警が発行する「みこぴー安全メール」で、強盗や傷害の犯人が逃げたから注意して! というのがたまにはありますが、どこそこで不審者がいた、服装や特徴は◯◯・・・たいていはこんな感じです。

その不審者が何をしたか? けっこうな率であるのが声かけです。君はどこそこの子かい? もう小学生かい、早いねえ! そんな声かけです。ふつうなら不審事案にはならないはずですが、声をかけられたと子どもが家に帰って報告する。親が交番に通報してしまう。そこで、みこぴーメールです。善意で声をかけたら不審者に間違えられた。警戒のし過ぎです。でも、安全でなくてはならない。難しい時代になったものですね。
朝のバス譲れるものなら譲ろうや [2019年06月21日(Fri)]

fumihouse-2019-06-21T19_11_18-1-thumbnail2.jpg朝のバス。座る席があるのに立つのは嫌だ(先日書いた)。二人掛けの空いた席に座っていたら、次のバス停で70代半ばとおぼしき男性が乗ってきた。よろしかったらどうぞ、と声をかけた。次は空くからいいです、と応じられた。

次のバス停で2つある優先席はどちらも空かなかった。私は立って譲ろうとしたが、その方にとっては席の位置が高すぎたようで遠慮された。

次の次でやっと優先席が空いた。専門学校生だろうか、バスカードを手に持って立ち上がった。もう一つの優先席には30前後の勤め人女性が何の気なしに座っている。あのおじいさんが立っていることに気がつかなかったはずはない。無視を決めこんだか、譲ろうという感覚自体に欠けているのかはわからない。困ったものである。

でも、内部障碍があるかもしれない。配慮できないという知的な障碍があるかもしれない(もちろん普通は障碍と言わない)。そういう人はまれだろうが、人間の内実はうかがいしれないものだ。

(島根県庁にある泰山木の花。直径で20センチ以上の巨大花。花が開く前には中の様子はうかがいしれない)
昼長の梅雨の入り間にクチナシよ [2019年06月20日(Thu)]

fumihouse-2019-06-20T19_45_10-1-thumbnail2.jpgきょう6月20日の日の入りが19:26で、23日に19:27となると最高潮。6月初旬まで19:27が続く。長い夕方を満喫できる季節だと思いきや、梅雨のシーズンだからふだんは明るさをそれほど感じないものだが、今年は違う。中国地方に梅雨入り宣言が出ない。とても昼間が長く感じてしまう。

ただいま7時36分で日の入りから10分。あと20分くらいは明るいだろう。この梅雨は、この夏はどうなるのだ。気象庁の気温予想が7日間から12日間まで長くなるという。低めであっては困るが、高くなり過ぎないように願っている。

(雨模様も少しはないと梔子(クチナシ)も風情がないものだよ。香りもしっとりしてこない)
日常はあたりまえではないのだよ [2019年06月19日(Wed)]

fumihouse-2019-06-19T12_11_05-1-thumbnail2.jpg日常は同心円に広がる。静かな水面に投じた波紋のようにはいかず、軸のズレや模様の歪みは多少ある。それでも平坦に日々は過ぎる。旅に出たり、新しいことを始めれば日常は変わる。それは意図して望んだものだ。楽しみとして変化を受け入れる。

事故に遭った、大病が見つかった、誰かが入院した、事件にまきこまれた・・・。日常ではいられない。地震もそうである。山形沖を震源にして新潟で震度6強の地震。夜が明けて、各地で揺れの爪痕があらわになっている。

ふだん日本海側の地震は注目されないが、日本海東縁ひずみ集中帯があるという。北米プレートとユーラシアプレートが押し合って地震が起こりやすい。1964年の新潟地震、83年に秋田で津波による死者があった日本海中部地震、93年に200人を超える津波犠牲者を出した北海道南西沖地震、2007年の能登半島地震、中越沖地震と枚挙にいとまがない。

今回の地震では海面上昇ですんだようであるが、被害に遭われた方々の苦しみはいかばかりか。お見舞い申し上げます。そして日常が早く回復するよう祈っています。

(満開の合歓木(ネムノキ)に目を奪われるのも日常があってのこと。あたりまえでいられることに感謝する)
平成の年度替わりに令和する [2019年06月18日(Tue)]

fumihouse-2019-06-18T20_06_18-1-thumbnail2.jpg言うまでもなく、会計年度は4月に始まり、3月に終わる。したがって、2019年の4月に平成31年度が始まった。あたりまえならば、来年3月まで平成31年度は続くのだが、5月になって令和元年が始まるやいなや、雪崩を打つように「令和元年度」を使うようになってきた。もう平成は終わり、新しい時代がやってきたと、皆が思いたいのだと思う。来年になったら、令和元年度の4月、なんていう表現がまかり通っているかもしれないな。

(ヒルガオは昼間の顔だ。早朝には咲いている。令和元年度も早々に咲いたかのよう)
しっぽりと夏の椿の朝なれば [2019年06月17日(Mon)]

fumihouse-2019-06-17T18_29_18-1-thumbnail2.jpg夏椿が咲いている。花や葉の形は椿に少し似ていなくもないが、咲く時季が違う。椿はまだ寒い早春で、夏椿は梅雨時分。椿の花びらは厚いが、夏椿は薄く、ちりめん状で好ましい。照葉樹の椿の葉は照り輝くが、夏椿は薄くて紫陽花のようだ。ついでに、夏椿の幹はサルスベリのようにすべすべして気持ちよい。

夏椿は沙羅双樹とか、沙羅の木とも呼ばれるが、釈尊が亡くなった場所近くに生えていたという沙羅双樹は、全く別の熱帯樹。花はこんなに優美ではない。儚く見える夏椿を見ていると、諸行無常を感じないでもない。

  祗園精舎の鐘の声
  諸行無常の響きあり
  娑羅双樹の花の色
  盛者必衰の理をあらはす
  おごれる人も久しからず
  唯春の夜の夢のごとし
  たけき者も遂にはほろびぬ
  偏に風の前の塵に同じ(平家物語の冒頭)

(今朝撮影した夏椿。花びらがしっぽりと濡れた感じなのはもちろんだが、蕾もまた細やかな雰囲気を醸し出す)
人混みに立つか座るかバスの中 [2019年06月16日(Sun)]

fumihouse-2019-06-16T15_58_30-1-thumbnail2.jpgバス停で待つうちにバスが来る。バスに乗る。バスは不安定で揺れるから座る。次々と客が乗ってくると邪魔になるから座る。本を読んだりスマホをいじりたいから座る。まっ楽だから座る。

座らないひとがいる。立ち続けることで鍛練するつもりのひと。まだ十分若い、年取ったように見られたくない年寄り。おしゃべりを二人で楽しみたい学生。二人がけの席で隣に他人が座ってほしくないひと(そんなひとが座ると、たいていは隣に荷物を置いて他人を妨害する)。

バスの狭い通路に立たれると困るんだなあ。特に雨の朝は鬱陶しい。濡れた傘が邪魔である。無理してでも座ってほしいものだ。幸いあしたは晴れそうだ(ところで、いつになったら梅雨入り宣言があるのだろう)。

(カモミールならば、立ちっぱなしでも不自然ではなく、凛々しい。カモミール・ティーはとても香気があって美味しい)
払うのか打つかどうかの今昔 [2019年06月15日(Sat)]

fumihouse-2019-06-15T20_29_14-1-thumbnail2.jpgメールは「打つ」ものだった。

パソコンのキーボードをタッチして(人によっては叩く)、メール文を作り、送り先に【送信】ボタンをクリックして送る。そのタッチを「打つ」という。

ガラケー(かつては携帯電話と呼ばれた。今も名残でそう称するときもあるが)でメールする。1はあ行、2はか行、3はさ行、以下順に0のわ行まで。あ行を5回押して「お」、は行1回で「は」、や行3回で「よ」、あ行3回で「う」。合わせて「おはよう」。確定ボタンを押すなり、スライドさせて漢字やカタカナ変換、予測表示もしてくれる。高速でボタンを押す作業は「打つ」というにふさわしい。

今やスマートフォンの時代。ガラケーと同じトグル入力を使う人は少ないだろう。画面を擦って払うフリック入力が主力だ。なんと言っても速いから。

メール文をフリックしてつくる。打つという動作はない。しかし、今でもメールは「打つ」ものだ。

(マツバギクの細い花びらは、払ったように滑らかに広がる)
想像で足を運んで鈍い朝 [2019年06月14日(Fri)]

fumihouse-2019-06-14T22_11_30-1-thumbnail2.jpg信号機の赤で止まる。歩行者用信号で待つ。右足を引いて膝を少し曲げる。左の膝も少しだけ曲げる。体重は心もち右にかけておく。

信号を凝視して、青信号になったと同時に左指を踏ん張り右足を蹴る。走りはしないが、山縣亮太のスタートダッシュの世界に入り込んで、ずんずん歩く。きっとサニブラウンの世界が垣間みえるはずだ・・・。

てなわけには、いかなかった。右足を蹴ろうとしても反応が遅い。左足をずんと前に持っていくつもりが、山なりに鈍い足の運び。スプリンターの世界は遥かに遠い。

(ラベンダーのように伸びやかに足を運ぶことはできない。まして、走って9秒台でゴールするなんて)
マルベリー口に頬張り赤紫よ [2019年06月13日(Thu)]

fumihouse-2019-06-13T20_18_34-1-thumbnail2.jpg桑の実を食べた。英語名はマルベリー。丸々と可愛らしいベリーではある。よく見れば、花の名残を引きずってトゲトゲがある。

