質問は新たな出会いの玉手箱 [2018年11月23日(Fri)]
会議や会合で質問することがあります。講演会でも質疑時間がある場合もあります。説明者や演者にとって、自分の説明なり論説が、情感的なことも含めて評価の対象となり、どんな質問が飛び出すかわからない・・・緊張のひとときです。
ところがどうでしょう。会議や講演によってはせっかくの質問タイムに手が上がらないことがあります。内容は資料を読めば分かるからさっさと終わってくれや!という空気を感じるときもありますが、主催者が時間がないと称して質疑の時間を設けないケースがあります。面倒な質問に右往左往したくないのかもしれません。 講演会でせっかくの質問時間に手が上がらないのは、もったいないと思います。講演がよほどつまらなかったのなら別ですが、演者にたいして失礼になるではないですか。皆さん御一緒に!のメンタリティにあっては、皮切りの質問者は恥ずかしい、こんなこと聞いたら変だと思われやしまいか、と二の足を踏んでいます。ですから主催者はサクラの質問なり、意見陳述者を用意しておかなければなりません。 質問によって演者は刺激を受けます。話しているときは一方通行ですが、質問を受けると別の思考スイッチが入ります。新しいものが生み出される可能性があります。質問者が知りたい情報を新たに得るというメリットは当然あるのですが、演者も自身では思ってもみなかった思考のきっかけに出会うのです。こんな会合や講演会の場に臨めたときは、とても嬉しく感じます。 (ダイヤモンド・リリーのような鮮やかな質問をしてみたい) |