摘まんで食べるのに支障はないので、いくつか口に放りこむ。いちご並みに赤いうちは甘くない。赤黒に変わるとおいしくなる。

甘味にあふれた今では大したごちそうではないが、子供のころは頬張ってたんまり食べた。蚕を飼う農家は多かったから、桑畑がたくさんあった。好きなだけ食べたものだ。

2つ食べただけなのだが、指が濃い赤紫色に染まった。これが服に付くと大変だ。なかなか落ちやしないのさ。初夏にわずかの楽しみがある。

(桑の実も花もないので、紅花をどうぞ)
眠くても眠りはどこへ働けや [2019年06月12日(Wed)]

fumihouse-2019-06-12T18_00_26-1-thumbnail2.jpg眠たかった。資料作成で、この数日ほぼ徹夜状態だった。地元説明会の場で眠気に負けるのも、冷静になって考えれば当たり前のこと。上司が説明するから私の出番はないが、細かい質問に備えて同席を求めたから出席した。結果として、うとうと舟を漕いだのを参加者に見つかって厳しく糾弾された。悪いことはわかっている。出なければよかったと悔やんでも、あとの祭り・・・・防衛省の居眠り担当者はそう悩んでいるかもしれない。

防衛大臣が「緊張感を欠いた不適切な行為。二度と起こさないよう徹底する」と謝罪したが、ミサイル迎撃システムのイージス・アショアに関する地元説明会は、ミサイルを迎撃するだけに、“空中分解”しそうな気配である。

(この時計草が指し示す時間は、11時20分で目覚ましタイムが6時かな? 大事な会議の前は万難を廃して眠っておかなければならない)
無常でも明日はまた来る信じてる [2019年06月11日(Tue)]

fumihouse-2019-06-11T21_41_35-1-thumbnail2.jpg2週ほど前のことだが、名画『風と共に去りぬ』の長丁場を乗りきった。我慢しての上映4時間ではない。あれよという間に中休みが来て、退屈する間もないほどの4時間だった。

お馴染みの主題曲がオーケストラの変奏となって続いていく。あるときは短調に悲しくスカーレットの絶望を表し、別の場面では明るく転じて彼女の喜びと一体となる。場面転換に応じた登場人物の心理を表し、運命の行く末を暗示してくれる。

南北戦争の動乱で大切なものすべてを無くしたスカーレット。でも私にはサラがある。南部ジョージア州のここサラで生きると決めた彼女は強かった。スカーレットは強くても、戦争は悲惨な爪痕を残し、アメリカが第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に参加しなかったのもわかる気がする。国際連盟にすら紛争との関わりを恐れて参加しなかった。強国アメリカは第二次世界大戦を経て出来上がったのだ。

ジョージアの大地に今やスカーレットも淑女も農夫も奴隷たちも、全ては亡くなって存在しない。儚い思い出となって風と共に去りぬ・・。そんな詩がうたわれる。諸行無常の響きは儚いけれども、明日はまた必ず来る。

(スカーレットのドレスになりそうな明るいオレンジ色、ザクロの花が咲いている)
勝ち負けは瞬く間なり君と僕 [2019年06月10日(Mon)]

fumihouse-2019-06-10T18_26_01-1-thumbnail2.jpg【瞬】の字は、目の象形と小箱に入った火が反対方向に向く足の象形なのだそうだ。そこから、きわめて短い時間やまばたきを意味する漢字になった。

「瞬(まじろ)がぬ目」と表現すると、まばたきをせずに対象を一心に見つめる真剣さを思う。そして困難を前にして落ち着きを失わない中にも、躊躇せず果敢に挑む様子を思い浮かべる。

ときに勝負は一瞬である。瞬時の判断で死命を決する時だってある。その瞬間を瞬がず、戦い切りたい。

(栴檀(センダン)も盛りを過ぎたが、紫青色の小花がたくさん咲く。建築材としては白檀と呼ばれ、品のいい香りがある)
呻吟し音のありかを探しけり [2019年06月09日(Sun)]

fumihouse-2019-06-09T08_36_58-1-thumbnail2.jpgギターに呻吟している。弦楽器は高低を受け持つ複数の弦を使うだけに、同じ高さの音であっても異なる弦で表現できる。そこがピアノや管楽器と違うところだ。弦ごとの音色の違いやポジション移動のしやすさを求めて、奏者は工夫する。

ギターは左右の4本ずつの指を駆使して和音を奏でるだけに、押さえるべきフレットの組み合わせが多い。3オクターブあまりの音域に2つか3つの同音があるのだから難しい。楽譜に記してない場合も多い。

弦を移るのか、同じ弦でポジション移動するのか、彷徨する気分で楽譜を読んでいる。手に負えないと思うこともしばしばだ。レッスンの時に教わったはずなのに、忘れることもあってもどかしい。

それでもやり方がわかって(記録しておかないと忘れて元の木阿弥)、定着して弾けるようになって、暗譜して、難しいパッセージも高い確率で弾けると嬉しくなる。楽しい、そしてそれなりに美しい。ギターは小さなオーケストラ、とベートーベンが言ったとおりになる。

(まつ毛は美女の必要条件ではないが、美女柳はまつ毛の長い美女なのか。金糸梅と似ていても、雄しべの長さは圧倒的に違う)
焼肉に幸せ物質たっぷりと [2019年06月08日(Sat)]

fumihouse-2019-06-08T16_06_46-1-thumbnail2.jpg焼肉を食べると幸せになると、チコちゃんから教わった。肉に含まれる脂肪酸のアラキドン酸がいいのだそうだ。

アラキドン酸は脳内でエタノールアミンとくっついてアナンドマイドとなり、快感中枢を刺激する。アナンドマイドは別名、至福物質。焼肉を好きなひとは多いが、肉を食べたときに「幸せ!」と感じるのはアナンドマイドが原因だ。ということで、きょうの昼御飯は外で焼肉を食べた。

アナンダマイドが幸福感や高揚感をもたらすとしても、それは一時的なこと。真の幸せは脳内物質だけに負うのではない。小さなことに感動し、日常の当たり前に感謝し、日々幸福をつくりだそうと努力する私たちの中にある。たっぷりとある。

(今の時季、健康的に咲いている金糸梅 (きんしばい)。鮮やかな黄が街路を染める)
人により楽しいことって違うんだ [2019年06月07日(Fri)]

fumihouse-2019-06-07T12_50_58-1-thumbnail2.jpg松江市営バスに乗るとアミューズメント会社のコマーシャル動画が流れており、二カッとしながら楽しんでいる。

「県境瞬間移動」が面白い。外回り営業の待ち時間に、何か楽しいことないか? と課長氏。島根鳥取瞬間移動しませんか? と部下。ハイッ島根、ハイッ鳥取!と県境線を一足に横飛びをくりかえす社員。若いから軽々と跳ねる。課長は息も絶え絶えに、これ楽しいか? そしてコマーシャルの主は「楽しいって、何だろう?」と投げ掛ける。

「無重力遊び」もいい。次のアポまで時間がある、何か楽しいことないか? と部長氏。無重力ごっこしません? と部下。ガラス張りのビル壁に半身を隠して、出した半身をガラス面に写して体が浮いているように見せかける。スマホで部下に写されながら、これ楽しいか? と部長氏。そして「楽しいって、何だろう?」。

企業が顧客にアミューズメントを提供する。楽しさは人それぞれだが、顧客は満足する、あるいは不満に思う。娯楽だけではない。仕事も勉強も話し合いも、参加者が受け身ならば、面白くない。アイディアを出して他人の意見を引き出し、達成感を得られれば必ず楽しくなる。楽しいって、面白いものだ。

(ごきげん顔の子どもがいる。描いた人もさぞや楽しかろう)
為したことせぬこと天秤かけて寝る [2019年06月06日(Thu)]

fumihouse-2019-06-06T19_50_08-1-thumbnail2.jpg≪人は多くの場合、「したこと」よりも「しなかったこと」を悔いるもの。御書には「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」と≫(聖教新聞5月30日付け〈名字の言〉)

今日やるべきことをやったろうか・・・よし、やったぞ、悪戦苦闘ながらもやった (もっとやりたかったけど)。悔いがないと言えば嘘になる。やりようはあったかもしれないが、朝には戻れない。

今列車の中で何をするか(もちろん寝るという選択肢もあり)、今夜はどう過ごすのか、そしてよき眠りを経て明日はどうするのか・・・そこにかかっているのだ。

(さつきの花も悔いなく咲いて、今時分は乾燥してしまって骸をさらす)
夕暮れにこども危ない道の脇 [2019年06月05日(Wed)]

fumihouse-2019-06-05T07_26_13-1-thumbnail2.jpg夕暮れてライトを点ける。道路脇にこどもがいるのが見えた。突っ立っている。あっ、道に飛び出した。距離はあるが危ない! スピードを緩める。このまま、こどもは通り過ぎてくれるだろう。ところが道の真ん中で止まってしまった。目が合った。観念したか、うずくまってしまった。こちらは急ブレーキを踏む。なんとか轢き殺さずにすんだ。子猫はスルスルっと私の目の前から消え去った。

(子猫のしっぽは、カラーの雌しべ)
靴を履き苦痛に苦闘ヒール嫌 [2019年06月04日(Tue)]

fumihouse-2019-06-04T18_39_52-1-thumbnail2.jpgハッシュタグ【#KuToo】で発信する女性が多いそうだ。

・・・パンプスなんて履きたくない/ヒールの高いのはうんざりだ/就活で面接があるけれど踵が痛くてえぐれそう/ストッキングが血まみれになることもある・・・。ツイッターには切実な声が寄せられている。

人間は#KuToo【靴】を履かなくては生活できない。それは確かでも、こんな#KuToo【苦痛】は願い下げ。なんとかしてほしい。自分はそう思っていても、顧客に対するマナーとして必要だとか、女性はヒールの高いパンプスが美しいに決まっているとか、我慢して履くのが当然だとか、世間の声が女性たちを縛る。男だけではない。反対する声を上げる女性たちもいるとか。

【#MeToo】のもじりでもある。私もセクハラ受けた、パワハラだって大変だと、ひと頃アメリカで大流行していた(日本はそれほどでも)。

舞踏会に履いていく正装用のパンプスは中世フランスで生れたものだろうか。当時のパリは下水道はない、糞尿処理もおぼつかない。街中には家から撒き散らしたウンコがあちこちに落ちていた。それを踏んでもスカートの裾が汚れないように高いヒールをつけたという(靴は汚れるやないか)。

確かに角度をつけたヒールは綺麗だ。ヒップは上がって背は高くなり見事なプロポーションが出来上がる。服や装飾品と合わさって、ファッションは靴で決まると言ってもよい。

それでも見るからに爪先立ちになって足が痛そうだ。不安定で危険でもある。ヒールが好きな人も多いだろうが、長時間履くのは体によくない。声を上げた女性たちの#KuToo【苦闘】が、実を結ぶよう願っている。

(優美なバラだが、パンプスは履いていない。ただありのままに美しい)
真実を求めてコナンそこにあり [2019年06月03日(Mon)]

fumihouse-2019-06-03T18_26_37-1-thumbnail2.jpg『名探偵コナン/紺青の拳(フィスト)』では、コナンが初めて海外に出た。変身状態でパスポートも使えない身だから、特殊スーツケースに忍んでの違法出国だ。かわいそうなコナン。ともあれシンガポールで大事件は起こり、コナンはアクション付きの大活躍をした。

伝説の宝石・ブルーサファイア紺青の拳を狙うのは怪盗キッド。今回はその悪党と組んだコナンが多くの命を救う。しかもキッドは銃で撃たれるケガを負うのだが、奇術のように治してしまったのが驚きだ。マリーナベイを舞台に近代海賊の一派とコナン・警察組が激突する。そこに思わぬ伏兵がいて座を混乱させるが、コナンは先刻承知。鮮やかな推理で事件は解決となる。

工藤新一が江戸川コナンになって既に四半世紀。物語ではまだ数年しかたっていない。未だに結末は見えないのに、人気は高い。今回も楽しめた。映画館の画面からはみ出しそうなほど迫力がありますよ!

(金魚草は英語名はスナップドラゴン。群がる蜜蜂を呑み込むドラゴンのイメージ。マーライオンはドラゴンではないが、伝説の獅子ということで竜に近いかも)
6月に蛍ながめて眠り入る [2019年06月02日(Sun)]

fumihouse-2019-06-02T21_51_14-1-thumbnail2.jpg今夜は蛍初日。現れた初めての日というわけではない。私がその気になって今年初めて見に来た、というだけなのだ。この初夏は雨が少ないのが幸いしてか、いつもの年に比べて多い。

おっホタル! と思いきや、夜灯が自動車の角に反射して光っていただけなんて、よくある勘違いだが、今夜は正真正銘、蛍が乱舞している。草の繁った小川の辺や木々の間に飛んでいる。ゆっくりと点滅するゲンジボタルである。ライムグリーンの柔らかな灯りは目に優しいかもしれないよ。今日も蒸す1日だった。ゆったりした気分で深い眠りに入れそうだ。
守り神ゴジラとモスラに唄がある [2019年06月01日(Sat)]

fumihouse-2019-06-01T17_04_02-1-thumbnail2.jpgゴジラには歌がある。モスラにも唄がある。その2体がタッグを組んだ。エンドロールでモスラの唄が流れ、笛の二重奏に目頭が熱くなった。メドレーは次いでゴジラ・ソング。伊福部昭の原曲に忠実な編曲に、背中がゾクゾクし涙がこぼれそうになった。低音の管楽器と男性コーラスの掛け声が加わって迫力満点である。

『ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ』には、日本版ゴジラへの尊崇が感じられた。昔のゴジラ映画にあった怪獣の組み合わせ、モスラが鱗粉でゴジラを癒すところ、モスラの哀愁を帯びた甲高い声、1954年初代ゴジラに登場したオキシジェンデストロイアー、初代からずっとゴジラの演技を続けた故中島氏への哀悼などオマージュの要素がたくさんあった。

『アベンジャーズ』に通じるテーマもあった。サノスが全宇宙の生命のうち半分を消滅させたのは、人間をはじめとして力を持ったものたちが宇宙のバランスを崩したから正常に戻すという理屈だった。

『ゴジラ』では人間が覇権の王となって自然の摂理を乱したから、太古の地球で覇権を争った怪獣たちが再びよみがえってきたという設定であった。幸いにゴジラとモスラは人間の味方だが、地球環境がさらに危機に陥ったときに、地球人を守ってくれるだろうか、と。ゴジラよ!どうか私たちを助けてくれたまえ。

(青い熱線を噴射するゴジラ。一方で赤いのはキングギドラ。両者の対決は如何なる結末になったのか)
初夏に赤ブラシの花が鈴なりに [2019年05月31日(Fri)]

fumihouse-2019-05-31T20_14_16-1-thumbnail2.jpgブラシの木はその名のとおり、ビン洗いのブラシにそっくりだ。瓶を洗うのは気が引けたので、ガラスのコップを洗ってみた(もの好きだこと)。

どれが花弁で、どこに雄しべや雌しべがあるのやら何だかわからないが、ともあれゴシゴシやってみた。本物のブラシのようにゴワゴワしてはおらず、赤い花で頬をなでれば気持ちいい。あれまあ、落ちるは落ちる、汚れではない、黄や赤、花の細片がコップにこびりつく。

去年はすでに梅雨に入っていたが、今年は遅れそう。水不足の兆候の夏ではあるが、ブラシの木の花に初夏の美はある。
つまずいてアレレしまった遅いのだ [2019年05月30日(Thu)]

fumihouse-2019-05-30T18_37_45-1-thumbnail2.jpg私はつまずきやすい。加齢や病気など危険な兆候であるとよく言われるが、心配はしていない。適度な筋トレとストレッチで体のバランスがとれていると思うからだ。

どこでつまずくかというと、何もないカーペットや廊下なのである。ずんずん歩くときは、足指を蹴って大股で足もよく上がっているから、つまずくことはない。ただ、ゆっくり話をしながらとか、何かを眺めながらだと摺り足に近くなり、ほんの少しの傾斜や凹凸が引っ掛かる。つまずいても直ちに反射できるから転ぶことはない。それでも要注意である。転倒や転落による死亡者は交通事故死を上回るというから、油断大敵!

視力の衰えも心配しなくてはならない。小さな段差や凹凸がよく見えてないと危うい。あるいは、注意が散漫になるのも危ない。周りを見物しながら歩くとか、写真を撮りながらうろうろしてはいけない。焦っていたり、何かに心を奪われていても危ないことはある。歩きスマホなど、トンでもない大博打である。

心配などしていないと冒頭に書いたが、やはり年なんだから用心しておかなければならないな。

(心奪われる薔薇の花。ゆっくりじっくり落ち着いて眺めてやりたいな)
夏色の矢車のよう爽やかに [2019年05月29日(Wed)]

fumihouse-2019-05-29T22_17_54-1-thumbnail2.jpg5月10日に日本海に沿って石見・浜田へ行った。初夏の群青色の海を期待していたのだが、夏はまだ来ていなかった。鈍色(にびいろ)に近いくすんだ深緑色。

半月余りを隔てて、今日も特急おき号に乗った。山陰線から見る海は夏の海だった。陽光に照らされてエメラルド色。波しぶきは、白いジェラートの爽やかさ。ヘブンリーブルーの夏の空色に気持ちが高ぶった。

風はきらめき、深緑の山々も横目に移動していくのは心ウキウキする体験だった。夏っていいなあ。でもその前に、まずは梅雨がやってくる。暴れるな!天地よ!

(矢車菊はツタンカーメン王の墓から発見されたという。青い花が魔除けになったのだと。夏色に涼やかだ)
日々新たマンネリしても奇蹟なり [2019年05月28日(Tue)]

fumihouse-2019-05-28T18_43_19-1-thumbnail2.jpg毎日は奇蹟で成り立っている。朝起きていつもの準備をして通勤する。仕事場に着いてルーティン、臨時を問わず業務をこなす。昼休みには弁当を食べたり外食したりする。茶を飲んで休憩し、同僚と世間話などする。少々残業したとしても無事家に帰りつく。食事をして家事をしてあれこれやっているうちに夜は更ける。一日が終わる。

もし、体に突然の異変があったらどうするか。家族が急病で救急搬送されたとしたら、いつものことはなし得ない。通勤列車やバスに大幅な遅れが出たとしたら、職場の誰かが事故に遭って仕事に穴があいたとしたら、大口顧客が逃げていったとしたら、食中毒が起こって入院騒ぎがあったら、妙なスキャンダルを聞き付けてマスコミが押し寄せてきたら・・・・。

マンネリ化してつまらないと思っていたはずなのに、あの日常が遠くなる。組織上のやりくりに苦闘してため息を漏らす。家族の不慮の事態に悲しみが止まらない・・・・。自身の体も、家族も、属する組織も、すべては恒常性を保とうと欲するが、そうは問屋が卸さない。釈尊はそれを諸行無常と言ったのだ。

あらゆることに、全てのものに不変はあり得ない。いつものようにやろうとしても、ほんの少しずつ違うのだ。歳月を経るにつれて善きにつけ悪しきにつけ、変化はつきものである。このままでいてほしいというのは儚い願望でしかない。だから、たとえ退屈に思えたとしても、今日の奇蹟に感謝しよう。

(変哲もない温州みかんの花が甘酸っぱく咲いて、実をつけることも奇蹟なり。ありがとう(^.^)(-.-)(__)
仕事して楽しむときに皮めくれ [2019年05月27日(Mon)]

fumihouse-2019-05-27T22_52_34-1-thumbnail2.jpg仕事とは何でしょうか。サラリーマンの仕事はたいていはチームで行います。チームの一員として、励まし讃え、ときに罵倒して怒り、いや悪かった、気を取り直してまた一緒に頑張ろうと。疑似家族のようなものです。むしろ本物の家族よりも家族らしいのが仕事仲間だと、かつては言われていました。今はと言えば、ハラスメント禁止、働き方改革の時代ですから、滅法仕事の世界も変わったものです。

論語の一節が思い浮かびます。
 知之者不如好之者、好之者不如楽之者
 (これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

 知る < 好む < 楽しむ

図式にするとこうなります。単に義務的にこなすのは「知る」レベルでしょうか。「好む」ようになると面白くなって、技能が高まります。飽きがきて伸び悩みの時期が来たり、障害に苦しめられたりするのですが、乗り越えるとひと皮めくれます。苦楽共に思い併せてやり甲斐を感じるようになった時、「楽しむ」に達したと言えるのでしょう。

(私設薔薇園にあった仄かな香りのもの。名付けてオープンガーデン。どなたでもご覧くださいと、素敵にしてあったバラ園だ)
ゴルフから相撲観戦物見かな [2019年05月26日(Sun)]

fumihouse-2019-05-26T18_30_08-1-thumbnail2.jpgトランプ大統領、夫人と共に史上まれに見る来日物見遊山。令和初の国賓として昨日から3泊4日で滞在している。

その間、プロも交えたゴルフラウンド、大相撲千秋楽観戦と大統領杯授与、六本木で炉端焼き夕食会、天皇・皇后両陛下との会見、宮中晩餐会、海上自衛隊の護衛艦への乗艦、迎賓館で日米首脳会談と休む余地なくもてなしを受ける。もちろん安倍首相がつきっきりである。

緊密な日米関係を中国や北朝鮮、韓国、ロシアに見せつける効果を期待できるとはいえ、大変な大盤振る舞いに驚いた。

(大金鶏菊は北米原産の特定外来種。河原など荒れ地に繁茂している。花は美しいが、在来種に悪影響を与える。トランプ大統領も北米産)
太くても信じていても危ういぞ [2019年05月25日(Sat)]

fumihouse-2019-05-25T11_45_44-1-thumbnail2.jpg太いようで細い、細いようで太い。強いようで弱い、弱いようで強い。長いようで短い、短いようで長い。浅いようで深い、深いようで浅い・・・・・人と人との絆とはそんなものだ。

絆とは一本の紐ではない。細い糸を一回一回渡し合うものだと思う。一つの言葉を交わして意志を確認しあう。一回の行為をともにし喜びあう。そのたびに絆が束になっていく。強固になる。

絆は強い、しっかり結びついていると信じていても、意外と脆いもの。不信がつのる裏切りがあれば、束は一度に消え去る。誤解で崩れる場合もあろう。音信不通となれば、去る者は日々に疎しである。

絆とは日々に、いや一瞬一瞬に揺れ動く心の束だ。しかも目に見えない。互いに気の持ちようも違う。それでも、ひとは一人では生きていけないとおり、絆は欠くべからざるものなのだ。

(花の淡い位置関係、スモークツリーが咲いた。淡い臙脂色が青空に映えるのは、空と花との絆かも)
注意報発令されて夏近し [2019年05月24日(Fri)]

fumihouse-2019-05-24T22_05_43-1-thumbnail2.jpgまだ春だったんだ。5月は五月晴れ、風薫る季節のはずだった。ところがどうだ。島根に光化学オキシダント注意報が発令された。要するに光化学スモッグってやつだ。屋外の活動に十分注意とのこと。

晴れて日射が強い。最高気温が30℃を超える地域も多かったようだ。松江は何度だったのだろうか。体は暑さに慣れていないだけに、熱中症のおそれがある。

明日も明後日も暑くなるのかなあ。要注意状態は数日は続く予報になっている。体調をこわすことなく、この夏を乗り越えましょうぞ(まだ5月なんだけどねー)。

(カルミアを何年かぶりで見た。出雲の住宅ではじめて見たカルミアだったが、松江にも咲いていた)
解釈し自分の心を介錯す [2019年05月23日(Thu)]

fumihouse-2019-05-23T18_31_50-1-thumbnail2.jpg人間関係は解釈で成り立っている。人生が解釈でできていると言ってもいい。家族だろうが、恋人も友人も同僚も、通りすがりの他人まで、表情や仕草、態度から相手の気持ちを推し量って、すり合わせていく。言葉を交わせば真意はわかると思いきや、言葉の裏にある感情を量りかねて疑心暗鬼が渦巻くこともある。

幾通りもの場合分けをして考える。あれかこれか、あーでもないこーでもない。そうなったらどうしよう、こうしたい。でもそうしたら、あー出てくるに違いない、そうなったら困るなあ・・・・。想像が駆けめぐり心身ともに疲れる。本音をさらけ出して語り合えばいいではないか。これがなかなかうまくいかぬもの。

コミュニケーションは難しい。人間同士は分かりあえないものなのだ。そもそも自分の感情だって正確に切り取って説明しようと思っても、不可能な場合は多いに違いない。

名探偵コナンの名セリフ、「真実は一つ」。これも確かに事実ではあるが、殺人を犯したとか、ひき逃げをしたとか、客観的な行動や不作為の事実は一つだが、そのことの持つ意味合いは人それぞれに解釈が違う。額面どおりにはいかないものなのだ。

私たちは毎日毎日、解釈して生きている。下手な考え休むに似たり、と言われてもやっぱり考えてしまうものなのだよ。

来るはずの連絡が来ないけど、無事でいるんだろうか、体調が悪いのかな、それとも嫌われたんだろうか? いつもと違って影があるようだけど、何か不幸に見舞われたのではないか、私に悪感情をもっているのではないか?・・・・心は千々に乱れてまとまらない。解釈し過ぎて疲れてしまうのが人生なんだろうね。

(卯の花が盛りを過ぎて街路に朽ちた花びらを散らす。少し甘い匂いがする)
クリアにはアイディア出ない疲れた日 [2019年05月22日(Wed)]

fumihouse-2019-05-22T19_28_52-1-thumbnail2.jpgクリアファイルが広く使われるようになった。便利で偉大な発明である。中身が見える、分類しやすいなど利点がたくさんだ。表に印刷してある企業の販促や行政のキャンペーンとしてもらうことも多い。やめてもらいたいのは両面印刷。「クリア」ではないからね。頭の体操として、使い途を考えてみたい(荒唐無稽含む)。

千切ったメモを保存する/仮の写真立て/10枚重ねて日食の観察用/透明メンディングテープで隙間を閉じてラミネート代わり/コップ代わりに水をすくう/急な雨降りに帽子代わり/引きちぎって平面にし頭にきつく巻いて覆面代わり/色つきファイルをスタンド照明に乗せて色つきに/壊れた雨樋の応急処置/濡れタオルの保管用/丸めて紙ボールを打つバットに/タオルとセットで汚物処理・・・・あまりにバカらしくて飽きてしまった。いいアイディアはクリアには浮かんでこない。

(生け垣に白丁花 (はくちょうげ)あり。地味ではあるが清々しいクリアな白に、ほんの少し桃色がにじむ)
幸せに乗り越え楽しみ家族あり [2019年05月21日(Tue)]

fumihouse-2019-05-21T19_13_44-1-thumbnail2.jpg夕暮れ時のマジックアワー。駅のコンコース、ショッピング通りに見えた家族。幸せそうである(知り合いの親父さんに声をかけてはじめて、家族であることがわかった)。列車の時間が迫っていたのでほんの二言三言を交わしただけだが、学生の息子さんは誠実そうで、奥さんは笑顔がステキだった(その横は娘さんだろうが確かめ損ねた)。これから外食で夕飯を共にすると見えた。

家族の肖像がここにある。どの家族だって順風満帆というわけにはいかない。悪戦苦闘の毎日だ。艱難辛苦とまではいかないだろうが、思うにまかせぬ軋轢もあろう。しかしあの家族は苦難も楽しみに替えて、共同生活を乗り越えてきたに違いない。そんな横顔に見えた。さあ、わたしも家族のもとに帰るぞ。

(昼咲月見草が盛りを迎えた。別名は昼咲桃色月見草。淡い桃色の筋と黄色のグラデーションが何ともよろしい)
朗らかに良天喜び雲雀鳴く [2019年05月20日(Mon)]

fumihouse-2019-05-20T18_30_40-1-thumbnail2.jpg雲雀(ひばり)は空を高く舞い上がる。太めの翼で羽ばたいて、草地の上をゆっくり飛びながらさえずる。ピーチク、ピーチュク、チルチルル・・・。長く長く複雑な節回しで鳴く。舌を転がすようにして軽やかに歌う。

声に目を凝らしても、どこにいるのやら見当たらない。見つけたと思っても、目をそらすと見失う。宙に静止しているように見えるのだが、少しずつ移動するからだ。

観察して気がついたことがある。大きく螺旋を描いて天に上っていく。その直径は30mから40mといったところだろうか。50m辺りまで上がると、さえずり声が変わって滑るようにして降りていく。草むらにある巣?に着陸していち工程が終了する。縄張りを主張しているのだろうな。

雲雀の別名は、告天子。何を天子に告げて知らせたもう? 春を告げるのかもしれない。近所の田んぼで鳴き始めたのが、3月の第三週だった。その春もすでに夏に転じた。梅雨入りもじきに発表されるだろう。

(雲雀の目には、紫蘭の薄い赤紫色が映っているだろうか)
キングから皇帝への道長い道 [2019年05月19日(Sun)]

fumihouse-2019-05-19T22_05_37-1-thumbnail2.jpg映画『キングダム』、素晴らしかった。終演時間がくるのが惜しかった。

吉沢亮(秦王・政)の美少年ぶり、かつ凛凛しく逞しい。朝ドラ「あおぞら」の柔らかで凛とした、たたずまいに加えて戦う気性がみなぎっていた。山崎賢人(信)が破天荒に演じて目力でも魅了される。ワイヤーアクションもすごい。大沢たかお(王騎)の戦闘シーンやおネエ言葉もなかなかだ。本郷奏多(成蟜)は怪演である。その横暴さ、嫌らしさに心から憎しみを感じた。

戦争に夢なんてクソくらえ、とどめを差そうとした強敵に対し、夢を持って悪いかと反撃した信。夢に託して戦闘力を蘇らせる信は、生真面目にかつ豪放にロマンを語り行動する。真っ直ぐに突き進む。それがこの物語の骨格の一つである。

この映画には、「ロードオブザリング」における集団戦闘の迫力に似て、強い軍隊がぶつかる時の質感を感じることができる。「るろうに剣心」に似て、個人の戦闘能力が極まった超美技と剣先の重さを感じた。2つを合わせた魅力を感じるのだ。

政が「耐え凌げば俺たちの勝ちだ!」と叫ぶシーンには魂を揺さぶられる。ピンチはある。しかしピンチは敵にとっても苦しいところ。ピンチはチャンス。逆転の形勢は必ずやってくる。敵とは人だけにあらず。自分すら自らの敵になりうる。環境だって時には敵となる。一方で味方となって助けてもくれる。日々は敵と戦い、味方を増やしていく毎日なのだ。

(春秋戦国の頃、中原の沃野にもこんな麦が実って、朝日に照らされていたことだろう)
賭けに出て観光めぐり楽しんで [2019年05月18日(Sat)]

fumihouse-2019-05-18T20_15_54-1-thumbnail2.jpgギャンブルに勝った。かといって、私がギャンブル依存症というわけではない。天気が良かった。友人が出雲観光に訪れており、夕方に出雲縁結び空港をたったのだ。

妻と二人で観光のお手伝いを少ししたのだが、友人の数日間の滞在中に雨が降らなかった(正確に言えば、きょうはにわか雨少々)。きのうは暑くはあったが、晴れ渡る初夏の出雲路を友人は楽しんでくれて幸いだった。

観光は天気に負うところが多い。どんな絶景でも雨や霧にたたられれば、その良さを満喫することはできない。残念な気持ちのまま去るしかないのだ。観光は一種のギャンブルとは言えまいか? もちろん、射幸心をあおるギャンブルとは大違いだ。だが賭けである。いつ行くか? どこに行くか? 誰と行くか? 選択の責任は当人にある。そして運次第である。

(定家葛 (ていかかずら)が咲いている。5つの花びらが均等に捻れたスクリュー型)
気に病むな心開いて穏やかに [2019年05月17日(Fri)]

fumihouse-2019-05-17T19_55_36-1-thumbnail2.jpgジェンダー論を振りかざすつもりは毛頭ないが、傾向として女性は男性より鬱病など心の病にかかることが多い。男性は女性に比べて自死する割合が女性より高い。これは何を意味するのだろう。

女性は友人や家族に対して心情を吐露し、苦しい胸の内を明らかにして、もやもやして整理がつかない状態であっても言葉にできると言えるのではないだろうか。すなわち「助けて!」と表現できるのだ。うまく発散できない場合は、心の病を発するが、命の危険に及ぶことはどちらかといえば少ない。

一方で男性は、感情を表に出して相手にみせることが不得意だ。弱味を出したくないというメンツの強さもあるだろう。自分の中に抱え込んで、ギリギリまで我慢して、結果としてパタッと折れる。それが自死だ。「助けてくれっ!」と言って心を開けないのだ。

そんな感覚が私にはある。あくまで比較的という意味だから、すべての男性は女性は、と限定はしないので念のために、改めて言っておく。

(アザミが健気に咲いている。きょうは金曜日、明日と明後日は休みという人も多かろう。リフレッシュして来週に臨もう)
微睡んで揺れにまかせて気持ちよし [2019年05月16日(Thu)]

fumihouse-2019-05-16T20_07_32-1-thumbnail2.jpg列車の揺れに身をまかせて目を閉じる。まどろむ・・・・・・おやっ、ここはどこだ? いま、何時だ? 朝か、夕方か、平日なのか休日か? どちらとも知れぬ。なぜ今ここにいる?・・・・・・・失見当状態は一瞬のこと(続いたら大変だ)。短くてもしっかり眠った証拠であろう。まどろんだあとは、頭がしゃんとする。

まどろむを漢字では、「微睡む」と書く(初めて知った)。微○○といえば「微笑む」。人間が感じたり、行動するときの形容として、ほかには思い当たらない。逆引き辞書で調べたが、微熱、微酔い(ほろよい/知らなかった)くらいかな。微かに何かやるってのは、周りから見えにくいので表現が生まれてこなかったものとみえる。

(シラーは微かな花ではない。けっこう派手に道端で咲いている)
シュッシュッと岩を上らせシシュポスよ [2019年05月15日(Wed)]

fumihouse-2019-05-15T21_03_12-1-thumbnail2.jpg「シシュポスの岩」は無益な徒労を意味する。ギリシャ神話で、シシュポスは才に溺れ神々を欺き、ゼウスの怒りをかった。彼には重い刑罰が科された。

≪休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった≫ (アルベルト・カミュ,清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮文庫)

シシュポスは全身全霊を打ち込んで、重さに耐え、山頂を目指す。山頂につくと同時に岩は麓まで転げ落ちる。永久に繰り返す。成果の見えない苦役である。

さて、労働や家事はシシュポスの岩だろうか。大きなこと、小さなこと、すぐに終わること、手順を踏んで段取りが必要なこと・・・私たちの心を悩ませるものは次々と押し寄せてくる。解決したかと思うと、たちまち新課題が出てくる。片付けてもやり終えても、永遠に続くかのように私たちにまとわりつく。

それを苦役と考えるか、工夫のしどころと考えるかで、精神的には相当違う。そもそも人生の多くは雑事に追われるのである。いかに雑事を楽しめるか。そうできれば、人生の苦楽はプラスに梶を切る。

面白くない単純作業に思えても、仕事や家事の土をより深く掘ってみよう。いままで気づかなかった新しい魅力を発見できるにちがいない。

(シシュポスにも美味しいアップルパイを食べさせてあげたい)
視線下げ名札確かめあなただれ [2019年05月14日(Tue)]

fumihouse-2019-05-14T17_51_48-1-thumbnail2.jpgクールビズのいま、紐を首にかける式の名札をつけている。ネクタイを締めないと、体の真ん中にシャキッとしたシンボルがないので気分が締まらない。名札をぶら下げると安定する。ぶらぶらして邪魔になることもあるが、いたしかたない。

問題なのはその位置。紐の長さだ。ベルトより下にあると不細工だ。かといって短くし過ぎて、みぞおち辺りにあるのは変だ。まるで大昔の囚人が札をぶら下げているかのような風情。ベルトから10センチくらいがよろしい。

紐式名札には難点がある。腰かけて机を前にすると見えなくなってしまうのだ。立っているときだって、この人名前なんだったかな?と確かめたいときに、相手の顔から大きく視線を下げなくてはならないのが辛いところ。そんなことないですか?

(ベニウツギが咲いている。視線を下げてちゃんと見てやろうじゃあないか)
恨んでも挙げ句のはてに穴1つ [2019年05月13日(Mon)]

fumihouse-2019-05-13T19_28_37-1-thumbnail2.jpg「人を呪わば穴二つ」という言葉は、まんざら非科学的ではない。

他人を呪い殺そうとすれば、報いを受けて自分をも呪う、自分の墓穴も掘っておけよ、というのだ。ハリー・ポッターの世界は魔法が跳ね返って呪文をかけた当人が傷つくこともあるが、そんなことあり得るの? 平安期に陰陽師が呪い返しに遭うことを覚悟して墓穴を二つ用意させた。ホントに?

人を怨む。とても強い感情だ。あいつはこちらより強い立場にある。いじめられて苦しめられて、泣かされて悲嘆に暮れた、骨の髄から恨んで仕返ししてやりたいと思う。あいつを不幸にしてやりたい、死んでくれたらホントに嬉しい、恨みが晴れる。

呪う際には様々な思いが去来する。あいつの言動が思い出されて悔しくて歯噛みする。あいつのせいで自分や家族が苦しんだ数々の出来事がフラッシュバックして天を仰ぐ。思い出すたびに心はズタズタに張り裂け、想いは泥沼にはまり込む。次にこんなこと言われたら、こう反応してやろう、どんな言葉で返そうか? ありもしない空想をして想いはさらに複雑になる。生命力は地の底に落ちて目は虚ろ。怨みにこの身を捧げても悔いはない。あいつを殺すことが目的なのだ。私の命を差し出してもよい・・・・。

ひたすら思い詰めて数時間。顔面は蒼白に、心臓は高鳴り血圧は上がる。呪い尽くして数日、数週間。食欲など消え失せ、美容に気をつかうこともない。ギランと光る亡者の目付きで周囲はきっと恐ろしがるぞ。やがて憔悴して免疫不全となり、病気となって命の炎を燃やし切る。哀れ悲しや、穴2つ。相手が死ぬかどうかはわからない。たぶん簡単には死なない。すると損して滅するのは、恨んだ私だけのこと。

災いを避けよ。ならば安易に他人を恨むのは、よそうじゃあないか。忘れろ、離れろ、良いこと考えて行動しようっと。

(牡丹は花の王。牡丹は悠然として恨むことなどない。ただ自分らしく咲き誇る)
不良なり風邪が入った邪気により [2019年05月12日(Sun)]

fumihouse-2019-05-12T12_49_29-1-thumbnail2.jpg風邪は「引く」ものであるが、出雲では風邪が「入る」と言う。喉がイガイガし、咳が出始め、鼻水もズルズルと、ときに熱っぽくなり寒けや関節痛もある。邪悪なるものが見えない風に紛れて体に「引き入った」と昔の人は考えたのだろう。

中風と表現した脳卒中もそんな語源を持つのかもしれない。なんせ突然ろれつが回らなくなり、半身が動かない、場合によっては死んでしまう、正体不明のものだったから。邪気の風に中(あた)るわけだ。

さて、出雲では近ごろ「認知が入る」という言葉を聞くようになった。言うまでもなく、認知症の症状が出始めて、意志の疎通が困難になりつつある状態だ。省略されてのこともあろうが、「認知症になった」と限定的に言うよりは、マイルドに認知が入ると言ったほうがよいと思った誰かが使い始めたのかもしれない。

痴呆症から認知症へ、病名の言い替えがされてから約15年ほどだろうか。すっかり定着した。それだけこの病気が身近になった証拠である。

(薄紫のシバザクラは爽やかだ。風邪を治して、心穏やかに眺めたい)
危ういか凄いか知れぬヤバいやつ [2019年05月11日(Sat)]

fumihouse-2019-05-11T17_27_07-1-thumbnail2.jpg【ヤバい】は老若ともによく使うようになった。不都合だったり、危険な状況が迫っている、そんな意味である。元は形容動詞【やば】から派生したそうだ。昔は盗っ人などが使った隠語が一般化した。

やがて若者言葉では、カッコ悪いの意味で使われるようになり、20年ほど前からだろうか、凄いの意味も含まれた。若者意味なので、年配者は使わないが、【ヤバい】は肯定、否定の両方に使える言葉に進化?したわけである。

イエスでもノーでも使う言葉は多い。
【結構です】【いいです】【大丈夫です】
いずれも最初は肯定的な意味で始まった言葉だが、やがて否定の意味が加えられた。肯定の意が刻印され強くなったので、婉曲に否定を含ませ始めたと推測している。

ヤバいは上の三者とは反対に、否定→肯定の流れとなる。珍しいかもしれないな。

(太陽光のもと、黄のガザニアは照り輝いてヤバい。勲章菊の別名のごとく崇高な印象)
晴れている西へ西へと初夏の空 [2019年05月10日(Fri)]

fumihouse-2019-05-10T17_46_18-1-thumbnail2.jpg初夏の海、群青色、ところによってはエメラルド色。
初夏の波、白いジェラートのしぶき。
初夏の空、ヘブンリーブルーの色合いに幾筋かの雲。
初夏の風、夏色のきらめき。
初夏の木々、深緑の中にスダジイの花がライムライトの光線。
初夏の田んぼ、鏡の面に天然色の映写。

山陰線を西へ西へ。そんな景色を期待していた。
なのになんだこれは!
晴れてはいるが、木々と田んぼ以外はどよよんと霞む。
まっいいか。それなりに美しい。

(紫陽花の万華鏡。こんな鮮やかな色合いを期待していたのですよ)
爽やかに夏空がきて風邪をひく [2019年05月09日(Thu)]

fumihouse-2019-05-09T20_28_02-1-thumbnail2.jpg眠たさが染みてくる。
朝の空気はそれなりに冷えているだけに、
バスや列車内に乗りこむと暖かさが染みる。
気持ちがよくて、うとうとする。
日ざしを浴びると熱射となって目を細める。
歩く通勤人の足の運びが早い。
十分覚醒しているようだ。
春眠暁を覚えずの季節は終わった。
初夏になれば、夏空に広瀬すずの笑顔あり。
元気いっぱい、国中を爽やかにする。
そういう私はどうかいな。
大連休が過ぎたとき風邪をひいたよ。悲しいよ。
咳が怒涛に喉を苦しめ、鼻水流れてマスクなり。
早く元気になりたいもんだ。

(小手毬 (こでまり)のピークは終わった。一つひとつの花びらは小さくても、形が整って実に気持ちがいい)
懐かしの名前見つけて郷愁よ [2019年05月08日(Wed)]

fumihouse-2019-05-08T19_40_30-1-thumbnail2.jpg島根県職員はネットワークで、給与関係の届出、宿舎・駐車場申込み、交通費・宿泊費の旅行命令などがシステム化されて、電子決裁を受ける仕組みになっている。年度が替わり、人事異動後も決裁者を変更しておかないと、旧年度のまま旧決裁者へ自動申請される(この点出来が悪い)。んなもので、出雲工業高校の先生たちから、来るは来るは・・。

高校生ものづくりコンテストの生徒引率、武道大会の島根県予選抽選会、競技大会の生徒引率、工業教育研究会の出張、今月末から始まる高校総体の島根大会。今日だけでもなんやかんやと決裁申請が来た。もう1ヶ月も経っているんだけどなぁ。

それでも懐かしい名前がぞくぞくと眺められて郷愁気分にひたってしまう。だが、おセンチなことは言っていられない。こちらも余裕はない。さっさと「差し戻し」のボタンをクリックして返してさしあげる。また会えたらいいなぁ。

(松江・プラバホールの緑地に咲いているナンジャモンジャの花。上の方は夕日に照らされてマジックアワーのいい雰囲気だ)
変換のレイワの世界のぞき見る [2019年05月07日(Tue)]

fumihouse-2019-05-07T19_20_54-1-thumbnail2.jpgレイワで漢字変換してみる。

【例話】例の話はどうなった? 例のことだよ、忘れたのかい? それじゃ教えてあげるよ。先日君と会ったときに話し合っただろ! あれっ? 何だったっけ?

【礼和】礼に始まり礼に終わる。そこにこそ和の精神が宿るもんさ。じゃ礼って何かって? それはね、深過ぎてわれわれ凡人にはわからないってものなのさ。

【霊羽】三国志の豪傑・関羽の霊廟は中国のあちらこちらにあるらしいね。死してなお、主君劉備を守らんとし、誠実な人柄が今もなお、かの国の人々を感動させる。三國志をまた読んでみたくなったよ。

【零輪】ゼロをいくつ輪にして重ねても、足しても引いても掛けても零。零は不思議な数字なり。インドで生れたというのは定説だけと、無いものに名前をつけて利用するなんぞ、賢いもんだねえ。

【齢吾】吾(われ)齢(よわい)を重ねて幾十星霜。迷うことばかり、くじけることばかりさ。それでも生きているかぎりは懸命に生きるってものなんだ。

【嶺倭】中華の世界から見た日本列島の山嶺はどう見えたのだろうか。白銀の峰々、それとも新緑うるわしい山際? 明代の海賊どもを倭寇と呼んだくらいだから(実は中国人が多かったとか)、たぶん辺境の地としか見えなかっただろうね。

そして【令和】。きょうは仕事をする人にとっては、令和元年の仕事始め。平成とキーボードを打ちかけて、はたと思い直す。が、パソコンは「れい」を関知した瞬間に平成と予想変換してしまう。システムの表記を西暦に統一して元号を止めてしまった組織も多いと聞く。伝統と利便性との狭間で【令和】との格闘はしばらく続きそうだ。

(ナガミヒナゲシは格闘しない。風にゆれるまま、雨に打たれるまま、令和の春を楽しむ)
始まって終わりなのかと十日間 [2019年05月06日(Mon)]

fumihouse-2019-05-06T17_31_41-1-thumbnail2.jpg始まりがあれば終わりはくる
いつかはかならず終わる
富める者も追われる者も平等にもつ時間
始めたばかりには永遠に続きそうで嬉しい
半ばになっても壮健に元気いっぱいだ
調子よくトントン拍子に気持ちよい
世は春色のきらめきに満ちている
黄昏時となった今ふと気がつく
ああもう終わりなのか
いったい何をしていたことやら
あれもしてない、これもしたかった
喧騒のなか、心には焦燥の念・・・・
人生哲学の深淵を述べようというわけではない
十日間の休みが終わってしまったのだ
あしたから仕事が再開する
怒濤の勢いでスケジュールが目白押し

(大型連休の終わりとともに躑躅の季節も終わる)
木材と格闘しつつ木を組んで [2019年05月05日(Sun)]

fumihouse-2019-05-05T22_27_09-1-thumbnail2.jpg木材を切った 木屑がでる
木を削った 木の香りが立ち込める
線を入れてノミでホゾを彫る 木が悲鳴をあげる
木は切られて削られて刻まれる
それでも生きて生きて 長く人の役に立ってくれる
木を大切にしよう

(香椿(チャンチン)の若葉は透き通った薄紅色。やがて緑になるが、香木で若葉にも白い花にも香りがある。別名は唐変木(とうへんぼく)。気のきかないヤツのことを罵る言葉と同じとはかわいそう)
練習しギター斜めに傾いて [2019年05月04日(Sat)]

fumihouse-2019-05-04T23_21_41-1-thumbnail2.jpg山陰ギターコンクールの運営を手伝った。きのう3日は出場者を控室から送り出す係、きょうは会場の騒音監視役だ。米子市文化ホールで行われたコンクールでは、ジュニア、シニア、中級、上級、プロフェッショナル部門に分かれて競う。1983年にスタートした伝統ある競技会である。

舞台で演奏者を支えるのは足台だ。15から20センチの伸縮式足台が昔から使われている。左足を足台に上げて高くし、太ももをギターのくびれに乗せて安定させる。

近頃多いのは、ギターサポートやギターレストと呼ばれる吸盤や三角支持具でギターを固定し、左足を上げなくてもすむようにするものだ。確かに足台を長時間使っていると足が疲れる。しびれてしまうこともある。普通にイスに座った状態を保つことによって、骨盤の歪みが減って長時間のギター練習が可能との触れ込みだ。

確かに疲れにくいかもしれないが、ギターサポートやギターレストはいま一つさまにならないと感じた。なぜだろう。ロダンの名彫刻「考える人」を考えてみよう。

右肘が左足に乗って前傾した体が左側にねじれて、「考える人」の完成だ。哲学する思考者はねじれていなくてはならない。まっ、カッコいいだけではあるが・・・。ギターレストを使って左右の足が均衡に広がっていると、考える人のイメージは湧いてこない。

ギターは小さなオーケストラ、とはベートーベンの言葉らしいが、弦楽器、金管、木管、打楽器もこなせるギターはカッコいい、でも難しい。ならば、せめて美しく見えるように努めたい。

(ギターのようなくびれを持つ赤いハナミズキ)
天皇が徴をかたどり日本国 [2019年05月03日(Fri)]

fumihouse-2019-05-03T20_25_00-1-thumbnail2.jpg象徴とはなんだろう。直接知覚したり表現できない概念や価値を、何らかの事物によって間接的に連想させたり比喩表現することを象徴という。平和の象徴が鳩だと言われるとわかったような気になるが、そもそも何で鳩と平和とがくっつくのだろう。よくわからない。ましてや、日本国や国民の象徴と言われても想像できない。

即位後朝見の儀で新天皇は、≪上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝≫を示し、≪日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします≫と述べられた。

国民がイメージする日本国民統合の象徴はそれぞれ違う。それでもあえて言えば、象徴天皇のあるべき姿とは、旧天皇最後の言葉にあったとおり、≪わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈≫り続けること、最優先課題として全力で祈り行動することに尽きる。継続するその努力によってはじめて、多くの国民は納得し天皇に敬愛の念を抱くのであろう。

(化学肥料を使わなかった昔は、春の田んぼにはレンゲソウがあった。緑肥として空気中の窒素分を取り入れて土を肥やす)
まず会ってコミュニケーション始まるよ [2019年05月02日(Thu)]

fumihouse-2019-05-02T22_25_57-1-thumbnail2.jpgコミュニケーションの語源となるラテン語はコムニカチオ、すなわち共有することだという。分かち合って意思を通じ合わせるわけだ。

コミュニケートの手段が多様化し、直接会わなくてもすむ手法で便利になると遠くにいても通じ合うから、それが主流な感じがするが錯覚だ。コミュニケーションは顔をつきあわせるところから始まる。

コミュニケーションとは、単純に情報の伝達にとどまらない。共感はもちろん、反感や無関心も含めた反応全般を引き起こす。

受け手は適切に受信したかどうか、送り手の意図を正確に解釈したかどうか、そこにコミュニケーションの成否がある。言語として文脈、態度や声音、表情といった非言語の情報も含めて、送り手と受け手は相互にメッセージを解釈しあっていく。解釈不能ならば想像で補うが、たいていは齟齬をきたす。食い違いが少ない人間がコミュニケーション能力が高いと称されるのであろう。

自分の考えを相手に伝えることに加えて、相手の思いを理解すること。この相互理解がコミュニケーションを形づくる。コミュニケーションは難しいが、まず会うことから始まると思う。

(藤の花を見て美しいと思う。それを誰かに伝えよう)
勝ち負けに不条理な生死伴いて [2019年05月01日(Wed)]

fumihouse-2019-05-01T20_56_40-1-thumbnail2.jpg『アベンジャーズ/エンドゲーム』はアメリカンコミックのヒーローがてんこ盛り。ヒーローだけではない。描かれる世界観も同様に派手さ満開であった。アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルク、ナターシャ、スパイダーマン・・・すべてのキャラクターを覚えてはいないが、シリーズ完結というにふさわしい。

前作「インフィニティ・ウォー」では、サノスが全宇宙の生命のうち半分を殺した。ヒーローたちも例外ではなかったが、残りの者が奇想天外な手法で反転攻勢に向かう。

最後のシーンで、キャプテン・アメリカが「自分の人生を歩んでみたかった」と述懐した。ヒーローとしてのものではなく、人として自身の生き方をしたいとの言葉に心が動いた。もし、別の人生を選択することができたらと、たら・ればで考えてみたいことは誰にでもある。激しい戦いを繰り広げるヒーローたちにはもっともな願望であろう。人間も同じだ。しかし、たらればはない。覚悟を決めて今を生きよ!と言われたような気がした。

心ひとつにサノスと戦う絆の強さに胸を打たれる。自己犠牲のもと他のヒーローを救おうとした。皆が同じ気持ちで戦ったからこそ、最強の敵に打ち勝つことができた。

確かに勝った。しかし、どんな勝利にも必ず犠牲者を伴う。不運にも弾丸が体を貫き、爆発に身が裂かれる。そして死んだり重傷を負う。若いスパイダーマンが無邪気にも勝った勝ったと喜ぶ姿にその感を強くした。

(赤系統の色でも噴き出す血の赤はいかん。淡紅色の芝桜は誰をも幸せにする)
退位から即位に向けて新時代 [2019年04月30日(Tue)]

fumihouse-2019-04-30T07_29_48-1-thumbnail2.jpgきょう、天皇陛下退位。平成の大晦日である。天皇の終身在位が事実上終わり、象徴天皇として国民に寄り添うことができなくなる前に次代にバトンを渡す新方式が前例として定まったことになる(たぶん)。退位礼正殿の儀で陛下がどんな言葉を発せられるのか、注目される。国民に寄り添う姿勢を最後まで貫いて、温かい言葉で表現されることだろう。

「天皇の生前譲位は国体の破壊に繋がり、国事行為の縮減で対応できる」とする保守派の反対論も根強い。しかし昭和、大正、明治、いずれも天皇崩御という弔事を経たのちの即位と改元であったことと比べると、今回は奉祝の気分が満ちていて喜ばしい。

令和の時代が来ます。よい新年をお迎えください。

(皇太子時代から象徴天皇制を模索し、新時代を築いてこられたお二人にささやかなカーネーションを)
二回目の発表会が無事終わり [2019年04月29日(Mon)]

fumihouse-2019-04-29T21_09_59-1-thumbnail2.jpg門脇康一ギター教室のスプリングコンサートに参加した。要するに半年に一度の発表会である。わたしが演奏したのは、ホアン・ペルナンブコが作曲した『鐘の響き』。ブラジルのポプュラー音楽であるショーロで、明るくて楽しい曲だ。曲は楽しくても演奏は難しい。

わたしがこの2か月の練習で重視したのは、いい感じにリズムを出すこと、そして流れである。間違えたとしても止まってはいけない。止まるな、流れを崩すな、ラテン的な楽しさを貫け! 毎回の練習で心がけてきた。

小さくてもステージはステージ。観客の目を意識してか、本番を迎えた故か、とても緊張する。ふだんはしないミスが出る。それでも、途切れさすことなく曲を続けていった。

音が通りきれいだと言ってくださった方がある。ありがたい評ではあるが、自己評価はベストの10分の6。まだまだ練習が足りぬ。飽きずに練習を重ねて得意曲にしていきたいと思う。

鳥取・島根両県にまたがる門脇教室に貫かれるのは、生徒各々をありのままに受け入れてギターを楽しもうと教えられていることだ(わたしはそう思う)。とても良い先生に恵まれて、わたしのギター生活も来月で1年となる。

(アフリカ原産というスパラキシス。いま見ごろを迎えている。「鐘の響き」のような情感をかもし出している)
三本で締めてチャチァチァと客を寄せ [2019年04月28日(Sun)]

fumihouse-2019-04-28T15_42_26-1-thumbnail2.jpg三本締めというと、年末の取引を終えた東京証券取引所の手締めが有名だ。飲み会が多いが、無事の完了を祝して慣例的に行われる。横綱白鵬が千秋楽のインタビューで三本締めをしたかどで処分を受けた。全勝優勝したのに残念だった。

中継が終わってからも表彰式は長い。続いて出世力士手打式や神送りの儀式が行われるという。来場所から番付に載る新力士を祝い、場所中守ってくれた神に感謝する意味をもつ。そこで三本締めをして場所が閉幕することを白鳳は知っている。にもかかわらず、締めたことに相撲協会は怒っているのだ。調べるまで私は全く意味がわからなかったのだが、白鳳は神事をないがしろにしてしまった。

白鳳はクソ真面目に見えてやんちゃである。久々の全勝優勝に浮かれてしまっていたこともあろう。宗教的伝統を知らなかったすれば、協会は説明して納得させればよい。教育してやらねばならない。客にだって、ちゃんとわかるようにその場で説明責任を果たすべきなのだ。

自分は平成に育てられ、天皇陛下から手紙をもらった思い出もある、平成最後の場所で優勝できた、大相撲の発展を祈念して皆さんと三本で締めたい。白鳳はそんなことを言った。知らない者には懇切に知らしめる、これが今の常識だ。

ところで三本締め。一本締めも一丁締めもそうだが、「いよぉーっ」と声を掛ける。「祝おう」が転じたものだそうだ。チャチァチァ、チャチァチァ、チャチァチァ、チャとやるのは意味があるのだそうだ。チャを三つで「九」、もう一つチャを加えて漢字の「丸」となる。すると丸く収まる。ほーなるほど・・・。

(山吹色は鮮やかな黄色。色鉛筆のこれが好きだった)
かいまみて時流を感じてフェイスブック [2019年04月27日(Sat)]

fumihouse-2019-04-27T19_02_48-1-thumbnail2.jpg高橋光洋(彼)は年をとってからフェイスブックを始めた。わたしと一緒だ。なんせ若い頃にはSNSなんてなかったのだから。

≪御宿へ越してきてからフェイスブックに登録した彼は本読みや愛書家と交流するようになっていたが、このどこか電磁的なつながりに熱中するというのでもなかった。ただ他人の考え方に触れ、風潮を知り、おおまかな時流を感じられるのがよかった。≫ (『この地上において私たちを満足させるもの』乙川優三郎,2018年,新潮社)

いいね! はもらいたい。かといってタイムラインに流れる投稿すべてに目を通すほどの意欲はない。気になる単語が目につけば読んでみる。近ごろご無沙汰の名前を見つけたら、どうしてるだろうかとその人のページにとんでみたり、メッセンジャーでメールを送ってみたりする。そんな使い方から、「風潮を知り、おおまかな時流を感じられる」のは確かなことなのだ。ツイッターもインスタグラムも使うのだけれど、フェイスブックは少々役に立つ。
人はみなストーリーにて生きている [2019年04月26日(Fri)]

fumihouse-2019-04-26T08_15_49-1-thumbnail2.jpgきょうは平成最後の金曜日。元号が代わるという人間界(日本だけだが)のルールに従えば「最後」なのだが、単に地球が自転して昼夜がある、ただそれだけの意味しかない。人が作ったストーリーに当てはめると、見事なまでに意味を持つ。

金曜日という曜日。その前に昼と夜がある。時間が割り振られて日、週、月、年で人間は生活を営み歳月を重ねる。人は成長し、社会で様々な体験をする。取り換えのきかない人生模様というストーリーをそれぞれが刻む。筋書のないドラマとして人を喜怒哀楽のドラマの渦中に立たせることもある。

おそらく他の生物にはできない高度な知的作業である。一方で心中に渦巻くフィクションも含めて、ストーリーは人を悩ませもする。乗り越えたときには小さなヒストリーとなって誇りとなるし、うちひしがれて底に沈むこともある。人間はストーリーで生きている。
変わらない笑顔に人の懐かしさ [2019年04月25日(Thu)]

fumihouse-2019-04-25T18_46_07-1-thumbnail2.jpg15年ぶりにお会いした方に、「変わらんねー」とありがたい言葉をかけていただいた。その方も色艶よく若々しかった。

残念だが錯覚である。髪は白くなり、肌はくすんでシミも目立つ。体型も少し崩れている。年相応である。

それでも、年をとってないような錯覚は起きる。そのためには条件がある。昔のあれこれが互いに思い出されて懐かしい気持ちに満ちていること。そして、いきいきハツラツとして人懐っこい笑顔があって、健康なことだ。

そうすれば年をとってはいないように見えるはずである。もちろん錯覚であることを忘れてはいけない。一緒に写真でも撮ってみたときには、表情の一瞬を切り取るからボロが出る。こんなはずではなかったと後悔しても責任はもちませんので、悪しからず。
春の雨暮れゆく季節に代わりゆく [2019年04月24日(Wed)]

fumihouse-2019-04-24T18_27_58-1-thumbnail2.jpg春の雨
暖かい朝の雨
風なくて静かな雨
列車に傘を忘れさせる雨

春の曇り空
どんよりと静かな曇り空
暗くて湿り気のある午後の曇り空
四十雀がツーピツーピと鳴く曇り空
イソヒヨドリは天使の歌声を響かす曇り空

すでに冬の面影はなく季節は進みゆく
夕闇がうっすらと迫りゆく
春が暮れてゆく

(野芥子 (のげし)も春の雨に濡れている。今ごろは夕方に湿気っているだろう)
一万歩続けるたびに価値よ増す [2019年04月23日(Tue)]

fumihouse-2019-04-23T20_37_43-1-thumbnail2.jpg≪1万歩は約14円の価値!?――厚生労働省が、“ウオーキングと医療費削減の関係”を調査した研究である。1日1万歩を続けた場合、年間の医療費は約5000円減るという(中略)「歩」の字は「止まることが少ない」と書く。一歩の距離は小さくとも、歩みを止めなければ思いもよらない境涯の高みにまで至ることができる。きょうのたゆまぬ一歩が、自他共の人生を輝かせる≫  (聖教新聞,名字の言,3月22日付け)

きょうの歩数が8000歩と少し。歓迎会で飲んで松江駅から列車に乗り込んだ酔っぱらいからすると、1万歩はちと厳しいが、まっこんな日もあるさ。

もちろん名字の言は実歩数だけのことを述べたわけではない。諦めず一歩の前進を続けることが、勝利のただ一つの秘訣であるとわかる。小さな一歩を大切にしよう、毀誉褒貶に一喜一憂しないことが何よりだ。今夜はゆっくり休んで週半ばの明日もガンバろう。
玉造ひと度つかれば美人の湯 [2019年04月22日(Mon)]

fumihouse-2019-04-22T18_59_28-1-thumbnail2.jpg玉造温泉の湯に入った。つるんとした滑らかな泉質だ。関節痛に効くという。疲労回復にもいいらしい。保温効果が長続きし冷え性の人も喜ぶ。保湿性があって美肌効果が抜群だというではないか。出雲風土記は玉造の湯をこう記す。

≪一たび濯(すす)げば 形容(かたち)端正(きらきら)しく 再び浴(ゆあみ)すれば万(よろず)の病悉(ことごと)に除(のぞ)こる 古より今に至るまで験(しるし)を得ずといふことなし 故(かれ)俗(くにびと)神湯と日(い)ふなり≫

一回湯治するだけで見目麗しくなり、二度目にはどんな病気でも治癒する・・・誇大広告も甚だしい。大昔はこれでもいい。風土記を読める人は限られた貴人である。都は遠く離れている。そうとやかく文句をつける人はいまい。

ところが現代にあってそんな広報をしようものなら、袋だたきに遭って目も当てられない。ネットはさぞや炎上するであろう。公正な観光商品取引の妨げになるかどで捜査対象になるやも知れぬ。

まっ、それほどの即効性は期待できなくても、いい湯であることは間違いない。お隣出雲・斐川の湯の川温泉は日本三大美人の湯。ここも合わせて楽しんでくださいな。神湯ですぞ。
令和へと前代未聞の幕が開く [2019年04月21日(Sun)]

fumihouse-2019-04-21T14_20_19-1-thumbnail2.jpg前代未聞・最長不倒・最大級の超ゴールデンウィークが近い。官製の休暇とはいえ、天皇退位と即位にともなう古今東西・未曾有の大型連休は来週からだ。

ラインを止められない工場も多い。治安・安全を司る面々にとって休みとは無縁だ。通常のシフトでまわっていかれることと思う。役所以外のサービス業では書き入れ時だ。大車輪で日々を過ごされることだろう。交通渋滞、コンピュータシステムのトラブルも含めて、イライラし逆上する客も増えるとすれば、サービス提供者にとっては受難の超大型連休となる。

平成から令和へ。時代は代わる。大宇宙の動きからすればほんの些細な変化だ。全地球から見ても小さいが、時代は移り行く。
高齢のテロに等しや認知欠け [2019年04月20日(Sat)]

fumihouse-2019-04-20T15_41_38-1-thumbnail2.jpgテロリズムである。認知症を患い始めた高齢者がハンドルを握ることはテロリズムに等しい。

練馬ナンバーの87歳のじいさんが、ガードレールに接触してのちアクセルを全開、2つの赤信号を無視して10人近くを轢き飛ばし、自転車の親子を殺した。アクセルが元に戻らなかったと取り繕うが、運転に必要な判断力と技能をすでに失っている。

白いプリウスだった。ドライブレコーダーも付けている。それなりに豊かだ。ならば、免許を返納してタクシー利用に切り替えて何ら問題はない。都会ではバスも鉄道もいくらでも利用できる。つまらないプライドを振りかざすのは止めていただきたい。

運転能力を失ってもそれに固執し続け、運転を止めさせられることがないよう政治的意図を持って運転に及び、交通法規を守っていた者を轢き殺すという残虐な行為。これも一種のテロリズムとは言えまいか。自分たち高齢者が運転を続けるようにするためには大量の人間を殺害するのもやむ無し、と主張していることと同義である。

もちろん、高齢者一般への偏見を持っているとか、差別を助長しようとしているわけではない。公共の安全を考えれば、特に都会地では厳しめの運転抑制を発動させないと、さらに犠牲者が増えることを心配するのみだ。

(太陽光を受けて太陽のように輝くガザニア。メリハリのきいた気持ちのよい黄花である)
埼玉に七百万の人ありて [2019年04月19日(Fri)]

fumihouse-2019-04-19T18_46_18-1-thumbnail2.jpg『翔んで埼玉』で笑った。自虐のギャグに大笑いした。ケラケラと笑わされ過ぎて、中盤以降は強烈過ぎて飽きがきた。眠たくもなったが、こんな映画もたまにはいい。

昔々、埼玉県民は東京都民から迫害を受けていた(いったい何時のこと? 時代考証など無視)。畜生のような扱いを受けて泣く埼玉県民がどんなに多かったことか。東京の探知機が【サ】を察知するや捕物が始まり、埼玉へ強制送還となる。地下に潜った埼玉県民の総意はともかく東京から認めてもらいたいのだ。劣等感に裏打ちされた独立意識の願望である。埼玉県民は、通行手形を発行してもらわなくても東京に行けることを夢見る。ダハハ、超のつくバカ話に笑うのだ。

現実に気分としてあるのは、千葉県とのライバル意識。千葉にあって埼玉にない海やディズニーランドへの憧れと嫉妬。埼玉県民は大変なのだ。しかも副都心の都会地とその他の地域との対立的な感情もあるらしい。一方で、後背地である群馬や栃木の存在。そちらからは埼玉に対して実際応援が寄せられる。複雑な埼玉感情に島根県民は笑ったのであった。

(朝露に濡れるウマノアシガタ。透明で光沢のある春の装いだ。もちろんきょうも黄色)